2018年02月18日

対米従属の極み ポンコツ兵器押し売りにダンマリの日本

対米従属の極み
ポンコツ兵器押し売りに
ダンマリの日本
2018年2月17日 日刊ゲンダイ

 ヤクザにたかられる“カモ”と一緒である。
日本政府が米国から「イージス・アショア」や戦闘機などの防衛装備品を購入する「有償軍事援助」(FMS)をめぐり、改めてその問題が浮き彫りとなった。

 FMSは「価格および納期は米政府の見積もり」「代金前払い」「米国側から契約解除可能」――など、米国側にとって極めて都合のいい条件が設定されている。
その上、代金を支払った分の装備品も注文通りに納入されているわけではないから驚きだ。

 会計検査院の調べによると、納入された装備品のうち「不具合」が見つかったのは、2005年度〜16年度で107件、金額で約2300億円にも上る。
01年度、03年度〜11年度、13年度では、米国から送付されてくる装備品の金額を掲載した「計算書」と、実際に日本側が受け取った「受領検査調書」の内容が一致しないケースが64件、約671億円あった。

 14日の衆院予算委でも無所属の会の原口一博議員が
トランプ米大統領に『日本はあなたの財布じゃない』と言いたい。
米国のずさんな管理で現場が苦労している」と安倍首相に迫ったのも当然だ。

 FMSをめぐっては、前払い金と実際の購入費用の差額である「余剰金」について、米国からの返還が滞っている上、昨年度の「未精算額」が約623億円、「未納入額」が約189億円に上る。
こうした数百億円ものカネが毎年、米国の精算手続きの遅れから宙に浮いたまま。米国から見れば、契約段階で言い値のカネを支払う日本は“カモ”だが、不良品をつかまされる現場の自衛隊員はたまったもんじゃない。

元外交官の天木直人氏がこう言う。
「多額の税金が装備品の購入に費やされ、その上、ポンコツ品を買わされている現状は、深刻ですよ。
日本は米軍基地の負担や武器購入などで多額のカネを払っているにもかかわらず、トランプ大統領は日本を『ドロボー』呼ばわり。
それでも、安倍政権は何ら抗議することなく唯々諾々と従っている。
対米従属ここに極まれり、です」

 防衛省、自衛隊から怒りの声が上がるのも時間の問題だ。
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☀| Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月17日

「何人死んだんだ」が示す冷酷 想像力欠く政治家発言が差別をあおる 沖縄、福島 本当に人ごとか

   特集ワイド
「何人死んだんだ」が示す冷酷 
想像力欠く政治家発言が差別をあおる
沖縄、福島 本当に人ごとか
毎日新聞2018年2月16日 東京夕刊

 考えている。
沖縄福島について、である。
先日、政府要人が、沖縄で相次ぐ米軍機事故を巡って発した「それで何人が死んだんだ」との言葉がニュースになった。
福島でも、かつて同じような言葉が投げられた。
「原発事故の死者はいない」などと。
為政者の言葉の背後にあるものは何か。
     【吉井理記】

 唐突だが、「棚原隆子ちゃん事件をご存じだろうか。
 初耳の読者も多いのではないか。
恥ずかしながら、記者も近年まで知らなかった。
でも沖縄では、米軍基地がもたらした悲惨な事件として語り継がれてきた。

 1965年6月11日、沖縄・読谷村。
米軍輸送機からパラシュートで投下されたトレーラーが、自宅の庭で遊んでいた小学5年、棚原隆子さん(当時11歳)に落下、圧死させた事故だ。

昨年、沖縄で相次いだ米軍ヘリの部品落下事故で、この悲劇を思い出した県民も多かったはずだ。
 隆子さんを知る人が永田町にいた。
沖縄選出の参院議員、糸数慶子さん(70)である。

「小学校や保育園へのヘリの部品落下を知って、私も真っ先に隆子ちゃん事件を思い出しました。
一つ間違えば、子供たちの命が危うかったのですから」

 当時高校生だった糸数さんの家は、読谷村で雑貨店を経営していた。
「隆子ちゃんの家は隣の地区なんですが、歩いて行ける距離で、お母さんも隆子ちゃんもよく買い物に来てくれて。
彼女の顔はパッと思い浮かぶ。
今、思い出しても涙が出ます」。

事故を報じた毎日新聞の同年6月12日付朝刊の記事は、米軍師団長が棚原さん宅を訪ねたが「家族が半狂乱のため、面会できずに帰った」と結ばれている。
 「59年には米軍機が小学校に墜落し、児童11人が亡くなった事故があったし、他にも住民が犠牲になる事故は起きてきました。
米兵の犯罪も後を絶たない。
そこで飛び出したのが、あの発言です」

 1月25日の衆院本会議で、米軍ヘリの部品落下事故を巡る共産党・志位和夫委員長の質問中に発した自民党の松本文明副内閣相(当時)の「それで何人が死んだんだ」のヤジのことだ。

「副大臣どころか、議員失格です。
ならば、沖縄県民は何人死ねばいいんですか。
言いたくはありませんが、自分の家族が同じような悲惨な目に遭っても、同じことが言えますか
 こんな疑念も浮かぶ。
あの発言、松本氏の個人的な資質にとどまる問題ではなく、日本社会は多かれ少なかれ、似たような感覚を共有し、沖縄を冷淡に見てきたのではないか?

