2018年02月01日

ヒトの脳は「他人を裁く」ようにできている

ヒトの脳は
「他人を裁く」ようにできている
「暴走する正義漢」を止める方法はない
2018年01月31日 東洋経済

中野 信子 : 脳科学者

「ルールを破った誰か」や「ズルをしている誰か」を、"正しい自分"が徹底的に糾弾し、バッシングする。
ネット上でよく見掛けるこの光景は、どんな心理状態で行われているのか。
脳科学者・中野信子氏が、最新刊『シャーデンフロイデ』で、"暴走する正義漢"が生まれるメカニズムを解説する。

「ズルをしている誰か」を許せない
2017年6月、東名高速であおり運転による危険運転致死傷事件が起きました。
逮捕された人物は、過去に何度も同じことを繰り返していたといいますから、自分が悪いことをした、という認識をまったく持ち合わせていなかったのでしょう。
それどころか、オレの気分を悪くさせた相手に、制裁を加える「正当な権利」を、オレは持っている、と感じていたのではないかと思われます。

自分だけは正しく、「ズルをしている」誰かを許せない。
だから、そんなやつに対しては、俺/私がどんな暴力を振るっても許される。
そんな心理状態によって実行に移される行動を、英語で「サンクション(制裁)」といい、学術的な用語としても用いられます。

電車などの公共交通機関や街なかで暴行を働く「暴走老人」も、このサンクションという心理に基づいていると思われます。
サンクションが、ご年配の方に多いと考えられるのは、残念ながら、特に偏見というわけでもなさそうです。

生理的には前頭葉が持つ抑制機能の低下が、こうした振る舞いの原因として想定されるのですが、この機能は一度低下してしまうとなかなかそれを劇的に高めるということができません。
暴走する「正義漢」(こうした表記に引っ掛かりを感じる読者はひょっとしたら、サンクションを発動させやすいタイプの人かもしれません)を止める方法としては、その方の気力・体力が衰えるのを待つ以外に、有効な方法が考えにくいのです。
もちろん、脳には可塑性があるので、時間をかければどんなことでもまったく不可能ということはないでしょう。

ただ、たとえば行政等の観点から言えば、はたして高齢者に費用と労力と時間をかけてその暴走を止めていくことに、どれほどのコストパフォーマンスが期待できるか、といった議論が想定されます。
特にテストステロンの分泌量が多い男性は、前頭葉が担っているブレーキの機能が脆弱になっていると、心ゆくまで他者を攻撃し、ボロボロに傷つけて快感を覚える、ということをやめられなくなります。

DVの加害者側に見られる心的状態にも、類似の構造があります。

他者を殺傷することが
許される国ではないのに…
日本は法治国家であり、原則として私刑という形で報復的に他者を殺傷することが許される国ではありません。
その法治国家の住人であるにもかかわらず、
「私刑を加えても自分だけは許される」
「先にルールを破ったのはこいつだから、どんなに制裁を加えようがかまわない」
「善良な国民である俺の気分を悪くさせたこいつを許しがたい(謝罪しろ!)」という、認知の歪みが生じるのです。
これは一見、不可解に見えますが、ごく一般的に起きていることです。

「サンクションを加えたくなる衝動」を感じたことがないという人がいるかもしれません。
でもそれは、感じたことがあっても忘れてしまっているか、感じたことを他の人には知られたくない、という人だと思います。
制裁を加えることによる直接的なメリットは、本人にとってはゼロですが、規範を逸脱した人に対して制裁を加えることは、「正しい」あるいは「世のため人のため」と(少なくとも本人には)認知されています。

敢えて相手に対して言いにくいことを言ったり、世のため人のために誰もがやりにくいことをやっている自分は、正しくて善良な素晴らしい人間である、とさえ感じています。
それでは、誰かに対して制裁を加えたいという気持ちが高まることで得をする人は、一体どんな人なのでしょうか。
もちろん、制裁を加える本人ではありません。
制裁を加える本人は、制裁することによる仕返しのリスクを負わなければなりませんので、客観的に見れば、制裁というのは、"損"な行動なのです。
制裁に掛かる「労力」と「時間」というコストの問題もあります。

つまり、個人という単位で見たときに利得が高くなるのは「何も見なかったことにする」という行動を取った人です。
何かアクションを起こすこと自体が、時間と労力の損失になるからです。
仕返しのリスクがあるにもかかわらず、それを行うのは何らかのインセンティブがあるからだ、と考えざるを得ません。
一応、私たちヒトも生物のはしくれですので、何らかの得がなければその行動を選択しません。

しかし、想定できる利得というのは、実は制裁を加える本人の脳内に分泌されるドーパミンだけなのです。
ようするに「目立つあいつ」「ムカつく誰か」「一人だけズルをしているかもしれないあの人」が傷ついたことによって得られる、ドーパミンの分泌による快感です。

すべての集団で起こり得る現象
では、なぜ、「不謹慎」を叩くことによってドーパミンが分泌されるのでしょうか。
これはちょっと不思議なことのように感じられるかもしれません。
個人という単位では、まったく利得がないばかりか、損失が大きくなるかもしれない行動を、わざわざどうして、ドーパミンを分泌させてまでやらせるのか。

自ら(ドーパミンを分泌させてまで)損失を被りたがる個体が出現することで、利益を得る人たちは誰なのか。
それは、その人を除いたすべての集団構成員です。
集団において「不謹慎なヒト」を攻撃するのは、その必要が高いためです。
「不謹慎な誰か」を排除しなければ、集団全体が「不謹慎」つまり「ルールを逸脱した状態」に変容し、ひいては集団そのものが崩壊してしまう恐れが出てくる。
その前に、崩壊の引き金になりかねない「不謹慎なヒト」をつぶしておく必要があるのです。
これは、すべての集団で起こり得る現象です。

結論を言えば、誰かを叩く行為というのは、本質的にはその集団を守ろうとする行動なのです。向社会性が高まった末の帰結と言えるかもしれません。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 | Comment(4) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月02日

「こむら返り」をどう防ぐ 保温と水分補給、心がけて

どうすれば安全安心
「こむら返り」をどう防ぐ 
保温と水分補給、心がけて
毎日新聞2018年2月1日 東京夕刊

 睡眠中や運動時に起きる「こむら返り」の痛みは、誰もが一度は経験したことがあるのではないか。
原因はさまざまだが、加齢などに加え、冬場は冷えからもなりやすいという。
頻発する場合は病気が隠れていることもある。
専門家に対処法や予防策を聞いた。【鈴木美穂】

漢方薬服用、数分で効果/
ストレッチ、習慣づける/
頻発するなら受診を

 「こむら」は、ふくらはぎのことで、ふくらはぎの筋肉が必要以上に収縮(けいれん)し、「つった状態」になることを「こむら返り」という。
筋肉がつるのは、足首や指、太ももなどでも起きる。

 原因は多岐にわたるが、「もう怖くない! 筋肉のつり こむらがえり」を著した整形外科医で、出沢明PEDクリニック(東京都世田谷区)院長の出沢明さんはこう説明する。

「運動時や就寝中に起きることが多く、加齢や妊娠も原因になり得ます。
冬場は『冷え』が誘発する場合もあり、ふくらはぎを冷やさない工夫が必要です。
特に冷え性の人は長い靴下をはくなどして保温対策を万全にしましょう。
温浴や足浴も効果的です」

 出沢さんによると、筋肉には過剰な負担が掛かった場合、損傷を防ぐ「二つのセンサー」があり、これが「誤作動」するとこむら返りが起きるという。

「センサーには筋肉の伸びすぎを調整する『筋紡錘(きんぼうすい)』と、
縮みすぎを防ぐ『腱紡錘(けんぼうすい)』がありますが、
そのうち腱紡錘の働きが鈍くなると、筋肉が異常に収縮してしまい、こむら返りが起きるのです」。

脱水症状も原因になるといい、「予防として就寝前にコップ1杯の水を飲んでおくことが有効です」とアドバイスする。

 「国立精神・神経医療研究センター」(東京都小平市)の医師で睡眠障害外来を専門とする精神生理部長の三島和夫さんは「手足の冷えのほか、睡眠中に掛け布団の重みで爪先が伸びた状態で長時間すごすことによって、ふくらはぎのけいれんが起こることがある」と語り、足首が直角になるよう足の裏に「巻いたタオル」を置いておくアイデアを提案する。

 就寝時にこむら返りが起きたら、どう対処すればいいのだろう。
 「まず、爪先を体側に引いてアキレスけんを伸ばすことが重要です。その際は焦らず、ゆっくりと行いましょう。
手が届かなければ、爪先に長めのバスタオルをかけて両端を引っぱったり、ベッドのへりに足の裏を押しつけたりして伸ばすのも効果があります。
枕元にバスタオルも置いておけば慌てずに対応できます」と三島さんは言う。
けいれんが治ったら、それ以上無理に引っぱる必要はない。

 こむら返りには、漢方の芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)を使うことが多い。
頻度が多ければ毎日服用することもあるが、症状が出そうな時だけ頓服するのでもよい。

三島さんは「運動しすぎたり、疲れがたまったりして、こむら返りが起きそうだと思ったら薬を用意しておきましょう」とアドバイスする。

 出沢さんも芍薬甘草湯の効果を認めているが、注意点を付け加える。
「飲んでから通常は2〜3分で効果が出ます。
ただ、常用すると低カリウム血症や高血圧になる危険性があります。
ドラッグストアなどでも購入は可能ですが、掛かり付け医ともよく相談することをお勧めします」

 薬に頼らずに、医師が推奨するさまざまな予防策を試すのも選択肢になりそうだ。
 筋肉のセンサーである腱紡錘の働きが鈍る理由はまだ明らかでないが、こむら返りを防ぐ方法の一つとして、出沢さんは「バランスのよい食生活と水分補給が何よりも重要」と強調する。

「普段からミネラルのバランスを意識した食生活を心がけることが大切です。
筋肉の収縮などに必要なのはマグネシウムやカリウム、カルシウム。
マグネシウムは、海産物のほかに納豆や落花生など、
カリウムはバナナやリンゴ、カルシウムは煮干しや牛乳などに多く含まれています。
こうした食品を意識して取り入れるようにしてほしい」

 また、筋肉の疲れを残さないためにストレッチやマッサージを習慣づけたい。
 こむら返りの慢性化には、筋肉量の減少や新陳代謝の低下も関わっていると考えられる。
筋肉量は20代をピークに減少する傾向にあるといい、出沢さんは「年を取るほどこむら返りが起こりやすくなるのはこのため」と説明する。

前著によると、高齢者の場合、家事や外出といった日常生活でも筋肉の疲労がたまってしまい、こむら返りが誘発されるという。
 三島さんも米国の「こむら返りを訴えて、医療機関を受診した65歳以上の高齢者265人を対象にした調査」をもとに説明する。

「高齢者のこむら返りの約75%が夜間に起き、このうち『1カ月に1回以上ある』のは7割以上を占めました」と話す。
 出沢さん、三島さんも、「大半は一過性で心配がない」と口をそろえるが「病気が隠れている場合もある」と注意を促す。

出沢さんは「糖尿病や循環器の病気があり、服用している薬の副作用からこむら返りが起きる人もいます。
こうした持病がある人は頻度などに関わらず、医師に相談して原因を特定しておく方が安心です」と語る。
 こむら返りが頻発する場合、中高年から発症が増える「腰部脊柱管狭窄(せきちゅうかんきょうさく)症」や「脳梗塞(こうそく)」などが隠れていることがある。

こうしたケースについては「痛みやしびれのほかに、歩行が困難になる『間欠跛行(はこう)』など、複数の症状が出ることが多い。
痛がっている時に症状を観察するのは大変ですが、家族らにつっている場所や状態を見てもらい、その症状を医師に伝えることも、隠れた病気を特定するには肝心です」(出沢さん)。

 頻度や痛みが強まっていくようであれば一度、医師に相談することが大切だ。
頻繁に目が覚めれば睡眠の質が低下し、日常生活に悪影響も出かねない。

 長期間、こむら返りで悩んでいる人は、神経内科や循環器科、整形外科、就寝時であれば睡眠障害外来などの専門医を受診することを考えてみたい。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(2) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月03日

奢る安倍内閣“総腐敗” こんな政権が3選、改憲を言う笑止

奢る安倍内閣“総腐敗”
こんな政権が3選、
改憲を言う笑止
2018年2月2日 日刊ゲンダイ

 ワイドショーは相変わらず大相撲のネタで持ちきりだが、国会では連日、安倍政権の疑惑が追及されている。
森友学園、加計学園、スパコン補助金不正の「もり・かけ・スパ」疑惑に、茂木経済再生担当相が選挙区内で線香や衆議院手帳を配っていた「線香疑惑」まで加わり、この政権のロクでもなさを、これでもかと見せつけられる思いだ。

 公職選挙法は現職の議員や候補者が選挙区内の有権者に金銭や品物を配る行為を禁止している。
過去には小野寺防衛相が有権者に線香セットを配り、公選法違反に問われて議員辞職。
3年の公民権停止を含む略式命令を受けた。
2014年にも、名前入りの「うちわ」を配って公選法違反を指摘された松島みどり法相が辞任している。

 ところが、茂木は衆院予算委で秘書による線香や手帳の配布を認めつつ、「配布物に私の氏名はなく、政党支部の政治活動として配布した」と開き直った。
「公選法にのっとっている」というのだ。

名前が書いてなければ問題ない? 
そんな方便が許されるなら、何でもアリになってしまう。
無記名ならカネを渡してもいいのか。
「茂木大臣に対しては、さすがに自民党内からも『あまりにヒドイ』という声が上がっています。
政党支部の活動と言うのなら、自民党手帳を配るなら党勢拡大につながるかもしれませんが、衆議院手帳や線香は何の関係もない。

こんな軽率な答弁を許すのは、現政権が弛緩しきっている証拠です。
茂木大臣だけでなく、安倍首相や麻生財務相もトボケた答弁を繰り返し、薄ら笑いを浮かべて、野党の質問にマトモに答えようとしない。
衆院選であれだけ『丁寧な説明』と言っていたのに、選挙に勝った途端に忘れてしまったかのようです」(政治ジャーナリスト・山田厚俊氏)
 国会と有権者をナメるにも程がある。

■政権ぐるみで疑惑隠し
 茂木は人づくり革命担当相も務めているが、最低限のルールも守れないご仁に「人づくり」なんてやってもらいたくない。
こんなフザケたヤカラは大臣辞任のみならず、議員辞職が筋だ。

 かつては官僚の不正や情報隠蔽を厳しく追及してきたはずの河野外相も、閣僚になった途端、批判を封印。
安倍のポチぶりを存分に発揮し、外相専用機をおねだりする厚顔ぶりだ。
この内閣の一員になると、みな驕り高ぶってしまうのか。

 麻生財務相にいたっては、暴言は今に始まったことでもないが、森友問題で虚偽答弁をした佐川理財局長(当時)が国税庁長官に出世したものの、慣例の就任会見を開かなかった件について質問されると、「所管の行政以外に関心が集まっていたことから実施しないと決めたと聞いた」とか言っていた。
森友問題について聞かれるのが嫌で会見を開かないのを是認したということだ。
政権ぐるみで疑惑隠しをやっている。

 そもそも、麻生自身も疑惑の当事者である。
閣僚席でニタニタ笑っている場合ではないだろう。
森友は財務省の問題だし、スパコン疑惑では、助成金詐取で逮捕された社長が安倍や麻生と親密な御用ジャーナリストと懇意で、政権中枢の威光で巨額の助成金が下りたという報道もある。
助成金に麻生の関与はなかったのか、予算委でも追及されていた。

本来なら疑惑まみれで
終わっていたのに禁じ手で延命
安倍政権というのは、犯罪も隠蔽するあくどい連中の寄せ集めなのです。
予算委員会を見ていると、上から下まで腐りきった有象無象の群れだということがよく分かる。
嘘と隠蔽で維持している政権で本当にいいのかと徹底批判しないメディアもどうかしています。

1月30日の衆院予算委では、傍聴席に女性ジャーナリストの伊藤詩織さんの姿がありました。野党からは、彼女がレイプ被害を訴えている元TBS記者の御用ジャーナリストと安倍首相との親密な関係についての質問も出た。
国民の注目度も高かったはずですが、この質問の時間帯をNHKは中継しませんでした。
テレビがこの政権の悪辣さをしっかり伝えないから、国民に真実が知らされず、内閣支持率も暴落しない。
だから、現内閣は有権者を愚民扱いしているし、質問にノラリクラリで時間稼ぎをしていれば疑惑から逃げ切れるとタカをくくっているのです」(政治評論家・本澤二郎氏)

 たしかに、メディアの報道の仕方には問題がある。
国の根幹が腐ることよりも、大相撲や他人の不倫がそんなに大事か。
見るに堪えないほどひどい閣僚の国会答弁をなぜ放置しておくのか。

 もっとも、野党や有権者の要求をはねつけ、佐川長官を国会に招致しようとしないことに関しては、御用メディアの産経新聞(1月31日)までが社説で厳しく批判していた。

<政府の高官が説明を尽くさず、逃げ回っていては、昨年の国会の不毛な論戦を再現するだけだ。
国政がまたも停滞する恐れがある。
政府・与党はこんな簡単なことも分からないのか>

<当の佐川氏は長官昇格以来、一度も記者会見を開いていない。
人前で納税の意義すら語れない異常な状態にある。
野党側が国会へ出席して説明するよう求めても与党が拒んでいる>

<佐川氏は国会や記者会見の場で説明責任を果たすべきである。
避けるばかりでは問題は収束しない。
憲法が定める国民の三大義務の一つが納税だ。
2月から確定申告の期間を迎える。
政府・与党は、徴税をつかさどる国税庁のトップは、重要な公人である点を忘れてもらっては困る>

 産経がこう書くくらいだから、右も左も関係なく、国民の大半が「この政権のやり方はおかしい」と感じているのだ。

■何を言っても許されると勘違い
「昨年の通常国会でモリカケ問題が発覚し、権力の私物化を目の当たりにした国民は強い怒りと不信を覚えた。
本来なら、あの時に疑惑まみれで終わっていた政権です。
ところが安倍首相は突然、『国難』などと言いだして解散・総選挙に打って出た。
禁じ手で延命をはかったのです。
それが野党のゴタゴタに助けられて大勝したことで、何をやっても、言っても許されると勘違いしているフシがあります。
圧倒的多数を背景に、数の横暴で国会運営も押し切るつもりなのです」(本澤二郎氏=前出)  

数の力で疑惑を封じ込める。そんなことが許されていいのか。
そういう傲岸ゆえに身体検査も甘くなる。
茂木なんて、手帳配布の公選法違反は昨夏から報じられていた。
そんなやつを平然と重要閣僚に引き立てる。
本人もポスト安倍気取りでデカイ顔をしているのだから、所属する額賀派はアホ丸出しで、分裂騒動はさもありなんだ。

 内閣も派閥も、自分たちの保身と権力維持だけ。
こういう薄汚い連中が「人づくり革命」だとか「国創り」なんて言って、エラソーに税金を差配し、「国のかたち、理想の姿を語るのは憲法です」などとピンボケの憲法観を振りかざして、身勝手な改憲を数の力でゴリ押ししようとする。

 国会も法の支配も形骸化させ、日本経済と国民の暮らしをメチャクチャにした安倍が秋の総裁選で3選確実なんて、常識では考えられない。
安倍1強が続くとすれば、自民党が上から下まで総腐敗しているせいだ。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月04日

寓話・北風と太陽には「北風勝利」編もある

寓話・北風と太陽には
「北風勝利」編もある
2018年01月29日 東洋経済

戸田 智弘 : キャリアカウンセラー

寓話という言葉を『第六版 新明解国語辞典』(三省堂)で引くと、「登場させた動物の対話・行動などに例を借り、深刻な内容を持つ処世訓を印象深く大衆に訴える目的の話」と書かれている。
イソップ寓話や仏教寓話、荘子の寓話などが代表的なものである。

寓話の目的は教訓や真理を伝えることであり、お話そのものはそれらを届けてくれる“運搬手段”である。
別の言い方をすると、寓話においては教訓や真理こそがその核であり、お話はそれらを包みこむ“外皮”である。
なぜそのような二重構造をとるのか。

教訓は苦く、真理は激しいので、そのままでは食べられない。
ならば、楽しいお話で教訓や真理を包んで読者に届けようというわけだ。

本稿では、拙著『ものの見方が変わる 座右の寓話』から抜粋し、寓話を「学校の授業」や「会社の朝礼」で使える話材として紹介する。
長い寓話は2分程度で話せるような内容に要約してある。
本稿が寓話の面白さを知るとともに、自分の仕事や人生、地域・国・世界の進むべき道について考える一つの手がかりになれば、幸いに思う。

北風と太陽
北風と太陽が彼らの力について言い争っていた。
議論ばかりしていても仕方がないので、勝負をしようという話になった。
最初の勝負は、旅人の帽子をとることだ。
はじめに、太陽が旅人を照りつけると、旅人は日差しを避けようと帽子を深くかぶり、けっして脱ごうとはしなかった。
今度は、北風が思いっきり強く、ビューと吹いた。
すると、旅人の帽子は簡単に吹き飛んでしまった。

次の勝負は、旅人の上着を脱がすことだ。
はじめに、北風がありったけの力で、ビューッと吹きつけた。
しかし、旅人はふるえあがって、着ものをしっかり両手で押さえるばかりだった。
今度は、太陽が旅人を照らした。
すると、旅人は上着を脱いで、気持ち良さそうにのびをした。

解説:状況に適した手段を選ぶ
この話の教訓は、何事においてもそのつど適切な手段を選ぶことが肝要であるということだ。
旅人の帽子をとるには北風が適していた、上着を脱がせるには太陽が適していたということだ。要するに臨機応変の大切さを説いている。

一般的に、年をとればとるほど素直さは消えていく。
逆に、頑固さは増すばかりである。
「人の意見は40まで」(40歳をすぎた人に意見をしても効き目がないこと)ということわざがあるくらいだ。
臨機応変であるためには頑固であってはならない。
社会で成功している人や組織ほど、自信を持っているという意味で頑固である。
しかし、過去にうまくいったからといって、これからもずっとうまくいくとは限らない。
成功は人を頑固にする。
成功の記憶はときに耳栓になる。
まわりの環境が変わってしまっているのに、過去の勝ちパターンにしがみつくことはよくあることだ
時が変われば、選ぶべき手段が違って当然である。
熟慮のうえ、適切な手段を選ばなければならない。

水槽の中のカマス
水槽の真ん中に透明なガラスの仕切りをつくり、一方に数匹のカマスを入れ、もう一方にカマスの餌になる小魚を入れた。
カマスは餌を食べようとして突進するものの、ガラスの仕切りにぶつかってはね返される。
何度も何度も繰り返すうちに、とうとう諦めてしまった。
その後、透明なガラスの仕切りを取り除いても、カマスはけっして小魚のいる方へは行こうとしなかった。

しばらくしてから、新入りのカマスを水槽に入れた。
すると、何も知らない新入りは、一直線に餌に向かって突進した。
それを見ていた古株のカマスたちは「あの餌は食べられるんだ」ということに気づき、先を争って餌に向かって突進した。

解説:
組織の殻を破るのは、異質な人材
カマスは再三にわたり餌の小魚に向かって突進した。
しかし、透明なガラスの仕切りに何度も阻まれるうちにだんだんやる気をなくし、ついには、餌を追わなくなってしまった。
「学習性無力感」(米国の心理学者マーティン・セリグマンが発表した理論)と呼ばれる状態に陥ったのである。
これは、努力を重ねても望む結果が得られない経験や状況が続くと、「何をしても無意味」だと思うに至り、努力を放棄してしまう現象である。
こういう無気力状態に陥っている組織は少なくない。無気力は個人の中で学習されて、蓄積されていく。
それだけでなく、失敗したことがない人間にまで疑似体験として伝染していき、組織全体に広がる。
無気力感が蔓延している組織に活を入れるには、その組織に異質な人材を入れることだ。
転職者や新入社員が異質な人材の典型である。
彼ら彼女らは、無知ゆえの強さ、経験がないがゆえの強さ、非常識ゆえの強さを持っている。

半分の煎餅
お腹をすかせたある男が、お菓子屋さんで七枚の煎餅を買った。
さっそく男は家に戻って、煎餅を食べはじめた。
1枚食べ終わったが、お腹はふくれない。
2枚目を食べるが、まだお腹がふくれない。
3枚目、4枚目、5枚目、6枚目と男は次々と煎餅を食べた。
それでも、空腹がおさまらない。
残った煎餅は1枚だ。
あと1枚しかないので、残った煎餅を2つに割って食べることにした。
すると、今度はお腹が一杯になった。
その男は残った半分の煎餅を手に持ちながら、悔しそうに言った。
「俺はなんて馬鹿なんだ。半分の煎餅でお腹が一杯になるんだったら、前の6枚は食べなくてもよかった」

解説:
わずかな変化を
ばかにしてはいけない
馬鹿みたいな話である。
六枚の煎餅を食べたことを忘れ、半分の煎餅だけで腹がふくれたと勘違いした男は、「日々の積み重ねが大きな成果を生む」ことを分かっていない。

「〈1.01〉と〈0.99〉の法則」を紹介しよう。
1.01は1よりわずかに大きい。0.99は1よりもわずかに小さい。
両者の差はたった0.02。
しかしながら、このわずかな差が積み重なると、大きな違いが生まれてくる。
実際にこの2つを365回かけるとどうなるか。1.01の365乗は37.78 、0.99の365乗は0.026になる。こんなにも大きな差が生まれることに誰もが驚くだろう。
言うまでもなく365という数字は一年間を意味する。
日々1%だけ余分に努力を続けた人と、日々1%だけ手を抜いた人とでは、一年間でここまで差がつくのだ。
人生は小さな選択の積み重ねである。
その選択が、一年後のあなたの人生を決める。
あなたは、1.01を選ぶ?
それとも0.99を選ぶ?

目をなくしたカバ
1頭のカバが川を渡っているときに自分の片方の目をなくした。
カバは必死になって目を探した。
前を見たり、後ろを見たり、右側を見たり、左側を見たり、体の下を見たりしたが、目は見つからない。
川岸にいる鳥や動物たちは「少し休んだほうがいい」と助言した。
しかし、永遠に目を失ってしまうのではないかと恐れたカバは、休むことなく、一心不乱に目を探し続けた。
それでも、やはり目は見つからず、とうとうカバは疲れはてて、その場に座りこんでしまった。

カバが動きまわるのをやめると、川は静寂をとり戻した。
すると、カバがかき回して濁らせていた水は、泥が沈み、底まで透きとおって見えるようになった。
こうして、カバはなくしてしまった自分の目を見つけることができた。

解説:
「止まる」ことは「正しい」こと
コップの中の泥水をしばらく放置しておくと、やがては泥が沈み、水と泥に分かれる。
この現象はしばしば座禅にたとえられる。
座禅の禅とは何か?
 もともとはインドの「ジャーナ」という古い言葉からきているという。
「ジャーナ」とは心を静かに保つということだ。
茶色の泥水の状態は忙しさの中でもがいている日常である。
心を静かに保つことで、心の中の舞い上がった泥を沈めてみよう。
座禅を組むところまではいかなくても、私たちは毎日の生活の中に「心を静かに保つ時間」、つまり「ぼんやりする時間」をいくつも見つけることができる。
朝の駅のホームで電車を待つ時間、食堂で定食が運ばれてくるのを待つ時間、交差点で赤信号が青信号に変わるのを待つ時間、エレベーターで目的の階に向かう時間――。

つい先頃まではそういうひとときは「ぼんやりできる時間」だった。
ところが、今や私たちはスマートフォンをいじって、そういう時間をつぶしている。
何も考えずにぼんやりしているときにこそ、ひらめきが降りてくるという話はよく聞く。
机に座って髪の毛をかきむしっているとき、パソコンに向かって身もだえするとき、ひらめきは降りてきてくれない。
ひらめきという訪問者は、忙しい人を嫌い、ぼんやりしている人を好む。

禅語の中に「七走一坐」と「一日一止」という言葉がある(『心配事の9割は起こらない』枡野俊明著/三笠書房)。
「七走一坐」とは、七回走ったら一度は坐れという意味だ。
ずっと走り続けていないと仲間から後れをとってしまう──ついつい私たちはそんなふうに考えてしまう。
しかし、長い目で見れば、ずっと走り続けることは良いことではない。
しばらく走ったら休息をとり、自分の走りを見直すのが賢明である。

「一日一止」とは、一日に一回は立ち止まりなさいという意味だ。
ずっと歩き続けるのではなく、一日に一回くらいは自分の歩き方を見つめ直す。
そうすることで、正しい歩みをつくっていくことができる。
「一止」という字を見てみよう。「止」の上に「一」を乗っけてみると「正」という字になる。一日に一回、止まって自分を省みることは正しいのだ。

2人の商人
昔、江州の商人と他国の商人が、2人で一緒に碓氷の峠道を登っていた。
焼けつくような暑さの中、重い商品を山ほど背負って険しい坂を登っていくのは、本当に苦しいことだった。
途中、木陰に荷物を下ろして休んでいると、他国の商人が汗を拭きながら嘆いた。
「本当にこの山がもう少し低いといいんですがね。
世渡りの稼業に楽なことはございません。
だけど、こうも険しい坂を登るんでは、いっそ行商をやめて、帰ってしまいたくなりますよ」 これを聞いた江州の商人はにっこりと笑って、こう言った。

「同じ坂を、同じぐらいの荷物を背負って登るんです。
あなたがつらいのも、私がつらいのも同じことです。
このとおり、息もはずめば、汗も流れます。
だけど、私はこの碓氷の山が、もっともっと、いや十倍も高くなってくれれば有難いと思います。
そうすれば、たいていの商人はみな、中途で帰るでしょう。
そのときこそ私は1人で山の彼方へ行って、思うさま商売をしてみたいと思います。
碓氷の山がまだまだ高くないのが、私には残念ですよ」

解説:
「めんどくさい」が仕事のやりがい
どんな仕事にも、その仕事特有の苦労がある。
2人の商人の苦労は、普通の人ならば体一つで登るだけでも大変な山道を、重い荷物を担いで運ぶことである。
誰でもできる仕事ではあるまい。
筋力や体力はもちろんのこと、忍耐力も必要だろう。
仕事特有の苦労は、ある種の参入障壁になる。
つまり、その仕事に新たに就きたいと思う人を思いとどまらせるのだ。
世の中には、「手間ひまがかかってめんどくさいわりにはおカネが儲からない」という仕事は多い。
確かに、それはその仕事のデメリットである。
しかし、それは同時に参入障壁にもなっている。

先日、「〈プロフェッショナル 仕事の流儀スペシャル〉宮崎駿の仕事〈風立ちぬ 1000日の記録〉」という番組の再放送を見た。
この中で、宮崎が何度も発する言葉に私は衝撃を受けた。
それは「めんどくさい」という言葉だ。
「え、宮崎駿でも、めんどくさいって思うんだ」。
私は驚いた。
私は、宮崎駿レベルのクリエーターであれば、めんどくさいとは無縁だと思っていた。
しかし、違っていた。
「めんどくさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ」
「大事なものは、たいていめんどくさい」
「めんどくさくないとこで生きてると、めんどくさいのはうらやましいなと思うんです」。

めんどくさいの連発である。
私は思った。
みんな多かれ少なかれ「めんどくさい」という気持ちと戦いながら仕事をしている。
めんどくさいが仕事のやりがいを生んでいる」と考えてはどうだろうか。

3人のレンガ職人
旅人が、建築現場で作業をしている人に「何をしているのか」と質問した。
1人目の作業員は「レンガを積んでいる」と答えた。
2人目の作業員は「壁を造っている」と答えた。
3人目の作業員は「大聖堂を造っている。神を讃えるためにね」と答えた。

解説:
目の前の仕事の目的を考えてみる
3人とも「レンガを積む」という同じ仕事をしているのに、「何をしているのか」という質問に対する答えが異なっている。
1人目の職人は「レンガを積んでいる」という行為そのものを答えただけである。
2人目の職人は「壁を造っている」というレンガを積むことの目的を答えた。
3人目の職人はまず「大聖堂を造っている」という壁を造る目的を答え、同時に「神を讃えるためにね」という大聖堂を造ることの目的を付け加えている。

人間の行為は必ず「何かのために、何かをする」という構造を持っている。
1つの行為の目的にはさらにその目的が存在する。
「目的と手段の連鎖」と呼んでもいいだろう。

寓話を例にとれば、レンガを積む→壁を造る→大聖堂を造る→神を讃えるという構造になっている。
上位の目的が下位の目的を決めてコントロールしているのだ。
私はこの寓話から2つの教訓を読みとろうと思う。

第一にできるだけ広く「目的と手段の連鎖」をイメージして仕事をするのが有益であるということ。
1人目の職人より2人目の職人、2人目の職人よりも3人目の職人の方が有意義な仕事ができることは容易に想像できる。
ドストエフスキーは、人間にとって最も恐ろしい罰とは、「何から何まで徹底的に無益で無意味な労働」を一生科すことだと言っている。
朝からレンガを積み上げ、夕方に一日かけて積み上げたレンガを壊すという仕事を想像してみよう。
これは、まったく意味のない仕事である。
実際の仕事の場面ではこれほど無意味な仕事が与えられることはまずないだろう。
しかしながら、その仕事が持っている意味を十分にわかっていないまま仕事をしていたり、非常に狭い範囲の「手段と目的の連鎖」しか知らされずに仕事をしていることは多いのではないか。それは、囚人に与えられる拷問と五十歩百歩かもしれない。

第二の教訓は自分の仕事は私の幸福や私たちの幸福とどうつながるのかを考えるということだ。
先に述べた「手段と目的の連鎖」はどこまでも無限に続くのかというとそうではない。
哲学者のアリストテレスによれば、「……のために」という目的の連鎖は「なぜなら幸福になりたいから」という目的にすべて帰結する。
たとえば、朝に洗面所で身だしなみを整えている大学生を考えてみよう。
「何のために顔を洗ったり、髪をとかしたりするのか」
「学校に行くためだ」
「何のために学校へ行くのか」
「良い仕事に就くためだ」
「何のために良い仕事に就きたいのだ」という問いかけの連鎖は「良い人生を送りたいためだ」となり、それは「幸福でありたいためだ」と同じことを意味する。

同様に、会社員が現在している仕事に着目し、その目的を掘り下げていけば「良い人生を送りたいためだ」となる。
そして、それは「幸福でありたいためだ」というところに行き着く。
自分がしている仕事は、私の幸福や私たちの幸福とどうつながっているのだろうか?
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月05日

識者もブーイング 安倍政権「裁量労働制」拡大狙い

識者もブーイング
安倍政権「裁量労働制」
拡大狙いの欺瞞
2018年2月3日 日刊ゲンダイ

合法的に残業代を支払わないで労働者に残業を強いる(制度だ)
 2日の衆院予算委で、立憲民主の西村智奈美議員が声を荒らげた「裁量労働制の拡大」。
安倍政権が掲げる「働き方改革」の関連法案の目玉だ。

西村の質問に対し、加藤勝信厚労相は「(裁量労働制が)不当に適用されている事例がある」と認めつつも、「多様な働き方の実現で長時間労働を是正する」とノラリクラリだったが、まったく冗談じゃない。

 残業代は支払われないものの、労働者が働く時間を自由に決められる――とされている裁量労働制。だが、これはあくまで原理原則。
タテマエであって現実はそうなってはいない。

 厚労省が2013年に実施した「裁量労働制等に関するアンケート調査」。
現行の裁量労働制のもとで働く労働者(1303人)に対する調査結果をみると、約2割が「不満」「やや不満」と回答しているのだ。

しかも、不満の理由では「労働時間(在社時間)が長い」(43.2%)が圧倒的で、ちっとも長時間労働の是正になっていないのが分かる。
「業務量が過大」も40.2%で、「給与が低い」も33.2%だ。

厚労省が所管する独立行政法人「労働政策研究・研修機構」が14年5月に公表した裁量労働制の調査でも、<仕事の進行中に追加の仕事が命じられる頻度>について、「たまにある」「日常」と答えたのは、「専門業務型裁量制」で87.7%、「企画業務型裁量制」で91%。「通常の労働時間制」(88.4%)と比べて、会社に拘束される状況はほぼ変わらないというワケだ。

■実態は残業代の削減と
    長時間労働の助長
 厚労省は、裁量労働制が適切に運用されているか調べるため、全国約1万3000の事業所を対象に自主点検を求め始めたが、企業に悪用されるかもしれない制度を拡大しようなんて、安倍政権はどうかしている。

経済ジャーナリストの荻原博子氏がこう言う。
裁量労働制は、企業にとって都合の良い“定額働かせ放題制度”。
政府は労働者の生産性を高めるために『働き方改革』と言っていますが、やっていることは残業代の削減と長時間労働の助長です。
経営者に労働の合理化や効率化を考えさせる制度でなければ、生産性なんて上がりませんよ」  

安倍首相も麻生財務相も世襲議員として生まれた時からカネを稼ぐのも仕事も苦労ナシ。
汗水流してマトモに働いて収入を得たこともないから、「働く」ということがまるで分かっちゃいない。
だから、こんなバカな法案を「働き方改革だ」と平気で言っている。

オツムの弱い2人が総理、副総理なんて国民は本当に不幸だ。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月06日

年間十数億円も。内閣官房機密費という裏ガネは誰に配られる?

年間十数億円も。
内閣官房機密費という
裏ガネは誰に配られる?
2018.01.26 MAG2NEWS
1944 by 新 恭(あらたきょう)
国家権力&メディア一刀両断

これまでその使途等の一切が「合法的」に非開示とされてきた内閣官房機密費ですが、先日最高裁からその一部開示を認める判決が出されました。
そもそも年間十数億円とも言われる官房機密費は本当に必要なのでしょうか。

メルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では著者で元全国紙社会部記者の新 恭さんが、これまでに明るみになった機密費を巡るさまざまな「事実」、そして複数の政治家が暴露した「真実」等を取り上げながらその是非を問うています。

内閣官房機密費という
マル秘資金はほんとうに
                  必要なのか
裏金ではないが、裏金のような秘密の公金が官邸には存在する。
年間十数億円。
いわゆる内閣官房機密費というやつだ。
官房長官が受け取り、領収書なしで何にでも使える。

これまで政府はこのカネの支出に関する文書を全て非開示としてきたが、一部の公開を求められることになった。
市民団体「政治資金オンブズマン」が
小泉内閣の約11億円
▽麻生内閣の約2億5,000万円
▽第2次安倍内閣の約13億6,000万円の官房機密費支出について、関連する全文書の開示を求めていた裁判。

最高裁は1月19日、関連文書のうち、「政策推進費受払簿」の開示を認め、これまで「全面不開示」としていた国の処分を取り消した。
これにより、官房長官のポケットに入った金額と時期が明らかになる。
ただし、何に使ったか、誰に支払ったかはこの文書には記載されていない。

菅義偉官房長官は19日の記者会見で「判決を重く受け止め適切に対応したい」と繰り返した。 使途や支払先が開示されないため、1月20日の毎日新聞は以下のように、ややネガティブな見方を示した。

今回の判決によって、時の政権が踏み込んで開示する可能性はかえって低くなるとみられる。

だが、官房長官が官邸の金庫からいつ、どのくらいの金額を引き出していたかが、これまでは分からなかったのである。
それを国民が知ることができるのは一歩前進に違いない。
市民団体のメンバーは「開かずの扉をこじあけた」「11年もかかったが、やってきてよかった」と最高裁の判決を評価した。

ずっと噂の域を出なかった官房機密費の実態が世間に露わになったのは、2009年の政権交代がきっかけだった。
総選挙で民主党が勝利した直後、麻生内閣の河村官房長官が2億5,000万円を引き出したことが、民主党政権のもとで明らかになった。
ふつうはいったん、官邸の金庫に納め、必要に応じて使っていくのだが、早技で持ち去ったのだ。

新政権の平野官房長官が就任したとき、官邸の金庫には一銭もなかったという。
2億5,000万円を短期間で何の支払いに充てたのか。
時期が時期だけに「選挙費用に流用したのではないか」などと憶測を呼んだが、河村氏は「使途は非開示だ」と突っぱねた。
政権交代がなければ、使途はもちろん2億5,000万円の公金が官房長官の手に渡った事実すら明るみに出ることはなかった。

繰り返しになるが、今回の最高裁判決に政府が従い「政策推進費受払簿」が公開されると、政権交代などという特殊な状況下でなくとも、官房長官に渡った機密費がいくらなのかを国民が知りうることになる。
その意味では毎日新聞の記事のように判決内容をネガティブにとらえる必要はないだろう。

内閣官房機密費。公式には報償費という。
会合の飲食代や情報協力者への謝礼など「調査情報対策費」、慶弔費や交通費、贈答品などに支出する「活動関係費」のほか、今回一部開示の対象となった「政策推進費」がある。

重要なのは、官房長官が領収書不要で支出できる「政策推進費」であり、機密費の大半がこの費用に消えてゆく。
内密の事柄であるため、これに関する確たるデータは、民主党政権下で公表された過去のものしかない。
それによると、官房機密費は2002年から2009年まで毎年、14億6,000万円が予算計上され、内閣情報調査室の活動に充てる2億円ほどを差し引いた残りの12億円余りを官房長官が自分の裁量で使っていた。
それだけでも官邸のマル秘資金は潤沢であることがわかる。

だが過去の自民党政権は、そのうえに、外務省から外交機密費の上納までさせてきた。
上納は佐藤政権時代から始まったといわれる。
内閣官房機密費を使いすぎて足りなくなり、佐藤首相は予算の増額を望んだが、やりすぎると目立つので、その分外務省に予算をつけ、秘密裏に官邸が横取りして、マル秘資金をふくらませた。
それが長年の慣習になっていたのだ。
森内閣のころだったか、55億円といわれた外交機密費のうち20億円をそれまで毎年、官邸に還流させていたことがわかり、国会で問題になったことがある。

当時の官房機密費12〜15億円に外交機密費からの流用分20億円を足すと、すごい金額になる。

外務省の額が多いのは、在外公館における要人接待、情報交換、情報収集などに使うという前提があるからだろう。
ところが、こういう資金は機密性をもつだけ裏金に化けやすい。
検察や警察の調査活動費の私的流用問題も同じことだ。

その後、小泉政権で、田中真紀子氏が外務大臣になり、「伏魔殿」の実態を暴こうと、外交機密費の上納を証明する資料探しを始めた。
それも、外務省幹部が田中真紀子追放を画策する一因になった。
官邸の要請で上納していたのだから、外務省と結託して当時の福田官房長官が真紀子更迭に動いたことは、少しも不思議ではない。
さすがにそれからは、外交機密費の上納がストップしたといわれているが、本当かどうかは不明である。

国家のインテリジェンスに関わることなら納得もできる。
しかし、内閣情報調査室にまわす資金はそのごく一部で、会計検査院から使途のチェックを受けないのをいいことに、多くが自民党の党利党略に使われていたことは政界の常識だ。
その旨味を知り尽くした男が、このカネの使途をごく一部ながら暴露し、世間を驚かせたことがある。
小渕政権で官房長官をつとめた野中広務氏だ。

野中氏は、官邸の金庫から毎月、
▽首相に1,000万円、
▽衆院国対委員長と参院幹事長にそれぞれ500万円、
▽首相経験者には盆暮れに100万円ずつ渡していたという。

衆参の国対関係者に機密費を渡していたのは野党工作のためだろうが、首相経験者への高額な現ナマ贈答は、単なる分け前としか思えない。

官房機密費について、「参院自民党の天皇」と呼ばれた村上正邦氏や元共産党参院議員、筆坂秀世氏、それに国会職員、参院議員をつとめた平野貞夫氏の三人が『自民党はなぜ潰れないのか』という本のなかで、次のように話している。

村上「わしももらった、国対委員長のとき」
筆坂「それはそうでしょう」
村上「幹事長のときも持ってきたよ」
筆坂「やっぱり相当持って来ましたか」
村上「いや、それはそのときの官房長官によって違うね」
平野「それから与野党が激突するような案件があれば、やっぱりはね上がりますから」
村上「野党対策だけじゃない、与党内の対策にも機密費を使っている、それと私物化ですよ。飲み食いの費用にも、あるいは派閥の子分にも渡っている。闇の中ですよ」

野中氏は「世論操作のため複数の政治評論家にカネをばらまいた」とも証言した。
前の官房長官から引き継いだノートに、政治評論家も含め、ここにはこれだけ持って行けと書いてあった。

持って行って断られたのは、田原総一朗さんただ1人

政治家から評論家になった人が、「家を新築したから3,000万円、祝いをくれ」と小渕総理に電話してきたこともあった

配った本人が言っているいるのだから、間違いない。
ペンや輪転機や電波をバックに、金品をたかるなど、ジャーナリストの風上にも置けない。
いまの安倍官邸を取り巻く御用ジャーナリストたちはどうなのだろうか。

野中氏は官房機密費の実態を暴露したさい、「国民の税金だから、政権交代を機に改めて議論し、官房機密費を無くしてもらいたい」と、証言にもっともらしい理由をつけた。
むろん、年間十数億円もの資金を封じ込める圧力を新米の民主党政権にかけた感もあった。
だがその意図はどうであれ、官房機密費そのものに疑念を生じさせる証言だったのは確かだ。

官房長官からもらうカネほど安心して受け取れるものはない。
暗黙のうちに機密費から出ていると思えば、それを政治資金だろうと愛人だろうと遊興費だろうと、何に使っても誰にも咎められることはない。
まさにブラックボックスのカネの出入り。
絶対に表に出ない裏金である。

野中氏が「官房機密費を無くしてもらいたい」と先手を打ったために、鳩山政権の官房長官、平野博文官房長官は「そんなものがあるんですか」と空とぼけた。
その後の会見で平野氏は「内閣・政府にとって重要な情報収集に対する対価であり、オープンにしていくことは考えていない」と建前論をぶって非開示を継続し、いまに至っている。

「情報収集の対価として支払う」というが、そんなことが毎月1億円を使わねばならないほどあるとは思えない。
事実、他の目的でカネが配られていることをかつての官房長官が証言しているのである。
月に1億円ものカネを自由に使えるとなれば、使途公開という縛りはかけられたくないだろう。

だが、「そもそも論」として、官房機密費が必要なのかどうかを考えてみなければなるまい。
実態と建て前がかけ離れたものに予算をつけるのは、官邸利権の温存に過ぎないのではないか。

市民団体「政治資金オンブズマン」のメンバーは裁判所の判決が出た直後、内閣官房に出向き「開示決定をせよ」との要請文を手渡そうとしたが、拒否されたという。
「よほど公開が嫌なのだろう」と、メンバーの一人は言った。

モリ・カケ疑惑もそうだが、官邸の深い闇からは血税を吸う、どんな怪物が飛び出してくるかわからない。

MAGMAG
初月無料お試し購読OK!有料メルマガ好評配信中
国家権力&メディア一刀両断
[月額864円(税込) 毎月第木曜日]
記者クラブを通した官とメディアの共同体がこの国の情報空間を歪めている。
その実態を抉り出し、新聞記事の細部に宿る官製情報のウソを暴くとともに、官とメディアの構造改革を提言したい。 
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

安倍首相はそれでも生活保護受給者をいじめるのか

札幌支援住宅火災11人死亡
安倍首相はそれでも
生活保護受給者をいじめるのか
2018/02/06 週刊女性PRIME

「室内からボーンッ、ボーンッって爆発音がして、ガラスの割れる音が続いた。
音の恐怖がすごかった」と119番通報した男性はその夜を振り返る。

今でも耳に残る悲鳴  
 生活困窮者の支援を掲げる札幌市東区の共同住宅「そしあるハイム」で1月31日午後11時40分ごろ火災が発生し、木造2階建て約400平方メートルが全焼、女性3人を含む計11人が死亡した。
 入居者16人中、13人が生活保護受給者だった。
家賃は食事代別の月3万6000円で風呂、トイレ、食堂は共用。
60〜80代の高齢者が多く、天気がいいときは共同住宅前のベンチに座って談笑するなど仲がよかったという。

 冒頭の119番通報をした男性は、近くで焼き鳥店を経営する五十嵐隆之さん(70)。
深夜に帰宅したとき共同住宅から煙が出ているのに気づき、通報すると同時に、鉄製のスコップを持って駆け寄った。
「身体の不自由な人などいろんなじいちゃん、ばあちゃんが暮らしていると知っていたし、1階の窓には全部木製の格子がはめられていて何かあったら危ないんじゃないかと前々から思っていたから本能的に動けた」と五十嵐さん。

 スコップをテコのように使って木製格子をはずし、1階の男女1人ずつを部屋から引っ張り出した。
まだ消防隊は到着しておらず、五十嵐さんの日ごろの観察眼と迅速な行動が命を救ったといえる。
 ほどなく2階から「助けて。助けて」と女性の声が聞こえた。
しかし、火の勢いは増し、2階に上がる手段はなかった。
女性の声はだんだん小さくなり、消防車のサイレンが聞こえ始めたときには声は聞こえなくなっていたという。

「その声が耳に残っている。ただ悲鳴を聞いているだけで何もできなかった。助けてあげたかった」(五十嵐さん)
 五十嵐さんの両手の甲はいまもヒリヒリしている。
熱を含んだ煙に触れてヤケドを負ったと気づいたのは、しばらくたってからだった。

 火災の1週間前、1月24日の東京・永田町。
衆院本会議の代表質問で立憲民主党の枝野幸男代表は、10月から実施される生活保護費切り下げについて迫っていた。
「現場の実態に目が向いていない。
今回の見直しで子どものいる世帯の4割以上、ひとり親世帯に絞っても4割近くが減額になり、全体では3分の2を超える世帯で減額になる。
減額規模は月数千円とはいえ生活保護で何とか暮らしているみなさんにとって月1000円は大金。
減額部分については中止するべき」(枝野代表)

 答弁に立った安倍首相は、「減額となる世帯への影響を緩和するため、減額幅を最大でも5%以内としつつ、3年かけて段階的に実施する」などと言い訳に終始した。

子育て世帯にも冷たい
 全体の削減額は3年間で国費計約160億円にのぼる。
生活困窮者の支援などに取り組む反貧困ネットワーク埼玉の藤田孝典代表は「生活保護費引き下げは暴挙」と話す。

「2013年からも3年かけて引き下げられています。
受給世帯にどのくらいダメージがあったのか、生活保護基準と連動するほかの制度にどのような影響があったのか、検証しないまま再び引き下げるのは拙速です」と藤田代表。

 札幌の共同住宅火災をめぐっては、入居者の地味な生活ぶりが各メディアで報じられた。
藤田代表によると、実際、生活保護を受ける高齢者の暮らしは質素だという。
食費を抑えようと1日2食に減らしたり、夕方以降のスーパーの値下げ品しか買わなかったりします。
衣服なんて年に1回、買うかどうか。
これがGDP(国内総生産)世界3位の日本で、健康で文化的な最低限度の生活水準といえるでしょうか」(藤田代表)

 受給者は高齢者だけではない。
今回の見直しではほかに、ひとり親世帯の母子加算は平均月4000円減額される。
児童養育加算についても3歳未満は月5000円の減額。
その反面、児童養育加算の対象は現行の中学生までから高校生まで拡大される。
安倍首相は得意げにアピールしていた。
どう評価すればいいのか。

 花園大学社会福祉学部の吉永純教授(公的扶助論)は、
「加算のプラスマイナスだけを見てはいけません」として次のように説明する。

「保護費本体と加算の合計でみると、大都市部では例えば夫婦と子ども2人の4人世帯には、現行で月額約20万5000円出ていますが、2020年度には19万6000円まで減らされます。
 あるいは小・中学生の子ども1人ずつを育てる母子世帯でみると、現行月約20万円の保護費が'20年度までに19万2000円に減ってしまいます。
子ども2人を持つ世帯についてはかなり減額される見込みですので、子育て世帯に冷たいと言わざるをえません」(吉永教授)

 同教授は今回の見直しについて、「比較対象がおかしい」と指摘する。
低所得者の下位10%の所得と比べて、生活保護受給者の保護費のほうが高くなっているから下げるというのは間違っています。
その10%の人たちには、やむなく生活保護基準以下の暮らしをしている人がたくさんいます

受給者の子どもにも影響が
 生活保護は自家用車を持ってはいけないとか、貯金はダメなどと制約が厳しい。
受給者は有資格者の2〜3割にすぎないとの見方がある。

 吉永教授は京都市職員として、生活保護ケースワーカーに12年半、従事した経歴を持つ。
受給者にはタチの悪い人も多いとの声もあるが、実際はどのような人たちなのか。
「本当につつましい。もらえるものはもらっとけ、みたいな人はめったにいませんでした。
肌感覚で言えば、受給者の98%は世の中の片隅でおとなしく生活している。
さまざまなメディアが不正受給者のニュースを取り上げますが、それはあくまでごく一部の人です」(吉永教授)

 同教授は、シングルマザーが追い詰められている実態も見過ごせないという。
「OECD(経済協力開発機構)加盟35か国の中で、日本はひとり親の貧困率が50%超と最も高く、ひとり親の就労率も80%超でトップです。
つまり日本のシングルマザーたちは世界でいちばん働いているのに世界でいちばん貧困にあえいでいる」(吉永教授)

 その影響は子どもにも出る。
「ひとり親世帯の子どもはけなげ。親に代わって家事をこなしたり、なるべくお金を使わないように家にいる。
弟や妹の世話をする。
早く親を経済的に助けたいと大学進学を諦める子も多い。
そんな状況下で保護費を下げるか、と疑問に思っています」と吉永教授。

 火事から生活保護受給者を救おうと闘ったのは近所の男性だった。
国民の命を守るはずの首相はお金を奪おうとしているだけ。
安倍政権の提唱する女性活躍や子育て支援は口先だけなのか。
弱い者いじめはやめてほしい。
posted by 小だぬき at 18:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月07日

「メールを返信してこない人」はなぜ返信してこないのか?

「メールを返信してこない人」は
なぜ返信してこないのか?
2018/02/05 HARBOR BUSINESS Online

山口 博(やまぐち・ひろし)】
グローバルトレーニングトレーナー。

 大学生、新入社員から役員まで、各層に対してリーダーシップ開発プログラムを実施していると、各層の人々との間で頻繁にメールのやりとりが発生します。

◆年齢? 多忙さ? 
メールの返信をして来ない人の傾向
 プログラム参加者に限らず、各層とメールのやりとりをしてきた私の肌感覚をふまえると、最近になるほどに、メールの返信率が下がっているような気がしてなりません。
 返信してくれる人と返信してくれない人の傾向について、業務多忙さに相関があるのではないかという仮説を持っていました。
多忙な人は返信してくれず、比較的多忙でない人が返信してくれているのではないかと考えたわけですが、どうも異なるようです。

 一般に年齢が上がり職責が重くなるにつれて多忙になるわけですが、注意深く見てみると……年齢が下がるほど返信率が下がり、年齢が高い人ほど返信率が高いという傾向が、あくまで私とのメールのやりとりの状況だけからですが、わかってきました。
 だとすると、私との関係の近さ、遠さにもよるのではないでしょうか? 

 しかし、毎月2度、半年間にわたってかなり密度濃く演習している間柄でも、メールの返信をして来ない人もいれば、コンタクトの密度ははるかに薄くともにすぐに返信してくる人がいます。  

私個人の経験に基づくだけの、かなり乱暴な切り口であることを承知の上でメール返信率についての傾向をまとめると、次のようなことが言えるのではと考え始めています。

《メール返信率についての傾向》
1:年齢が若ければ若いほどメール返信率が低い。
2:所属企業がベンチャー企業であったりして組織の縛りが希薄であればあるほどメール返信率が低い。
3:学歴が高ければ高いほどメール返信率が低い。

 メールを返信して来ない人の何人かと雑談をする中で、その理由を聞いてみました。
すると、私にとってはとても意外な答えが返ってきたのです。

◆業務効率の追求は必要だが、
     返信まで省略するのはアリ?
 メール返信してこない人に理由を聞いてみると、次のような答えが返ってきました。

《メールを返信しない理由(未開封編)》
●多忙でメール内容を確認できずに、返信できなかった
●業務効率を追求する中で、タイトルを見て、開封するメールと、開封しないメールを瞬時に判断しているので、開封しないメールについては、返答していない
●優先順位を付けて返信している。緊急や重大な要件であれば、督促メールや電話連絡が来るだろうから、それから対応するようにしている
●基本的にあまりメールに頼らない。重要な案件はLINEやFacebookのメッセージで迅速にやりとりしている

 これらは、メールを開封していないケースです。
次に、メールを開封している人が返信しなかった理由を聞くと、次のような声が返ってきました

《メールを返信しない理由(開封するも未返信編)》
●どのように返信したらよいか考えているうちに、時間がたってしまった
●依頼に対しての対処が完了していないので、意識はしていたが、返信していなかった
●次に会った時に、口頭で話そうと思った
●依頼に対して断るのは失礼なので、応じられないという意思を、返信しないことで示そうとした

 メールを開封していないケースの人の、受信箱を見せてもらいましたが、確かに未読のメールがずらりと並んでいました。
多忙で開封できなかったのか、タイトルを見て判断しているかの違いはあるが、未読であれば返信しようがありません。

 業務効率の追求する観点で、優先順位付することは極めて重要です。
しかし、優先順位を付けた上で、優先順位の低いメールに対しても、短かろうとも丁重に、今は対応が難しいことや、依頼に応えられないという主旨のメール返信をして、少なくともある程度の関係性を維持することも一つのビジネス手法ではないでしょうか。

 LINEやFacebookでやりとりするのであれば、それらでコンタクトして返信すればよいだけのことです。
私がやりとりしている中国のビジネスパーソンは、ほとんどがWeChatでのやりとりをしています。
お互いがそれをわかっていればよいだけです。
 一方、メールを確認した上で返信していないケースは、問題の根が深いです。

◆賛成なのか反対なのかわからない
 どのように返信したらよいか考えているうちに、時間が経ってしまったケースや、依頼に対する対処が完了していないケースでは、とりあえず、これから検討したり対処したりするので、まずはメールを受信したという返信をするだけでもよいと思います。
 同様に、次に会った時に口頭で話そうと思ったのであれば、その旨をメール返信すればよいでしょう。

 依頼に対して断るのは失礼なので、応じられないという意思を、返信しないことで示そうとしたというケースは、これは受け取る側によっては、異論がないから返信しないケースと、賛成できないので返信しないケースとの峻別が難しいのです。

 私がかつて在籍したグローバル企業では、メール返信してこない海外オフィスの同僚が実にたくさんいました。
日本法人の中では、
Aさんが返信して来ないのは少なくとも反対しないという意思表示、
Bさんが返信して来ないのは賛成しないという意思表示、
Cさんは不明……という解読表のようなものがあったほどです。

 一般社団法人日本ビジネスメール協会の調べによれば、7割を超える人が「1日(24時間)以内」に返信が来ないと遅いと感じるといいます。

 本人にとっては業務効率の向上であるかもしれませんが、周囲にとっては非効率極まりなく、またストレスを感じさせる事態を生んでしまっているのです。
【山口博[連載コラム・分解スキル・反復演習が人生を変える]第69回】

山口 博(やまぐち・ひろし)】
グローバルトレーニングトレーナー。
モチベーションファクター株式会社代表取締役。
国内外企業の人材開発・人事部長歴任後、PwC/KPMGコンサルティング各ディレクターを経て、現職。
近著に『チームを動かすファシリテーションのドリル』(扶桑社、2016年3月)、『クライアントを惹き付けるモチベーションファクター・トレーニング』(きんざい、2017年8月)がある。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(8) | 交友関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月08日

米騒動から100年 2.16デモ“納税者一揆”は当時と状況酷似

米騒動から100年
2.16デモ“納税者一揆”は
当時と状況酷似
2018年2月7日 日刊ゲンダイ

 新証拠が次々と見つかり、再燃している森友疑惑。
それでも、安倍政権は、昭恵夫人と佐川国税庁長官をかばい続け、ふざけた答弁を繰り返している。

もうすぐ、佐川長官の下、確定申告が始まるが、国民の怒りは爆発寸前。
「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」が確定申告の始まる2月16日に「納税者一揆」というデモを計画している。

 今年は1918年の「米騒動」から
     ちょうど100年。
驚くことに、当時と今の政治状況は酷似している。
 日本は「一揆大国」だ。
徳政令を求めた「正長の土一揆」(1428年)や、
約8年間の自治を実現した「山城国一揆」(1485年)など、さまざまな一揆が日本の政治を動かしてきた。

安倍首相が大好きな“明治維新”も、江戸末期、百姓一揆などで幕府が弱体化していたからうまくいったのである。

■寺内元首相と安倍首相の類似点
 100年前の米騒動は、今の日本にソックリ。
山口県出身の寺内正毅首相は、政党や憲法を軽視。
官邸主導のいわゆる“超然内閣”である。
寺内元首相は、とがった頭と吊り上がった目の神様「ビリケン」に似ていたため、「ビリケン(非立憲)宰相」と呼ばれた。
立憲主義に無理解な安倍首相に通じるところがある。

 経済状況も似ている。
当時、第1次世界大戦中のインフレ政策で、物価が上がっても賃金が上がらない。
国民は実質賃金の低下に悲鳴。
投機筋が幅を利かせ、おカネは“成り金”など一部の人に集中していた。

安倍政権でも、消費増税と円安で物価が上がるが、賃金横ばい。
その上、富める者だけがいっそう富むばかり。

外交でも、寺内元首相はシベリア出兵、安倍首相は北への圧力を強めている。

 米騒動は、生活難に耐え切れなくなった富山県魚津の漁民婦人が立ち上がり、自然発生的に全国に拡大。
約70万人が参加する大国民運動となった。
はたして、寺内元首相は退陣し、「平民宰相」こと原敬内閣が誕生。
その後、大正デモクラシーや護憲運動の流れにつながる。

 会のメンバー、醍醐聰東大名誉教授が言う。
「佐川長官の栄転だけではありません。
安倍首相の『適材適所』発言や麻生財務相の“ニタニタ答弁”など、国民はコケにされたと感じています。
デモの計画を公開すると『こういう場を待っていました』『デモは初めてです』『子連れでも参加できますか』などの反応がありました。
米騒動ではありませんが、誰かに言われてではなく、自発的に参加したいという気持ちが伝わってきます」

 参加者が“自然発生的”なのもソックリだ。
「平成の米騒動」は安倍内閣を倒せるか。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自民党のレベルが分かる

熱血!与良(正男)政談
自民党のレベルが分かる
毎日新聞2018年2月7日 東京夕刊

 与党の質問時間を増やしたところで、ほとんどマイナスにしかならない。
それが改めて分かったと言うべきだろう。

 通常国会が始まって2週間余。
与野党の質問時間配分が変わった衆院予算委員会の質疑に私も注目していたけれど、見ての通りの有り様だ。

 自民党議員から「首相を大いに応援していきたい」等々の礼賛型質問(応援演説)が相次いでいるだけではない。
 同党の堀内詔子氏は予定の質問時間(45分)を1分ほど残して切り上げようとして野党からヤジを浴び、おたおたする姿をさらけ出した。

 私は本欄で、昨秋の特別国会で登壇した自民党の岸田文雄政調会長の代表質問を評価したことがある。
だから今度も少し期待していたのだ。
 しかし、その岸田氏も財政再建の重要性を説いたものの、安倍晋三首相は例によって5年間の実績をアピール。「経済再生なくして財政健全化なし」と力説する首相に、押し切られるだけだった。
これを「論戦」とはとても言えない。

 質問時間配分に変更はなかった参院予算委の審議にも驚いた。
極めつきは、やはりこれだろう。
 安倍首相が韓国・平昌(ピョンチャン)冬季五輪の開会式に出席することについて、自民党の宇都隆史氏は「本当は(首相は)行きたくないとも感じる。行くのをやめようと思ったら、インフルエンザに罹患(りかん)する手もある」と首相に持ちかけた。
何と「仮病のすすめ」である。

 出席に反対している人たちの本音でもあるだろうし、この議員が笑いを取ろうとしたのも間違いないだろう。
実際、安倍首相も笑っていた。
 だが、ことは日韓関係や北朝鮮問題に直結する深刻な課題だ。
こうしたやり取りが堂々と、いや軽々しく国会の場で交わされるところに、怖さや恐ろしさ、そして悲しさを感じたのは私だけではないと思う。

 そう考えていくと、与党質問に注目することで、ただ一つ、プラスの効果があるとすれば、今の自民党議員のレベルがどの程度か、よく分かることかもしれない。

 私からすれば、自民党執行部がなぜ、「恥ずかしいし、選挙にもマイナスだから、直ちに野党に質問時間を返せ」と言い出さないのか、不思議なほどだ。
          (専門編集委員)
posted by 小だぬき at 13:30 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月09日

両極端の健康情報に迷い惑う人間の哀しい性、うつ病に薬は効くのか効かないのか

両極端の健康情報に
迷い惑う人間の哀しい性
うつ病に薬は効くのか効かないのか
2018年02月08日 東洋経済

五木 寛之 : 作家

ネットに、テレビに、新聞に……日々溢れる医療・健康情報。
健康への過剰な不安から、それらの情報に右往左往するこの暮らしぶりを、私たちはこのまま続けていくのか?
 衝撃の話題作『健康という病』(五木寛之著)から、大反響の箇所を抜粋してお届けします。

健康問題関連記事の花ざかり
このところ、というか、この数十年来、健康問題関連記事の花ざかりである。
新聞、週刊誌をはじめ、テレビ番組でもそうだ。
カラスの鳴かぬ日はあっても、マスコミに健康問題がとりあげられぬ日はないのではないか。

それらの記事や番組は、それなりに充実していて、そこがおそろしい。
医学界の専門家のコメントもちゃんと添えられているし、文章や構成も巧みである。
テレビの場合は、映像が迫力があって、がんの患部のクローズアップなど見ていてギャッと叫びたくなるくらいだ。

仕事部屋に散乱している週刊誌をアトランダムにめくってみる。

〈大反響第2弾・絶対に受けてはいけない がん「免疫療法」と「民間療法」実例報告〉
大反響第2弾とあるからには、最初の記事に相当な読者の反応があったのだろう。

〈あなたが飲んでるその薬、「海外ではもう使われていません」でした〉
この記事には具体的に有名な薬品の実名があげられている。
糖尿病薬、鎮痛剤、抗生物質など、おなじみの薬がぞろぞろ出てきて、読んでいてゾッとする読者も多いのではあるまいか。

〈「漢方」の大嘘 死者まで出ている「副作用」事典〉
これも大反響を呼んだらしく、第2弾の特集が予告されている。

一方、新聞も健康記事の大ブームだ。
以前は「こうすれば痩せられる」とか、「健康になる食品レシピ」などという役立ち記事が多かったが、最近はそうではない。

「絶対受けてはいけない○○手術」だの「この病院が危い!」「専門医が隠す術後死」といった刺激的見出しが並んでいる。
医療や治療法にも、流行がある。

かつてコッホの細菌説が大流行したころ、第二軍兵站医学部長だった森鷗外が、「脚気(かっけ)細菌説」にこだわって、陸軍に大きな被害を出したことは有名だ。
以前、精神科医の学会に呼ばれて講演をしたことがあった。
そのころは新薬が次々に登場して、「多薬・大量投与」というのが流行だった。
その学会のパンフレットにも、製薬会社の広告が目白押しで、画期的な新薬の効果が大々的にうたわれていたのである。

心療内科医の手記には
    ショックを受けた
最近、読んだ記事に、「鬱病には薬は効かない」という心療内科医の手記があって、これにはショックを受けたものだった。

その心療内科の医師の手記は、自分のこれまでの経験と、新しい治療情報の紹介が過不足なくまとめられていて、とてもいい記事だったと思う。
しかし、読後なんとなく違和感が残ったのは、その医師があまりにも率直で良心的なことだった。
文中に、これまでの治療方法についての反省が出てくる。
さまざまな薬品を患者に投与しながら、ずっと疑問を抱いていたというのだ。

医学界で推薦されている新しい薬を、いくら投与しても病状が好転しない。
専門の雑誌や学界の論文で、実証的なエビデンスをもとに効果ありとされている薬なのだ。
結局、その心療内科の医師が出した結論は、鬱病に薬は効かない、ということだった。

将来、どんな画期的な新薬が開発されるかはわからないが、目下のところ鬱病の治療に明確な効果のある薬は見当らない、というのである。

その医師の良心的な姿勢と、業界に対する勇気ある発言には敬意を表するが、私たちの側としてはどこかに首をかしげたくなるような気持ちが残ったことは事実だった。
2、3年前まで投薬治療を受けていた患者の立場はどうなるのか。
医学の進歩が、常にトライ・アンド・エラーの繰り返しの上にもたらされることはわかる。
しかし後になって、あれはまちがっていました、ではたまったものではない。
こういうことは多かれ少なかれ、現実にはよくあることだ。

しかし、そうなると画期的な新しい療法が開発されて、それを推(すす)められた場合にはどうするか。
電気製品だろうとジェット旅客機だろうと、科学の進歩は常に欠陥と誤ちの改良修正によって実現するのだ。
しかし、きのうまで信じて飲んでいた薬が、あれは無意味でした、と良心的に言われてもなあ。

医学は進歩し、
専門家の意見は分かれる
私は寝るときに、横になって寝る。
いわゆる横臥位(おうがい)だ。
もう何十年もそうやって寝ている。
べつにお釈迦(しゃか)さまが横向きに寝ていたからというわけではない。
なんとなくそうしてきた。
また、横臥位をすすめる専門家も少くない。
あの故・日野原先生も、あお向けになって寝る動物はいない、とかおっしゃっていたのを聞いたことがあった。

ところが、それと反対の意見を持っておられる医師のかたもいらして、はたしてどちらが正しいのかと目下、迷っているところなのだ。
こういう正反対の意見が、健康論にはしばしばある。

一日何リットルの水を飲めという意見がある一方で、まったく反対の説もある。
水毒という言葉もあるくらいだから、喉が渇いたときにチビチビ飲めばよい、とか、どちらもなるほどと思う点があるので困ってしまうのだ。

私の脚の不都合についても、ある人はアイシングをしなさい、という。
ある人は温めて血行を良くすべきだと力説する。
また、痛む脚で無理に歩くな、とアドバイスしてくれた専門家もいた。
駅の階段などあがるな、必ずエスカレーターを使え、というのである。

逆に体は使わなければ衰える。少々辛くてもできるだけ歩くように、と教えてくださった医師もいた。
まあ、こういうことは、すべてにわたって出会う問題だ。

がんは早期発見、早期治療が鉄則、と力説するかたもいるし、検査などしないほうが幸せです、と自信をもって説くかたもいらっしゃる。

正反対の意見、それも学識経験の豊富な専門家の発言なのだから、一般の人が迷わないほうがおかしい。
しかし、結局のところ人は自分が欲することを選ぶのだ。
迷うのも人間性である。

以前、ある文壇の先輩ががんになった。
ずっとそのかたは「がんになったら一切治療なんかしない、そのまま受け入れる」と断言しておられた。
だが実際にその状況に直面すると、ありとあらゆる民間療法に狂奔されていた。
それもまた人間のありのままの姿かもしれない。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月10日

「仕事に集中できない人」が陥りがちな思考

「仕事に集中できない人」が
陥りがちな思考
マインドフルネスで集中力を持続させよ
2018年02月09日 東洋経済

藤井 英雄 : 精神科医

2018年が始まってもう1カ月以上が経ちました。
時間はあっという間に過ぎてしまいます。
「時間がない」「あれもこれもやらなきゃ」と、仕事でやることが多すぎて忙殺される日々を過ごす人も少なくないでしょう。
より多くの量を、短時間かつ少ない労力でこなす。

ITの進化とともに、そのスピードに合わせて生きていかなければならない現代人は、つねにストレスにさらされているとも言えます。
頭が冴えてはかどった午前の仕事も、午後には、上司の一言や、取引先からの電話一本で途切れてしまう。
ちょっと気分転換と思っていたネットサーフィンで時間が経っていたり、ほかのことを考え始めてまったく仕事が進まなくなってしまったり……なんて経験は誰でもあるのではないでしょうか。

だからこそ多くの人は注意散漫にならないために、集中力を高めたいと考えています。
そこで、役に立つのが「マインドフルネス」です。

「今、ここ」に集中できていますか?
このマインドフルネス、一度は耳にしたことはあるのではないでしょうか。
私は普段、精神科医として勤務している傍ら、マインドフルネス瞑想についても研究しており、私自身も過去40年にわたって実践してきました。
最近では講師としてお伝えすることもあります。
瞑想などと一緒に紹介されることの多いマインドフルネスですが、意外なことにほとんどの人はそれが何なのかを理解していないように感じます。

もともとマインドフルネスはお釈迦様が悟りを開いたときの心の状態でしたが、時代を経ることで、今では禅・瞑想・ヨガ・心理療法・社員研修と、さまざまなところでマインドフルネスの習得を推奨するようになりました。
だからでしょうか……マインドフルネスに対して、こんなイメージを抱いている人が多くいます。

「とても難しい」「そのための時間をとらないといけない」「なんなら何年も瞑想の修行が必要」「難しいヨガのポーズをしないといけない」など……。
しかし、コツさえわかれば自宅や通勤の途中、休憩時間、さらには仕事の最中でもマインドフルネスを練習することができる。
それもたった10秒のすき間時間でできてしまうのです。

まず、マインドフルネスとは何かというと、「今、ここ」の現実に「リアルタイムかつ客観的に」気づいていることです。
ネガティブなことを考えてしまったときに、ハッとわれに返って「自分は『今、ここ』を離れていた」ということに気づき、客観視することができれば、その瞬間はマインドフルネスといえるのです。
上司に怒られて動揺して、「自分はよくミスをするなぁ」と落ち込んだとしても、自分が怒られて気持ちが落ちていることに「気づく」ことができればやるべきことに集中できます。

また、大切なプレゼンの前、自分が緊張していることに「気づいて」その状況をありのまま感じることができれば、緊張も緩和して普段どおりに人前で振る舞うことができます。

「気づく」とはマインドフルネスです。
「気づき」を得ることであなたの意識を、今に集中させるのです。
イライラしているときや気分が下がっているとき、緊張してしまって気持ちが上ずってしまっているときなど、「自分は『今、ここ』を離れていた」と気づき、客観視できたとすれば必要なタスクに戻るという選択もできます。
気づかなければそのままネガティブな感情や思考に支配され続けてしまいます。

マインドフルネスはその支配に楔(くさび)を打つものなのです。
仕事でマインドフルネスが使える場面 では実際、仕事上においてマインドフルネスが効果的に力を発揮するのはどういった場面でしょうか。
たとえば、大切な会議なのに家族や恋人のことを考えている。
また、やらなくてはいけないことがあるのにネットサーフィンをしている。
こんなとき気持ちや思考は「今、ここ」にはありません。

家族や恋人との時間のことを思い出して「あんなこと言わなきゃよかった」「あのときああしておけば」と後悔し、ネットサーフィンをしながら週末の予定を考えているかもしれません。

「今、ここ」にはないもの(=不満や想像)を膨らませている状態です。
仕事に集中できない理由はここにあるのです。
「今、ここ」を離れた心は過去や未来、非現実の世界をさまよいネガティブ思考に浸り、そこから抜け出すことを邪魔します。

集中できない人は、ネガティブな記憶、不安定な未来に気が散ってしまっているわけです。
つまり集中するためにはその意識を「今、ここ」に戻せばいいのです。
しかし、訓練していない人が「今、ここ」に気持ちを集中したところで、長続きしません。
2〜3秒気づいている状態が続けばいいほうです。

上司や取引先などにイライラしてしまったときを考えてみればわかりやすいかと思います。
腹が立っても「自分は今イライラしている」と気がつき、マインドフルネスを実行できるときは、客観的に自分の状況をみることで冷静になれます。
イライラにも対処できるわけです。

問題なのは腹が立っている自分に気づいても腹の虫が収まらずに、次の瞬間にはまた腹が立ってしまうことです。
そのときにはさっきの気づきはなくなってしまっているのです。
いったんマインドフルネスになれたにもかかわらず、すぐにマインドフルネスを失い、その結果、心は「今、ここ」を離れて再びネガティブ思考へと戻ってしまいます。
マインドフルネスは持続しなければ、その効果は半減します。
そして、持続するためには、意図的にマインドフルネスになる必要があります。

そこで、取り入れたいのが冒頭でお伝えした10秒のマインドフルネスエクササイズなのです。

自分の「呼吸」に集中してみる
たとえば、上司に腹が立った場合、まずは呼吸によって動いているお腹や胸の動きに注目してみてください。
息を吸えば膨らみ、息を吐けばへこむ。
その場所を見つけるようにします。
たった10秒間です。
ほかのことを考えずにその動きを感じてみましょう。
呼吸によってお腹や胸が動いているというのは立派な「今、ここ」の現実です。
それを感じているとき、きっと何も考えず、そのことに集中している状態です。
まさにあなたがマインドフルネスの中にいる状態、ほかの物事にとらわれていない状態です。
そうした10秒を連続させるのです。
エクササイズに利用できるのは、呼吸だけではありません。

立っているときや、座っているとき、歩いているときだってそのことに集中できる動作であれば、たとえば、銀行や役所、病院の待ち時間でさえも、マインドフルネスのエクササイズを行うことができます。
また、エクササイズは集中力が切れたときだけのものでもありません。
満員電車に乗って感じるイライラやプレゼン前の不安、怒りでわれを忘れてしまっているときなど、いろいろな場面で実践することができます。

10秒間、マインドフルネスを継続できるようになったらもっと長い時間にもぜひ挑戦してもらいたいです。
しかしまずは10秒。
その10秒を大切にすれば注意散漫になったとしても、すぐに目の前のことに集中できるようになります。
10秒の習慣を大切にできる人は、平常心を取り戻し、大切な1日を過ごすことができるのです。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月11日

「優先席使い立腹」に呆れる声

「(若い男性の)優先席使用に腹が立った」 
刺傷事件に「怖い」「呆れる」――
背景に「譲る」意識の低下も
2018年02月10日 11時00分 J-CASTニュース

大阪市内のJR駅構内で30代男性の腹を刺した容疑者の男(62)が、動機について「(男性が)以前から優先席に座っていて腹が立った」と供述した。
こんな報道が流れると、ツイッターには「怖い」「呆れる」といった反応が寄せられた。

優先席をめぐる乗客同士のトラブルはこれまでにも度々、ネットで話題になったりニュースになったりしている。
対象者ではなくても優先席に座る、という人も少なくないようで、今回の事件は他人事とは言えないようだ。

口論動画が公開され注目を集めたことも 今回の大阪の事件は2018年2月7日朝に発生。
30代男性会社員が、JR大阪環状線大正駅で降車後、男に刃物で腹を刺され負傷した。
容疑者は逃走していたが、警察は翌8日、警備員(派遣社員との報道も)の男(62)を殺人未遂の疑いで逮捕した。
共同通信などが報じた。

「(男性が)以前から優先席に座っていて腹が立った」などと供述しているという。
このニュースを受け、ツイッターでは 「ヤバい怖い」 「呆れるというか情けないというか」 「優先席は見直し必須だな」 といった声があがった。

優先席をめぐるトラブルといえば、2016年秋に「YouTube(ユーチューブ)」に投稿された、座っている男性と目の前に立っているお年寄り男性との口論動画が注目を集め、11月25日に産経ニュース(ネット版)が記事化するなどした。
男性の側からお年寄りを撮影している構図で、お年寄りが「日本語通じないのか」、男性が「もう1回言えよ」と話すやりとりが何度か繰り返され、 「だから、代わってくれって言ってるんだよ。席を」(お年寄り) 「なんでだよ」(男性) 「優先席だから」(お年寄り) 「なんでだよ」(男性) と、2人ともとげとげしい声の調子で応酬を続けた。

お年寄りは時折、男性に対し、右人差し指を向けながら、怒っている様子だ。
顔にはモザイクはかかっていない。
話は平行線のまま、ほどなく動画は終わる。
ネット上では、男性とお年寄り双方に対し厳しい反応が寄せられた。

過去にも「包丁で襲いかかる」事件 また、15年6月には、首都圏を走るJR京浜東北線で、71歳男性が、優先席で隣り合わせた50代男性がタブレット端末を使っていることに腹を立て、口論となって包丁まで持ち出し、襲い掛かった。
50代男性にけがはなかったが、容疑者は銃刀法違反の疑いで逮捕された。
当時、朝のワイドショーでも取り上げられた。

同じ15年では1月にも、相鉄線の横浜市内の駅ホームで、61歳のアルバイト男性警備員が、ドアが閉まらないよう立ちふさがったとして、威力業務妨害の疑いで逮捕された。
容疑者が、車内の優先席に座ってスマートフォンを操作していた若い女性に怒鳴り声を上げ、「降りろ」と叫んでいたという。
読売新聞などが報じている。

実際、優先席の優先対象ではないものの優先席に座る人は、結構いるようだ。
「NEWSポストセブン」サイトが17年12月7日に配信した、「女性セブン」読者へのアンケート結果(回答472人、全国の20〜70代男女)の記事を見ると、電車の優先席が空いていた場合、「座る」派が64.8%と6割超えの多数派だった。

「優先席では席を譲るべきだ」と思う人は減少傾向 さらに優先席に座るだけではなく、「優先席では席を譲るべきだ」と思う人が減っているという調査結果もある。
乗換案内サービス「駅すぱあとfor WEB」を運営するヴァル研究所(東京都杉並区)が16年11月に発表した「ゆずりあい精神の意識調査」によると、「優先席では席を譲るべきだと思いますか」との問いに、「はい」と答えた人は、前回調査(13年実施)より17ポイントも下がり、約76%にとどまった。

一方、「いいえ」と、譲るべきだとは思わない人は7ポイント以上増え、9%弱。
「どちらともいえない」が約15%だった。
譲る意識の低下には、「席を譲ろうとしたら相手に断られた」経験がある人が増えている事が背景にあるようだ、と同研究所は推測している。

東京メトロのサイトをみると、優先席について「ご高齢の方、お身体の不自由な方、内部障がいのある方、乳幼児をお連れの方、妊娠している方に席をお譲りください」とある。
首都圏の他の私鉄サイトを見ても、概ね同様の説明となっており、空いている席に座るのは問題なく、優先対象の人がいたり、優先対象の人から申し出があったりすれば譲る、という利用を想定しているようだ。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月12日

陸自ヘリ墜落:被害者に暴言、想像力欠き冷酷

陸自ヘリ墜落:
被害者に暴言、想像力欠き冷酷
2018年02月11日 毎日新聞

 佐賀県神埼(かんざき)市での自衛隊ヘリ墜落事故で、家を失った住人がネット上で罵声を浴びている。
沖縄で相次ぐ米軍ヘリの不時着や部品落下の事故では「それで何人死んだんだ!」と国会でやじが飛んだ。
基地のそばで不安を抱え生きる人びとへの想像力が、失われかけていないか。
【福永方人、和田浩幸】

 自衛隊ヘリが墜落した際、家に一人でいた女児(11)は軽傷で奇跡的に難を逃れた。
翌日、父の「許せないですよね」というコメントが新聞で報じられると、ツイッター上に非難の投稿があふれた。  

<何様? 墜落して亡くなった隊員の事考えねーのかよ>  
<わざと落ちた訳じゃないし、許せないの意味が分からん>  
<死ななかっただけいいじゃないか>

 戦後、本土でも沖縄でも基地周辺の住民が多数、軍用機の墜落で犠牲となってきた。

 横浜市で1977年9月27日、米軍偵察機が住宅地に墜落した事故では、土志田(どしだ)和枝さん(事故当時26歳)と3歳の長男、1歳の次男の母子3人が自宅で全身やけどを負い、兄弟は間もなく死亡。
和枝さんも4年4カ月後に死亡した。
偵察機の乗員2人はパラシュートで脱出していた。  

「お水をちょうだい。ジュースをちょうだい」。
病床で苦痛を訴える全身包帯姿の長男は次第に衰弱。
最後に「バイバイ」と言って息を引き取った。
次男も「ポッポッポー、ハトポッポー」と父に教わった童謡を口ずさみ、兄の後を追った。
 母の和枝さんは皮膚移植を60回以上受け、治療中の配慮で1年4カ月間、我が子の死を知らされなかった。
和枝さんは日記で「心配でいても立ってもいられない」と息子たちを案じていた。

 沖縄では本土復帰前の59年6月30日、石川市(現うるま市)の宮森小学校に戦闘機が墜落し、児童11人を含む17人が死亡した。
給食の時間中だった。当時5年生だった佐次田(さしだ)満さん(69)が振り返る。
「衝撃で校舎が揺れ、炎と黒煙が立ち上った。
黒焦げになった男の子が運ばれていった」

 国会でのやじの主は松本文明副内閣相。1月25日、衆院本会議で共産党の質問の最中だった。
松本氏は翌日、安倍晋三首相に「誤解を招いた」と陳謝し、副内閣相を辞任した。
松本氏の事務所は取材に「コメントすることはない」としている。
 やじは、裏返せば「誰も死んでおらず問題ではない」と受け取れる。
 「救いようがない。その冷酷さは政治家の失言史に残る」と評するのは、政治評論家の森田実さんだ。
自ら辞める体裁をとった政府を「少なくとも辞任を認めず罷免すべきだった。
対応が甘い」と厳しく批判している。

 宮森小の悲劇を語り継ぐ沖縄県うるま市の久高政治(くだかまさはる)さん(69)は「軍用機が墜落するかもしれない恐怖の中で暮らす人の気持ちを考えてほしい」と話す。

ツイッター上での非難や、国会でのやじには、そんな人びとへの想像力が決定的に欠けている。久高さんは、そう思えてならない。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月13日

心の病気の回復期に「ポジティブ思考」が重要なワケ

心の病気の回復期に
「ポジティブ思考」が重要なワケ
2018/02/10 All About
こだぬき01.gif
心の病気からの回復期に
     重要な「ポジティブ思考」
新しい物事や難しい局面に直面したとき、楽観的な気持ちで臨める人もいれば、悲観的になりがちな人もいます。
これは当人の元々のパーソナリティによるもので、どちらがよい結果につながるかも、その時々の状況により変わるものです。

例えば何かの問題に対して思い切った行動を取って、非常に良い結果につながった場合、楽観的な性質が役立ったと思われるかもしれません。
しかし反対に、慎重に思いとどまったことで大きな失敗を回避でき、結果的に大事に至らずに乗り越えられた場合、物事を少し悲観的に見る性質が役立ったと思われることもあるでしょう。
このように、人は必ずしもいつも楽観的であるべきとは言えないものなのです。

しかし、心の病気の回復時においてはそうではありません。
心の病気の快復においては、物事をなるべくよい方向に考えるポジティブ思考が非常に重要です。
今回は心の病気から回復していく過程での重要な要素として、当人だけでなく、ご家族も気持ちを前向きにしていくことの大切さを詳しく解説します。

心の病気治療のゴールは
「元の日常生活」を取り戻すこと
心の病気の経過、治療についてお話するにあたり、まずは心の病気治療の「ゴール」が何かを知っておいていただきたいと思います。
心の病気には、うつ病、統合失調症などを始め様々なものがありますが、深刻な症状で入院が必要になったようなケースでも、現在はある程度症状が落ちついた後は自宅で療養し、外来通院で治療にあたるのが一般的です。
そして「心の病気から回復する」というゴールの考え方自体も、一昔前とは大きく変わってきています。
「心の病気から回復する」ことは、単にその問題症状が落ち着くだけではなく、元の日常に戻ることを指します。
元の生活が戻り、初めて回復とみなすようになってきているのです。
そして心の病気で深刻な症状が現われた場合でも、今日では多くの場合は適切な治療を受けることで、元の日常生活に戻ることが充分可能になってきています。

一方で、心の病気の治療期間は、一般に数ヶ月、数年単位になりやすいものです。
自宅で療養する方は、家庭環境がある程度整っている方が望ましいことは言うまでもありません。
ストレスが少なく、家族間のコミュニケーションが良好な状態が理想です。
それらがもたらすメリットは、単に当人の療養生活が楽になるというだけではありません。

うつ病、統合失調症など心の病気は、一般にその経過において、生活の場でのストレスがしばしば症状を増悪させる要因になってしまいます。
また、生活環境でのストレスが、一度は落ち着いていた症状の再発の引き金になることもあります。
元の生活を取り戻すというゴールを見据えた場合、適切にストレスに対処していく気持ちや環境を整えることは、心の病気の経過を良好にし、再発リスクを減ずるためにも重要な要素だということがお分かりいただけるかと思います。

ネガティブ思考回避の第一歩は
「正しい知識を持つこと」
しかし現実に心の病気を発症してしまった場合、当人はもちろんご家族も普段はないようなストレスを感じ、ネガティブ思考に陥りうることは、無理もないことです。
そのような状態で、「ストレス対策が大事。ポジティブ思考を大切に」と言われても、どうしていいか分からなくなってしまう……という方もいらっしゃるかもしれません。

ですので、まずは当人とご家族がネガティブ思考に陥らないために、最も大切な基本をお伝えしたいと思います。
心の病気に限らず、深刻な病気になってしまうのはやはりショックなものです。
そして、うつ病や統合失調症などの心の病気を発症した場合、その疾患特有の症状のために、日常生活にも深刻な問題が現われているケースは多いです。
それらの症状が、当人やご家族にも深刻なストレスを与えてしまうこともあります。

例えばうつ病を発症すると、何をやっても楽しく感じられないといった心理傾向になりがちです。
塞ぎこんでいる様子を見て、何か気晴らしをさせたいとご家族が楽しいことに誘ってみても、浮かない表情で断られるかもしれません。
このような場合、ご家族の方は、それは病気が生み出した症状による問題なのだとしっかり理解しておく必要があります。
自分の親切に対して心ない対応ばかり取る、などと相手の気持ちの問題だと誤解してしまうと、より強いストレスにつながりかねません。
介護うつ診断法
心の病気から回復する上で、家族を始めとする周りの方のサポートは欠かせないものですので、当然こういった誤解によるストレスや軋轢は、スムーズな回復にプラスにはなりません。
同様に、統合失調症の場合は何らかの妄想観念が頭を占めることも少なくありません。
「自分は誰かに狙われている」といった被害妄想が強まることもあります。
外へ出るのを極端に怖れ、自分の部屋に閉じこもってしまうこともあるでしょう。
こうした場合も、ご家族は必要以上に動揺しないよう、それが病気による精神症状であることと、治療薬で対処できる問題であることを理解し、不要なストレスを抱え込まないようにしたいものです。

もし正しい理解がないままご家族までもがストレスを溜めこんでしまい、病気になってしまった当人の人格を責めるようなことになってしまえば、当人は心が大きく傷つくだけでなく、自分は何をやってもダメなんだといったネガティブ思考を深めてしまうかもしれません。
これは病気からの回復はもちろん、症状が治まった後に元の生活に戻っていくというゴールを目指す上でも、大きな障壁になってしまいます。

まずは病気についての正しい知識を持ち、ストレスやネガティブ思考を意識的に回避していくことが大切です。

自他ともに具体的に誉めることが、
ポジティブ思考の第一歩
病気などで一度自信を失ってしまうと、悪い面ばかりに目が向き、視野が狭まってしまうことは少なくありません。
例えば病気の治療中に四肢の協調運動に問題が出てしまい、動作が少しぎこちなくなってしまったとしましょう。
こうした不調はごく軽度のものであっても、病気と闘っているご本人にとっては非常に気になるものだと思います。
普段通りにできなくなった、もう身体がおかしくなってしまった……とできないことばかりに目を向け、深刻に思い詰めて悩んでしまうと、当然気持ちは前向きになりにくくなります。

一旦深刻なネガティブ思考に陥ると、自分が本来得意にしていたことや楽しいことすら、考えづらくなってしまうでしょう。
例えば絵が好きでとても上手かったとしても、深刻なネガティブ思考に陥ると、本来そういった趣味・特技があること自体を忘れてしまったり、趣味を楽しむために回復したいという前向きな気持ちを持てなくなってしまったりする可能性もあります。
症状が落ち着いた後に、元の日常にいかに戻っていくかは心の病気の大きな課題です。
その際に大きな力になるのが、当人の趣味や本来得意だったことへの意欲だったりもします。
本人がそれを充分意識して、気持ちを前に向けていくことは回復にも少なからず影響するものです。
自分でそういった気持ちを思い出して自信を持つことはもちろん、周りにいる方も、当人の優れた点や元々の特技、よい面などを、具体的に言葉にしてはっきり伝えることは、本人の気持ちを大いに楽にする可能性があります。

たとえ誉めた側はすぐに忘れてしまったとしても、誉められた方はずっとそれが頭に残り、これからを頑張る原動力になることがあるのです。
ご家族の方が、病気から回復中の当人を誉めることは、回復の大きな要素でもある「自信」を取り戻し、気持ちを前向きにしていく上で大きな力になります。

回復期にポジティブ思考を習慣化する方法
ポジティブ思考を習慣化していくのは時間がかかるかもしれませんが、まずは気持ちを意識的に前向きにすることを心がけるだけでも、変わってきます。

辛い状況に「もうだめだ……」と肩を落としそうになったら、「とにかくできるだけやってみよう!」と意識して前向きに踏み出すことで、同じ状況でも、感じるストレスはかなり違ってくるはずです。
ポジティブ思考の実践の方法として、最も簡単で効果的なのは、なるべく具体的に前向きな言葉を口に出すことでしょう。
自分自身はもちろん、家族内や仲間内で前向きな言葉を交わすことを、あえて意識することは有効です。

今回はポジティブ思考の重要性と実践法について、詳しく解説しました。
冒頭にも述べましたが、「心の病気から回復する」ことは、単にその問題症状が落ち着くだけではありません。
ゴールは元の日常に戻ることです。

病気の発症前と同じように自分に自信を持つことも回復のために欠かせない要素。
それを助ける上で、ポジティブ思考が大きな役割を持つことを、どうか念頭に置いていただければと思います。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(5) | うつ病について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月14日

残業削減の陰でサービス残業 「働き方改革」の矛盾 時短ハラスメントに

残業削減の陰でサービス残業 
「働き方改革」の矛盾
    時短ハラスメントに
2018年2月12日 東京新聞

「働き方改革」の掛け声の下、多くの企業が残業時間の削減に取り組む。
しかし単に労働時間を短くしようとすると、働く人にしわ寄せがいく。
業務見直しのないまま、残業を認めず、「生産性を向上させろ」とだけ迫る事態を「時短ハラスメント」と呼ぶ向きもある。
専門家は問題解決には、仕事の量や役割分担の見直しも必要と訴える。
 (寺本康弘)

 「『生産性を上げろ』と言われて、精神的につらい」。
都内のIT企業に派遣されている五十代のシステムエンジニア(SE)の男性は嘆く。
 男性はSE歴約三十年。
約二年前から、他の派遣SEとチームで新しい文書管理システムを作っている。
業務量は多く、男性のようなベテランでさえ、「残業しないと達成できない」という。

 その一方で会社は残業を認めない。
男性も派遣元を通じて申し入れたが断られた。
直接、派遣先にお願いすると、「働き方改革に伴って残業は認められない」「業務量は適正。時間内に終わる」と取り付く島もない。

 男性の勤務時間は午前九時から午後五時半。
強制消灯になる前の午後六時まで残業するが、報告書では午後五時半で作業が終わったことになっている。
 始業前は会社から注意を受けないため、午前八時すぎに出社している。
昼休みの一時間も出社前に買ったパンをかじりながらパソコンに向かう。
チームの仲間も同じように早朝出社で業務にあたっている。

 男性は「残業時間に時給を単純に掛けた場合、未払い残業代は月十万円にはなる」と話す。

引き受けた以上、しっかりやり遂げたいが、あまりに理不尽。働き方改革というけれど誰のため」と疑問を呈す。
 いわゆる「サービス残業」だが、会社に請求できないのか。

 労働問題に詳しい名古屋北法律事務所の白川秀之弁護士は労働時間と認められるかがポイントと指摘。
会社が労働時間と認めなくても、期間を定めて命じられた一定量の業務に対し、労働者が勤務時間内には達成できないと申し出ていれば、労働時間として認められる場合がある

 具体的には、
▽業務を達成できなかった場合、給与額を減らすなどの不利益がある
▽「達成不可能」との労働者の申し出に企業が対策を講じなかった
▽早出や休憩時間内の労働を会社が認識していた−などの場合は労働時間として認められる場合もあるという。

◆記録残しておいて  
今回の男性SEはどんな対策を取ればいいか。
まず派遣元に改善を求め、なされない場合は労働基準監督署に申告する。
一方で日々の勤務実態の詳細をメモしておき、「勤務時間内では業務が終了しない」などと申し出ていた派遣先へのメールも残す。
白川弁護士は「争いになった場合、記録を残して提出することが大切になる」と話す。

 本来は健康を守るための残業時間削減の動きが、結果として労働者にサービス残業を強いることについて、働き方評論家の常見陽平さんは、管理者が部下の労働をよく知ろうともせず労働時間だけ削減しろという「時短ハラスメントが起きている」と指摘する。

「仕事の絶対量が減らない中、現場の創意工夫だけでは限界がある。
結果、サービス残業が誘発される。
仕事の絶対量と役割分担を見直すという発想をしなくては、問題は解決されない
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

うつ病と上手につき合う

香山リカのココロの万華鏡
うつ病と上手につき合う
毎日新聞2018年2月13日 東京都内版

 ときどき受ける質問に、「うつって治りますか?」というものがある。
「もう少しくわしく教えてください」と言うと、だいたい、次のような話をされる。

 自分や家族、友人がうつ病で薬を飲んでるのだが、まだ落ち込みが続いて元気が出ない。
いつかこれがもとに戻って、薬や通院も必要なくなるのだろうか。
すっきりさわやかな気持ちになれる日があるのだろうか。

 私はこんな答えを返すことが多い。  
「元気にはなると思いますよ。
薬がいついらなくなるかは、人によって違いますね。
そして、“すっきりさわやか”ですけれど、うつ病じゃなくても、なかなかそういう気分にはなれないのではないでしょうか

 つまり、うつ病は適切な治療を受けたり、月日がたって波が去ったりすると、必ず回復する。ただし、それまでにどれくらいの時間が必要か。
それは予想できず、残念ながら再発してしまうこともある。
だから、完全に薬がいらなくなるかどうかも、なんとも言えない面があるのだ。

 ただ、「うつ病が治る」とは、必ずしも元気はつらつ、毎日が楽しくて仕方ない、ということではないはずだ。
 たとえば、私はうつ病ではないと思うが、どうしてもやる気が出ずにダラダラする日がある。家族と口げんかをして落ち込むこともある。
 気持ちに波があったり、ゆううつになってクヨクヨしたりすることは、人生につきもの。
だから、それをもって「まだうつ病が治っていないんだ」と思う必要はない。
 それに、薬を飲みながらでもふつうの生活ができるなら、その時点で「うつ病はある程度、おさえ込んだ」と思ってよいのではないか。
世の中には、血圧や血糖を下げる薬を飲みながら、自分を病気だと意識せずに働いたり、遊んだりしている人がたくさんいる。

 うつ病も同じように「闘って克服する病」と考えずに、「上手につき合っていく仲間」くらいに考えてはどうだろう。
 うつ病が完全に治らなくても、楽しいことはいくらでもある。
気分が完全に明るくならなくても、それなりに生活することもできる。
薬を飲みながらでも、友人に会ったり、旅行に行ったりすることもできる。

 うつ病をやっつけてやろう、と思いすぎなくても、だいじょうぶ。
「治りますか?」と心配そうに尋ねる人には、そう返事をしたい。
     (精神科医)
posted by 小だぬき at 12:00 | 神奈川 ☀ | Comment(4) | うつ病について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月15日

半藤一利「明治維新150周年、何がめでたい」

半藤一利
明治維新150周年、何がめでたい
「賊軍地域」出身作家が
祝賀ムードにモノ申す
2018年01月27日 東洋経済

半藤 一利 : 作家

1月1日、安倍晋三首相は年頭所感で「本年は、明治維新から、150年目の年です」と切り出し、明治維新を賞賛した。
政府は「明治維新150年」記念事業に積極的で、菅義偉官房長官は「大きな節目で、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは重要だ」と述べている。

明治維新を主導した薩摩(鹿児島)、長州(山口)などではすでに記念イベントが始まっているが、今年は国家レベルでもさまざまな祝賀事業が行われる見通しだ。
だが、こうした動きに対し、異議を申し立てる論者も多い。

『日本のいちばん長い日』『昭和史』などの名著で知られ、幕末維新史にも詳しい半藤一利氏もその1人である。
『賊軍の昭和史』(保阪正康と共著)の著者でもある半藤氏に話を聞いた。
   (聞き手:加納則章)

「明治維新」という言葉は
  使われていなかった

――そもそも「明治維新」という言葉が使われたのは、明治時代が始まってからずいぶん後のようですね。

私は、夏目漱石や永井荷風が好きで、2人に関する本も出しています。
彼らの作品を読むと、面白いことに著作の中で「維新」という言葉は使っていません。
特に永井荷風はまったく使っていないのです。
漱石や荷風など江戸の人たちは、明治維新ではなく「瓦解(がかい)」という言葉を使っています。
徳川幕府や江戸文化が瓦解したという意味でしょう。
「御一新(ごいっしん)」という言葉もよく使っています。

明治初期の詔勅(しょうちょく)や太政官布告(だじょうかんふこく)などを見ても大概は「御一新」で、維新という言葉は用いられていません。
少なくても明治10年代までほとんど見当たりません。
そんなことから、「当時の人たちは御一新と呼んでいたのか。

そもそも維新という言葉なんかなかったんじゃないか」と思ったことから、明治維新に疑問を持つようになりました。

調べてみると、確かに「明治維新」という言葉が使われだしたのは、明治13(1880)年か14年でした。
明治14年というのは、「明治14年の政変」があり、薩長(薩摩・長州)政府というよりは長州政府が、肥前(佐賀)の大隈重信らを追い出し政権を奪取した年です。
このあたりから「明治維新」を使い出したことがわかりました。

薩長が革命を起こし、徳川政府を瓦解させ権力を握ったわけですが、それが歴史的にも正当性があることを主張するために使った“うまい言葉”が「明治維新」であることがわかったのです。

確かに「維新」と「一新」は、「いしん」と「いっしん」で語呂は似ていますが、意味は異なります。
「維新」は、中国最古の詩集『詩経』に出てくる言葉だそうで、そう聞けば何やら重々しい感じがします。
薩長政府は、自分たちを正当化するためにも、権謀術数と暴力で勝ち取った政権を、「維新」の美名で飾りたかったのではないでしょうか。
自分たちのやった革命が間違ったものではなかったとする、薩長政府のプロパガンダの1つだといっていいでしょう。

歴史というのは、勝った側が自分たちのことを正当化するために改ざんするということを、取材などを通してずいぶん見てきました。
その後、いろいろ調べて、明治維新という名称だけではなく、歴史的な事実も自分たちに都合のいいように解釈して、いわゆる「薩長史観」というものをつくりあげてきたことがわかりました。

「薩長史観」はなぜ国民に広まったのか

――どのようにして薩長史観が広まったのでしょうか。

そもそも幕末維新の史料、それも活字になった文献として残っているものの多くは、明治政府側のもの、つまり薩長史観によるものです。
勝者側が史料を取捨選択しています。そして、その「勝った側の歴史」を全国民は教え込まれてきました。
困ったことに、明治以降の日本人は、活字になったものしか読めません。
ほとんどの人が古い文書を読みこなせません。
昔の人が筆を使い崩し字や草書体で書いた日記や手紙を、専門家ではない私たちは読めません。

読めないですから、敗者側にいい史料があったとしても、なかなか広まりません。
どうしても薩長側の活字史料に頼るしかないのです。
そこでは、薩長が正義の改革者であり、江戸幕府は頑迷固陋(ころう)な圧制者として描かれています。
学校では、「薩長土肥の若き勤皇の志士たちが天皇を推戴して、守旧派の幕府を打ち倒し新しい国をつくった」
「幕末から明治にかけての大革命は、すばらしい人格によってリードされた正義の戦いである」という薩長史観が教えられるわけです。

さすがに最近は、こうしたことに異議を申し立てる反「薩長史観」的な本がずいぶん出ているようですが……。

――子どもの頃、半藤さんのルーツである長岡で「薩長史観」の誤りを感じられたそうですね。

私の父の郷里である新潟県の長岡の在に行くと、祖母から教科書とはまったく逆の歴史を聞かされました。
学校で薩長史観を仕込まれていた私が、明治維新とか志士とか薩長とかを褒めるようなことを言うと、祖母は「ウソなんだぞ」と言っていました。

「明治新政府だの、勲一等だのと威張っているヤツが東京にたくさんいるけど、あんなのはドロボウだ。
7万4000石の長岡藩に無理やりケンカを仕掛けて、5万石を奪い取ってしまった。
連中の言う尊皇だなんて、ドロボウの理屈さ

いまでは司馬遼太郎さんの『峠』の影響もあり、河井継之助が率いる長岡藩が新政府軍相手に徹底抗戦した話は有名ですが、当時はまったく知りませんでした。

明治維新とはすばらしいものだったと教えられていた私は、「へー、そんなことがあるのか」と驚いたものです。
また祖母は、薩長など新政府軍のことを「官軍」と呼ばず「西軍」と言っていました。
長岡藩はじめ奥羽越列藩同盟軍側を「東軍」と言うわけです。
いまでも長岡ではそうだと思います。
これは、会津はじめほかの同盟軍側の地域でも同様ではないでしょうか。

そもそも「賊軍」は、いわれのない差別的な言葉です。
「官軍」も「勝てば官軍、負ければ賊軍」程度のものでしかありません。
正直言って私も、使うのに抵抗があります。

「明治維新」の美化はいかがなものか

――幼少期の長岡でのご経験もあり、「明治維新150年」記念事業には違和感があるのでしょうか。

「明治維新150年」をわが日本国が国を挙げてお祝いするということに対しては、「何を抜かすか」という気持ちがあります。
「東北や北越の人たちの苦労というものを、この150年間の苦労というものをお前たちは知っているのか」と言いたくなります。

司馬遼太郎さんの言葉を借りれば、戊辰戦争は、幕府側からみれば「売られたケンカ」なんです。
あのときの薩長は暴力集団」にほかならない。
これも司馬さんの言葉です。
本来は官軍も賊軍もないのです。

とにかく薩長が無理無体に会津藩と庄内藩に戦争を仕掛けたわけです。
いまの言葉で言えば侵略戦争です。
そして、ほかの東北諸藩は、何も悪いことをしていない会津と庄内を裏切って両藩を攻めろ、法外なカネを支払え、と高圧的に要求されました。
つまり薩長に隷属しろと言われたのです。
これでは武士の面目が立たないでしょうし、各藩のいろんな事情があり、薩長に抵抗することにしたのが奥羽越列藩同盟だったわけです。

私は、戊辰戦争はしなくてもいい戦争だったと考えています。
西軍の側が手を差し伸べていれば、やらなくていい戦争ではないかと。
にもかかわらず、会津はじめ東軍の側は「賊軍」とされ、戊辰戦争の後もさまざまに差別されてきました。
そうした暴力的な政権簒奪(さんだつ)や差別で苦しめられた側に配慮せず、単に明治維新を厳(おごそ)かな美名で飾り立てようという動きに対しては何をかいわんやです。

――賊軍となった側は、具体的にはどのような差別を受けたのでしょうか。

宮武外骨の『府藩県制史』を見ると、「賊軍」差別の様子がはっきりわかります。
これによると、県名と県庁所在地名の違う県が17あるのですが、そのうち賊軍とされた藩が14もあり、残りの3つは小藩連合県です。
つまり、廃藩置県で県ができるとき、県庁所在地を旧藩の中心都市から別にされたり、わざわざ県名を変えさせられたりして、賊軍ばかりが差別を受けたと、宮武外骨は言っているわけです。

たとえば、埼玉県は岩槻藩が中心ですが、ここは官軍、賊軍の区別があいまいな藩だった。
「さいたま」という名前がどこから出たのかと調べると、「埼玉(さきたま)」という場所があった。
こんな世間でよく知られていない地名を県の名にするなんて、恣意的な悪意が感じられます。

新潟県は県庁所在地が新潟市なので名は一致していますが、長岡が中心にありますし、戊辰戦争がなければ長岡県になっていたのではないでしょうか。
県名や県庁所在地だけ見ても、明治政府は賊軍というものを規定して、できるだけ粗末に扱おうとしていることがわかります。

また、公共投資で差別された面もあります。
だから、賊軍と呼ばれ朝敵藩になった県は、どこも開発が遅れたのだと思います。
いまも原子力発電所が賊軍地域だけに集中しているなどといわれますが、関係あるかもしれません。

立身出世を閉ざされた「賊軍」藩出身者

――中央での人材登用でも、賊軍の出身者はかなり厳しく制限されたようですね。

賊軍藩の出身だと、官僚として出世できないんですよ。
歴史事実を見ればわかりますが、官途に就いて名を成した人はほとんどいません。
歴代の一覧を見れば明らかですが、総理大臣なんて岩手県の原敬が出るまで、賊軍出身者は1人もいない。
ほとんど長州と薩摩出身者で占められています。

ちなみに明治維新150年目の今年は長州出身の安倍氏が総理ですが、彼が誇るように明治維新50年も(寺内正毅)、100年も(佐藤栄作)も総理は長州出身者でした。
また、明治年間に爵位が与えられて華族になったのも、公家や殿様を除けば、薩長出身者が突出して多いのです。
特に最も高い位の公爵と侯爵を見ると、全部が長州と薩摩なんです。

政官界では昭和の戦争が終わるまで、賊軍出身の人は差別されていたと思われるのです。
明治以降、賊軍の出身者は出世できないから苦労したのです。

――2013年放映のNHK大河ドラマ「八重の桜」では会津藩出身者の苦労が描かれていましたが、それ以外の負けた側の藩の出身者も差別されたわけですね。

例を1つ挙げれば、神田の古本屋はほとんどが長岡の人が創業しています。
長岡出身で博文館を創業した大橋佐平という人がいちばん初めに古本屋を開いて成功したのですが、当時、いちばん大きい店でした。
その後、大橋が中心となって、長岡の困っている人たちをどんどんと呼んで、神田に古本屋がたくさんできていったんです。
こんな具合に、賊軍藩の出身者たちは、自分たちの力で生きるしかなかったのです。

――『賊軍の昭和史』でもおっしゃっていますが、軍人になった人も多かったようですね。

前途がなかなか開けない賊軍の士族たちの多くは、軍人になりました。
いちばん典型的なのは松山藩です。
司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』で有名な秋山兄弟の出身地です。
松山藩というのは四国ですが賊軍藩です。
ただ、弱い賊軍で、わずか200人足らずの土佐藩兵にあっという間に負けて降伏しました。

その松山藩の旧士族の子弟は苦労したんです。
秋山兄弟の兄の好古(よしふる)さんは家にカネがないから陸軍士官学校へ行った。
士官学校はタダですからね。
あの頃、タダだった教育機関は軍学校と師範学校、鉄道教習所の3つでした。
弟の真之(さねゆき)さんは、お兄さんから言われて海軍兵学校へ入り直していますが、兵学校ももちろんタダでした。
この兄弟の生き方を見ると、出世面でも賊軍出身の苦労がよくわかります。

好古さんは大将まで上り詰めますが、ものすごく苦労しているんです。
真之さんも苦労していて、途中で宗教に走り、少将で終わっています。
賊軍藩は、明治になってから経済的に貧窮していた。
だから、旧士族の子弟の多くは学費の要らない軍学校や師範学校へ行った。
その軍学校を出て軍人になってからも、秋山兄弟と同様に賊軍出身者は、立身出世の面で非常に苦労しなければなりませんでした。

『賊軍の昭和史』で詳しく触れましたが、日本を終戦に導いた鈴木貫太郎首相も賊軍出身であったため、海軍時代は薩摩出身者と出世で差をつけられ、海軍を辞めようとしたこともありました。

敗者は簡単には水に流せない

――負けた側の地域は、差別された意識をなかなか忘れられないでしょうね。

私は、昭和5(1930)年に東京向島に生まれましたが、疎開で昭和20(1965)年から旧制長岡中学校(現長岡高校)に通いました。
有名な『米百俵』の逸話とも関係する、長岡藩ゆかりの学校です。

長岡中では、薩長と戦った家老・河井継之助を是とするか、恭順して戦争を避けるべきであったのかを友人たちと盛んに議論しました。
先ほども言いましたように、明治に入っても官僚になった長岡人はほとんどおらず、学者や軍人になって自身で道を切り開いていくしかなかった現実があり、私の世代にも影響していました。

私よりかなり先輩になりますが、真珠湾攻撃を指揮した山本五十六海軍大将も、海軍で大変苦労しているのです。
賊軍」地域は、戊辰戦争の敗者というだけでは済まなかったということです。
賊軍派として規定されてしまった長岡にとっては「恨み骨髄に徹す」という心情が横たわるわけです。

いまも長岡高校で歌い継がれているようですが、長岡中学校の応援歌の1つ『出塞賦(しゅっさいふ)』に次のような一節がありました。
「かの蒼竜(そうりゅう:河井継之助の号)が志(し)を受けて 忍苦まさに幾星霜〜」 勝者は歴史を水に流せるが、敗者はなかなかそうはいかないということでしょう。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月16日

「生きるとは何かを失っていくこと…

余録
「生きるとは
何かを失っていくこと…
毎日新聞2018年2月15日

 「生きるとは何かを失っていくこと。失いながら大事なものを感じられるようになること」。そんなテーマで障害者や子育て中の母親、福祉職員らさまざまな立場の人が語り合う「縁側フォーラム」というイベントが先月、静岡市で開かれた
たぬきB.jpg
▲真下貴久(ましも・たかひさ)さん(37)は3年前に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症した。
人生は無限だと思っていたが、今はどうやって生き切ろうかと考え、生きている実感を強く求めるようになりました

▲少しずつ随意筋が動かなくなり、3〜5年で自力呼吸ができなくなる難病だ。
人工呼吸器をつけて生きるか、死を選ぶかを自分で決めなければならない。
家族の介護負担も大きい

▲絶望から真下さんを救ったのは、先輩の患者のブログだった。
人工呼吸器をつけて海外旅行をし、友人やボランティアに囲まれて日々を楽しんでいる。
「なあ、こうやって生きれば楽しいよなあ」。
悲しみに沈んでいた妻は初めて心の底から泣いた

▲日本人の平均寿命は2016年に女性87・14歳、男性80・98歳となり、過去最高を記録した。
男女とも世界2位だ。
長い人生の中で誰もが少しずつ何かを失っていく。生きることの意味や希望を実感できないという人も多い

▲だが、人生には限りがあるという現実に直面して真下夫妻の日常は変わった。
「おれはプラチナチケットを手に入れた。普通に生きていたら体験できないことをさせてやる」。
2度目のプロポーズだった。「初めのより100万倍もすてきでした」と妻は笑う。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月17日

「何人死んだんだ」が示す冷酷 想像力欠く政治家発言が差別をあおる 沖縄、福島 本当に人ごとか

   特集ワイド
「何人死んだんだ」が示す冷酷 
想像力欠く政治家発言が差別をあおる
沖縄、福島 本当に人ごとか
毎日新聞2018年2月16日 東京夕刊

 考えている。
沖縄福島について、である。
先日、政府要人が、沖縄で相次ぐ米軍機事故を巡って発した「それで何人が死んだんだ」との言葉がニュースになった。
福島でも、かつて同じような言葉が投げられた。
「原発事故の死者はいない」などと。
為政者の言葉の背後にあるものは何か。
     【吉井理記】

 唐突だが、「棚原隆子ちゃん事件をご存じだろうか。
 初耳の読者も多いのではないか。
恥ずかしながら、記者も近年まで知らなかった。
でも沖縄では、米軍基地がもたらした悲惨な事件として語り継がれてきた。

 1965年6月11日、沖縄・読谷村。
米軍輸送機からパラシュートで投下されたトレーラーが、自宅の庭で遊んでいた小学5年、棚原隆子さん(当時11歳)に落下、圧死させた事故だ。

昨年、沖縄で相次いだ米軍ヘリの部品落下事故で、この悲劇を思い出した県民も多かったはずだ。
 隆子さんを知る人が永田町にいた。
沖縄選出の参院議員、糸数慶子さん(70)である。

「小学校や保育園へのヘリの部品落下を知って、私も真っ先に隆子ちゃん事件を思い出しました。
一つ間違えば、子供たちの命が危うかったのですから」

 当時高校生だった糸数さんの家は、読谷村で雑貨店を経営していた。
「隆子ちゃんの家は隣の地区なんですが、歩いて行ける距離で、お母さんも隆子ちゃんもよく買い物に来てくれて。
彼女の顔はパッと思い浮かぶ。
今、思い出しても涙が出ます」。

事故を報じた毎日新聞の同年6月12日付朝刊の記事は、米軍師団長が棚原さん宅を訪ねたが「家族が半狂乱のため、面会できずに帰った」と結ばれている。
 「59年には米軍機が小学校に墜落し、児童11人が亡くなった事故があったし、他にも住民が犠牲になる事故は起きてきました。
米兵の犯罪も後を絶たない。
そこで飛び出したのが、あの発言です」

 1月25日の衆院本会議で、米軍ヘリの部品落下事故を巡る共産党・志位和夫委員長の質問中に発した自民党の松本文明副内閣相(当時)の「それで何人が死んだんだ」のヤジのことだ。

「副大臣どころか、議員失格です。
ならば、沖縄県民は何人死ねばいいんですか。
言いたくはありませんが、自分の家族が同じような悲惨な目に遭っても、同じことが言えますか
 こんな疑念も浮かぶ。
あの発言、松本氏の個人的な資質にとどまる問題ではなく、日本社会は多かれ少なかれ、似たような感覚を共有し、沖縄を冷淡に見てきたのではないか?

 ある記事を紹介したい。朝日新聞の2月6日付の夕刊社会面(東京本社発行紙面)である。
隊員2人が痛ましい死を遂げた佐賀の陸上自衛隊ヘリの墜落事故を巡り、住民が沖縄の米軍ヘリ事故を念頭に、こんな感想を漏らした。

「沖縄であがんことがあっても、遠隔地で気にしていなかった。安心して住まれんね」  
「沖縄では、過去も今も米軍機やヘリが事故を起こしている。
住民に犠牲者も出てきた。
でも遠隔地・沖縄だから関係ない、と。
これこそ多くの日本人が共有してきた意識ではないでしょうか」と喝破するのは、東大教授で哲学者の高橋哲哉さん(61)。

日本人が「日米安保は必要だ」と考えるなら、その前提となる米軍基地は本土こそ引き受けるべきだ、と訴えてきた。
 「『関係ない』という意識が沖縄からはどう見えるか。
これを見てください」と示されたのが、2月3日付の地元紙・琉球新報。

安倍晋三首相が2日の衆院予算委の答弁で、沖縄の基地負担が減らない要因について、初めて「移設先となる本土の理解が得られない」ことを挙げた、と1面トップで報じた。  
「沖縄だって基地を『理解』したわけではない。
でも沖縄には基地を押し付け、本土は『理解が得られない』から押し付けない。
これこそ差別ではないか。
沖縄の怒りの根源がここにあります

 少数派の沖縄に基地を置いて日米安保の「恩恵」だけは受けながら、圧倒的多数派の本土に基地問題の当事者意識はない。
想像力の欠如でもあります。
多数派は、自分が少数派になったり、犠牲になったりするかもしれない、ということを考えない。
これは福島の原発事故後も、原発再稼働を求める政治家や世論にも言えることです」

 振り返れば、福島の原発事故でも2013年、自民党の高市早苗政調会長(当時)が講演で「原発事故による死者が出ている状況ではない」と述べ、後に撤回した。
津波の被災者を含めて避難中の体調悪化などが原因の震災関連死は、福島県だけで2000人を超える。
やはり「遠隔地」である福島の原発事故の実相は人ごと、ということか。
電力の恩恵は享受するが、事故のリスクは遠隔地で、という構図は、基地問題と同じである。  

「これらの暴言・失言からうかがえるのは『仮に死者が出ても大したことはない』という意識ではないでしょうか。
少し前の話ですが……」と高橋さん。

 久間章生・元防衛相はかつて、有事法制を巡り
「90人の国民を救うために10人の犠牲はやむを得ないとの判断はあり得る」(03年6月30日付朝日新聞朝刊)と発言した。  

問題は、この10人はだれか、です。
為政者は、自分を生き残る90人にカウントするでしょう。
では国民は、自分や家族をどちらに入れるのか。犠牲になる10人に入ることを為政者に認めた人はいるのでしょうか」

 高橋さんの問いに、即答できる人はいるのか。
「何人死んだ」といった言葉の後ろに横たわる空気は、犠牲になる「10人」を他者に求め続けてきた私たちが醸成したのではないか。

原発事故、基地問題対応に投影
 もう一つ、気になることがあった。
米軍普天間飛行場の辺野古への移設の是非が問われた4日の沖縄・名護市長選、移設反対を掲げた前市長陣営を「反日」などと中傷する言説が飛び交った。

自民党の山田宏参院議員はツイッターで「親中反米反日勢力」とまで記した。
 米軍の事件・事故を起こしたのは、中国ではない。
沖縄県民の生活や生命を脅かす事件・事故を「反日」というならともかく、「悲惨な事件をなくすため、基地を減らしたい」(糸数さん)という訴えが「反日」らしい。

山田議員の事務所にツイッター投稿の趣旨について取材を申し込んだが、多忙であることを理由に応じなかった。
 「先月も沖縄で米海兵隊ヘリの部品が落下した保育園の園長に会ってきました。
被害を訴える保育園には今も『反日』だの『非国民』だのという迷惑電話やメールが来ているそうです。
実は福島も同じで、原発に反対する被災者らに『反日』という言葉が投げつけられている。

今の日本は、被害者を『敵』とする風潮が生まれているんです」と首を振るのは、沖縄、福島で取材を重ねてきたジャーナリスト、安田浩一さん(53)だ。

 おさらいすると、沖縄の米軍基地の大半を占める海兵隊は、もとは本土に駐留していた。
しかし米軍の事件・事故が相次ぎ、本土の反基地感情が高まった57年以降、米施政下の沖縄に移った。

 当時の本土の空気感を示す国会議事録を見つけた。
例えば54年8月2日の参院文部委員会。
後に佐藤栄作内閣の文相を務める自由党(自民党の前身)の剱木(けんのき)亨弘(としひろ)氏が、大阪市立大などを接収して駐留する海兵隊について述べていた。

 「海兵隊駐留後は演習で騒がしいし、風紀上の事件も発生し、女子学生は毎日心配して登下校している。
市内の小学校の授業にも影響が出ている」ことなどを理由に海兵隊の移駐を求めた。
こうした自民党の先達も「反日」なのか。

 「沖縄や福島だけではありません。
反原発運動にも『反日』といった物言いがなされる。
国や政府に逆らうのは『敵』なのでしょう。
理由は判然としない。
ただ言えるのは、街頭での差別デモは、法整備が進んで確かに力を失いました。
でも、同じように沖縄や福島、隣国や在日外国人、弱者を差別する言葉は日常生活で交わされるラインに近づきつつある。
それを後押ししているのが文化人や政治家の暴言です。
これは罪深い。
彼らの言葉が、差別や被害者の命を『何人死んだんだ』と切り捨てる冷酷さを正当化させることになりかねません」(安田さん)

 二つの地域に向けられる為政者の視線にこそ用心したい。
犠牲となる「10人」には、だれだってなりたくない。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月18日

対米従属の極み ポンコツ兵器押し売りにダンマリの日本

対米従属の極み
ポンコツ兵器押し売りに
ダンマリの日本
2018年2月17日 日刊ゲンダイ

 ヤクザにたかられる“カモ”と一緒である。
日本政府が米国から「イージス・アショア」や戦闘機などの防衛装備品を購入する「有償軍事援助」(FMS)をめぐり、改めてその問題が浮き彫りとなった。

 FMSは「価格および納期は米政府の見積もり」「代金前払い」「米国側から契約解除可能」――など、米国側にとって極めて都合のいい条件が設定されている。
その上、代金を支払った分の装備品も注文通りに納入されているわけではないから驚きだ。

 会計検査院の調べによると、納入された装備品のうち「不具合」が見つかったのは、2005年度〜16年度で107件、金額で約2300億円にも上る。
01年度、03年度〜11年度、13年度では、米国から送付されてくる装備品の金額を掲載した「計算書」と、実際に日本側が受け取った「受領検査調書」の内容が一致しないケースが64件、約671億円あった。

 14日の衆院予算委でも無所属の会の原口一博議員が
トランプ米大統領に『日本はあなたの財布じゃない』と言いたい。
米国のずさんな管理で現場が苦労している」と安倍首相に迫ったのも当然だ。

 FMSをめぐっては、前払い金と実際の購入費用の差額である「余剰金」について、米国からの返還が滞っている上、昨年度の「未精算額」が約623億円、「未納入額」が約189億円に上る。
こうした数百億円ものカネが毎年、米国の精算手続きの遅れから宙に浮いたまま。米国から見れば、契約段階で言い値のカネを支払う日本は“カモ”だが、不良品をつかまされる現場の自衛隊員はたまったもんじゃない。

元外交官の天木直人氏がこう言う。
「多額の税金が装備品の購入に費やされ、その上、ポンコツ品を買わされている現状は、深刻ですよ。
日本は米軍基地の負担や武器購入などで多額のカネを払っているにもかかわらず、トランプ大統領は日本を『ドロボー』呼ばわり。
それでも、安倍政権は何ら抗議することなく唯々諾々と従っている。
対米従属ここに極まれり、です」

 防衛省、自衛隊から怒りの声が上がるのも時間の問題だ。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月19日

小学生にアルマーニ 自己確立なら、いっそ制服廃止を

松尾貴史のちょっと違和感
小学生にアルマーニ 
自己確立なら、いっそ制服廃止を
2018年2月18日 毎日新聞
                              こたぬき01.gif
 東京の新宿区立江戸川小学校で、図工の授業で忘れ物について児童たちへの詰問が授業時間が終わっても続き、給食を食べさせなかったことが問題になった。
罰としてそうしたのか、ただ教諭の時間配分が拙かったのかはわからないけれど、問題はそれだけではない。
何と、教師はその事実を親に報告しないようくぎを刺していたのだという。

 「親に言うな」という指示が、どれだけ子供たちの大人に対する信頼を傷つけただろう。
親や学校は何かがあればすぐに相談する対象として指導するのが当たり前ではないか。
口止めをするということ自体がやましさの証左だが、子供たちは家に帰ってもその恐怖で親に言えなかった。
 一部の児童が帰宅後、「おなかが空いたから何かを食べていいか」と聞いてきたことから親が不審に思い、事実が発覚したのだという。
「先生から言うなと言われていたので、自分が言ったことは先生に言わないで」と懇願したという。
 何度か保護者と学校の話し合いが持たれたようだが、図工の担当教諭は「生徒たちが忘れ物をした理由を言わなかったせいだ」と述べている。
「忘れ物」は忘れた物であって、理由があるとすれば「忘れたから」以外にない。
いったい何が知りたかったのか。
 そんな無意味な詰問をするために、給食を食べさせてもらえないなどということがあっていいはずがない。
たまたま「おなかが空いた」と正直に訴える子供がいたから発覚したが、これが氷山の一角でないことを願う。

 同じく東京の中央区立泰明小学校(和田利次校長)は、8万円も9万円もかかる児童の制服の導入を発表した。
越境通学などの特別扱いが許されている学校とはいえ、相当な違和感を覚える。

「銀座らしさ」を重視しているのだという。
 銀座はそもそもそういう街なのか。
地価が高騰し、高級ブランドの店が多く集まっているということが、子供たちにとってどれほどの価値があることなのか。
なぜイタリアの高級ブランドなのか。

イタリアでもフランスでもよかったのだろう、複数のブランドに呼びかけ、それに応えてくれたのがたまたまアルマーニだったのだともいう。
デザインのコンセプトやブランドの成り立ちに銀座と泰明小学校に通じるものがあるというわけでなく、応じてくれたのがそこだけだったのだという。

 今回のへんてこな発想の理由について、校長のコメントに「服育」「ビジュアルアイデンティティー」という不可思議な文言が使われている。
体育、徳育、知育、食育という言葉は聞いたことがあるが、私が疎いのか、服育などという言葉は見たことも聞いたこともなかった。
誰が発明したのかは知らないが、服育、アイデンティティーと言うなら、それこそ自己の確立のために制服など廃止すればいいのではないか。

 そろえるのに8万円だかがかかるというが、汚れて洗濯する間合いを保つためには「一式」だけでは済まないだろうし、成長期、毎年ぐんぐん大きくなる体格に合わせるため、さらなる出費が待っている。
通っているほとんどの子の家庭は払えるだろうという読みだそうだが、ピントがずれすぎている。
家計的に難しい家の子供に対するいじめやレッテル貼りの原因を作ることにもなるのは想像に難くない。
一体何がしたいのか。

 この校長は、オカルトといってもいい「水からの伝言」や捏造(ねつぞう)された作法「江戸しぐさ」などの信奉者でもあると指摘されている。

自身が何を信奉しようと自由だが、併設する区立泰明幼稚園(園長を兼任)の保護者便りなどで推奨する文章を発表しているのは、いささか深刻に感じる。(放送タレント)
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月20日

母から2000万奪った大銀行の"合法手口"

母から2000万奪った
大銀行の"合法手口"
2018/02/19 プレジデントオンライン

鳥居 りんこエッセイスト

この数年、大手銀行は投資信託の販売に力を入れている。
預金と異なり、販売するたびに「手数料」が入る商品だからだ。
そして銀行が熱心に売り込んでいるのが、銀行への信頼度が高い高齢者だ。

エッセイストの鳥居りんこ氏の母親は、銀行員の女性から3000万円分の投資信託を購入させられ、2000万円以上の損失を被ったという。
一体なにが起きたのか――。

*本稿は、鳥居りんこ『親の介護をはじめたらお金の話で泣き見てばかり』(ダイヤモンド・ビッグ社)の第1章「高齢者狙いの詐欺被害編」に著者が加筆したものです。

私の母は大手銀行に
こうやって騙されました
この度、義憤を覚えて本を上梓した
こんなことがまかり通っていて良いのかという憤りがそうさせた。

「こんなこと」とは大手銀行が筆者の母を騙したことを指す。
私(筆者)は父亡き後、約10年間、難病の母を介護していたが、途中で在宅介護に限界を感じ、母を老人ホームへ移した。
その時、入居一時金を払うため母の預貯金を確認したところ、「被害」に気付いたわけである。

投資のことなど何も知らない後期高齢者である母は、大手銀行のパートの外回りの女性の勧めで、他界した父親の退職金など約3000万円の投資信託を購入させられていた。
しかも年寄りには不必要なほどの頻繁な売り買いがあり、そのすべてがハイリスク・ハイリターン商品の売買であった。

さらには運用益による分配金(利息)だと母が信じていた毎月30万円の入金は、実は元本を取り崩して支払われる「特別分配」(いわゆるタコ足配当)だった。
預金は大きく元本割れを起こしており、私が気づいたときの評価額は1000万円を切っていた。

私が以下の2点から、この銀行の手口は悪質だと感じた。

▼1:「銀行」という名の
   「信用」を利用している点
母は昔の人なので、銀行員=お堅いという、一種の信仰心のようなものを持っていた。
言葉は悪いが「株屋さん」だとか「保険屋さん」は警戒するくせに、同じ金融機関でも、なぜだか「銀行」とりわけ「大手銀行」は真面目で誠実、人を騙すようなことは断じてないと信じ込んでいるようだった。
消費者金融ですら銀行系列の会社がある時代なのに、今も高齢者には銀行員に対する「信頼」があるのだ。

よって、まさかいまの銀行が「手数料商売」に血眼となる「金融商品屋さん」であるとは思っていない。
そんな高齢者を責める気にはなれない。

母はずっと「外回りの女性はとても良い人。私を騙すわけがない。
だって、銀行さんだよ。
しかも大手の」と言い続け、その女性をかばい続けていた。
それは元本割れが家族に発覚した後も続いた。
銀行の部長「自分だったら、正直なところ買いません」

▼2:「特別分配」という語句で
「タコ足配当」を巧みに隠し通したこと
その外回りの女性は、母の投資能力が「特別」(=当行のプロ集団が自信を持って運用している投資信託を選ぶあたり「お目が高いですね」という意味)だから月々30万円の利息が付いていると勧誘していたのだ。

自分の預金通帳に月々、まとまった金額が振り込まれ続けているのを見て、「なるほど、はいはい、タコ足配当=元本割れなのね」と理解できる高齢者がどれだけいるだろうか。
銀行は「『投資信託取引残高報告書』を送付しております」と言うが、小さな数字を羅列してあるだけで、非常にわかりづらい。
私には「特別分配」という語句で「あなただけを特別に優遇しているVIP分配」と錯覚させ、「定期預金自動解約装置付きの元本割れ投資信託」とは悟られないようにしているとしか思えなかった。

この「特別分配金」という名称は評判が悪かったらしく誤解を生じやすいとして、投資信託協会からの通知で2012年6月1日から元本払戻金(特別分配金)という用語に変わっている。
しかし、この通知以降も母は銀行員から「特別な分配金」と説明され続けていたのだ。

私たち家族は銀行に強く抗議した。
銀行も本音と建前は違うようだった。
担当部長氏は「自分だったら、正直なところ買いません」と言い、その場では「低い格付けの債券を売りつけたのは手数料収益のため」と認めていた。
しかも、「自分たちは(そうやって)手数料で収益を得ることが仕事」と淡々と言うのだった。

▼銀行「お母様に丁寧に説明し、
       ご納得頂いていた」
だが建前では責任を認めることはなかった。
わが家は「適合性の原則」(※)からの逸脱を銀行側に訴えたが、銀行は「お母様に丁寧に説明し、ご納得頂いていた認識(=母の署名あり)」の線を一歩も崩さなかった。

※顧客の知識、経験、財産の状況、金融商品取引契約を締結する目的に照らして、不適当な勧誘を行い、投資者保護に欠けることをしてはならないという規制のこと。

私たちの猛抗議に対し、銀行が手渡したのは金融トラブル救済機関のパンフレットだった。
銀行がそのようなパンフレットを常備していることに驚いてしまうが、それだけトラブルが多い
ということなのだろう。
そして、私たちはそのパンフレットに記載されていた救済機関に駆け込んだが、結果として裁判で戦うことはなかった。
つまり泣き寝入りするしかなかったのである。
なぜか。

裁判で戦わず「泣き寝入り」する
     しかなかった2つの理由
ひとつは、これは母のお金だったという事実である。
家族からみれば、明らかに騙されているのだが、母は騙されていたということを断固として認めない。
また母は銀行役席(管理職)の差し出す書類に、要所要所でたしかに母自身がサインをしているのだ。
自分のお金をどう運用しようとも、原則としては母の自由である。
そして、何より裁判に訴えても、勝つ保証はない。

時間と金を浪費しながら、長期にわたり、高齢な母に自責の念を思い起こさせることにもなる。

高齢で難病である母の晩年が、まるで家族から責められ続けているかのようになるのは避けたかった。

私は「まさか大手銀行が高齢者をだますようなことをするとは、それまで考えたこともなかった。
母のような『被害者』を出さないために、本を書こう」と決めた。

▼金融庁から大銀行へのご下命
もちろん、国も手をこまねているわけではない。
母の“事件”は2015年までのことで、その後、国は対策に動き出している。
2017年3月、金融庁は「顧客本位の業務運営に関する原則」を打ち出し、金融事業者に顧客本位の業務運営、いわゆる「フィデューシャリー・デューティー」の確立・定着を求めた。

「顧客本位の業務運営」に関する7つの基本原則とは以下の通りだ。
【原則1】顧客本位の業務運営に係る方針の策定・公表等
原則2】顧客の最善の利益の追求
【原則3】利益相反の適切な管理
【原則4】手数料等の明確化
【原則5】重要な情報の分かりやすい提供
【原則6】顧客にふさわしいサービスの提供
【原則7】従業員に対する適切な動機づけの枠組み等

素人である私の解釈では、お上が「金融機関はこれまでのように、自社が一番儲かる商品を売ろうとするのではなく、投資家個々人にとって本当に必要な商品を売り、顧客にも利益をもたらすような金融サービスに努めよ」とご下命したということになる。

銀行員のカモになる
高齢者は今後も減らないのか
母の件には残念ながら、このご下命は間に合わなかったが、これにより、金融機関の「カモ」になる高齢者が減ることを祈っている。
ただ、このご下命は始まったばかり。

現在、親御さんの介護に携わっておられる方、または高齢かつあまり金融系の知識には強くないと思われる親御さんをお持ちの方には、まだまだ注意が必要だ。

たとえ、認知症であろうがなかろうが、高齢者が「自分の金でこの金融商品を買う」と主張したならば、これからも金融機関は今までどおり、法的な手続きをクリアして、そうした「ご要望」に応じることだろう。

たとえば母のように「ハイリスク・ハイリターン商品で運用したい」という書類にサインしていれば、その先は合法的な取引になる。

▼金融マンは詐欺師ではない。
「職務」に忠実なだけだ
金融マンが詐欺師のような集団というわけではない。
おそらく職務に忠実なだけであって、この低金利時代に課せられたノルマや目標を達成する「お仕事」を持っているにすぎない。
それが「顧客の利益」ではなく「手数料」を重視する形になっていることが問題なのだ。

信用ある金融機関の、親身になってくれている(ように見える)「私だけの担当者」に対して、高齢者が「言いなり状態」になることは今後も大いに予想される。

親が子に対して積極的に財産開示をすることは少ないようだ。
このため高齢な親を持つ者にとっては難しいミッションになるが、まずは親の金融知識がどのくらいのレベルであるのかを世間話の中で見極めてほしい。
もし、時代に合わないようであるならば、親の金融資産がどこにあって、どのように運用されているかを、いち早く確認することだ。
それは結果として高齢な親を救うことになる。
「振り込め詐欺」や「送り付け商法」など高齢者を狙った詐欺事件は後を絶たない。

しかし、「ちゃんとした金融機関」であっても「金融セールスによる被害を受けることがある」ということを肝に銘じてほしい。
ご家族は親御さんの大切な財産を、親御さんの納得のいく形で使えるように後方支援をしてあげてほしい。
被害者のひとりとして、私はそう願っている。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(4) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月21日

寝るリズム忘れずに

香山リカのココロの万華鏡
寝るリズム忘れずに
毎日新聞2018年2月20日 都区版
たぬき02.gif
「働き方改革」により、これまで勤務時間などあってないようなものだった医者の世界も少しずつ変わってきた。
たとえば、夜の当直勤務の後、若手の医者のほとんどは翌日の日中もふだん通りに仕事をする。いったん出勤して40時間、60時間と病院に居続けるということもあった。

それが最近は「当直が終わったら、なるべく朝一度、帰宅して休養」というルールができつつあるのだ。
 ところが、それによって新たな問題が起きてきた。

ある若手が言っていた。
「夜、仮眠をはさみながら患者さんの急変などに対応して、朝、帰って、夕方また担当の患者さんの様子を見に病院に来る。
その間、数時間だけ家にいても寝られない。
だとしたら、病院で昼休みなんかに仮眠したほうがいい」

 どちらにしてもあまりの働きすぎに心配になるが、たしかに人間は機械ではない。
「はい、家に5時間滞在してその間にしっかり睡眠も取って」といわれても、なかなかそうはできない。

 良い睡眠を取るためには、忙しい時間から切り離され、短くてもいいからリラックスタイムをもうけることが大切だ。
仕事を忘れ、自分のためにお茶をいれ、すてきな音楽に20分でも耳を傾ける。
そんな時間があってこそ、からだも脳も「ああ、これから自分を休めるんだな」と睡眠モードになれるのだ。

 とくに交代勤務をしている人たちは、この「仕事をしている昼とリラックスや睡眠のための夜」が逆転することもあるので、からだが「いまは働くの? それとも休むの?」と判断できなくなる。
それによって不眠、高血圧、胃腸障害などが引き起こされることもある。
交代勤務をしている人たちは「自分のからだに相当、ムリをさせているんだ」と自覚して、睡眠前のリラックスタイムや完全休養日などをなるべく多く取ってほしいと思う。

 そう言いながらも、私もだんだん仕事の時間と自分の時間との境目がなくなりつつある。
ネットの発達で、家に戻って寝る直前でも仕事のメールをやり取りしたり、原稿を書いて送ったりしてしまうのだ。
 もちろん、今さら「みなさん、朝起きて昼は仕事や家事を頑張っても、暗くなったら働くのをやめて、ゆっくりくつろいで夜は良い睡眠を取りましょう」などと言っても、実現するのは難しそうだ。

とはいえ、本来は「朝起きて夜は寝る」のが人間という生きもののリズム
それだけは忘れないようにしたいものだ。
      (精神科医)
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月22日

裁量制データ捏造に安倍が開き直り

裁量労働制データ捏造が確定でも、
安倍首相は開き直り&責任逃れ発言!
「資料が正しいか確認なんてしない」
2018.02.20 リテラ編集部

 安倍首相の「裁量労働制で働く方の労働時間の長さは、平均的な方で比べれば一般労働者より短いというデータもある」という答弁の根拠が杜撰な“捏造データ”であったことが昨日判明したが、本日開かれた衆院予算委員会で、安倍首相が驚きの答弁をおこなった。

「データを撤回すると申し上げたのではなくて、引きつづき精査が必要と厚労省から報告があったため、精査が必要なデータに基づいた答弁について撤回し、お詫びをした」

 データを撤回したのではなく、データに基づいておこなった答弁を撤回しただけ。
だからデータは撤回しない、と言うのである。
 盗人猛々しいとはまさにこのことだ。

問題となっている2013年度「労働時間等総合実態調査」は、裁量労働制で働く人には「1日の労働時間」を聞いていた一方、一般の労働者には「1カ月で“最長”の1日の残業時間」を聞き、そこに法定労働時間の8時間を足して算出。
つまり、一般の労働者の労働時間が長く出るような質問をおこなっていたのだ。

 このように、本来ならば決して比較してはならないものを同列にし、安倍首相は国会で「裁量労働制のほうが一般労働者よりも労働時間は短い」と答弁をおこなった。
その結果、たとえば読売新聞などは社説でこの答弁を引いた上で、〈(裁量労働制は)漫然と残業するより、短時間で結果を出せる職種は少なくない〉(1月30日付朝刊)などと書き立てたのだ。

 だが、厚労省が「裁量労働制のほうが一般労働者よりも労働時間は短い」と裏付けるデータを「もちあわせていない」と答弁しているように、そんな事実はない。
むしろ、厚労省の要請で独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)が調査した結果では、1カ月あたりの平均実労働時間は一般よりも裁量労働制のほうが長時間と出ているのだ。
 にもかかわらず、安倍首相は、この期に及んで無反省な態度で言い訳をくどくどとつづけた。

「この問題について、詳細に事実をすべて把握しているのは厚労大臣。私はもちろんこの予算について森羅万象すべてのことについて答えなければならない立場だが、すべて私が詳細を把握しているわけではない」
「(データは)厚労省から上がってくるわけで、それを私は参考にして答弁をしたということ。これ以上のものではない」

データを捏造させておいて
「官庁から上がってきた
  データを答弁しただけ」
 森友問題で会計検査院の指摘がなされたあとも「財務省、国土交通省から『適切』と報告を受けていた」などと主張して一向に自身の責任を認めなかったが、またも安倍首相は責任を官僚に押し付けたのだ。
だが、もっとも開いた口が塞がらなかったのは、この言い訳だ。

「予算委員会の前の、総理の答弁レクって言うのはですね、短いあいだに答弁を全部、やるわけですよ。
ひとつの質問に2分とかそれくらいしか時間をかけることができないわけで」
「ひとつひとつの資料をですね、これをブレークダウンして、正しいかどうか確認しろなんてことは、あり得ないんですよ」

 開き直りにも磨きがかかっているが、「自分は官庁から上がってくるデータを答弁しているだけ。正しいかどうかなんて確認できない」と言うのである。
 自分は無能でたんなる官僚の操り人形だと自ら告白しているに等しいが、現実はこれとは逆だ。むしろ、安倍政権=官邸が法案を通すために、都合のいい資料を出すことを役所に強要し、官僚たちは安倍首相の顔色を伺いすぎて政権に不都合なデータを出せなくなっている。
その結果、今回のような捏造事件が起こってしまったのだ。

 実際、そうした疑義を裏付けるような話も出てきている。
本日、質問に立った立憲民主党の長妻昭議員によると、今回のデータを厚労省が出してきたのは、2015年3月26日に開かれた民主党の厚生労働部門会議でのこと。
当時、「裁量労働制のほうが労働時間が長くなる」と野党は問題視していたが、そんななかでこのデータがもち出された。
そして、このようなタイミングのなかで、同年4月3日に裁量労働制の拡大と高度プロフェッショナル制度を盛り込んだ労働基準法改正法案が閣議決定されたのだった。

 ようするに、裁量労働制の拡大によって長時間労働が助長されるのではという批判を野党が強めるなかで、それに反論するために安倍政権はこの捏造データを出してきたのだ。
 事実、この閣議決定後の7月31日に開かれた衆院厚生労働委員会では、現・希望の党の山井和則議員が「裁量労働制は長時間労働になりがち」と指摘すると、塩崎恭久厚労相(当時)はすぐさま、件の捏造データをもち出して「むしろ一般労働者の方が平均でいくと長い」と反論している。

自分への質問も加藤厚労相を立たせて
責任逃れする安倍首相
 このように、ありえないデータを使って反論を封じ込めようとしてきた、そんな詐欺的な事実が判明したというのに、安倍首相はいまだ「俺は悪くない、データは撤回しない」などと宣っているのである。

 しかも、安倍首相は言い訳だけではなく、本日の国会では自分が指名されている答弁も加藤勝信厚労相を先に立たせる場面を何度も繰り返した。

とくに酷かったのは、山井議員の質疑で、過労死によって家族を失った遺族がいかに裁量労働制の拡大に反対しているのか、その想いを代弁していた際のことだ。
 きょうは遺族の方々も傍聴に訪れていたというが、そうしたなかで裁量労働制が過労死につながっている現状について問われても、加藤厚労相を答弁に立たせるばかり。
そして、手元の資料に目を落とし、ただただ「この法案では健康確保措置を強化する」などという実効性もあやしい空疎な言葉を並べた。

その上、労働者へのきちんとした実態調査の実施も拒否し、法案提出を撤回しない姿勢を示したのだ。
 本サイトでは何度も指摘しているが、裁量労働制の拡大および高度プロフェッショナル制度の導入は、「残業代ゼロで定額働かせ放題」という長時間労働を誘発するもので、過労死という人の命に直結する大問題だ。

そして、その批判をかわすためにデータを捏造したとなれば、「俺は悪くない」などという小学生以下の言い訳で許されるはずがない。
 そもそも、安倍首相は今回のデータ問題を「そういうデータもあるというわけで、それのみを基盤としたわけではない」と強弁するが、「のみを」ということは、すなわちこのデータも法案作成の基盤としてきたということ。
そんな法案を通すなど、言語道断の話だ。

 一体、どのような過程を経て、このデータの捏造がおこなわれたのか。
これをはっきりさせるとともに、労働者の命を命とも思わない安倍首相の冷酷さこそがこの法案の本質なのだということを、さらにあきらかにしていかなければならないだろう。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月23日

俳人 金子兜太(とうた)さんの遺志

きょうの潮流
2018年2月22日(木) しんぶん赤旗

 子どもの頃から七五調の秩父音頭を聴いて育ち、自分の体は俳句に仕立てられているといっていた金子兜太(とうた)さん。
98年の人生のなかで句作を忘れてしまった時期がありました

▼海軍の将校として赴いた南洋のトラック島。
米軍の爆撃で島じゅうが黒焦げ。
本土からの補給は絶たれ、捨てられた「虚無の島」で飢えてやせ細っていく仲間たち。
ひとの死が日常化するなかで頭に浮かぶのは食べ物のことばかりでした

▼敗戦で捕虜となり、日本に帰るとき。
「非業の死」を思いながら、船尾から遠ざかる島を見ていたときにつくった句があります。
水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る〉。
その代表句は、戦後への出立の決意を込めた原点になりました

▼反戦・平和の社会を実現するために生きてきた俳人が危うさを感じたのが安倍政権です。
ふたたび近づいてくる軍靴の響き。
体を張って阻止しなければと筆をとった「アベ政治を許さない」の力強い文字は運動のシンボルに

▼カタカナでアベとしたのは、安寧が倍になるどころかどんどん脅かされていくから。
本紙のインタビューでもアベ政治のすべてを問うとして、戦争に反対することは人生の最後の仕事だと語っていました

▼人間の生や自然、社会を詠み、俳句によって時代を覆う空気を変えようとした生涯。
国のために働かされ、死んでいくという制度や秩序は我慢できない。
無理に生きる必要のない自由な社会をつくりたい。
1世紀近く日本の歩みを見つめてきた金子さんの遺志は、われらに。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(6) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月24日

安倍政権でかくも堕落 モラルも常識も通じない異様な国

安倍政権でかくも堕落
モラルも常識も通じない異様な国
2018年2月23日 日刊ゲンダイ

 この国は行き着くところまで行ってしまった。
昨今のあまりにも異常な政治の惨状には目を覆うしかない。

 “虚偽答弁”の落とし前をつけず逃げまくる国税庁長官。
そんな人物を「適材適所」だと言って開き直る財務大臣。
嘘データを使ってでも“過労死促進法案”の成立に躍起の首相と厚労大臣。
空から燃料タンクが降ってきて国民の安全が脅かされても米軍に泣き寝入りの防衛大臣。

 ところが、これほどまでデタラメ連発の政権なのにびくともしない。
形ばかりの謝罪をするだけで、緊張感なくヘラヘラ笑ってエバり散らしていられるのは、いまだ4割超の支持があり、国民がそれを許しているからだ。

安倍1強政権は国会で多数さえ握っていれば、何が正しいかという『正義』さえ自分たちで決められるとおごっている。
そんな政治状況で、社会には諦めと無力感が漂っています」(政治評論家・森田実氏)

安倍政権はこの5年間、嘘と偽りを正義だと強弁し続け、国民をだまし続けてきた。
その結果、政治家も役人も有権者も、上から下まで感覚が麻痺し、社会全体がおかしくなってしまったのだ。

■嘘で嘘を塗り固める悪辣
 納税者から罷免要求を突き付けられている佐川宣寿国税庁長官は、確定申告がスタートする直前の今月14日、なんと都内のホテルに身を隠していた。
週刊ポスト(3月2日号)によれば、ホテルからの出勤時、マスコミの追跡をまくためなのか2台の“おとり”の公用車が使われたという。
佐川氏本人は従業員用エレベーターを使って地下駐車場に止めてあった車で遠回りして国税庁に向かった。
 まるで指名手配犯のような生活だ。
むそんな呆れた長官をかくまうペテン政権が、どの口で納税義務を国民に求めるのか。

 働き方改革の裁量労働制拡大の問題も、怪しいデータ処理が底なしだ。
裁量労働者の方が一般労働者より労働時間が短いと主張したいがために比較できないデータを持ち出したのは言語道断だが、そのデータに117件もの異常が見つかり、その数はさらに増える可能性があるという。

調査に不備があればやり直すのが当たり前だし、法案提出を引っ込めるのが筋。
ところが独善政権は、野党の法案撤回要求を突っぱね、あろうことか施行時期の1年延期でお茶を濁して今国会中の法案成立を強行しようとしている。
嘘で嘘を塗り固める蛮行を平然とやってのける悪辣さなのである。

■もはやイデオロギーの問題ではない
 それでいて、米国には何をされても隷属のポチ政権。
米軍の戦闘機が青森県の小川原湖に燃料タンクを投下、シジミ漁の漁師を恐怖に陥れた問題では、安倍は「ただちに安全管理の徹底を米軍に申し入れた」と口だけは勇ましかったが、尻拭いは日本に押し付けられる。

 米軍に非のある事故でも、日米地位協定に基づけば、賠償は4分の1を日本が負担することになっているというのだ。
 沖縄で頻発する米軍機の不時着や部品落下事故でもそうだが、安倍政権は理不尽な日米地位協定の改定を求めるどころか、その順守すらままならない米軍の言いなり。
小川原湖に広がった油の除去や燃料タンクの回収も本来、米軍の仕事なのに、自衛隊が代わりにやってあげるというから、オメデタイ国としか言いようがない。

上智大教授の中野晃一氏(政治学)がこう言う。
「この国のグッドガバナンスの崩壊は、もはや右や左のイデオロギーではありません。
それ以前の問題で、まともな組織管理やルールが通用しなくなっています。
政権は明らかにおかしいということを堂々とやっている。
論理的に破綻していても平気で突き進む。タガが外れています。
呆れるというか驚くというか。
保守層を含め『エッ』と思っている人は少なくないのではないでしょうか」

 モラルも常識も通じない恐ろしい国になってしまった。
マトモな国民は「もうやってられない」と匙を投げているのが現状だ。

与党、官僚、
メディアの深刻な機能不全
「安倍政権は都合の良い資料は公表するが、都合の悪いところは隠蔽してきた。
その際たるものが今回の調査だ」

 裁量労働制に関する嘘データを受け、社民党の又市幹事長がこう言っていた。
ここ1年だけでも、森友疑惑の資料廃棄の虚偽答弁に南スーダンPKOの日報隠しと続いた。  

森友では、所管大臣の麻生も佐川も、疑惑のド真ん中の安倍も誰も責任を取っていない。
「私や妻が関係していたら首相も国会議員も辞める」とタンカを切ったくせに、国有地売却価格の事前交渉を裏付ける新証拠が次々明るみに出ると逃げの一手。
総理夫人付職員が森友に宛てたファクスの内容に関して、「ファクスは国有地売却がなされる前の貸し付けの段階の話。
国有地払い下げについては私も妻も一切関わっていない」と答弁して、「貸し付け」と「売却」を分離する始末だ。

 そういえば、線香と衆議院手帳を選挙区の有権者に配っていた茂木経済再生相も“確信犯”の疑いが濃厚なのに公職選挙法を都合よく解釈して逃げ、何事もなかったかのように閣僚席であぐらをかいている。

 これほど誰も責任を取らない国があるのか。
責任を取るどころか、ごまかし、情報を隠蔽し、居直り、悪いことをしたとは認めない。
前出の森田実氏はこう言う。
「大人と子供の違いは過ちを犯した場合に責任を取るかどうかということ。
子供は『ごめんなさい』で済むが、大人の社会はそれでは許されません。
ところが安倍さんは政治家としての鍛錬を積まないまま、小泉首相に重用され幹事長や官房長官に就かせてもらった。
元来、子供っぽい安倍さんが甘やかされ、権力を持って増長した。
もちろん第1次政権はそれが理由で短命に終わったわけですが、再び政権に就き、1強となって子供っぽさに拍車がかかったように思います。
そうした首相の子供っぽさが全体に蔓延しているのが今の政界ではないですか」

■とてつもない禍根を残す
 昨秋の森友隠しの解散総選挙を経て、安倍政権はますます傲慢になっているが、自民党が圧倒的多数の議席を占めたものの、53.68%の投票率で得票率は48.2%だ。
それでも世紀のペテン師はオレ様気取り。
野党をバカにし、言い訳と言い逃れで国会審議を軽視する。

 安倍だけじゃない。
麻生を筆頭に閣僚や取り巻きが国民を愚弄して、ふんぞり返る。
そんな政権に自公の与党はひれ伏し、メディアも我が身かわいさでスリ寄る。
新聞が厳しく書かないから、今も佐川が記者会見を開かず雲隠れできるのだし、厚労省の嘘データがこれほどの大ごとになっていても法案提出を強行できるのだ。

今起きている問題はどれもこれも、通常なら内閣が吹っ飛ぶような話なのである。
「与党に官僚機構にメディア。
かつてはそれらのチェック機能が働いていましたが、安倍政権で5年以上のいい加減な政治が続いた結果、おかしなことも不問に付されるようになってしまいました。
機能不全は深刻です。
こんなことを許していたら、この国は滅びますよ。
大本営発表で嘘をごまかし、既定路線を変えず、自己完結させる。
そんな独裁国家でいいのでしょうか」(中野晃一氏=前出)

 戦前、戦中派はもちろん、ちょっと物事の分かっている人はみな、この国の堕落に絶望している。
しかし、このままでは本当にこの国はなくなる。とてつもない禍根を残す。
10年も経てば、権力が国民を欺き、居直るのが当たり前になり、国民は諦めて従うしかない世の中になる。
今、傍観して安倍政権をのさばらせれば、そうした未来を受け入れることになるのである。
それで本当にいいのか。
マトモな国民は今こそよく考えるべきだ。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月25日

102歳の自殺 原発事故のもつ罪深さ

102歳の自殺 
原発事故のもつ罪深さ
2018年2月24日 東京新聞「社説」

 福島第一原発事故による強制避難を前に百二歳の男性が自殺した。
福島地裁が東京電力に対し遺族への賠償を命じたのは、事故との因果関係を認めたからだ。
原発事故の罪深さをあらためて思う。

 福島県飯舘村。
農家で生まれた男性は長男で、尋常小学校を出たあと、父母とともに農地を開拓した。
牛馬を飼い、田畑を耕した。葉タバコや養蚕も…。

 次男の妻は共同通信に対し、「年を重ねてからは老人会で温泉に出掛け、地域の祭りでは太鼓をたたいて楽しんでいた」と答えている。
九十九歳の白寿を祝う宴には、村中から百人近くも集まったともいう。
そのとき、「大好きだった相撲甚句を力強く披露した」とも次男の妻は語り、忘れられない姿となったという。

 二〇一一年。原発事故が起こり、飯舘村が避難区域となると知ったのは四月十一日である。  

「やっぱりここにいたいべ」
 男性はこうつぶやいたという。
両手で頭を抱えるようなそぶりで下を向いた姿を見ている。
二時間もテレビの前で座り込んでいた。

 次男の妻は「避難指示はじいちゃんにとって、『死ね』と言われるのと同じだった」と受け止めている。
確かにそうだろう。
 福島地裁の判決も、男性の百年余に及ぶ人生を語っている。

 <結婚や八人の子の誕生と育児、孫の誕生を経験し、次男の妻、孫と生活した。
村の生活は百年余りにわたり、人生そのもので家族や地域住民との交流の場だった

 だから、避難は男性にとり、過酷なストレスとなる。
科学的に言えば、降った放射性物質セシウム137の半減期は約三十年。
避難は長期にわたるのは必至で、これも耐えがたい苦痛である。

 「ちいと俺は長生きしすぎたな」と避難前にこぼした。
判決は「不自由な避難生活の中で家族に介護という負担をかけるのを遠慮したと認めるのが相当」と述べた。原発事故と避難が男性を押しつぶすストレスを与えた。そして、首を吊(つ)って自殺したのだ

 原発事故での自殺をめぐる訴訟で東電への賠償命令はこれで三件目になる。
一方、東日本大震災や原発事故の関連自殺者は厚生労働省調べで一七年までに、福島県は九十九人。
岩手県や宮城県のほぼ倍だ。
 政府は原発再稼働の政策を進める。
だが、原発事故という取り返しのつかない罪をこの判決は、われわれに思い出させる。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 | Comment(4) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月26日

春闘労使交渉 賃金底上げへの起点にしたい

春闘労使交渉 
賃金底上げへの起点にしたい
2018年02月25日 読売新聞「社説」

大企業が賃上げを牽引し、中小企業や非正規労働者に、その裾野を広げていきたい。
 春闘の労使交渉が本格化している。
労使は、3月中旬に予定されている経営側の集中回答日まで、賃上げなど待遇改善を巡る協議を続ける。
 デフレ脱却を確実にするためには、労働者全体の賃金底上げが欠かせない
まずは、大手企業が、高水準の賃上げを実現できるかがカギを握る。
労使双方の積極的な取り組みが期待される。

 経団連は、2014年春闘から賃上げを呼びかけたが、2%台にとどまった。
今回は3%を掲げ、中でも基本給を一律に引き上げるベースアップと定期昇給での積極的な対応を求めた。

 景気は好調に推移し、今年度の上場企業全体の最終利益は、過去最高を更新する見通しだ。
春闘への追い風と言える。

 3%賃上げを明言する企業もある。
だが、主要企業の労働組合が要求する水準を見れば、全体としての目標達成は容易ではない。  

日本を代表する企業の一つであるトヨタ自動車は、労組が、ベアを月額3000円要求した。
満額回答を得ても、定期昇給を含めて2・9%増にとどまる。
 日産自動車は2・4%、電機大手の日立製作所も2・8%だ。  

賃上げを巡って、経営側のみならず労組の慎重姿勢が目立つ。
 最近の株式市況の乱高下や円高の進展、自動運転をはじめとする開発競争の激化など、経営を取り巻く不安要素を勘案して要求を抑えた面があるのだろう。

 無論、賃上げは、企業ごとの業績と見通しに基づき、労使の協議で決めるものだ。
業績低迷で原資に乏しい企業も少なくない。
 賃上げを固定化するベアと定昇だけでなく、賞与や手当、人材高度化のための研修など様々な手法の組み合わせが求められる。
労使が協力して「人への投資」にアクセルを踏んでほしい。

 政府の役割も重要だ。
業績不安を抱える企業の積極投資を促す規制緩和を促進すべきだ。
業界の枠を超えて技術を結集し、人工知能(AI)やロボットを活用した生産性向上策を後押しすることも必要である。

 働き方改革による長時間労働の是正で、残業代が減るとの見方もある。
従業員の手取りが減少すれば、消費喚起はおぼつかない。
 企業が生産性を伸ばし、収益を増やして、それを原資に賃上げで従業員に還元する。
こうした好循環を生み出すことが大切だ。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

頸椎神経、背骨、右股関節「手術必要」

今日、整形外科から頸椎・脊髄外科に転科し、レントゲン再撮影。

頸椎は 神経が圧迫されていて 放っておいたら「歩行不能」とのこと。
脊髄・背骨は 骨があっち向いてホイ状態で神経を圧迫。
右股関節は 手術しなくては 動かなくなる状態・・・。

本当は、今日 入院・手術日を決める予約でしたので 保証人を頼む妹にも同席してもらい話を聞きました。

老齢年金の申請が 誕生日以降である必要や 股関節や腰の痛みに弱きになり、
「手術までの執行猶予??は どの程度でしょうか」と 回避に望みをかけた質問。

執刀医になる医師は、「進行すると歩けなくなるし 首から下がマヒしかねない」「そうなる前に手術が必要としかいえない」とのこと。
「頸椎が終わったら 股関節、背骨の順ですね。状態は悪いことは確かです」

自覚症状は 手や指の震え、歩くスピードの低下、湯舟を跨げないし痛みで歩くときビッコになる、箸がうまく使えない、字が震えで書けない・・・・。
おじいちゃん・おばあちゃんに歩くスピードで負けてしまうのですと言うと 「でしょうね」と納得されました。

4月18日まで 年金や共済組合の手続きを終え、手術前の検査入院の日付を決めることで通院を終えました。

精神科での薬を事前に予備を作り、リハビリでの落ち込みに備えたい気持ちです。

加齢とともに 骨も内蔵もガタがでているようです。

皆さんも 不調があれば通院して下さいね。
異常なしなら安心できますから・・・。
posted by 小だぬき at 18:55 | 神奈川 ☁ | Comment(4) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月27日

学校にはなぜ制服があるのか…

余録
学校にはなぜ制服があるのか…
毎日新聞 2018年2月26日 

 学校にはなぜ制服があるのか。
私服で通えるようにすると、毎日服を替えられる子を見て、同じ服しか着られない子がつらくなるから。
はるか昔の子供のころ、親や先生とそんなやりとりをした人もいるのではないか

その制服は体が大きくなって袖からシャツがのぞいてもなかなか買い替えてもらえない。
同性のきょうだいやいとこがいれば、お下がりはかつて当たり前だった。
だから東京・銀座の区立泰明(たいめい)小が学校や街への誇りを培うため、アルマーニの標準服を採用するという話には驚くばかりだ

▲昔は制服どころか、家庭の事情で学校に行けない人も多かった。
東京の神田一橋(かんだひとつばし)中学通信教育課程にはそんな高齢の生徒が通う。
彼らの記録映画「まなぶ」を見ると、制服を着たくても着られなかった思いを知らされる

▲昭和7年生まれの男性は小学校を出て就職し、中学には行けなかった。
社会に出てから衣料品店に学生服と学帽を注文し、写真を撮ってアルバムに貼った。
「あこがれだったから」と言う

▲昭和9年生まれの女性は女学校に合格したが、父親が戦死して家が貧しくなり、子守の奉公に出た。
道端でセーラー服姿の同級生たちを見かけ、とっさに電柱の陰に隠れた悔しさを忘れられない。「あの時の自分がいたから強い人間になれた」

▲もちろん時代は違う。
だが制服は子供たちの心と分かちがたい。
泰明小の件では児童へのいやがらせまで起きてしまった。
アルマーニの賛否はともかく、考え込む。
制服は誰のためのものか。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「美女応援団」を霞む存在にした日本の女性選手たち

「美女応援団」を霞む存在にした
        日本の女性選手たち
2018/02/27 JBpress (筆坂 秀世)

苦笑と同情しかない北朝鮮「美女応援団」
 平昌五輪が多くの感動をもたらして閉会した。
開会当初は、北朝鮮の金正恩の妹、金与正の動向や「美女応援団」、三池淵(サムジヨン)管弦楽団のパフォーマンスにマスコミが注目し、日本のテレビ局なども、まるで平昌五輪のメインが金与正や「美女応援団」の動向であるかのような報道を繰り広げていて、苦々しい思いで見ていた。

 北朝鮮の“微笑み外交”こそ「今回の五輪の金メダルだ」などという批評も目にした。
本当にそうだろうか。
競技の進行をまったく無視した応援風景は、競技の邪魔にはなっても盛り上げることにはつながらなかった。
その一糸乱れぬ応援スタイルは、北朝鮮が自由や民主主義とは無縁の体制であることを印象づけただけである。
また、垢抜けない応援の仕方には、苦笑、嘲笑、同情はあったとしても、憧れるようなものは何もなかった。

 競技が佳境に入るや否や、美女応援団の動向など関心の埒外のものとなった。
当然のことである。
オリンピックの真髄はちんけな応援風景などではなく、血の滲む鍛錬と練習に励み、努力と研鑽を積んできた選手の美しい肉体による、懸命の戦いにこそあるからだ。

冬季五輪で過去最高のメダルを獲得
 日本は、金4個、銀5個、銅4個の合計13個のメダルを獲得した。
冬季オリンピックでは過去最高である。

 男子では、モーグルで原大智選手が銅メダル、スノボードのハーフパイプで平野歩夢選手がソチに続いて銀メダル、ノルディック複合の個人ノーマルヒルで渡部暁斗選手が銀メダル、フィギアスケートでは羽生結弦選手が二大会連続の金メダル、宇野昌磨選手が銀メダルを獲得した。  

採点競技のスノーボードハーフパイプは、率直に言って平野選手が金メダルでもおかしくはなかった。
この競技は、まだまだ歴史が浅く確たる採点基準が確立されていないという。
解説者の話を聞いていても、「かっこいいですね」「渋いですね」「おしゃれですね」などという表現が多用されていた。
これらの表現が、どう採点に結びつくのかよく分からない。

 渡部選手は、オリンピック直前の長野県での練習中、転倒して肋骨を骨折していたそうだ。
それでも頑張って2大会連続の銀メダルを獲得した。
 羽生選手の2大会連続の金メダルは、66年ぶりという快挙であった。

 年寄りはよく“今時の若い奴は”などとうそぶくことがある。
私も今月28日で満70歳になるので、文句なしの高齢者だ。
だが若者のこうした活躍ぶりを見ていると、とても“今時の”などとは言えない。
ただただ感服するのみである。

際立っていた
女子スピードスケートの活躍ぶり
 今回のオリンピックで強く印象に残ったのは、女子選手の活躍だった。
なかでもスピードスケートの活躍は際だっていた。
しかも、それぞれの選手に個性が立っていて、面白かった。

 小平奈緒選手は、ずっと短距離のエースとして日本のスピードスケートを牽引してきた。2010年のバンクーバー五輪では、パシュートで銀メダルは取っていたが、得意とする500メートル、1000メートルの個人種目では、もう一歩のところでメダルに届かなかった。
 そのため、ソチ五輪のあと単身でオランダ留学をして、フォームや練習方法を変えていったという。
すでに27歳になっていた小平選手にとって、言葉もできないオランダに留学するというのは、相当な覚悟がいることだったはずだ。

オランダ語を習得するだけでも並大抵の努力でできることではない。
小平選手はそれをやってのけ、ワールドカップ500メートルでは15連勝、1000メートルでは、世界記録を打ち立て平昌に臨んだ。
 プレッシャーがのしかかるなかで、見事に1000メートルで銀、500メートルでは五輪新で金メダルを獲得した。
スピードスケートで日本の女子選手史上初である。

500メートルの競技終了直後に、韓国の李相花選手との抱擁シーンは韓国の国民にも感動的に受け止められた。
 小平選手はオランダのマスコミの取材に流暢なオランダ語で応じていた。
李選手には韓国語で話しかけたという。
まさしくバイリンガルである。

ジャンプの高梨沙羅選手や渡部暁斗選手も、英語のインタビューにも英語で堂々と応じている。こういう時代になったのだと痛感し、やはり日本の若者に感心もする。

圧巻だったパシュートとマススタート
 団体競技のパシュートとマススタートは、見ていて実に面白い競技だった。
素人の私だが、テレビで真剣に見ていてあることに気が付いた。
 テレビの解説者などによると、パシュートの日本チームの特徴は、「ワンライン」だという。キャスターやコメンテーターが日本チームの映像を見ながら、「ほら一直線(ワンライン)でしょう」などとしたり顔で説明していた。
 だが、他のチームを見ていると、多少の巧拙はあったとしてもどこも「ワンライン」なのである。
風圧を避けるためには、こんなことはイロハのイなのだ。

「喝」とか「あっぱれ!」が売りのある番組では、しょっちゅう頓珍漢なことを言う元プロ野球選手が、「パシュートは日本人に向いているんですよ。自己犠牲の精神がありますから」とまたまた頓珍漢なことを言っていた。
だったら、男子チームはなぜメダルが取れなかったのか。
まったく解説になっていない。

「ワンライン」だけではなく、3人の選手間の距離が極端に短いのが日本チームの最大の特徴なのだ。
日本チームは、少し手を伸ばせば前の選手の腰や尻に手が届く距離で滑っている。
決勝を争ったオランダは、個々には日本選手を上回る力を持っていた。
「ワンライン」で滑ってもいた。
だが選手間の距離が日本に比べて長かった。
 この距離の長さによって、オランダチームは日本より強い風圧を受けてしまっていた。

準決勝でスタート直後に、高木菜那選手が妹の美保選手に、「待って、待って」と声をかけ、美保選手が一瞬棒立ちになるシーンがあった。
これは奈菜選手のファインプレーだった。
佐藤綾乃選手がスタートに失敗し、選手間の距離が空いてしまっていたのを修正するためだったのだ。
 この一件でも分かるのだが、菜那選手は大変な勝負師だと思う。

マススタートでも1回戦では、最初に仕掛けて得点5を確保し、後は流して楽々と1回戦を突破した。
決勝戦では、力のあるオランダ選手の後に最後の最後までピッタリ付き、残りわずかなところで勝負を賭け逃げ切った。
見ていてこれほど興奮するレースはなかった。

妹の美保選手は、一大会で金、銀、銅を確保、姉は金2個、これこそあっぱれという他ない。

笑顔を絶やさず銅メダル
 北海道北見市・常呂町を拠点として活動する女子カーリングチームLS(ロコ・ソラーレ)北見も見事であった。
「そだねー」や「もぐもぐタイム」など流行語大賞に選ばれそうな言葉が人気をさらに盛り上げた。
 このチームの最大の特徴は、やはり笑顔だろう。
どんなピンチになっても、真剣に作戦を練っているのだが、最後は笑顔がはじけていた。
負けた時には、涙もあるが笑顔もあった。
日本チームがイギリスに勝利した瞬間、韓国国旗を振って祝福する若者がテレビに映っていた。笑顔はやはり人を惹きつけるのだ。

 女子フィギアの宮原知子選手、坂本花織選手も大健闘だった。
宮原選手は自己最高得点をマークし、坂本選手もフリーでミスが1回あっただけである。

女性にもっと活躍の場を
 日本の女子選手は、世界トップクラスの実力とポテンシャルを持っている。
オリンピックには、そうした選手たちが活躍できる舞台が用意されていた。
活躍できる場所があれば、日本の女性は思う存分活躍する力を持っているということだ。

 3年前、女性活躍推進法が制定されたが、賃金での男女間格差、昇格での男女間格差はまだまだ大きい。
政治の世界でも女性議員の比率は、世界のなかでも最も低いのが日本である。

 今回のオリンピックを機に、女性の活躍できる場所がさらにさらに拡大していくことを切望する。
posted by 小だぬき at 12:37 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月28日

鴻上尚史が喝破!特攻隊の理不尽は今も…

鴻上尚史が喝破!
特攻隊の理不尽は
過去のものじゃない…
過重労働もいじめも
同調圧力は日本人の宿痾なのかもしれない
2018.02.26 リテラ編集部

 きのう、平昌五輪が幕を閉じた。
開会式・閉会式では平和への強いメッセージが発信されたが、あらためて不安になったのが2020年の東京五輪の開会式・閉会式だ。
というのも、開会式・閉会式の演出チームで構成・ストーリーを担うとされる山崎貴監督は、あの百田尚樹原作の特攻礼賛愛国ポルノ映画『永遠の0』を監督した人物だ。 

 こんな映画の監督が、世界的イベントであるオリンピックの開会式・閉会式の演出を務めるなど、どう考えても正気の沙汰ではない。
世界中の顰蹙を買う可能性だってあるが、残念ながら現在の日本ではそうした批判の声は少なく、むしろ特攻を美化する風潮のほうが根強い。

 そんななか、ある特攻に関する本が大きな注目を集めている。
劇作家の鴻上尚史氏が書いた『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社)は、発売されてすぐに増刷を重ね、たちまち話題作となった。

『不死身の特攻兵』は、陸軍の第一回の特攻隊「万朶隊」に所属していた佐々木友次氏について書かれた本。
佐々木氏は特攻隊員として9回出撃し、いずれも生還。
終戦まで生き残った人物として知られている(2016年2月に逝去)。
彼はなぜそのような数奇な運命をたどることになったのか。

 確実に作戦を成功させるため、初期の特攻兵は操縦に長けた優秀なパイロットが選ばれた。佐々木氏の所属する万朶隊も、佐々木氏含め腕利きのパイロットが選ばれたのだが、だからこそ自分の能力をふるう機会すら与えられない特攻の命令には大きな疑問をもっていた。

 また、卑劣なことに、彼らが特攻で使う九九式双発軽爆撃機は爆弾が機体に縛り付けられており、パイロットが死を恐れたとしても爆弾を落とせないため、体当たりするしかないようにされていた。
 万朶隊を率いた岩本益臣隊長はこの設計に憤り、独断で爆弾を落とすことができるように改装させた。

そのことを万朶隊の面々に説明するとき、岩本隊長はこのように語ったという。
「このような改装を、しかも四航軍の許可を得ないでしたのは、この岩本が命が惜しくてしたのではない。
自分の生命と技術を、最も有意義に使い生かし、できるだけ多くの敵艦を沈めたいからだ。
 体当たり機は、操縦者を無駄に殺すだけではない
体当たりで、撃沈できる公算は少ないのだ。
こんな飛行機や戦術を考えたやつは、航空本部か参謀本部か知らんが、航空の実態を知らないか、よくよく思慮の足らんやつだ」

 加えて岩本隊長は、「これぞと思う目標を捉えるまでは、何度でも、やり直しをしていい。
それまでは、命を大切に使うことだ
決して、無駄な死に方をしてはいかんぞ」としたうえで、「出撃しても、爆弾を命中させて帰ってこい」と語ったという。

 結局、岩本隊長は万朶隊として出撃する前に戦死してしまうが、佐々木氏はこの命令を守り、爆弾を落として帰ってきた。
 佐々木氏が帰ってきたのは、「体当たりにより戦艦を撃沈」との大本営発表が出された少し後のこと。
そして、佐々木氏の帰還に対する司令官の対応は人の命を命とも思わない酷いものだった。

特攻隊を生んだ構図は
現在の日本社会にも残り続けている
 佐々木氏にはそれから何回も何回も出撃命令がくだされる。
それは、敵艦を沈めることを意図したものではなく、ただただ彼を特攻させて殺すための出撃だった。
なぜ、敵艦を攻撃することよりも、名誉の戦死を遂げることが目的化したのか。
参謀長が佐々木氏を怒鳴りつけた言葉がそれを説明している。

「佐々木はすでに、二階級特進の手続きをした。
その上、天皇陛下にも体当たりを申し上げてある。
軍人としては、これにすぐる名誉はない。
今日こそは必ず体当たりをしてこい。
必ず帰ってきてはならんぞ」

「佐々木の考えは分かるが、軍の責任ということがある。
今度は必ず死んでもらう。
いいな。大きなやつを沈めてくれ」

 出撃を繰り返すうち、援護を担当する直掩機の数も減らされ、佐々木氏の特攻はどんどん雑な扱いになっていく。
8回目の出撃ではついに直掩機が一機もつかなかった。
これでは敵艦に近づくのもおぼつかないし、たとえ特攻したところで戦果の確認すらできない。  

同書では、生還するたびに痛罵された佐々木氏がどんな理不尽な扱いを受けたか、そしてそのような存在は佐々木氏だけではなく、〈処刑飛行〉を強いられたパイロットは他にも存在したことなどが明かされている。
詳しくは同書を読んでいただきたいが、『不死身の特攻兵』が現在これだけ多くの人に読まれているのは、佐々木氏が受けた理不尽な構図は過去のものなどではなく、現在の日本社会でもなんら変わらずに残っているものだからだ。

 2018年1月21日付朝日新聞のインタビューで鴻上氏は「つい僕らは、うかうかしていると、日本型組織を維持するために、構成員の命を消費する傾向があるんです」と語っているが、理不尽なまでの過重労働を強いられるブラック労働や、意味不明なルールでもそれを遵守しないものは排斥する「いじめ」など、職場や学校といった日本のありとあらゆる組織でこの構図は残り続けている。

 鴻上氏はこのように指摘する。
「特攻隊やいじめの資料を読んでいると、同調圧力っていうのは日本人の宿痾なのかもしれないという気がします。
「特攻に志願する者は前に出ろ」と上官が言って、誰も動かないと「出るのか、出ないのかハッキリしろ!」と叫ぶ。
すると、全員がザッと前に出る。
個に目を向けず、全体が一つであることが美しいという価値観は、いまも連綿と続いている」(「週刊朝日」16年9月9日号/朝日新聞出版)

戦争や特攻隊の美化を懸念し、「同じ轍を踏まないように」と語った 『不死身の特攻兵』では、鴻上氏が札幌の病院に入院中だった佐々木氏のもとまで向かい、数回にわたってインタビューを行っている。
 佐々木氏は非常に言葉少ないながらも、鴻上氏に「戦争ってかっこいいみたいなイメージだけが残っていくと思うんです」
「特攻もやっぱり美しいとか、強調されるんですね」と問いかけられると、「それは十分に気を付けていただけたら。同じ轍を踏まないように」と警鐘を鳴らした。

 70年以上前、特攻につながった日本人の精神性はなんら変わることなく残り続けている。
そのことを認識しなければ、「同じ轍」の悲劇はいとも容易く繰り返されてしまうだろう。
『不死身の特攻兵』はそのことを強く実感させられる本である。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(7) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする