2014年08月03日

尊重し合う心がなければ 

香山リカのココロの万華鏡:
尊重し合う心がなければ 
毎日新聞 2014年07月08日 首都圏版

 「孤立死」を防ぐ見守り活動などで知られる若き僧侶の中下大樹さんらと継続して行っているチャリティーイベントがある。

作家の雨宮処凛さん、反貧困の活動で知られる湯浅誠さん、自殺対策活動の清水康之さんとのトークが中心だ。

 今回はゲストを呼ぼうということになり、南相馬市立総合病院の神経内科医・小鷹昌明さんに来ていただいた。

タイトルは「原発に一番近い病院から」。
それがまさに小鷹氏の職場なのだ。

 たくさんの写真を使って病院の現状、南相馬市の復興の様子などを説明しながら、小鷹氏は「福島を忘れてほしくはないけれど、ことさら放射能の危険さを強調されるのもまた問題だ。私たちはそこに住むことを選択したのだから」と言った。

では外部の人間は、どういう態度を取ればよいのだろう。

その点について小鷹氏は「住んでいる人もいると想像し、言葉などに配慮してくれればいいんです」と笑顔で述べた。

 なるほど、と思った。

「私がいまこう言ったら、言われた側はどう思うかな。
もし私だったらどう感じるかな」と想像さえすれば、自然に言葉の選び方にも配慮が生まれるはずだ。
「この単語はオーケー」「これはダメ」などとガイドラインを作れるようなものではない。

 最近、こういった「相手の気持ちを想像する」「そして配慮する」という、とてもシンプルなことが苦手な人が増えている。

書店に行くと、日本以外の国の欠点や問題点をあげつらねて、強い言い方で非難したり笑いものにしたりするような本のコーナーができていて驚く。

もし自分が外国に出かけ、立ち寄った書店に「日本をののしる本」が並んでいたらどう思うか。そう想像してみれば、たとえ毅然(きぜん)として言うべきことは言う場合でも相手への一定の配慮が生まれるはずではないか。

 「向こうがこちらに配慮しないのだからその必要はない」と言う人もいるが、「目には目を」がいさかいや争いを抑えたことが、歴史上でも日常生活でも一度だってあるだろうか。

「実際にはなかなかむずかしいけれど、お互いの気持ちや立場を尊重する努力はしよう」という気持ちを手放さなかったからこそ人間社会はなんとか続いてきたのだと思う。

 「たいへんですね」「そちらこそ」。
ただ強気に出るのではなく、相手に配慮する姿勢、配慮を促す姿勢が大切。
福島でも国際社会でも外交や安全保障を考える上でも、それは同じであるはずだ。(精神科医)
posted by 小だぬき at 09:02 | Comment(1) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

病院選びの難しさ

2日に母のかかりつけの病院に 妹夫婦で通院介助をしてくれました。

その時の病院長でもある内科医から 「お父さん蘇生したの?」「私に電話くれれば 死亡診断書を書いてあげたのに」と母の前でいったとのこと。

たとえ「脳死」であっても 必死に蘇生の努力をしてくれた 市救急隊と市立病院に感謝しているのに、うちの病院なら無駄な蘇生努力はしないと宣言しているような 傲慢な発言に怒りを感じました。

心停止しても 必死に蘇生を試みて 運がよければ「脳死の5分の限界」に挑戦してくれるのが 医師の役目と思っていましたが、
いくら雑誌の病院特集で 手術実績の良さで紹介されても 心停止の蘇生が無駄というような病院にはかかりたくない。

父は 心停止時間が長く「脳死」状態ですが、腎臓の小便・心臓の鼓動・筋肉の反射痙攣などがあるのです。

「ジョニーは戦場に行った」の小説ではないですが、外見的に「脳死」でも 脳が思考や考えを伝えようとしていると信じたいのが家族です。

脳死で心臓の鼓動が復活したことを 本人にも家族にも「無駄な労力・医療」ととらえる 私立急性期救急病院があることが不思議です。

ましてそんな病院を信じて、倒れる3日前に検査してもらい 大丈夫と断言したのは どこの病院なのか・・・

痰がひどく、歩くのさえヨタヨタしていて 私たち兄妹の要請がなければ、レントゲンも点滴もしなかった医師。

聴診器さえ使おうとしませんでした。

その病院を医療過誤で訴えたい気持ちを抑えている家族の感情を より逆なでする病院長の「蘇生してしまったの?」発言。

私がいい病院はと聞かれたら 聖マリアンナ大学付属病院・川崎市立病院・横浜市大付属病院・防衛医科大学付属病院など 医師・看護師が 救命に全力を尽くしてくれた病院は 文句なく推薦できます。

残念ながら 私の住んでいる区と同じ名の 「死亡診断書」発言した医院長の病院は、昔はともかく 今の巨大外来・救急指定の病院としては 救急搬送先にはしたくない。

厚労省は 機能別病床の削減目標を作っているようですが、「脳死」や進行癌・難病などの長期療養型病床は 絶対数が少ないようです。

現場の医療相談室では、患者のための治療や医療費など ムリのない負担を提案してくれます。

父も介護等級変更や身体障害者手帳収得などの提案をしてくれています。

正直、父が倒れる前でしたら 「脳死」を死と認める立場でした、でも今は 「心臓死」の立場をとります。

話しかけが聞こえている、奇跡があるのでは・・・と、会話ができなくとも「心臓頑張れ」の心境です。
posted by 小だぬき at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする