改めて問う「共謀罪」
成立させていいのか
毎日新聞2017年6月6日 東京夕刊
「共謀罪」法案の問題点を、この特集ワイドで何度も取り上げてきたが、政府・与党は数の力で成立させようとしている。
ならば、改めて指摘したい。
この法案を通すと、憲法の理念がますます崩されるということを。
【葛西大博】
「次は通信傍受拡大」
揺らぐ憲法理念
まずは、兵庫県警の元刑事、飛松五男さん。
2005年に定年退職するまで通算36年を捜査部門の第一線で過ごしたベテランは、法案が成立すればこんな展開になると予想する。
「政府は次に、盗聴法(通信傍受法)の改正に着手するでしょう。
電話やメールの盗聴をより広範囲に、合法的にするためです」
憲法は基本的人権の一つとして「通信の秘密」を保障している。
一方、重大犯罪を取り締まるため、裁判所の令状を取れば、捜査機関は例外的に盗聴を許される。
00年施行の通信傍受法は対象犯罪として、薬物、銃器、集団密航、組織的殺人の4犯罪としていたが、昨年の改正で詐欺や窃盗など9犯罪が追加された。
今国会で審議されている組織犯罪処罰法改正案は、「共謀罪」の成立要件を改めたテロ等準備罪を新設するのが柱で、対象とするのは277犯罪。
「どこの県警も適用第1号を目指します」と飛松さん。
そのための手段が盗聴であり、その合法化だ。
日本弁護士連合会の共謀罪法案対策本部副本部長を務める海渡雄一弁護士も同意見だ。
「『共謀罪』法案が成立しても、現在認められる犯罪以外の通信傍受はできないので、当然、通信傍受法の改正が提起されるでしょう」
現在、テレビのコメンテーターとして活躍する飛松さん。
「新しい法律ができたら、息が詰まるような監視社会の始まりです。
警察はいったん法律が通ったら、それに向かってまい進する。
冤罪(えんざい)がどんどん出ますよ」と断言する。
「共謀罪」法案の問題点はどこにあるのか。
まずは、「組織的犯罪集団」の定義についての疑問だ。
法案は「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」と規定。
集団の活動として、2人以上で犯罪を計画し、うち1人以上が計画に基づく「実行準備行為」を行った場合に、計画した全員を処罰可能としている。
政府は東京五輪・パラリンピックに向けたテロ対策を強調するが、日本で起きた大規模テロというと、オウム真理教(現アレフ)による地下鉄サリン事件(1995年)を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。
安倍晋三首相も今年2月の国会答弁で、オウムを例に挙げて説明している。
これに対し、オウムを長年取材してきたジャーナリストの江川紹子さんはあきれ顔だ。
「オウムのテロは共謀罪があれば防げたと言う人もいるが、それは有り得ません。
地下鉄サリン事件が起きるまでオウムの関与が疑われる既遂事件が何件もあったのに警察が防げなかったのは、警察幹部の判断能力のなさと、全国の警察の情報共有や連携がなかったことが原因です」。
江川さんは一例として、警察幹部が当初は「失踪」との見立てにこだわった89年の坂本堤弁護士一家殺害事件を挙げた。
江川さんは自ら書いた記事で、自宅アパートにオウム信者から毒ガスをまかれ、命を狙われたこともある。
そんな江川さんが懸念するのが「共謀罪」で一般の人に捜査が及ぶ恐れだ。
金田勝年法相は繰り返し否定したが、江川さんは「オウムでさえ、犯罪をやっていたことを知らなかった信者の方が多い。
つまり、誰が組織的犯罪集団のメンバーか、全員総当たりで聞かないと分からない。
信者の家族や勧誘を受けた人は当然一般人ですが、そういう人も調べないと実態は分からないはずです」
さらに、この法案の大きな問題点は、日本の刑法体系を根本から揺るがしかねないことだ。
刑法は、心の中で犯罪を考えただけでは処罰されず、既遂や未遂など実際に犯罪行為をして初めて処罰されるのを原則としている。
憲法が最も根本的な人権として「思想・良心の自由」を保障しているからだ。
一方、殺人や現住建造物等放火など重大犯罪を未然に防ぐ必要がある。
刑法には例外的に未遂より前の予備段階の行為を処罰する「予備罪」がある。
さらに現行法でも「予備」より前段階の「共謀」を処罰できる内乱陰謀罪などがある。
既遂が最も重く、未遂、予備・陰謀、共謀(計画・準備)罪とだんだん罪が軽くなるのが原則だ。
こんな国会のやりとりがある。
5月19日の衆院法務委員会で弁護士でもある民進党の階(しな)猛議員がこう指摘した。
「組織で大量殺人を計画し、毒入りカレーを作れば、具体的な危険があるから(刑法の殺人予備罪が適用され)2年以下の懲役だ。
だが、(毒のない)カレーだけをつくればまだ実行準備行為なので(共謀罪が適用され)5年以下の懲役。
なぜ毒入りカレーを作った方が罪が軽いのか」
この質問は、「凶器や毒物を用意した」など具体的な危険性を要件とする予備罪よりも、準備行為だけの共謀罪の方が刑が重くなる矛盾を指摘したものだ。
青山学院大名誉教授の新倉修さん(国際刑事法)は「すごくアンバランスな刑法体系になってしまう。
捜査機関が、刑が重い共謀罪で処罰しようとしかねない」と解説する。
「準備行為」はどう判断するのか。
「内心の自由に踏み込まないと分からない」との指摘もある。
判断基準について問われた金田法相の答弁は「花見であればビールや弁当を持っているのに対し、(犯行場所の)下見であれば地図や双眼鏡、メモ帳などを持っているという外形的事情がありうる」。
質問した議員からは「双眼鏡を持ってバードウオッチングすることもある」と突っ込まれ、法相の答弁はすっかり有名になった。
前出の海渡さんは話す。
「この答弁ではっきりしたのは、犯罪をやろうとしているかは外形的には分からずに、取り調べをしないと分からないということです。
つまり内心の自由に踏みこまないと、それが準備行為かどうかは分からないのです」
監視され、内心の自由に踏みこまれる社会。
江川さんは「私たちが気付かないところで監視が進み、気付いたときには全身に毒が回り手遅れということになりかねない」と指摘する。
「全身」とはこの国の民主主義社会を指すという。
多くの人は自分が事件の被害者になるかもしれないとは考えても、罪を着せられる恐れがあるとは思わない。
民主国家で、知らない間に自分が「犯罪者」になってしまうかもしれない社会を想像できるだろうか。
「共謀罪」(テロ等準備罪)のポイント
・適用対象は「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」
・対象犯罪は5分野(テロの実行、薬物、人身に関する搾取、その他の資金源、司法妨害)の277
・犯罪計画に基づく凶器購入のための資金調達や犯行現場の下見など「実行準備行為」があって初めて処罰可能
・死刑や10年を超える懲役・禁錮を定めた犯罪の計画は「5年以下の懲役・禁錮」に、4年以上10年以下の懲役・禁錮を定めた犯罪の計画は「2年以下の懲役・禁錮」に処す