2016年02月19日

廃止法案きょう提出 安保の根幹 正さねば

廃止法案きょう提出 
安保の根幹 正さねば
2016年2月19日 東京新聞「社説」

 いくら積み重ねたとしても土台が揺らいでいれば、いつかは崩れてしまう。
憲法違反と指摘される安全保障関連法。
今こそ根幹を正さなければならない。

 昨年九月十九日未明、安倍政権が「平和安全法制」と呼び、採決を強行した安全保障関連法が参院本会議で可決、成立した。
 あれからちょうど五カ月。
政権のおごりか、ほころびか、閣僚や議員の相次ぐスキャンダルで、国会はすっかり政府・自民党の釈明の場と化し、安保法をめぐる議論は隅に追いやられた感がある。

 しかし、安倍政権の安保関連法をこのまま放置し、既成事実化させるわけにはいかない。
他国同士の戦争に参加する「集団的自衛権の行使」を可能にし、多くの憲法学者ら専門家が「憲法違反」と指摘する法律だからである。

 民主、共産、維新、社民、生活の野党五党はきょう安保関連法を廃止するための法案を提出する。
 野党側には安倍政権による安保政策の是非を、夏の参院選で争点化したい狙いもあるのだろうが、あえてその意義を認めたい。

 廃止法案に先立ち、衆院で統一会派を組む民主、維新両党はきのう、安保関連法の対案となる領域警備法案など三法案を提出した。

 安倍晋三首相が「全体像を一括して示してほしい」と野党側に求めていた対案の提出である。与党側は、廃止法案と合わせて、真摯(しんし)に法案審議に応じるのが筋だ。

 安倍政権が成立を強行した安保関連法の最大の問題点は、主に自民党が担ってきた歴代内閣が踏襲してきた、集団的自衛権の行使をめぐる政府の憲法解釈を、安倍内閣が一内閣の判断で変更してしまったことにある。

◆専守防衛、本来の姿に  

おさらいしよう。
 戦後制定された日本国憲法は九条で、国際紛争を解決するための戦争や武力の行使、武力による威嚇は行わないと定めた。
 日本国民だけで三百十万人の犠牲を出し、交戦国にとどまらず、近隣諸国にも多大な犠牲を強いた先の大戦に対する痛切な反省に基づく、国際的な宣言でもある。
 その後、日米安全保障条約によって米軍の日本駐留を認め、実力組織である自衛隊を持つには至ったが、自衛権の行使は、日本防衛のための必要最小限の範囲にとどめる「専守防衛」を貫いてきた。
 一方、集団的自衛権とは、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力で阻止する、国連憲章で認められた国際法上の権利だ。

 歴代内閣は、日本が集団的自衛権を有していることは主権国家である以上、当然だが、その行使は専守防衛の範囲を超え、許されない、との見解を貫いてきた。

 国際法との整合に挑んだこの憲法解釈は、国権の最高機関である国会や政府部内での議論の積み重ねの結果、導き出された英知の結集でもある。
 自国に対する武力攻撃は実力で排除しても、海外で武力を行使することはない。
日本国民の血肉と化した憲法の平和主義は、戦後日本の「国のかたち」であり、安全保障政策の根幹である。
 安倍内閣が二〇一四年七月に行った、集団的自衛権の行使を一転認める閣議決定は、憲法の法的安定性を損ない、安保政策の根幹をゆがめるものだ。
この閣議決定に基づく安保関連法に対して、多くの憲法学者が「憲法違反」と断じるのは当然だろう。

 日本の安保政策を、専守防衛という本来の在り方に戻すには、集団的自衛権の行使を認める閣議決定を撤回し、安保関連法を廃止する必要がある。
 野党側による安保関連法廃止法案の提出を、専守防衛を逸脱しつつある安保政策の根幹を正す第一歩としたい。
与党側も逃げずに、堂々と論戦に応じるべきだ。
安保関連法は三月末までに施行されるが、とりあえず施行の延期を検討してはどうだろうか。

◆無関心が暴走を許す

 憲法を逸脱しつつある安保政策を根幹から正すには、世論の後押しが必要だ。
国会周辺をはじめ全国各地できょうも行われる路上の訴えに、安倍政権はあらためて耳を傾けるべきだろう。

 そして何よりも、専守防衛という戦後日本の国是を守り抜く決意を、国民が自ら選挙で示すことが重要だ。諦めや無関心は、政権の暴走を許すだけだ。
 私たちの新聞が、平和主義を貫こうとする国民の側に立つのは当然だ。
政府の言い分をうのみにせず、自らの判断力で問題提起を続ける。
新聞として当然の役割を、この機にあらためて自任したい。
posted by 小だぬき at 12:31| Comment(4) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高市氏の「停波」発言 ホントの怖さ

特集ワイド
高市氏の「停波」発言
 ホントの怖さ
毎日新聞2016年2月18日 東京夕刊

 テレビ局が政治的公平性を欠く放送を繰り返した場合、電波停止(停波)を命じることができる−−。
高市早苗総務相がそう述べたことに、「報道への介入だ」「言論の自由を脅かす」と反発する声が強まっている。
この発言、ホントの怖さとは?
       【小国綾子、葛西大博】

威嚇?
 事の発端は8日の衆院予算委員会。
「放送事業者が極端なことをして、行政指導をしても全く改善されずに公共の電波を使って繰り返される場合に、全くそれに対して何も対応しないということは約束するわけにはいかない」。

高市総務相が、民主党の奥野総一郎衆院議員の質問に対する答弁で、放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返せば、放送法4条違反を理由に電波法76条に基づき停波を命じる可能性に言及したのだ。
 9日の予算委でも「将来にわたって罰則規定を一切適用しないことまでは担保できない」と重ねて答弁。
安倍晋三首相は10日の予算委でこの答弁を追認し、「政府や我が党が、高圧的に言論を弾圧しようとしているイメージを印象づけようとしているが全くの間違いだ。
安倍政権こそ、与党こそ、言論の自由を大切にしている」と主張した。

 高市氏は「従来の総務省の見解を答弁しただけ」と強調する。
だが質問者の奥野氏は「意図的に踏み込んだ発言」とみる。
元総務官僚で放送行政に詳しい奥野氏は「役人なら、ああいう答弁は書きません。
放送法違反で停波することはないか、という私の質問には『仮定の質問にはお答えできません』と答えるのが普通。
しかし高市さんは紙を見ることなく自分の言葉で答弁していた」と振り返る。

 砂川浩慶・立教大准教授(メディア論)は「安倍政権はこれまでもメディアコントロールに積極的だった。
それゆえ今回、従来の政府見解を重ねて示したというが、『停波』への言及は放送事業者への威嚇となり、表現の自由への攻撃になりかねない」と警告する。

萎縮する放送現場

 総務省によると、虚偽報道などを理由とした放送法に基づく総務相や総務省局長名などの番組内容への行政指導は、1985年からの約30年間で36件。
そのうち最初の安倍政権(2006年9月〜07年9月)の約1年では7件に上る。
一方、民主党政権下では一件の行政指導もなかった。

 さらに現安倍政権下でも、衆院選を控えた14年11月、自民党は安倍政権の経済政策について街頭で聞いたTBSの報道が偏っていたとして、在京6局に「公平中立」を求める文書を出した。
昨年4月にはNHKとテレビ朝日の番組内容について事情聴取し、NHKに総務相が行政指導をした。

 「米国で、オバマ大統領に批判的な報道をしたからといって、民主党がテレビの幹部を呼びつけるでしょうか」と砂川さん。
「NHKは国会での自身の予算審議、民放は4月の番組改編を決める今の時期に、何度も『停波』の可能性に言及すれば、夏の参院選報道にも影響しかねない」と危惧するのである。

 国際ジャーナリストでテレビキャスターも務める蟹瀬誠一さんが打ち明ける。
「『停波』発言が出れば現場はどうしても萎縮する。
日本は企業ジャーナリズムで会社の縛りが強い。
放送局の経営者は権力者側に近い面があり、そのような幹部の下では現場にもプレッシャーがかかる
 放送法4条では「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」など放送事業者が番組編集上守るべき規則を定めている。
放送による表現の自由は憲法21条で保障されているため、放送法4条は憲法に抵触しないよう、放送局自身が努力目標として目指すべき「倫理規範」というのが多くの学者たちの解釈だ。

しかし93年のテレビ朝日の「椿発言」をきっかけに、総務省は、罰則を科すことのできる「法規範」とする解釈を採用。
電波法76条では、電波停止命令の権限が総務相に与えられている。

 高市氏が、一つの番組だけでも政治的公平性を欠いたと判断する可能性に言及したことも波紋を広げた。
政府は12日、「一つの番組でなく放送事業者の番組全体を見て判断する従来の解釈に何ら変更はない」との統一見解を示したが、高市氏や安倍首相はその後も「『番組全体』は『一つ一つの番組の集合体』であり、一つ一つを見て全体を判断するのは当然」と述べている。

 蟹瀬さんは「昔ならともかく、多メディア、多チャンネル時代には、一つの番組を見て判断することは意味をなさない」と批判する。
ジャーナリストの江川紹子さんも「さまざまな偏り方をした多様な番組が存在し、放送界全体で公平性が取れている方が国民は多様な情報に触れられます」。
 「一つ一つの番組の中でバランスを取れ、両論を扱えとなると、国民に対する情報提供の範囲は狭まってしまう」と憤るのは砂川さんだ。

自由が侵される

 高市氏は、民主党政権下の10年11月に、当時の平岡秀夫副総務相が同じ趣旨の答弁をしている、とも主張する。
 江川さんが言う。
「議事録によれば、平岡氏は総務省見解を述べた上で、罰則については『極めて慎重な配慮の下に運用すべきもの』と強調しています。
片山善博総務相(当時)も『表現の自由、基本的人権にかかわること』だから『極めて限定的』『厳格な要件の下』で『謙抑的でなければいけない』と答弁している。
高市発言とのニュアンスの違いは一目瞭然です」

 市民団体「放送を語る会」と日本ジャーナリスト会議(JCJ)は「言論・表現の自由への許しがたい攻撃だ」と高市氏に辞任を求める声明を発表した。
しかし、この問題に対する新聞報道には各紙に温度差がある。
 米国のAP通信や「TIME」誌での記者経験のある蟹瀬さんは「欧米メディアならば報道機関が連携し、抗議しているところでしょう。
日本では放送局は許認可事業だからどうしても立場が弱い。
新聞や雑誌が反対運動を展開する必要がある」と語る。

 江川さんは「一般の人々の関心が決して高くない」ことに不安を感じている。
「『政治的公平性を守る』『一方的見解ばかりを取り上げない』といった政府の言い分は一見もっともらしいから」と分析しつつ、「安倍政権は、マスコミ不信という世論を利用し、自分たちの権限を拡大しようとしている。
政府自身が政治的公平性を判断し、気に入らない報道があったら呼びつける、というのでは言論の自由は守れません」と訴える。

 砂川さんは警告する。
「今回の『停波』発言は、決して『高市&安倍VSテレビ局』という構図じゃない。
メディアが規制を受けることは間接的に国民の言論統制につながる。
それは戦前の歴史を見れば明らかです」。

本当に怖いのは、メディアが政治に屈することで、私たちの「自由」がじわじわと侵されかねないという点なのだ。

放送法
第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
posted by 小だぬき at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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