2014年04月30日

香山リカのココロの万華鏡:はたらけどはたらけど 

香山リカのココロの万華鏡:
はたらけどはたらけど 
毎日新聞 2014年04月29日 首都圏版

 「たくさん働けば、その分生活もラクになるはず」。
こう信じてがんばっている人も多いと思うが、これからの時代はそうもいかなくなるかもしれない。

 政府の産業競争力会議が提出したプランには、会社勤めの人の「働く時間」と「賃金」とが直接結びつかない新しい制度の導入が盛り込まれていたのだ。

その中には賃金はあくまで仕事の成果で決まり、いくら働いても成果を上げられなければ残業代は出ない、といった仕組みも含まれていた。

安倍晋三首相もこの提案を受けて「時間ではなく成果で評価される働き方にふさわしい、新たな労働時間制度の仕組みを検討してほしい」と前向きな発言をしたといわれる。

 もちろん、まだ提案の段階であり、「労使の合意と本人の希望選択をもとに適用され」とあるので「会社員の残業代はすべてゼロ」という法律がただちにできるわけではない。

ただ、早くも「会社側が若手社員にまでこの制度を選択させ、達成が不可能な高い成果を要求し、報酬につながらない残業を延々とさせることになりかねない」といった懸念の声が上がっている。

 私は「成果に応じて」という考え方自体がくせものだと思う。
以前、日本の会社が年功序列制度を捨てて「就業年数や年齢に関係なく成果に応じた報酬や地位を与える」という成果主義を導入した時期があった。
一見、収入アップや昇進のチャンスに思えるが、同じ会社や部署内でも激しい競争を強いられることになり、結果的にストレスから心身をこわす社員が激増した。

努力したのにタイミングなどの問題で成果を上げられず、無残に低い評価をつけられ、うつ病になる人もいた。
成果主義の導入で生き生きと活躍できた社員は、ごくわずかだったのではないか。

 私だって、結果を出した人が高い評価を受けることには反対ではないし、何もせずにダラダラしているのに残業代が支払われるのはおかしいとも思う。

ただ、たとえすぐに成果につながらなくても、がんばって働いた人にはその時間分、賃金が支払われるのはやはり当然なのではないか、と思うのだ。

その仕組みまで変わってしまったら、戸惑う人、傷つく人、そして何より生活ができなくなる人や働けなくなる人がさらに増えるのではないだろうか。

 石川啄木は「はたらけどはたらけど猶(なお)わが生活楽にならざりじっと手を見る」と詠んだが、そういう人が世の中にあふれる日がやって来ないように、と祈るばかりだ。
posted by 小だぬき at 00:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
モッピー!お金がたまるポイントサイト