2017年09月24日

「特売品」で損する人が知らない値札の読み方

「特売品」で損する人が
知らない値札の読み方
不利益防ぐユニットプライス制に存亡の危機
2017年09月23日 東洋経済

加藤 絵美 :
消費生活専門相談員・日本女子大学非常勤講師

「店長イチオシ!」「地域最安値に挑戦!」「大容量でお得!」――。
スーパーやドラッグストアに行くと、売り場にはこうした推奨ポップが躍り、つい手を伸ばしてしまいがちだ。
が、このうたい文句を鵜呑みにしてはいけない。

シャンプーや洗剤の詰め替え用が、本体よりも割高なのはよくある話。
加えて最近では、商品のリニューアルに合わせて、ひそかに内容量を減らし、いつもより安く見せる「隠れ値上げ」が横行している。

真の「お買い得品」を見抜く
ユニットプライス
節約をしたつもりが、実は割高な商品を買わされていた。
そんな不利益を防ぐために活用できるのが、「ユニットプライス(単位価格)」だ。
牛乳100ml当たり、みそ100g当たり、トイレットペーパー10m当たり、洗濯用洗剤100g当たり、紙おむつなどの衛生用品1個(1枚)当たりに換算していくらか、商品棚の値札に表示するというものだ。

消費者にとってユニットプライスの効用は、大きく分けて2つある。
1つ目は、同一ブランドの商品で容器や容量が異なる場合、価格比較を容易にできることだ。

洗濯用洗剤を例に挙げてみよう。とある店頭には、ライオンの洗濯用洗剤「スーパーナノックス」が本体と詰め替え用で計4種類並んでいた。
ただ、一見してどれがいちばんお得なのかはわからない。
そこで、値札に記されたユニットプライスを見てみると、本体も詰め替え用も、小さいもののほうが単価が安いことがわかった。
すなわち、大容量を買えばお買い得というわけではないようだ。

そして2つ目の効用は、「隠れ値上げ」を見破ることができる点だ。
一例を紹介しよう。食品メーカーの明治は、2015年7月に、14品目で容量を2〜12%減量した。
つまり実質の値上げである。
「明治おいしい牛乳」の場合は、2016年9月に容器をリニューアルした際、容量を1000mlから900mlに減らしたのだ。
「安い」の文字に思わず手が伸びるが、100ml当たりで計算すると実は安くない。
このとき、ネット上では多くの消費者が、「容量が減ったことを知らずに買ってしまった」と不満をあらわにしていた。
実際、筆者もリニューアル後の商品を「安い」と勘違いして買ってしまった。
いつもは200円を切らない商品が199円で売られていたことに加え、「地域最安値に挑戦」「安い」のポップに思わず飛びついてしまったのだ。
しかし、ユニットプライスは、1000mlのときより若干高くなっていたのだ。
つまり、「安い」と書くこと自体が本来おかしいのだ。
こうした「特価または価格据え置き(実は容量減)」という値上げは、明治に限らずよく行われているが、消費者の買い物の現場ではなかなか気づきにくい。

日頃から単価を意識して買い物をしていると、価格変動にすぐ気づくことができるという点で、ユニットプライスは一定のバロメーター機能を果たす。

各自治体で
続々廃止のユニットプライス

消費者を不当な値付けから守るユニットプライスだが、実は現在、各自治体で廃止の危機にさらされている。

精肉を買う時に100g当たりのユニットプライスが必ず表示されているが、これは「食肉の表示に関する公正競争規約」によってルールが定められているためだ。


一方で、他の食品や日用雑貨品のユニットプライスを運用するのは、各自治体。昭和50年代に消費者団体が法制化を訴え、一度は経済企画庁(当時)によって検討がされたものの、事業者の負担が懸念されて実現しなかった。


そのかわり、国は地方自治体に通知を出し、取り組みを地域に委ねたという経緯がある。

その結果、@制度の有無、A対象となる店の規模、B対象となる品目には大きな地域格差が見られるようになってしまった。

そして、当初40近い都道府県で制度化されたものの、その後次々と廃止され、いまや制度化している自治体は20を切る。


制度の廃止は、消費者が不利益を被りかねないのに、なぜそれを断行するのか。
2016年に制度を廃止した神奈川県は、その理由として「消費者の商品選びの基準が価格だけでなく品質や機能など多様化し、表示の必要性が低下したため、廃止しても消費者に不利益はない」などの理由を挙げている。
ただ、不利益がないことを十分に検証したとは想像しがたく、安易な廃止はあまりに消費者視点を欠いている。

さらに問題なのが、この制度を存続させている都道府県であっても、その順守率が極めて低いことである。
東京都が、2015年に行った調査では、対象店舗169店のうち、76%に当たる130店で不適切な表示(ユニットプライスの非表示を含める)が行われていた。
日用品の値上げが頻発し、消費税のさらなる増税も検討されている中、多くの消費者にとって節約は喫緊の課題になっている。

総務省の家計調査によると、消費支出に占める食費の割合を示すエンゲル係数は、2016年は29年ぶりの高水準になるなど生活費高騰がいわれている。
消費者ニーズの多様化に応えて企業がさまざまな容器・容量の商品を流通させるようになった現代、複雑な暗算をしなくても簡単に商品のコストを比較できる、ユニットプライス表示の必要性は高まっている。

海外では全商品で
表示を法制化したところも
海外では、EU諸国やオーストラリアなど、消費者保護のためにユニットプライスの表示を法制化し、全商品に適用している国も多い。

 国ごとに異なる表示方法を統一し、よりわかりやすい単価表示を目指す国際規格(ISO)の策定も進んでいる。
日本でも、私たちの家計に直結するこの制度の価値を再考し、時代に合ったあり方を検討していくべきではないか。
消費者が住んでいる地域によって、また利用するスーパーによって、ユニットプライスが表示されていなかったり、単位に一貫性がないのは不便である。

消費者もまた、店頭の「お買い得」といった表示を鵜呑みにせず、こうした情報を基に品物を吟味して、主体的に選んでいく姿勢が求められている。
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☁| Comment(1) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月23日

総選挙へ市民連合がノロシ 「野党共闘」要求は全国に拡大

総選挙へ市民連合がノロシ
「野党共闘」要求は全国に拡大
2017年9月22日 日刊ゲンダイ

 カギを握るのは市民の力だ――。
昨年の参院選や新潟県知事選で野党共闘に尽力してきた「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」が21日、来る総選挙での野党協力を求める緊急アピールを発表。
参院議員会館内で会見した。

 アピールでは、北朝鮮の「脅威」に多くの国民が恐怖を抱いている状況を奇貨としての解散を<ナチスの手口を想起させるもの>と批判。
<小異にこだわり分断されてはなりません>として野党候補一本化を訴えた。

 メンバーで九条の会事務局員の高田健氏は会見で「野党協力は政党間だけの問題ではない。4野党と市民の共闘です」と語ったが、その通りだ。
昨年の参院選では、全1人区で野党統一候補を実現し、11選挙区で勝利した。
新潟県知事選では野党票を集約した米山知事が当選。
ともに、市民連合の後押しがあってこその成果だ。

 前原代表は、野党協力について「地域事情を考慮する」と繰り返している。
会見で山口二郎法政大教授は「地方レベルでも市民連合の結成の動きはあちこちで進んでいる」と言った。
高田氏によると現在、47都道府県で市民連合が活動。
今や、安倍退陣を求め、野党共闘を願う市民運動は、全国レベルで着実に根付きつつあるのだ。  

個々の選挙区で野党共闘を望む市民の声が大きくなれば、野党4党はその選挙区の「地域事情」を考慮せざるを得ないだろう。
市民の力こそが野党共闘を牽引できる。
posted by 小だぬき at 17:02| 神奈川 ☁| Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

選挙の争点は国家を破壊する安倍政権の独裁を許すか否か

選挙の争点は
国家を破壊する
安倍政権の独裁を
     許すか否か
2017年9月22日 日刊ゲンダイ

孫崎享 外交評論家

「10月総選挙」に向けて政界が一気に騒がしくなってきた。
「大義なし」「党利党略」との批判が上がる中、この選挙で何が問われているのかはハッキリしている。
安倍政権による「国家の破壊」を許していいのか、否か――である。
 大手紙が大きく報じなかったため、気づいた国民は少なかったが、8月に福田康夫元総理が共同通信のインタビューでこう話していた。

各省庁の中堅以上の幹部は皆、官邸(の顔色)を見て仕事をしている。
恥ずかしく、国家の破滅に近づいている
〈政治家が人事をやってはいけない。
安倍内閣最大の失敗だ〉

 森友疑獄や加計問題の経緯を踏まえ、内閣人事局を通じて独裁政治に走る安倍政権を批判し、国家の危機であると警鐘を鳴らしたのである。

 安保法制、原発再稼働、TPP、北朝鮮問題……。
今の官僚機構はもはや、政府としてあるべき姿が論じられない状況になっている。
ある米国務省の職員は、日本の外務省職員と接触した際に「あなたはいいですね。日本であなたのように、あるべき姿で議論すれば、地の果ての大使館に飛ばされてますよ」と言われて驚いたという。
それほど、今の日本の政府機関は異常な状態にあり、国家の破壊に確実に近づいていると言っていい。

 かつて日本が輝いていた時代があった。
高度経済成長期のころである。
「日本の驚異」の源泉がどこにあるのか――。
1963年の英エコノミスト誌は「教育」を指摘し、65年には「『国防は御免こうむる』というのが、日本を真似ようとする国のひとつのスローガンになるかもしれない」と指摘していた。今と真逆である。

 OECDが公表した、加盟国の国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合によると、34カ国中、日本は最低の3・2%。
今や教育を最も軽視する国になった。
当然ながら大学の世界ランキングはどんどん落ちている。
英国の教育専門誌THEでは、アジアの中で東大は46位(前年39位)で、シンガポール国立大(22位)、中国の北京大(27位)、清華大(30位)よりも低い。

あらためて繰り返すが、安倍政権が続けば「国が破壊」される。
国民は現状を直視し、安倍首相の「嘘と詭弁」にごまかされないようにするべきだ。
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☁| Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月22日

 田中慎弥が看破した安倍マッチョの正体

なぜ安倍首相は
ここまで身勝手に
なれるのか?
あの芥川賞作家が、
そのグロテスクな
マッチョ性の正体を洞察
2017.09.21 LITERA(永井多賀子)

 無責任かつ自分勝手さをここまで極められるものなのか。
安倍首相が臨時国会冒頭に解散する方針を固めた件だ。

 本サイトでは、この解散の裏側には、北朝鮮の危機を煽ることで支持率を回復した安倍首相が加計学園問題の国会追及を封じるだけでなく、森友学園の捜査をも潰す目的があると伝えた。

つまり、何度も繰り返してきた「丁寧に説明していく」という国民との約束など心にもない「口からでたらめ」に過ぎず、安倍晋三という人は、ただただ自分の保身のためにしか動かない男であるということだ。

 稀代のエゴイストが総理大臣──。
だが、安倍首相のパーソナリティについては、あの芥川賞作家がさらに掘り下げ、興味深い分析をおこなっている。
 その作家とは、2015年に安倍首相をモデルにした小説『宰相A』(新潮社)を発表し、話題を呼んだ田中慎弥氏だ。
田中氏は、今年1月に発売した長編小説『美しい国への旅』(集英社)で再び安倍首相を自作のモチーフに選んだ。
 実際、『すばる』(集英社)2017年3月号で、同じく芥川賞作家の柴崎友香氏と対談した田中氏は、同作について「明確なイメージとしてあったのが現在の総理大臣」と話し、つづけてこんなことを言っているのだ。

「あの人の顔が、私には勃起しないペニスにしか見えないというのが、取っかかりのイメージです」
 安倍首相の顔が勃起しないペニスにしか見えない、そのイメージが創作の取っかかりになった──。
これは一体、どういうことなのか。
いざ『美しい国への旅』を読んでみると、なるほど、その通りだった。
 この小説が「美しい国」という言葉をタイトルに冠していることからも安倍首相を意識していることは明白だが、物語は核兵器を使った戦争により、「濁り」に汚染され荒廃した近未来の日本が舞台という、『宰相A』にも通じるディストピア小説。

母を亡くした主人公の少年は、司令官を殺すために彼のいる基地を目指し旅に出るのだが、この司令官こそが、安倍首相をモデルにしていると思われる人物だ。
 司令官は〈首相候補と言われている若き男の政治家〉であり、〈代々政治や軍務に関わって来た名門家系の血筋〉。
男は現代の政治家として、また輝ける一族の跡取りとして、歴史を逆転させようと考えた、あの兵器による負けを、あの兵器を取り戻すのだと。
幸い国民は落ち着きをなくしていた。
基地建設に関して積極的に動き回り、金を集め、男は司令官に納まってしまった〉とある。

田中慎弥が、
安倍首相の顔がアレにしか見えないと
 現実の安倍首相も、核兵器保有に前のめりだ。
北朝鮮には核の放棄を迫りながら、核保有国であるアメリカとともに核兵器禁止条約には反対の姿勢を取りつづけ、国際社会の核廃絶の流れに完全に逆行した態度を取っている。

 しかし、小説でもっとも気になる部分は、主人公の少年が旅の果てで目にした指令官の正体である。
指令官は〈人間の形をしたもの〉にしか見えない状態で、鉄の服に覆われて吊されている。
しかも異様なのは、両脚の付け根から指令官の3倍はある大きな何かが伸びている。
その描写は、男性のペニスを思わせるものである。
 なぜ、田中氏は安倍首相と男性のペニス──しかも勃起しないそれと重ね合わせたのか。
前述した『すばる』で、田中氏はこう話している。

「それは彼の顔だけではなくて、日本とアメリカの関係性においても言えることです。
アメリカがすごいマッチョな男で、日本がそれにくっついている娼婦だという人がいますが、私はそれは逆だと思っている。
アメリカが高級娼婦、日本はちゃちな男で、高級娼婦が頑張っていろいろ刺激してくれても、ちっとも勃たない。
なぜ勃たないかといえば、高級娼婦にもともとの力を抜かれているから。
 そうしたイメージが今の国の指導者とどうしても結びついてしまう。
勃とうとして、しゃかりきになればなるほど、限界が見えれば見えるほど、限界ぎりぎりまで向かっていかざるを得ないという……」

 現在の状況は、このときの田中氏のイメージと似た状況になっていると言えるだろう。
いま、日本はトランプ率いるアメリカからは軍事力の強化を急き立てられ、安倍首相はその通りに動いている。
それはアメリカに隷属しているようにみえる。
だが、安倍首相の北朝鮮に対する言動は、挑発を受けている当事国のアメリカ以上に強硬だ。
本来ならば各国同様、平和的解決に向けてトランプを諫めなければならない立場であるにもかかわらず、安倍首相は「異次元の圧力をかける」などとひたすら焚きつけている。
“勃起できないけどマッチョになりたいちゃちな男”たる日本、いや安倍首相が、いまどんどん限界に向かっている──田中氏の指摘は現況とたしかに当てはまる。

 じつは田中氏は、以前にも「週刊新潮」(新潮社)に寄せた寄稿文のなかで、安倍首相を〈弱いのに強くなる必要に迫られているタカ、ひなどりの姿のまま大きくなったタカ〉と表現していた(詳しくは既報参照)。
血筋というプレッシャーのなかで、本来の弱い自分を、自分自身が認められない。
その安倍首相へのイメージは、今回の「勃起しないペニス」というものと相通じる。

 そして、田中氏のイメージの鋭さに唸らされるのは、安倍首相をモデルにした指令官の台詞にある。
『美しい国への旅』のなかで、その勃起しないペニスそのものである指令官は、機械の声で、こう語る。

「美しい国を取り戻す」のかけ声も、
         自己正当化の道具

「美シイ国ヲ復活サセナケレバナラナイ。甦ラセナケレバ、取リ戻サナケレバナラナイ。イマコソ、美シイ国ヲ復活サセナケレバナラナイ。
性器トナリ、兵器トナリ、爆発シ、濁リモロトモ、敵対スル国モロトモ、我ガ国ヲ吹ッ飛バシテ一度ゼロノ状態ニ戻シ、ソノ中デ生キ残ッタ純粋ニッポン人ダケガ新タナ時代ヲ作リ、美シイ明日ヲ掴ムノダ。
ソノ時コソ、美シイ国ヲ取リ戻スコトガデキルノダ」

 男性は強靱さの象徴として勃起せねばならないと強迫される。
強さを求められ、そのなかで勃起しない、すなわち強くなれない彼は、ファンタジーの「本来の美しい国」を取り戻すために、国を、そこに生きる人を、すべてを吹き飛ばそうとするのだ。  これはまさに、安倍首相のパーソナリティを的確に写し出したものではないだろうか。

「美しい国を取り戻す」という掛け声は正当化の道具でしかなく、ほんとうの目的は、強い自分を誇示すること。
それは対北朝鮮の姿勢を見ていると痛いほどよくわかる。
 そして、強い自分に執着するあまり、自己保身に走る。

今回の臨時国会での冒頭解散だってそうだ。
どれだけ説明不足だと言われても、国民との約束も果たさず不誠実で無責任な態度だと受け取られるリスクがあると側近が忠告しても、責任追及から逃れたい、捜査を潰したいという自己保身が優先される。
ここでもやはり「本来の自分の弱さを認めたくない」という安倍晋三という人の素顔が見え隠れしている。
 人は多かれ少なかれそうした弱さをもっているものだろう。
しかし、安倍首相が生まれ育った環境はあまりに特殊だ。
田中氏は前述の「週刊新潮」の寄稿文でこう綴っている。

祖父と大叔父と実父が偉大な政治家であり、自分自身も同じ道に入った以上、自分は弱い人間なので先祖ほどの大きいことは出来ません、とは口が裂けても言えない。
誰に対して言えないのか。
先祖に対してか。
国民に対して、あるいは中国や韓国に対してか。
違う。
自分自身に対してだ

 わたしたちは虚勢を張るこの男をいつも見てきた。
選挙では聞こえのいい言葉を吐き、悪法を次々と勝手につくり、弱者の暮らしには目も向けず軍備増強に邁進し、政治の私物化が発覚すると勇気ある内部告発者の醜聞をリークしてまで徹底的に握り潰そうとし、まともな説明ひとつなく逃奔。
その上、大義もなく解散しようというのだ。

 田中氏は、〈安倍氏が舵取りの果てに姿を現すだろうタカが、私は怖い〉という。
臨時国会での冒頭解散の先に待っているのは、そのタカの姿なのだということを、わたしたちはよく覚えておかなければならない。
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☀| Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月21日

戦争の記憶−特攻の町で

記者の目
戦争の記憶−特攻の町で
毎日新聞2017年9月7日 山衛守剛(中部報道センター)

「負の過去」に向き合う
 太平洋戦争末期に旧陸軍の特攻基地があった鹿児島県南九州市の知覧町で、特攻隊の精神が、士気を高める会社の研修や自己啓発に使われている。
私は8月に連載した「忘れゆく国で−戦後72年」の取材で研修に参加し、強い違和感を抱いた。

 特攻隊は生きて帰ることが許されない存在だった。
しかし、「国や家族を守ろうと出撃した」という側面が強調され、作戦の非人道性はほとんど語られなかった。
戦争の記憶が変容する現場を目の当たりにし、語り継ぐことの難しさを改めて感じた。

林えいだいさん
 訪ね、本質知る
 特攻隊の本質を確かめたいと思い、8月末、記録作家の林えいだいさん(当時83歳)を福岡県内の病院に訪ねた。
 林さんは9歳の時、戦争に反対した父親を特高警察に拷問されて亡くした。
その経験を原動力に戦争当事者に徹底的に取材し、朝鮮人強制連行やBC級戦犯などの真実を記録してきた。

福岡市には戦時中、航空機の故障や不時着で生還した特攻隊員を収容する陸軍施設「振武(しんぶ)寮」があった。
世間に隠された振武寮の実態も、陸軍の元幹部や元隊員への聞き取りを重ねて詳細を明らかにした。
 林さんによると、振武寮に隔離された隊員は、陸軍の特攻を主導した第6航空軍の参謀で寮を任された倉沢清忠少佐(故人)から「お前たちはなぜ死んでこなかったのか」「帰還兵は卑怯(ひきょう)者だ」と徹底的に批判され、暴力を受けた。
反省文を書かされ、一日中、「死は鴻毛(こうもう)(おおとりの羽毛)よりも軽しと覚悟せよ」などと軍人の心得を説いた「軍人勅諭」を正座で書き写すことを強制されたという。

 林さんは戦後、半世紀以上たって倉沢氏を何度も取材し、「死んでいるはずの人間が途中で帰ってきたとうわさが立つと軍神に傷が付く。
それを第6航空軍は最も恐れた。
とにかく人目につかないところに彼らを置かなくてはならなかった」との証言を引き出した。
これが当時の陸軍の本音だろう。

国民の士気高揚のためにも、特攻隊員には死んで「軍神」になってもらわなければならなかった。
 末期がんと闘い、手術で気管を切開してほとんど声が出せなくなった林さんは、取材に筆談で応じ、紙に刻みつけるようにペンで思いを書き付けた。

人間が戦争のために生きながら敵艦に突入し、生命を投げ出す。
これほどむなしい戦法はない。
日本軍はこれを戦法としてとった。
遺族としては無念だっただろう」。
最後に私にこの言葉を残し、2日後に亡くなった。

 知覧での研修や合宿を企画したり、それに参加したりする会社や団体はインターネットで検索するといくつも見つかる。
知覧の特攻隊をテーマにした自己啓発本も複数出版され、いずれも「知覧へ行くと人生が変わる」と説く。
 私が7月に参加した広島市の人材育成会社が主催する研修も「生きることの大切さ、感謝を学び、感性を磨く」とホームページでうたう。
講話では特攻隊員に自らを重ね、「使命」や「任務」を考えるよう促された。
参加者は「最後までやり遂げる思いの強さや家族や恋人を守ろうとした愛を感じすてきだと思った」
「覚悟を学んだ」と語った。

 先人たちが語り継いできた特攻の記憶は、負の側面がそぎ落とされ、都合のいい物語に変えられていた。
私は、硬い岩をうがつように戦争を記録してきた林さんの言葉の重みをかみしめた。

慰霊の思い薄れ
   観光へと変容
 知覧が特攻の地として有名になった原点は、慰霊にある。
終戦から10年たった1955年、旧陸軍少年飛行兵の戦友会「少飛会」が尽力して始まった特攻基地の戦没者慰霊祭がきっかけだった。

 7月初旬、慰霊祭の発起人の一人で、出撃直前に終戦を迎えた元特攻隊員、地頭薗(じとうぞの)盛雄さん(91)に鹿児島市の病院で話を聞いた。
戦後、仲間たちが飛び立つ姿を毎晩、夢で見て「慰霊のために生きる」と決意したという。
当初は周囲に慰霊を呼びかけても「特攻は軍国主義の象徴だ」と批判されて賛同を得られなかったが、諦めなかった。
 全国から慰霊祭に参列する遺族が町に遺品を寄贈するようになり、75年に展示施設が開設されると、観光客は右肩上がりに増えた。

12年後に特攻平和会館が新設され、2001年に高倉健が元特攻隊員を演じる映画「ホタル」がヒットしたことで、観光客は翌年122万人に達した。
 しかし、この年をピークに減少傾向が続き、昨年度には半分以下に落ち込んだ。
一方で特攻隊を活用した研修が広がり、南九州市は11年、研修を主催する人材育成会社の社長を観光大使に迎えた。
市の担当者は「研修で来た方々が、また仲間を連れてきてくれるのを期待している」と話した。慰霊への思いはかすみ、観光資源の乏しい地方の悲哀がにじんで見えた。

 戦争を知る人たちが次々と亡くなり、社会としての記憶が薄れ、本質がゆがめられていく。
しかし、忘れてはいけない事実がある。
見たくない過去から目を背けず、彼らが語り継いできた戦争の記憶と向き合い続ける。
それが今を生きる私たちの責任なのだと思う。
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☁| Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする