2018年03月28日

居場所を求める若者たち

香山リカのココロの万華鏡
居場所を求める若者たち
毎日新聞2018年3月27日 東京版

 1995年3月20日に「地下鉄サリン事件」が起きてから、23年もの月日がたった。
12人の死者と数千人の負傷者が発生し、いまもなお多くの人たちが神経を侵すサリンの後遺症に苦しんでいる。

 この事件を計画し実行したのは、オウム真理教という宗教の教祖や信者だった。
宗教といえば一般的には「命を大切にする」というイメージだが、この宗教では自分たちが攻撃を受けているといった誤った考えのもと、凶悪な犯罪が次々、行われたのだ。
もちろんこれは許されるものではない。

 この教団には大勢の若者が入っており、社会的な注目が集まった。
その中には、いわゆる一流大学を卒業している人もいれば、まだ10代なのに“出家”して教団の人たちと集団生活をする人もいた。

彼らがなぜ、これほどねじ曲がった考えを持つ宗教にのめり込み、ついには犯罪にまで手を染めることになったのか。
 ある信者は当時、大学を出て企業に勤めても自分が“歯車”の一つでしかなかったこと、それがこの教団では特別な名前や役割を与えられ、自分の存在価値を確認することができたことなどを語っていた。

・どこかに居場所がほしい。
・自分を歓迎してくれる仲間がほしい。
・だれとも替えのきかない自分でいたい。

こう望んでいる若い人たちは、いまも多くいるはずだ。
「輝こう」と言われても、なかなかそのチャンスはめぐってこない。
「自分なんかいなくなっても誰も気づかないかもしれない」と思うほど、恐ろしいことはない。  

日本では自殺者数が8年連続で減少しているが、未成年者では逆に増加しつつある。
34歳までの若年者で見ると、その死因の第1位は自殺という事態も続いている。
生きることに絶望して、誰にも助けを求められない子どもや若者は、いまも決していなくなってはいないのだ。

 だからといって、もちろんオウム真理教のような人の命までを平気で奪う宗教や集団に入ることは許されない。
その人たちが誰かに受け入れられ、「ここなら自分にもできることがある」と自分の価値や意味を確認できる場は、どこにあるのだろう。

あの地下鉄サリン事件から20年以上がたっても、私たちおとなは子どもや若者にそんな場を提供できずにいるのではないだろうか。

 もうすぐ4月がやって来る。
すべての子どもや若者の気持ちがポカポカとあたたまる春であってほしい、と思う。
  (精神科医)
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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