2024年09月15日

「空中分解してしまう前に決断したかった」 会長が激白「岡山県PTAが解散」全国初事例の真相

「空中分解してしまう前に決断したかった」会長が激白「岡山県PTAが解散」全国初事例の真相
9/14(土) 東洋経済オンライン

 先日来、PTAの業界に動揺が広がっています。
2024年度末をもって、岡山県PTA連合会(以下、岡山県P)が解散することを明らかにしたからです。

 PTAの連合組織(以下、P連)は、市区町村ごと、都道府県ごとに作られ、その上部組織として全国組織=日本PTA全国協議会(以下、日P)が存在しますが、都道府県という広域のP連の解散は今回が初めてで、全国から注目を集めています。

 岡山県Pには、2008年の時点で21の郡・市P(郡や市単位のP連)が加入していましたが、2009年には政令市となった岡山市が脱退し、これに続いて、2012年度末には倉敷市も脱退。県内で最も大きい2団体が抜けていました。

 全国的にはまだ100%加入のP連も多いのですが、岡山県Pではその後もパラパラと脱退が続き、2024年度現在は、わずか5つの郡・市Pのみが残っている状態です。

 岡山市や倉敷市が入っていた2008年頃と比べると、県Pの会費(郡・市Pが納める分担金)はだいぶ値上がりしています。
例年通りの活動を続けるために、残った団体の金銭的・労力的負担は増していたようです。

 こうした中でのやむを得ない解散と察せられますが、実際なぜ今、解散を決めたのか?  何が決め手となったのか? 

 岡山県PTA連合会会長の神田敏和さんに聞きました。

■「途中で空中分解すると皆さんに迷惑がかかる」

 神田さんが岡山県Pの会長になったのは、2018年。
当時、県Pの会員団体は14、5団体にまで減っていたのですが、その後も脱退は続き、2023年度のはじめには約10団体になっていました。
さらに、2023年度のわずか1年の間に5つの団体が脱退を表明したため、真剣に解散を検討せざるをえなくなったといいます。

 「県Pは毎年持ち回りで地方ブロックごとの大会を開催しているのですが、2年後の2026年度に私たち岡山県Pは中国ブロック大会を担当する予定になっていました。
それを乗り切れないというのが、今回の判断材料のひとつとなりました。

 『これから脱退するかもしれない』と言っている郡・市Pもあったので、このままいくと大会の準備中に空中分解してしまうかもしれない。
そうなると、中国ブロックの他県の皆さん(県P)にも迷惑がかかってしまうので、どのタイミングでけじめをつけようか、と考えました」(神田さん)

 少し補足すると、PTA連合会は毎年、全国大会やブロック大会、県大会などを開催しています。
どの大会も、担当するP連は毎年持ち回りで決まっていることが多いのですが、担当に当たったP連はそれなりの資金供出を求められ、メンバーは大会準備に多大な時間と労力を費やすことになります。

 岡山県Pはそもそも県独自の大会も継続できず、2023年度から取りやめていたため、ブロック大会まで担当することは不可能と判断。
準備が始まる前に結論を出そうと考えたそうです。

■今年の3月にはほぼ解散は決まっていた

 解散について本格的に話し合いを始めたのは、今年の3月(2023年度末)。
一時は、全国組織である日Pを抜け、県Pのみ存続する案も出たものの、2024年度は参加が5団体のみとなることがわかり、この案はあきらめて解散することにしたといいます。

 ただ、県Pが扱う「小・中学生総合保障制度」などの保険は4月からスタートすることもあり、また今年度の中国ブロック大会(山口県Pが担当)に協力することも決まっていたため、年度末までは連合会を残すことになりました。

 「約1年後、年度末で解散しようと提案したときは、『集まれる場がなくなってしまうのは残念だ』という声はありました。でも『今の状況を考えるともう仕方がないね』という意見が大勢でした」(神田さん)

 そもそもPTAやP連のような団体は何のためにあるかというのは、人によって考えが異なるものですが、筆者としては「保護者と教職員、あるいは保護者同士の交流の場」という側面もあるように感じています。

 ですから交流の場がなくなるのを残念がる人がいるのもわかるのですが、県の団体がなくなっても郡・市のP連は存続するので、「そこの活動で足りるよ」という人も多いのではないでしょうか。

 解散にあたって、上部団体にあたる日Pが難色を示すこともありませんでした。日Pが過去、退会(解散)を表明した団体に対し、考え直すよう働きかけを行っていたといった話はよく耳にしますが、今回そういうことはなかったといいます。

 県の教育委員会も、現在の県Pの状況を伝えたところ、やむを得ない結論だと理解してくれたそう。
「郡・市P同士の情報共有や研修は、県教委としてカバーしていきたい」と言ってくれたということです。

岡山県Pの昔の会長などから苦言を呈されることはなかったのか? と尋ねると、「私もそれはあるのかなと思ったんですが、まったくありませんでした」と、神田さん。
今月、解散についてテレビや新聞で報じられてからも、苦情などは特に寄せられていないということです。

■繰越金も積立金も取り崩しながら…

 もう一つ筆者が気になっていたのは、解散時に残るお金のことでした。
都道府県や政令市のP連は大体どこも「子ども総合保障制度」などの保険を手掛けています。
団体によっては、この保険の「事務手数料」などの収益を何千万(〜億)円も貯めているので、岡山県Pにもそういったお金があるのか?  もしあるなら解散時にどう処理するのか? という点を確認したかったのです。

 しかし、結論から言うと、そのような大きなお金はありませんでした。
筆者が知るいくつかの都道府県・政令市Pは、保険を扱う他団体をつくっているか、または一般会計と別に、保険のお金を扱う特別会計を設けているところばかりだったのですが、岡山県Pは保険の収益を一般会計に繰り入れ、運営や事業に使ってきたとのこと。

 では、保険の収益金はどんなことに使われてきたかというと、大きかったのは事務局の家賃や人件費です。
P連は、教育委員会のなかに事務局があることも多いのですが、岡山県Pは独自に事務所を借りており、また2年前までは正規の職員を雇っていたそう。

 「ここ数年は特に、会員団体が減って収入(分担金)が少なくなっていたので、繰越金を食いつぶしながら、という形になっていました。
人件費を抑えるため、2年前からはパートの職員さんに半日だけ勤務してもらうようにしましたが、それでもお金がまわらない。
最後は、ブロック大会がまわってきたときのための積立金も一般会計に繰り入れて、これでなんとか年度末までもたせる予定です」(神田さん)

■解散するかしないかは各P連が判断すること

 取材の終わりに、神田さんは「岡山県Pが『解散できる』という前例をつくってしまったことで、全国の協議会(P連)に影響が及んだら申し訳ない……」と、心配そうに話していました。

 でも、解散するかしないか、日Pに加入を続けるか続けないかは、それぞれのP連自身が判断することです。
県でも市でも学校単位でも、P連やPTAはあたかも「必須」のように思い込まれてきましたが、実はその活動も団体の存在自体にも、法的な縛りはありません。
「任意の活動」ですから、解散するのも本来、自由なわけです。
多くの団体が慣習にがんじがらめになってきた中での今回の決断は、業界に大きな一石を投じるものです。

 今回の岡山県Pの解散に対し、ネット上の反応はおおむね肯定的な印象です。
旧来型のPTAやP連のあり方に疑問を感じる人が増えているのに加え、特に都道府県のような広域のP連は、解散しても影響を受ける人、あるいは必要と感じる人がほとんどいないからかもしれません。

 今後、ほかにも都道府県レベルで解散するP連が出てくるかはわかりませんが、学校ごとのPTAや市・町Pの解散は徐々に出てきていますから、可能性はあります。

 都道府県レベルのP連の解散が増えるのがいいことなのか悪いことなのか、簡単には言えませんが、長年PTAの取材を続けてきた筆者は、どちらかというと前向きに捉えています。

筆者は長年、PTAの周辺を取材していますが、これまで多くのP連、特に日Pや都道府県Pは、行政または上部団体の求めに応じての活動が多く、現場のPTA、あるいはP(保護者)とT(教職員)に求められる活動は少なかったと考えています。
今回の解散が「現場のためのつながり」が生まれるきっかけとなるなら、悪くないと思います。

大塚 玲子 :ノンフィクションライター
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2024年09月14日

「運動時や就寝時に足がつる」原因と対処法を解説 「つった部分を冷やす」は逆効果

「運動時や就寝時に足がつる」原因と対処法を解説 「つった部分を冷やす」は逆効果
2024年09月13日 23時50分オトナンサー

運動中や就寝中などに足がつる原因のほか、足がつった場合の対処法について、柔道整復師に聞きました。

足をつる原因は?(画像はイメージ)足をつる原因は?(画像はイメージ)

【ひと目で分かる!】これが足をつったときの“対処法”です(5つ)

運動時や就寝中などに足をつってしまい、焦った経験はありませんか。
SNS上では「足がつるのはなぜ?」「最近、やたらと足をつる」「明け方に足がつった」という内容の声が上がっています。

 足がつってしまう場合、どのような原因が考えられるのでしょうか。また、足をつった場合、どのような応急処置が必要なのでしょうか。足をつる原因のほか、足がつったときの対処法について、「整体院望夢〜のぞむ〜」の総院長で、柔道整復師の岡野夏樹さんに聞きました。

■「水分不足」「筋肉の疲労」が原因

Q.そもそも足がつる原因について、教えてください。どのような環境下で足をつりやすいのでしょうか。

岡野さん
「主に次のような原因が挙げられます」

■筋肉の疲労

長時間立ち続けた場合のほか、ランニングやサイクリングなどの運動をした後に筋肉が疲れていると、足をつりやすくなります。
特に長時間、同じ姿勢でいると血流が悪くなり、筋肉が緊張してつりやすくなります。
デスクワークや立ち仕事で同じ姿勢が続く場合は注意が必要です。

不自然な姿勢で長時間過ごした場合のほか、新しい運動を始めたときや普段使っていない筋肉を急に使った場合も、つりやすくなります。

■水分や電解質の不足

水分のほか、ナトリウムやカリウム、マグネシウムなどの電解質が不足していると、筋肉の収縮が乱れてつりやすくなります。汗をかくことが多い夏場や、激しい運動後に十分な水分や電解質を補給しないとつりやすくなるため、注意が必要です。
特に脱水状態が続くと足をつるリスクが高まります。

ビタミンDの欠乏も、筋肉の正常な収縮機能に影響を与えるため、足がつりやすくなります。

■寒い環境下での活動

寒い場所に長時間滞在したり、体が急に冷え込んだりすると、寒さで筋肉が収縮しやすくなり、足がつります。
水泳の際に足がつることがあるのは、そのためです。

■就寝中

体がリラックスしているときに突然、筋肉が収縮することがあるため、特に夜間や明け方に足がつることが多いです。
寒い時期に布団から足が出て、体が冷えたときにも起こりやすいので、注意が必要です。

■ストレスや疲労がたまっているとき

ストレスや疲労がたまっているときは筋肉が緊張しやすくなるため、足がつる頻度が高まる傾向にあります。

■病気や薬の副作用

高血圧や糖尿病といった病気や、特定の薬の副作用が原因で足がつることがあります。


Q.寒い時期だけでなく、暑い時期にも足をつるのはなぜなのでしょうか。

岡野さん
「先述の話と重なる部分もありますが、暑いときに足がつる原因として『脱水症状』『電解質の不足』『屋外での激しい運動や作業』『急激な温度変化』が挙げられます。

暑い時期は汗をかくことで体内の水分が失われやすくなります。水分が不足すると血液の循環が悪くなり、筋肉に十分な酸素や栄養が届かなくなります。これが筋肉のけいれん、すなわち足のつりにつながることがあります。

また、汗をかくことでナトリウムやカリウム、マグネシウムなどの電解質も失われます。電解質は筋肉の正常な収縮と弛緩(しかん)に重要な役割を果たしており、これが不足すると筋肉が異常に収縮してつる原因になります。

暑い時期は、特に屋外での激しい運動や作業により、足のつりを誘発しやすいです。体が暑さに対応しようとする一方で、筋肉が過労状態になることがあるからです。

このほか、暑い屋外から冷房の効いた室内に入るなど、急激な温度変化も筋肉に影響を与えることがあります。この場合、筋肉が急に収縮しやすくなり、つりやすくなることがあります」

Q.もし足をつった場合、どのように対処する必要があるのでしょうか。

岡野さん
「つった筋肉は収縮しているので、まずは“ストレッチ”で伸ばしてあげることが大切です。
その後、つった筋肉を優しく“マッサージ”して、筋肉の緊張をほぐしましょう。
筋肉を優しくもみほぐし、血流を促すことで、痛みや緊張が緩和されることが多いです。

つった部分を“温める”ことで、筋肉がリラックスしやすくなります。温かいタオルやお湯で温めたボトルを使ったり、温かいシャワーを浴びたりすると効果的です。

足がつる原因の一つに水分や電解質の不足があるため、つった後は“水分を補給”することが大切です。スポーツドリンクなどで電解質も一緒に補給できるとより効果的です。

このほか、“深呼吸をして体全体をリラックス”させることで、筋肉の緊張が和らぎやすくなります。痛みに焦らず、呼吸を整えて落ち着くことも大切です。

このように、足をつったときは『ストレッチ』『つった部分のマッサージ』『つった部分を温める』『水分補給』『深呼吸をして体全体をリラックス』の5つに取り組んでみてください」

Q.反対に、足をつったときにやってはいけない行為はありますか。

岡野さん
「足をつったときは、次の5つの行為をやらないように注意してください」

■つった後に無理に動かす

足がつっている状態で無理に歩いたり、強く動かそうとしたりするのは避けてください。
これにより、筋肉がさらに緊張し、痛みが増すことがあります。

特に足がつった直後に焦って動くと、筋肉が再びつったり、別の筋肉が緊張したりしてしまう可能性があります。
まずはリラックスして、筋肉が落ち着くまで待つことが大切です。

■過度に筋肉を引っ張る

ストレッチは有効ですが、過度に強く筋肉を引っ張ると、筋繊維を傷つけるリスクがあります。ストレッチはゆっくりと静かに行い、痛みを感じたらすぐにやめるようにしましょう。

■つった部分を冷やす

冷やすことは炎症を抑える上では有効ですが、足をつった場合は逆効果です。つった直後に冷やすと、筋肉がさらに収縮してしまうことがあるからです。
つった直後は冷やすよりも、温める方が適しています。

■つった部分を無理にマッサージする

強くマッサージし過ぎると、筋肉や周辺の組織を痛めることがあります。
優しく、痛みを感じない程度にマッサージするようにしてください。

■つった後、そのまま放置する

足のつりをそのままにしておくと、筋肉が硬直してしまう可能性があります。できるだけ早めに適切な対処を行い、筋肉をほぐすようにしましょう。


オトナンサー編集部
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2024年09月13日

じつは「日本」は「完全な属国」だった…日本が結んだ「屈辱的な従属関係」の真相

じつは「日本」は「完全な属国」だった…
日本が結んだ「屈辱的な従属関係」の真相
9/13(金) 現代ビジネス

日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。

そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。

『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』では、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。

*本記事は矢部 宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)から抜粋・再編集したものです。

大きな歪みの根底

ここまでは、問題を調べ始めてから、四年ほどでわかったことでした。

つまり「戦後日本」という国が持つ大きな歪みの根底には、日米のあいだで結ばれた「法的な関係」が存在する。
しかしその姿が、日本人にはまったく見えていない。

最大の問題は、そもそも1952年に日本の占領を終わらせた「サンフランシスコ平和条約」が、じつは普通の平和条約ではなかったことだ。

たしかにそれは、「政治」と「経済」においては占領状態を終わらせた「寛大な」条約だったが、逆に「軍事」に関しては、安保条約と連動するかたちで日本の占領を法的に継続し、固定するためのものだった。

その結果、「戦後日本」という国は21世紀になってもなお、
「軍事面での占領状態がつづく半分主権国家」
であり続けている──。

多くの著者のみなさんとの共同研究により、そのことはほぼ証明できたと思っています。
これまで精神面から語られることの多かった「対米従属」の問題を、軍事面での法的な構造から、論理的に説明できるようにもなりました。

けれども最後までどうしてもわからなかったのは、
「なぜ日本だけが、そこまでひどい状態になってしまったのか」
ということでした。

「戦争で負けたから」という答えは明らかな間違いです。

世界中に戦争で負けた国はたくさんある。
けれども現在の日本ほど、二一世紀の地球上で、他国と屈辱的な従属関係を結んでいる国はどこにも存在しないからです。

そのことは第三章で紹介した、イラクが敗戦後にアメリカと結んだ地位協定の条文を読めば、誰にでもすぐにわかってもらえるはずです。

「密約の歴史について書いてくれ」

その点について、ずっとモヤモヤしたものが残っていました。
もうひとつウラの構造があることはたしかなのですが、それが何かが、よくわからなかったのです。

そんなある日、
「密約の歴史について書いてくれませんか」

という出版社からのオファーがあったので、よろこんで引き受けることにしました。
以前からずっと、調べてみたいと思っていたことがあったからです。

じつは戦後の日本とアメリカのあいだには、第五章で書いた、

「裁判権密約」

「基地権密約」

のほかに、もうひとつ重要な密約のあることが、わかっていたのです。

それが、
「指揮権密約」
です。

その問題について一度歴史をさかのぼって、きちんと調べてみたいと思っていたのです。

指揮権密約とは、一言でいってしまえば、

「戦争になったら、自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う」
という密約のことです。

「バカなことをいうな。そんなものが、あるはずないだろう」
とお怒りの方も、いらっしゃるかもしれません。

しかし日米両国の間に「指揮権密約」が存在するということは、すでに36年前に明らかになっているのです。
その事実を裏付けるアメリカの公文書を発見したのは、現在、獨協大学名誉教授の古関彰一氏で、1981年に雑誌『朝日ジャーナル』で発表されました。

それによれば、占領終結直後の1952年7月23日と、1954年2月8日の二度、当時の吉田茂首相が米軍の司令官と、口頭でその密約を結んでいたのです。

「指揮権密約」の成立

次ページに載せたのは、その一度目の口頭密約を結んだマーク・クラーク大将が、本国の統合参謀本部へ送った機密報告書です。
前置きはいっさいなしで、いきなり本題の報告に入っています。

「私は7月23日の夕方、吉田氏、岡崎氏〔外務大臣〕、マーフィー駐日大使と自宅で夕食をともにしたあと、会談をした」

まずこの報告書を読んで何より驚かされるのは、米軍の司令官が日本の首相や外務大臣を自宅に呼びつけて、そこで非常に重要な会談をしていたという点です。
占領はもう終わっているのに、ですよ。

これこそまさに、独立後も軍事面での占領体制が継続していたことの証明といえるようなシーンです。
しかも、そこに顔を揃えたのは、日本側が首相と外務大臣、アメリカ側が米軍司令官と駐日大使。まるで日米合同委員会の「超ハイレベル・バージョン」とでもいうべき肩書きの人たちなのです。

「私は、わが国の政府が有事〔=戦争や武力衝突〕の際の軍隊の投入にあたり、指揮権の関係について、日本政府とのあいだに明確な了解が不可欠であると考えている理由を、かなり詳しく説明した」

つまり、この会談でクラークは、

「戦争になったら日本の軍隊(当時は警察予備隊)は米軍の指揮下に入って戦うことを、はっきり了承してほしい」
と吉田に申し入れているのです。
そのことは、次の吉田の答えを見ても明らかです。

「吉田氏はすぐに、有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現状ではその司令官は合衆国によって任命されるべきであるということに同意した。
同氏は続けて、この合意は日本国民に与える政治的衝撃を考えると、当分のあいだ秘密にされるべきであるとの考えを示し、マーフィー〔駐日大使〕と私はその意見に同意した」

戦争になったら、誰かが最高司令官になるのは当然だから、現状ではその人物が米軍司令官であることに異論はない。
そういう表現で、吉田は日本の軍隊に対する米軍の指揮権を認めたわけです。
こうして独立から3ヵ月後の1952年7月23日、口頭での「指揮権密約」が成立することになりました。

徹底的に隠された取り決め

ここで記憶にとどめておいていただきたいのは、吉田もクラークもマーフィーも、この密約は、

「日本国民に与える政治的衝撃を考えると、当分のあいだ秘密にされるべきである」

という意見で一致していたということです。

結局その後も国民にはまったく知らされないまま、これまで60年以上経ってしまったわけですが、考えてみるとそれも当然です。

外国軍への基地の提供については、同じく国家の独立を危うくするものではありますが、まだ弁解の余地がある。
基地を提供し駐留経費まで日本が支払ったとしても、それで国が守れるなら安いものじゃないか──。
要するに、それはお金の問題だといって、ごまかすことができるからです。

しかし、軍隊の指揮権をあらかじめ他国が持っているとなると、これはなんの言い訳もできない完全な「属国」ですので、絶対に公表できない。

そもそも日本はわずか5年前(1947年)にできた憲法9条で、「戦争」も「軍隊」もはっきりと放棄していたわけですから、米軍のもとで軍事行動を行うことなど、公に約束できるはずがないのです。

ですから、1951年1月から始まった日本の独立へ向けての日米交渉のなかでも、この軍隊の指揮権の問題だけは、徹底的に闇のなかに隠されていきました。

この「戦時に米軍司令官が日本軍を指揮する権利」というのは、アメリカ側が同年2月2日、最初に出してきた旧安保条約の草案にすでに条文として書かれていたもので、その後もずっと交渉のなかで要求し続けていたものでした。


しかし、日本国民の目にみえるかたちで正式に条文化することはついにできず、結局独立後にこうして密約を結ぶことになったのです。

その後アメリカは、占領中の日本につくらせた「警察予備隊」を、この指揮権密約にもとづいて三ヵ月後、「保安隊」に格上げさせ(1952年10月15日)、さらにその2年後には2度目の口頭密約(1954年2月8日:吉田首相とジョン・ハル大将による)を結び、それにもとづいて「保安隊」を「自衛隊」に格上げさせ(同年7月1日)、日本の再軍備を着々と進めていきました。

それほど重大な指揮権密約ではありましたが、古関氏が雑誌に発表したときは、とくに反響らしい反響もなく、ただ編集部に、

「そんな誰でも知っていることを記事に書いて、どうするんだ」
などという嫌みったらしいハガキが、一枚来ただけだったそうです。

その2年前(1979年)にやはり公文書が発掘された「天皇メッセージ」(昭和天皇が1947年9月、側近を通してGHQに対し、沖縄の長期占領を希望することなどを伝えた口頭でのメッセージ)のときもそうだったようですが、問題が大きければ大きいほど、スルーされる。
あまりにも大きな問題に対しては、そういうシニカルな態度で「なんでもないことだ」と受け流すしか、精神の安定を保つ方法がないということなのでしょうか。

しかしすでに述べたとおり、この密約を結んだ日米両国の要人たちは、それが日本の主権を侵害する、いかに重大な取り決めであるかをよくわかっていたわけです。

事実私も、戦後の日米関係のなかで最も闇の奥に隠された、この「指揮権密約」の歴史をたどることで、それまでわからなかった日米間の法的な関係の全体像を理解することが、ようやくできるようになったのです。

さらに連載記事<なぜ日本はこれほど歪んだのか…ヤバすぎる「9つのオキテ」が招いた「日本の悲劇」>では、日本を縛る「日米の密約」の正体について、詳しく解説します。


矢部 宏治
posted by 小だぬき at 07:34 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする