2018年01月07日

「日本の伝統」の多くは明治以降の発明だった

「日本の伝統」の多くは
  明治以降の発明だった
その伝統、本当に古くからあるのか?
2018年01月06日 東洋経済

西野 智紀 : HONZ

周りのみんながやっているから、乗り遅れないように私もやる―
―誰しも一度はこうした経験をしたことがあるのではないか。
仲間外れは怖いものだ。
多少ヘンな流行であっても、ついつい乗ってしまうのが人間の性である。
だが、そうして広まったブームも、時間が経つにつれて1つの風習・行事として根付く場合がある。
「伝統」だなんて言葉がついていれば、説得力倍増だ。
「古くから伝わるものなんだ、絶やしちゃいけない」という義務感すら覚えさせられる。

「古くから」「昔から」とは
一体いつごろのこと?
著者はここで疑問を抱く。
その伝統、本当に古くからあるのか?
 だいたい「古くから」「昔から」とは一体いつごろのことなのか? 
いつからなら「伝統」と呼べるのか? 

本書『「日本の伝統」の正体』柏書房(藤井青銅 著)はそうしたモヤモヤを感じる日本の伝統の数々を検証する1冊である。
著者は1979年に「星新一ショートショート・コンテスト」入賞を機に数多くのラジオ番組制作に関わってきた名放送作家。脚本家・作家としても活躍し、日本史についての著作も数冊発表している。
目から鱗の逸話ばかりでどこから読んでも楽しいが、日本の伝統に最も馴染み深くなると思われる年末年始や季節の変わり目の行事から見ていこう。

たとえば正月。無病息災などを祈念するため、初詣に行かれる方は多いだろう。
この風習、なんとなく大昔からあるような感じがするが、実は誕生は明治中期である。
1872年、東海道線開通が開通し、川崎大師へのアクセスが容易になる。
川崎大師は江戸から見て恵方にあたり、行楽も兼ねて参詣に行く人が急増し、特に1月21日の縁日(初大師)は大盛況となった。

とはいえ、恵方は5年に1回しか来ない。
当たり前だが鉄道会社としては毎年来てくれたほうが儲かる。
そこで、大晦日から寺社に籠って元日を迎える「年籠り」、
年明けはじめての縁日に参詣する「初縁日」、
居住地から見て恵方にある寺社を参詣する「恵方詣り」といった古来からの行事を組み合わせ、縁日も恵方も関係ない「初詣」をつくりあげ宣伝文句としたわけだ。

もう少し正月つながりでいくと、「重箱のおせち」もかなり新しい伝統だ。
おせちは「お節」と書き、祝いの席の料理として奈良時代から存在したが、正月のおせちを重箱に詰めるようになったのは幕末から明治にかけてで、戦後、デパートの販売戦略によって定着した。

恵方や食べ物、商売努力の話で思い出されるのが、恵方巻だ。
恵方とはもともと陰陽道の言葉で、『蜻蛉日記』(975年)にも出てくるくらい古いが、恵方巻自体は20年程度の歴史しかない。
「節分に恵方を向いて巻き寿司を食べる」風習は戦前から戦後にかけて大阪の寿司・海苔業界が大宣伝したことによって関西の一部地域には広まっていたが、これを1989年にセブン-イレブンが取り入れて大ヒットを記録。
98年には「恵方巻」という名で全国展開され、他のコンビニ各社もぞくぞく参入し、現在に至っている。

言葉の魔力と美談の引力 販売戦略が奏功するだけでなく、伝統として定着できたら、商売人としてはこの上ない喜びだ。
だが、そもそも存在しなかった(創作の疑いがある)風習が権威とともに前面に押し出しされてくると、さすがに違和感は拭えない。

昨今疑惑を集めている「江戸しぐさ」はその典型例だ。
傘を差した人同士がすれ違うとき、相手を濡らさないように互いの傘を傾ける「傘かしげ」。
複数の人が一緒に座るとき、みんなが腰を浮かせて、こぶし1つ分詰めて場所を作る「こぶし腰浮かせ」……。

マナーとしてはわからなくもないが、なぜそれを記録した史料が一切ないにもかかわらず「江戸時代からの伝統」と言い張るのか。

江戸しぐさの初出は1981年の読売新聞。
提唱したのは「江戸講」なるものの伝承者だという芝三光。
80年代後半の江戸庶民文化再評価の流れに乗じて、この道徳的しぐさは存在感を増し、現在、NPO法人を中心に、普及が進められているようだ。

このトンデモへの批判は原田実『江戸しぐさの正体』(星海社新書)に詳しいので譲るとして、「江戸時代から」という言葉の魔力と、「マナーだから」という美談が持つ思考を鈍らせる力には舌を巻かずにはおれない。

言葉の組み合わせで迫力が増した例は他にもある。
京都という由緒ある場所を利用した「平安神宮」や、「讃岐うどん」「越前竹人形」のような旧国名を冠したものがそうだ。

平安神宮」は、平安なんて付いているくらいだから平安時代からあるような気がするが、実際は1895年に平安遷都1100年を記念して創建された神社である。
また、香川の地で古くからうどんが食べられていたのは事実だが、「讃岐うどん」という言葉自体は60年代の誕生で、
越前竹人形」は水上勉が1963年に発表した小説『越前竹人形』が初出だ。

新しい伝統は他にもいろいろなところに存在する。
いかにも日本っぽい野菜の白菜は1875年に中国から伝わったものだし、パッと咲いてパッと散るさまが日本の美意識を表しているとされる桜・ソメイヨシノは明治生まれ。

なにかと話題となる日本の国技・相撲は、興行としては400年ほどの歴史はあるものの、「国技」と呼ばれだしたのは1909年の国技館誕生からである(ちなみに、日本には法令で国技と定められた競技はない)。

さまざまな思惑が
伝統を形作ってきた
こうして見てくると、日本の伝統とされるものは、明治以降の発明である場合が多い。
100年近く続いていれば伝統と呼んでもいいんじゃ、という向きもいるだろう。
断っておくと、本書はべつに伝統そのものを否定しているわけではない。
著者はこう述べる。
“「伝統があって、人間がある」のではなく、「人間があって、伝統がある」
伝統だから大切にするのはわかるが、伝統だから従わなければならないなんてことはない。

重要なのは、言葉のマジックの認識だ。
権威付けやらビジネスやら、様々な思惑が伝統を形作ってきたのもまた事実なのである。
たくさんのメディアに囲まれているこのご時世、疑問を持ったり、フェイクか否か選別したりするのは難しいし体力がいる。
が、由来や歴史を調べるのは、人間のおかしみを感じられて、存外面白いものだ。
本書はその端緒となる火を灯す1冊なのは間違いない。
なお、ちょっと厳めしいタイトルと装幀だが、文章はエッセイ風味の優しいノリなのでご安心を。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 | Comment(2) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする