2026年01月20日

今年の日本は″災害の季節″に突入…「南海トラフ巨大地震&首都直下地震」の危機は確実に迫っている

今年の日本は″災害の季節″に突入…「南海トラフ巨大地震&首都直下地震」の危機は確実に迫っている
1/19(月) FRIDAY

今年は震災の年の可能性

昨年12月に起きた青森県沖を震源とするM7.5の地震の被害。
同県東北町では地面が割れ道路が陥没。自動車が穴に落ちかけた

「’26年は、大規模な地震への注意がとくに必要です。
日本はケタ違いの″激甚(げきじん)災害の季節″に突入しました」

地球科学が専門で京都大学名誉教授の鎌田浩毅氏が、こう警鐘(けいしょう)を鳴らす。

大地震と聞いて記憶に新しいのが、昨年12月8日に発生した青森県東方沖を震源とするマグニチュード(M)7.5の地震だろう。懸念されるのが誘発される大震災だ。
北海道の千島海溝と東北沖の日本海溝では、たびたび最大M9以上の巨大地震が起きている。鎌田氏が続ける。

「『千島海溝・日本海溝巨大地震』が起きる前には、近隣でM7級の地震が発生しています。
1963年の択捉(えとろふ)島沖地震(M8.5)でも直前にM7の地震が発生。
昨年12月の青森県沖の地震も、前震の可能性があるんです。

過去の千島海溝・日本海溝地震では、同時に巨大津波が北海道から関東にかけて太平洋沿岸部の広範囲を襲っています。
海岸の堆積物の調査などから、岩手県宮古市で最大29.7m、北海道えりも町や青森県八戸市でも26m超の津波が来ると予想されるんです(2枚目の画像)」(以下、コメントは鎌田氏)

さらに今年、注意が必要なのが30年以内の発生確率が70%程度とされる首都直下地震だという。
昨年12月19日、政府の中央防災会議はM7級の首都直下地震が発生した場合の被害想定を公表した。
最大で約1万8000人が死亡。災害関連死は4万人前後に達し、全壊・焼失は約40万棟、被害総額は約83兆円にのぼり、東京の機能はほぼ壊滅する……。

「首都圏の1都3県には、日本の総人口の3分の1が集中しています。
東京都が’22年5月に発表したシナリオでは地震発生の3日後から備蓄物資が不足し、1ヵ月後から避難所に溢(あふ)れた人々が次々と心身の調子を崩す……。

’11年の東日本大震災では長期にわたりライフラインが止まりましたが、首都圏でも水も電気も食料もない絶望的生活が起こりうるんです」

南海トラフ巨大地震が起きる時期を特定!?

千島・日本海溝巨大地震の想定震源域と津波の最大高さ予想

現在、最も深刻な被害が危惧されるのがM9級の南海トラフ巨大地震だ。
震源域が「東海」「東南海」「南海」「日向灘(ひゅうがなだ)」の4連動の震災となり、死者は最大29万人以上におよぶ。
政府は南海トラフ巨大地震の30年以内の発生確率を60〜90%以上(別の計算方法では20〜50%)としているが、鎌田氏によると、次に起きる時期はかなり特定できているという。

「南海トラフ巨大地震では、発生とともに地盤が持ち上がる『リバウンド隆起』が起きています。
隆起量は江戸時代以来、高知県の室津港で測定されており、高ければ高いほど次の発生までの期間が長くなることがわかっている。

前々回(1854年)と前回(1946年)の高さから見積もると、発生時期が予測できます。つまり次に南海トラフ地震が起きるのは、2035年の前後5年といえるでしょう。

そして南海トラフ巨大地震が起きる40年ほど前からは、歴史的に内陸で直下型地震が頻発しています。
近年では’95年に起きた阪神・淡路大震災、’16年の熊本地震、’18年の大阪府北部地震と続発。
そのため内陸型の首都直下地震の発生リスクも、日に日に高まっているんです」

首都圏を襲うのは直下地震だけではない。
政府の中央防災会議は、南海トラフ巨大地震による津波にも警鐘を鳴らす。

「関東各地や伊豆諸島も、10mを超える巨大津波に襲われます。
都内に多数ある地下街が、たった15分ほどで水没する大きさです」

千島海溝・日本海溝巨大地震、首都直下地震、そして南海トラフ巨大地震……。
日本は未曽有(みぞう)の震災に次々と襲われる″災害の季節″に突入したのだ。

『FRIDAY』2026年1月23日号より
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2026年01月19日

88歳・伊東四朗の“老い”との付き合い方、脳細胞の減少を実感も『薔薇・憂鬱・蝋燭』を書く意外な理由

88歳・伊東四朗の“老い”との付き合い方、脳細胞の減少を実感も『薔薇・憂鬱・蝋燭』を書く意外な理由
1/18(日) 週刊女性PRIME

『伊東家の食卓』(日本テレビ系)で覚えた裏ワザで印象に残っているのは、「Tシャツの畳み方ですね。今朝やろうとしたら忘れていました。情けないですね(笑)。今度、誰かに教わります」。

難しい漢字3つをいつでも書けるようにしている

 時折ユーモアを交えながら、寄る年波には抗えないと笑うのは、喜劇役者として活躍する伊東四朗さん。
2025年5月には、大衆演劇の舞台で優れた業績を示した芸術家を表彰する「第50回 菊田一夫演劇賞特別賞」を受賞。
1997年から続く文化放送のラジオ番組『伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛(オヤジパッション)』では、毎週土曜午後3時から2時間、リスナーからの投稿に耳を傾け、語り続けるーー。

  88歳、米寿を迎えた今なお精力的に活動する、その姿は“若々しい”とすら感じるのだが。

「1日に何十万個という脳細胞がなくなっているというのは、本当だなと実感しますね。
ただ、どこかで歯止めをかけないといけませんから、『蝋燭』『憂鬱』『薔薇』、この難しい漢字3つをいつでも書けるようにしています。
思い出しては、空中に書いているんですけど、はたから見ればおかしな人に見えるでしょうねぇ」(伊東さん、以下同)

 少し前までは、記憶力を維持するために円周率を千桁まで言うこともできたし、アメリカ50州すべての州を誦んじることもできたという。だが、

「“頑張らない”のも大事なことなんですね。
今は薔薇という漢字が書けたら、最大限の上出来だと思っています。
根拠なんてありません。書けたら大丈夫だろうくらいの気持ちです。
それに、頑張りすぎると疲れちゃいますからね」

稽古をする時間もないくらい多忙だった

「てんぷくトリオ」を結成すると、伊東さんは茶の間の人気者になった。
来る仕事は拒まず、流れに身を任すことを信条にしてきたと話す。
「誠心誠意、全力でやる」が、その一方で、頑張りすぎないようにしていたとも明かす。

「頑張りすぎている舞台は見ても疲れます。
お客さんにはリラックスして、笑ってほしい。肩をこらせるようなことをしたら失礼ですよ」

 伊東さんは、過去のインタビューで、「お客さんが駅に着く前に忘れちゃうような、ただただ乾いてる喜劇をやりたいんです」と語っている。

「覚えられているっていうのもプレッシャーなんです。
劇場を出ていくときに、『面白かったな』でいい。
それ以上でも以下もなく、その言葉にすべて詰まっていますから。
家に戻っても、まだ覚えられているなんて望みません(笑)」

 そうは言うが、この世には忘れたくても忘れられない─脳裏に焼きつくものがある。
例えば、伊東さんが演じた“ベンジャミン伊東”。1976年に放送を開始した『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』(現・テレビ朝日系)から生まれたキャラクター“ベンジャミン伊東”は、電線軍団を率いてこたつに上り、『電線音頭』を歌い踊る。

 同番組は当時、人気絶頂だった国民的アイドルグループ・キャンディーズと、伊東四朗、小松政夫さんという異色の組み合わせが話題に。瞬く間に大ブームとなった、歌とコントを巧みに融合させた番組だった。

「よくやっていたなと思います。
稽古をする時間なんてないですから、小松っちゃんもキャンディーズも即興でやっていた。
“ベンジャミン伊東”も、制作スタッフから『今度、電線軍団っていうものをつくる。キャンディーズと小松政夫を入れるから、伊東さんはこたつの上で踊ってくれ』って丸投げされて誕生したくらい。
自分でも、あれがいちばんバカだったと思います(笑)」

藤田まことさんや美空ひばりさんを驚かせた笑い

 実は、今年10月からCSホームドラマチャンネルで『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』が約50年ぶりに放送されている。
あらためて見直すと、“どうかしている”くらいハチャメチャだ。

「何かのパーティーのとき、エレベーターで藤田まことさんと一緒になったんです。
私を見ると、ガッと腕をつかんで『四朗ちゃん、アンタ、大丈夫か!?』って心配してきた。
本当に私の頭が飛んじゃったと思ったらしいんです。
大先輩を騙せているんだなって自信になりましたね」

 踊り狂う“ベンジャミン伊東”に触発された全国の子どもたちは、われ先にこたつの上を目指した。
『電線音頭』は社会現象になるほどだった。

「美空ひばりさんに会ったら、『四朗ちゃん、アレやめてくんない。息子がこたつを壊しちゃうから』って言われて恐縮したことも。
こたつの上に人が跳び乗ったら、そりゃ壊れますよ」

 伊東さんは、どこまでも飄々と語る。
それに乗じて、「今の笑いはどう見えているのですか?」と聞いてみた。
野暮に思えたが、当時を知る喜劇役者はもう数えるほどしかいない。
盟友だった小松さんも泉下の人となった。
昭和、平成の笑いを知る伊東さんに聞いてみたかった。

「私には、今の笑いが良いか悪いかということは言えないんです。
お客さんにウケていれば、それが正解なんだなと思うだけです。
笑いっていうのは、そういうもの。
今、いちばん笑わせているものが、今の笑いだと思います。

 そういう意味では、再放送されたことで、今の時代の中に『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』を入れてもらったことはうれしいことですね」

三宅健くんだけには負けたくなかった

 狂気的なキャラクターを演じたにもかかわらず、その後、伊東さんはNHK朝の連続テレビ小説『おしん』(1983年)では主人公の父親役に抜擢され、俳優としての活躍の場を広げていく。

「きっと会議では、『おしんの父親にベンジャミンはないだろ』という意見があったと思います。
それでも押し通してくれる人がいるんですね。
応援してくれる人が、今いるならその関係を大切にしてほしいですね。
そういう人たちに支えられて、私は今までやってこれました」

 取材中、伊東さんは“今”という言葉を、何度も繰り返す。
88歳になっても、『伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛』を楽しめるのも、今を知れるからだと語る。

「私みたいな年寄りになると、今の世の中を知ることが難しい。
ですから、とにかく聞こうという姿勢が大切なんですね。
知りもしないで、『違和感がある』なんて言ったら、途端に年寄りになっちゃいますから。
なるべく今の時代の中へ入り込んでいこうという気持ちを持つようにしています」

『伊東家の食卓』に出演していたときも、それを第一に考えていたという。

「人の話、特に若い人の話を聞くと、『これが今なんだな』ってわかりますよね。
ですから、『伊東家の食卓』のときは、特に三宅健くんと話をしていました。
当時、彼は10代後半。たくさん触発されました。

 番組の中でゲームをするときも、絶対に三宅くんだけには負けるまい……といったって、負けるんですけど、そういう気持ちでやると、お客さんは楽しんでくれるんじゃないかなと思っていました。
『年寄りでも結構やるじゃん』。そういうところが、番組の中に出たらいいなと思ってやっていましたね」

 どんなステージにいようが、今を見つめること。
伊東さんは、今の自分を楽しむからこそ、時に老いを自虐のネタにする。
今の自分を知っているからこそ、無理をせず頑張りすぎない。今を大切にする─。
それが伊東さんが現役でい続けられる秘訣なのかもしれない。

「90歳の目標などはあるのですか」という質問を用意していたが、聞くのをやめることにした。
今を生きている伊東さんに、そんな先のことを聞くのは、1年後の天気を予想するくらい「わからない」のだから。

取材・文/我妻弘崇 
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2026年01月18日

「具合が悪くても休まない」ことが称賛される国・日本の「皆勤賞」が残した価値観

「具合が悪くても休まない」ことが称賛される国・日本の「皆勤賞」が残した価値観
1/17(土) ダイヤモンド・オンライン

 「具合が悪くてもがんばる」は、長く日本社会で美徳とされてきた。
学校現場では皆勤賞がその象徴とされる。
この意識はどこから生まれ、なぜ変わりにくいのか。
長年、教育現場に携わってきた保坂 亨氏が、その影響について解説する。
※本稿は、教育心理学者の保坂 亨『「休むと迷惑」という呪縛 学校は休み方を教えない』(平凡社)の一部を抜粋・編集したものです。

● 皆勤賞が褒め称えられてきた教育現場 コロナ禍で変化が

 「具合が悪くてもがんばって休まないこと」を奨励してきた日本の学校教育の姿勢を象徴するのが、1日も休まないことを褒め称える皆勤賞です。
この「皆勤賞」は、人気テレビドラマ『3年B組金八先生』でも登場します。

 中学校卒業直前、1日も休んでいなかった生徒が体調不良になってしまい、同級生が「皆勤賞」のために登校させようと協力する姿が放映されました(*1)。
他に女性誌で母親歴28年の主婦が、4人の子どもたちが小・中・高と皆勤賞をもらい、母として勲章をもらったような気分だったという読者体験記を見たことがあります(*2)。

 ちなみに、ある私立学校では、現在でも卒業式の「皆勤賞」表彰のときに生徒の名前を読み上げると、その生徒本人と保護者が「ハイ」と誇らしげに返事をして立ち上がるそうです。
このように「皆勤賞」は、学校教育では「誇るべきこと」として広く受け入れられていたことがわかります。

 しかし、それがコロナ禍で一転し、「具合が悪いときはちゃんと休むこと」を社会全体が求めるようになりました。
具合が悪いときには会社や学校を休むことが感染防止のために新たなルールとなりました。

*1 第4シリーズ第22話(1996年3月21日放映)
*2 「読者体験手記」婦人公論1343号(2012年3月7日)、中央公論社、36―37頁

 私は当初、この行動様式が続くのか、あるいは元に戻ってしまうのかを観察していましたが、コロナ禍が収束すると、以前の状態に戻りつつある学校と日本社会に驚いてもいます。
どうやら問題は「皆勤賞」だけではないようです。

● インフルエンザで実力を発揮できず 受験生とその母親が自死

 コロナ禍を経て公立高校入試の「欠席」が見直され、追試験(以下、追試)が当たり前になってきました。
しかし、よく考えてみれば、どうしてこれまで高校入試の追試は行われなかったのでしょうか。

 コロナ禍の最中、大学入試センター試験は大学入学共通テストへと変わりましたが、この大学入試センター試験(旧共通一次試験)は、1990年度開始当初から追試が用意されていました。
一方、コロナ禍以前、全国の公立高校入試では追試を実施しない都道府県の方が多かったのです。

 2016年に文部科学省が、公立高校入試についてインフルエンザにかかった生徒への対応を調査しました。
その結果、追試を実施していると回答したのは66自治体(47都道府県及び19政令指定都市)のうち11府県しかなかったのです。
そのため追試を受けた生徒は124人にすぎませんでした。

 その一方で、インフルエンザにかかっているにもかかわらず、入試当日に受験した生徒は2695人もいたことが確認されました。(なお、この受験者たちには別室が用意されました)。

 そもそもこの調査が行われたのは、同年に神奈川県で起きた悲劇がきっかけとされています。
神奈川県立高校の入学試験当日にインフルエンザにかかっていた受験生が、試験で実力を発揮できなかったことを苦に自死、母親もその後を追って自死する事件が起きていました。

 この件が、国会審議でも取り上げられたことを受けて、先の文部科学省による全国調査が実施されたのです(*3)。

 *3 朝日新聞2017年2月7日「高校入試『インフルの受験生に追試を』」、みんなの学校新聞2017年2月13日「どうなる高校入試の追試験実施」

 この結果をふまえて、文部科学省は、受験生がインフルエンザなどで体調を崩して欠席した場合の対策として、別日程で追試を実施するよう通知を出しました。
ところが、文部科学省が具体的に、二次募集と同じ日程で追試をするケースなどを例示したにもかかわらず、この通知に従う都道府県はほとんどありませんでした。

● インフルエンザ受験生クラスの 試験監督教員の安全配慮は?

 ここで、公立高校入試では、これまでインフルエンザにかかっていても、別室で受験していたという事実に驚かれる方(特に医療従事者)も多いのではないでしょうか。

 さすがに他の健康な受験生と一緒にはできないため、インフルエンザ罹患の受験生は別室に集められていました。

 が、その教室の試験監督を罹患していない教員に命ずるのは安全配慮義務に違反する「理不尽な」ことではないでしょうか。
労働契約法第5条には、労働者の生命・身体・健康が害されることがないように配慮する義務(安全配慮義務)が明記されています。

 私以外にこうした疑問をもつ教育関係者に出会ったことはありません。
加えてこうした高校入試の実態については、これまでほとんど注目もされませんでした。

 それがコロナ禍によって一変し、現在の追試を実施する公立高校入試体制が整って、ようやく具合が悪ければ休んで追試に備えるという状況になったところです。

 そして、2024年に至って文部科学省が、各大学に対して健康上の理由(月経・新型コロナウイルス後遺症を含む)でやむをえず欠席したことにより志願者が不利益を被ることのないよう配慮を求める通知(*4)を出すに至りました。

 それを受けて、公立高校の入試要項にも同様の内容が記されるようになりました。
例えば千葉県公立高校入試要綱に追試対象は次のように記されています。

 *4 文部科学省「令和7年度大学入学者選抜実施要項について」の別紙9頁に、配慮すべき「志願者本人に帰責されない身体・健康上の理由」として「病気・事故等。例えば、新型コロナウイルス感染症のいわゆる罹患後症状と考えられる症状や月経随伴症状等も含む」と記載されている。これを朝日新聞2024年6月6日が「月経で欠席『入試で不利益ないように』」と報じた。

 「志願者のうち、(1)本人に帰責されない身体・健康上の理由(出席停止となる感染症罹患及び罹患の疑い、月経随伴症状等)がある場合、(2)受検者が自然災害や検査会場に向かう途中の事故・事件に巻き込まれた場合、(3)学校生活において、忌引の扱いとする事由が生じた場合」(「令和7年度千葉県公立高等学校入学者選抜実施要項」8頁より抜粋)

● 追試措置にシビアな 国家試験の方針

 一方で、資格取得を目的とした国家試験にまで対象を広げると、いまだに変わらない実態が浮かんできます。

 まずコロナ禍初期の緊急事態宣言下(2020年)では、司法試験が延期、国家公務員試験も2度にわたって延期されましたが、その延期された試験(追試なし)については大きなニュースにもなりませんでした。

 その後、2020年度末(2021年)には医師・看護師などの医療従事者の国家試験が続きました。
ようやくコロナ感染者や濃厚接触者が受験できないことが話題となり、追試等の措置を望む声が上がりました。

 しかし、こうした各方面からの要請に対して厚生労働省は、「心身の不調を理由とした追試は実施しない」と回答したのです(*5)。

 ちなみに、医師国家試験は以前に年2回(春・秋)実施されていた時代がありますが、1985年から現在のような年1回になりました。
この一方で、国家試験でありながら、年齢や学歴を問わない気象予報士試験は年2回実施されています(*6)。

 さらにいえば、留学には必須の英語検定TOEICの多数回実施に対して、日本語能力試験は年2回しか実施されず、どんな事情にせよ追試はありません。
したがって、外国人留学生の新卒採用にあたって受験機会が少なく追試もないことと、その結果がわかる時期と就職面接解禁のタイミングが問題となっています(*7)。

*5 NHK NEWS WEB2022年2月7日「追試はないの?コロナ禍の国家試験」
*6 朝日新聞2024年10月29日「『天気予報の自由化』30年1万人以上の予報士誕生」
*7 朝日新聞2023年9月8日「私の視点」

 このように、コロナ禍を経て入学試験に関しては、具合が悪くなれば休んで追試に備えるという状況がようやく作られるようになりました。
しかし、それ以前の高校入試や大学の個別入試では、「具合が悪くても(それがインフルエンザ罹患であっても)受験する」ということが、当たり前だったのです。

● 「欠席」の理由は なぜ考慮されないのか

 また、コロナ禍を経験してもまだ国家試験や資格試験については「心身の不調」、つまりはインフルエンザ及びコロナウイルス感染症の罹患によるものも含めて「欠席」すると、追試というチャンスすら与えられません。
こうした資格試験・国家試験の複数回受験や、「欠席」の事情によっては追試という機会を与えることは検討に値するのではないでしょうか。

 私は、「欠席」の事情を勘案せず追試という機会を与えない体制には疑問をもっています。
これまで、そしていまだに追試という機会そのものを設定しない日本社会の在り方は、私たちの「休むこと」に対する意識や態度に大きく影響しているのではないでしょうか。

保坂 亨
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