 ある記事を紹介したい。朝日新聞の2月6日付の夕刊社会面(東京本社発行紙面)である。
隊員2人が痛ましい死を遂げた佐賀の陸上自衛隊ヘリの墜落事故を巡り、住民が沖縄の米軍ヘリ事故を念頭に、こんな感想を漏らした。

「沖縄であがんことがあっても、遠隔地で気にしていなかった。安心して住まれんね」  
「沖縄では、過去も今も米軍機やヘリが事故を起こしている。
住民に犠牲者も出てきた。
でも遠隔地・沖縄だから関係ない、と。
これこそ多くの日本人が共有してきた意識ではないでしょうか」と喝破するのは、東大教授で哲学者の高橋哲哉さん(61)。

日本人が「日米安保は必要だ」と考えるなら、その前提となる米軍基地は本土こそ引き受けるべきだ、と訴えてきた。
 「『関係ない』という意識が沖縄からはどう見えるか。
これを見てください」と示されたのが、2月3日付の地元紙・琉球新報。

安倍晋三首相が2日の衆院予算委の答弁で、沖縄の基地負担が減らない要因について、初めて「移設先となる本土の理解が得られない」ことを挙げた、と1面トップで報じた。  
「沖縄だって基地を『理解』したわけではない。
でも沖縄には基地を押し付け、本土は『理解が得られない』から押し付けない。
これこそ差別ではないか。
沖縄の怒りの根源がここにあります

 少数派の沖縄に基地を置いて日米安保の「恩恵」だけは受けながら、圧倒的多数派の本土に基地問題の当事者意識はない。
想像力の欠如でもあります。
多数派は、自分が少数派になったり、犠牲になったりするかもしれない、ということを考えない。
これは福島の原発事故後も、原発再稼働を求める政治家や世論にも言えることです」

 振り返れば、福島の原発事故でも2013年、自民党の高市早苗政調会長(当時)が講演で「原発事故による死者が出ている状況ではない」と述べ、後に撤回した。
津波の被災者を含めて避難中の体調悪化などが原因の震災関連死は、福島県だけで2000人を超える。
やはり「遠隔地」である福島の原発事故の実相は人ごと、ということか。
電力の恩恵は享受するが、事故のリスクは遠隔地で、という構図は、基地問題と同じである。  

「これらの暴言・失言からうかがえるのは『仮に死者が出ても大したことはない』という意識ではないでしょうか。
少し前の話ですが……」と高橋さん。

 久間章生・元防衛相はかつて、有事法制を巡り
「90人の国民を救うために10人の犠牲はやむを得ないとの判断はあり得る」(03年6月30日付朝日新聞朝刊)と発言した。  

問題は、この10人はだれか、です。
為政者は、自分を生き残る90人にカウントするでしょう。
では国民は、自分や家族をどちらに入れるのか。犠牲になる10人に入ることを為政者に認めた人はいるのでしょうか」

 高橋さんの問いに、即答できる人はいるのか。
「何人死んだ」といった言葉の後ろに横たわる空気は、犠牲になる「10人」を他者に求め続けてきた私たちが醸成したのではないか。

原発事故、基地問題対応に投影
 もう一つ、気になることがあった。
米軍普天間飛行場の辺野古への移設の是非が問われた4日の沖縄・名護市長選、移設反対を掲げた前市長陣営を「反日」などと中傷する言説が飛び交った。

自民党の山田宏参院議員はツイッターで「親中反米反日勢力」とまで記した。
 米軍の事件・事故を起こしたのは、中国ではない。
沖縄県民の生活や生命を脅かす事件・事故を「反日」というならともかく、「悲惨な事件をなくすため、基地を減らしたい」(糸数さん)という訴えが「反日」らしい。

山田議員の事務所にツイッター投稿の趣旨について取材を申し込んだが、多忙であることを理由に応じなかった。
 「先月も沖縄で米海兵隊ヘリの部品が落下した保育園の園長に会ってきました。
被害を訴える保育園には今も『反日』だの『非国民』だのという迷惑電話やメールが来ているそうです。
実は福島も同じで、原発に反対する被災者らに『反日』という言葉が投げつけられている。

今の日本は、被害者を『敵』とする風潮が生まれているんです」と首を振るのは、沖縄、福島で取材を重ねてきたジャーナリスト、安田浩一さん(53)だ。

 おさらいすると、沖縄の米軍基地の大半を占める海兵隊は、もとは本土に駐留していた。
しかし米軍の事件・事故が相次ぎ、本土の反基地感情が高まった57年以降、米施政下の沖縄に移った。

 当時の本土の空気感を示す国会議事録を見つけた。
例えば54年8月2日の参院文部委員会。
後に佐藤栄作内閣の文相を務める自由党(自民党の前身)の剱木(けんのき)亨弘(としひろ)氏が、大阪市立大などを接収して駐留する海兵隊について述べていた。

 「海兵隊駐留後は演習で騒がしいし、風紀上の事件も発生し、女子学生は毎日心配して登下校している。
市内の小学校の授業にも影響が出ている」ことなどを理由に海兵隊の移駐を求めた。
こうした自民党の先達も「反日」なのか。

 「沖縄や福島だけではありません。
反原発運動にも『反日』といった物言いがなされる。
国や政府に逆らうのは『敵』なのでしょう。
理由は判然としない。
ただ言えるのは、街頭での差別デモは、法整備が進んで確かに力を失いました。
でも、同じように沖縄や福島、隣国や在日外国人、弱者を差別する言葉は日常生活で交わされるラインに近づきつつある。
それを後押ししているのが文化人や政治家の暴言です。
これは罪深い。
彼らの言葉が、差別や被害者の命を『何人死んだんだ』と切り捨てる冷酷さを正当化させることになりかねません」(安田さん)

 二つの地域に向けられる為政者の視線にこそ用心したい。
犠牲となる「10人」には、だれだってなりたくない。
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☁| Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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