創価学会、幸福の科学、オウム真理教…
日本の新興宗教の歴史
2017.02.26 07:00 NEWSポストセブン
清水富美加(22才)の幸福の科学出家騒動で、にわかに宗教への注目が集まっている。
そこで、日本の新興宗教の歴史とはどんなものだったのか振り返ってみよう。
「新宗教」のなかで最も信者数を伸ばしたのが、今や与党の一角を占める公明党の支持母体である創価学会だ。
日蓮の教えを信奉する創価学会は1930年に創立され、戦中は政府に弾圧されたが戦後に再建された。
宗教学者の島田裕巳氏は、高度経済成長期、大都市に出てきた人々が入信したことで勢力を伸ばしたと解説する。
田舎の農村から出てきて右も左もわからないまま都会の中小企業や零細企業に勤め、生活は豊かでなく孤独を抱えた人々が、創価学会が会員を集めて開く「座談会」に参加し、創価学会に入ることでいかに功徳を手に入れられたかを発表する。
すると他の会員から大きな拍手を送られて、都会で生きていく自信や励みになる。
そんな光景が各地で見られた。
これが創価学会の「明」の部分とするならば、その裏側には色濃い「暗」があったと島田氏は指摘する。
創価学会の2代会長・戸田城聖氏が1951年から推進した大規模な勧誘活動「折伏大行進」が、新宗教のネガティブなイメージを生み出したというのだ。
「『折伏』とは、強引な手段を使ってでも、相手を信仰に導いていく布教のやり口です。
当時の創価学会の会員は連れ立って未会員の家を訪れ、相手を言い負かして信仰を押しつけることもありました。
時には他の宗派、他の宗教施設で折伏をすることもあり、あまりに強引な勧誘にトラブルが多発して、創価学会アレルギーを持つ人が増えました」
高度経済成長期は新宗教にとっても成長の季節だったが、1973年のオイルショックで日本経済が停滞すると、新宗教は新たな展開を迎える。
「経済拡大にブレーキがかかって“信仰で豊かになる”という現世利益の実現が難しくなると、現実の社会が与えるものとは別の価値を与える『新新宗教』が生まれました。
このタイプの教団にあたるのが、世界真光文明教団、世界基督教統一心霊協会(統一教会、当時)、エホバの証人、崇教真光などです」(島田氏)
当時は五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』がベストセラーになり、超能力者を自称するユリ・ゲラー氏が来日して、日本中が超能力ブームに熱狂した。
こうした時代背景のもとで登場した「新新宗教」の中には終末論や超能力、オカルトなどを売りに信者を増やしたものもあった。
終末論の影響で日本の将来に強い不安を抱く信者は、新新宗教が提供する、「手かざし」などによる超常体験に強い安心感を覚えた。
その後、オイルショックを乗り越えた日本経済は上昇に転じてバブル時代を迎える。
この時期、2つの注目すべき新宗教団体が台頭した。
1つは、今回の騒動の当事者でもある幸福の科学だ。
同教団は、大川隆法氏が1986年に創設した。
幸福の科学を長く取材しているフリーライターの藤倉善郎氏が解説する。
「大川さんは東大法学部卒で総合商社に勤務経験がある異色の経歴から、当時、『平成の教祖』として話題になりました。
幸福の科学は基本的に大川さんという生きた人間を崇拝する宗教団体です。
大川さんには生死を問わず誰の霊でも呼び出せる能力があるとされ、さまざまな人物や神などの言葉を集めた『霊言集』を数多く出版しています。
信者は、比較的裕福で知的なかたが多いという特徴があります。
幸福の科学には教義をどれくらい理解したかを調べる仏法真理学検定というものがあり、信者は特定の神を拝むだけでなく、熱心に勉強して知的な満足感を得る。
自分を高めることに喜びを感じる“意識高い系”が多い印象です」
1990年代に入ると教団に変化が見られるようになった。
「初期の頃は大川さんを中心に霊界や心のあり方についての勉強会や講演会を行う団体でしたが、1991年3月に宗教法人格を取得すると、大規模教団を目指すようになりました」(藤倉氏)
宗教法人化からわずか4か月で幸福の科学の信者数は152万人を超えたと発表され、同年7月には、大川氏の誕生日を記念する「御生誕祭」が東京ドームで開催された。
この時、大川氏は自身が神であり、仏陀の生まれ変わりでもあるという「エル・カンターレ宣言」を行った。
同年9月には、幸福の科学の信者だった女優の小川知子と作家の影山民夫氏が中心となり、教団を批判する記事を掲載した写真週刊誌『フライデー』及び講談社への大規模な抗議活動を行った様子が連日テレビでも放送された。
「こうした強硬な姿勢が世の反感を買い、幸福の科学は従来の新宗教と同じく人々から警戒される教団となりました」(島田氏)
バブル時代に出現したもう1つの注目すべき新宗教団体が、1987年に麻原彰晃が設立したオウム真理教だ。
「高度経済成長の時代に発展した新宗教とは対照的に、オウムは経済的な豊かさを求めることを煩悩として否定し、ヨガなどの厳しい修行で精神性を高めることを求めました。
このため、“金がすべて”というバブル的な価値に反発し、現実の社会に生きることに虚しさを感じて、“自分探し”を求める人々がオウムに魅了されました。
こうした信者に対し、オウムは現世を離れる『出家』を求めました」(島田氏)
オウムの信者には難関大学の出身者や医師、弁護士など社会的地位の高い若者も多かった。 『A』などオウム信者に迫ったドキュメンタリー作品を数多く撮影した映画監督の森達也氏が、オウム台頭の理由を解説する。
「人々が不安になった時、死生観も含めて一般社会の持つ価値観とは別の価値観を提示して、安心感を与えてくれるのが宗教です。
つまり宗教とは、そもそもが現世へのアンチテーゼでもある。
だから、必要だけど危険です。
バブル時代の末期には世の中がさまざまな閉塞感で覆われて、多くの人が新たな価値観を求めていた。
そんな人々の受け皿のひとつがオウム真理教だったんです」
世の中が金儲けに走ったバブル期の新宗教では、金銭関係のさまざまなトラブルも生じた。
なかでも批判を浴びたのは、韓国で生まれたキリスト教系の宗教と公称する統一教会が、壷や印鑑などを高額で売り付ける「霊感商法」だった。
統一教会は1992年に教祖の指示で初対面の信者同士が結婚する合同結婚式を韓国のソウルオリンピック主競技場で開催して、歌手の桜田淳子、元新体操選手の山ア浩子が参加した。
当時、霊感商法が批判を集めていたこともあり、統一教会は日本のメディアから激しくバッシングされた。
そんな新宗教に対する日本人のネガティブな感情が頂点に達したのが、1995年の地下鉄サリン事件だった。
この年の1月17日に阪神・淡路大震災が発生した。
その混乱最中の3月20日、オウム信者が都内の地下鉄に猛毒のサリンを撒き、13人が死亡、約6300人が重軽傷を負う大惨事が発生した。
その2日後、警視庁はオウム真理教の施設25か所を一斉捜索し、5月16日に麻原彰晃を逮捕。国民は捜査の進展を固唾をのんで見守った。
オウムによる未曾有のテロは、日本人の宗教の見方を大きく変えた。
哲学者で津田塾大学学芸部教授の萓野稔人氏が指摘する。
「もともと日本人は自分に迷惑さえかからなければ、誰がどの宗教を信じようが寛容に受け止めていました。
しかし、地下鉄サリン事件のように人の生活に介入して平穏を乱すテロのようなことが起きると、日本人は極端な拒絶反応を示します。
オウム事件後、日本人は宗教に対して、非常に警戒心を抱くようになりました」
※女性セブン2017年3月9日号