2017年05月16日

共謀罪法案 5識者が意見 維新参考人も反対

共謀罪法案 5識者が意見
 維新参考人も反対
2017年5月16日 13時57分 東京新聞

 衆院法務委員会は十六日、犯罪の合意を処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案についての参考人質疑を行い、有識者五人が意見を述べた。
反対の立場が三人、賛成の立場が二人だった。

 反対の立場では、自民、公明両党とともに修正案を提出した日本維新の会が推薦した成城大の指宿信(いぶすきまこと)教授(刑事訴訟法)が「過去のテロ事件をなぜ防げなかったのかの反省なしに、法案を用意するのは合理性を欠く」と述べた。
海渡(かいど)雄一弁護士(民進党推薦)は「既遂処罰が基本の刑法体系を覆し、自由が制限される」と指摘。
加藤健次弁護士(共産党推薦)も反対意見を述べた。
 暴力団対策に関わってきた木村圭二郎弁護士(自民党推薦)は賛成の立場から「要件は厳格で、組織犯罪とテロ対策に必要だ」と訴えた。
賛成の立場は、ほかに中央大の椎橋(しいばし)隆幸名誉教授(公明党推薦、刑事訴訟法)。 (東京新聞)

共謀罪参考意見.jpg
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沖縄本土復帰45年 今なお遠い憲法 安保優位、続く米軍特権

沖縄本土復帰45年 
今なお遠い憲法 
安保優位、続く米軍特権
2017年5月15日 東京新聞朝刊

 沖縄県が一九七二年に本土復帰してから十五日で四十五年。
復帰を願った県民の希望は、沖縄が本土と対等に日本国憲法に守られる存在になることだった。だが、沖縄は七十年前の憲法制定・施行時も、復帰を待つ間も、そして復帰後も、憲法から遠く離れた位置に置かれ続けている。 
          (村上一樹)

 「政府は(沖縄)県民の代表が帝国議会において失われんとするに当たりまして、あらゆる手段を尽くし、これを防ぎ止めねばならぬ」
 終戦直後の四五年十二月の帝国議会。
沖縄県選出の漢那憲和(かんなけんわ)氏は衆院の委員会で訴えた。

米軍占領下となった沖縄県の人たちの選挙権が停止されようとしていたからだ。
漢那氏の願いは届かず、沖縄の代表が不在となった四六年、現憲法を審議した「制憲議会」が開かれた。

 仲地博・沖縄大学長(憲法、行政法)は当時の状況を「沖縄の声を聞くという姿勢は全くなかった。トカゲのしっぽ切りのように国のために処分されていい地域だった」と話す。
 憲法の施行から二十五年間、憲法がなかった沖縄では県民の生命や生活が侵され、言論や表現の自由も制限された。
県民は米軍統治に抵抗し、本土復帰運動を起こした。

仲地氏は「憲法が示す普遍的な価値が、沖縄では侵害されていた。
その回復を求める運動に憲法は最も優良な武器だった」と指摘する。

 一方、本土では沖縄が復帰を求めている間も五四年の自衛隊発足、六〇年の日米安全保障条約改定と日米の軍事同盟関係が整備・強化された。
「合憲」とする政府解釈のもと、平和主義と戦力不保持をうたう九条の精神はないがしろにされていった。
 小林武・沖縄大客員教授(憲法、地方自治法)は県民の思いについて「日本政府が憲法を変えたいと思っていたことも、当然知っていた」と語る。
それでも復帰を望んだのは「普遍的な価値を持つ憲法は、沖縄でこそ真の姿を取り戻せるという確信(があった)」と分析する。

 現実は厳しかった。
復帰後の沖縄は、名護市辺野古(へのこ)の新基地建設が進むなど国内の米軍基地負担の大半を担わされ、駐留米軍による事件・事故も続いている。
小林氏は「安保条約を沖縄も適用することで、占領下の米軍の特権、地位を引き継いだ。
憲法が適用されても安保と二元的な法体系、より実体的には、憲法は安保の下にある」と語る。  

漢那憲和の発言
(1945年12月・第89回帝国議会)
 帝国議会における県民の代表を失うことは、その福利擁護の上からも、また帝国臣民としての誇りと感情の上からも、まことに言語に絶する痛恨事であります。
 (中略)
 このたびの戦争において沖縄県の払いました犠牲は、その質においておそらく全国第一ではありますまいか。
この県民の忠誠に対して、政府は県民の代表が帝国議会において失われんとするに当たりまして、あらゆる手段を尽くし、これを防ぎ止めねばならぬと存じます。

沖縄の戦後.jpg
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