2016年06月17日

救急の現場から霊や神を語る

東大教授・矢作直樹さんインタビュー
2013年2月14日 読売新聞「心の元気塾」

(1)救急の現場から霊や神を語る

 最先端の救急医療に携わりながら、霊や神といった科学の枠を超えた存在について語り、話題になっているのが東京大病院救急部・集中治療部長の矢作直樹さん(57)。
仕事の性質とは相反するような思索の理由を聞いた。(藤田勝)

 ――2011年9月に「人は死なない」というタイトルの著書を出版し、その後、気功や超常現象の専門家との対談本まで出されましたね。

 「最初の本は、知人の作家の出版記念会で出会った出版社社長に、個人的な関心から調べたり、考えたりしていたことを話したら『面白い。本にしたい』と勧められたのがきっかけです。タイトルは、<肉体は滅んでも霊魂は残る>という意味です。
様々な霊的な現象や研究を紹介しているのでキワモノに思われそうですが、日本人古来の死生観からすれば、そんなに理解できない内容ではないと思います」

 ――医師としての仕事とは関係があるのですか。

 「最近、人はいつか死ぬという当然のことを忘れているように見受けられる患者さんやご家族が増えました。
病院に来れば治ると思い込み、いざ死に直面するとあわててしまう。
いくら医療が進歩しても死は避けられないのです。
生と死についてもっと深く考えて、豊かで幸せな人生を送ってほしい
医療はサービス業の面もありますから、とにかく患者さんやご家族に少しでも満足してもらえたらと思います。
それが執筆の大きな動機です」

 ――なぜ死や霊に強い関心を持つようになったのですか。

 「何度か、死を覚悟した経験が大きいです。小学校3年生の時に車にはねられて、病院のベッドで医師と母親の会話を聞きながら『死ぬんだ』と思いました。
幸い助かりましたが、以来、死がとても身近なものになりました」
 「大学では単独登山に熱中し、冬山で大きな事故を2回経験しました。
最初の墜落事故では、落ち始めた瞬間に死ぬと思いました。
奇跡的に助かったのに懲りず、同じ年、また冬山で滑落しました。
その時も助かって下山した後、どこからか『もう山に来るな』という声が聞こえたのです。
以来、ぱったりと登山をやめました。
あの声は単なる幻聴だったとは思えないのです」

2013年2月15日 読売新聞「心の元気塾」
(2)亡くなった人に見守られている  

――医療現場でも不思議な経験はありますか。

 「治療がうまくいったはずの患者さんが急変して亡くなったり、逆に助からないはずの患者さんが回復したり、現代医学で説明できないことは多くあります」
 「いわゆる臨死体験を患者の口から聞くこともあります。
光を見た体験などを語るのです。
脳内ホルモンの作用で説明されることがありますが、それだけで説明し切れない場合もあります」  
「代替医療としての気功に関心を持ち、講習に参加したことがあります。
物理法則では説明がつかない力があることに衝撃を受けました」
科学は現象のメカニズムは説明しますが、例えば、なぜ宇宙があるのか、という根源的な問いには答えません。
この世界は神秘に満ち、人が知りうる部分はわずかです。
欧米では著名な科学者が心霊研究に取り組んできた歴史がありますし、今も代替医療などへの関心は高いのですが、日本は明治時代に古来の思想を捨ててしまいました」

 ――もっと宗教を大事にすべきということですか。

 「特定の神様を信じる必要はありません。
人知を超えた大きな力の存在を意識すればいいのです。
それを宗教では神と呼びますが、私はそれを『摂理』と呼んでいます。
日本人はよく無宗教だと言われますが、古来、森羅万象に神々の存在を感じ、死者の霊の存在も信じてきました。
そうしたすばらしい感性は、今でも残っていると思います」  

摂理によって人は生かされており、肉体は滅んでも霊魂は永遠である。
亡くなった人の霊に、いつも自分は見守られている。
そのように考えれば、生きている限りは感謝の気持ちを持って生きられ、死に直面してもあわてずに済むのではないでしょうか」  
「危険な宗教には近寄ってはいけません。見分けるのは簡単です。
心身を追いつめる、金品を要求する、本人の自由意志に干渉する、他者や他の宗教をけなす、そんな宗教は危険です」(終わり)

矢作直樹(やはぎ・なおき)  
1956年、神奈川県生まれ。
金沢大医学部卒。
麻酔科、救急・集中治療、外科、内科など経験し、2001年から、東大医学部救急医学分野教授、同大病院救急部・集中治療部長。
著書に「人は死なない」(バジリコ)など。
posted by 小だぬき at 09:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

舛添知事が辞職 東京は教訓を学べるか

舛添知事が辞職 
東京は教訓を学べるか
2016年6月16日 東京新聞「社説」

 自らの政治とカネの問題で追い込まれ、舛添要一東京都知事が任期途中で辞職する。
二代続けてのトップの空回りは残念である。

東京は教訓を学ぶのか。
 最後までまるで駄々っ子の振る舞いだった。
 都議会が足並みをそろえて辞職を促しても、リオデジャネイロ五輪の終了後まで不信任決議案の提出の猶予をと懇願した舛添氏。
給与の全額返上を持ち出して「東京の名誉を守ってもらいたい」と述べた。
あきれるばかりである。

◆怒り招いた“独善性”

 確かに、この時期に知事が代われば、二〇二〇年東京五輪と知事選が重なる恐れが生じる。
次期五輪の開催都市のトップとして、大会旗を受け取る役目が残されているとも訴えたかったのだろう。

 しかし、ごく普通の社会感覚からすれば、都民の信頼が失われているのに、世界の祭典の引き継ぎ行事へとのこのこ出かけようとする心情は、およそ測りかねるのではないか。
知事失格を自認していたのなら、なおさらだ。
 こうした言動に、都民の強い怒りを買った大きな要因が象徴的に表れたと言えるのではないか。
 一貫して独り善がりなのだ。

 航空機のファーストクラスや高級ホテルのスイートルームを利用しての豪華海外出張。
必要な場合もあるだろうが、批判に対しての反論は「トップが二流のビジネスホテルに泊まりますか。恥ずかしいでしょう」。
居直りである。

 あるいは、公用車を使っての神奈川県湯河原町の別荘通い。
それへの釈明は「公用車は『動く知事室』。
緊急の連絡態勢があり、危機管理上も問題ない」。

 さらに、家族旅行の宿泊代に政治資金を充てた公私混同ぶり。
支出の事実を認めながら、開き直ったように「客室で事務所関係者らと緊急かつ重要な会議をした。これは政治活動です」。

◆議会機能の再構築を

 舛添氏の一連の発言を振り返れば、自己正当化を繰り返し、保身を図ろうとする意図がくっきりと浮かぶ。
そこには都政も、都民も不在だった。
都民の常識はそれを見逃さなかったのである。

 自らの政治資金疑惑の調査を弁護士に委ねたことは、信用失墜を決定的にしたと言えるだろう。  
不適切な支出はあったけれども、違法性はない」といった結論は、一人舛添氏にとどまらず、すべての政治家とカネの問題へと憤りを向かわせたに違いない。

 折しも、建設会社から不適切な経路で六百万円を手に入れながら、刑事責任を問われないという不条理が発覚した。
渦中にある甘利明前経済再生担当相側は、いまだに説明責任を果たしていない。
 不適切であることと違法であることがかみ合わない。
ましてやうそを言えば、政治家失格となる。

 政治とカネの問題は、政治資金規正法や政党助成法、あっせん利得処罰法といった法の支配が及ばない“聖域”と化している。
政治活動の自由を守りつつも、双方が適合する仕組みづくりが緊要だ。
 加えて、舛添氏の振る舞いに学ぶとすれば、カネの動きが適切か、不適切かの線引きは、おおよそ都民、国民の常識に沿ったものでなくてはならない。

 無論、地方議会議員に支給される政務活動費であれ、公用車や出張旅費であれ、税金のみならず公共性の高いカネの出入りと中身はもはや細大漏らさず、常時ガラス張りを義務付けるべきである。
 医療法人グループから五千万円を受け取った問題で辞職した猪瀬直樹前知事のケースを併せ考えると、都議会によるチェック機能の劣化も目に余る。
メディアの報道が熱を帯びてきて初めて、腰を上げる傾向にあるのではないか。

 都道府県議会では最高額の報酬や政務活動費などをもらいながら、首長監視の気構えがさして感じられない。
猪瀬氏、また舛添氏との議場でのやりとりを見ても、多くは報道を下敷きにしていた。
 地方自治には首長と議会の緊張関係が不可欠だ
二元代表制ではどちらも直接選挙で選ばれる。
 とりわけ与党が首長の暴走を許しては、その政治的、道義的責任は自らに跳ね返ってくる。
今度の騒動で証明されただろう。

◆責任の重い権力監視

 もっとも、舛添氏の問題は、週刊文春の調査報道によるところが大きかった。
自戒を込めて、新聞の使命と役割をあらためて銘記したい。
権力の監視は、私たちメディアの大事な仕事でもある。
 多くの教訓を残して、政界は間近に迫った参院選、そして都知事選に向けて走りだしている。  

首都のトップが相次ぎ、政治とカネの問題で足をすくわれたという負の歴史を深く胸に刻まなくてはならない。
政治家選びで二度と失敗を繰り返さないために
posted by 小だぬき at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする