2014年02月12日

石井苗子の健康術:奇跡を望む人の心理

石井苗子の健康術:
      奇跡を望む人の心理
2014年2月11日読売新聞 yomiDr.

(ゴーストライターは今始まったことではないのです)

 今は日曜日の午後です。
これを書きながら、「都知事選挙の投票に行きましょう」というアナウンスと、雪かきの音を一緒に聞いています。


 大雪の土日にソチオリンピックの開会式から、競技をゆっくりご覧になった方もいらしたでしょう。

上村愛子選手の最後の挑戦や、浅田真央選手の演技をどんなお気持ちで見ていらしたでしょうか。

中学生の年齢で世界一を獲得していく中で、20代や30代が「年配」として期待を寄せられるストレスはどれほどのものかと、胸がつまる思いで見ていました。

燃焼しきった若き栄光の先に、せめて困難に巻き込まれない人生がありますようにと祈るばかりです。


 開幕直前に、佐村河内守氏と新垣隆氏のゴーストライター問題が世間を騒がせた1週間でした。
フィギュアスケートの高橋大輔選手が競技で「ヴァイオリンのためのソナチネ」を使うと決まってから、新垣氏の気持ちが大きく動いたと報道されていました。


 たいへん残念なことです。
でももうこれ以上じっとしていられなかったというのが、新垣氏の気持ちだったのでしょう。


 聴覚が不自由な作曲家として名声を得ていた佐村河内氏が、新垣氏に18年間作曲を頼んでいたという事実は、今後どんな情報が追加されても、変えようのないことです。

ただ、私は、なにが「事実」だったかより、なにが「心理的に動いたのか」の方が本質的な問題だったような気がします。


 2人が最初から音楽プロデューサーと作曲家の契約であったらなら問題はなかったのかもしれません。しかし、一方の「儚(はかな)い夢」が現実化した「奇跡」が、もう片方の心を大きく揺るがすような出来事に発展してしまったのが、今回の出来事でした。


 今回は、ゴーストライターの事実より、障害というものが、人の心に何を植え付けるのかという危険性の方に私は関心がありました。


 義手をつけてバイオリンを演奏する少女を、「テレビに出してあげたのに、感謝が足りない」と佐村河内氏が言った、という記事を週刊誌で読みました。

「我々はなにもテレビに出して欲しいとは頼んでいない」と彼女の両親が発言したとも書いてありました。

もしそうだとすれば、佐村河内氏は、障害者に対して大きな誤解をしていたように思います。
つまり、誰でも彼のように表に出ることを夢見ているに違いない、というような思い込みをしていたのではないでしょうか。


 実は、ほんのちょっとでも体に障害がある人の「儚い夢」というものがどういうものか、私は個人的にいやというほど感じながら暮らした経験があります。


 私には足が不自由で背骨が湾曲している妹がいました。彼女がどんなにがんばって走っても、たいして速くもない姉を追い抜くことなく逝(い)きました。
だからとはいいませんが、私はどこかに障害がある人が健常者より優れた才能を発揮する姿を見ると、畏敬(いけい)の念を払ってしまうところがあります。

また、そうした人の気持ちを利用して有名になりたいと思う人についても、「ああ、そうか、そうだろうな奇跡が欲しいのだろうな」と偏った気持ちを持つこともあります。


 妹は書道をやっていましたが、実際には私が何度も学校の書き初めを代筆してあげたことがあります。
ある日、母親に見つかって叱られやめました。

成人してから、彼女が書道家になればどうだろうと思ったことが何度もありました。
自分が書くのと彼女が書くのを混ぜて世間に売り出したら、成功するのではないかと思ったこともありました。
私が代筆を続けていたらどうだったか、体が曲がっている不自由さを売りにしていたらどうだったか、ましてそれが嘘(うそ)だったらなんて、想像しただけでもゾッとします。

やるかやらないかは別として、奇跡を望む人の心は「闇」の中から生まれることもあります。

「健常な心を持て!」などと言うのは簡単ですが、今回は私には過去を振り返って考えさせられることが多かった騒動でした。

posted by 小だぬき at 00:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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