毎日新聞 2012年05月29日 東京地方版
精神科医が多数、参加する学会に出席した。
最先端の遺伝子研究や新しい薬物療法などの発表が相次ぎ、カタカナや英語のメモを取るのもひと苦労だったが、一方でまったく逆の話も多かった。
たとえば、がんなどの重い病気があって入院している人が、昼と夜のリズムが逆転してしまうことがときどきある。
そういう場合、内科の先生に頼まれると精神科医は、「じゃ、睡眠導入剤を処方しましょう」と言いがちだ。
しかし、その道のベテランの医師はこう言った。
「眠れないからすぐに睡眠薬、ではなくて、たとえばベッドを窓際に移してみる、というのはいかがでしょう。
それだけでも一日のリズムが戻ってきて、夜は眠れるようになれることも少なくないのです」
ほかのシンポジウムや研究発表でも、「すぐに薬を出さずに、話を聴きながら様子を見る方法もあります」「高度な検査装置がなくても、まずは目の前の患者さんをしっかり診察しましょう」といった発言、アドバイスを何度も聞いた。
つまり、ひとことで言えば、「科学や技術に頼らない診断、治療を大切に」ということだ。
「なるほど」と私は深くうなずいた。
私が勤務している診療所は最近、全面的にカルテがパソコン化されたのだが、そうなるとつい「えーと、これとこれの検査をして、この薬を出して」と診断から治療までをパソコンの画面だけで計画してしまいそうになる。
しかし、本当に大切なのは「夜、何度も起きてしまうのですね。……もしかして日中、昼寝してませんか? え、してる? じゃ、少し昼間は外に出て、からだを動かしてみましょうよ」と原点に戻り、アナログ的な診断やケアを忘れないようにすることではないだろうか。
とはいえ、「認知症の脳血流シンチ検査はどうなるか、って? ああ、私、むずかしいことや新しいことはいっさいわからないし、あくまで患者さんをじーっと診て診断したいから」と科学を拒否するのも、また医師としては問題のある態度といえる。
結局は、言うまでもないことだが「新しいものと昔ながらのものをバランス良く」ということになろう。
でも、この「バランス良く」ということほど、人間にとって実行するのがむずかしいものはない。
たとえばダイエットをしようとして、完全に食事抜きにする期間と反動でドカ食いをする期間を繰り返している人はいないだろうか。
私もダイエットではよくそんな失敗をするのだが、せめて診察室では「新旧バランス良い治療」を心がけたい。