2012年01月07日

「7つの習慣」で成長 

コヴィー氏が提唱する「7つの習慣」 

〈1〉主体的に行動する(気分や行動は自分で決める)
〈2〉目的を持って始める(使命と目標を明確にする)
〈3〉一番大切なことを優先する(重要なことから時間と力を集中する)
〈4〉win―winを考える(他者を尊敬し、自分の意見も伝える)
〈5〉理解してから理解される(人の話を誠実に聞く)
〈6〉相乗効果を発揮する(創造性が高まる協力関係を築く)
〈7〉自分を磨く(肉体的、精神的な健康管理も重要)


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「7つの習慣」で成長
2011年12月8日 読売新聞 

 「自分の自信になる行動を五つ考えて。その中から三つ実行するのが、今週のチャレンジです」。

 東京・世田谷区の塾「ITTO個別指導学院深沢校」。矢部裕貴(ゆうき)教室長(30)が、高校受験を控えた中学生に語りかける。
行われていたのは教科ではなく、「7つの習慣J(ジェイ)」と称する「生き方」の授業だ。


 自尊心、目標・計画の立て方から、人に信頼される態度まで、エピソードを交えて実践的に学ぶ。小学生から高校生まで各クラス週1回。およそ塾らしくない内容だが、塾生の6割以上が受講する。

「勉強以上に、親や友人との人間関係で悩むのが思春期。解決できる自信がつけば成績も上がる」と、この授業の専任でもある矢部さんは語る。


 授業の底本は、アメリカの教育者スティーブン・R・コヴィー氏の著書『7つの習慣―成功には原則があった!』

主体性や誠実さ、協調性といった人格の重要性を説き、多くの企業が研修に取り入れるビジネス書の古典的存在だ。


 海外の教育実践などをヒントに、2004年にFCエデュケーション社(東京)が子ども向けの教育プログラムの展開を開始。

「子どもが積極的になった」など評判が高まり、「7つの習慣J」を教える塾は全国で214校に。私立中・高校にも広がり、導入校は全国で87校にのぼる。

 大阪市北区にある中高一貫の私立女子校、金蘭会(きんらんかい)中学校では、4年前、本の愛読者だった田中好浩教諭(51)が「学校改革の要に」と藤林富郎校長(57)に提案した。

前例のない取り組みに異論もあったが、議論の末、2008年から中1に導入。「1期生」が3年になった年から、部活動で全国大会優勝や入賞が相次ぎ、精神面の成長ぶりに先生たちも驚いた。


 現在は校長を含め教諭12人が講師の資格を取り、中2まで2年間の必修授業に。

毎週、授業内容を保護者向けの通信で伝えるほか、保護者会も開いて家庭との連携をねらう。

今年、同校が行った調査では、保護者の約3分の2が「子どもの変化を実感」と評価、本を手に取る保護者も増えた。

 中2の津森望美(のぞみ)さん(14)は、「自分の反応や感情は選択できる、という考え方を学び、確実に新しい自分が生まれた」と語る。

人間関係や勉強で悩んだ時、折に触れて授業を思い出すという。


 遠回りのようだが、小さな変化の積み重ねが大きな成長を生む。
(片山圭子、写真も)

posted by 小だぬき at 12:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

民の力を活かそう つながり望む声を聞け

民の力を活かそう 
つながり望む声を聞け

2012年1月7日  東京新聞社説

 福島第一原発の事故で多くの人々は、日常が破壊されました。

十数万人もの避難者は県内・県外に散り散りです。つながりを求める声を聞きましょう。


 うっすらと雪が残る五日夕、中古のトラックが福島市内の農作物直売所にやってきました。

荷台には一トン余りの温州ミカン。七日の初売りに間に合わせました。「元気か」と待ち受けた人々が声を掛けました。


 愛媛県伊予市の渡部寛志さん(32)が約千三百キロもの距離を走り、運んできたのです。妻(29)と七歳と三歳になる女の子も窮屈な車から降りてきました。

◆避難を転々、愛媛へ

 「四日夜に愛媛を出発して、瀬戸大橋を渡り、高速道路を延々と…。二十一時間もかかりました」と語る渡部さん自身が、原発の避難者です。

福島県南相馬市の自宅は、原発から十二キロにあり、警戒区域に含まれます。


 「家の二百メートルまで迫った津波で、目前の二つの集落は残らずなくなりました。

妻と子は裏山の農作業小屋で一夜を明かし、親類宅に身を寄せました。

私は消防団員でもあり、翌日は行方不明者の捜索にあたっていました。そのとき、原発が爆発したのです」


 コメや卵、野菜をつくる専業農家でした。原発事故はその生活を一変させました。


 「翌日に郡山市の姉の家へ、3号機の爆発後は、会津若松市の母の実家へと避難しました。

 長女が小一になる昨年四月上旬に松山市へと移りました。『生きる場』を原発で奪われたと思っています」


 農業を営むため、昨年夏に瀬戸内海から五キロほど入った中山間地に農地と空き家を見つけました。

 「借りたのはミカン畑です。

地主さんからは『ミカンは儲(もう)からないから、キウイをやれ』と勧められました。でも、キウイは福島でも栽培されています。郷里でつくれない果物をと思いました」

◆家族さえ分断した現実


 田んぼも借りていますが、コメを福島に運ぶつもりはありません。放射性物質の検出や風評被害で戸惑いの渦中にある農家の心情が浮かぶからです。「コメを持ち込めば、福島農民のプライドをずたずたにしてしまうでしょう」


 福島県によれば避難者数は、県外で約六万二千人、県内で約九万六千人にのぼります。その大半が原発事故による避難者にあたるとみられます。県人口もいまだに減り続けています。大勢の人が「生きる場」を失ったのと同然です。


 もともと被災地は二世代、三世代の同居が多い地域でした。

でも現役世代は県外の親類を頼って移転し、お年寄りは県内の仮設住宅に残るケースが目立ちます。

「自分が重荷になる」と感じていると聞きます。苛酷な現実です。


 地域のつながりはむろん、家族まで分断してしまったのが、原故のむごさです。


 ミカンでつながりを持ちたい渡部さんも内心は複雑です。


 「仮設住宅にもミカンを運び、喜んでもらいましたが、私は落ち込みもしました。

自分だけしたいことを始めたのではないか。自分勝手ではないか…。故郷を捨てたわけではないけれど、気が重たくなりました」


 仮に南相馬市の家が国の新基準で居住が認められたとしても、すぐに帰るつもりはありません。

元の土地で農業を営む限り、放射線量が高い山間部から水が流れてくるからです。


 「子どもへの影響は心配です。いずれ故郷に戻りますが、それは娘が高校を卒業してから。自己判断に任せようと思います」


悩める避難者の気持ちを政府はどう受け止めるでしょう。昨年末に原発事故の「収束宣言」を出し、汚染土壌などの中間貯蔵施設を原発のある双葉郡内に建設する方針を打ち出しました。


 まるで事故の幕引きのため、既成事実化を急ごうとする非情さがうかがえます。人の心まで「処理」できません。葛藤を続ける住民たちの心を逆なでし、怒りを増幅させるばかりでしょう。



◆「秋には黒字に」と焦り

 悩ましいのは収入が上がらず、東京電力の補償の見通しも不透明なことです。

「今年秋には黒字化したい」と焦りを語ります。経済的な補償は当然ですが、同時に故郷や家族とのつながりが分断された人々の支援策にも国はもっと取り組むべきです。


 トラックの荷台にはミカンが残っています。渡部さんが向かう先は古里の南相馬市。避難中の両親や農業仲間と新年会で再会するのが楽しみです。

posted by 小だぬき at 09:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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