2016年12月05日

人命軽視の歴史、神風特別攻撃隊という殺人

私(小だぬき)は「沖縄戦史」「神風特別攻撃隊」「万歳突撃」「戦陣訓」などに 拘りを持っています。
日本の権力者・指導層・マスコミに大きな不信感を持つからです。

父が特攻隊待機で敗戦を迎えた影響かもしれません。
父は 海軍の一式陸攻の機銃手で 定員7名全てが「特攻要員」とされたそうです。

一式陸攻は 大戦初期にイギリスの「プリンスオブウェールズ」を撃沈したことと 山本五十六大将の戦死時の搭乗機として歴史に残る機体です。

今だ防衛省戦史編纂室の研究不足だと思うのは、「志願形式の命令」から「作戦命令」に、そして若い搭乗員に後に続くと訓示した 基地司令・幕僚、軍令部などの「敗戦後の身の処し方」です。
率直に言えば 玉音放送まで「死ね」と命令した者の 敗戦後の生き方です。

<明らかに人命を消耗品扱いした罪>

本当に特攻攻撃に成果を期待したのであれば、矛盾点が多すぎるのです。
人命を爆弾と一体化し「死」を強要したのですから、
日本人として死に行く人達への礼儀として 
@防弾装備の新鋭機の投入
A死に場所への護衛の十分な配慮
B出撃は 心の整理ができたものから
C長男・家督相続者の除外 などが 必要だったと思うのです。

しかし、現実は赤とんぼ(初等複葉練習機)や白菊などの練習機から旧式で実戦で使い古された機体、桜花や回天・海龍など 出撃=死の兵器の開発と実戦投入。

せめて最後は 最善の葬儀をと願う 国民感情と相いれない
「下手な鉄砲でも数撃ちゃあたる」式の死の強要。
完全に10代 20代の若者達は 沖縄戦同様に「捨石」「絶望的な死の選択」しか許されない戦争でした。

確かに特攻隊員達の遺書に滲み出る 家族への想い、死の決意には 涙なしには読めません。
父もそうでしたが 敗戦で生き残った人達も長い期間 散った戦友達の死の評価で苦しんだと思います。

この作戦とも言えない作戦を推進・命令した人達の 戦後の豹変。
戦争遂行責任や死を強いた作戦へ反省・総括がないまま 敗戦後 警察予備隊・保安隊・自衛隊に入隊し 幹部になっていく。

今盛んに防衛論議がされていますが、いざ戦争になった場合に「死」を前提に闘わざる得ない自衛隊員や一般国民。*防空壕や核シェルターすらない。

靖国神社は「国から理不尽に 死を強要された人達」の無念さがこもった神社です。
愛国心を強調する人達は、参詣ではなく「二度と無益な死を強要するような国にはしない」と祀られている霊に誓う場でなくてはなりません。
もうすぐ「開戦の日」を迎えます。
二度と若者を 政権のために死なせない
 決意の日としたいものです。
posted by 小だぬき at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「戦後」を歴史としてみる

「戦後」を歴史としてみる
毎日新聞2016年11月21日 東京夕刊

 第二次世界大戦終結から70年の節目だった昨年を経て、既に戦後71年が過ぎた。
それにしても、この「戦後」という区切りはいつまで有効なのだろう。
筆者自身、数年前に「のんべんだらりと続く『戦後』としか現在をとらえられない」問題について書いたこともあるが、代わりにこれといった指標は見当たらない。

 手がかりになる本が出た。近現代日本史を専門とする成田龍一さんの『「戦後」はいかに語られるか』(河出ブックス)だ。
「いま、私たちは、大きな転換期に遭遇している」との認識のもと、「耐用年数が過ぎたにもかかわらず『戦後』に負ぶさる姿勢と、『戦後』を無きものにしようとする動き」の両者に対抗し、「戦後」を歴史としてとらえようと試みている。

 前提は二つある。

一つは、いま「『戦後』の歴史がある決定的な地点を越えてしまった」という見方だ。
これは2011年の東日本大震災と「そこでの不安をもとに誕生した現政権」により、「これまでとは異なる光景」が広がってきたとの状況把握からきている。

3・11の原発事故は世界史的な意味を持ち、「戦後レジームからの脱却」を唱える政権は、戦後に培われてきた思想や制度、それをめぐる議論までをも「消去しようと」していると著者は述べる。

もう一つは世代の交代だ。
いまや戦争経験者の子供の世代=戦後第1世代に続き、孫の世代=戦後第2世代が台頭している。
この戦後第2世代は「先行する世代とはまったく異なった世界観や社会認識を有し」、新しい感覚を提示するようになったという。
 こうした前提に立ち、成田さんは戦後に関わるさまざまな議論や文学作品を紹介しつつ、戦後を歴史として語るための「文法」を探っていく。
分かりやすい単純な答えが用意されているわけではないが、興味を引かれた点を挙げてみる。  

国家などの「公」と個々の「私」との関係が戦後たどった変化について、著者は政治学者の藤田省三や作家の小田実らの考察を通して描く。
それは、日本人が「戦時の国家への献身から反転して」「私生活第一主義」に向かうところから始まった。
藤田によればこの「私生活の擁護」は「憲法によって基礎づけ」られたもので、1960年の「六〇年安保闘争」でも示され、肯定的に評価された。

 70年代にかけてベトナム反戦運動で活躍した小田はさらに徹底し、「『私状況』優先の原理」を戦後民主主義の基礎を成すものととらえた。
だが同時に、同じ原理が「戦争責任を曖昧にし、『公状況』に無関心の風潮をもかたちづくった」と指摘した。

 さらに、80年代に「公と私」の関係が大きく転換していったことが、仏文学者の海老坂武さんらの著作を通し記される。
それは公の思想が後退し、個人主義や相対主義が浮上するという形で表れた。
 そして現在、戦後第2世代にとっては「新自由主義経済のもとで『私』と『生活』が崩れ去る」事態が出発点になっていると成田さんは書く。
貧困が切実な問題になった状況を指している。

新自由主義の政策推進により、「家族や地域社会などをはじめとする中間組織・団体が崩壊し、『私』がむき出しのまま、『公』(世界)に対峙(たいじ)することともなっている」。
まさに「『戦後』後」の新たな事態だ。
そうした中で、昨年夏の安保法制反対運動に見られた「若い世代を含む集団的な行動」が重視される。

 歴史としての「戦後」像、戦後に代わる枠組みはまだ明らかでない。
とはいえ「あの戦争」を基準に積み重ねられたものの有効性が薄れ、全く違った局面に入っているのは確かだ。
目を凝らし、読み解く「文法」を編み出さねばならない。
                                【大井浩一】
posted by 小だぬき at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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