2017年08月16日

特攻による死の強要は「無駄死に」そのもの いやアジア・太平洋戦争で死んだ日本人はみな「無駄死に」

特攻による死の強要は
「無駄死に」そのもの 
いやアジア・太平洋戦争で
                          死んだ
日本人はみな「無駄死に」だ
猪野 亨 2015年11月20日 10:27

 特攻による死が無駄だったのかどうか、この結論は出ています。
無駄死に、犬死にであり、彼ら特攻隊員を無駄に命を落とさせられたのです
特攻は死を強要した単なる殺人 美化するなんてとんでもない

 ところが性懲りもなく、無駄死にとは何だと騒いでいる人がいます。
岩田温氏です。
「特攻隊は無駄死にだったのか?もう一度冷静に振り返りたい特攻隊の真実。」(ブロゴス)  岩田氏は、戦争法案に反対していた学生たちが特攻隊をバカだ恥だと言っていたと勘違いして、罵倒するコメントをフェイスブックに上げていました。
 それがどうにも勘違いだったようで、学生たちは特攻の死を無駄死にと言っていたということなのですが、岩田氏はそれにも怒り心頭のようです。

 しかし、どう考えても特攻で死んでいった若者は犬死にです。
無駄に殺されたのです。
 岩田氏は「仮に、それで右翼と言われるなら、右翼でいいよ。」と言っていますが、誰がどう見ても立派な「右翼」ですが、それとも「極右」と言って欲しいのでしょうか。
 岩田氏の上記ブログには、ノン・フィクション作家の神立尚紀氏から同氏に送られた寄稿文が貼り付けられていますが、その寄稿文はひどい内容です。

 箇条書きにしてみると次のようになります。
@陸軍の特攻と海軍の特攻は違う
A海軍の最初の特攻はやむにやまれず行ったもの、兵器が足りないから仕方ない
B他の作戦も同じような戦死率のものだってあるじゃないか
C戦果はあった  

@はどうでもいいです。
陸軍はアホだとかいう議論もありますが、陸軍も海軍も同罪です。そこに差はありません。
Aも弁解がましく、そのような状態で戦争を継続しようということ自体が間違いです。
Bも同様です。ガダルカナルでもインパールでも沖縄でも大変な戦死者を出していますが、それと比較する意味がわかりません。  
むしろ、どの戦闘(作戦)でも、兵士や住民に無駄な死を強要したというだけではありませんか。  このアジア・太平洋戦争自体が侵略と略奪だけを目的とした戦争であり、そこに大義などありません。
「岩田温氏「本当にあの戦争に「大義」はなかったのか?」 はい、ありません。」
 アジア・太平洋戦争を始め、明らかな劣勢になったてもまだ国体護持という目的だけで終戦まで遅らせて多大な犠牲を強いてきたのが当時の支配層です。

「日本帝国軍隊の末路とその犠牲」
 そういう意味では、沖縄で戦死した兵士も、米軍や日本兵に殺された沖縄住民もみな犬死にです。
特攻で戦死していった人たちと同じです。
 沖縄戦などでは住民も駆り出し、爆弾を抱かせて米軍戦車に飛び込ませるなど特攻のやり方と全く同じです。
 最初から死を強要する作戦なのですから、これが無駄死に、犬死にと言わずに何というのでしょうか。
 しかもさっさと日本軍部は降伏すればよかっただけです。その選択をせずに国民に死を強要したのです。  
Cは最低・最悪の発想です。
 死を強要しておいて「戦果」だなんていうのは、それこそ特攻で死んでいった人たちをまるでゲームのコマのようにしか見ていないということです。  
それを現代の視線で語るのが重要だなんて言っておきながらこのように言うのですから、最低だと思います。
 このような「戦果」に胸躍っているのでしょうが、これではあの戦争で死んでいった人たち(日本支配層に殺されていった人たち)は、全く浮かばれません。
 侮辱そのものです。
 特攻は犬死にです。
同じようにガダルカナルやインパール、沖縄で死んでいった人たち、東京大空襲で死んでいった人たち、原爆で命を落とした人たち、中国で戦死した人たち、みんな犬死にです。
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特攻70年 「特攻は日本の恥部、美化は怖い」 保阪正康さんインタビュー

特攻70年
「特攻は日本の恥部、
     美化は怖い」
保阪正康さんインタビュー
2014年10月24日 毎日新聞

 特攻とは何か。
特攻隊員たちの遺書が自身の執筆活動の原点というノンフィクション作家、保阪正康さん(74)に聞いた。
【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】
     ◇        ◇
 ある元海軍参謀にインタビューをした際、戦時中の個人日誌を読ませてもらったことがあります。
特攻隊についての記述があり、「今日もまた、『海軍のバカヤロー』と叫んで、散華する者あり」と記してありました。
部外秘の文字も押されて。この元参謀によると、特攻機は離陸した後はずっと、無線機のスイッチをオンにしているそうなんですよ。
だから、基地では特攻隊員の“最後の叫び”を聴くことができた。
「お母さーん」とか、女性の名前もあったそうです。
「大日本帝国万歳」というのはほとんどなかった。

ところが、そうした通信記録は残っていない。
故意に燃やしてしまったに違いありません。
“軍神”が「海軍のバカヤロー」と叫ぶ。
それは当局にとって、隠蔽(いんぺい)すべきことだったでしょうから。

 高校時代に「きけわだつみのこえ」を読みました。
それが特攻隊について、考えるようになった契機です。
その後、生き残りの隊員や遺族らに取材を重ねてきました。

学徒出陣した上原良司氏(陸軍大尉。1945年5月、沖縄で戦死)の妹さんは、兄と仲間たちの会話を手帳に残していました。
彼らは「向こうの奴(やつ)ら(=米軍)何と思うかな」
「ホラ今日も馬鹿(ばか)共が来た。
こんな所までわざわざ自殺しに来るとは間抜けな奴だと笑うだろうよ」と言い合っていたそうです。
取材後の彼女の何気ない言葉は重く、響いています。
指揮官たちは『後に続く』と言いながら、誰も飛び立たなかったそうです。
その言葉を信じた兄たちが事実が分かったら、どんな気持ちになるでしょう

 高級参謀をはじめ、日本の職業軍人とは何者だったのでしょうか。
英国は階級社会ですが、国を守るという点では王族・貴族もありません。
戦争で死ぬということについて、平等性がある。
戦争に貴賤(きせん)なしです。
日本でも高松宮さまなどは前線勤務を希望していたようです。
ある陸軍大学校出身の元参謀には「息子を入学させるなら、陸大だよ」と言われました。
彼の同期50人ほどのうち、戦死は4人だけだったそうです。
エリートは前線に行かず、戦争を美化するんです。

 兵士への危険負担を限りなく、低くすることが本来の指揮官の役割です。
国民的バックグラウンドの下で、西洋の民主主義国家にはそれがあった。
彼我の戦力を客観的に分析する。
物量主義も、兵士を死なせないためにあるんです。

日本にあったのは生煮えの軍事学です。
仏独に学んだ上っ面だけの西洋軍事学に“日本精神”である武士道を乗っけた。
「武士道と云(い)ふは死ぬこととみつけたり」(「葉隠」)の文言だけを取り出し、都合良く利用した。

 特攻は日本の恥部です。
命を慈しむ日本の文化や伝統に反することです。
命中率99%であったとしても、だめなんです。
志願を建前としていましたが、実際には強制でした。
本人が望んでいない死を要求し、死なせる。
こんなものは軍事ではない。
国家のため、大義のためという、自己陶酔でしかない。

戦争とは人の生死をやり取りする闘争です。
ロマンなどないんです。
特攻は米軍に畏怖(いふ)心を与え、日本本土上陸をためらわせた−−との説がありますが、とんでもない。
米軍は暗号名「コロネット」「オリンピック」などの上陸作戦を着々と準備していました。
一方の日本軍は「義勇兵役法」で国民の根こそぎ動員を決め、1億総特攻に駆り出そうとしていた。
国民一人一人が特攻要員だったんです。

 「特攻隊員は我々である」との視点が必要です。
あの時代に生きていれば、あの時代が繰り返されれば、自分も特攻隊員になるかもしれない。
特攻を考える時、必要なのは同情ではなく、連帯感です。
隊員の苦衷、苦悶(くもん)が分かれば、美化することなどできないはずです。

特攻で死んだ人に失礼ではないか」「彼らのおかげで今の日本がある」などと言ってくる人がいます。
どうして、そんな軽々なことを言えるのか。
特攻を命じた指揮官たちと変わりませんよ。

 クラウゼビッツ(プロイセンの軍事学者)は戦争を「他の手段をもってする政治の延長」と位置付けました。
本来は政治こそが、軍事の上になければならなかった。
日本が陥った軍部独裁は政治家たちだけの責任でもありません。
国民も軍をもてはやし、甘やかした。
勝つことこそが軍の目的ですから、負けると分かっても戦争をやめることなどできなかった。
行き着いた先が特攻です。

 特攻について、時に涙が止まらなくなるほどの感傷を持っています。
それとともにわき上がるのは軍への怒りです。
この二つがあってこそ、特攻に向き合えるのではないでしょうか
どちらかに傾いてもいけない。

特攻は時代を測るメルクマールだと思っています。
いたずらに美化することは非常に怖いことです。
集団的自衛権によって、自衛隊が海外派兵される可能性が高まっています。
良くも悪くも、軍隊というものには国民性が表れます。
今こそ、旧軍について、十分に検証すべきです。
それが無くては、特攻というシステムを採用するような組織が再び、生まれてしまうかもしれません。

ほさか・まさやす  
1939年、札幌市生まれ。
74歳。同志社大文学部卒。
出版社勤務を経て、著述活動に入る。
「昭和史を語り継ぐ会」主宰。
長年の昭和史研究で2004年に菊池寛賞を受賞した。
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