『延命治療』とは何か?
無意味な治療と
必要な治療とを分けるもの
2016年9月1日 読売新聞
「延命治療は嫌です。
生きているのか死んでいるのかわからない状態で生かされるのはご免です」とは、周りの多くの方たちの反応です。
「では、延命治療ってどんな治療のことを指しますか?」と聞くと、 胃瘻いろう や経管栄養、呼吸器、点滴などがあり、病状や年齢などの条件は考慮していないので漠然としたものです。
一方で、テレビでは病気や老いをマイナスと考えて、様々なサプリメントのコマーシャルが頻繁に流れています。
そもそも「延命治療」という言葉には無理があると思います。
何をもって延命とするのか、延命と考えるのに年齢があるのかという疑問です。
なぜなら医療そのものが生命をどう維持するのかが重要なのですから、そのために必要か無意味な治療なのかという問いは、生体だけで考えるのでなく、いわゆる生命の質(QOL)も含めて考えるということなのでしょう。
これは、人生の最期に当たって医療にすべてをお任せするのではなく、私たち一人一人が、なぜ生きているのか、どう自分の人生を全うするのか、そして、家族はどう 看取みと っていくのかという覚悟を問われているのだと思います。
「いのちって何だろう?」と100歳の医師から、10歳の小学生に質問したことがありました。
一人の生徒が「ハート?」と言って胸の上に手を置きました。
先生は、迷わず白板に1本の線を引き、両端に0と100を書き込みました。
「私は今ここ、君たちはどこですか」と一番前の生徒にペンを渡しました。
直線の半分の半分、もっと小さく10等分したところに点を書きました。
そして、「いのちって、君たちが持っている時間です」と、目に見える形で示しました。
これは、当時100歳だった日野原重明先生が、宮崎の小学校で行った「いのちの授業」の一場面です。
命は自分が持っている時間だから、その時間を大切に使いなさいというメッセージは子供たちだけでなく、後ろで授業参観していた私たちにも直球で伝わりました。
そして、「その時間を自分のためだけに使う時期があり、その後は人のために使うのですよ、何より平和のために使ってください」と付け加えられました。
「『延命治療』とは何か?」と考えることと、「『いのち』とは何か?」「生きていくとは何か?」と考えることは同じだと思うのです。
人は自分の持っている時間を精いっぱい生きて、そして、その人生の完結となる点が、100歳を超えようとも、もっと短い点になろうとも、そこに優劣はないはずです。
持っている時間を精いっぱい使って、 馴染なじ みの人に囲まれて穏やかに過ごせる日々の最期が、いのちの終わりとなる。
そのために治療が必要であれば、それは延命治療ではないはずです。
宮崎市は、市民の一人一人が“わたしらしく”生ききるためのノート「わたしの 想おも いをつなぐノート」を作りました。
この背景には、「終活」などを考える時に、最期の時を、単に心臓が動いていれば良いわけではなく、質の良い最期を送りたいと思う人が増えてきていることがあります。
そのためには本人の意思が大事になってきますから、元気な時から最期の時間をどのように過ごしたいか、どのような医療を受けたいかを考えるきっかけにしてほしいという想いからです。
このノートの手引書に書かれている延命治療の項を引用します。
「延命治療を望む? 望まない? どのような治療を受けるのかを決めるのは、あなた自身です。
どちらの選択もありますが、いざという時にすでに自分の意思が表せないことがありますから、元気な時から考えて自分の意思を表明しておくことが大切です」と冒頭に書かれています。
その上で、生命維持のための最大限の治療とはどんなものがあるのか、継続的な栄養補給とは何があるのか、点滴など水分を維持する処置とはどんなことか、痛みはほとんどの場合色々な方法で取ることができること、そして、もう回復の見込みがなく、すべての機能が弱るときに自然にゆだねるとは、どのようなことなのかを、わかりやすく解説しています。
このノートの真の目的は、単に最期の治療をどこまでするのかを表明しておくというだけでなく、いのちの時間を“わたしらしく”生ききるためにどのように思うのか、一人一人の死生観を醸成していくことなのだと思います。
そのための一つのツール(道具)として、市民に啓発する活動が続いています。
私が「延命治療とは何か」と考える時にいつも思い出すのは、「かあさんの家」で看取った光子さん(仮称)のことです。
光子さんは、戦前戦後を女性一人で懸命に生き抜いてきた85歳の方でした。
ご近所さんやお友達に支えられながら一人暮らしをしていましたが、自宅で倒れているのを発見され、救急車で病院に運ばれました。
そこで、慢性腎不全で人工透析が必要だという診断結果を受けました。
腎不全を示すクレアチニン値が5を超えていましたが、少し認知症の症状もあり、ご家族は人工透析をして普通の生活が制限されてしまうことを選びませんでした。
これまでたくさん苦労をしてきたから、最期の時間は穏やかに暮らすのが一番大切なことだと希望され、「かあさんの家」に入居されたのです。
入居当初は、顔もむくみ、貧血でふらつき、立つこともできませんでした。
まず、本人の希望を聞きながら、これまでの生活のリズムを取り戻すようにしました。
体液内にあり、体の働きを正常に保つ電解質のバランスも壊れていましたから、生野菜を温野菜にし、塩分を極力減らし、色々な食材を少量ずつにして献立を工夫しました。
ちょっとした傷でもすぐに、皮膚の深いところまで 化膿かのう して痛みや腫れを伴う「 蜂窩織炎ほうかしきえん 」になるので、早め早めに在宅医療の支援をうけました。
人には、体を一定の状態に保つ「ホメオスタシス(homeostasis)」という機能が備わっています。
外の気温が上がっても下がっても、体温を36度5分程度にいつも保っています。
けがをしてもそれを治そうとする働きがあり、外部からの病原体に対しても、自己を守る防御反応が働きます。
この機能が備わっているおかげで、私たちは健康に過ごすことができているのですが、光子さんは、この機能が衰えてきていました。
しかし、機能を果たさなくなりつつある腎臓に人工透析をするのではなく、自然に任せて生体を維持できるだけするという選択をしました。
ご家族は、透析をしなければ余命はあと2か月しかないだろう、もしかしたら突然呼吸が止まるかもしれませんと告知されており、そのことも覚悟の上でした。
しかし、光子さんは予想に反してそれから2年と2か月、穏やかに同居者と「とも暮らし」を楽しみ、2日間だけ床に伏して、すっと逝かれました。
腎不全の血液検査の数値は改善していたわけではありませんし、クレアチニン値も貧血の度合いも、ほぼ横ばい状態で経緯しました。
光子さんが人工透析をせずに2年余りも過ごすことができたのは、足りない機能をほかで補いながら、まさにホメオスタシスの働きのなせる業だったのではないかと思っています。
これまでに、かあさんの家で看取った方々から私が教わったことは、ヒトの細胞の一つ一つは常に生きたいと思っているのだということです。
そして、その生きるという働きが徐々に弱っていき、食べられなくなりすべての身体の機能が衰え、最期は持てる力を出し切って精いっぱい生ききるのだと思います。
死はその結果です。
この自然にゆだねるという流れを、医療が余計な手出しをすることで変えてしまうことがあります。
本人は「そろそろお迎えが来てほしい」と思っていても、看取る家族の気持ちは揺れ動きます。
食べられなくなったら何とか栄養を補給しなくては餓死するのではと心配し、水分が取れない状態になると脱水になるので点滴をしてほしいと医療にできることを期待します。
そんな時に、ご家族には、治療が本人にとってはどうなのか、自分がその立場だったらと想像することが大切になります。
このプロセスを経ることで、最終的には自然にゆだねることが、なにより本人にとっての最善なのだと納得されていきます。
無意味な治療と必要な治療を分けるものは、本人の意思と本人にとっての最善を考えて選択することなのではないでしょうか。
延命治療とは、むしろ家族が大切な人を看取るときの課題とも言えます。
あなた自身がどこで最期の時間を過ごし、どのような医療を受けたいのかを、元気なうちから意識して考え、そして、それを家族や周りに表明しておくことが大切です。
なぜなら、あなた自身のためだけでなく、あなたのことを大切に思っている方にとって、看取るときの大切な 拠よ りどころになるのですから。
あなたは、人生の最期の時間をどこで過ごしたいのか、どのような医療を受けたいのか、あなたの意思をご家族や周りの人に伝えていますか。
※参考までに “わたしの想いをつなぐノート”の問い合わせ先( 宮崎市HP )
◇ 【略歴】
市原 美穂(いちはら・みほ)
一般社団法人全国ホームホスピス協会代表理事
1947、宮崎県生まれ。
87年、宮崎市に夫が「いちはら医院」を開業し、裏方として携わる。
98年、「ホームホスピス宮崎」設立に参画し、2002年に「特定非営利活動法人ホームホスピス宮崎」理事長に就任。
04年に「ホームホスピスかあさんの家」を開設し、現在宮崎市内に4軒を運営する。
15年「一般社団法人全国ホームホスピス協会」を設立し、現職。
08年「社会貢献者賞」(社会貢献支援財団)、09年、「新しい医療のかたち賞」(医療の質・安全学会)、15年、「保健文化賞」(第一生命・厚労省)をそれぞれ受賞。
著書に『ホームホスピス「かあさんの家」のつくり方』(図書出版木星舎)、『暮らしの中で逝く その<理念>について』(同)、編著に『病院から家に帰るとき読む本』(同)がある。
元の記事を読む