2017年11月17日

“極右”の安倍政権が左派的政策をとり、共産党が「保守」と呼ばれる訳

“極右”の安倍政権が
左派的政策をとり、
共産党が
「保守」と呼ばれる訳
11/17(金) 6:00配信 週刊ダイヤモンド

週刊ダイヤモンド11月18日号の特集は「右派×左派 ねじれで読み解く企業・経済・政治・大学」。
保守とリベラルの対決が鮮明となった衆院選が終わってもなお、「右派・左派」「保守・リベラル」などイデオロギーにかかわる議論が続いている。
左派政党の代表格であるはずの日本共産党に対し、若い有権者は「保守」のイメージを抱いているという。
しかも、その誤解は一部で現実化している。
 若い有権者は、最も左派色の濃い日本共産党を“保守”と呼び、保守を代表する自民党や日本維新の会を“リベラル”と認識している──。
本来の立ち位置とは正反対の政党認識が話題になっている。

 今年7月から8月にかけ、「読売新聞」と早稲田大学が実施した共同調査で明らかになった。
この調査結果をまとめたのが、下図である。
 これによると、70歳以上の認識は、最も保守的な方から順番に自民党、次いで維新の会、公明党、民進党、共産党と続き、伝統的なイデオロギー軸と整合性の取れた並び順になっている。  

ところが、これが18〜29歳の認識になると、見事に逆転しているのが分かるだろう。
さらに30代の共産党に対する認識に至っては、20代より右寄りとなる一方、維新の会はもう一段左に寄っており、認識のねじれはさらにひどくなっている。

 共産党と維新の会のグラフは40代と50代の間で交差しており、50歳前後を挟んで、政党間の対立軸の認識に世代間の断絶があるといえそうだ。
 40代以下の有権者から、共産党が保守的と認識されているというのは驚きだが、確かに、「変わらない」という点に限れば、共産党は“保守”かもしれない。

 もともと日本における政治的イデオロギー対立は、安全保障をめぐる保守陣営と革新陣営の対立を基本軸に展開されてきた。
 しかし、冷戦終結によって対立構造が見えにくくなる中、冷戦を知らない若い有権者ほど、変えようとしない政治勢力を文字通り、単純に保守と認識するようになった可能性が高い。

 つまり、共産党はぶれずに愚直に時の政権と対峙し続けてきたという点で、変わらないが故に“保守”なのだ。

● 憲法問題では
若い有権者の誤解が現実化
 実のところ、若い世代のこうした「誤解」は現実化している。
 例えば憲法問題。共産党をはじめとする左派政党は一貫して憲法護持を訴えてきており、何が何でも憲法改正を阻止したい考えだ。
 逆に、自民党の安倍晋三首相は改憲が悲願である。
 10月の衆院選で圧勝し、与党の自公や、維新の会など「改憲勢力」が憲法改正の発議に必要な3分の2の議席を衆参両院で確保したことを受け、11月には来年の通常国会での改憲案提出を目指す方針を明らかにした。
 変えたくない共産党と変えたい自民党。
激しい攻防が予想される改憲論議では、保守とリベラルが実際に入れ替わっているのだ。

 経済政策もまた、若者たちの誤解を先取りしている。
1970年代、『列島改造論』を掲げて首相となった自民党の田中角栄は保守政党の総裁でありながら、都市と農村の格差是正や福祉の充実を図り、左派層の取り込みを狙った。
安倍首相も働き方改革で非正規雇用の処遇改善を進めるなど、リベラル寄りの政策を取ってきた。
下図を見てもらいたい
これは日本の政党の立ち位置を示したものだ。
自民党は一般的に政治・文化的には保守、経済的にも右派で小さな政府を志向する右上に配置されることが多い。
ただ、時に“極右”とやゆされる現安倍政権は経済政策の面では左派であり、右下の「保守左派」のカテゴリーに分類される。

 逆に、リベラル派の旧民主党などは緊縮的な財政政策を取りがちで、「事業仕分け」はその典型だろう。
こうした政策はむしろ経済右派の考え方となる。
 安倍首相は自らの野心のため、この「保守左派」という立ち位置を非常に都合よく使い分けてきたといえる。
 どういうことかというと、安倍政権は先の衆院選で国政選挙5連勝を達成したが、実は選挙のたびに有権者に受けのいい左派的な経済政策を掲げ、選挙を乗り切ると保守色の強い右派的な政策を進めるというサイクルを繰り返しているのだ。

●「保守左派」を都合よく利用する
狡猾な安倍政権
 具体的に見ていこう。
2012年の衆院選で政権を奪い返すと、安倍政権は13年にアベノミクスを本格始動させる。
その年の7月に行われた参院選は株高の後押しを受けて圧勝。
参議院で野党が多数を占める衆参のねじれの解消に成功する。
 この辺りから抑えていた保守色が強まっていく。
同12月に特定秘密保護法を成立させた安倍首相は、靖国神社にも参拝した。

 その後、支持率が低下しだすと、左派モードに切り替えて「地方創生」を提唱。
さらに消費税の増税先送りを決定し、14年の衆院選と15年の統一地方選にも勝利した。
その後に出てきたのが、国民的な議論を呼んだ安全保障関連法案だ。
これも同9月に強行採決で成立に持ち込んだ。

 強引な政権運営への不満が高まってくると、今度は「1億総活躍社会」を打ち出し、参院選に完勝する。
すると再度保守モードに切り替わり、いわゆる共謀罪法を実現するといった具合だ。
 聞こえのいい左派的な経済政策を隠れみのに、本丸である保守色の強い政策を通す。
その手腕は見事だが狡猾さも透ける。

 共産党の愚直な“保守”と、自民党の狡猾な保守。
この二つの保守の根っこにあるのも右派と左派のねじれといえる。

週刊ダイヤモンド編集部
posted by 小だぬき at 11:55 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なぜ記者クラブは「政権ベッタリ」なのか

なぜ記者クラブは
「政権ベッタリ」なのか
2017.11.16 プレジデントオンライン(元木 昌彦)

「ここは質問をする場ではない」。
菅義偉官房長官は記者会見の場で、そう言い放った。
この「大暴言」を引き出したのが、東京新聞・望月衣塑子記者だ。

望月記者は「想像以上に政権側にすり寄っている」という記者たちを尻目に、菅長官が露骨に嫌がるような質問を重ねた。
なぜほかの記者たちは質問をしないのか。
元「週刊現代」編集長の元木昌彦氏が、望月記者に聞いた――。

「ご指摘には当たらない」
「問題ないと思われます」

私は菅義偉官房長官が嫌いである。
あの顔を朝見ると一日メシがまずくなる。
よく「男の顔は履歴書」という。
さすれば菅という男、よほどつらくみじめな人生を歩んできたに違いない。
したがって、私は菅の会見というのを見る気がしなかった。
「壊れたラジオ」のように木で鼻をくくった答弁は、鼻持ちならなかったからだ。

聞けば、日に2回も官房長会見はあるという。
私なら、あの酷薄そうな顔と人をバカにした物言いを聞くくらいなら、仮眠室で昼寝でもしている。
だが、そこへ場違いな女性記者が潜り込み、菅が露骨に嫌がるそぶりを見せるのに怯(ひる)みもせず、延々と質問をぶつけ続けたことで、記者会見の風景が変わってきたのだ。

加計学園問題を取材していた東京新聞社会部の望月衣塑子記者である。
当時、前川喜平前文科事務次官が、官邸の最高レベルがいっているという文書は存在すると爆弾告発した。
しかし、それに対して菅官房長官は「怪文書のようなもの」と一蹴した。
それに時期を合わせたように読売新聞が「前川前次官が出会い系バー通いをしていた」と報じた。
大メディアが官邸の思惑にのって、前川をおとしめようとしたのである。

メディアの劣化はここに極まった。
菅は、こうした問題を質問されても、「ご指摘には当たらない」「問題ないと思われます」とそっけなく、記者たちも質問を重ねることなく10分そこらで終わってしまう。
望月は「なぜ誰も突っ込まないのか」と疑問に思い、「だれも聞かないなら、私が聞くしかない」と思い定める。

記者クラブは
権力側と癒着し、おもねっている
大新聞だと、内閣記者会が束ねている会見に社会部が出張るのは難しいが、東京新聞という小さな組織が彼女に有利に働いた。
小さいころ演劇で鍛えた大きな声で、「官邸は前川次官の身辺調査や行動確認をしているのか? こういうバーに官房長官も足を運ばれてはどうか?」と質問した。
相手が答えなくても、質問をぶつけることで、今何が問題なのかを浮き彫りにすることができる。
その信念のもと、さまざまな「疑惑」について直截(ちょくさい)に斬り込んでいった。

そのたびに能面のような菅の顔がゆがみ、薄笑いを浮かべる姿がニュースやワイドショーで流れ、一躍、彼女は時の人になった。
他紙の記者たちも追及するようになり、会見は注目を浴びたが、それに蓋をしようとしたのは、ほかならぬ同業の記者たちだった。
「質問が長い」「何度も聞くな」といい出し、挙げ句は、手を上げても無視したまま終えてしまう。
まさに、記者クラブは権力側を監視するために存在するのではなく、癒着し、おもねっていることが一人の記者の奮闘で、はっきり国民の目に見えてしまったのである。

私は現役時代から記者クラブの閉鎖性、なれ合い、取材対象との距離感のなさを批判してきた。記者クラブは言論の自由を否定する存在だとさえ考えている。

記者クラブ制度を解体すべきである
メディアの重要な役割は権力を監視することである。
だが、第二次安倍政権のあたりから、記者だけではなく、メディアのトップたちまでもが、安倍晋三首相に誘われれば喜々として従い、酒食を共にすることをおかしいとは思わなくなってきた。
安倍はそれをいいことに、メディアを選別し、歯向かうメディアは排除し、露骨に攻撃することを平然と行うようになった。
そうした権力側の驕りの象徴が菅の会見といってもいいだろう。

それを一人の記者が、疑問に思っていることを納得するまで聞くという、至極まっとうなやり方で挑み、風穴を開けたのである。
これを機に、記者クラブ制度を解体すべきである。

なにはともあれ、望月記者の話を聞いてみたいと連絡を取った。
銀座の喫茶室に現れた彼女は小柄だが、ブン屋さんには珍しい華のある女性だった。
2児の母親で、亭主は同業者だが、単身赴任中だという。
2004年に日歯連(日本歯科医師連盟)が自民党の首脳たちに迂回献金をしていたことが発覚した。
その献金リストを彼女がスクープして、大きな話題になった。

「正義のヒーローでも、反権力記者でもない」
初っぱなから失礼な質問をしてみた。
私のような雑誌屋は、記者クラブ制度やなれ合い会見を批判してきた。
あなたのようにまっとうな質問をぶつけて、これだけ話題になるというのは、何も変わらなかったということが証明されたのだと思うが。

彼女はこう答えた。
「私のしたことは当然のことでもてはやされることではないと思う。
それだけ今は、権力に対してモノがいえない、ジャーナリズムの限界が見えてしまっているからなのではないか
「いろいろなメディアが、自分たちでやればいいのに、私のしたことを取り上げて、その結果に自分たちは責任を取らない」
「私は正義のヒーローでもないし、反権力記者でもない」 深刻ぶった表情ではない。
どちらかというと、あっけらかんとしたいい方である。

私は、さらに質問を重ねた。
小池百合子東京都知事から「排除する」という発言を引き出したのはフリージャーナリストの横田一だった。
いまはどこでも権力ベッタリで、権力者の意のままに動く記者が多い。
そうした中で、どう切り込んで発言を引き出すかが勝負になる。
あなたが引き出した菅の「ここ(会見)は質問をする場ではない」というのも、大暴言だったと思う――。
彼女はうなずき、こう答えた。

「身の回りに気を付けろ」
といわれた
「ここで聞かないでどこで聞けというんですかね。
苦し紛れに墓穴を掘ったのだと思います。
私がしつこく質問をするので、8月下旬に菅官房長官側から、菅番の担当記者に会見時間を短縮したいといってきたそうです」
「それは突っぱねたようですが、『あと○人』『あと○問』と官邸の広報官が質問を打ち切っているのをそのまま認めています。
これはメディアの自殺行為ですよ」

あなたが出した『新聞記者』(角川新書)の中で、「記者たちは私が想像していたよりもはるかに、政権側にすり寄っている」と書いている。
だが、実態は権力側と一体といってもいいのではないかと、私は思っている。
ほかの記者から、身の回りに気を付けろといわれたそうだが、そうした気配を感じることがあるのか――。
「内閣情報調査室や公安警察が私のことを調査し始めたという話は聞きますし、知り合いの議員に『望月というのはどんな人間だ』と聞いてきたということはあるようです。
直接的に圧力をかけるようなことはせず、間接的にプレッシャーをかけるというのは、彼らがよくやる手法で汚いやり方だと思います

彼女は日歯連の報道で某大臣から訴えられた。
それは不起訴になったのだが、そのあと整理部へ異動になった。
事件の現場に戻りたかった彼女は、いくつかの新聞から移籍を打診されるなかで、読売新聞へ移ろうと思い、父親に相談したという。
すると、業界紙の記者だった父親が「読売だけはやめてくれ」といったそうだ。

時の総理大臣を
脅したことを得意そうに(務台光雄)
なぜ、父親が反対したのかはわからないが、私の父も読売新聞だった。
戦前からの古株だったが、子供の私によく、「読売争議(1945年から46年)の時はアカ(共産党)を追い出してやった」と自慢していた。
また、正力松太郎は新聞に自分の動向を毎日書かせて私物化し、務台光雄は大手町の国有地を読売に払い下げろ、そうしないなら新聞でお前のことをたたくと、時の総理大臣を脅したことを、得意そうに私に語った。
今のナベツネ(渡辺恒雄主筆)の横暴ぶりはいうまでもない。

読売というのはそういう体質を持った新聞だから行かなくてよかったと、彼女にいった。
加計学園に文科省の認可は下りたが、安倍と加計孝太郎との癒着疑惑は解明されたわけではない。
これからどうするのかと聞くと、彼女はこう答えた。
「2人の関係は、おごったりおごられたりという関係ではなく、加計氏のほうが毎回払っていたようです。
獣医学部認可問題だけではなく、これまでも癒着してきた過去があると思う。
まだまだ諦めません」

権力者が隠したいことを
明るみに出す
そうはいっても安倍政権という権力は強大で、記者一人で闘えるものではないだろう。
私は「たとえば、朝日新聞と東京新聞がタッグを組んで、情報交換しながら安倍政権のスキャンダルを追いかけるとか、ニューヨークタイムズがトランプ政権の取材に500万ドルを投資したように、会社全体でやっていかないとつぶされるのではないか」と聞いた。
それに対しての答えはなかったが、彼女はこう締めくくった。

「在任期間が最長になる菅官房長官は、政権を揺るがしかねない閣僚のスキャンダルにも、表情を変えることなく鉄壁のガードを築いてきた。
しかし、私とのやりとりで、これまでとは違う別の菅官房長官の顔を導き出すことはできたのではないか」
「その表情を見ていると、さすがに『加計ありきではない』という言い訳は苦しいように思えます。
日々の少しずつの積み重ねが、政権を揺り動かすほどのパワーになると信じています」
「私は特別なことはしていません。
権力者が隠したいと思っていることを明るみに出すために、情熱をもって取材に当たる、それだけです」
こうした記者が、いま少し出てくれば、ビッグ・ブラザーのように肥大化した権力を監視することができるはずだと思うのだが。
次の予定があると飛び出していった彼女の後ろ姿が、とても大きく見えた。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする