2014年05月29日

信念の強さがアダに!「心が疲れて折れやすい人」の特徴5つ

信念の強さがアダに!
「心が疲れて折れやすい人」の特徴5つ
2014/05/29 05:45 by 坂本正敬
WooRis(ウーリス)

うつ病や摂食障害、睡眠障害など、メンタルと深く関係のある病気の話題について、最近いろいろな場所で耳にします。
実はそうした病気になりやすい人には傾向があると、ご存じでしたか?
そこで今回は、厚生労働省がまとめたウェブサイト『こころもメンテしよう』の情報をもとに、心の病気になりやすい人の特徴を5つご紹介します。

■1:“オール・オア・ナッシング”思考の人

白か黒か、善か悪か、好きか嫌いか、何でもはっきりと決めないと気が済まない潔癖な人は、心の病気になりやすいそうです。
ほどほどを知らないこの手のタイプは、自身の心の病気へのリスクを自覚する必要があるかもしれません。

■2:“べき”思考の人

「30代の独身女性はこうあるべき」、「主婦はこうあるべき」、「夫婦はこうあるべき」、「上司と部下の関係はこうあるべき」といった感じで、何でも“べき”と思いこんでしまう人も、心の病気になるリスクが高いそうです。
思い込みや信念が強過ぎる人は、自身のメンタルリスクを知った方がいいかもしれませんね。

■3:“せい”思考の人

「自分のせいで負けた」、「自分のせいで場がしらけた」、「恋人ができない理由は自分の顔のせいだ」、「周りの人が変な顔をする理由は、自分の体臭のせいに違いない」など、何でも自分の“せい”にしてしまう人も、心の病気になるリスクが高いそうです。
自分の過ちを反省する能力には優れているので、一見するとそれほど問題は無いように思えますが、この考え方がいき過ぎると、心が疲れてしまうそうです。

■4:過小評価・過大評価が強い人

自分の仕事の成績が良ければ自信満々になり、一方で成績が下がると落ち込んで立ち直れなくなるといった、過小評価・過大評価が強い人も心の病のリスクが高いといいます。
自分への評価が簡単に逆転してしまうので、心が落ち着かず疲れてしまうそうなのです。

■5:被害妄想・悪い方向への思考フィルターがある人

何でも悪い方向に考え、傷付いたり不安になったりする人も要注意だといいます。
何気ない他人からの注意を必要以上に悪くとらえてしまったり、ちょっとしたトラブルに過剰に不安になってしまったりする人は、心の病のリスクが高いと知っておいた方がいいかもしれません。

以上、心の病気に注意したい人のパターン5つをご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?  誰にでも多かれ少なかれ上述のような傾向があるはずなので、当てはまるからといって深刻になる必要はありません。

ただ、心が疲れて折れそうになったとき、 「おいおい、それは被害妄想じゃないの?」 「べき思考にとらわれ過ぎかな?」 などと、自分の極端な考え方にツッコミを入れるだけで、かなりのガス抜きになるようです。

なかなか自分の考えにツッコミを入れるなど簡単ではないかもしれませんが、心の病気になりやすい人の典型的なパターンを学んでおくだけでも、違ってくるかもしれませんね。
posted by 小だぬき at 13:46| Comment(2) | TrackBack(0) | うつ病について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

囚われない、偏らない「中道」という生き方

石井苗子の健康術
囚われない、偏らない
      「中道」という生き方
2014年5月27日 読売新聞yomiDr.

(このまま突っ走るべきか、それとも仏のように静かに生きるべきか)

 先日、BS日テレで放送された旅番組「わが心の聖地〜思いの道 願いの道〜」のロケで、京都の浄瑠璃寺に行きました。

敷地内に浄瑠璃浄土と極楽浄土が東西に一望できるお寺です。
金色の仏像が9体も連座されている本堂は圧巻でした。

 副住職に「悩みごとは?」と尋ねられ、「これまでガムシャラに生きてきたが、このまま突っ走るべきか、静かに余生を送った方がよいのか、分からなくなった」と申し上げると、「中道を生きるというのはいかがですか」という答えが返ってきました。

 そもそもは仏教に詳しくない私は、「中道?どっちつかずの優柔不断で?」と感じてしまったのですが、違うようです。

 「中道( マディヤマー・マールガ)」は仏教用語で、極端に対立する概念に偏らないで生きること。
つまりどちらか一方の生き方をしない、ということなのだそうです。

このまま走り続けるのか、それとも静かに余生を送るべきかは、極端で対立する概念ということになります。

 人間は自分で「いつまでもそこに有るもの」を勝手に決め、それに「依存」したり「固執」して生きるために、「安住」から「堕落」を起こす場合もある。

反対に、これまであったものが消えてなくなると裏切られたと感じ、「どうせいいことなんかありゃしないさ」といった「虚無感」が心を支配するようになり廃虚と化した生き方になる場合もある。
これがふたつの対立する極端な概念の例です。

 私が「ガムシャラに生きて少々疲れたが、体の中にはまだエネルギーが残っているような気がする。
自分のやりたいことがこの先にまだあるのでしょうか」と質問したので、住職は「中道ではいかがか」とおっしゃったのでしょう。
もしかしたら「わたし、ほしい物が手にはいらなくなりました」と、何かに固執していたり、依存している人間だと感じられたのかもしれません。

 囚とらわれない、偏らない。
これを中道という。
これは難しい悟りだと思います。

 この世に存在するものはたえず変化し、連鎖を繰り返しながら存在している、死もまた変化のひとつ、と説明されるのが仏教思想なのかもしれませんが、若いころからの中道思想はないでしょう。

ひとつのことに熱中したり、偏った生き方に努力することを許されるのは、若さの特権だと思います。
それも心身の成長と認められ、仏教でいう「変化」だからでしょう。

 ところが、長生きすると、肉体的成長は期待できないのに、心だけが「こうあるべき」とか「なぜ以前のようにならない」と焦るため、ストレスを抱えることになっていきます。

私の顔付きに副住職がそれを見てとられたのかもしれません。

 教えはよく分かりましたが、どこかまだ腑ふに落ちないでいたのですが、次の文を発見してやっと納得ができました。

 釈迦は厳しい苦行の末、いくら厳しい苦行をしても悟りを得ることができないとして苦行を捨て、断食も辞めて中道を覚ったという。
苦行やそれと反対の快楽に走ることなく、目的にかなった適正な修行方法をとることなどが中道である。

 私の場合も、どうしたらいいのでしょうなんて「依存」して聞いてないで、中道という生き方があると教えられたのだと思います。
後は、自分で適正な修行方法を見つけなさいと言われたということだと分かりました。
中道の健康術を全うしようかと思います。
posted by 小だぬき at 00:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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