2011年12月01日

香山リカのココロの万華鏡:神童にならなくても

香山リカのココロの万華鏡:神童にならなくても 

毎日新聞 2011年11月29日 東京地方版

今年は、子役が大ブーム。


 幼稚園生や小学校の低学年のあどけない子どもたちが、おとな顔負けの芝居をしたり歌を歌ったり。インタビューでも礼儀正しく、それでいて年相応の無邪気さも見せる。

何かと暗い話題が多い中、子役たちの笑顔は私たちをなごませる上で欠かせないものとなっている。


 活躍しているのはテレビに出てくる子役だけではない。ときどきスポーツ教室や音楽教室にも“神童”が現れ、抜群の才能でおとなたちを驚かさせる。幼児のための学習教室には、英語の達人、計算の名人などもいるようだ。


 「すごい子どももいるものだね」と感心しているうちはまだよいが、子を持つ親の中には、「ウチの子も」といわゆる英才教育に熱心になる人もいる。

子どもは親にほめられるとうれしいので、最初のうちは期待にこたえようと、一生懸命、勉強、練習などに励み、それなりの成果を上げる。


 しかし、努力すれば誰もが天才になれるわけではない。


 いくらやってもコンテストで入賞しない、オーディションに合格しない、という現実の壁に突き当たったとき、その親子はどうするかが問題。


 いつだったか、診察室に「どうしてもあきらめきれない」という母親がやって来たことがあった。


 「娘をバレリーナにするのが夢で、これまですべてを注ぎ込んで親子でその道を目指してきたんです。

バレエ教室の先生に『これ以上、上はムリ』と言われてしまったけれど受け入れられない。娘を外国に連れて行ってレッスンを受けさせたい、と言ったら、夫に『一度、精神科で相談してきたら』と言われたんです」


 必死に訴える母親のそばで、まだ幼い娘は申し訳なさそうにうつむいていた。


 「私のせいでママが苦しんでる」と自分を責めているようだった。こういう場合は、母親よりも先に子どものほうに「あなたが悪いわけじゃないよ」と伝えなければ、心に深い傷を残してしまう。


 わが子が天才なら、もちろん親はうれしいはずだ。


 ただ、誰もが神童や天才になる必要はないし、もっと言えば「そんな特別な存在にならないほうがいい」とも言える。


 いつも注目され称賛されながらすごすのは、子どもの心の成長には必ずしもプラスとは言えないからだ。


 才能があればあったで幸せだし、なければないでまたそれも幸せなこと。子役たちの活躍を見ながら、そんなことを思った。

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2011年12月02日

尾木ママ 年々低年齢化する幼児教育の過熱に警鐘を鳴らす

尾木ママ 年々低年齢化する
              幼児教育の過熱に警鐘を鳴らす

2011.03.21 07:00
              ※女性セブン2011年3月31日・4月7日号

『ホンマでっか?TV』(フジテレビ系)で明石家さんま(55)にいじられる“尾木ママ”として、すっかりお茶の間のアイドル的存在になっている尾木直樹さん(64)。

ブログも大人気だが、実は、教育問題、メディア問題などで講演活動を行う大学教授であり、教育評論家でもあり、BPO(放送倫理・番組向上機構)青少年委員会の副委員長を務めたこともある。

このほど、『尾木ママの「叱らない」子育て論』(主婦と生活社、1000円)を出版した。

そんな尾木さんは、年々低年齢化する幼児教育の過熱ぶりに警鐘を鳴らす。


「脳の発達が3才までに決まるなんて、真っ赤な嘘! 胎児に英語を聞かせるといいからと、ママが英語の音楽を聴いたり英語のドラマを見たりしているけど、そんなつくられた教育観も間違ってます」


 彼が尊敬する脳科学者の澤口俊之さん(52)は、早期教育をするよりも、生まれてすぐに20分くらい母親に抱かれていたほうがいいという。


「基本的信頼感を形成する上では不可欠な行動よね。

抱きしめるという行為は、子育てには欠かせませんから」


 たくさんの情報があふれ、多くの教育メソッドが乱立するいま。流行メソッドをこなすよりも、まず親たちも自分を肯定し、子供を肯定すること。あなたも周囲を気にすることなくのびのびと叱らない子育てで、ありのまま輝いてみては?

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更迭防衛局長暴言を黙殺した大マスコミ

 
更迭元防衛局長のレイプ暴言発言を黙殺した大マスコミ
だからこの国のマスコミはダメなのだ 
2011年11月30日 掲載  日刊ゲンダイ

報じたのは琉球新報1社だけ

<ちゃんちゃらおかしい、今になっての大騒ぎ>

 防衛省沖縄防衛局の田中聡局長(50)が「レイプ発言」で更迭された。仲井真弘多・沖縄県知事は「コメントしたくもない」と吐き捨てていたし、沖縄県民の感情を考えるまでもなく、こんな暴言局長はクビが当然だが、驚くのは大マスコミのフヌケぶりだ。

問題発言は大勢の記者が聞いていたのに、報じたのは「琉球新報」1社のみ。大マスコミは慌てて、後追いしたのである。

 問題発言が出たのは28日夜。沖縄防衛局が県内外の報道各社に呼びかけ、那覇市内の居酒屋で開かれた懇親会の席だった。

「会合には琉球新報のほか、読売など計9社の記者が出席しました。

この席で、一川保夫防衛相(写真)が県への環境影響評価書の提出時期を明確にしないことについて質問が出ました。

これに対し、酔った田中局長が『これから犯す前に犯しますよと言いますか』などと口を滑らせたのです。

田中局長は本省の広報課長も経験し、今年8月に沖縄防衛局長になった。記者の扱いは慣れているつもりだったのでしょう。

地方のトップになって、カン違いしたのかもしれない。いずれにしたって、あまりに非常識な発言です」(沖縄県政事情通)

 フツーの記者であれば、すぐに反応して当然だ。ところが、この暴言を問題視し、29日の朝刊で報じたのは「琉球新報」のみ。

在京メディアは騒ぎが広がってから慌てて後追い報道する始末で、しかも「非公式の懇談会」「オフレコ発言」と付け加えた。自分のところが遅れた“言い訳”をしたのである。

 これじゃあ、報道機関失格だが、大新聞・テレビがスルーした発言が後に問題化したことは過去にもある。

7月に松本龍前復興担当相が宮城県庁を訪れた際、村井嘉浩知事に「国は何もしないぞ」と怒鳴った時もそうだ。

松本は発言の後、「今の言葉はオフレコ。書いたらその社は終わりだから」とドーカツした。在京メディアはこれにビビった。

最初に一部始終を放送したのは地元の「東北放送」だけだった。

元共同通信社記者で、同志社大社会学部教授の浅野健一氏はこう言う。

「今回の発言は非常にヒドイし、こんなことを平然と言う人物が役所の幹部に就いていることも問題です。

たとえ懇親会であっても、社会的影響力のある『公人』なのだからメディアは報道しなければなりません。しかし、今の記者クラブメディアは弱腰だから、オフレコと言われると報じない。ジャーナリズムとは何かを理解していないのです」

 ふだんから役人にヘーコラして発表モノばかり報じているから、こうなるのだ。

田中局長が泥酔して軽口をたたいたのも、記者をナメ切っている証拠である。しかも、防衛省は「記者との信頼関係が崩れた」なんて寝言を言っている。どうしようもない役所と記者だ。  
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2011年12月03日

沖縄「犯す」発言 政府の本音が露呈した

沖縄「犯す」発言 政府の本音が露呈した
         2011年11月30日  東京新聞社説

 在日米軍基地の74%が集中する沖縄県。

その基地負担軽減に汗を流すべき官僚になぜ、県民を蔑(さげす)むような発言ができるのだろう。配慮を欠くというよりも、それが政府の本音だからではないか。


 その発言は二十八日夜、那覇市内の居酒屋で行われた記者団との懇談で飛び出した。発言の主は防衛省の田中聡沖縄防衛局長。


 一川保夫防衛相が米軍普天間飛行場の代替施設として名護市辺野古に新しい基地を造るための環境影響評価書を年内に提出すると断言しない理由を聞かれ、「(女性を)犯す前に『これから犯しますよ』と言いますか」と発言した。


 懇談には沖縄県政を担当する県内外九社の記者が出席。記事にしないオフレコが前提の発言だったが、地元紙の琉球新報が二十九日付朝刊一面トップで伝えた。


 「公的立場の人物が人権感覚を著しく疑わせる蔑視発言をした。慎重に判断した結果、オフレコだったが、県民に知らせる公益性が勝ると考え報道した」(普久原均編集局次長)という。


 発言の重大性を鑑みれば報道するのは当然だろう。まずは琉球新報の報道姿勢を支持する。


 移設手続きを女性暴行に例えるのは女性蔑視にほかならない。


 そればかりか、普天間飛行場の返還協議が一九九五年の米海兵隊員による少女暴行事件を契機に始まった経緯を承知していれば、女性暴行を例に引く発言などできるはずがない。更迭は当然だ。


 もっとも、防衛官僚からそうした発言が飛び出すのは、人権感覚の欠如はもちろん、米軍基地は沖縄に押し付けて当然という政府の傲慢(ごうまん)な姿勢があるからだろう。


 沖縄居座りを求める米政府の顔色をうかがい、沖縄県民とは向き合おうとしない。

普天間の国外・県外移設を提起する努力もせず、辺野古への県内移設しか選択肢はないと強弁する。これではどこの政府かと言いたくもなる。


 日本政府よりも米知日派の方が状況をより正確に認識している。


 ナイ元米国防次官補は米紙への投稿で県内移設は沖縄県民には受け入れがたく、米海兵隊の豪州配備は「賢明」と記した。

モチヅキ米ジョージ・ワシントン大教授らは米CNNへの寄稿で在沖縄海兵隊の米本土移転を提起した。


 日米両政府は県内移設がもはや困難だと率直に認め合い、新たな解決策を探り始めてはどうか。それが日本政府には、沖縄県民の信頼を回復する唯一の道である。

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なんとも物悲しい師走

いつの間にか コートを着ても 近所の人との挨拶が「今日も寒いですね」になってしまった季節。
もう師走の3日ですものね。

小だぬきは、
11/7に上腕のおできが炎症し 膿んでしまい切開手術。
なんと 11/28日まで連続外科通院でした(内科 3日、精神科2日、外科 21日)
普段 退職互助会の医療費還付申請の郵送代が120円で済むのに、11月分は240円かかりました。

11月の初めから 体温が39度前後で 寒くて布団にくるまっていたのですが、風邪ではなく おできが炎症し膿んだためと 外科の主治医も呆れるほどの状態で切開しました。

不思議なもので 毎日 往復2時間の通院をしている内に 歩くスピードは遅いのですが 体が軽くなったような感覚でした。

病院の窓口で 「外科ですね」と顔パスになってしまったのには苦笑です。

今 抗生物質に移行しているのですが、膿の袋をとる本格的手術を いずれすることになりそうです。

12月を物悲しいものにしているのは 届く「喪中はがき」。

今年は 小学校高学年と教育実習の世話をしてくれた元担任の先生と初任の時 なんと小学校1年1組担任などという無茶な人事の時 2組で支えてくれたお姉さん先生の他界の知らせ。

それと12/1に区役所に自立支援医療証と障害手帳の更新手続きにいったのですが、行きのタクシーの運転手に「言っては申し訳ないが 歳とともに寒さが堪えますね」の一言。気だけは若いつもりだっただけにショックでした。

つい最近 お正月を迎えたばかりの感覚なのに、もう1年の終わりの「師走」なのですね。


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前原氏に言われちゃ、一川防衛相批判…「勉強不足が過ぎる」

前原氏が一川防衛相批判
        …「勉強不足が過ぎる」
読売新聞 12月3日(土)11時36分配信

民主党の前原政調会長は3日午前、参院で問責決議案の可決の公算が大きくなっている一川防衛相について、大阪市内で記者団に「少し勉強不足が過ぎる。(沖縄県の米軍基地問題を巡る)過去の経緯ぐらいは勉強しないと、安全保障、米軍との関係もうまくハンドリングできない」と厳しく批判した。

 党執行部内でも、一川氏の閣僚としての適格性を問題視する動きが表面化した。

 一川氏の進退については、「任命権者は首相だから私から申し上げることはない」と自らの考えを明らかにすることは避けたが、「出処進退は政治家自ら決めるものだ」とも指摘し、一川氏の対応を注視する姿勢を示した。

 前原氏が批判したのは、1日の国会で一川氏が1995年に沖縄県で起きた女児暴行事件について「正確な中身を詳細には知らない」と答弁したことについてだ。

3日午前の読売テレビの番組でも「問題だ。沖縄県内に74%の米軍施設・基地があるのだから、沖縄のご理解をいただくことが日本の安全保障の根幹になっている」と強調し、沖縄県と政府との信頼関係が構築できなくなると懸念を示した。

 自民党の山本一太前参院政審会長は同日のTBS番組で「どう考えても問責は成立する。

一刻も早く(首相が)一川氏を更迭するか、一川氏自身が辞任するべきだ」と述べ、政府は問責決議案の提出前に進退を決着させるべきだと主張した。

最終更新:12月3日(土)11時45分

<小だぬき>

八ッ場ダム・日本航空問題・中国漁船領海侵犯事件・武器輸出3原則見直しなど どれをとっても 言うだけで 何の実行も責任もとらない前原氏に 言われたらお終いだと思います。
偉そうに言う当人が 外国人献金問題も暴力団交際問題も 何一つ 具体的な責任をとっていない前原氏。
このような人に「勉強が足りない」といわれるとは 情けないとは思いませんか??
何か この報道を読んで 前原氏が 防衛大臣になるよりはマシな気持ちが起こるから不思議です。
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2011年12月04日

沖縄防衛局「書いたら出入り禁止に」

沖縄防衛局「書いたら出入り禁止に」

TBS系(JNN) 12月3日(土)18時0分配信 

3日、訪問先の沖縄から東京へ戻った一川防衛大臣。
Q.総理にはいつ報告を?
 「全然・・・」
Q.週明けですか?
 「はい」(一川保夫防衛大臣)

 2日夜は沖縄県の仲井真知事と会談しました。

 「沖縄県民の皆さんにおわびを申し上げたい」(一川保夫防衛大臣)
 「極めて、極めて遺憾だとしか申し上げようがない」(沖縄県 仲井真弘多知事)

 95年のアメリカ軍兵士による少女暴行事件について、一川大臣は国会で「正確な中身を詳細には知らない」と答弁。そして、この問題の発端となったのが前の沖縄防衛局長の不適切な発言でした。

Q.実際の言葉遣いは何て言ったといってるんですか?
 「“これから犯す前に犯しますよ、と言いますか”と発言している」(記者から発言内容を聞いた 琉球新報 普久原均編集局次長)

 この発言を最初に報じた沖縄の地元紙「琉球新報」がTBSの番組「報道特集」のインタビューに応じ、沖縄防衛局側に報道することを通告した際、次のように返答されたといいます。

 「(沖縄防衛局は)“オフ懇だよ、オフレコだよ。それでも書くの? 出入り禁止(取材の禁止)にすることになる”と」(琉球新報 普久原均編集局次長)

 そして、琉球新報は沖縄防衛局側に「局長の正式なコメントがほしい」と申し入れましたが、コメントは得られなかったということです。

 「非常に人権意識が欠けたひどい発言。沖縄の県民全体を小ばかにしたような発言だと思う。

琉球新報が書かないと、おそらく闇に葬られたと思う」(琉球新報 普久原均編集局次長)

 沖縄防衛局の池田報道室長は「報道特集」の取材に対し、「完全オフレコだったので否定せざるを得ない。

それに新報さんがおっしゃられたような発言は局長はないと言っていた」と答えています。

(03日17:32)最終更新:12月4日(日)1時14分
posted by 小だぬき at 02:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

週刊実話頑張る「年金ドロボー民主党と厚労省」 

庶民の敵や! ヤクザよりひどい
     年金ドロボー民主党と厚労省

掲載日時 2011年12月01日 15時00分
|掲載号
2011/12/8  週刊実話 特大号

7年で崩壊した「100年安心」


 政権交代実現の大きな原動力となった民主党のマニフェスト。年金・医療について“国民に約束”したページには、こう書かれている。
 「高齢化社会の不安を解消する第一歩は、国への信頼を取り戻すことです。『消えた年金』被害を補償するとともに、国民全員が受け取れる年金制度を確立。十分な医療・介護サービスを提供し、ひとつの生命を大切にします」

 さらに「『消えた年金』『消された年金』問題の解決に、2年間、集中的に取り組みます」とある。
 その約束の2年が経過した今年7月、問題の解決どころか、当時の菅直人政権の閣議で「社会保障と税の一体改革案」が了解(決定ではない)され、年金支給の開始年齢を引き上げることが盛り込まれた。引き継いだ野田佳彦首相は“財務省公認”と揶揄されようとも、加えて増税のゴリ押しまで進めようとしている。
 われわれ庶民は怒りを通り越し、凍りつきそうになる心を何とか暖めようと必死だ。

 そして10月、大騒ぎになった支給年齢引き上げ問題は、同月26日の小宮山洋子厚労相による「来年の通常国会には関連法案を提出しない方針」という答弁で、ひとまずは沈静化した。だが、庶民を愚弄する厚労相の発言で、この問題が引っ込んだと思うのは大間違い。厚労官僚は、「引き上げへの布石は打てた」とほくそ笑んでいるからだ。

 そういえば民主党は、月額7万円の「最低保証年金」の実現などもマニフェストに掲げていた。やはりこれも何も実行しないばかりか、近頃はミスター年金・長妻昭元厚労相のご尊顔さえ拝見できなくなった。同じく「年金通帳」なるものについても、莫大なコストと銀行業界からの猛反発で、あっさりと断念。結局「インターネット上で見られるようにします」=公約違反ではない、という態度である。

 支給年齢の引き上げは年金財政の改善が目的だというが、2004年に年金制度を改正した際、政府は「100年安心」と大ミエを切ったはずだ。自民党から民主党に政権が移ったとはいえ、それがたった7年で年齢引き上げとは、厚労省は大ウソをついたことになる。

 「当時の『100年安心』は、厚生年金保険料の上限を固定すると共に、現役世代との所得代替率をほぼ50%以上に保って、向こう100年、積立金がマイナスにならないという、おおよその見通しを述べたものです。

しかし、年金支給の物価スライドを年率0.9%ほど不足させて行う『マクロスライド方式』が、その後のデフレで一度も機能しなかったことや、積立金の運用がうまく行かなかったことなどから、綻びがはっきりした。遠くない時期に、間違いなく年金積立金は溶けてなくなります。積立金枯渇論は若者にも広がっており、これが未払いなどにつながっているのです」(年金問題に詳しい社会保険労務士)

 現実に、昨年度の国民年金保険料の納付率は、59%と過去最低を記録している。これを当時の細川律夫厚労相は「ゆゆしき問題」と怒り狂い、厚労省と日本年金機構に、今年度からの未納者への督促や強制徴収、差し押さえを指示した。未納者には、高飛車な文言が並ぶ催告状が送られてくるようになったのだ。
 その内容は《滞納処分が開始されると、年14.6%の延滞金が課せられるほか財産が差し押さえられる場合があります…》と、こんな具合だ。

 かつての商工ローン事件にみる「腎臓売って借金返さんかい!」並みの恫喝である。滞納2カ月で電話やハガキを送付、無視すると督促状を送り、最後は預貯金や不動産を差し押さえる。商工ローンやサラ金なら死ねば追ってこないが、国は死んでも追ってくる…。
 「差し押さえの件数がここ2年間、約3000件と5年前の4分の1にまで落ち込んでいるため、厚労省は国税庁に強制徴収のサポートを依頼している。とにかく減った積立金を少しでも増やそうとするのが狙いです」(厚労省担当記者)

 実際に催促を受けたという都内の自営業者が、その様子を語った。
 「国民年金を自動引き落としからクレジットカード払いに切り替えた際、うっかり1カ月分を未納してしまいました。するとすぐ納付書が送られてきて、期限が平成25年6月30日になっているので放置していたら、たった半年の間に電話2回、納付書の再送付1回、督促ハガキが1回…。通知代だってわれわれの年金から出ているわけでしょう。こんなムダ遣いはやめた方がいいと思いますけど」

 よほど切羽詰まっているのだろう。積立金は独立行政法人が管理運用しているが、'07、'08年度に計15兆円の運用損を計上している。なくなることがわかっていて、将来もらえないような年金を、一体誰が積み立てるだろうか。

国滅びて役人栄える

 そこで嫌でも思い出すのが、被保険者、年金受給者等のために、全国13カ所に建設された保養施設『グリーンピア』だ。国民が積み立てた年金保険料1953億円を投じ、経営不振に陥るや、全てをたった48億円で売却。しかも当時の厚労官僚は「法律で決まったことを粛々と実行しただけ」と開き直り、責任を一切取っていない。

 何のことはない。年金原資は役人の天下り先の特殊法人や「官のサイフ」と呼ばれた特別会計に流れ、浪費され、蒸発したのだ。これではどんなに保険料を納めても、穴の開いたバケツに水をくんでいるのと同じである。

 官僚機構に詳しいジャーナリストの北沢栄氏が指弾する。

 「国民の資産である積立金は、かつて郵貯、簡保などとともに主要な原資として財政投融資に投入され、特殊法人の焦げ付きが生じるなどしたため、目減りする原因となった。その後も社保庁のマッサージチェア問題が発覚するなど、どこにどう使ったかさえわからずじまい。

今回の受給年齢引き上げは、仙谷由人党政策調査会長代行、今は無所属の与謝野馨前経財相、藤井裕久党税制調査会長の3人で決めたことです。国民には何も知らせず、イタズラに危機を煽り、消費税増税と一体となった国民負担に世論を向かわせようとしている。民主党と厚労官僚は国家詐欺集団です」

 現役・OB揃って自らの多くの利権と雇用を維持するために、庶民の老後を操っているのが、年金官僚集団である。そもそも、政治家がやるべきことをサボって改革を委ねようとすること自体が間違っている。

 ところで、この暴力団顔負けの悪党官僚が加入する共済年金は、厚生年金よりも優遇されているばかりか財務省管理で一銭も損を出していない。

 「年金の官民格差は著しい。'07年に自民党政権が年金一元化法案を提出したが、官僚の抵抗で廃案になっている。民間に比べて公務員への支給は手厚く、掛け金は安く、しかも定年制度でも優遇されている。さらにキャリアになると天下り先が用意され、退職金も民間水準以上。しかも格安の公務員宿舎や有給休暇の取りやすさなど福利厚生も圧倒的に厚遇で、いまやギリシャの公務員並みの特権階級になりつつある。国滅びて役人栄えるということです」(前出の担当記者)

 まさに「100年安心とダマした責任者、出てこいや!」と、叫びたくなる。

 「年金不信は、日本の国力を削ぐ負のスパイラルの入り口です。仮に現在出ている複数の年金制度改革案を実行し、年金財政が維持できたとしても、今度は生活保護給付が政府の財政を圧迫する。加えて70歳までの雇用を企業に強いるとすれば、人件費、若年者雇用の縮小、組織の高齢化による経営の沈滞など、企業社会に大きな弊害が出る。これらは企業の実質的なコスト負担増を意味し、明らかにマイナスの影響を及ぼします。それら要因が回り回って、庶民の生活を貧しくしていくのです」(雇用問題に詳しいジャーナリスト)

 年金と雇用制度、生活保護、そして企業経営は密接に結びついている。

2カ月前、全国で暴力団排除条例が施行されたが、日本から排除されるべきは、サボリの民主党と官僚かっぱらい集団の方である。

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2011年12月05日

ナニワっ子は惚れっぽいが飽きっぽい

11/12/01 ナニワっ子は惚れっぽいが飽きっぽい◆日刊ゲンダイ


意外に思われるかも知れませんが、奥多摩を擁する東京都よりも大阪府は面積が少なく、香川県と並んで全国で最も小さな都道府県です。

「すべて山の中である」と島崎藤村が謳(うた)った木曾谷と同規模に過ぎぬのです。

他方、政令指定都市なる存在は道府県知事にとって“厄介”な相手です。

だって、知事室を構える道府県庁舎の目の前を通る道府県道すら、維持管理は政令市が担当するのですから。

教育も福祉も、国からの補助金や交付金は道府県を経由せず直接、政令市に届きます。

象徴的事例は横浜、川崎、相模原と3つの政令市が存在する神奈川県です。

神奈川県が“管轄”するのは三浦半島、厚木から小田原に至る中小の基礎自治体に留まります。

故に当該3政令市選出の県会議員は、語弊を恐れず申し上げれば、「名誉職」としての“生活保護受給者”です。だって、地元要望に応える権限を有さぬのですから。

大阪府の一般会計当初予算は3兆2千億円。他方、大阪市・堺市の合算は2兆1千億円。したり顔で新聞が解説する「二重行政の弊害」云々以前の問題として、政令市の有権者からも付託を受けて就任した筈の知事にとっては“目の下のたんこぶ”です。

況(いわ)んや木曾谷と同面積の、而(しか)して平坦な地勢の大阪府です。結局は東京の後追いをするのか、と揶揄(やゆ)されるのを防ぐべく、「都」に代わる惹句の創出は求められるにせよ、橋下徹氏ならずとも「One Osaka」を掲げたい衝動に駆られるでしょう。都構想自体はアリだと当初から僕も評価していた所以(ゆえん)です。

他方で冷徹に捉えれば、大阪都なるハコモノが誕生せずとも、府と市が共闘・協調すれば、納税者への顧客サーヴィスの向上は容易に図れるのです。

両社が合併せずとも阪神なんば線と近鉄難波線が相互乗り入れを開始し、神戸三宮から大阪ミナミを経て奈良まで乗り換え無しで移動可能の利便性が高まった様に。
小選挙区制導入で政策本意の政党政治、郵政民営化実施で日本経済の建て直しが実現すると喧伝されました。が、松尾芭蕉ならずとも今や何れも「夏草や兵どもの夢の跡」です。

首相ならぬ市長に当選したウラジミール・プーチン氏と、大統領ならぬ府知事に当選したドミトリー・メドベージェフ氏を連想させる2人の首長が、惚れっぽいが飽きっぽい気質のナニワっ子から、一体、景気はどうなん、と言われぬよう、願うや切です。

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駐クロアチア大使 現地女性大使館職員へのセクハラ疑惑発覚

駐クロアチア大使 現地女性大使館職員への
                            セクハラ疑惑発覚

2011.12.05 07:00 ※週刊ポスト2011年12月16日号

まさに「国辱行為」である。日本国民を代表し、相手国の元首に対して派遣される特命全権大使のセクハラという蛮行が発覚した。

しかも、外務省は事実を把握しながら、財務省の天下り大使だから“遠慮”して不問に付した。

「国益よりも省益」という言葉では到底言い表わせない前代未聞の事態である。


バルカン半島の小国・クロアチアは、古くからの親日国として知られる。


日本大使館は首都ザグレブの中心地にある。4階建てルネッサンス様式の歴史ある建物だ。

東日本大震災の直後、クロアチアの官公庁が集まる日本大使館周辺では政権交代を求める5000人規模のデモが行なわれていた。そのデモ隊が大使館の前を通りかかった時である。彼らは一斉に足を止め、手に持っていたろうそくに灯をともし、震災で亡くなった日本人のために黙祷を捧げた。


11月末の大使館終業直後、その玄関前で、田村義雄・駐クロアチア大使(64)は本誌直撃に顔をこわばらせた――。


田村氏の経歴は大使の中では異色といっていい。東大法学部出身で、1971年に大蔵省に入省。霞が関中枢のエリートコースを歩み、財務省関税局長まで上りつめる。それから環境省に移り、官房長、事務次官を歴任し、2008年に退官した後、2009年から現職に就いた。つまり、外務省のプロパー官僚ではない。


日本の特命全権大使の中でも2人しかいない事務次官経験者という大物だ。その人物に現地採用したクロアチア人女性へのセクハラ疑惑が発覚した。

ことは大使個人の問題では済まされない。重大な外交問題に発展しかねないと憂慮されているのである。


実は外務省はその事実を把握しながら、ひた隠しにしているという情報を本誌は掴んだ。

「大使のセクハラ」は大使館内で問題化し、外務省は現地に査察官を派遣して調査を行なっている。その報告書は佐々江賢一郎・外務省事務次官や木寺昌人・官房長らに提出されたといい、外務省局長クラスにも回覧されている。


外務省幹部の一人がこう明かした。


「クロアチアは決して豊かな国とはいえないが、国民は東日本大震災で1億円もの義援金を募って被災地に送ってくれた。

田村大使はそのお礼をしなければならない立場だ。だが、不行跡が相手国の政府にも伝わっており、いい印象は持たれていないと聞いている」

本誌はザグレブで現地取材を行ない、大使館関係者や在留邦人の証言を得ることができた。


被害を受けたのは昨春から大使館の事務職員として勤務する20代のクロアチア人女性のクララさん(仮名)。170センチ台半ばという長身で髪が長く、現地職員の中でもひときわ目を引く美人だ。


「大使は美人の若い子が好きなようで、採用する時から、クララさんに目をつけていたようだ。大使館勤務の職に応募してきた若い娘の写真を机に並べて、ニヤニヤしながら眺めて選んだと聞いている」


大使館関係者はとんでもないというように眉をひそめて証言を続けた……。


大使の「行為」が始まったのはクララさんが勤務を始めて3日目からだった。田村大使は視察に行くのに現地人の秘書ではなく、わざわざ新人の彼女を指名して同行させ、公用車のレクサスの後部座席に並んで座らせた。そして視察の途中で彼女を抱き寄せ、強引にキスをした。

セクハラ行為はその後、次第にエスカレートしていく。車内でクララさんの足を撫で回したり、抱きついて身体を触ったりするようになったという。非常に悪質なセクハラ行為である。


だが、彼女は半年間、大使のセクハラに対して泣き寝入りを続けるしかなかった。大使館の職を辞めるわけにはいかない家庭の事情を抱えていたからだ。父親が失業中であり、兄弟を含む家族の生活がかかっていたのだという。


車内には運転手もいる。大使の強引なキスを目撃し、すぐに職員の間にウワサが広がった。彼女は現地職員たちに打ち明けたという。

「こんなことが近所に知られれば、いまの家にも住めなくなる」

我慢すべきじゃないという同僚たちに、彼女はそうクビを振った。

クロアチアでは居住地域の連帯意識が強い。職を失うことが怖いだけでなく、セクハラ行為をされたことで、自分の家族の評判も落とすことになると心配したのだ。


彼女が家庭の事情でことを荒立てようとしなかったために、大使は味をしめたのかもしれない。弱みに付け込んだ卑劣な行ないというほかない。

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診察室のワルツ患者と医療者はチーム=岡本左和子

診察室のワルツ:/1 
    患者と医療者はチーム=岡本左和子 

毎日新聞 2011年6月1日 東京朝刊

突然ですが、社交ダンスを踊られたことがありますか? 

リードする男性と、パートナーの女性がいます。向かい合って立つリーダーとパートナーは見えている物が違いますし、パートナーは後ろ向きに進むことが多いので、リーダーを信頼しなければなりません。

リーダーはパートナーがついてくることを信頼して足を踏み出します。リードが相手に正確に伝わるには、リーダーの姿勢と腕の枠組みがしっかりしていること。無理に連れて行こうとすると姿勢が崩れ、相手の領域を侵して、かえってリードは伝わりません。


 また、リーダーとパートナーは役割が異なるだけで、踊るためのエネルギーは同等でないと、どちらかが引きずられてしまいます。

うまくいかない時は、「歩幅はどうか、どのようにリードが伝わっているのか」など、ダンスを止めて話し合うことも大事になります。

一つのチームとしてダンスをするには、お互いが自立して踊らなければならないのです。


 医療では、リーダーが医師や看護師の場合も、患者の場合もあります。

診断をして治療計画を立てる時は、医師がリードします。

治療への希望を述べ、生活と折り合いを付けながらその計画に取り組むには、患者のリードが必要です。

相手がリードする時は、自分も同じエネルギーで自分の役割を担い、うまくいかない時は、お互いに思っていることを伝え、一緒に検討しなおすことも大切です。


 医療の専門家として知識と情報を多く持つ医師と、患者との間では、同じ病気の話をしていても期待することやその度合いが異なることがあります。

医師が患者を思い、治療に一生懸命になるばかりに気付かないこともあり、病を持ちながら生活をする患者との思いがすれ違うこともあるのです。


 診察室に入ったら、治療というワルツを踊ってみてください。

「いえいえダンスなんて(治療なんて先生におまかせして)」などと言わず、患者の役割を思う存分踊りましょう。

そして、助けが必要な時は、遠慮なく医師や看護師などへ伝えることが患者のとても大切な役割です。
(おかもと・さわこ=医療コミュニケーション研究者) 

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2011年12月06日

野田“庶民イジメ”まざまざ!年30万円負担増

野田“庶民イジメ”まざまざ!
           年30万円負担増
2011.12.05    夕刊フジ

野田佳彦首相(54)が「大増税路線」を猛進している。

復興増税が先週決まると、即、消費税増税の時期と上げ幅を明記する政府・与党の大綱素案を年内にまとめると豪語したのだ。

このまま暴走列車が突き進めば、国民はどんな暮らしを強いられるのか。

第一生命経済研究所が、方向性が明らかな増税分について試算したところ、年収600万〜800万円のモデル世帯(夫はサラリーマン、妻は専業主婦、小学生と中学生の子ども)で、4年後には年約30万円もの負担増となるという。

 「私が先頭に立って政府・与党の議論を引っ張る。税率と実施時期をできるだけ明示していきたい」

 野田首相は1日の記者会見で力強く語った。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉参加問題で、玉虫色の表現でお茶を濁した人物とは思えない、すさまじい増税への執念だ。これも財務省の振り付けなのか。

 復興増税は2013年1月から25年間、納税額に2・1%上乗せし、個人住民税は14年6月から10年間、年1000円の上乗せが決定。消費税については「13年10月以降に7〜8%、15年に10%」というのが目安。これとは別に、12年6月からは年少扶養控除廃止に伴う住民税の増税(10年度税制改正)や、“隠れた税金”ともいわれる社会保険料で、厚生年金保険料が毎年0・354%引き上げられる。

 これをもとに、第一生命経済研究所が、年収別のモデル世帯が今年度に比べて、どれだけ負担が増えるのかを試算したのが別表だ。消費税については、14年春に8%、15年に10%になり、増税による需要減はないものとした。

 例えば、年収600万円の場合、12年度は3万9000円、13年度は6万1000円の負担増となる。消費税が増税される14年度には17万5000円、15年度には25万3000円に跳ね上がる。年収800万円だと、15年度には、何と31万7000円もの負担増だ。

 消費税だけで、年収600万円だと17万3000円、800万円だと21万9000円も、家計から現金が飛んでいく計算になる。お父さんの小遣いに響く公算は極めて大きい。

 また、年収1000万円だと、新制度となる「子ども手当」の所得制限にかかり、子ども1人につき月額1万円がもらえない。

 同研究所の鈴木将之副主任エコノミストは「復興増税を25年間にしたため、こちらは家計に打撃はそれほどない。ただ、消費税が与えるインパクトは大きい。しかも、今回の試算は、確定に近いものだけを計算したものなので、実際の負担はさらに増えることもある」と話した。

 確かに、政府はまだまだ負担増を計画中だ。

 先月末、庶民のささやかな楽しみである「たばこ」や「お酒」に対し、13年度税制改正での増税実現を目指す方針が浮上した。家庭の資産運用でも有力な選択肢となっている株式についても、譲渡と配当の税率を20%から10%になっている証券優遇税制を、13年度末で廃止する方針という。

 TPPに参加するなら、農業への補償財源としての増税。ほかに、相続税の増税や、新税として環境税を創設する案も民主党政権の大きなテーマになっている。直接の税金とは性格が異なるが、福島第1原発事故を受けて、将来的な電気代の値上げは既定路線になっている。

 一方、年金支給開始年齢を68−70歳に引き上げる案の検討を始めたり、来年度から、3〜5年かけて年金の支給水準を下げる方針を固めるなど、野田政権は、国民の手取りを減らす政策に、熱心に取り組んでいる。

 まるで増税に取りつかれたような野田首相だが、2008年1月、自らのブログ「かわら版」では、仁徳天皇の言葉を引用して「民のかまどを最優先課題とする日本古来の政治を実現する」と記している。現在、推し進めているのは正反対で、民のかまどから食材を奪っていくことではないのか。

 経済ジャーナリストの荻原博子氏は「まったく論外です」といい、怒気を込めてこう語った。

 「消費税を上げたら、小売業者が増税分の値下げを強いられてデフレが加速して経済が逼迫(ひっぱく)する。公務員や国会議員の優遇を放置したままで、庶民にだけ負担を押しつけようとしている。野田政権は財務省傀儡で、政権の体をなしていない」

 野田民主党を許していいのか
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2011年12月07日

アメリカ軍の戦争犯罪

明日は 太平洋戦争開戦の「真珠湾攻撃日」
歴史は、今の価値観ではなく 当時の価値観と事実で検証されるものです。

当時の日本の置かれた状態と アメリカの意図。
冷静に 事実を持って「戦争」を検証しても良いはずです。

長年、疑問に思っていた 日本兵の捕虜の少なさ。東條英機氏の「戦陣訓」が原因とも考える時期もありましたが、戦死者の約7割が餓死という数字の意味する裏に 「アメリカ軍の戦争犯罪」を見て 納得するものが多くありました。

posted by 小だぬき at 07:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「伝わっているか」に注意=岡本左和子

診察室のワルツ:/4 
「伝わっているか」に注意=岡本左和子
毎日新聞 2011年7月13日 東京朝刊

 「何度も説明したのに、言うことを聞いてくれない」「説明を聞いたのは覚えているけれど、こんなになるとは思っていなかった」。

診察室で、こんな経験をしたことはありませんか。きちんとコミュニケーションをしたつもりなのに、何が起きているのでしょう。


 情報の送り手が、受け手に送るメッセージは、言葉の場合もありますし、五感に訴えるような言葉以外の方法による場合もあります。

例えば、口では「怒っていない」といいながら、語気が強く目がつりあがっていれば、「この人は怒っているな」と伝わります。


 メッセージの伝達経路には、「人同士」「文章を通して」「一人と団体」「団体同士」など、さまざまな形があります。

どの場合も、情報の送り手から受け手にメッセージを送り、受け手からの反応が送り手に戻る(フィードバックする)ことで、コミュニケーションが成立します。

相手の反応を見て、「自分が伝えたいことが伝わったか」を判断し、必要に応じて、このプロセスを繰り返して、自分の伝えたい内容を理解してもらいます。

コミュニケーションは、情報の送り手と受け手の「つながり」を作るプロセスといえます。


 医療のコミュニケーションは、直接対話によることが多く、医師から診断や治療方法の説明を受けたり、患者は症状の説明をし、治療への質問や不安、期待などを伝えたりします。

患者が「5回も説明したのに」と思っても、医師から理解したと確認できるフィードバックがなければ、コミュニケーションは成立したとはいえません。それは、「一方通行」のお知らせにすぎないのです。


 そんなとき、自分が言いたいことを、ただ繰り返すのではなく、メッセージの受け手がどんな立場で話を聞いているのか、その人の理解の範囲を考えながら話をしましょう。

言い方を変えたり、例え話や画像など相手がイメージしやすいものを使う、気掛かりな事を先に伝える、患者が信頼する人に同席してもらうなどの工夫も大切です。

「言いたいこと」に焦点を当てるのではなく、相手から戻ってくるフィードバックに注意することが、上手なコミュニケーションのポイントです。
(おかもと・さわこ=医療コミュニケーション研究者)

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2011年12月08日

真珠湾攻撃日、教訓は 独立・主権の堅持

日本を巧妙に対米戦争へ
          …「幻の禁書」邦訳で日の目

2011.12.8 07:46 産経新聞(MSN)


 今月25日に全訳刊行(上巻)される「ルーズベルトの責任−日米戦争はなぜ始まったか」(藤原書店、下巻は来年1月刊行)には、ルーズベルト米大統領が、巧妙な策略によって日本を対米戦争へと追い込んでいった過程が、米側公文書などによって、浮き彫りにされている。


 著者は、米政治学会会長や歴史協会会長などを務めた第一人者、チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授(1874〜1948年)。

順次解禁された米側の外交公文書や連邦議会議事録など膨大な資料を詳細に調査・分析し、1948年4月に米国内で発刊されたものの、政府側の圧力などによって激しい不買運動が起き、事実上の禁書扱いとなってしまった「幻の名著」だ。

いわゆる「ルーズベルト陰謀説」が終戦直後に、米側公文書などによって裏づけられていた意味は大きい。


 48年当時の日本は占領下にあり、刊行するすべもなかったが、今回、同書店が5年がかりで発刊にこぎつけた。

藤原良雄社長は、「米国を代表する歴史家であるビーアドにとって、国民を欺く(ルーズベルト大統領の)行為は憲法違反という思いが強かったようだ」と話している。(喜多由浩)


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2011年12月09日

冬はセロトニン減少 うつ病のような症状にも

日照時間の短い冬はセロトニン減少 
                うつ病のような症状にも

2011.12.09 07:00  
                      ※女性セブン2011年12月22日号

なんとなくどんよりした気分になることも多い冬。
単純に気候のせいとも思われるが、実は科学的にその理由が説明できるのだという。
『ホンマでっか!?TV』でもお馴染みの脳科学者・澤口俊之氏が、冬の「絶望感」について解説する。

 * * *
 冬の気配が濃厚になり、寒さが一段と厳しくなってきました。

秋から冬にかけて、気分が落ち込み、何となくどんよりとしてくることがあります。やる気が出ない、体がだるい、絶望的な気分になる…といった経験は、誰しもあるのではないでしょうか?

 これは、季節によって脳内のセロトニン量が変動するからです。


 日本のように四季がはっきりしている地域では、日照時間が短くなる冬に、セロトニントランスポーターの働きが強くなります。

セロトニントランスポーターとは、セロトニンを「回収(トランスポート)」するための高分子構造です。


 この働きが強いと、セロトニンが通常より多く“回収”されるため、脳内のセロトニン量が減ってしまうという仕組みになっています。

脳内のセロトニン量が減ると、気分の落ち込みがひどくなり、うつ病のような症状になってしまうのです。


 ちなみに、うつ病の主な治療薬(SSRI)には、セロトニントランスポーターの働きを弱めて、セロトニンの回収を「抑制」し、脳内のセロトニン量を増やす作用があります。セロトニン量の減少を抑えることで、うつ状態に陥ることを防ぐのですね。


 また、ドーパミンなどの脳内ホルモンや性ホルモンなども季節の影響を受けます。

つまり、日本のように季節のある地域に住む人間は、季節によって体も脳も変化するということです。

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2011年12月10日

臨時国会閉幕/無責任極まるノーサイド

臨時国会閉幕/無責任極まるノーサイド
2011年12月10日土曜日       河北新報社説

 売り上げがろくにないのに、早々に店じまいするようなものである。

野田佳彦首相の「名言」を借りるなら、この「ノーサイド」はいただけない。

 臨時国会がきのう閉幕した。重要法案が山積みのまま、2閣僚が最終日に参院で問責決議を受けた。政策ならぬ「政局国会」だったことがはっきりした。

 東日本大震災からの復興や社会保障と税の一体改革など、衆知を結集しなくてはならないこの時期に国民の期待を裏切る。政治の不在、貧困に言うべき言葉が見当たらない。国会議員に猛省を促したい。

 重要法案が不成立となった影響が早くも表れた。国家公務員にきのう支給されたボーナス。管理職を除く一般行政職の平均支給額は約61万7100円と、昨冬比4.1%も増えた。

 国家公務員給与を平均7.8%削減する臨時特例法が成立しなかったためだ。給与の0.23%引き下げを求めた2011年度の人事院勧告も実施されなかった。この結果、人勧が実施されていた場合より平均で1900円高くなった。

 特例法案は公務員人件費を年2900億円減らし、13年度までに浮かせた計6千億円を復興財源に充てる予定だった。不成立で、復興に悪影響が出ないか心配だ。

 政府・民主党も自民、公明両党も最終的に7.8%カットでは一致していたが、人勧廃止と公務員に労働協約権を付与する関連法案をめぐって真っ向から対立。結果的に0.23%のカットさえ実現しない、あぶはち取らずに終わってしまった。

 議員定数削減の議論も一向に進まない中、復興財源を臨時増税で賄う財源確保関連法は成立。民にのみ痛みを押しつけ、政官があぐらをかく構図が浮き彫りになった。

 国会延長という手もあったが、軽率な発言を繰り返す一川保夫防衛相と、マルチ商法業界との関係を追及されている山岡賢次消費者行政担当相への問責決議が成立。

野党の審議拒否で重要法案が成立する見込みもなく、期日通りの閉幕を余儀なくされた。

 特例法案や郵政改革法案は来年1月に召集される通常国会に先送りされた。首相は一川、山岡両氏を続投させる構えだが、政権が受けた打撃は大きい。

 このため、通常国会前の小幅な内閣改造案も浮上している。だが、これは1年前、当時の仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相がやはり問責決議を受けたときに、菅直人首相が取った手法と同じだ。政権浮揚の妙手とはなるまい。

 首相が党内融和を重視するあまり、適格性が疑われる議員を登用したつけが噴出した形だ。首相の任命責任は免れない。

 野党にも苦言を呈したい。閣僚に不始末があったとき、問責決議を提出すること自体、否定するものではない。ただ、法的拘束力がないのに、審議拒否までするのは理解できない。

 対決モードで盛り上がっているのは国会議員だけである。「強すぎる参院」の在り方とともに、見直す時期にきている。
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2011年12月11日

時代の風:「絆」連呼に違和感=精神科医・斎藤環

時代の風:「絆」連呼に違和感=精神科医・斎藤環

毎日新聞 2011年12月11日 東京朝刊

◇自由な個人の連帯こそ


 3月の震災以降、しきりに連呼されるようになった言葉に「絆」がある。「3・11」「帰宅難民」「風評被害」「こだまでしょうか」といった震災関連の言葉とともに、今年の流行語大賞にも入賞を果たした。


 確かに私たちは被災経験を通じて、絆の大切さを改めて思い知らされたはずだった。昨年は流行語大賞に「無縁社会」がノミネートされたことを考え合わせるなら、震災が人々のつながりを取り戻すきっかけになった、と希望的に考えてみたくもなる。


 しかし、疑問もないわけではない。広辞苑によれば「絆」には「(1)馬・犬・鷹(たか)など、動物をつなぎとめる綱(2)断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛(けいばく)」という二つの意味がある。


 語源として(1)があり、そこから(2)の意味が派生したというのが通説のようだ。だから「絆」のもう一つの読みである「ほだし」になると、はっきり「人の身体の自由を束縛するもの」(基本古語辞典、大修館)という意味になる。

 訓詁学(くんこがく)的な話がしたいわけではない。しかし被災後に流行する言葉として、「縁」や「連帯」ではなく「絆」が無意識に選ばれたことには、なにかしら象徴的な意味があるように思われるのだ。


 おそらく「絆」には、二つのとらえ方がある。家族や友人を失い、家を失い、あるいはお墓や慣れ親しんだ風景を失って、それでもなお去りがたい思いによって人を故郷につなぎとめるもの。個人がそうした「いとおしい束縛」に対して抱く感情を「絆」と呼ぶのなら、これほど大切な言葉もない。


 しかし「ピンチはチャンス」とばかりに大声で連呼される「絆を深めよう」については、少なからず違和感を覚えてしまう。

絆はがんばって強めたり深めたりできるものではない。それは「気がついたら結ばれ深まっていた」という形で、常に後から気付かれるものではなかったか。


 つながりとしての絆は優しく温かい。利害や対立を越えて、絆は人々をひとつに包み込むだろう。

しかし、しがらみとしての絆はどうか。それはしばしばわずらわしく、うっとうしい「空気」のように個人を束縛し支配する。たとえばひきこもりや家庭内暴力は、そうした絆の副産物だ。


 もちろん危機に際して第一に頼りになるものは絆である。その点に異論はない。しかし人々の気分が絆に向かいすぎることの問題もあるのではないか。


 絆は基本的にプライベートな「人」や「場所」などとの関係性を意味しており、パブリックな関係をそう呼ぶことは少ない。つまり絆に注目しすぎると、「世間」は見えても「社会」は見えにくくなる、という認知バイアスが生じやすくなるのだ。これを仮に「絆バイアス」と名付けよう。


 絆バイアスのもとで、人々はいっそう自助努力に励むだろう。

たとえ社会やシステムに不満があっても、「社会とはそういうものだ」という諦観が、絆をいっそう深めてくれる。そう、私には絆という言葉が、どうしようもない社会を前提とした自衛ネットワークにしか思えないのだ。


 それは現場で黙々と復興にいそしむ人々を強力に支えるだろう。しかし社会やシステムに対して異議申し立てをしようという声は、絆の中で抑え込まれてしまう。対抗運動のための連帯は、そこからは生まれようがない。


 なかでも最大の問題は「弱者保護」である。絆という言葉にもっとも危惧を感じるとすれば、本来は政府の仕事である弱者救済までもが「家族の絆」にゆだねられてしまいかねない点だ。


 かつて精神障害者は私宅監置にゆだねられ、高齢者の介護が全面的に家族に任された。いま高年齢化する「ひきこもり」もまた、高齢化した両親との絆に依存せざるを得ない状況がある。そして被災した人々もまた。


 さらに問題の射程を広げてみよう。

 カナダ人ジャーナリスト、ナオミ・クラインが提唱する「ショック・ドクトリン」という言葉がある。
災害便乗資本主義、などと訳されるが、要するに大惨事につけ込んでなされる過激な市場原理主義改革のことだ。

日本では阪神淡路大震災以降になされた橋本(龍太郎)構造改革がこれにあたるとされ、さきごろ大阪市長選で当選した橋下徹氏の政策も、そのように呼ばれることがある。


 人々が絆によって結ばれる状況は、この種の改革とたいへん相性が良い。

政府が公的サービスを民営化にゆだね、あらゆる領域で自由競争を強化し、弱者保護を顧みようとしない時、人々は絆によっておとなしく助け合い、絆バイアスのもとで問題は透明化され、対抗運動は吸収される。


 もはやこれ以上の絆の連呼はいらない。

批評家の東浩紀氏が言うように、本当は絆など、とうにばらばらになってしまっていたという現実を受け入れるべきなのだ。

その上で私は、束縛としての絆から解放された、自由な個人の「連帯」のほうに、未来を賭けてみたいと考えている。=毎週日曜日に掲載

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2011年12月12日

野田増税の新聞広告、国民“目線”なし!

野田増税の新聞広告、国民“目線”なし!
元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一
2011.12.09  夕刊フジ

4日の全国紙に政府の全面広告が掲載された。「すべての国民の皆さまへ」と題し、野田佳彦首相がインタビューに答える形で社会保障の財源として消費税増税の重要性を訴えている。

 広告料を新聞に払うので、増税に好意的な新聞に対する「お礼」の意味かと邪推してしまうが、それはともかく、テレビなどの生放送では、都合の悪い質問に対する返答が窮したりするというハプニングもあるが、新聞では事前に原稿チェックができ、都合の悪い部分はカットできるため、問題が起こりにくい。

 今回の広告をみると、野田首相が「持続可能な社会保障制度のために安定した財源を確保することが必要です。

増税を《したくてする》のではなく、これはどなたが政権を担当しても、政治家として覚悟を決めて《せざるを得ない》決断だと思います」と述べている。

 これに対して、「聞き手」は、何も異論を挟まず、次へ移っていく。まさしく野田首相の意見の「聞き手」であって、国民からの疑問をぶつけるのではない。

 持続可能な社会保障制度のために安定した財源を確保するのはその通りとしても、それがただちに「増税」になるわけでない。

デフレから脱却して名目成長率を高めれば、今より税収が増える。「増税」というのは税率を上げることであるが、それが必ずしも「税収増」につながるわけではないが、名目成長率のアップは必ず「税収増」になる。

 そのほか、税率を上げる前に、税(保険料を含む)の不公平を直しておくべきというのがセオリーだ。税の不公平は穴の空いたバケツのようなもので、それでいくら水をすくっても効率が悪い。

しかも税の不公平の是正は、税率を上げるときの国民の納得感にも大きく影響する。

 今の不公平のうち大きいのは、社会保険料の徴収漏れだ。国税庁が把握している法人数と年金機構(旧社保庁)が把握している法人数は80万件も違う。

これは労働者から天引きされた社会保険料が年金機構に渡っていない可能性があるということで、その額は10兆円程度と推計される。

 そのほかにも「クロヨン」といわれる所得税捕捉の問題や、納品書への税額記載を義務付ける「インボイス方式」を採用していない消費税の徴収漏れの問題もある。

 民主党が政権交代前に公約していた歳入庁(国税庁と年金機構の統合)や、消費税へのインボイス導入という先進国では当たり前のことをやれば、こうした不公平はかなり解消でき、税・保険料も20兆円近く増収になる。となると、消費税増税は要らなくなってしまう。

 歳入庁をやろうとすると官僚の激しい抵抗があるが、増税をしようとするのは、こうした官僚の既得権にメスを入れられずに、国民にしわ寄せする政治家なのだ。
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除染はもとより「除洗」も不要だ

除染はもとより「除洗」も不要だ
        11/12/08   ◆日刊ゲンダイ


メルトダウンを超えてメルトスルーに陥った東京電力福島第1原子力発電所の周囲は、「放射能に占領された領土」と冷徹に捉えるべき。

その放射能は、「人間の五官が察知し得ぬ無色・無臭・透明」で、極めて厄介な存在なのです。

とするなら、原発から少なくとも30km圏内は居住禁止区域に設定し、愛着を抱く郷里から離れる当該住民には、国家が新たな住居と職業を提供すべき。

それが、「国民の生命と財産を護(まも)る」政治の責務です。

にも拘(かかわ)らず、「今の所は大丈夫」会見を続けた枝野幸男氏にも、「今は既に大丈夫」発言を続ける細野豪志氏にも、身を挺して有言実行する哲学や覚悟は窺えません。

チェルノブイリ原発周辺の住民に、更には生まれ来る生命に勃発した身体の異変・異常が、「フクシマ」に限っては起こり得ない、と断言出来る訳もないのに。

放射能に汚染された土壌を30年間保管する中間処分場を福島県内の国有林等に設置するが、その後の最終処分場は県外に、と「約束」する細野氏も30年後は70歳。大半の政治家は引退しているのです。無責任な問題先送りです。

国有林内の「保管物」が雨水に混じって河川に流れ出たら、イタイイタイ病どころの話ではありません。

映画「100,000年後の安全」に登場したフィンランドのオンカロ以外に現在建設中の放射性廃棄物最終処分場は地球に存在しない事を鑑(かんが)みれば、住民が移住後の「フクシマ」を最終処分場とし、この瞬間も世界中で排出される廃棄物を受け入れたなら、これぞ最大最強の安全保障政策の確立です。

「除洗」も、再考すべきです。語弊を恐れず申し上げれば、桜島の噴火が終息していないのに鹿児島市内で愛車を水洗いしている“滑稽さ”と同一です。

人海戦術で駆り出された住民が内部被曝を起こさぬ保証は何処にも無いのです。トンネルじん肺やアスベストの悲劇から何も学ばぬとは。

更には、除染の際の水は如何に処理しているのか、杳(よう)として語られません。ここでも、水俣病どころの話では無いのです。

が、渡部恒三氏の秘書から参議院議員を経て福島県知事に転身した佐藤雄平氏は、人口が減少すると交付税も減少するので疎開や移転には反対、と高言する始末。

笑い話では済まされない日本の政治の機能不全です。

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2011年12月13日

震災後 日本人の新たな価値基準は『SQ』“関わりの価値基準”

震災後 日本人の新たな価値基準は
     『SQ』“関わりの価値基準”

2011.12.06 16:00  

          ※女性セブン2011年12月15日号

「東日本大震災後、他者とつながり支え合う大切さ、地域社会や身近な環境への意識が、人々の新たな価値基準として根付き始めている」と分析するのは、『SQ』の著者で関西学院大学社会学部准教授・鈴木謙介さん。

そんな価値判断の基準が『SQ』。「SQが高い」がこれからのキーワードになりそうだ。


■いまの私たちに必要なライフスキル

 今秋発売の一冊の本が話題だ。

『SQ〜かかわりの知能指数』(ディスカバー・トゥエンティワン刊/1575円)。帯には「なぜ若者たちはお金より人に役立つ仕事を望むのか?」の問いかけと「新しい幸せのかたち」の文字が躍る。

「利己的な現代社会にあって、タイガーマスク現象やエコロジーなど、世のため人のために行動する人は多い。そんな意欲を整理し、自分に合った社会貢献のあり方を考えてもらうのが目的です」(鈴木さん)。


■地域との密接度が高いとシアワセ


「『SQ』とは、『IQ』(知能指数)や『EQ』(感情指数)に次ぐ社会性指数のことで、特に『身近な人を手助けする力』を数値化し、地域社会とのかかわり度に注目しているのが特徴です。

1万人調査でわかったように、震災後、生活者は『地域社会とのかかわり』を重視する傾向にあり、経済成長や雇用創出、グローバル化よりも『思いやる心が大事』と多くの人が回答しています。


 つまり、いまの日本人に必要な『SQ』は、グローバル志向でも身内志向でもなく“ローカル”志向。

遠い未来や全地球的な社会貢献もいいけれど、自分のできる範囲で無理なく地域社会と協力することが、実は自らの生活満足度につながっている点がポイントです。新たな日本人の『幸福論』ともいえそうです」(鈴木さん)


 女性においても例えば、子供の社会性やエコ意識を育成する“キッズ合宿”や“エコトイ”にも注目が集まっている。また、社会との絆やかかわりを求める、といったことから“ママ名刺”や“マンションサークル”の人気が高まるなど、“高SQ女性”が急増しているようだ。


 なお『SQ』のサイトでは12問の設問に回答すると、自分の「SQスコア」と「SQタイプ」がわかる診断テストが用意されている。気軽にできるので、試してみるのもおもしろい。


 ここでは社会貢献(環境配慮)を表現する代表的なアイテムであるクルマと共に、SQ別ライフスタイルを紹介。6タイプに分けられたカテゴリに、当てはまるものはあるだろうか?


【解剖 SQタイプ別ライフスタイル】


■ガチの正義の味方
地域から国際貢献まで。まさにSQ人間の鏡!

地球環境を考えてエコ商品を買い、身近なボランティアにも参加。他人のために費やす時間を惜しまず、役に立ったときに幸せを感じる。
地元から遠い世界まで見ているあなたには、近距離は電気、遠距離はガソリンで走ることができる、電気自動車とハイブリッドカーにいいとこどりした「プリウスPHV」などのプラグインハイブリッドカーがオススメ。


■5年連続町内会長
世界は把握できないが地元のことならお任せ!

自分の町を愛する行動派リーダー。買い物は商店街、誰かの役に立つのが幸せで、町内会の祭やイベントはこの人がいなけりゃ始まらない!
行動範囲は狭く深くがモットーなので、近距離移動に最適な電気自動車がぴったり。充電した電気を動力源としてモーターで走行するため、ガソリンを使わずCO2排出もゼロ。


■ちょいエコセレブ
周囲の問題には興味なし。エコや平和は世界規模派

自然保護活動で社会貢献することに幸せを感じつつ、自分が欲しいものを手に入れ、物欲が満たされたときもやっぱり幸せを感じる。
つねによりよい未来を願っているあなたは、クルマは究極のエコカー「FCV」(燃料電池車)がオススメだ。水素を利用し電気エネルギーに変換して走行するため、走行時のCO2排出はゼロ。


■中肉中背ジャパニーズ
可もなく不可もなく。どこにでもいる普通人

高いリーダーシップやコミュニケーション能力に憧れる働き者。社会に広く目を向けたいけれど、毎日忙しくてそんなヒマや余裕はなし…。
社会の役に立ちたいけど、なかなか実行に移せないあなたは「せめてクルマはエコカーを」と考える。ハイブリッドカーの代表「プリウス」がピッタリ?


■半径5メートル星人
大事なのは家族と友人。それ以外は「よその人」

コスメやエステなど、自分磨きの投資は惜しまないタイプ。目の前にいる職場の同僚とのつき合いよりも、友人とのスマホでのつき合いを重視。
自分のこと以外ではコストパフォーマンス重視のあなたには、コンパクトで低燃費(40km/l)な最新ハイブリッド車「アクア」がオススメ。


■ロンリー自己チュー
自分にしか関心なし?でもきっかけがあれば…

自分の専門分野や関心事、趣味はとことん追求して没頭。自分勝手と見られがちだが、社会貢献のための手段が見えれば、豹変の可能性も。
「メカとしてのクルマ」に興味がなければ、クルマには関心ゼロ。ペーパードライバーか、あるいは免許すらもっていないかも…。

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“影の首相”おぞましい増税“裏工作”…広告会社にも強烈圧力

“影の首相”おぞましい増税“裏工作”…
                      広告会社にも強烈圧力
2011.12.13    夕刊 フジ

 ★鈴木哲夫の核心リポート

 野田佳彦首相の「大増税路線」に暗雲が立ち込めている。

問責可決された一川保夫防衛相や山岡賢次国家公安委員長を続投させたことで、内閣不支持率が支持率を逆転、与野党協力が進みそうにないのだ。

「増税反対」の世論が高まるなか、焦燥感を強める財務省は必死の裏工作を展開。

一方、財務省の言いなりに動く野田首相は、党をまとめる仙谷由人政調会長代行と絶縁、「仙谷外し」に動き始めているとの見方も。増税政権の深部に政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏が迫る。

 11月半ば過ぎ、複数の大手広告代理店に、財務省の勝栄二郎事務次官からFAXが届いた。代理店社員がいう。

 「税と社会保障の一体改革が大詰めを迎えている。PRしたくよろしく、という趣旨でした」

 一見、何の変哲もない文章だが、強烈なプレッシャーだという。

 「広告代理店にとって、政府広報は大きな収入源であり、政府は最重要クライアントの1つ。

その元締めである財務省トップからのFAXは『何をしている。消費税増税キャンペーンで知恵を絞れ』という暗黙の圧力です」(代理店幹部)

 財務省が、消費税増税のために打つ布石は徹底している。財務省や内閣府の官僚らが2人1組で、新聞やテレビに登場する有識者らにレクチャー行脚している。

 あるシンクタンク研究員は「2人で『なぜ増税が必要か』を丁寧に説明していった。『私なんか露出は少ないですよ』と言うと、『いやいや、発信力がおありですから』と持ち上げる。あそこまで低姿勢でやられると、その気になる」と話す。

 いまや「影の総理」の異名もとる勝次官の指揮のもと、官による裏工作が展開されているが、政治は何をしているのか。

 野田首相はいま、増税路線を主導する勝次官と藤井裕久党税調会長に「完全に傾倒し、言いなり」(官邸スタッフ)だという。ただ、こうした依存姿勢が、野田首相と仙谷氏との間に、深い溝をつくっている。

 「仙谷氏は、官邸が連絡をしてこないことに業を煮やしている。党内には小沢一郎元代表ら『増税反対』派は多い。12月政局もあり得るほど緊迫している。党の政策をまとめる立場だけに、官邸の鈍さが腹立たしい」(仙谷氏に近い議員)

 仙谷氏は以前から「税と社会保障の一体改革」に並々ならぬ意欲を持っていた。政調会長代行ポストも「前原(誠司政調会長)にはできない。俺がやる」と直訴したほどだが、野田首相は増税のみに主眼を置き、仙谷氏とコミュニケーションを図ろうとはしない。

 「仙谷氏は『野田首相の考えが分からん』とこぼしている。現状では、党内の意見集約は混乱する」(同議員)

 一方で、野田首相が「仙谷外し」を仕掛けているとの見方もある。

 野田グループの議員は「8月の党代表選前、仙谷氏は『前原氏は1回休み。次は野田首相だ』と出馬を促しながら、土壇場で前原氏の出馬を止めなかった。野田首相を先行させて潰すつもりだった。仙谷氏は信用できない」と語る。

 こうした周辺議員の注進に野田首相は笑っているが、「仙谷氏への警戒心はあるはず」(前出の官邸スタッフ)という。

 消費税論議は大いにやればいい。少子高齢化とこれに反比例する社会保障費増は深刻で、安定財源の確保は必要だ。国民も理解しているが、いまや「増税反対」が過半数となった。なぜか?

 民主党中堅議員は「議員削減に手を付けず、公務員宿舎削減も中途半端。国民の『先にやることがある!』という怒りだ」といい、続ける。

 「財務省幹部が先日、酒も入った懇親会で『消費税をやるには内閣の2つや3つ吹き飛んでもしようがない』と語っていた。

乱暴なことをいうなと思ったが、内閣への悪影響を無視した強引な裏工作も行われている」

 報道各社の世論調査で、野田内閣の支持率は30%以下の「危険水域」に接近、不支持率が50%を超えた調査もあった。財務省シナリオに乗って国民不在の政治を続ければ、内閣どころか、民主党政権も自壊する。

 ■すずき・てつお 1958年、福岡県生まれ。早大卒。テレビ西日本報道部、フジテレビ政治部、東京MXテレビ編集長などを経て、現在、日本BS放送報道局長。著書に「政党が操る選挙報道」(集英社新書)、「汚れ役」(講談社)など多数。

山口教授のホントの経済2011.6.25(土)
司 会   野村 真季(テレビ朝日アナウンサー)
総合解説 山口 義行(立教大学経済学部教授)
アシスタント 柳田のぞみ(スモールサン
           [中小企業サポートネットワーク])
ゲスト   斎藤 貴男(ジャーナリスト)     
            青木 宗明(神奈川大学教授)






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2011年12月14日

明確な目標を持たなければ時間は無為

きょうの名言】
明確な目標を持たなければ時間は無為


 2011年12月14日(水)6時50分配信 ゆかしメディア

人間に平等なものとは時間のみ。その同じ時間で、何を生みだし何を残そうとするのか。

その目的がなければ時間は無為に流れる。

 @changelife888さんがツイートする。

 「人生の中で”明確な目標(ビジョン)”を持って生きている人と持っていない人では時間の使い方がまったく違ってくる!!

豊かに生きたければ目標(ビジョン)を持てば良い!! 」

 ツイート主は以前にも一度、当欄で紹介。95年の阪神淡路大震災で被災しほとんど無一文に。

それから一念発起して起業。この15年で約9億円を稼いだという。

 睡眠時間を差し引いた起きている時間はどれだけあるのか。その時間でできることは何か。

故スティーブ・ジョブズ氏も、人生に無駄な時間はいっさいないことを述べているが、若い頃から時間の意識を持つか持たないかで、人生は変わる。

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それは確かに事実かもしれないけれど・・

それは確かに事実かもしれないけど…
――「事実=認識」の錯誤 ]

嶋田 毅 [グロービス 出版局長兼編集長、GLOBIS.JP編集顧問]
2011年12月2日  ダイヤモンドオンライン

陥りがちな思考の罠に迫る「カイゼン!思考力」。今回は、「『事実=認識』の錯誤」を取り上げる。


――問題です


 以下のAさんの問題は何か。


 Aさんはある企業の管理職。部下のBさんとちょっとしたことで口論になった。


A「Bさん、この件についてはこの前メールで伝えたはずだけど、どうして出来ていないの? メールだけじゃなくて口頭でも1回言ったはずよ」


B「そう言われましても…。そんなメールを読んだ記憶も、お話をうかがった記憶もありませんけど」


A「いえ、ちゃんと伝えたわ。さすがにボイスレコーダーでは録っていないけど、出したメールは探せば見つかるはずだから、ちょっと待ってて。今探すわ」


B「記憶にないですけどねえ」


A「ほらあった。私のPCを見て。先週の月曜に○○チームのメンバーに出したメールの最後の方に、Bさんをちゃんと指名して、今回の件よろしく処理しておいて、と書いてあるわ」


B「えー。そんな長いメールの後ろに書かれても見落としちゃいますよ」


A「だから口頭でも繰り返して伝えたんじゃない」


B「ですから、それは記憶にないんです。本当に。先週は忙しくてドタバタしていたから注意が散漫になっていた可能性はありますけど…。その時、私は『わかりました』とかって返事しましたか?」


A「そこまでは記憶にないけど、私が伝えたのは確かだってことは自信を持って言えるわ。メールだって、実際にあったじゃない。伝えたという事実は動かないわ。あなたも新人というわけではないんだから、もっと注意してね」


B「…」


――解答です


 今回の落とし穴は、「『事実=認識』の錯誤」です。

これは、特にコミュニケーションシーンにおいて、伝え手が、伝えた内容や伝えた行為など、伝え手にとっては明確に「事実」であることが、そのまま受け手に「認識」さらには「理解」されているはずと考えてしまいがちであるという錯覚を指します。


「伝えたことは事実なんだから、当然相手はそれを認識しているはず」――もっともな考え方のような気もしますが、残念ながら人間の脳はそんなに精緻にはできていません。

仮に物理的に「声」は聞いていたとしても、その内容を正しく認識しているとは限らないのです。


 よくあるのは、(1)聞くには聞いたが忘れてしまった(記憶に残らなかった)、(2)誤って認識してしまった、というケースです。


 (1)は、人間の記憶のキャパシティには限界があり、印象に残らないものはすぐに忘れ去られる、という人間の本質的な能力の問題が原因となって起こりがちです。


 (2)の誤って認識されたというパターンは、様々な理由から生じます。

持っている知識や理解力によっても当然差が出ますし、仮に理解力が十分にあったとしても、受け手が置かれたコンテキスト(背景、文脈)や、暗黙の前提の差によって、伝え手の意図しない解釈がされてしまう可能性があります。


 たとえば、C君は月末の納期のことで頭がいっぱいだったとします。

そうした状況の時に、同僚のD君が、C君の年齢について聞く意図で、「まだ29だったよね?」と聞いたとします。その日がたまたま29日だったとすると、どういうことが起こるでしょう?


 おそらく、納期に関連して日時のことに意識が向いているC君は、「今日は何日?」の質問と捉え、「ああ、そうだよ」と答える可能性が高そうです。

ひょっとすると後で、「この前29歳だって言ってたじゃないか」、「そんなことは言ってないよ。実際、自分は31歳だし」、「いや、確かに言ったよ」などという噛み合わない会話が交わされるかもしれません(この程度であれば大きな実害はないでしょうが)。

 

 冒頭のケースに戻ると、Aさんは、自分が伝えたという明確な事実をもって、Bさんがそれを認識していないのはけしからないことである、と考えています。

しかし、ここまで見てきたように、伝え手が伝えたという行為をしたからといって、受け手が正しく認識しているとは限りません。


 まずメールについて言えば、そもそも見落とされる可能性が高い伝え方をしたこと自体がすでに“アウト”です。

もし重要な案件であるなら、読み手が見落とさない工夫をするのが書き手の義務でもあり礼儀であると言えるでしょう。


 口頭での確認についてはさまざまな可能性がありますが、Bさんが置かれた文脈で錯覚をした可能性も考えられます。

たとえば、たまたまAさんが別件でBさんに何かメールで指示を出していたとしたら、「この前メールした件、しっかりやっておいてね」という言葉が誤って認識されてしまったのかもしれないのです。


 ちなみに、事実であっても人々に認知されないという問題は、個人間のコミュニケーションだけではなく、マーケティングにおけるコミュニケーション戦略実行のシーンでも起こります。

たとえば、あるビール会社が、製法や物流の工夫で、非常に新鮮な生ビールを作ったとします。

ブラインドテスト(ブランド名を隠して飲み比べ、その印象を調査するテスト)の結果でも、そのビールが「新鮮さではナンバー1」との結果が出たとします。


 それを踏まえた上で、「新製品の○○は新鮮度ナンバー1。テストでも実証済み」と広告を流したとして、それは消費者に伝わるでしょうか? 

そのメーカーとしては、テストの客観的結果として新鮮度ナンバー1というファクトがあるのだから、それは正しく認識されるだろうと考えてしまいがちです。


 しかし、消費者の認識はそう簡単に変わるものではありません。

ブラインドテストの結果がどうであろうと、多くの人は「新鮮さと言えばやはり『スーパードライ』だろう」と考えてしまいます。

ここでの鍵は、「『スーパードライ』は新鮮さを売りにしてビール市場で圧倒的なブランドシェアを残している」、「新製品の広告なんて多少大げさに言うものだ」という消費者の暗黙の前提です。

たとえ事実を伝えたとしても、こうした前提も込みで人々の認識を覆すのは非常に難しいのです。


 しばしば、「コミュニケーションの効率は受け手が決める」、「100回言ってようやく人はそれを認識する」などと言われます。

コミュニケーションにおいては、「伝えた≠正しく認識された」でないことには留意したいものです。

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2011年12月15日

特定看護師案の危うさ直視を

これが言いたい:
医師不足理由に看護の専門性を軽んじるな
           =日本赤十字看護大学名誉教授・川嶋みどり

毎日新聞 2011年12月15日 東京朝刊

 ◇特定看護師案の危うさ直視を

 「診療できる看護師」という特定看護師(仮称)の新資格を設ける案がいよいよ法制化に向かう段階のようだ。一種の危機感を覚えるのは私だけではあるまい。


 「チーム医療」の推進を目的としてスタートし、医師不足緩和策の狙いが組み込まれたこの議論には看護という領域の専門性を揺るがしかねない危うさがある。これからの医療のあり方を考える上でも再考を求めたい。


 現在、看護師の医療行為は法律上あくまで「補助」にとどまる。これに対し特定看護師案は「医行為」すなわち、医師法第17条に規定する「医業」−−医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼし、または危害を及ぼす恐れのある行為−−の一部を、看護師に負わせようとするものだ。


 もともと、この案はチーム医療を充実させるとのふれこみで議論がスタートした。しかし、そもそもチーム医療とは医療従事者が共通目的に向かい、それぞれの専門性を発揮し連携する医療のあり方をいう。

特定看護師案はそれとは反対の、他職種への侵犯行為である。


 特定看護師制度を肯定する意見はその理由として過労で疲弊した医師の負担軽減や、介護など今後の急激な社会の高齢化への対応を挙げることが多い。

だが、看護師不足を放置したままで看護師を看護の専門性から遠のかせ、新体制を作ろうというのは本末転倒だ。


 医業は古くから“医術を用いて病気を治すこと”とされてきた。

これに対し看護は19世紀のナイチンゲール以来、人間にそなわる「自然の回復過程を整える」ことに価値をおき、その人固有の自然治癒力を引き出し高めるケアをその本分としている。


 看護学はいまだ若い学問ではあるが、独自の理念と方法論を基盤にした看護実践の方法も種々編み出している。

医薬品や機械を用いず、痛みや恐怖や心配などを起こさせない方法など症状緩和や治癒に向かうプロセスは、看護独自のものだ。他の医療行為に見られない優位性がある。


 現在日本では、看護系大学・学部が200を超え、38の看護系学会が毎年学術集会を開催し、看護学研究の成果を発表している。

そうした看護の教育・研究的背景も独自の役割も認めず「医師が指示さえすれば少々危険な行為をやらせてもよい」というような発想を感じてしまう。旧態依然たる医師・看護師関係にとらわれ、その延長線上にあるとさえいえよう。

     *
 今後の日本医療のあり方の方向性に逆行しかねないとの懸念もつきまとう。


 近代医療は高度医療に名を借りた効率優先の道をひた走り、まるでオートマチックな人体修復工場と化し、医療従事者も機械に巻き込まれて疲弊し、患者の人間疎外も進めてきた。

そうした中で、今回の東日本大震災は医療行為と看護が車の両輪となる大切さ、機械以上に人的な活動の大切さを痛感させた。


 キュア(治療)からケア、医学モデルから生活モデルへのギアチェンジこそ「医療復興」の課題であるとともに、これからの医療のあり方ではないか。

だとすれば、医療と看護それぞれの専門性をわきまえずに効率だけを求めて垣根を取り払うような方向性には首をかしげてしまう。


 看護師が本来持つ力を十二分に発揮させることが大切なのだ。その機動力を生かして医療モデルの転換を図ることこそ、政府が追求すべき道である。

==============

 ■人物略歴
 ◇かわしま・みどり

 看護師、日本赤十字看護大学教授などを歴任。
 健和会臨床看護学研究所長。





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次期戦闘機選び 議論は尽くされたのか

次期戦闘機選び 議論は尽くされたのか

'11/12/15    中国新聞 社説

 政府は航空自衛隊の次期主力戦闘機(FX)に、米国主導で国際共同開発中のF35を選定する方針を固めた。

来年度予算案に4機分の取得費を計上し、最終的には約40機を調達するという。


 F35はレーダーに探知されにくいステルス機能が優れた次世代戦闘機である。「専守防衛」を基本とする日本の防衛に、これほどの性能が必要だろうか。


 ステルス機は相手国の領空に入り込む能力が高く、ミサイル攻撃や空中での戦闘を優位に進めることができるとされる。


 ところが自衛隊法では、領空侵犯してきた外国機は領空外に退去させるか、着陸させるよう求めている。攻撃については明確な記述はない。
ステルスが自衛隊にそぐう装備なのかどうか、法制面も含め議論が深まったとは思えない。


 日本としては、米国防総省が強く推奨するF35の導入により、安全保障面での対米重視を明確に打ち出すことはできるだろう。


 とはいえ、遅れている米軍普天間飛行場の移設問題にも配慮した上での選定ならば、筋違いというほかない。


 中国とロシアもそれぞれステルス機を独自に開発しているとされ、「有事」を想定した選択という面はあるのだろう。


 だが韓国では、日本がF35を選ぶことで東アジア一帯での「ステルス競争」が加速するのではないかとの見方が出始めている。

日本の安易な導入は隣国を刺激し、緊張をあおりかねない。


 しかも日本は今、中国やロシアとの関係が決して良好とはいえない。

信頼醸成よりも軍備競争が先行する事態は、かえって地域の平和や安定にマイナスとなる。


 F35は最新鋭とあって、同じ機種同士やレーダーとのネットワーク機能にも優れるとされる。米軍側は、自衛隊に配備されることで運用面での連携が高まる相乗効果を期待しているという。


 陸上、海上自衛隊はこれまでも米軍主導の作戦への派遣要請に応じてきた。これに戦闘機も加わる可能性が高まりそうだ。


 FXの機種選定では、米国製のFA18や欧州製のユーロファイターも候補だった。


 だが防衛省の審査は当初から、F35に肩入れしていた印象が拭えない。開発途中だとして実機による飛行審査も省略されたようだ。


 価格が高騰する恐れもある。F35を米軍が取得すれば1機約6500万ドル(約50億円)というが、共同開発に参加していない日本向けは、はるかに高額となる。


 東日本大震災で財政面でも危機的状況にある中、防衛費だけが聖域とはなるまい。ほかの2機種の方が割安とされるが、具体的な導入費用やその後の維持管理コストも含め、機種選定の詳細な過程はまだ公表されていない。


 何よりF35の導入が日本にどんな安全をもたらすのか、国民への説明は省略されたままである。

東アジアで無用の緊張が高まらぬよう、時間をかけ議論すべきだ。

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2011年12月16日

野田“狡猾”国民イジメ…“65歳まで雇用”のまやかし

野田“狡猾”国民イジメ…“65歳まで雇用”のまやかし

2011.12.15    夕刊フジ

 野田民主党政権の国民目線が問われている。

厚生労働省は「希望者全員を65歳まで雇用することを企業に義務付ける」法改正を検討しているが、これは年金の支給開始年齢の引き上げとセットなのだ。

同省は先日、サラリーマンが加入する厚生年金の支給開始を現在の60歳から68〜70歳まで引き上げる案を示し、批判を受けて先送りしたばかり。目先を変えて、さらなる国民負担を押し付けるのではないのか。

 「サラリーマンには助かるでしょうが、こういう義務化は、お上(=政府)が決めることなのか。日本は資本主義でしょ? 共産主義みたい」

 こう語るのは経済評論家の荻原博子氏。

 65歳雇用義務化案は、厚労省が14日、労働政策審議会(厚労相の諮問機関)の部会で、報告書原案として提示した。

政府は来年の通常国会に、高年齢者雇用安定法改正案を提出。

2013年度からの実施に向け、早期成立を目指すという。再来年4月に迫った年金の65歳支給開始に伴い、60歳の定年以降に無収入となる労働者が出ることを防ぐのが狙いだ。

 現行法も、60歳の定年に達した従業員について、原則65歳まで雇用を継続するよう企業に義務付けている。

ただ、労使合意があれば、働く意思や能力などの基準を設け、企業が継続雇用する人を選別することを認めており、今年6月時点で、希望通りに65歳まで働ける企業は全体の47・9%。大企業では23・8%に過ぎない。

 65歳雇用義務化はサラリーマンには好ましいが、問題も多々ある。

 経団連の米倉弘昌会長は14日、「人間は高齢になれば健康に個人差が出てくる。

一律に義務化するのではなく、会社側と話をしながら働く場をつくっていくことが大事だ」と異議を唱えた。新卒者採用にも影響を与えるという見方も強い。

 加えて、「年金支給開始が65歳で済むのか」という疑問もある。

厚労省は10月、厚生年金の支給開始を68〜70歳まで引き上げる案を一度打ち出しているのだ。

 前出の荻原氏は「さらに年金支給年齢を引き上げる布石として、厚労官僚らが『とりあえず、65歳雇用義務化を』と出してきたのでしょう。

上から目線のご都合主義です。野田内閣が官僚主導内閣だから、こうなる。国民の不信感は増すばかりです」と語る。

 民主党は「国民に負担を押しつけない形で年金改革をする」と公約して政権交代を果たしたが、それは守られるのか。

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2011年12月17日

仕事人間である前に

香山リカのココロの万華鏡:
仕事人間である前/東京

毎日新聞 2011年12月13日 地方版


母親の容体急変を受け、試合出場のため訪れていたバンクーバーから帰国した浅田真央選手。

残念ながら母親は亡くなってしまった。


 ニュース番組を見ていたら、浅田選手の欠場が決まった直後、ほかの国の選手やスタッフも口ぐちに「とても悲しい」「またいっしょに競い合いたい」などと語る様子が映された。

その中で印象に残ったのは、ある女性が「欠場は残念だけど、スポーツより大切なこともあるのよ」と話す映像だった。
その女性が誰だかメモし忘れたのだが、どこかの国のマスコミ関係者だったと思う。


 「スポーツ」を「仕事」や「勉強」にかえてもいいだろう。

私たちはみな“公の顔”や「やらなければならないこと」を持っているが、ときとして「それより大切な人生のできごと」が突然、やって来ることがある。

家族の病気、妻の出産、大切な友だちのピンチなどだ。それらは「個人的事情」と言われるものだが、「たとえまわりに迷惑をかけることになっても、そっちを優先したほうがいい場合もある」とその女性は言いたかったのだろう。私もそう思う。


 ところが、とくに私たちが暮らす日本では、個人的事情はなかなか口にしづらい雰囲気がある。

文字通り「親の死に目にもあえずに」、いつも通りに仕事を続ける人が「プロ中のプロ」として称賛される傾向も、いまだに残っている。


 もちろん、個人の顔を見せずに公の役割に徹しようという人の覚悟、決意は立派だと思う。

しかし、時代は変わってきた。

誰もが“よき仕事人間”である以前に、よき親、よき子ども、よき恋人であってよいはずだ。

いつも個人の事情を優先、というのでは困りものだが、ここぞというときは「すみません、今日は仕事よりも体調のすぐれない家族といっしょにいたいと思います」と言ってよいのではないか。

まわりの人たちも、そんなときは「お互いさまなんだから、心配しないで」と快くこたえてあげたい。


 「会社でみんなが個人的事情を主張し始めたら、生産性が落ちるじゃないか」と顔をしかめる人もいるだろう。

ただ、誰もが家族や自分の人生を大切にしたい気持ちをぐっと押し殺して働き続けた結果、たとえ生産性が上がったとしても、それは「幸せな社会」と言えるのだろうか。


 浅田選手にも、自分の悲しみに向き合う時間をゆっくり取ってほしい。

「みんなが復活を期待している」という使命感も大切だが、まずは「スポーツより大切な何か」を遠慮なく優先してもらいたいと思うのだ。

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さわるように見る

しあわせのトンボさわるように見る
                                      近藤勝重
毎日新聞 2011年12月16日 東京夕刊

朝の散歩時、よく出合う近所のワン君の頭をなでてやっていると、登校中の女児2人が「さわってもいいですか」と近寄ってきた。飼い主が「優しくね」と答えると、2人はうなずいてワン君の頭を何度もなでていた。

 これはこれだけの話なのだが、散歩から帰って、女児の言葉「さわってもいいですか」が思い出された。

子供と犬の関係なら「可愛い」−−「さわりたい」でいいとしても、それが人と人との関係だとどうなるのか。

与謝野晶子の「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」という短歌の世界を想像したりしているうちに、そもそも「さわる」って感覚は何なのだ、と今さらのように気になった。


 骨董(こっとう)好きの文人の随筆などには「骨董狂いは恋愛に似ている」といったことが書かれている。

陶器の肌ざわりが、愛する異性の肌をさわるのと通じるものがあるということだろうか。

やはり骨董好きで知られた批評家の小林秀雄氏は、江藤淳氏との対談でこんな話をしている。

「絵というものは、なんだか歯がゆいもんですね。さわることができないからね。だから絵を見ていると、しきりに言葉が浮かぶのです」


 察するに、さわるというのは見るだけでは得られないものを感じ取ろうとする人間の切実な感情なのだろう。

それだけに、さわれれば黙して感触を味わい、さわれなければ言葉を出す。

小林氏に言わせれば、「生物に一番基本的な感覚」であり、「一番沈黙した感覚」というわけだが、氏はさらにこうも言っている。


 「ぼくが物を見るというのも、さわるように見るという意味なんです」


 つまりはこういうことか。


 物事の本質というのは外に現れ出ているものだ。それを感じ取りつつ見なければ、見たことにはならない。感じ取れないとすれば、単に見えているものを見ているだけのことだ−−。


 冬の日に誘われて公園に出てみた。葉を落とした数本の百日紅(サルスベリ)が枯れ木のごとく立っている。


 ぼくなりに、さわるように見てみた。サルが滑るほどに滑らかな木肌も、今はカサカサとして生気を欠く。しかし、ただの枯れ木ではない。半ばはげた樹皮の内側にのぞく肌はむしろ生々しい。

ここまで死んで見せて、しかし間違いなく炎暑には熱情の紅で彩られることを思うと、この木の激しい気性に触れた感覚があった。
(専門編集委員)

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2011年12月18日

“ペテン”野田内閣、原発どこが収束だ!国民をバカにするな

“ペテン”野田内閣、原発どこが収束だ!
                             国民をバカにするな
011.12.17   夕刊フジ(ZaKZaK)

 野田佳彦政権が16日、東京電力福島第1原発事故の「収束」を宣言した。

しかし、原子炉の中は見えず、周辺地域の除染は進まず、避難民は帰れないまま。

細野豪志原発担当相(40)は同日夜の会見で、記者の質問に要領を得ない回答を続けて“火だるま”となりながら、テレビ番組を優先して途中退席。

この日の“収束宣言”には、内外から一斉に「どこが収束だ」との大ブーイングが噴出している。

 細野氏は会見で「事故収束は極めて難しいと考えていた。日本が瀬戸際でとどまった大きな日と思う」と胸を張った。

 三省堂国語辞典によれば「収束」とは「しめくくりをつけること」とある。本当に事故はしめくくられたのか。質問もこの表現に集中した。

 細野氏は「工程表は『事故の収束に向けた道筋』となっている。『冷温停止状態』が実現されたから『収束』だ」と述べた。

しかし、「冷温停止=事故収束」とは書いていない。この点を詰められても細野氏は「あんまり言葉尻をとらえないほうがいいと思う」と正面から答えなかった。

 しかも質疑が続く中、細野氏はNHKの番組に出演するため退席。記者からは「国民への背信行為だ」と罵声が飛んだ。

 2006年、細野氏は元タレントの山本モナさんとの路チューを報じられた際、ホームページに「深く反省しております」とするコメントを出したが、報道陣が具体的な事実関係を聞いても「コメントの通り」を繰り返していた。

質問から逃げる体質は変わっていないのか。

 ともかく収束宣言への視線は厳しい。

 小出裕章京都大原子炉実験所助教(原子核工学)は「なんてあきれた人たちなんだ」とし、「炉心が溶け落ちて圧力容器の底を抜いて出ていき、どこにいったか分からない。

誰もその状態を見に行けないし、測定器すらない。そんな状態で冷温停止もへったくれもない。溶けた炉心が地下水と混ざれば、どこまで拡散するか分からない。

せめて炉心と地下水が接触しないような防護壁を作るなどしてから宣言すべきだ」と話した。

 米ニューヨーク・タイムズは電子版で「現実を無視した宣言」とする専門家の見方を伝えた。

 政治ジャーナリストの角谷浩一氏も「成果を強調することで、政府や国会の事故調査委員会を牽制したのだろう。

ただ、みんな無理があると見透かしている。妙な自画自賛をするのではなく、真摯に説明したほうがいい」と話している。
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週のはじめに考える「人助け」する自衛隊に

週のはじめに考える「人助け」する自衛隊に

          2011年12月18日   東京新聞社説

 南スーダンの国連平和維持活動(PKO)への自衛隊派遣が二十日閣議決定されます。

活動は国づくりの支援。自衛隊の進むべき道筋が見えてきました。


 陸上自衛隊が初めてPKOに参加し、カンボジア南部のタケオに派遣されたのは一九九二年でした。

取材した懐かしさもあり、八年後の二〇〇〇年、黄土色の大地が広がる現地を再び訪れました。

施設部隊が補修したプノンペンとタケオ間の国道2号、3号はデコボコ道に戻り、アジア開発銀行の融資を受けたカンボジア政府があらためて舗装し直したそうです。

◆PKOでインフラ整備

 もともと兵力引き離しや停戦監視をする平和維持軍(PKF)が行き来するための応急補修です。

活動が予定された期間だけ使える簡易舗装にしたので、全土が水没する雨期を迎えるうち、元の悪路に戻ったのです。

事態を予想した隊員たちは「足跡が残る活動をしたい」と希望し、〇二年に始まった東ティモールのPKOでかなうことになります。


 六百八十人の施設部隊は四カ所の宿営地に分散し、二年五カ月にわたり、道路を本格的に舗装しました。

インドネシアから独立したばかりの東ティモールをインフラ整備を通じて、支援したのです。

地元の人たちで作業が続けられるよう、重機の操縦方法を教え、撤収時にはブルドーザーや油圧シャベルなど百五十台を提供しました。


 このときの経験が生きたのがイラク派遣です。

イラクへの派遣は紛争後の国や地域に置かれたPKOへの参加ではありません。米軍と武装勢力が戦闘を続ける「戦地」への派遣でした。


 「大量破壊兵器を隠し持っている」。米政府のうそから始まったイラク戦争を支持した小泉純一郎首相に、米国が求めたのが陸上自衛隊の派遣でした。戦争に反対する国々が多い中で日本には米国を応援してほしいというのです。

◆南スーダンで道路補修

 日本政府は陸自派遣を決めましたが、戦闘に巻き込まれ、ただちに撤収するようでは米国への応援になりません。

そこで治安のよいムサンナ州を選び、地元に受け入れられる活動を模索した結果、PKOで培った施設復旧などを行うことにしたのです。


 イラクに軍隊を派遣した二十七カ国は、いずれも武力行使を伴う治安維持を担い、復興支援を目的にしたのは日本だけでした。

部族と交流した部隊は地元の人々と融和。各国の軍隊が連日、見学のため宿営地を訪れるほどでした。


 憲法九条の規定から海外で武力行使できない自衛隊は、普通の軍隊と比べて見劣りするどころか、軍事力の新たな活用策を示したといえるかもしれません。


 現在、施設部隊三百三十人が派遣されている中米のハイチPKOでも、道路整備やがれき除去を行っています。

韓国軍や日本の国際協力機構(JICA)とも連携して、活動の裾野を広げています。

今回も重機十台を供与する予定で、住民に対する操縦方法の指導が始まっています。


 南スーダンへの派遣は、PKOとしては七カ所目。予定されているのは、首都ジュバの水運に使われているナイル川までの道路を舗装し、JICAが行う港湾工事と結びつけることです。


 こうして見てくると、得意分野は施設部隊によるインフラ整備であることが分かります。

ゴラン高原PKOに派遣され、十五年にもなる輸送部隊は物資や人員を運んでいます。

施設、輸送とも技術力がある日本ならではのPKO参加のあり方といえるでしょう。


 政府は、このあり方を見直そうというのです。今年七月、政府の「PKOの在り方に関する懇談会」は中間とりまとめを発表する中で、参加すべき分野や武器使用基準の見直しを打ち出しました。

発砲する危険が格段に高まるPKFにまで参加の間口を広げ、必要最小限にとどめている武器使用基準を緩めようというのです。


 PKFに部隊を参加させているのはバングラデシュ、パキスタンのほか、アフリカや南米の国々。国連から支払われる兵士の給料が貴重な外貨獲得の手段になっている国々が目立ちます。

◆「戦う軍隊」を目指すな

 自衛隊の海外活動が始まって二十年。政府は活動の総括をしてきませんでした。

過去の蓄積の上に未来はあるにもかかわらずです。

日本は日本らしく、憲法九条と技術力を生かした分野で国際貢献すればいい。

国際緊急援助隊としての自衛隊の出動も十三カ国を数えます。

地震や津波、台風の被害にあった人々を医療や防疫、給水、輸送の各分野で支援してきました。

「海外で戦う軍隊」を目指すより、「人助けする自衛隊」に磨きをかけたいと考えるのです。

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2011年12月19日

暴排条例の吉幾三「お咎めなし」と空洞化

暴排条例の吉幾三「お咎めなし」と空洞化

【溝口敦の斬り込み時評】
2011年12月13日 掲載  日刊ゲンダイ

 情報源のひとつである山口組系組長からワープロ印刷による個人名のハガキが届いた。

要所を摘記すると、

「昨今の社会情勢に鑑み、お歳暮・お中元の贈答、年賀状・暑中見舞い状などのご挨拶をいっさい控えさせて頂きたく存じます」
「まことに不本意ではございますが、平素のご親交に免じ、ご理解とご容赦を賜りますようお願い申し上げます」
「ご賢台様には今後とも変わらぬご厚誼のほどよろしくお願い申し上げます」

 要するに、お歳暮や年賀状などのやりとりはしないが、これまで通り付き合いましょうと読める。

 もちろん暴排条例を受けての措置で、相手を警察当局に「密接交際者」と認定させたくないからだ。

山口組の執行部は組員の除籍や破門を友好団体に伝える「回状」も郵便ではなくファクスでと決めるなど、暴排条例の施行に恭順の意を表している。組員に向けた贈答禁止令もその一環である。

 他方、北九州の工藤会は宅配業者を相手取り裁判を起こすなど、暴排条例の違法性を真っ正面から問う構えである。

もっとも北九州でも、宅配業者は組名でなく、個人名による荷なら荷受けしているという。

 大事なのは実態でなく、名目なのだ。組長として誰もが知る悪名であっても、個人名であれば宅配サービスを提供する。

 警察も弁明さえできればという便宜主義は同じである。

たとえば兵庫県暴排条例施行後の今年5月、演歌歌手の吉幾三が神戸の焼き肉店で開かれた食事会で山口組幹部と同席した。

兵庫県警はこのほど吉に対し「お咎めなし」と決めたらしい。誰が同席したか、吉が確認を取るわけにいかなかったからという理由である。

 紅白歌合戦には稲川会と親密交際の北島三郎が堂々出場だし、自ら芸能界追放を決めた島田紳助は今になって、自分だけがバカを見たと思うかもしれない。

 一説に暴排条例は「割れ窓理論」に基づくとか。割れ窓を放置すると、誰もこの地区に注意を払っていないというサインになり、犯罪を誘発しやすいという理論で修理させる。ニューヨーク市の治安回復などの例がある。

 しかし、これによれば暴力団との「密接交際者」や「共生者」は、落書きや万引、爆竹、騒音、路上屋台、ポルノショップ、ホームレスなどと同じレベルの「浄化すべき環境」になる。

息をしている人間を「環境浄化」の名で一掃しようとするのは、「民族浄化」と同じく物騒きわまりない話だが、何のことはない。

その前に便宜主義が暴排条例を空洞化するかもしれない。
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2011年12月20日

人間の真の評価は死後になって初めて定まり・・

筆洗
2011年12月20日 東京新聞朝刊


 <棺を蓋(おお)いて事定まる>は、

人間の真の評価は死後になって初めて定まり、生きている間は公平な判断はできない、という格言だ。

中国晋代の歴史を書いた『晋書』が出典である

▼指導者を評価することは難しい。

体制への不満を表明すると、収容所に送られる独裁国家では、トップが倒れても政治体制が崩壊しない限り国民は評価する材料さえ持たない

▼北朝鮮の国営放送はきのう、金正日総書記の死を伝えた。視察に向かう列車の中で、心筋梗塞を起こし、十七日に急死したという。六十九歳だった

▼国営放送が「後継」を明言した三男の正恩氏(28)の政治手腕はまったくの未知数である。

実力会長が急死した後、三代目の「若社長」がどう振る舞うのか、造反する役員はいないのか。

閉ざされたコップの中の嵐に世界が目を凝らす

▼日本人の拉致被害者家族には、期待と不安が交錯している。

進展は期待したいが、後継者をめぐる争いが起きた時、残された被害者の安全が脅かされることはないか。この揺れる気持ちを日本政府は受け止めてほしい

▼多くの餓死者を出していながら軍事力の強化を優先させる「先軍政治」など長く続くはずがない。

金総書記の死は、「王朝」が倒れ、民衆が解放される「終わりの始まり」になるはずだ。

彼の評価が、北朝鮮の民衆によって「事定まる」時は遠くない。そんな予感がする。

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2011年12月21日

連帯を求めて孤立を恐れず

孤立」をおそれず=潮田道夫

毎日新聞 2011年12月21日 東京朝刊

 日本の新聞やテレビの「悲観報道」は度が過ぎる、と澤昭裕国際環境経済研究所長が批判している。


 先ごろ南アフリカ共和国のダーバンで行われた国連気候変動枠組み条約第17回締約国会議(COP17)の報道ぶりである。

日本の新聞は「日本が孤立している」と報道したが、澤さんが現地で見聞する限り、そんなことはまったくなかった、と言う。


 日本は京都議定書の第1約束期間(08〜12年)に、90年比6%の温室効果ガス削減を約束した。やってみると非常に困難な目標だった。


 結局、その約束を守ろうとすれば海外から「排出枠」を買い、ツジツマをあわせるほかなかった。

購入に約8000億円かかる。そのうち約3000億円が中国向けだ。


 消費税を増税しなければ財政破綻する国が、なんとも気前のよい話である。

お人よしにもほどがある。という批判に抗し切れず、政府は京都議定書の第2約束期間が設定されても、それには加わらないと表明した。


 それが昨年メキシコのカンクンで開かれたCOP16のときの決断。ダーバンでもその方針を貫いた。中国がこれを批判したのは当然だろう。

また、排出権ビジネスをもうけぐちとする銀行を多数抱える欧州連合(EU)も激しくののしった。


 そこで日本の新聞やテレビは日本孤立論を流したわけだが、これを孤立というのかどうか。日本が断固とした姿勢を示した結果、それまでモジモジしていたカナダとロシアが日本に同調した。カナダは今年、京都議定書そのものから脱退すると表明した。澤さんは孤立というなら、先進国仲間で孤立したのは、むしろ欧州だ、と言う。


 日本は原発の停止で火力発電の割合が高まり、条件が不利になったが、それでも第1約束期間の目標を果たそうとしている義理堅い国だ。それは各国とも分かっている。


 自分の価値に目覚めよう。日本が明快な方針を打ち出せば、世界に大きな影響を与えることができる。


 環太平洋パートナーシップ協定(TPP)でも、日本が交渉参加表明したら、カナダ、メキシコが加わりたいと言い出した。フィリピンも意欲をみせている。

 日本との自由貿易協定(FTA)に無関心だった国もにわかに秋波を送ってきた。

中国は日中韓のFTAを急ごうと言い出したし、EUとのFTA協議も始まった。日本が動けば世界が動く。


 60年代末の大学紛争世代がなかなかいい言葉を残している。

「連帯を求めて孤立を恐れず」(専門編集委員)

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私」を主語に話す

診察室のワルツ:/
「私」を主語に話す=岡本左和子

毎日新聞 2011年12月21日 東京朝刊


 患者・家族から強い言葉での苦情を受け、謝ってみたものの、さらに叱責された経験を持つ医療関係者がいるのではないでしょうか。

この場合、医療者が相手の気持ちを把握できなければ、患者・家族は一層エスカレートします。

一方、患者・家族もきちんと苦情を伝え、適切な対応を促す言い方を考える必要があります。


 うまく不満を伝える方法に、「私は」を主語にする話し方があります。

この話し方は、問題に焦点があたり、相手を非難することなく、自分の思いを伝えられます。


 医療ではありませんが、こんな例があります。

宴席に出て、夜遅く帰った家族に、「電話くらいしなさいよ。遅いじゃない」と言うのは、相手の行動を非難していると受け取られ、関係を険悪にします。

これを「私」を主語にすると、どうでしょうか。「遅くて(私は)心配したよ。(私は)電話をしてほしかった」となります。


 最初の言い方は「あなたは気が利かない」「あなたが私を放っている」と、主語が「あなた」です。

言われた方は「非難されている」と被害者になった気持ちになり、自分を守るため言い訳がましくなったり、高圧的になります。


 「私」を主語にする話し方は「アイ・メッセージ」と呼ばれます。

患者・家族が苦情を言う際もこの言い方ならば、相手に気持ちが伝わりやすくなります。

苦情や不満を言われた医療者は、相手の思いを想像しやすくなります。

患者の家族から「入院している母を高齢だと思って邪険にするな」と言われたとき、アイ・メッセージで考えてみましょう。

「母をぞんざいに扱われ(私は)心配だ、悲しい」となります。


 「私たちはこれもやっているし、あれも気を付けている」と説明するより、「お話しくださってありがとうございます。

お母様のことで、ご心配や悲しい思いをさせてしまったのでしょうか」と話す方が、スムーズに話が進むでしょう。

断言するのではなく、必ず問いかけ、まず苦情がある本人の気持ちを受け止めてください。

謝罪は必要ですが、何について謝っているのかが明確でなければ、「うそっぽい」と思われ、逆に相手の気持ちを逆なでしてしまいます。

(おかもと・さわこ=医療コミュニケーション研究者)

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2011年12月22日

北朝鮮の体制は変わるのか 続くのか どうなるのか

北朝鮮の体制は変わるのか 
               続くのか どうなるのか

2011年12月20日 掲載    日刊ゲンダイ

「しばらくは金正恩氏を中心とした体制維持を図ろうとするだろうが、必ず権力闘争が起きる」――。

こう断言するのは、元韓国国防省北韓分析官で、拓大国際開発研究所客員研究員のコウ・ヨンチョル氏だ。

「正恩氏が後継者として有力視され始めたのは、故金正日総書記が脳梗塞で倒れた2008年以降。

それからまだ1〜2年しか経っておらず、盤石な移譲体制が確立されているわけではありません。

そういう不安定な状態で、カリスマ指導者が亡くなれば、権力闘争が起きるのは世の常。

79年に起きた韓国の朴正煕大統領暗殺事件後の権力闘争と同じです。

 これまで体制を支えてきた軍も決して一枚岩ではありません。

正恩氏の実権掌握に反発し、冷や飯を食べさせられてきた軍部の反対派がクーデターを起こす可能性もあります。

金正日総書記の異母弟で、正日から疎まれた現駐ポーランド大使の金平一氏を新たな後継者に擁立する動きも出てくるでしょう」

 北朝鮮は来年、金日成国家主席の生誕100周年を迎える。

100周年に合わせた「強盛大国」のスローガンの下でメチャクチャな経済政策が進められ、09年の通貨切り下げ(デノミ)では大失敗し、ウォンは大暴落した。貧富の格差は広がる一方で、わずかな蓄えを失った国民の怒りは爆発寸前だ。

「今後、チュニジアやエジプトなどで起きた『アラブの春』のような大規模な市民革命が北朝鮮で起きることも考えられます。軍、労働党、市民の3グループで権力闘争が展開されるのです」(外交関係者)

 兵士100万人の朝鮮人民軍は、食糧難と予算カットで疲弊し切っている。

金正日という“重し”があったから抑えられていたが、正恩体制への移行で権力内のバランスが崩れれば、衝突や暴発が起きないほうが不自然なのだ。

例の女性アナウンサーが再三「人民の団結」を強調しているのも、危機の裏返しと
いえる。
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福島原発「廃炉30年」の大ウソ

福島原発「廃炉30年」の大ウソ
     まだ国民をだますのか

2011年12月22日 掲載  日刊ゲンダイ

「何を寝ボケたことを言っているのか」――。政府と東電の中長期対策会議が発表した福島原発「廃炉」の工程表案に対し、早くも懐疑的な見方が広まっている。

 21日発表された工程表案によると、2年以内に1〜4号機の燃料貯蔵プールにある燃料の取り出し作業に着手。

炉心溶融(メルトダウン)した1〜3号機の燃料は10年以内に取り出し作業を始め、施設を解体撤去する「廃炉」を30〜40年後に完了するという。

しかし、86年に起きたチェルノブイリ事故の「廃炉」作業がいまだに続いている状況を見れば、コトはそう簡単じゃない。

「最大の問題は、メルトダウンした燃料の取り出し作業です。

工程表案では、まず、水漏れしている格納容器を補修し、原子炉内を水で満たす『冠水』を実施。その上で、圧力容器のふたを開け、圧力容器と格納容器に溶け落ちた燃料を回収する計画です。

しかし、今も格納容器のどの部分が壊れているのか不明だし、何よりも溶融燃料が今どんな状態で、どこにあるのかさえ分かっていないのです。

現場の放射線量も場所によっては近寄れないほど高い。そんな状況で『廃炉』も何もあったものじゃありませんよ」(科学ジャーナリスト)

 原子炉格納容器を設計していた元東芝技術者の後藤政志氏もこう言う。

「工程表案では、どこにあるか分からない溶融燃料を引っ張り上げる――との計画も示されたようですが、マンガみたいな話です。

そもそも『廃炉』作業は、事故が起きていない原発1基で30〜40年かかるのです。

福島原発は3基で爆発事故が起き、格納容器が壊れてメルトダウンした。

30〜40年で作業が終わるとは思えません。

政府は『努力している』というポーズだけで、“見込み”を語っているだけなのです」

 これが専門家の「常識的」な見解なのだが、細野豪志環境・原発事故担当相は「廃炉完了時期の前倒しの可能性もある」と言うから、どうかしている。

「福島原発事故の影響で先送りされていたヨルダンやロシアなど4カ国との原子力協定の承認案が今国会で可決され、来年にも原発輸出が再開されます。

政府としては、各国に対して『事故にも万全な対応が取れる』ということをアピールする必要があるのでしょう」(前出の科学ジャーナリスト)

 当初から予想されていたが、福島原発がチェルノブイリ化するのは間違いない
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2011年12月23日

子どもを「怒る」と「しかる」の違いを理解する

サカイク:
子どもを「怒る」と「しかる」の違いを理解する

2011年12月19日  毎日新聞

 「もう、何やってんのー!」「何度同じことを教えたら、できるようになるんだよ!」など、子どもを怒鳴ったりしていませんか? 

自分はしかっているつもりですが、これって本当に子どもに伝わっているのでしょうか? 

「怒る」と「しかる」を辞書で調べてみると類語として扱われています。しかし、コミュニケーションの上では、この2つは大きく違うものなのです。


その違いをしっかり理解して、正しい「しかり方」をマスターしましょう!


■「怒る」ではコミュニケーションは成り立たない


 コミュニケーションとは、人と人が互いに意見・感情・思考を伝達し合うことです。

サッカーの練習や試合中など、ついつい気持ちが入ってしまい、指導者や親が子どもを怒鳴ることはよくあることですが、怒鳴るとは文字通り「怒る」こと。

自分が怒っている時のことを思い出してください。怒っている時は、誰かまたは何かに腹を立てているときではありませんか? 

「怒る」とは、相手に自分の感情をぶつけていること。自分の感情を一方的に吐き出すだけで、自分の意見、思考を伝えることは難しく何も答えは得られません。


 一方、「しかる」とは、相手を正しい方向へ導くために何が良くないのかを気付かせることです。なので、もし相手が何も気が付かないなら、それは「しかる」ではないのです。

しかったことで相手が自分の悪かった点に気付き、もう同じことをしないと思えることが「しかる」というコミュニケーションです。


 自分の気持ちを相手に伝えるために「しかる」ことは、コミュニケーションのひとつですが、「怒る」という行為では、コミュニケーションは成り立ちません。厳しく指導をすること=怒るではないですし、ほめて育てる

=甘やかすことでもありません。


【「怒る」と「しかる」の違い】


×怒る=相手に自分の感情をぶつける


○しかる=相手に成長・改善の気づき・機会を与える


■ポジティブな表現が成功の秘訣


 人には感情ではどうすることもできない “潜在意識”があります。

試合で「ミスをするな!」「負けるな!」という声かけは、潜在意識にとっては「ミスをしろ」「負けろ」の同義語。

「ミス」「負ける」というネガティブな言葉が潜在意識に入り込むと、脳では「ミスをする」「負ける」というイメージが作られ、頑張ろうという気持ち(感情)とは裏腹に、潜在意識が失敗へと導いてしまうのです。


 ですから、子どもたちには常に「勝利」や「成功」をイメージさせましょう。周囲や本人がポジティブな表現を発していれば、潜在意識の中に成功のメカニズムが出来上がり、よい結果を生むことができるようになります。


<<おまけ>>

お父さん・お母さんが子どもの頃の学校には<廊下を走るな!>という張り紙がはってありませんでしたか? 走るなと言われているけれど、廊下を走り、しかられた経験がある人も多いのではないでしょうか? 

今の学校では潜在意識に作用させるように<廊下は静かに歩きましょう>と貼られているそうですよ。

では、今度は実際に子どもに気づきを与え正しい方向に導く上手な「しかり方」について紹介します。


サカイク:
子どもに自分で考えさせる上手な「しかり方」

 前回は、「怒る」と「しかる」の違いについて紹介しましたが、今回は子どもに自分で考えさせる上手な「しかり方」についてです。


■しかる時にはまず始めに、自分の怒りを静める


 「しかる」の目的は、相手に問題点に対する「気付き」の機会を与え、改めさせること。

例えば、試合でミスをした時「何でいつも同じミスをするんだ!」と言っても、ミスをしたことは自分でも十分承知しているので「そんなこと、わかってんだよ!」と逆に腹を立てられてしまいます。


 「しかる」の第一歩は、相手の状況を受け入れること。相手の状況を受け入れることで、感情的に「怒る」ことはなく、冷静に「しかる」ことができます。

いつもと同じミスをしてしまったということを理解した上で、「どうした、お前らしくないミスだな」と言えば、相手は問題を受け入れ、「集中力が切れてしまって……」などとミスに対する原因を考え、「次からは大丈夫です」と改めることができます。


 逆に、「何やってんだ!?」などミスをした結果に対して言われても、相手はその結果をどうすることもできません。

それでは建設的なコミュニケーションにはつながらないのです。


【良いしかり方】


●コーチ:どうもミスのパターンが同じだな。どうした?

●選手:相手に寄せられるとつい焦ってトラップがうまくいかないんです。
●コーチ:そうか……じゃあ一緒に練習で改善していこうな。


【良くないしかり方】

●コーチ:なんでいつも同じミスをするんだ!
●選手:そんなこと言われなくても分かってるし!(シャットアウト)


■他の人との比較はNG


 「しかる」時は、ミスをしたことではなく、ミスを反省しない姿勢、他人のせいにしている姿勢、ミスを起こしたことに気づいていないことなどを指摘します。

決してミスをしたという結果について、あれこれ言ってはいけません。


 また、「○○君だったらあんなミスはしないのに」や「○○君がシュートしていたら勝てたな〜」などと、他の人と比較しては絶対にダメ。

特に他の選手がいるところで、比較をしてしまうと、チームワークや信頼関係を崩す原因にもなります。

ミスが起きるのはチャレンジした結果と受け止め、チャレンジしたということはほめます。

そして、失敗から学び、はい上がってくるのを待ちましょう。


 また、性格的欠点や人格を否定することもNGです。相手は感情的に拒絶してしまい聞く耳を持てなくなってしまいます。


<<おまけ>>


●こんな言葉は気を付けましょう!

「何考えているんだ!」「〜だめじゃないか!」はプライドを傷つけやすく、「〜しろ!」「〜は違うだろう」は反感をかいやすい言葉です。


■I messageで話をする

ミスに対して、「私はこう思うんだけど、あなたはどう思う?」などと、相手に答えを求められる話し方をされると、「どうだろう?」と考えることができ、「そうか!」と原因に気づくことができます。


 また、相手に伝えたいことは自分を主語にして話すことを『I message』と言います。

例えば、「何回同じミスをするんだ!」と言うより、「同じミスを繰り返さないようにしてほしいと、私は思っているんだよ。どうすればミスをなくすことができるかなぁ?」と言われると、素直に受け入れることができます。


 さらに、I messageで話すと相手が同じミスを何度も起こすのは、自分の教え方に問題があるのではないか? などと、相手をしかる原因が、実は指導力不足など別の原因にあることに気づくこともよくあります。


 「しかる」という行為は、励ましの延長にあります。子どもだからと上から目線にならず、同じ目線に立ち、間違いについてはしかり、問題に気づかせ、良い方向へ導けるようにしていきたいですね。


【取材協力】WACアカデミー//さまざまなチームや団体・企業向けに、前向きに積極的に取り組む姿勢を育てる「ポジティブ・シンキング」・「ロジカル・シンキング」両面をバランス良く鍛え、組織やチームの人間関係・信頼関係を築くためのコミュニケーション・セミナーや講座を提供している。

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2011年12月24日

いまどきの若者 の考え方や文章のまとめ方

香山リカのココロの万華鏡:
         いまどきの卒業論文 /東京

毎日新聞 2011年12月20日 東京地方版

精神科医をしながら大学の教員もしている私にとって、卒業論文の提出がある12月は、ハラハラ、ドキドキの月。

直前になって「先生、ダメです! 間に合いません」と泣きついてくる学生を、「大丈夫、あと一息!」と遠泳のコーチのように励ます。

「自信作です」と見せに来る学生の論文に大量の誤字脱字を発見して、途方に暮れることもある。


 ただ、“いまどきの若者”の考え方や文章のまとめ方から、「なるほど」と学ぶことも多い。

とくにパソコンやネットの使い方には毎年、感心しつつ、「このきれいなグラフ、どうやって作るの?」「ネットでよく見るこの略語ってどういう意味?」とこちらもちゃっかり教えてもらう。そうすると“知識の交換”という気分になり、論文の文章のまずさや調べ方の甘さにもハラは立たなくなってくる、というものだ。


 そう、教員をしているとつい「昔の学生はもっと勉強したものだ」などと嘆きたくなるが、それは自分たちを基準にしているからなのだ。

実は、いまの学生には簡単なのに、昔の学生にはできなかったこと、知らなかったこともたくさんある。

パソコンやケータイの使い方だけではない。

私の世代だと「英語の文献は読めるが話すのは苦手」という人も少なくないが、いまの学生は留学生がいてもものおじせずに、英語と日本語とを器用におりまぜコミュニケーションしている。

性別、性差にもほとんどこだわりがなく、「私ね、同性の人が好きなんだよね」「あっそう」などと自由に会話している姿にも、ビックリを通り越してすがすがしさを覚える。

コンパをしても「お酌は女性」などというルールはなく、ごく自然についだりつがれたり、好きなように飲んでいる。


 彼らを見ていると、昔ながらの尺度で測る「学力」だとか「論文のでき」など、実はたいしたことではないような気もしてくる。

「卒業論文はエッセーじゃないんだから、あまりに“私は、私は”と多用するのは規定違反……いやいや、あなたのこのエッセー調の論文は、感受性豊かですごくおもしろいね!」などという場面も少なくないのだ。


 学生たちにはこちらが知っていることをすべて教えてあげるから、学生たちも私にいろいろなことを教えてほしい。

「先生、そんなことも知らないの?」と遠慮なく言ってほしい。教員としてはいつもそう思っている私だが、それでもつい口にしてしまう。

「なに、ヘルマン・ヘッセも読んだことがない? 私が学生の頃は……」。このクセはなかなかなおらないようだ。

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「口先」「詭弁」「二股」の3番長よ

「口先」「詭弁」「二股」の3番長よ
                                11/12/22    ◆日刊ゲンダイ


18日開催の日韓首脳会談で竹島問題を取り上げなかった理由を記者団から問われた宰相NÖDÁは居直りました。「役割分担している」と。

前夜に玄葉光一郎外務大臣が外交安保担当の韓国政府高官と会談し、「抗議を伝えた」から十分だと。

日本共産党や社会民主党の支持者とて絶句するでしょう。

同じ18日、細野豪志原発事故担当大臣は福島市内で、「事故全体が収まったかの様な印象を持たれたとすれば、私の表現が至らず、反省している」と記者団に釈明しました。

国内外に胸を張った「事故収束宣言」の首相会見は不適切だったと認めたのです。

が、君子豹変す。翌19日、有楽町の日本外国特派員協会へ東京電力の相澤善吾副社長と共に現れた細野氏は、「福島第1原発の事故はオンサイトに於いて収束した。

収束状態とはフクシマの人々を再び恐怖に陥れる事は無いという意味」と厚顔無恥にも朝令暮改。

「フクシマは新たな段階に入る。原子力安全規制の国際的な道場とする。世界各国から専門家を呼び寄せ、『国際原子力安全研修院』を来春にも設立」と発表。以下の“珍説”も披露しました。

「100mSv以下の被曝では放射線に起因する発がんリスクは証明されていない」。

「フクシマを日本で最もがん発生の少ない県にする。これは可能だと思う」と真顔で。

「ニコニコ笑っていれば放射能の被害は受けない」と被災者に伝道する映像がドイツテレコム系列の公共放送ZDFで放映され、「ミスター100mSv」と嘲弄される山下俊一・福島県立医科大学副学長から“思想洗脳被曝”されたのかな?

「政府が主張しているのは飽(あ)く迄も『冷温停止状態』。技術用語としての冷温停止そのものではない」。

「核燃料棒が現在、何処に在るか判らない。

何処に在るにしても、掛け流した水や気化した水蒸気等のデータから、核燃料は安定的に冷却出来ている」。

前原“口先番長”、枝野“詭弁番長”の資質を兼ね備え、“二股番長”の「認定」をトンデモ「と学会」から受けたとも噂される細野氏の発言です。

とまれ、宰相NÖDÁは、民主党御家芸な労働組合的「動員」とは凡そ無縁な、通りすがりのサラリーマンやオフィスレディが、ネトウヨ青年や生活クラブ主婦と共に「原発いらない」「逃げるな」「解散しろ」コールを期せずして繰り広げた新橋駅頭へ何時、出直し演説に赴くのでしょうか?

連立与党の片隅で僕が“諫言”し続けるも相変わらず馬耳東風な政権が、「ちょっち」心配です。
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2011年12月25日

小田嶋隆 マナーは「最近の若者」より「昔のオヤジ」が問題

小田嶋隆 
マナーは「最近の若者」より
               「昔のオヤジ」が問題

2011.12.24   ※SAPIO2011年12月28日号]

携帯電話にスマホが加わり、若者の電車内マナーに批判の声が上がっている。

だが、コラムニストの小田嶋隆氏は、むしろ若者よりオヤジやオバちゃんのマナーこそ批判されるべきだと言う。

以下、小田嶋氏の主張である。


* * *
思い起こせば、ウォークマンが登場した時、電車内でのイヤホンの音漏れが槍玉に挙がったのは、公共の場でプライベートに没入する若者を当時の大人が気持ち悪がったせいだった。

しかし、よく考えれば、シャカシャカ音より、元気なオバちゃんのお喋りのほうがよっぽどうるさい。


今、車内マナーを乱す犯人として責められるのは、なぜ携帯電話やスマホばかりなのか。

混んでいる車内で新聞をガサガサ広げながら読んだり、書き物をしているほうがよほど迷惑だと思うのは私だけだろうか。


結局、人は昔から馴染んでいる迷惑には寛大だが、今まで見たことのないもの、新しく直面する迷惑には厳しくなるものなのだ。


むしろ日本社会は、この数十年で公共マナーが格段に向上している。昔は道端で立ち小便をする酔っ払いがよくいたが、今ではもう見かけない。

特にマナーに関しては、「最近の若者は……」より「昔のオヤジは……」という愚痴のほうがふさわしいとすら思う。

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視聴率42.8%「ミタ」の教え いやなら無理に笑わなくていいよ

視聴率42.8%「ミタ」の教え
いやなら無理に笑わなくていいよ

2011.12.24   NEWSボストセブン

「家政婦のミタ」の高視聴率を支えた視聴者の多くは、笑いたくないのに笑って生きているのでは? 表情をとりつくろい、他人の顔色をうかがい、知ったかぶりをしている。

お追従、媚びへつらい、おもねり、ご機嫌とり……。ミタが、われわれ視聴者に語りかけたものは何だったのか。作家で五感生活研究所の山下柚実氏が考察する。


* * *
今年後半の大ブレイクは、なんといっても日本テレビのドラマ「家政婦のミタ」。いよいよ21日最終回は、なんと瞬間最高視聴率が42.8%と、異例中の異例の数字を記録して幕を閉じました。


このドラマを続けて見るうちに、不思議な変化を実感した人もいたのではないでしょうか。

私自身、松嶋菜々子演じる家政婦の「ミタ」の徹底的な無表情、冷たく暗い横顔を見ることが、実はだんだん快感になってきたのです。


不思議なことに、あの鉄面皮を見つめると爽快感さえ感じるようになったのです。いったいなぜ、ロボットように冷たい無表情に快感を感じてしまうのか。自問しました。その意味で、普段はなかなか実感できない奇妙なドラマ体験でした。


ミタの無表情に快感を感じたのは、その能面が、「自分を繕っていない、ありのままの姿」を現していたからではないでしょうか


夫と息子を亡くし決定的な不幸を抱え、簡単には笑うことができない十字架を背負ったミタ。

ミタにとっての真実、「生きることの大変さ」とは、能面のような表情で生き続ける姿そのものに現れている。


つまり、能面とは、自分をごまかしていない証拠だった。だからこそ、視聴者はそこに「爽やかさ」を感じとった、と言えるのではないでしょうか。


一方、視聴者をはじめとして日本中の多くの人々は、笑いたくないのに笑って生きているのではないでしょうか。表情をとりつくろい、他人の顔色をうかがい、知ったかぶりをしている。


お追従、媚びへつらい、おもねり、ご機嫌とりと、みんな「仮面」を被って暮らしている。多くの人が、被りたくなくても仮面を被らざるを得ない状況の中にいます。


そんな「仮面」を被った欺瞞に満ちた社会に、一人の「能面」が戦いを挑む。「能面」が、次々に、登場人物の「仮面」を剥いでいく。剥ぐことで、家族や人を再生させていく。このドラマの構造は、一言でいえば「能面」対「仮面」の戦いでした。


だからこそ、仮面を被っている多くの視聴者は心が揺さぶられ、自分自身の仮面を剥がされて、ともに浄化されていくような共感と快感を味わったのでしょう。

それが40%超えという、考えられない高視聴率につながった理由ではないでしょうか。


出色の出来だった「家政婦のミタ」ですが、いくらドラマの設定やストーリーがあっても、主役・松嶋菜々子の気力と力業がなければ成り立たなかったはずです。

徹底した無表情を持続し、一切崩さずに演じ切ることは、そう簡単ではありません。


「笑えなければ、無理に笑わなくていい」という正直な能面哲学を、日常の中でしっかと持っている意志の強い女優だからこそ演じ切れた−−そう言えるのかもしれません

posted by 小だぬき at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | うつ病について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月26日

小だぬきの「寛かい」への一歩を・・・

最近、引用・転載が多いことをお許しください。
私の先週の活躍??です。

19日(月) 熱海3泊旅行出発日

 ・ 8:00 
☆父から「母さんの体が動けず、お前一人で行ってくれ」とのTEL
★一人では意味がないから キャンセルし キャンセル料と写真を届けにだけ行ってくると返事
10時まで様子を見ようといったん保留
 ・ 10:00
☆母から「何とか動けそう、荷物を持ってもらえる??」とTEL
★荷物ならもてるけれど 無理していない・・・
 ・ 11:30  出発
 ・ 13:30  送迎バスをパスしてタクシー
INしたら 母 昼食・夕食を完食  

20日(火)  2泊目
両親 連れ添って 朝 温泉へ
小だぬきは熟睡。3人とも朝食は食欲旺盛
昼食は、母がパスしたため 父とレストラン
豪華にコース料理。
バンを残し 母にみやげ??
夕食は ご飯を私だけパス、
父母の残したおかずの残飯整理をしたため
@寝る前に3人とも温泉。
小だぬき、睡眠薬を飲み 
いびき・寝ゾウが酷く 両親が布団直しを

21日(水) 3泊目
朝・昼・晩の食欲旺盛
温泉も 朝と晩に時間をとりのんびりと

22日(木) チェックアウト 
朝の食欲旺盛、ホテルからタクシー
待ち時間8分の東海道線普通グリーン乗車
無事 帰宅。
なんと母は「次はいつ行けるかな・・」との言葉

24日(土)  内科・精神科通院
内科  血圧111-70  
         後は体重を落とすこととの宿題を

精神科
     心の充電はなんとかできているように思います。あとは少しずつ 完璧や無理を考えないで出来ることを増やしてくださいと 主治医。
     次の通院から主治医が変わるのですが「若い女医さんを」と要望したら それは無理とのつれない返事でした。


気のせいか 先週は 気持ちがラクで歩くスピードも速くなったと感じました。

今週は 12月最後の週。良い日を積み上げたいですね。
posted by 小だぬき at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | うつ病について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

週のはじめに考える 遠くて近きものは

週のはじめに考える
遠くて近きものは

2011年12月26日    東京新聞 社説

 過去は現在を照射して未来への展望を開いてくれます。

閉塞(へいそく)感に覆われ、政治が非力な時代だからこそ熱狂を警戒し冷静であることが求められます。

 真珠湾攻撃から七十年、映画の完成もあって山本五十六が脚光を浴びています。

対米戦争に誰よりも反対しながら、開戦の指揮を執ることになった提督です。


 経済停滞、政治の機能不全に不安、不満が募る状況に当時と似たところがあるからでしょう。


 陸軍若手将校がクーデター未遂の二・二六事件を起こした一九三六年から開戦の四一年までの五年間で、内閣総理大臣が六人誕生するほど政治は不安定でした。

◆民主的に握った独裁権


 政治のブレーキが利かず、軍部は既成事実を積み重ねて暴走し、まるで軍部独裁でした。


 それから七十年余、「独裁も必要」と言う橋下徹氏の率いる「大阪維新の会」が大阪府議選、府知事選、市長選で圧勝しました。

橋下氏は「民意を無視する職員は去ってもらう」と自分になびかない職員を威嚇し、「維新の会」は政治的に中立であるべき教育委員を政治に追従させる教育基本条例を制定しようとしています。


 枕草子には「遠くて近きものは極楽、舟の道、人の仲」とあります。「十万億土の彼方(かなた)にある極楽も、ひたすら仏を念ずればたちまち到達する」「遠いと思っても舟旅ならすぐ着く」「男女はいつの間にか結ばれる」と言うのです。


 清少納言が生きていたらこれに「民主主義と独裁」を加えるかもしれません。


 日本の同盟国だったドイツのナチスはクーデターで権力を奪ったのではありません。極めて民主的と評されていたワイマール憲法の下で選挙に勝ち、全権委任法を議会で制定して総統ヒトラーが独裁者になったのです。独裁を許したのは国民でした。

◆言葉が躍るだけの政治

 野田佳彦首相は、小泉純一郎氏が退陣した後の五年間でやはり六人目の総理大臣です。

政権が変わっても民主党のマニフェストは多くが空手形です。

政治家の言葉が躍るばかりで成果はいっこうに見えてきません。


 破産に近い国家財政、破綻寸前の社会福祉制度、難航する地震、津波被害からの復興、終息の見えない原発事故…重なる危機を前に責任者が適切なリーダーシップを発揮できず混乱しています。


 その一方で「風評被害」だとか「絆」などといった責任を曖昧にする言葉が飛び交い、異論を唱えにくい空気もあります。


 政治不信が高じると強力な指導者待望論に結びつき、独裁を歓迎する雰囲気が生まれかねません。


 閉塞感に覆われた時代に民衆の不満を束ねるには、敵をつくって目をそちらに向けさせ、二者択一の決定を迫るのが手っ取り早い手法です。

分かりやすく激しい言葉で熱狂させ、「人気」を「支持」に変質させます。


 橋下流はその典型といえます。その人気に押され、異なる考えの主は萎縮し沈黙します。

地方自治にしろ国政にしろ、そうなると真の民主主義は機能しません。


 かつての日本軍部の暴走もナチスの暴虐も民衆の熱狂が後押ししました。「改革派か守旧派か」と問題を単純化して異論を蹴散らした小泉元首相も、有権者は圧倒的に支持しました。


 小泉改革の熱が冷めた後に見えてきたのは荒涼たる社会です。社会福祉は揺らぎ、貧富の格差が広がり、貧困層が増大し、若者が夢を抱けなくなっています。


 清少納言は「近うて遠きもの」に「宮のべの祭り、思わぬ同胞、親族の仲」をあげました。

後の世に「民主主義と国民の幸せ」と加えられないよう、歴史の教訓を生かさねばなりません。


 多様性、少数意見の尊重は民主主義の大原則であり、責任ある立場の人の適切な指導力発揮と、時間をかけた丁寧な議論により相対的に適正な結論が生まれます。自らと正反対の意見でも真摯(しんし)に聞いて、自分の主張を疑ってみる寛容が社会を成熟させます。


 国民一人一人が、冷静な目で全体を客観的に見渡し、人気を能力や識見と見誤らずに熱狂から距離を置くことが大事です。


 それは報道に求められる姿勢でもあると自戒しています。近現代史はメディアが国民を熱狂に追い込んだ歴史でもあります。

◆自分たちで決める気概

 混沌(こんとん)たる不安、不満から建設的な力は生まれません。

情緒や感覚に頼らない冷徹な現実認識と主体的思考が、不満や政治不信を前向きエネルギーに変えます。


 増税論議の本格化など一段と厳しくなる新しい年を前に、誰かに任せるのではなく「国の未来は自分たちで決める」という気概に富む主権者でありたいものです。
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IN順 / OUT順 今日12/2512/2412/23全参加数
総合ランキング413位412位425位424位585352サイト
INポイント2905505205803520/週
OUTポイント2907206004503300/週
メンタルヘルス12位13位12位12位14250サイト
うつ病(鬱病)1位1位1位1位2106サイト
ニュース7位7位7位6位5717サイト
時事ニュース2位2位2位2位1261サイト
シニア日記5位6位7位6位1129サイト
50歳代1位1位1位1位191サイト


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2011年12月27日

真健康論:適度に休憩、集中力維持=當瀬規嗣

真健康論:
適度に休憩、集中力維持=當瀬規嗣

毎日新聞 2011年12月18日 東京朝刊

 根を詰めて仕事や家事、勉強などをこなすと、一息つきたくなるものです。

確かに仕事に熱中して時間を忘れるようなこともありますが、そんな時にフッと長い時間がたっていたことに気付くと、休憩を取りたくなるものです。


 つまり、人の集中力というものは、案外長続きしないということです。しかし、集中力が途切れても、何かの都合で仕事を続けなければならないことも多いと思います。いや、ほとんどそうだと思います。

でも一旦集中力が途切れてしまった状態では、仕事を続けても効率はがた落ちになります。タイプミスしたり、何度も同じところを読んでしまったり……作業の場合は手元が狂って危険な目に遭う可能性すらあります。


 本当は集中力が途切れたら休憩を入れるべきなのです。

休憩をすれば、また集中力がよみがえります。そうすれば、集中力が途切れたままで仕事をしたときよりも、はるかに効率が良くなって、休憩時間を勘定に入れても、仕事は段違いにはかどったことになります。

集中力の途切れは、「脳の疲労」とたとえることができます。脳が疲労すると思考が進まなくなり、ものを思い出す力が減退し、周囲が気になって集中力がなくなります。


 至極当たり前のことをいっているのですが、脳の疲労が起こることは昔から知られています。

ですから、学校の授業は時間割で行われます。

小学校は45分くらい、中学校や高校で50分、大学では90分授業が主流です。これぐらいの時間が集中力持続の限界だということです。

教壇から見ていると授業の後半には集中力の途切れた学生がたくさん……。そこで休み時間を入れて気分転換、脳をリフレッシュします。


 ですから、本当は2時限連続で同じ教師の授業を行うのは、効率を悪くするばかりなのです。

場合によっては集中講義と称して朝から晩まで同じ教科の講義をする学校もありますが、講義は集中しても集中力は完全に消失してしまうのです。授業をやったというアリバイ作りに過ぎません(反省……)。


 そういえば、小学校の頃は国語、算数、理科、社会……同じ教科を2時間連続でやることはほとんどありませんでしたね。

適度な休憩と気分転換は、脳の集中力を維持するための秘訣(ひけつ)です。

(とうせ・のりつぐ=札幌医科大教授)

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自立支援医療・障害者手帳2級更新

自立支援医療症の更新と精神障害者手帳の2級更新通知が届きました。

本人は 大分 動けるようになったのと頭のもやが晴れてきているので 今回は 2級更新を諦めていた所があったのですが、本日 更新のお知らせが「健康福祉局」から届きました。

主治医の言った 目標が高すぎる・完璧を求め過ぎる・長いブランクで行動が憶病になっている・・・などが診断書に書かれていたのでしょう。

あと2年の療養期間をもらえたことになるので なんとか焦らずに「寛かい」に持っていこうと思っているところです。

4月更新の障害年金は ハードルが高いのですが、なんとか共済年金の61歳までの2年間、等級が下がっても「更新」できればと願っています。

喜んでいいのか ガッカリすべきか複雑な心境です。

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2011年12月28日

「なし崩し」という言葉

筆洗 「なし崩し」という言葉

2011年12月28日  東京新聞コラム

 「なし崩し」という言葉は、本来は「済し崩し」で、金を少しずつ返済するという意味だ。

転じて物事を少しずつ堅実に片付けることを意味するが、既成事実を重ね骨抜きにするという負のイメージで用いられることが多い

▼時代とともに、言葉の使用法も変わる。後者の意味がぴったりくるのは、民主党政権の政策転換だ。

政権交代から三人目となる野田佳彦首相の就任後、ろくな議論もないままに、既成事実化される感がますます強まったように思える

▼「コンクリートから人へ」のスローガンの下、マニフェストにも「中止」とはっきり書いた八ッ場(やんば)ダムは、旧建設省出身の大臣が建設再開を決めた。

マニフェストになかった消費増税も、あたかも既定路線のように党内議論が進む

▼なし崩しの典型が武器輸出三原則の緩和だろう。

慎重だった公明党に配慮して、自民党政権ですら踏み込まなかった「しばり」を取り払ってしまった。

防衛産業を衰退から守るために、政権は平和国家の看板を一つ捨てた

▼年末まで精力的な外交日程をこなす野田首相はきのうインドに旅立った。

インド独立の父ガンジーの慰霊碑には、彼が心に秘めた七つの「社会的な罪」が刻まれている

▼労働なき富、良心なき快楽、人格なき学識、道徳なき商業、人間性なき科学、献身なき信仰…。

最初に書かれている罪は、理念なき政治である。

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公」の電話・公衆電話

発信箱:「公」の電話=滝野隆浩(社会部)

毎日新聞 2011年12月28日 1時21分

 東日本大震災では、公衆電話が「よくつながる」と大活躍した。

これを受け総務省が10月、「緊急時における有効な通信手段としての公衆電話の在り方」を情報通信審議会に諮問した。

どこにあるか日ごろから確認しておいてもらうため、NTTは来春にもホームページに設置場所を公開する。


 携帯電話が普及して公衆電話の利用者は減っている。

現在、台数は約25万台。ピーク時(85年=93万台)の3分の1以下だ。

要望がないと新設もしていない。利用するのに列をつくるなんて、もうない。

先日、電話ボックスの中でケータイを耳に大騒ぎしている若者を見かけた。でも、かける言葉はなかった。彼の勝手だ。


 ダイヤルからプッシュ式になり、硬貨からプリペイドカード式に。

公衆電話は進化を続けてきた。色も青、赤、ピンクから黄、緑色と変わっていったが、駅前や公園、喫茶店で、いつも存在感があった。

だから、フォークソングや歌謡曲にもよく登場した。

遠くふるさとに住む父母や恋人と、情感を交わせる数少ない手段の一つだった。周囲の目や耳を気にしながら、そして硬貨の落ちる音を気にしながら、小声で伝える大事なひと言。


 日本がまだ貧しかった時代。パブリック(公)とプライベート(個)が、街角に置かれた機械の上で交差していた。

「個」に向き合うときも、視界のどこかに「公」はあった。

いまは個人が最優先。「公」の退潮に合わせるように、グレーの目立たない機種が増えていったのか。


 総務省が見直してくれて、なんだか自分のことのようにうれしい。

お前はまだ役に立つと言われたような気になる。

携帯電話を使っていない人もいる。台数はもう少し増やしてほしい、特に地方で。

公衆電話は社会の財産なのだから。

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2011年12月29日

香山リカのココロの万華鏡:あなただけじゃない 

香山リカのココロの万華鏡:
あなただけじゃない /東京
毎日新聞 2011年12月27日 地方版

 今年はカレンダーの関係で年末年始の休みが少ない、という人もいるようだ。

それでもたとえ2、3日しか間があいてなくても、仕事納めの日に「今年もお世 話になりました」「よいお年を」と、仕事始めの日には「今年もよろしく」とあらたまってあいさつをする。

正月が来るとすべてがリセットされる、というのが、私たちの社会の習慣のようだ。


 でも、残念ながら悲しみや苦しみ、病などは、年が変わったからといって簡単に消えてなくなりはしない。

とくに今年は、東日本大震災などの影響で、「悩みを抱えたまま年を越す」という人が多いのではないだろうか。私たちは、そういう人たちのことを忘れてはならない。


 2008年には「年越し派遣村」ができて、“派遣切り”にあった人たちなどが東京の日比谷を中心に集まった。次の年の暮れには全国に「公設派遣村」がもうけられ、単身者や失業者で生活に困窮している人たちに、年末年始の居場所や食事、仕事探しための交通費などが支給された。


 ところが、その後、大規模な「年越し村」は実施されなくなった。理由はひとつではないと思うが、そのひとつに「まじめに生活を再建しようとしない人までが利用している」「税金のむだづかい」といった批判の声の高まりがあったことは確かだ。

厳しい状況の中、がんばっている人たちも多い中、「年越し村」でケアを受けた人だけがいい思いをするのは理不尽に見え、甘えているだけに思えたのかもしれない。


 しかし、本当にそうなのだろうか。「年越し村」で救われたのは、実際にそこに出かけた人だけではなかったのではないか。私の診察室で、ひとり暮らしで失業中の患者さんが当時、こんな話をしてくれたことがあった。


 「私はアパートがあるから、そこでひとりで年を越しました。でも、どうしても寂しくなったら、日比谷に行けば誰かがいるんだ、お雑煮もあるんだ、と思うだけでなんとなく心強かったですよ」


 年の暮れや正月こそ、誰かといっしょにすごしたい。ふだん孤独な人、悩んでいる人こそ、そう思うはずだ。

家族や仕事、住まいを失った人は、なおさらだ。今年のような年こそ、大勢の人が肩を寄せ合ってすごせる「年越し村」が全国にできてもよかったのに、と思う。

寂しいのは、あなただけじゃない。みんな同じなのだ。

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余録:「餅はつく これから嘘をつく気なり」…

余録
「餅はつく これから嘘をつく気なり」…

毎日新聞 2011年12月29日 0時31分

「餅はつく これから嘘(うそ)をつく気なり」。

江戸川柳だが、嘘とは借金取りへの言い訳のことである。

日用品も掛け売りだった昔の歳末は、居留守や仮病などにより支払いを逃れようとする借り手と掛け取りとの虚々実々の攻防で暮れた

▲「押し入れで息をこらして大晦日(おおみそか)」「掛け取りの帰らぬうちは唸(うな)って居」というわけだが、「いまだ帰らぬを掛け取り聞きあきる」という借金取りもそうはだまされない。

言い訳も「常体(つねてい)の嘘では行かぬ大晦日」だったらしい

▲大晦日の掛け取り騒動は姿を消した現代だが、今年の歳末はふくれ上がる国の借金を背景とした消費増税案の与党内の調整で大もめである。

年内の意見集約を指示した野田佳彦首相は今度はインドに外遊中で、案のとりまとめに反発する一部議員が離党届を提出した

▲そもそも税と社会保障の一体改革の素案の年内とりまとめを重ねて表明してきた首相である。

切った期限に人々のエネルギーが集中するのは江戸時代の掛け取りだけではなく、政治の力学でも同様だ。
ここを外せば、一体改革ともども政権の存在理由が揺らぐだろう

▲井原西鶴の「世間胸算用」には掛け取りへの応対を女房に丸投げして姿をくらませた亭主もいるが、まさか首相もその類いではあるまい。

社会保障制度改革と消費増税の必要性について、少しは自らの言葉で説明してはどうだろうか。 むろん言い訳の嘘は許されない

▲年内が期限といえば、普天間飛行場移設問題での沖縄県への環境影響評価書提出のドタバタ劇も目に余る。
何にせよ物事を前に進められぬ政界の騒々しい歳末だ。

「大晦日定めなき世の定めかな/西鶴」
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2011年12月30日

現行の5%消費税の使われ方の検証が先です。

<小だぬき>
現行の消費税5パーセントも「社会保障・医療」などの福祉を名目にしていたハズです。

その使われ方の検証抜きに 値上げ分が「年金維持」などの福祉分なんて詭弁でしかありません。

まず問われるべきは、5パーセントの使われかたです。
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【消費税増税】

党内亀裂の深刻さ露呈 
         野田首相の求心力低下


2011.12.30 01:21 産経新聞社説

 大詰めを迎えた消費税増税をめぐる民主党の議論は29日、初めて野田佳彦首相が税制調査会などの合同総会に出席し、何とか党内の意見集約を終わらせた。

しかし反対派の反発は終わったわけではなく、むしろ党内の亀裂の深さと首相の求心力低下を浮き彫りにした。

28日の集団離党に続き、来年も所属議員の離党騒ぎが起こる可能性があり、首相の政権運営は一層厳しさを増しそうだ。(今堀守通)
 

「政局だ、政局だ!」 午後9時半ごろ、執行部が「今後の対応を藤井裕久税調会長に一任したい」と言って総会を終わらせようとすると、山田正彦元農水相や空本誠喜衆院議員ら数人が声を荒らげながら席を蹴って総会の会場を出た。


 首相を前に、反対派は「(民主党政権の)4年間は増税しないと言っていたはずだ」などと質問をぶつけた。

首相が平成21年税法付則104条を持ち出して「来年3月までに関連法案を提出しないといけない」と理解を求めると、反対派は「役人の理屈だ」とまで厳しいヤジを浴びせた。


 執行部側が「首相へのヤジは控えて」と言えば別の議員が「朝鮮労働党になったのか」と吐き捨てるなど、感情むき出しの対立の様相になった。

 年内の意見集約に向け、首相が「最終決着」と決めた29日の総会には、これまでで最多の120人以上が参加。議論は午後3時から日付が変わる直前まで続いた。

 28日に消費税増税に反対する衆院議員9人が集団で離党届を出したことも反対派には刺激となった。


 執行部内にも反対派が「マニフェスト(政権公約)違反」を盾に抵抗することを予想し、年内の党内の意見集約すら難しいとの空気が強かった。

 反対派を代表する小沢一郎元代表とのパイプが太い輿石東幹事長は、当初から一体改革の論議に参加しなかった。この日も議論には参加せず、首相との会談を終えると国会を後にした。


 反対派は必ずしも民主党内の多数派とはなっておらず押し切られた格好だが、来年3月の関連法案の国会提出、さらに通常国会終盤には法案の採決が控える。「採決が最大のヤマ場だ」と意気込む反対派は少なくない。


 執行部の中には離党予備軍を恐れず、反対派との対決姿勢を強める空気もあるが、すでに野田政権が弱体化している中、このまま強行突破で押し切れるか不安視する向きもある。

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その「絆」はあなたが困ったときに救ってくれますか?

ソーシャル時代の絆 
Facebookリンク数が増えて深まるのか?
2011.12.30 16:00  NEWSポストセブン

人間にとって本当に必要な“絆”って何? 

作家で人材コンサルタントの常見陽平氏は、今年一年を振りかえり、ソーシャルメディアが創り出す“絆”に疑問を唱える。

Facebookのリンク数、Twitterのフォロー、フォロワー数が増えたところで、その「絆」はあなたが困ったときに救ってくれますか? ――と。

* * * 
2011年も残すところ、あとわずかです。今年は東日本大震災に原発事故、さらには国際政治経済における数々の事件の発生と、たくさんの大事件があった1年でした。


そんな今年の漢字は「絆」でした。震災を通じたリアル、ソーシャルを通じたつながり、なでしこジャパンの金メダルに感じたつながりなど、「絆」を感じる瞬間があったとよく報道されるわけなんですけど、「絆」って何なのでしょうね?

人間にとって本当に必要な“絆”って何? 


あなたにとって「絆」って何でしょう? 

少し前まで「無縁社会」なる言葉が流行っていたのにいまさら「絆」でしょうか。この「絆」という言葉は安易に使われて欲しくないなあと思うわけです。


今年の思い出と言えば、すぐ思い浮かぶのは東日本大震災の日のことくらいです。いや、本当に。

赤坂のホテルのカフェで打ち合わせ中に大きく揺れて死ぬかと思ったこと。携帯が繋がらず、PCのメールでやっと妻と連絡がとれ、新橋で合流してなんとか電車と徒歩で帰ったこと、そして悲惨な映像と原発事故の光景。これははっきりと思い出せます。


いや、実際はたくさんの喜怒哀楽がありましたよ。どちらかというと、個人的にはいいことがいっぱいありました。今までに出来なかった、分不相応な貴重な機会をたくさん頂いたわけです。

でも、すぐに思い出すのは震災の日くらいです。あの日、妻と再会できて、一生懸命、家に帰ったときのことしか覚えていないわけです。日々、一生懸命走り続けただけです。


自分の専門分野である新卒採用をめぐっても、震災による採用時期の遅延化・分散化、倫理憲章の見直しにより就活開始が遅くなったこと、インターンシップが見直されたこと、ソー活やグローバル採用が盛り上がってきたこと、ユニクロのように採用時期や対象を見直す企業が現れたこと、DeNAやGREEのように新卒でも優秀層には高額の給料を出す企業が現れたことなど変化はありました。


採用数回復の兆しもあります。やや対象を広げて、「仕事」とか「働く」にしても、大企業を辞めて自由に働く人達が話題になったりしました。


でも、これらのことで結局、何が変わったんでしょう? 

就活や採用活動が人と人との出会いであり、仕事は社会や顧客に対する価値の創出と提供であるということはあまり変わっていません。そこに「絆」はあるはずです。でも、そこにドキドキしなくなっていません?


に仕事においても今年はソーシャルメディアの「絆」がやたらとフィーチャリングされるわけですが、さて、今年ソーシャルメディアでつながった絆は来年、どうなっているでしょう? ソー活でつながった絆はその企業にもし落ちた後、どうなるのでしょう?


リアルな場においても「意識の高い学生w」たちが開く学生イベントに集まった学生たちはその後も友達なんでしょうか? 

ソーシャルメディア時代は貨幣経済から承認経済への移行だなんて言われますが、Facebookのリンク数、Twitterのフォロー、フォロワー数が増えたところで、絆は深まるんでしょうか?


その「絆」はあなたが困ったときに救ってくれますか? 終身雇用を望む、保守回帰を目指す若者達は、実は社畜化を望んでいて、会社という絆、すくなくとも居場所に飢えているのではないでしょうか? そんな絆幻想を流布する人たちを、私はひっぱたきたいわけですよ。


というわけで、「絆」という言葉が今年の漢字になったことには実に複雑な印象を抱いてしまいます。

「絆」って、本当はねえじゃねえかよ、と。


大事なのは愛する家族、友人、そして働く仲間だと再確認した次第です。

34歳まで私は社畜でした。いまは家畜として幸せに暮らしています。

会社と恋は裏切るが、仕事と愛は裏切らない。それは、自分が創りだすものだからです。


結局、家族と親友の絆が一番じゃんというわけですよ。それ以外の絆の軽さに耐えられなくなってませんか、みなさん?


大切なものは何なのか? そんなことを考えてみましょう。

posted by 小だぬき at 18:29| Comment(6) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月31日

大晦日に考える 人間、そのすばらしさ

大晦日に考える 
人間、そのすばらしさ

2011年12月31日   東京新聞社説

 ことしの日本の最大の出来事は、悲しいことですが東日本大震災と、それに続く原発事故でした。しかしそこに見たのは、人間の強さでもありました。 


 大震災の起きた日、東北から遠い所もゆらりゆらりと大きく揺れました。その直後のテレビの映像で、私たちは見たこともないような惨事の発生を知ったのでした。


 私たちに少々意外でもあったのは外国の報道ぶりでした。速報で定評のある米国CNNの女性記者は、岩手県大槌町の商店が無料で食べ物を配ったことを紹介し、恐ろしい現実の中での日本人の冷静な行動は気高いと評して世界に伝えていました。

世界を驚かせた日本人

 他の外国メディアも被災者らの忍耐強い行動を一種の驚きをもって伝えるので、日本人が日本人をあらためて見直したものでした。

現実には福島などで避難した無人家屋への空き巣などもあって、自警団が回りもしましたが、世界一般から見るならば、被災者の秩序ある行動は発見に値するようなことでもあったのです。


 その日本人を驚かせ、また喜ばせもしたのが、米コロンビア大学名誉教授で日本文学者のドナルド・キーン氏でした。大震災のあと日本国籍取得と日本永住を決めたのです。

 キーン氏は、一九二二(大正十一)年、ニューヨーク生まれ。日米開戦に伴い米軍で日本語教育を受け、戦後京大に留学する。


 震災のあとの東北での講演で「私は平凡な日本人になりたい」というようなことを話されました。文学者の彼は、もちろん日本および日本人の鋭い観察者でした。日常を一番正直に写す日記類の研究もしていた。講演の中で、彼は作家の高見順の日記(「敗戦日記」)を引きます。

 その高見の日記は一九四五(昭和二十)年三月の東京大空襲のあとの上野駅の被災民の列を見て、こう記している。

権力も財もないひとり

 「何の頼るべき権力も、財力も持たない。黙々と我慢している。そして心から日本を愛し信じている庶民の、私もひとりだった」


 たとえすべてを失っても、再び仕事を始める。財はなくとも忍耐がやがて道を開く。同じ境遇の仲間がいる。新しい日々は古い日々をもとに始まりそうだ。

そういうような普通だけれど強く生きる人々の一人で私もありたい、とキーン氏は言うのでした。


 だが、もう少し想像を広げてみましょうか。文学者キーン氏、人間キーン氏が大震災の中に見たものとは、普通の日本人にとどまらず、もっと広くより普遍的な人間の強さ、素晴らしさではないかとも、思うのです。
極限にあって初めて気づかされる人間存在そのものと言えばいいでしょうか。


 今年はじめ、世界の目は中東にくぎ付けになりました。

 「アラブの春」です。


 エジプト・カイロの、その名も解放を意味するタハリール広場に集まった民衆は素手でした。実弾を撃つ治安警察に流血覚悟で立ち向かい、革命を成し遂げた。

我慢に我慢を重ねてきた普通の人々の人間的品位と威厳とが勝利した瞬間でした。シリアでも同じことが起きました。


 シリアという秘密警察国家に潜入した欧州の記者は、民衆と軍の衝突を見て、思わずこう口走りました。…見てください。彼ら民衆は驚くべきことに武器をもっていません。


 デモは欧州でも米国でも起きました。

日本では福島のお母さんたちが、国の放射線対策の甘さに業を煮やして霞が関に詰めかけました。人間の未来をかけた闘いなのです。脱原発集会もありました。


 主義主張はもちろん人さまざまにある。それは利害や、確執を生む。しかし今年、私たちが見たものは、人間の醜さよりも素晴らしさ、また崇高さだったのではないでしょうか。

日本では、それは不幸にも3・11という大きな危難が現出させたのですが、私たちはそこに希望と力と自信も見いだすこともできたのです。

私たちは助け合おう

 危難に遭い、また運動の中で人は見知らぬ人々と出会いました。ボランティアや集会など。

震災での私たちの社説の見出しは「私たちは助け合う」でした。果たしてその通りになったのです。

助け合う、そのことの一つひとつが私たち人間の誇りです。二〇一一年という年は不幸でしたが、後世に伝えるべき年となったのです。


 東北は雪の降り積むころ。日中でも気温が氷点下の日があります。

被災者たちの闘いは、年を越えます。それはしずかだが火を燃やし続けるような熱く粘り強い闘いです。

私たちも奮闘しよう。日本がこんな閉塞(へいそく)状態だから、私たちそれぞれがその内なる火を大いに燃やそうではありませんか

posted by 小だぬき at 09:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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