2017年09月01日

ニセ電話詐欺、高齢者名簿 買い放題 購入者特定困難

ニセ電話詐欺、
高齢者名簿 買い放題
 購入者特定困難
2017年8月31日 東京新聞夕刊

 ニセ電話詐欺の犯行グループは、なぜ高齢者の自宅を狙い澄まして電話をかけられるのか−。

捜査関係者によると、個人の名前、住所、生年月日、電話番号などの情報を販売している「名簿業者」から入手したデータを悪用しているとみられる。
本紙記者が試しにデータを注文すると、利用目的を尋ねることなく販売する業者もいた。
不正利用防止を目的に個人情報保護法が五月に改正されたが、現実には防げる状況になっていない。 (伊藤隆平)

「各種の名簿をそろえています」。
ホームページでそう宣伝する東京都内の業者。
一人当たりのデータは二十円。
加えて基本料金が五千円かかる。
記者が電話をかけ、かつて被害があった石川県かほく市内を指定して「六十歳以上の男女」と発注した。
さらに、市内の一地域に限定すると、約四百五十人分のデータがメールで送られてきた。
業者から聞かれたのは、名前と携帯電話番号だけ。
身分証明書の提示を求められることはなかった。

 別の業者は利用目的を尋ねてきたが、記者が「営業に使う」と答えると、それ以上は質問されなかった。
利用目的の詳しい説明を求めた上、会社名も聞く業者もいた。

 捜査関係者によると、犯行グループは名簿を見ながら片っ端から電話をかける。
一回目の電話で“好感触”があると、名前の横に「◎」、疑われると「×」をつける。
◎の人には繰り返し電話をかけて信じ込ませていく。
 名簿業者を監督する国の個人情報保護委員会によると、利用目的の聞き取りは義務付けられていない。
法改正後は悪用に対処するため購入者を特定できる名前などの記録が義務となったが、「特定するための情報」は業者の判断に委ねられており、犯行グループ特定につながる実効性には疑問が残る。

◆「安易な情報提供 禁物」
 そもそも、個人情報の主の了承を得ずにデータを売買してもいいのだろうか−。
個人情報保護委員会によると、情報を販売していることやその方法を、ホームページに掲載するなど情報の主が容易に知りうる状態に置き、要請に応じて中止できれば合法だ。
 ただ実際はネット上で公にされても、自分の情報が販売されていることを知る人は少ないと思われる。
記者が名簿を購入した業者に「おたくから買ったことを本人に伝えていいですか?」と質問すると「私たちから購入したことは言わないで」と口止めされた。
 情報主の了承を得ず販売していることを委員会に届け出ている名簿業者は、全国に約七十。

データは、住民基本台帳が原則公開されて誰でも閲覧を請求できた二〇〇五年以前や、企業関係者などから買い取った商品の顧客リストなどが基。
現状を反映していない古いデータも混じっている。
 慶応大の新保史生教授(情報法)によると、買い物や街頭アンケートで申込用紙に記入するなどした個人情報が、不正に名簿業者に売り渡されることもあるという
 新保教授は「安易に情報を渡さないよう注意した方がいい」と呼び掛ける。
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2017年09月02日

「防災の日」に考える 意識変え豪雨に備える

「防災の日」に考える 
意識変え豪雨に備える
2017年9月1日 東京新聞「社説」

 地球温暖化の影響か。
雨の降り方が近年、変わってきたといわれる。
今夏も局地的豪雨が相次いだ。
降り方が変われば、意識も備えも変えねばならぬ。

 住宅地が広がる名古屋市名東区付近に七月二十九日夕、局地的な大雨が降った。
 午後六時半までの一時間に約一〇〇ミリという猛烈な雨がレーダーで観測され、名古屋地方気象台は「記録的短時間大雨情報」を出した。
その地域では数年に一度程度しか起こらない激しい降り方、ということである。

◆水は突然押し寄せる
 不思議なことに、同じ名東区でも南部の住民は、さしたる降雨はなかったと言う。
ところが、区内を流れてくる中小河川、植田川の水位はわずか十分ほどの間に急上昇し、氾濫寸前となった。
 ほとんど降雨がなかった場所にも、不意打ちのように水が押し寄せてくる。
これも局地的な豪雨の恐ろしさである。

コンクリートで覆われた都市部では、大雨の水は地中に染み込むことなく、市街地の中小河川に一気に流れ込む。
 二〇〇八年七月に神戸市を襲った局地的豪雨も思い出したい。
同市灘区の都賀川の水位は、やはり十分ほどの間に一・三メートルほど上昇し、河川敷にいた十六人が流されて小学生ら五人が死亡した。

 大雨による災害は一時間降水量が五〇ミリを超えると起こりやすくなるといわれ、気象庁は一時間五〇ミリ以上八〇ミリ未満を「非常に激しい雨」、八〇ミリ以上を「猛烈な雨」と表現している。

 その「非常に激しい雨」「猛烈な雨」は、明らかに増える傾向にある。
 気象庁の統計によると、「非常に激しい雨」「猛烈な雨」が降った頻度は、アメダス(地域気象観測システム)千地点当たり、一九七六〜八五年の十年間は年平均一七三・八回だった。
ところが、〇七〜一六年の十年間は年平均二三二・一回。
つまり、この三十年ほどの間に30%以上も増えたことになる。

 温暖化と大雨の関係は完全には解明されてはいないが、少なくとも温暖化で気温が上がれば海水温も上昇し、空気に含まれる水蒸気の量が増える。
こうして大雨になりやすくなると考えられる。
 七十七人が犠牲になった一四年八月の広島土砂災害も、今年の九州北部豪雨も、同じ場所で次々と積乱雲が発生する「線状降水帯」が局地的な豪雨をもたらした。

◆ハードだけでは守れぬ
 線状降水帯発生の予測は今の技術では難しく、今夏の九州北部豪雨でも、残念ながら気象庁などの情報が後手に回り、自治体が避難勧告を出した時には既に山間部で建物が流されていた。  

豪雨への備えで何よりも重要なのは情報である
より迅速に防災情報を出せるよう、なおいっそうの研究を気象庁に求めたい。
 大雨を巡っては、国土交通省が一五年、「水防災意識社会再構築ビジョン」を策定してもいる。
 従来の大雨対策は、いわばハードありき。
つまり、百年に一度、二百年に一度という大雨を想定した基準を設け、堤防や遊水地を整備していくものだった。
 この再構築ビジョンは「施設では防ぎきれない大洪水は発生する」とうたい、住民が自らリスクを察知して主体的に避難できるようにするソフト重視も掲げた。
 いわば、ハードの限界を認めて発想を転換した格好である。

 同年九月の関東・東北水害を教訓とした。
茨城県常総市では二十キロも上流であふれた水が半日以上たってから押し寄せ、何千人もの住民が孤立した。
 遠くであふれ出た水がどこに向かうのか。
洪水ハザードマップを見ていたとしても、想像することは難しいのが実情だろう。
 危険が迫ってから避難するのでは遅いということである。
 突然の地震とは違い、天気予報で予告される台風などの大雨は、対応するのに時間的な余裕があると思いがちだ。
ところが、近年相次ぐ局地的な豪雨は、そこが落とし穴になることを示している。

◆一歩先を想像する力  
途方もない被害を出した五九年の伊勢湾台風の時代に比べれば、国土は頑丈な堤防に守られ、何千人もの犠牲者を出すような水害はなくなった。
その安心感、あるいは先入観が避難への反射神経を鈍らせてはいないか。
 気象庁ホームページの「高解像度降水ナウキャスト」、あるいは今年七月から運用が始まった「洪水警報の危険度分布」など、一歩先の危険を知らせる仕組みは日進月歩で整備されている。宝の持ち腐れにさせてはなるまい。

 豪雨災害は、どこでも起こることを、まず再確認したい。
身を守るのは、次の展開を想像する力である。
雨の降り方が変わってきたなら、雨への意識も改めたい。
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2017年09月03日

O157:埼玉ポテサラと関西など同一遺伝子 広域で検出

O157:
埼玉ポテサラと関西など
同一遺伝子 広域で検出
毎日新聞 2017年9月2日

 群馬、埼玉両県の総菜店で購入したポテトサラダを食べた複数の客が病原性大腸菌O157に感染した問題で、国立感染症研究所で患者から検出された菌の遺伝子を調べた結果、一致したことが厚生労働省への取材で分かった。

 同一の遺伝子型の菌が関西でも検出されたことが判明し、同省は1日、感染源や感染の広がりを把握するため、患者から発症1週間以内に食べた食事や旅行の有無などを聞き取り調査するよう自治体に通知を出した。

 O157による患者の報告数は8月14〜20日の1週間で144件と、過去5年で最も流行した年を超える水準。
感染研で遺伝子を調査したところ、144件の大半の患者で菌の遺伝子型が一致。
関東で流行しているほか、滋賀や三重、新潟県の患者からも同一の遺伝子の菌が検出された。  

厚労省は共通の汚染源の食物などが広域に流通し、患者からさらに感染が広がっている可能性があると判断。
自治体に対し群馬、埼玉県の患者から検出されたO157と同タイプの菌を確認した場合、感染研で遺伝子型を調べると共に、プールの利用や動物との接触など患者から詳細な行動を確認するよう求めた。

 また感染源が特定されない中で、給食が始まることから、自治体に対し給食を調理する事業者に感染予防の指導を徹底することも求めた。
      【桐野耕一】

ことば「O157」
 元々は牛などの腸にいる大腸菌の一種。
食肉処理などの際に、肉の表面に付着することがある。
毒性が強く、重症化して死に至ることもある。
食中毒の発生は、菌が増殖しやすい初夏から初秋にかけてが多い。
菌が人の手足などを介して2次感染するおそれがある。
対策としては加熱(75度で1分以上)と、食材についた菌を洗い流すことなどが挙げられる。  
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2017年09月04日

年金75歳時代の恐怖、家族や友人が骨さえ拾ってくれない!

年金75歳時代の恐怖、
家族や友人が
骨さえ拾ってくれない!
9/3(日) 16:00配信 NEWSポストセブン

 男性の平均寿命80歳で、政府が検討を開始した年金受給開始を75歳に引き上げる案が実現してしまうと、死ぬ数年前まで安定的な収入はないことになる。
そうなれば「終活」事情も大きく変わってきそうだ。

 すでに、葬儀にかける費用が捻出できないことから格安葬儀が広がっているとするのは、NPO法人「葬儀費用研究会」の冨永達也事務局長だ。
「葬儀の相談で、いちばん多いのが、子供に迷惑をかけたくないというもの。
葬儀費用ぐらいは自分たちで貯めておきたいと多くの人が考えている。
だからわずかな年金からでも捻出できるように、家族葬で、それもできるだけ安くしたいというお話を聞きます。
ただ、家族葬といっても、世間並みのことをやろうとすれば50万〜70万円は必要になってくる」

 年金の空白期間が生まれるだけでなく、医療も介護も大きな負担増を強いられると考えられる75歳受給開始時代がやってくれば、さらなる「簡素化」の流れが進むことは間違いない。
「現在のところでは、僧侶も呼ばない無宗教のかたちで葬儀業者に依頼して、15万〜20万円。これが最低ラインでしょう。

遺体を運ぶ運搬費、遺体保管料、棺の費用はどうしてもかかってくる」(同前)
 こうした価格帯の葬儀の場合、通夜や告別式はなく、火葬許可が出るのを待つ間は遺体を安置所に預け、そのまま火葬場で近親者のみでお別れとなる。
安置所では、一般的な枕飾りすらない。

 では、75歳年金受給時代となり、本人に全く蓄えがなく、子供も費用捻出を拒否するようなケースでは、どういったことが起きるのか。
冨永氏はこういう。
「火葬場での骨上げをしなくなるのではないでしょうか。
関係が途絶えた親戚が孤独死した場合などは、警察が親戚を探し出したとしても、遺体の引き取りを拒否されるケースがあります。
そういう場合は、最終的には行政が火葬します。
葬儀費用が捻出できなくなると、残された人から“弔うことを拒否される”というところまで行き着くのではないでしょうか」
 骨も拾ってもらえない時代がやってくる。

※週刊ポスト2017年9月8日号
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2017年09月05日

北朝鮮ミサイル発射 「完全に把握」ならなぜ広範囲に警報?

松尾貴史のちょっと違和感
北朝鮮ミサイル発射 
「完全に把握」なら
なぜ広範囲に警報?
2017年9月3日 毎日新聞

 Jアラートとは何だろう。
イタリアの氷菓のような響きだ。
あるいは、「三代目Jアラート・ブラザーズ」か。
知人の作家は「ジャニーズのグループ名みたいだ」と言っていたけれど、このポップな感じに危機感や差し迫った脅威が連想されない。
正式には全国瞬時警報システムというらしい。
テレビニュースの街頭インタビューで「アラート」を「アラーム」と間違えている人もいたが、この通称はどうだろう。
日本語の方がいいのではないか。

 内閣官房が察知した攻撃情報などを、地方自治体に伝達して警報を鳴らさせるということだが、今回北朝鮮が発射したミサイルについて出した警報で、東日本、北日本が大騒ぎになったようだ。
政府は「正確に把握していた」と言っているが、その割には結構な広範囲の自治体(12道県)に発令したようだ。
迎撃システムが働くと聞いているが、この精度で本当に可能なのだろうか。
 この警報が作動した数分後には、すでにミサイルは日本のはるか「上空」を通過してしまっていたわけだが、これで「頭を手でかばって」「地下に逃げ込め」と言われてもどうしようもない。
地域によっては作動しなかったり、「訓練です」というメッセージが送られたり、いろいろな意味で混乱していたようだ。

 小野寺五典防衛大臣は、「自衛隊の各種のレーダーで発射を確認したが、我が国に向けて飛来する可能性はないと判断した」と言っているのに、
安倍晋三総理は「日本に発射しました」と緊急事態のように不安と恐怖を煽(あお)るコメントをしている。  
「日本の上空」を通過したと言っているが、この表現も印象操作があるような気がする。
地上から550キロの大気圏外であり、400キロのところに浮かんでいる人工衛星よりもさらにずっと上を通過したわけだが、「上空」と言われると、まるで地上から見えるぐらいのところをかすめて行ったような感じを受ける。

 いつもは私邸に帰る総理が、この前日の夜は珍しく公邸に泊まっていたそうだが、これは偶然だったのだろうか。
虫が知らせたのだろうか。
そして不思議なのは、東京圏はこの警報の対象にされなかったことだ。
あらかじめ全国をいくつかのエリアに分けているというが、北海道から、東京のすぐ近くの栃木や群馬、そして東京より西の長野にも発令しておきながら、なぜ東京圏は省いたのだろうか。
経済を混乱させるほどの危機ではなかったということだろうか。
深刻な危機ならば東京にも発令すべきだと思うが、「本気」ではなかったということなのか。

「すべて把握していたから迎撃態勢はとらなかった」と言っている。
それなのに警報を発令して、新幹線などの交通機関を止めて混乱だけはさせたということか。
もちろん自己責任だろうけれど、このアラートに気を取られて交通事故も起きていたようだ。
しかし、原子力発電所が何か対応したということは聞かない。

 安倍氏は「政府としてはミサイルの動きを完全に把握していた」と言うが、ならばなぜ恐怖を煽るようなことをしたのか。
北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込む気などないということも「完全に把握」しているのではないか。
この勢いで「我が国にミサイルを発射した」と総理大臣が発言してしまうことが、逆にリスクを高めることになってしまうのではないかと恐怖する。

国民を守る気持ちがあるのなら、本気の外交でそういう危機のリスクを下げるべきではないかと思うのだが、そうはしてくれない様子だ。

 私のようなひねくれ者は、この問題を利用して国民の目を加計学園問題からそらす意図があるのではないかと勘ぐる。
 遠い遠い北朝鮮の「かまってかまってミサイル」に反応するより、実際に見えるぐらいの日本の国土の上を飛び回る、米軍のオスプレイが近づいた地域にアラートを鳴らしてもらった方が、よほど役に立つのではないか、とすら思ってしまう。
(放送タレント、イラストも)  
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2017年09月06日

無理して学校行かないで NPO呼び掛け「大人は居場所を」

無理して学校行かないで 
NPO呼び掛け
「大人は居場所を」
2017年9月5日 東京新聞朝刊

 夏休み明けに子どもの自殺が増える9月1日前後に、首都圏で中高生の死亡が相次いだ。
警察によると、いずれも自殺の可能性が高い。

いじめや不登校などの問題に取り組む関係者らは悩む子どもたちへ向け、
「無理して学校に行かなくてもいいんだよ」
「ささいなことでも相談して」と呼び掛けている。

 「子どもたちには『学校か死か』ではなく、『学校に行かない』という選択肢が許されることを伝えたい
 NPO法人「全国不登校新聞社」の石井志昂(しこう)編集長(35)は四日、取材にこう語った。
自身も中学二年で不登校になったが、「許されないと思ってため込んでいた『学校に行きたくない』という気持ちを親に打ち明け、受け止めてもらったことで命を拾った」。
周囲の大人たちには
原因探しの前に、安全第一。
まずは子どもがいたい場所にいられるようにすることが大事」とアドバイスする。

 いじめ防止に取り組むNPO法人「ジェントルハートプロジェクト」の理事、小森美登里さん(60)は十九年前、学校でのいじめが原因で高校生の娘=当時(15)=を自殺で亡くした。

「原因がいじめだったとしたら、その現場は学校がほとんど。
夏休みに学校から離れてほっとしている心が、新学期が近づくにつれて不安が増して押しつぶされてしまうことがある」と話す。
 学校側には「いじめを把握していて状況が改善していないならば、教員から『無理して来なくていい。
心配しなくていい』と子どもたちに伝えてあげてほしい」と呼び掛ける。

 不登校新聞社などNPO法人五団体は八月下旬、登校がつらい子どもたちに向けた緊急メッセージ「学校へ行きたくないあなたへ、味方はココにいます」をインターネットで公表。
同新聞社などのウェブサイトに掲載されている。
 メッセージは、学校のことを考えるのがつらいのに「自分の味方なんていない」と感じている子どもたちへ「支えてくれる味方はココにいます」と呼び掛け、具体的な相談先として、無料で十八歳以下の電話相談に応じるチャイルドラインなどを紹介している。

 警視庁は相談電話ヤング・テレホン・コーナーで専門職員らが相談に応じる。
少年育成課は「名前を明かさなくても大丈夫。どんなささいなことでもいいので、相談を」と話している。

◆夏休み明け 中高生自殺相次ぐ
 四日朝、東京都内と千葉県で、中高生三人が相次いで死亡した。
墨田区では中学三年の女子生徒(14)がマンション十四階の自宅ベランダから転落。
向島署によると、家族に「夏休みの宿題ができていない」と話し、自室に遺書のようなメモがあった。
夏休み前には「勉強についていけない」と登校できなくなったこともあったという。

 江戸川区の公園の公衆トイレでは、区内の高校三年の男子生徒(17)が首をつっているのが見つかった。
葛西署によると、進路に悩み、一日朝から行方が分からなくなっていた。

 千葉県船橋市では京成電鉄東中山駅で、県内の高校一年の男子生徒(16)が通勤特急にはねられた。
船橋署によると、男子生徒は私服姿で駅のホームの端に立ち、運転士は「電車が通過する時に線路内に倒れてきた」と説明している。

 八月三十日から今月一日にかけても、都内と埼玉県で中高生四人が建物から飛び降りるなどした。
 東京都八王子市では一日午前、中学二年の女子生徒(13)が学校敷地内で倒れているのが見つかり、腰の骨を折る重傷。
南大沢署によると、高さ十三メートルの四階音楽室の窓から飛び降りたとみられる。
学校は二十九日に始業式があり、一日は通常授業だった。
友人関係に悩み、直前まで他の女子生徒が相談に乗っていたという。

 都内ではこの他、三十日朝に台東区で中学二年の男子生徒(13)が、三十一日夜には渋谷区で高校一年の男子生徒(16)が死亡。
いずれも自殺とみられる。

 埼玉県所沢市では三十一日午前二時ごろ、高校一年の男子生徒(16)が県営団地の前で倒れて亡くなっているのが見つかった。
所沢署は飛び降り自殺を図ったとみている。
高校は一日が二学期の始業式だった。

◆24時間子供SOSダイヤル 
  (0120)078310
◆子どもの人権110番 
  (0120)007110  
(月〜金曜、午前8時30分〜午後5時15分)
◆チャイルドライン 
  (0120)997777  
(月〜土曜、午後4時〜9時、18歳以下専用)
◆ヤング・テレホン・コーナー 
  03(3580)4970  
(年中無休、24時間)  
  ※ヤング・テレホンのみ有料
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「専門バカ」になると真実が見えなくなる 井沢元彦と予測する「日本の未来」

「専門バカ」になると
   真実が見えなくなる
井沢元彦と予測する
  「日本の未来」
2017.9.6 東洋経済オンライン(中原圭介)

 混迷を深める世界。日本はどうなるのか?
 まったく解がないように見えるが、実は、その答えは「歴史」の中にある。
『逆説の日本史』の人気作家・井沢元彦氏と、経済アナリストの中原圭介氏が、物事の本質や真実を問う「哲学的なアプローチ」から、2回に分けて「日本の進むべき道」を探る。

「生類憐れみの令」は
「バカ将軍」が出した
             アホな法律か?

 中原:
私は経済を見るとき、経済学の知識はあまり重要視していません。
その代わりに3つの視点を大事にしています。  
1つ目は、物事の本質とは何かという視点。
これは「大局を読む」ということでもありますが、その際に最も必要な学問は「哲学と歴史」だと思います。
哲学は古代からある学問ですが、もともとは「真理とは何か」という問い掛けから出発しています。
つまりは本質を問うているわけです。
経済でも、本質を見ることが極めて重要なんです。
 私がこういう着想を得たのは、若いころに読んだ井沢さんの著書がきっかけです。
井沢さんが語っておられる歴史は、いわゆる歴史学者の知見とは一線を画しているように思います。
言語学や天文学なども駆使しながら、その時代に何が起きたのか、当時の人々が何を考えていたのか、まさに本質を炙り出そうとされている。
その姿勢に刺激をもらいつつ、強く共感しています。

 井沢:
ありがとうございます。
でも、そんなに高尚な話でもないんです。
僕はちょっとひねくれ者なだけですよ。  
「裸の王様」という童話がありますね。
王様は明らかに裸なのに、いろいろな常識やそれまでの学問などが邪魔をして、そのことが見えなくなることがある。
それが学者や専門家の陥りやすい落とし穴だと思います。
 たとえば江戸時代、5代将軍である徳川綱吉の「生類憐みの令」というと、多くの人はアホな法律と思っているかもしれません。
歴史学者の中にも、そう思っている人はいます。
実は当時の人も、まったく評価していませんでした。
綱吉を「バカ将軍」と見なしていたんです。

 井沢:
でも、それは違うんです。
綱吉が将軍に就く前までは、まだ戦国の余韻が残っていてたいへん殺伐とした世の中でした。
ところが「生類憐みの令」によって、「人間どころか、動物を殺すなんてとんでもない」という風潮が生まれた。
実はこの法律は、人命尊重という意識を日本に定着させた画期的なものだったのです。
 人間の意識を変えるためには「劇薬」が必要です。
その劇薬をもって当時の意識の大変革をやってのけた綱吉は、「バカ将軍」ではなく「名君」。

しかし画期的なことがなかなか理解されないのは、学問も政策も同じですね。

経済学者は歴史的事象を
表層的に比較している 

 中原:
そういう見方を提示してくれるのが井沢流歴史観の醍醐味ですね。
私が経済を見るうえで大事にしている2つ目の視点は、まさに歴史学なんです。
 私は大学で歴史学を学びましたが、そもそも「歴史」と「歴史学」は分けて考える必要があります。
「歴史」とは、たとえば政治史や軍事史上の大きな事象を表層的な知識としてとらえること。
それに対して「歴史学」とは、その知識をもとに比較したり内容を分析したりしながら、その事象の真実を見極めること、そしてその結果を将来に生かすことです。
同じ失敗を繰り返さないために、どうすればいいのかを考える学問なのです。
 この観点から経済学者の方々を見ると、不思議に思うことがよくあります。
歴史的事象を表層的に比較しているだけの場合が多いからです。
これでは現実を見誤ります。
その事象の背景には、当時の文化、人々の価値観、生活スタイルなどさまざまな要素が絡んでいる。
それを考慮しないと、本当のことはわかりません。

 井沢:
僕は、経済学は全然ダメですが、歴史学に対する考え方にはまったく賛成です。
歴史の背景には必ず哲学があり、その時々の人間の営みがある。
そもそも哲学が人間を動かし、歴史を動かし、経済を動かしているわけです。
このあたりのことを、歴史学者はいちばんわかっていませんね。

 中原:
経済学者もそうです。
たとえば2014年に消費税率が引き上げられたとき、「1997年の増税が失敗だったから、今回も失敗する」と反対する経済学者がけっこういました。
しかしこれは、正確な比較ではない。
1997年と2014年とでは、経済状況がまったく違いますから。

 中原:
1997年の消費増税は、失敗していなかったんです。
個人消費は落ちず、実はプラスでした。
あるいは実質賃金などの経済指標も、堅調に推移していた。
増税に耐えうる環境だったわけです。
確かに1998年から不況に突入しましたが、それは1997年11月の北海道拓殖銀行の破綻から始まった金融システム危機が原因だったのです。
 しかし2014年は、前年からの円安で実質賃金が大きく下がっていました。
この違いを指摘しないのは明らかに間違いです。
だから、将来の経済政策に対する見方も間違うわけです。

「当事者になり切る」ことができるか

 井沢:
確かに結果だけを見て状況を知らずにいると、判断を誤ります。
たとえば、1600年の関ヶ原の戦いがわずか1日で終わったことは、ちょっと歴史に興味のある人なら誰でも知っていますね。
しかし昨年の大河ドラマ『真田丸』では、真田信幸や真田信繁の父である真田昌幸が「えっ、もう終わっちゃったの?」と驚いていました。
実は戦いに参加しなかった黒田官兵衛も同じように驚いた。
1〜2年は続くだろうと思って準備していたんです。
 では真田昌幸や、九州で戦況を分析していた黒田官兵衛はアホだったのかというと、それは絶対に違う。
地理的な状況などを整理すると、合戦が1日で終わると考えるほうがおかしいんです。
にもかかわらず西軍があっさり負けたのは、むしろ石田三成が負けることをまったく考えていなかったから。
やはり三成は官僚であって、軍隊を動かせる軍人ではなかったということです。
 三成をはじめ、当時の人になり切って考えてみれば、わずか1日で終わるという結果がいかに常識外れで意外で無念だったかがわかるのです。

 中原:
当事者になり切るということは重要ですね。
その視点はどうやって養ってこられたのですか。

 井沢:
僕の趣味は演劇なんです。
見るのも好きですが、高校生の頃から芝居を始めて、今でも文士劇(作家・記者を中心として行うアマチュア演劇)をやっています。
では「演じる基本とは何か」というと、当たり前だけど、その人物になり切ること。
歴史を見るうえでも、これがけっこう役に立つんです。

 中原:
経済学者も、もっと市井の人になり切って経済を見る必要がありますね。
 だいたい経済学というのは、原因と結果を簡単に転倒できるんです。
物理や自然科学の世界では絶対にありえないことが、経済学ではありうる。
むしろ積極的に転倒させて理屈をこねるのが経済学。
おかしな学問になっているわけです。
 「自然科学でありえないことが、経済学では起こる」。
実はこれが、私が経済を見るうえで大事にしている3つ目の視点です。
経済学の根本的な誤りに気をつけ、むしろ自然科学の法則に照らしてみるということです。

 井沢:
それもすごく重要なことです。
僕は大学を卒業してTBSに就職し、ドラマの制作でもやろうかなと思っていたら報道に配属された。
まったく予期しない仕事をやらされたわけですが、今から振り返ると非常によかったと思います。
 報道の基本は、うわさを信じないことです。
たとえ専門家の言っていることでも、鵜呑みにしてはいけない。
必ず自分の目で確かめ、真実かどうか裏を取る必要がある。
それをみっちり教えられたのです。
たとえば、世間が「この人はものすごく悪い奴だ」と評している場合でも、実際に調べてみると、そうではないことがよくあります。

歴史を検証すれば
「デフレ原因でなく結果」だとわかる

 中原:
その典型が「デフレ」のとらえ方ですね。
本来、デフレやインフレというのは「原因」ではなく、あくまでも「結果」なんです。
好況の結果、インフレになる場合もあるし、デフレになる場合もある。
不況の結果、デフレになるときもインフレになるときもある。
歴史をさかのぼってきちんと検証すれば、これは明らかです。
私がそういう説明をすると、自然科学の分野にいる人ならすぐに理解してくれます。
しかし経済学をガチガチに勉強してきた人ほど、それはおかしな話だと言い出すんです(笑)。  それが今、日本の経済政策にもおかしな影響を及ぼしています。
「デフレ克服」が合言葉のようになっていますが、だから実質賃金が大幅に下がり、誰もおカネを使わなくなっている。
こんな間違った常識が経済学の主流になっているからダメなんです。
ある意味、遅れた学界ですよね。

(後編に続く。
後編は9月11日に配信の予定です)
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2017年09月07日

お金がないときの過ごし方はこんなにある!5つの選択

お金がないときの
過ごし方はこんなにある!
5つの選択
2017年9月6日 All About

お金がないと何もできないのか?
今の世の中は、遊びでも出会いも学びも、なんでもお金があれば、いろいろな体験ができるようになりました。
それはそれで良いことですが、だからといって、お金がないと何もできないという思い込みは、ちょっとどうかと思います。
月末になると、「お金がないので、することがなくて退屈」というボヤキを聞くことがあるのです。
お金がないときは、お金と縁のない空間で過ごすことができれば、快適で居られるのですよ。
自分なら、金欠対策に次の五択から選びます。

図書館に行く

勉強したい、本を読みたい、じっくりデスクワークをしたいという人なら、図書館がオススメです。
たくさんの本と勉学に励む人たちに囲まれて、お金のことなど忘れて、学びのモチベーションがアップすることでしょう。
地域の差はありますが、図書館には、集中できる読書コーナー、くつろげるソファースペース、リラックスできる休憩ゾーンなどがありますから、終日居てもあきることはありません。
本だけではなくて、雑誌や新聞を乱読できるのも、図書館の楽しみ方の一つ。
同じ本を読むのでも、魅力的な新刊本が並んでいる書店などには、決して行ってはなりません(お金を使いたくなりますから)。

自然の中を散策、運動

自宅の周りを散策すれば、小さな林や丘、小川や公園など、新たな発見をできるかもしれません。
身近な自然に触れて、リラックスできれば、心身のリフレッシュにもなります。
少しふんばって、ジョッギングなどをすると、行動範囲がぐっと広がります。
私の地元には、100基を超える由来碑が路傍に設置されています。
街歩きをしながら、一昔前までの生活の表舞台で重要な役割をはたしていた歴史的に由緒深い文化的遺産を知ることができます。
同じ自然を満喫するのでも、観光地や遊園地などには、決して行ってはなりません。

神社仏閣めぐり
ただ街を散策するのではつまらないという人は、神社仏閣にしぼって、歩き回ってはいかがでしょう。
神仏の前で、日頃の思いを整理して、祈るという行為は、人生で必要です。
ご先祖のお墓をお参りするのもいいですね。
あなたを守ってくれている何かに感謝して、明日からの健闘を誓うことで、金運もあがることでしょう。
近所のお寺や神社が、無名だから、小さいからといって無関心でいませんでしたか?
名所だからお参りするというのではなく、どこででも一生懸命に祈る、その気持ちが、開運の鍵なのです。ただし、お賽銭だけはお忘れなく。

近所の親戚、
      友人宅を訪ねる

作家・本田健さんの名言の中に「一週間泊めてくれる友人を50人以上作れば、一生食べていける」、というのがあります。
一週間なんかでなくて一日でもいいのです。
泊めてくれなくてもいいのです。
友人だけでなく、親戚でも知人でもかまいません。
だれかの家にフラっと立ち寄ってみませんか。
お金がないから飯食わしてくれみたいな、本音で付き合える人だったら、最高です。
お金のかからない時間つぶしというセコい意味を超えて、奇妙な偶然に出会うのも、こういうときです。

部屋の中でお片づけ

どこにも出かけたくない、だれにも会いたくないというあなた。
家の中で、お片づけをしてください。
「断捨離」という言葉にもあるように、物を捨てて執着から解放されることは、人生を変える第一歩です。
家の中の不要なものを捨て、必要なものだけを整理整頓しておくことを、一日かけてやってみませんか。
もしかしたら、何日もかかるかもしれません。
お金はかかりませんが、空間を生み出し、運気を呼び込むことにつながるでしょう。
同じ部屋を整理するのでも、家具や収納棚を見つけようと、ホームセンターなどには、決して行ってはなりません。

いかがでしたか?金欠状態を忘れて、充実した時間を過ごしてください。
(文:北川 邦弘)
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「長寿大国ニッポン」何が"めでたい"のか

「長寿大国ニッポン」
   何が"めでたい"のか
2017.9.6 プレジデントオンライン (元木 昌彦)

昨年9月の厚生労働省の発表によると、100歳以上の高齢者は全国に6万5692人。
これは46年連続の増加で、人口10万人当たりの人数は世界一という。
元「週刊現代」編集長の元木昌彦氏も、今年72歳となり、男性の健康寿命71.19歳を超えた。
元木氏は「100歳」を目指す風潮に、敢然とぼやく。

誰のための
「人生100年時代」なのか
若者には未来なんてない、時間があるだけだ
これは立川談志十八番「やかん」の中のご隠居さんの名文句である。
ハンバーガーみてェな文明の残飯喰ってて、長生きするはずがない。
それが証拠に、若いやつで長生きしている奴ぁ一人もいない

日本には100歳以上の年寄りが約7万人いるそうだ。
人口10万人当たりではイタリア、アメリカ、中国、インドを抜いて第1位である。
1963年には153人だったのが、1998年に1万人、2012年には5万人を超えた。
まさに長寿大国である。
といってもそのうち9割弱が女性ではあるが。
毎年4〜5000人ずつ増えているというから、あと100年もすると100歳まで生きることが稀ではなくなるかもしれない。

どこの国でも長寿を寿ぐという習慣があり、日本でも喜寿、米寿、白寿と名付けて祝ってきた。ちなみに100歳以上は仙寿110歳は珍寿120歳は大還暦という。
そのうち還暦を2回祝う年寄りも珍しいことではなくなるかもしれない。

長生き男たちが望む
       「死ぬまでSEX」
そうした時代を先取りしてか、書店に行くと
『人生100年時代の新しい働き方』
『人生100年時代のお金の不安がなくなる話』
『100歳まで元気でぽっくり逝ける眠り方』
『100歳まで元気な人は何を食べているか?』
『100歳まで元気でいるための歩き方&杖の使い方』などの本が並んでいる。

眠り方なんかいるか、死んでしまえばずっと寝ていられるんじゃ。
杖のつき方で長生きできるのかと悪態をつきたくなるが、そんなに長生きしたいのかね。
アンチエイジング、植毛、ライザップとかで腹をへこますだけに何十万も使うという。

昔は地獄の沙汰もカネ次第といったが、今は長生きするのもカネがなくてはできないのである

そうやって長生きした男たちが果てしなく増殖して、死ぬまでSEXと、ED薬を飲みながら女を漁る浅ましい世界がやってくるのだろうか。
ゾンビの世界だね。
今年7月に日野原重明聖路加国際病院名誉院長が105歳で亡くなった。
彼が90代の終わり頃にインタビューしたことがある。
1時間程度で取材が終わると、椅子に深々と腰掛けていた日野原院長が、手も衝かずにヒョイと立ってスタスタと部屋から出て行った。

「長寿=悪」のような風潮が目立つ
その後ろ姿を見て、彼のように元気で仕事をバリバリこなして生きているなら、長生きもいいかもしれないと思ったものだったが、多くの人はそうではない。
テレビに出てくる元気印の年寄りたちも例外中の例外であろう。
植物人間のようになって、延命装置の管をつけられて100歳を迎えるのでは、長寿とはいえまい。
それに最近、長寿=悪のような風潮が目立つ気がする。
家庭では老老介護の悲劇が繰り返され、認知症になった親と、それを介護する子供とのトラブルがメディアを通じて喧伝される。

まるで年寄りは厄災であるかのような空気が蔓延し、それをいいことに、国は年寄りいじめとでもいうべき制度改悪を推し進めている。
『週刊ポスト』(9/8号)は、年金の受け取り年齢を今の65歳から75歳にする策謀が安倍首相の下、「未来投資会議」で進められていると報じている。
そうなると「夫婦で年金月額約22万円の標準モデル世帯の場合、10年分の年金収入約2640万円が減らされる。
そうすると定年時点での貯蓄が2500万円ではとても足りず、退職金を合わせて5000万円の貯蓄があっても、85歳前に食いつぶしてしまいます」(ファイナンシャルプランナーの藤川太)

「年金人生」の時間はほとんどない
その前段として、先に日本老年学会と日本老年医学会が「65歳以上」とされる高齢者の定義を「75歳以上」に引き上げるべきだとする提言を発表した。
要は、寝たきりでない年寄りなら、老骨に鞭打ち働いて税金を払う側になれということだ。
シルバーパスは返上せよ、医療費負担も現役世代と同じにする。
その代わり75歳になったら手厚い年金で老後をゆっくり暮らしてくれというのだが、そんなことは信じないことだ。
あと10年もしないうちに100歳以上の年寄りが増えて社会保障費が膨らみ過ぎたので、年金受け取り年齢を85歳にするといってくるに決まっている。
政府や役人の頭の中はその程度なのだ。

それに健康寿命は男が約70歳女性でも約74歳だから、年金をもらっても健康で楽しい第二の人生を送れる時間はほとんど残されていない。
もっと深刻なのは「死に場所難民」になることだ。
これまでは多くの人が病院で死んでいた。
だが厚労省の方針で、病院のベッド数を大幅に減らしたため、在宅介護や終末期医療も自宅で行わなくてはいけなくなる。

「100歳まで生きるために
         してはいけないこと」
そのため老老介護はもちろんのこと、孤独死も日常茶飯のことになる。
これでも長生きは幸せだといえるのだろうか。
老後不安大国ニッポンである。

私も古希を超え健康寿命も超えた。
この年になって一番困るのが「短気」になったことである。
それも自分に腹が立つのだ。
ペットボトルの栓が開けられない。
背中に膏薬が貼れない。
靴下がはけない。
平坦な道を歩いていて転びそうになる。
いちいち腹が立つ。情けない。
だが、すべて自己責任である。

新聞を開けば、血糖値や血圧を下げる、年齢とともに気になる悩みをサポートする、年齢を重ねてきたあなたへと、サプリと紙オムツの広告ばかりである。
しかも年寄りの弱みに付け込んでバカ高い。
みんな飲んでいたらおまんまを買うカネがなくなって餓死してしまう。

週刊誌を開けば「老前破産」だ「100歳まで生きるためにしてはいけないこと」と、老人性うつ病の身を叱咤する特集ばかり。
ちなみに『週刊現代』(9/2号)の「100歳まで生きるために」を覗いてみた。
年金は繰り上げ受給するな、1800万円も損をする。
節税のためにタワーマンションやアパート経営をしてはいけない。
こういう保険商品は買ってはいけない。
親の介護は親の財布でやれ。
老後の家の住み替えやリフォームは慎重になど、懇切丁寧に書いてあるのだが、下流老人である私には何も関係がないことばかりである。

この国は「姥捨て山」
         政策を取り始めた
佐藤愛子の『九十歳。何がめでたい』が売れているが、書かれているのは老いの苦しみ、孤独、愚痴ばかりである。
「ああ、長生きするということは、全く面倒くさいことだ。
耳だけじゃない。目も悪い。
終始、涙が滲み出て目尻目頭のジクジクが止まらない。
膝からは時々力が脱けてよろめく。
脳みそも減ってきた。
そのうち歯も抜けるだろう。
なのに私はまだ生きている。

『まったく、しつこいねェ』 思わず呟くが、これは誰にいっているのか。
自分にか? 神さまにか? わからない。
ついに観念する時が来たのか。
かくなる上は、さからわず怒らず嘆かず、なりゆきに任せるしかないようで。
ものいわぬ婆ァとなりて 春暮るる」
愛子バアさん、生きているのも面倒だから死んでしまえと思うのだ。

「葬式なんかいらん。坊主もいらん。
そのへんの川にでも捨ててくれ。
なに、そんなことしたら、警察問題になって、捨てた娘は罰金を取られるかもしれないって? ……もう知らん! 勝手にせい!」

この国は老人福祉を切り捨て、年寄りを棄民する「姥捨て山」政策を取り始めたと思う。
若者たちも、自分が年寄りになれば、そのことに気付くはずだ。
佐藤愛子ではないが、「長寿大国ニッポン。何がめでたい」である。
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2017年09月08日

北朝鮮のミサイル攻撃、日本は迎撃不可能…すでに2百基のミサイルが日本を射程に配備

孫崎享「世界と日本の正体」
北朝鮮のミサイル攻撃、
日本は迎撃不可能…
すでに2百基のミサイルが
日本を射程に配備
2017.09.04 Business Journal

  文=孫崎享
/評論家、元外務省国際情報局長

 北朝鮮は3日、「大陸間弾道ミサイル(ICBM)搭載用の水爆実験に完全に成功した」との声明を発表した。
北朝鮮による今回の核実験や相次ぐミサイル発射に対し、日本国内はヒステリックな反応をみせているが、国家の安全保障問題は冷静に考えていく必要がある。
本稿では、国内では多く語られない10のポイントを列挙する。

(1)現在北朝鮮が発射しているミサイルは、米国を射程に入れようとするもので、日本向けではない。
米国向けミサイルの性能アップで危機が増したはずの米国国内で、どれだけ騒いでいるか。
日本と比較すれば、騒ぎはないに等しい。
日本向けでないミサイルの性能が向上し、実験されたことで、なぜ日本は騒ぐのか。
日本上空を飛んだといっても、高度100kmを優に超えている。
日本を射程に収めているノドンは何年も前から、200〜300基が配備されている。
従って、日本にとっての新たな脅威ではない。

(2)日本向けノドンは先制攻撃で排除できない。
日本を射程に収めているノドンは、移動式であったり、山の中に配備されたりで、先制攻撃でこれらを排除できない。
数発排除に成功したところで、すべてを同時に排除することはできない。
これを排除する軍事行動は、膨大な先制攻撃を受ける。

(3)ミサイル防衛はありえない。
ミサイルを迎撃するには、発射の捕獲、その後の飛行の捕獲を行い、軌道計算をするのが必須である。
まず、200〜300基あるノドンの監視体制をつくることはできない。
ミサイル確認は多くの場合、光学監視システムを利用している。
夜中に発射されれば機能しない。
発射後、途中でミサイルを察知することもできない。
かつ、相手国が政治・経済・社会の重要拠点を攻撃する時には、どこに落下させる予定であるかがわからないから、ミサイルの軌道計算ができない。
軌道計算ができなければ落とせない。
 地上配備型の迎撃ミサイル「PAC3」の速度はマッハ5(秒速1800m)、ミサイル落下時は同2000〜3000m。
遅いPAC3でより速いミサイルをどうして打ち落とせるのか。
PAC3の射程は15km。
上に向かって撃つのであるから、守っている地域はせいぜい半径2〜3km。
ありえないが、かりに命中した時、北朝鮮のミサイルとPAC3の残骸はどうなるのか。
バラバラになって落ちてくれば、被害はミサイル単体の落下より大きい。

(4)アラート・システムは機能しない。
ノドンの発射を把握できないのであるから、日本向けの警報システムは実質ない。
前述のとおり、監視は多くの場合、光学監視システムを利用している。
夜中に発射されれば機能しない。

(5)北朝鮮のミサイル開発、核兵器開発を阻止することは、国連決議、経済制裁などではできない。
今まで数多くの制裁措置が取られてきたが、開発はどんどん進んでいる。
 今日、日本ができる制裁措置で、北朝鮮が「困った。これを受けるなら開発を止めよう」と思うものは何もない。
米国も同じだ。

(6)過去、米国は核兵器・ミサイル開発を止めるために、なぜ先制攻撃を行わなかったのか。先制攻撃があれば、北朝鮮は当然、報復攻撃を韓国に行う。
その被害があまりに大きい。
だからできなかった。
その状況は今日も変わらない。
この点は、バノン主席戦略官が離任直前に発言している。

(7)北朝鮮の核兵器・ミサイル開発を阻止するためには、なぜ北朝鮮が開発をするかを考える必要がある。
北朝鮮は、米国等が北朝鮮の体制、指導者を軍事行動で破壊しようとするのを抑止するために開発をしているとみるのが自然である。
 だとすれば、開発を阻止できる道は、西側諸国が北朝鮮の体制、指導者を軍事行動で破壊しないことを確約することである。
しかし、米国はその約束をしないだけではなく、逆に体制を崩壊させる、指導者を抹殺することを目的のひとつとして、米韓軍事演習をしている。
これが続く限り、開発は続く。

(8)「体制崩壊の軍事行動をしない」ということは、何も新しいことを要求することではない。
国連憲章第2条は、次のように定めている。
「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」

(9)米国にとり緊張を高めることが、国内的、国際的に有利である。
たとえば日本は膨大な軍事予算を持つが、武器の多くは米国からの購入となる。
集団的自衛権で自衛隊を海外展開させることは、日本国内の米軍基地利用にもプラスである。
また、韓国は経済的に中国に接近する可能性が高いが、これをやめさせることもできる。
さらに米国国内事情としては、トランプ政権は支持率低下の中にあり、有事の際には大統領の下に結集すべきだとの論が成立する。
ちなみに日本の安倍政権にとっては、内閣不支持率が高まるなか、安倍批判を減少できる。

(10)北朝鮮の金正恩・労働党委員長としては、自国に軍事行動されないのであれば、安心してミサイル実験を繰り返し、「米国からの圧力があるにもかかわらず断行する、我が政権は強い」と国威高揚上プラスとなる。

 以上のポイントを踏まえて、北朝鮮問題を分析していく必要がある。

ニュースサイトで読む:
http://biz-journal.jp/2017/09/post_20456.html Copyright c Business Journal All Rights Reserved.
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なぜいま、反「薩長史観」本がブームなのか 150年目に「明治維新」の見直しが始まった

なぜいま、
反「薩長史観」本がブームなのか
150年目に
「明治維新」の見直しが始まった
2017.9.8 東洋経済オンライン
武田 鏡村「薩長史観の正体」著者

 最近よく聞かれるようになった「薩長史観」という言葉がある。
明治維新を成し遂げた薩摩・長州(薩長)の側からの歴史解釈ということである。
要は「勝者が歴史をつくる」ということであり、
「薩長=官軍=開明派」「旧幕府=賊軍=守旧派」という単純な図式で色分けされた歴史観だといわれる。
明治以来、政府の歴史教育はこの薩長史観に基づいて行われ、国民の「通史」を形作ってきた。  

ところが、ここにきて、この薩長史観に異議を申し立て、旧幕府側にこそ正義があったとする書籍が相次いで刊行されている。
原田伊織著『明治維新という過ち』を皮切りに、『三流の維新 一流の江戸』『明治維新という幻想』『明治維新という名の洗脳』『大西郷という虚像』『もう一つの幕末史』『明治維新の正体』といった書籍がさまざまな著者により刊行され、ベストセラーになっているものも多い。
雑誌でも『SAPIO』(小学館)9月号が「明治維新 150年の過ち」という大特集を組んでいる。  

来年の「明治維新150年」を前に、反「薩長史観」本がブームになっているわけだが、そもそもこの「薩長史観」とは何なのか。
なぜここに来てブームになっているのか。
このたび『薩長史観の正体』を刊行した武田鏡村氏に解説していただいた。

「薩長史観」により
偽装された幕末維新史  
薩長史観――明治維新から太平洋戦争の敗戦まで日本人の心を支配し続けてきた歴史観のことである。
それは、薩摩と長州が中心となって成しとげた明治維新は、頑迷な徳川幕府を打ち破って文明開化をもたらし、富国強兵によって世界に伍する国家を創り上げた、とするものである。

 だが、薩長史観は明治新政府がその成立を正当化するために創り上げた、偽装された歴史観であることは、意外に知られていない。

 それは、薩摩や長州が幕末から明治維新にかけて行った策謀・謀反・暴虐・殺戮・強奪・強姦など、ありとあらゆる犯罪行為を隠蔽するために創られた欺瞞に満ちた歴史観である。
 そこには、天皇が住む御所を襲撃したという事実や、あるいは天皇を毒殺したのではないか、といった疑問がいっさい封印されている。
 それにもかかわらず、明治新政府は、かつて自分たちが蔑(ないがし)ろにした天皇を絶対化し国民に忠誠を誓わせることで、血にまみれた犯罪の数々から目をそらさせ続けたのである。

 しかも薩長史観では、日本は現人神(あらひとがみ)である天皇が治める神の国であり、天皇への絶対的な忠誠を示す愛国心こそが日本人の誇りであり、死をもって天皇に仕えることが日本人であるとする。
これを徹底させたのが「教育勅語」であった。

靖国神社には
「賊軍」兵士は祀られない
 さらに薩長史観は、起こす必要のなかった国内戦争である戊辰戦争を、薩長などの「官軍」が行った正義の戦争と見なし、反抗した者を「賊軍」として排除し続けた。
 偏狭な愛国心と排外主義は表裏するものであるが、それを象徴するのが薩長によって創り上げられた「靖国神社」である。
 靖国神社には「官軍」の戦死者は祀られたが、「賊軍」は排除されて、今日に至っている。  

薩長は靖国神社を、愛国者を祀る「死の祭壇」とすることで、官軍の戦死者だけではなく、近隣諸国への侵略によって戦死した兵士たちを誇らしく祀り、国民皆兵による軍国主義の拡張を正当化したのである。
それは太平洋戦争の敗戦まで続く。

 ちなみに昭和天皇は、A級戦犯として処刑された東条英機らが靖国神社に合祀されたことを不興に感じられて参拝を取りやめられたが、薩長史観の信奉者たちは天皇の意向を無視して、相変わらず参拝を続けている。
 これは、明治維新のとき、尊皇といいながら孝明天皇の意向を無視して武力討幕に走った薩長の軌道と重なるものがある。

 では、明治維新から現代に至るまで「薩長史観」によって欺かれている歴史とはどのようなものだったのか。
薩長にとって都合が悪く、あまり表立って語られることのなかった歴史の真実とはどのようなものなのか。

 以下に象徴的なものを挙げる。  
●吉田松陰は松下村塾でテロリストを養成して、近隣諸国への侵略主義を唱えていた。  
●高杉晋作は放火犯で、テロの実行を煽(あお)っていた。  
●木戸孝允は、御所の襲撃と天皇の拉致計画を立てていた。  
●初代内閣総理大臣の伊藤博文は殺人者で、放火犯であった。  

●西郷隆盛は僧侶を殺めた殺人者で、武装テロ集団を指揮していた。  
●西郷隆盛は平和的な政権移譲を否定して、武力討幕の謀略を実行した。  
●三条実美(さねとみ)は天皇の勅許を偽造して、攘夷と討幕運動を煽っていた。  

●薩摩と長州は何食わぬ顔で攘夷を放棄して、代わりに尊皇主義を旗印とした。  
●岩倉具視は女官を使って孝明天皇に砒素(ひそ)を飲ませて毒殺させたとうわさされていた。  
●大政奉還でなされた「慶応維新」は評価すべきものだったが、薩長による武力討幕の前に粉砕された。  

●「討幕の密勅」といわれる天皇の宣旨(せんじ)は完全に偽造されたものである。  
●坂本龍馬の暗殺は、薩摩の大久保利通らが指令を出していた可能性がある。  
●西郷隆盛は「薩摩御用盗(ごようとう)」を指揮して江戸市中を騒擾させ、軍用金を強奪させた。  

●鳥羽・伏見の戦いで掲げられた「錦の御旗」は偽造されたものであった。  
●戊辰戦争は薩長によって強引に引き起こされたものであった。  
●大村益次郎は上野にいた彰義隊を不意に砲撃し、「官軍」は戦死者の肉を食ったとうわさされた。  

●「官軍」は国際法を無視して捕虜や負傷者を惨殺した。  
●「官軍」は会津などで強奪と強姦の限りを繰り返していた。  
●帝国陸軍に君臨した山県有朋は、越後長岡戦争では裸同然で敗走していた。  
●明治維新がなければ日本は外国の植民地になっていたというのは完全なうそである。

 薩長史観は、こうした真相を隠蔽し続けて、現在に至っている。

なぜ「反薩長」本が
ブームになっているのか
 ここにきて、薩長史観に異を唱える反「薩長史観」本ともいうべきものが続々と出されている。
これは、明治維新から150年という時間が経過し、ようやくタブーなく歴史の真実を語れるようになったためかもしれない。
ようやく国民が、明治政府の「洗脳」から解放されてきたといえるのだろう。
 そもそも、上に挙げたような「真相」の数々は、特に異説でもなんでなく、歴史の事実を追えば容易にわかることなのである。

 それが、明治以来の歴史教育により、知らず知らずのうちに「薩長=官軍=開明派」「旧幕府=賊軍=守旧派」という“刷り込み”が国民になされてきた。
いわゆる「司馬史観」でさえもその呪縛にとらわれており、薩長史観の影響は現代に及ぶと指摘する声もある。

 ところが、最近続々と出される反「薩長史観」本により、ようやく反対側(旧幕府)からの歴史観に初めてふれることになり、多くの人々が新鮮な驚きとともに共鳴しているのではないだろうか。
それまで「明治維新」に対してモヤモヤ感じていた疑問が、すっきり解消したという人も多いようである。
 また、イギリスのスコットランド独立投票に見られるような、世界的なローカリゼーションの流れも関係あるかもしれない。

 今まで「賊軍」側とされてきた東北や新潟の人々が、官製の歴史観とは違った、自分たちの郷土の側に立った歴史の見方を知り、溜飲を下げたのではないだろうか。
そして、自分たちの郷土に、それまで以上に誇りを持つようになってきているように思える。
実際、会津や仙台などで、こうした反「薩長史観」本の売れ行きがいいと聞く。

 本来、歴史の見方は多様であるはずである。
戦争の勝者=権力者の側からの歴史観だけが正しいわけではない。
地域ごとの歴史の見方があって然(しか)るべきではないだろうか。
 いまはやりの地方創生も、こうした地元の歴史に対するリスペクトといったソフトパワーを抜きにしては語れないと思う。

 今後、地域ごとの歴史の見直しの動きは、ますます加速していくのではないだろうか。

「薩長史観」の呪縛から解き放つ
 そしてもう1つ、近年の歴史修正主義的な動きも背景にあるのではと思う。
 明治維新から太平洋戦争の敗戦まで日本人の意識と思想を形成していたのは、薩摩と長州を中心としてつくられた絶対的な天皇主義、軍国主義、愛国心であった。
それが、身の丈を超えた侵略主義、帝国主義へとつながっていく。
そして、そのバックボーンとなったのが「薩長史観」なのである。
 それはやがて日本を壊滅的な敗北に導いた。その反省から日本は徹底した民主主義と平和主義に徹するようになったのである。

 だが近年になって、教育勅語の見直し論に見られるように歴史修正主義が台頭し、またぞろ薩長が唱えていた国家観が息を吹き返しているようである。

いずれ稿を改めて書きたいが、歴史修正主義的な傾向の強い安倍晋三首相は「長州」出身であり、その言動には「薩長史観」が深く反映されている。
 そんな風潮に対して、そもそも薩長が行った明治維新とはいったい何であったのか、という根源的な疑問が提示されるようになってきた面があるのではないか。
そこを解明しないかぎり、日本の近現代史を正確に認識することはできない、という考えが「反薩長」本ブームの背景にあるように思えてならないのだ。

 今、明治維新の歴史の事実と向き合うことは、薩長史観の呪縛を解き放つことにつながり、自由で活気ある平和な民主国家を追求する一歩となるのである。
 そんな思いから今回、『薩長史観の正体』を刊行した。
来年、「明治150年」を迎えるのを機に、新たな歴史の見方を知っていただきたいと思う。
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2017年09月09日

秋は不調訴える患者急増 夏バテ胃腸は「傾腸」で立て直す

秋は不調訴える患者急増
夏バテ胃腸は
「傾腸」で立て直す
2017年9月8日 日刊ゲンダイ

 夏の終わりから秋口にかけては、胃腸の不調に悩む患者が増えるという。
夏バテした胃腸を早く立て直すには「傾腸」が効果的だ。

「パン・豆類・ヨーグルト・りんごを食べてはいけません」の著者で消化器専門医の江田証氏(江田クリニック院長)に詳しく聞いた。

「冷たいものを取り過ぎたり、暑かったり涼しかったりを繰り返して自律神経のバランスが乱れたり、夏休み中の帰省で親戚や来客に気を使ったり……。
夏場はこうした要因が重なって胃腸が疲弊します。
その疲れが、下痢や腹痛といった不調になって秋口に表れるのです。
夏の終わりから秋口にかけては、患者さんの数が普段の2〜3割増しになります」

 そんな夏バテ胃腸を素早く立て直すためには、胃腸に大きな影響を与える飲食物を見直すことが有効だ。
何が自分に合っていて合っていないのか。
胃腸の状態に耳を傾ける「傾腸」が重要だという。

 傾腸を実践するには、「低FODMAP食」を活用する。
FODMAPとは、「発酵性」のある「オリゴ糖類」「二糖類」「単糖類」「ポリオール類」のアルファベット表記の頭文字に「AND」を加えて並べたもの。
これらの糖質は小腸で吸収されにくいため、小腸の中の浸透圧が高まって水分が過剰にたまり、下痢や痛みを引き起こす。
また、小腸で吸収されにくいこれらの糖質は大腸まで到達し、大腸内の腸内細菌と反応して異常発酵を起こす。
これにより、水素ガスがたくさん生産されてお腹の張りや便秘の原因になる。
これらの糖質を避けた食事を3週間続けると、8割の人で胃腸の調子が回復するという。

「低FODMAP食は、そもそも過敏性腸症候群などの胃腸の不調に悩む人に向けて、オーストラリアのモナッシュ大学で考案されたものです。
厳密には、まず3週間、すべてのFODMAP食を除去し、その後で高FODMAP食のグループをひとつずつ摂取していく。
その都度、食べると胃腸の不調を招くような高FODMAP食を確認し、自分の体に合っていない高FODMAP食を食べないようにする食事法です。
ハーバード大学などもその有効性を認める論文を発表しています」

■低FODMAP食を意識する
<表>にあるような高FODMAP食をすべて避ければ、小腸の負担が減って夏バテ胃腸を立て直すことができる。
ただ、徹底するのはなかなか難しい。
 そこで、簡易的に5種類の高FODMAP食を1種類ずつ、3日間控え、胃腸の調子を確認してみる。

@「フルクタン」を控える
小麦食品(パン、ラーメン、パスタ、シリアルなど)、ニンニク、タマネギなどに含まれる。

A「ガラクトオリゴ糖」を控える
ひよこ豆、レンズ豆などの豆類、ゴボウ、サトイモなどに含まれる。

B「乳糖」(ラクトース)を控える
牛乳、ヨーグルト、プリン、アイスクリームなどの乳製品に含まれる。

C「果糖」(フルクトース)を控える
ハチミツや果物に含まれる。中でも、リンゴ、モモ、サクランボ、マンゴー、スイカは果糖が多い。

D「ポリオール」(ソルビトール、キシリトールなど)を控える
シュガーフリーのガムやミント菓子、リンゴ、ナシ、モモ、スイカなどの果物、カリフラワー、キノコ類などの野菜に多く含まれる。

「5種類の中で、もっとも胃腸の不調の原因になっているケースが多いのが『フルクタン』です。
普段から悩んでいる人はもちろん、夏バテ胃腸を立て直したい人は、まずフルクタンの摂取を控えて傾腸してみてください。
また夏が旬のスイカやモモを多く食べていた人は、『果糖』や『ポリオール』を取り過ぎていたことも考えられます。
胃腸を立て直すには、それらを避けてみましょう」

 それでもハードルが高いという人もいるだろうが、意識して高FODMAP食の摂取量を減らすだけでも、症状が改善することがわかっている。
胃腸の不調に悩んでいるなら試してみる価値はある。
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150年目に「明治維新」の見直しが始まった

150年目に
「明治維新」の見直しが始まった
2017.9.8 東洋経済オンライン
武田 鏡村「薩長史観の正体」著者

 最近よく聞かれるようになった「薩長史観」という言葉がある。
明治維新を成し遂げた薩摩・長州(薩長)の側からの歴史解釈ということである。
要は「勝者が歴史をつくる」ということであり、
「薩長=官軍=開明派」「旧幕府=賊軍=守旧派」という単純な図式で色分けされた歴史観だといわれる。
明治以来、政府の歴史教育はこの薩長史観に基づいて行われ、国民の「通史」を形作ってきた。  

ところが、ここにきて、この薩長史観に異議を申し立て、旧幕府側にこそ正義があったとする書籍が相次いで刊行されている。
原田伊織著『明治維新という過ち』を皮切りに、『三流の維新 一流の江戸』『明治維新という幻想』『明治維新という名の洗脳』『大西郷という虚像』『もう一つの幕末史』『明治維新の正体』といった書籍がさまざまな著者により刊行され、ベストセラーになっているものも多い。
雑誌でも『SAPIO』(小学館)9月号が「明治維新 150年の過ち」という大特集を組んでいる。  

来年の「明治維新150年」を前に、反「薩長史観」本がブームになっているわけだが、そもそもこの「薩長史観」とは何なのか。
なぜここに来てブームになっているのか。
このたび『薩長史観の正体』を刊行した武田鏡村氏に解説していただいた。

「薩長史観」により
偽装された幕末維新史  
薩長史観――明治維新から太平洋戦争の敗戦まで日本人の心を支配し続けてきた歴史観のことである。
それは、薩摩と長州が中心となって成しとげた明治維新は、頑迷な徳川幕府を打ち破って文明開化をもたらし、富国強兵によって世界に伍する国家を創り上げた、とするものである。

 だが、薩長史観は明治新政府がその成立を正当化するために創り上げた、偽装された歴史観であることは、意外に知られていない。

 それは、薩摩や長州が幕末から明治維新にかけて行った策謀・謀反・暴虐・殺戮・強奪・強姦など、ありとあらゆる犯罪行為を隠蔽するために創られた欺瞞に満ちた歴史観である。
 そこには、天皇が住む御所を襲撃したという事実や、あるいは天皇を毒殺したのではないか、といった疑問がいっさい封印されている。
 それにもかかわらず、明治新政府は、かつて自分たちが蔑(ないがし)ろにした天皇を絶対化し国民に忠誠を誓わせることで、血にまみれた犯罪の数々から目をそらさせ続けたのである。

 しかも薩長史観では、日本は現人神(あらひとがみ)である天皇が治める神の国であり、天皇への絶対的な忠誠を示す愛国心こそが日本人の誇りであり、死をもって天皇に仕えることが日本人であるとする。
これを徹底させたのが「教育勅語」であった。

靖国神社には
「賊軍」兵士は祀られない
 さらに薩長史観は、起こす必要のなかった国内戦争である戊辰戦争を、薩長などの「官軍」が行った正義の戦争と見なし、反抗した者を「賊軍」として排除し続けた。
 偏狭な愛国心と排外主義は表裏するものであるが、それを象徴するのが薩長によって創り上げられた「靖国神社」である。
 靖国神社には「官軍」の戦死者は祀られたが、「賊軍」は排除されて、今日に至っている。  

薩長は靖国神社を、愛国者を祀る「死の祭壇」とすることで、官軍の戦死者だけではなく、近隣諸国への侵略によって戦死した兵士たちを誇らしく祀り、国民皆兵による軍国主義の拡張を正当化したのである。
それは太平洋戦争の敗戦まで続く。

 ちなみに昭和天皇は、A級戦犯として処刑された東条英機らが靖国神社に合祀されたことを不興に感じられて参拝を取りやめられたが、薩長史観の信奉者たちは天皇の意向を無視して、相変わらず参拝を続けている。
 これは、明治維新のとき、尊皇といいながら孝明天皇の意向を無視して武力討幕に走った薩長の軌道と重なるものがある。

 では、明治維新から現代に至るまで「薩長史観」によって欺かれている歴史とはどのようなものだったのか。
薩長にとって都合が悪く、あまり表立って語られることのなかった歴史の真実とはどのようなものなのか。

 以下に象徴的なものを挙げる。  
●吉田松陰は松下村塾でテロリストを養成して、近隣諸国への侵略主義を唱えていた。  
●高杉晋作は放火犯で、テロの実行を煽(あお)っていた。  
●木戸孝允は、御所の襲撃と天皇の拉致計画を立てていた。  
●初代内閣総理大臣の伊藤博文は殺人者で、放火犯であった。  

●西郷隆盛は僧侶を殺めた殺人者で、武装テロ集団を指揮していた。  
●西郷隆盛は平和的な政権移譲を否定して、武力討幕の謀略を実行した。  
●三条実美(さねとみ)は天皇の勅許を偽造して、攘夷と討幕運動を煽っていた。  

●薩摩と長州は何食わぬ顔で攘夷を放棄して、代わりに尊皇主義を旗印とした。  
●岩倉具視は女官を使って孝明天皇に砒素(ひそ)を飲ませて毒殺させたとうわさされていた。  
●大政奉還でなされた「慶応維新」は評価すべきものだったが、薩長による武力討幕の前に粉砕された。  

●「討幕の密勅」といわれる天皇の宣旨(せんじ)は完全に偽造されたものである。  
●坂本龍馬の暗殺は、薩摩の大久保利通らが指令を出していた可能性がある。  
●西郷隆盛は「薩摩御用盗(ごようとう)」を指揮して江戸市中を騒擾させ、軍用金を強奪させた。  

●鳥羽・伏見の戦いで掲げられた「錦の御旗」は偽造されたものであった。  
●戊辰戦争は薩長によって強引に引き起こされたものであった。  
●大村益次郎は上野にいた彰義隊を不意に砲撃し、「官軍」は戦死者の肉を食ったとうわさされた。  

●「官軍」は国際法を無視して捕虜や負傷者を惨殺した。  
●「官軍」は会津などで強奪と強姦の限りを繰り返していた。  
●帝国陸軍に君臨した山県有朋は、越後長岡戦争では裸同然で敗走していた。  
●明治維新がなければ日本は外国の植民地になっていたというのは完全なうそである。

 薩長史観は、こうした真相を隠蔽し続けて、現在に至っている。

なぜ「反薩長」本が
ブームになっているのか
 ここにきて、薩長史観に異を唱える反「薩長史観」本ともいうべきものが続々と出されている。
これは、明治維新から150年という時間が経過し、ようやくタブーなく歴史の真実を語れるようになったためかもしれない。
ようやく国民が、明治政府の「洗脳」から解放されてきたといえるのだろう。
 そもそも、上に挙げたような「真相」の数々は、特に異説でもなんでなく、歴史の事実を追えば容易にわかることなのである。

 それが、明治以来の歴史教育により、知らず知らずのうちに「薩長=官軍=開明派」「旧幕府=賊軍=守旧派」という“刷り込み”が国民になされてきた。
いわゆる「司馬史観」でさえもその呪縛にとらわれており、薩長史観の影響は現代に及ぶと指摘する声もある。

 ところが、最近続々と出される反「薩長史観」本により、ようやく反対側(旧幕府)からの歴史観に初めてふれることになり、多くの人々が新鮮な驚きとともに共鳴しているのではないだろうか。
それまで「明治維新」に対してモヤモヤ感じていた疑問が、すっきり解消したという人も多いようである。
 また、イギリスのスコットランド独立投票に見られるような、世界的なローカリゼーションの流れも関係あるかもしれない。

 今まで「賊軍」側とされてきた東北や新潟の人々が、官製の歴史観とは違った、自分たちの郷土の側に立った歴史の見方を知り、溜飲を下げたのではないだろうか。
そして、自分たちの郷土に、それまで以上に誇りを持つようになってきているように思える。
実際、会津や仙台などで、こうした反「薩長史観」本の売れ行きがいいと聞く。

 本来、歴史の見方は多様であるはずである。
戦争の勝者=権力者の側からの歴史観だけが正しいわけではない。
地域ごとの歴史の見方があって然(しか)るべきではないだろうか。
 いまはやりの地方創生も、こうした地元の歴史に対するリスペクトといったソフトパワーを抜きにしては語れないと思う。

 今後、地域ごとの歴史の見直しの動きは、ますます加速していくのではないだろうか。

「薩長史観」の呪縛から解き放つ
 そしてもう1つ、近年の歴史修正主義的な動きも背景にあるのではと思う。
 明治維新から太平洋戦争の敗戦まで日本人の意識と思想を形成していたのは、薩摩と長州を中心としてつくられた絶対的な天皇主義、軍国主義、愛国心であった。
それが、身の丈を超えた侵略主義、帝国主義へとつながっていく。
そして、そのバックボーンとなったのが「薩長史観」なのである。
 それはやがて日本を壊滅的な敗北に導いた。その反省から日本は徹底した民主主義と平和主義に徹するようになったのである。

 だが近年になって、教育勅語の見直し論に見られるように歴史修正主義が台頭し、またぞろ薩長が唱えていた国家観が息を吹き返しているようである。

いずれ稿を改めて書きたいが、歴史修正主義的な傾向の強い安倍晋三首相は「長州」出身であり、その言動には「薩長史観」が深く反映されている。
 そんな風潮に対して、そもそも薩長が行った明治維新とはいったい何であったのか、という根源的な疑問が提示されるようになってきた面があるのではないか。
そこを解明しないかぎり、日本の近現代史を正確に認識することはできない、という考えが「反薩長」本ブームの背景にあるように思えてならないのだ。

 今、明治維新の歴史の事実と向き合うことは、薩長史観の呪縛を解き放つことにつながり、自由で活気ある平和な民主国家を追求する一歩となるのである。
 そんな思いから今回、『薩長史観の正体』を刊行した。
来年、「明治150年」を迎えるのを機に、新たな歴史の見方を知っていただきたいと思う。
posted by 小だぬき at 03:37 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月10日

安倍首相を痛烈批判 15年寵愛のNHK美人記者“反旗”の衝撃

安倍首相を痛烈批判
15年寵愛のNHK美人記者
     “反旗”の衝撃
2017年9月9日 日刊ゲンダイ

 なにがあったのか――。
安倍首相が寵愛してきた美人記者が反旗を翻し臆測を呼んでいる。
NHKの岩田明子解説委員が、最新号の文芸春秋に「安倍総理<驕りの証明>」という一文を寄稿しているのだ。

 12ページの長文は、大部分が普通の政治解説だが、随所に痛烈な安倍首相批判がちりばめられている。
<なぜここまで凋落してしまったのか。
十五年間にわたり安倍首相を取材してきた私には、その原因が安倍首相の「驕り」にあると思えてならない>
<ジョン・アクトンは「絶対的な権力は絶対に腐敗する」という金言を残した>
権力は、時が経つと疲弊し変質する>と、バッサリ切り捨てているのだ。

 岩田解説委員は、8日夕方の「シブ5時」というニュース番組の中でも、「支持率低下の要因は政府の緩みとある種の驕り」
「一時的な現象ではなく政府が変質していった結果」と、冷たく言い放っている。
 国民からすればまっとうな“安倍批評”だが、周囲から「御用記者」と揶揄されるほど安倍首相ベッタリだった岩田解説委員が、文芸春秋で<驕り><権力は腐敗する>などと書いたことで、安倍首相周辺に衝撃が走っている。

 岩田解説委員は、わざわざ安倍首相の私邸近くに引っ越すほど、入れ込んできた。
15年間、蜜月だった2人の間になにがあったのか。
「文芸春秋の原稿は、岩田さんの方から『書きたい』と急に言ってきたようです。
どうやら、アッキーの秘書だった谷査恵子さんに対する対応について苦言を口にしたら、安倍首相にけむたがられ、それ以来、関係がこじれたようです。

これまで岩田さんは、必ずと言っていいほど安倍首相の外遊に同行していたのに、今回の訪ロには同行していない。
関係が悪化しているのでしょう」(自民党関係者)

 安倍首相の周辺では、総理の側近中の側近である今井尚哉首相秘書官も、記者とのオフレコ懇談で<(安倍首相に)驕りが出てきたのは、総裁の任期が3期に延長が決まったところからだ>などと、安倍首相を批判している。
さらに「日本版NSC」の谷内正太郎局長も辞任を願い出たという話が伝わっている。

 ここまで周囲の人物が次々に離れていくのは異常だ。政権末期の様相である。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ごみ屋敷の住人は「セルフネグレクト」 推定1万1000人、氷山の一角 SOS見逃さないで

ごみ屋敷の住人は
「セルフネグレクト」 
推定1万1000人、
氷山の一角
SOS見逃さないで
9/10(日) 9:00 西日本新聞配信

 大量のごみを自宅にため込んだ「ごみ屋敷」。
その住人は、周囲の指摘に耳を貸さない変わり者と思われがちだが、認知症や生活意欲の喪失が原因となっている場合がある。
何らかの理由で身の回りのことをしなくなり、SOSの発信力も低下した「セルフネグレクト(自己放任)」の状態に陥ってしまった人たち。

東邦大(東京)看護学部の岸恵美子教授(公衆衛生看護学)は「地域のさりげない見守りなど一歩前に進んで手を差し出すことが大事」と指摘している。

 ■推計約1万1000人
 聞き慣れない「セルフネグレクト」は「ネグレクト」に「セルフ(自分)」を付けた造語。
他者の世話や介護、育児などを放棄するネグレクトではなく、自分自身の世話を放棄してしまう状態のことだ。

「心身の安全や健康が脅かされ、人権も侵害されている状態。
放置すれば孤独死する可能性が高く、緩やかな自殺の入り口だ」と岸教授。
不衛生な住環境の「ごみ屋敷」もこの一つという。

 内閣府の2011年の調査によると、セルフネグレクトに陥っている高齢者は推計で約1万1千人。
ただこれは氷山の一角で、岸教授は先進国の米国の調査事例を基に「200万〜300万人がセルフネグレクトの可能性がある」との見方も示した。

■配偶者の死でも
 なぜセルフネグレクトに陥ってしまうのか。
岸教授はこれまで関わった事例を紹介した。
 息子と暮らす女性は年を取るにつれ、ごみ出しや炊事が面倒になってきた。
息子から「おまえは役立たずだ」と繰り返しののしられ、次第に「自分は価値のない人間」と考えるようになり「枯れるように死にたい」と望むようになった。
これは息子に遠慮、気兼ねして声を上げることができなくなったケースだ。

 ある男性は分別して出したごみに対して、近所の女性に分別方法が悪いと指摘された。
次第にごみを出すのが怖くなり、気が付けば家の中はごみまみれ。
近隣住民とのトラブルが引き金だった。

 岸教授によると、認知症や物忘れ、精神疾患など病気に起因するのが約3割。
そのほか、配偶者など親しい人を亡くす、リストラ、地域からの孤立、世話になりたくないというプライドや迷惑をかけたくないといった日本人特有の考えが邪魔するケースなど、理由はさまざまだ。
そしてこう指摘する。
これは誰にでも起こりうることです

■信頼関係築いて
 ごみ屋敷を巡っては自治体が相次いで条例を制定、15年には京都市が全国で初めて行政代執行でごみを撤去し、話題になった。
 自分から支援を求めない人、SOSの発信力が低下した人をどう救うか。

岸教授によると、セルフネグレクトに陥った人は、訪ねても会おうとしない
▽雨戸やカーテンが閉め切ったままになっている
▽外で姿を見掛けなくなった−などさまざまな「サイン」を出しているという。

 「地域住民や地域包括支援センターの職員がアンテナを高くして、早く見つける。
定期的な訪問を続け、助けを求めない理由を探り、信頼関係を築いて必要な支援につなぐことが大事だ」と岸教授。
「さりげない見守り」「ちょっとした声掛け」「少しのおせっかい」を心掛けて、手を差し伸べれば「孤立死を防ぐと同時に、地域コミュニティーの再生にもつながる」と話した。
posted by 小だぬき at 11:47 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月11日

「広く浅い」人間関係の方が人は幸せになれる。適度の刺激とストレスが幸福のカギ

「広く浅い」人間関係の方が
人は幸せになれる
適度の刺激とストレスが幸福のカギ
2017年09月10日 中村 陽子 : 東洋経済 記者

よく言うポジティブシンキングが、ネガティブ感情を排除するやや行きすぎの前向き思考なのに対し、
ポジティブ心理学はポジティブな自分とネガティブな自分を両方認め、よりよく、幸せな状態を目指す学問だという。
その神髄について、『実践 ポジティブ心理学』を書いた慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科前野隆司教授に詳しく聞いた。

病気になりにくい体を作ることの“心版”

――よく「幸せは気の持ちよう」といいますよね。

心理学や認知科学、脳科学が発達していなかった昔は、気の持ちようだと根性論で語るしかなかった。
最近はもっと科学的に、いくつかの条件を整えれば「well-being」(心身ともに充実したよりよい状態)を目指せることがわかってきた。
病気になりにくい体を作ることの“心版”なんです。

――人生が好転していく黄金比率はポジティブ感情とネガティブ感情が3対1、という説を紹介されています。
ポジティブ100%というのもまたいけない?

ポジティブに振り切るとヒトラーの全体主義みたいになってしまう。
心の中の批判的感情を抑えるとそれがストレスになる。
ネガティブは決して悪い面だけじゃないんです。
実際社会の役にも立つ。
日本人は世界一、不安遺伝子を持つといわれますが、
「この点がまだダメだ」というネガティブ感情が緻密なものづくりやすし、工芸に見る研ぎ澄まされた美学を完成させたともいえる。
嫌な上司がいたら愚痴も言いつつ、前向きに対応策を考えるとか、いい部分も探してみるとかしたほうが幸せ感は上がる。
要はバランスです。

――本当に幸せな状態になるには、ある程度の負荷、よいストレスをかけることが必要なのだとか。

ストレスがないと成長がない。
変化していく爽快感や、刺激を受け成長することは幸せ因子のひとつ。
悪いストレスに至らない範囲でよいストレスをかけるのが大事です。
よく幸せというと、お花畑の中で心安らかに座ってる場面を想像したりしますが、調べてみるとそうじゃないんですよ。
初めて見る花を発見して喜ぶとか、何かウキウキと新しい刺激のあるほうが人間幸せに感じるよう脳ができているんです。
ただ変化にはストレスが付きもの。
好きな花の写真を撮るにも、どのアングルで撮ろうとか、風で揺れてなかなか決まらないとか、気にならない程度の小さな小さなストレスがある。
そういうのをいいストレスと呼びます。

――家族・親友のような狭く深い関係より、親戚・友人のような広く浅い関係のほうが人の幸せに寄与するというのは面白いですね。

あの研究結果は面白いですよね。
普通に考えると、心の通じた親友との密な付き合いのほうが幸福度も高そうに思えますが、統計的には違う。
薄い人間関係をバサバサ切っていくような人は幸せ度が下がる。
たとえば、立ちを話する顔なじみの店員さんとかがそこここにいる弱いつながりでいい。
そんな関係が広く多くあったほうが幸福度が高い。
安心感があるというか、これから先、長く薄くたくさんの人が支えになると感じるほうが幸せなように人間はできてるんですね。
多様であれば新しい刺激があり、多様だから小さな差が気にならない。
私は私、彼は彼と楽観的になれる。

自分のためより、
他人のために使うほうが幸せ
――他人の利益のために行動できる利他的な人は利己的な人より幸せ、という結果も意外でした。

 おカネも自分のためより、他人のために使うほうが幸せを感じるという結果が出ている。
人間は利他的なとき、セロトニン、オキシトシンなどの“幸せホルモン”が分泌されるんです。
たとえば電車で困ってる人に席を譲ると、優しい気持ちになれますよね。
譲るべきだと思いつつ寝たふりするのは逆にストレスになる。
ちょっと頑張って席を譲ったときにほんのりいい気分になる。
それが幸せになり、幸せになると創造性も上がり、仕事も好回転する。
無理に寝たふりして罪悪感でモヤモヤしたまま仕事するより、パフォーマンスは上がります。
利他的といってもそんな小さなことからでいいんです。
落ちていた紙くずを拾ってゴミ箱に入れるとか、ちょっとした利他。
利他的だと幸せになり、幸せだと利他的になるという双方向性も確認されています。

――幸せになれる「幸せの4つの因子」も1500人アンケート調査の結果から割り出されました。

「やってみよう!」という自己実現と成長
「ありがとう!」と他者とつながり感謝の心を持つ
「何とかなる!」という前向きと楽観
そして「ありのままに!」と他者と比較せず自分らしさを持つ、の4つの因子です。
コンピュータがはじき出した結果を見たとき、ストーンと納得感がありました。

僕の研究ではありませんが、テレビのチャンネルを頻繁に切り替える人は幸福度が低い。
つねに最良の選択を追求する人より、そこそこで満足する人のほうが幸福度が高いという傾向です。
夢も大きすぎないほうが幸せ。
山に例えると、遠くにそびえる高い山を目指す人よりも、目の前に小さな山をちょこちょこ置いて目標を刻む人のほうが幸せという研究もあります。
パフォーマンスを上げる研究でもある

――ポジティブ心理学というのは、パフォーマンスをベストに引き上げるためではなく、あくまでも幸せを感じるにはどうすればいいかを追究する学問ですよね。

そう、幸せをベストに引き上げるにはどうすればいいか、です。
本では実践できるエクササイズを紹介したので参考にしてください。
でも幸せな人は創造性が3倍になり、生産性が1.3倍になるという研究結果があるんです。
だからパフォーマンスを上げる研究でもある、実は。
心が整って幸福度が上がっていくと、ワクワクしながら多様な仲間に囲まれ、パフォーマンスも上がってしまう。

――話題の「働き方改革」についても、一言おありですね。

社員の幸せにも注目しないとマズイと思うんですよね。
時短だ、10時消灯だと、とにかく就業時間減らせの一本やりで眉間にシワ寄せても、たぶんチマチマした改善案しか出ないんじゃないかな。
幸せは創造性を上げ生産性を上げ、結果、時短につながる。
ある会社では朝礼を1時間以上やるんです。
みんなで徹底的に話すことで課題や各人の抱える問題が共有され、スピード感をもって仕事が進む。
一見ムダに思えることで幸せ度を高めるとその結果が時短になる。
幸せが時短を呼ぶことは実証されてもいます。
社員の幸せこそを中心に据えないと、真の働き方改革にならないと思うんです。
posted by 小だぬき at 01:35 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

連合、「残業代ゼロ法案審議」で問われる覚悟、臨時国会で関連法案の審議が始まるが・・・

連合、「残業代ゼロ法案審議」で
問われる覚悟
臨時国会で関連法案の審議が始まるが・・・
2017年09月11日 風間 直樹 : 東洋経済 記者

今秋の臨時国会で、いよいよ「残業代ゼロ法案」が審議されることになりそうだ。
政府は一定の年収以上の専門職を労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」と、「働き方改革」の柱である残業時間の上限規制を一本化した労働基準法の改正案を、臨時国会に提出する方針だ。

幻となった政労使合意 組合員数は約680万人に達する日本労働組合総連合会(連合)も内憂外患を抱えている
すでに政府は高プロや裁量労働制の拡大などを盛り込んだ改正法案を、2015年4月に国会に提出済み。
ただ、野党や日本労働組合総連合会(連合)から「残業代ゼロ法」「過労死促進法」と批判され、いまだ審議に至っていない。

8月末から開かれた、厚生労働省の労働政策審議会の分科会では、労働側委員はそろって高プロを批判し、残業時間の上限規制との一本化反対を主張した。
だが、労使双方の主張を受けた末、荒木尚志分科会長(東京大学教授)は一本化が適当だと結論づけた。
こうした結論に至った背景には、ほかならぬ連合が高プロの審議を前提に、その内容の修正を求めていたという経緯がある。

7月、連合の神津里季生会長は安倍晋三首相と会談し、高プロ対象者の健康確保措置を強める修正を要請している。
首相も応じ、政府、経団連と同月内にも「政労使合意」を結ぶ手はずだった。
だが加盟組織からは「一貫して反対運動をしてきたのに信頼を失う」などと異論が続出。
結局、執行部は組織内をまとめきれず、政労使合意は見送られた。
官邸幹部は、「政府も経団連も連合の要請を受けて動いたのにこの結果。
いかがなものかと思う」と話す。

負い目に加え、連合執行部にはようやく築いた政労使合意というチャネルを失いたくない事情がある。
第2次安倍政権は当初、政府の産業競争力会議や規制改革会議で雇用規制を「岩盤」扱いするなど緩和一辺倒。
連合など労働者側は完全に排除されていた。

政労使合意の呪縛 だが、2015年の一億総活躍国民会議の発足時から風向きが変わり始める。
働き方改革では政労使合意の枠組みで、残業時間の上限規制、同一労働同一賃金など労働者寄りの政策が打ち出された。
「逢見直人事務局長が修正要請を主導したのは、政労使合意の枠組みを守ろうとしたため」(連合幹部)とされる。
政府は取り込みの一方で、揺さぶりもかける。
7月末、労政審の新部会「労働政策基本部会」が開催された。
塩崎恭久厚労相(当時)の肝いりで発足しており、「旧来型の労使の枠組みにとらわれず、有識者が個人として自由闊達に意見を言う場」と説明している。

実際、会議では従来の労働政策の枠組みを抜本的に変えるべきとの主張が相次いだ。
連合はらち外に置かれかねない。
内憂外患を抱える連合。
「労働者の代表」として、正念場を迎えている。

当記事は「週刊東洋経済」9月16日号
<9月11日発売>からの転載記事です
posted by 小だぬき at 17:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月12日

インフレは歴史的に革命や暴動を招いてきた:井沢元彦と予測する「日本の未来」<後編>

インフレは歴史的に
革命や暴動を招いてきた
井沢元彦と予測する「日本の未来」<後編>
2017年09月11日 東洋経済

前編:「専門バカ」になると真実が見えなくなる
中原 圭介 :
経営コンサルタント、経済アナリスト

混迷を深める世界。日本はどうなるのか。
『逆説の日本史』の人気作家・井沢元彦氏経済アナリストの中原圭介氏が「日本の進むべき道」を探る。
後編はインフレと暴動や革命の関係について。
歴史の節目に起きた暴動や革命では、食料価格の高騰が背景にあった。
はたして「インフレ=善、デフレ=悪」という今の図式は、本当に正しいのだろうか。

革命や動乱の源には、インフレがある
中原:
歴史的に見ると、革命や動乱というのは、デフレのときにはまったく起きていません。
すべてインフレのときに起こっているんです。
18世紀のフランス革命もそう、20世紀の天安門事件もそう、21世紀の「アラブの春」もそうです。
つまるところ、物価が勢いよく上がり続けると、庶民が生活苦に陥ってしまうというわけです。
逆にいえば、よほどのインフレが起きないかぎり、革命や動乱なんて起きないんです。

井沢:
庶民というのは、基本的に相当イヤなことがあっても、たいてい我慢します。
下手に政府に逆らったら、殺されるかもしれないから。
その人たちが最後の最後で立ち上がるのは、やっぱり飢えなんです。
歴史教科書もテレビや新聞も、そこらへんのことをちゃんと伝えていないですよね。

中原:
そうですね。
たとえば「アラブの春」のきっかけは、小麦価格の高騰でした。
2000年以降、原油をはじめあらゆる資源の価格が高騰を続け、その影響を受けて、小麦など穀物の価格までも大幅に上がってしまった。
小麦の価格が高騰することで主食のパンの価格も高騰し、庶民は食べていくのが大変になったんです。
そこで、チュニジアのある若者が生活に困って露店を開いていたら、警察に嫌がらせを受けて退去させられた。
若者は「もう食っていけない」と抗議の焼身自殺をする。
それがSNSで一気に拡散し、独裁政権を倒せという運動につながり、さらにエジプトなど周辺国にも波及していったわけです。
民主化を歓迎した欧米メディアが「アラブの春」と名付けたものの、その後の治安の悪化や紛争によって多くの人々が亡くなっていることを考えると、「春」という言葉はふさわしくない。「アラブの冬」と言ったほうが正しいのではないでしょうか。

井沢:
フランス革命にしても、それまでのフランス社会というのは、確かに聖職者(僧侶)や貴族が威張っている社会でしたが、それが反乱の直接の原因ではなかった。
しかし飢えるとなると、もう立ち上がるしかない。
革命前夜は火山の爆発で天候不順が続き、小麦が取れなかったという話もあります。
マリー・アントワネットが「パンがないならケーキを食べればいいのに」と言ったという有名な話がありますね。
それだけ民衆は食えていなかったということです。
でもあれは、うそなんです。
だって、宮廷の中での発言を誰が外部に漏らしたのか。
肉声を聞ける人なんて、ごくわずかしかいないんです。
そういう周辺の人が、こんな話をバラすわけがない。
ということは、どう考えても、左翼が宣伝のためにでっち上げたんです。
確かに聞くだけでムカッとするけど(笑)。
その意味では、本当にうまいコピーです。

天安門事件もナチスの台頭も
幕末もインフレが原因 
中原:
中国共産党が歴史上なかったことにしようとしている天安門事件も、その原因は穀物の高騰にありました。
確かに「民主化運動」という面はありましたが、それはあくまで一面にすぎません。
中国は当時、物価上昇率が20%前後もあり、食料の値段が上がりすぎたために、国民が食べられなくなっていたんです。
あるいは、第1次世界大戦後のドイツでナチスがあれだけ勢力を伸ばしたのも、戦後の賠償金も一つの要因ですが、やはり激しいインフレの影響がもっと大きい。
こんなに生活が苦しいなら、いっそ社会をゼロからつくり直してほしいと。
そこまで追い込まれていたから、ナチスの主張が人々の心に響いたんじゃないですか。

井沢:
あまり取り上げられませんが、日本の幕末にも、物価がメチャクチャ上がっているんです。
原因ははっきりしていて、幕府が為替レートというか金銀の国内交換比率を、「金1=銀4」と設定していたためです。
これは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の時代、世界と貿易していた頃の比率ですが、鎖国したのでそのまま動かさなかったのです。
ところがその間、海外ではメキシコ銀山の発見などがあって銀の価値が暴落し、「金1=銀16」くらいの比率になっていた。
その状態で開国したため、外国人が日本に安い銀を持ち込んで金をどんどん持ち出すことになったのです。

井沢:
幕末の日本というと、貧乏だったというイメージがあります。
確かに欧米に比べれば、馬車もないし、電灯もない。でも金の保有高でいえば、日本はもしかしたら世界一だったかもしれないんです。
そこに日本人の誰かが気づいていれば、当時の日本は世界から何でも買えたんじゃないかな。
しかし気づくことはなく、幕末の日本は本当に貧乏になった。
基軸通貨の金が大量流出したことで、すごいインフレになったんです。
そうすると、誰もが食えない。
食えないから、今の体制を倒してしまおうと。
これが倒幕運動に火をつけたわけです。

「デフレは悪」は大間違い
中原:
逆に、デフレが経済に悪いとは一概には言えません。
たとえば2015年のイギリスは、ポンド高や原油安によってデフレが進行しましたが、GDP成長率は実質で2.2%でした。
これはドイツの同1.7%やフランスの同1.2%を大きく上回っていました。
つまりポンド高や原油安によって国民の実質的な所得が上がり、消費が増えたことを表しているんです。
あくまでインフレやデフレは好況や不況という経済現象の結果であって、好況や不況の原因にはならないんです。
経済学の世界では、原因と結果の転倒した見方をそろそろ改めるべきではないでしょうか。

井沢:
なるほど。
確かにインフレといっても、全員が困るわけではない。
幕末の場合も、農民はコメを持っているから、インフレでモノは買えなくなるにしても、食うには困らない。
町人は、たとえば手間賃なんかを値上げする。
すぐには追いつかないけど、物価が3倍になったのならば、手間賃を3倍にしてもらうということは不可能ではない。
ところが、武士はコメで給料をもらっているのに、そのコメがメチャクチャ値下がりしたわけだから、もう本当にやっていけなくなった。
だから「ええじゃないか」というのは、発端はもちろん伊勢神宮のお札をまくという宗教的暴動のようなものかもしれませんが、私は「もうこれじゃあ、とても食っていけねえ」という幕府の経済失政に対する怒りだと思うんです。
日本でもフランスでも言えることですが、インテリが「このままではわが国はダメになる」と言っただけでは、絶対に国は変わりません。
庶民が「食えなくなった」と実感すると、国は変わるのです。
そういう意味では、徳川幕府の政策が明治維新を起こしたと言ってもいいと思います。

アメリカを見れば
「インフレ=善」とはとても言えない
中原:
多くの経済学者が間違っているなと思うのは、まさにそういう庶民の貧困に対する見方です。
本来なら、その国の制度や人々の価値観、生活スタイルによって、それぞれ違う見方をしなければいけないはずです。
でも経済学者というのは不思議で、世界的に統一した指標で見たがるんですね。
たとえば最近、日本の相対的貧困率の高さがよく話題になります。
これは国民を所得(等価可処分所得)の高い順に並べて、その中央値の半分に満たない人の割合を言います。
 この指標で見ると、日本は先進国中でアメリカに次いで2番目にひどいという話になる。
夫婦2人・子ども2人の4人家族ならば、世帯の年収が300万円程度だと相対的貧困と見なされるのです。
しかし、日本でも物価の安い地域で暮らせば、300万円でそこそこの生活はできるはずですよね。
でも、アメリカで同じ4人家族で300万円、仮に1ドル=110円として約2万7000ドルの収入があったとして、日本と同じ生活水準を保てるかといえば、それは無理です。
アメリカは日本と比べて物価がとても高いですから。
これまでデフレが続いてきた日本は、ほかの先進国と比べて圧倒的にモノが安いんです。
アメリカだけではありません。
たとえば今、フランスで軽い朝食を食べたとしても、場所にもよりますが日本円で1500〜2000円は取られてしまいますよ。
要はインフレかデフレかは人々の生活水準には関係なく、実質的にどちらが豊かなのかという視点が大事だということです。
そういった視点をまったく考慮せずに、経済学者も日本政府も欧米の価値基準にならって「デフレは悪だ」と決め付けてきたわけです。
インフレの国アメリカで国民の3人に1人が貧困層および貧困層予備軍であるという実態を見ていると、「インフレ=善」とはとても言えませんね。
だから私は、国民生活がよい方向にいくのであれば、インフレでもデフレでもどっちでもいいんです。

井沢:
ちなみに明治維新後、新政府が進める廃藩置県に対し、喜んで差し出す藩主がけっこういたんです。
差し出せば「県知事」のような地位を得て給料をもらえるから。
しかも、これまでの部下も全員リストラできる(笑)。
自分だけ再雇用されるという、すごくおいしい話だったんです。
一方、クビになって路頭に迷ったはずの武士たちも、萩の乱や西南戦争などを除いてほとんど反乱を起こしていません。
それは、新政府が武士の地位をうまく消去していったからだと思います。
そのきっかけになったのが廃刀令です。
それから四民平等を唱えて士農工商の身分差をなくし、断髪令で見掛けも平等にする。
のうえで公務員も自由に採用し、農民や町民も兵役に就かせた。
こうして徐々に武士の実質的特権というものをなくしていったわけです。
「士族」という言葉だけは残しましたが。

乱を起こしたのは、勝ち組となったはずの西国諸藩の武士たちです。
幕府を倒していい地位に就けると思ったら、それは幹部クラスだけで下層の武士は役職に就けず、しかも徴兵制度などによって武士という特権も剝奪され、不満が高まったからです。
薩長の上層武士で新政府の役職に就けた者などについては、逆に優遇されて特権が残された。
だから不満を持つ武士が西郷隆盛の下に集まり、蜂起して西南戦争を起こすに至ったわけです。
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2017年09月13日

西村京太郎が陸軍エリート養成学校で見たカルト的精神主義「日本人は戦争に向いていない」

西村京太郎が
陸軍エリート養成学校で見た
カルト的精神主義
「日本人は戦争に向いていない」
2017.09.12 LITERA編集部

 ミサイル発射や核実験により北朝鮮をめぐる緊張が高まっている。
国際社会はこの状況に対し対話による解決を呼びかけているのに対し、安倍首相は勇ましい発言で危機を煽り、好戦的な世論を醸成している。
 そんななか、こんな印象的な言葉を記した本が話題になっている。
〈日本人は戦争に向いていない〉
  この言葉の主は、ミステリー作家の西村京太郎氏。

彼は先日出版した『十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」』(集英社)のなかで、このような言葉を記している。
 戦中世代として戦争反対を訴える文化人は数多いが、1930年生まれの西村氏は、そのなかでも少し特殊な経歴の持ち主として知られている。

 西村氏は1945年4月、八王子にあった東京陸軍幼年学校に入学。
終戦によりそのコースを歩むことはなかったが、もしも戦争が続いていたら3年間幼年学校に通った末、陸軍士官学校、陸軍大学校へと進む軍人のエリートコースを進んでいただろう。
幼年学校は、東京、仙台、名古屋、大阪、広島、熊本の6校があり、その合格倍率は100倍以上だったというから相当に成績が優秀な子どもだったということがわかる。

 そんな彼にとって戦争とはなんだったのか?
 そして、なぜ〈日本人は戦争に向いていない〉という言葉にいたったのか?

 西村氏が少年時代に目の当たりにした戦争とは、「生きて虜囚の辱めを受けず」の文言がある「戦陣訓」をはじめとした、「宗教」と喝破してもいいほどの行き過ぎた精神主義・根性主義だった。
 その精神主義が兵士のみならず多くの民間人を殺したことはご存知の通りだが、西村氏の身近にも、この理不尽な精神主義に殺された人がいた。

 それは、幼年学校で同じ学年だった及川君という生徒である。
彼とはクラスも違っていれば、言葉を交わしたこともなかったというが、いまでもその名前を忘れることができないという。
それは、彼の死に方が怒りを覚えずにはいられないものだったからだ。

陸軍幼年学校で西村京太郎が
  目の当たりにした同級生の死
 彼が亡くなったのは、終戦間近の8月2日。
この日、B29による爆撃が幼年学校を襲った。
この空襲で7 人の生徒と3人の教師が亡くなったが、そのうち西村氏と同じ学年で亡くなったのは及川君ひとりだったという。
 空襲が始まると、生徒たちは防空壕に避難。
西村氏は収容人数いっぱいの防空壕に入ることができなかったため近くの神社に逃げ込んで難を逃れたが、及川君は逃げ後れて犠牲になってしまった。

及川君が逃げ後れた理由、それは旧日本軍が押し付けてきたカルト的な精神主義のせいだった。

〈及川は、今、靖国神社に祀られていることからもわかるように、陸軍幼年学校の生徒は、兵士だった。
だから、私たちは、入校と同時に短剣を渡された。
「この短剣は、天皇陛下から頂いたものであるから、常に身につけていなければいけない」  と、繰り返し、教えられた。
 だから、私も千葉も、短剣を腰につけて、雄健神社に逃げた。
 ところが、及川は、短剣を忘れて、生徒舎を飛び出してしまったのだ。
気がついた及川は、短剣を取りに、炎上している生徒舎に引き返して、死んだ。〉
(前掲『十五歳の戦争』)

 短剣など所詮は物であり、いくらでもつくり直しがきくわけで、そんなものは無視して逃げればいいのだが、及川君はそのような行動はとれなかった。
理不尽な精神主義が強制されていたからだ。
 そしてまた、その及川君の死に対する大人の反応が人間としてどうかと思うものだった。
ただ、このように人間の命を軽んじる態度こそが、旧日本軍の本質である。

〈その及川の行動を、校長は絶讃した。
及川生徒は、死を覚悟して、天皇陛下から頂いた短剣を求めて燃えている生徒舎に引き返した。
これは、名誉ある戦死である
 だから、及川は、靖国神社に祀られた。

 反対に、学校の外に逃げた生徒は、校長から叱責された。
「学校の外まで逃げるのは、兵士が戦線を離脱するのと同じだ」  と。
今なら、校長は何というだろうか?〉(前掲『十五歳の戦争』)

 異常な精神主義に日本中が覆われたのを目の当たりにした経験をもつ人は、この国が総力戦に巻き込まれたときの恐ろしさを身にしみてわかっている。
 西村氏と同じく、陸軍幼年学校出身で戦後は作家として生きたという共通点をもつ三好徹氏との対談で、二人はこのように語り、日本が再び戦争ができる国へと歩みを進めることへ警鐘を鳴らしている。

太平洋戦争で浮き彫りになった
日本人の体質は3.11でも再現されたと
          西村京太郎は語る
三好「今、「集団的自衛権」やらなんやらで日本中がすったもんだしているけど、僕は安倍首相の強引なやり方はいかがなものか、と思う。
多少なりとも「常識」を持った人間ならば、もっと逡巡するだろうし、まして一国の首相ともなれば、とことん思索してもらわなくちゃいけない。
しかし、安倍さんの主張する言葉や思いっていうのは、自衛隊の持つ基本思想の根幹や存在意味や価値を損なうばかりじゃないか、と。

僕は当時「毎日新聞」記者だった彼の父親(晋太郎/衆議院議員)と同じ記者クラブで三年間いっしょだったから知っているが、父親に比べて息子である今の首相は勇まし過ぎるんですよ。戦争の経験のない人間ほど勇ましいことを言いたがる」

西村「僕は日本人というものは戦争に向いていないんだと思うんです。
戦うこと、争うことが得意ではない。
安易に命をかけて負けてしまう。
死んでもいい、と思って戦ってしまう。
それって要するに戦争が下手で弱いんです。
だって、負けるのがわかっていても、死ぬことがわかっていても戦うなんて正気の沙汰じゃない。
だから、戦争には触れても近づいてもいけない。そう思うんです。

 今年、戦後七十年ということもあって、太平洋戦争の資料や記事や本を読む機会が増えているんですけど、読めば読むほど、「日本人は戦争が下手だな」と思うんですよ。
負けることがわかっているのに戦うことをやめられない。
そして自分から命を差し出して死んでいっちゃう。
命がとても軽い。
だめでしょ、こんなの」(「小説すばる」2015年9月号/集英社)

 これは「過ぎ去った過去の出来事」ではない。
現在にも通じるものでもあり、だからこそ戦争はしてはいけないのだと西村氏は語る。
2017年8月10日放送『報道ステーション』(テレビ朝日)で西村氏はこのような言葉を残している。

「「死んでなんとか勝つぞ」とかね、すると、なんとなくおさまりがいいんですよね。
日本人ってそういうところがあるんじゃないかと思うんだよね。
だから、「死んだ気でやるぞ」とか言われると、それに反対できなくなっちゃう
本当は反対しなくちゃいけないんだけどね。
戦争はしないほうがいい。
戦争するとやっぱり日本人って行っちゃうんですよね、そっちへね。
「みんなが死んでるのに俺だけ生きてるわけにはいかない」とか言ってね」

 なぜ、戦中に浮き彫りになった日本の体質が過去のものではないと断言するのか。
それは、つい最近も、日本人の甘えや責任逃れの本質が変わっていないと痛感させる出来事があったからだ。
前掲『十五歳の戦争』はこのような文章で締められている。

〈戦後は、現在まで戦争はなかったが、原発事故があった。
その時も、虚偽の報告を重ね、責任を取ろうとせず、ひたすら組織を守ることに、汲々としていた。
これではとても、現代戦を戦うのは、無理だろう。
良くいえば、日本人は、平和に向いているのである〉

 原発事故の収束もできないまま、事故などなかったかのようになし崩し的に再稼働を進める。72年前の戦争の反省を忘れ、米朝の戦争に日本を巻き込ませようとする。
これ以上、安倍政権の横暴を許した先に待っているものは何か。
安倍首相の好戦的な発言に煽られることなく、異を唱え続けなければならない。
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2017年09月14日

私たちは「大人の脳」の使い方を知らなすぎる:10代半ば頃からは勉強法を変えるべき

私たちは「大人の脳」の
   使い方を知らなすぎる
10代半ば頃からは勉強法を変えるべき
2017年09月07日 東洋経済(構成.黒坂真由子)

瀧 靖之 :
東北大学加齢医学研究所教授、
医師、医学博士

大人の勉強、
大事なのはどっち?
資格試験に向けて勉強をしている、一卵性双生児のAさん(35歳)とBさん(35歳)。
同じ問題集を使い、同じ時間勉強をしているのに、Aさんはいつもトップ、Bさんの成績は一向に振るいません。
2人の何が違うのでしょうか?
2人の違いは、「勉強法」。
Bさんが子どもの頃と同じ勉強の仕方をしていたのに対し、Aさんは勉強方法自体をガラリと変えていました。
勉強法も「大人用」にシフトチェンジしていたのです。

私は脳の専門家として、日々たくさんの人の脳と向き合っています。
私の専門は脳の画像診断で、MRIという磁気を使った装置で人々の脳の画像を取り、それをデータとして蓄積し解析をしています。
これまでに5歳の子どもから80歳を超えるお年寄りまで、16万人もの方の画像を見てきました。ここで蓄積されたデータとその他の情報(「遺伝子」情報、「認知力テスト」の結果、「生活習慣」に関する情報など)の情報を比較していく中で、子どもと大人の脳の違い、私たちの脳が持つ「クセ」のようなものもわかるようになってきました。

大人、具体的には10代半ばごろからは、勉強法を変えなければなりません。
それはなぜでしょうか?
答えは簡単です。
「大人と子どもでは、脳の機能が違う」からです。

私たちの体が成長するように、脳も年齢に従って変化をしていきます。
ですから、7歳の自分と35歳の自分の脳では、ずいぶんと内容が違っているのです。
それは、判断力、思考力といったことにとどまらず、勉強方法や暗記方法にまで及びます。

ところが、多くの方は学生時代に身に付けたのと同じ勉強の仕方で、目の前の学習に対処しようとしてしまいます。
これは言ってみれば、子ども用のラケットで錦織圭のスマッシュを受けようとしているようなもの。
太刀打ちできないのも無理はありません。

大人には、大人用の勉強法がある
では、大人の勉強法とは、具体的にどのようなものなのでしょうか? 
もちろんその理由は脳科学の見地からご説明いたします。

Q. 予習 or 復習。
   脳に定着しやすいのはどっち?
答えは「予習」です。
脳には「ファミリアリティ」という性質があります。
これは簡単にいえば「知っているもの=好きなもの」 と認識する性質です。
予習をしておくと、脳は「それを知っている」と判断し、「好き嫌い」を感じる脳の部位「扁桃体」に「好き」という感情が湧き起こります。
「扁桃体」は、記憶をつかさどる「海馬」と近く、両者は連動して活動しています(fMRI による)。
そのため、脳にとっては「知っているもの=好きなもの=覚えやすい」となるのです。
そのため予習をしっかりすると、授業本番の学習効果が上がるだけでなく、脳にも定着しやすくなるのです。
なお、予習時間は5分程度でも効果は期待できます。
忙しい大人には、予習・復習をたっぷりする時間はありませんが、最低でも5分の予習時間を持つことで、勉強効率がぐっと上がるのは間違いありません。

Q.英単語の暗記。
「起きてすぐ」or「寝る直前」
どっちがいい?
正解は「寝る直前」です。
暗記した内容は、睡眠時間の間に記憶として定着します。
脳は寝ている間に、その日のうちに得た情報を整理し、大切な情報を長期記憶に移動するのです。
この記憶のメカニズムは大人に限った話ではありませんが、機械的記憶の能力が下がってきている大人は、特に意識したいポイントです。
しかし、ただ寝る前に暗記すればいい、というわけではありません。
大切なのは、「学習後は→何もせず、すぐに寝る」ということ!
 暗記と睡眠の間に、少しでも違うことをしてしまうと、「記憶の攪乱」が起きてしまいます。これは、たとえば暗記した英単語と、寝る前に見たスマホの画面の内容が、脳の中で混ざり合う現象です。
これが記憶の効率を低下させるのです。
「寝る直前の暗記もの」が、脳には効果的ですが、暗記した後はなにもせずに布団に直行してください。
ちなみに、暗記時間は長くとる必要はありません。
10分もあれば十分です。

Q. 反復練習 or 語呂合わせ 
脳の効率がいいのはどっち?
大人にいいのは、「語呂合わせ」です。
子どもの頃は「神童」と呼ばれていたのに……という方、周りにいませんか?
 自分がそうだった、という方もいるかもしれません。
子どもの脳が得意としているのは、「機械的記憶」。
これはまるで「コピペ(コピー・アンド・ペースト)」するかのように、物事を暗記する能力です。
ですから子どもの頃は、どんなことでもどんどん記憶できてしまいます。
モンスターの名前をソラで言える子、昆虫にやたらと詳しい子、英語の歌を1回聞いただけで歌う子。
これらは皆、機械的記憶のなせる技です(ですから親は「うちの子は天才!かも」と思ってしまうのですね)。
大人の脳は「とにかく全部覚える」というような力技を使わなくなります。
もっと効率よく、物事を暗記しようと試みるのです。
大人の脳は省エネなのですね(実際子どもの脳は、大人の2倍ほどのエネルギーが必要です)。

「連合記憶」を活用する
大人の脳が好んで使うのが「連合記憶」というもの。
これは何かと何かを関連づけて覚える方法です。
関連づけられるようになるためには、脳にある程度の知識がストックされる必要があります。
機械的暗記から連合記憶に変わるのは、10代の半ばくらい。
ですから、大学受験のときにはもう、連合記憶の活用を始めるのがいいのです。

語呂合わせは連合記憶を利用するうまいやり方です。
「794(鳴くよ)うぐいす平安京」「1467(人の世むな)し、応仁の乱」。
このような歴史の年号だけでなく、あらゆる暗記もので語呂合わせができないか、工夫してみるといいですね。
私は英単語も語呂合わせで覚えました(笑)。
数十年たった今でも忘れないのは、連合記憶を活用したからなのです。
大人には、大人用の勉強法があります。
そしてそれを知ることは、今からでも遅くありません。
なぜなら、脳は使い始めたその日、その瞬間から成長し始めるものだからです。
あなたがあきらめることさえしなければ、脳の成長に終わりはないのです。
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2017年09月15日

沖縄で米軍の核ミサイルが事故! Nスペ衝撃のスクープは過去の話じゃない、北朝鮮危機に乗じ核配備を狙う安倍政権

沖縄で米軍の核ミサイルが事故!
Nスペ衝撃のスクープは
過去の話じゃない、
北朝鮮危機に乗じ
核配備を狙う安倍政権
2017.09.14 LITERA編集部

 那覇の米軍基地で、核ミサイルが誤発射される事故が起きていた──。
9月10日放送のNHKスペシャル『スクープドキュメント 沖縄と核』が衝撃の事実を報じた。  

東西冷戦の最中である1959年、アメリカの支配下にあった沖縄には、共産主義勢力に対する防波堤として大量の核兵器が配備され、その大半が嘉手納弾薬庫地区に貯蔵されていた。
番組によれば、これを敵機の攻撃から守るための迎撃用核ミサイル「ナイキ・ハーキュリーズ」が、嘉手納などの弾薬庫を取り囲むように8カ所に設置。
“核兵器によって核を守る”という態勢のなかで、ナイキ誤発射事故が発生していたという。

『Nスペ』は、3カ月に及ぶ取材の末、当時、事故を起こしたナイキ運用部隊に所属していた元米軍兵士、ロバート・レプキーさん(81歳)を見つけた。
事故について初めて語ることを決断したというレプキーさんは、ディレクターに対し、事故時の状況を説明。
それによると、事故は1959年6月19日、海に面した那覇基地(現在の那覇空港の場所)で訓練中に発生した。
一人の兵士が操作を誤り、突然、ブースターが点火して、ナイキが水平に発射。
核ミサイルはそのまま海に突入したという。
実際、番組が独自入手したナイキ運用部隊の日報には、「兵士が1人死亡。原因はナイキの点火」と記されていた。

レプキーさんは、番組に対しこう語っている。
「突然、轟音が鳴り響きました。
振り向くとナイキが海に突っ込んでいました。
地面には仲間が倒れて死んでいました」
「(ナイキに)核弾頭は搭載されていました
「核弾頭特有の装置が付いていたので分かったのです」
「その核弾頭の威力は広島に投下された原爆と同じ規模で20キロトンでした」

 人口密集地である那覇で、この事故により、もしナイキが核爆発を起こしていたら──。
状況が異なるので単純に比較はできないが、広島型原爆の場合、炸裂した瞬間の中心温度は100万度超で、熱線と爆風により、半径2〜3キロメートル内では木造家屋がほぼ倒壊、焼失した。
大量の放射線放出も含め、甚大な被害を及ぼしたのは間違いない。

 だが、ナイキの事故は徹底して隠蔽された。
NHKが入手した米軍の「SECRET」と記された内部文書には、「核兵器の事故は、アメリカの国際的地位を脅かす」
「すべての情報は関係者以外、極秘とする」と記載されており、米軍は海に沈んだナイキを密かに回収。
レプキーさんはこう証言している。
「事故は全面的に機密扱いで、一切話すなと命じられました。
核が絡んでいたからです」
核爆発を起こしていたら那覇が吹っ飛んでいたでしょう」

元米国防長官が証言
「沖縄に核を持ち込むことを
選んだのは、日本政府」
 実際、事故発生翌日の沖縄紙では、沖縄タイムス・琉球新報ともに「1人が即死し、5人が負傷した」
「事故の原因は明らかではない」との軍司令部情報部の発表が伝えられただけで、核弾頭を搭載したミサイルの事故であったことは記されていない。
今回のNHKによるスクープまで、米軍の隠蔽により、真相は完全に封印されてきたのである。  

愕然とするほかないが、『スクープドキュメント 沖縄と核』ではほかにも、
60年代、米軍が接収した沖縄本島北部の伊江島の土地で、住民に知らせることなく核戦争を想定した訓練が行われ、落下した模擬核爆弾で住民が死亡したことや、キューバ危機の際、沖縄の核ミサイル発射基地で、いつでも共産主義圏に核を発射できる態勢が整っていたことなどを、内部資料や当時の米軍兵士の証言などから突き止めている。
結果的に冷戦下での核戦争は寸前で回避されたが、もしも沖縄から核ミサイルが発射されていれば、当然、ソ連も報復として沖縄を核攻撃しただろう。
アメリカと「本土」に翻弄された沖縄は、住民がまったく知らない間に、壊滅する一歩手前までいったのである。

 そして、1972年に本土に復帰してからも、沖縄には依然として在日米軍基地の7割が集中し、米軍関連の事故や犯罪が相次いでいるが、『Nスペ』も指摘しているとおり、沖縄に基地が集中的に置かれた背景のひとつには、本土での核兵器配備への反対運動の煽りを受けて、代わりに、アメリカ統治下の沖縄に核兵器を配備する方針が敷かれたことにある。
 また、日本政府は公に認めていないが、日米間で核密約が交わされていることは公然の秘密だ。
たとえば、60年安保時の首相・岸信介は、ダグラス・マッカーサー2世駐日大使らとの間で核搭載戦艦の通過や寄港は事前協議の対象としないとする密約を交わしたとされ、
さらに、沖縄返還時の首相・佐藤栄作の密使だった若泉敬氏は、1969年ホワイトハウスでの首脳会談の際、佐藤とニクソン大統領が密室で沖縄への核持ち込みの密約を交わしたと証言している。

『Nスペ』でも、ニクソン政権で国防長官を務めたメルヴィン・レアードが、昨年の死去の2カ月前にインタビューに応じ、沖縄核密約の背景をこう語っている。
「核を沖縄に持ち込まないのなら、他の場所を探さなければならない。
結局、日本は沖縄を選んだ。
それが日本政府の立場だったよ。
公にはできないだろうがね」

 本土は、太平洋戦争での沖縄戦だけでなく、戦後の安全保障でも沖縄を“捨て石”としてきた。その構図は2017年現在でも、まったく変わっていない。

北朝鮮の核開発を口実に、
核配備を狙う安倍政権と安倍応援団
 実際、“沖縄核密約”はいまでも効力があるとみられている。
昨年、春名幹男・早稲田大学大学院客員教授が発見し、「世界」(岩波書店)16年6月号で示した米国防総省の歴史書には、
米国は(核)核兵器を撤去するが、危機の際にこれらを再持ち込みする権利を維持している〉と記されていた(第7巻「Melvin Laird and the Foundation of the Post-Vietnam Military」344頁)。
この記述のある「Secretaries of Defense Historical Series」と題された歴史書群は、米国の機密文書ではなく、国防省のホームページで誰もが閲覧可能なもの。
つまり、アメリカは核の持ち込みを「密約」ではなく「権利」として誇示しているのだ。

 そう考えると、沖縄返還以降も、米軍によって秘密裏に核兵器が持ち込まれてきた可能性は否定できない。
北朝鮮の核開発が始まって以降、その可能性はさらに増大していると考えるべきだろう。
 そして、今後、米国、トランプ政権は北朝鮮の核武装への対抗という名目で、日本の米軍基地への核配備を秘密裏でなく、正式に認めるよう圧力をかけてくる可能性もある。
 これは、安倍首相やその応援団にとっても願ったりかなったりの事態だ。
安倍首相はもともと、官房副長官時代の2002年、早稲田大学で開かれた田原総一朗氏との対話のなかで「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。小型であればですね」と語っていたことからもわかるように、核武装論者だ。

2015年の広島での平和記念式典での演説では、「非核三原則の堅持」の文言を自らの判断で省いてもいる。
 安倍首相もまた、北朝鮮の核開発を理由に、非核三原則を見直し、まず米軍が核兵器を持ち込めるように動くだろう。  
 すでに、安倍応援団はそうした世論づくりに動き始めた。
産経新聞は9月12日大阪夕刊で、河村直哉・論説委員が〈核兵器による核抑止という均衡の上に平和が保たれている現実を、忘れてはならない〉として、〈核は抑止力であり、日本の安全保障の向上につながるなら、議論されてしかるべきだろう〉
〈米軍の核搭載艦船の寄港などを認める日米間の密約が明らかになりながら、いまだに「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を建前としていることなど、思考停止した偽善にも等しい〉と鼻息を荒くしている。

 NHKスペシャル『スクープドキュメント 沖縄と核』は、9月19日深夜に再放送される。
日米両政府の思惑でつくられた“核の島”は、決して半世紀前の過去の話でも、沖縄だけの問題でもないのだ。
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2017年09月16日

休日にドッと疲れの出る人が実は危ない理由:まじめな人ほど自分を追い詰めている

休日にドッと疲れの出る人
実は危ない理由
まじめな人ほど
自分を追い詰めている
2017年09月02日 東洋経済

マッツ・ビルマーク :
インナー・ヘルス・エデュケーション代表

「最近どう?」 人から尋ねられたときに、「変わらず元気です」「順調です」と社交辞令で答える人は少なくないでしょう。
同じように、仕事で同僚や上司から、プライベートで家族や友人から、「大変そうだけど大丈夫?」なんて聞かれたとき、とりあえず反射的に「大丈夫」と言うことがクセになっていないでしょうか。

本当は、誰かの助けが
必要な状況でも…
本当は大丈夫でなく、誰かの助けが必要な状況でも、「大丈夫」と言うのが大人として当たり前、なんて思っている人は多いのではないでしょうか。
そんなまじめな人は、知らず知らずのうちに自分を追い詰めてしまう「助けを求められない人」かもしれません。

私はスウェーデン、カルマル市に生まれ、自分で興した会社でずっと働いてきました。
昔からずっと、いわゆるリーダー、起業家タイプでしたが、社交性や愛想のよさを隠れみのに、実は不安症を長年抱えていました。
その心の病を妻であるスーサン・ビルマークと共に夫婦で抜け出しました。
共著である『北欧スウェーデン式 自分を大切にする生き方』にも詳しくまとめてありますが、ここ数年は心の病の研究に力を入れ、ストレスに悩む人の助けとなるべく活動しています。

こんなことに心当たりはないでしょうか。
平日は精いっぱい頑張って、休みになった途端、疲れがどっと出て休日は寝てばかり。
あろうことかせっかくの長期休みの最初の日に風邪をひいたりする。
もしくは大きな仕事が終わってほっとした途端に体調を崩してしまう。

重度のストレス障害につながりやすい要因はいろいろあります。
いくつか挙げてみましょう。

・精神的に強い人だと思われたい
・成果を出すよう求められて育った
・自分の問題を人に話さない
・人に助けを求めるのが難しいと感じる

思い当たる人は、頑張りすぎて自分の具合が悪いことを自覚できなくなっているのかもしれません。
仕事や、やらなければいけないことで頭がいっぱいになり、自分自身の体と心を意識することがなくなってしまうのです。
ストレスを感じているときにやりがちでいちばん危険なのが、このようにスイッチを切ってしまって、体からの警告を無視することです。
「スイッチを切る」ことが、精神破綻への第一歩となるケースは少なくないのです。

私がどん底状態だったとき、いちばん必要だったのは話を聞いてくれる相手でした。
ただ、すでに感覚のスイッチを切ってしまっていましたので、自分の回復はもはや優先事項ではありませんでした。
それどころか、家計や自分の会社を取り巻く環境に感じる、大きなストレスにばかり意識が向いていたのです。
予定表は会議で毎日びっしり埋まり、同時に複数のことをこなしていました。
やるべきことをリストからひとつ消しても、すぐにまた別の要件で埋まっていきます。
いつまで経っても仕事が終わらず、手を休める暇がありませんでした。

仕事に優先順位をつける、筋道立てて考える、ここまでと決めたらあとは断る、といったことがどんどんできなくなっていきました。
完全な無力感に襲われ、ろくに眠れず、胃潰瘍になり、背中には鋭い痛みがあり、不安で仕方ありませんでした。

助けの求め方がわからなかった
もうこれ以上無理だと感じていましたが、助けの求め方がわからなかったのです。
精神科医に話を聞いてもらうなんてとんでもない、と思っていました。
そんなところへ行くのはかなり心を病んでいる人だけだ、と自分に言い聞かせていたのです。
しかしあるとき通っていたジムで、誰かがスティグ・フルドの話をしているのを小耳に挟みました。
スティグはスウェーデンではよく知られたメンタルコーチです。
悪いうわさはなく、ずいぶん人気のようでした。
スティグに連絡をとってほどなく、自分が子どもの頃に抱えていた問題について、わたしはスティグと話し合っていました。そ

れまで誰にも話さなかったことを聞いてもらえて、とてつもない解放感を覚えました。
リラックスするエクササイズも彼から教わり、前ほどストレスを感じないようになりました。

スイッチを切ってしまえる人の厄介な点は、具合が悪いのを自覚しなくなることです。
仕事のことで頭がいっぱいだと、自分自身を意識することがなくなります。
自分自身や家族にどんな思いをさせているか気づかないのです。
週末や休みが近づくと不安になります

脳がようやくひと息ついてじっくり考えられる機会なのに、むなしくなったり、胃や頭が痛くなったり、疲れをどっと感じたり、風邪をひいたりしがちです。
月曜日になると、またスイッチを切ります。
ここまでくると、何かしなければならないことがあるたびに、スイッチを切ることが習慣になってしまっています。

体のあちこちが痛いのを無視し、自分のいろいろな問題を抑え込んで、意識を仕事に集中させているのです。
そんな自分を止めるには、病気になって寝込むか病院送りになるかしかありません。
歯が痛ければためらわずに歯医者へ行き、車の調子が悪ければ修理工場へ持っていくのを恥ずかしく思うことはありません。
それなのに心の不調となると、助けを求めるのをためらったり恥ずかしがったりします。

選択の余地がなくなってしまうまで放っておいてはいけません。
手遅れになる前に、いますぐ助けを求めるのが望ましいことです。
パートナーに話を聞いてもらうのも大切ですが、専門療法士の代わりにはなれません。
助けを求めるのは人として当然のことです。
自分の状況は自分で変えられます。
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2017年09月17日

官邸と産経が煽動する東京新聞・望月記者バッシングがヒドい! 卑劣な報道圧力に、メディアは即刻抗議せよ!

官邸と産経が煽動する
東京新聞・望月記者
バッシングがヒドい!
卑劣な報道圧力に、
メディアは即刻抗議せよ!
2017.09.16 LITERA編集部  

官邸が今月1日、菅義偉官房長官の会見で孤軍奮闘する望月衣塑子記者が所属する東京新聞に対し書面で注意喚起をおこなった件が、さらに醜い事態を招いている。
今度は産経新聞が、望月記者の発言をめぐって抗議文を東京新聞に送りつけたのだ。

 そもそも、官邸が望月記者の質問に対して注意喚起の文書を出していたことが公になったのは、翌2日付の産経の記事が発端。
その後、民進党議員が問題の文書を手に入れ公開したが、そこには内閣官房総理大臣官邸報道室長の上村秀紀氏の名前で、以下のように綴られていた。

〈官房長官記者会見において、未確定な事実や単なる推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせるような事態は、当室としては断じて許容出来ません。
貴社には再発防止の徹底を強く要請します〉

 ここで官邸が問題にしているのは、望月記者が加計学園の獣医学部設置認可について8月25日の会見で「認可の保留という決定が出ました」と発言したこと。
文科省が認可保留を発表する前だったため、「決定」という発言を〈未確定な事実や単なる推測〉だと攻撃したのだ。  

しかし、認可保留の決定については、8月10日の時点で産経も含むほとんどの新聞・テレビがすでに報じていたことで、また望月記者が質問したわずか数時間後には文科省も正式発表しており、
〈未確定な事実や単なる推測〉などではまったくない。
仮に「未確定な事実」や「単なる推測」だったとしても、それを質問して何が悪いのか。
政府が正式発表したことしか質問できないとなれば、報道の自由を著しく侵害するもので、戦時中の大本営発表か、中国や北朝鮮の国営メディアかという話だ。

 だが、この官邸による注意喚起の文書について産経が官邸に丸乗りした上、望月記者に対する批判とともに報じると、安倍応援団やネトウヨのあいだで過熱していた望月記者バッシングはさらにヒートアップ。
なんと、報道が出て2日後の4日午後9時ごろに東京新聞には、中年男性の声で「ネットニュースに出ている記者は、なぜ政府の言うことに従わないのか」「殺してやる」という旨の電話がかかってきたという。
これは望月記者への「殺害予告」だ。

官邸の意を汲んで、
望月バッシングを
煽動してきた産経新聞  
こうしたネット上の望月記者に対するバッシングを煽ってきたのは、その産経だ。
6月に望月記者が官房長官会見で質問をおこなうようになるや否や、「産経ニュース」でさっそく批判記事を配信。
その後も繰り返し望月記者の質問を批判、「野党議員のような質問」「会見時間の半分を浪費」などと個人攻撃を展開してきた。
さらに9月9日には石平氏が「彼女のやってるのは吐き気を催すうぬぼれだ!」などと書き立てた。

 この異常な事態を受け、望月記者は14日の会見で、
「注意文書のことが産経新聞になぜリークとして出て、記事が出て、またこれまでの官房長官とのやり取りもいくつも記事にされていた」と言及。
「言論弾圧を助長するかのようなネット上の誹謗中傷、ネット以外の誹謗中傷等々について、政府としてはいまどのように受け止めていらっしゃるのか」と菅官房長官に質問したのだ。

 会見での質疑応答をもとに記者が殺害予告まで受ける。
報道の自由を守る責任を負う政府としては、断固としてそうした卑劣な行動にノーという毅然とした態度を示すべきだ。
しかし、菅官房長官は「ネットにいろいろ書くというのは、それはいろんな方の自由であるということも事実じゃないでしょうか。
政府としてはコメントすることは控えるべき」とお茶を濁すだけだった。  
しかも、このように望月記者への誹謗中傷を煽ってきた産経は、望月記者の「産経にリークとして記事が出た」という発言を「事実無根であり、社の名誉と信用を著しく毀損するもので看過できない」とし抗議文を出したのだ。

 よくもまあ恥ずかしげもなく……とあきれ果てるしかない。
連日のように露骨な官邸リーク記事を紙面に踊らせている産経が、今さらリークといわれて毀損されるような“名誉や信用”などいったいどこにあるのか。
しかも、この注意喚起の件に限らず、産経が望月バッシングを展開してきたのは、リークの有無にかかわらず官邸の意図と歩調を合わせたものであることは明らかだ。

 菅官房長官に厳しく詰め寄る望月記者の存在が官邸は疎ましく、この間裏で個人攻撃のチャンスを狙っていたといわれる。
実際、「週刊新潮」(新潮社)6月22日号によると、菅官房長官は会見で切り込んでくる望月記者に怒り心頭。
邸スタッフに「警察組織を使って彼女の身辺調査をするよう命じた」ということが報じられている。

 官邸リークによる読売新聞の前川喜平・前文部科学事務次官の“出会い系バー通い”報道を彷彿とさせる一件だが、官邸が産経と読売を巧みに使い分けリーク記事を書かせていることなどもはや周知の事実だ。
 そんな産経に「報道の自由」やジャーナリズムの使命を説いたところで、八百屋で魚を買うようなことかもしれない。
だが、問題なのは、産経は言うまでもないが、ほかのメディアの対応だろう。

官邸に狙い撃ちされた
東京新聞・望月記者を
見殺しにする、忖度メディア
 繰り返すが、官邸が東京新聞に出した注意文書は、明白に「報道の自由」に対する圧力である。
「未確定な事実」や「単なる憶測」と言って質問を封じるということ自体が言語道断で、こうした官邸の言い分がまかり通れば、独自で掴んだ情報も「未確定な事実」や「単なる憶測」とされ、政府が認めていることしか追及できないということになってしまう
これは、望月記者や東京新聞だけの問題ではなく、報道の自由を著しく侵害するものとして全メディアが即刻抗議すべき大問題だ。
にもかかわらず、ほかのメディアも東京新聞に対する今回の官邸の注意文書に対し、抗議どころか、何のアクションもしていない。

 唯一の動きは、IWJの岩上安身氏が8日の会見でおこなった質問だ。
ここで岩上氏は「25日のこの時点で、なぜ望月記者が特段に注意されなければならなかったのか。
正式の公表の前とはいえあらかた報じられている内容にもとづいての質問であり、望月記者だけが厳しく注意されるというのはダブル・スタンダードのように感じられますが、その点いかがでしょうか?」と質問。
だが、この件も翌9日、朝日新聞がベタ記事でほんの少しふれただけ。
結局、きょうにいたるまで、どの新聞社・テレビ局ともに、表立って官邸に対して抗議をおこなっていないのである。

 それどころか、望月記者の9月13日のツイートによれば、官邸記者クラブの幹事社であるテレビ朝日の記者が菅官房長官と目配せし、朝日新聞の記者がまだ挙手しているにもかかわらず会見を打ち切るなど、むしろ官邸側の意を汲んでいるくらいだ。
 この、国民の知る権利など放り出して「官邸に嫌われたくない」という保身に走る記者クラブ体質、サラリーマン記者たちの「知らんぷり」加減には反吐が出る
これで「権力の監視」などできるはずがない。

 対して米国のメディアはどうか。
トランプ政権のホワイトハウス報道官だったショーン・スパイサー氏が政権に批判的なCNNやニューヨーク・タイムズなどを会見から締め出した際には、AP通信やタイム誌はいっしょになって会見をボイコット。
ホワイトハウス記者会も抗議声明を発表した。
もちろん、スパイサー氏が菅官房長官と同様にまともに質問に答えず、批判的なメディアには強権的な姿勢を見せても、記者たちは食い下がって何度も質問を繰り返す。
スパイサー氏が詭弁を振りかざした際には露骨にシラけた表情を向け、紙面や番組ではっきりと「嘘つき」「バカ」「大バカ」「最悪の返答」と批判を浴びせている。
これこそが不誠実な政権担当者へのジャーナリズムの本来のあり方ではないのか。

 産経は論外としても、官邸が望月記者を露骨にターゲットにするなかで他社が他人事な態度を取っていることは、この国のメディアのレベルの低さを物語っている。
そしてこれこそが、この国の民主主義の危機を示しているのだ。
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2017年09月18日

「アレさ、実はオレがやったんだよ」――自分の仕事を盛って自慢話をする「アレオレ詐欺師」に要注意

「アレさ、実はオレがやったんだよ」
――自分の仕事を盛って自慢話をする
「アレオレ詐欺師」に要注意
2017年9月17日 キャリコネニュース (松本ミゾレ)

嘘には色んなレベルがある。
誰も困らないような嘘もあれば、ちょっと本当っぽくてややこしく、つい信じてしまいそうになる嘘もある。
嘘なんてつかないに越したことはないと思ってはいるが、個人的には、明らかに一般的に考えて嘘と分かるものなら、別についてもいいようにも感じるところはある。

厄介なのは、事情を良く知らない人が聞いてしまうと、つい信じてしまうようなデマの類だろう。

「あのチームで主力メンバーでした」
嘘をつかれても
部外者が見抜くのはなかなか難しい
そもそも社会人になると、大半の人は後々真実が露見して自分の立場が危うくなるような嘘はつかないはず。
自分のありのままの姿で地道に生きるのが一番だもの。

だけど世間には後でバレたら自分の立場がヤバくなるにも関わらず、ついしょうもない嘘をついてしまう人というのがいるようだ。
つい先日、ツイッターで「アレオレ詐欺」という言葉を知った。

直接自分が関与してもいない仕事にも関わらず、事情を知らない第三者に「アレ、オレがやったんだぜ」としょうもない嘘をつくことをアレオレ詐欺というそうだ。
言い得て妙なネーミングである。
オレオレ詐欺より深刻度はだいぶマシだけど、こんな嘘をついてしまう人は正直キツい。

「職場の使えない人が、他所では『自分がチームの主力だ』と言いふらしていた」だとか。
あるいは「他人の作った成果物を手に面接にやってきて、『これは自分の手がけたものです』などと言ってきた」などというイタい事例なんかも考えられる。
自分の実力で成し遂げてもいないような成果を、色々な方面で、さも自分のお陰で完遂できたように言いふらす。
しかも、その嘘を部外者が見抜くのは難しい。
これがアレオレ詐欺師の実態というわけだ。

ただの虚構マウントならまだしも、
   場合によっては実害を招くリスクも
以前、合コンで女の子の気を引こうと必死になっているやつが、何を思ったかフリーターなのに「オレ、医者なんだけど、こないだタレントがお忍びで入院してきて〜」とか言い出したのを見たこともある。
「お前が医者に診てもらえ」と突っ込んで事なきを得たが、あんなもんを信じる人だっているかもしれないから、アレオレ詐欺って悪い意味で無限の可能性を秘めているように思える。

アレオレ詐欺のレベルによっては、ただの笑い話では済まなくなるんじゃないだろうか。
たとえば就活をする際に、面接で嘘の経歴を話してしまったり、履歴書にも虚偽の記載をしたり。
こういうことをやってしまうと、バレたときは完全アウトだ。
しかし、職歴を誤魔化す人ってたま〜にいるそうで、こういうのがいざ雇用してから発覚すると、その職場的にも大きな痛手になる。

調子のいいことばかり話す人に出会ったら、アレオレ詐欺にひっかからないよう、注意して接していきたいところだ。
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露骨モリカケ追及逃れ 国会冒頭解散なら安倍首相はドツボ

露骨モリカケ追及逃れ
国会冒頭解散なら
安倍首相はドツボ
2017年9月16日 日刊ゲンダイ

 衆議院の解散をめぐって、また永田町がざわざわしている。

 今月25日とされた臨時国会の召集日が28日にずれこみそうだなどと、なかなか決まらないことから、「安倍首相は冒頭解散を考えているのではないか」というのだが、10日の日曜夜に麻生副総理が安倍首相の私邸を訪れ、1時間半も話し込んだことで解散風が強まった。
さらに、「複数の全国紙が『9・25解散が現実味を帯びてきたので、準備を怠らぬように』と社内会議で指令を出した」「自民党が内々に全国の情勢調査を指示した」などの情報も流れ、一部の衆院議員やメディアも警戒を強めて浮足立っている。

 10・22の補選に合わせた解散・総選挙の噂はずっとくすぶってはきたが、ここへきてなぜ加速しているのか。
「安倍内閣の支持率が回復基調にあることが一番大きい。
一方の民進党は山尾さんの不倫疑惑や離党ドミノでボロボロですからね。
臨時国会で審議に入れば、安倍首相は森友・加計問題で攻められ、再び支持率が下落しかねないし、第2の消えた年金問題まで出てきた。
そうした追及を避けるためにも、一部の首相側近が早期解散を進言しているようです。

首相の悲願の憲法改正についても、『自公と小池新党を合わせて3分の2を確保できる』という分析もある」(自民党関係者)
 だが、Jアラートやミサイル避難訓練で北朝鮮危機をあおっておきながら、「今なら勝てるから総選挙」とはご都合主義が過ぎやしないか。
モリ・カケ逃れは国民にバレバレ。

臨時国会の予算委員会が後回しなんてあり得ない。
 政治評論家の野上忠興氏もこう言う。
「解散にどんな大義名分を付けるのでしょうか。
自分と妻の不祥事を吹き飛ばすための個利個略なのは明らかで、
森友・加計疑惑を隠すことが目的の選挙だと国民に見透かされるでしょう。

簡単に勝てる、野党共闘は間に合わない、と思うのも甘い。
09年の衆院選では政策協定を結んでいなくとも、共産党は全小選挙区の半分の150しか候補者を擁立しなかった。
今回も、民進、共産ともまだ全選挙区に候補者を立てられていない。
裏を返せば、選挙区のすみ分けが可能ということです。

内閣支持率が回復基調だといっても、『安倍首相を信用できない』という人は依然多く、与野党一騎打ちになれば、どうなるかわかりませんよ

 先週末に行われた読売新聞の世論調査で、解散・総選挙について「急ぐ必要はない」が66%のうえ、先月から5ポイント上昇してもいる。
保身の身びいき解散で、安倍首相はドツボにはまる。
posted by 小だぬき at 08:00 | 神奈川 ☔ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

安倍首相“大義なき解散”強行の最大の理由は森友捜査ツブシ! 財務省摘発に動く大阪地検特捜部を封じ込め

安倍首相
“大義なき解散”強行の
最大の理由は森友捜査ツブシ!
財務省摘発に動く
大阪地検特捜部を封じ込め
2017.09.18 LITERA編集部

 安倍首相が今月28日の臨時国会冒頭も視野に、衆院を解散する方針を固めたとマスコミ各社が伝えた。
政府・与党は、早ければ10月10日公示の22日投開票、あるいは17日公示の29日投開票の日程で調整を進めているという。

大義のかけらもない解散である。
だいたい、政権は8月に内閣を改造したばかりだが、そのとき安倍首相は「この内閣はいわば結果本位の『仕事人内閣』」などと喧伝していた。
しかし、国会すら開かずその「結果」とやらを何一つ残さないまま、わずか1カ月余りで解散となれば、自ら内閣改造に意味はなかったことを示しているようなものだ。
呆れざるをえない。

 しかも、安倍首相はこの間、北朝鮮によるミサイル発射や核実験に対し「これまでにない深刻かつ重大な脅威」などと言って、“米朝戦争”の可能性の高まりを強調してきたのではなかったか。
それが一転、解散して政治的空白をあえて作り出そうというのはどういうことなのか。
矛盾にもほどがあるだろう。

 この解散に大義がないことは、安倍応援団の言動からも証明されている。
安倍応援団の新聞社や政治評論家はこぞって「解散で民意を問うのは当然」と解散支持を声高に叫んでいるが、その理由となると、自衛隊を憲法に位置付ける改憲、北朝鮮問題への対応、施行された安保法制の是非、はたまた経済政策から消費増税など、てんでバラバラ。
ようするに、応援団でさえ、解散の目的が何なのかまったくわかっていないのである。

 しかし、それは当然だろう。
与党の党利党略、いや、安倍首相の政権維持という“私利私略”のみで行おうとしているにすぎない。
そして、応援団としては、その本音を言いたくても言えないため、適当な理由をでっちあげているだけだからだ。

 そもそも、安倍首相が解散に踏み切ろうとしている理由の一つは、すでに各方面から指摘されているように「いまが選挙の最大のチャンス」とふんだためだ。
 ほんの1カ月前までは、加計問題で支持率が急落。
選挙をやれば、議席を激減させるのが確実だったため、とても解散できる状況ではなかった。
ところが、北朝鮮危機が勃発して状況は一変。
危機を最大限煽った結果、加計問題や森友問題はふっとび、マスコミ世論調査でも数カ月ぶりに「支持する」が「支持しない」を上回った。

自民党独自の世論調査で、
いまなら議席を増やせるとの結果が
 一方、前原誠司代表の民進党も山尾志桜里元政調会長の不倫疑惑スキャンダルや離党者の続出で混乱の最中にある。
さきの都議選で自民党の脅威となった小池百合子率いる都民ファーストの会も、国政版「若狭・細野新党」はまったく態勢が整っていない。
この状況なら「選挙に勝てる」と判断したのである。
 しかも、決め手になったのが、自民党が独自で行った世論調査だったという。

「自民党は独自で定期的に世論調査を行っているんですが、9月はじめの調査で、いま、選挙をやれば、現状維持は確実。
情勢によっては議席を大幅に増やすことができるとの結果が出た。
安倍首相が自民党総裁3選を達成するためには、衆院選で議席数を減らすことはできない。
しかし、この先のタイミングは北朝鮮情勢にしても、経済にしても、支持率が上がる要素はほとんどない。
そこにこの絶好の状況がきたため、一気に解散に傾いたんでしょう」(全国紙政治部記者)

 しかし、安倍政権がこのタイミングで解散をしかける目的はもうひとつある。
それはもちろん、森友・加計追及つぶしだ。
 臨時国会が開かれると、この間、出て来た加計学園や森友学園の新疑惑について追及され、さらに窮地に追い込まれるのは確実。

とくに、官邸が神経を尖らせていたのが、森友学園のほうだという。
例の国有地の格安払い下げをめぐっては、政権にとって致命傷とも言えるような証拠が次々と出てきているからだ。

 そのひとつが、FNNが先月にスクープした、2016年3月下旬に行われたとされる国側と森友側打ち合わせ時の音声記録だ。
これまで国側は、ごみの撤去費用が8億1900万円と算出された理由について、地中9.9メートルのところまでごみがあることを確認できるとしたためと説明してきた。

 ところが、FNNが9月11日に報じた音声記録では、国側の職員とみられる人物が
「(3メートルまで掘った)その下からごみが出てきたというふうに理解してるんですね。
その下にあるごみっていうのは国が知らなかった事実なんで、そこはきっちりやる必要があるでしょうという、そういうストーリーはイメージしてるんです」と語っており、工事関係者が「そういうふうに認識を統一した方がいいのであれば、我々は合わさせていただきますけれども」と発言していた。

国会を開けば、
佐川前理財局長の虚偽答弁が
追及を避けられない
 ようするにこれは、国側が3メートルより下からごみが出てきて土地の値引くという「ストーリー」を描き、森友サイドと共有していたという決定的証拠。
さらに音声では、近畿財務局の池田靖・国有財産統括官(当時)が「資料を調整するなかで、どういう整理をするのがいいのかということで、ご協議、協議させていただけるなら、そういう方向でお話し合いをさせていただければありがたいです」と話しており、完全に口裏合わせが行われていたことが伺える。

 他にも、やはりFNNが今年8月に報じた、2016年5月下旬のものとされる音声記録では、「(ゴミ撤去などの費用として)1億3000万円がうんぬんというよりも、ぐーんと下げていかなあかんよ」と要求する籠池泰典理事長(当時)に対し、池田国有財産統括官が「理事長がおっしゃる0円に近い金額まで、私はできるだけ努力する作業を、いまやっています」と返答している。
実際、このやりとりの後に不動産鑑定士は土地評価額を9億5600万円と算出。
ごみ撤去費用を値引きし、土地売却価格は1億3400万円となった。
池田国有財産統括官が明言した通りになっていたのだ。

 実は、FNNなどがスクープしたこれらの音声データは、森友問題で財務省、近畿財務局の背任摘発を視野に捜査をしている大阪地検特捜部が世論に後押ししてもらうためにリークしたもの。今後、捜査が進むにつれてさらに財務省、近畿財務局の犯罪行為を裏付ける様々な証拠がマスコミに流され、国会で徹底追及されるのは必至の情勢だ。
 そして、そうなれば、当然、その責任を問われることになるのが、国会議論当時の財務省理財局長だった佐川宣寿国税庁長官だ。
佐川長官は当時、国会で森友学園側との事前交渉は一切なかったと強弁してきたからだ。

「先方にあらかじめ不動産鑑定というかその価格について申し上げることはございません」
「本件の土地の処分につきましては、私ども、不当な働きかけは一切なかった」
「そういう(不動産鑑定などの)価格につきまして、こちらから提示したこともございませんし、先方(森友学園側)からいくらで買いたいといった希望があったこともございません」

 これらの答弁がすべて虚偽だったことが国会で明らかにされれば、佐川氏は必ず国税庁長官辞職に追い込まれるだろう。
そうなると、任命責任者の官邸も当然、責任を問われることになる。

解散総選挙で、
大阪地検特捜部の捜査を
   ストップさせるのが狙い
 ようするに、安倍政権にとって、森友問題の疑惑追及は絶対に封じ込めなければならないものであり、そのために解散が持ち出されたということらしいのだ。
 しかも、解散の効果は、国会での追及の機会を奪うだけではない。
前述したように、大阪地検特捜部は近畿財務局を背任容疑で捜査しており、「現場は本格的に財務局職員逮捕へ向けて動いている」(検察担当記者)と言われている。
安倍政権は解散総選挙を実施することで、検察の捜査もストップさせることができるのである。

「大阪地検特捜部の現場が森友問題で財務省の摘発に動き始めたのは、安倍政権の支持率低下と世論の後押しがあったから。
解散総選挙になれば、選挙期間中や特別国会開催中に捜査がストップするのはもちろん、選挙で自民党が勝てば、官邸からの圧力が強まり、これ以上、検察が捜査を続けることはできなくなる。
完全に幕引きされてしまうでしょう。
逆に言うと、安倍首相と官邸はそれを狙っているということです」(前出・全国紙政治部記者)  

ようするに、政権は解散を疑惑回避の時間稼ぎとして使うだけでなく、選挙で勝利することで、「国民の信を得た」として森友・加計問題での“禊”を済ませたことにするとの青写真を描いているらしいのだ。
 しかも、官邸内部では、この“モリカケ疑惑隠し解散”と批判されるのを見越して、開き直る作戦も浮上しているという。
臨時国会冒頭で安倍総理が『森友・加計問題を野党が引っ張るから重要法案の審議ができない。
国民はどちらを信じるのか』などと宣言して、逆に一連の疑惑を解散の“大義”とする案が出ているようです。
そのうえで、選挙に勝てば、朝日や毎日などのうるさいマスコミも完全に黙らせることができるというわけです」(政治評論家)

 自己保身と権力への妄執のために、莫大なカネを使って選挙まで私物化しようとしている安倍政権。
国民が選挙の場で明確にノーを突きつける、それ以外にないだろう。
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2017年09月20日

国民が見くびられている: 首相が「冒頭解散」を検討

首相が「冒頭解散」を検討
国民が見くびられている
毎日新聞「社説」2017年9月19日

 主権者たる国民への畏れなど、みじんも感じられない政治がまかり通ろうとしている。

 安倍晋三首相が28日召集予定の臨時国会冒頭にも衆院を解散する方針を固めた。
総選挙は「10月22日投開票」の日程を軸に政府・与党は調整に入っているという。

 北朝鮮情勢の緊迫が続く中での選挙となる可能性が高い。
にもかかわらず解散に踏み切るのは、今、選挙をした方が自民党はそんなに議席を減らさないだろうという首相の打算以外に考えられない。

 民進党は前原誠司代表に交代した後ももたついている。
小池百合子東京都知事と連携して結成を目指すという新党も、今なら準備が間に合わないだろうというわけだ。

 さらに首相の魂胆が透けて見えるのは、首相の所信表明演説や各党代表質問も行わずに解散する案が検討されていることだ。
 首相自身が渦中にある加計学園や森友学園問題は何も解明されておらず、引き続き国会の焦点だ。
首相も先の通常国会終了直後は「今後、真摯(しんし)に説明する」と約束していた。
 ところが、それを避けて解散に持ち込むのは、よほど疑惑を隠しておきたいからだろう。
首相がそれでこの問題は忘れ去られると考えているのなら国民はなめられたものだ。

 解散・総選挙によって政治空白が生まれ、「北朝鮮問題への対応は大丈夫なのか」との不安もある。
 自民党からは「北朝鮮問題は長期化するから、いつ解散しても同じ」との声を聞く。
ならば、なぜそう判断するのか、そして、この問題をどう解決しようと考えているのか、説明すべきだ。

 確かに内閣支持率は一時と比べて回復している。
しかし、それは北朝鮮問題という対外的な危機感が現内閣への期待を生んでいるからに過ぎない。
首相の努力の結果ではない。

 首相は先月、改造内閣を「仕事人内閣」と自賛した。
成果どころか、仕事の中身さえ国会で示す前に解散するということでもある。
 2014年11月、消費増税先送りを理由に衆院を解散した時以上に大義はないと言うべきである。
 首相は米国から帰国後に最終決断するという。
冒頭解散は国民不在の選択である。
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2017年09月21日

戦争の記憶−特攻の町で

記者の目
戦争の記憶−特攻の町で
毎日新聞2017年9月7日 山衛守剛(中部報道センター)

「負の過去」に向き合う
 太平洋戦争末期に旧陸軍の特攻基地があった鹿児島県南九州市の知覧町で、特攻隊の精神が、士気を高める会社の研修や自己啓発に使われている。
私は8月に連載した「忘れゆく国で−戦後72年」の取材で研修に参加し、強い違和感を抱いた。

 特攻隊は生きて帰ることが許されない存在だった。
しかし、「国や家族を守ろうと出撃した」という側面が強調され、作戦の非人道性はほとんど語られなかった。
戦争の記憶が変容する現場を目の当たりにし、語り継ぐことの難しさを改めて感じた。

林えいだいさん
 訪ね、本質知る
 特攻隊の本質を確かめたいと思い、8月末、記録作家の林えいだいさん(当時83歳)を福岡県内の病院に訪ねた。
 林さんは9歳の時、戦争に反対した父親を特高警察に拷問されて亡くした。
その経験を原動力に戦争当事者に徹底的に取材し、朝鮮人強制連行やBC級戦犯などの真実を記録してきた。

福岡市には戦時中、航空機の故障や不時着で生還した特攻隊員を収容する陸軍施設「振武(しんぶ)寮」があった。
世間に隠された振武寮の実態も、陸軍の元幹部や元隊員への聞き取りを重ねて詳細を明らかにした。
 林さんによると、振武寮に隔離された隊員は、陸軍の特攻を主導した第6航空軍の参謀で寮を任された倉沢清忠少佐(故人)から「お前たちはなぜ死んでこなかったのか」「帰還兵は卑怯(ひきょう)者だ」と徹底的に批判され、暴力を受けた。
反省文を書かされ、一日中、「死は鴻毛(こうもう)(おおとりの羽毛)よりも軽しと覚悟せよ」などと軍人の心得を説いた「軍人勅諭」を正座で書き写すことを強制されたという。

 林さんは戦後、半世紀以上たって倉沢氏を何度も取材し、「死んでいるはずの人間が途中で帰ってきたとうわさが立つと軍神に傷が付く。
それを第6航空軍は最も恐れた。
とにかく人目につかないところに彼らを置かなくてはならなかった」との証言を引き出した。
これが当時の陸軍の本音だろう。

国民の士気高揚のためにも、特攻隊員には死んで「軍神」になってもらわなければならなかった。
 末期がんと闘い、手術で気管を切開してほとんど声が出せなくなった林さんは、取材に筆談で応じ、紙に刻みつけるようにペンで思いを書き付けた。

人間が戦争のために生きながら敵艦に突入し、生命を投げ出す。
これほどむなしい戦法はない。
日本軍はこれを戦法としてとった。
遺族としては無念だっただろう」。
最後に私にこの言葉を残し、2日後に亡くなった。

 知覧での研修や合宿を企画したり、それに参加したりする会社や団体はインターネットで検索するといくつも見つかる。
知覧の特攻隊をテーマにした自己啓発本も複数出版され、いずれも「知覧へ行くと人生が変わる」と説く。
 私が7月に参加した広島市の人材育成会社が主催する研修も「生きることの大切さ、感謝を学び、感性を磨く」とホームページでうたう。
講話では特攻隊員に自らを重ね、「使命」や「任務」を考えるよう促された。
参加者は「最後までやり遂げる思いの強さや家族や恋人を守ろうとした愛を感じすてきだと思った」
「覚悟を学んだ」と語った。

 先人たちが語り継いできた特攻の記憶は、負の側面がそぎ落とされ、都合のいい物語に変えられていた。
私は、硬い岩をうがつように戦争を記録してきた林さんの言葉の重みをかみしめた。

慰霊の思い薄れ
   観光へと変容
 知覧が特攻の地として有名になった原点は、慰霊にある。
終戦から10年たった1955年、旧陸軍少年飛行兵の戦友会「少飛会」が尽力して始まった特攻基地の戦没者慰霊祭がきっかけだった。

 7月初旬、慰霊祭の発起人の一人で、出撃直前に終戦を迎えた元特攻隊員、地頭薗(じとうぞの)盛雄さん(91)に鹿児島市の病院で話を聞いた。
戦後、仲間たちが飛び立つ姿を毎晩、夢で見て「慰霊のために生きる」と決意したという。
当初は周囲に慰霊を呼びかけても「特攻は軍国主義の象徴だ」と批判されて賛同を得られなかったが、諦めなかった。
 全国から慰霊祭に参列する遺族が町に遺品を寄贈するようになり、75年に展示施設が開設されると、観光客は右肩上がりに増えた。

12年後に特攻平和会館が新設され、2001年に高倉健が元特攻隊員を演じる映画「ホタル」がヒットしたことで、観光客は翌年122万人に達した。
 しかし、この年をピークに減少傾向が続き、昨年度には半分以下に落ち込んだ。
一方で特攻隊を活用した研修が広がり、南九州市は11年、研修を主催する人材育成会社の社長を観光大使に迎えた。
市の担当者は「研修で来た方々が、また仲間を連れてきてくれるのを期待している」と話した。慰霊への思いはかすみ、観光資源の乏しい地方の悲哀がにじんで見えた。

 戦争を知る人たちが次々と亡くなり、社会としての記憶が薄れ、本質がゆがめられていく。
しかし、忘れてはいけない事実がある。
見たくない過去から目を背けず、彼らが語り継いできた戦争の記憶と向き合い続ける。
それが今を生きる私たちの責任なのだと思う。
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2017年09月22日

 田中慎弥が看破した安倍マッチョの正体

なぜ安倍首相は
ここまで身勝手に
なれるのか?
あの芥川賞作家が、
そのグロテスクな
マッチョ性の正体を洞察
2017.09.21 LITERA(永井多賀子)

 無責任かつ自分勝手さをここまで極められるものなのか。
安倍首相が臨時国会冒頭に解散する方針を固めた件だ。

 本サイトでは、この解散の裏側には、北朝鮮の危機を煽ることで支持率を回復した安倍首相が加計学園問題の国会追及を封じるだけでなく、森友学園の捜査をも潰す目的があると伝えた。

つまり、何度も繰り返してきた「丁寧に説明していく」という国民との約束など心にもない「口からでたらめ」に過ぎず、安倍晋三という人は、ただただ自分の保身のためにしか動かない男であるということだ。

 稀代のエゴイストが総理大臣──。
だが、安倍首相のパーソナリティについては、あの芥川賞作家がさらに掘り下げ、興味深い分析をおこなっている。
 その作家とは、2015年に安倍首相をモデルにした小説『宰相A』(新潮社)を発表し、話題を呼んだ田中慎弥氏だ。
田中氏は、今年1月に発売した長編小説『美しい国への旅』(集英社)で再び安倍首相を自作のモチーフに選んだ。
 実際、『すばる』(集英社)2017年3月号で、同じく芥川賞作家の柴崎友香氏と対談した田中氏は、同作について「明確なイメージとしてあったのが現在の総理大臣」と話し、つづけてこんなことを言っているのだ。

「あの人の顔が、私には勃起しないペニスにしか見えないというのが、取っかかりのイメージです」
 安倍首相の顔が勃起しないペニスにしか見えない、そのイメージが創作の取っかかりになった──。
これは一体、どういうことなのか。
いざ『美しい国への旅』を読んでみると、なるほど、その通りだった。
 この小説が「美しい国」という言葉をタイトルに冠していることからも安倍首相を意識していることは明白だが、物語は核兵器を使った戦争により、「濁り」に汚染され荒廃した近未来の日本が舞台という、『宰相A』にも通じるディストピア小説。

母を亡くした主人公の少年は、司令官を殺すために彼のいる基地を目指し旅に出るのだが、この司令官こそが、安倍首相をモデルにしていると思われる人物だ。
 司令官は〈首相候補と言われている若き男の政治家〉であり、〈代々政治や軍務に関わって来た名門家系の血筋〉。
男は現代の政治家として、また輝ける一族の跡取りとして、歴史を逆転させようと考えた、あの兵器による負けを、あの兵器を取り戻すのだと。
幸い国民は落ち着きをなくしていた。
基地建設に関して積極的に動き回り、金を集め、男は司令官に納まってしまった〉とある。

田中慎弥が、
安倍首相の顔がアレにしか見えないと
 現実の安倍首相も、核兵器保有に前のめりだ。
北朝鮮には核の放棄を迫りながら、核保有国であるアメリカとともに核兵器禁止条約には反対の姿勢を取りつづけ、国際社会の核廃絶の流れに完全に逆行した態度を取っている。

 しかし、小説でもっとも気になる部分は、主人公の少年が旅の果てで目にした指令官の正体である。
指令官は〈人間の形をしたもの〉にしか見えない状態で、鉄の服に覆われて吊されている。
しかも異様なのは、両脚の付け根から指令官の3倍はある大きな何かが伸びている。
その描写は、男性のペニスを思わせるものである。
 なぜ、田中氏は安倍首相と男性のペニス──しかも勃起しないそれと重ね合わせたのか。
前述した『すばる』で、田中氏はこう話している。

「それは彼の顔だけではなくて、日本とアメリカの関係性においても言えることです。
アメリカがすごいマッチョな男で、日本がそれにくっついている娼婦だという人がいますが、私はそれは逆だと思っている。
アメリカが高級娼婦、日本はちゃちな男で、高級娼婦が頑張っていろいろ刺激してくれても、ちっとも勃たない。
なぜ勃たないかといえば、高級娼婦にもともとの力を抜かれているから。
 そうしたイメージが今の国の指導者とどうしても結びついてしまう。
勃とうとして、しゃかりきになればなるほど、限界が見えれば見えるほど、限界ぎりぎりまで向かっていかざるを得ないという……」

 現在の状況は、このときの田中氏のイメージと似た状況になっていると言えるだろう。
いま、日本はトランプ率いるアメリカからは軍事力の強化を急き立てられ、安倍首相はその通りに動いている。
それはアメリカに隷属しているようにみえる。
だが、安倍首相の北朝鮮に対する言動は、挑発を受けている当事国のアメリカ以上に強硬だ。
本来ならば各国同様、平和的解決に向けてトランプを諫めなければならない立場であるにもかかわらず、安倍首相は「異次元の圧力をかける」などとひたすら焚きつけている。
“勃起できないけどマッチョになりたいちゃちな男”たる日本、いや安倍首相が、いまどんどん限界に向かっている──田中氏の指摘は現況とたしかに当てはまる。

 じつは田中氏は、以前にも「週刊新潮」(新潮社)に寄せた寄稿文のなかで、安倍首相を〈弱いのに強くなる必要に迫られているタカ、ひなどりの姿のまま大きくなったタカ〉と表現していた(詳しくは既報参照)。
血筋というプレッシャーのなかで、本来の弱い自分を、自分自身が認められない。
その安倍首相へのイメージは、今回の「勃起しないペニス」というものと相通じる。

 そして、田中氏のイメージの鋭さに唸らされるのは、安倍首相をモデルにした指令官の台詞にある。
『美しい国への旅』のなかで、その勃起しないペニスそのものである指令官は、機械の声で、こう語る。

「美しい国を取り戻す」のかけ声も、
         自己正当化の道具

「美シイ国ヲ復活サセナケレバナラナイ。甦ラセナケレバ、取リ戻サナケレバナラナイ。イマコソ、美シイ国ヲ復活サセナケレバナラナイ。
性器トナリ、兵器トナリ、爆発シ、濁リモロトモ、敵対スル国モロトモ、我ガ国ヲ吹ッ飛バシテ一度ゼロノ状態ニ戻シ、ソノ中デ生キ残ッタ純粋ニッポン人ダケガ新タナ時代ヲ作リ、美シイ明日ヲ掴ムノダ。
ソノ時コソ、美シイ国ヲ取リ戻スコトガデキルノダ」

 男性は強靱さの象徴として勃起せねばならないと強迫される。
強さを求められ、そのなかで勃起しない、すなわち強くなれない彼は、ファンタジーの「本来の美しい国」を取り戻すために、国を、そこに生きる人を、すべてを吹き飛ばそうとするのだ。  これはまさに、安倍首相のパーソナリティを的確に写し出したものではないだろうか。

「美しい国を取り戻す」という掛け声は正当化の道具でしかなく、ほんとうの目的は、強い自分を誇示すること。
それは対北朝鮮の姿勢を見ていると痛いほどよくわかる。
 そして、強い自分に執着するあまり、自己保身に走る。

今回の臨時国会での冒頭解散だってそうだ。
どれだけ説明不足だと言われても、国民との約束も果たさず不誠実で無責任な態度だと受け取られるリスクがあると側近が忠告しても、責任追及から逃れたい、捜査を潰したいという自己保身が優先される。
ここでもやはり「本来の自分の弱さを認めたくない」という安倍晋三という人の素顔が見え隠れしている。
 人は多かれ少なかれそうした弱さをもっているものだろう。
しかし、安倍首相が生まれ育った環境はあまりに特殊だ。
田中氏は前述の「週刊新潮」の寄稿文でこう綴っている。

祖父と大叔父と実父が偉大な政治家であり、自分自身も同じ道に入った以上、自分は弱い人間なので先祖ほどの大きいことは出来ません、とは口が裂けても言えない。
誰に対して言えないのか。
先祖に対してか。
国民に対して、あるいは中国や韓国に対してか。
違う。
自分自身に対してだ

 わたしたちは虚勢を張るこの男をいつも見てきた。
選挙では聞こえのいい言葉を吐き、悪法を次々と勝手につくり、弱者の暮らしには目も向けず軍備増強に邁進し、政治の私物化が発覚すると勇気ある内部告発者の醜聞をリークしてまで徹底的に握り潰そうとし、まともな説明ひとつなく逃奔。
その上、大義もなく解散しようというのだ。

 田中氏は、〈安倍氏が舵取りの果てに姿を現すだろうタカが、私は怖い〉という。
臨時国会での冒頭解散の先に待っているのは、そのタカの姿なのだということを、わたしたちはよく覚えておかなければならない。
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2017年09月23日

選挙の争点は国家を破壊する安倍政権の独裁を許すか否か

選挙の争点は
国家を破壊する
安倍政権の独裁を
     許すか否か
2017年9月22日 日刊ゲンダイ

孫崎享 外交評論家

「10月総選挙」に向けて政界が一気に騒がしくなってきた。
「大義なし」「党利党略」との批判が上がる中、この選挙で何が問われているのかはハッキリしている。
安倍政権による「国家の破壊」を許していいのか、否か――である。
 大手紙が大きく報じなかったため、気づいた国民は少なかったが、8月に福田康夫元総理が共同通信のインタビューでこう話していた。

各省庁の中堅以上の幹部は皆、官邸(の顔色)を見て仕事をしている。
恥ずかしく、国家の破滅に近づいている
〈政治家が人事をやってはいけない。
安倍内閣最大の失敗だ〉

 森友疑獄や加計問題の経緯を踏まえ、内閣人事局を通じて独裁政治に走る安倍政権を批判し、国家の危機であると警鐘を鳴らしたのである。

 安保法制、原発再稼働、TPP、北朝鮮問題……。
今の官僚機構はもはや、政府としてあるべき姿が論じられない状況になっている。
ある米国務省の職員は、日本の外務省職員と接触した際に「あなたはいいですね。日本であなたのように、あるべき姿で議論すれば、地の果ての大使館に飛ばされてますよ」と言われて驚いたという。
それほど、今の日本の政府機関は異常な状態にあり、国家の破壊に確実に近づいていると言っていい。

 かつて日本が輝いていた時代があった。
高度経済成長期のころである。
「日本の驚異」の源泉がどこにあるのか――。
1963年の英エコノミスト誌は「教育」を指摘し、65年には「『国防は御免こうむる』というのが、日本を真似ようとする国のひとつのスローガンになるかもしれない」と指摘していた。今と真逆である。

 OECDが公表した、加盟国の国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合によると、34カ国中、日本は最低の3・2%。
今や教育を最も軽視する国になった。
当然ながら大学の世界ランキングはどんどん落ちている。
英国の教育専門誌THEでは、アジアの中で東大は46位(前年39位)で、シンガポール国立大(22位)、中国の北京大(27位)、清華大(30位)よりも低い。

あらためて繰り返すが、安倍政権が続けば「国が破壊」される。
国民は現状を直視し、安倍首相の「嘘と詭弁」にごまかされないようにするべきだ。
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総選挙へ市民連合がノロシ 「野党共闘」要求は全国に拡大

総選挙へ市民連合がノロシ
「野党共闘」要求は全国に拡大
2017年9月22日 日刊ゲンダイ

 カギを握るのは市民の力だ――。
昨年の参院選や新潟県知事選で野党共闘に尽力してきた「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」が21日、来る総選挙での野党協力を求める緊急アピールを発表。
参院議員会館内で会見した。

 アピールでは、北朝鮮の「脅威」に多くの国民が恐怖を抱いている状況を奇貨としての解散を<ナチスの手口を想起させるもの>と批判。
<小異にこだわり分断されてはなりません>として野党候補一本化を訴えた。

 メンバーで九条の会事務局員の高田健氏は会見で「野党協力は政党間だけの問題ではない。4野党と市民の共闘です」と語ったが、その通りだ。
昨年の参院選では、全1人区で野党統一候補を実現し、11選挙区で勝利した。
新潟県知事選では野党票を集約した米山知事が当選。
ともに、市民連合の後押しがあってこその成果だ。

 前原代表は、野党協力について「地域事情を考慮する」と繰り返している。
会見で山口二郎法政大教授は「地方レベルでも市民連合の結成の動きはあちこちで進んでいる」と言った。
高田氏によると現在、47都道府県で市民連合が活動。
今や、安倍退陣を求め、野党共闘を願う市民運動は、全国レベルで着実に根付きつつあるのだ。  

個々の選挙区で野党共闘を望む市民の声が大きくなれば、野党4党はその選挙区の「地域事情」を考慮せざるを得ないだろう。
市民の力こそが野党共闘を牽引できる。
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2017年09月24日

「特売品」で損する人が知らない値札の読み方

「特売品」で損する人が
知らない値札の読み方
不利益防ぐユニットプライス制に存亡の危機
2017年09月23日 東洋経済

加藤 絵美 :
消費生活専門相談員・日本女子大学非常勤講師

「店長イチオシ!」「地域最安値に挑戦!」「大容量でお得!」――。
スーパーやドラッグストアに行くと、売り場にはこうした推奨ポップが躍り、つい手を伸ばしてしまいがちだ。
が、このうたい文句を鵜呑みにしてはいけない。

シャンプーや洗剤の詰め替え用が、本体よりも割高なのはよくある話。
加えて最近では、商品のリニューアルに合わせて、ひそかに内容量を減らし、いつもより安く見せる「隠れ値上げ」が横行している。

真の「お買い得品」を見抜く
ユニットプライス
節約をしたつもりが、実は割高な商品を買わされていた。
そんな不利益を防ぐために活用できるのが、「ユニットプライス(単位価格)」だ。
牛乳100ml当たり、みそ100g当たり、トイレットペーパー10m当たり、洗濯用洗剤100g当たり、紙おむつなどの衛生用品1個(1枚)当たりに換算していくらか、商品棚の値札に表示するというものだ。

消費者にとってユニットプライスの効用は、大きく分けて2つある。
1つ目は、同一ブランドの商品で容器や容量が異なる場合、価格比較を容易にできることだ。

洗濯用洗剤を例に挙げてみよう。とある店頭には、ライオンの洗濯用洗剤「スーパーナノックス」が本体と詰め替え用で計4種類並んでいた。
ただ、一見してどれがいちばんお得なのかはわからない。
そこで、値札に記されたユニットプライスを見てみると、本体も詰め替え用も、小さいもののほうが単価が安いことがわかった。
すなわち、大容量を買えばお買い得というわけではないようだ。

そして2つ目の効用は、「隠れ値上げ」を見破ることができる点だ。
一例を紹介しよう。食品メーカーの明治は、2015年7月に、14品目で容量を2〜12%減量した。
つまり実質の値上げである。
「明治おいしい牛乳」の場合は、2016年9月に容器をリニューアルした際、容量を1000mlから900mlに減らしたのだ。
「安い」の文字に思わず手が伸びるが、100ml当たりで計算すると実は安くない。
このとき、ネット上では多くの消費者が、「容量が減ったことを知らずに買ってしまった」と不満をあらわにしていた。
実際、筆者もリニューアル後の商品を「安い」と勘違いして買ってしまった。
いつもは200円を切らない商品が199円で売られていたことに加え、「地域最安値に挑戦」「安い」のポップに思わず飛びついてしまったのだ。
しかし、ユニットプライスは、1000mlのときより若干高くなっていたのだ。
つまり、「安い」と書くこと自体が本来おかしいのだ。
こうした「特価または価格据え置き(実は容量減)」という値上げは、明治に限らずよく行われているが、消費者の買い物の現場ではなかなか気づきにくい。

日頃から単価を意識して買い物をしていると、価格変動にすぐ気づくことができるという点で、ユニットプライスは一定のバロメーター機能を果たす。

各自治体で
続々廃止のユニットプライス

消費者を不当な値付けから守るユニットプライスだが、実は現在、各自治体で廃止の危機にさらされている。

精肉を買う時に100g当たりのユニットプライスが必ず表示されているが、これは「食肉の表示に関する公正競争規約」によってルールが定められているためだ。


一方で、他の食品や日用雑貨品のユニットプライスを運用するのは、各自治体。昭和50年代に消費者団体が法制化を訴え、一度は経済企画庁(当時)によって検討がされたものの、事業者の負担が懸念されて実現しなかった。


そのかわり、国は地方自治体に通知を出し、取り組みを地域に委ねたという経緯がある。

その結果、@制度の有無、A対象となる店の規模、B対象となる品目には大きな地域格差が見られるようになってしまった。

そして、当初40近い都道府県で制度化されたものの、その後次々と廃止され、いまや制度化している自治体は20を切る。


制度の廃止は、消費者が不利益を被りかねないのに、なぜそれを断行するのか。
2016年に制度を廃止した神奈川県は、その理由として「消費者の商品選びの基準が価格だけでなく品質や機能など多様化し、表示の必要性が低下したため、廃止しても消費者に不利益はない」などの理由を挙げている。
ただ、不利益がないことを十分に検証したとは想像しがたく、安易な廃止はあまりに消費者視点を欠いている。

さらに問題なのが、この制度を存続させている都道府県であっても、その順守率が極めて低いことである。
東京都が、2015年に行った調査では、対象店舗169店のうち、76%に当たる130店で不適切な表示(ユニットプライスの非表示を含める)が行われていた。
日用品の値上げが頻発し、消費税のさらなる増税も検討されている中、多くの消費者にとって節約は喫緊の課題になっている。

総務省の家計調査によると、消費支出に占める食費の割合を示すエンゲル係数は、2016年は29年ぶりの高水準になるなど生活費高騰がいわれている。
消費者ニーズの多様化に応えて企業がさまざまな容器・容量の商品を流通させるようになった現代、複雑な暗算をしなくても簡単に商品のコストを比較できる、ユニットプライス表示の必要性は高まっている。

海外では全商品で
表示を法制化したところも
海外では、EU諸国やオーストラリアなど、消費者保護のためにユニットプライスの表示を法制化し、全商品に適用している国も多い。

 国ごとに異なる表示方法を統一し、よりわかりやすい単価表示を目指す国際規格(ISO)の策定も進んでいる。
日本でも、私たちの家計に直結するこの制度の価値を再考し、時代に合ったあり方を検討していくべきではないか。
消費者が住んでいる地域によって、また利用するスーパーによって、ユニットプライスが表示されていなかったり、単位に一貫性がないのは不便である。

消費者もまた、店頭の「お買い得」といった表示を鵜呑みにせず、こうした情報を基に品物を吟味して、主体的に選んでいく姿勢が求められている。
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2017年09月25日

麻生太郎氏の「武装難民来たら射殺するのか」発言に左派団体や識者ら猛反発

麻生太郎氏の
武装難民来たら射殺するのか」
発言に左派団体や識者ら猛反発
2017.9.24 産経新聞WEB

 麻生太郎副総理兼財務相が23日に宇都宮市の講演で、北朝鮮有事に関して
「警察で対応できるか。自衛隊、防衛出動か。じゃあ射殺か。真剣に考えた方がいい」と発言したことについて、24日、左派系団体を中心にツイッターで麻生氏を非難する声が相次いだ。  

元外交官で城西国際大大学院講師の孫崎亨氏は「麻生氏の狂い様、常軌を逸する。
世界のどこに難民を射殺する国があるか。
『麻生氏は23日講演で、朝鮮半島から大量の難民が日本に押し寄せる可能性に触れ〈武装難民かもしれない。
警察で対応するか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない〉』朝日。
本当にナチ崇拝者だ」と朝日新聞の記事を引用し、批判。

 コラムニストの小田嶋隆氏は「これまでの何度かの失言とはレベルが違う。
軽率さだとか、サービス過剰の結果だとか、考えの浅さだとか、見通しの甘さだとか、反省の軽さだとか、そういう問題ではない。
根本的にあり得ない。
全方向的にまったく弁護の余地がない。
まるで救いがない」と投稿した。

 作家の中沢けい氏は「さんざん、Jアラートで騒いだくせに、麻生副総裁は難民対策で『警察か防衛出動か射殺か』と発言なんて言語道断。
難民対策を全く考えてこなかった証拠。
今日は新宿ではヘイトスピーチデモがあったこの状況で、まったく治安維持についての見識を欠いた発言。
政治家の自覚欠如」と同様に麻生氏を非難。

 SEALDsを前身とする「未来のための公共」も公式ツイッターで「ヨーロッパは難民をどう受け入れるか試行錯誤してきたのに、安倍政権はまず射殺するか考えるそうです。
麻生副総理『警察か防衛出動か射殺か』 北朝鮮難民対策(朝日新聞デジタル)」と表明。
「まず射殺を考える」と決めつけて批判した。

 一方、これら識者らの引用したニュースが朝日新聞デジタルだったが、このニュースを取り上げた毎日、読売新聞や共同、時事通信などが「武装難民対策」と見出しを取ったのに、朝日だけが「難民対策」としたために、難民に向けて射殺を検討すると早合点する向きもあり、そのためか、朝日新聞は「武装難民対策」と見出しを変更した。

 麻生氏は従前から北朝鮮有事の際、日本に上陸する難民について国会で対策をすべきと問題提起している。
 麻生氏を批判する人のツイッターには「どー聞いても、治安維持に見識のある政治家の発言としか思えんが? これのどこがヘイトと関係するのかもさっぱりわからん」
「最悪の事態を想定している麻生さんがおおむね正しいわけですな」
「武装難民のことですよ。テロリストを放置することが客観的に正しいとお考えですか」
「あくまで最悪までちゃんと考えなければいけない旨を伝えたに過ぎないと思うのですが」などというリプライがあった。
    (WEB編集チーム)
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2017年09月26日

「日本では暴動が起きない」の伝説が崩れる日

「日本では暴動が起きない」
の伝説が崩れる日
元日銀審議委員が語る
               日本経済の近未来
2017年09月24日 東洋経済 (沢木 文 : Writer&Editor)

日本銀行による「異次元緩和」と「東京五輪開催」という2つの好材料によって、円安・株高や不動産価格の高騰に沸く日本経済。
ところが、多くの人々の給料は上がらず、円安の影響などにより、生活必需品が値上がりして、生活は苦しくなるばかり。
庶民の多くは、生活が楽になったという実感がないばかりか、貧富の差がますます拡大したと、不満に思っているのが現状だ。

驚くことに、日本はもはや先進国有数の「貧困大国」なのだ。
諸外国に目を向けると、貧困問題を背景とした暴動が多発している。
そうであれば、日本でも暴動が起きてもおかしくないはずだが、日本では、暴動らしい暴動は起きていない。

ではいったい、それはなぜなのか。
『東京五輪後の日本経済』(小学館)を著したばかりの元日本銀行政策委員会審議委員の白井さゆりに、その実情を聞いた。

なぜ日本では暴動が起こらないのか
今、世界のあちこちで、デモや集会が暴動へと発展し、警察官と衝突しているニュースなどをよく見かける。
しかし、日本ではそのようなニュースを見ることは、ほとんどない。
東京都心の繁華街や国会周辺などで生活苦を訴えるデモなどが起こることもあるが、それは決して、暴力的なものではない。
ではなぜ、日本では暴動が起こらないのだろうか。

白井氏が言う。
「世界で起こった暴動の背景を見ると、そこには人種や宗教による大きな差別問題が存在することが多いのが現状。
しかし、日本では、人種や宗教の差別問題が大きくはないため、そもそも暴動を起こしてまで、社会に対する不満を爆発させようという人が、諸外国と比べて多くはないのです」。

それでは安心できるのかといえば、そうではない。
人種差別や宗教差別と並んで、暴動の大きな原因となる「貧困問題」については、日本は決して安心できない状況にあるのだ。

一国の中で一定基準以下の収入しか得られていない人の割合を示す「相対的貧困率」を見ると、日本は先進国などから構成されるOECD(経済協力開発機構)加盟国35カ国の中では第4位、主要先進国の中では、アメリカに次ぐ第2位の「貧困大国」であるというのも、まぎれもない事実。
こうしてみると、日本でもいつ、暴動が起きてもおかしくはないともいえそうだ。

暴動が起きないのはなぜか。
日本における「3つの貧困層」
白井氏は、日本の主たる貧困層が諸外国にはない大きな特徴を持っているからだと分析する。

「日本には主に、次の3つの貧困層が存在します。
いちばん割合が大きいのは、ひとり暮らしの高齢女性です。
昔の女性は専業主婦が多かったため、配偶者が亡くなった後は、国民年金だけで生活している人も少なくありません。
わが国では、そうした人たちが貧困に陥るケースが非常に多く、日本の貧困の典型的な形といえます」
「その次に多いのが、若い人たちの中で、自由を求めて定職に就かない人たちが貧困に陥るケースです。
フリーターなどを続ける若者などが、その典型です。
さらには、数としては少ないものの、シングルマザーによる貧困問題も深刻です。

シングルマザーの場合には、子育てと仕事を両立させるために、パートタイマーなどを選ばざるをえないため、貧困に陥る可能性が非常に高くなるという傾向があります。
しかし、彼らの性質上、なかなか暴動を起こす存在にはなりにくいといえます」

なるほど、高齢の女性が、生活が苦しいからといって、積極的に暴動を起こす存在になるかといえば、それは考えにくい。
自由を求めてあえて定職に就かなかった若者たちは、自分の意思決定の結果として貧困に陥ったともいえるため、社会に対する大きな不満を持ちにくいのも理解できる。
3番目の貧困であるシングルマザーの場合、子育てと仕事に追われており、そもそも暴動を起こす余裕などない、ということなのだろう。

しかし、日本銀行がデフレ脱却の目標として掲げた「物価上昇率2%」というインフレが日本でもし本当に実現したとしたら、いったいどうなるのだろうか。

白井氏は、賃金が上がらない庶民や貧困層の生活が今よりもさらに苦しいものとなることは確実だという。
「2017年9月時点では、物価上昇率2%というインフレ目標には、ほど遠い状況にあります。
ところが、これから本格的なインフレが進行するとすれば、貧困問題は、今よりさらに深刻になる可能性があります。
今の状態でギリギリやっていけているという人たちからすると、食料品や家賃が本格的に値上がりをはじめたら、生活はますます苦しいものになっていくからです。
貧困層の間からは、それこそ我慢の限界を超えて、悲鳴が上がるかもしれません」

「実際、2015年の半ばに1ドル125円を超える円安が進行した際、あちこちから『生活が苦しい』という声が出ました。
ただ、当時はその後に為替が円高方向に反転し、さらに昨年はじめには原油価格や食料価格が大きく下がり、物価が下落に転じたこともあって、大きな社会問題とはなりませんでした」
つまり、皮肉なことに、日本銀行が望むインフレにはなっていないことが、逆に貧困層の救いになっているのです。

しかし、日本で今後、本格的なインフレが進行することになれば、これまで我慢を重ねてきた貧困層も、ついに我慢の限界に達して立ち上がり、日本でもいよいよ暴動が起こるかもしれません。
そうした事態を引き起こさないためにも、政府や日本銀行は、単に『物価上昇率2%』目標にこだわるばかりでなく、今からしっかりとした対策を考えておくべきなのです」

このまま無策のまま本格的なインフレが進行してしまえば、日本でも貧困層による暴動が起きるかもしれないのだ。
われわれは元日銀審議委員の「警告」を真剣に受け止めるべきだろう。
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2017年09月27日

麻生副総理「武装難民は射殺」発言をネトウヨと産経が擁護!でも紛れもなく難民差別とヘイトクライムの煽動だ

麻生副総理
「武装難民は射殺」発言を
ネトウヨと産経が擁護!
でも紛れもなく難民差別と
ヘイトクライムの煽動だ
2017.09.26 LITERA(小杉みすず)

 麻生太郎副総理兼財務相の「武装難民は射殺」発言が大きな波紋を広げている。
報道によれば、麻生副総理は23日、宇都宮市内での講演で、
〈朝鮮半島から大量の難民が日本に押し寄せる可能性に触れたうえで、「武装難民かもしれない。
警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない」と語った〉(朝日新聞より)という。

朝日以外の報道でも発言内容はほぼ同様だ。
控えめに言って、狂っているとしか思えない暴言である。
 マスコミ報道では、〈北朝鮮情勢の緊迫化を受け、難民対応についての議論を喚起した発言〉(時事通信)、
〈問題提起した〉(共同通信)、
〈難民が武装していた場合に国民の安全を確保する重要性を強調した発言〉(読売新聞)、などとソフトに書かれているが、難民の大量流入が現実的にありうる状況下で、副総理が「射殺」を選択肢として示すのは、明らかに発想が異常としか言いようがない。
国際的にも強く非難されて然るべきだ。

 ところが、安倍政権の応援団であるネット右翼たちは、麻生副総理の「武装難民は射殺」発言を擁護・絶賛。
Twitterで口々にこんなことがなりたてている。
〈武装難民ってただの侵略者だろ? 射殺で問題なくね?〉
〈射殺しなかったら警察がやられるの!! 麻生さんは正論だよ〉
〈武装のままなら射殺されても当然であろう。発言に問題ない〉
〈これは正しい。武装難民が来ても射殺反対という人は、目の前に立ってどうにかしたらいい。殺らなきゃ殺られる〉
〈武装難民なら射殺でOK。〉

 産経も「麻生太郎氏の「武装難民来たら射殺するのか」発言に左派団体や識者ら猛反発」などと、麻生発言批判のほうを揶揄し麻生を擁護する記事を配信している。
 何をほざいているのか。
確認しておくが、麻生副総理の発言は、朝鮮半島情勢の緊迫化のなかにおいて、戦争によって北朝鮮で発生する大勢の難民を念頭に置き、そのなかに「武装難民がいるかもしれない」という妄想をくわえたうえで、「射殺ですか」と言い放っているのである。
主語は難民全体であって、これは難民問題をどうするのかという話だ。
 加えて言えば、麻生副総理の「武装難民は射殺」発言は、現実的に難民の生命を脅かす恫喝として機能するだろう。

 本サイトは、対話による平和的解決を否定してトランプ米大統領に戦争をけしかけるような発言を連発している安倍政権を一貫して強く批判してきた。
だが、仮にこのまま日米両政府の挑発によって戦争が勃発すれば、現実問題として、難民化した北朝鮮の市民らを近隣諸国が協力して受け入れる態勢を整える必要がある。
それは人道的な観点から議論の余地なく当然の行為だ。

 しかし、そうした現実的なシミュレーションのなかで、日本の副総理は、あろうことか「射殺」などという選択肢を示してしまったのである。
これがどれだけ論外なことか、麻生副総理をかばう連中はわかっているのだろうか。

「射殺」より悪質、
麻生の「武装難民」という言葉の危険性
 いや、それ以前に、「武装難民」という発言じたいが、「射殺」という言葉と同様かそれ以上に危険な発言だ。
「武装難民」なる言葉は定義が曖昧だが、それを難民の受け入れ拒否を正当化するための詭弁として使っているのは明らかだ(とういうか、発言を字義通り解釈すれば射殺すら肯定するための詭弁である)。

 そもそも、国連は難民をこのように定義している。
〈難民とは、迫害のおそれ、紛争、暴力の蔓延など、公共の秩序を著しく混乱させることによって、国際的な保護の必要性を生じさせる状況を理由に、出身国を逃れた人々を指します。
難民の定義は1951年難民条約や地域的難民協定、さらには国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)規程でも定められています〉(国際連合広報センターのホームページより)

 いうまでもなく、紛争などで故郷から逃れなければならなくなった人々を保護・支援するのは、国際社会の一員としても当たり前である。
一方で、周知の通り日本政府は難民に対して極めて閉鎖的な態度をとっている。
もちろん安倍政権も例外ではなく、日本への難民申請者は2016年に1万人を超えたが、政府が認定したのはわずかに28人しかいない。
 難民問題は国際社会全体の課題であり、その流れに逆行する日本政府が海外から批判されるのは当然だ。
しかも、もし“米朝戦争”が起これば、北朝鮮から日本への難民は10万人を超えるともいわれている。
現実にまず考えるべきは、こうした難民の人々をどうやって日本国内で守っていくか、ということに尽きる。

 とりわけ懸念されるのが、難民に対するヘイトスピーチやヘイトクライムだ。
2015年に漫画家のはすみとしこが外国人写真家の作品を勝手にトレースし、難民の少女を揶揄・差別するイラストを公開、世界中から非難を浴びたことは記憶に新しいが、その根っこにあるのは、外国籍や海外にルーツをもつ人々に対する差別主義にほかならない。

 本来ならこうした難民差別が起きないよう対策を考えるのが政治家の仕事だと思うが、しかし今回の麻生副総理の発言は、難民差別をなくすどころか、難民に対する差別を助長し、ひいてはヘイトクライムまでをも煽動するものだ。

現に、今回も麻生発言に呼応したネトウヨたちが、そのグロテスクな本質をむき出しにしている。
〈武装の有無によらず、朝鮮人の難民受け入れは絶対反対。強制連行されたと言い出す前に強制送還してもらいたい。〉
〈仮に非武装としても、難民ボートが押し寄せてきて、住民は水食料を求めてきたら無制限に与え続けられるのか?反日教育受けてるんだろ?略奪や暴動なども有りうる。その時、政府の初動は国民の命を左右する。最悪の状況も含め検討するのが政府だろ!〉
〈麻生さんの「武装難民の射殺」発言は全く問題ないし、我々の安全、日々の平穏な生活を守るためには至極当然の発言だ。全面的に賛同する。そもそも武装してる奴は難民ではない。更に言えば、騒ぎに乗じてくるだろう南朝鮮人をどう始末するかだ。全員追い返さないと我々の生活はままならなくなる〉

 見ての通り、麻生副総理の「武装難民」なる言葉遣いは、「難民」=「武装したテロリスト」と印象操作し、難民に対する憎悪を煽ることで国民を思考停止させ、難民受け入れ拒否を正当化しようとしているだけでなく、こうした差別主義や民族・国籍ヘイトを政治家として扇動すらしているのである。

麻生は、国会でも
難民差別を煽る発言をくり返してきた
 しかも、これは“放言癖”のある麻生副総理が、講演のなかでたまたま不用意な発言をしたとかいう話ではない。
事実、この元総理大臣は、以前から国会でも何度も難民などを一方的に危険視するアジテーションを繰り返してきた。
「難民は武装している可能性も覚悟しておかないかぬ」(16年2月23日衆院財務金融員会)

「偽装難民でないという保証は、きちんとした調査というものをした上でないとなかなか難しい」(07年6月8日衆院外務委員会)

「日本に亡命する人が、その人がスパイでないという保証はありません」(07年6月4日北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会)

「本当の難民と、いわゆる、正確には便衣隊というんですけれども、兵隊さんが私服を着て紛れ込むのを便衣というんですが、その便衣隊等々の者が紛れ込んでいる可能性というのはこれは排除できませんので、そういったものを含めて、これは、日本の中において新たなテロを画策する人が拡散するということを断固避けるというのは当然のこと」(06年10月27日衆院外務委員会)

 もういちど言うが、こうした麻生副総理の答弁は「難民」=「偽装したテロリスト」という悪質な刷り込みにほかならない。
では聞くが、たとえば海やプールで溺れそうな人がいるとき、その人物が「ナイフや銃を持っているかもしれない」という理由で見殺しにすべきとでもいうのか。
これは極端なたとえ話ではない。
麻生の理屈はそういうレベルなのだ。

 なぜ「難民」の話をするのに、「武装」という必然性のない仮定をわざわざもち出すのか。
ようするに、本来なんの関係もないはずの「難民」と「武装」をわざわざ結びつけていること自体が、麻生副総理の差別意識の表出にほかならない。
 だいたい、もしも難民のなかに武器を持った者がいたとしても、普通に武装を解除させれば済む話である。
仮に「難民に紛れた武装勢力」が発砲や破壊行為を行なったとしたら、日本の警察権の範囲で通常通りに対応すればよい。
「難民はテロリストや便衣兵かもしれない」なる発想に至っては実に噴飯モノだ。
そんなことを言い出したら、原理的には「麻生太郎や安倍晋三も『テロリスト』になる可能性がゼロではないから国外追放すべき」というような無茶苦茶な論理もまた通用してしまうだろう。馬鹿げている。

 結局のところ、安倍政権の重要人物である麻生副総理の「武装難民は射殺」発言からわかるのは、この政権が極めて国際感覚に欠けているというだけでなく、その本質が、救うべき弱者を異質な存在として敵視し、むしろ差別や偏見を助長するものに他ならないということだ。
 思い起こされるのは1923年、関東大震災での朝鮮人虐殺である。
「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を入れた」などといったヘイトデマにより、日本人は無辜の朝鮮人らを大勢殺してまわった。
このデマの拡散には、当時の警察や軍など政府当局が関与していた。

メディアが「武装難民は射殺」発言に対し、徹底して批判や追及をしないのならば、朝鮮人虐殺のようなヘイトクライムの再現を座して待っているのと同じだ。
そのことをゆめゆめ忘れてはならない。
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余命の物差しにならない? 平均寿命のウソ・ホント

余命の物差しにならない?
平均寿命のウソ・ホント
2017.9.26 All About

「死亡年齢の平均」ではない!
意外と複雑な平均寿命の算出法 人口統計の一つに、「生命表(life table)」というものがあります。
意外かもしれませんが、皆さんがよく耳にする「平均寿命」というものは、この生命表の中で基本となる数値(関数)ではありません。
100人の死亡した年齢を足して100で割った数値、というような単純なものではないからです。

なぜ人口統計の生命表から切り離されて、「平均寿命」という用語が独り歩きするようになってしまったのでしょうか?
一つには、直感的に分かった気分になれる言葉だからだと思います。
「平均」は小学校の算数でも習いますし、「寿命」も電池の寿命というように普通の会話でも使われ、長い方が長生きで良いものだとパッとイメージできる単語です。
要するに難しい数式や統計学的なことを知らなくても、「平均寿命」と聞いただけで誰でも理解できた気になれる言葉だからでしょう。

その上、国際比較もしやすい数値なので、「日本の平均寿命は世界一長い!」という報道を聞くのも、何となく嬉しかったりするものかもしれません。
しかし、実際に多くの人が考えている「平均寿命」には、いくつかの誤解が見られます。
単純そうな平均寿命ですが、実は数式を使わずに算出法を解説するのは難しい、なかなか複雑なものなのです。

平均寿命とは?
平均寿命の出し方を図で解説
そもそも「平均」と言っていますが、多くの人が算数などで習う平均とは、まったく意味が違います。
次の図をご覧ください。
平均寿命.jpg
少し難しく見えるかもしれませんが、年齢がX軸、生存数という関数がY軸です。
年齢が増えると、自然と生存数は減って行き、右下がりの曲線となります。
ある年齢で垂線を引くと、垂線の左上側と右下側に図形ができます。
平均寿命というのは、この2つの図形の面積が等しくなる年齢に相当します。
どうでしょう? こう聞いただけでも「思っていたのと違う……」と感じられるのではないでしょうか?

生存数を表現する砂時計があるとすると、上の砂と下の砂の量が同じになる年齢が平均寿命ということです。
しかもこの砂時計の場合、砂の落ちる速さは一定ではありません。
最初は少なく、後半に急に多くなります。
単純に足して割る、という平均ではないのです。

それでは次に、平均寿命についてのよくある疑問や間違いについて、一問一答の形で解説しましょう。

「平均寿命−年齢」が大まかな自分の余命だ ⇒ ウソ
これはとても多い誤り。
よく聞くのが、「女性の平均寿命が約85歳。
今、私は40歳だから、あと45年くらいかしら」といった表現です。
平均寿命は、あくまでも「発表されたその年に誕生した人」の平均余命のこと
そもそも計算すること自体が間違いなので、この考え方は正しくありません。
ひとつ言えるのは、現在40歳の女性の平均余命は45歳より長いのは確かです。

平均寿命を毎年報道するのは意味がない ⇒ ホント
こちらは正論。
平均寿命は、「生命表」という統計の指標の一つ。
国勢調査に基づくものを「完全生命表」と呼んでいますが、国勢調査は5年毎に実施しています。平均寿命だけ取り上げて毎年大きく報道されるのはやや不自然な感じがします。
国勢調査での生命表は、「簡易生命表」と呼んでいます。

平均寿命まで生きるのは50%? ⇒ ウソ
誤り。
生きるという表現に関係したのは平均余命ではなくて生命表の中で生存数という別の指標です。

上の言い方に直接関係した指標があります。
ただし、日本では平均寿命まで生きる確率は50%より大きくなっています。

高額な生命保険に入ると寿命がのびる ⇒ ホント
都市伝説的でいかにもウソな印象ですが、これはある意味で正解です。
高額な生命保険に加入するときは、定期健康診断などによる審査があります。
完全生命表、簡易生命表とは別に3つ目の生命表としての、生保標準生命表というものがあります。
もちろん、加入することで実際の寿命がのびるわけではありませんが、「のびる」の意味を完全生命表と生保標準生命表の差という数値的な意味で見ると、正しいことになります。

平均寿命は女性が長い ⇒ ホント
こちらは正解。
日本を含めて、世界的に見ても女性の方が寿命が長い傾向になるのは事実です。
遺伝因子と環境因子の両方が関係していると考えられます。
そして報道される平均寿命を気にする以上に、介護が必要となる期間を差し引いた「健康寿命」を意識することが大切です。
健康寿命は、個人個人が自立した生活ができる期間のことで、生活習慣で伸ばすことが可能です。
食生活の改善と禁煙を、できることから始めましょう。
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2017年09月28日

国会論戦経ず解散 戦後初 野党の開会要求 98日放置

国会論戦経ず解散 戦後初 
野党の開会要求 98日放置
2017年9月27日 東京新聞

 安倍晋三首相は二十八日召集の臨時国会冒頭で衆院を解散する。
国会召集直後の「冒頭解散」は二十一年ぶり、戦後四回目となる。
その中でも今回はさらに異例中の異例となる。
改造内閣を含む新内閣が、本格的な国会論戦を経ずに解散するのは戦後初だからだ。
  (中根政人)
 憲法に基づく野党の臨時国会開会要求から九十八日も放置した末の解散となり、野党は「暴挙だ」と批判を強めている。
 衆院事務局などによると、戦後の冒頭解散は一九六六年、八六年、九六年の三回。
いずれも首相の演説や各党代表質問は実施せずに、国会召集直後に解散した。
この点は今回も同じになる見通しだ。

 最大の違いは、解散前の国会での首相演説や質疑の有無だ。
過去三回は首相が内閣改造や新内閣発足の後に国会で演説し、質疑を受けた。
解散は、その後に召集された国会で行われた。

 一方、安倍首相が「仕事人内閣」と銘打った改造内閣は八月三日に発足した後、国会での審議は一部委員会の閉会中審査に応じただけ。
首相自身は本格的な国会論戦に臨むことなく、解散に踏み切る。

 八割近くの国民が「説明に納得できない」とする森友・加計(かけ)問題の追及も避ける。
与党幹部は「予算委員会で首相出席の閉会中審査を開いたので問題ない」と主張するが、審議は内閣改造前に、衆参の予算委で七月二十四日、二十五日にそれぞれ行われただけだった。

 「憲法軽視」も過去に比べて著しい。
八六年、九六年の冒頭解散に先立ち、野党は憲法五三条に基づき臨時国会の開会を求め、それぞれ七日後、十八日後に国会が召集された。
今回は野党が六月二十二日に召集を要求して以来、政府はこれを無視し続け、九十八日後に解散されることになる。
 五三条は臨時国会について、一定数の議員の要求があれば「内閣は、その召集を決定しなければならない」と定める。
期限に明確な規定はないが、三カ月以上、要求を無視した例は過去二十年にはなかった。
安倍政権は二〇一五年秋にも臨時国会の召集要求を受けたが、年明けの通常国会開会まで要求を拒否し続けた。
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2017年09月29日

希望民進合流、小池百合子に騙されるな

希望の党と民進党の合流は
大政翼賛会だ! 騙されるな、
小池百合子が原発ゼロや
消費増税ストップをやるはずがない
2017.09.28 LITERA編集部

 民進党・前原誠司代表が小池百合子率いる「希望の党」に民進党が合流する方針を打ち出した。
前原が代表に選ばれたときから、保守連合的な流れに傾く可能性は想像していたが、まさかここまでとんでもない展開になるとは……。
民進党の有田芳生参院議員が指摘していたように、これはまさに悪魔と手を結ぶ行為以外の何ものでもない。
「前原代表は完全に小池代表にやられた感じですね。
希望の党は準備期間が短すぎて、全国で候補者を立てるのは不可能な状況だった。
そこで、小池代表は、壊滅必至で焦っていた民進党と前原代表につけこみ、民進党の全国組織と候補者、政治資金をそのままのっとろうと考えたわけです。
小池氏は現段階では表向き衆院選での出馬を否定していますが、これは嘘。
5日に、都知事辞任と衆院選出馬を表明するのは確実です。
民進党との合流の動きが出てきたことで永田町では一気に与野党逆転、小池首相の誕生もあり得るという見方が広がっています」(全国紙・野党担当記者)

 しかし、本サイトで再三指摘してきたように、小池百合子代表と希望の党の本質は安倍自民党とほとんど同じ極右、ヘイト肯定の歴史修正主義者で、弱肉強食の新自由主義者でしかない。
そんな連中が中心となって、与野党逆転が起きたとして、今の状況が変わるのか。
二大極右政党制、そして日本を戦争に引きずり込む大政翼賛会が生まれるだけではないか。

 実際、小池代表は昨夜、BSフジの番組『プライムニュース』で合流の条件として、“改憲と安保”を踏み絵に迫ることを宣言した。
さらに、旧社会党系を排除することも宣言した。

 だが、こんな状況にもかかわらず、リベラルなメディアや識者からも、今回の希望の党と民進党の合流の動きを歓迎する声が出てきている。
すでに一部のリベラル系ジャーナリストや元官僚などが希望の党のブレーンとして協力しているという話も伝わってきた。
彼らの論理は“希望の党の綱領や、政策には原発ゼロなど、いい政策も多い。
安倍政権を倒してこうした政策を実現してくれるなら、応援してもいいのではないか”というものだ。
 たしかに、希望の党が掲げている原発ゼロや消費増税見送り、情報公開の推進などの政策は、実現するならそれは大歓迎だ。
小池首相誕生の価値はあるといえるだろう。

 だが、はっきりいうが、小池代表が仮に総理になっても、本気でこうした政策に取り組むとはとても考えられない。
というのも、希望の党が掲げている「いい政策」は、小池氏の過去の言動や政治姿勢と明らかに矛盾しているからだ。
これらがいかに選挙目当てのインチキにすぎないか、ひとつひとつ検証してみよう。

東京への核配備を主張していた小池が
「原発ゼロ」などやるはずがない
 まず、目玉公約としてぶちあげている「原発ゼロ」。
マスコミはまるで、小池氏がもともと脱原発的スタンスであったかのようなトーンで報じているが、小池氏はこれまで、原発に対して批判的スタンスをとったことなど一度もない。
昨年の都知事選でも、原発再稼働に対し「安全確保が第一」と容認していた。  
 都知事になって以降も同様だ。
そもそも、東京都は東京電力の株を1.2%保有する、上位4位の大株主だ。
つまり、東京都知事である小池氏は、東京電力に対し、原発再稼働反対や脱原発を要求することのできる立場にある。
しかし、小池氏は一切そのような行動をとっていない。
 25日にかかげた政策で「原発ゼロとゼロミッション社会への工程作成」と曖昧なことしか書いていなかったが、早期に原発ゼロを目指すのであれば、まず真っ先にすべきは再稼働の阻止だろう。
現在、株主である東京電力の柏崎刈羽原発がまさに再稼働待ったなしの状況になっているが、もし小池氏の言う原発ゼロが本気なら、とっくに大株主として東電に再稼働するなと言っているはずだ。
しかし、小池氏の口からそんな言葉が出てきたことは一度もない。

 しかし、それも当然だろう。本サイトでも報じてきたように、そもそも小池氏は脱原発どころか、核武装論者なのだ。
 たとえば、小池氏は保守論壇誌「Voice」(PHP研究所)2003年3月号では、現在の日本会議会長である田久保忠衛氏、救う会会長の西岡力氏と鼎談しているのだが、そのなかで“東京に核ミサイルを配備しよう”という計画までぶちあげている。

 タイトルは「日本有事 三つのシナリオ」。
内容は小池、西岡、田久保の3氏がそれぞれ議題を提示して討論するという企画なのだが、「東京に核ミサイルを」なる小見出しの項で、小池氏はこう言い放っていた。
「軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分ありうるのですが、それを明言した国会議員は、西村真悟氏だけです。
わずかでも核武装のニュアンスが漂うような発言をしただけで、安部晋三官房副長官も言論封殺に遭ってしまった。
このあたりで、現実的議論ができるような国会にしないといけません」

 さらに西岡氏が “東京核ミサイル配備”というトンデモ提案をはじめると、それをなだめるどころか、記事の最後で「ところでこの座談会、北朝鮮側に読ませたくないですね(笑)。
手の内が分かってしまうので」などと、おおはしゃぎで賛意を示したのだ。
 しかも、小池氏はこの鼎談がよほど気に入ったのか、当時、自分のホームページにテキストを全文転載し、無料公開までしていた。

 ちなみに、昨年の都知事選時のテレビ討論で、この核武装発言について鳥越俊太郎氏につっこまれた小池氏は、厚顔にも「捏造です」と強弁。
いまでは、ホームページからも削除してしまった。
 しかし、このテレビ討論で、都知事になったら非核都市宣言をしないのかと問われ、「いたしません。明確に申し上げます」と答えていたように、小池氏の本音はまったく変わっていない。

小池は希望の党旗揚げ直後、小泉純一郎元首相と会っているが、原発ゼロをもちだしたのは、小泉元首相を取り込むための作戦。
そんな人間が原発ゼロに本気で取り組むはずがないだろう。

「情報公開」などとどの口が、
小池が都政でやってきた情報の隠蔽  
さらに、噴飯ものなのが、27日に発表された綱領でも謳われている「情報公開の徹底」だ。  小池は25日の会見でも、「特区の問題についても必要だが、情報公開やお友だち関係でやっている間は特区の意味がない」などと加計問題をもちだし、安倍政権の情報隠蔽を批判していたが、小池氏に安倍政権の情報隠蔽を批判する資格などまったくないだろう。

 先の都議選で、小池氏率いる都民ファーストは「情報公開が一丁目一番地」と掲げていたにもかかわらず、小池はまったく逆の情報隠蔽を行ってきた。
 小池氏は築地と豊洲市場の併存方針を打ち出したが、その検討記録は残っていなかったことが情報公開請求によって判明。
そのことを追及されると、こんな信じられない開き直りを見せた。
「それは(私が)AIだからです」
「最後の決めはどうかというと、人工知能です。
人工知能というのは、つまり政策決定者である私が決めたということでございます」

 安倍首相の「我々の説明はまったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」にも通じる、肥大した自己評価の末の全能感。
「徹底した情報公開」を求めても「私はAIだから」の一言でシャットアウトされるだけなのに、それを政策に盛り込む厚顔さに反吐が出る。

 また、都民ファーストの議員たちにも一切取材に応じさせず、代表も独断で降りたりすげ替えたり、党運営においても情報隠蔽が徹底されている。
 これでなぜ政策や綱領に「情報公開の徹底」などと掲げられるのか。
小池氏が、公約を軽んじるどころか、なんとも思っていないことがよくわかる。

 そういう意味では、消費税増税凍結も、まったく信用できない。
「実感の伴う景気回復まで消費増税は立ち止まる」などと語っているが、
市場問題で「豊洲移転は立ち止まる」と言っておきながら結局は豊洲移転だったことを彷彿とさせる。
 そもそも、小池氏は弱肉強食、弱者切捨てを主張する露骨な新自由主義者だ。
過去には「国家に依存し、保障を要求するような社会を抜け出せ」だの「優しすぎる社会は国を滅ぼす」だの「社会保障より安全保障」だの「自助の精神を失ったら、日本は危ない」だのといった主旨の、社会保障を否定する発言を再三行ってきた。

 逆進性の消費税増税見送りと再配分を本気で考えているなら、富裕層への増税や法人税、相続税アップを主張するのが普通だが、小池氏は先の会見で、トランプ米大統領の法人税減税を評価する発言をしていた。
 かけてもいい。もし、小池政権になれば、さらなる法人税減税と富裕者優遇が進み、そのうち、さらに逆進性の消費増税、大幅な社会保障カットが行われるだろう。

小池の本質は極右ヘイト、
     歴史修正主義  
しかも、小池氏の問題点はたんに「いい政策」を反故にするだけではない。
小池氏が政権をとれば今以上に、極右ヘイト、歴史修正主義が広まる可能性もある。
 小池氏は都知事として今年、関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者への追悼メッセージを拒否。
しかも、「関東大震災という非常に大きな災害、それに続く様々な事情によって亡くなられた方々」などと言い、朝鮮人虐殺というヘイトクライムの歴史事実を否定した。
 しかも追悼文拒否の背景には、「日本女性の会 そよ風」という極右ヘイト団体の存在があったと言われる。
「そよ風」は在特会の関連団体で、慰安婦問題や関東大震災朝鮮人虐殺の否定などを主張しており、2013年には大阪・鶴橋で「いつまでも調子にのっとったら、南京大虐殺ではなく『鶴橋大虐殺』を実行しますよ!」などとジェノサイドを先導したヘイトデモに協力している。

また、「そよ風」北海道支部長の女性は桜井誠・前在特会会長の「日本第一党」の副党首まで務めている人物だ。
「そよ風」は、関東大震災の朝鮮人虐殺を否定する歴史修正運動とロビー活動に熱を上げており、各地の朝鮮人慰霊碑の撤去を求める街宣や東京都に対する公開質問状の送付などを行なっているのだ。
そして小池氏自身、2010年にこの「そよ風」主催で在特会女性部協賛の講演会をおこなうなど、もともと浅からぬ縁がある。

 26日の都議会でも、朝鮮人虐殺について質問されたが、小池氏は「様々な内容が史実として書かれていると承知している。
だからこそ、何が明白な事実かは歴史家がひもとくものだ」などと答え、虐殺の史実を認めなかった。
言っておくが、関東大震災時の朝鮮人虐殺をなかったなどという歴史家は保守派にもいない。
ネトウヨ御用達のトンデモ本くらいだ。
 さらに数々の公約を反故にしている小池氏だが、ヘイト公約だけはきっちり実行している。
それが、「韓国人学校への都有地貸与の撤回」だ。

 小池氏は都知事選に突如名乗りを挙げた際に、真っ先に公約として「韓国人学校への都有地貸与の白紙化」を語っていたが、この政策自体が小池氏の差別意識にもとづいたものだった。
 韓国人学校問題の経緯をあらためて振り返ると、舛添要一前都知事が韓国政府の依頼に応えるかたちで新宿区にある都有地を韓国人学校増設のために有償で貸し出す方針を打ち出した。
しかし、ネット右翼たちがこれに反発。
「朝鮮人へのえこひいき」などと差別的言辞を投げつけながら都庁に抗議が殺到し、ヘイト団体「頑張れ日本!全国行動委員会」も都庁前で抗議デモをおこなった。
また、産経新聞をはじめとする保守メディアも「保育園不足よりも韓国人学校か?」とバッシングを展開した。
 もともとこうしたレイシストたちに応えたかたちでのヘイト公約だったわけだが、小池氏は昨年12月の所信表明のなかでも自身の功績としてこう誇ったのだ。
「都民ファーストの観点から、地域住民の声も反映し、韓国人学校への都有地貸与の撤回なども行ってきた」(産経ニュース12月1日付)

「希望の党」の反作用として
期待されるリベラルの結集
 韓国人学校の土地貸与撤回は「都民ファースト」──。
この発言は、東京都に住み、住民税をおさめ、韓国人学校に通う人々を「都民ではない」と言っているようなものだ。
さらに、韓国人学校を槍玉に挙げ、「都民ファースト」の名のもとに土地貸与を撤回したことを手柄として誇る行為は、小池の特定民族に対する差別を表明しているようなものだ。
しかも、東京都に住む「都民」たる韓国人への嫌悪感情をより一層煽る、政治家にあるまじき悪質な言動である。  

 レイシストに媚び、ヘイトクライムの過去を真摯に反省することなく、韓国人への憎悪感情をさらに煽る。
小池氏は新党で「わが国を含め、世界で深刻化する社会の分断を包摂する」などと言っているが、やっていることはむしろ差別を助長することばかりだ。
小池氏は都知事選で「ダイバーシティ」を連呼していたし、希望の党綱領でも「国民が多様な人生を送ることのできる社会を実現する」などと謳っているが、本当の意味で多様性など考えていないのは明らかだろう。
 小池氏は都知事選の公約で「ダイバーシティ」を「ダイバー・シティ」と誤表記して笑い者になっていたが、ようするに、小池氏の多様性への意識などその程度のものなのである。
 もはやこれ以上の説明の必要はないだろう。
核兵器保有、社会保障否定、ヘイト肯定の極右思想をもち、自らの権力保持のために平気で嘘をつきまくってきた人物が、原発ゼロや消費増税ストップ、情報公開などを、やるわけがないではないか。

 そもそも小池は反安倍を演出しているが、安倍と同じ改憲派なのはもちろん、違憲の安全保障法制にも、特定秘密保護法にも衆院議員として賛成しており、今も安全保障法制も特定秘密保護法も共謀罪も廃案など一切語っていない。
それどころか違憲の安全保障法制にいたっては、容認を党参加の踏み絵にしているほどだ。
 繰り返すが、こんな人間に率いられた希望の党が民進党をのみこみ、与野党逆転を果たしたとしても、そこに誕生するのは、極右二大政党制、そして大政翼賛会の再現でしかない。

 ただ、救いはある。
民進党のリベラル派や自由党の一部がこの流れに反旗を翻す動きがあるからだ。
希望の党と民進党の野合が、リベラル勢力の結集につながり、私たちが支持すべき政治勢力を明確にしてくれる可能性が高い。
 マスコミ報道はおそらく希望の党一色になるだろうが、騙されてはならない。
私たちが応援すべきは、希望の党になびくことなくリベラルなスタンスをつらぬく政治勢力だ。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月30日

10・22衆院選へ 混迷の中に光明を

10・22衆院選へ 
  混迷の中に光明を
2017年9月29日 東京新聞「社説」

 混迷の中での衆院選である。
老舗政党が急造新党に合流する急展開だ。
「安倍政治」の対抗軸となり得るのか。
慎重に見極めて、貴重な票を投じたい。

 衆院がきのう解散され、十月二十二日の投開票日に向けて、事実上の選挙戦に入った。
 安倍晋三首相は解散理由に、消費税率引き上げによる増収分の使い道を変更する是非を問い、ミサイル実験を繰り返す北朝鮮に毅然(きぜん)と対応するために政権基盤を固めることを挙げている。

◆「安倍政治」問う選挙
 とはいえ、議員任期を一年以上残して、急いで解散する大義としては根拠が弱い。
ましてや野党側の憲法に基づく臨時国会の召集要求を無視し、召集した途端、全く審議を行わない冒頭での解散だ。
 野党側が、首相らとの関わりが指摘される学校法人「森友」「加計」両学園の問題をめぐる追及を逃れ、野党側の混乱や準備不足に乗じた「大義なき解散」と批判するのは当然だろう。

 自民党の政権復帰から五年近く。
この間「知る権利」や人権が著しく脅かされかねない特定秘密保護法や集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法、「共謀罪」の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法の成立を強行してきた。  

政権側がどんな選挙争点を設定したとしても、憲法を軽んじ、強引な政権・国会運営を進めてきた「安倍政治」そのものの是非を問う選挙としたい。
 そうした政治状況の中、民進党が両院議員総会で、衆院選では党の候補者は擁立せず、立候補予定者は小池百合子東京都知事が代表を務める「希望の党」に公認を申請する、という前原誠司代表の提案を了承した。
希望の党への民進党の事実上の合流である。

◆「小池人気」にすがる
 民進党は、かつて政権を担った旧民主党の伝統を引き継ぐ。
その老舗政党が、国政新党を立ち上げたばかりの小池氏の人気にすがる構図となることは否めない。
 「与党候補と一対一の構図をつくるため、あらゆる手段を取りたい」と述べてきた前原氏が、安倍政治の対抗軸をつくり出すために繰り出した苦肉の策なのだろう。
 その問題意識は共有する。
民進党は党勢回復が見込めず、野党がバラバラに戦っては安倍自民党の優位を揺るがすことはできない。
野党勢力が結集して、安倍政治に代わる政権の選択肢を示すことの重要性は否定しない。

 希望の党はエネルギー政策では「原発ゼロ」を掲げ、逆進性の高い消費税の税率引き上げにも慎重姿勢を示している。
 そうした政策には同意できるとしても、希望の党からの立候補が民進党支持層にとって最善の策なのかは、大いに疑問だ。
 希望の党は綱領で「平和主義のもと、現実的な外交・安全保障政策を展開する」ことを掲げ、細野豪志元環境相は安保関連法の容認を、公認の条件に挙げている。
 しかし、民進党は、歴代内閣が憲法違反としてきた集団的自衛権の行使容認に転換した安倍内閣の閣議決定を認めず、「憲法違反」と批判してきた安保関連法の採決では反対票を投じた。  そうした民進党の前議員や候補が小池氏の同意を得て、希望の党の公認を得るには、政治姿勢の転換が迫られる。
訴えてきた政策との整合性はどうなるのか。
 集団的自衛権の行使や安保関連法に反対する民進党を支持してきた有権者はどの政党・候補者に投票すればいいのか。
 自民党同様「保守」を掲げ、集団的自衛権の行使や安保関連法を認める政党が、安倍自民党に代わる選択肢となり得るのだろうか。

 報道各社の世論調査によると、希望の党に投票すると答えた人は結成間もないにもかかわらず、民進党を上回り、自民党に次ぐ二番目の多さだ。
小池氏への期待の高さがうかがえる。
 有権者にとって大事なことは国民の暮らしをよりよくするために必要な政策を実現し、それに反する政策を強引に進めないことだ。

◆未来を決める可能性
 希望の党が民進党に代わる政党となり得るのか。
「小池人気」に踊らされることなく、党が打ち出す理念・政策や、所属議員・候補の言動を慎重に見極めたい。
 公示まであと十日余り。
本人は否定するが小池氏が都知事を辞めて国政進出の可能性も取り沙汰される。
民進党の事実上の合流も、了承されたとはいえ波乱含みだ。

 従来にも増して混迷の中での難しい選択となるのは必至だが、
強引な「安倍政治」に審判を下す機会と前向きに受け止めれば、光明が見いだせるのではないか。
 私たちの未来を決めるのは、有権者たる私たち自身である。
その責任や可能性を自覚して、論戦に耳を傾けたい。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(4) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする