2013年12月26日

時代の風:多忙すぎる日本の教師=元世界銀行副総裁・西水美恵子

時代の風:多忙すぎる日本の教師
=元世界銀行副総裁・西水美恵子
毎日新聞 2013年12月22日 東京朝刊

◇授業は十分な準備必要

 教育制度の在り方が盛んに議論されているようだ。
国づくりは人づくり。
うれしいことだが、さまざまな意見や改革案を聞くたび、教壇に立つ人の視点から考えてほしいと、切に願う。


 帰国中、全国各地の大学や小中高等学校の招待に応ずることが多い。
そのつど教師が事務や雑務に費やす膨大な時間にあぜんとし、危機感を抱く。


 私自身の経験は、米プリンストン大学で経済学を教えた数年のみ。
日本の教育問題に関しては素人同然だ。
しかし、その体験から、教えるために十分な準備時間をとることは教育の品質向上に不可欠だと知った。


 1足す1は2と言いきれる学問分野は少なく、経済学でもほとんどの問題に正解はない。

だからか、深い学びは、時事問題を教材にして学生と議論を交わす時に訪れた。
問題の本質を見極め、多様な観点から掘り下げ、解決策を見いだしていく。学生の意見を深く聴き、時には挑発しつつ、私も一緒に考える授業だ。


 そういう対話型授業を体験した学生は、知識欲が旺盛になる。経済理論や統計学を学ぶ動機が高まり、経済思想史や、思想を変えた背景まで知りたがる。
2時間の授業の準備に丸1日費やすのは、普通だった。


 プリンストン大学は、いい授業はいい研究を生むという主義を貫いていたように思う。
教師に研究者プラス教育者としての努力を求め、特に期末に実施される学生の授業評価は、教員査定に相当の影響を与えた。

例えば、将来ノーベル賞候補かと有望視されていた友人は、不熱心な授業をとことん嫌われ、当大学での未来はないと言い渡された。


 しかし、教育者としての努力を惜しまぬ者には、最高の環境を与えてくれた。
研究時間はもとより、教えるための種々準備時間を十分に確保できた。

授業量は、毎学期1〜2課目、週に2〜4時間のみ。
秘書のおかげで、事務などにとられる時間はないも同然だった。


 日本の先生方は、まるで口をそろえたように「事務や雑務のノルマをこなし、授業の準備時間を十分確保するとなると、1日24時間では足りない」と嘆く。

それでも学習品質の向上に情熱を注ぐ多くの教師に出会っては、頭を下げている。


 この秋ゲスト講師に招かれた神奈川県立荏田高等学校でも、深い感動を覚えた。
国語科のK先生が、拙著「国をつくるという仕事」(英治出版)を選択科目「現代文の探求」の教材に選んでくれたのだ。

科目の目的は「生徒を優れた日本語の担い手に育てるとともに、将来、社会の一員として自ら考え、行動できる市民にすること」。

教材の読解演習のみではなく、それを起点に社会とつながり、「人に学ぶ」機会を与えたいと、生徒と著者の対話型授業が計画されていた。


 その日まで生徒がたどる学習の道は、先生が写真付きのメールで頻繁に報告してくれた。
そこには、3クラス約70人の生徒が本から学び、お互いからさらに学び合う、「読書駅伝」という仕組みが描かれていた。


 順番に読まれた本は、著者の「人間性」と出会ったページに付箋が貼られ、感想文も添えられて、生徒から生徒へと渡りながら新たな出会いを生んでいく。

そうして皆が共有できるエピソードを選び、著者や登場人物の心情とその背景について話し合い、読みを深める。
「言葉を通して人間の生き方を考える文学教育」だと、先生に教わった。


 生徒たちは、この過程から得た学びを記述問題として表現。
出来上がった問題を自分たちで解きながら、さらに読みを深めていく。

K先生は、「受験テクニックを超えた学習に、生徒は素直な知的好奇心を示しています」と、しごくうれしそうだった。


 待ちに待った対話の日。
澄んだ目に光る星と、深く聴く姿勢、まっすぐな問答、どっしりとした存在感に、君たちは本当に高校生かと驚き、ならば母国の未来は大丈夫と、感じ入った。


 授業の後、K先生が「この若者たちは、将来きっと、自分をそして社会の他のメンバーを引っ張っていくリーダーシップを発揮してくれる」と言われた。
それほどまでの成果を生んだご苦労を思い、涙が出た。


 「先生が県のスーパーティーチャーに選ばれたんだよ!」と、胸を張る生徒たち。
喜びを共にしながら、そっと祈った。

この表彰が、先生の負担をこれ以上増やさないようにと……。

posted by 小だぬき at 09:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

PKO武器提供 銃弾で平和は得られない

PKO武器提供 
      
銃弾で平和は得られない
新潟日報モア【社説】
2013/12/25 08:57

 人を殺傷できる銃弾の提供が、平和に寄与する活動といえるのだろうか。到底容認できない。

 安倍政権は、内戦の危機にある南スーダンで国連平和維持活動(PKO)に参加している陸上自衛隊の銃弾を、国連経由で現地の韓国軍に供与することを決めた。

 1万発の銃弾が無償譲渡される。
他国の軍に日本が武器を提供するのは初めてのことだ。
要請を受けた翌日に国家安全保障会議(NSC)で即決したのには、驚くほかない。

 武器輸出三原則に抵触するはずだが、緊急性や人道性が高いとして、菅義偉官房長官が三原則の「例外」とする談話を出した。

 安倍晋三首相が掲げる「積極的平和主義」とは、軍事行動に加担することを意味するのか。

三原則を見直すため、既成事実を積み重ねる行動に出たとも考えられよう。

 PKO協力法は25条で、他国への物資協力を定めてはいる。
だが、歴代の政権はPKOでの武器の譲渡は否定してきたのだ。

 人道的な国際機関は、その活動のために「武器や弾薬を必要とすることは万が一つにもない」とし、「仮に要請があっても断る」と政府は答弁してきた。重い言葉だ。

 安倍政権は十分な議論もなく、「例外」や「緊急性」を強調して、従来の政府方針からの転換をNSCで即断したのである。
もっと明確な説明を求めたい。

 南スーダンは長い内戦を経て、2011年にスーダンから分離独立した。
PKOの目的は、新しい国の安定と国造りへの支援のはずだ。

 日本は12年1月から、部隊派遣が本格化し、約400人が首都ジュバで、道路や滑走路などのインフラ整備に当たっている。

 しかし、国内の政情は不安で、今月に入って大統領派と前副大統領派の武力衝突が起きた。
治安が悪化していることは否めない。

 韓国国防省も日本からの銃弾提供は「万が一の事態に備えた」と述べているが、メディアは安倍政権の「積極的平和主義」を正当化するとの警戒感を示している。

 今回の武器支援で、あつれきが生じている日韓関係の改善につなげたいという首相の思惑があるのなら、本末転倒ではないか。

 NSCの設置、それに伴う特定秘密保護法の公布、「国家安全保障戦略」の決定と、安倍政権は保守的な政策を力ずくで押し進めている。

 その先にあるのが武器輸出三原則の見直しであり、集団的自衛権の行使容認まで見据えているのは明らかだ。
今回の武器支援も独走的な政策展開の一環に映る。

 主権者である国民の代表、国会が武力の問題を統制する文民統制(シビリアンコントロール)は民主主義の大原則だ。
これが形骸化するという批判が出るのは当然だろう。

 「例外」を前例とするのは、決して許されることではない。
武器の輸出、提供がなし崩し的に広がることが危惧されよう。

 国際貢献という意味を、首相は自らに問い直してほしい。
posted by 小だぬき at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする