傍観者でいるとツケ
ノンフィクション作家・保阪正康氏
毎日新聞2017年10月9日【聞き手・栗原俊雄】
今回の衆院解散で、安倍晋三首相は「国難突破解散」と述べた。
私は「国民愚弄(ぐろう)解散」だと思う。
森友、加計両学園の問題で何の説明も議論もないまま、臨時国会を平気で冒頭解散した。
以前、安倍首相は国会の答弁で行政府の長である自分を「立法府の長」と述べた。
間違いだが、これまでの国会運営を見る限り、本当にそう信じているのではと思わざるを得ない。
戦前の軍部独裁は、軍が行政を握り立法と司法を従えたもの。
軍部がない現代でも行政による独裁はあり得る。
私たちはそれを知るべきだ。
選挙の争点の一つが北朝鮮の問題。
安倍首相は、「必要なのは対話ではなく圧力」ということを強調している。
核実験やミサイル発射を繰り返す北朝鮮に圧力が必要だとしても、それだけでいいのか。
相手がどんな国であれ、対話の道も確保しなければならない。
もう一つは憲法改正だ。
9条に第3項を付け加えると安倍首相は言うが2項との整合性がとれない。
改憲するとしても何をどう変えるのか、またそのプロセスも大事だ。
そもそも自民党が掲げる憲法が国民主権なのか、国家主権なのかを見極める必要がある。
これまでの自民党長期政権を振り返ると、最後は多数の力で採決するにしても、手続きを踏んで、それなりに時間をかけていた。
今の内閣にはそういう知的な営みが感じられない。
こんな内閣を持っていたら、私たちは50年、100年後の国民に指弾されるだろう。
与野党の国会議員と話す機会がある。
よく勉強して、社会に通じ、人の話を聞き議論ができる。
国民のことを思う。
そういう議員もいる。
しかしなかなか主流にならない。
要領がよくて風ばかりみている政治屋が多い。
立法府の役割を果たしているのか、と疑問だ。
しかしそういう政治屋を抱えていることは我々の責任でもある。
前回衆院選(2014年12月14日)の投票率は小選挙区で52・66%、戦後最低だった。
「どこに投票しても同じ」「こんな政治はダメだ」などと傍観者でいるとそのツケは我々に来る。