2013年09月09日

20年東京五輪:歓迎の一方、疑問の声も…震災被災地

20年東京五輪:歓迎の一方、
          疑問の声も…震災被災地
毎日新聞 2013年09月09日 11時06分

 東日本大震災からの復興をテーマに掲げる2020年東京五輪。被災地では開催を歓迎する声が上がる一方、本当に復興に役立つのか、疑問視する声も少なくない。

 ◇福島

 福島第1原発事故の影響で双葉町から避難し、福島市の仮設住宅に住む無職の鈴木トクさん(79)は「五輪が開かれれば、外国からも人が来て盛り上がるから良い。
経済効果が東北や被災地にまで及んでくれれば」と語った。

いわき市小浜町で、放射性物質検査のためアワビやウニなどを水揚げした漁業の丹野信一さん(77)も「素直に歓迎すべきだ」と話したが「汚染水問題が解決するか分からず、漁業の復興は道半ば。
福島へ支援の手が届くのか心配になる」と表情を曇らせた。


 富岡町で被災し、三春町の仮設住宅に家族5人で避難する派遣社員の萩原光代さん(45)も復興のアピールばかりで被災地をなおざりにしてもらっては困る」とくぎを刺した。

浪江町から避難し、福島市の仮設住宅で暮らす無職の岡和田温(あつし)さん(40)は「五輪は被災地の復興には役立たない。
汚染水対策を国が前面に出てやると言ったのだって五輪のためだろう。
避難者の生活や原発事故の収束を第一にやってほしい」と訴えた。
【田原翔一、五十嵐和大、猪飼健史】

 ◇岩手

 津波で自宅が流され、親族宅で生活を送りながら、がれきの分別の仕事をする大槌(おおつち)町の小松力(つとむ)さん(59)は「元気になるので気持ちの面では復興に役立つと感じた。
しかしお金もかかること。
2020年を迎えた時、五輪施設は完成したのに、被災地復興は道半ばとならないよう願う」と話した。


 津波で事業所や車両を失い、仮設事務所で運送業を営む釜石市の舟本常雄さん(67)は「五輪に向けて東京の魚市場が活気づき、三陸の浜から魚の運送も増えることに期待したい」。

自宅を流され、同市内の中古住宅で独居している釜石市の無職、大久保桂子さん(72)は「復興工事で不足している人手と資材が、五輪の工事に取られてしまわないだろうか」と漏らした。
盛岡市の教員、伊勢美和さん(37)も「安倍(晋三)首相は『復興した姿を見せる』と世界に約束したのだから、有言実行してほしい」と求めた。
【高尾具成、藤河匠、宮崎隆】

 ◇宮城

「なにか他の国の話のような感じがする」。
津波で自宅を失い、気仙沼市の仮設店舗で金物屋を営む鈴木敦雄さん(53)は東京五輪開催に首をかしげる。
「開催したことのないトルコ(イスタンブール)に譲ってもよかったんじゃないかとさえ思う。

日本は、もっと他に力を注ぐべきことがあるのでは。
震災復興を誘致の材料にしたんだったら、それを本当に加速させてほしい」と注文を付けた。


 名取市の自宅兼店舗が全壊し、仮設商店街で写真館を再開した斎藤正善さん(61)は「安倍晋三首相は原発問題に責任をもって取り組むと言ったが、福島、宮城、岩手の再生・復興にも取り組んでほしい」と注文を付けたうえで「7年後、関東は盛り上がるのだろうが、被災地が取り残されることは許されない
もっと被災地で競技をしてくれれば盛り上がれる」と話した

  東京五輪が決定した8日、仙台市内で開かれたジャズのイベントに来ていた大学生、山下愛さん(21)は、同市若林区にあった自宅を津波で流された。
「ロンドン五輪は見ていてわくわくしたので、東京開催は素直にうれしい。
もうチケット入手の話をしている友人もいる。

7年後は、世界はもちろん、日本でも被災地を忘れている人が多いと思う。
五輪が、そんな人たちが被災地に来てくれたりするきっかけになってほしい」
と期待していた。
【井田純、三浦研吾】

posted by 小だぬき at 13:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

佐藤真海パラリンピック代表、招致プレゼン全文

被災地で見たスポーツの真の力 
       佐藤真海さん、招致プレゼン全文
産経新聞 2013/09/08 01:38

■パラリンピック女子走り幅跳び代表 


 会長、そしてIOC委員の皆様。佐藤真海です。


 私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。
スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。
それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。
本日は、そのグローバルなビジョンについてご説明いたします。 


 19歳のときに私の人生は一変しました。
私は陸上選手で、水泳もしていました。
また、チアリーダーでもありました。

そして、初めて足首に痛みを感じてから、たった数週間のうちに骨肉種により足を失ってしまいました。
もちろん、それは過酷なことで、絶望の淵に沈みました。


 でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。
私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。


 そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。


 私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。
スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。
2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。


 しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。
6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうかわかりませんでした。
そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした。

 私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。
食糧も持って行きました。
ほかの
アスリートたちも同じことをしました。

私達は一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。


 そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。
新たな夢と笑顔を育む力。
希望をもたらす力。
人々を結びつける力。

200人を超える
アスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら、5万人以上の子どもたちをインスパイアしています。


 私達が目にしたものは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。

そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力をもつということです。

posted by 小だぬき at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする