2014年04月16日

香山リカのココロの万華鏡:夢見るのは悪くないけど 

香山リカのココロの万華鏡
:夢見るのは悪くないけど 
毎日新聞 2014年04月15日 首都圏版

 STAP論文問題をめぐる騒動が収まらない。
研究や論文執筆で中心的な役割を担った理化学研究所の小保方晴子リーダーの記者会見は、テレビで生中継され、新聞でも大きく取り上げられた。

 いろいろな分析や感想があると思うが、私が気になったのは何度か出てきた「役に立ちたい」という言葉だった。

STAP現象に出合って以来、「いつか多くの人々の役に立つ技術にまで発展させていける日を夢見て」、研究を続けてきたのだという。

 小保方さんの気持ちにウソはないのだろう。
大学でも「社会で必要とされる人間になりたい」「大勢の人たちのために何かしたい」と将来の夢を語る学生は少なくない。

「私さえよければいい」という自己中心的な考えに比べれば、「役に立ちたい」という気持ちは立派だと言える。

 しかし、そこに一つ落とし穴がある。
それは、「役に立たなければダメなのか」という問題だ。

診察室では、世の中や人々のために何かしたいと考えていたのに挫折した人が、ときどきやって来る。
まずは自分の健康や楽しみのために生きてもいいんじゃないですか」と助言すると、「それでは人生の意味がない」と首を横に振ってこう言う人もいる。
「誰かの役に立たなければ、私が生きていることにも気づいてもらえない」

 「役に立ちたい」は「認めてもらいたい」という欲求と裏表の関係にある。
そういう人は時として、なんとか認めてもらおうと夢中になり、いつの間にか「役に立つ」という、はじめの目的を忘れてしまうこともある。

 社会の役に立つのはすばらしいことだが、それだけが生きる意味ではない。
自分がまずその日、その日をしっかり生きて、大勢に知られなくても手ごたえのある暮らしを送る。
季節の移り変わりを楽しみ、身近な家族や友人と笑いあう。
「人生はそれで十分」という気もする。

 小保方さんは「役に立ちたい」と思いすぎ、「病気で苦しむ人も子宮がなくて出産できない女性も、みんなが救われる」とあまりに大きな夢を追いかけすぎたのではないだろうか。
もしかすると、それくらいのことを達成できないと科学者人生には意味がない、と思ったのかもしれない。

 夢を見るのは悪いことじゃないけれど、夢がかなわなくたって生きる意味はある。
もっと等身大の生活を送る道もあったのではと、「とにかく役に立ちたい」と繰り返す学生たちの顔を思い浮かべながら考えてしまった。
posted by 小だぬき at 11:07| Comment(2) | TrackBack(0) | うつ病について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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