「消費税ヒヤリング」のフザけた実態
2013年8月31日 ゲンダイネット掲載
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きょうは、犠牲者が10万人を超えた関東大震災から90年にあたる、「防災の日」です。
大震災の教訓に学び、災害に備える催しが各地で取り組まれています。
世界有数の地震・火山国であり、台風も常襲する日本では、大災害が繰り返され尊い命が失われてきました。
発生2年半となる東日本大震災と原発事故の「複合災害」は約30万人に避難生活を強いるなど、いまも進行中です。
この夏の記録的豪雨による被害も深刻です。
国民の安全を守り災害に強い国土をつくる政治の役割と責任が重要です。
1923年9月1日午前11時58分、神奈川県沖の相模トラフ(海溝)を震源にマグニチュード(M)7・9の激しい揺れが関東一帯を襲いました。
死者・行方不明者は東京、神奈川など1都6県で約10万5千人にのぼりました。
犠牲者の約9割は東京市(当時)と横浜市で、ほとんどが焼死でした。
人口密集地域で木造家屋が倒壊し、昼食支度中の火災が多発したうえ、おりから低気圧の影響による強風で被害が拡大したのです。
現在の両国国技館近くの旧陸軍被服廠(しょう)跡に避難していた数万人も、炎に囲まれ逃げ場を失い3万人余りが命を落としました。
いま横網町公園に整備された“悲劇の地”には焼けただれた鉄骨などが展示され、惨害のすさまじさを今日に伝えます。
震災後、「井戸に毒を入れた」などというデマが流され、軍、警察、自警団によって罪のない多数の朝鮮人、中国人や日本人が虐殺されました。
被災者の救援活動をしていた日本共産青年同盟の初代委員長・川合義虎が虐殺された亀戸事件なども起きました。
歴史の汚点として記憶され、絶対に許されてはならない事件です。
自然災害は避けることはできなくても、それに備えることで被害は減らせます。
都市であれ地方であれ、備えを欠いたことで被害が拡大するのは「人災」です。
それを防ぐのはまさに政治の責任です。
関東大震災は都市化がすすむ人口急増地域でありながら、それに見合った防災の備えが追いついていなかったことにより引き起こされた大惨事です。
無秩序なまちづくりや乱開発をすすめることがいかに危険かを浮き彫りにしています。
いま首都圏の居住者は90年前とは比較にならない規模に増大し、人の移動距離も広がっています。
建物の高層化や地下化もすすむ一方で、雑居ビルや老朽した木造住宅が混在するなど、都市は複雑化の様相を強め、災害による新たな危険を高めています。
政府の中央防災会議は、切迫の危険が指摘されている首都直下地震や南海トラフでの巨大地震にたいする被害想定を厳しく見直し、防災や避難の体制を強化すれば被害を減少させることができるとの報告書をまとめました。
災害に強いまちをつくるためにいまこそ政治が役割を発揮するときです。
関東大震災を記憶にとどめ、5千人以上の犠牲を出した伊勢湾台風の翌年に決められた「防災の日」は、さまざまな災害を想定してその備えを総点検する日です。
地域の危険に見合った防災の仕組みは整っているのかなど、改善を求める取り組みが重要です。
神奈川県A市では「きなこ揚げパン、豚汁、ナムル、牛乳」、
千葉県C市では「五目あんかけ焼きそば、アメリカンドッグ、キウイ、牛乳」、
北海道F市では「クロコッペパン、みそにこみラーメン、ケチャップだれにくだんご」……。
これらは『変な給食』『もっと変な給食』(ブックマン社刊)で教育行政に警鐘を鳴らした栄養士の幕内秀夫氏が収集した、全国小学校の今年の「給食献立表」にあったメニューだ。
義務教育の小中学校で出される学校給食は「学校給食法」に基づき、そこには、
給食は「子供の健康のために実施されなければならない」と記されている。
しかし、残念ながら同法の精神が遵守されているとは言いがたい。
「私の元には全国の父母や学校関係者から学校給食献立表が送られてきます。
素晴らしい給食を実施してレベルを上げる自治体がある一方で、首を傾げたくなるようなメニューを出している自治体も少なくありません。
一生懸命やっている自治体とそうでない自治体の差が拡大し、給食の質の二分極化という憂うべき状況が進行しているのです」(幕内氏)
幕内氏は学校給食の傾向について、さらにこう続ける。
「最近では毎日のようにハンバーガー、ピザ、ホットドッグ、ラーメン、菓子パンなどが出ます。
他方、ご飯に味噌汁のついた献立はほとんどありません。
給食のファストフード化、ファミレス化の流れが加速しているのです。
また、食事の基本は『一汁二菜』、つまり主食に主菜、副菜、そして汁ものとされてきました。
学校給食において、これを必ず守れとは言いませんが、主食と副食の区別はあってしかるべきです。
ところが最近の給食ではパンと麺類がセットになり、主食が二つという異常なパターンが定着してしまいました」(幕内氏)
食文化の崩壊は学校給食の現場から始まっているのかもしれない。
※SAPIO2013年9月号
判決はこうだ。二〇〇七年十二月、愛知県内に住む認知症の男性(91)が線路内に立ち入り、電車にひかれて亡くなった。
JR東海は遺族に「監督責任を怠った」として列車遅延に対する七百二十万円の損害賠償を要求。
同地裁は認め、妻と長男に全額支払いを命じた。
男性は八年前から認知症状が出始めて、事故当時は「要介護度4」。
徘徊(はいかい)もあるため、介護は週六日のデイサービスと、八十五歳の妻と県外から引っ越した長男夫婦が協力していた。
事故は妻がまどろんでいた間に男性が外出して起きた。
判決は医師の診断書などから事故を予見できたとし、「安全対策や注意義務を怠った」と断じた。
線路への侵入防止策を十分にとっていなかったJR側の責任は問わなかった。
遺族は怒りでいっぱいだろう。
認知症の男性を部屋に閉じ込めておけばよかったのか?
自宅でも、施設でも、ヘルパーに頼んでも、一瞬の隙もなく見守るなんてできないはずだ。
認知症の人が人生最期までよりよく生きるために、家族や事業者たちは日々、悩んでいる。
老老介護。介護のあり方。
みんなで考える時代に逆行しない、もっと温かな視点を込めてほしかった。 (佐藤直子)
不安定なパーソナリティーを特徴とする心の病、たとえば「ボーダーライン性パーソナリティー障害」を持ち、頻繁に訪れる感情の波に苦しむ人やそれに翻弄される家族は少なくない。
そういう人たちは、今回の出来事にショックを受けているのではないだろうか。
しかし、誰の場合でも不安定さがずっと続き、悲劇的な結末が待っているわけではない。
先日、ある学会で精神科医の岡野憲一郎氏の講演を聴く機会があった。
岡野氏は「ボーダーライン」と診断された患者さんを6年後に再び診断したところ、その7割が診断基準を満たさなかった、という米国の研究を紹介し、「パーソナリティー障害というと治りにくいもの、一生続くものという従来の常識は間違っている可能性がある」と話した。
岡野氏の経験でも、特に攻撃性や衝動性といった傾向は、年齢を重ねるうちに落ち着いていくことが多いという。
逆に「むなしさ」などは長く残ることがある。
一般の人でもそうだが、不安定なパーソナリティーも年齢とともに「枯れていく」のだ。
私の経験では、もともと創造性の高い人が「ボーダーライン」などの不安定な人格を有していた場合、皮肉なことに「枯れ」のスピードが遅いように思う。
60代になっても鮮烈な色彩で激しい絵を描くアーティストは、その年齢でも思春期の頃と同様に、家族をののしったり夜の街に飛び出して行ったりしていた。
ただ、これは幸いなことだと思うのだが、多くの人はそこまでのエネルギーを保てず、不安定さが押し寄せてきても怒鳴ったり暴れたりせずに、なんとかしのげるようになる。
「むなしさ」が心の中に残っていても、それを周囲と調和させることもできるようになるはずだ。
今、自分の中で荒れ狂う不安定さに困り果てている人も自分に言い聞かせてほしい。
「この嵐は年齢とともに必ず治まっていくはず」。
そうならなかった藤圭子さんは本当に痛ましい。
せめて私たちが彼女の歌を聴き続けることで、その魂が安らぐことを祈りたい。
若者に極端な長時間労働を強いるなどのいわゆる「ブラック企業」という名称は、メディアがその言葉で特集を組むまでになっているのでごぞんじの方も多いと思いますが、昔風に言えば「ブラックリストに載っている会社」でしょうか。
しかし、かつては経営状態に裏表(ブラック)があるかどうかが話題にされていましたが、今は解釈が違います。
「ブラック企業」は、雇用状態が問題とされます。
社員に無報酬で残業を強いる、管理職という名目で体や精神が壊れるまで働かせる、個人が理解できない理由で突然解雇にする。
他にも、具合が悪いから遅刻や早退の希望を出す、通院のために有休を取るなどの行為について、それとなく本人が感じるような「いやがらせ」に似た労働を与えるなどして、心身ともに苦しくさせていく。
他にも細かく調べると、「いやがらせ」の対象者としてはまってしまった個人への精神的悪影響は、時おり想像を絶するものがあります。
心療内科でも10年前までは「燃え尽き症候群」の個人に対して、「働きすぎるのがいけない。
バランスを取って休み休みやらないとまた同じ状態になる、生活習慣や自分の考え方の傾向などを観察し……」などアドバイスをしていたのですが、最近になってこれは個人の問題ではないと感じることが増えました。
朝起きられない、体の倦怠(けんたい)感などを訴えていたのが徐々に「体中の痛みで動けない」という状態になっていく慢性疼痛(とうつう)の一種「線維筋痛症」になっていく患者さまも増えてきています。
当然会社を辞めなくてはならない身体状態になっていきます。
しかし、「もうこれ以上働けないところまで働いた、でも給料は増えないし、働けないならクビだと言われる、もう辞めるしかありません。
元の元気なカラダに戻してください!」と訴えられるのです。
そこには個人を取り巻く周囲の疲労も見え隠れします。
必ずしも「愉快犯」のようにいやがらせをやっているようには見えません。
ひとことで言えば、他の人にも余裕がない。全員がギリギリで生活をしている、疲弊しているといった感覚が話を聞いているとこちら側にも伝わってきます。
他人を助けようというような優しい気持ちになれないぐらい、「職場のあちらこちらに心身ともにおかしい状態の人がいる」と訴える患者さまもいます。
日本の社会は、男女とも年齢に関係なく、健康で心身ともに強いか、あるいは私生活に恵まれた者だけが生き残れる社会になりつつあると訴えられます。
就職ができない人もたくさんいるのだから過酷な労働に耐えられる人、経験があって即戦力になれる人と取り換えたらいいといった経営側の考えも存在するようです。
契約社員やアルバイトをもっと増やす経営方針もあります。
私が訴えを聞いた患者さまは、アルバイトでした。
朝9時から時給で働く仕事なのですが、ノルマをこなさないと「サービス残業」をしなければ仕事のオーダーに間に合わない。
朝9時から準備を始めたのでは1日の仕事が間に合わないのに、朝は天候に関係なくビルの外で正社員が9時ギリギリに来るまで立って待っていなければならない。
他のアルバイトもタイムカードを押すためにそうしている。9時からの仕事開始では準備が遅れてしまうから、鍵をあけるために30分早く正社員に来てもらうか、鍵の管理を特定のアルバイトに任せてくれないかと提案すれば却下される。
要領よくスピードを上げないからだとどなられる。
正社員は朝の9時前から働きたくない、鍵の管理をアルバイトに任せない、個人に信用を置いてもらってないとか、正社員との精神的な差別化を感じさせるものばかりだと他のアルバイト仲間に相談すると、「クビになりたくなければ黙っていろ」と言われた。
アルバイトから契約社員になっても時給はさほど変わらないが、正社員になるのは非常に難しい会社だったので、辞めて就職探しをしたら正社員になれた会社があった。
ところが今度は、アルバイトの欠勤を埋めるために自分が無報酬で働くようなポジションにつくことになり、体を酷使しているうちに慢性疼痛を起こし、指の先まで動かなくなってしまい退職したと訴える30代の男性でした。
弁護士や議員のみなさんは、事実を集めて正当な訴えを起こすこと、労働組合に相談することなどを提案していますが、実行することができるエネルギーをためることができる人は、病に陥ることもないかと思います。
訴えが効果を出すまでには時間がかかり、必ずしも成功するとは限りません。
その間、医療の現場では患者の数が増加していくだろうと私は感じています。
少子化による労働者の減少、働かずして高給をとる管理職、文句を出したらきりがないかもしれません。
でも、言ってもどうにもならないことは言わないほうがいいという考えは、間違っています。
ストレスコントロールの最大の武器は、言いたいことの毒を吐き出すように言うことです。
吐き出すうちに解決策が見えたり、新しいエネルギーが湧いてくることもある。
「どこで、誰に向かって?」と聞かれますが、ときには医療の担当医とケンカをすることもいいかもしれない。
働く現場という意味では、医療者の働く現場も他と同じです。
患者さまを決して見捨てないという精神を強くしていくには、自分たちの働く環境にもしっかりとした信念が必要になってくるでしょう。
社会全体のエネルギーは、人が人の潜在的エネルギーを諦めないことで大きくなっていくと、私は信じています。
その職種の特徴を見極め、労働状況の何を改善していけばその職種をのばしていくことができるかを、個別に考えていく時期なのだと思います。
政府内では、米国が国連安全保障理事会の決議なしに攻撃に踏み切った場合、イランや北朝鮮など大量破壊兵器絡みで国際社会と対立する国々への影響も考慮して、米国の同盟国として支持や理解を表明すべきだという考え方が強い。
しかし、化学兵器が使われたのは間違いないとみられるものの、使用したのがアサド政権なのか反体制側なのかという、肝心な点がはっきりしない。
米国はまずアサド政権側が使用したと主張する明確な根拠を示してほしい。日本は米国に証拠提示を迫るべきだ。
ロシアで開かれた主要20カ国・地域(G20)首脳会議にあわせ、安倍晋三首相は、オバマ大統領と会談し、米国が計画するシリア攻撃について「非人道的行為を食い止める責任感に敬意を表する」と述べ、シリア情勢改善に両国が緊密に連携することを確認した。
踏み込むことを避けた首相の対応は、不明な点が多い現時点では妥当なものと言えよう。
最大の不明点は、化学兵器を誰が使用したかだ。
米政府の報告書では、8月21日のダマスカス郊外での化学兵器使用疑惑について「アサド政権が使用したと強く確信している」としているが、断定できるのか疑問だ。
仏政府の報告書も同様だ。
仮に化学兵器を使ったのが反体制側なら、「アサド政権に化学兵器使用を思いとどまらせる懲罰的攻撃」という米仏の攻撃の根拠は崩れる。
2003年のイラク戦争で、当時の小泉純一郎政権は、安保理決議がない米英両軍の攻撃を支持し、復興支援で自衛隊を派遣したが、開戦の根拠となった大量破壊兵器は見つからなかった。
欧米では反省から検証が行われたが、日本では戦争支持の経緯や責任はうやむやのままだ。
シリア攻撃に近いケースとされる1999年のコソボ紛争では、安保理決議がないまま、アルバニア系住民の保護という人道的介入を理由に北大西洋条約機構(NATO)がユーゴスラビアを空爆した。
日本は理解を示し、人道復興支援をした。
しかし、人道的介入の考え方には、拡大解釈を生むなど批判もある。
シリア情勢は、安保理決議にロシアと中国が反対し、安保理が機能しない中、国際社会が紛争にどう対処するかという重い課題を突きつけている。
安保理決議なしの軍事攻撃が制裁の方法として妥当なものかは、なお議論が残るが、まずは最低限、明確な証拠の提示がなければ、攻撃の妥当性を判断しようがない。
政府は、米国がしっかりとした根拠を示すよう外交努力を強めるべきだ。
長引く避難生活で体調が悪化したり、自殺に追い込まれたりするケースがあり、原発事故被害の深刻さが裏付けられた。
関連死の審査会を設置しているか、今年3月末までに関連死を認定したケースがある福島県内25市町村を調べた。
復興庁が公表した3月末の関連死者1383人から5カ月で156人が新たに増えたことになる。
南相馬市が431人で最も多く、浪江町291人、富岡町190人−−の順だった。
年代別では回答が得られた355人のうち、80歳代以上233人(65.6%)▽70歳代79人(22.3%)▽60歳代32人(9.0%)などで高齢者が多かった。
死因については多くの市町村が「今後の審査に影響する」と回答を避けた。
復興庁による昨年3月末のデータを基にした県内734人の原因調査では
「避難所などの生活疲労」33.7%
▽「避難所などへの移動中の疲労」29.5%
▽「病院の機能停止による既往症の悪化」14.5%など。
自殺は9人だった。
宮城県では今年8月末現在で869人、岩手県は413人だった。
関連死申請の相談を受けた経験がある馬奈木厳太郎弁護士は「原発事故による避難者数が多い上、将来の見通しも立たずにストレスがたまっている。今後も増える可能性がある」と指摘している。
【蓬田正志、田原翔一】
建物倒壊による圧死や津波による水死など震災を直接の原因とする死亡ではなく、災害により長引く避難所生活の疲労や震災の精神的ショックなどで体調を崩して死亡したケースを指す。
明確な基準はないが、遺族が申請して市町村などが震災との因果関係を認定する。
東日本大震災では福島県の場合、申請の約8割が認定された。
市町村と都道府県、国から最高で計500万円の災害弔慰金が支給される。
■パラリンピック女子走り幅跳び代表
会長、そしてIOC委員の皆様。佐藤真海です。
私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。
スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。
それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。
本日は、そのグローバルなビジョンについてご説明いたします。
19歳のときに私の人生は一変しました。
私は陸上選手で、水泳もしていました。
また、チアリーダーでもありました。
そして、初めて足首に痛みを感じてから、たった数週間のうちに骨肉種により足を失ってしまいました。
もちろん、それは過酷なことで、絶望の淵に沈みました。
でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。
私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。
そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。
私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。
スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。
2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。
しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。
6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうかわかりませんでした。
そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした。
私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。
食糧も持って行きました。
ほかのアスリートたちも同じことをしました。
私達は一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。
そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。
新たな夢と笑顔を育む力。
希望をもたらす力。
人々を結びつける力。
200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら、5万人以上の子どもたちをインスパイアしています。
私達が目にしたものは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。
そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力をもつということです。
福島第1原発事故の影響で双葉町から避難し、福島市の仮設住宅に住む無職の鈴木トクさん(79)は「五輪が開かれれば、外国からも人が来て盛り上がるから良い。
経済効果が東北や被災地にまで及んでくれれば」と語った。
いわき市小浜町で、放射性物質検査のためアワビやウニなどを水揚げした漁業の丹野信一さん(77)も「素直に歓迎すべきだ」と話したが「汚染水問題が解決するか分からず、漁業の復興は道半ば。
福島へ支援の手が届くのか心配になる」と表情を曇らせた。
富岡町で被災し、三春町の仮設住宅に家族5人で避難する派遣社員の萩原光代さん(45)も「復興のアピールばかりで被災地をなおざりにしてもらっては困る」とくぎを刺した。
浪江町から避難し、福島市の仮設住宅で暮らす無職の岡和田温(あつし)さん(40)は「五輪は被災地の復興には役立たない。
汚染水対策を国が前面に出てやると言ったのだって五輪のためだろう。
避難者の生活や原発事故の収束を第一にやってほしい」と訴えた。
【田原翔一、五十嵐和大、猪飼健史】
津波で自宅が流され、親族宅で生活を送りながら、がれきの分別の仕事をする大槌(おおつち)町の小松力(つとむ)さん(59)は「元気になるので気持ちの面では復興に役立つと感じた。
しかしお金もかかること。
2020年を迎えた時、五輪施設は完成したのに、被災地復興は道半ばとならないよう願う」と話した。
津波で事業所や車両を失い、仮設事務所で運送業を営む釜石市の舟本常雄さん(67)は「五輪に向けて東京の魚市場が活気づき、三陸の浜から魚の運送も増えることに期待したい」。
自宅を流され、同市内の中古住宅で独居している釜石市の無職、大久保桂子さん(72)は「復興工事で不足している人手と資材が、五輪の工事に取られてしまわないだろうか」と漏らした。
盛岡市の教員、伊勢美和さん(37)も「安倍(晋三)首相は『復興した姿を見せる』と世界に約束したのだから、有言実行してほしい」と求めた。
【高尾具成、藤河匠、宮崎隆】
名取市の自宅兼店舗が全壊し、仮設商店街で写真館を再開した斎藤正善さん(61)は「安倍晋三首相は原発問題に責任をもって取り組むと言ったが、福島、宮城、岩手の再生・復興にも取り組んでほしい」と注文を付けたうえで「7年後、関東は盛り上がるのだろうが、被災地が取り残されることは許されない。
もっと被災地で競技をしてくれれば盛り上がれる」と話した
東京五輪が決定した8日、仙台市内で開かれたジャズのイベントに来ていた大学生、山下愛さん(21)は、同市若林区にあった自宅を津波で流された。
「ロンドン五輪は見ていてわくわくしたので、東京開催は素直にうれしい。
もうチケット入手の話をしている友人もいる。
7年後は、世界はもちろん、日本でも被災地を忘れている人が多いと思う。
五輪が、そんな人たちが被災地に来てくれたりするきっかけになってほしい」と期待していた。
【井田純、三浦研吾】
先週、ぼくは岩手県陸前高田市を訪ね、心と体の健康法について講演した。
同時に、新著「鎌田式健康ごはん」(マガジンハウス)に掲載した料理を振る舞うことにした。
缶詰や総菜を使うため、簡単でおいしく、体にいい。
話を聞くことと食べることで、頭と胃袋の両方から健康法を納得してもらおう、という戦略だ。
調理は、市内の栄養士さんたちが、ボランティアで協力してくれた。
だが、ぼくの講演に来る人は女性が大半。男性を引っ張り出すにはどうしたらいいか、考えた。
陸前高田は漁師町。
やっぱり演歌だな、と思った。
女性の演歌歌手に来てもらえれば、男性が集まるに違いない−−。
神野美伽さんに連絡した。
神野さんは、ぼくが理事長をしているJIM−NETが、イラクや福島の子どもたちを支援するため実施している「チョコ募金」に賛同し、びっくりするほどの数のチョコを買ってくださった。
感激してお礼の電話をした。
その後、ぼくが出演している文化放送「日曜はがんばらない」にゲスト出演してもらった。付き合いといえば、この2回だけ。
ぼくは本当にずうずうしい。ダメもとだったが、何と、神野さんは二つ返事で快諾。デビュー30周年を迎え、新しいCDの制作やコンサートの準備が忙しいなか、駆けつけてくれた。
陸前高田に着いた神野さんは、がれきが積み上げられたままの光景に、うっすら涙を浮かべた。
この町では、震災関連死も含めれば、2000人近い人が亡くなっている。
介護老人保健施設「松原苑」に行くと、250人を超す人たちが待っていた。
認知症の人も、近所の人も、いっぱい集まっていた。
ぼくの話の時には眠りこけていた人たちも、神野さんの歌が始まると、顔を上げ、目を輝かせた。車いすの上で手拍子を打つ姿もあった。
みんなが歌い出した。笑い転げていた。
歌のパワーを見せつけられた。
韓国でも歌手活動している神野さんは、韓国の親のいない子どもたちの支援活動を続けている。
チョコ募金に賛同してくれたこともそうだが、普段から困っている人のことを助けたい、という思いがあるのだろう。
こういう人は「共感する力」が強い。
被災地でもすぐに溶け込み、被災者の心をつかむ。
見事だなと思った。
会場では、ボランティアが用意してくれたご飯も好評だった。
「鎌田式健康ごはん」の具だくさんみそ汁と、うの花ごはん、サバ煮缶を使ったキャベツ炒め……。
みんなに「良かった、おいしかった」と喜ばれた。
こちらの狙い通り、男性もたくさん参加してくれた。
家族を亡くして1人暮らしの男性も多い。
これを機に、食生活をはじめ、もっと自分の健康に気を使うようになってもらいたい。
町が復興するまでには、もう1、2年はかかる。
それぞれが仮設住宅から出ていくのにも、かなりの時間が必要だ。
その間に脳卒中で倒れないように、心が折れないように、みんなで応援していかなければいけないと思う。
それにはまず、東北のことを忘れないこと。
東北を旅行し、仮設商店街でご飯を食べるだけでも応援になる。
東北の食べ物を「お取り寄せ」するのもいいと思う。
自分にできる方法で、応援を続けることが大事だ。
(医師・作家)
最近、診察室に「引きこもりのきょうだいのことで……」とやって来る人が増えた。
具体的なケースを想定してみよう。
相談に来たのは40代の女性。3歳年上の兄が、長い間実家で引きこもり生活を続けている。
両親が面倒を見ていたが2年前に父親が亡くなり、その後母親は認知症になって施設に入ることになった。
「母親の年金は施設の費用になりますし、私には子育てや夫の親の介護があり、時間的にも経済的にもまったく余裕がありません。
今度、兄を連れてきますから病気なら治療して、何とか働けるようにしてください」
これは架空のケースだが、相談の多くはこんな内容だ。
きょうだいから「今度はあなたが私の面倒を見て」と告げられ、うつ状態に陥った人もいた。
家族には法律上、「扶養の義務」というのがあり、親子、きょうだいが窮地に陥っているのに知らんぷりをすることはできない。
しかし、きょうだい同士はその義務が少し緩く「自分の生活を犠牲にしない限度で援助する義務がある」となっている。
「何がなんでも」ではなくて、「自分にゆとりがあれば」助け合う。
それがきょうだい、と法律で決められているのだ。
そうだとしたら、先ほど挙げたケースの場合、その引きこもりの兄の世話をする義務は妹にはない、ということになる。
とはいえ、事はそう簡単に運ばない。
もし、兄が生活保護を受ける相談に行けば福祉担当者は「どなたか親族で扶養してくれる人はいませんか」と尋ねるだろう。
その前に、本人から「なんとか援助してくれないか」と何度も連絡が来たり、施設に入っている母親が「申し訳ないけど面倒見てあげて」と言ったりするかもしれない。
法的にも感情的にも、「家族の縁を切ること」は簡単にはできないのだ。
では、やはり自分の人生を犠牲にしてでもきょうだいの世話を引き受けるべきなのか。もしもそうなったら、その人は生活能力のない兄や妹を恨み、そんな状態にしたまま世を去った親を恨み、息も絶え絶えで、人生の後半を生きなければならない。
長い間、親に依存して暮らしてきた40代、50代の引きこもりの人たちでも、一念発起してクリニックや相談機関を訪れ、そこから自立を果たす可能性もないわけではないが、残念ながらそれは極めてまれなケース。
「親が亡くなった後、誰が引きこもりのきょうだいの面倒を見るか」という事は、これからの深刻な社会問題だ。
学校現場にどんなメリットや効果があるのか。
先に成績が公表された全国学力テストで、静岡県は小学六年の国語Aの平均正答率が全国を5ポイント下回る57・7%。
都道府県の最下位だった。
これを受けて川勝知事は成績の悪かった百校の校長名を公表したいと記者会見で語った。
成績が悪いのは教師のせいだ。校長名を公表して責任を取ってもらう。
反省を促すのだ−と。
文部科学省は学力テストの実施要領で学校名を明らかにした成績の公表を禁じている。
過度な成績競争を防ぐためで、一九六〇年代に続いた学力テストをやめる大きな理由になった。
知事は「校長名の公表は問題ない」と言うが、校長名が分かれば学校名もわかる。
学力テストは本来、子どもがどんなところでつまずいているのか、どんなことができるようになったのかを教師が知り、指導の改善に役立てるためにある。
成績には教師の教え方が影響するのはもちろんだが、地域や家庭の抱える事情などさまざまな要素が反映する。
学校現場はそれらを細やかに見ていくことこそが求められている。
小学六年や中学三年を対象に行われている全員参加式のテストに疑問が持たれているのは、平均値をはじきだし、都道府県をランク付けするからだ。
平均値より上か、下かなど点数のみに関心が向けられ、一人ひとりの課題を見つけるのに役立てられていない。
校長名を公表すれば教師も子どもたちの成績を上げようと競争へと駆り立てるようになる。
むしろそんな弊害の方が心配になる。
川勝知事の発言は地域の実情を無視した、全国一律の学力テストがもともと抱えている問題を明らかにしたといえる。
テスト成績の扱いについて、公表しても罰則がないために秋田県が市町村別に公表したことがある。
佐賀県武雄市は昨年十二月に学校別で公表した。
ほかにも公表を認めるよう求める首長があり、文科省は公表の範囲を自治体の判断に任せることも検討している。
本末転倒だ。
名前を公表される教師たちは萎縮するだろう。
学力テストを学校を支配する道具にしてはいけない。
東京五輪の経済効果は招致委員会の試算で3兆円といわれても、あるいは副次的な効果まで含めると100兆円を超える、という説をきいても、ふーん、という感想しか出てこない。
ただ「470億円」は、なぜか頭に残り、いまも気になる金額だ。
東京電力福島第1原発の汚染水漏れを収拾するために、政府が投入を決めた国費の額。
完全にコントロールするには、さらに増額しなければならないようだが、470億円でとりあえず止められるのなら、なぜもっと早く決断しなかったのだろう。
国費投入の発表が国際オリンピック委員会(IOC)総会の直前だったから、東京招致への影響を考えた、という見方も出た。
だとしたら東京が立候補していなかったら、いまだに東京電力任せにしていた、ということ?
東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まってから、国内は想像した以上の祝賀ムードに包まれている。
不動産、建設、観光など五輪関連株が大きく上昇し、都庁前での報告会は人の波で埋まった。
スポーツ界にもいい話だ。
政府はスポーツ庁の設置を検討するという。
バラバラだったスポーツ行政が、ようやく一本化する可能性も出てきた。
佐藤真海さんの見事な招致演説のおかげで、パラリンピックへの注目度も、これまでになく高い。
東京のバリアフリー化が進めば、きっと他の地域へも波及するから、高齢者も行動しやすくなる。招致成功はいろいろな好影響をもたらす。
「だからさ」と福島県出身の知人は言う。
「福島も、五輪を利用すればいい」。
五輪ありきの470億円だったとしても、ゼロよりはまし。
「健康問題に関して今までも、現在も、将来も問題はないと約束する」と見えを切った安倍晋三首相に「忘れた」と言わせないよう、折に触れて確認し続けよう、というのだ。
最優先事項は五輪なのだから仕方がない、という諦観も含んだ提案に、言葉が返せなかった。
人のサポートをするために自分の感情を抑え、無理をすることが続いたり、仕事に対する責任感が強く、理想に燃えてがんばったりする人が、あまり期待していないような結果になった時などに、
心の疲労感を感じてイライラしたり、人に会いたくなくなったり、不眠や体調不良になったりします。
そして仕事に対する熱意もなくなり、出勤したくなくなるような“燃え尽き”を起こすことが燃え尽き症候群です。
人をサポートするような仕事に関わる人は、自分の生活を二の次にして仕事をすることもしばしば。
しかも、それが当たり前なこととみられてしまうことなどが、こうした症状の背景といえるでしょう。
仕事と同時に、自分の生活や自分の時間のゆとりとのバランスを考えたり、仲間同士でサポートし合ったりするなど、
人に関わる仕事につく人は、燃え尽きない工夫が必要です。
▽菅氏の主な発言
東京電力が記録していた昨年3月15日未明の菅直人首相(当時)の主な発言は以下の通り。
・被害が甚大だ。このままでは日本国滅亡だ
・撤退などあり得ない。命懸けでやれ
・情報が遅い、不正確、誤っている
・撤退したら東電は百パーセントつぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ
・60になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く
・社長、会長も覚悟を決めてやれ
・なんでこんなに大勢いるんだ。大事なことは5、6人で決めるものだ。ふざけてるんじゃない
・原子炉のことを本当に分かっているのは誰だ。何でこんなことになるんだ。
本当に分かっているのか
賃金が上がらないのは、政府にとっても不安材料になっています。
このため安倍首相は「賃上げの好循環を加速させる環境づくり」のためとして、政府、労働者、使用者の代表による「政労使協議」の開催を甘利明経済再生担当相に指示しました。
今月中にスタートし、年内に一定の合意を得たいとしています。
この協議が賃上げを正面にすえた議論の場になるなら労働者は歓迎するでしょう。
問題は「賃上げの好循環」という議論の方向です。
企業がもうかりさえすれば、やがて賃上げに回ってくるという「企業利益優先」の考え方が前提では、賃上げの環境はつくれません。
第1次安倍内閣当時、戦後最長の好景気で企業は利益を拡大し、巨額の内部留保を増やしたのに、賃金はまったく上がらなかった事実があります。
その反省もなく、「好循環」の環境づくりといって、企業減税や労働コスト削減の規制緩和など、企業の利益拡大のための協議の場にすることは認められません。
政府は、経済動向を判断するなら、家計の実態に真剣に目を向けるべきです。
厚生労働省が発表した7月の毎月勤労統計調査では、ボーナスがわずかに増えて現金給与総額が2カ月連続で前年同月を上回りましたが、肝心の所定内賃金(基本給)は、7月も減って14カ月連続の減少になりました。
2000年と12年の月平均給与を比べれば、深刻さがさらによく分かります。現金給与総額は4万1347円の減少、基本給は2万2238円の減少です。
家計の実態は、景気回復を実感するどころか、きびしい落ち込みが続いています。
内閣府の8月の消費動向調査は、消費者心理を示す消費者態度指数が3カ月連続の低下になりました。
賃金の伸び悩みに加えて食料品など生活必需品の値上がりが影響したとみられています。
8月の景気ウオッチャー調査でも「やや悪くなっている」という比率が増え、景気の現状判断指数が5カ月連続で悪化しました。
政府にいま求められているのは、賃上げによる景気対策に方向を転換することです。
まず国家公務員給与減額の即時中止、自治体への職員給与減額強要の中止など、政府自身の賃下げ方針を改めることです。
賃上げが「デフレ不況」打開のカギだといわれているとき、公務部門が足を引っ張る状態は異常です。
最低賃金は時給1000円以上に引き上げるべきです。
財界には、内部留保の一部を基本給の引き上げに活用するよう強く求めるべきです。
賃上げで国民の所得を増やす対策は、経済を立て直し、消費税増税に頼らずに財政危機を解決する道を開くものです。
先日、東京都立小平霊園で、樹林墓地の抽選があった。
その模様はさながら大学受験の合格発表のようで、喜ぶ人、落胆する人の表情がテレビで映し出されていた。
今年で2回目だが、今回も10倍の応募があったようだ。
生前に本人が埋葬を申し込むタイプがあり人気が高い。
お墓も自分で決めておく時代になった。
一方で地方出身者が多い都市部住民は田舎に先祖の墓を抱えている。
将来誰も見る人がいなくなる墓地をどうするのか、悩む人も多いと思う。
我が家も千曲川を見下ろす長野の山の斜面に墓地がある。
半年は雪に埋もれ、夏場に行くとススキやハギ、ワレモコウなどに覆われ墓石は見えない。
それを刈り取りながら、景色はよいが、人影のないこの場所を終の住まいとするには寂しいと思う。
知らない先祖との同居にも遠慮があり、都市部で暮らす子供たちの負担も大きい。
かといって都市部にお墓を移せば、かなりの費用がかかるらしい。どうしたものか、まだ結論は出ていない。
お墓に対する考え方も大きく変貌してきた。
今や一族の時代ではなく個の時代に入っている。
夫婦でも別々のお墓を希望する人も当たり前のようになった。
老後の暮らしと同様に、自分らしく生き、自分らしく葬られたいということだろう
従って、遺骨の処理もさまざまで、お墓なしで散骨を希望する人も年々増えているようだ。
また、関西には納められた遺骨で10年ごとに仏様を一体つくる寺があり、毎日遺骨を抱えた人の行列ができているそうだ。
共同墓地のスタイルもさまざまで、埋葬希望者が生前に交流を深める女性専用の墓地もある。
共同墓地は毎日のように参拝者があることや経済的な側面も魅力の一つになっており、高齢者の住まいの多様化同様、最後の落ち着き先もさまざまだ。
ちなみに、福祉施設や有料老人ホームでも共同墓地を持っているところが多い。
福祉施設の場合は、引き取る家族が誰もいないなど条件はあるが、民間ホームでは元気な間に契約をしておけば、ホームで永代供養もしてくれる。
<シニアライフ情報センター代表理事・池田敏史子>
その人たちは、「7年後」という現実味があるようでいて、それなりに長さもある年月に負担を感じ、気が重くなっているのであった。
ある人は、「7年後に、自分はもう50代かと考えるとめまいがする。
まだ独身か。仕事はどうなっているのかと急に不安になった」と語った。
別の人は、「それまでに大きな災害があったらどうしよう。
どこに逃げたらいいのかと想像してしまう」と話した。
「まだうつ病が治らずに、こうやってここで先生と話していたら、と考えると気がめいる」という正直な人もいた。
「まあ、きっと大丈夫ですよ。元気になってオリンピックに熱狂してますよ」などと言いながら、ふと「自分はどうしているのだろう」と、我が身にも目が行く。
7年後に私は60歳。
世間で言えば還暦だ。
大学や病院の定年も近い。
退職後の備えはできているのか。
漫画やゲームからは卒業し、年齢相応の落ち着きを身につけているだろうか、などと途端にあれこれ心配になってくる。
マスコミの仕事で会うテレビディレクターや編集者らは「ついに東京にオリンピックが来るね!」と、みんな手放しで喜んでいる。
中には60代もいるが、「絶対に現役でその日を迎えたい」「孫もその頃は大学生。
一緒に観戦へ行けるかと思うとワクワクする」と、新たな励みにしている人も少なくない。
広告代理店に勤める友人は「7年なんてあっという間。準備が間に合うかどうか」と、今から気ぜわしい。
「7年後のオリンピック」を、明日のことのように楽しみにできるか。
それともその日までの時間の長さにぼうぜんとしたり、その時の自分や社会に良くないイメージを抱いてしまったりするか。
その違いで「今の心のエネルギー」を測れそうな気もする。
とはいえ、張り切りすぎて息切れしてしまうようでは元も子もない。
「今よりきっと悪くなっている」と悲観する必要もないが、被災地の復興などやるべきことはきちんとやりつつ、気持ちを落ち着けてその時を待つ。
そうありたいものだと、自分にも言い聞かせた。
だが、藤圭子さんの死をめぐっては、テレビ同様、週刊誌もここぞとばかり本人および家族周辺の情報をあぶり出し、書きたてている。
そこには大きく三つの問題があるだろう。
一つ目は、「自殺報道」のあり方だ。
この点はすでに繰り返し指摘されていることで、世界保健機関(WHO)はメディア向けの自殺報道ガイドラインを作成し、有名人の自殺報道は影響が大きいので「目立つ位置に掲載したり、過剰に報道を繰り返したりしない」などの具体的なルールを示している。
「連鎖」が起きないための防止策であるが、8、9月発行号の各誌の報道がこれらに反することは明らかだ。
二つ目は、原因について一定の取材には基づいてはいるものの、
結果的には臆測の範囲で故人の病状・人間関係を暴き立てている点だ。
報道界は近年、自殺の場合は原則匿名とし、有名人をその例外としているに過ぎない。
今回の場合は、母子ともに有名人であるし、その家族も以前より報道の対象であったこともあり、プライバシーで保護される範囲が通常より狭いことは間違いない。
しかし、とりわけ健康状態を含め曖昧な情報を垂れ流すことの罪は大きい。そこには「何を言っても訴えられないだろう」という安心感がありはしないか。
そして三つ目が、尊厳である。
「フライデー」9月20日号はモザイクをかけた上ではあるが、転落直後の現場写真を掲載した。
おそらくこの写真は、家族も見ていないものに違いない。
もし、どうしても掲載するのであれば、その意味をきちんと説明できなくてはならないだろう。
それなしに興味本位で掲載すべきものとは考えられない。
「モザイクをかけたから許される」と考えるのであれば、わいせつ表現のそれとは違うことへの理解が、決定的に欠けているといわざるを得ない。
=専修大学教授・言論法
「スーパーに行って、ここ1年で値上がりしていない商品を探すほうが難しい」
と話すのは、経済評論家の平野和之さん。
なぜ物価は上がってしまったのだろうか?
「猛暑や豪雨、雨不足といった天候不順による農作物の不作が招く野菜価格の高騰。
加えて原油高、さらにアベノミクスによる円安の影響ですね。
円安は輸出企業の収益を改善させる効果はありますが、日本は食料のおよそ6割を輸入に頼っているため、輸入価格の値上がりは、そのまま食卓に跳ね返ってきます」(平野さん・以下「」内同)
また、中国など新興国の人件費が高騰しているといった付随要因もあるという。
これに加えて、来年4月に消費税が8%になれば、怒濤の値上げラッシュが続く。
もし消費税アップが現実となったとき、家計はどうなるのか。
「年収500万円の4人家族」を例に、平野さんに試算してもらった。
「消費税が8%になると年間約7万円の負担増となります。
また、国が目標としている物価上昇率2%アップを想定すると、さらに約11万円のプラス。
つまり今より約18万円、余分にかかるという計算です」
さらに2015年10月からの消費税10%が実現すると、11.5万円の負担増。
さらに物価は毎年2%ずつ上がっていくという想定があるため、毎年11万円ずつ出費が増える。
「こういった“値上げ”を上回る賃金上昇がなければ、どの家庭も年々貧乏になっていくでしょう」
しかし、現実には、給料がアップしているという話は聞こえてこない。
「アベノミクスとは企業の収益を上げて、給料に反映させるというプロセスを踏むため、この経済政策が成功しても、賃金が上がるまでにはタイムラグがあるんです」
たとえアベノミクスが成功しても、豊かさの実感にはほど遠い見通しだ。
※女性セブン2013年10月3日号
権威に弱いと言えば、「iPS細胞での移植」大誤報(読売新聞2012年10月11日付)も挙げられる。
「ハーバード大の研究者」という虚偽の肩書を信じてありもしない研究成果を報じた。
このケースでは自らの誤報を検証するのではなく、当のインチキ研究者を袋叩きにすることで“俺たちも被害者”という顔をした点も醜悪だった。
誤報が報道被害を生むケースは多い。
古くは1968年の3億円事件報道で、別件逮捕された青年が犯人視され、新聞であらゆるプライバシーが暴かれた。
1974年の松戸OL殺人事件報道では、起訴(のちに無罪判決)された男性が当時起きていた首都圏連続女性殺害事件の犯人だと決めつけられるような書き方をされた。
1994年の松本サリン事件報道でも、同じ過ちが繰り返された。いずれも捜査当局のリークに基づき、自ら検証取材もしないまま報じた同じ失敗である。
※SAPIO2013年10月号
*小だぬき
松本サリン事件については、今 ヤフーの無料動画GyaO!で「日本の黒い夏 ENZAI」中井貴一主演映画で 捜査・報道のあり方、人の思いこみの恐ろしさと行動が検証されています。
重たいテーマですが、善意の人でも悪魔になりえる怖さを考える一助にしていただければ・・・
2013年9月21日 東京新聞「筆洗」
日本では、一年で一人当たり年に六十キロほどの米を消費するという。
では、この国で、一年間に捨てられる「まだ食べられる食品」は、一人当たりどのくらいだろうか。
政府の推計では、これもまた六十キロほどだという
▼つまり、一年で大人一人の体重と同じくらいの重さの食べ物を、無駄にしている。
貧しい国への食料援助の量は世界全体で四百万トンほど。
この二倍近い食べ物が、日本では捨てられている。
「もったいない」としか言いようがない現実だ
▼きょうから東京や名古屋で公開される映画『もったいない!』は、日本を含めた世界各国での食料廃棄の実態に迫ったドキュメンタリー映画だ。
大きな箱の中にちょっと悪くなったものがあるだけで箱ごと捨てられる果物を見て、アフリカから欧州に移住した女性が、嘆く。
「私の国では、高くてめったに食べられないものなのに…」
▼全世界で生産される食料の三分の一は捨てられている。
今も十億人近くが飢えで苦しんでいるが、欧米の食品廃棄物は、そんな人々を三回救えるほどの量だという
▼食料生産には、膨大なエネルギーが費やされているから、世界の食品廃棄を半減させれば、自動車の数を半減させるほどの、温室効果ガスの抑制効果があるともいう
▼世界は、個人ではどうしようもないような矛盾や争いに満ちているが、食卓で取り組める問題もある。
沖縄戦のトラウマに関心を持ったきっかけは。
2010年8月に那覇の教会で金城重明牧師のお話を聞いたことです。
金城さんは渡嘉敷島の集団自決を生き延びた方です。
雨の夜、前には「鬼畜」と恐れられた米兵、後ろには「生きて虜囚の辱めを受けず」を強要する日本軍。
恐怖と恐怖の板挟み状況の中で集団自決に至った。
これは精神医学的にとらえ直すべき問題だと思った。
それで、戦争の精神被害について国内外の論文を読むようになりました。
4カ月後の12月に「奇妙な不眠」の患者さんが2、3人続けて来ました。
年を取ってから発症した「中途覚醒型」、特徴的にはうつ病型なんだけど、うつ病がない。
これはおかしい。
で、戦争の時どこにいたかと聞いたら、家族が死んだとか、死体の上を走って逃げたとかいう話が出てきた。
それで沖縄戦の精神被害について簡単な診断指標を作って患者さんを診てきたら、半年ぐらいで100例ほどになりました。
そこから「晩発性PTSD」という概念を報告されたわけですね。
これまで世界保健機関(WHO)の診断基準では、トラウマ体験から半年以内に発症するとされていました。
でも、60年の時を経て発症するものもあるんです。
沖縄の高齢者たちも壮年期に頑張って働いていたときは問題がなかったけれど、引退してから不眠になった。
理由は2つあって、
1つは、引退した人は現実的な思考が減って心の中で「言葉にできない記憶」の領域が大きくなること。
もう1つは、老いを受け入れるために自分の過去をもう1度振り返って総括する際に、1番つらかった記憶に直面する率が高くなるということだと思います。
他にもさまざまな精神被害があって、命日が近づくとうつ状態になる人、死体のにおいがフラッシュバックする人もいました。
認知症の人は、新しい記憶がこぼれ落ち、つらい記憶が先鋭化される場合もあります。
夜中になると「空襲だ。壕(ごう)に隠れろ」と叫ぶ人もいました。
戦争の精神被害の問題が、どうして今まで注目されなかったのでしょう。
日本の精神科医はこの問題に関心を向けてこなかった。
原爆が落とされた広島でも住民被害の調査はごくわずかでした。
島民の4人に1人が亡くなった沖縄でも、沖縄県立看護大の當山(とうやま)冨士子さんらが20年前に先駆的な聞き取り調査をされたけれど、精神科医は後に続かなかった。
昨年から今年にかけて、當山さんたちが再び戦争体験者400人を対象にPTSDの調査をされ、私もお手伝いしたのですが、実に40%の人がPTSD症状を持っていた。
阪神大震災でのPTSDの出現率は22%ですから、とても高い数字です。
戦後、沖縄が貧困にあえぎ、基地問題に苦しめられてきたことも、大きく影響していると思います。
いまわしい戦争記憶を思い出さないようにと念じて生きてきた人たちに、空飛ぶオスプレイの爆音が、戦時トラウマの引き金となることを恐れます。
今春から福島県相馬市に来られました。
この地域は精神科医がいなくて、震災後、全国の精神科医が支援に駆けつける中で、診療所を造ろうという話になった。
昨年1月に診療所(メンタルクリニックなごみ)が開所したわけですが、その所長が辞めることになって私に依頼が来たわけです。
以前から福島で講演をしたりしてスタッフとも面識があったし、かみさんが東北出身で、親の介護の問題もあって。
以前から地震被災者のメンタルヘルスに関心がありましたか。
正直言って、福島の現状がよく分からなかった。
来てみて1番大変だと思ったのは、街の民生の復興の遅さですね。
街が街として成立するには、ある程度の人口とか産業とか就職先、保育所、老人施設、そういうものがなくちゃいけない。
それが今も機能していなくて、心理的には中ぶらりんです。
しかも、いつになったら復興するというめどがない。
就ける仕事は除染、がれき処理ばかり。
この状況で私が一番怖いと思ったのは、「軽い落胆」みたいなものです。
重篤なうつ状態ではないのに、もう死んだほうがいいかなと思ってしまうことです。
うつ病で自殺したくなるのとは違うと。
私自身、30代と50代でうつ病を体験しています。
うつ病ってのは、とても困難なことがあってそれに対して「生きたい」と思って発熱している状態なんです。
ある意味、相撲の徳俵に足をかけて踏ん張っている状態。
自己防衛・保存本能なんです。
ところが福島の「死にたい」は発熱して踏ん張っているのではない。
普通に生活してて、ふと「死にたい」と思ってしまう。
先の見えない不安。これが一番怖い。
ここに来て3カ月ほどたったころから、患者さんから「実は放射能が怖い」って話が出てくるようになった。
それまで口に出せなかったんですね。
患者さんは増えています。
新患が月に50人とか60人。
街の復興が進まない重苦しさ、精神医学的にはもう限界に来ているのかと思う。
福島で沖縄でのPTSDの研究は役立ちますか。
不眠症の治療の場合、沖縄戦のPTSDの人には睡眠導入剤だけでなく、ごく少量の抗精神病薬を処方するようにしていました。
トラウマ記憶ってのは、睡眠を覚醒させる刺激なので、そこを抑えなくてはいけないからです。
福島で同じように処方したらよく効きます。
やはり、震災のPTSDなんですね。
それも2年たって発症する例がよくみられる。
これもWHOの診断基準に当てはまらないわけです。それについて「遅発性PTSD」と名付けました。
教科書ではなく、患者さんの情報を大切にする視点を感じます。
それは当たり前ですよね。最近の診断学ってのは、診断ガイドラインでこういう症状があればこうだって言うでしょう。
でもそれは本末転倒で、個を見ていないんですよね。
個別性を見ないと、医者が思考停止になる。
本に書いてないことはないことだ、ってことになっちゃう。
でも実際、本に書いてないことがあるんです。
ましてやトラウマの学問は日本ではとても新しいですから。
私はうつ病体験を通じて気負いがなくなった。
これでなきゃいかんって思わなくなった。
分からんことは分からんて言うし。
自分の話もけっこうするようになった。
診察室の中で私たちが楽しくするから、患者さんの気持ちもほぐれる。
聞くべきことを聞ける。その意味で、医者は病気をするもんだって思いますね。
あなたに伝えたい
個別性を見ないと、医者が思考停止になる。実際、本に書いてないことがあるんです。
インタビューを終えて
安心感を与える雰囲気と確かな視点を備えた人だ。
「晩発性」「遅発性」のPTSDという概念は学問的には実証されていないが、患者の痛みを洞察し、聞き取る力があってこそ、見えてきたテーマだと思う。土台になっているのは住民を犠牲にしてきた日本政府への怒りだ。
ありつか・りょうじ
1947(昭和22)年福井県生まれ。
高校時代は水泳の東京五輪強化選手だった。
弘前大医学部卒。青森県弘前市の病院に勤務し、精神鑑定、労災認定の仕事にも多く携わる。
30代で大腸がんとうつ病を発症。
50代で2度目のうつ病発症を機に2004年に沖縄へ。
沖縄協同病院心療内科部長を務める中で、沖縄戦の高齢者たちのPTSDの問題を報告し、注目を集める。
13年4月から福島県相馬市のメンタルクリニックなごみ所長。
日本精神障害者リハビリテーション学会理事、欧州ストレストラウマ解離学会員。
著書は「うつ病を体験した精神科医の処方せん」「統合失調症とのつきあい方」(いずれも大月書店)「誤解だらけのうつ治療」(集英社)など。
眠れない。気持ちが沈む。集中力もなく体がだるい。
でも、健康診断の結果は、「どこも異常なし」。
あなたがメンタルヘルスに関心のある人なら、これだけで「あ、これがうつ病かな?」と思い、メンタルクリニックを訪れるかもしれない。
医師の診断は予想通り「うつ病ですね」というもの。
さらに、この分野にくわしい人なら、「きっと抗うつ薬が処方されて数カ月の自宅療養を勧められるな。
もう上司にも休みの許可は取ってあるから大丈夫だ」などと思うことだろう。
しかし、ここで医師は思いがけないことを言う。
「では、こちらの部屋に来て、磁気刺激治療をしましょう。
あ、痛みも副作用もまったくないですよ。
ヘッドホンのような装置をつけて約30分。
週に3回くらい通ってもらえば結構です。
効果がある人は、すぐに効きますから会社も休まなくて大丈夫です」。
そして、通された部屋には歯科の治療台のようなチェアが並び、女性技師さんが頭につける装置を手に、「さあ、おかけください」とにっこり……。
なんだかSF映画のような話だが、これが近い将来、現実になるかもしれない。
今、米国では頭の表面に磁気刺激を与え、それが脳に伝わって血流を改善させることでうつ症状を改善させるという新しい治療、「経頭蓋(ずがい)磁気刺激」(TMS)に熱い注目が集まっている。
日本でも一部の医療機関が健康保険の利かない自由診療で実施しているのだが、このほど日本のメーカーも、この装置の市場に参入するなどして、さらに広まる勢いを見せている。
うつ病の治療では抗うつ薬を使うことが多く、今は昔に比べて副作用などのデメリットは格段に小さくなったのだが、それでも「薬には頼りたくない」「抵抗がある」とためらう人は少なくない。
そういう人たちにとっては、「磁気による刺激だけで効果がある」というのは、大変な魅力だろう。
「でも」と、私はちょっぴり心配でもある。
このTMSがうつ病の治療のスタンダードになったら、患者さんと医師との対話は必要なくなるのだろうか。診断をつけたら、後は治療は機械にお任せ。
本当にこれでいいのだろうか。
「病気になったのはつらい体験だったけれど、この病院に通って看護師さんや先生とゆっくり話せたのはよかった」と、治った後に語ってくれた人の笑顔が浮かぶが、それは今や“旧世代の精神科医”になりつつある、私のただの感傷にしか過ぎないのだろうか。
安倍晋三首相は3月、TPP交渉への参加を正式に表明した。
交渉参加国12カ国のGDP(国内総生産)を合わせると、世界のGDPの38%を占める。
最終合意すれば、一大貿易圏ができる。
そこに日本が参加しなければ、貿易立国として大きなダメージを被るのは間違いない。だから、TPP参加は正論である。
しかし、正論や正解だけで割り切れない問題がある。
ぼくは最近「○に近い△を生きる 『正論』や『正解』にだまされるな」(ポプラ新書)という本を出した。
もっと、TPPの問題を多角的に考えるべきではないだろうか。
正論や正解に縛られず、日本の状況に合った「△」を探すことが大事だと思う。
「○」と「×」の間にあるさまざまな「△」を探すことが、民主主義の根幹だと思う。
医療の分野では、混合診療の全面解禁や、営利企業の医療機関参入、医薬品や医療機器の価格規制の撤廃など、日本の医療制度に影響を及ぼすことが懸念されている。
混合診療が全面解禁されると、保険診療のほかに、外国で行われている最先端の医療などが「自由診療」として受けられるようになる。
一見、患者さんにとってメリットが大きいように見えるが、決してそうとは言い切れない。
まだ科学的根拠が十分にない治療法が持ち込まれる可能性がある。
自費で医療費を負担することができる高所得者だけに医療の選択の幅が広がる、ということも起こり得る。
一部のがん患者さんからは、混合診療の全面解禁を強く望む声も聞かれる。
「新しい治療を受けたい」という必死の思いも理解できる。
今行われている管理された混合診療の枠を広げ、認可のスピードを速める努力をするのが、まっとうなやり方だと思う。
混合診療の全面解禁は規制緩和の一つだが、医療は他の領域と違う特殊性がある。
米国では、医療の規制緩和を徹底して行った結果、医療費が高騰した。
1人当たりの医療費は日本の2・6倍である。
しかも、16%の人が無保険である。
医療制度に関しては、米国のようになって良いとは思えない。
米国の通商代表部は毎年、大統領や議会に対し、米国の営利企業の日本の医療への参入を訴えている。
すでに、米国の大きな保険会社のがん保険が、日本郵政の2万近い郵便局で販売されるという契約が結ばれた。
米国企業に大きな「うまみ」を持って行かれるだろう。
農業も心配だ。
TPP参加に前のめりの政府は、コメ、麦、牛肉・豚肉、乳製品、砂糖の原料の農産5品目の関税を守ることだけは明言している。
また、農業の集約化や企業の農業への参入を図り、有機農法などの高い付加価値をつければ、農産物を輸出して戦うことができると考えている。
一面では正論である。しかし、こんな考えもある。
長野県は、男女ともに長寿日本一になった。
しかも、医療費が安い。
国民健康保険中央会が中心になって、その秘密を探った。
「離婚率が低いから」「持ち家率が高いから」「保健補導員という民間ヘルスボランティアがいるから」など、たくさんの観点から調査されたが、最も大きな影響を与えていると考えられたのは「高齢者の就業率が全国1位」ということだった。
80歳を過ぎても、小さな農業で収入を得る。
そのお金で日帰り温泉に行き、孫に小遣いをあげたりする。
生きがいが生まれる。
作物の成長を見ながら働くと「幸せホルモン」のセロトニンが出やすく、ストレスもためにくくなる。
日本中が長野県のようになれば、地域が健康になり、医療費も低く抑えられ、国民皆保険制度を守っていけるのではないか−−委員会ではそんな議論をした。
だが、集約化と大規模農業に期待が寄せられ、小さな農業がなくなってしまえば、人と人とのつながりや文化、健康といったものまで崩壊してしまいかねない。
TPPは日本の経済を考えれば無視はできない。
だが、経済以外のさまざまな角度から議論する必要がある。
妥結した後に国民に対し「後は我慢してくれ」というのでは、納得できない。
「○に近い△」を探す民主主義の原点を、政府は忘れないようにしてほしい。(医師・作家)
若者や子どもには未来があるが、年寄りは先が見えている。
震災で思い通りにならないことがあれば、「どうしてこんな終わり方なんだ」と焦る気持ちがある。
その意味で、高齢者の1年の方だとおっしゃるのです。
しかし私の周辺では「雇用条件で苦しんでいる全国の若者がいるのに、社会におんぶしてもらって、震災で医療費もただになって、年寄りばっかり病院に来てる」と感情をあらわにする人もいます。
たしかに医療費が無料なのはありがたいだろうなあと感じたことが最近、私にもありました。
ピロリ菌の除菌は疾患がない限りすべて実費とは知っていましたが、長く待たされた後に説明のパンフレットだけ渡され、問診は30秒、別の日に検査キットによる看護師の検査が20分、その後のドクター問診が「陽性なら除菌ですね」で終わり。
これで1万円を超える料金を取られました。
除菌すればさらに実費がかかります。30%負担がいかにありがたい社会かを実感できました。
そこのクリニックも高齢者で満員状態でした。
ほとんどの方が急性疾患ではないように見えましたけど、安いのであればお年寄りは身体のことが一番気になるでしょう。
その一方で、先の若者の苦情もわからなくはない気がしました。
最近では「震災医療支援って、自分のアピールのネタ作りをしているだけでしょ」と名指しで私が批判をされることもあります。
なにかやれば否定されることは先刻承知していますが、3年間福島県の動向を観察してきて、つくづく感じることは、人の気持ちはうつろうもので、ずっと同じではないということです。
時間の経過に伴って変化する人の気持ちを想定内として、先見の明をもって政策を立てるのが政治家の英断なのですが、2013年になって汚染問題が浮き彫りにされてきてもまだ、福島県から避難してきた方々の「住み方」については後回しになったままです。
福島県の市や町村の地理的環境がどうなっているのかを把握している人は意外に少ないのです。
浪江、双葉、大熊、富岡、楢葉などが被害が大きかった所です。
私が支援している富岡町も津波が来る危険性が高いといわれた地域でした。
新たな家を建てて住むことは許されていません。
(おひとりを除いて)富岡全町民が避難し、いつ帰れるのかはハッキリしていません。
家が全壊した家族は一時帰宅もないわけですから、避難住民となって全国のどこかで暮らしています。
生活力のある人たちはすでに生計を立て、親を住まわせ、子どもを学校に通わせていたりしています。
住んでいるところに税金を払っていない方もいらっしゃいますが、補償がなくなり住民票を移す日が来るとしても心の準備がすでに出来ている方は少なくありません。
もう故郷には戻らないと腹をくくることが出来た人々です。
そうでない人々には、高齢者が多い。
ふるさとを諦めきれきれず生活力もないまま応急仮設住宅に住んでいる方々です。
多くの方が、なるべく故郷に近いところ、都市化が進んでいる便利な場所と言う意味で、いわき市で暮らしています。
周辺がいわき市に行くから自分も行くという人もいらっしゃいました。
私の知り合いの地元の保健師は、こう言っていました。
「最初は仮設住宅に知り合いがいない、隣の声が聞こえるなど嘆いていた人が、この頃では『仮設で出来た友達と離れ離れになりたくない』になってきた。
人の気持ちは変わる、新しいコミュニティーを作ることができるんだと実感しています。
だから、早く国が土地を買い上げて、原発の影響を受けない安全な場所に新しいコミュニティーを作ってそこに誰でも入居して永久に住める町作りをすればいい。
国が今後何年間に町を作りますと言えば、それが30年かかるものであるなら、年寄りはもう生きてはいないと新しい心の準備が出来る。
そこを『帰りたいですか』なんて曖昧な質問するから宙ぶらりんになる。
そりゃ帰れるものなら帰りたいでしょ?
そこに昔のように病院もあってお店もあって学校もあるなら帰りたいですよね?
でも現実はそうではないんだから、除染なんかしても戻れないなら早くそう言えばいい。
早く国が永久に戻れないところを作り、新しい集合コミュニティー(合併地域)を作ればいい」
「わが街に帰れずとも、新しい街で生涯を終わる」、これが実現すれば気持ちの整理もつくという意見でした。
そこにインフラも作っていけばいい。
私が「政治家の中にはご自身も被災者だという方もいるでしょう?
どうしてそのように前進できないんですか?」とたずねると、「彼らは新しい町が出来たときに誰が初代町長になれるかということしか頭にない。
だからダメなんだ」というお答えでした。
政治家とはそういったもんだと諦め顔でした。
先に、住む人を移す場所を作ることからでしょうと。
107人が死亡した05年のJR宝塚線脱線事故で、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたJR西日本の歴代3社長に対し、神戸地裁は無罪を言い渡した。
だが公判では、現場カーブに安全装置を付けなかったことだけが争点になった。
裁判所は、元社長らは個人として事故を予見できなかった、と判断した。
この3人とは別の元社長は検察に起訴されたが、昨年、無罪が確定した。過失犯では個人の責任しか追及できない現行刑法の限界といえる。
遺族らは判決後、法人を処罰できるよう、法改正を訴えた。
英国は07年、注意を怠って死亡事故を起こした法人に刑事責任を問い、上限なく罰金を科せる法律を制定した。
80〜90年代に船舶や鉄道で多くの人が亡くなる事故が続いた。
だが、大きい企業ほど経営陣は有罪とならず、世論の批判が強まったためだった。
日本でも、高度成長期に起きた公害や85年の日航ジャンボ機墜落事故で、法人処罰の導入を求める声が上がったが、刑法改正には結びつかなかった。
鉄道や航空、船舶事故は、運輸安全委員会が調査し、原因を究明する。
日本では捜査との線引きが厳格ではない。
このうえ法人の刑事責任も問えることにすれば、関係者が事故調査に真相を語らなくなる、という慎重論も専門家の間で根強い。
だが、JR西という巨大企業のトップが、市民代表の検察審査会の判断で裁判にかけられた意義を考えてみたい。
現在の鉄道のように安全システムが高度化するほど関係者は多くなる。
その裏返しで、事故が起きても頂点の経営責任があいまいになる事態が繰り返されてきた。
福島第一原発事故を防げなかった東京電力や、トラブルが続くJR北海道もそうだ。
宝塚線事故の遺族は、JR西を長く率いた井手正敬元社長に公判で質問を重ねた。
井手氏は「担当者に任せていた」と繰り返し、遺族をあきれさせた。
企業が対策を怠って事故を起こせば、トップの刑事責任も問えとの民意は今後強まろう。
経営者は常日頃からしっかりと向き合うしかない。
安全管理責任をより確かなものにするため、法人処罰の導入の是非も、国レベルで議論を深めていってもらいたい。