両極端の健康情報に
迷い惑う人間の哀しい性
うつ病に薬は効くのか効かないのか
2018年02月08日 東洋経済
五木 寛之 : 作家
ネットに、テレビに、新聞に……日々溢れる医療・健康情報。
健康への過剰な不安から、それらの情報に右往左往するこの暮らしぶりを、私たちはこのまま続けていくのか?
衝撃の話題作『健康という病』(五木寛之著)から、大反響の箇所を抜粋してお届けします。
健康問題関連記事の花ざかり
このところ、というか、この数十年来、健康問題関連記事の花ざかりである。
新聞、週刊誌をはじめ、テレビ番組でもそうだ。
カラスの鳴かぬ日はあっても、マスコミに健康問題がとりあげられぬ日はないのではないか。
それらの記事や番組は、それなりに充実していて、そこがおそろしい。
医学界の専門家のコメントもちゃんと添えられているし、文章や構成も巧みである。
テレビの場合は、映像が迫力があって、がんの患部のクローズアップなど見ていてギャッと叫びたくなるくらいだ。
仕事部屋に散乱している週刊誌をアトランダムにめくってみる。
〈大反響第2弾・絶対に受けてはいけない がん「免疫療法」と「民間療法」実例報告〉
大反響第2弾とあるからには、最初の記事に相当な読者の反応があったのだろう。
〈あなたが飲んでるその薬、「海外ではもう使われていません」でした〉
この記事には具体的に有名な薬品の実名があげられている。
糖尿病薬、鎮痛剤、抗生物質など、おなじみの薬がぞろぞろ出てきて、読んでいてゾッとする読者も多いのではあるまいか。
〈「漢方」の大嘘 死者まで出ている「副作用」事典〉
これも大反響を呼んだらしく、第2弾の特集が予告されている。
一方、新聞も健康記事の大ブームだ。
以前は「こうすれば痩せられる」とか、「健康になる食品レシピ」などという役立ち記事が多かったが、最近はそうではない。
「絶対受けてはいけない○○手術」だの「この病院が危い!」「専門医が隠す術後死」といった刺激的見出しが並んでいる。
医療や治療法にも、流行がある。
かつてコッホの細菌説が大流行したころ、第二軍兵站医学部長だった森鷗外が、「脚気(かっけ)細菌説」にこだわって、陸軍に大きな被害を出したことは有名だ。
以前、精神科医の学会に呼ばれて講演をしたことがあった。
そのころは新薬が次々に登場して、「多薬・大量投与」というのが流行だった。
その学会のパンフレットにも、製薬会社の広告が目白押しで、画期的な新薬の効果が大々的にうたわれていたのである。
心療内科医の手記には
ショックを受けた
最近、読んだ記事に、「鬱病には薬は効かない」という心療内科医の手記があって、これにはショックを受けたものだった。
その心療内科の医師の手記は、自分のこれまでの経験と、新しい治療情報の紹介が過不足なくまとめられていて、とてもいい記事だったと思う。
しかし、読後なんとなく違和感が残ったのは、その医師があまりにも率直で良心的なことだった。
文中に、これまでの治療方法についての反省が出てくる。
さまざまな薬品を患者に投与しながら、ずっと疑問を抱いていたというのだ。
医学界で推薦されている新しい薬を、いくら投与しても病状が好転しない。
専門の雑誌や学界の論文で、実証的なエビデンスをもとに効果ありとされている薬なのだ。
結局、その心療内科の医師が出した結論は、鬱病に薬は効かない、ということだった。
将来、どんな画期的な新薬が開発されるかはわからないが、目下のところ鬱病の治療に明確な効果のある薬は見当らない、というのである。
その医師の良心的な姿勢と、業界に対する勇気ある発言には敬意を表するが、私たちの側としてはどこかに首をかしげたくなるような気持ちが残ったことは事実だった。
2、3年前まで投薬治療を受けていた患者の立場はどうなるのか。
医学の進歩が、常にトライ・アンド・エラーの繰り返しの上にもたらされることはわかる。
しかし後になって、あれはまちがっていました、ではたまったものではない。
こういうことは多かれ少なかれ、現実にはよくあることだ。
しかし、そうなると画期的な新しい療法が開発されて、それを推(すす)められた場合にはどうするか。
電気製品だろうとジェット旅客機だろうと、科学の進歩は常に欠陥と誤ちの改良修正によって実現するのだ。
しかし、きのうまで信じて飲んでいた薬が、あれは無意味でした、と良心的に言われてもなあ。
医学は進歩し、
専門家の意見は分かれる
私は寝るときに、横になって寝る。
いわゆる横臥位(おうがい)だ。
もう何十年もそうやって寝ている。
べつにお釈迦(しゃか)さまが横向きに寝ていたからというわけではない。
なんとなくそうしてきた。
また、横臥位をすすめる専門家も少くない。
あの故・日野原先生も、あお向けになって寝る動物はいない、とかおっしゃっていたのを聞いたことがあった。
ところが、それと反対の意見を持っておられる医師のかたもいらして、はたしてどちらが正しいのかと目下、迷っているところなのだ。
こういう正反対の意見が、健康論にはしばしばある。
一日何リットルの水を飲めという意見がある一方で、まったく反対の説もある。
水毒という言葉もあるくらいだから、喉が渇いたときにチビチビ飲めばよい、とか、どちらもなるほどと思う点があるので困ってしまうのだ。
私の脚の不都合についても、ある人はアイシングをしなさい、という。
ある人は温めて血行を良くすべきだと力説する。
また、痛む脚で無理に歩くな、とアドバイスしてくれた専門家もいた。
駅の階段などあがるな、必ずエスカレーターを使え、というのである。
逆に体は使わなければ衰える。少々辛くてもできるだけ歩くように、と教えてくださった医師もいた。
まあ、こういうことは、すべてにわたって出会う問題だ。
がんは早期発見、早期治療が鉄則、と力説するかたもいるし、検査などしないほうが幸せです、と自信をもって説くかたもいらっしゃる。
正反対の意見、それも学識経験の豊富な専門家の発言なのだから、一般の人が迷わないほうがおかしい。
しかし、結局のところ人は自分が欲することを選ぶのだ。
迷うのも人間性である。
以前、ある文壇の先輩ががんになった。
ずっとそのかたは「がんになったら一切治療なんかしない、そのまま受け入れる」と断言しておられた。
だが実際にその状況に直面すると、ありとあらゆる民間療法に狂奔されていた。
それもまた人間のありのままの姿かもしれない。