2021年01月24日

室井佑月が石原氏の無症状入院を皮肉る「私もすぐ入れてくれるんだよね?」

室井佑月が石原氏の無症状入院を皮肉る「私もすぐ入れてくれるんだよね?」
1/23(土) 東スポWEB

 タレントの室井佑月(50)が23日、ツイッターで日本の医療体制の矛盾を指摘した。
 自民党の石原伸晃元幹事長(63)が22日、新型コロナウイルスに感染したことが判明。
無症状だったが即日入院した。
不整脈などの持病があるためだが、前日の派閥総会への出席や、その後の会食といった行動と合わせて「特別待遇」「上級国民」と批判されている。

 室井はこの状況に「日本の医療のトリアージって、急を要する者からってことじゃないのかもね。
となると、トリアージってヤバい。
命に格差をつける、ってことになるんじゃないのかな?
全国の公立病院を減らす、っていうのもそういう意味はあったよね」と治療の優先順位を決める「トリアージ」の運用に疑問の声を上げた。

 さらに「あたしは不整脈のほかに糖尿病も持っているから、具合悪くなったらあそこの病院へいくわ。検査して、すぐ入れてくれるんだよね? 忘れてないでおこう」と石原氏の入院を許可した病院を口撃=B  

 続けて「こっちは陽性で具合悪くなった状態なんだから、空きベッドない、っつーことはないわな。
今ならあの人と交代してもらえるよね」と追い打ちをかけた。
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2021年01月23日

「有事だから、なし崩し的にやっちゃえ!」は危険

「有事だから、なし崩し的にやっちゃえ!」は危険
豊田真由子が強制的な私権制限に警鐘
1/22(金) まいどなニュース

緊急事態宣言発令から2週間、1月21日現在、新規感染者数は漸減傾向ではありますが、死者、重症者、高齢の新規感染者、入院・宿泊療養待機者等は、依然高い水準にあり、引き続いての感染防止策の徹底が求められます。

米国第46代ジョー・バイデン新大統領が就任しました。
就任演説で「すべてのアメリカ人のための大統領となり、私を支持した人と同じくらい、私を支持しなかった人のために懸命に戦う」と述べ、結束と国際協調を強調しました。

分断を生み出す白人至上主義や差別・排外排斥主義、自国第一主義などは、歴史的にも非常に根深いものですし、その根底にある経済的・社会的格差などの構造的問題を、どのように解消・改善していけるのか、新大統領は、困難な船出・舵取りを担うことになります。

それでも、「『結束』などと言うのは、ばかげた幻想だと思う人もいることは承知している、されど、アメリカは数々の苦難の歴史を乗り越えてきた、今回も、我々は乗り越えていける」と述べ(トランプ前大統領に投票した7400万人の耳や心に、どれだけ届いたかは疑問ですが…)、真実・正義・希望を語った新大統領に、新型コロナで2400万人の感染者と40万人の死者を出し、暴動や深刻な人種差別に不安が広がる米国民は、一筋の光を見出し、未来を託すことになります。

米CNNの調査によると、バイデン氏が正当に大統領に選出されたと考える人は、民主党支持者の99%、共和党支持者の19%であり、米YouGuvの調査によると1月6日の米連邦議会襲撃事件について、民主党支持者の93%が「民主主義への脅威」と捉える一方で、共和党支持者の50%が「自由を守るためだった」と考えているとのことです。
民主主義は、国民の意思が正当なプロセスで尊重されていることへの信頼に基づいて成り立つものですが、これが当然のことでなくなっていることを示しています。

そして、暴動やテロ行為により、己や属するグループの意思を顕示・実現しようとの試みが、一定の正当性を持って受けとめられていることにも、危惧を持たねばならないでしょう。
過激思想は欧州などにも広がり、バイデン政権の成否は、世界にも大きな影響を与えます。
「一度獲得した『自由』や『民主主義』は、後退しない」と漠然と考える方が、わが国でも多いのではないでしょうか。
実は歴史を見れば、そんなことはちっともなく、自由や人権や民主主義の維持には、公権力の側にも国民の側にも、不断の努力が必要なのです。
だからこそ、「法と秩序」によって、人々と社会が制度的に守られるシステムが、極めて重要になります。

例えば、スウェーデンのV-Dem研究所によると、2019年に民主主義国・地域は世界に87、非民主主義は92で、2001年以来初めて、非民主主義が民主主義の勢力を上回りました。
非民主主義国・地域に暮らす人は、世界人口の54%と多数派になり、旧ソ連が崩壊した1991年以来の水準に逆戻りしました。
2018年にハンガリーやアルバニア、19年にフィリピンなどが非民主主義に逆戻りし、ブラジル、インド、米国、トルコ等、人口・軍事・経済・政治的影響の大きい国でも、独裁下・専制化(autocratization)の傾向が進んでいるとされています。

今国会では、新型コロナウイルス感染拡大を受け、特措法や感染症法等が改正の予定です。
感染拡大防止のため、対策に実効性を持たせることが必要、ということは、もちろん理解します。
ただ、公権力の行使を巡る苦難の歴史や、法学・法理論の観点からは、多くの問題があり、“有事だから、なし崩し的に、なんでもやっちゃえ!”という考えと、それを許容する流れには、危惧を覚えます。
少なくとも、そういう問題がある、ということを、広く知っていただくべきではないかと思います。

そもそも、わたくしは、昨年春の時点で、都道府県知事の外出自粛や休業要請等は、特措法上、本来緊急事態宣言が出されて、初めて行使することができるものであり、緊急事態宣言が出されていない中で、都道府県知事が外出自粛や休業要請を矢継ぎ早に出すことに、疑問を呈してきました。
特措法の逐条解説(法案を作成し、内閣法制局と喧々諤々の議論を経て、国会に提出した各省の担当者たちが、法令の正確な理解と適切な運用のために作成するもの)からも、それは明らかです。

■明確な法律の根拠とそれに基づく厳格な手続き等が必要
法治国家や民主主義の根幹として、移動の自由や経済活動の自由といった憲法上の基本的人権を、公権力が制限するのであれば、公共の福祉との関係での必要性、内容の妥当性、明確な法律の根拠とそれに基づく厳格な手続き等が必要です。
もちろん、社会状況の変化に応じて、法律を変えていくのは必要・有益なことであり、わたくし自身、役所で多くの法律改正作業に携わった経験からもよく分かります。

ただし、さまざまな歴史的経緯等を踏まえ、「それはやっちゃいけないよね」とされたことを、復活させることには慎重さが求められます。
当初、どういった検討があってそういう規定にされていたのか、どういう歴史を踏まえているのか、そして、公権力は人権制限に対して極めて抑制的でなければならない、といったことを、ないがしろにしてよいはずはないのです。

具体的に考えてみます。
(1)入院勧告や保健所調査の拒否に対して刑事罰(懲役1年以下または罰金100万円・50万円以下)を科すことについて 身体的拘束やプライバシーの侵害に対して、罰則を持って強制することになります。
現行の感染症法は、かつて結核やハンセン病等の患者が強制収容され終生隔離生活を強いられるなど、感染症のまん延防止の名目で、著しい人権侵害が行われてきたことへの深い反省の上に成立したものです。
そして、現行の感染症法においては、エボラ出血熱やペストなど、非常に毒性の強いものも含め、入院や調査拒否に対する罰則は存在しません。
こうしたことの理由や意味、重みを、どう考えるのでしょうか?
さらに、実効性の観点からは、罰則を伴う強制によって、恐怖や差別を引き起こすことにつながり、却って協力が得られなくなるおそれもあり、刑事罰をおそれて、そもそも検査を受けなかったり、検査結果を隠したりして、対策が困難になる可能性もあります。

(2)時短や休業要請に応じない飲食店の店名公表及び過料(“予防的措置”の段階で30万円以下、緊急事態宣言の発令後は50万円以下)について 要請に応じない施設(※元々の対象は、学校や社会福祉施設、映画館、デパート、ホテルなどに限定されていたが、臨時閣議で政令を改正し、飲食店を追加)の公表については、もともと「(施設の)利用者のため、事前に広く周知を行うことが重要であることから、公表することとしたもの」です。
また、施設の使用制限等の要請等の措置は、「罰則による担保等によって強制的に使用を中止させるものでない」とされていました。
施設名を公表することは、今の日本では、SNS等を通じた、いわゆる私刑による制裁を与えることを意味することになり、本来の法の趣旨とは違っています。

国がそういったことを奨励し、互いの監視や「自粛警察」等を招くことにもなりかねません。
過料を科すことについては、例えば、スピード違反や脱税という行為に罰金を課すのとは異なり、「倒産や事業継続、雇用の維持ができなくなる可能性がある行為(時短営業や休業)」を、罰則で強制するものであり、財産権等の侵害が公共の福祉との関係でどこまで許容されるか、という問題でもあります。

今回は、行政罰とともに、事業者支援の規定(「必要な措置を効果的に講ずるものとする」)を設けることで、バランスを取ることにしたわけですが、いずれにしても、大きな方針転換であり法の趣旨の変更になります。
いずれの条文も、国会に法案が提出される以上、関係省庁と内閣法制局の協議の結果(※今回の法案は、議員立法ではなく、緻密さ・厳格さが要求される閣法です)、様々な規制や罰則について、憲法等との整合性は保たれるとの認識となったわけですが、異論もあると思います。
(最終的に判断するのは、違憲立法審査権を有する司法(裁判所)になります。)

いずれにしても、政府には、強制的な私権制限を行うことの妥当性や法的整合性、公平性・実効性の担保方法などについて、懸念を払しょくするに、十分な説明が求められます。

豊田 真由子 
1974年生まれ、千葉県船橋市出身。
東京大学法学部を卒業後、厚生労働省に入省。
ハーバード大学大学院へ国費留学、理学修士号(公衆衛生学)を取得。
医療、介護、福祉、保育、戦没者援護等、幅広い政策立案を担当し、金融庁にも出向。
2009年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官として、新型インフルエンザパンデミックにWHOとともに対処した。
衆議院議員2期、文部科学大臣政務官、オリンピック・パラリンピック大臣政務官などを務めた。
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2021年01月22日

人生の失敗・不幸はすべて自分の責任?安易な「自己責任論」が追いつめる先

人生の失敗・不幸はすべて自分の責任?安易な「自己責任論」が追いつめる先
1/22(金) 現代ビジネス..吉野 なお(モデル)

 生活の困窮、パートナーからのDV、予期せぬ妊娠……コロナ禍で苦境に立たされる人が増えている。
SNSやネットニュースのコメントでそんな状況の告白に対して、自己責任や考えの甘さを指定するレスが、増えている。  SNSを中心に、体型に関するポジティブなメッセージを配信し続けている、プラスサイズモデルの吉野なおさん(モデル名:Nao)のところにも、自己責任論を突き付けられて苦しむ人たちからの悩みが増えているという。

 「太ったのはだらしない生活のせい」「デブと言われるのは自業自得」「心が弱いから摂食障害になる」といった刃物のような言葉たち。
今回は、ネットに増加する、呪いの「自己責任・自業自得」について、自らの経験とともに執筆してくれた。

人生の失敗や不幸はすべて自分の責任なのか?
 あなたはこれまでの人生で「あのとき、あんなことしなければよかった」「別の選択肢を選べばよかった」と後悔したり、反省した経験はあるだろうか? 
 就職した会社がブラック企業だったとか、良い人だと思って付き合ったらモラハラ男だったとか、安く買えたと思った物がすぐ壊れてしまったとか。
物事の程度に差はあれ、後になってもっと良い選択に気づくパターンは、誰もが身に覚えがあると思う。

 日本人の私たちは、日常生活で悪いハプニングが起きると、その人自身の過去に悪い原因を探してしまいがちだ。
「日頃の行いが悪かった」「因果応報だった」「自業自得だった」などの言葉で受け入れ難いことをまとめようとしたりもする。
でも、何も悪いことをしていなくても、良い行いをしていても、悪いことは起きるし、止むを得えず導き出した答えの後、ハプニングが起きることだってある。

 最近、ニュースやSNSをみていてちょっとモヤモヤすることがある。
それは『その状況にならざる負えなかった人』が傷付き助けを求めているときに、「あなた自身に問題の原因がある」と責め立てる人を見るときだ。
 例えば、コロナ禍で生活が困窮している人に「貧乏は個人責任。仕事はいくらでもある」、モラハラ夫に苦労している人に「悪い人だと見抜けず結婚したあなたが悪い」、コロナ感染した人に「そこへ行ったあなたにも責任がある」などなど……。すでに傷ついている人の傷を更にえぐる言葉が最近、あまりに増えている。

 人の人生は簡単に他人に語れるほど単純ではないのに、表層の情報とイメージで他人を解釈し、傷ついた人を説教するくだりには、傲慢さを感じてしまう。
もう変えることができない過去の原因や選択を責め続けても、困っている現状は変えられないのに……。

『自己責任』という言葉が人をより孤独にさせる
人から非難やマウントをさけて、声に出せなくなっている人も……。
 かくいう私も、『自己責任』『自業自得』という言葉に囚われ、人を頼りにできなかった経験が何度かある。
 私は、昔から人を頼りにするのが下手だった(今でも得意な方ではないけど)。
 例えば、オフィスワークの仕事をしていた時には、『他人に頼むより自分がやればいいや精神』『頼まれたら断れない性格』で仕事を抱え込み、キャパオーバーになって体調を崩した。
摂食障害だったときには、余計な心配をされないよう他人の前では『大丈夫な人』のフリをして明るく自分のキャパ以上に明るく振舞っていたが、心の中はまったく大丈夫ではなかった。

 モラハラ男性にひどい扱いをされたときも、その事情を知って助けてくれようとしてくれた人がいたのに「いいのいいの、大丈夫!」と頼らず自己解決しようとしたことで、状況が悪化した。
あのとき素直にその助けに乗れていたら、どうなっていただろうかと思う。
 でも当時の私は、例え目の前に自分の声に耳を傾けてくれる人がいたとしても「自分の性格や考え方が悪いのだ」「相手に迷惑をかけてしまうかもしれない」という思考になっていて、悪い状況であっても今のままでいるほうが、リスクを減らすことができると感じて、頼ることができなかったのだ。
過去の私のような思考に陥っている人は少なくないように思う。

 いざ勇気を出して相談してみたところで、万が一『つらい人はもっといる理論』や『根性論』を持ち出されたりすると「もう誰にも話さないでおこう」となってしまったり、相談すべき相手を間違えてしまう場合もある。
 よく「独りにならないで」という言葉があるが、これは物理的に誰かと一緒にいることが大事なのではない。
本当の孤独や不安は、誰かと一緒にいるときにも感じるものなのだと思う。

 仕事・人間関係・子育て・介護など、自責して自己解決しようとしたことで心身の病を患ったり、『正しい人』を頼れず物事がもっと悪い方向へ進んでしまったという話は、枚挙にいとまがない。
切羽詰まった人間は、他の選択肢に気づけなかったり、判断力が鈍ってしまうからだ。
家族の無理解な助言が孤立を深めてしまうことも 認知のゆがみが起きている摂食障害。
ここへの理解なく、食べろ食べるな、そんなことになるのはおかしい! という声は逆に症状を悪化させてしまう。
 過去に私自身が摂食障害だったこともあるので、摂食障害に苦しむ女性からよく相談を受けるのだが、よく聞くのが、家族に過食症の症状を否定されるという悩みだ。

 過食症は、理解の無い人からすると『単なる大食い』だと思われることが多い。
そういった無理解な人が身近な存在の家族にいると「また食べてるの!? 太るよ!」「いい加減にしないと怒るよ!」と呆れられたり、ひどいときには家族の勝手な判断で食べ物を隠されてしまったりする。
こういった否定や拒否行為は、本人にとっては相当つらいことになり、逆効果になることも多い。
本人にとっても過食症は辞めたいことであり、自責していることであり、そして、自分の意思ではコントロールできないから困っているのだ。
 また過食症のことを家族に説明しても「考えすぎ。あなたがそんな病気なはずはない!」(家族は励ますつもりでこういった言葉を使いがちだ)なんて言われると、家庭の中で落ち着く場所が無くなっていく。
『過食症』を知らない人には、過食という行為自体に問題があるように見えるが、そういった症状が起きている背景に、このようにもっと複雑な問題が起きている場合がある。
これでは逆効果で、本人はますます一人で我慢していくことになる。
 この場合だと、理解のない家族と距離を置けるような、働いていて自立できるような状況であればまだ良いが、働く気力も金銭的余裕もない場合は、八方塞がりになってしまう。
また、過去の私のように「これは自分の問題で、人に話しても解決しない」と思い込み、友達やカウンセリングに相談しない人も多い。

傷ついた人が求めているのは「共感」
周囲の声を恐れ、相談できず孤立してしまったり、間違った相手に相談をし、闇の中に埋もれてしまうケースも。
 そういった“心の居場所”の無い状況下で、SNSを通して話を聞いてくれる男性が現れ「可愛いのに、かわいそう」「僕なら理解してあげられるのにな」「そんなに困ってるなら、家においでよ^^」と言われたら、フラっと行ってしまう人もいるかもしれない。
側から見たらどう考えても怪しいのに、本人からすると藁をも掴みたいみたい状況なのだ。

 心の居場所の無い女性を探し当て、利用したり支配しようとする男性は残念ながら実在する。家出したい少女をSNSで待ち構えている輩や、「自信がない女は褒めればすぐに落とせる」と解説する輩までいる(裏を返せば、それは対等な立場の女性と向き合えないということでもあるのだが)。
 「でも、需要と供給があってるんだからいいだろう」と弁明する男性もいるが、彼女たちが本当に必要な繋がりは、もっと別なところにあるのではないだろうか。
1月5日に死刑確定した『座間9人殺害事件』が過去に発生しているが、こういった犯罪に巻き込まれる可能性は大いに高くなる。

 また、これは女性に限ったことではないが、金銭的余裕の無い人に対し投資という名目の詐欺や、犯罪の共犯を持ちかける行為も存在する。
「誰にでも出来る簡単な仕事です! スマホ一台で完結します!」という言葉に誘われ、怪しいネットワークビジネスに契約させられたり、何かの運び屋や振り込み詐欺の出し子になってしまった話もある。

 日本でも少しずつカウンセリングに行く人が増えてきたように感じるけれど、まだまだ心に抱える悩みを自己解決しようとする人は多い。
私も以前は『人に相談すること=意味がない』と諦めていたので、その気持ちはよくわかる。
しかし今思うと、身の回りの人やカウンセリングに相談することだけが選択肢ではなかった。
当時は知らなかっただけで、ピアサポートや悩み相談ホットライン、NPO支援団体など、利用できるサービスが様々あったのだ。
そういったところを当たってみれば、生きやすくなる選択肢がもっとあったのかもしれない。

 『自立とは、依存先を増やすこと』という言葉を最近よく耳にする。
主催したワークショップイベントや講演に参加した女性たちからも「自分以外にも同じように悩んでいる人がいると知れてよかった、共感できて少し安心した」などと言われることがよくある。

 コロナ禍の今、SNSなどのネットツールがコミュニケ―ションの大きな柱になっている。
だからこそ、他者への言葉には心を砕きたいと思う。
困った人や傷ついた人にまず必要なことは、少なくとも「自己責任でしょ」「自業自得でしょ」と責められることではなく、『共感』という癒しなのだと思うのだ。
posted by 小だぬき at 10:00 | 神奈川 ☁ | Comment(1) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする