2017年06月10日

スラム化する郊外とマンションの「現在」…高齢者と空き住戸だらけで修繕もできず

スラム化する郊外と
マンションの「現在」…
高齢者と空き住戸だらけで修繕もできず
2017.06.10 Business Journal

文=牧野知弘/オラガ総研代表取締役

 野村総合研究所の予測では2033年には日本国内の空き家数は2000万戸を超え、空き家率は30%を超えるとされる。
一般的には空き家率は30%を超えると急速に治安が悪化し、環境悪化を嫌気した人々が、地域から脱出を始めるといわれている。

 つまり、日本は国全体が30%という「限界値」を超える異常事態になるのだ。
ということは、おそらくこの頃には日本の多くの地域社会が崩壊の危機に晒されることになる。

そしてこの崩壊は、地方の中山間地域から始まり、都市郊外部、そして都心部へと広く、深く「病が広がる」かのように蝕まれていくことになる。
 首都圏の不動産価格は、アベノミクス効果で全体が上昇しているかのように報道されているが、実態は異なる。
実は、首都圏郊外の不動産価値は、急速に下げ足を速めているのだ。
首都圏郊外部で育った年齢も若くてバリバリ働ける人たちは、都心部に生活拠点を移し始め、地域に残されるのは高齢者ばかりになっているのが現状だ。

 首都圏でも千葉県や埼玉県の郊外や、船橋や松戸といった中核都市でも駅からバスで行くような、昔「ニュータウン」と呼ばれた住宅地の中古価格は、マンションで「くるま一台分」(250万円から300万円)、戸建てでも1000万円を大きく下回るような「暴落状況」になっている。  

平成バブルの頃はおそらく4000万円から5000万円くらいはしたであろう物件の価値が、10分の1程度にまで縮小しているということだ。

  地域社会との接点が希薄
 残念なことに首都圏郊外のニュータウンと呼ばれた多くの地域は、1970年代以降に開発された新しい街で、地域に根差した文化や伝統といったものは存在しない。
住民の多くは、元サラリーマン。
家と会社との間を往復するばかりで、地域社会との接点が希薄だった人たちだ
 家は核家族が中心。
祖父母などが同居しているケースは稀で、両親と子供たちだけという二世代だけのものが中心だ。

 地域社会としては、住宅が分譲された同時期に一斉に入居した、ほぼ同じ年代、同じ経済状況の人たちばかりだ。
初めのうちは若くて活気があふれていた街も、住民は一斉に歳をとり、街中から子供たちの声は消え、高齢者ばかりのひっそりとした街になる。
子供たちはすでに学校を卒業し、都心部の会社に就職し、会社から近くの都心居住を選択している。
夫婦共働きが当たり前の現代。
子供を保育所に預けて都心まで1時間半以上もかけて通勤するなどという生活スタイルは、そもそも「あり得ない」のだ。
 また、彼らは自分たちが育った都市郊外部に対してあまり愛着を持っていないのが特徴だ。
当たり前である。
小学校くらいまでは地元の学校に通っていた彼らだが、地域の公園で遊んでいたのは小学校低学年まで。
高学年からは連日の塾通い。
ひたすら学校と塾と家との間を往復するだけの生活は、父親のそれとあまり変わりがない。
親たちの故郷像にある、小鮒を釣った川もなければ、兎を追った野原もないのだ。
 彼らが経験したのは、私立中学に合格したのち、やはり父親と同じように電車に乗って、学校と家との間をひたすら往復するだけの生活だ。
地域社会に溶け込む余地など、もともと残されていないのだ。

このようにまったく地域に対して「無関心」で育った子供たちは、都心居住を選択したのちは、自分たちが「育ったはず」であるニュータウンには戻ってはこない。
そもそも地域に対する愛着など欠片もないからだ。
 子供たちがまだ小さかった頃には、サラリーマンの父親のなかでも少しは元気があった人たちが、盆踊りを催して壇上で太鼓をたたき、お祭りや食事会などを企画し、地域社会の絆をつくろうとしてきたが、それも今は昔。

 地域に残された人たちが高齢者ばかりになると、なんだか活気がなくなり、お祭りに集まる人たちも急速に減ってしまう。
そのうちみんな億劫になって家に引き籠もるようになる。
ただでさえ、新たに開発された土地で、伝統も文化もない地域だ。
集まってきた人たちの「出自」もさまざまである。
職業はほとんどがサラリーマンで、何か特殊な技能や能力があるわけでもない。

 もともとサラリーマンという種族は、会社以外の人生というものを味わったことのない人たちだ。
会社の「役職」だけが自分を表現する手段だった彼らにとって、言うことを聞いてくれない妻や子供に加えて、いまだかつて「触れて」もこなかった地域社会の人たちと交わり、今さら新たな自分を再構築していくことはなかなかにして困難な作業といわざるを得ない。

