2017年08月01日

増える高齢者の無貯蓄世帯 老後資金は大丈夫か?

増える高齢者の無貯蓄世帯
老後資金は大丈夫か?
2017.7.31 プレジデントオンライン

先立つものがなければ「豊かな老後」は危うい。
お金を増やすための勉強は現役時代からぜひ始めたいもの。

では何を学んだらよいのか──。
老後の生活を本格的に意識し始める50代。
ここでしっかりと貯蓄できるか否かで、定年後の暮らしは大きく変わる。

ファイナンシャルプランナーの八ツ井慶子さんは
「50代は人生の最後の貯めどき。老後資金設計をきちんと行いたい年代です」と話す。
「50歳以上になると『ねんきん定期便』に老齢年金の見込み額が記載されます。
また、退職金の額、子どもの教育費、住宅ローンの残高などいろいろなメドが立ってくる。
自分のリタイア後を見据えて、それまでにあとどのくらい貯められそうかなど、プランニングがしやすくなります」

ところが、現実は厳しい。
いま、この年代で貯蓄のない無貯蓄世帯が増えているのだ。
金融広報中央委員会の調べによると、50代の世帯の29.1%が無貯蓄で、その率はリタイア後の60代、70代になっても変わらない(図1参照)。
「貯蓄のない世帯割合が上昇傾向にあるのに対し、平均貯蓄額は増えていくことから格差の拡大が推測されますが、世帯収入が多くても貯蓄がほとんどないケースもあるなど、実態は複雑です」
いまはある程度貯蓄があっても、安心はできない。
給与カットやリストラは日常茶飯事だ。
無貯蓄ならば、なおさら早く手を打つ必要がある。

八ツ井さんはできることから始めるのが大切だとアドバイスする。
まずは目の前の家計の見直しが、遠回りのようで近道なのです。
老後は急にやってくるわけではなく、これまでの人生の延長線上にある。
定年になったからといって消費スタイルを急には変えられません。
家計見直しは早いほうが楽です。
後になればなるほど大変になります。

月2万円でも20年で約500万円、40年で1000万円近く貯まり、あなどれません」

具体的に見ていこう。リタイア期は退職金が入るなど、一般的に人生の貯蓄ピーク時にあたる。老後は年金とともに、その貯蓄を取り崩して生活することになるが、「老後にお金で苦労する人とそうでない人を分けるポイントは3つある」と八ツ井さんは指摘する。

第1は、住まい。
賃貸の場合、固定費として毎月一定額が出ていくため、貯蓄の減りが早い。
では持ち家なら大丈夫かといえば、そうでもない。
マンションだと管理費や修繕積立費に月数万円かかる。
いずれにせよ、老後の住宅費を考慮に入れておくことが大事だ。

2番目は食費。
高齢になれば食べる量は減っても、健康志向などで高価なものを選びがちで、案外かさむ。
特にこだわりの調味料や食品、ぜいたくな食事に慣れていると、老後になっても変えるのが難しく、「食費の見直しは早いほうがよい」と八ツ井さんは言う。

3つ目は、医療費。
こればかりは削るのが難しいが、だからこそ「健康は財産」。
現役時代から健康管理をしっかりしておきたい。

こうした支出の一方で、リタイア後も収入を得る人が少なくない。
会社員の場合は関連会社に勤めたり、現役時代の人脈やキャリアを生かして、取引先から仕事を紹介してもらったりという人は意外に多いという。

「月に数万円でも収入があると安心感が増します。
そうした働き口があるかどうかは、それまでにどういう人間関係を築いてきたかに左右されます。
いろいろな意味で、定年は人生の総決算だといえるわけです」

勉強代覚悟で実践することが大切

収入面でいうと、資産運用も一つの手だ。
ただし、「あくまでも余裕資金の範囲内で」と八ツ井さんは注意する。
「余裕資金とは、当面使わないお金のことです。
生涯のキャッシュフロー表をつくるとわかりやすいのですが、たとえば90歳まで生きると仮定して、いまある貯蓄を取り崩していっても、余るお金。
仮にそれが500万円として、その500万円がなくなっても家計が破綻しないというのが余裕資金です。
その余裕資金のなかで、本人のリスク許容度に従って投資に回します」

運用といっても、初心者にはハードルが高い。
そこで八ツ井さんが勧めるのが座学と実践の両輪による勉強法だ。
「いろいろな本を読んだり、セミナーに参加すると同時に、実際に運用してみることが大事だと思います。
投資すると、本にはさらっと書いてあることが腑に落ちる。
やはり実際にやってみると違うんですよね。
私もかなりの勉強代を払いました(笑)」

運用においては分散投資が王道で、「金融商品もリスクの低いものから高いものまであるので、徐々に慣らしていきましょう。
最初からムリをせず、預金に近いような投資信託などから少しずつ始めて、個別株へ進むようなステップがおススメです」と八ツ井さん。
そのうえで、八ツ井さんはリスクについて注意を促す。

「ただ、いまは分散がなかなか利かない時代です。
昔に比べて価格が連動しやすくなっていて、下がるときはいっせいに下がる。
特にダウンサイドリスクのほうが、連鎖的に強くなりやすくなっています。
昔は『バイ・アンド・ホールド』で、株などを分散して買ったら、あとは持っていればいいと言われましたが、いまの時代は危険だと思ったらすぐに避難すること。
つまり損切りの視点を持つことが大きなポイントです」

損切りといわれても、これまた初心者には難しい。
含み損のまま塩漬けしておいて、買った値段に戻るまで待つ人も多い。
そこで八ツ井さんが運用の参考にするとよいというのが「行動経済学」だ。
行動経済学はダニエル・カーネマンが02年にノーベル経済学賞を取ったもので、心理学と関係の深い経済学である。
それによると、利益が出ている局面ではリスク回避的になり、売って現状の利益で満足する半面、損失が出ているときはリスク許容度が大きくなって、リスクを取ってでも値上がりを待つ傾向がある(図2参照)。

「つまり人は常に合理的な判断をするわけではないということです。
特に値動きが大きくてリスクの高いいまは、相場で一喜一憂する難しいときでしょう。
潔く損切りできるかが大事です
ちなみに、行動経済学の概要を知るには、『経済は感情で動く』(マッテオ・モッテルリーニ著)、『行動経済学入門』(真壁昭夫著)、『図解雑学 行動経済学』(筒井義郎・山根承子共著)などがおススメだ。

そして最後に、八ツ井さんは次のように念を押す。
「私は『損小利大』という言葉が好きなのですが、お金は減らさなければ名目上は増えます。いったん減ると、元本に戻すのがすごく大変です。
運用はそもそもリスクです。
それに対して、家計改善は無リスクです。
だから運用の優先順位は二番手。
とにかくできることからコツコツやりましょう」
ムダな出費はないか、今日からでも見直してみてはどうだろう。

八ツ井慶子
ファイナンシャルプランナー。
生活マネー相談室代表。2001年に独立。
セミナー、講演などで活躍している。
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容姿の話はマナー違反

香山リカのココロの万華鏡
容姿の話はマナー違反
毎日新聞2017年8月1日 地方版

 アメリカのトランプ大統領が、フランスの大統領夫人に「スタイルがいいですね。美しい」と声をかけ、欧米のメディアがいっせいに批判した。
ほめ言葉のつもりだったのだろうが、国際的なマナーの世界では、いまは容姿や外見を話題にすること自体が問題とされることが多い。
とくに女性に対して体形を話題にすると、ほめたとしてもセクハラと見なされる場合があるのだ。

オバマ前大統領も、女性司法長官に「抜群の美人ですね」と言って謝罪した。

 日本社会では、そこまで「容姿や外見の話はしない」というルールが徹底していない。
今回のトランプ大統領の件でも、ネットで
「スタイルをほめられたらうれしい」
「セクシーですね、と言われるのも歓迎」などと発言している女性たちもいた。
「容姿の話はいっさいダメ、だなんて堅苦しすぎる」という声もあった。

たしかにドラマには、いまだに
「なんておきれいな人。女優のようですね」
「あら、うれしい」といった会話も登場する。

 しかし、とくに仕事やボランティアの場などでは、「女だから」と特別扱いされたくないという女性も多い。
それどころか、一人の人間として頑張っているときに、外見のことを言われると傷ついてしまうことさえある。

診察室でも、新しい企画について会社の男性役員たちの前でプレゼンテーションを行ったら、話が終わった瞬間に「女子大生みたいだね」「モテるでしょ」などと言われてショックだった、と話してくれた女性がいた。
「結局、話の内容なんてどうでもいいのかな」と思ったのだそうだ。

 こういう話をすると、とくに男性たちは
「面倒くさいな。かたいこと言わずに、ほめたら素直に受け取ればいいじゃないか」と思うかもしれない。
もちろん、ある程度、信頼関係ができていれば
「その服、似合うじゃない」
「あなたも運動の成果でおなかがヘコんですごい」などと外見を話題に会話を楽しむのもよいだろう。

 ただ、少なくとも初対面や仕事で会っている女性に「美人ですね」「スタイル抜群」などと声をかけるのはいまはルール違反、と思っておいた方がよい。
言うまでもないが、「ポッチャリしてる」「もう少し化粧すれば」など否定的な言葉はもってのほかだ。

 「女と男」ではなくて一人の人間同士として。外見ではなくてあくまで中身を大切に。
その基本さえ守れば、お互いが尊重し合ってよい関係を作っていけるはずだと思う。
       (精神科医)
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2017年08月02日

日報問題で謝罪せず 稲田氏“KY離任式”に自衛官ブーイング

日報問題で謝罪せず
稲田氏“KY離任式”に
  自衛官ブーイング
2017年8月1日 日刊ゲンダイ

 KYバカは死んでも治らないということか。
防衛省で31日開かれた離任式に笑顔で臨んだ稲田朋美前防衛相に、自衛隊員から大ブーイングの嵐だ。

 幹部を前にした挨拶で稲田氏は、日報隠蔽問題について
「国民の信頼を揺るがし、隊員の士気を低下させかねず、極めて重大かつ深刻だった」
「危機感をもって再発防止策を実施していかなければならない」
「風通しのよい組織文化を醸成してもらいたい」などと述べ、自らの反省や謝罪の言葉は一切なかった。

 これには出席した自衛官や防衛官僚らから
「自衛隊員の士気を落としたのは自分だろう」
「すべて自衛官が悪いのか。まず自分が謝罪すべき」などと露骨に反発する声が上がった。

 離任式は折しも、北朝鮮のICBM発射を受けて防衛省・自衛隊が高度な警戒態勢を続け、後任の岸田外相兼防衛相が対応に追われている最中に行われた。

儀仗兵の栄誉礼を受けた後、車で同省を出る稲田氏に
「普通なら離任式を辞退する」
「そもそも儀仗兵の栄誉礼までして盛大に送り出す必要があるのか」
「一番危機感がないのは稲田氏じゃないか」と吐き捨てる幹部もいたという。

 防衛省は1日に予定していた防衛白書の閣議報告を延期した。
稲田氏が書いた巻頭言が掲載されており、政府内から「新しい防衛相が書くべきだ」との指摘が出たためだ。
稲田氏は防衛省・自衛隊にとって最後の最後までお騒がせの疫病神だった。
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2017年08月03日

PKO日報めぐる国会質疑 筋が通らぬ「稲田氏隠し」

PKO日報めぐる国会質疑
 筋が通らぬ「稲田氏隠し」
毎日新聞「社説」2017年8月2日

 南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報問題をめぐる国会の閉会中審査で、自民党は稲田朋美前防衛相の出席を拒否した。

 防衛省と陸上自衛隊による日報隠蔽(いんぺい)の真相解明には疑惑の渦中にある稲田氏の説明が欠かせない。
 それを封じるなら自民党の疑惑隠しと言われても仕方ない。

 驚くのは、自民党の竹下亘国会対策委員長が口にした拒否の理由だ。  
「稲田氏は辞任という一番重い責任の取り方をした。辞任した大臣を国会に呼び出すことはやってはいけないと判断した」
 これは論理のすり替えだ。

 辞任は内閣としてのけじめであり、国会には事実を解明する責任が残る。
稲田氏は閣僚を辞めても衆院議員という公職にある。

 安倍晋三首相は稲田氏辞任を受け「国会から要請があれば政府として協力する」と述べていた。
 しかし、自民党には辞任した閣僚の国会招致を慣例化させたくない思いがあるようだ。
 稲田氏の招致を認めれば、関係閣僚の交代も指摘される学校法人「加計学園」問題などに飛び火し、招致の連鎖が起きることを恐れたというのが本音ではないか。
 過去には田中真紀子元外相が在職中の職務に関し参考人招致された例がある。
だが、問題を抱える閣僚は辞任と引き換えに疑惑を封印するのが常態化しているのが実情だ。  こうした古い政治的な悪弊を断ち、国会が党派を超えて疑惑を解明する姿勢を明確にすべきだ。
 稲田氏に聞くべき点は多い。

 稲田氏が陸自内に日報データが残っているとの報告を受けたという疑惑について、防衛省の特別防衛監察は稲田氏と陸上幕僚監部幹部との協議で「何らかの発言があった可能性は否定できない」と認定している。
 協議があった2月は国会で日報問題が取り上げられた時期だ。
陸自内の日報の存否が議論されなかったという方が不自然ではないか。
 報告がなければ稲田氏が陸幕に再確認を求めるなど正確な情報を把握する責任があったはずだ。

 支持率が急落する安倍政権はあす内閣改造を予定している。
しかし、疑惑にふたをしたままで国民の信頼を取り戻せるとは思えない。  
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ストレスチェックは役立つの?

教えて!ヨミドック
ストレスチェックは役立つの?
2017年8月2日 読売新聞

心身の不調、防ぐ狙い  

Q  
職場の人間関係で頭が痛いよ。そういえば会社がやってるストレスチェックは何のためなの。  

ヨミドック  
ストレスチェックは、いわば心の健康診断です。
会社は、ストレスが原因で社員の心身の不調が顕在化する前に、未然に防ごうとしているのです。
2015年12月から、実施が義務づけられました。
50人未満の会社では努力義務となっています。  

 どうチェックする?  

 多くの場合、「職場の雰囲気は友好的」「仕事が処理しきれない」「自分のペースで仕事ができる」などの設問に、「そうだ」「やや違う」など4段階で答えてもらう形です。
設問は60問程度です。  

 何がわかるのかな。  

 ストレスの程度や要因です。
要因で最も多いのは人間関係、次に仕事の量と質。
仕事に裁量権があるほどストレスが少ないとされます。
分析結果からはストレスによる心身の反応、周囲のサポートの状況などもわかります。  

 人事評価などに影響すると嫌だな。  

 結果を見るのは、社員の健康を支える産業医です。
評価のためではありません。  

 結果が出たら、どうすればいいの?  

 ストレスのサインに早く気づき、セルフケアに生かすことが大切です。
この機会に「自分がどんな時に、ストレスを感じるか」「助けてくれるのは上司か同僚か」などを明らかにしておくとよいでしょう。  

 医師に直接、相談できるの?  

 ストレスが「高」と判定された場合、産業医の面接指導を勧められます。
医師は、会社の担当者から、あなたの職場環境に関する情報を得た上でカウンセリングを行います。
必要に応じて、医療機関の受診や休職、配置転換などについて会社に助言し、会社は最善の措置を講じるよう努めることとされています。  

 面接はおっくうだな。  

 残念なことに、高ストレスの社員の大半が、この面接指導を断ってしまいます。
でも産業医は上司ではありません。
気軽に相談し、こころの健康を守りましょう。  

(鈴木敦秋/
取材協力=長谷川崇・日比谷産業医事務所所長、
堀有伸・ほりメンタルクリニック院長)
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2017年08月04日

内閣改造で加計学園人脈のお友達が出世! 萩生田光一は幹事長代行に、新厚労相・加藤勝信も加計が後援会幹事

内閣改造で
加計学園人脈のお友達が出世!
萩生田光一は幹事長代行に、
新厚労相・加藤勝信も
加計理事長が後援会幹事
2017.08.03 LITERA編集部

 安倍首相が「人心一新」「脱“お友だち”」なんてできるはずがないとは思っていたが、まさかここまで自浄能力がないとは──。

昨日夜遅くに判明した安倍改造内閣の新大臣、党役員の顔ぶれをみて、呆れ果てた。
何しろ、日報問題で一足先に内閣から避難させた稲田朋美氏以外、重要な“お友だち”は誰一人、外していなかったのだ。
それどころか、軒並み前職より出世している始末だった。
 その筆頭が、自民党幹事長代行に内定した萩生田光一官房副長官だろう。
周知のように萩生田官房副長官は安倍首相の側近中の側近で、加計学園の獣医学部新設をめぐっても大きな役割を演じてきた。

文科省が公開したメール文書では、「広域的に」「限り」という事実上の「京都産業大学外し」を内閣府に指示していたと名指しされてもいる。
本人は厚顔にも加計問題への関与を完全否定したが、萩生田氏は加計学園が経営する千葉科学大学の客員教授を務め、報酬を得ていた(現在は無報酬の名誉客員教授)こともあるうえ、自らのブログに安倍首相、加計孝太郎理事長と3人仲良くバーベキューに興じる写真を掲載していたことも発覚した。
 ところが驚いたことに、萩生田氏は安倍首相と加計氏の友人関係すら知らなかったと言い張った。
 まさに平気で嘘をごり押しする安倍政権の代表だが、安倍首相は今回の内閣改造でその萩生田氏を内閣の外には出したものの、なんと自民党幹事長代行に抜擢したのだ。
 幹事長代行といえば、党三役に次ぐ重要ポストで、党運営のキーマン。

加計問題隠しのために山本幸三地方創生相や松野博一文科相ら加計問題に関係した大臣を次々外す一方で、側近については、安倍首相と加計理事長のつなぎ役まで担っていた人物を平気で要職に引き立ててしまう。
いったい安倍首相はどういう神経をしているのか。

加藤勝信・新厚労相の
後援会幹部に加計孝太郎氏の名前
 しかも、安倍首相は今回の改造人事でもうひとり、加計学園に連なる“お友だち”を閣内にとどまらせている。
それは一億総活躍相から厚労相に“昇格”した加藤勝信氏だ。
 周知のように加藤氏は安倍首相の母親である洋子夫人の親友、加藤六月夫人の娘婿で、安倍家と家族のように付き合ってきた人物。
最初の入閣も洋子夫人が安倍首相に閣僚にするよう命じたとも言われている。
“お友だち優遇が国民の反発を買った”と言われていたなかでこれまた“お友だちのなかのお友だち”を外さず格上の大臣に引き上げたわけで、これだけでも信じられないが、この加藤氏、なんと、加計学園と濃密な関係をもっていたのだ。

 加藤氏については、少し前から、加計学園主催の「加計学園杯日本語弁論国際大会決勝大会」に祝電を送っていたことが明らかになるなど、加計学園との関係がささやかれていた。
 しかし、ここにきて、加藤氏の後援会の幹事に加計学園理事長・加計孝太郎氏が名前を連ねていたことが明らかになったのだ。
山陽新聞デジタル2014年9月5日付の記事によると、加藤氏が地元・岡山市と倉敷市を中心に後援会組織「加藤勝信岡山懇話会」を発足。
その幹事のひとりとして、加計学園理事長の加計孝太郎氏の名前が列記されている。
 しかも、加藤氏が加計氏と深い関わりをもつようになったのは、安倍首相の紹介ではないのか、という推測も流れている。
改造後に開かれる臨時国会では、野党から追及されることは必至だろう。

 今回の改造では他にも野党から厳しく追及されそうな“お友だち優遇”人事が行われている。
それは西村康稔自民党総裁特別補佐の内閣官房副長官への抜擢だ。
西村氏は安倍首相の出身派閥である細田派所属で、第二次安倍内閣が発足した際に内閣府副大臣に任命されるなど、やはり安倍首相の子飼いとして知られる人物だが、2013年に「週刊文春」(文藝春秋)でベトナム4P買春を報道されているのだ。

官房副長官に抜擢した西村康稔は
ベトナム4P買春を封じられた過去
 記事では、西村氏が関係をもったとされるベトナム人女性が告白。
それによると、西村氏は2012年にベトナムを訪問した際、ベトナム・ホーチミン近くにあるカラオケクラブで別料金を払って、その店に在籍する7人の女性をハノイの5つ星ホテルのスイートルームに“お持ち帰り”。
3人を選び、一緒にシャワーを浴び、マッサージをしてもらい、セックスをしたというのだ。
相手をした女性は「週刊文春」にこんな内容の告白をしている
「私たち三人は部屋にあった大きなソファーに寝そべった彼をマッサージしてあげた。
頭や胴体、足をそれぞれね。
それからベッドルームでセックスしたわ。
とにかくニシムラはジェントルマンだった。
最後は私たち三人にチップもくれたのよ。
三人あわせて六百ドルに満たないくらいだった」

 もちろん、ベトナムでも買春は違法行為だ。
本人はホテルに女性を連れ帰ったことを否定したが、「週刊文春」は複数の女性に話を聞いており、確度はかなり高い。
 こんなすねに傷をもつ西村氏が官房副長官という要職に抜擢されたのは、森友問題で籠池泰典理事長の証人喚問の直後、自民党総裁特別補佐として記者会見を開き、「偽証の疑いが濃厚」と籠池攻撃をした論功行賞だといわれている。

 ようするに、安倍首相は「真摯に反省」「一から出直す」「人心一新」などと言いながら、お友だちとイエスマンばかりを重用してきたこれまでとまったく同じ人事を繰り返しているのだ。  

しかし、これまでなら力ずくでマスコミや国民を黙らせてきたが、いまは状況がまったく違う。改造後の臨時国会で安倍首相が手痛いしっぺ返しを受けるのは確実だろう。
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2017年08月05日

熱中症や脳梗塞を防ぐ「医学的に正しい」汗の拭き方

熱中症や脳梗塞を防ぐ
「医学的に正しい」
     汗の拭き方
2017年8月4日 日刊ゲンダイ

 気象庁の3カ月予報によると、今年の8月は例年になく酷暑とのこと。
引き続き脱水による熱中症や血栓症に注意が必要だが、「汗の拭き方」も工夫次第で熱中症や脳梗塞・心筋梗塞などの予防になるという。
汗と臭いの専門家である五味クリニック(東京・新宿)の五味常明院長に聞いた。

「噴き出す汗は乾いたタオルでしっかり拭いて皮膚を乾燥させたいと思うでしょうが、我慢してください。
この時季の汗は湿り気が皮膚に全体に少し残る程度に拭くのが一番。
小まめに軽く拭くか、ウエットティッシュで拭くことです。
その方が“ムダな汗”をかいて体内の水分を失うことが少なくなります」

 夏の汗は、体内の余分な熱を体外に放出して体温を一定に保つのが目的。
体内で産出される熱から、内臓や脳といった重要器官を守るためだ。
それには、打ち水で大地を冷やすのと同じ理屈で、皮膚から気化熱を効率よく奪うことが大切になる。
「汗が蒸発して体温を下げて平熱に戻れば、それ以上汗をかくことはありません。
ところが、その途中で噴き出る汗を完全に拭いたり、冷房が効いた部屋に入って皮膚を乾燥させると、気化熱で体温を下げることができなくなる。
結果、熱が体の中にこもり、脳と皮膚の2つのセンサーから“もっと汗を出せ”との指令が出て、より大量の汗が流れてしまうのです」
 これを何度も繰り返すと、大量の汗と共に体内から必要な水分やミネラルが失われ、めまい、脱力感、筋肉のけいれんを起こす。

■汗の蒸発面積を増やせ!
 夏はただでさえ、血管が広がっていて血圧が低い。
そのうえ、汗の原料である血液から水分が抜ければ脳の血流が不足して失神を起こしたり、血栓ができてそれが肺や脳や心臓に飛ぶことで重大な事態を招きかねない。

 もうひとつ汗で忘れてならないことは、汗には熱を体外に放出するのに“有効な汗”と“ムダな汗”があること。
「通常、汗が汗腺から皮膚表面に排出されると、すぐに蒸発します。
ところが、汗の排出量が最大蒸発量を超えると汗が目に見えてきます。
これは体を冷却するのには役立たないムダな汗です」

 このムダな汗を有効な汗に変えるためには、汗は完全に拭き取らず、皮膚全体に薄く塗りつけた方がいいという。
水分の蒸発量は蒸発面積が大きければ大きいほど多くなります。
汗孔から出た汗は、そのままその付近にとどまると蒸発面積は小さい。
汗をのばすことで蒸発面積を広げれば、汗は蒸発しやすくなり、体を効率的に冷やすことになります

 人間の皮膚には浅い溝が縦横に走っていて、汗の蒸発面積を増やすのに適した構造がある。「汗を少し残してそれを塗りのばす」のは、これを推し進めることにもつながるのだ。
「汗は食塩水ですから、真水に比べて蒸発が抑制されています。汗の量が多くなれば、汗に含まれる塩分は多くなるので汗が蒸発しにくい。
汗を皮膚にのばして蒸発面積を広げることは、その意味でも有効なのです」

 ただし、このときどうしても気になるのが臭いの問題だ。
汗の臭いの主な原因は、皮膚にひそむ細菌の増殖です。
汗が少ないときは汗が皮膚面を酸性化して細菌の増殖を抑制します。
しかし、汗が増えると皮膚はアルカリ性に傾いて抑制効果が低下し細菌などが活動して臭くなるこの時季の汗は湿り気のある除菌シートで拭くのがベストでしょう」

 たかが汗と思うことなかれ。夏は1日で10リットルの汗をかく人もいる。
汗を効率的に流すことは熱中症や心血管イベントの予防だけでなく、体の臓器のムダな動きを抑えて夏バテを防ぐ意味もあるのだ。
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2017年08月06日

「国民皆保険は維持できない」、医師の過半数が悲観的見解…過剰医療蔓延で医療制度破綻の危機

「国民皆保険は維持できない」
医師の過半数が悲観的見解…
過剰医療蔓延で
医療制度破綻の危機
2017.08.05 文=ヘルスプレス編集部

 体調が悪くなれば、誰もがいつでも自由に医療機関において少ない負担で検査を受け、必要な薬を処方してもらえる。
すべての国民が、なんらかの公的な医療保険に加入するという「国民皆保険制度」のお陰だ。    

私たちにとっては当たり前のことだが、世界に目を向けるとそうではない。
先進国でも「民間保険」中心の国もあれば、「無保険」の国民が多い国も存在する。
日本の医療保険制度は非常に恵まれているのだ。

 しかし、現在医療の現場で働く医師たちの半数が「この制度は維持できない」と危機感を覚えていることが、最近の調査で明らかになった。

医師の52%が「国民皆保険は破綻する」 
 これは日本経済新聞と、10万人の医師が登録する情報サイト「メドピア」が共同で、全国の医師に対して行った調査の結果だ。
インターネットを通じて1030人の医師から回答を得た。

 その中で「現状の皆保険制度に基づく医療は、今後も持続できると思うか」と聞いたところ、「そうは思わない」との回答が539人(52%)に達した。
その理由としては「高齢者の医療費の増大」や「医療の高度化」を挙げる医師が多かったという。
 一方、「持続できる」と答えた医師261人(25%)でも、その多くが「患者負担の増加」「消費税の増税」など、財源を確保できることを条件として追記している。
どちらにせよ、現状のままでは維持が難しいとの認識が大半を占めた。

 国民医療費は1990年度に20兆円を超え、2015年度は概算で41.5兆円。
国民が支払う健康保険料と患者負担でまかなえているのはその6割にすぎず、残りの4割は税金などから補填されている状態だ。
 しかも政府の推計によれば、2025年度には国民医療費は54兆円に達するという。

日々現場を見続けている医師達の危機感は、想像以上に大きい。
 対策としては「支払い能力のある人の負担増」「紹介状なしでも受診できる『フリーアクセス』に一定の制限を」という回答のほか、「医療の効率化」「過剰医療を見直すべき」という医療側の意識改革を求める声もあったという。

アメリカでは500もの過剰医療をリスト化 
 近年、現代医療における過剰医療は日本だけでなく多くの先進国で議論されてきた問題だ。  

本来、医療行為にはそれを行うに値する科学的なエビデンスが伴う。
しかし現実には「患者が要求する」「お金が儲かる」「患者に訴えられたくない」といった理由で、科学的な根拠に乏しい「無駄な医療」が行われている。
たとえば、本来は必要のない検査や手術、抗生物質の使いすぎ、高齢者への多剤処方などだ。  

アメリカでは医療費高騰のかなりの部分を「過剰な治療」や「医療連携のミス」などの過剰医療が占めており、その割合は低く見積もっても「医療費全体の20%を超える」との報告もある。

医療費支出」と「患者の身体」の両方に負担をかける過剰医療は改めるべき−−。
そうした声が高まったアメリカの医療界では、2012年に「Choosing Wisely(賢明な選択)」というキャンペーンが立ち上げられた。
具体的には、臨床系の医学会に呼びかけ、「考え直すべき医療行為」をエビデンスと共に具体的に5つずつ挙げてもらったのだ。
 たとえば「ウイルスが原因の風邪やインフルエンザに抗生物質は効かず、逆に耐性菌の増加につながる」
「75歳以上がコレステロール値を下げても死亡リスクが下がるという明確な証拠はない」といった内容だ。
 最終的に70を超える学会が参加し、500近くにのぼる項目がリストアップされた。
これらはすべて、科学的根拠と合わせてインターネットで公開されている。

患者も適切な治療を選ぶ意識を 
 この活動には各国が注目し、現在では、カナダ、イタリア、英国、オーストラリアなど10カ国以上に広まっている。
日本でも昨年10月に「チュージング・ワイズリー・ジャパン(CWJ)」が発足。
今年6月1日には日本医学会がシンポジウムで取り上げた。
 CWJ代表で佐賀大学名誉教授の小泉俊三医師は、「医療費削減が目的と誤解しないでほしい。大事なのは患者と医師がじっくり考え、望ましい医療を一緒に決めること」と語る。
それでも、医師と患者が協力して適切な治療を選ぶことが、結果として医療費削減に少しでも寄与するならば、運動を進める意義はさらに大きくなるだろう。

 国民皆保険制度を維持するためには、自己負担の増加や増税など、なんらかの財源の手当が必要になる時が来る。
しかし、負担を増やす前にすべきなのは、まず意識を変えることだ。
 私たち患者も過剰な治療のデメリットを知り、「心配だから」というだけの理由で安易に医師に求めないことを意識したい。
(文=ヘルスプレス編集部)
※ 初出/健康・医療情報でQOLを高める「ヘルスプレス」

ニュースサイトで読む:
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ヒロシマの惨禍 語り継ぐ 川口在住の木内さん 

ヒロシマの惨禍 語り継ぐ
 川口在住の木内さん 
ピカッと光り 友達が消えた 
2017年8月5日 東京新聞

 今から七十二年前の八月六日。当時九歳だった木内恭子(ゆきこ)さん(81)=川口市在住=は、広島市内の路上で友達と遊んでいたとき、近くで爆発した原爆の閃光(せんこう)を見た。
自身は奇跡的に無事だったが、友達の姿は消え、周りは血まみれの人と黒焦げの遺体ばかり−。

木内さんは先月、被爆者の体験談をビデオ収録する事業に協力し、核兵器がもたらした惨禍を振り返った。 
(杉本慶一)

 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市)では二〇〇三年度から、全国に住む被爆者の体験談をビデオ収録し、館内やインターネットで公開する事業に取り組んでいる。
本年度の収録予定者は二十人で、うち二人が県内在住だ。
 木内さんへのインタビューは、蕨市にある県原爆被害者協議会(しらさぎ会)の事務所で行われた。
同館の叶真幹(かのうまさき)館長らが見守る中、木内さんは淡々と語り始めた。
 「友達と石蹴りをして遊んでいたら『ピカッ』と光り、私は気絶した。
息苦しい状態で目を覚ますと、一人でちょこんと、がれきの上に座っていた。
周りの建物はぺちゃんこで、友達も誰もいなかった」

 爆心地から約一・六キロ。木内さんは頭や足にコブができたが、大きなけがはなかった。
ぼうぜんとしていると、がれきの中から、血まみれの人たちがはい出てきた。
みんな「助けて」とうめき声を上げ、近くの川沿いを歩き始めた。
 その行列の後についていった木内さんは突然、男の人から「ゆっこ!」と名前を呼ばれた。
やけどした顔が膨れ上がり、誰だか分からなかったが、その人の手を必死に握りしめた。
一緒に歩きながら川面に目を向けると、黒焦げの遺体で埋め尽くされていた。

 木内さんの父は広島刑務所に勤務し、敷地内の官舎が自宅だった。
ようやくたどり着いたとき、一緒に来た男の人が、二歳上の兄だったと気付いた。
 当時は両親と兄、弟の五人暮らし。兄のやけどは重症で父も母も大けがを負ったが、みんな一命を取り留めた。
被爆時に一緒にいた友達は助からなかった、と思っている。
混乱の中、消息をたどる余裕はなかった。

 終戦後、父の実家がある茨城県に移り住んだ。
木内さんは看護師になって結婚し、約五十年前に川口市に転居した。
現在はしらさぎ会の副会長を務め、県内の高校などで自身の被爆体験を語り継いでいる。

 インタビューは一時間余り。「原爆の事実を知らない人に、何を伝えたいですか」。
そう問われた木内さんは、少し力を込めて答えた。  
「私たち被爆者が体験を語らないと、戦争のことも原爆のことも今の人たちに伝わらない。
私たちが語っていき、それを聞いた人たちが次の世代につないでいくようになれば」  

          ◇   
木内さんらの体験談はDVDに編集され、来年度に公開される予定。
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2017年08月07日

広島原爆の日のあいさつでも黙殺…安倍首相の「核兵器禁止条約」拒否姿勢の裏に核兵器保有願望が

広島原爆の日のあいさつでも黙殺…
安倍首相の「核兵器禁止条約」
拒否姿勢の裏に核兵器保有願望が
2017.08.06 LITERA編集部

 72回目の「原爆の日」を迎えたきょう、広島平和記念公園では午前8時から平和記念式典が開かれた。
広島市の松井一実市長は「平和宣言」のなかで、7月に国連で採択された核兵器禁止条約に触れ、日本政府に「日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい」と求めた。

 当然だろう。
この核兵器禁止条約は核兵器の使用だけでなく製造や保有、実験、移譲、そして核による威嚇なども全面禁止する画期的な内容で、“核なき世界”への第一歩と期待される条約だ。
実際、加盟193カ国中、124カ国が投票に参加、オーストラリアや南アフリカなど122カ国が賛成という圧倒的多数で採択された。
当然、広島・長崎に原爆を投下され、その残酷さ、被害の悲惨を知っている日本は、核廃絶のために、この条約に全面協力すべきだろう。

 ところが、その“唯一の被爆国”である日本は、核保有国である米国らとともに、最初からこの条約に反対の姿勢をとり続けてきた。
条約の交渉をスタートさせることにすら反対し、交渉にも参加しなかった。
さらに、7日の採択の後には日本の別所浩郎国連大使が記者団に対し、条約に「署名しない」と明言するなど、国連の核廃絶の流れに完全に逆行した態度を頑なにとり続けている。

 きょうの平和祈念式典でも、松井市長が「平和宣言」で踏み込んでいるのに、安倍首相のあいさつでは「NPT(核拡散防止条約)体制の維持及び強化の重要性を訴えてまいります」と言っただけで、核兵器禁止条約に一切言及しなかった。
 いったいなぜ、安倍政権はこうも核廃絶に消極的なのか。
本サイトは、核兵器禁止条約の交渉スタートが決まった後、そして採択された後に、検証記事を掲載。
背後の安倍首相の核兵器所有の欲望があることを指摘した。
その記事を再編集する形で掲載するので、是非読んで、安倍首相の危険性を今一度、再認識してほしい。
(編集部)

安倍首相は「核兵器の使用は
違憲でない」と発言した過去も
 なぜ安倍政権は核兵器禁止条約に一貫して反対しているのか。
たしかに、広島・長崎への原爆投下以降、核兵器を違法とする国連条約は初めてで、その使用だけでなく製造や保有、実験、移譲、そして核による威嚇なども全面禁止する内容。
これに対し、アメリカやロシア、フランスなどの核保有国は「核抑止力を必要とする世界の安全保障の現実を踏まえていない」などとして反発。
アメリカの核の傘に入っている日本もこれに追随した格好──と、新聞やテレビなどは報じている。

 だが、そのアメリカ盲従の姿勢はあくまで表向きのものにすぎない。
というのも、実は、安倍首相の頭のなかには“核廃絶に向けた努力”という考えなど一切ない。
むしろ本音は“核の保有や核兵器の使用は認められるべき”というものなのである。
 さすがに“被爆国”の首相としてそれはないだろう、と思うかもしれないが、決めつけで言っているわけではない。
事実、安倍首相はこれまで、核軍縮に反対する行動を散々とり続けてきたからだ。

 そもそも安倍は、官房副長官時代の2002年、早稲田大学で開かれた田原総一朗氏との対話のなかで「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。
小型であればですね」と語っている(「サンデー毎日」02年6月2日号/毎日新聞出版)。

また、2006年には「核兵器であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」と答弁書に記すなど、安倍首相はもとより積極的な核武装論者なのだ。
 第二次安倍政権発足後も、その姿勢は変わっていない。
2015年8月6日の広島の平和記念式典での演説では「非核三原則の堅持」に言及しなかったが、これは予定稿には入っていたにもかかわらず安倍首相自らの判断で削ったことがわかっている。  しかも安倍首相は、米オバマ前大統領が打ち出そうとしていた「核の先制不使用宣言」にも真っ向から反対、ましてや潰しまでにかかっていたのだ。

安倍政権は、オバマ大統領の
「核の先制不使用宣言」も潰していた!
 周知のとおり、オバマは就任間もなくして、プラハ演説で「核兵器なき世界」の理念を掲げ、ノーベル平和賞を受賞したが、その後は幾多の壁にぶつかり、核軍縮はうまくいかなかった。
そのオバマが、任期終了までとしてこだわったのが「核の先制不使用宣言」である。
これは、核攻撃を受けないかぎりは先に核兵器を使用しないとするもので、オバマにとって強く期するところがあった。
 ところが現実には、昨年秋に断念へと追い込まれた。
日本のメディアは米国内での反発に屈したと報じていたが、実はこの間、安倍政権はオバマの悲願である「核の先制不使用宣言」を潰しにかかっていたのだ。
 すっぱ抜いたのは、米紙ワシントン・ポスト。昨年8月15日の報道で、安倍首相がオバマが検討している「核の先制不使用」政策についてハリス米太平洋軍司令官に反対姿勢を示したと伝えたのである。
〈もしもオバマが核の「先制不使用」を宣言したら、北朝鮮のような国に対する抑止力が損なわれ紛争のリスクが高まると、日本は信じている。
2人の政府官僚によると、日本の安倍晋三首相は、このメッセージを最近ハリス太平洋司令官に直接、伝えた。〉(ワシントン・ポストより。編集部訳)

 この米有力紙報道を日本の国内メディアも報じ、波紋が広がったのだが、その数日後、安倍首相は「ハリス司令官との間において米の核の先制不使用についてのやりとりは全くない。
どうしてこういう報道になったか分からない」と、ワシントンポストの報道を全否定。
しかし実のところ、安倍首相が7月26日にハリス司令官と会談して反対の意志を伝えたことは、日本の官邸、外務省関係者も一部のメディアにオフレコで認めていたことだ。

トランプ大統領になって安倍首相の
反・核廃絶姿勢もさらに加速
 事実、当時この問題を報じた『報道ステーション』(テレビ朝日)では、日本政府関係者のこんな複数証言が紹介されていた。
「日本の安全保障からして『核の先制不使用』はありえないでしょう。
『言葉の使い方に注意してほしい』という懸念を伝えた」(政府高官)
「『核の先制不使用』なんて、そもそもまったくナンセンス。
宣言することなんてないですよ、絶対に。
日米安保が成り立たなくなる」(外務省幹部)

 しかも、オバマのこの政策にかける意気込みは並大抵ではなく、昨年5月の広島訪問時の演説にも「核の先制不使用」の前振り的宣言を既成事実的に盛り込む予定もあったが、日本政府側が真っ向から反対したことで見送られたとも言われている。
 そうした経緯を踏まえてもやはり、今回の国連の核兵器禁止条約に対し、日本政府が「署名しない」と明言していることは、単に、核保有国であるアメリカに追随した結果だという説明では不十分だろう。
もちろん、アメリカの核の傘の前に無条件にひれ伏し、在日米軍問題などの要求を飲み続けている姿勢も問題ではあるが、本質は「核なき世界」を目指すどころか、本音では日本の将来的な核保有まで見据えているであろう安倍首相の性質にある。

 しかも、アメリカはこれまで、冷戦後は一貫して核軍縮の方向に舵をきってきたが、トランプ大統領は今年2月のロイター通信のインタビューで「核保有国があるならわれわれが先頭にいたい」と核戦力の増強を表明。
あくまで核軍縮は米露間の外交カードという位置づけでしかない。
 こうした状況において、対米隷属の安倍首相が今後これまで以上に “アンチ核軍縮”の色を濃くしていくのは、火を見るより明らかだろう。
しかもそれは、政府が建前とする「日本の安全保障上の問題」についても、逆に中国や北朝鮮を刺激する結果となるのだ。
しかし、いま政府がCMなどをうって盛んに北朝鮮の核ミサイル危機を煽っていることからもわかるとおり、安倍政権にとって“仮想敵”の脅威を煽ることこそ、政権延命の頼みの綱であることは言をまたない。

 広島の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれている。
しかし、核廃絶という世界の希望を踏みにじるこの宰相のもとでは、その決意は虚しく響く。
わたしたちは、被爆国の国民として本当にこのまま安倍首相に任せておいてよいのか、よくよく考えるべきだ。
(編集部)
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2017年08月08日

岐路の安倍政権 憲法改正 首相主導の日程は崩れた

岐路の安倍政権 憲法改正
 首相主導の日程は崩れた
毎日新聞「社説」2017年8月7日 

 もはや安倍晋三首相が憲法改正を主導できるような政治環境にはない。
首相に必要なのはその自覚だ。

 首相は内閣改造時の記者会見で改憲の進め方について「スケジュールありきではない」と答えた。
2020年の改正憲法施行を目指し、今秋の臨時国会に自民党案を出す日程が険しくなったことの反映だろう。
「私は一石を投じた。党主導で進めてもらいたい」と弁解もした。

 改造直後の毎日新聞世論調査で内閣支持率は35%だった。
7月調査の26%から若干持ち直したものの、長期政権のおごりが目立った首相に対する国民の不信感はなお強い。
 首相は改造内閣の姿勢として「経済最優先」を掲げ「政権を奪還した時の原点に立ち返る」と表明した。

 気になるのは、これまでも支持率が下がるたびに経済最優先を強調し、支持が戻れば改憲に意欲を示す、という繰り返しだったことだ。
 今回も経済で得点を稼ぎ、支持率の「貯金」ができれば、それを改憲の「資金」に振り向けようと考えているのではないか。

国民の暮らしを豊かにする経済政策を、自身の宿願をかなえる手段のように扱う発想にそもそも無理がある。
 首相が憲法9条1、2項をそのままに自衛隊の存在を明記する案を提起し、具体的な改憲の目標時期を打ち出したのは、支持率が5割前後を維持していた今年5月だった。
 首相は自民、公明に日本維新の会などを加えた「数の力」で改憲を進める姿勢をにじませた。

国会の憲法審査会における、与野党の合意形成を重視してきた自民党憲法改正推進本部には従来路線の転換を求め、同本部の人事にも介入した。
 9条を巡り意見対立を抱える民進党に「踏み絵」を突きつけ、党分裂を誘う思惑もちらつかせた。

 「安倍1強」の慢心からくる首相の強硬路線は、その基盤となる世論の支持が細った瞬間に崩れた。
 憲法は将来にわたって国のかたちを定める根本規範だ。
時々の支持率に寄りかかって議論すべきではない。
だからこそ、憲法審査会では「憲法を政局に利用しない」との不文律が与野党間で共有されてきた。
 「謙虚に、丁寧に」が改造内閣のうたい文句だ。まずは憲法論議を従来の与野党協調路線に戻すべきだ。
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2017年08月09日

「高プロ制度」めぐり大混乱の「連合」、産業界も“とばっちり”

「高プロ制度」めぐり
大混乱の「連合」、
産業界も“とばっちり”
20117.8.8 週刊ダイヤモンド編集部

日本労働組合総連合会(連合)が未曽有の危機に見舞われている。
働き方改革の目玉メニューである「高度プロフェッショナル制度」への対応をめぐり、連合執行部と傘下の下部組織との間にあつれきが生まれているのだ。

背景にあるのは、連合組織の弱体化だ。
産業界も、連合混乱のとばっちりを受けることになりそうだ。
(「週刊ダイヤモンド」編集部 浅島亮子)

 日本最大の労働組合のナショナルセンター、連合が異常事態に陥っている。
 年収の高い専門職を対象にした「高度プロフェッショナル制度(高プロ制度)」の対応をめぐり、連合執行部と傘下の労組との間にあつれきが生まれているのだ。
 高プロ制度は、この3月に策定された「働き方改革実行計画」に盛り込まれた目玉メニューの一つ。
年収1075万円以上で、金融ディーラーなどの専門職に就く人を対象に、(労働基準法上の)労働時間規制から外す制度であり、この制度に「残業代」は存在しない。

 かねて、連合は高プロ制度を含む労基法改正案を残業代ゼロ法案として反対の立場を貫いてきた。
 混乱の発端は、7月13日にさかのぼる。連合の神津里季生会長が安倍首相に、「労基法改正案に関する要望書」を提出したのだ。
 この行為により、連合は、実質的に高プロ制度を容認する姿勢を打ち出した。

水面下では、連合執行部と政府自民党との間で根回しが進んでいたわけで、「民進党の支持母体である連合による裏切り行為」(労組関係者)とされた。
 これに反発したのが、連合の下部組織だ。
21日に開催された連合の中央執行委員会(中執委。主要労組幹部で構成)では、自治労や情報労連といった古参労組や地方労組から異論が続出した。
安倍政権がぐらついているときに、なぜ頭を下げてまで反対したい法案を通さなければならないのか──。

 27日に再集合した中執委でも意見集約は進まず、連合執行部は方針を「容認」から「反対」へ転換。
連合執行部の統率力の欠如があらわになった。
中でも、政財界との交渉窓口を担ってきた逢見直人事務局長(UAゼンセン出身)への風当たりは強い。

 連合混乱の原因は、「執行部が、政府と手を握る前に下部組織への根回しを怠ったことにある」(労組幹部)。
別の労組幹部は、「高プロ制度の設計でもめたのではなく、もとよりあった逢見主導体制への不満が噴出した」と打ち明ける。

 連合内部での逢見評は、政策通のエリートだが政治オンチ。
連合は単組の利害が一致しない寄せ集め所帯なのに、「痛恨のミスを犯した」(UAゼンセン関係者)。
 神津・逢見体制にとって不幸なことに、安倍首相に頭を下げたタイミングが最悪だった。
その直後に、加計学園問題の集中審議で政権の支持率が急落したからだ。
 連合執行部は、下部組織のみならず、民進党からも突き上げを食らい窮地に追い込まれた。
執行部への不満が、この政局で一気に爆発したともいえそうだ。

 そもそも、一連の働き方改革は通常の労働問題の政策決定プロセスとは異なり、一貫して政権主導で進んだ。
労働問題を所管する厚生労働省も、労働者代表の連合も、産業界代表の経団連も、蚊帳の外に置かれていた。
 そんな中、「働き方改革実行計画」という結果だけを見れば、労働時間の上限規制や同一労働同一賃金など、連合の主張が認められた部分が大きい。
「労働者(連合)と産業界(経団連)で獲得できたものを点数化するならば、95点と5点くらい」(厚労省幹部)なのだ。
つまり、連合にとってみれば、たとえ高プロ制度を拒否できなかったとしても、働き方改革の全体像から見れば悪くない通信簿だったともいえる。
 にもかかわらず、連合が大混乱に陥っている。

皮肉にも、憎き高プロ制度が連合組織の弱体化を暴いてしまった格好だ。
連合の組合員数は689万人で日本の雇用者の11.8%にすぎない。
連合には刻々と存続の危機が迫っている。
 8月1日、連合の役員推薦委員会は、退任予定だった神津会長の続投、次期会長候補だった逢見事務局長の会長代行就任という人事案を提示。
逢見「会長」の芽を摘むことで、組織混乱の収束を図ろうとしているが、混乱が収まる気配はない。

産業界は戦々恐々
裁量労働制緩和「も」消えるリスク

 憤まんやる方ないのは、産業界である。
“通信簿5点”の働き方改革の中で、唯一、獲得できるメニューが高プロ制度だからだ。
 8月3日に発足した組閣人事では、「働き方改革」を担当した加藤勝信前1億総活躍担当相が厚労相ポストへ横滑りした。
「これまで閣僚メンバーでは塩崎(恭久)前厚労相だけが高プロ制度導入にこだわっていた」(官邸関係者)。
今後の連合の対応によっては、高プロ制度導入が難しくなるかもしれない。

 ややこしいことに、産業界の本音は「対象者が少な過ぎる高プロ制度よりも、(セットで議論されている)裁量労働制(割増賃金は発生するが年収要件がない)の緩和を獲得したい」(あるメーカー幹部)というもの。
高プロ制度のみならず、裁量労働制導入も白紙となるリスクも浮上している。
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2017年08月10日

菅官房長官が壊れ始めた! 会見で「ここは質問に答える場所じゃない」、自分の著書のことを「知らない」

菅官房長官が壊れ始めた!
会見で「ここは質問える場所じゃない」、
自分の著書のことを「知らない」
2017.08.09 LIITERA編集部

 安倍首相がなんとか国民の目をごまかそうと行った内閣改造。
だが、その後も当然ながら、安倍政権の本質はまったく変わっていなかった。
そのことがよくわかったのが、昨日8日の菅義偉官房長官の会見だった。

 この日の会見で質問に出たのが、国家戦略特区のヒアリングに加計学園の幹部が出席していた問題。
周知のように、2016年6月、国家戦略特区ワーキンググループが愛媛県と今治市からヒアリングをおこなった際、加計学園の幹部3名が同席していたにもかかわらず、公開されている議事要旨にそのことが伏せられていたのだ。
さらには、発言内容を一部削除することで、発言主旨を真逆に書き換えるという議事録の改竄まで行われていたことも明らかになった。

これまで安倍首相らは「すべてオープンになっている」などとして議事録を根拠に選定過程の透明性を主張し、WGの八田達夫座長も「一点の曇りもない」などと説明してきたが、この政府の前提が改竄の事実により完全に崩れさったわけである。

 8日の菅官房長官の定例会見では、東京新聞の望月衣塑子記者がこの問題を追及。
ところが、官房長官は、またぞろ「八田座長の答弁以上でも以下でもない」「ルールに基づいて行なっている」「承知してません」などとはぐらかし続けた。
 しかし、望月記者は引き下がらずにたたみかける。
そして、2015年4月2日の今治市職員による官邸訪問時にも、加計学園の幹部が同行しており、その際、当時の下村博文文科相が「加計さん。しっかりやってくれよ」と声をかけたという報道について、望月記者が、調査をして国民にしっかりと説明する気はないのかと質した。
 すると、菅義偉長官はこう吐き捨てたのだ。
「国会で述べたとおりです。
国会で述べたとおりだと。
ここは質問に答える場所では私はないと思います」

東京新聞・望月記者の追及に
「ここは質問に答える場所じゃない」
 菅官房長官は自分がいったい何を言ったかわかっているのか。
2日前に新たに報じられた事実や疑惑について追及されているのに「国会で述べた通り」というのも意味不明すぎて呆れるが、「ここは質問に答える場所ではない」とは、もはや語るに落ちたというべきだろう。
 当たり前だが、内閣官房長官の定例会見は、ただ政府側の公式発表を垂れ流すための場所ではない。
その時々の国民の疑問を、記者が官房長官に質問することで、政府の考えを国民に知らせ、政府もまた考え方にフィードバックするためにこそある。
 にもかかわらず菅官房長官は、「質問に答える場所ではない」などと言って、国民の疑問を完全にシャットダウンしようとしたのだ。
「国民に丁寧に説明する」などといいながら、真逆な態度。
こんなインチキが許されるのか。

 しかも、この日の会見での菅官房長官のトンデモは、これで終わりではなかった。
朝日新聞の記者も議事録問題について追及したのだが、そのなかで朝日記者がこんな質問をした。
「歴代のとくに保守の政治家は、歴史的検証に耐えられるようにということで、公文書管理の管理ということはかなり力を入れてこられたと思うんですけども。
そのなかでですね、ある政治家の本では、『政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。
その作成を怠ったことは国民への背信行為』と、そういうことをおっしゃっている政治家もいるのですが、これを本に記されていたのはどなたか、官房長官はご存知ですか」

 これに対して、菅官房長官「知りません」と一蹴。
すると、朝日記者がこんな種明かしをしたのだった。
「これは、官房長官の著作に書かれているのですが」
 そう、朝日記者が会見で読み上げた政治家の著作とは、菅氏自身が下野時の2012年に著した『政治家の覚悟』(文藝春秋)という本の一節だったのだ。

菅官房長官はかつて、政府にとってすべての記録を残すべきであり、その基本的資料である議事録がないなどというのは 「国民への背信行為」と断じていたのだ。

野党時代、議事録を残さない政府を
「背信行為」と批判していた菅氏  
自分が本で書いていたことを「知らない」とは、ゴーストライターにでも書かせていたのか。
菅氏はその事実を突きつけられて焦った様子で「いや、私は残していると思いますよ」などと強弁したが、もはや何を言っても後の祭りだった。
 しかし、重要なのは菅氏が自分で書いた本の重要な記述を忘れたということではない。

 朝日記者は続けて、「かつて、2012年の著作で表明されていた見解と、いま政府で起きているところとを照らし合わせて、忸怩たる思いや、やはり(議事録を)きちんと残すべきだという、そういう気持ちはないのでしょうか」と質問していたが、最大の問題は、議事録を残さない政府の姿勢を「国民への背信行為」と断じていた菅官房長官のいまの態度だ。

 菅氏は森友問題、加計問題、自衛隊日報問題でも、各省庁の議事録やメモ、記録の廃棄、改ざんについて「問題ない」と言い切り、自らも率先して、都合の悪い情報を徹底的につぶしてきた。
まさに「国民への背信行為」を自分自身が行っているのだ。

 菅官房長官といえば、これまで「政権の要」「安定の菅」「影の宰相」などともてはやされてきたが、最近は見る影もない。
加計学園問題では、内部文書を「怪文書」と断言して、撤回に追い込まれたり、
前川喜平・前文科事務次官を個人攻撃したりと、安倍首相と似たり寄ったりのヒステリックさを露呈。
質問者の発言を「全く問題ない」「指摘はあたらない」などと全否定してまともに応じない“スガ語”も、結局、ただ都合の悪い事実を遮断するための語彙にすぎないことが、国民に完全にバレてしまった。

 あげくは、記者会見を「質問する場ではない」などとほざき、かつての自身の本で示した決意も「知らない」とのたまう菅氏。
もともと、政治家としての確固たる信念など微塵もなく、政権を守る謀略にだけ長けていた官房長官は、計算違いの連続に、とうとう壊れ始めたのではないか。

 いずれにしても、百害あって一利なし。
安倍首相ともども、さっさと退いていただきたい。
続きを読む
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長崎原爆の日:「あなたはどこの国の総理ですか」

長崎原爆の日:
「あなたは
どこの国の総理ですか」
2017年08月09日 22時00分 毎日新聞

被爆者団体、安倍首相に
 禁止条約に批准しない方針で
 長崎への原爆投下から72年の「原爆の日」を迎えた9日、長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれた。
平和祈念式典後に長崎市内で安倍晋三首相と面談した被爆者団体代表は、核兵器禁止条約に日本政府が批准しない方針を示していることに強く憤った。  

「あなたはどこの国の総理ですか」。
長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会議長を務める川野浩一さん(77)は被爆者団体からの要望書を安倍首相に手渡した際に迫った。
「ヒバクシャの願いがようやく実り、核兵器禁止条約ができた。私たちは心から喜んでいます。私たちをあなたは見捨てるのですか」

 面談は式典後に首相らが被爆者団体から援護策などの要望を聞く場として設けられている。
通常は冒頭で静かに要望書を手渡すが、川野さんは「子や孫に悲惨な体験をさせてはならないというナガサキの72年間の訴えが裏切られたという思いがあった」と異例の行動に出た理由を話す。
川野さんは安倍首相に「今こそ日本が世界の先頭に立つべきだ」とも訴えたが、明確な返答はなかった。

 式典に参列した被爆者も、あいさつで条約に言及しない首相への失望を口にした。
8歳の時に爆心地から約2・8キロで被爆した嶺川洸(たけし)さん(80)は「核兵器禁止条約が採択され、今が一番大事な時だ。
わざわざ東京から来てあいさつするのに、なぜ被爆者に寄り添った言葉を語らないのか」と語った。
【樋口岳大、加藤小夜】
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2017年08月11日

江崎大臣より悪質 安倍首相の広島・長崎“コピペ原稿”朗読

江崎大臣より悪質
安倍首相の広島・長崎
“コピペ原稿”朗読
2017年8月10日 日刊ゲンダイ

「しっかりお役所の原稿を読ませていただく。
答弁書を朗読かな」――

この発言で就任早々、日本中を呆れさせた江崎鉄磨沖縄北方相について9日、長崎市で会見した安倍首相は辞任の必要ナシとの考えを明かした。
そりゃそうだろう。
安倍首相こそ「原稿朗読」の常習犯。
しかも戦没者追悼のスピーチで、原稿の「使い回し」や「コピペ」の連続だから、なおさらタチが悪い。

 長崎の原爆投下から72年。
この日の平和祈念式典で、田上富久長崎市長は平和宣言で安倍政権を批判した。
7月に国連加盟122カ国の賛成で採択された「核兵器禁止条約」について、「(政府が)交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できない」とバッサリ。
条約への一日も早い参加を求めた。

 ところが、直後の来賓挨拶で安倍首相は、禁止条約には一切触れずじまい。
「核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くす」と豪語したが、その具体策には言及しなかった。
 問題は、安倍首相の不誠実な態度がこれだけにとどまらないことだ。
実は長崎の挨拶と3日前の広島の式典の挨拶は、ほぼ一言一句違わない。
使い回しの原稿を朗読しているだけなのだ。

 首相官邸の公式サイトの「記者会見」のページに両式典の挨拶の全文が掲載されてある。
それを読めば一目瞭然。
冒頭の〈原子爆弾の犠牲となられた数多くの御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます〉から、結びの〈皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします〉までまるきり一緒。
辛うじて違うのは〈広島〉と〈長崎〉の地名と犠牲者の数くらいなものだ。

■2年連続コピペのあきれた“前科”も
 広島と長崎の原稿の使い回しは今年だけではない。
第1次政権の時代から、2カ所の挨拶は毎年同じ。
2013年と14年に至ってはナント、2年連続で内容が変わらない「コピペ原稿」を朗読していたのだ。
厳粛な慰霊碑の前で前年と同じ挨拶をするとは、被爆地や被爆者、平和を軽視している証左だ
 当時は原爆被害者団体の大越和郎事務局長も、カンカンになってそう語ったが、安倍首相にはさらに“前科”がある。
13年と14年は6月23日の沖縄戦没者追悼式の挨拶も、基地負担を〈少しでも軽くする〉から〈能うる限り軽くする〉に“前進”させた以外は一言一句同じだった。

 安倍首相にとって戦争の犠牲者への慰霊や日本の平和を祈念する言葉の中身は、どうだっていいのだろうか。
 日刊ゲンダイが14年8月9日付でこのデタラメな事実を報じると、翌15年には戦後70年の節目を迎えたこともあってか、安倍首相は沖縄、広島、長崎の式典での挨拶の内容を変更した。
さすがに3年連続の「完全コピー」こそ思いとどまったようだが、冒頭の〈哀悼の誠を捧げる〉のくだりや、終盤の〈被爆者の援護施策〉と〈原爆症の認定〉の文言はずっと同じ。
就任5年間、かたくなに変えようとしないのだ。
 まるで心を感じさせない「コピペ原稿」の朗読――。
一国のトップの人間性を疑うしかない。
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加計学園関係者が一刀両断「獣医学部新設など言語道断」

加計学園関係者が一刀両断
「獣医学部新設など言語道断」
2017年08月11日 09時26分 日刊ゲンダイDIGITAL

「加計学園」の獣医学部新設を認めるのか――。
設置認可の可否を判断する大学設置・学校法人審議会が実習計画などが不十分だとして、判断を保留する方針を決めた。
今月下旬の予定だった文科相への答申は2カ月程度延期される見込みだが、実は加計学園の内部からも異論が出ている。

08年から加計学園系列の千葉科学大で客員教授を務める加藤元氏(獣医学)は、「獣医学部の新設なんてとんでもない話。
むしろ今、必要なのは大学の数を減らすことですよ」と指摘する。
どういうことなのか。
「現在、獣医学を学べる大学は日本に16校ありますが、世界の最先端をいく米国と比べると、恐ろしいほどレベルが低い。
底上げを図るには、今の16校から多くても4校にまで減らし、1校あたりの教授陣のマンパワーと予算を4倍に増やし、獣医師の専門性を高めるカリキュラムを組む必要があります」

 加藤氏は「どうしても大学を新設したいなら、全米獣医師会が設けた基準『AVMAスタンダード』をクリアするようなレベルの高い大学をつくらないと意味がない」と強調。
学生1人に対して常勤の教授が1・2倍以上いること、羊、乳牛、馬などの動物が十分にいる環境があることなどがAVMAスタンダードの条件となっている。
「この基準を満たしている大学は日本に一つもありません。
難関とされる北大や東大でさえクリアできていないのに、加計学園にクリアできるわけがないのです」

 そもそも加計問題は日本の獣医師不足に端を発したものだったが、加藤氏によると、この前提がおかしいという。
恒常的に不足しているのは所得が低い地方公務員の獣医師であって、都心の動物病院はいつも飽和状態です。
大学を増やし、仮に獣医師を倍増させたところで、地方の待遇改善を図らない限り解決にはつながりません。
ところが、安倍政権や加計学園は獣医学部を増やせばいいと考えているようです。
私に言わせれば、極めて安易な発想だし、自分たちのエゴばかりで本末転倒です」

 大学で獣医学部・学科は人気の学科の一つ。
学生確保のため、新設を望む大学や自治体が多く、その中の一つが加計学園だった。
「加計学園の初代理事長は、獣医学部新設を熱望しており、息子である現理事長も長い間、設置のために尽力してきました。
そのことを、加計学園で客員教授を務めている私はよく知っていますが、やはりおかしいものはおかしい。
政治家や地方自治体は獣医学・獣医療を本当に必要とする国民の立場に立って物事を考えるべきです」
(聞き手=本紙・岩瀬耕太郎)
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2017年08月12日

久米宏、明石家さんま、鴻上尚史、アジカン後藤、ウーマン村本…同調圧力に負けず東京五輪に異議を唱えた著名人

久米宏、明石家さんま、鴻上尚史、
アジカン後藤、ウーマン村本…
同調圧力に負けず
東京五輪に異議を唱えた著名人
2017.08.11 LITERA編集部

 先週、本サイトでは椎名林檎の「国民全員が組織委員会」「全メディア、全企業が日本のために取り組んで」という発言を紹介。
リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック閉会式のフラッグハンドオーバーセレモニーで企画演出・音楽監督を務め、東京オリンピックの開会式にも深く関与する可能性が高いアーティストが、戦前の「一億火の玉」を彷彿させるような言葉で全国民への協力を呼びかけることを厳しく批判した。
 実際、椎名の発言に限らず、オリンピックのためならどんな我慢もするべき、オリンピックに異議申し立てをするような人間は非国民である──というような言説が当たり前のように流布されている。
オリンピックのためという名目で半強制的なボランティア圧力やブラック労働も横行し、また、オリンピックのスポンサーなどになっている大手メディアもオリンピックを批判するような報道をすることはなく、諸手を挙げて賛同している状況がある。

 まさに大政翼賛会状態だが、しかし、そんななか、オリンピックをめぐるこの空気に異議申し立てをする著名人は少ないながらも存在している。

 その急先鋒が久米宏だ。久米は以前より東京オリンピックに対しては一貫して反対の意見を表明し続けてきた人物だが、先月31日付日刊ゲンダイのインタビューでこういった全体主義的な同調圧力を「オリンピック病」と断じたうえでこのように語っている。
「「今さら反対してもしようがない」ね。
その世論が先の大戦を引き起こしたことを皆、忘れているんですよ。
「もう反対するには遅すぎる」という考え方は非常に危険です。
日本人のその発想が、どれだけ道を誤らせてきたか」
「しょせん、オリンピックはゼネコンのお祭りですから。
つまり利権の巣窟。
一番危惧するのは、五輪後のことを真剣に考えている人が見当たらないこと。
それこそ「オリオリ詐欺」で閉会式までのことしか誰も考えていない。
国民が青ざめるのは祭りの後。
いいんじゃないですか、詐欺に遭っている間は夢を見られますから」
「何で誰も反対と言わないのか不思議なんですよ。
そんなに皆、賛成なのかと。
僕は開会式が終わっても反対と言うつもりですから。
今からでも遅くないって。
最後の1人になっても反対します。
でもね、大新聞もオリンピックの味方、大広告代理店もあちら側、僕はいつ粛清されても不思議ではありません」

久米宏と同じく鴻上尚史も
   大会期間中の天気を問題視  
 久米が東京オリンピックに反対する理由はいくつもあるが、その主要なもののひとつが、東京をこれ以上大きい街にしてしまうことへの危機感だ。
「僕がオリンピックに反対する大きな理由は、これ以上、東京の一極集中は避けるべきと考えるからです。
既にヒト、カネ、コンピューターが集まり過ぎ。オリンピックは日本中の財や富をさらに東京に集中させます。
首都直下型地震が起きたら、日本の受けるダメージが甚大になる」

 今回のオリンピックに関しては「アスリートファースト」なる言葉が黄門様の印籠のごとく躍っているが、久米はこの季節にオリンピックを開催することが本当に「アスリートファースト」なのかという根本的な疑問も投げかける。
「競技を行うには暑すぎます。台風も来るし。
日本にとって最悪の季節に開催するのは、アメリカ3大ネットワークのごり押しをIOCが聞き入れているだけ。
今からでもIOCに10月に変えてと懇願すべきです」
「なぜ真夏開催でOKなのか。本当に聞きたいんです、組織委の森喜朗会長に。アンタは走らないからいいんだろ、バカなんじゃないのって。
この季節の開催は非常識の極み。
開催期間の前倒しは難しいけれど、3カ月ほどの後ろ倒しは、それほど無理な注文じゃないと思う。
工事のスケジュールも楽になる。
絶対に開会式は前回と同じ10月10日にすべき。
それこそレガシーですよね」

 これと同じことを劇作家の鴻上尚史も主張していた。
彼は「SPA!」(扶桑社)2017年8月8日号掲載の連載コラムでこのように書いている。
〈炎天下と言えば、2020年7月24日から8月9日まで開かれるオリンピックですよ。
この暑さで、マラソンするんですよねえ。
本気なんでしょうか?
 なんで、こんな真夏にやるんでしょう。
 マラソン選手がバタバタと熱中症で倒れたら、誰が責任取るんですかね?
 誰も取らないんでしょうねえ〉

ウーマンラッシュアワー村本大輔と
明石屋さんまも東京五輪に異和感
 前述した通り、東京オリンピックには主要なメディアがこぞってスポンサーなどのかたちで参加しているため、オリンピックに対して芸能人や文化人が否定的な意見を表明することには少なくないリスクが伴う。
しかし、そんななか勇気ある発言をしているのが、ウーマンラッシュアワーの村本大輔だ。
今年1月、村本はツイッターにこのような文章を投稿。
予算を使うべきところが山ほどあるのにも関わらず、その金がオリンピックに流れていっていることに対して疑問の声をあげた。
気仙沼。お年寄りがまだ仮設住宅、病院にいけない、自殺する人もいるって。
当事者は言えない空気、ニュースも伝えない、世間は気付かないふり。それは熊本も福島、宮城、広島の土砂災害も一緒。
「声上げれないお金ないお年寄りが沢山いるの、むらちゃんこのこと伝えて」と言われた。
絶対伝えます。〉
〈東京オリンピックでお金使い過ぎ、とか、舛添さんの政務活動費無駄遣いし過ぎ、とか、無駄遣い的な話題の流れで、だったらここにって毎回誰かが言わないといけない。〉

 同様の意見を表明していたのが、村本の先輩である明石家さんま
さんまはオリンピック招致の段階から東京オリンピックに対して異論を唱えていた数少ない芸能人であった。
 さんまはオリンピックの開催が決まった直後、2013年9月14日放送の『MBSヤングタウン土曜日』で「いや、だからでも、福島のことを考えるとね……」と切り出し、このように語った。

「こないだも『福島から250キロ離れてますから大丈夫です』とかいうオリンピック招致のコメントはどうかと思って、やっぱり。俺までちょっとショックでしたけど、あの言葉はね」
 さんまがショックだったと言っているのは、同年9月4日に東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会の竹田恒和理事長がブエノスアイレスでの記者会見で語った言葉だ。
まるで福島を切り離すかのようなこの暴言に、さんまは「『チーム日本です!』とか言うて、『福島から250離れてます』とか言うのは、どうも納得しないコメントやよね、あれは」と不信感を隠さない。

 さらにさんまは、安倍首相はじめ招致に躍起になる人々から“お荷物”扱いを受けていた福島に、こう思いを寄せた。
「福島の漁師の人にインタビューしてはったんですけど、『7年後のことは考えてられへん』と、『俺ら明日のことを考えるのに精一杯や』って言わはったコメントが、すごい重かったですよね。
だから、あんまり浮かれて喜ぶのもどうかと思いますけどもね」

アジカン後藤正文と赤川次郎 
「共謀罪が必要なら
     五輪なんか開くな」
 東京オリンピックは安倍政権によって何度も政治利用されてきた。
その典型が言うまでもなく共謀罪である。
安倍首相は衆院本会議で「国内法を整備し、条約を締結できなければ東京五輪・パラリンピックを開けないと言っても過言ではない」と強弁。
共謀罪を成立させなければ国際的組織犯罪防止(TOC)条約に加盟できない、TOC条約を締結できなければ五輪は開けない、というインチキを撒き散らかして強行採決させてしまった。

オリンピックが政治利用されたことにより、私たち国民は表現や思想の自由を著しく損なったのである。
 こういった状況に対し、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文は今年1月、ツイッターにこのような文章を投稿していた。 〈五輪というイベントが、本当に共謀罪を創設したり、基本的人権を制限しないと開催できないような空恐ろしいイベントであるのだとしたら、そんな剣呑なイベントの開催は、いまからでもぜひ辞退するのが賢明だということだ〉
 まさしくその通りだろう。

作家の赤川次郎も同様の主張をしている。
彼は6月15日付朝日新聞朝刊にこんな文章を綴っている。
〈これがなければ五輪が開けない? 
ならば五輪を中止すればよい。
たったひと月ほどの「運動会」のために、国の行方を危うくする法律を作るとは愚かの極みだ。五輪は終わっても法律は残るのだ〉

「オリンピック憲章」を読むと、憲章の冒頭「オリンピズムの根本原則」の2項目目にこのような文章が出てくる。
〈オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励することを目指し、スポーツを人類の調和の取れた発展に役立てることにある〉
 オリンピックの招致からいまにいたるまで繰り返されてきたのは、〈人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励すること〉でも、〈スポーツを人類の調和の取れた発展に役立てること〉でもない。
政治家や財界人が利権にたかって私腹を肥やし、現場の労働者は命を削って過重労働を強要される。
傷つき救いを求める被災地の人々は放っておかれ、本来そこに投じられるべきだった金はこれといった必要性も見当たらない競技場などにつぎこまれる。
挙げ句の果てには、法律がなければオリンピックは開けないとして、治安維持法の再来のような悪法まで成立させられる結果となった。

 前述した日刊ゲンダイのインタビューで久米宏はこのように語っていた。
「五輪を返上すると、違約金が1000億円くらいかかるらしいけど、僕は安いと思う。
それで許してくれるのなら、非常に有効なお金の使い道です」
 本当にそうしていただきたいものである。
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2017年08月13日

東京「酷暑五輪」 選手・観客、ダメージ大 朝9時半、体感37度

東京「酷暑五輪」 
選手・観客、ダメージ大 
朝9時半、体感37度
毎日新聞2017年8月12日 東京朝刊

2020年東京五輪の開催期間(7月24日〜8月9日)の暑さの危険を示す研究結果が相次いで発表されている。
東京は都心のヒートアイランド現象による気温上昇に加えて湿度も高く、過去最も厳しい「酷暑五輪」とも予想される。
大会組織委員会は今年から本格的な対策に乗り出し、国や東京都でも準備が進む。
「暑さ対策」は高騰する大会経費や輸送と並んで五輪準備の重要課題となっている。

「海外の選手が五輪期間中の日本の暑さを知ったら、出場を取りやめる人が相次ぐのでは」。
専門家の間でこうした懸念の声が聞かれるほど、東京五輪は過酷な暑さになりそうだ。
東京と過去約30年の夏季五輪開催都市を比較した横張真・東京大教授(都市工学)は「夏の東京は、高温で湿度も高い。過去の開催都市と比べて気象条件は最悪で、人体へのダメージがかなり大きい」と警告する。

 特に心配されるのがマラソンだ。
首都大学東京と佐賀大の研究チームは東京五輪のマラソンコースで、日陰がほとんどない場所や多くの観客が予想される場所など特徴的な6地点を抽出し、地上からの高さが1・2メートルの平均放射温度(MRT)を計算した。

MRTは、日差しの強さや路面・建物などの照り返しによる熱を考慮した温度のことで、気温よりも選手や観客が実際に体感する温度に近い。
 晴天の場合、マラソンのスタート予定時刻の午前7時半でも6地点の平均が約33度と高く、レース終盤の午前9時半には約37度に達した。
一方、午前5時半だと約27度となった。
国や都はマラソンの暑さ対策として、舗装の改修などを提案しているが、研究結果からは、スタート時刻を早める方がはるかに効果が高いことが分かったという。

 首都大学東京の熊倉永子助教(都市環境工学)は「スタート時刻は早ければ早いほどいい。日陰のない場所では日射を遮るなどの対策が必要だ」と話す。
 マラソン以外の競技でも熱中症への注意が必要だ。
桐蔭横浜大の星秋夫教授(健康科学)らの研究チームは、過去10年間の五輪期間中の東京都心部について、気温や湿度、日射などの気象データを使い、熱中症の発症リスクを表す「暑さ指数」を算出した。
暑さ指数は年0・4度の割合で上昇しており、このままだと20年には34度を超えると予測した。
環境省は31度以上を「危険」レベルとし、運動を原則中止するよう求めているが、それを超える。
 また、星教授らが過去50年間の気象データから五輪期間中の日照時間を予測したところ、17日間の大会期間のうち13日は晴れるとの結果となった。
日差しがあれば熱中症の危険性はさらに高まる。  
選手だけでなく、高齢者や子どもも大勢観戦に訪れることが予想されるほか、炎天下で活動するボランティアも多いと見られる。
屋内競技でも、急に暑い屋外に出ると温度差で体調不良になる場合がある。
星教授は「東京五輪期間中、熱中症の患者がどのくらい出るか予想もできない」と指摘する。【斎藤有香】

大型扇風機/
入退場を分散/保水性舗装

 大会招致時の立候補ファイルでは「この時期は晴れる日が多く、かつ温暖で、アスリートに理想的な気候」と記されたが、現実は大きく異なった。
組織委はスポーツ医学など有識者による対策検討委員会を新設して、本格的な暑さ対策に着手した。
環境省の熱中症対策ガイドラインなどを踏まえて、年度内に具体的な対策をまとめる方針だ。
組織委の布村幸彦副事務総長は「きめ細かな対策につなげたい」と話す。

 熱中症対策の基本は涼しい環境とこまめな水分補給にある。
組織委は「ラストマイル」と呼ばれる最寄り駅から競技場までの観客の動き、長い行列となる入場時の手荷物検査やチケットの確認、10万人規模のボランティアへの配慮などさまざまな場面を想定し、必要な対策を洗い出している。
 いずれも検討段階だが、手荷物検査を待つ観客向けに日よけを設置し、熱がこもらないように大型扇風機の導入を図る。
競技会場では空調の利いた休憩スペースを確保して、自動販売機や給水機器を増設する。
また、試合前後にアトラクションを実施して観客の入退場を分散させ、熱がこもる人混みを作らないように工夫する。
外部の専門家からは暑さを避け、水分を補給するため都内に7000店超がある「コンビニエンスストアと積極的に連携を図るべきだ」との意見もある。
 東京都や国も対策に乗り出している。
都は競技会場周辺の路面温度の上昇を抑えるために、都道などに遮熱材を塗布するほか、保水効果のある舗装を施すなど約136キロを整備する。
国も環境省が各競技会場の暑さ指数を測定して、個別の対策に生かしていく。
高温多湿の日本の暑さを未経験の外国人向けに英語版の冊子を作るなど情報提供に努める。

環境省の担当者は「毎年行われる祭りや夏季イベントと違い、五輪は一回限り。
想定が難しいからこそ、あらゆる対策を試みる必要がある」と説く。
 1964年東京五輪は10月に開催されたが、最近の夏季五輪は92年バルセロナ大会以降、南半球の00年シドニー大会を除いて7〜8月に開催されている。
秋は米国のプロスポーツなどと競合し、国際オリンピック委員会(IOC)の収入源となっている放映権料を支出するテレビ局の視聴率に影響が出るためだ。
 IOCは20年大会も開催時期の範囲を7月15日〜8月31日と指定して立候補を募った。暑さを避けるため10月開催を提案したドーハ(カタール)は1次選考で落選した。
組織委の布村氏は「この時期にやらざるを得ないのが大前提」と強調するが、招致段階では午前7時半だった男女マラソンの開始時間は早めることも検討されている。
【田原和宏】
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2017年08月14日

安倍一強をダメにした「2017年上半期失言大賞」勝手に発表!

安倍一強をダメにした
「2017年上半期失言大賞」
勝手に発表!
文春オンライン 2017.8.13 (大山 くまお)

 今年1月からの名言、珍言、問題発言を振り返る。
「1週間のニュースの中から印象に残った名言、珍言、問題発言を振り返る」という趣旨の本企画だが、いつの間にか安倍政権と自民党から聞こえる言葉が多くを占めるようになった。
珍言、失言とその背後にある疑惑の数が、政権の支持率低下に大きな影響を与えていたのは間違いない。
                           ◆◆◆
安倍晋三 首相
こんな人たちに負けるわけにはいかない」 毎日新聞 7月4日
 上半期最大級の失言。
東京都議選投票前日の7月1日、安倍首相は都議選初の街頭演説を秋葉原で行った。
同駅前には日の丸の小旗を振る自民党の支援者が集まったが、聴衆の一部からは「安倍辞めろ」「安倍帰れ」などのコールが発生。
これに対して首相は「人の演説を邪魔するような行為を自民党は絶対にしない」と怒りを露わにし、聴衆を指差しながら一際大声で「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い放った。  

小泉純一郎首相の秘書官を務めた元参議院議員の小野次郎氏の言葉がわかりやすい。
この方は、自分に反対の考えを持つ人々は国民ではないと思ってる。
総理になって何年も経つのに、この方は全国民のために選ばれた職にある自覚は持ち合わせない、遺憾ながら」(ツイッターより 7月1日)。

 結果、都議選で自民党は「歴史的惨敗」を喫した。
読売新聞の前木理一郎政治部長は署名記事の中で、都議選の大敗を「安倍首相にとって、2012年に政権に返り咲いて以降、最大の危機」とし、「国民は首相の言葉を信じられなくなっている」と厳しく指摘している(7月3日)
 NNNが8月最初の週末に行った世論調査で、内閣支持率は35.6%と4カ月ぶりに上昇したが、加計学園の問題をめぐって安倍首相が「特区の会議が加計学園の獣医学部新設を認めるまで申請を知らず、働きかけもなかった」と説明したことについて「納得しない」が78.2%にも上っている(日テレNEWS24 8月6日)。
まさに国民が首相の言葉を信じていないということだ。

稲田朋美 前防衛相
防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」 朝日新聞デジタル 6月27日
 6月27日、都議選の自民党候補を応援する集会で飛び出した稲田前防衛相の失言。
「自衛隊としてもお願いしたい」という言葉に「自衛隊としてお願いするという意図は全くない」と言い張り、「誤解」という言葉を35回も繰り返した謝罪会見も話題を呼んだ。
安倍首相の「こんな人たち」発言とともに、自民党の都議選大敗の一因となった。

 稲田氏は先日、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)の日報問題をめぐり、陸上自衛隊に保管されていた電子データ隠蔽に関する責任をとる形で防衛相を辞任したが、それ以前から再三問題発言や行動を繰り返していた。
「ようやく辞任か」と思った人も少なくあるまい。

今村雅弘 前復興相
まだ東北で、あっちの方だったから良かった。
首都圏に近かったりすると、莫大な、甚大な額になった」 産経新聞 4月25日
 東日本大震災で被災し、復興を目指す人たちの気持ちを復興庁のトップ自らが踏みにじる失言・暴言が飛び出した。
安倍首相はすぐさま今村氏を更迭している。

 今村氏はそれまでにも「(自主避難者は)自己責任」
「裁判でもなんでもやればいいじゃないか」などの失言を繰り返してきた。
東電株を8000株持っていることも注目を集めていた。
そもそも復興相に就任した際も「復興相かあ……」と落胆していたという(後に本人は否定/『週刊文春』4月20日号)。
「東北で良かった」発言は「今村氏の本音が出た」という指摘が相次いだ。
「自己責任」発言のときには「質問した記者が悪い」と今村復興相をかばう人たちもネット上に大勢いたが、的外れな擁護だったとしか言いようがない。
今村氏の失言を知った達増拓也岩手県知事は「聞いた瞬間、身が凍るような衝撃を受け、怒りがわいた」とコメントしている(産経新聞 4月27日)。

豊田真由子 自民党・衆院議員
このハゲ────っ!」 『週刊新潮』6月29日号
このハゲ────っ!」「ちーがーうーだろー。違うだろー!」。
“魔の2回生”豊田真由子衆院議員が元秘書を罵倒する言葉の数々は、小学生も真似する流行語となった。
豊田氏は報道の直後に離党届を提出。
その後は国会も休み続け、公の場にも姿を現していない。

 豊田氏の選挙区である埼玉県の上田清司知事は8月1日の記者会見で、「ほとぼりが冷めたら出てこようというのはひきょう」と述べ、説明責任を果たせないなら議員辞職をするよう求めた。

自民党関係者は、「党議員の不祥事や失言はたくさん出たが、豊田氏の暴言が一番影響があったんじゃないか。
あの怒鳴り声がテレビで流れるたびに、票が減るのを感じた」と語っている(『週刊朝日』8月18日・25日合併号)。
それだけインパクトが抜群だったということだ。
最近、政治活動再開のために政策秘書を雇ったそうだが、いったいどんな人が応募したのだろうか。
本当に不思議。

菅義偉 官房長官 
出所も明確になっていない怪文書みたいな文書だ」 テレ朝news 5月17日
 加計学園問題をめぐって意外と影響が大きかったのが、この菅官房長官による発言だった。「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向だと聞いている」と記された文部科学省の記録文書について「怪文書みたい」と切り捨てた。
 その後、菅官房長官は「現在の認識ではない」と述べて発言を撤回したが(毎日新聞 6月16日)、次々と出てきた文書や証言に関しても一貫して強気の否定を続けた。
聞く耳を持たず、都合の悪いことは頭ごなしに否定する。
対話を拒否する姿勢は、安倍首相の「こんな人たち」発言にも通じている。
それが首相と政権に対する国民の不信につながってしまったと言えるだろう。

 思えば、春先まで「安倍一強」は盤石、来秋に予定されている自民党総裁選で再選を果たし、安倍首相は歴代最長政権として東京五輪を迎え、同時に念願の憲法改正も果たす――というシナリオさえ語られていた。
それが森友学園問題、加計学園問題に加え、閣僚と自民党議員の失言、暴言、問題行動が繰り返されて、現在に至ってしまった。
 今後、安倍政権の復活はあるのだろうか?
 鍵を握るのは、安倍首相自らが語った「丁寧の上にも丁寧に説明」だ。
それがどのように実行されるのかに下半期も注視していきたい。
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2017年08月15日

市原悦子が語り続ける戦争体験と安倍政権への怒り「『国民の命と財産を守る』と言っても空々しい」

市原悦子が語り続ける
戦争体験と安倍政権への怒り
「『国民の命と財産を守る』
        と言っても空々しい」
2017.08.14 LITERA(新田樹)

 戦後72年を迎えたこの夏
先日お伝えした仲代達矢や桂歌丸をはじめ、先の戦争を知る世代が減るのと呼応するように戦争の恐ろしさを国民がだんだんと忘れ始めている社会状況を危惧し、自らの戦争体験を語り残そうとする芸能人や文化人は多い。

 そんななか、『家政婦は見た!』(テレビ朝日)シリーズでおなじみの市原悦子も自身の戦争体験を語り話題となっている。
 それは、先月末に出版されたエッセイ集『白髪のうた』(春秋社)に記されている。

1936年生まれの彼女は、空襲で危うく命を落としかける体験をしたという。
〈終戦の前の年、千葉市栄町(現在の千葉市中央区栄町)にあった生家のそばに爆弾が落ちたんです。
家には庭に面して広い廊下がありました。
 家族でお昼ご飯を食べていたとき、「ダダダダーン」と爆音がして、ご飯のうえにうわっとほこりが積もったの。
「何ごとだ!?」と居間を出たら、廊下がこなごなになったガラスの川でした。
爆風でガラスが全部吹き飛んで、廊下に割れ散っていたんです。
ほこりの積もったご飯とガラスの川、それが目に焼き付いています〉

 もしもこの爆弾が直撃していたら、確実に無事ではすまなかっただろう。
事実、彼女の兄は爆弾が落ちた場所を見に行っているのだが、そこには空襲で犠牲になった人の遺体があったという。
〈夕方、兄が友達と、爆弾は家のそばの小学校に落ちたことを確かめてきました。
爆風で近所の人が吹き飛ばされて、ばらばらになった。
兄たちは、校舎の壁面に飛び散りへばりついた、その人の肉片を見たそうです。
近所の人たちが「東京に落とす爆弾を試しに千葉に落としたんだ」と騒いでいました〉

 この空襲をきっかけに、市原の家族は同じ千葉県の四街道へ疎開する。
空襲の恐怖からは逃れることができたものの、今度市原らを苦しめたのは飢えだった。
慢性的な食料不足に苦しみ、素人ながら近所の農家に教わりながらトマトやきゅうりを栽培するも、それでも飢えは解消されない。
最終的には口に入れられるものならなんでも、ザリガニすら食べるような生活を送ることになる。

 市原はその暮らしがつらいものであったと同時に、人間としての自分の礎をつくった体験でもあったと語る。
『白髪のうた』ではこのように綴られている。
〈ひもじいことの辛さ、ものを大事にし、感謝する。自分のすることに責任感を持つ、すべての人間の原点になる情感を、そこで学んだ気がします。
 あの頃、今の自分ができたと思います。
たくましいというか、案外へこたれないというか。
自分のことは自分でする。
自分にも周りの人にも世の中にも、あんまりガタガタしない。
欲がなく、目の前にある仕事を丁寧にやるだけで満足する。
その日食べられて、大事な友達が数人いて、楽しく身体を動かしていればいい、ちょうど「都合のいい」女が、その頃にでき上がりました〉

戦争を失くすこと、
世界の問題と関わることが
女優の仕事だと市原悦子は語った

 とはいえ、こんな体験は子どもたちの世代にさせてはならない。
その思いから彼女は戦争の記憶を後世に語り継ぐことをライフワークとする。
それが戦争童話の朗読だ。
 野坂昭如「凧になったお母さん」「年老いた雌狼と女の子の話」や、
あまんきみこ「ちいちゃんのかげおくり」など、戦争によって弱い者、とくに子どもたちが犠牲になっていく物語を読む朗読会を定期的に行い、その活動はいまや30年以上継続したものになった。
そんな戦争童話の朗読について、エッセイ集『ひとりごと』(春秋社)のなかでこのように振り返っている。
〈私の朗読は、死とか戦争とか暗い話が多いといわれるけれど、私自身の現在は、戦争を抜きにしては語れない。
いつも言っているけれど、戦後の食糧難の時代に、いまの私がつくられたといってもいいほどに、あのころの生活が私の原点です〉
 だから、先の戦争で得たはずの反省を無きものにし、再びこの国を戦争ができる国にしようと企む安倍政権の野望は到底許すことのできるものではなかった。

2014年の朝日新聞のインタビューでは、怒りをにじませながらこのように語っている。
「集団的自衛権を使うことが認められましたね。
「自衛」とか「戦争の抑止力」とか信じられない。
原発事故への対応もあやふやなまま、国は原発を輸出しようとしている。
被爆者、水俣病患者を国は救済しましたか。
「国民の命と財産を守る」と言っても空々しい。
 先の戦争で犠牲になった300万人の方々がどんな思いで死んでいったか。
戦争によって人の心に何が起こったか。
それを知れば、私たちがこの先どうすべきか見えてくると思います」

 市原が戦争童話の朗読をライフワークとしたり、メディア上で政権の方針に対して怒りをぶつけたりするのはなぜか。
彼女はそれこそが女優の仕事であると確信しているからだ。
『白髪のうた』ではこのように綴られている。
貧困の中で栄養失調で死んでいく子どもたちや、戦争で自分の子どもを失った母親たちが嘆き悲しむ姿を見ると、胸がしめつけられる。
ああいう人たちがいる間は幸せになれないよね。
いたたまれないですよ。
 戦争がなければあの顔を見なくて済むでしょう。
だから、黙ってないで、戦争をなくすこと、世界の問題と関わることも、女優の大事な仕事よ。「私の子どもは戦争にやりません!」って。

 理不尽なことで人は傷つく。
歩道で自転車にぶつかるとか、地震に遭うとか、放射能で故郷を捨てさせられるとか……責任をどこへ持っていっていいかわからない、ひどい事故がたくさんある。
一番気になるのはそのことですよ。
私たち女優がもっとこういう理不尽なことに対して、モノを言えば少しは力になると思うの〉  まさしくその通りだろう。

彼女にはこれからも自らの貴重な体験を語り継いでいってほしいし、市原の掲げる〈女優の大事な仕事〉を引き継ぐ若い世代の役者がもっと現れてくれることを願ってやまない。
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「特攻」十死零生の作戦に選ばれた、若きエリートたちの苦悩@

「特攻」
十死零生の作戦に選ばれた、
若きエリートたちの苦悩@
2016.10.29 毎日新聞(栗原 俊雄)

特攻。
「十死に零生」のこの作戦を命じられたのは、当時のトップエリートを含 む若者たちだった。
なぜ彼らは特攻隊員として選ばれたのか。
歴史の「闇」を、 『特攻』の著者で、毎日新聞・栗原俊雄記者があぶり出す。

「統率の外道」と呼ばれた作戦
戦史には詳しくなくとも、「神風特別攻撃隊」(特攻隊)とご存じの読者は多いだろう。
近年でいえば特攻を題材にした小説『永遠のゼロ』が大ベストセラーになったことが記憶に新しい。
その特攻は、今から72年前の10月に始まった。
第二次世界大戦末期、アメリカやイギリスなどの連合軍に追い詰められた大日本帝国陸海軍の航空機が、搭載した爆弾もろとも敵艦に突っ込む攻撃隊である。
成功すれば、搭乗員は必ず死ぬ。

「戦争してるんだから、死ぬのは当たり前じゃないか」。
そう思う読者もいるだろうか。
しかし、敵艦に爆弾もろとも突っ込むのではなく、爆弾を敵艦に当てて帰ってこい、というのが通常の作戦だ。
いかに戦時中といえども「死んでこい」という命令はめったにでない。
兵士の士気が下がるのは当然であり、戦力が低下するのは必然である。
任務の成功=死という「作戦」を組織的に行ったのは、少なくとも第二次世界大戦時点では大日本帝国だけである。

筆者は、この「統率の外道」(特攻創設者と言われてきた大西瀧治郎・海軍中将の特攻評)の実情を知るべく、関係者の取材を続けている。
特攻から帰還した江名武彦さんは、その1人だ。
1923年生まれ。戦況が悪化していた1943年12月、早稲田大学在学中に学徒出陣した。
海軍に入り呉の大竹海兵団など経て、百里原航空隊(茨城県)に転属した。
そして、自らの意思を聞かれることなく、特攻隊員となった。

「学生生活を送っていましたから、人生への愛着や未練がありました。
若くして命を絶つ悔しさと、親への申し訳ない気持ち」があった。
一方で「国が危急存亡のときに、青年としての宿命だと考えました。
同年代の若者は実際に戦場に行っていたのですから」。
「『ノーブレス・オブリージュ』(フランス語=noblesse oblige。高貴な者の義務≠フ意味)、学徒兵としての道義的な義務を感じていました」という。

22歳の少尉。江名さんは3人乗りの97式艦上攻撃機に乗って45年4月29日、鹿児島県の鹿屋基地から特攻に向かった。
同乗するのは、いずれも海軍飛行予科練習生(予科練)出身の20歳と、16歳。
出撃のとき、江名さんが機長。顔がこわばっていたのか、16歳の「戦友」に「笑って死にましょう」と話しかけられた。
江名機は、薩南半島南端の開聞岳付近でエンジントラブルに見舞われ、近くにある陸軍の知覧基地に不時着した。
その後もう一度飛び立ったが、やはり機体不良で鹿児島湾沖の黒島に不時着、生還した。

一口に「特攻隊員」と言っても、多様だ。たとえば、
@実際に特攻隊として出撃した
A特攻隊員として、南九州などの出撃基地に配属された。出撃はしなかった
B所属の基地で特攻隊員候補となった。出撃基地には移動しなかった などである。

「元特攻隊員」は、マスコミにしばしば登場する。
しかし戦後70年以上が過ぎ、@の「特攻隊員」の話を聞くのは、容易ではない。
江名さんの証言は、極めて貴重だ。

なぜエリートたちが送り出されたのか ところで当時の大学進学率は、10パーセントに遠く及ばない。
また予科練は、海軍が航空機搭乗員のエキスパートを短期間で育成するために設立した機関だ。予科練出身者は「飛行機乗り」の専門家であり、大学生とは別の意味のエリート候補であった。なぜ、こうしたエリートたちを「九死に一生」でさえない「十死零生」の特攻に行かせなければならなかったのか。

その答えをみるまえに、特攻の歴史を振り返ろう。
  1941年12月8日の開戦後、帝国海軍の機動部隊(航空母艦を基幹とした艦隊)はハワイで米太平洋艦隊の主力を壊滅させた。
二日後には、海軍の基地航空部隊がマレー沖で、英国が誇る新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」以下戦艦2隻を撃沈。
雷撃機(魚雷を積んだ航空機)と爆撃機(爆弾を搭載した航空機)と、それらを護衛する戦闘機からなる日本の航空部隊は当時、世界最強であった。
翌年6月のミッドウェー沖海戦で主力空母4隻を失ったが、それでもしばらくは米機動部隊と互角に渡り合った。

しかし戦争が長期化するにつれ、日本の航空隊は、戦力を低下させていった。
日中戦争以来の歴戦の勇士が少なくなり、搭乗員の技量が低下した。
飛行機の性能そのものも、米軍ほど頻繁なモデルチェンジができず、差がついていった。
そもそも国力が大きく劣るため、生産機数で太刀打ちできなかった。
さらに、その米軍がレーダーを活用し、防空体制を強化した結果、日本軍の航空隊が敵艦隊に近づくこと自体が難しくなっていた。
  特攻は、こうした背景から始まった。

「死ぬこと」それ時代が目的に
1944年10月25日、午前7時。大日本帝国がアメリカやイギリスなどの連合軍と戦争を始めてから3年目。
フィリピン・ルソン島マバラカットの飛行場に、5人のパイロットが立っていた。
傍らにはゼロ戦。
戦闘機だが、この日は爆撃機のように250キロ爆弾を抱いていた。
のち、最初の特攻隊として広く知られることになる敷島隊だ。
関行男大尉、中野磐雄、谷暢夫・一等飛行兵曹、永峰肇・飛行兵長、大黒繁男・上等飛行兵曹)が飛び立っていった。
関を除く4人が、やはり予科練出身であった。

  敷島隊の5機は、米空母群を発見し午前10時45分、襲いかかった。
空母「セント・ロー」に1機が体当たりし炎上させた。
魚雷と爆弾に引火し、30分足らずで沈没した。
  別の一機は旗艦空母「キトクン・ベイ」に体当たりを試み、果たせなかったものの爆弾が炸裂し、被害を与えた。
さらに空母「ホワイト・プレーンズ」に向かった一機も、体当たりは失敗したが「至近弾」となり、機体の破片などで乗組員11人が負傷した。

ちなみに、このときの特攻作戦と呼応していた連合艦隊の主力による「レイテ沖海戦」では、戦艦「大和」以下の大艦隊が執ように追撃し、ようやく沈めた米空母は1隻だけだった。
それに匹敵する戦果を、たった5機が挙げたのだ。
またこれに先立つマリアナ沖海戦では、帝国海軍機動部隊は500機近くで正攻法の攻撃をしかけながら、一隻すら沈めることができなかった。
つまり特攻隊の威力は、驚異的であった。
これ以降、海軍は特攻を大規模に展開し、陸軍も続いた。

当初はもともとあった航空機を転用した特攻だが、その後、特攻専用機が「開発」された。
「人間爆弾」と言われる「桜花」である。
1・2トンの爆弾にエンジンが着いた構造で、車輪は着いていない。
ゼロ戦などならば、故障があれば出撃後帰還することができた。
しかし「桜花」が一度出撃したら、生きて帰る可能性はほぼゼロであった。

  自殺とも言うべき特攻は、米軍とって信じがたい「作戦」である。
予想していなかったため、当初は大きな戦果を挙げた。
しかし米軍が迎撃態勢を整備した結果、特攻機は前述の通常作戦同様、目的とする敵艦船に近づくことさえ難しくなった。
しかし末期の帝国陸海軍にとって、主要な「作戦」であった。

  特攻に征けば必ず死ぬ。
であるならば、通常の作戦で戦果を挙げる可能性がある歴戦のパイロットではなく、初心者を充てよう。
また先々に軍の幹部となる者よりは、そうでない者を選ぼう。
特攻を推進した陸海軍首脳がそうした「合理性」を重んじた結果、陸軍士官学校や海軍兵学校出身のようにもともと「プロの戦士」ではない学徒出身者や、飛行機乗りとしてはプロだが、厳格な階級ヒエラルキーの中にあっては幹部になりにくい予科練出身者、ことに若者たちが特攻に動員された――筆者はそうみる。

  航空機だけでなく水上、水中でも特攻が始まった。たとえば改造した魚雷に人間が乗り、母艦である潜水艦から出撃する人間魚雷「回天」であり、ベニア製のモーターボートに魚雷を積んで突っ込む「震洋」だ。
  敗戦までの一年足らず、航空機による特攻だけでおよそ4000人の若者が死んだ。
終盤は死ぬこと(死なせること)自体が目的のような「作戦」になってしまった。

全体の戦果はどうだったのか。どんな若者が散っていたのか。
そもそも誰がこんな「作戦」を始めたのか。次回みてきたい。

(注)小だぬき
特攻を推進した軍幹部の多くが生き残り「特攻美化」「特攻正当化」を戦後主張しました。
作戦=死 ならば 平時の感覚ならば「最新鋭の整備された機体」「十分な直掩隊」「純粋な志願」が 送り出すものの責任だと思いますが、どれもなされていない。
父はAの特攻基地での出撃待機でしたが、海軍の員数主義のため「一式陸攻」の定員7名が指名されたとのこと。
また 複葉初等練習機 愛称「赤トンボ」に爆弾をワイヤーで固定して出撃させたり、同じく練習機であった機種も使用しています。
次回紹介以降 明らかになっていくのは、人命軽視・思い付きの戦果度外視の作戦。
私たちは 終戦(敗戦)の日の今日、戦死・傷病された方々と それを強要・命令した軍統帥部と政治家・経済人・官僚たちの戦争責任を 分けて考える思考が大切だと思います。
今の自民党、右翼の皆さんは 死ななくても済んだかもしれない戦死者の検証を避けて、彼らの犠牲と戦争遂行の責任を意図的にごまかし 「愛国」「国防」に誘導しようとしている。
この体質を検証しなければ 自衛隊員や国民が 無謀な作戦により死亡する「歴史」を繰り返すことになると信じています。 
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2017年08月16日

特攻70年 「特攻は日本の恥部、美化は怖い」 保阪正康さんインタビュー

特攻70年
「特攻は日本の恥部、
     美化は怖い」
保阪正康さんインタビュー
2014年10月24日 毎日新聞

 特攻とは何か。
特攻隊員たちの遺書が自身の執筆活動の原点というノンフィクション作家、保阪正康さん(74)に聞いた。
【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】
     ◇        ◇
 ある元海軍参謀にインタビューをした際、戦時中の個人日誌を読ませてもらったことがあります。
特攻隊についての記述があり、「今日もまた、『海軍のバカヤロー』と叫んで、散華する者あり」と記してありました。
部外秘の文字も押されて。この元参謀によると、特攻機は離陸した後はずっと、無線機のスイッチをオンにしているそうなんですよ。
だから、基地では特攻隊員の“最後の叫び”を聴くことができた。
「お母さーん」とか、女性の名前もあったそうです。
「大日本帝国万歳」というのはほとんどなかった。

ところが、そうした通信記録は残っていない。
故意に燃やしてしまったに違いありません。
“軍神”が「海軍のバカヤロー」と叫ぶ。
それは当局にとって、隠蔽(いんぺい)すべきことだったでしょうから。

 高校時代に「きけわだつみのこえ」を読みました。
それが特攻隊について、考えるようになった契機です。
その後、生き残りの隊員や遺族らに取材を重ねてきました。

学徒出陣した上原良司氏(陸軍大尉。1945年5月、沖縄で戦死)の妹さんは、兄と仲間たちの会話を手帳に残していました。
彼らは「向こうの奴(やつ)ら(=米軍)何と思うかな」
「ホラ今日も馬鹿(ばか)共が来た。
こんな所までわざわざ自殺しに来るとは間抜けな奴だと笑うだろうよ」と言い合っていたそうです。
取材後の彼女の何気ない言葉は重く、響いています。
指揮官たちは『後に続く』と言いながら、誰も飛び立たなかったそうです。
その言葉を信じた兄たちが事実が分かったら、どんな気持ちになるでしょう

 高級参謀をはじめ、日本の職業軍人とは何者だったのでしょうか。
英国は階級社会ですが、国を守るという点では王族・貴族もありません。
戦争で死ぬということについて、平等性がある。
戦争に貴賤(きせん)なしです。
日本でも高松宮さまなどは前線勤務を希望していたようです。
ある陸軍大学校出身の元参謀には「息子を入学させるなら、陸大だよ」と言われました。
彼の同期50人ほどのうち、戦死は4人だけだったそうです。
エリートは前線に行かず、戦争を美化するんです。

 兵士への危険負担を限りなく、低くすることが本来の指揮官の役割です。
国民的バックグラウンドの下で、西洋の民主主義国家にはそれがあった。
彼我の戦力を客観的に分析する。
物量主義も、兵士を死なせないためにあるんです。

日本にあったのは生煮えの軍事学です。
仏独に学んだ上っ面だけの西洋軍事学に“日本精神”である武士道を乗っけた。
「武士道と云(い)ふは死ぬこととみつけたり」(「葉隠」)の文言だけを取り出し、都合良く利用した。

 特攻は日本の恥部です。
命を慈しむ日本の文化や伝統に反することです。
命中率99%であったとしても、だめなんです。
志願を建前としていましたが、実際には強制でした。
本人が望んでいない死を要求し、死なせる。
こんなものは軍事ではない。
国家のため、大義のためという、自己陶酔でしかない。

戦争とは人の生死をやり取りする闘争です。
ロマンなどないんです。
特攻は米軍に畏怖(いふ)心を与え、日本本土上陸をためらわせた−−との説がありますが、とんでもない。
米軍は暗号名「コロネット」「オリンピック」などの上陸作戦を着々と準備していました。
一方の日本軍は「義勇兵役法」で国民の根こそぎ動員を決め、1億総特攻に駆り出そうとしていた。
国民一人一人が特攻要員だったんです。

 「特攻隊員は我々である」との視点が必要です。
あの時代に生きていれば、あの時代が繰り返されれば、自分も特攻隊員になるかもしれない。
特攻を考える時、必要なのは同情ではなく、連帯感です。
隊員の苦衷、苦悶(くもん)が分かれば、美化することなどできないはずです。

特攻で死んだ人に失礼ではないか」「彼らのおかげで今の日本がある」などと言ってくる人がいます。
どうして、そんな軽々なことを言えるのか。
特攻を命じた指揮官たちと変わりませんよ。

 クラウゼビッツ(プロイセンの軍事学者)は戦争を「他の手段をもってする政治の延長」と位置付けました。
本来は政治こそが、軍事の上になければならなかった。
日本が陥った軍部独裁は政治家たちだけの責任でもありません。
国民も軍をもてはやし、甘やかした。
勝つことこそが軍の目的ですから、負けると分かっても戦争をやめることなどできなかった。
行き着いた先が特攻です。

 特攻について、時に涙が止まらなくなるほどの感傷を持っています。
それとともにわき上がるのは軍への怒りです。
この二つがあってこそ、特攻に向き合えるのではないでしょうか
どちらかに傾いてもいけない。

特攻は時代を測るメルクマールだと思っています。
いたずらに美化することは非常に怖いことです。
集団的自衛権によって、自衛隊が海外派兵される可能性が高まっています。
良くも悪くも、軍隊というものには国民性が表れます。
今こそ、旧軍について、十分に検証すべきです。
それが無くては、特攻というシステムを採用するような組織が再び、生まれてしまうかもしれません。

ほさか・まさやす  
1939年、札幌市生まれ。
74歳。同志社大文学部卒。
出版社勤務を経て、著述活動に入る。
「昭和史を語り継ぐ会」主宰。
長年の昭和史研究で2004年に菊池寛賞を受賞した。
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特攻による死の強要は「無駄死に」そのもの いやアジア・太平洋戦争で死んだ日本人はみな「無駄死に」

特攻による死の強要は
「無駄死に」そのもの 
いやアジア・太平洋戦争で
                          死んだ
日本人はみな「無駄死に」だ
猪野 亨 2015年11月20日 10:27

 特攻による死が無駄だったのかどうか、この結論は出ています。
無駄死に、犬死にであり、彼ら特攻隊員を無駄に命を落とさせられたのです
特攻は死を強要した単なる殺人 美化するなんてとんでもない

 ところが性懲りもなく、無駄死にとは何だと騒いでいる人がいます。
岩田温氏です。
「特攻隊は無駄死にだったのか?もう一度冷静に振り返りたい特攻隊の真実。」(ブロゴス)  岩田氏は、戦争法案に反対していた学生たちが特攻隊をバカだ恥だと言っていたと勘違いして、罵倒するコメントをフェイスブックに上げていました。
 それがどうにも勘違いだったようで、学生たちは特攻の死を無駄死にと言っていたということなのですが、岩田氏はそれにも怒り心頭のようです。

 しかし、どう考えても特攻で死んでいった若者は犬死にです。
無駄に殺されたのです。
 岩田氏は「仮に、それで右翼と言われるなら、右翼でいいよ。」と言っていますが、誰がどう見ても立派な「右翼」ですが、それとも「極右」と言って欲しいのでしょうか。
 岩田氏の上記ブログには、ノン・フィクション作家の神立尚紀氏から同氏に送られた寄稿文が貼り付けられていますが、その寄稿文はひどい内容です。

 箇条書きにしてみると次のようになります。
@陸軍の特攻と海軍の特攻は違う
A海軍の最初の特攻はやむにやまれず行ったもの、兵器が足りないから仕方ない
B他の作戦も同じような戦死率のものだってあるじゃないか
C戦果はあった  

@はどうでもいいです。
陸軍はアホだとかいう議論もありますが、陸軍も海軍も同罪です。そこに差はありません。
Aも弁解がましく、そのような状態で戦争を継続しようということ自体が間違いです。
Bも同様です。ガダルカナルでもインパールでも沖縄でも大変な戦死者を出していますが、それと比較する意味がわかりません。  
むしろ、どの戦闘(作戦)でも、兵士や住民に無駄な死を強要したというだけではありませんか。  このアジア・太平洋戦争自体が侵略と略奪だけを目的とした戦争であり、そこに大義などありません。
「岩田温氏「本当にあの戦争に「大義」はなかったのか?」 はい、ありません。」
 アジア・太平洋戦争を始め、明らかな劣勢になったてもまだ国体護持という目的だけで終戦まで遅らせて多大な犠牲を強いてきたのが当時の支配層です。

「日本帝国軍隊の末路とその犠牲」
 そういう意味では、沖縄で戦死した兵士も、米軍や日本兵に殺された沖縄住民もみな犬死にです。
特攻で戦死していった人たちと同じです。
 沖縄戦などでは住民も駆り出し、爆弾を抱かせて米軍戦車に飛び込ませるなど特攻のやり方と全く同じです。
 最初から死を強要する作戦なのですから、これが無駄死に、犬死にと言わずに何というのでしょうか。
 しかもさっさと日本軍部は降伏すればよかっただけです。その選択をせずに国民に死を強要したのです。  
Cは最低・最悪の発想です。
 死を強要しておいて「戦果」だなんていうのは、それこそ特攻で死んでいった人たちをまるでゲームのコマのようにしか見ていないということです。  
それを現代の視線で語るのが重要だなんて言っておきながらこのように言うのですから、最低だと思います。
 このような「戦果」に胸躍っているのでしょうが、これではあの戦争で死んでいった人たち(日本支配層に殺されていった人たち)は、全く浮かばれません。
 侮辱そのものです。
 特攻は犬死にです。
同じようにガダルカナルやインパール、沖縄で死んでいった人たち、東京大空襲で死んでいった人たち、原爆で命を落とした人たち、中国で戦死した人たち、みんな犬死にです。
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2017年08月17日

戦没者230万人 兵士を「駒」扱い 愚劣な軍事指導者たち 半藤一利さんインタビュー

戦没者230万人
兵士を「駒」扱い 
愚劣な軍事指導者たち 
半藤一利さんインタビュー
2014年8月15日 毎日新聞  

「戦没者230万人」という数字を、私たちはどのように読み解けばいいのだろうか。
昭和史の著作が多い「歴史探偵」こと作家の半藤一利さん(84)に聞いた。
【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】         
         ◇  
戦前の日本は近代国家の体をなしていなかった。
「戦没者230万人」という数字はそのことを端的に示していると思います。
国民を戦地に送り込むならば、国家は責任を負わなければなりません。
いつ、どこで、どのように戦没したのか。
確実に把握していなければならない。

ところが、「戦没者230万人」という大枠のみが残り、具体的なデータは部分的にしか残っていません。
厚生省(当時)は戦後、戦域別で戦没者数を算出しましたが、そこまで。死因までは分類できていない。
230万人というざっくりとした数字も、私は過小評価ではないかと疑っていますよ。

 詳細が分からないということは道義的にはもちろん、軍事的にも非常に問題があります。
前線に送り込んだ部隊のうち、戦闘に耐えうる兵士は何人なのか。
あるいは戦傷、戦病者は何人いるのか。正確な戦力を測れずして、作戦を立てることはできません。
そもそも、前線に送らなければならない武器弾薬、糧食、医薬品などを算出するためにも、絶対に必要です。
それができていなかったのではないか。

 兵站(へいたん)を軽視した、あるいは無視したのが日本軍でした。
「輜重(しちょう)が兵隊ならば チョウチョ、トンボも鳥のうち」というざれ言があります。輜重とは兵站部門のことです。

そもそも、陸軍参謀本部や海軍軍令部のエリート将校にとって、兵卒はしょせん、1銭5厘(当時のはがき代)で集められる存在。
作戦時には3日間分のコメ6合など25キロの荷物を背負わせ、前線へとおっぽり出した。
食糧がなくなれば、現地調達しろと。
降伏はありえないのだから、負け戦になれば玉砕しかありえません。
敗残兵の消息など気にもとめなかった。

 これに比べ、米国の手厚さは語るまでもないでしょう。
あるエピソードがあります。
ブッシュ元大統領(第41代ジョージ・H・W・ブッシュ、第43代大統領の父)は戦時中に小笠原諸島の父島沖で撃墜されました。
元大統領は救助されましたが、この時に捕虜になった同僚がいました。
戦後、米軍の調査団が父島を訪れ、彼が埋葬された墓地を掘り返したんです。
すると、遺骨の首は切断されており、日本軍に処刑されたことが明らかになった。
一兵士に対するまで、その死をないがしろにしない。
国家としての責任を果たしているんですね。

 日本軍は自己の実力を顧みず、攻勢の限界線をはるかに越えました。
餓死者が続出するのは当然のことです。
私は戦没者のうちの7割が、広義での餓死だと思っています。
このような軍隊は古今東西にありません。
人間をまるで、将棋の駒のように扱っている。

 海上を移動中に乗船が沈められ、死亡した陸軍将兵は18万人にも上ると見積もっています。これも補給軽視、つまりは人命軽視の表れです。
開明的とされている海軍ですが、陸軍とそんなに違いはありません。
レイテ沖海戦で、小沢艦隊はおとりになりました。
基幹の空母4隻に搭載した航空機は定数をはるかに下回る100機余りしかなかったのに、整備員は必要もないのに定数を乗せた。
帳簿上の員数合わせだけを気にする官僚主義としかいいようがない。

 軍の指導者たちは無責任と愚劣さで、兵士たちを死に追いやりました。
特攻作戦も同様です。
特攻隊員たちの純粋な気持ちを利用した。

「日本的美学」などと言われるが、とんでもない。
立派な作戦であるような顔をして、机の上で「今日は何機出撃」などと記していた参謀らを許すべからずです。

 集団的自衛権の行使について、容認する声があります。
何を言ってんだ、と思いますよ。
戦後の日本は平和だった。
その権利を行使しなかったため、何か問題があったのでしょうか。
 太平洋戦争を巡り、これまで各国の将軍、提督たちを数多くインタビューしてきました。
みんな、偉い人は生きているんですよ。
戦争とはそういうものです。
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2017年08月18日

米朝緊迫で前のめり 安倍政権「存立危機事態」を自作自演

米朝緊迫で前のめり
安倍政権「存立危機事態」
を自作自演
2017年8月17日 日刊ゲンダイ

 米国領グアム島周辺に4発の新型弾道ミサイルを撃ち込む案を表明した北朝鮮に対し、「炎と怒りに直面することになる」と怒りをあらわにしているトランプ大統領。

 金正恩委員長と同じで頭にすぐに血が上るタイプだから、互いに「やんのかぁ」「コラぁ」という田舎の暴走族レベルの“威嚇の応酬”はエスカレートするばかり。

そんな米朝に対し、本来は「揃って頭を冷やせ」と諭すべき立場にいるのが日本なのに、積極的に“参戦”する姿勢を見せているから狂っている。
「北朝鮮から日本の上空を飛び越えてグアムの方へ(ミサイルが)行く。
日本の自衛隊は本当に撃ち落とさなくていいのか。日米同盟の真価が問われている」
 15日の「戦没者追悼中央国民集会」で、こんな仰天発言をしていたのが佐藤正久外務副大臣だ。
「日本の存立の危機にあたる可能性がないともいえない」と集団的自衛権行使の前提となる「存立危機事態」をチラつかせた小野寺防衛相の仰天解釈を真に受けたようだが、何をトンチンカンなことを言っているのか。

 軍事ジャーナリストの世良光弘氏がこう言う。
「仮に北朝鮮がグアムに向けて弾道ミサイルを発射した場合、地上から600〜700キロの高度で飛んでいく。
自衛隊が現在、保有している迎撃ミサイルの高度は500キロ程度ですから、物理的に撃ち落とすのは不可能です
 そもそも北朝鮮は、グアム島周辺の「海域」に向けて弾道ミサイルを撃つ――という計画を発表しただけ。
何もグアム島を直接狙ってミサイル攻撃を仕掛けると宣戦布告したワケじゃない。
とてもじゃないが、現時点で「存立危機事態」に該当するはずがないだろう。

 安倍首相だって、安保法が閣議決定した後の会見で、米国の戦争に日本が巻き込まれる可能性は「絶対にあり得ません」と断言していたではないか。
このまま米朝のケンカにクビを突っ込めば、自ら進んで巻き込まれにいくようなもの。
「存立危機事態」の自作自演だ。

 米朝が軍事衝突となり、日本も参戦すれば犠牲を被るのは国民だ。
佐藤副大臣はそんなことはお構いなしで、迎撃が不可能な弾道ミサイルを「撃ち落とさなくていいのか」なんて威勢のいいことを言っているのだ。
“ヒゲの隊長”なんて呼ばれているが、戦前、無謀な作戦で多くの犠牲者を出した悪名高き「インパール作戦」を指揮した旧日本軍の牟田口廉也中将とソックリだ。

日本が巻き込まれる最悪の事態となったら、安倍首相や佐藤副大臣を真っ先に前線に送り込むべきだ。
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2017年08月19日

トランプを徹底非難する米国と大違い! 差別vs反差別で「どっちもどっち」論が横行する日本の民度の低さ

トランプを徹底非難する
米国と大違い!
差別vs反差別で
「どっちもどっち」論が
横行する日本の民度の低さ
2017.08.18 LITERA編集部  

アメリカのバージニア州で、白人至上主義者グループとそれに抗議する人々が衝突、30人以上の死傷者が出た事件をめぐって、トランプ大統領は15日、記者会見で「両者に非がある」などと発言。
また「オルト・レフト」なる造語まで用い、“極左思想主義者たちが白人至上主義者たちに突撃した”などと主張している。
「じゃあ、オルト・ライトに(中略)突撃していったオルト・レフトはどうなんだ?
 あいつらに罪悪感のかけらもあるか?
 手にこん棒を持って(中略)突撃してきたのはどうなんだ?」(BBCより)

 トランプは事件発生後の発言でも白人至上主義グループを明確に批判せず、世論から大反発をあびたが、差別主義者と差別を許さない人々を同列に置いたこの発言で、政権は致命的なほどのダメージを受けている。
前大統領のオバマはもちろん、ブッシュ親子も連名で「アメリカは常に人種差別を拒絶せねばならない」と声明を出し、与党・共和党からも「国民を分断している」などとの批判が相次いだ。

さらに、大統領に助言する評議会のメンバーも、この間のトランプの言動に抗議するかたちでこれまでに3名が辞任、また陸海空海兵隊の制服組トップがそろって批判するコメントを出すなど異例の状況だ。
 現在、アメリカ各地でトランプ大統領に抗議するデモや集会が行われ、“トランプ政権最大の危機”と言われるほど全米を大きく揺るがしているが、こうした社会の反応は当然だろう。
 そもそも事件の発端は、白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)やネオナチ、そして「オルト・ライト」(=人種差別主義の極右)ら数百人が「米国を白人の手に取り戻せ」などと訴える集会に対し、人種差別と過激主義に抗議する人々が駆けつけたこと。
さらに、白人至上主義側の男が車で抗議側に突入し、多数の死傷者が出る事態となった。
にもかかわらず、トランプは“どっちもどっち”という言い方で差別する側を擁護し、差別に抗議する側を批判したのだ。
ありえないとしか言いようがない。

 だが、今回のトランプの差別主義肯定発言から学べるのは、実は、トランプが批判されているグロテスクな“どっちもどっち論”が、日本社会ではスタンダードになってしまっているということだ。

ヘイトデモ、沖縄基地反対運動で
横行するトランプ的“
どっちもどっち”論
 実際、米国内と比べると、このトランプの差別主義肯定発言に対する日本メディアの追及はかなり鈍い。
それだけでなく、テレビニュースでは、車で突っ込んで死傷者を出した陣営が、白人至上主義側の関係者であることを報じないケースまで散見された。
繰り返すが、アメリカでは、大統領が差別主義者と抗議側を同列に扱ったことで、その地位が揺らぐ大問題になっているにもかかわらず、である。
このギャップはいったいどういうことなのか。

 しかし、考えてもみれば、トランプの言うようないびつな“どっちもどっち論”は、日本の近年の差別主義団体によるヘイトデモと、それに抗議するカウンターたちをめぐる報道のされ方にも如実に表れていた。

 たとえば2013年には、当時、東京の新大久保などでヘイトデモを繰り返していた在特会とその関連団体に対し、有志の人たちや「レイシストをしばき隊」などが集まって、差別反対の声をあげるカウンターの動きが大きくなっていた。
その後、カウンター行動が功を奏し、大規模なヘイトデモを抑制することになるのだが、メディアのなかには、このヘイトデモとカウンターを同列に扱って“どっちもどっち論”をぶつものが少なくなかった。

 そのひとつが「ニューズウィーク日本版」(阪急コミュニケーションズ)14年6月24日号に掲載された〈「反差別」という差別が暴走する〉という記事だ。
記事は、“差別的な言論を暴力をもって押さえ込むカウンターの手法は「憎悪の連鎖」を生むだけではないか”“日本は独り善がりの「正義」と腕っ節ばかりが支配する息苦しい国になるのか”などと、“どっちもどっち論”を使ってカウンター行動を酷評するものだった。

 あるいは、沖縄米軍基地をめぐる抗議活動もそうだ。
高江のヘリパッド建設に反対する人々に対し、これを“鎮圧”するために送り込まれた機動隊員が「土人が」と差別発言をしたのは記憶に新しい。
本土による沖縄の差別的扱いがこれでもかというほどあらわれたかたちだが、本土の一部メディアやネットでは、逆に新基地反対運動に対して、「反対派は過激な運動で迷惑をかけている」「反対派だって暴言を吐いている」などといった“どっちもどっち論”が絶えない。

 改めて強調しておくが、こうした“どっちもどっち論”は、本来、並べるべきものではない両者をわざと同じように扱うという、典型的なミスリードだ。
言うまでもなく、人種差別の問題にしても、基地建設の問題にしても、弱者と強者ははっきりしていて、差別される側、あるいは有無を言わさず近隣に基地をつくられる側が圧倒的弱者である。
日本社会にはびこる“どっちもどっち論”は、その前提を完全に無視することによって、なぜ抗議する人々がこれほど大きな声をあげているのか考えることをやめる
しかも、彼らは、さも高みから見物するように“どっちもどっち論”を唱え、抗議活動などを冷笑することこそが、クレバーで正しい意見かのように振舞っているから、一層たちが悪い。

 また“どっちもどっち論”は、ただ社会問題についてのコミットメントを拒絶しているわけではなく、ましてや、まったく冷静な意見を述べているわけでもない。
結局のところ、彼ら“どっちもどっち論者”は、差別を温存して、弱者を踏みにじる側についているだけだ。
今回、アメリカでトランプの発言がこれだけ批判をあびているのも、まさにこの“どっちもどっち”が内包する問題を、多くの人が認識しているからだろう。

“どっちもどっち”論に侵され
権力批判ができないマスコミ
 その意味でも、トランプの差別主義擁護の姿勢は、アメリカの問題というよりも、日本社会でこそ考えられるべきトピックだ。
それは、その国で生活する個人個人の問題でもあるし、それだけでなくメディアの姿勢の問題でもある。
 たとえば、日本のメディアは「公正中立」に遠慮して、欧米と比べて政権への批判がかなり弱い。
よしんば、政府の政策や態度を問題視する報道をしても、セットで必ず政府の言い分を垂れ流す。
そして、生活者もその態度をさほど疑問視しない。
それどころか、政権批判の報道に対して「偏向だ」「反日だ」などと素っ頓狂なことを吠え出す人たちも少なくない。

安保法制にしても共謀罪にしても、あるいは森友問題、加計問題にしてもそうだろう。
これはおかしいのではないか、彼らに政治家としての資質はあるのかと、メディアは一応ツッコミを入れるものの、ほぼ確実に同時に政権をフォローする。

 この権力に対する姿勢も、一種の“どっちもどっち”だろう。
考えてみてほしい。
私たち生活者と政治権力のどちらが力をもっているのか。
圧倒的に政治権力のほうだ。
ゆえに、わたしたちが絶えず権力をチェックし、その姿を批判的に検討していかなければ、社会はたちまちお上のやりたいように動いていく。

とりわけ、近年の安倍政権は一強体制と言われるぐらい永田町でも霞が関でも強大すぎる権力を握っている。
安保の例を出すまでもなく、どんな反対運動があっても強引に法案の成立を許してしまうほどには、すでに日本社会は相当いびつな状況になっているのだ。

 先に“どっちもどっち論”の特徴は、弱者と強者の関係を顧みないことだと指摘したが、まさに、政治権力に対する日本のマスコミ報道というのは“どっちもどっち”である。
何度でも繰り返すが、その意味でも、今回のアメリカでの白人至上主義と抗議運動をめぐるトランプ発言、それをめぐる米国メディアの報じ方、そして米国の人々の反応にわたしたちが学ぶべきことは多い。
少なくとも、“どっちもどっち論”に侵された日本社会の特異な状況について、ひとりひとりが積極的に見直す契機とするべきだろう。 
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2017年08月20日

自衛隊は「情報開示請求のできる行政組織」であり、軍事組織ではない

自衛隊は
「情報開示請求のできる
行政組織」であり、
軍事組織ではない
2017.8.19 日刊SPA!【梨恵華】

 先般、稲田(元)防衛大臣がPKOの日報開示請求の対応で責任を問われ、陸幕長、事務次官などとともに辞任しました。
世界の安全保障の常識から考えればPKOの活動で戦闘行為があったかどうかが問題とされることがすでに異常なのですが、自衛隊は「軍(軍のようなもの)」に見えたとしても、国内法でその組織は一般の「行政組織」です。

悲しいことですが、自衛隊は「軍のような外見」をしていても決して「軍事組織」ではないということが今回の日報開示問題ではっきりしたと思います。
 やはり、「陸海空その他の戦力はこれを保持しない」と日本国憲法9条に明記されている状況で、「軍事組織をつくってはならない」というルールの下に作られた組織では「軍事組織」が持つべき重要な秘密保持の仕組みは持てなかったわけです。

 それでも自衛隊は以下のとおり軍としての体裁をととのえていますから、国際法上は「軍」として扱われます。
@遠方から識別可能な固有の徽章を着用していること(固有の軍服を着用)
A武器は外から見えるように携行すること
B団体の場合は、必ず指揮者つまり責任者がいること
Cその動作において、戦争法規を遵守していること

 これがハーグ陸戦条約で規定されている交戦者の資格とされています。
この要件をそろえている自衛隊は海外の他の軍から見たときは「軍」です。
しかし、日本国内の自衛隊の取り扱いは、あくまでも他の省庁と同じ行政組織の一つなのです。  これは非常に深刻な問題です。

 意外かもしれませんが、自衛隊にはすさまじい数のデスクワークが存在します。
特殊車両を動かすためには道路を通る特別な許可が必要ですし、航空機が偵察やスクランブルなどの行動を起こすときも飛行計画を出しています。
危険物取扱、消防法などなど無数の法律の規制に対し、他の行政組織と同じように手続きをして許可を得て行動しています。
つまり、自衛隊の行動は無数の書類に縛られ追い回されているのです。
ゆえに、他の行政組織と同じように法律の手続きに不備があれば行動ができなくなります。
これは防衛出動時や治安維持活動の場合でも変わりません。

さらに、近年では民事訴訟というリスクに対応するため、その行動の裏付けとなる証拠書類を準備し、記録を改ざんできないよう整理保管するようになっています。
イザという時にマスコミや政府に説明するための記録を徹底的にとるのです。
 情報開示請求の根拠となる情報公開法は「省庁等行政機関の保有する文章等の情報はすべて開示すべき」という発想で作られています。
2014年12月10日に特定秘密保護法が施行されましたが、この法律で保護されるのは潜水艦や衛星写真などの最も機密とされる情報のほんの一部のみです。

「軍」ならばその行動予定だけでなく、行動記録などを含めもっと広い範囲での秘密保持ができなければ作戦行動に支障をきたします。
そもそも、防衛や外交など機微に渡る文書は原則非公開にするべきと国際社会では考えられています。
何十年か後に然るべき手続きを経て、防衛外交上の文書は再度公開すべきかどうかを検討するというような方法が世界のスタンダードです。
 つまり、秘密保持よりも透明性と国民への説明責任の方が重視される組織なのです。

防衛省(自衛隊)は軍事組織とは全く違う仕組みで動いているのです。
 問題が起こったときに事態を説明するための膨大な記録を残していく必要があるのは自衛隊が行政組織だからです。
それゆえに詳細な情報が書類として蓄積されていることも明らかになりました。
さらに、自衛隊の行動記録が知りたければ開示請求すればその情報が入手できることも世界中に報道されました。
また、その開示方法や開示内容に不備があれば、軍事組織のトップ、陸上幕僚長や防衛大臣を即座に辞任させてしまえる脆さも明るみになりました。

 また、軍事組織上ではありえない統率力の弱さも今回の件ではっきりしました。
内部からのリークで指揮官の足が掬われることは、軍事組織ではあってはならないことですが、行政組織である防衛省(自衛隊)では上官の命令は絶対ではないのです。
 敵対する側から見れば、防衛省(自衛隊)が容易に部下からのリークや情報漏えいを許す組織であり、日報の有無という程度の瑣末な問題で大臣や陸幕長などの軍のトップを簡単に辞任に追い込めるひ弱な組織だと知る重要な出来事だったはずです。

この軍事的な大失態を日本人だけが気づかなかったようです。
「これまで自衛隊は憲法違反と言われ、平和な日本には不要の税金泥棒であるとマスコミや世論に叩かれ続けてきました。
その経験で“世間にとやかく言われないように”と過剰に反応するようになっているのです。
我々には自衛隊員というだけで石を投げられた悲しい歴史があります」。
自衛官OBのJさんが日報問題について話してくれました。
「だから、世論に叩かれないように大量の書類を作って報告させる傾向が強くなり、書類がなければ安心しない上官が存在し、外部からの開示請求も書類があるので可能になるという悪循環が生まれます。

結果、その書類作成に手間と時間をとられて訓練の時間が取れなくなる。
それでは本末転倒です」
 防衛省には様々な情報開示請求が舞い込みます。
そのたびに詳細なレポートを作成し開示の可否を審査するという対応が求められます。
その審査にかかわる作業は「軍事組織」としてではなく「行政組織」としてどうなのかという観点から判断が下されるため、ますます「軍」としてのあるべき姿や能力が損なわれていきます。

現行法上これは仕方ないことなのですが、そんな防衛省に軍事的な秘密が守れるのでしょうか? 「開示請求を拒否できず部隊行動がバレバレになってしまう危険」に今になって自民党の一部が気づいたようですが、我が国の平和ボケはここに極まれりということなのです。

梨恵華】 りえか。
国防鬼女ジャーナリスト。
「自衛官守る会」顧問。
関西外語大学卒業後、報道機関などでライターとして活動。
キラキラ星のブログ(【月夜のぴよこ】)を主宰
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2017年08月21日

北朝鮮危機を煽りつつ…安倍首相は別荘でのんびり

北朝鮮危機を煽りつつ…
安倍首相は別荘で
のんびり夏休み
2017年8月16日 日刊ゲンダイ

 迎撃ミサイル「PAC3」の配備にトランプ米大統領との電話会談。
北朝鮮危機を煽って国民を不安にさせるばかりの安倍首相だが、その一方で自分は15日から夏休みに入った。
山梨県の河口湖に近い別荘で、のんびり過ごしている。

 今年の安倍首相の夏休みは当初、24日までの10日間の予定だったが、非常事態下なのに長すぎるという批判を警戒して、急遽18日までに短縮した。

 安倍首相が別荘へ行く目的はひとつ。ストレス解消のためのゴルフに興じることだ。
萩生田光一自民党幹事長代行ら側近や親族、財界人、親しい友人などが前夜から招かれ、バーベキューなど夕飯を共にして、翌朝ゴルフというのがお決まりのパターン。

今回は誰とゴルフをするのかが注目されていた。
「一昨年も昨年の夏も、加計学園の加計孝太郎理事長が別荘を訪れ、安倍首相と一緒にゴルフをしています。
しかし、さすがに今年は無理。
安倍首相は、『ゴルフがしたいけど、加計さんは来られないしなあ』と残念がっていたそうです」(自民党関係者)

 そこで今回は、フジテレビの日枝久相談役や森喜朗元首相とのラウンド日程が組まれたらしい。
だが、「厳しい世論もあるし、さすがにゴルフはまずい、ということになって、直前にキャンセルになったそうです」(官邸事情通)。
 ゴルフをやらないなら、わざわざ山梨まで行かなくたって、東京にいればよかったんじゃないか。
だいたい、安倍首相は先週、地元の山口に帰り、花火大会や盆踊りを楽しんだ。
夏休みみたいなもんだったろう。

 政治評論家の野上忠興氏がこう言う。
安倍首相は『国民の生命と財産を守るために最善を尽くす』と言っていました。
首相は自衛隊の最高指揮官。
PAC3配備などこれだけ緊張感を高めているうえ、加計疑惑などで国民の信頼を失っている今、夏休み返上で対応に当たって、信頼を取り戻さなければならないと考えるのが普通ですよ。相変わらず、発言と行動がチグハグですね

 ま、“腹心の友”とのゴルフは当分の間、お預けなのは間違いない。
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「感情」を使う仕事につく人の「心」の守り方

「感情」を使う仕事に
つく人の「心」の守り方
2017.8.19 All About

「感情労働」を知っていますか?
あなたの仕事は、「決められた感情」で人に接することを求められる仕事ですか?

たとえばサービス業や営業職の人は、苦手なお客さんにも常ににこやかに対応することが求められます。
苦情の対応に追われるコールセンターでは、怒鳴り声にもやさしい声で受容的に対応することが求められます。
教師や保育士もまたしかり。
常に「先生」として適切な言葉、表情、態度で子どもたちに接することが求められる仕事です。

また、看護師やカウンセラー、ケアワーカーは、専門家として患者や利用者に感情を使って安心を与える仕事です。
このように「人相手」の仕事につく人の多くが、決められた感情の管理を求められ、こうした規範的な感情を商品価値として提供する仕事を「感情労働」といいます。

「肉体労働」や「頭脳労働」は昔からよく知られる言葉ですが、「感情労働」は近年注目されてきた新しい概念です。
仕事に熱心なあまり、燃えつきてしまう人も 感情労働は、とてもストレスフルな仕事です。
不快なこと、失礼なことを言われたら、つい嫌な気持ちが顔に出てしまうのが人情ですが、感情労働においては、個人的な感情を仕事に反映させないように、セーブすることが求められます。個人的な感情を表に出さずに、どんな相手にでも同じように接することが求められたりします。

こうした仕事の顔は、プライベートの場でも求められることがあります。
休日でも、「先生なんですね」と言われれば、それらしく行動しなければと感じたり、
「看護師だから親切でいなくては」
「ケアワーカーだから優しくなければ」というように、周囲も本人も、仕事の顔は実際の本人と裏表なく一致しているべきだと、考えやすいものです。
そのため、感情労働につく人は精神的に消耗しやすいのです。

とくに、使命感がとても強く、ひたむきな気持ちで仕事をしている人ほど、突然ポキッと心が折れてしまうような虚無感に襲われることがあります。
これを「バーンアウト」(燃えつき症候群)と言います。
バーンアウトに陥ると、突然仕事にやりがいを見いだせなくなり、人が変わったように冷淡な対応をするようになったりします。
これは、いつも決められた感情で仕事をしなければと頑張りすぎて、情緒が消耗してしまった結果です。
「こうあらねばらない」という仕事上の「ペルソナ」(仮面)に縛られすぎてしまう人ほど、バーンアウトするリスクを抱えているのです

感情労働者の
バーンアウトを防ぐには?
とはいえ、感情労働は、やりがいのある仕事です。
洗練された笑顔は人を幸せな気持ちにさせますし、真摯な対応は受け手を安心させ、生きる力を与えることができます。
そんな仕事にやりがいを持つ人のなかには、仕事と個人を分けて考えることができず、仕事にのめり込んでいく人が少なくありません。
当面はやりがいと使命感で高揚し、仕事に邁進できても、休みなくその状態を続けると、心のエネルギーが失われ、燃えつきてしまいます。
その結果、出勤することもできなくなり、好きな仕事をあきらめてしまう人もいます。

そのため、感情労働につく人は仕事にかける思いと同じくらい、仕事に打ち込む時間や気持ちの込め方に制限をかけることも意識し、オンとオフのメリハリをつける必要があるのです。

たとえば、「ここまでは頑張るけれど、ここから先はできない」という限界を知っておくこともその一つ。
限界を理解すれば、仕事の物理的な負担、精神的な負担を1人で抱え込むリスクを減らすことができます。
また、仕事中は気持ちを込めて対応しても、仕事が終わったら意識を切り替えて、自分の時間を守ること。
「あのことはまた明日、仕事中に考えればいい」というように、ある程度割り切って考えることが必要になることもあります。
また、休日には勉強会や研修会など、自己研鑽にばかり時間を費やすのではなく、趣味や気晴らし、ムダ話の時間も大事にすることです。

「仕事の私」のイメージは私の全部ではない また、仕事では「清楚なお姉さん」「白衣の天使」「みんなのお母さん」といった理想的なペルソナがつきまとっていても、そのイメージが必ずしも「自分自身」であるわけではありません。
わがままな顔や冷酷な顔、なまけ者の顔、したたかな顔など、いろいろな側面を持っているのが人間です。
期待される職業上のイメージと自分自身を一体化させねばならないと頑張ってしまう人ほど、職業上のペルソナに合わない自分自身の「負の側面」が許せなくなってしまうものです。

すると、「私は○○のプロなのだから、いつでも○○でなければならない」という思い込みが自分を縛り、追いつめてしまいます。
感情労働を選ぶ人の多くは、人間が大好きで、感情が豊かな人だと思います。
それだけに、いつも笑顔で懸命に人に尽くしてしまい、知らず知らずのうちに疲れを溜めてしまうのでしょう。
仕事は長く続けていくことに意味があります。

せっかく選んだ適職をバーンアウトで失わないように、また労働の価値である感情を守るためにも、仕事とプライベートとの時間的な切り分けをし、「プロはこうあらねばならない」という職業上のペルソナにこだわりすぎないことも必要なテクニックになってきます
感情労働にやりがいを覚えている人ほど、このことを意識していく必要があるのだと思います。
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2017年08月22日

“上から目線”国際政治学者・三浦瑠麗が歴史をねじまげ戦前賛美発言!「どっちもどっち」論に隠された御用学者体質

“上から目線”
国際政治学者・三浦瑠麗が
歴史をねじまげ戦前賛美発言!
「どっちもどっち」論に
隠された御用学者体質
2017.08.21 LITERA(本田コッペ)

 最近、あの上から目線トークがうけ、若手論客としてメディアからひっぱりだこになっている国際政治学者の三浦瑠麗。
しかし、その発言をきちんと聞き直してみると、実は自信満々に言い切ってるだけで、中身は驚くほど薄く、根拠なんてほとんどないことが多い。
なんでみんなこんなのに騙されてんの?と不思議に思っていたら、三浦センセイ、最近、なんともわかりやすいかたちで馬脚を現してしまった。

 8月12日の東京新聞「気分はもう戦前? 今の日本の空気」という特集記事でのこと。
三浦は、高畑勲監督、石田あゆう・桃山学院大教授とともにインタビューに答えているのだが、その内容があまりにもヒドいと物議をかもしたのだ。
 記事では、共謀罪の成立、教育勅語の肯定などの安倍政権の姿勢をあげ、今の日本社会が戦前と似ているのではないか?との疑問を投げかけているのだが、三浦はまず、戦前を全否定するのはまちがいだとしてこう語る。

「まず、「戦前回帰」を心配する方々が思い描く「戦前」のイメージに不安を覚えます。
大日本帝国が本当の意味で変調を来し、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)〜四五年のせいぜい二年間ほどでした。」

 大日本帝国が人権を極端に抑圧したのは、1943〜45年のせいぜい2年間?
 この人はいったい何を言っているのだろうか。
 言論の自由など基本的人権を著しく制限した希代の悪法・治安維持法が制定されたのは1925年のこと。
1933年に小林多喜二がこの治安維持法によって逮捕され、特高警察による拷問のすえ虐殺されたのをはじめ、1940年以前にも数々の人権抑圧事件が起きている。
また総動員体制だったのもせいぜい二年間ほどというが、1938年には国家総動員法が制定されている。

 こんな中学校の教科書にも載っているような歴史的事実を無視し、「経済的に比較的恵まれ、今よりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だった」などと、戦前を賛美するのだから、開いた口がふさがらない。

「警察は抑制が効いている」
「人権を守る制度がある」の理由で
共謀罪擁護
 しかも、三浦は戦前と現在は似ていないと主張し、こう言い切った。
「「今は、あの二年間似ていますか」と聞かれたら、私は「全然似ていない」と答えます。「『共謀罪』法が治安維持法に似ている」というのも誤った分析。」

 現在がその「二年間」に似てるなんて、誰が言ってるんだ?
 三浦は実は誰ひとり口にしていない極端な言説を自ら持ち出して否定し、さも自分がバランスに長けていて、論争に勝ったかのように見せているだけじゃないか。
 共謀罪批判と治安維持法の問題だってそうだ。
三浦が言うようなざっくり似ているといった話は誰もしていない。
条文が同じように捜査当局の恣意的運用が入り込む危険性があるといっているだけだ。

 ところが、三浦はそういった法律論にはまったくふれず、「民主政治は成熟しました」
「人権を守る強い制度も定着した。あの時代のような拷問や弾圧が容認されるはずがないでしょう」
「警察官もはるかにプロ意識のある集団に育ち、抑制が利いています」などと、印象論で共謀罪の危険性を否定するのである。

 しかも、この印象論じたいがまったく事実を無視したひどいシロモノ。
「人権を守る強い制度」って取り調べの可視化すら認められていないのに、何を言っているのか。
あげくは「警察も抑制が利いている」だ。
警視庁高井戸署が少年に自白強要した件や、沖縄高江での機動隊による「土人」発言、あるいは大分県警が野党を支援する団体の建物の敷地に侵入し監視カメラを設置した事件、令状なしのGPS捜査など、この1、2年だけでも警察による人権を無視した乱暴な捜査が次々と発覚していることを、三浦は知らないのか。

 自分の印象論を正当化するために、中学生の教科書に載っているレベルの歴史的事実も無視し、新聞を読めばわかる程度の権力の不正実態にも知らんぷり。
こんなひとりよがりな論の立て方でよくもまあ、学者を名乗れるものだと感心するが、しかし、話はこれで終わりではない。

言い訳ツイートで
「学徒動員までは国民が
自発的に戦争を選んでいた」
 この東京新聞の戦前賛美インタビューをめぐって、ネット上で厳しい批判の声が上がると、三浦は言い訳ツイートを展開して、さらにトンデモぶりをさらけだしたのだ。
「インタビューに答えました。
博論以来のお題ですが、国民対政府という構図で政府に全ての悪をおしつけると民主主義は自省しません。
敗戦前の二年こそ学徒動員はじめ全国民が動員されましたが、それまで国民は度々自発的に好戦主義を選んできたのです。」
「戦間期、各国で全体主義の萌芽が見られた。
なぜ日本が止まれなかったのかが重要。
新聞で一括りにされる戦前・戦中には様々な時期がありました。
語られ易いのは総動員で大学生らが出陣した最後の2年。
その2年を元に政府と国民の関係があたかもずっとそうだったように措定してしまうのが誤りなのです。」
「いま気づいたのでメモっておくけど、記事を戦間期と今の日本がまるで似てないと言っていると誤読するわけね。
そうではなくて
@似てる部分は確実にあるが似てない部分もある
Aそもそも戦前の通俗的イメージが悪すぎる。戦中の最後の二年は例外的事象
Bゆえに現代人は志高く頑張るべきだ。なのだが。」
「で、現代日本人がどうかというと、政府が悪をもたらしていると考えがちだが、民主主義なのだから自分たちで国を形作っていかねばならない。
そんなとき、左右両派が国内の関心にとどまり孤立主義を選んだり、あるいは社会の進歩を担うべき革新側に、保守に対抗すべき国家観が育たないと困るというお話。」

 前言を撤回するどころか、大学生が学徒出陣に駆り出されるまで、日本国民はみんな自発的に戦争に参加していたかのようなことまで語り始めた三浦センセイ。
この人、東大を出ているらしいが、エリート意識が高じて、戦前、大学生以外の日本人はみんな何も考えていないバカだったとでも思っているんじゃないのか。

 しかも、自分は無知と偏見をさらけだしておきながら、上から目線で「政府だけに悪をおしつけると、民主主義は自省しません」などと、どっちもどっち論”的説教を始めるのだ。
 先の東京新聞インタビューでも、唐突に「「戦前回帰?」の議論は元をたどれば改憲論議。
現在の憲法改正を巡る議論は、護憲派、改憲派ともに不十分な点が多い」などと語っていたが、この“どっちもどっち論”も三浦の典型的な手口だ。
文脈と関係なくあらゆるものをイデオロギー対立に矮小化することで、あたかも自分が公平でそれらを超越している存在であるように見せる。
だが、その中身をよくよくチェックしてみると、超越どころか、ただの詐術でしかない。

「どっちもどっち」論を
装いながら実は政権批判つぶし!
 この「政府と国民はどっちも戦争責任がある」なんて典型だろう。
たしかに、先の戦争で国民も戦争に熱狂し支持していたのは事実だが、政府の政策に反対する反戦論をおさえ込み、迫害し、大本営発表でミスリードしていった政府と、国民の責任を同列に並べられるはずがない。
 しかも、本当にその過ちを繰り返さないために「国民が自分たちで国を形作っていかねばならない」としたら、それこそ、政府がおかしなことをしていないかを常に批判的に監視し、政府に対して批判の声をあげる必要があるはずだ。
先の戦争で国民が政府を妄信し戦争に熱狂したことを反省するなら、その轍を踏まないために、「権力が法律を濫用する危険性がないか」と警鐘を鳴らすのが、知識人の役割だろう。

 しかし、三浦は逆で、「現在は戦前とは違う」「共謀罪は治安維持法のように危険じゃない」「民主主義は成熟して、警察は抑制されている」などと言って、批判を封じ込めようとする。  

あげく、三浦が政府批判の代わりに提案した結論が、「現代人は志高く頑張るべき」(笑)。
お前は中学生か、と思わずつっこみたくなる薄っぺらさではないか。
 結局、三浦は神視点で「どっちもどっち」的なロジックを語り、中立的で、知性があるように錯覚させているが、実際は権力や政府の政策を擁護し、政権批判者を批判しているだけなのである。

 それは、この東京新聞のインタビューだけではない。
共謀罪の強行採決直前のギリギリのタイミング、6月7日朝日新聞のインタビューでもまったく同じ手口を駆使していた。
三浦はまず、こう切り出す。
「政府は一般人の自由は侵害しないといい、その説明を真に受けている人が多い。
結果として「安全」と「自由」は時に対立するものという本質的議論が深まっていません。」  政府の進め方に異を唱えるポーズから入っているため、てっきり、このあと法案に対する批判、あるいは政府のウソの説明に対する批判が展開されるのかと思いきや、三浦は政権や法案を具体的に批判することは一切せず、反対論のほうを批判し始めるのだ。
「一方で、朝日新聞を含むリベラルメディアの反対論にも違和感がある。
「治安維持法の復活」といった批判は歴史的な文脈を無視した極端な言い方です。
私が出演するフジテレビの「ワイドナショー」で、松本人志さんが「共謀罪」について「いいんじゃないか」と発言しました。
まず、テロが怖いという庶民感覚がある。
批判する側が極端な言い方をするほど、ふつうの人は引いてしまい、かえって賛成側に流れていく。」

自民党論文コンテストに応募し
総裁賞を受賞していた三浦
 改めて指摘するまでもないが、共謀罪の議論が深まらなかったのは「批判する側が極端な言い方」をしたからではない。
金田法相をはじめ政権側がまともに説明せず、ウソとごまかしを強弁し続け、そのボロが次々と露呈したからだ。
しかも、政権側は委員会採決をすっとばして本会議採決を強行したように議論を拒否するような議会運営をした。
ところが、三浦にかかると、それは批判側の問題にスリカエられてしまうのだ。

 しかし、考えてみれば、三浦のこうしたスタンスは当然といえば、当然なのだ。
 前出の朝日新聞のインタビュー直前、三浦は共謀罪の議論が白熱していた最中の今年5月22日に、安倍首相と会食デビューし話題になった。
しかし、三浦の御用ぶりは、最近始まったことではない。

 そもそも三浦は、2004年に自民党が主催する第1回国際政治・外交論文コンテストに応募し、「「日本の国際貢献のあり方」を考える」という論文で、自由民主党総裁賞を受賞。
2005年には、防衛省・自衛隊の主催する「安全保障に関する懸賞論文」に、「備える平和論」で優秀賞を受賞している。
こんな学術的に価値があるとも思えない政党や政権主催の論文コンテストに応募している時点で、三浦が何を志向していたのか、わかろうというものだ。

 そして、論壇で頭角を現してからも、三浦は一貫して、安倍政権の政策を後押ししてきた。  

安保法制についても、同法案が参院で可決された際、三浦は自分のブログで、「解釈改憲には「一定の筋の悪さ」が付きまとっています」と政権側にひと言申したフリをしつつ、結局、安保論議は法律論に押し込めるべきではない、安倍政権は憲法論議に正面から向き合わなかったのは画期的、などと、最終的には安倍政権の立憲主義破壊を擁護した。
 さらに、改憲については、2015年の時点で維新は安倍政権と“グランドバーゲン”し安倍改憲に協力せよ!と呼びかけていたし、今年2月には高村正彦と対談本『国家の矛盾』(新潮新書)を出し、集団的自衛権行使容認で意気投合する露骨さだ。

“どっちもどっち”論と
ブランディングで
御用学者の本質隠し
 しかも、この安倍政権擁護は政策面だけではない。
8月11日放送の『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)では、加計問題について、こんなふうに言い募った。
「私、べつに加計問題はよくないと思っているんだけど、じゃあトヨタだったらどうなるんだと、ここちょっとダブルスタンダードがあるんですよ」
「この政権は、円安誘導政権で、明らかに輸出企業を優遇してるんだけど、だけどもそれが名のある企業が、審議会に入っていたり、アドバイスしたり、要望を出したり、会食することが、できなくなったら、どうなるんだって」
「加計学園という規模の小さな人たちが、個人的なよしみで、なんらかのおいしい思いをさせてもらったらしいというストーリーだから、国民が罰したくなる。
これがトヨタだったら、「日本の命運を支えるトヨタのためには」って(誰も問題にしない)」

「みなさん、口利きの現状知らないっておっしゃるんですか。
口利きの現状の現場って見たことないんですか? 
え? 見たことないんだとすると、それは日本政治を知らないってことになるけど(笑)」
「ひとつひとつ地元洗ってみたら、日本全国、事業者やってたら、こんなこと当たり前ですよ。口利きはね」

 たしかに、安倍政権の大企業・富裕層優遇の経済政策は批判に値するが、それと加計学園1校のみを特別扱いした特区問題とはまったく次元がちがう。
しかも、三浦は「トヨタや大企業優遇についても議論するべき」と言うのでなく、「トヨタもいいんだから、加計も問題ない」という意味でこの話を語っているのだ。
明らかに、安倍政権を擁護したいという目的が先にあるとしか思えないだろう。

 これは、中学生レベルの歴史的事実すら平気で捩じ曲げ、戦前賛美までした今回の東京新聞のインタビューも、まったく同じだ。
ようするに、この国際政治学者の本質は、安倍政権の不正や失政をひたすらマスコミや野党のせいにしてきた田崎史郎、山口敬之ら御用ジャーナリストやネット右翼たちとほとんど大差がないのである。
 しかし三浦がタチが悪いのは、何度も繰り返しているように、どっちもどっち的な神目線のポーズとレトリックで、御用学者であることを隠していることだ。
いや、御用学者であることだけでなく、主張の中身が実は空っぽで、学者としての能力が低いことも、マウンティングとセルフブランディングのうまさによって、巧妙に隠している(この問題については、機会があれば、別稿で検証してみたい)。
 その結果、リベラルメディアまでが何かバランスを取るときに、この御用学者を起用し、結果的に政権擁護を垂れ流すという構図になってしまっているのだ。

 三浦は前述した言い訳ツイートのなかで、「なぜ日本が(戦争への突入に)止まれなかったのか」ともっともらしくつぶやいていたが、その答えは三浦自身が体現しているじゃないか。
あなたのような御用学者や御用ジャーナリストが権力におもねり、健全な戦争反対の声をつぶしてしまったから、その暴走を止めることができなかったんだよ。
    (本田コッペ)
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☀| Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする