2018年01月01日

初夢で読み解く!新年のラッキーアクションがわかるテスト

初夢で読み解く!
新年のラッキーアクションが
わかるテスト
2017年12月31日 Life & Aging Report(LAR)

今回は、新しい年のスタートにおすすめの心理テストをご紹介。
あなたが見る初夢によって「2018年のラッキーアクション」がわかります。
早速チェックしてみましょう。

■Q.2018年の初夢はどんな内容の夢でしたか?
(1)元気になれる夢
(2)気持ちの良い夢
(3)楽しい夢
(4)緊張感のある夢

■解説
(1)「元気になれる夢」を選んだあなた
今年のラッキーアクションは「創造」。
想像力と実行力を発揮し、クリエイティブなことに取り組むと運気アップ。
絵を描いたり、料理を作ったり、仕事のアイデアを実行したり。
イメージを形にすることなら何でもOKです。
あなたを褒めてくれる人が身近にいると、やる気が湧いてくるでしょう。

(2)「気持ちの良い夢」を選んだあなた
今年のラッキーアクションは「学ぶこと」。
興味のあるテーマを見つけてそれを探求すると、好奇心を刺激されてワクワクできそう。
また、苦手なことや嫌いなことに取り組んで、コンプレックスの克服を目指すのも吉。
実現すれば大きな達成感を得られて自信も生まれ、ハッピーな気分になるでしょう。

(3)「楽しい夢」を選んだあなた
今年のラッキーアクションは「コミュニケーション」。
あなたの気持ちや意見をどんどん発信すると運気アップ。
また、周囲の人達の言葉にもじっくり耳を傾けてみましょう。
積極的にコミュニケーションを取り、活発にアイデアや情報を交換することで、夢を実現するチャンスに恵まれるでしょう。

(4)「緊張感のある夢」を選んだあなた
今年のラッキーアクションは「初めての挑戦」。
未経験のことにチャレンジしたり、訪れたことのない街を歩いたりすると運気アップ。
また、これから発展しそうなことに着目し、いち早く実践してみるのもおすすめです。
主体的かつ積極的に行動すると、チャンスに恵まれるでしょう。

いかがでしたか? 
今回の心理テストでは、あなたの初夢からわかる「2018年のラッキーアクション」をご紹介しました。
新しい年のスタートに「今年の目標」を立てる方は、今回の結果を参考にしてみてくださいね。

(占術家/伊藤マーリン
雑誌や書籍の占い・心理テストの原稿執筆、WEBやスマホの占いコンテンツ制作などで活躍中。オリジナルのアストロカードR講座を銀座で開催している)
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2018年01月02日

「賢い新年の抱負」を立てる5つの方法

「賢い新年の抱負」を
立てる5つの方法
2018年1月1日 Forbes JAPAN

新年の抱負は「諦めることが前提のもの」ではない。
失敗の原因は、目標達成に向けた取り組み方を知らないまま、数週間〜数か月間にわたり奮闘した末、達成を諦めてしまうことにある。

目標よりも大事なのは、その達成手法と計画だ。
ここでは、新年の抱負を立てるときに注意すべき5つのポイントを紹介する。

1. 目標は具体的に
「痩せること」や「貯金すること」は具体的な目標ではなく、ただの願望だ。
「6か月で7キロ痩せる」「今年は5000ドル(約56万円)以上貯金する」など具体的な目標を立てれば、現実味が出て実感が持てる。
半年で7キロ減量するには、1か月に1.1キロ、1週間に0.3キロずつ減らす必要がある。
また、1年間に5000ドル以上貯めるには1か月に416.67ドル(約4万7000円)、1週間に104.17ドル(約1万2000円)貯金すべきだ。
こうした数字を参考に、食事や運動、出費の詳細を調べれば、どの部分に取り組むべきかが分かる。
毎年失敗する新年の抱負も、こうして具体的なステップに分ければ達成しやすくなる。
また、目標値を早く決定すれば、早いうちに行動開始できる。

2. 大きな目標は
小さなステップに分ける
米マイクロソフト創業者のビル・ゲイツはかつて「大半の人は、1年間にできることを過大評価し、10年間にできることを過小評価している」と語った。
新年の抱負が失敗する要因は、最初から大きな目標を掲げて失敗し、諦めてしまう人が多いことにある。
目標は、達成しやすい複数のステップに分けることが重要だ。

痩せることが目標の場合、1週間の減量目標は0.5〜1キロ程度にとどめ、週3回ジムに通って毎回少なくとも30分は運動する。
貯金が目標であれば、月200ドル(約2万2500円)/週50ドル(約5600円)貯めるところから始める。
簡単なことから始めれば、食事法や節約法、仕事のやり方を徐々に変化させ、日々の習慣とすることが可能だ。

3. 1年で達成
できなくても自分を許す
先述のように大きな目標を小さなステップへと分解した場合、成功する時期と失敗する時期が出るはずだが、それでも良い。
失敗しない人などいないので、あなたも必ず(恐らく何回も)失敗するはずだ。
人生で大きな変化を起こす人は、たとえ失敗しても、周りから「正気ではない」「絶対に達成できない」と言われても諦めない人だ。

4. 期限を設定する
大きな目標を立てた場合は特に、期限の設定が鍵となる。
計画を立て、実行のための期限を設定するまでは、目標はただの願望でしかない。
目標をそれぞれのステップに分解しても、各ステップや重要なマイルストーン(節目)に期限を設定しなければ意味がない。
期限を付ければ目標の具体性が増し、切迫感が生まれる。

5. 成功を祝う
買いたくて仕方ないコートがあったが必要ないので我慢した、ハンバーガーの代わりにサラダを注文した、昇給や昇進があった、目標達成のステップを1つ完了した──などは全て祝うべき出来事だ。
人生の大部分は日々の何気ない瞬間の積み重ねでできている。
華やかな瞬間は一瞬で過ぎ、人生のほんの一部分にしかならない。
小さな進歩や成功を祝い、自分や自分の仕事、目標とする未来の自分を誇りに思おう。
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2018年01月03日

「言ったことは実行」など天皇陛下による珠玉のメッセージ

「言ったことは実行」など
天皇陛下による
珠玉のメッセージ
2018.01.02 NEWSポストセブン

 あと1年余りで平成の御代が終わり、新しい時代が始まる。
現憲法下で初めて即位して以来30年、常に国民のために祈り、果敢に行動されてきた陛下のおことばを、改めて心に刻み付けておきたい。

〈私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。(2016年8月8日、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」)

この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。(2011年3月16日、東日本大震災後のビデオメッセージ)

〈天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。(2013年12月18日、80歳の誕生日を前に)

〈この度、海外の地において、改めて、先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います。〉(2005年6月27日、サイパン島ご訪問ご出発にあたり)

〈私は、この運命を受け入れ、象徴としての望ましい在り方を常に求めていくよう努めています。したがって、皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由は望んでいません。(1994年6月4日、ご訪米前の招待記者の質問への文書回答)

言ったことは必ず実行する。実行しないことを言うのは嫌いです。(1964年12月22日、31歳の誕生日を前に)

◆参考/高森明勅監修『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社刊)、宮内庁編『道 天皇陛下 御即位十年記念記録集』(NHK出版刊)ほか
※SAPIO2018年1・2月号
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年のはじめに考える 明治150年と民主主義

年のはじめに考える 
明治150年と民主主義
2018年1月1日 東京新聞「社説」

 明治百五十年といいます。
明治維新はさまざまなものをもたらしましたが、その最大のものの一つは民主主義ではなかったか。
振り返ってみましょう。

 日本の民主主義のはじまりというと、思い出す一文があります。
小説・評論家で欧州暮らしの長かった堀田善衛氏の「広場と明治憲法」と題した随想です(ちくま文庫「日々の過ぎ方」所収)。

◆明治憲法つくった伊藤
 主役は伊藤博文。
初代内閣総理大臣、枢密院議長として明治憲法起草の演説。
渡欧し憲法とは何かを研究してきた。
 起草演説の明治二十一(一八八八)年、伊藤四十七歳、明治天皇はなお若き三十六歳。
 何しろ東洋初の憲法です。

欧米に伍(ご)して近代国家をいかに創出すべきか。頭をふり絞ります。
 そこで堀田の随想は、悩める伊藤をたとえばベネチアのサンマルコ広場に立たせてみる。
 広場はベネチア共和国総督府の宮殿とサンマルコ大聖堂の並び立つ下。
政治経済を行う世俗権力と聖マルコの遺骸をおさめる聖なる権威の見下ろす広場。

 堀田はこう記します。  
重大事が起(おこ)ったときに、共和国の全市民がこの広場に集って事を議し、決定をし、その決定を大聖堂が祝認するといった政治形式を、(伊藤は)一瞬でも考えたことがあったかどうか

 堀田は大聖堂の権威に注目し、同じ役割を皇室にもたせるべく明治憲法はつくられたと考えを進めるが、その一方で、こんな想像はできないでしょうか。
 武士最下級足軽出身の伊藤が総理、公爵、枢密院議長へと上り詰めようと、彼は広場の民衆を果たして無視できただろうか、と。
 強大な幕府の打倒は志士に加え豪農富商、それに民衆の支えがあってこそ実現したのです。
幕末期の民衆は当然のように欧米に追いつこうとしていたのです。

◆民衆の側からみる歴史
 歴史の多くは支配者の側から書かれます。
そうであるなら民衆の側からでないと見えない歴史があるはずです。
 支配者のいう民衆の不満とは、民衆にいわせれば公平を求める正当な要求にほかなりません。  

維新をじかに体験してきた伊藤は、民衆の知恵も力も知っていたにちがいないと思うのです。
つまり広場の意義もエネルギーも知っていたのではないか、と。
 維新後、各地にわき起こった自由民権運動とは、その名の通り人民主権を求めました。
 日本には欧州の広場こそなかったが、民主主義を求める欲求は全国に胚胎(はいたい)していたといっていいでしょう。
 その延長上に明治憲法はつくられました。

絶対的天皇制ではあるが、立憲制と議会制をしっかりと明記した。
日本民主主義のはじまりといわれるゆえんです。
 明治憲法はプロシアの憲法をまねた。
プロシア、いまのドイツは当時、市民階級が弱く先進の英仏を追う立場でした。
追いつくには上からの近代化が早い。
国家を個人より優位に置く官僚指導型国家を目指さざるをえない。
 国家優位、民主制度は不確立という、今から見ればおかしな事態です。

広場は不用、もしくは悪用され、やがてドイツも日本も国家主義、軍国主義へと突き進んで無残な敗北を迎えるわけです。
 むろん歴史は単純ではなく明治憲法は大正デモクラシーという民主主義の高揚期すら生んでいます。
それはやはり社会を改良しようという民衆のエネルギーの発奮でしょう。

 戦後、両国ともあたらしい憲法をもちます。
 日本では“押し付け”などという政治家もいますが、国民多数は大いに歓迎しました。
 世界視点で見れば、一九四八年の第三回国連総会で採択された世界人権宣言が基底にあります。
人間の自由権・参政権・社会権。
つまり国家優位より個人の尊重。
長い時と多くの犠牲を経て人類はやっとそこまで来たわけです。

 振り返って今の日本の民主主義はどうか。
 たとえば格差という問題があります。
広場なら困っている人が自分の横にいるということです。
資本主義のひずみは議会のつくる法律で解決すべきだが、残念ながらそうなっていない。

◆広場の声とずれる政治
 また「一強」政治がある。
首相は謙虚を唱えながら独走を続けている。
広場の声と政治がどうもずれているようだ。
 社会はつねに不満を抱えるものです。
その解決のために議会はあり、つまり広場はなくてはならないのです。

 思い出すべきは、民権を叫んだ明治人であり、伊藤が立ったかもしれない広場です。
私たちはその広場の一員なのです。
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2018年01月04日

精神科医に聞く“思い込み”という呪い「ひとつの価値観にとらわれていると楽」

精神科医に聞く
“思い込み”という呪い
「ひとつの価値観にとらわれていると楽」
週刊女性2017年10月31日号

 最近、精神分析や認知科学的な観点から「呪い」というキーワードがよく語られます。
人の心というものは、ちょっとしたきっかけでさまざまな慣習、偏見、思い込みにとらわれやすいもの。
最近ではそんな感情を暴走させている有名人も目立ちます。
そうならないためにどうすればいいのか。
いま私たちができる対策を、精神科医の春日武彦さんにアドバイスしていただきました。  
 ◇   ◇   ◇  
「女性はやせているほうが美しい」──そんな思い込みによって、心と身体が壊れていく人もいるというのは精神科医の春日武彦さん。
客観的に見てまったく太っていないのに、食べ物を吐いたり、下剤を使ったりして、太ることを極端に恐れ、不健康なやせ方をするのが摂食障害の患者さんです。

「ある摂食障害の女性は、吐けない体質だったので、下剤を1日50錠も飲んで、食べたものを出していました。
彼女は“44kgを100gでもオーバーすると世間は自分に冷たくなる”と思っていて、44kgをオーバーしないよう必死でした。
自分がどうしたらキレイに見えるかではなく、“やせているほうがキレイなんだ”と思い込み、体重だけにこだわって暴走してしまうのです」

 最近は、フランスでやせすぎのモデルの起用をしないという法律ができ、「やせていることが美しい」という価値観には疑問が投げかけられています。
とはいえ、多くの人が「やせたい」とダイエットに励んでいるのが現状です。

「日本でも最近はぽっちゃりした女性タレントが人気を得ていますが、お笑い芸人として、太っていることで笑いをとっているケースが多く、“豊満なほうが美しい”という価値観はまだ少数派でしょう。

まだまだ、やせ信仰は根強く残っていますが、まじめに信仰するのではなく、上手にごまかしていくことが呪いにかからない方法です。
突きつめず、“やせたいけど、おいしいケーキはやめられない
”“やせている女性がタイプだけど、実は妻は太め”といったダブルスタンダードで生きていくほうが幸せと言えるでしょう」

何事も、
とことんまでは追求しない
 では、なぜ、摂食障害の人は、そんな苦しい思いをしてまで、呪いにとらわれてしまうのでしょうか。
世の中にはいろんな価値観がありますが、“女性はやせているほうが美しい”というひとつの価値観に絞り込むと、ほかのことを考えないでいいので、ある意味、楽なのです。
なぜやせているのがいいのか、自分がどうしたら美しく見えるかは関係ない。
体重だけを気にしていればいいのです。
この呪いを解くのはとても難しいので、摂食障害の人は“やせているほうが美しい”という呪いを受け入れつつも、目的はやせることではなく、自分が美しくなることであって、やせることは美しくなる手段のひとつ、くらいに考え直す必要があります」

 この「ひとつの価値観にとらわれていると楽」という状態は、松居一代さんや泰葉さんの言動にも見られるそう。
人は誰でも気持ちが追いつめられると、ひとつのことにこだわるようになります。
松居さんの場合は“夫が浮気をしているに違いない。
私はこんなに妻として完璧なのに許せない”、
泰葉さんの場合は“私がいま不幸なのは元夫との結婚生活のトラウマのせい”となり、おふたりとも狭い世界の中だけで攻撃していればいいので楽なのでしょう。

この、ひとつの価値観へのとらわれがプラスの方向に働くと、“この道ひとすじ”として、芸術家やアスリートなどが誕生する可能性もあります。
誰もが何かの価値観にとらわれる可能性はありますが、間違った方向に進んで、生きづらくならないためには、何事もとことんまで追求しない、後にはひけないことはしないほうがいいと言えます」

「自称うつ」の人も
       呪いにかかっている
 また、最近多い「自称うつ」の患者さんは、「うまくいかないのはうつのせい」という呪いにかかっているそう。
「自称うつの患者さんは、世の中の気に食わないことや不安を全部、うつ病のせいにします。
会社にも“うつです”というと病人として尊重され、周りも手を出せなくなります。
今、うつはとても便利な言葉になっているのです。
会社には行けないけれど、旅行には行けるなど、自称うつは、本来のうつ病とは異なり、本気で治そうとしない人がたくさんいます。
病気から治ったら、今まで保留にしていた問題に結論を出さないといけないので、実は病気から抜け出したくないのです」

 一見、呪いにかかって苦しそうな状態に見える人も、実は、そこに安住しているという面もあるから驚きです。
「安住していても、呪いにかかっていると、人間関係が修復不可能になったり、仕事を辞めざるをえなくなったりと、失うものは小さくありません。

実は呪いは、“ちょっと太った?”とか“ご主人、浮気してるんじゃないの?”といった、他者からのさりげないひと言によってインプットされることが多く、自信がなかった部分を“やっぱり”と思ってしまい、受け入れてしまうのです。

 呪いにかからないためには、“人は思いつきでしか物事を言わないもの。言葉を額面どおりに受け取る必要はまったくなし”と肝に銘じ、空気を読んで物事の裏も察するということが大事です」

松居一代さんの騒動を分析
 YouTubeで夫・船越英一郎さんの浮気疑惑を訴えた松居一代さん。
ただし、裏づけがとれない内容で、「松居さんの妄想では?」と思っている人も多いはず。
こういった松居さんのような言動をする人は、還暦あたりに多くなると春日さんは言います。

「ちょうど定年くらいの年齢になると、社会から必要とされなくなり、体力も落ち自分が急に凋落していくことに不安を覚えます。
その焦りの反動として、ふだんからわだかまりを持っていたことがドッと被害妄想として出てくるのです。
特に、これまで成功していた人は落ち目となっていく実感が大きくて、被害妄想が激しくなるのでしょう。
松居さんもどこかに敗北感を持っているはずです。
こういう人は病院に行って治るものではありませんし、そもそも、本人が病気だと思っていないので、診察を受けようとはしません。

直接の攻撃対象になると大変ですが、相手にするとますます巻き込まれるので、周りは静観するしかありません」

春日さんからのアドバイス

□呪いを受け入れ、上手にごまかす、ダブルスタンダードで
□いい加減がよい加減。とことんまで、ものごとを突きつめない
□苦しんでいるようでいて、そのほうが楽だからあえてその状態にいる人もいる
□人の言葉を額面どおりに受け取らない

<プロフィール>
春日武彦(かすが・たけひこ)
◎1951年、京都府出身。日本医科大学卒。
産婦人科医として6年間勤務したあと、精神科へ移る。
大学病院、都立松沢病院精神科部長、都立墨東病院神経科部長などを経て、現在も臨床に携わる。
医学博士、精神科専門医。
著書に『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、
『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎新書)、『臨床の詩学』(医学書院)、『緘黙』(新潮文庫)ほか。
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2018年01月05日

アナタにも起こりうる「燃え尽き症候群」とは

アナタにも起こりうる
「燃え尽き症候群」とは
2018.1.1 Mocosuku

執筆:山本 恵一(メンタルヘルスライター)
医療監修:株式会社とらうべ

日本においては、スポーツの代表選手や部活を終えた高校3年生が「燃え尽き症候群」になりやすいといわれます。
また、先ごろ電撃引退を表明した安室奈美恵さんも、引退理由は一種の「燃え尽き症候群」ではないか…との見方があります。
こうしたアーティストと呼ばれる人たちにも、燃え尽き症候群の人は少なからずいるようです。

そんな燃え尽き症候群とはどのような症状なのでしょうか。
ご一緒に詳しく見ていきましょう。

燃え尽き症候群
(バーンアウト・シンドローム)の由来
バーンアウトという用語の提唱者は、ハーバート・フロイデンバーガーというアメリカ人の心理学者です。
彼が保健施設に勤務していた時のこと、1年余りの期間で徐々にエネルギーが抜けるかのように、仕事に対する意欲や興味を失っていく同僚の様子を目の当たりにしました。
そして、当時、ドラッグ常用者の無気力を意味した俗語『バーンアウト』を、学術用語として1974年代に提唱しました。
その後、この用語は広く知れわたり、1982年になって社会心理学者クリスティーナ・マスラックたちが、MBI(マスラック・バーンアウト・インベントリー)という尺度に標準化しました(※)。

燃え尽き症候群の概念
もともと、モーターや電球が焼き切れる状態を表わす「バーンアウト」。
それまで精力的に活動していた人が、あたかも、突然「燃え尽きた」ように意欲を無くし、休職・休業あるいは離職してしまうような現象を意味しています。
当の本人が元来意欲の乏しい人ならともかく、そうとはいえない周囲から一目置かれる人たちが多いことが、人々を驚かせました。

MBIによると、バーンアウトには、おもな症状として次の3つがあります。

情緒的消耗感
仕事などで力を出し尽くし、消耗してしまった状態で、バーンアウトのもっとも核心的な症状

脱人格化
他人に対して思いやりがなく、紋切り型(定型的)な対応になってしまう、あるいは、他人との煩わしい接触を避けるため、事務仕事に没頭したりする

個人的達成感の低下
成果の急激な落ち込みや仕事の質の低下によって、自分自身の有能感、達成感がなくなり、自己否定や離職などにつながる

ストレス反応としての
「バーンアウト」
最近では、メンタルヘルス不調の予防として、職場におけるストレスチェック制度が創設されました。
ストレスとは、原因となる「ストレッサー」と、その結果としての反応「ストレイン」に区別して考察されますが、燃え尽き症候群は「ストレス反応」であるという捉え方もあります。

燃え尽き症候群に陥りやすい個人的要因としては、未経験、周囲の高い期待、本人の高い理想、ひたむきで一生懸命な姿勢などが挙げられます。

一方、環境的要因としては、仕事の量的・質的な過重負担、仕事のオン・オフを自分でコントロールできない状況(たとえば、「子どもの世話」のように終わりが見えないこと)、役割のあいまいさなどが指摘されています。

ヒューマンサービスや
感情労働と「バーンアウト」
バーンアウトという用語が生まれた1970年代後半のアメリカでは、お客さまへのサービス提供を職務とする「ヒューマンサービス」の分野において、バーンアウトの症状が多いことに注目が集まりました。
たとえば、看護者、教員、ヘルパーなどです。

その後、肉体労働と対比して「感情労働」という用語が生まれ、これに従事する人もバーンアウトに陥りやすいことがわかってきました。
感情労働とは、気持ちや感情を主なツールとする仕事を指します。

前述のヒューマンサービスのほかに、客室乗務員や営業、あらゆる接客業、コールセンターのコミュニケーターなど、人間を相手にサービスを提供する職種はおおむね感情労働が多いとされます。

ですから、冒頭では典型的な例としてアスリートやアーティストを挙げましたが、多様化する現代社会においては、誰もが燃え尽き症候群に陥るリスクを抱えているといえるでしょう。

抑うつ状態としての
「燃え尽き症候群」
これまで熱心だった人が、急激に意欲や興味を失い、場合によっては、不眠や食欲不振などに陥る…という意味では、燃え尽き症候群を「うつ病」の兆しと診ることもできます。
実際に、症状は「燃え尽き症候群」で、診断は「うつ病」というケースも少なからずあるようです。

たとえば、主婦が子育てを終え、急に抑うつ状態を発症する「空の巣症候群」なども、燃え尽き症候群と同類といえるでしょう。
このように、極度の心身の疲労から感情が枯渇してしまう「燃え尽き症候群」は、特別な仕事をしている人に限られません。

現代社会においては、人とかかわる仕事が主業務である職種が多数あります。
ですから、誰しもなりうる抑うつ反応であることを認識しておきましょう。

【参考】
・(※)厚生労働省 e-ヘルスネット「バーンアウトシンドローム」(https://www.ehealthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/exercise/ys-047.html)
・久保真人『バーンアウトの心理学』(サイエンス社 2014)

<執筆者プロフィール>
山本 恵一(やまもと・よしかず)
メンタルヘルスライター。
立教大学大学院卒、元東京国際大学心理学教授。
保健・衛生コンサルタントや妊娠・育児コンサルタント、企業・医療機関向けヘルスケアサービスなどを提供する株式会社とらうべ副社長

<監修者プロフィール>
株式会社 とらうべ
医師・助産師・保健師・看護師・管理栄養士・心理学者・精神保健福祉士など専門家により、医療・健康に関連する情報について、信頼性の確認・検証サービスを提供
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月06日

「睡眠負債」が招きかねない4つの致命的ミス

「睡眠負債」が招きかねない
4つの致命的ミス
あなたの仕事、恋愛、婚活は大丈夫?
2018年01月05日 東洋経済

西川 ユカコ : 睡眠改善インストラクター、
昭和西川株式会社 常務取締役

昨年の流行語大賞にもノミネートされた「睡眠負債」。
これは日本社会に「睡眠が足りていない」という実感のある人が相当数いて、「睡眠不足が体に悪いかも」という危機意識が出てきていることの表れです。

ちなみに睡眠負債とは、寝不足が借金のように少しずつ蓄積した状態のこと。
体質など個人差はありますが、成人が健康に過ごすために「最適な睡眠時間は7時間前後」というのが日本の睡眠研究者の共通認識です。

ところが、厚生労働省「国民健康・栄養調査(2015年)」によると、
日本人の平均睡眠時間は「6時間未満」が4割。
また10人に1人は「5時間未満」の睡眠時間で生活をしています。

学校や仕事の始業時間などの関係で毎日の起床時刻はある程度決まってくるので、平日の夜に自分の時間を持とうとすると、どうしても睡眠を削ることになりますよね。
だから「5時間睡眠」「6時間睡眠」というと、たいして短くないように感じるかもしれません。

誰もが「睡眠負債者」の予備軍
けれど仮に1日「7時間」の睡眠が必要な人が「5時間」睡眠を毎日続けると、1日に2時間ずつ睡眠負債がたまっていきます。
この生活を2週間続けると、2時間×14日で、なんと28時間連続で起きている時と同じ脳の状態になるといいます。
これは「1日の睡眠不足(時間)×日数=連続で起きている時間数(時間)」という、睡眠不足による脳のダメージを「連続で起きている時間数」で表す計算式に当てはめたものです。
またこのように1日2時間の睡眠不足が14日間続くと、弱度酩酊状態といって、お酒を飲んで「ほろ酔い」の時の血中アルコール濃度とほぼ同じ脳の働きになるという実験結果が出ています。

ほろ酔いの時は気分がいいのでハッピーでしょうが、睡眠負債の場合には意識が朦朧としていることに加え、体がだるくて重いし、眠いし、精神的にも不安定になりやすく、思考もネガティブになりがちなので、高いパフォーマンスを上げるには決していい状態とはいえません。

ちなみに1晩程度の徹夜や寝不足ですと逆にハイテンションになりやすい(逆に寝すぎだと鬱っぽくなりやすい)ので、1〜2日の徹夜や睡眠不足は「勢い」で何とか乗り切れてしまうことも多いでしょう。
そして実は1晩徹夜するよりも、1日1〜2時間など少しずつ負債をためていくほうが、より心身にダメージが大きいことがわかっています。
日常を蝕む「前頭葉の働き」の低下 いま睡眠負債について盛んにいわれているのは、高血圧、糖尿病、認知症やガンになるリスクが高まるということ。

けれど実は、治療が必要になるようなこれらの病気になる前に、睡眠負債はあなたにピッタリと寄り添って悪さをしています。
なぜなら、脳は「十分」な睡眠なしには「十分」に働かないようにできているからです。
睡眠不足で、最初に低下する脳の機能の1つが「全身の司令塔」ともいえる前頭葉です。

今回は前頭葉の働きが低下した際に起こる、睡眠負債の日常的な弊害について説明します。

1.仕事のミス
前頭葉は「脳内の記憶を引き出す」「論理的に考える」「クリエイティブな発想をする」「適切な判断をする」「注意力を維持する」など、「賢い人」として働いてくれます。
それは仕事をするうえで、どの職種の人にも必要な機能。
きちんと睡眠をとっている場合に比べて(他人との比較ではなく、「自分の中での比較」で)、睡眠不足の場合は前頭葉の働きが低下して上記のスキルが低くなった結果、たくさんの「トホホ」が。

たとえば、注意力、集中力が落ちてケアレスミスが増えるのもその1つ。
上司や部下からの不意の質問にうまく答えられなかったり、もしくは自分の考えをまとめるのにいつも以上に時間がかかってしまったり。
いいアイディアが思い浮かばない、資料作りに異常に時間がかかる、会議や商談など勝負の場で頭がぼんやりして的外れもしくは十分に練れていない発言をしてしまったりと、自己嫌悪に陥ってしまいそうな事態が起こりやすくなります。

1〜2日の睡眠不足なら勢いで何とか乗り切れますが、それが毎日だとしたらおそろしく生産性が低くなりますし、頭が冴えて絶好調な時に比べてずいぶん「能力ダウン」な仕事内容になるでしょう。
さらに、睡眠負債がたまっていくと、冴えている日があまりなくなってくるので、冴えない日の自分がスタンダードになってしまう危険性もあります。

2.日常生活のミス
睡眠不足が蓄積し前頭葉の働きが低下して、判断力が鈍るという観点では、仕事以外のシーンでも、トホホのワナがたくさんあります。
たとえば、節約しているのに、眠気を感じながらダラダラとネットサーフィンをして必要のない物を買ってしまったり、ダイエットしているのに、1日の後半にラーメンやお菓子などを食べてしまったり。

女性の場合は、たいして誠実な男ではない予感がしているのに、押しの強さに流されて勢いで付き合っちゃったり。
男性の場合は、最高の彼女なのに、一生の伴侶にする決断ができず愛想を尽かされて逃げられちゃったり。

情緒不安定になり、
   自己肯定感も低下
前頭葉の働きが鈍った状態では、相手の本質を見抜けないまま、相手にコントロールされ、流されてお付き合いや結婚なんてことや、逆に判断力が鈍っているために最愛の人を失うなんてことにも。
ちなみに「流される」ことと、「勢い」は別物です。

流されることは、自分の人生を運に任せること。
勢いは「それでいいか」と自分できちんと判断して納得したうえで、実現に向けてスピードを上げて進むことです。
振り返ってみて、自分が欲しい未来に対して「理性が働いていなかった」「流されてなんとなく」「思考停止になっていた」などで、「ダメなほうを選んでいた」ことが多い場合は、睡眠時間を見直すのも1つの手かもしれません。

3.婚活のミス
寝不足が続くと、やけにイライラしたり落ち込んだりすることはありませんか?
 前頭葉の働きが鈍ると、情緒が不安定になったり、自己肯定感を持てなくなることが報告されています。
これは、婚活をしている人には、悪影響を及ぼしかねません。
婚活は自分が相手を選ぶ要素はもちろん、大勢の中から選ばれないといけない要素もあるので、情緒が不安定で自分に自信のない状態では辛いですし、逆にその不安定さにつけ込む人が出てきてしまうかもしれません。

前頭葉が満足に働いていない場合、正しい判断力を持つことがどうしても難しくなるので、特に「『婚活』は睡眠負債を返済してから(少なくとも返済しながら)」をスローガンにしたいところです。

寝不足カップルはケンカしやすくなる?

4.パートナーシップのミス
また前頭葉の働きが鈍っている時は、考え方もネガティブになりやすくなるので、付き合っている相手に対して「本当に自分のことを好きか」疑ったり、浮気を疑ってしまう、なんてことも考えられます。

また、相手の気持ちを慮る力や、共感力が減るうえ、自分の感情をコントロールする力も弱くなるので、寝不足のカップルはケンカしやすくなるというデータもあります。

睡眠負債は、私達の能力を自分史上最高に「バッドコンディション」に導き、仕事、人間関係など日々の大切な場でのパフォーマンスを落としてしまいます。
ここまでこの記事を読んでくれた読者に、筆者が伝えたいことはただ1つです。

十分に寝ると、脳がよく働いてくれて「思いもよらない良いこと」が本当にたくさんあります。
その「思いもよらない良いこと」を手に入れるためにも、休日に平日よりも2時間以上長く寝る人、毎日眠い人、日ごろ睡眠不足を感じている人は、2018年は、だまされたと思って10分でも20分でも長く寝ましょう!
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2018年01月07日

「日本の伝統」の多くは明治以降の発明だった

「日本の伝統」の多くは
  明治以降の発明だった
その伝統、本当に古くからあるのか?
2018年01月06日 東洋経済

西野 智紀 : HONZ

周りのみんながやっているから、乗り遅れないように私もやる―
―誰しも一度はこうした経験をしたことがあるのではないか。
仲間外れは怖いものだ。
多少ヘンな流行であっても、ついつい乗ってしまうのが人間の性である。
だが、そうして広まったブームも、時間が経つにつれて1つの風習・行事として根付く場合がある。
「伝統」だなんて言葉がついていれば、説得力倍増だ。
「古くから伝わるものなんだ、絶やしちゃいけない」という義務感すら覚えさせられる。

「古くから」「昔から」とは
一体いつごろのこと?
著者はここで疑問を抱く。
その伝統、本当に古くからあるのか?
 だいたい「古くから」「昔から」とは一体いつごろのことなのか? 
いつからなら「伝統」と呼べるのか? 

本書『「日本の伝統」の正体』柏書房(藤井青銅 著)はそうしたモヤモヤを感じる日本の伝統の数々を検証する1冊である。
著者は1979年に「星新一ショートショート・コンテスト」入賞を機に数多くのラジオ番組制作に関わってきた名放送作家。脚本家・作家としても活躍し、日本史についての著作も数冊発表している。
目から鱗の逸話ばかりでどこから読んでも楽しいが、日本の伝統に最も馴染み深くなると思われる年末年始や季節の変わり目の行事から見ていこう。

たとえば正月。無病息災などを祈念するため、初詣に行かれる方は多いだろう。
この風習、なんとなく大昔からあるような感じがするが、実は誕生は明治中期である。
1872年、東海道線開通が開通し、川崎大師へのアクセスが容易になる。
川崎大師は江戸から見て恵方にあたり、行楽も兼ねて参詣に行く人が急増し、特に1月21日の縁日(初大師)は大盛況となった。

とはいえ、恵方は5年に1回しか来ない。
当たり前だが鉄道会社としては毎年来てくれたほうが儲かる。
そこで、大晦日から寺社に籠って元日を迎える「年籠り」、
年明けはじめての縁日に参詣する「初縁日」、
居住地から見て恵方にある寺社を参詣する「恵方詣り」といった古来からの行事を組み合わせ、縁日も恵方も関係ない「初詣」をつくりあげ宣伝文句としたわけだ。

もう少し正月つながりでいくと、「重箱のおせち」もかなり新しい伝統だ。
おせちは「お節」と書き、祝いの席の料理として奈良時代から存在したが、正月のおせちを重箱に詰めるようになったのは幕末から明治にかけてで、戦後、デパートの販売戦略によって定着した。

恵方や食べ物、商売努力の話で思い出されるのが、恵方巻だ。
恵方とはもともと陰陽道の言葉で、『蜻蛉日記』(975年)にも出てくるくらい古いが、恵方巻自体は20年程度の歴史しかない。
「節分に恵方を向いて巻き寿司を食べる」風習は戦前から戦後にかけて大阪の寿司・海苔業界が大宣伝したことによって関西の一部地域には広まっていたが、これを1989年にセブン-イレブンが取り入れて大ヒットを記録。
98年には「恵方巻」という名で全国展開され、他のコンビニ各社もぞくぞく参入し、現在に至っている。

言葉の魔力と美談の引力 販売戦略が奏功するだけでなく、伝統として定着できたら、商売人としてはこの上ない喜びだ。
だが、そもそも存在しなかった(創作の疑いがある)風習が権威とともに前面に押し出しされてくると、さすがに違和感は拭えない。

昨今疑惑を集めている「江戸しぐさ」はその典型例だ。
傘を差した人同士がすれ違うとき、相手を濡らさないように互いの傘を傾ける「傘かしげ」。
複数の人が一緒に座るとき、みんなが腰を浮かせて、こぶし1つ分詰めて場所を作る「こぶし腰浮かせ」……。

マナーとしてはわからなくもないが、なぜそれを記録した史料が一切ないにもかかわらず「江戸時代からの伝統」と言い張るのか。

江戸しぐさの初出は1981年の読売新聞。
提唱したのは「江戸講」なるものの伝承者だという芝三光。
80年代後半の江戸庶民文化再評価の流れに乗じて、この道徳的しぐさは存在感を増し、現在、NPO法人を中心に、普及が進められているようだ。

このトンデモへの批判は原田実『江戸しぐさの正体』(星海社新書)に詳しいので譲るとして、「江戸時代から」という言葉の魔力と、「マナーだから」という美談が持つ思考を鈍らせる力には舌を巻かずにはおれない。

言葉の組み合わせで迫力が増した例は他にもある。
京都という由緒ある場所を利用した「平安神宮」や、「讃岐うどん」「越前竹人形」のような旧国名を冠したものがそうだ。

平安神宮」は、平安なんて付いているくらいだから平安時代からあるような気がするが、実際は1895年に平安遷都1100年を記念して創建された神社である。
また、香川の地で古くからうどんが食べられていたのは事実だが、「讃岐うどん」という言葉自体は60年代の誕生で、
越前竹人形」は水上勉が1963年に発表した小説『越前竹人形』が初出だ。

新しい伝統は他にもいろいろなところに存在する。
いかにも日本っぽい野菜の白菜は1875年に中国から伝わったものだし、パッと咲いてパッと散るさまが日本の美意識を表しているとされる桜・ソメイヨシノは明治生まれ。

なにかと話題となる日本の国技・相撲は、興行としては400年ほどの歴史はあるものの、「国技」と呼ばれだしたのは1909年の国技館誕生からである(ちなみに、日本には法令で国技と定められた競技はない)。

さまざまな思惑が
伝統を形作ってきた
こうして見てくると、日本の伝統とされるものは、明治以降の発明である場合が多い。
100年近く続いていれば伝統と呼んでもいいんじゃ、という向きもいるだろう。
断っておくと、本書はべつに伝統そのものを否定しているわけではない。
著者はこう述べる。
“「伝統があって、人間がある」のではなく、「人間があって、伝統がある」
伝統だから大切にするのはわかるが、伝統だから従わなければならないなんてことはない。

重要なのは、言葉のマジックの認識だ。
権威付けやらビジネスやら、様々な思惑が伝統を形作ってきたのもまた事実なのである。
たくさんのメディアに囲まれているこのご時世、疑問を持ったり、フェイクか否か選別したりするのは難しいし体力がいる。
が、由来や歴史を調べるのは、人間のおかしみを感じられて、存外面白いものだ。
本書はその端緒となる火を灯す1冊なのは間違いない。
なお、ちょっと厳めしいタイトルと装幀だが、文章はエッセイ風味の優しいノリなのでご安心を。
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2018年01月08日

「先延ばし癖」をやめるために、すぐに取り組むべきこと。

「先延ばし癖」を
やめるために、
すぐに取り組むべきこと。
2018.1.5 TABI LABO (星 佑貴)

去年やり残したことや、目標まで達成できないことがあるとしたら、悔やまれるのは、自分の「計画性について」が多いのではないでしょうか。

そして、新年の抱負にも「タイムマネジメント」や、「計画性」の改善を挙げる人は珍しくないと思います。
今年こそ“先延ばし癖”を直すために、何をするべきなのか。それを調べてみたんですが、いろんな人のスピーチや研究結果・調査をみても
結局は、自分自身が「先延ばししない人生」を求めて、毎日意識しつづけるしかない! という結論に至りました。
そりゃそうか……。

意識をするしかないのだけれど、その意識を保つためのアイディアや、考え方は見つけることができました。
少しでも抱負を実現するために、紹介します。

ステップ1.
自分の脳内で起きてることを理解する
自身が究極の先延ばし魔であることで、苦労してきたというティムさんは、何が自分の脳内で起きているのかを分析して、ブログにまとめました。
その内容が多くの共感をうみ、今では有名ブロガーになっています。
動画を見てもらうのが一番わかりやすいのだけれど、
簡単にまとめると、
先延ばしには二種類あると彼は言います。
期限があるものと、
期限がないもの。

例えば、レポート提出。締め切り前夜になると「パニックモンスター」が現れ、今までの怠惰を吹き飛ばし、信じられないスピードで書き上げます。
二週間で一文字も書けなかったのに、一晩で10枚以上書く状態です。
パニックモンスターが現れると、質は悪く、仕上がりも綺麗ではない成果物にはなるけれど、結果的には期限に間に合う。
この場合は、まだマシなのです。

一方で、問題を抱えている人間関係の修復や、家族に会うこと、など期限のない先延ばしには、パニックモンスターは現れてくれません。
ずっとそのまま、緩やかに最悪の後悔に近づいていくだけ。
「あとでやればいいや」という考えを積み重ねるほど、影響を受けるのはむしろ“期限のないものへの先延ばし癖”なのです。

ステップ2.
付箋をつかって整理する
先延ばしにしてしまう理由の一つとして、「やるべきことが多すぎて手をつけたくない」というものが挙げられます。
ぼんやりと荷が重いものに関して、人は手をつけるのが億劫になってしまいがちです。
だからこそ、付箋を使って、具体的に何をしなくてはいけないのかを書き出して、さらにそのためにしなくてはいけないことも書き出して、細分化していくアクションが必要なのだそう。
着手するハードルを、どんどん低くしていくことが、効果的。
目の前の小さなタスクが何か見えたら、それをパソコンやデスクに貼って意識を向けつづけましょう。

ステップ3.
とりあえず、やり始めてみる
<やるべきことを細分化する>ということ自体を、先延ばしにしてしまう人もなかにはいると思います。
はい、わかります。
見えることから手をつけることで脱却するタイプと、
何をすべきかわからないけど、とりあえず「やること」でスイッチを入れるタイプがいるのではないでしょうか。

一度ステップ2を試してみて、もしも続けられなそうだと感じたなら、とにかく椅子に座って、「タスクに手をつける」という意識を常に心がけてみてください。
それが、怠惰な自分にコントロールされてしまうことを防ぐ第一歩。

とにかく今から動いてみよう、と自分自身に言い聞かせ続けられる自分に変わっていきましょう。
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2018年01月09日

ギグワーカー化を推奨 「働き方改革」はいかがわしさ満載

ギグワーカー化を推奨
「働き方改革」は
  いかがわしさ満載
2018年1月8日 日刊ゲンダイ

浜矩子同志社大学教授

 2018年の干支は「戌」ではなく「人」じゃないか――。
今年は「ヒト」がフォーカスされる年になると思います。
「ヒト・モノ・カネ」という言い方をしますが、グローバル時代が幕開けした当初は、ものづくりが国境を越え、それがどう発展していくのかがテーマでした。
そのうちカネが国境を越え、リーマン・ショックが起きるなどして注目された。
今度はいよいよ「ヒト・モノ・カネ」の主役であるヒトです。

移民や難民、労働生産性や賃金、そしてAIやIoT、ロボットとヒトがどう共存していくのかなど、ここへきてヒトにまつわる話題が増えてきました。
 そんな中、「ギグエコノミー」という言葉が世界的にはやってきています。

ギグは「パフォーマンスをする舞台」という感じの言葉。
要は、芸人さんが巡業するようなもので、フリーランスや個人事業主となって仕事から仕事へ渡り歩くというライフスタイル。
さまざまな理由でギグワーカーが増え、渡り職人化していく人々が増えてきた。

被雇用者ではない彼らの働く者としての生存権や基本的人権は、従来の労働法制の枠組みによっては守り切れない。
この事態にどう対応するか。
この点が世界的に議論されています。

■労組も復権に向けて頑張って
 ところが日本では、そのような議論に参加することなく、無防備なギグワークの世界に政府が人々を積極的に押し出そうとしている。
「柔軟で多様な働き方」の名の下に、「働き方改革」がギグワーカー化を推奨しているのです。つまりは生存権や基本的人権への配慮に煩わされることは一切なく、使う側が安上がりにこき使える「個人事業主」を増やそうということなのです。

税制改正で、19年度から給与所得控除を減らし、基礎控除を増やすことになりました。
いかにも、「税金をまけてあげるから、『渡り職人』になりなさい」といっている感じで、いかがわしさ満載です。
世界は人々のギグワーカー化を心配している。
ところが、日本はそれを奨励している。
これが怖い。

「生産性」という言葉を巡る論議も怪しげです。
生産性が上がらないから賃金が上がらないということが盛んにいわれる。
ところが、実をいうと、企業は省力化、つまりは人件費を節約するために生産性増強投資をしている。
ということは、放置すれば、生産性増強投資が行われれば行われるほど、働く人々の所得は増えなくなることを意味しているわけです。
生産性さえ上がればおのずと賃金が上がるというわけではないということです。

この辺が実に混迷した形で議論されている。
意図的に議論を混乱させている向きもあるでしょう。
生産性上昇の成果を労使でどう分かち合うかということに関しては、労組の交渉力が大いに問われるところです。

人が焦点となる年においては、労組にも復権に向けて頑張って欲しい。
生産性上昇は誰のため、何のためなのか。
この点について、あくまでも人を中心に据えるまっとうな共通認識が形成されていくといいと思います。
さもなくば、これからの人間たちは、ひたすら生産性上昇を目指して頑張りまくることを強要されるか、さもなくば、そのうち機械に取って代わられるか、ということになってしまう。

 時あたかも、アホノミクスが五輪の年だ、日本にとって「目標年」だと騒いでいる2020年が近づいてくる。
ますます「生産性だ」「競争力だ」「第4次産業革命だ」「ソサエティー5・0だ」などということが言われるようになるでしょう。
そういう話にあおられて、猛烈に効率よく働かないと置いてきぼりにされると不安になったり、世をはかなんだりしないように、我々はしっかり考えなければなりません。

 2018年が人がいじめられるという意味での「人年」ではなくて、
人が大切にされる「人年」となるよう、我々は常に覚醒された意識をもって、とんでもないことのごり押しを決して許さない構えで一年を過ごして参りましょう。
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2018年01月10日

特攻隊員は「志願して死んでいった」のか

特攻隊員は
「志願して
  死んでいった」のか
2018.1.9 プレジデントオンライン (鴻上 尚史)

「9回特攻に出撃して、9回生きて帰ってきた」人がいます。
名前は佐々木友次。
作家・演出家の鴻上尚史さんは、92歳の佐々木さんに5回会い、その証言を著書『不死身の特攻兵』(講談社現代新書)にまとめました。
鴻上さんは取材を通じ、「志願して死んでいった」という話は、特攻を「命令した側」の見方だったのではないか、と考えました――。
※本稿は、鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社現代新書)の第4章「特攻の実像」を一部再編集したものです。
***********************
「命令した側」が作り上げた
       特攻隊のイメージ
佐々木友次さんの人生を知ることは、特攻隊を理解していくことでもありました。
調べれば調べるほど、「特攻隊とはなんだったのか?」という質問は成立しないと考えるようになりました。
特攻隊は「命令した側」と「命令された側」があって、この両者をひとつにして「特攻隊とはなんだったのか?」と考えるのは無意味だと思うようになってきたのです。

「特攻隊は『志願』だったのか、『命令』だったのか?」という今も続く論争も、この二つの視点を明確にしなければ、意味がないと考えるようになりました(佐々木友次さん達『万朶隊』(※)は明確に「命令」でしたが)。
※編注:佐々木さんは日本陸軍の特攻隊『万朶隊』の第一回出撃隊に選ばれた。

『神風特別攻撃隊』という戦後、ベストセラーになった本があります。
大西瀧治郎中将の部下であり、海軍の特攻を命じた中島正、猪口力平の二人が書いたものです。 英語にも翻訳され、世界に「カミカゼ」のイメージを伝えました。

「積極的に自分から志願し、祖国のためににっこりと微笑んで出撃した」という、今も根強いイメージです。
それには、第2章で紹介した関行男大尉が海軍第一回の特攻隊長に指名された時の様子が描写されています。
深夜、寝ているところを士官室に呼ばれた関大尉に対して、所属部隊の副長である玉井浅一中佐は、肩を抱くようにし、二、三度軽くたたいて、現在の状況を説明し、 「『零戦に250キロ爆弾を搭載して敵に体当たりをかけたい(中略)ついてはこの攻撃隊の指揮官として、貴様に白羽の矢を立てたんだが、どうか?』 と、涙ぐんでたずねた。
関大尉は唇をむすんでなんの返事もしない。
(中略)目をつむったまま深い考えに沈んでいった。身動きもしない。
―一秒、二秒、三秒、四秒、五秒…… と、かれの手がわずかに動いて、髪をかきあげたかと思うと、しずかに頭を持ちあげて言った。
『ぜひ、私にやらせてください』 すこしのよどみもない明瞭な口調であった」

陸軍の『万朶隊』のように、いきなり体当たりを命じられてはいません。
これを「志願」という人もいるかもしれません。
けれど、厳しい階級社会の軍隊において、中佐という二階級上の上官から「涙ぐまれながら」「どうか?」と言われて断るのは本当に難しいと思います。

ところが、1984年、戦後40年近くたって、この夜のやりとりが猪口・中島の書いた嘘だと判明します。
のちに、僧侶になった元副官の玉井氏が、関大尉の中学時代の同級生に対して、
「関は一晩考えさせてくれ、といいましてね。
あの日は豪雨で、関は薄暗いローソクの灯の下で、じっと考え込んでいました」と証言していたのです。

また、『特攻の真意 大西瀧治郎はなぜ「特攻」を命じたのか』(神立尚紀 文春文庫)には、同じことを猪口参謀が大西中将の副官だった門司親徳氏に戦後、話したと書かれています。

「一晩考えさせてください」と答える関大尉に、玉井中佐は、編成は急を要する、できれば、明日にも、敵機動部隊が現れれば攻撃をかけねばならない。と、重ねて、大西長官の決意を説明し「どうだろう。君が征ってくれるか」とたたみかけたのです。
そして、関大尉は、「承知しました」と短く答えました。

これは、「志願」のふりをした「強制」です。
いったん、ふりをするだけ、余計に残酷だと感じます。

『神風特別攻撃隊』の多数の欺瞞
『神風特別攻撃隊』では、他の隊員の志願に関しても、嘘が書かれています。
初めて隊員達に特攻の志願を募った時を、猪口参謀は次のように描写しています。
「集合を命じて、戦局と長官の決心を説明したところ、感激に興奮して全員双手をあげての賛成である。
かれらは若い。
(中略)小さなランプひとつの薄暗い従兵室で、キラキラと目を光らして立派な決意を示していた顔つきは、いまでも私の眼底に残って忘れられない。
(中略)これは若い血潮に燃えるかれらに、自然に湧きあがったはげしい決意だったのである」

ですが、生き残った浜崎勇一飛曹の証言によれば、23人の搭乗員達は、あまりの急な話に驚き、言葉も発せずに棒立ちになっていました。
「いいか、お前達は突っ込んでくれるか!」 玉井副官は叫びましたが、隊員達には戦闘機乗りとしてのプライドがありました。
反応が鈍いのに苛立った玉井副官は、突然、大声で、 「行くのか行かんのか!」と叫びました。その声に、反射的に総員が手を挙げたのです。
それは、意志というより、突然の雷に対する条件反射でした。
玉井副官は、その風景を見て「よし判った。志願をした以上、余計なことを考えるな」と答えました。
全員が「自発的に志願」した瞬間でした(『敷島隊 死への五日間』根本順善 光人社NF文庫)。

それ以降の隊員選びでは、中島飛行長は、封筒と紙を配り、志願するものは等級氏名を、志願せぬものは白紙を封筒に入れて、提出させたと戦後、答えました。
「志願、不志願は私のほかはだれにもわからない」ためにです。

けれど、やはり生き残った隊員は、そんな手順を踏まず、実際は、 「志願制を取るから、志願するものは一歩前へ」というものだったと証言しています。
中島だけに分かるのではなく、まったくの逆です。
結果、全員が一歩前に出たと言います。
当事者の隊員がこう証言していても、中島は、戦後もずっと当人達の意志を紙に書かせたと主張し続け、航空自衛隊に入り、第一航空団指令などの要職を経て、空将補まで上り詰めました。

なぜ部下の内面に
一歩も踏み込まないのか
『神風特別攻撃隊』は、徹底して特攻を「命令した側」の視点に立って描いています。
特攻の志願者は後をたたず、全員が出撃を熱望するのです。
酒の席に招かれれば、「私はいつ出撃するのですか、はやくしてくれないと困ります」と迫られ、特攻隊員を指名する前には中島のズボンの腰を引っ張りながら「飛行長、ぜひ自分をやって下さい!」と叫ばれ、夜には自室に志願者が出撃させて欲しいと日参してくるのです。

隊員達の状態は次のように描写されています。
「出発すればけっして帰ってくることのない特攻隊員となった当座の心理は、しばらくは本能的な生への執着と、それを乗り越えようとする無我の心とがからみあって、かなり動揺するようである。
しかし時間の長短こそあれ、やがてはそれを克服して、心にあるものを把握し、常態にもどっていく。
こうなると何事にたいしてもにこにことした温顔と、美しく澄んだなかにもどことなく底光りする眼光がそなわるようになる。
これが悟りの境地というのであろうか。
かれらのすることはなんとなく楽しげで、おだやかな親しみを他のものに感じさせる」

死ぬことが前提の命令を出す指揮官が、「動揺するようである」という、どこか他人事と思われる推定の形で書くことに、僕は強烈な違和感を覚えます。
猪口、中島というリーダーは、部下の内面に一歩も踏み込んでいないと感じられるのです。
どれぐらい動揺しているのか、本心はどうなのか、動揺に耐えられるのか。
優秀なリーダーなら、部下と話し、部下を知り、部下の状態を把握することは当然だと考えます。
けれど、特攻を「命令された側」の内面に踏み込む記述はないのです。
それは見事なほどです。
登場する隊員達は、全員、なんの苦悩も見せないのです。
それは、今読み返してみると、異常に感じます。
隊員の内面に踏み込んだ描写をせず、関大尉の場合のように嘘を書く理由は、ひとつしか考えられません。

特攻隊の全員が志願なら、自分達上官の責任は免除されます。
上官が止めても、「私を」「私を」と志願が殺到したのなら、上官には「特攻の責任」は生まれません。
が、命令ならば、戦後、おめおめと生き延びていたことを責められてしまいます。
多くの上官は、「私もあとに続く」とか「最後の一機で私も特攻する」と演説していたのです。

大西瀧治郎中将のように、戦後自刃しなかった司令官達は、ほとんどが「すべての特攻は志願だった」と証言します。
私の意志と責任とはなんの関係もないのだと。

秘密裏に「回収」された
隊員たちの遺書
2012年8月28日に放送されたNHK『クローズアップ現代』は奇妙な内容でした。
海上自衛隊第一術科学校の倉庫の奥深くから大量の特攻隊員の遺書が見つかったことが始まりでした。
なぜここにあるのかと調べていくうちに、1949年(昭和24年)、特攻隊員の遺書を遺族から回収して歩いた男がいたことが分かります。
男は、特務機関の一員だと名乗り、このことは口外しないようにと遺族達に言いました。
もちろん、戦後ですから、もう特務機関などというものは存在しません。

集められた遺書は、1000通余り。
2000近くの遺族を訪ね歩いていました。
どうしても遺書を渡すのが嫌だと拒否した場合は、その場で書き写したそうです。
けれど、多くの遺族は従いました。

発見された遺書を初めて見た遺族が番組で紹介されていました。
両親が死に、遺書を渡していたことを知らず、初めて兄の自筆の遺書を見た妹でした。
60年以上、大切な遺書は倉庫の奥で忘れられていたのです。
遺書に押されていた「二復」の文字から、この男は海軍を事実上引き継ぐ組織である「第二復員省」から情報をもらって遺族を訪ね歩いていたと分かりました。
その男と頻繁にやりとりをしていたのが猪口力平でした。

なんのために遺書を集めたのか、何が目的だったのか。
1951年(昭和26年)、特攻作戦や軍部への批判が高まっていた時に、『神風特別攻撃隊』は、その風潮に対抗するように出版されました。
この本の中には、特攻が現場の兵士達の熱望によって生まれ、出撃の志願者が後を絶たなかったということの裏付けとして、遺書7通が引用されています。
これらは、すべてこの時に回収された遺書でした。
猪口は、本の中で「海軍の特別攻撃隊員の慰霊巡拝のため、全国を行脚して歩いた篤行の士に、近江一郎という人があったが」と書き、彼が連絡、送付してくれたとして、遺書を紹介しています。

「慰霊巡拝」の人物が、特務機関から来た、口外しないようにと遺族に言って回ったというのですから、不思議な話です。
番組に出た専門家は、どうしてこんなことが起こったのかという番組の問いに対して、こう考えを述べました。
この当時、10年たったら海軍は復活すると多くの人は考えていて、明治以来の立派な歴史を持った海軍を復活させたいという気持ちがあった。
その時、唯一、海軍としては軍としても人としてもやってはいけない特攻作戦を発案し、それを実行したという、本当に抜きがたい、心に刺さったとげのような部分があったのではないか。

なので、日本全国の遺族の手元に遺書があると、これは孫の代になっても、ひ孫の代になっても、自分の祖父は、曽祖父は、こういう形で死んだんだというのがずっと残る。
海軍はそれがつらかったんじゃないか。 と、分析しています。
真相は闇の中です。

遺書に本当に書きたかったこと 本の中で紹介されている遺書は、「戦場における異常心理」などに支配されず、「意外なほどしずかな落着いた精神のたたずまい」が見られると猪口は解説しています。
けれど、遺書に本音が書けなかったことは、少し調べればすぐに分かります。
特攻が「志願」だったと強調する人は、特攻隊員の遺書や遺稿に溢れる「志願」「喜び」「熱意」を根拠にしますが、それは当時の状況を無視しすぎています。

『死にゆく二十歳の真情 神風特別攻撃隊員の手記』(読売新聞社)の著者、元特攻隊員の長峯良斉氏は「(遺書は)それが必ず他人(多くの場合は上官)の手を経て行くことを知っており、そこに(中略)『死にたくはないのだが……』などとは書けない」と書いています。

上官の目に触れなければ何を書くか。
そのひとつの例が、『陸軍特別攻撃隊』の著者、高木俊朗氏が執筆を依頼し、軍部の目を盗んで直接遺族に届けることができた、上原良司氏の「所感」です。
明日出撃する『振武隊』の中にいた上原の表情があまりにも思い詰めた様子なので、高木氏は「君、ちょっと何か書いてくれ」と紙と鉛筆を渡します。
慶応大学から学徒動員で特攻隊員になった22歳の上原が、この時書いた文章は、『きけわだつみのこえ』の冒頭に収録されて、とても有名になりました。

上原氏は「自由の勝利は明白な事だ」
権力主義、全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも、必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。
我々はその真理を、今次世界大戦の枢軸国家(日本・ドイツ・イタリア三国同盟の諸国)において見る事が出来ると思います」と書くのです。

特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬ、自殺者とでもいうか、精神の国、日本においてのみ見られる事と書いた後に、「こんな精神状態で征ったなら、もちろん死んでも何にもならないかも知れません。
故に最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です」と、苦悩と思考の流れを吐露しているのです。

所感の冒頭は、陸軍特別攻撃隊に選ばれたことを「身の光栄これに過ぐるものなき」と書き、終わり近くは「明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。
彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です」としました。

黙殺された
「命令された側」の言葉
上原氏の言葉は、猪口・中島が決して聞こうとしなかったものだと思います。
『神風特別攻撃隊』という本は、徹底的に「命令した側」の視点で、特攻隊を世界的に広めたのです。
ちなみに、猪口力平と中島正は、それぞれ昭和の終わりと平成まで生き、80歳と86歳で亡くなりました。


鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)
作家・演出家。1958年愛媛県生まれ。
早稲田大学在学中の81年に劇団「第三舞台」を結成。
87年「朝日のような夕日をつれて’87」で紀伊國屋演劇賞団体賞、95年「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞受賞。
10年に戯曲集「グローブ・ジャングル」で第61回読売文学賞戯曲・シナリオ賞受賞。舞台公演のかたわら、エッセイや演劇関連の著書も多く、ラジオ、テレビ、映画監督など幅広く活動。
日本劇作家協会会長。
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2018年01月11日

え? 「希望の改憲」って=与良正男

熱血!与良政談
え?「希望の改憲」って=与良正男
毎日新聞2018年1月10日 東京夕刊

 安倍晋三首相が憲法改正について「今年こそ新しい時代への希望を生み出すような憲法のあるべき姿をしっかりと提示する」と語った年頭記者会見を私もテレビ中継で見た。

 「スケジュールありきではない」と言いながら、「今年こそ」に力点があったのは明らかだろう。
政府高官は改憲の国会論議は「今秋の臨時国会がヤマ」と語っているそうだ。
 来年は4月30日に天皇陛下の退位、5月1日に新天皇即位が控える。
夏には参院選もある。
それを踏まえると今秋に発議して年末から来年初めに国民投票とする道を探るしかないと首相は思い描いているはずだ。
 結局、日程ありきではないかという点以上に、気になったのは「希望を生み出す」という言い方だ。

 首相の本音が9条改正にあるのは疑いがない。
自民党の議論も首相の提起に従い、「9条の1、2項を維持して自衛隊を明記する文言を加える」方向に集約されていくと思う。
 すると自衛隊の明記が国民の「希望」につながるということなのか?
 それは少し違うと思う。

 要するに今の憲法は連合国軍総司令部(GHQ)の押しつけであり、9条を変えて、そこから脱皮する−−というのが首相本人のそれこそ「希望」なのではなかろうか。
 安倍政権は憲法解釈を大きく変更し、限定的とはいえ集団的自衛権の行使を認めた安全保障法制を施行している。
最近では海上自衛隊の護衛艦を空母に改修し、攻撃能力を持つ最新鋭の戦闘機を搭載する検討に入ったとも報じられた。
9条に基づく「専守防衛」の原則は既に改憲を待たずに崩れ始めている。

 自衛隊の明記はそれを追認するだけでなく、文案次第ではさらに時の権力が恣意(しい)的に活動範囲を広げる余地を残す恐れがある。
安倍政権はそもそも憲法順守の意識が希薄なのだ。
それを忘れてはいけない。
 何より国民投票により、国民世論が分断されるのはよくない。

日経新聞が5日の社説で「改憲の発議はいちかばちかではなく、国民が『そんなのとっくに常識だ』と感じるくらいの案がちょうどよい」と書いていた。
その通りだと感心した。
 安定した基盤を生かすなら、改憲よりも少子高齢化や人口減少に腰を据えて取り組むようお勧めする。
それが希望を生む。
  (専門編集委員)
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2018年01月12日

150年目、「明治維新」が問い直される根本理由

150年目、「明治維新」が
 問い直される根本理由
保阪正康氏が語る「賊軍」側からの見直し
2018年01月09日 東洋経済

保阪 正康 : ノンフィクション作家

今年2018年は、明治維新からちょうど150年目となる。
政府は記念事業に積極的で、内閣官房に「明治150年」関連施策推進室が設けられた。
菅義偉官房長官は「大きな節目で、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは重要だ」と述べている。
だが、その一方で、明治維新のありように異議を申し立てる書籍が相次いで刊行されている。
書店の歴史コーナーでは『明治維新という過ち』『明治維新という幻想』『偽りの明治維新』『明治維新という名の洗脳』『明治維新の正体』『東北を置き去りにした明治維新』といった批判的なタイトルが目立つ。
いまなぜ、こうした歴史常識の見直しともいえる動きがでてきているのか。
『賊軍の昭和史』(半藤一利と共著)の著者でもある保阪正康氏に聞いた。
*************************
「薩長史観」によりつくられた通史
――なぜ、明治維新の「常識」を覆すような書籍が次々と刊行されているのでしょうか。

よく用いられる「薩長史観」という言葉があります。
明治維新の際の勝者である薩摩・長州(薩長)の側からの歴史解釈ということです。
要は「勝者が歴史をつくる」ということで、以下のような単純な図式で色分けされた歴史観だともいえるでしょう。
薩長土肥(官軍)=開明派(正義)
旧幕府側(賊軍)=守旧派(悪)

明治維新以来、日本の歴史教育は、基本的にこの薩長史観に基づいて行われてきました。
歴史研究者なども、薩長政府の意向を忖度して「通史」を形作ってきた面もあると思います。
われわれの歴史認識も知らず知らずのうちにこの薩長史観の影響を大きく受けてきたのではないでしょうか。
ところが、150年という歳月を経て、ようやく客観的に明治維新を見直す時期になったのかもしれません。
そもそも、勝者がすべて正しいはずがなく、敗者の側にも正義があったはずです。

地域ナショナリズムの高まりのようなこともあり、その事実に真正面から目を向けるようなったのかもしれません。
そうした流れの中で、反「薩長史観」的な書籍が次々と刊行されるようになったと見ることもできるでしょう。
書籍だけでなく、2013年に放映された大河ドラマ「八重の桜」なども、ずいぶん反「薩長史観」的な内容だったと思います。

――薩長史観には、見直すべき誤りがあるのでしょうか。

幕末に幕府が、意外に現実的な開国策や近代化策をとっていたことはもっと評価してもいいのではないでしょうか。
薩長は「攘夷」を掲げて政局を動かし、そのくせ権力を奪取した後はあっさりと「開国」に転じています。
また、何よりも旧幕府側を「賊軍」として貶(おとし)めたことは見直すべきかと思います。

とくに会津藩などは、賊軍の筆頭として討伐され、徹底的に蹂躙されました。
しかし、史実を見れば明らかなように、会津は、律儀に天皇に忠誠を尽くして職責を果たしただけだったのです。
謀略に明け暮れた長州や薩摩にくらべ、純粋に「尊王」藩だったという見方もできます。

旧幕府側にも正義はあった
――天皇も会津に対して絶大な信頼を寄せていたようですね。

孝明天皇は長州を避け、会津藩主の松平容保(かたもり)を深く信頼していました。
このため孝明天皇は毒殺されたという説がささやかれているほどです。
一方、薩長は、天皇を「玉(ぎょく)」と呼び、おさえて利用しようとするきらいがあったように思います。

鳥羽・伏見の戦いで「錦の御旗」が出たことにより、旧幕府側は戦意を喪失するわけですが、そもそもこの「錦の御旗」は薩長が作った偽物だともいわれています。
同様に「討幕の密勅」も偽勅だったようです。
薩長は自らの権力奪取のため、徹底的に天皇の権威を利用したともいえるわけです。

――「賊軍」とされた側は、明治維新以後も苦労したようですね。

たとえば会津藩は、23万石から3万石に家禄を減じられ、辺境の地である斗南(となみ・青森県)に追いやられました。
寒冷不毛の地で、会津藩士とその家族たちは、塗炭の苦しみを味わいます。

後に薩長閥の中で会津出身者として白眼視されながらも陸軍大将に上りつめた柴五郎は、このときまだ少年でした。
食べるものにも事欠き、塩漬けの野良犬を20日も食べ続けたこともあったと記録に残しています。
会津藩は、薩長と戦った戊辰戦争後、生死に関わるような懲罰を科せられたわけです。
奥羽越列藩同盟軍に属し会津に味方したほかの「賊軍」藩も、家禄を減らされるなどしました。

さまざまな差別もあったといわれ、賊軍藩出身者は、政官界などでなかなか出世できなかったといいます。
『賊軍の昭和史』で半藤さんがおっしゃっておられるのですが、昭和の戦争で活躍した石原莞爾(庄内)、米内光政(盛岡)、山本五十六(長岡)なども、賊軍藩の出身であったため、ずいぶん苦労したようです。
このように明治維新以降の近現代史についても、今まで語られなかった「賊軍」側の視点から捉え直すことができるのではないでしょうか。

――映画『日本のいちばん長い日』などで有名な、日本を終戦に導いた鈴木貫太郎首相も、賊軍藩の出身者だったのですね。

鈴木貫太郎さんは、賊軍である関宿藩(千葉県)の出身です。
鳥羽・伏見の戦いが始まったころ、藩主が幕府の大坂代官だったため、大坂で生まれています。 その後、海軍に入り日清戦争で大殊勲を上げます。
「鬼の貫太郎」といわれるほどの大戦果を上げたんです。

ところが、薩摩閥の系統の後輩たちに、出世では先を越されます。
こんな不公平な人事をする海軍にはもういられないと、辞めることを決意しました。
けれど、お父さんに手紙で「おまえは出世するために海軍に入ったのか」といさめられ、踏みとどまりました。
彼がここで辞めていたら、後の日本は太平洋戦争を終結させることができず、破滅へと向かっていたかもしれません。

――『賊軍の昭和史』では、「官軍出身者が始めた戦争を賊軍出身者が終結させた」というユニークな見方が展開されていますね。

終戦時の海軍大臣の米内光政のほか、戦争終結を強く望んだ海軍大将の井上成美も賊軍(仙台)出身ですからね。
そもそも、この2人とともに戦前「左派トリオ」といわれ、日独伊三国同盟に強硬に反対した山本五十六は、会津に味方し官軍に頑強に抵抗した長岡藩の出身です。
反対に、日独伊三国同盟に前のめりだった陸軍や海軍の軍人は、官軍の流れを汲む人たちだったと見ることもできるでしょう。

ですが、何よりも私は、「勝てば官軍」的な「官軍的体質」をもった人たちが昭和の戦争を始めたと思っております。
それに対して、「賊軍的体質」を持った人たちが戦争を終結に導いたと。
彼らは「負け方」を知っている、それで戦いを収めることができたのではないかと……。

鹿児島での「薩摩と長州は
      まったく違う」という声
――反「薩長」的な主張が目立つようになってきたことに対して、鹿児島県(薩摩)や山口県(長州)の方たちはどう思っているのでしょうか。

鹿児島に行ったときのことです。
『賊軍の昭和史』を読んだ方から、こんなことをいわれました。
「先生は“薩長”という言葉で簡単に一緒にするけど、薩摩と長州は全然違うんですよ」
薩摩は1877(明治10)年、それこそ「西郷どん」の西南戦争で負けて「賊軍」になってしまいました。
賊軍の立場も知っているわけで、ずっと官軍できた長州とは違うというわけです。
会津(福島県)などからすれば「薩長」と一緒にしがちですが、たしかに薩摩と長州はまったく異なります。
価値観も大きく違うように思えます。

――確かに、ひとくくりにはできない、地域ごとの歴史があるわけですね。

最近の明治維新の見直しは、地域の歴史ということに思いをはせるいい機会かもしれません。
日本の歴史といっても、地域ごとの歴史がありますし、それぞれの歴史観があるわけです。
薩摩や長州からの歴史観と、会津からの歴史観は違って当然ともいえるでしょう。
昨年はスペインのカタルーニャ独立運動が大きく報道されましたが、この背景にも地域の歴史観ということがあるはずです。
地域ごとの歴史の多様性を認めたうえで、歴史の教訓を生かすことがいま求められているのかもしれません。

地域性なども含め、明治維新を改めて問い直すことで、日本の近現代史をより深く解析できるような気がします。
そうした意味で最近の薩長史観の見直しは、薩長の人々にとっても意義あることといえるのではないでしょうか。
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2018年01月13日

憲法で労働三権が保障されている意味

ストライキが単に
「迷惑」と言い切れない理由
憲法で労働三権が保障されている意味
2018年01月12日 東洋経済

戸舘 圭之 : 弁護士

長崎県長崎市に本社を置き、フェリーや高速船を運航する海運会社の九州商船で昨年末、労働争議が繰り広げられた。
12月25日朝から、長崎市や佐世保市と五島列島を結ぶ旅客船の全便が船員のストライキのために一時運休。
同25日午後にストライキは解除され、同26日から通常通りの運航を再開したと複数のメディアが報じている。

ストライキを実施したのは九州商船の船員からなる労働組合(全日本海員組合)。
離島の重要な交通手段がストライキによって運航停止となれば、関係者の生活には多大な影響が出る。
「公共交通機関に所属する労働者がストライキをして利用者に迷惑を掛けるのはけしからん」といった意見も少なくなかったようだ。

労働者に認められた権利であり
尊重しなければいけない

一方で、ストライキは労働者に認められた権利であり尊重しなければいけないという専門家らのコメントも多数ネット上では現れている。
ストライキとは、同盟罷業(どうめいひぎょう)とも呼ばれ、一定数の労働者が集団で同時に一定期間業務を停止し、使用者の経営に打撃を与える争議手段である。

ヨーロッパ諸国等では、ストライキで飛行機や電車などの公共交通機関が運休になるようなニュースをよくみかける。
厚生労働省によればストや事業所閉鎖などの「争議行為を伴う争議」は2015年で86件。
総参加人数は7万6065人。
全国の企業数や労働者数から考えるとわずかな規模かもしれないが、日本でもしばしばストライキは行われている。

一般的には、労働組合と使用者との団体交渉が決裂した場合に労働組合側が要求を実現するためにストライキを行い、それによって使用者側の譲歩を引き出す形で行われる。
多くの場合は、ストライキの実施を事前に通告しながらぎりぎりまで交渉を行い妥結に至り、結果的にストライキが回避されることも多いが、今回の九州商船のケースのようにストライキが実際に敢行されることもある。

ストライキが実際に実施されると会社の営業はストップしてしまいたとえ短期間であっても企業経営にとっては相当な打撃を与えることが可能となる。
そもそも労働組合は、労働者が使用者と対等な交渉力を持つために集団の力で使用者と対峙し交渉を行い労働条件の向上を目指している。
労働組合が行うことが可能な手段のうち最も強力なものがストライキだ。
「いざとなれば、いつでもストライキをするぞ!」という姿勢を使用者に見せることは労働組合の交渉力を大きく高める。
もちろん、不誠実な対応や組合差別などがあった場合に労働委員会を通じて救済を求めることができる不当労働行為制度の存在なども、労働組合の交渉力を担保している重要な制度ではある。

ただ、労働組合がストライキを行えるという権利を持っていることで、「何かあれば、労働組合にストライキをやられてしまう」という危機感を使用者側は持つ。
ストライキは、憲法が保障した「憲法上の権利」である。
憲法28条は「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」と定め、ここでいわれている団結権団体交渉権団体行動権は「労働三権」などと呼ばれる。
中学、高校時代に社会科の授業で教わった記憶のある読者も多いだろう。

「団体行動権」が憲法上で
   保障されているのはなぜか
ストライキは、この中の「団体行動権」の最も典型的なものとして憲法上保障されている。
こうした団体行動権は、なぜ、わざわざ憲法上の権利として保障しているのか?
ストライキなどの労働組合の団体行動は、必然的に誰かに迷惑を掛ける可能性があるだけでなく、場合によっては、刑法が定める犯罪類型に形式的に抵触しかねない行為でもある。
そこまでには至らなくても素朴な市民感情などに流されて、社会的にもストライキを行う労働組合に非難の目が向けられかねないこともある。
そのため憲法できちんと権利として保障することにより、法律によってもストライキをする権利を侵害できないことを明言しているのである。

ストライキをする権利に限らず憲法上の権利として保障されている行為は、一般には「なんでそのような権利を保障する必要があるのか」と素朴に疑問に思えるものも多い。
しかし、これらの権利は、素朴な感情からは受け入れられにくく、憲法によって保障しておかないと、いつでも破棄されてしまいかねないものだからこそ憲法が保障しているのである。

それは、長い歴史の中でさまざまな出来事を通じて、労働組合の役割、ストライキの意義が結晶化されて、ようやく権利として承認されてきたものであることを意味する。
もともと、労働組合は国家権力から敵視されがちで、労働組合の結成そのものが犯罪として処罰される時代もあった(イギリスでは共謀罪が労働組合処罰のために用いられていたという歴史もある)。

その後紆余曲折を経て、
労働組合を結成する権利(団結権)、
労働組合が団体交渉をする権利(団体交渉権)、
労働組合がストライキをする権利(団体行動権)も憲法上保障されるに至ったのである。

公共交通機関の場合がわかりやすいが、ストライキは、多くの一般市民、利用者にとっては「迷惑なもの」であることは間違いない。
かつては現在のJRである国鉄が1975年に8日間にわたるストライキを実施して大混乱に陥ったこともあった。
法律上、ストライキ(同盟罷業)は労働組合が使用者に対して行う争議行為の一つであるが労働関係調整法という法律では争議行為は以下のように定義されている。

労働関係調整法7条 「この法律において争議行為とは、同盟罷業、怠業、作業所閉鎖その他労働関係の当事者が、その主張を貫徹することを目的として行ふ行為及びこれに対抗する行為であつて、業務の正常な運営を阻害するものをいふ」
このように、ストライキなどの争議行為は、「業務の正常な運営を阻害する」ことに本質があるのであるから「迷惑なもの」であることはむしろ当然なのである(逆に言うと「迷惑でない」ストライキはストライキとして無意味である)。

過疎地で普段利用しているバスが運休になったり、離島へ行く唯一の交通手段である船舶が運航停止になったりすれば、誰だって不満を持つだろう。
労働組合の組織率が年々低下し、労働組合の力が弱まってきているともいわれストライキが行われることが珍しくなってきてはいるが、それでも労働組合にとってストライキは「伝家の宝刀」でもある。
ストライキの批判は労働組合に向けられがちだが、労働組合が正当な要求をしている場合に使用者側がこれを受け入れずにストライキをしているのであれば、使用者側にも非難される要素がある。

労働組合・ ストライキの存在意義、歴史的重要性、 憲法的価値を踏まえた上で労働組合がいかなる理由でストライキを 敢行しているのかといった背景にまで意識を向けることの重要性は強調しておきたい。
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2018年01月14日

安易な統一会派は大政翼賛会への道 希望に巣食う与党の毒

安易な統一会派は
大政翼賛会への道
希望に巣食う与党の毒
2018年1月13日 日刊ゲンダイ

 1月22日に召集される通常国会まで1週間。
結局、「立憲」「希望」「民進」の野党3党による“統一会派結成”は、実現しそうにない。  

昨年末から民進党が呼びかけていたが、
立憲の枝野代表は「希望とは理念、政策が異なる。終わった話だ」と拒絶。
NHKの討論番組で、民進の大塚代表から「野党が結束することは義務だ」と重ねて連携を求められ、希望の玉木代表から「野党がバラバラではダメだ」と迫られても、「希望の党丸ごとと組むことは自己否定につながる。とても考えられない」と改めて否定している。
 野党3党は、バラバラのまま通常国会に突入する可能性が高い。

 しかし、立憲民主が統一会派を拒絶するのは当たり前の話だ。
立憲と希望は、ほんの3カ月前、民進党が分裂し、仲たがいして生まれた政党である。
選挙では激突している。
政策は百八十度違う。
「はい、分かりました」と、カンタンに一緒になる方がおかしい。

 そもそも、統一会派という発想自体、国民不在もいいところだ。
政治評論家の森田実氏が言う。
「民進党も、希望の党も、なぜ昨年秋の衆院選で希望の党が大敗したのか、まだ分かっていないのではないか。
最大の原因は、いつも民進党議員は、国民を置き去りにしたまま、『あいつは好きだ、嫌いだ』でまとまらず、揚げ句の果てに、テレビマスコミに踊らされ、節操なく“小池新党”に駆け込むという醜い姿をさらしたからです。
嫌気が差した有権者は『この人たちは信用できない』と確信した。
いま統一会派の結成に動いているのも、あの時とまったく同じ発想です。
国民を置き去りにし、理念も政策も度外視して数合わせに走っている。
彼らはまったく懲りていない。反省ゼロですよ」

 統一会派の結成に動いている理由は、すべて保身だ。
「民進党が野党結集に動いているのは、単独では来年の統一地方選も参院選も大敗必至だからです。
希望は希望で、統一会派結成を党勢回復のきっかけにしようとしています」(野党関係者)
 国民は眼中にないということだ。

自民の補完勢力は一つになればいい  
まかり間違っても、立憲民主党は、民進や希望の誘いに乗ってはダメだ。
 国民も野党統一には反対している。
日経新聞の調査では、「ひとつにまとまる必要はない」が61%に達している。
 それに、希望の党も民進党も、支持率はたったの1%である。
国会内の数を多少増やしたところで力にならない。
 むしろ、統一に動いたら、立憲民主党は国民の支持を失うだけだ。

立憲が高い支持率をキープしていることについて、ジャーナリストの高野孟氏が本紙の連載コラムでこう書いている。
<ひとことで言うとスッキリ感だろう。
前原誠司をはじめ長島昭久、細野豪志、松原仁ら、本来なら自民党から出たかったような親米保守派や改憲タカ派が希望に行ってくれたので、立憲としては9条改憲反対を何のためらいもなく掲げられるようになった。
それで、『どうも民進党はまざり物が多くてハッキリしないなあ。
仕方がないから共産に入れるか』と思っていた広範なリベラル層が一挙に戻ってきたのだろう>  

せっかく、党の主張がスッキリしたのに、希望や民進と一緒になったら、元のもくあみである。  それよりなにより、安易な野党統一は、「大政翼賛会」への扉を開けることになる。
ハッキリ言って、希望の党は野党じゃない。
安倍自民党の毒が回っている。
はやくも長島昭久あたりは「スキャンダル追及に延々と時間をかけることはしない」と宣言しているくらいである。
安倍首相とケンカする気はゼロだ。

 もし、希望の党と統一会派を組んだら、野党全体に毒が回り、野党勢力は完全に死んでしまうだろう。
「野党3党の統一会派結成は、安倍首相を喜ばせるだけです。
まず、『理念、政策が違うのに一緒になるのは野合だ』とカサにかかって責めたててくるでしょう。
野党3党は、政策をスリ合わせるだけでも相当なエネルギーを取られますよ。
とくに、今年は“改憲”が一大テーマになる。
安倍首相が、野党3党の違いに目をつけ、手を突っ込み、揺さぶってくるのは間違いない。

最悪なのは、希望の党の議員は、細野豪志や長島昭久などのチャーターメンバーを中心に安倍首相の考え方と極めて近いことです。
統一会派を組んだら、野党全体が彼らに引っ張られかねない。
統一会派を組んだら、どうしたって他党に気を使わなくてはならなくなりますからね。
立憲民主が『安倍首相による改憲には反対だ』と訴えても、希望の党が『いや、改憲の是非を国民に聴くべきだ』と異議を唱えることは目に見えています」(法政大学名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)

なぜ、希望の党の支持率は1%に低迷しているのか。
それは、たとえ小池都知事が去っても、自民党の毒が回っていると国民が見抜いているからだ。立憲民主党は、絶対に毒を口にしてはいけない。

 野党が取るべき道はハッキリしているはずだ。
 前原誠司や細野豪志、長島昭久たちを排除し、残ったメンバーだけで一緒になることだ。
安倍政権の暴走にストップをかけ、野党が政権を奪取するためには、それしかない。
野党が一本化すれば、32ある参院選の「1人区」も、野党が17奪うことが可能になるという試算もある。

「やはり野党が選挙に勝つためには共闘が不可欠です
異分子を排除したうえで、可能な限り手を結んだ方がいい。
たとえば、希望の党のなかにも、大串博志など、立憲民主と考え方が近い議員が何人もいます。同じ考え方の議員がまとまり、安倍自民党と対峙すべきです。
自民党と対決するリベラル勢力が1つに結集すれば、共産党も選挙協力をしやすくなるでしょう。
前原誠司や細野豪志たちは、維新の会と一緒になればいい。
自民党の補完勢力が一緒になれば、有権者にも分かりやすくなります」(五十嵐仁氏=前出)  

もう、国民は野党の数合わせにウンザリしている。
民進党が崩壊したのも、自民党よりも右の議員を抱え、意見がまとまらなかったからだ。
 枝野代表も、躍進した衆院選をふり返り、「政権交代のために(野党が)一つにまとまること(という発想)が、いかに有権者に嫌われているか痛感している」とメディアの取材に語っていたはずだ。

 野党が数合わせに走ったら、安倍首相の思うつぼである。
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2018年01月15日

平均年収186万円…日本に現れた新たな「下層階級」の実情 これがニッポン「階級社会」だ

平均年収186万円…
日本に現れた
新たな「下層階級」の実情
これがニッポン「階級社会」だ
2018年1月14日 9時0分 現代ビジネス

平均年収186万円の人々
いま日本の社会は、大きな転換点を迎えている。
格差拡大が進むとともに、巨大な下層階級が姿を現わしたからである。
その数はおよそ930万人で、就業人口の約15%を占め、急速に拡大しつつある。

それは、次のような人々である。
平均年収はわずか186万円で、貧困率は38・7%と高く、とくに女性では、貧困率がほぼ5割に達している。
貧困と隣り合わせだけに、結婚して家族を形成することが難しい。

男性では実に66・4%までが未婚で、配偶者がいるのはわずか25・7%である。
女性では43・9%までが離死別を経験していて、このことが貧困の原因になっている。
生活に満足している人の比率も、また自分を幸せだと考える人の比率も、きわだって低い。

健康状態にも問題がある。
4人に1人は健康状態がよくないと自覚している。
心の病気を経験した人の比率は、他の人々の3倍近い2割に上っている。
そして多くが、
「絶望的な気持ちになることがある」
「気がめいって、何をしても気が晴れない」
「自分は何の価値もない人間のような気持ちになる」と訴える。

暗い子ども時代を送った人が多い。
いじめにあった経験をもつ人が3割を超え、不登校の経験者も1割に達し、中退経験者も多い。
支えになる人も、少ない。
親しい人の数は少なく、地域の集まりや趣味の集まり、学校の同窓会などに参加することも少ない。
そして将来の生活に、過半数の人々が不安を感じている。

どんな人々か。
パート、派遣、臨時雇用など、身分の不安定な非正規雇用の労働者たちである(技能職・建設職など)。
仕事の種類は、マニュアル職、販売職、サービス職が多い。
平均労働時間はフルタイム労働者より1-2割少ないだけで、多くがフルタイム並みに働いている。

なぜアンダークラスが誕生したか
資本主義社会の下層階級といえば、かつてはプロレタリアート、つまり労働者階級と相場が決まっていた。
自営業者などの旧中間階級を別とすれば、
資本主義社会を構成する主要な階級は、
経営者などの資本家階級、
専門職・管理職などの新中間階級、
そして労働者階級であり、労働者階級は最下層のはずだった。

ところが同じ労働者階級であるはずの正規雇用の労働者は、長期不況にもかかわらず収入が安定し、貧困率も低下してきている。
労働者階級の内部に巨大な裂け目ができ、非正規労働者は取り残され、底辺へと沈んでいったのだ。
新しい下層階級=アンダークラスの誕生である。

アンダークラスはこれまで、とくに米国で、都市の最下層を構成する貧困層を指す言葉として使われてきた。
しかし格差が拡大するなか、日本にも正規労働者たちとは明らかに区別できるアンダークラスが誕生し、階級構造の重要な要素となるに至ったのである。
こうして生まれた新しい社会のあり方を「新しい階級社会」と呼ぼう。

2015年に全国の1万6000人、2016年に首都圏に住む6000人を対象に行なった調査の結果、資本主義のメインストリームに位置する資本家階級、新中間階級、正規労働者という三つの階級の間には格差や差異が依然として存在するものの、これらとアンダークラスは、あらゆる点で異質であることが明らかになった。

「新しい階級社会」の正体
それは、程度の差はあれ安定した生活を送り、さほど強い不安もなく、満足や幸せを感じながら生きることのできる人々と、これができない人々の違いである。

『新・日本の階級社会』橋本健二著(講談社現代新書)は、その膨大な分析結果のエッセンスを詰め込んだものである。

アンダークラスは現状に強い不満を抱き、格差の是正を求めている。
これに対してメインストリームの三階級は、格差や貧困を容認する傾向が強く、アンダークラスと対立している。
メインストリーマーたちを前に、アンダークラスはあまりにも無力である。
しかし希望もある。
実は同じように低賃金で働くパート主婦、資本主義から距離を置く専業主婦、そして大資本との競争に苦しむ旧中間階級は、格差に対するスタンスで、アンダークラスに接近している。
所得再分配によって格差を縮小させ、貧困を解消するための政策を支持する傾向が、アンダークラスと同じくらいに強いのである。

新しい階級社会に生まれた、
   新しい政治的対立軸である。
また新中間階級と正規労働者は、格差拡大を容認する傾向が強いといっても、一枚岩ではない。
その内部には、格差拡大に反対して所得再分配を支持し、同時に他民族との協調と平和主義の立場に立つリベラル派が、かなりの比率で存在している。
国政は自民党の一強支配が続いているが、その支持基盤は意外に強くない。
自民党を積極的に支持しているのは、民族排外主義と軍備優先、そして自己責任論にもとづく格差拡大容認論に凝り固まった一握りの人々であり、それ以外は、必ずしも強く支持するわけではない穏健保守とでもいうべき人々である。

また、かつては貧困層にまで広がっていた自民党の支持基盤は、格差拡大の進むなかで次第に浸食され、富裕層に大きく偏るようになっている。
とくに旧中間階級は、かつては自民党の強固な支持基盤だったが、近年では自民党支持率が低下し、野党支持が他の階級より多くなっている。

現状を変えるために必要なのは、格差縮小を一致点として、アンダークラス、主婦、旧中間階級、そして新中間階級と労働者階級のなかのリベラル派の支持を、一手に集めることができるような政治勢力を形成することだ。

すでに支持基盤は形成されつつある。
多くの人々が、新しい政治勢力の登場を待ち望んでいるのである。
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2018年01月16日

「低温やけど」の恐怖!

気づきにくく重症化しやすい
「低温やけど」の恐怖!
冷やしてもダメ!消毒もだめ!
2018.01.12 ヘルスプレス

 連日連夜、冷え込みが厳しい。
湯たんぽや使い捨てカイロが手放せない。

 2017年12月6日、消費者庁は「湯たんぽによる低温やけどに関する注意」を発表。
就寝時は布団に入れたままにせず、温まったら取り出すようにアドバイスしている。
だが、湯たんぽを朝まで布団に入れたまま寝ている人が多いだろう。  

 湯たんぽや使い捨てカイロは、使い方を間違えると低温やけどを招く。

どのような注意が必要だろう?
   気づきにくく、重症化しやすい
 『新版 今さら聞けないスキンケアの正解』 (主婦の友社/よしき皮膚科クリニック銀座・吉木伸子院長)によれば、
低温やけどとは、40度から60度くらいの、比較的低温で受けるやけどだ。
40度で約6時間、44度で2時間、50度で2〜3分で低温やけどを生ずるが、体質、部位、熱源によって時間は異なる。

 人間の皮膚温は36度程度だが、40度でも長時間さらされれば、皮膚のタンパク質が熱変性して壊死する。
それが低温やけどだ。
温熱熱傷(熱湯、火焔、蒸気などの熱による損傷)の1つで、低温熱源による熱傷を指す。
起こしやすい部位は、かかと、くるぶし、すねなど皮膚の直ぐ下に骨がある部位が多い。

 また、低温やけどは、若い人よりも高齢者や糖尿病などの持病がある人に起きやすい。
健康なら体をずらして避けられるが、糖尿病の神経障害のために感覚が低下していたり、脳梗塞や骨折などで体を動かしにくい状態なら、湯たんぽなどに皮膚が長時間触れたままにになる。
寝たままの乳幼児にも注意が必要だ。

 最初は、皮膚がやや赤くなる程度なので、皮膚の変化も目立たず、痛みも弱い。
だが、数日後に皮膚が黒ずみ、皮膚の深部に穴が開くように崩れる。
 このように自覚症状が乏しく、受診まで時間がかかることが多いため、受診時には皮膚の皮下組織が破壊され、手術が必要になる場合もある。
治療に1カ月近くかかったり、やけどの痕跡が残ったりする。
気づきにくいために、重症化しやすいのが、低温やけどの最大のリスクだ。

低温やけどは冷やさない!
「水疱が出る」
「真ん中が黒くなってくる」なら
                    急いで皮膚科へ!
 低温やけどの原因は、湯たんぽだけではない。
電気あんか、使い捨てカイロ、こたつなどの温熱器具のほか、ファンヒーターの前で寝てしまったなど例も少なくない。

知覚が低下している高齢者ならトイレの便座や、ダイエット器具(電極を当てて電気を流し、温度を上げたり筋肉を動かす器具)、スマホなどの報告もある。

 低温やけどを起こす条件は何か?
血行不良(血行が悪いと熱がこもる)、
高齢者糖尿病患者(知覚がにぶく熱さを感じない)、
温度が高くなる環境(使い捨てカイロを貼って毛布をかけて寝る、電車のヒーターの上にすわる)、圧迫(使い捨てカイロの上からガードル、電気あんかに足をのせて上から布団をかける)
爆睡、泥酔などだ。

 特に、あんかや湯たんぽの場合は、毛布や布団をかけて熱がこもる、足に当て圧迫も受けるので、さらに血行悪化するため、低温やけどを起こしやすい。
したがって、あんかや湯たんぽは、体から離して絶対に触れない位置におくか、寝るときは布団から出すようにしよう。

低温やけどを起こした時の
                  注意点は何か?
 低温やけどに気づいたら、まず冷やさない。
血行がさらに悪くなるからだ。
消毒もしない。
赤みがだけ軽症なら、ワセリンを塗って保護する。
だが「水疱が出る」「真ん中が黒くなってくる」なら、急いで皮膚科を受診しなければ危険だ。  

いずれにせよ、低温やけどを起こさないように、十分に注意して暖房器具を使うのが、最善策であることは言うまでもないだろう。
(文=編集部)

*参考
▶︎京都逓信病院
▶︎兵庫県立健康生活科学研究所生活科学総合センター
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2018年01月17日

悲惨な着物業界…代金踏み倒す客も

【はれのひ事件】
悲惨な着物業界…売上8割減
客の代金踏み倒し横行で
損失1000万円の店も
2018.01.12 Business Journal

文=小川隆行/フリーライター

 一生に一度の晴れ舞台である成人式を台無しにした「はれのひ」。
1月8日に突然閉店するなど音信不通となり、その被害総額は1億円を超えるとみられている。
代金を支払ったのに振り袖が届かないというトラブルのほか、「母と同じ着物を着たい」などという客から預かった晴れ着の“転売”疑惑まで浮上している。

近年、これほど消費者をないがしろにした悪質な騒動は目にしたことがない。
 この問題を受けて、着物業界は「被害者の会」を立ち上げた。

日本古来の“民族衣装”である着物だが、市場は1980年頃に約1兆8000億円だった売り上げが右肩下がりで、2016年には2785億円とピーク時の6分の1以下まで縮小している。
和服文化を継承している歌舞伎、落語、大相撲が人気を保っているものの、日本人は確実に和服離れしているのが現実だ。

 そんな着物業界にとって一番の稼ぎどきが、多くの女性が和服に身を包む成人式である。
そして、昔から地元で商売をしている小売店の場合は「信用」が一番のキーワード。
「あの店はきちんとしている」という評判や口コミは商売に欠かせない要素なのである。
 従業員の接客態度や価格はもちろんのこと、「入金時期と内金金額」も店の評判に関係するという。

関西の某県で50年以上にわたって営業を続けている、老舗呉服店の社長が語る。
「通常、お客様は2〜3社でお見積もりを立てますが、うちは平均価格である『購入36万円、レンタル15万円』よりもやや低い価格設定で、多くの方にご利用いただけるようにしています。
成人式の晴れ着を予約されたら、(低価格帯の場合に限り)内金を1万円だけ入れてもらっています。
すべては、お客様に気分良くご利用いただくためです。

 確信犯ともいえるはれのひは『現金払いなら5%オフ』などと入金を急かせていましたが、うちはクレジットカード決済すら見送り“あるとき払いの催促なし”という姿勢を貫いてきました。しかし、来年からはカード決済を導入せざるを得ないかもしれません」(呉服店の社長)

代金を踏み倒す客たち…
損失は1000万円超
 ただでさえ平均より安いのに“あるとき払いの催促なし”とは、利用客にとってはありがたいに違いない。
しかし、社長は以下のように内情を語る。
「代金は成人式の前日までに全額の支払いをお約束させてはもらいますが、なかには『1カ月待ってほしい』という方もいます。

そして、前日までに支払いがなくても、成人式のお手伝いはきちんとさせていただきます。
それもこれも、『実家からの仕送りで生活するのがやっとで、成人式は“自力”』という方もおり、そんな方のご希望を叶えてあげたいからです。
 一生に一度ですし、『その後、和服に興味を持ってもらいたい』というのが私どもの考えです。
そのため、カード決済を導入しないで『あくまでお客様を信用する』という姿勢を貫いてきました。
しかし、こうした口約束を守ってくれないお客様もいらっしゃるのが実情です。

 1カ月たっても代金が支払われないので電話をするとつながらない、書類に記載されたアパートを訪ねるとすでに引っ越した後……なんてことがよくあります。
催促をしないこちらの姿勢も悪いのですが、うちは取り立て屋じゃありませんし、ましてや先代社長の教えが『困っている人には施せ』でしたので……」(同)

 短大に通っている女性であれば、成人式は卒業間近で何かとお金が必要な時期だ。
また、一人暮らしの場合は10万円でも大金だろう。
晴れ着を着るという夢を叶えてしまえば支払うはずの料金は引っ越し代にでも充てるのか、そのまま“ドロン”してしまうケースが少なくないようだ。
「そうした損失金がいくらあるのか、先日調べたら四半世紀で1000万円を超えていました」(同)

 同店と提携する写真館の代表者は、次のように語る。
「撮った後でお客様が引き取りに来ない記念アルバムが、もう50冊ぐらいたまっています。
撮影が終わると『なくてもいいや』となるのでしょう。
頼まれればお客様のスマホでも撮ってあげますが、ご家族と一緒でない単独撮影の場合、最近はやんわりとお断りさせていただいています」(写真館の代表者)

「一番怖いのは、呉服業界の信用失墜」
 前出の呉服店社長が、ため息まじりに漏らした。
「今回の件は本当に許せませんが、一番怖いのは私たち呉服業界の信用失墜です。
業界全体が悪く見られてしまうと『いい加減な業界になんか、お金を払わなくていい』と思われてしまいかねません。
そうした貸し倒れが増えるのは困りますし、だからこそカード決済の導入も考えなければならないのです。

 しかし、先代社長の口癖が『金を追いかけるな。金は後からついてくる。
まずは商品知識を頭に入れ、相手の身になって商いをせよ。
そうすればお客様は気分良くご利用してくれる』でしたので、今も(決済導入を)迷っています」(呉服店社長)

 このような良心的な呉服店すら困らせてしまうほど、はれのひの騒動は悪質だったということだろう。
 直系家族が和服に身を包み、記念日に一家でささやかに過ごす
そんな原風景こそ日本の古き良き伝統文化だったが、核家族化が進み洋服が当たり前となった昨今、和文化の世界にも「カードローン」「クーリングオフ」「キャンセル」「スマホ」といった英単語が当たり前に飛び交う……。

こうした状況も伝統文化の衰退に拍車をかけている、とするのは言い過ぎだろうか。

 ニュースサイトで読む:
http://biz-journal.jp/2018/01/post_21972.html Copyright c Business Journal All Rights Reserved.
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2018年01月18日

愛するペットが死んだら「燃えるゴミ」なのか

愛するペットが死んだら
   「燃えるゴミ」なのか
ペットを弔いたいという
   飼い主は増えている
2018年01月17日 東洋経済

細川 幸一 : 日本女子大学教授

街中を歩くと至るところで犬と散歩する人々と出会う。
一般社団法人ペットフード協会の調査では日本の犬の飼育頭数は987万8000頭、猫は984万7000頭で、合わせて1972万5000頭もいる(2016年調査)。
少子高齢化や核家族化の進展もあり、ペットを家族の一員と思う人は確実に増えている。

人間同様ペットも長寿になっており、同調査では犬の平均寿命は14.36歳、猫の平均寿命は15.04歳だという。
死は必ず訪れる。
そのときにどうするかは重要な課題だろう。
また、捨て犬猫、野良犬猫のエサやりによる繁殖、多頭飼育も問題となっており、所有者不明あるいは所有者不在の犬猫も社会問題化しているため、死んだ場合の対応も課題だ。

法律上はどのような扱いなのか?
  廃棄物処理法第2条第1項は、「この法律において『廃棄物』とは、ごみ、粗大ごみ、燃え殻、……廃アルカリ、動物の死体その他の汚物又は不要物であって、固形状又は液状のもの……をいう」と規定している。
したがって、自治体が動物の死体の処理をする場合は「廃棄物」扱いが基本だ。

ゴミ収集を行っている市区町村はどのように扱っているのだろうか。
まず、私有地ではない一般道等に動物の死体がある場合は、清掃部局に連絡すれば引き取ってくれることがほとんどだ。
ただし、国道なら国交省の地域事務所、都道・県道等なら都・県等の地域事務所となる。

いわゆる野良犬・野良猫が私有地で死んでいる場合の対応はバラバラだ。
一般道同様に回収に来るところ、料金を取って引き取るところ、土地の所有者自らが民間業者等に依頼しなければならないところなどさまざまだ。
回収あるいは引き取った後の処分もさまざまだ。
ゴミと一緒に焼却するところ、ゴミ焼却施設に動物専用の焼却施設のあるところ、収集したあと、動物専門の焼却施設や寺院に持ち込むところなどだ。

一方、ペットはどうだろか。ペットが死んでしまったあとの処理については、主に次の方法が行われている。
@ 飼い主が自ら処理(自己所有地への埋葬等)
A 飼い主が地方公共団体(清掃局等)へ処理依頼(焼却)
B 飼い主が民間事業者又は寺院等へ処理依頼(火葬・埋葬等)

広い一軒家に住んでいれば、@の自分の家の庭に埋葬することも可能であろう(公園などに埋葬すると廃棄物処理法・軽犯罪法違反)。
しかしこれが可能な飼い主は都市化が進んだ現状では少ないと思われる。

Aの自治体への依頼については、公道上での処理と同じであるが、基本はBなどの方法を飼い主が検討し、それが無理な場合には有料で引き取りまたは回収するという自治体が多い。

処理については前述のように自治体によってまちまちで、他のゴミと一緒に焼却されるのであれば、ためらう飼い主も多いだろう。
一部の自治体だが、燃えるゴミとして指定の袋に入れて犬猫の死体を捨ててよいところもあり、そうした自治体は一般の燃えるゴミとして焼却している。

最近増えているのはBの動物専門の火葬・埋葬業や寺院である。
ペットを家族として弔いたいという飼い主の感情の高まりとともに各地でこうした民間施設が多くできている。
火葬は施設で行う場合と、火葬車が自宅に来て行う場合がある。
また合同火葬と個別火葬があり、後者の方が料金は高いが、遺骨の引き取りが可能だ。
ただし、こうした施設は埋葬法、動物愛護法、廃棄物処理法などの法律の対象外のため、消費者トラブルや火葬場設置をめぐる住民トラブルもある。

世間を驚かせたのは、2010年の埼玉県飯能市における動物死体の不法投棄だ。
飼い主から預かった約100匹のペットの死体を動物葬祭業を営む71歳の男性が火葬及び返骨等の処理を適正に行わずに飯能市の山中・正丸峠付近に投棄した事件だ。

ゴミと同じ扱いは避ける方向に
前述のように動物の死体は、法律上は廃棄物扱いなので、ゴミとして焼却しても問題はない。
だが、動物愛護管理法が第2条において「動物が命あるものであることにかんがみ……適正に取り扱うようにしなければならない」としていること、また近年の人びとの動物、特に犬猫に対する感情への配慮から行政でもゴミと同じ扱いを避ける方向にあると言える。

しかし、生活を共にしてきたペットを弔いたいという飼い主の気持ちに行政の対応では追い付かず、ペット専門の火葬・埋葬業や寺院を増やす結果になっている。
数多くの業者が参入する中で、現在では悪質なペット火葬業者やペット霊園が存在する問題も表面化している。
訪問火葬業者や霊園業者が加盟する業界団体などでは業界の健全化に取り組んでいたり、条例を定めたりしている自治体もあるが、抜本的な解決には至っていない現状のようだ。

動物愛護法が動物が死んでからのことを想定していないため、火葬・埋葬業者の同法での規制ができないのが現状であり、改正論議の論点になっている。

動物と人間の関係は単純ではない。
家族同様に大事にされ、死んだあとも丁寧に弔われるペットがいる一方で、そうでない動物が大量に存在するのが現代消費社会だ。
商品として買ってもらえなかったペットショップの犬猫たちのその後のことや、ペットフードになる家畜についてはペット愛好家でも無関心なことが多い。
人間に愛されなかった動物のことも考えていく必要があるだろう。
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2018年01月19日

裁量労働制を拡大 安倍政権がもくろむ“過労死法案”の中身

裁量労働制を拡大
安倍政権がもくろむ
  “過労死法案”の中身
2018年1月18日 日刊ゲンダイ

 22日召集の通常国会を「働き方改革国会」と位置付け、関連法案の成立に全力を挙げる考えを示した安倍首相。
だが、法案の中身といえば、昨秋の衆院解散で一度も審議されずに廃案となった「残業代ゼロ法案」や、年収1075万円以上の「高度専門職」の労働時間、割増賃金の規制を撤廃する「高度プロフェッショナル制度」(高プロ)の導入など、雇用破壊を促進させるものばかり。
とりわけ、絶対に成立させてはならないのが、過労死を増やすと懸念されている「裁量労働制の拡大」だ。

■サラリーマンは蟹工船行き
 実際の労働時間ではなく、いわゆる「みなし労働時間」を採用する裁量労働制。
現行では編集者やデザイナーといった「専門業務」や「事業運営」に関する企画業務などに限られているが、安倍政権はこの対象業務を拡大するつもりだ。

「事業運営」に加え、事業の分析や管理・評価を行う業務や、法人顧客に対する企画立案や調査に基づく提案営業などを新たに含めるという。

裁量労働制の見直しについて、安倍首相は〈自律的で多様な働き方を可能とするために行うもの〉(2017年2月の衆院予算委)、
〈健康を確保しつつ意欲や能力を発揮しながら働くことができるよう、働く方のニーズに合った選択肢を用意することを目的とする〉(同11月の参院本会議)――と説明しているが、冗談ではない。

 現行制度でも裁量労働とは名ばかりで、残業代を支払わない「定額の使い放題社員」を増やしている。
昨年12月、大手不動産の「野村不動産」が裁量労働制を違法適用し、社員に残業代を支払っていなかったとして、労働基準監督署から是正勧告を受けたのが、その例だ。
長時間労働させて残業代ナシ―――という「ブラック企業」を増やすだけで、対象業務の拡大なんて許されるはずがない。
「働き方改革」の関連法案が「過労死法案」といわれるワケだ。

 労働問題に詳しい「ブラック企業被害対策弁護団」代表の佐々木亮弁護士(旬報法律事務所)はこう言う。
「そもそも現在の裁量労働制が長時間労働の温床になっており、(制度の)検証もないまま、さらに対象業務を拡大するのはあり得ないでしょう。
(拡大されれば)定額で長時間労働させられる“名ばかり管理職”が増える恐れもあります。
高プロは年収基準がありますが、裁量労働制の拡大には基準がなく、多くの労働者を直撃する危険な内容といえると思います」

 法案が成立すれば、サラリーマンは今以上に重労働を課せられ、ひたすら搾取されるだけ。
それこそ「蟹工船」になりかねない。
働き方改革の「改革」が経営者と労働者のどちらの視点に立っているのかをよく考えるべきだし、何が何でも法案を通させてはならない。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月20日

人が健康的に働けるのは週39時間まで

人が健康的に働けるのは
週39時間まで
2018年1月19日 GIGAZINE(ギガジン)

オーストラリア国立大学の研究によって、人々が健康的に働けるのは週39時間が限界であると示されています。
過労は日本だけではなく世界的に問題になっており、近年の科学研究によって、労働時間を削減することが重要であるという証拠の数々が示されています。

Do you work more than 39 hours a week? Your job could be killing you | Life and style | The Guardian

テクノロジーの発展によって仕事が減るかと思えばそうとも限らず、2002年には就業時間外に仕事のメールをチェックする人は全体の10%以下でしたが、今日はスマートフォンやタブレットの存在もあり、寝る前に50%の人が仕事のメールをチェックをしていると言われています。

人の活動状況と健康についての研究として、コロンビア大学が45歳以上の被験者8000人以上の活動状況を追跡したところ、人々の平日の不活動時間は平均12.3時間でした。
そしてこのとき、1日13時間以上座っている従業員は、不活動時間が1日11.5時間の人よりも約2倍、早く死ぬ割合が高かったといいます。

複数の研究から、長時間座っていることは喫煙並に人の寿命を縮めると結論づけている研究者もいます。
また、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの研究者らが中年の男女を中心とした8万5000人の労働者を調査した結果、過労と心血管疾患の関連性を発見しています。

働き過ぎは、特に心房細動など不整脈に関するリスクを増加させるとのこと。
この研究において「働き過ぎ」とされたのは週55時間以上の労働を行っている人で、これらの人は週35〜40時間働いている人に比べ、その後10年の心房細動のリスクが40%増加していたといいます。

「働き過ぎ」の傾向は世界各国で起こっており、ドイツの金属労働組合であるIG Metallでは、1万5000人もの労働者がワーク・ライフ・バランスを向上させるため週28時間労働を求めてストライキを行いました。

2017年2月にオーストラリア国立大学の研究チームは「健康的に働ける限界は週39時間だ」という研究結果を発表していますが、ドイツでストライキを行った労働者らも自分たちの要求について「怠惰ではなく自己防衛」だと説明しています。

なお、シリコンバレーのコンサルタントであり起業家&スタンフォード大学客員研究員でもあるAlex Soojung-Kim Pang氏は、現代の労働者がクリエイティブでいられるのは1日4時間までであると主張しています。
さらに、スウェーデンで1日6時間労働を2年間取り入れた結果、労働者は自分たちがより健康的になったことを報告し、また仕事の生産性が組織全体で85%も向上しました。

「8時間労働」から「6時間労働」に変更した結果、人は本当に幸せになれるのか?

ただし、これらの研究の多くは「労働時間」という数字的側面に着目したものであり、雇用条件について語るものではありません。
例え1日数時間であってもストレスにあふれた労働環境であれば、労働者の自由や創造性は失われてしまう可能性もあります。

市場調査会社YouGovの調べによると、イギリスでは全体の3分の1の労働者が自分の仕事は無意味だと考えているとのこと。
労働時間とともに労働環境や従業員の士気の改善がなければ、労働時間削減の効果は少なくなってしまう可能性もあるわけです。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

0点だった漢字のテスト、小学男児の柔らか発想に「これは100点あげたい」

0点だった漢字のテスト、
小学男児の柔らか発想に
「これは100点あげたい」
2018年01月19日  おたくま経済新聞

 小学校の漢字のテストで解答用紙に書き込まれた漢字が「なるほど確かに間違っていないかも!」と見た人をうならせています。

 「【天才降臨】幼馴染の次男君、0点だった国語の解答が天才だった。
先生様、これは100点だと思う。」という言葉とともにそのテストの回答をツイッターに投稿したjinさん。

 その漢字テストの問題文には「つぎの 日づけの ひらがなを かん字に なおしましょう」。
その隣には12問のひらがなで書かれた日付が並んでいます。
 下に正答を書くようになっていて次男くんが書いた答えは、12問中11問が「設問に書かれている日付の翌日を漢字で書いたもの」。

例えば問題が「さんがつみっか」なら「三月四日」と。

 小学校低学年でこの柔軟な発想。
この発想はなかった、というか、なるほどと妙に納得。
そして日本語、難しい……。
次の漢字テスト.jpg
 ちなみにこの0点のテストにショックを受け肩を落とす次男くんに「俺が〇にしてやるよー!」と長男くんが再採点してくれたというホッコリなエピソードのおまけつき。
次男君の法則でも実は1問「しちがつ」を「四月」と記載するうっかりミスがあったのですが、それでも長男くんのナイスフォローで次男くんも元気になったかな?

 このツイートにリプライで色々と意見が出ていますが、設問がもうちょっと分かりやすければ良かったかもという意見や日本語はややこしいという意見も。

「つぎ」が何を指すかが子供にとって明確ではなかったと考えるとこんな発想に繋がるのも頷けます。
 ちなみに、この設問文をそのままGoogle翻訳に入力すると、この次男くんの解釈と同様の結果を出すという……。
やはり日本語、難しい……。

<記事化協力> jin(@jinn_n)さん
※本稿は投稿者様および、幼馴染の方両方の許可を得て執筆しております。
      (梓川みいな)
posted by 小だぬき at 08:14 | 神奈川 ☔ | Comment(2) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月21日

日本の無償ケア労働 「お母さんの負担」が重過ぎる

日本の無償ケア労働
「お母さんの負担」が
                    重過ぎる
2018.1.18 日経DUAL

 こんにちは、治部れんげです。
「ワンオペ育児」問題は、個人ではなく日本全体の問題です。
ワンオペ育児に代表される家庭内の「無償ケア労働」に関する議論を取り上げます。

■家庭内の男女不平等は、途上国に近い
 多くの働く母が悩んでいる、「私ばかり、家事・育児をしている」問題。
これは、あなただけの問題ではありません。

 先だって、ベトナムのフエで開かれた、APEC女性と経済「官民対話フォーラム」に参加しました。
このフォーラムは日本とベトナム両政府の共催で、日本のシンクタンク型NPO・Gender Action Platformが企画運営したものです。
 ひとつのセッションでモデレーターを務めたところ、印象的なデータがありました。

UN Womenアジア太平洋地域部長の加藤美和さんが提示した、男女の無償ケア労働(家事・育児・介護等)の時間差を表したもの。
先進国はどこでも、男性1に対し女性2の比率ですが、
途上国では男女差が大きく、男性の5〜6倍もの無償ケア労働を女性が担っていることが分かりました。
 皆さんのご家庭で、夫婦の家事・育児分担に、どのくらいの差がありますか?
 ほぼ半分ずつ分担しているのでしょうか。
それとも、1対9と差が大きいでしょうか。

 統計を見ると、日本の男女の無償ケア労働時間の男女差は男性1に対し、女性が3〜5となっています。
日本は経済水準やテクノロジー、治安や医療などの面では先進国ですが、家庭内の男女不平等は、途上国に近い状況なのです。

 世界経済フォーラムが「ジェンダー・ギャップ指数」を発表しました。
日本は2016年より順位を落として114位で先進国の中では最下位でした。
調査対象は144カ国です。
低い順位の背景には、政治家や経済分野のリーダー(例えば企業の役員や管理職)が少ないことがあります。
 では、もう日本はダメなのでしょうか?
 私はそうは思っていません。
理由は教育現場には意欲的な取り組みが見られるためです。

■「女性は家庭にいるべき」とは
                   思っていない
 今月始め、千葉県教職員組合の年次研究会に出席しました。
「両性の自立と平等」をテーマにした分科会で共同研究者を務め、県内約20の公立小中学校で行われた授業の研究発表を聞き、専門家の観点からコメントをさせていただきました。
発表内容や授業の工夫がとても興味深く、革新的で驚いたのです。

 私は政府や都のジェンダー平等政策の会議に出席したり、地方自治体の男女共同参画関連の講演に行ったりする機会がよくあります。
どこでも話題になるのは「固定的な性別役割分担(男は外で働き、女は家庭を守る)意識が強い。
教育や啓蒙が必要」ということ。

 でも、先生たちの授業研究発表を聞いていると、教育現場では取り組みが、とっくに始まっていることが分かります。
 例えば、無償ケア労働の実態調査。
ある学校では、子どもたちに家庭内の家事について、どんなものがあるか意見を聞き、付箋に書いたうえで、それを誰がやっているかを聞いて分類しました。
予想以上にお母さんが大変であることを知った子どもたちは「もっと手伝いをしよう」と思うのです。

 さらに、学校によっては「なぜ、お父さんはやっていないのか」「帰りが遅いから家事をしたくても無理」と家庭内のアンバランスや長時間労働の問題にも着目します。
子どもの身近な話題から始めて「気づき」につなげていく授業に感心しました。

 興味深いのは、親も子どもも先生も「女性は家庭を守るべき」とは思っていないこと。
ある学校が行った調査では「女性は家庭にいるべき」と思っているのは0人にもかかわらず、実際には母親が家事の大半をやっている事実をあぶり出しました。
意識と実態のギャップを個人に直接ヒアリングするのは、学校の特徴を生かした試みだと思います。

 「無意識の思い込み」から子どもたちを解放していく試みもありました。
例えば、保育士さん、大工さんなどの職業を例にとり、「男性の仕事? 女性の仕事?」と尋ねます。
最初のうち「保育士さんは女性」「大工さんは男性」と子どもたちは答えます。
これは、大人でも同じかもしれません。
 そこである学校では、地域で働く女性大工さんを授業に招きました。
「自分の町に女性の大工さんがいる」ことを目の当たりにした子どもたちは「やりたい人、向いている人がやればいい。男とか女で決めなくていい」と自然に気づいていくのです。

■次の世代のために、
        私たちができること
 昨今、企業でも盛んなダイバーシティー推進の取り組みで、「無意識の思い込み(unconscious bias)」は注目のテーマ。
自分の思い込みに気づける機会のある授業が受けられるのは、うらやましいです。
 他にも「ピンクは女の人の色」と思っている生徒たちの教室に、ピンクのシャツと小物を身に着けた校長先生が登場し「ピンクは男の人が身に着けてもいい。かっこいい」と気づかせる授業もありました。
校長先生自ら多様性の意味を示してくれる、素敵な授業ですね。
 ここでご紹介したのは、当日の研究発表で聞いた中でも、私が特に「すごい!」と思った取り組みです。

研究発表会に出席するような「熱心な先生」だからできる授業かもしれませんが、それをやっているのは、特別な受験が必要な学校ではありません。
千葉県内の都市部や古くからある町にある普通の公立小中学校でした。

 実は私の出身高校の近くにある中学校の取り組みも紹介されていて、先生による研究リポートには「ワンオペ育児」への言及もありました。
学校は、子どもたちへの教育を通じて、男女平等を目指している。
これは本当に勇気づけられることです。

 皆さんもお子さんが通う地域の学校に、こういう授業をしてほしい、と提案してみたらいかがでしょうか?
 そして、ぜひ、社会には色々な仕事があり、女性も色々な仕事に就いていること、男性も家事や育児をやる時代になっていることを、伝えてあげてほしい、と思います。
皆さんの個人的なワンオペに悩んだ経験、どうやってそれを乗り越えたかという経験を伝えることで、次の世代が子育てをするころには、もっと良い社会になっているでしょう。

治部れんげ  
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。
1997年一橋大学法学部卒業後、日経BP社入社。
経済誌の記者・編集者を務める。
14年からフリーに。
国内外の共働き子育て事情について調査、執筆、講演などを行う。
著書『稼ぐ妻・育てる夫―夫婦の戦略的役割交換』(勁草書房)、『ふたりの子育てルール』(PHP研究所)。東京都男女平等参画審議会委員などを務める。

[日経DUAL 2017年11月13日付記事を再構成]
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2018年01月22日

「他人の失敗」を見ると快楽を覚える本質理由

「他人の失敗」を見ると
  快楽を覚える本質理由
生物種としてのヒトに仕組まれた特性だった
2018年01月20日 東洋経済

中野 信子 : 脳科学者

著名人のツイッターが炎上したり、失言がバッシングされたりする出来事が毎日のように起こる昨今。
なぜ、人は自分とは無関係の人間の失敗を目ざとく見つけ、たたこうとするのか?
脳科学者・中野信子氏が、最新刊『シャーデンフロイデ』で、バッシングに「快楽」を覚える人間の脳の仕組みを、徹底的に解剖する。

他人を引きずり下ろしたときに
        生まれる快感
「他人の不幸で今日も飯がうまい」の略で「メシウマ」というネットスラングがあります。
成功者のちょっとした失敗をネット上で糾弾して喜びに浸る、この感情のことを、脳科学・心理学の世界では「シャーデンフロイデ」と呼ばれています。
この単語はドイツ語で、Schadenfreudeと綴ります。Freudeは喜び、Schadenは損害、毒、という意味です。 これらは、ある種の週刊誌の売り上げを下支えする感情、といってもいいかもしれません。

「最近目立っているあの人」に対し、
「あの点をこうすればいいのに」「どこがいいの」「上から目線で気に入らないんだよね」などという形で"検出"が行われ、
「ちょっと痛い目に遭えばいいのに」「コメント欄で炎上させてやれ」「ツイッターで攻撃してやれ」「どうもへこんでいるらしい」「いい気味だ」というように、"排除"が実行されていきます。

いわゆるバッシングですが、この犠牲になった人の例はいくらでも挙げられるでしょう。
近年は橋下徹さんや堀江貴文さん、西野亮廣さんらが標的になることが多かったかもしれません。

実はこのバッシングにつながる一連の行動原理は「オキシトシン」という脳内物質と、深い関わりを持っています。
オキシトシンは、愛情ホルモン、幸せホルモンなどと俗に呼ばれて、基本的には人間に良い影響を与える物質と考えられています。

オキシトシンは、1906年に、ヘンリー・デールという人が発見しました。
ちょっと変わった名前ですが、その由来は「迅速な出産」という意味のギリシア語からきています。
脳下垂体をすりつぶした汁が、陣痛を引き起こすことを発見したデールは、この汁の中に、出産を速める物質が含まれているに違いないと考えて、その名前をオキシトシンと名付けたのです。

オキシトシンは、出産や授乳に関わるホルモンではありますが、メスまたは女性の体内でだけ分泌されるわけではありません。
オスまたは男性の脳内にもオキシトシンは存在し、神経伝達物質として、さまざまな働きをします。

たしかに、オキシトシンは、女性ホルモンであるエストロゲンによって増幅され、一般的に女性的なものとされる包容力であるとか、協調性、人と仲良くなることを好む傾向、養育者としての適性といった性質が、強く現れるようになります。

しかし、男性にもこうした性質を強く持つ人は増えてきています。
そう感じる人はたくさんいるでしょう。
何なら、こうした傾向を持つ男性を"オキシトシン男子"と名付けてもよいくらいかもしれません。

戦う力や性欲、恋愛に対する強い情熱、そして稼ぐ力はそう高くはないけれど、人の話をよく聞き、なごやかで、やさしい。
あまり他の女性に目移りすることもなく、貞操をまもる。
一緒にいるとほのぼのとして、落ち着く。

オキシトシンの分泌量の多さは、肌のきめ、髪のツヤ、見た目のかわいらしさにも反映されます。
むしろ、近年のトレンドとしては、こういう男性のほうが女性から人気があり、モテる、という現象が顕著になってきているのではないでしょうか。

シャーデンフロイデは
「妬み」感情と不可分なもの
さて、それではなぜ「愛と絆のホルモン」「幸せホルモン」という好ましい俗称で呼ばれるこの脳内物質が、シャーデンフロイデなどといういやらしい、持っているだけで恥ずかしくなるような感情を、同時に強めてしまうのか 。

  実は「人と人とのつながりを強めるのが、オキシトシンの本質的な働きである」と考えると説明がつくのです。
専門的な表現を使うと「愛着を形成する」という言い方をしますが、誰かとの間に情緒的な特別な絆ができるとき、脳ではオキシトシンがその回路を形作るのに一役買っています。

裏を返せば、人と人とのつながりが切れてしまいそうになると、オキシトシンが「私から離れないで」「私たちの共同体を壊さないで」「私たちの絆を断ち切ろうとすることは、許さない」という感情を促進させ、関係性が切れるのを阻止しようとするのです。

当然、男女の恋愛にも大きく影響します。
友人や会社の仲間、地域共同体など、グループの関係も同様です。
シャーデンフロイデが、「妬み」感情と不可分であることを前提とすれば、オキシトシンは、「妬み」から「シャーデンフロイデ」に至る一連の感情の流れを強めてしまう物質であると考えることができるでしょう。

なぜ人間の長い歴史の中で、持っているだけで苦々しくなるようなこの「シャーデンフロイデ」という感情がなくならなかったのでしょうか。
盲腸にさえ、存在する意味があるということが近年、明らかになってきたといいます。
まして脳は、人体の中で最も燃費の悪い臓器であり、そこまで余裕のある器官ではありません。不要な機能は、どんどん切り捨てられていきます。

生物種としてのヒトに仕組まれた特性
「シャーデンフロイデ」や「妬み」といったネガティブ感情は、一見ないほうが良いように思えても、何らかの重要な機能を担っているはずなのです。

「シャーデンフロイデ」や「妬み」は、個人の間でも生じますが、集団内で生起したときに、集団にとって都合の悪い個体を標的として「発見」し、「排除」するために使われます。

ヒトは、集団を構成することで生存確率を高め、生き延びてきた種であると考えられています。すると、最も生存確率を下げるネガティブ要因が、集団の崩壊になります。
集団というのは構成員が少しずつ犠牲を供出することによって成立しています。
たとえば、時間、労力、金銭的な負担、心理的負荷などのリソースがそれにあたります。
これらを集め運用して、そのメリットをみんなで享受するのが集団の構成要件です。

たとえば、そこに一人だけ、リソースを供出しない人が存在したと考えてください。
供出しないにもかかわらず、メリットを享受している。
つまり、その人一人だけが得をしているという状態です。
リソースを供出せずともメリットを受けられるなら自分たちも供出をやめようと他の構成員が考え始め、リソースを供出し続ける真面目な構成員の負担が大きくなります。
すると、あっけなく集団は崩壊します。

このような事態を避けるため、リソースを供出しない一人を排除するか、その行動を改めさせる必要が生じます。
これが社会的排除の原理です。
最近目立っているあの人、として人々の目に映るのは、既存の社会を壊そう、変えようとする人のことです。
こうした人の台頭を許さないというのは、生物種としてのヒトに仕組まれた特性なのです。

考えてみれば、シャーデンフロイデも、妬みも、どちらもヒトに固有といっていい感情です。
この感情を繙くことで、人間性、などといううさんくさい言葉にかき消されてしまわない、真の人間の本質が見えてくる、と私は考えています。
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2018年01月23日

「友がいつの間にか離れていく人」の3大特徴

「友がいつの間にか
離れていく人」の3大特徴
2018年1月22日 東洋経済オンライン

友人からいつの間にか
距離を置かれてしまう人の共通点は?

こんにちは。
生きやすい人間関係を創る「メンタルアップマネージャⓇ」の大野萌子です。

何でも話せる親友だと思っていたのに、みんなが知っている友人の話題を知らなかった。
気の合う人とめぐり会え、親密度が増してきた矢先、相手の対応が冷たく感じるようになった。このような経験はありませんか?

自分が親しいと思っていた友人からそっけない対応をされたり、相手は親しいと感じていなかったことを知ってショックを受けたという相談は、後を絶ちません。

何かトラブルが
あったわけではないのに…
男女間の恋愛とは違い、友情は多数に分散され、それぞれに違った付き合い方や距離感が生まれるので、仲間外れの感覚に悩まされる人も少なくありません。
もちろん、気の合う合わないはあるでしょうが、何か大きなトラブルがあったわけでもないのに、いつの間にか距離を置かれてしまう人には、ある共通点が存在します。

特徴@「ダメだから」
人間関係は、お互い承認し合うことによって信頼を深めていきます。
それを真っ向から否定する言動がこれです。
たとえば、友人の「こないだデートで観覧車に乗ったの」という発言に対し、「あ、私、高いところダメだから」と言ってしまうようなケースです。
これは、相手の話をいきなりシャットアウトする行為で、急激に友人との心の距離を作るNGワードです。

冬のアウトドアの話をしようとする友人に「俺、寒いのダメだから」などと、ぶっちゃけトーク風に切り込んではいないでしょうか。
もし、このように対応していることがあれば、相手に有無を言わせず、話を遮る行為だという自覚が必要です。
高いところがダメだろうが、寒いところがダメだろうが、それは、友人の話とは関係なく、相手の話を無視し、興味ないと言っていることと同じで、相手は、非常に嫌な感じを持つでしょう。

特徴A「私はね……」
このフレーズを使い、相手の話を取って、すべて自分の話にしてしまう傾向があります。
友人が、「今日、朝イチに課長に嫌味言われちゃって、1日気分が悪かった」と話し出したことに対して、「私はね、朝から電車が止まって大変だったのよ!」と自分の話をかぶせてくるような言動です。
特に女性に多いとも言えます。

例1) 友人「新しいバッグ買ったのよ。ちょっと高かったんだけど、前から欲しかったし……」 自分「私なんか、この前○○の新作バッグ衝動買いしちゃったわ」 (自嘲ぎみに自慢する)

例2) 友人「この前、話題になってたケーキの店に行ったら、1時間待ちだったの」
自分「ねぇ、聞いて聞いて、私なんてこの前、○○で3時間も待ったのよ!」
いわゆるマウンティングの1つでもあり、自分のほうが大変だった、高いモノを買ったなどと、良いことにしても悪いことにしても、「自分のほうがすごいアピール」をする行為です。
たび重なれば、嫌気を起こされること必至です。

ただ、自分の話をかぶせている本人に悪気はなく、相手の話に乗って(合わせて)いるだけというように、自覚のない方も多いので、要注意です。

相手の気を引くために
過激な発言をする

特徴B「値踏み」
うわさ話がすべて悪いとは言いませんが、とにかく「値踏み」のスタンスで、他人の話題を振る人がいます。
仕事ぶりや、学歴、収入、住んでいる場所、パートナーの容姿、洋服の趣味や態度など、あらゆることに及びます。
「知ってた? あの人○○なんだって」
「あの人、この前○○なこと言ってたんだけど、信じられる?」

相手の気を引きたい思いで、ちょっと過激な発言をしてしまう人もいるようですが、このようなことを頻繁に話題にする人は、人をそういう目で見るのだな、きっと自分のこともこんなふうにほかの人に言っているのでは、と思われても仕方がありません。
相手が距離を取りたくなるのも当然です。

人との関係をうまく作れないという相談を受けるときに感じることは、自分の対応は悪くないと思っている人が多いことです。
無意識に、相手を不快な思いにしているとしたら、改善のしようがありません。
人との関係性が築きにくいと思われる方は、ちょっと、ご自身の言動を振り返ってみましょう。

そして、いつも自分が話しすぎているかも、と感じる方は、相手7:自分3くらいのバランスを意識して話してみましょう。
もちろん、正確に計測できるわけではありませんので、あくまでイメージです。
話を聞くことは、気持ちを受け止めることです。

まずは、相手の話したことを遮らずに受け止め、それから、自分のことを話すということが大切です。
相手も、自分の話をきちんと受け止めて聞いてくれた人の話には、耳を傾けてくれるものです。
そうすると、お互いWIN-WINな関係を築け、心地よい時間を過ごせることで、また会いたい、話したいと思う気持ちが必然的に起こり、信頼関係も深まっていくと思います。

複数のコミュニティを作る
気持ちのキャッチボールができるようになると、親しいと思っていた友人が「いつの間にか離れてしまう」ことは減り、反対に、「いろいろな人から声が掛かる」ことに変化していくと思います。
そうなれば、気持ちにゆとりができ、ひとりの人や、ひとつのコミュニティに執着することも少なくなり、肩の力を抜いて、自然体で接することができるようになります。
それによって、交友関係を豊かにする好循環を生むことにもつながっていきます。

友人の数が多いことがよいこととは限りませんが、バランスよく心地よい関係を作っていくには、さまざまな人との関係性の中で培われる汎用性が必要で、そのためには、複数のコミュニティを作ることも大切なのです。
よりよい友人関係を構築する一助になればと願っています。
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2018年01月24日

北国勢からのアドバイスが「北から目線」に続々 雪道は猫背気味に歩く!など

北国勢からのアドバイスが
「北から目線」に続々 
雪道は猫背気味に歩く!など
2018年01月23日 おたくま経済新聞

 関東で大雪が降る度に活性化する、ツイッターハッシュタグ「#北から目線」が1月22日に関東を襲った、大雪日の朝から再び活気づいていました。
 このハッシュタグはそもそも、関東が大雪に見舞われると発覚する首都圏機能や関東人の“雪耐性の低さ”を北国視点で「上から目線」もとい「北から目線」で指摘するというものでしたが、あまりに関東人の雪耐性が低すぎたのが、「この人たちマジやばい」と心配してくれる北国人が続出。

 今では大雪が関東を襲う度に、心優しい北の天使が舞い降りる「雪対策のアドバイスハッシュタグ」という、心温まる側面も持っています。

 今回も当日の朝、関東人の多くは「なんとかなるだろう」とのほほん構える人が多かったように思われますが、いち早く危険を察知した北国の人たちが、関東で雪が降り始めるずいぶん前の早い時間から、続々と的確アドバイスを投稿。
帰宅時間の関東民を情報という面で少なからず助けていました。

 中でも注目されていたのが、pacoさんがイラストで紹介してくれた、雪の中での歩き方をまとめた「こういうコトに気をつけたらイイよ!」集。
雪道の歩き方のポイントと、室内に入る時の注意がまとめられています。

■歩く時は猫背気味!
 まず雪道を歩く時には、ざっくり2つのポイントがあるそうです。
・降りたてフワフワの雪が積もった雪道の上は滑りにくいよ!
・歩く時は猫背ぎみに足をふんばる。重心が下に行くように意識してみよう。一歩一歩地面を踏み出すイメージで歩くとすべりにくいよ!

 既に降った後の場合には、下にアイスバーンが隠れている場合もありますが、今回首都圏を襲った雪は、本当の「降りはじめ」。
そこで、初めて大雪が降った場合の対策としてアドバイスしてくれています。

■建物に入る前には必ず
足下の雪をしっかりトントンして落とす!
 次に教えてくれているのが、建物や車の中に入った時のアドバイス。
何かに靴のまま入る時は、足の雪をしっかり落としてからと教えてくれています。

・車に乗る前、玄関入る前、建物入る前には(足元を)トントンして欲しい。
・外も滑るけど建物入った時はもっと滑る。なるべく靴についた雪や氷を落としてから入店しよう!

 理由は中に入った時、車や建物の床を汚さないというのはもちろん、何より滑る危険を回避するためだそうです。
雨の日のコンビニを思い出していただければわかるかと思いますが、靴がぬれたままの店内は滑りやすく危険に感じることがあります。
雪もそれと同じ事で、特に雪の場合は靴底に知らぬ間に大量の雪がついていることもあり、コンビニや病院など表面がつるつるした床の場所に入ると、一気に「つるん!」と滑り、大けがの元になることもあります。

 実際この事故についてはネットに多数報告があげられており、しっかり雪を落とさないままコンビニに入ったら一気に滑ってカーリングポーズになったとか、そのまま商品棚に突っ込んだ……なんて声も。

 ちなみに筆者、昨日徒歩で帰宅いたしました。
編集部のある千葉県では15時ぐらいまでほとんど積もっていませんでした。
そのためすっかり油断していたところの、わずか2時間後……ドアをあけると突然視界にはいる数センチの積雪。
あまりの雪景色っぷりに大いにとまどいましたが、ツイートの通り猫背気味にフワフワ雪の上を歩くように心がけたら、ちょっとしたヒールのあるブーツでも転ぶことはありませんでした。
なお、途中後ろを歩いていた散歩中のワンコとお兄さんはすってんころりん。犬も転ぶという瞬間を初めて目撃しました。そして犬も転ぶと目を見開くんですねぇ……。
 1月23日の関東地方は、暖かい青空が広がっています。

既にこの話題はもう古い!と思われるかもしれませんが、日陰など場所によってはまだ数日は雪が残ることもあり、「今更」と思わず、せっかく北の天使がくれた贈り物。ケガにあわないためにも、頭の片隅にでも入れておいてはいかがでしょうか。
    (宮崎美和子)

<記事化協力> pacoさん(@sansnopanntu)
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2018年01月25日

子どもの前での「夫婦ゲンカ」が及ぼす“3大悪影響”&回避のためにできること

子どもの前での
「夫婦ゲンカ」が及ぼす
“3大悪影響”
&回避のためにできること
2018年1月24日 ウレぴあ総研

子どもが生まれるまでは公平だった家事分担のバランスが崩れたり、産後にホルモンの影響で不安定になる妻を夫が支えきれなかったりと、さまざまな要因は考えられますが、日常はまったなし。
できることなら、家族で過ごせる幸せを感じ、毎日笑って過ごしたいのに、芽生えてしまう夫への憎悪。

『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』(ジャンシー・ダン著/太田出版)
昨年、こんな本が出版されました。
タイトルにぎょっとしつつも、激しく共感する女性は多いのではないでしょうか。
子どもが生まれて夫婦仲が悪くなることは日本に限らないようです。
この本の著者はアメリカ人ですが、本のなかに出てくるエピソードは私たちにも身に覚えがあることばかりです。

・おしっこのオムツ替えはできても、うんちになると妻にバトンタッチをする夫。
・スマホを片手に子どもの相手をする夫。
・頼んだことをすぐ忘れる夫。

女性が、自分さえガマンすれば、という解決法はいちばん避けたいものです。
本書では、6歳の娘を持つ夫婦が、争いの日々にピリオドを打つべく、ありとあらゆる手段を使って奔走する姿が描かれています。

子どもの前で夫婦ゲンカを
することが厳禁な理由
夫への不満がつのると、自然と、夫婦のあいだで交わされる会話はとげとげしくなることも増えます。
子どもの前でケンカしてしまうことも、時にはあるでしょう。
日本の狭い住宅事情では、子どものいないところでケンカをするには限界もありますよね。
ですが、子どもの前で夫婦ゲンカをすることは、私たちが考える以上に子どもに悪い影響があることをご存じでしょうか。

本書によると、6か月の赤ちゃんでさえ、怒っている声や激しいやり取りに対してネガティブな反応を示すとあります。
さらに、不幸な結婚生活を送る夫婦のもとで育てられた赤ちゃんは、発達過程で多くの問題を抱えることが明らかになっているというのです。

具体的にどんな弊害が考えられるのでしょうか。

1.子どもの混乱を招く
夫婦ゲンカをすると、つい陰で愚痴りたくなってしまいますよね。
そんな時、子どもに向かって
「お父さんみたいになっちゃダメよ」は厳禁です。
子どもにとっては、父親も母親も大好きな存在で、二人があって初めて自分が存在するのに、その半分を、もう半分である母親が否定することは、自分の半分を否定されているに等しいことですからね。
愚痴るなら、子どものいないところでにしましょう。

また、夫婦ゲンカの声を聞きながら眠りについた子どもは、両親の顔色をうかがいながら翌朝を迎えます。
なのに両親がまるで昨夜のことなどなかったかのようにふるまったら、子どもは混乱を覚えるでしょう。
お互いを罵り合うようなケンカをしてしまったら、すぐには難しくても、仲直りまでちゃんと見せることが大事です。

2.自己肯定感の低下
夫婦ゲンカを自分のせいだと思う子どもは多いのです。
子どもは、自分が悪い子だから両親がケンカをするのだ、と思い、無力感に襲われるのだそうです。
実際に、筆者も14歳の息子に言われたことがあります。
筆者とパートナーがケンカをして、室内に険悪なムードが流れた際、彼はこう言ったのです。

「あ〜、そういう空気作り出されると、何もやりたくなくなるんだけど、やめてくれない?」
息子がもう14歳で自分の気持ちを言語化できたため、私たちも自分たちのしたことを反省できたのですが、これが赤ちゃんや未就学児だったら、どうでしょう。
両親のケンカを止めることができない自分は無力で無能だ、という思いは、その後の成長過程でマイナスに作用することは目に見えています。
ただでさえ、日本の若者の自己肯定感は低いと言われています。
その背景には、両親の仲も関係するのではないでしょうか。

3.人間関係への影響
日常的に夫婦ゲンカのある家庭では、子どもが結婚に対する悪いイメージを抱きかねません。
親は子の鏡なのですから、気をつけたいもの。

結婚が、「違う人間同士が愛情を持っていたわりあい築き上げていくもの」ではなく、「いがみあい、攻撃しあっている人間同士が同居するもの」というイメージになってしまえば、家庭はくつろげる場所から程遠くなります。

両親のパートナーシップは、子どもの将来の異性関係にダイレクトに影響を及ぼします。
そう考えると、ぞっとしませんか?
子どもに幸せになってほしいのなら、子どもの前での夫婦ゲンカは今すぐにひかえるべきです。

ではどうしたら…?
とは言え、つのる不満をどうしたらいいのでしょうか。
子どものために仲良し夫婦を演じろと言っているわけではありません。
まず、最初にしておきたいことは、夫と危機意識と子どもへの影響の知識を共有することです。

なかには子どもにありのままの夫婦の姿をみせることがよいことだと思っている夫もいますから、ここは、重要なステップです。
徹底的に公平なケンカであれば、両親のケンカをみても子どもは、「人間はお互いに怒りをぶつけあっても、愛情を持ち続けられる」ということを学べると本書にはあります。

ですが、いざ夫婦ゲンカになると、いかに自分は正しくて相手は間違っているか、というこだわりを捨てることができなくなる人が、男性でも女性でも多いもの。
また、感情が高ぶると、相手を罵倒する言葉を使ってしまう場合もありますよね。
こうなると、公平なケンカというのがいかに難しいかと思い知らされます。

お互いを責め合うケンカではなく話し合いをしようね、ということを、お互いの共通意識として持てたら、ずいぶんケンカの様子も違ってくるはずです。

相手ではなく、自分を主語にする
テクニックとしては、アイメッセージで話すことも有効です。
アイメッセージのアイとは自分を意味する”I”です。
相手の言動を指摘するのではなく、「私は〜思う」、「私は〜感じる」といった、私を主語にして気持ちを伝える話し方です。
ただし、この時に、相手がどう反応するかは期待せず、アイメッセージで自分の気持ちを表現できたことだけでよしとしましょう。
はじめのうちは、反論されたり、逆に「俺だって〜」という反応が返ってくるかもしれませんが、少しずつケンカ口調から話し合いに変わっていくでしょう。

反対に、「あなたはいつも〜してくれない」「あなたは絶対〜なんだから」といった表現は、逆効果満点です。
相手を怒らせることが目的ではないのですから、ここは気をつけたいところです。

* 産後の夫に対するイライラ、すごーくよくわかりますが、子どもの将来に悪影響があるとわかれば、ブレーキになるのではないでしょうか。

今回ご紹介した本の著者は、精神科医から、夫婦の専門家から、セラピストから、仲のよい夫婦から、とにかく、考えつく限りの手段を使って、夫婦仲の修復に取り組んでいます。
あきらめないその姿勢には、勇気をもらえます。
もしかして夫側には、どれだけケンカしても大丈夫、という甘えがあるのかもしれません。
妻が本気でどうにかしたいと考えていることを、まず知ってもらうことも重要ですね。
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2018年01月26日

ぐんぐん伸びる子は何が違うのか?

「自分はバカだ」と言う子に
親ができること
子どもの自己肯定感を上げる「10の言葉」
2018年01月25日 東洋経済

石田 勝紀 :
一般社団法人 教育デザインラボ 代表理事

小学5年の男児の母親です。
共働きのため、小学校入学前に十分読み書きの勉強などさせてあげられませんでした。
最初から、勉強が遅れぎみで現在まで来ています。
そのため、子どもは自分で「バカだから」と言います。
親からみると、バカなのではなくやる気がでないのだと思っています。
自分から、勉強に取り組む気持ちになるには、どうしたらいいのでしょうか。
今は、自信を持たせるためになるべくプラスの声かけができるようにと考えています。
  (仮名:大西さん)

「自己肯定感が低い」日本の子どもたち
ご相談内容を拝読しましたが、まず小学校入学前の状態が今の結果を招いているということは、おそらくありません。
小学校に入ってから読み書きを学んでいって、その後しっかりと勉強ができるようになっている子は無数にいます。
それよりも、「子どもは自分でバカだからと言う」ということに問題の核心部分がある気がします。

お子さんは、簡単に言ってしまうと「自己肯定感が低い」状態にあります。
自己肯定感とは、自分のことを否定的にとらえずに、大切な存在であると考えている状態のことです。
お子さんは今、勉強に関しては自己否定の状態になっています。

世界的な統計データでも日本の子どもの自己肯定感の低さはよく知られていますが、筆者も、日本の子どもたちに対して、この「自己肯定感が低い」ということを常々実感しています。
全国で、中学生や高校生に講演をする機会が多く、その度に感じるのです。

自分に対して自信を持っておらず、自信を持つ勇気もなく、ただ漫然と過ごす子が多くいるのです。
なぜこのようになってしまっているのか考え続け、そしてわかったことが、「過去の勉強で自己肯定感が潰されている」ということでした。

特に中高生に多いのですが、中学では定期テストがあり、それによって点数化され、成績によって無意識に序列化が行われます。
さらに高校受験の段階で、偏差値が登場し、さらに学校の序列化が始まります(筆者は決して偏差値という言葉に対して完全否定の感情は持っていませんが、あくまでも序列化する第一歩であるという事実を言っています)。

すると、この「学力」の序列が、「自分という人間の価値」の序列と同じであるという“錯覚”に陥るようなのです。
実は、このような錯覚は、私たち大人もかつて経験していることですから、よくわかるのではないでしょうか。

学力は大切な指標ではありますが、社会に出れば、学力とは別の尺度、たとえば人を大切にする、思いやりがあるなどといったことによって、幸せに自分の人生を歩んでいる人、自分のやりたいことで成功する人はたくさんいます。

これらのことを考えると、ある重大なことに気づくのです。
それは、次のようなことです。
「親は、子どもの学力を引き上げることに焦点を当てるのではなく、子どもの『自己肯定感』を高めるということに焦点を当てる」 すると、結果として学ぶ力が高まり、学校の成績といった学力につながっていくのです。

子どもの自己肯定感を上げる言葉
大西さんは、子どもに「自信を持たせるためになるべくプラスの声かけ」を心掛けられているようですが、ネガティブな言葉よりは、とてもいいことだと思います。
ですが、これまでの筆者の経験では、「プラスの言葉かけ」が子どもにとって、ストレスや過度のプレッシャーになったり、時には嫌味になってしまったりすることが少なくありません。

大西さんはプレッシャーになるような言葉かけはされてはいないと思いますが、現状、プラスの言葉かけをしているにもかかわらず、特に子どもが変わることがないということであれば、筆者がこれまで使ってきた【子どもの自己肯定感を引き上げる10のマジックワード】を使ってみてください。

【自己肯定感を上げる10のマジックワード】
1.「なるほど〜」
2.「すごいね〜」
3.「大丈夫!」
4.「さすがだね〜」
5.「知らなかった!」
6.「いいね〜」
7.「助かった!」
8.「ありがとう!」
9.「うれしい!」
10.「〇〇(子どもの名前)らしくないね〜」

これとは対照的に、子どもの自己肯定感を引き下げる3つの「呪いの言葉」というものもあります。
これを使うと、子どもは「自主的でなくなり」「自己肯定感は下がり」「依存的」になる言葉です。
ただ、「このような言葉を言わないようにしてください」と言われると、今度は親がそれを意識しすぎてストレスになるため、今回はひとまず触れません。

この10のマジックワードは、次のような要素を持っています。

◆あなたのお陰・感謝
◆予想以上に驚いた
◆軽い感じの承認
◆「もともとあなたはすごい」ということを知っていることを感じさせる

このような要素の言葉をかけられて、うれしくないはずはありませんし、子どもの自己肯定感が上がらないはずはありません。

一方で、このような言葉を発する親の立場はどのようになっていると思いますか?
 上から目線の言葉にはなっていませんよね。
親子といえども、上から目線の言葉は、プラスの言葉であっても、マイナスの言葉であっても、子どもは素直には受け取らないという傾向があります。

親子が同等の立場とは言いませんが、少なくとも上から目線にはなっていないということは重要なことだと考えています。

短い言葉のほうが、心に残っていく
それともう1つ、ここに掲げた10の言葉は、いずれも単純明快な言葉です。
意味がわからないという人はいないことでしょう。
そして、いずれも、短い言葉となっています。
この短いということが重要なのです。

通常、親はあれこれ“しつこく、くどく”言ってしまいがちです。
話が長いときは、相手はほとんどその内容を聞いていません。
ですから頭に残らないことが多いのです。
何が残るかといえば、「もう聞きたくない」という気持ちです。

ですから、言葉というものは、「短い」ほうがいい場合があります。
短い言葉であれば、相手は、その言葉以外の部分を「想像」します。
すると、その想像部分も含めて言葉が心に残っていくのです。

たとえば、次のようなケースを考えてみるとわかるでしょう。

例1)「あなたは頑張ればできるんだから……(さらに頑張っていない原因や、どうすればいいか対策まで話す)」(×)

例2)「あなたはバカじゃないよ……(バカではない理由を話す。さらに親は熱心に子どもを信じているということを滔々と語る)」(×)

例3)「〇〇(子どもの名前)らしくないね〜」(○)

例1や例2は、頻繁に使われている典型的「励まし」パターンです。
しかし、話が長すぎて、子どもは実際にはほとんど聞いていません。
親は熱心なのかもしれませんが、主役である子ども自身が、主体的にならなければ何も変わりませんね。
このように、短い言葉である10のマジックワードをぜひ、使ってみてください。
お子さんの変化に驚かれることでしょう。
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2018年01月27日

なかなか物を捨てられない人へ…「捨てコツ」決定版!

なかなか物を捨てられない人へ…
「捨てコツ」決定版!
2018/01/25 All About(すはら ひろこ)

捨てられない!から卒業するには?
捨てれば部屋も気分も爽快!と分かっていても捨てられない。
そんな迷う気持ちと折り合いをつける「捨てる術」をご紹介します。
上手な断捨離を実行して身の回りがきちんと片付けられた生活を送れるようになりましょう。

捨てるかわりに得たいのは?
捨てることは、きっかけに過ぎません。
捨てることによって得られるプラス面を想像してみてください。
思いつくままにプラスイメージを手帳やノートに書き出してみましょう。

コツは動詞をつけて次のように表現すること。
捨てるモチベーションが高まりますよ。

・ムダ買いをやめて貯蓄を倍増する
・掃除をラクにする
・片づけやすい部屋にする
・気持ちを切り替える
・必要なモノがすぐに出せる
・先延ばし癖がなくなる
・優柔不断な自分を変える
・過去を清算して次の目標を立てる
・風水にあるような幸運を呼び込む

「捨てる」自問自答10フレーズ
捨てられない気持ちと向き合って、捨てると残すのバランスをとりながら、無理なく進めていきましょう。

1.新品同様なのにもったいない
今すぐ使ってみましょう。
使う気にならない、使ってみたものの使用感が納得できないなら要らないモノです。
充分に使いきった感がなくても、今それを必要としているかどうか、自分にとっての使用価値を判定しましょう。

2.いつか使えると思う
将来に期待しすぎないことです。
いつ使うという具体的なプランがあれば別ですが、何となく使えそうな気がする程度なら必要ありません。
もし仮に必要になる時がやって来たら、その時にベストなモノを手に入れれば良いのです。

3.高かったから捨てられない
高価なモノほど元を取るつもりで惜しげなく使いたいところ。
それなのに大事にしすぎて、使う時間よりしまってある時間の方が長くなっているのでは?
いくら値打ちのあるモノでも時間が経てば、その価値は低下します。
今からじゃんじゃん使うか、リサイクル店に引き取ってもらいましょう。

4.捨てたあとで後悔しそう
必要なときがきたら、その時に手に入れればいいと割り切って。
2度と手に入らないモノなら迷うことなく残すべし、迷うなら捨てるべし!です。

5.やっぱり捨てるなんて良くない
罪悪感と向き合って、捨てたことを無駄にしない。
「捨てることを糧にする!」といった前向きな方向転換を。
捨てる反作用として良い効果が得られます。
モノを粗末に扱わない、むやみに使い捨てない気持ちが生まれます。
後ろめたい気持ちをモノと一緒に捨てて、次に同じミスを繰り返さないための教訓にしましょう。

6.いただき物はどうしたらいい?
引き出物やお中元・お歳暮などでいただくモノは、必ずしも好みに合うとは限りません。
どうしたものかと思いあぐねるなら、新品のままバザーに出品するとかリサイクル店へ持っていきます。
お土産や手作りのプレゼントなど、贈ってくださった人の気持ちと自分の気持ちが一致するなら大切に残しますが、そうではないなら気持ちだけ有り難くいただいて、本体は捨てるという割り切りもあっていいでしょう。
薄情だなんてことはありません。

7.思い出のモノだから……
何でもかんでも捨てるというわけではありません。
まず、心のよりどころとして残すモノを選びます。
その選ばれた思い出は丁寧に保管して、いつでも手にとれるようにしましょう。
押入や物置の奥で死蔵品にならないようにすることが、残すための第一条件です。

8.自分のモノは捨てられない
思いを巡らせているだけでは、自分に都合良く考えがち。
何もかも大事なモノに思えてきます。
ゴミ袋を用意して、捨てるアクションを起こすと捨てている自分に気づくものです。
自分の将来を甘く見積もったり、過去を過大に評価するのはやめましょう。

9.自分のモノではないから
        捨てられない
捨てない理由は色々あるものです。
確かに家族のモノを勝手に捨てるわけにはいきません。
本人の判断を尊重しますが、冷静な目で見てくれる人がいると助かるのも事実。
家族同士でお互いに判定しあうと、捨てる作業がはかどるのでおすすめです。

10.とりあえずとっておこうかな?
捨てる作業も終盤になると疲れて判断が鈍ることも。
それが好き?使う?飾る?大切にする?モノの落ち着き先を決められますか?
そこをクリアできるモノだけ残します。

とりあえず残すという選択は、問題を先送りするだけなので極力避けたいところ。
それでも迷うならペンディング用の箱を一つ用意して、1カ月後、半年後など期限を書いて、いったん保留にしましょう。
捨てる決断にはエネルギーがいります。
疲れたときは無理に続行しないというのも、捨てコツです。

甘えは厳禁「捨てるール3則」 何事もルールを決めておくと、大きく横にそれることなく目的を果たせるので便利。
自分に甘くなりがちなときこそ、言い聞かせるフレーズをもっていましょう。

1.3秒ルール
コンビニのケースに並んだ飲み物から選ぶのはたったの2秒とか。
私たちは瞬時に欲しいモノを決めることができるのです。
それは要る要らないを判断するときも同じ。
せいぜい3秒で「要らない!」と見極めましょう。

2.3年ルール
使わないまま3年を経過。
持っていることすら忘れていたのでは?
今の自分に必要ないなら潔く決断を。

3.3禁句ルール
「いつか」「もしかして」「とりあえず」は捨てない言い訳の言葉。
未来への過剰な期待、過去の美化は「今」を大切に生きる妨げに。
振り出しに戻って「捨てて得る」メモを読み返してください。

捨てる心掛け「捨てコツ3則」
今ある不要なモノを減らす→むやみに増やさない→ひとつ買ったらひとつ処分して適量をキープ。
そこで大切なことが日々の心掛け。暮らしのリズムのなかに、捨てるタイムをすべり込ませましょう。

1.すぐ捨てる
見たら、読んだら、気づいたら、開けたら、用済みはすぐその場で捨てます。

【方法】
・立ち止まる場所、座る場所の脇など各所にゴミ箱を置く
・DM、チラシは玄関で捨てる
・レシート、手紙、お知らせは用が済んだら捨てる
・収集日の前日を捨て曜日にする
・読み返さない本は古書店へ
・もらった化粧品サンプルはすぐ使う
・使わない景品やオマケは断る
・空き箱は使い道がなければ捨てる
・家電製品と取扱説明書は一緒に処分
・写真や画像データを見たらベストショットだけ残す

2.あふれたら捨てる
収納する場所と範囲を決めて入りきらなくなったら捨てます。

【方法】
・レジ袋と紙袋は決めた入れ物に入るだけ
・子どもの作品はひと箱分だけ
・おもちゃボックスは○個まで
・本をしまう棚は○段分まで
・CDとDVDは○箱分、棚○段分まで
・衣類は衣装ケース○個分、引き出し○段分、ハンガー○本分まで

3.過ぎたら捨てる
期間あるいは期限を区切って過ぎたら捨てます。

【方法】
・新聞を溜めるのは1週間まで
・雑誌は発行月の月末まで
・スパイスと調味料のフタには期限を書く
・使いかけのマニキュアや口紅など化粧品
・年末になったら一昨年の年賀状を捨てる

さあ、ゴミ袋を片手に今すぐ始めましょう!
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2018年01月28日

佐川国税庁長官 納税者を甘く見るな

佐川国税庁長官 
納税者を甘く見るな
2018年1月27日 東京新聞「社説」

 確定申告の時期を迎えるが、これで徴税業務に信頼を得られると思っているのか。
佐川宣寿(のぶひさ)・国税庁長官のかつての国会答弁が虚偽に近いことが分かった。
納税者を甘く見ているのではないか。

 学校法人・森友学園への国有地売却交渉をめぐり、財務省近畿財務局が内部での検討を記録した文書を、情報公開請求していた大学教授に開示した。
 文書は財務局の売却担当者から法務担当者への質問を書いた「照会票」と、回答をまとめた「相談記録」で二〇一五、一六年度分の計七十四枚。
中には「売買金額の事前調整に努める」との方針を記したものもあった。

 開示文書には、このように詳細な交渉経緯もあったが、財務局側は「内部の検討資料であり、交渉記録ではない」と説明。
交渉のやりとり自体を記録したものではないから、交渉の記録ではない−といった詭弁(きべん)を弄(ろう)している。

 佐川氏は財務省理財局長だった昨年二月の衆院予算委員会で、交渉記録について「売買契約の締結で事案が終了し、廃棄した」と答弁し、この文書の存在を明らかにしてこなかった。
ほとんど虚偽答弁ではないか。
 佐川氏はまた、価格の事前交渉はしたことがないと明言した。
その後、野党が音声記録などを示して追及すると、財務省は「価格ではなく、金額のやりとり」などと人を食ったような釈明をした。

 国民の怒りが収まらないのは、国民の貴重な財産である国有地がなぜ九割引き、八億円も値引きされたのか−未解明のままどころか、佐川氏をはじめ財務省側に究明しようという姿勢がまったく感じられないからだ。
納税者である国民を小ばかにしているとしか思えない態度である。

 佐川氏は昨年八月に国税庁長官に昇進したが、それまで慣例だった就任会見を行わず、その後も記者会見や国会答弁は一度たりとも行っていない。
もちろん佐川氏一人のことではなく、人事に関わった安倍晋三首相、麻生太郎財務相の責任は重い。  

我々に与えられた使命を着実に果たしていくためには、何よりも国民の皆さまに信頼される組織であることが不可欠
−佐川氏が五年前、大阪国税局長に就任した際に語った抱負である。
 自身の言葉を振り返ってほしい。

このような状況では国民から信頼される組織にはなりえない。
疑惑解明に努めるか、さもなくば身を引くしかないだろう。
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2018年01月29日

電車内の優先座席 恥ずべきシステムでは?

松尾貴史のちょっと違和感
電車内の優先座席 
恥ずべきシステムでは?
2018年1月28日 毎日新聞

東京が4年ぶりの大雪で、通常ならば自家用車で新横浜まで行って新幹線に乗るのだけれども、自分の運転技術に鑑みて、電車で品川へ。
車内が意外と空いているのは、雪で中止になった「何か」で人が動いていない分と、前日からニュースや情報番組で「明日お出かけの際は時間に余裕を持って」とアナウンスしていたから人の動きが分散したのだろうか。

 ガラガラに空いているというわけではないのに、「優先座席」に空席がある。
私は優先座席と指定されている椅子でも、そうでない椅子でも空いていれば同じように座るし、短距離ならば座らないことが多い。

 そもそも優先座席というものが必要な社会というのは、どうにも納得がいかない。
誰かが見張っているわけでも、譲ってもらうべき人物だという明確な線引きがあるわけでもないのに、まるで「制度」であるかのような体裁で設置されていることに違和感を覚える。

 こうと書いておかなければ、他の座席でも優先して座ってもらうべき人が座りにくい社会を前提としている時点で、私たちの社会は敗北している。

「そういう表示がなければ譲らない人がいる。
しかし書いておけば少しは効果がある」というのであれば、全ての座席を「優先座席」にすべきだろう。
 大きな商業施設や公的な場所には、その入り口近くに体の不自由な人の乗る車を止めるための、専用スペースが設けてある。
それ以外の車は止めてはいけない場所だ。

電車の場合は定員以上乗ることが常態化しているので、そこに空席が常にあることは効率が良くないから「優先」と呼んでいるという苦肉の策なのだろう。

 そもそもは、どこの座席でも当たり前のように、体が不自由な人や、けが人、お年寄り、妊婦、幼児を抱いている人らが座席を譲ってもらえる社会を作るべきだろう。
立川談志さんが生前、ラジオの公開収録に来られ、本番前に電車の中での出来事を話しておられたのを思い出す。
老人が1人、車両に乗り込んできた。座っていた中学生に談志さんが「坊や、譲ってあげたらどうだ」と言ったら、その子は素直に立ち上がり席を譲った。
するとその老人は黙って当然のように座った。
「ありがとう」の一言もなかったのだという。
そこで談志さんは車内中に響き渡るどすの利いた声で「悪かったなあ、坊やっ! おじさんが余計なことを言った、席を譲ってもらってありがとうの一つも言えねえくそじじいに席を譲らせちまった。すまねえ。
今度からじじいがいても、金輪際席なんざあ譲るんじゃねえぞ!」と叫んだのだそうだ。
さぞや老人は居心地が悪かっただろう。

 日本人の多くは、大勢人がいる場所で他人と違う行動をとることに恐怖心のようなものがあるようで、座席を譲るという低レベルの親切ですら、「注目を集めてしまう」から抵抗を感じるのだろう。
しかし、席を譲る行為よりも、見て見ぬふりをして座席を占有し続けることの方が桁違いの「恥」であることは明白なのに、なぜ大恥の方を選ぶのかが不可解だ。

 そろそろ、電車の中も監視カメラを設置する流れができている。
痴漢やスリ、テロの防止などいろいろ目的があるだろうけれど、譲るべき人が目の前にいるのに譲らない人の姿を紹介し続けるくらいのことをしなければ、車内民度は上がらないのだろうか。  

もちろん、そんなことを推奨しているわけではない。
「優先座席」という恥ずかしいシステムがなくとも、全ての座席についてそうあることができる社会になってほしいというだけなのだ。
   (放送タレント)
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2018年01月30日

なぜ"帰宅電車での居眠り"は体に悪いのか

なぜ"帰宅電車での
居眠り"は体に悪いのか
2018/01/29 プレジデントオンライン

あなたは帰り道の電車で居眠りをしていないだろうか。
それは夜間の睡眠の質を下げ、体を疲労させる最悪の行為だ。

睡眠の専門家である三島和夫氏は、「つらくても『帰りは席が空いても座らない』などと決めたほうがいい」とアドバイスする――。

※本稿は、伊藤和弘・佐田節子著、三島和夫監修、『疲れをとるなら帰りの電車で寝るのをやめなさい』(日経BP社)を一部再編集したものです。

昼下がりに電車に乗ると、多くの人が席で居眠りしている姿が目に入る。
みなさん、お疲れなのである。
仕事が忙しくて、ろくに眠る時間もないビジネスパーソンの間では、「通勤時間を睡眠にあてています」と言う人も少なからずいる。

例えば、家で5時間しか眠れなくても、片道30分ずつ眠れば1日6時間眠れる計算になる、というわけだ。
しかし、睡眠時間というものは単純に足し算してもいいのだろうか?
もしそれが可能なら、「夕方に3時間寝た後、深夜に仕事をして、早朝に再び3時間」みたいな分断型はどうなのだろう?

国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所の三島和夫さんに聞いてみた。

疲れを取るには「浅い眠り」が必要だった
「睡眠は1日合計で何時間取ればいい、というものではありません」と、三島さんは眉をひそめる。
体にはサーカディアンリズムと呼ばれる周期があり、血圧であれホルモンであれ自律神経であれ、24時間周期のメカニズムで動いています。
例えば1日に3回ずつ睡眠を取るというのは、体にとっては(24時間÷3=)8時間の周期で生活することになる。
1回の睡眠が3時間で合計9時間を確保したとしても、体の周期とまったく合わない生活が体にいいわけないでしょう」

三島さんはさらに意外な事実を教えてくれた。
大切なのは、最初に深い徐波(じょは)睡眠が出て後半は浅くなっていく、メジャースリープ(まとまった睡眠)全体の構造を崩さないことです。
短時間睡眠でも“深い眠り”は取れますが、問題は“浅い眠り”が取れないことなんです」

脳や体の疲れを取るには、「徐波睡眠」という深い睡眠だけではなく、睡眠の後半になって出てくる「浅(せん)睡眠」も必要なのだ。

徐波睡眠は眠ってから3時間以内に出る状態で、あとは時間とともに眠りが浅くなっていく。
3〜4時間しか眠らない寝不足の人でも、実は前半部分の徐波睡眠だけはしっかり取れている。
しかしそれでは不十分だから寝不足と呼ばれるのである。
睡眠は脳だけでなく、筋肉や内臓にも必要だ。
こちらはある程度眠らないと休めないため、浅い眠りを含めたまとまった睡眠時間が欠かせない。

年齢によって必要な睡眠時間は異なるが、おおむね6〜7時間、夜にしっかり眠ることで、血圧が下がり、糖代謝なども改善する。
実際、睡眠時間を削ると、わずか1日でも、筋肉や肝臓が血液中のブドウ糖を取り込むのに必要なインスリンの働きが弱まることが知られている。

「疫学的にも、短時間睡眠を長く続けると、糖尿病や高血圧といった生活習慣病にかかりやすくなることが分かっています」と三島さんは語る。
どうしても眠いときは仕事中に短い仮眠を とはいえ、世界的に見てもジャパニーズ・ビジネスパーソンの生活は甘くない。
仕事に追われて、十分な睡眠時間を確保できない人も多いだろう。
そんなときは「1日1回の睡眠」にこだわっていられない。
「十分なメジャースリープが取れず、日中眠くて仕方がないときは、業務効率の低下や事故を避けるためにも昼寝したほうがいいでしょうね」と言う三島さんに、

上手な昼寝のとり方を聞いた。

1. できるだけリラックスした姿勢で 筋肉を弛緩(しかん)させ、心臓の負担を少なくするには「横になる」のが理想的。
交感神経が優位な状態から副交感神経が優位な状態への移行も促進される。
とはいえ、オフィスで横になれない場合などは、なるべく上半身を倒し、リラックスした姿勢を心がけるといいそうだ。

2. 時間は30分以内に 眠りに入ってから30分以上たつと、深い徐波睡眠に入ってしまうことが多い。
起きてすぐに活動しなければならない場合、「深い睡眠」は禁物だ。
目が覚めてもボンヤリして、なかなか仕事に集中できない。
「眠くてたまらないときは、10分や20分眠るだけで眠気が取れます」という。

一番の問題は昼にハンパな徐波睡眠を取ってしまうと、夜の徐波睡眠が大幅に減ることだ。
「間食を食べすぎて夕飯が食べられなくなった状態」みたいなもので、結果的に夜に十分な徐波睡眠が取れなくなってしまうのだ。

3. 直前にコーヒーを飲む 昼寝によって眠気の解消を図る際には、昼寝の前にコーヒーを飲むと、起きた後の頭がスッキリしやすい。
コーヒーに含まれるカフェインには、睡眠誘発物質であるアデノシンをブロックする効果がある。
しかし、「カフェインの効果が表れるのは、口に入ってから20〜30分後」と三島さん。
つまり、昼寝の直前に飲んでおくと、寝過ぎを防ぎ、ちょうどいいタイミングで目が覚めるというわけだ。

帰りの電車で眠るのは「最悪」だった
昼寝は時間帯も大切だという。
同じ20分眠る場合でも、時間帯が早ければ早いほど、夜のメジャースリープへの影響が少なく、徐波睡眠を減らさないことが分かっている。
三島さんによると、「特に午前中の仮眠なら夜の睡眠にほとんど影響しない」という。
つまり、昼寝よりも“朝寝”がいい。
朝の出社時の通勤電車は睡眠不足を補うにはもってこいの場所ということになる。

一方、帰りの通勤電車で眠るのは最悪だ。
「帰りの電車で眠ってしまうと、家に帰ってから寝付きにくくなるし、徐波睡眠も減って眠の質が非常に悪くなります。
いくら眠くてもガマンして、帰宅してから早めにベッドに入るようにしたほうが、睡眠の質が上がって疲れも取れます。
この習慣は強く意識したほうがいでしょう。

『帰りは席が空いても座らない』と決めることなどもお勧めです。
ちょっとつらいでしょうが(笑)」
なお、昼寝をしたほうがいいのは単なる睡眠不足の人たちだけだ。

眠りたくても眠れない不眠症に悩んでいるなら、いくら眠くても昼寝は厳禁だ。
昼間にちょこちょこ眠って、せっかくの眠気を解消してしまうと、ますます夜に眠れなくなってしまう。

三島 和夫(みしま・かずお)
国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 精神生理研究部長
1963年生まれ。秋田大学医学部卒業。
同医学部精神科学講座助教授、米スタンフォード大学医学部睡眠研究センター客員准教授などを経て、2006年より現職。
日本睡眠学会理事。
著書に『不眠の悩みを解消する本』、『8時間睡眠のウソ。』、『朝型勤務がダメな理由』など。
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2018年01月31日

人から嫌われたくない「いい人」ほど貧しくなる?

人から嫌われたくない
「いい人」ほど貧しくなる?
2018/01/29 All About (午堂 登紀雄)

年収が安くても「自分はこんなものだから」と思っていませんか?
ここでいう「いい人」とは、周囲から嫌われないよう、いい人だと思われるよう、必要以上に他人の目を意識している人のことです。

そんないい人は、お金を稼ぐことに対する罪悪感があります。
だから、お金の話をするのはいやらしいと思っていて、思い切った値付けや正当な対価の要求ができません。
代金を請求する場合も、高い値段をつけるのは恐れ多いとか、稼ぐことは他人から(弱者から)お金を搾取して、自分だけがトクしているような感情になる感じ、かけた労力に対して非常に安い金額をつけようとします。

また、他人の目を過剰に気にするということは、自分の価値観よりも他人の価値観を優先させるということであり、それはつまり自己肯定感が低いということを意味します。

だから自分は大したことはできないと過小評価しやすい。
だから自分の年収が安くても、自分はこんなものだから、と低い水準で自分を納得させ、満足しようとします。
年収1千万円なんて無理だ、と最初から自分に線引きし、挑戦することもなくあきらめてしまいます。

つまり、自分の限界を定めているのは、ほかの誰でもない「自分」。
こうして、「いい人ほど貧しい」という、救いのない現実が起こるのです。

たとえば、大学3年生の若者が就職活動を前に、あなたに相談に来たとします。
話してみると、当時の自分と比べてとてもしっかりしている。
特段自分に相談に来る必要はなさそうに感じる。
しかし彼の口から、「自分は3流大学で成績も良くないから、こんな一流企業に応募しても仕方ないですよね。
どうせ落ちるなら、最初から別の中小企業を受けたほうがいいですよね。」という言葉が出たら、あなたはどう答えるでしょうか。

「だよね〜」とは言わないでしょう。
むしろ「そんなことないよ。チャレンジしてみる価値はあると思うよ」と答えるのではないでしょうか。
そして、「でも、自分なんかには無理では?」という反応が返ってきたら?きっとあなたは、「自分で自分の限界を定めることなんてないよ。」
「そんな過小評価しなくても、君はとてもしっかりしているよ」
「そんなふうに最初からあきらめるなよ」と助言するのではないでしょうか。

そう、実はみんなわかっているんです。
自分の限界を定めるのはいつも自分。
自分の夢をあきらめるのはいつも自分。
自分の未来を裏切るのはいつも自分であるということを。
そこで、自分を過小評価する自分から脱出するためのおまじないの言葉を紹介します。

「奇跡が起こるのを待つより、自ら奇跡を起こしてみせたほうがかっこいいだろ?」
「勇者とは、恐れを知らない人ではなく、恐怖でビビッて足がすくんでも、足を前に出す度胸がある人のこと」
「世間があっと驚くのは、「お前には無理」とみんなが言うことを成し遂げたとき」
「自分をバカにしてきたヤツらを見返す方法が一つだけある。それは成功することだ。」

今日から人目を気にするよりも、自分の価値観をもっと大事にしてみませんか?
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