特攻による死の強要は
「無駄死に」そのもの
いやアジア・太平洋戦争で
死んだ
日本人はみな「無駄死に」だ
猪野 亨 2015年11月20日 10:27
特攻による死が無駄だったのかどうか、この結論は出ています。
無駄死に、犬死にであり、彼ら特攻隊員を無駄に命を落とさせられたのです。
「特攻は死を強要した単なる殺人 美化するなんてとんでもない」
ところが性懲りもなく、無駄死にとは何だと騒いでいる人がいます。
岩田温氏です。
「特攻隊は無駄死にだったのか?もう一度冷静に振り返りたい特攻隊の真実。」(ブロゴス) 岩田氏は、戦争法案に反対していた学生たちが特攻隊をバカだ恥だと言っていたと勘違いして、罵倒するコメントをフェイスブックに上げていました。
それがどうにも勘違いだったようで、学生たちは特攻の死を無駄死にと言っていたということなのですが、岩田氏はそれにも怒り心頭のようです。
しかし、どう考えても特攻で死んでいった若者は犬死にです。
無駄に殺されたのです。
岩田氏は「仮に、それで右翼と言われるなら、右翼でいいよ。」と言っていますが、誰がどう見ても立派な「右翼」ですが、それとも「極右」と言って欲しいのでしょうか。
岩田氏の上記ブログには、ノン・フィクション作家の神立尚紀氏から同氏に送られた寄稿文が貼り付けられていますが、その寄稿文はひどい内容です。
箇条書きにしてみると次のようになります。
@陸軍の特攻と海軍の特攻は違う
A海軍の最初の特攻はやむにやまれず行ったもの、兵器が足りないから仕方ない
B他の作戦も同じような戦死率のものだってあるじゃないか
C戦果はあった
@はどうでもいいです。
陸軍はアホだとかいう議論もありますが、陸軍も海軍も同罪です。そこに差はありません。
Aも弁解がましく、そのような状態で戦争を継続しようということ自体が間違いです。
Bも同様です。ガダルカナルでもインパールでも沖縄でも大変な戦死者を出していますが、それと比較する意味がわかりません。
むしろ、どの戦闘(作戦)でも、兵士や住民に無駄な死を強要したというだけではありませんか。 このアジア・太平洋戦争自体が侵略と略奪だけを目的とした戦争であり、そこに大義などありません。
「岩田温氏「本当にあの戦争に「大義」はなかったのか?」 はい、ありません。」
アジア・太平洋戦争を始め、明らかな劣勢になったてもまだ国体護持という目的だけで終戦まで遅らせて多大な犠牲を強いてきたのが当時の支配層です。
「日本帝国軍隊の末路とその犠牲」
そういう意味では、沖縄で戦死した兵士も、米軍や日本兵に殺された沖縄住民もみな犬死にです。
特攻で戦死していった人たちと同じです。
沖縄戦などでは住民も駆り出し、爆弾を抱かせて米軍戦車に飛び込ませるなど特攻のやり方と全く同じです。
最初から死を強要する作戦なのですから、これが無駄死に、犬死にと言わずに何というのでしょうか。
しかもさっさと日本軍部は降伏すればよかっただけです。その選択をせずに国民に死を強要したのです。
Cは最低・最悪の発想です。
死を強要しておいて「戦果」だなんていうのは、それこそ特攻で死んでいった人たちをまるでゲームのコマのようにしか見ていないということです。
それを現代の視線で語るのが重要だなんて言っておきながらこのように言うのですから、最低だと思います。
このような「戦果」に胸躍っているのでしょうが、これではあの戦争で死んでいった人たち(日本支配層に殺されていった人たち)は、全く浮かばれません。
侮辱そのものです。
特攻は犬死にです。
同じようにガダルカナルやインパール、沖縄で死んでいった人たち、東京大空襲で死んでいった人たち、原爆で命を落とした人たち、中国で戦死した人たち、みんな犬死にです。