 子供たちが「後を継ぐ」わけでもなく地域社会から次々と櫛の歯が抜けるように去って行ってしまった地域では、地域の絆を保つ術がどこにもないというのが実態なのだ。

老朽したマンションの実像
 空き家といえば戸建て住宅ばかりを思い浮かべがちだが、マンションになると事態はさらに深刻だ。
マンションの多くは区分所有という権利形態だが、この形態が曲者だ。
分譲時点では多くの所有者は同じような経済状態、家族構成だったものが、時代の経過とともに変化する。
子供たちは家を出て、やはり親の元に戻ってはこない。

 戸建てに比べ、マンションは近所づきあいにあまり気兼ねしなくてよいと考えて入居した人が多いはずだ。
しかし建物も老朽化して、いざ大規模修繕や建替えを考えなければならない時点に至って、人は初めて、これらの決断に際して、他の区分所有者と真剣に向かい合わなければいけないことに気づくのだ。
 分譲当時はマンション住戸の多くに所有者が住んでいたものが、賃貸に拠出していたり、親が亡くなってそのまま空き住戸になっている住戸も目立つ。
なかには寝たきりの状態の高齢者の単身世帯まで出現しているのが、老朽化したマンションの平均的な実像だ。

 ここでマンション全体として「何か」を決めようとしても、区分所有者同士の意見を集約することは非常に難しくなってしまう。
管理組合総会でも住民エゴがまともにぶつかり合い、物事を決められない。
空き住戸が増えて管理費や修繕積立金が思うように集まらなくなるにつけ、マンションから逃げ出す住民も増え始める。
ひとりだけ優等生を演じても、マンションは区分所有者全員の協力を得ていかなければ、実質は何事もスムーズに決まっていかないという性格を抱えた、実に「やっかい」なコミュニティーなのだ。

 マンションというコミュニティーの崩壊だ。
マンションはいわば建物内でのひとつの地域社会でもある。
ひとつひとつのマンション内での地域社会の崩壊がやがて地域全体の崩壊につながっていくことは容易に想像できるだろう。
 地域社会が崩壊していくことは、スラム化への道でもある。
空き家や空き住戸には不法滞在の外国人や不逞の輩が巣食い、地域は不法地帯へと変貌を遂げていく。
これまでこうした光景は遠い外国での話で、自分たちは関係がないと思ってきた我々日本人も、遠くない将来、こうした事態に確実に直面することになるのである。

 日本社会は今、急速に「二極化」している。
「富める者」と「困窮する者」への二極化だ。
地域社会の崩壊は、これまで地域を支えてきた中間層が衰退し、大多数の困窮者が空き家や空き住戸に巣食い、地域ごとスラム化する危険を孕んでいる。
 多くの地域社会が崩壊を始める日本で、「家」というひとつの地域社会の単位が今危機に晒されているのである。

ニュースサイトで読む:
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posted by 小だぬき at 09:02| 神奈川 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

読売は"弱者をたたき、強者を助ける"のか

読売は"弱者をたたき、
     強者を助ける"のか
6/9(金) 15:15プレジデントONLIN配信

沙鴎 一歩ジャーナリスト

加計学園問題は国会で野党の追及が続き、安倍晋三首相は真相解明に消極的な答弁を繰り返している。
そこで加計学園問題についての新聞記事を読み比べてみると、読売新聞の「弱気」と朝日新聞の「勢い」がよくわかる――。

■毎日コラムも「ヘンな記事」と指摘
 各紙の社説に触れる前に、毎日新聞6月5日付夕刊の客員編集委員、牧太郎氏のコラム「大きな声では言えないが……」を取り上げる。
 コラムは「5月22日、読売新聞朝刊に奇妙なスキャンダル記事? が掲載された」で始まり、「前川喜平・前文部科学省次官が歌舞伎町の出会い系バーに頻繁に出入りしていたことが関係者への取材でわかった」と続く。

 記者会見を開いて「記録文書は本物だ」「行政がゆがめられた」と証言したあの前川前事務次官のスキャンダルだ。
復習しておくと、記録文書とは、安倍首相の知人が理事長を務める加計学園の国家戦略特区への獣医学部新設計画に関し、文科省が特区担当の内閣府から「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向だと聞いている」といわれたと書かれている文書のことである。

 牧氏は「具体的な『犯罪行為』には触れていない。ヘンな記事だ! と思った」と指摘し、「《売買春の可能性がある風俗産業→そこに頻繁に通っていた元官僚→そんな人物の言い分を信じてはならない》の三段論法? 
 だが、僕には『前川さんVS安倍内閣・読売新聞』の構図に見えてしまう」と述べる。
なるほどその通り。

■「西山事件」を連想させる展開に
 次に「あの『西山事件』を思い出した」と書いているが、この私(沙鴎一歩)も読売の記事を読んで西山事件を連想した。
だから前回この欄で「下ネタで問題の焦点をぼかして相手を攻撃し、世論を見方にしようとする作戦はこれまでもよく使われた」と書いたのである。

 牧氏のコラムによると、西山事件は第3次佐藤栄作内閣のときに起きた。
ニクソン米大統領との沖縄返還協定に関する出来事だ。
米国が支払うことになっていた「地権者に対する土地原状回復費400万円」を実際には日本政府が肩代わりする密約が結ばれていた。
毎日新聞政治部の西山太吉記者がその密約をにおわす記事を書き、社会党議員に情報を提供した。
社会党は西山記者が提供した外務省極秘電文のコピーを手に国会で追及。
世論は佐藤内閣を強く批判した。
 ところが、極秘電文を西山記者に流したのは、西山記者と親しい女性事務官だった。
2人は国家公務員法違反の疑いで逮捕、起訴される。
起訴状には「ひそかに情を通じ」という言葉が記載され、「週刊新潮」が2人の男女関係を報じると、世論は一変してしまった。
 山崎豊子氏の小説『運命の人』のモチーフとなり、テレビドラマにもなっているから、ご存知の読者は多いだろう。
それにしても「権力は恐ろしい」(今回の牧氏のコラムの見出しにもなっている)。

■読売は異例の「弁明」を掲載
 毎日新聞の牧氏のコラムが出る2日前の6月3日付の読売新聞朝刊の第2社会面。
ここに社会部長名で「次官時代の不適切な行動」「報道すべき公共の関心事」との見出しを付けた記事が出ている。
牧氏が「ヘンな記事」と指摘した前川前事務次官の出会い系バー出入りスキャンダルの読売記事(5月22日付朝刊)についての弁明記事だ。
いや、言い訳がましい記事に読めてしまう。

 冒頭から「読売新聞の記事に対し、不公正な報道であるかのような批判が出ている。
民進党の蓮舫代表らは、この問題について『極めてプライべートな情報』とも指摘した。
しかし、こうした批判は全く当たらない」と主張する。
 そのうえで「記者会見した前川氏は『私の極めて個人的な行動を、どうして報じたのか』などと語ったが、辞任後であっても、次官在職中の職務に関わる不適切な行動についての報道は、公共の関心事であり、公益目的にもかなうものだと考える」と述べる。

 なるほど、その通りかもしれない。
しかしながら、どうしてこの時期に記事にしたのか。
もっと言わせてもらえば、なぜこの時期に前川氏の個人的情報をつかめたのだろうか。
その情報を知っているのは、文科省の幹部ぐらいのはずである。
 それに「青少年の健全育成や教職員の監督に携わる文科省の最高幹部が、違法行為の疑いが持たれるような店に頻繁に出入りし……」とまで社会部長が書くほど大ニュースならば、なぜ第1社会面のトップにするなど大きく扱わなかったのだろうか。

 加計学園問題に関わる記録文書が大きなニュースになっているなかで、前川氏のスキャンダルを明らかにする以上、批判を受ける覚悟も必要ではないか。

■読売は弱気になってきた? 
 ここまで書き進めたところで、6月7日付の読売新聞朝刊の社説を見てみよう。
 見出しが「獣医学部の要不要論を冷静に」である。
なんとおとなしいではないか。
書き出しも「獣医学部の新設手続きが適正かどうかは、冷静に議論すべきだ」と始まる。
 社説の文中、「首相は、愛媛県今治市での学部新設について、自らの関与を改めて明確に否定した」と書いてはいるものの、「政府も、獣医学部新設を認めた理由や経緯の詳細について、より分かりやすく、積極的に説明することが求められよう」と述べるなど、それなりに客観的である。
さらに社説の最後は「国家戦略特区は、地域を限定してさまざまな岩盤規制に例外を設ける制度だ。
それだけに、行政手続きの透明性や公正性をしっかり確保しつつ、進めることが重要だ」とまっとうな主張を展開している。
 これは想像だが、読売は少しばかり弱気になってきているのではないか。
週刊誌では「権力にすり寄る」などと批判され、世論からも「保守色が強い」とみられている。今回の加計学園問題では特にその傾向が強い。

■「特ダネ」を出した朝日の勢いは強い
 社外から批判に加え、社内でも意見が分かれているのだろう。
新聞記者は本来、反骨精神が旺盛だ。
強者をたたき、弱い者を助けるのを生きがいにしている。なかでも社会部の記者はその精神が強い。
ここが政治部の記者と大きく違うところだ。
それはどこの新聞社でも同じである。
政治部と社会部の対立、社説を書く論説委員同士の対立など、あれだけの大新聞社だけにいろいろとあると思う。

加計学園問題に関し、読売社説がどう変わっていくのか。
おおいに興味がある。
 最後にこの読売社説と同じ時期に書かれた他社の社説の見出しを挙げる。
「首相らの答弁 不信が募るばかりだ」(6日付朝日)、
「事実解明進まぬ『加計』問題 首相の答弁姿勢を疑う」(6日付毎日)、
「加計学園問題 説明責任は首相にある」(7日付朝日)、
「加計学園問題 再調査を拒む不誠実」(7日付東京新聞)。

 以上だが、5月17日朝刊の1面トップで「新学部『総理の意向』」「文科省に記録文書」との見出しを掲げ、記録文書の存在を明らかにする特ダネを出した朝日新聞の勢いは強い。
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする