2012年07月13日

調査の「ゴール」が違う

香山リカのココロの万華鏡:
調査の「ゴール」が違う
毎日新聞 2012年07月10日 東京地方版 

昨年10月、滋賀県大津市で当時、中学2年の男子生徒が自殺した問題。
背景には、深刻ないじめがあったことが明らかになった。


 市の教育委員会がこの生徒が自殺した後に全校アンケートを実施したところ、16人が「(死亡した生徒が)自殺のリハーサルをするように強制されたと聞いた」などと回答を寄せていたという。

しかし、その後、市教委は加害者とされる生徒への聞き取りなどを経て、「いじめはあったが、それと自殺の因果関係は判断できない」との見解を示した。


 これまでも自殺をめぐる問題で、「因果関係は特定できない」というフレーズが使われてきた。
「職場でのいやがらせはあったが、それと自殺との因果関係は明らかではない」というように、「長時間の過酷な労働」「上司からのハラスメント」「夫婦間の暴力」そして今回のような「学校でのいじめ」などが、「被害者の自殺との因果関係ははっきりしない」と結論づけられてきたのだ。

こういった調査では、そもそものゴールが間違っている。因果関係を特定するのが目的なら、それは「判断できない」という答えにたどり着くのは目に見えているのだ。
それを証明できる唯一の人である本人が、もうこの世にいないからだ


 「原因はこれです」と言える人がいなければ、条件が厳密に整えられた科学の実験でもない限り、ひとつの原因とひとつの結果との関係を証明するのはきわめてむずかしい。
就職試験に失敗した人が、「面接で声が小さかったからかな」と想像しても、ほかにも話の内容や態度など考えられる原因はいくつもある。
そうなると、決め手は採用者に「私を落としたのは、声の大きさに問題があったからですか」と尋ねるほかなく、それができないならいくら考えても「因果関係は明らかではない」という答えしかなくなる。


 今回の問題でも、やらなければならなかったのは自殺の原因探し、犯人探しや因果関係の証明ではなかったはずだ。
まずは「深刻ないじめがあった」という事実を認め、なぜ起きたか、なぜ防げなかったか、今後の対策は、といった具体的な検討を行うべきだ。

それにしても、学校でのいじめはなぜなくならないのだろう。

「命の大切さを教える」とか「厳罰化を進める」といった対策では解決できない深い問題がいまの教育の現場にはあり、いじめを行う側の心も相当、ゆがめられ追い詰められているのだと思う。
なぜいじめたくなるのか。なぜ「いじめられてる」とSOSを出せないか。もう一度、考えてみたい。

posted by 小だぬき at 06:53| Comment(0) | TrackBack(0) | うつ病について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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