2013年09月24日

「心の傷」見つめ沖縄から福島へ

〈あの人に迫る〉 精神科医 蟻塚亮二さん
(2013年8月23日) 【中日新聞】

「心の傷」見つめ沖縄から福島へ

  沖縄 で暮らす高齢者に太平洋戦争末期の沖縄戦の記憶が不眠や精神症状となって表れる。
こうした晩発性の心的外傷後ストレス障害(PTSD)を研究していた精神科医蟻塚亮二さん(66)が、今春から福島県相馬市のメンタルクリニックで働き始め、東日本大震災の被災者の心を支えている。
沖縄と福島を結ぶトラウマ(心的外傷)について聞いた。(安藤明夫)


 沖縄戦のトラウマに関心を持ったきっかけは。

 2010年8月に那覇の教会で金城重明牧師のお話を聞いたことです。
金城さんは渡嘉敷島の集団自決を生き延びた方です。

雨の夜、前には「鬼畜」と恐れられた米兵、後ろには「生きて虜囚の辱めを受けず」を強要する日本軍。
恐怖と恐怖の板挟み状況の中で集団自決に至った。
これは精神医学的にとらえ直すべき問題だと思った。
それで、戦争の精神被害について国内外の論文を読むようになりました。


 4カ月後の12月に「奇妙な不眠」の患者さんが2、3人続けて来ました。
年を取ってから発症した「中途覚醒型」、特徴的にはうつ病型なんだけど、うつ病がない。
これはおかしい。
で、戦争の時どこにいたかと聞いたら、家族が死んだとか、死体の上を走って逃げたとかいう話が出てきた。
それで沖縄戦の精神被害について簡単な診断指標を作って患者さんを診てきたら、半年ぐらいで100例ほどになりました。


 そこから「晩発性PTSD」という概念を報告されたわけですね。

 これまで世界保健機関(WHO)の診断基準では、トラウマ体験から半年以内に発症するとされていました。
でも、60年の時を経て発症するものもあるんです。

沖縄の高齢者たちも壮年期に頑張って働いていたときは問題がなかったけれど、引退してから不眠になった。
理由は2つあって、
1つは、引退した人は現実的な思考が減って心の中で「言葉にできない記憶」の領域が大きくなること。
もう1つは、老いを受け入れるために自分の過去をもう1度振り返って総括する際に、1番つらかった記憶に直面する率が高くなるということだと思います。

 他にもさまざまな精神被害があって、命日が近づくとうつ状態になる人、死体のにおいがフラッシュバックする人もいました。
認知症の人は、新しい記憶がこぼれ落ち、つらい記憶が先鋭化される場合もあります。
夜中になると「空襲だ。壕(ごう)に隠れろ」と叫ぶ人もいました。


 戦争の精神被害の問題が、どうして今まで注目されなかったのでしょう。

 日本の精神科医はこの問題に関心を向けてこなかった。
原爆が落とされた広島でも住民被害の調査はごくわずかでした。

島民の4人に1人が亡くなった沖縄でも、沖縄県立看護大の當山(とうやま)冨士子さんらが20年前に先駆的な聞き取り調査をされたけれど、精神科医は後に続かなかった。

 昨年から今年にかけて、當山さんたちが再び戦争体験者400人を対象にPTSDの調査をされ、私もお手伝いしたのですが、実に40%の人がPTSD症状を持っていた。
阪神大震災でのPTSDの出現率は22%ですから、とても高い数字です。

戦後、沖縄が貧困にあえぎ、基地問題に苦しめられてきたことも、大きく影響していると思います。
いまわしい戦争記憶を思い出さないようにと念じて生きてきた人たちに、空飛ぶオスプレイの爆音が、戦時トラウマの引き金となることを恐れます。


 今春から福島県相馬市に来られました。

 この地域は精神科医がいなくて、震災後、全国の精神科医が支援に駆けつける中で、診療所を造ろうという話になった。
昨年1月に診療所(メンタルクリニックなごみ)が開所したわけですが、その所長が辞めることになって私に依頼が来たわけです。
以前から福島で講演をしたりしてスタッフとも面識があったし、かみさんが東北出身で、親の介護の問題もあって。


 以前から地震被災者のメンタルヘルスに関心がありましたか。

 正直言って、福島の現状がよく分からなかった。
来てみて1番大変だと思ったのは、街の民生の復興の遅さですね。
街が街として成立するには、ある程度の人口とか産業とか就職先、保育所、老人施設、そういうものがなくちゃいけない。
それが今も機能していなくて、心理的には中ぶらりんです。
しかも、いつになったら復興するというめどがない。
就ける仕事は除染、がれき処理ばかり。

この状況で私が一番怖いと思ったのは、「軽い落胆」みたいなものです。
重篤なうつ状態ではないのに、もう死んだほうがいいかなと思ってしまうことです。


 うつ病で自殺したくなるのとは違うと。

 私自身、30代と50代でうつ病を体験しています。
うつ病ってのは、とても困難なことがあってそれに対して「生きたい」と思って発熱している状態なんです。
ある意味、相撲の徳俵に足をかけて踏ん張っている状態。
自己防衛・保存本能なんです。

ところが福島の「死にたい」は発熱して踏ん張っているのではない。
普通に生活してて、ふと「死にたい」と思ってしまう。
先の見えない不安。これが一番怖い。


 ここに来て3カ月ほどたったころから、患者さんから「実は放射能が怖い」って話が出てくるようになった。
それまで口に出せなかったんですね。
患者さんは増えています。
新患が月に50人とか60人。
街の復興が進まない重苦しさ、精神医学的にはもう限界に来ているのかと思う。


 福島で沖縄でのPTSDの研究は役立ちますか。

 不眠症の治療の場合、沖縄戦のPTSDの人には睡眠導入剤だけでなく、ごく少量の抗精神病薬を処方するようにしていました。
トラウマ記憶ってのは、睡眠を覚醒させる刺激なので、そこを抑えなくてはいけないからです。
福島で同じように処方したらよく効きます。
やはり、震災のPTSDなんですね。
それも2年たって発症する例がよくみられる。
これもWHOの診断基準に当てはまらないわけです。それについて「遅発性PTSD」と名付けました。


 教科書ではなく、患者さんの情報を大切にする視点を感じます。

 それは当たり前ですよね。最近の診断学ってのは、診断ガイドラインでこういう症状があればこうだって言うでしょう。
でもそれは本末転倒で、個を見ていないんですよね。
個別性を見ないと、医者が思考停止になる。
本に書いてないことはないことだ、ってことになっちゃう。
でも実際、本に書いてないことがあるんです。
ましてやトラウマの学問は日本ではとても新しいですから。


 私はうつ病体験を通じて気負いがなくなった。
これでなきゃいかんって思わなくなった。
分からんことは分からんて言うし。
自分の話もけっこうするようになった。
診察室の中で私たちが楽しくするから、患者さんの気持ちもほぐれる。
聞くべきことを聞ける。その意味で、医者は病気をするもんだって思いますね。

あなたに伝えたい

 個別性を見ないと、医者が思考停止になる。実際、本に書いてないことがあるんです。



インタビューを終えて


 安心感を与える雰囲気と確かな視点を備えた人だ。
「晩発性」「遅発性」のPTSDという概念は学問的には実証されていないが、患者の痛みを洞察し、聞き取る力があってこそ、見えてきたテーマだと思う。土台になっているのは住民を犠牲にしてきた日本政府への怒りだ。


 沖縄の多くの高齢者が大変な思いを重ねながら元気に長生きしてきたことについて、蟻塚さんは伝統文化の力を挙げた。
日常的に歌や踊りのある共同体が残っていることが、長寿の要因だと。
その意味でも、共同体そのものが破壊された福島の現状は重い。


 ありつか・りょうじ
 
1947(昭和22)年福井県生まれ。
高校時代は水泳の東京五輪強化選手だった。
弘前大医学部卒。青森県弘前市の病院に勤務し、精神鑑定、労災認定の仕事にも多く携わる。
30代で大腸がんとうつ病を発症。
50代で2度目のうつ病発症を機に2004年に沖縄へ。
沖縄協同病院心療内科部長を務める中で、沖縄戦の高齢者たちのPTSDの問題を報告し、注目を集める。
13年4月から福島県相馬市のメンタルクリニックなごみ所長。


 日本精神障害者リハビリテーション学会理事、欧州ストレストラウマ解離学会員。
著書は「うつ病を体験した精神科医の処方せん」「統合失調症とのつきあい方」(いずれも大月書店)「誤解だらけのうつ治療」(集英社)など。

posted by 小だぬき at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする