2016年09月19日

「健常者」という妄想

睡眠剤再開3日目、今日はAM7:40  起床。
静養・睡眠に時間をとりました。
「年金事務所での遺族年金代理受取り申請」と「福島県いわき市役所での 母出生から結婚除籍までの戸籍謄本の手配」の二つが課題として残されています。
黄泉の国があるのか、輪廻転生があるのか 父と母に霊として出てきて教えて欲しいと願っています。
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【私説・論説室から】
「健常者」という妄想
2016年9月14日 東京新聞(大西隆)

「人は誰でも年老いれば障害者になる。
命を差別しないでいただきたい」。

リオデジャネイロ・パラリンピックの開幕にあたり、競泳の成田真由美選手は相模原市での障害者殺傷事件に触れ、訴えた。
ひとり容疑者の優生思想や凶行を責めたのではなく、健常者一人ひとりの心の奥底に潜んでいるかもしれない「容疑者性」に向けて警告したのだろう。

 例えば、高度成長期の一九六六年から七四年にかけて、兵庫県で展開された「不幸な子どもの生まれない県民運動」。
遺伝性疾患や心身障害の子らを「不幸」と決めつけ、旧優生保護法を背景に異常のある胎児の中絶を促した。
「本人や家族の苦悩はもちろん、社会の負担は計り知れない」との考えだった。

 障害者団体が反発して運動は表面上はついえたが、成長主義の社会は水面下でその「容疑者性」を強めている。
生命科学や医療技術の進歩は、出生前の命を高精度で選別し、終末期の命を巧妙に管理しうる時代をもたらした。

障害者の生命、自由、幸福追求の権利は置き去りにされ、尊厳は脅かされている。
 成田選手が言うように、人は誰しも「老化障害」を抱えている。
程度の軽重が違うだけで、健常者という存在は妄想にすぎない。
そう認識して支え合う社会をめざせないか。
抗(あらが)うべきは、他者の生を値踏みし、幸か不幸かとレッテルを貼る動きだ。それが悲劇の根源となることは歴史が教えている。 
posted by 小だぬき at 00:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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