2017年08月11日

加計学園関係者が一刀両断「獣医学部新設など言語道断」

加計学園関係者が一刀両断
「獣医学部新設など言語道断」
2017年08月11日 09時26分 日刊ゲンダイDIGITAL

「加計学園」の獣医学部新設を認めるのか――。
設置認可の可否を判断する大学設置・学校法人審議会が実習計画などが不十分だとして、判断を保留する方針を決めた。
今月下旬の予定だった文科相への答申は2カ月程度延期される見込みだが、実は加計学園の内部からも異論が出ている。

08年から加計学園系列の千葉科学大で客員教授を務める加藤元氏(獣医学)は、「獣医学部の新設なんてとんでもない話。
むしろ今、必要なのは大学の数を減らすことですよ」と指摘する。
どういうことなのか。
「現在、獣医学を学べる大学は日本に16校ありますが、世界の最先端をいく米国と比べると、恐ろしいほどレベルが低い。
底上げを図るには、今の16校から多くても4校にまで減らし、1校あたりの教授陣のマンパワーと予算を4倍に増やし、獣医師の専門性を高めるカリキュラムを組む必要があります」

 加藤氏は「どうしても大学を新設したいなら、全米獣医師会が設けた基準『AVMAスタンダード』をクリアするようなレベルの高い大学をつくらないと意味がない」と強調。
学生1人に対して常勤の教授が1・2倍以上いること、羊、乳牛、馬などの動物が十分にいる環境があることなどがAVMAスタンダードの条件となっている。
「この基準を満たしている大学は日本に一つもありません。
難関とされる北大や東大でさえクリアできていないのに、加計学園にクリアできるわけがないのです」

 そもそも加計問題は日本の獣医師不足に端を発したものだったが、加藤氏によると、この前提がおかしいという。
恒常的に不足しているのは所得が低い地方公務員の獣医師であって、都心の動物病院はいつも飽和状態です。
大学を増やし、仮に獣医師を倍増させたところで、地方の待遇改善を図らない限り解決にはつながりません。
ところが、安倍政権や加計学園は獣医学部を増やせばいいと考えているようです。
私に言わせれば、極めて安易な発想だし、自分たちのエゴばかりで本末転倒です」

 大学で獣医学部・学科は人気の学科の一つ。
学生確保のため、新設を望む大学や自治体が多く、その中の一つが加計学園だった。
「加計学園の初代理事長は、獣医学部新設を熱望しており、息子である現理事長も長い間、設置のために尽力してきました。
そのことを、加計学園で客員教授を務めている私はよく知っていますが、やはりおかしいものはおかしい。
政治家や地方自治体は獣医学・獣医療を本当に必要とする国民の立場に立って物事を考えるべきです」
(聞き手=本紙・岩瀬耕太郎)
posted by 小だぬき at 12:07 | 神奈川 ☔ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

江崎大臣より悪質 安倍首相の広島・長崎“コピペ原稿”朗読

江崎大臣より悪質
安倍首相の広島・長崎
“コピペ原稿”朗読
2017年8月10日 日刊ゲンダイ

「しっかりお役所の原稿を読ませていただく。
答弁書を朗読かな」――

この発言で就任早々、日本中を呆れさせた江崎鉄磨沖縄北方相について9日、長崎市で会見した安倍首相は辞任の必要ナシとの考えを明かした。
そりゃそうだろう。
安倍首相こそ「原稿朗読」の常習犯。
しかも戦没者追悼のスピーチで、原稿の「使い回し」や「コピペ」の連続だから、なおさらタチが悪い。

 長崎の原爆投下から72年。
この日の平和祈念式典で、田上富久長崎市長は平和宣言で安倍政権を批判した。
7月に国連加盟122カ国の賛成で採択された「核兵器禁止条約」について、「(政府が)交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できない」とバッサリ。
条約への一日も早い参加を求めた。

 ところが、直後の来賓挨拶で安倍首相は、禁止条約には一切触れずじまい。
「核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くす」と豪語したが、その具体策には言及しなかった。
 問題は、安倍首相の不誠実な態度がこれだけにとどまらないことだ。
実は長崎の挨拶と3日前の広島の式典の挨拶は、ほぼ一言一句違わない。
使い回しの原稿を朗読しているだけなのだ。

 首相官邸の公式サイトの「記者会見」のページに両式典の挨拶の全文が掲載されてある。
それを読めば一目瞭然。
冒頭の〈原子爆弾の犠牲となられた数多くの御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます〉から、結びの〈皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします〉までまるきり一緒。
辛うじて違うのは〈広島〉と〈長崎〉の地名と犠牲者の数くらいなものだ。

■2年連続コピペのあきれた“前科”も
 広島と長崎の原稿の使い回しは今年だけではない。
第1次政権の時代から、2カ所の挨拶は毎年同じ。
2013年と14年に至ってはナント、2年連続で内容が変わらない「コピペ原稿」を朗読していたのだ。
厳粛な慰霊碑の前で前年と同じ挨拶をするとは、被爆地や被爆者、平和を軽視している証左だ
 当時は原爆被害者団体の大越和郎事務局長も、カンカンになってそう語ったが、安倍首相にはさらに“前科”がある。
13年と14年は6月23日の沖縄戦没者追悼式の挨拶も、基地負担を〈少しでも軽くする〉から〈能うる限り軽くする〉に“前進”させた以外は一言一句同じだった。

 安倍首相にとって戦争の犠牲者への慰霊や日本の平和を祈念する言葉の中身は、どうだっていいのだろうか。
 日刊ゲンダイが14年8月9日付でこのデタラメな事実を報じると、翌15年には戦後70年の節目を迎えたこともあってか、安倍首相は沖縄、広島、長崎の式典での挨拶の内容を変更した。
さすがに3年連続の「完全コピー」こそ思いとどまったようだが、冒頭の〈哀悼の誠を捧げる〉のくだりや、終盤の〈被爆者の援護施策〉と〈原爆症の認定〉の文言はずっと同じ。
就任5年間、かたくなに変えようとしないのだ。
 まるで心を感じさせない「コピペ原稿」の朗読――。
一国のトップの人間性を疑うしかない。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする