イグ・ノーベル・ドクター新見正則の日常
政治も医療も、いろいろな意見が必要
2014年12月19日 読売新聞 yomiDr.
衆議院議員選挙は、連立与党である自由民主党と公明党の圧勝でした。
多くの国民がいわゆる「アベノミクス」を支持した結果となりました。
そして日本の議院内閣制としては、極論すれば「何でも出来る」3分の2以上の議員数を占めました。
どんどんと「よいと思われること」を行って頂きたいと思っています。
今、よいと思われること
「今、よいと思われること」を精一杯やらざるを得ないのが政治です。
そして経済もそうでしょう。
でも結果は近い将来に出ます。
結果が出なければ、国民の今回の選択肢は間違いであったとなりますし、結果がでれば、日本全体にとって素晴らしいことです。
医療も実は、「今、よいと思われること」を精一杯やっているのが実情です。
僕は、医療は人体実験で日々進歩していると思っています。
「今困っていること」への対応はすぐに分かります。
医療では、「今の痛みを楽にしてくれ」とか、「命にかかわる出血を止めてくれ」とかいった訴えです。
「何が正しい医療か」
「何が正しかったか」については比較的判断しやすいと思います。
政治で言えば、東日本大震災で今も避難生活を送っている人々にどう対応するかなどですね。
やろうと思えばすぐにできます。
一方で日本の経済活力をどうやって復活させるのかとか、高齢者がますます増加する今後の日本社会のあり方をどうやって描くのかとか、貧富の差が広がっていると感じられている状況をどう是正するのかなど、長期的にみてやっと結果がでる領域も多数あります。
正しい批判者が必要
政治でも、いろいろな意見が必要です。
絶対安定多数の連立与党に正しく物を言える政党が必要だと思っています。
そして、政権には緊張感が必要でしょうから、失敗すれば政権交代がいつでも起こりうるという状況、そして、その時に政権を担う政党も必要です。
医療でも同じ事が言えます。
「今、正しいと思っていること」をやっている医療従事者は常に、もしかしたら間違っているかもしれないと思う心の余裕が必要です。
そして、違った意見がしっかりと発言された方が、自分の行っていることの精一杯の正当性を考え直す機会になります。
医療はある意味、専門性が必要です。
その結果閉鎖的なものになります。
だからこそ正しい批判者が必要です。
そんな存在が、異端と思われる意見のこともあります。
僕もときどき、ちょっと疑問を提示しています。
また、近藤誠という先生を筆頭に極端な意見を述べる人も増えています。
それが正しい進歩の方向と思っています。
そして、ヨミドクターのコラムからも「アンチ近藤誠」の意見もでます。
それでいいのです。
いろいろな意見がでることが健全なのです。
近藤誠という人の意見については、以前は、外科医は見向きもしませんでした。
手術できる癌がんを手術しないという選択肢は受け入れがたいものでした。
ところが、最近、たくさんの外科医と話をすると、「手術をしないで、それでも生きている患者が実はまれにいる」ということを耳にします。
手術も含めて何もしていないこともあれば、手術はしないが放射線治療や抗がん剤治療を行っている場合もあります。
つまり、「近藤誠はうそだ!」といった論調から、「近藤誠の例はまれだ!」といった論調に変わってきています。
僕の興味は、その「まれな頻度」を正確に知りたいことなのです。
人それぞれが、少しでも幸せになれますように。