2015年10月21日

余録:「訓練された無能力」という言葉がある…

余録:
訓練された無能力」という言葉がある…
毎日新聞 2015年10月20日 00時03分

「訓練された無能力」という言葉がある。
米社会学者マートンが官僚制の病弊(びょうへい)を指摘するのに使ったもので、もともとはある経済学者の造語である。
日々従っている規律にとらわれ、状況の変化に柔軟に対応できぬ役人の性癖(せいへき)を示している

▲こんな持って回った言い方をせずとも、
日本には「融通(ゆうずう)がきかない」「しゃくし定規(じょうぎ)」、そして「お役所仕事」というそのものずばりの言葉がある。
手続きや規則は公正という目標のための手段なのが忘れられ、公正に反してもそれを守ることが目標になってしまう

▲さてこれはそんな目標と手段の逆転が生み出した「無能力」のみごとな実例か、それともまったく逆の融通無碍(むげ)の対応の結果なのか。

認知症などで保護され、身元が分からない多数の人の情報を個人情報保護を理由に公開してこなかった東京都と神奈川県の対応である

▲両都県にはあわせて99人の身元不明者が保護されているが、行方不明者を捜している家族のために国が設けたネットの特設サイトには各1人の情報しか掲載されていなかった。
ちなみに他の自治体では発見時の状況などを掲載して身元の判明に結びつけているという

個人情報とはいえ、本人が身元を示せない認知症のお年寄りらの性別や推定年齢、発見時の服装などである。
その「保護」とは、本当に当人の権利を守るものなのか。
専門家は「反人権的な怠慢」と行政を批判する。
そこに目標と手段の逆転があるなら見過ごせない

▲不明者を捜す家族の「当事者のことを考えて!」という怒りもよく分かる。
その「訓練」の内実が問われる自治体間の身元不明者への対応のギャップだ。
posted by 小だぬき at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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