2013年05月03日

高度成長で縁起物から“害虫”に ゴキブリと人間の50年格闘史

高度成長で縁起物から“害虫”に ゴキブリと人間の50年格闘史
2013.04.29 16:00 NEWSポストセブン
 
 姿を見かけると悲鳴をあげられ、問答無用で駆除の対象となるゴキブリだが、日本で“害虫”として認知されるようになったのは、約50年前、高度成長期のころからだった。


 アフリカ原産のゴキブリは、温かく食べ物がある場所でなければ生存できない。
高度成長期より以前の日本では、食べるものがふんだんにあり、保温性が高い場所を確保できる豊かな家でなければゴキブリは生きられなかった。


 実際に、大正11(1922)年につくられた童謡「こがねむし」は「こがね虫は金持ちだ 金蔵たてた蔵たてた」と歌い出すが、このコガネムシは緑色に輝く、夏にあらわれる昆虫のことではない。

作詞した野口雨情の出身地では、チャバネゴキブリのことを「こがねむし」と呼び、現れると金が貯まる縁起物とされていた。


 ところが、日本の住宅事情が改善され人々の生活が豊かになると、特別な金持ちの家に限らずゴキブリは出現するようになった。
すると、縁起物の地位からすべり落ち、細菌やウイルスを運ぶ“害虫”と考えられるようになった。


 50年ほどのゴキブリ駆除の歴史のなかで、日本人はさまざまなチャレンジをしてきた。


 殺虫剤をくん煙させ、隙間に入り込んでも追いかけて駆除する製品が発売されたのは1961年。

少し置いて1968年にはエアゾール式製品が登場し、家じゅうを殺虫剤でいぶさずとも手軽にゴキブリ駆除に取り組めるようになった。

そして、1970年代には、ゴキブリを捕獲して取り除く、捕まえたことを確認できる装置が流行する。


 使用する殺虫剤の成分は変化したものの、多くは上記3タイプに分けられていたゴキブリ駆除商品に、新しいタイプが登場したのは1980年代半ば。

日本におけるゴキブリ駆除の歴史が始まった当初から、農家などには伝えられていた「ホウ酸団子」が主婦の間に口コミで広がり、ブームとなったのだ。
これをきっかけに、殺虫成分入りのエサを食べさせる毒餌剤が新たに加わった。


 さまざまなタイプを生んできたゴキブリ駆除商品だが、すべてのタイプに対して一貫した変化の傾向がある。
人への安全性を、より重要視していることだ。


 有機塩素化合物を殺虫剤として使用することで始まったゴキブリ駆除商品だったが、環境問題への関心の高まりとともに、使用する薬剤は、より人体への心配が少ないものへと変化していった。

いまや、この春に発売された「ゴキブリ凍止ジェット」(フマキラー)のように「殺虫成分ゼロ」が最先端の駆除商品だ。

 温かいところでなければ生きられないゴキブリの性質を利用し、冷却効果で動きを瞬時に止めるため、使用しているのは噴射ガスだけなので、殺虫成分が必要ないのだ。

「マイナス75度(※降下温度。条件により異なります)の冷却効果で、動きを瞬間的に停止させます。
使用するのは冷却ガスのみ。
成分がガスだけなので噴霧後にすぐに乾き、ベタツキ汚れが残りません。
まさに”究極のクリーン処方”と言えますから、冷蔵庫の近くのような食品まわりや、寝室、子供部屋でも安心して使えます」(フマキラー商品開発担当者)


 ゴキブリには厳しいが、人にはやさしいという駆除商品のトレンドが、しばらく続きそうだ。


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社説:憲法と改憲手続き 96条の改正に反対する

社説:憲法と改憲手続き 96条の改正に反対する
毎日新聞 2013年05月03日 02時30分

 上映中の映画「リンカーン」は、米国史上最も偉大な大統領といわれるリンカーンが南北戦争のさなか、奴隷解放をうたう憲法修正13条の下院可決に文字通り政治生命を懸けた物語だ。彼の前に立ちはだかったのは、可決に必要な「3分の2」以上の多数という壁だった。


 反対する議員に会って「自らの心に問え」と迫るリンカーン。
自由と平等、公正さへの揺るぎない信念と根気強い説得で、憲法修正13条の賛同者はついに3分の2を超える。
憲法とは何か、憲法を変えるとはどういうことか。
映画は150年前の米国を描きつつ、今の私たちにも多くのことを考えさせる。

 ◇「権力者をしばる鎖」

 安倍晋三首相と自民党は、この夏にある参院選の公約に憲法96条の改正を掲げるとしている。
かつてない改憲論議の高まりの中
で迎えた、66回目の憲法記念日である。


 96条は憲法改正の入り口、改憲の手続き条項だ。
改憲は衆参各院の総議員の「3分の2」以上の賛成で発議し、国民投票で過半数を得ることが必要と規定されている。
この「3分の2」を「過半数」にして発議の条件を緩和し、改憲しやすくするのが96条改正案である。


 憲法には、次に掲げるような基本理念が盛り込まれている。

 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」(97条)


 「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」(98条1項)


 その時の多数派が一時的な勢いで変えてはならない普遍の原理を定めたのが憲法なのであり、改憲には厳格な要件が必要だ。ゆえに私たちは、96条改正に反対する。


 確かに、過半数で結論を出すのが民主主義の通常のルールである。
しかし、
憲法は基本的人権を保障し、それに反する法律は認めないという「法の中の法」だ。
その憲法からチェックを受けるべき一般の法律と憲法を同列に扱うのは、本末転倒と言うべきだろう。


 米独立宣言の起草者で大統領にもなったジェファーソンの言葉に「自由な政治は信頼ではなく警戒心によって作られる。
権力は憲法の鎖でしばっておこう」というのがある。

健全な民主主義は、権力者が「多数の暴政」(フランス人思想家トクビル)に陥りがちな危険を常に意識することで成り立つ。
改憲にあたって、国論を分裂させかねない「51対49」ではなく、あえて「3分の2」以上の多数が発議の条件となっている重みを、改めてかみしめたい。

外国と比べて改憲条件が厳しすぎる、というのも間違いだ。


 米国は今も両院の3分の2以上による発議が必要だし、59回も改憲している例として自民党が引き合いに出すドイツも、両院の3分の2以上が議決要件となっている。
改憲のハードルの高さと改憲の回数に因果関係はない。
問われるべきは改憲手続きではなく、改憲論議の質と成熟度だ。
改憲してきた国にはそれがあった。日本にはなかった。

 ◇堂々と中身を論じよ

 改憲案は最後に国民投票に付すことから、首相や自民党は、発議要件を緩和するのは国民の意思で決めてもらうためだと言う。
こうした主張は、代議制民主主義の自己否定につながる危うさをはらむ。


 
普遍的な原理規範である憲法を変えるには、まず、国民の代表者の集まりである国会が徹底的に審議を尽くし、国民を納得させるような広範なコンセンサスを形成することが大前提だ。
それを踏まえた発議と国民投票という二重のしばりが、憲法を最高法規たらしめている。

 
国民代表による熟議と国民投票が補完しあうことで、改憲は初めて説得力を持ち、社会に浸透する。
過半数で決め、あとは国民に委ねる、という態度は、立憲主義国家の政治家として無責任ではないか。


 衆院憲法調査会が8年前にまとめた報告書には「できるだけ国民の間に共通認識を醸成し、その民意を確認する手続きとして国民投票が行われるという過程になるように、国会議員は努力する責任がある」
「たとえ政権交代があった場合でもぶれることのない、一貫した共通のルールを作る視点が大事であり、そのためには国会で幅広い合意を得ることが重要だ」などの意見が盛り込まれている。

改憲を発議にするにあたって、国会が果たす役割と責任を強く自覚する姿勢である。


 そうした声は今、手っ取り早く憲法を変えようという動きにかき消されつつある。
憲法が軽く扱われる風潮を危惧する。


 私たちは、戦後日本の平和と発展を支えてきた憲法を評価する。
その
精神を生かしつつ、時代に合わせて変えるべきものがあれば、改憲手続きの緩和から入るのではなく、中身を論ずべきだと考える。
国会は堂々と、正面から「3分の2」の壁に立ち向かうべきである。

posted by 小だぬき at 06:45 | Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする