2011年02月05日

成田空港の闘いはなんだったのだろう・・

もう歴史の一コマになりつつある「成田空港」反対運動。

突然の三里塚建設計画、強引な用地買収、反対闘争に対する「強制代執行」、機動隊員の殉職、「少年行動隊」までできた反対運動。

当時も「羽田空港 埋め立て拡張」の主張があったのに、国の強引な施策のため 滑走路1本での開港まで数十年もかかった「成田国際空港・新東京国際空港」
多くの農民の悲鳴や血のもとに作られた空港は、何だったのだろうと振り返って思います。

現実の交通アクセスの悪さを解消するために 開港後に「交通アクセス」が課題となり 各私鉄の延長や新駅で今のアクセスの便利さ??になってきたのです。

当時は、羽田の拡張説を否定していた政府が 今は また「羽田」への依存を強めている。

成田空港の立地の選定から空港開設までを 何らかの形で知っているものには、なぜ あの時に「羽田拡張を優先して」もっと地道に新空港の計画を進められなかったのかという思いは捨て切れないのです。

否定していたハズの「羽田空港拡張・国際線乗り入れ」をする、権力の破廉恥さ・厚顔無恥は 当時を知っている学生や農民・国民にとって違和感のみ残る政策です。

成田空港建設時に「羽田」依存なしに 建設計画がされたはずですし 滑走路などの拡張も計画されたものでしょう。
それなのに なぜ「羽田に国際線ターミナル」ですか??

成田と羽田両空港の役割分担と需要見積もり、成田を機動隊警備の元に建設した是非は 今後の日本を考える上で検証されるべきものでしょう。
起きた時に 上空に旅客機が飛んでいるのを見て フト「団結小屋の農民の方」を思いだしました。
posted by 小だぬき at 10:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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