2018年01月03日

年のはじめに考える 明治150年と民主主義

年のはじめに考える 
明治150年と民主主義
2018年1月1日 東京新聞「社説」

 明治百五十年といいます。
明治維新はさまざまなものをもたらしましたが、その最大のものの一つは民主主義ではなかったか。
振り返ってみましょう。

 日本の民主主義のはじまりというと、思い出す一文があります。
小説・評論家で欧州暮らしの長かった堀田善衛氏の「広場と明治憲法」と題した随想です(ちくま文庫「日々の過ぎ方」所収)。

◆明治憲法つくった伊藤
 主役は伊藤博文。
初代内閣総理大臣、枢密院議長として明治憲法起草の演説。
渡欧し憲法とは何かを研究してきた。
 起草演説の明治二十一(一八八八)年、伊藤四十七歳、明治天皇はなお若き三十六歳。
 何しろ東洋初の憲法です。

欧米に伍(ご)して近代国家をいかに創出すべきか。頭をふり絞ります。
 そこで堀田の随想は、悩める伊藤をたとえばベネチアのサンマルコ広場に立たせてみる。
 広場はベネチア共和国総督府の宮殿とサンマルコ大聖堂の並び立つ下。
政治経済を行う世俗権力と聖マルコの遺骸をおさめる聖なる権威の見下ろす広場。

 堀田はこう記します。  
重大事が起(おこ)ったときに、共和国の全市民がこの広場に集って事を議し、決定をし、その決定を大聖堂が祝認するといった政治形式を、(伊藤は)一瞬でも考えたことがあったかどうか

 堀田は大聖堂の権威に注目し、同じ役割を皇室にもたせるべく明治憲法はつくられたと考えを進めるが、その一方で、こんな想像はできないでしょうか。
 武士最下級足軽出身の伊藤が総理、公爵、枢密院議長へと上り詰めようと、彼は広場の民衆を果たして無視できただろうか、と。
 強大な幕府の打倒は志士に加え豪農富商、それに民衆の支えがあってこそ実現したのです。
幕末期の民衆は当然のように欧米に追いつこうとしていたのです。

◆民衆の側からみる歴史
 歴史の多くは支配者の側から書かれます。
そうであるなら民衆の側からでないと見えない歴史があるはずです。
 支配者のいう民衆の不満とは、民衆にいわせれば公平を求める正当な要求にほかなりません。  

維新をじかに体験してきた伊藤は、民衆の知恵も力も知っていたにちがいないと思うのです。
つまり広場の意義もエネルギーも知っていたのではないか、と。
 維新後、各地にわき起こった自由民権運動とは、その名の通り人民主権を求めました。
 日本には欧州の広場こそなかったが、民主主義を求める欲求は全国に胚胎(はいたい)していたといっていいでしょう。
 その延長上に明治憲法はつくられました。

絶対的天皇制ではあるが、立憲制と議会制をしっかりと明記した。
日本民主主義のはじまりといわれるゆえんです。
 明治憲法はプロシアの憲法をまねた。
プロシア、いまのドイツは当時、市民階級が弱く先進の英仏を追う立場でした。
追いつくには上からの近代化が早い。
国家を個人より優位に置く官僚指導型国家を目指さざるをえない。
 国家優位、民主制度は不確立という、今から見ればおかしな事態です。

広場は不用、もしくは悪用され、やがてドイツも日本も国家主義、軍国主義へと突き進んで無残な敗北を迎えるわけです。
 むろん歴史は単純ではなく明治憲法は大正デモクラシーという民主主義の高揚期すら生んでいます。
それはやはり社会を改良しようという民衆のエネルギーの発奮でしょう。

 戦後、両国ともあたらしい憲法をもちます。
 日本では“押し付け”などという政治家もいますが、国民多数は大いに歓迎しました。
 世界視点で見れば、一九四八年の第三回国連総会で採択された世界人権宣言が基底にあります。
人間の自由権・参政権・社会権。
つまり国家優位より個人の尊重。
長い時と多くの犠牲を経て人類はやっとそこまで来たわけです。

 振り返って今の日本の民主主義はどうか。
 たとえば格差という問題があります。
広場なら困っている人が自分の横にいるということです。
資本主義のひずみは議会のつくる法律で解決すべきだが、残念ながらそうなっていない。

◆広場の声とずれる政治
 また「一強」政治がある。
首相は謙虚を唱えながら独走を続けている。
広場の声と政治がどうもずれているようだ。
 社会はつねに不満を抱えるものです。
その解決のために議会はあり、つまり広場はなくてはならないのです。

 思い出すべきは、民権を叫んだ明治人であり、伊藤が立ったかもしれない広場です。
私たちはその広場の一員なのです。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「言ったことは実行」など天皇陛下による珠玉のメッセージ

「言ったことは実行」など
天皇陛下による
珠玉のメッセージ
2018.01.02 NEWSポストセブン

 あと1年余りで平成の御代が終わり、新しい時代が始まる。
現憲法下で初めて即位して以来30年、常に国民のために祈り、果敢に行動されてきた陛下のおことばを、改めて心に刻み付けておきたい。

〈私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。(2016年8月8日、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」)

この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。(2011年3月16日、東日本大震災後のビデオメッセージ)

〈天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。(2013年12月18日、80歳の誕生日を前に)

〈この度、海外の地において、改めて、先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います。〉(2005年6月27日、サイパン島ご訪問ご出発にあたり)

〈私は、この運命を受け入れ、象徴としての望ましい在り方を常に求めていくよう努めています。したがって、皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由は望んでいません。(1994年6月4日、ご訪米前の招待記者の質問への文書回答)

言ったことは必ず実行する。実行しないことを言うのは嫌いです。(1964年12月22日、31歳の誕生日を前に)

◆参考/高森明勅監修『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社刊)、宮内庁編『道 天皇陛下 御即位十年記念記録集』(NHK出版刊)ほか
※SAPIO2018年1・2月号
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする