2017年06月03日

官邸レッテル貼り失敗 前川前次官“いい人”エピソード続々

官邸レッテル貼り失敗
前川前次官
“いい人”エピソード続々
2017年6月3日 日刊ゲンダイ

 “買春次官”のレッテル貼りも、むなしく剥がれつつある。
加計学園問題を巡る「総理のご意向」文書を「本物」と認めるなど官邸の圧力や歪んだ行政を暴露している前文科省次官の前川喜平氏(62)。

出会い系バー通いは「貧困女性の実地調査」とする説明に、安倍官邸は「女性に小遣いを渡した。
さすがに違和感を覚えた」(菅官房長官)と“エロ親父”に仕立てる人格攻撃に躍起だが、前川氏の“いい人”エピソードが湯水のごとく湧き上がっているのだ。

 今週発売の週刊文春は、出会い系バーで知り合った女性らに「まえだっち」と呼ばれていた前川氏が、就職や両親の離婚などの相談に乗っていた“美談”を報道。
告白女性に「前川さんのおかげで今がある」とまで言わしめている。

 また、次官退官後、前川氏が子どもの貧困対策に取り組むNPO「キッズドア」のボランティアに、素性を明かさず参加していたことが話題に。
理事長の渡辺由美子氏は、自身のブログで「一生懸命に教えてくださっている」
「実際に現場に足を運ぶことは、生半可な思いではできない」「誠実な方」と前川氏を絶賛。
もともと優良企業の御曹司だけに、まるで「あしながおじさん」だ。

■出世しても「とにかく現場」
 前川氏の4期先輩で、元文科省審議官の寺脇研氏(京都造形芸術大教授)は、「若い頃から、何でも現場を見ないと気がすまないタイプだった」として、こんなエピソードを披露した。
 寺脇氏は1984年から2年間、福岡県に出向。
福岡の筑豊地区は当時、炭鉱の閉山で貧困の巣窟だった。
複雑な家庭の子も多く、教育現場も荒れていた。
帰京後、寺脇氏が入省7年目の前川氏らに筑豊の実情を話すと――。

いの一番に、“現地に行きましょう”と言ったのは前川君でした。
公務ではなく、土日を利用して、皆で自腹で行きました。
学校の様子を見て、夜は先生らと飲みながら語り合った。
出世しても前川君はとにかく現場に出向いていました。
NPOや民間の学校など、役所の手が届きにくいところにまで足を運んでいました

 前川氏の一貫した現場主義の逸話を知ると、「出会い系は実地調査」との説明もうなずけなくはない。
「会見を見て、説明をウソとは思いませんでした。
ただ、あまりにも“ストレート”な説明だったので、会見後、『誰が信じてくれるか』と電話したら、『本当のことですから』と。
そういう不器用で、バカ正直な面もあるんです」(寺脇研氏)

 安倍官邸と前川氏、どっちが信用できるか。一目瞭然だ。
posted by 小だぬき at 12:52| 神奈川 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

共産党員逮捕の菅生事件 警察の不正暴いた取材合戦

メディアの戦後史
共産党員逮捕の菅生事件 
警察の不正暴いた取材合戦
毎日新聞2017年6月1日 東京朝刊

 九州ののどかな山あいの村に未明、爆音が響いた。
1952年6月2日午前0時過ぎ、大分県菅生(すごう)村(現竹田市菅生)の駐在所でダイナマイト入りのビール瓶が爆発した。
けが人はなかったが、なぜか警察が爆発前から駐在所を囲んで待機していた。
近くにいた男性2人を含め共産党員5人を即日、爆発物取締罰則違反などの容疑で逮捕した。
後に菅生事件として知られる事件だ。

 共産党員らを公職追放するレッドパージから2年後のこの年、札幌市で警官が殺害された白鳥事件や、戦後の学生運動で初の死者を出したメーデー事件が発生。
警察は共産党活動との関連を捜査していた。
そのさなかだった。

 大分地裁は全員を有罪としたが、2審・福岡高裁では異例の展開になった。
被告側は現場近くにいて事件後姿を消した「市木春秋」と名乗る男の関与を主張していたが、「市木」とみられる人物の写真が出てきたのだ。

 被告側の主張では、市木という男が事件の数カ月前に村にどこからか現れて製材所で働き始め、「共産党に入党したい」と接触してきた。
事件当日、男性らを現場近くに呼び出したが、直後に警察の車に乗って行方をくらました。
共産党員を犯罪に陥れようと画策していた警察官に違いないと言うのだ。

 高裁が審理中の56年11月、地元の大分新聞、大分合同新聞の2紙が「市木は現職警官の戸高公徳巡査部長」と実名を特定して報じた。
新聞各紙の特ダネ合戦が始まった。
しかし、肝心の戸高巡査部長は「東京に行った」という情報だけで、行方がつかめなかった。  

「菅生事件のナゾ 姿を消した警官」−−。
毎日新聞は翌57年3月13日、事件の不可解さを伝える記事を掲載した。
東京本社版でも朝刊3面の半分近くを使い、独自入手した戸高氏の写真を掲載。
関係者の証言も加えて「市木と戸高が同一人物とは考えられない」と否定した警察庁の山口喜雄警備部長の国会答弁に疑問を投げかけた。


 同じ3月13日、事件は急展開する。
共同通信社会部の取材班が、東京都新宿区のアパート「春風荘」に身を隠した戸高氏を見つけたのだ。
近くのバーに場所を移して話を聞いたが認めず、翌日の取材でようやく「市木は私。党に近づくため潜入した」と認めた。

「消えた警察官 現わる」。
共同の配信を受けて、毎日新聞など各紙の取材にも火が付いた。
 福岡高裁で戸高氏の証人尋問が実現した。
眼鏡をかけ頭髪をきちんと分けた戸高氏は、当日は現場にいなかったと主張したものの、自らダイナマイトを運搬し、爆破された駐在所に脅迫文を書いたことを認めた。
 高裁は58年6月9日、爆破事件について5人に逆転無罪を言い渡した。
うち1人の主任弁護人を務めた清源(きよもと)敏孝(としたか)氏が「新聞社が競い合って戸高氏を見つけ出した。
メディアの存在がなければ裁判を覆すのは難しかった」と話していたと、次男で弁護士の善二郎さん(63)は振り返る。

 最高裁も60年12月16日、高裁判決を支持した。
判決を伝えた毎日新聞夕刊で作家の松本清張氏は「戸高をジャーナリストたちが追及して明るみに出さなかったら、警察はかくしたままだっただろう(中略)その勝手な振る舞いには恐ろしさを感じる」と感想を寄せた。

 事件から60年以上が過ぎた。共同通信社会部取材班のキャップだった原寿雄(としお)氏は92歳になった。
権力が正義を追求するとき、正義のためにという名目で、不正義な手法を用いるということがある。
それは今も昔も変わらない。
権力の不正を監視し、つかんだ事実で不正を明らかにすることが報道の役割だ」と言葉に力を込めた。
       【川名壮志】
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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