2013年11月13日

「秘密保護法案」を本気で批判しない大メディアの弱腰

「秘密保護法案」を
本気で批判しない大メディアの弱腰
2013年11月12日 日刊ゲンダイ掲載
 
 平成の治安維持法といわれる「特定秘密保護法案」が衆院特別委員会で実質的な審議に入った。

 11日は、捜査の過程で報道機関が家宅捜索の対象になるかが問われ、谷垣禎一法相は「検察で判断すべきもので、一概に申し上げるのは難しい」と答弁、
古屋圭司国家公安委員長も「家宅捜索を含む強制捜査は捜査機関の判断に委ねられる」との認識を示した。

 要するに報道機関だって「ガサ入れ」されるわけだ。
すべて捜査機関の胸三寸。
サジ加減で何でも決まるということである。
戦前の「特高警察」復活は時間の問題だ。

 これに強い危機感を募らせるのが、外国メディアである。

日本外国特派員協会は11日、会長名で
<法案は報道の自由および民主主義の根幹を脅かす悪法であり、撤回、または大幅修正を強く求める>と断固反対の姿勢を表明。

<報道の自由はもはや憲法で保障された権利ではなく、政府高官が『充分な配慮を示すべき』対象に過ぎないものとなっている>

<取材において『不適切な方法』を用いてはならないといった、ジャーナリストに対する具体的な警告文まで含まれている>と断じた。

 米NYタイムズも先月29日(電子版)の社説で、
<ジャーナリストに対する最長5年の懲役刑を脅しとして、政府がより不透明になる>と指摘していた。
ともに報道機関として極めてまっとうな抗議表明だが、対照的なのは日本のメディアだ。

 日本新聞協会は「『特定秘密の保護に関する法律案』に対する意見書」と題し、見解を公表している。
しかし、その中身は
<報道機関の正当な取材が運用次第では漏洩の『教唆』『そそのかし』と判断され、罪に問われかねないという懸念はなくならない>と腰が引けているのだ。
なぜ真正面から「脅しだ」「廃案にしろ」と叫ばないのか。あまりに情けない。

 政治評論家の森田実氏はこう言う。

「新聞、テレビは本格審議の段階になって騒いでいるが、報道機関を標榜するなら、もっと早い段階で反対するべきです。

リアクションが遅いし、その主張も社説などでちょろっとアリバイ程度で書くだけ。
まったくどうかしている。
今の新聞、テレビは完全に政府御用機関と化している。
自分たちも体制側だと勘違いしているのです。
メディアがこんな体たらくだから、日本は戦前のファッショ帝国にまっしぐら。それを海外メディアは相当、警戒しているのです」

 大新聞、テレビは報道機関の看板を下ろすべきだ。
posted by 小だぬき at 13:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

香山リカのココロの万華鏡:人間、脳がすべてじゃない 

香山リカのココロの万華鏡:
     人間、脳がすべてじゃない 
毎日新聞 2013年11月12日 東京地方版

 とても夢のある記事を雑誌で読んだ。


 「プラナリア」という生き物がいる。
日本でも水の中などで普通に見られる、ヒルの親戚のような生物だ。

このプラナリアは体を再生する力がとても強くて、細かく切断してもそれぞれに脳や目にあたる器官ができて、元の大きさに戻ることで知られている。


 切られても「倍々ゲーム」のように増える、驚異の生き物プラナリア。
とはいえ、これまでは、元のプラナリアと再生された第2、第3のプラナリアの脳の中身は全く別物、と考えられていた。

考えてみれば当然だが、新しく作られた脳は、元の自分だった時の記憶を持っていないということだ。
もちろん、増えたプラナリア同士が「オレたちって似てるなあ」「もしかして、元は同じだったんじゃない?」などと気づくこともない。


 ところが最近、研究者が大きな発見をした。
それは、プラナリアにエサの場所など簡単なことを学習させてから切断すると、再生したプラナリアも以前、覚えたエサの場所を思い出すようだ、というのだ。


 脳は全く新しく作られたわけだから、エサのことを知っているわけはない。
となると、元の個体の一部、腹や足にあたるところに記憶が残っていて、それが新しい脳に移動したのだろうか。


 なぜこの話に、夢があるのか。
それは「生き物は、脳でだけ考えたり、記憶したりするわけではないのかも」という可能性を示しているからだ。

実は、私たちは日常的に
「腕に仕事のコツが染み込んでいる」とか、
「舌が優れた味を知っている」などと、よく口にする。
「体が考え、覚える」ということを知っているかのように。

 
理屈では「思考や記憶は脳だけの能力」と言っていても、「体だっていろいろなことを記憶できる」と感じているわけだ。


 プラナリアでの今回の発見は、私たちの経験が科学的にも正しいことを明らかにしてくれるかもしれない。


 そして、もしそうだとしたら、私たちは脳にばかりこだわらず、もっと「体の記憶」を大切にしてもいいはずだ。

また、年を取って脳が衰えてきたとしても、「まだまだ体は覚えている」と自分の体に働きかけて、記憶のリハビリもできるのではないだろうか。


 小さなプラナリアが教えてくれた、体で考え、体で覚えること」の大切さ。

人間、脳が全てじゃないよ」とつぶやいてみたら、なんだか私も、ちょっと前向きな気持ちになれた。

posted by 小だぬき at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする