時計の針を去年の一月に戻します。
当時の野田佳彦政権は国会の施政方針演説で「決められない政治からの脱却」を訴えました。
衆議院と参議院で与野党の多数派が入れ替わった結果、政治が前に進まない。
その状況をなんとか脱しようという趣旨でした。
このフレーズを後押ししたのは消費税増税を目指した財務省だったと思いますが、マスコミの中にも「決める政治」への転換を期待する向きがありました。
特定秘密保護法の成立はまさに「決めた政治」です。
それも異例なスピード審議で。
これが可能になったのは、根本的には「ねじれ国会」が解消したからです。
では、今回の展開は民主党や一部のマスコミ、多くの国民が望んだ政治だったのでしょうか。
そうではない、と思います。
今回に限りません。
もしも決める政治が大事というなら、特定秘密保護法に限らず、集団的自衛権の見直しや憲法改正をめぐっても、どんどん結論を出そうという話になりかねない。
多くの国民はそんな事態を望んでいないと思いますが、一方で「民主主義は多数決なのだから、国民が選んだ与党と政権が政策を決めていくのは当然だ」という声もあります。
さて、どちらの声に耳を傾ければいいのでしょうか。
まず、いまになって思い知るのは「決められない政治からの脱却」というスローガンが、実は大変な危険性をはらんでいた、という現実です。
それは根本的な誤りだったと言ってもいい。
なぜかといえば、民主主義は「決めること」、それ自体に価値があるわけではないからです。
結論を先取りして言えば、本当は「議論する」ところに価値があるはずなのです。
少数派の意見にも耳を傾け粘り強く説得し、あるいは言い分を取り入れて、より良い結論に導いていく。
そんなプロセスが民主主義の核心です。
この視点から今回の事態を眺めると、何が言えるでしょうか。
なんといっても政府・与党は急ぎすぎました。
自民、公明の与党案に対して、野党のみんなの党と日本維新の会が修正案を出して合意ができると、あっという間に採決に持ち込んでしまった。
しかし肝心の国民はといえば、修正案がまとまった後も懸念を抱いていました。
各種世論調査によれば、七割から八割の国民が「今国会にこだわらず慎重審議を」と望んでいました。
大幅な会期延長か次の国会に審議を継続したらどうか、と考えていたのです。
法案への反対ないし慎重論は報道機関は言うに及ばず、法律や文化、芸術、学問にかかわる有識者たちにも広がっていました。
異例な展開です。
こうしたとき、国会はどうすべきだったのか。
鍵は野党ではなく、与党にあったのではないでしょうか。
ずばり言えば、自民と公明の与党こそが一歩下がって早く大幅延長か継続審議を決断すべきだった。
たしかに議院内閣制の下では、与党は通常、内閣が提出した予算案や法律案に賛成するのが役割と考えられています。
国民は選挙で多数を得た政党に内閣を作らせているのですから、政府が決めた政策を与党が国会で賛成するのも一括して政府・与党に委任していると言ってもいい。
しかし、今回の審議で国民の懸念がかつてなく高まっていた事情を考えれば、与党といえども「国民の代理人」たる国会議員の本旨に立ち戻って徹底論議を尽くす姿勢を示してほしかった。
「国会は政府とは違う」。
その意地を見せるべきだった。そう思います。
与党がいつも政府の後押しに徹するだけなら、意地悪く言えば、単なる賛成投票マシンに堕してしまうではありませんか。
そんな国会議員でいいのでしょうか。
みんなの党と日本維新の会が修正案を共同提案しておきながら参院採決で棄権に回ったのも一見、矛盾しているようですが、議論続行を望む国民の声を最優先したと考えれば納得できます。
今回ほど、政府とは違う国会の重要性を考えさせられた機会はめったにありません。
法案は成立しましたが、課題は残っています。
国会が秘密をチェックする仕組みがまだ整っていません。
自民党は法施行までに国会が秘密の扱いを監視する制度を議員立法で法制化する方針を決めました。
問題は特定秘密だけに限りません。
本来、政府ではなく国会こそが望ましい政策と法案に仕上げていくべきなのです。
ぜひ国会のプライドを取り戻してほしい。