2018年04月01日

日本人に多いという「もやもや病」 いったいどういう病気?

日本人に多いという
「もやもや病」
いったいどういう病気?
2018/03/27 Mocosuku

執筆:藤尾 薫子(保健師・看護師)
医療監修:株式会社とらうべ

シンガーソングライターの徳永英明さんは、2001年に「もやもや病」を発症したといいます。 翌年症状が落ち着いて歌手活動に復帰しましたが、2016年、もやもや病による脳梗塞発症予防のため手術をしました。
徳永さんのもやもや病との闘いは、この病気が一般の人に知られるきっかけとなりました。

もやもや病は、脳に血液を送る血管が徐々に詰まり、脳の血液不足や出血を起こす難病。
日本で最初に見つかった疾患です。
今回はこの「もやもや病」について、解説したいと思います。

もやもや病(ウィリス動脈輪閉塞症)とは
脳に血液を送っている血管で「内頚動脈(ないけいどうみゃく)」という太い2本の動脈があります。
内頚動脈は、心臓から出た大動脈から枝分かれし、首から頭へ上がってすぐに二股に分かれます。
左右の内頚動脈は、それぞれ左右の大脳半球へと走って酸素や栄養を送っています。
この内頚動脈の終末部にあたる二股に分かれる部分に狭窄(すぼまって狭くなる)や閉塞が起こるのが「もやもや病」です。

それとともに「側副血行路(そくふくけっこうろ)」という、大脳半球に血液を届けようと異常な血管が網の目のように形成されます。
側副血行路は「もやもや血管」とも呼ばれていますが、本来の太さ以上に拡張して多量の血液を送るので切れやすく、頭蓋骨のなかで出血を起こすこともあります。

もやもや病は血管が細くなると道路のロータリーのような血管の環状交差点ができます。
これを「ウィリス動脈輪」というため、もやもや病は別名「ウィリス動脈輪閉塞症」とも呼ばれます。

日本に多い「もやもや病」
もやもや病は、1957年に東京大学の研究グループによって初めて報告されました。
その後、1960年代終わりに東北大学の研究グループによって「もやもや病」と命名されました。
当時の解像度の低い脳血管造影写真では、側副血行路(もやもや血管)がタバコの煙のように「もやもや」と見えたことから名づけられたといわれています。
現在では世界的に通用する正式名称となっており、英語では「Moyamoya disease(モヤモヤ・ディジーズ)」と表記します。

「もやもや病は、前述のとおり脳の血管が徐々に詰まってしまう病気ですが、加齢による動脈硬化の進行で脳が詰まるのとは違い、子どもや若い世代にも発症します。

現在、最も多く診断されているのは日本で、国内には16,000人ほど患者さんがいます。
韓国や台湾など東アジアや黄色人種に多い病気とされています(人口の多い中国では正確な統計がありません)

発症年齢は5歳ころと30〜40歳ころの二回山があり、男女比は1:1.8で女性に多いという傾向がわかっています。

もやもや病の症状
もやもや病によって、内頚動脈や大脳半球の後半部に血液を送る「後大脳動脈(こうだいのうどうみゃく)」が狭くなる患者さんもいます。
こうして脳血管が詰まることで脳に血液不足が起こり、手足のまひや言語障害などを起こすのが「虚血型もやもや病」です。

また、側副血行路に長年負担がかかり続けて血管が切れ、脳出血を起こすタイプが「出血型もやもや病」です。
虚血型は小児に多く、出血型は成人の半数を占めています。

脳虚血 内頚動脈が細くなることで「もやもや血管」が発達しますが、それでも大脳は血液不足状態に陥ります。
そうすると「一過性脳虚血発作」や「脳梗塞」が起こります。

一過性脳虚血性発作は、手足が動かしにくい、手足や顔面がしびれる、うまくコトバが出ないなどの症状が突然起こり、数分から数時間で回復する症状です。
小児では過呼吸からこの発作が起こりやすいといわれています。

また、ラーメンやうどんなどを「フーフー」と吹き冷ましながら食べる、リコーダーやハーモニカを吹く、などの動作が引き金になったり、歌ったり大声を出したりすると発作が起こることもあります。
一過性で自然に治まりますが、脳梗塞の前兆発作という面も指摘されていますから要注意です。

脳梗塞
血液が不足して脳の一部が死んでしまうのが「脳梗塞」です。
起こった場所によって「手足の運動障害」「言語障害」といった症状が後遺症として残ります。

そして、もやもや病で起こる脳梗塞のきっかけは、側副血行路にかかる負担によって発症する「脳出血」です。
しかも、いったん出血すると何度も繰り返すようになることも指摘されています。

その他の症状
もやもや病の患者さんには頭痛を訴える人が多く、拍動性の痛みや吐き気をともなう場合もあります。
また、頻度は高くないのですが「ひきつけ(けいれん)」発作で検査を受けてもやもや病と診断されるケースもあります。

国立循環器病研究センター病院には、2012年から「もやもや病専門外来」が開設されました。

ほんの10年前までは原因がまったく不明の病気でしたが、日本がリードして研究を進め原因や検査、治療法などが解明されてきている疾患といえるでしょう。

【参考】
・国立循環器病研究センター病院『もやもや病専門外来』(http://www.ncvc.go.jp/hospital/section/moyamoya/)
・京都大学『もやもや病感受性遺伝子の特定とその機能についての発見』http://www.kyoto-u.ac.jp/static/ja/news_data/h/h1/news6/2011/110721_1.htm

<執筆者プロフィール>
藤尾 薫子(ふじお かおるこ) 保健師・看護師。
株式会社 とらうべ 社員。
産業保健(働く人の健康管理)のベテラン

<監修者プロフィール>
株式会社 とらうべ
医師・助産師・保健師・看護師・管理栄養士・心理学者・精神保健福祉士など専門家により、医療・健康に関連する情報について、信頼性の確認・検証サービスを提供
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跋扈する「道徳自警団」が、日本を滅亡させる 他人の不道徳が我慢できない人たち

跋扈する「道徳自警団」が、
        日本を滅亡させる
他人の不道徳が
        我慢できない人たち
2018/03/31 東洋経済オンライン(古谷 経衡)

 ここ5年間ほど、「道徳的か否か」を善悪の判断基準として、相手を徹底的に攻撃する人々の動きが目立つ。
攻撃対象は刑事罰の対象となる犯罪者ではない。
マナーが悪いとか、不倫をした、といった程度の人を犯罪者のように扱い、社会的生命を失うまでバッシングする。

 私は現代日本社会に跋扈するこのような人々を、「道徳自警団」と名づけた。
犯罪ならば警察官が取り締まるが、不道徳行為は犯罪ではないので、取り締まらない。
警察に代わって不道徳者を取り締まるので、道徳自警団だ。

相手が犯罪者でなければ、警察は何もしない。
そこで道徳自警団は、自分たちでテレビ局や政治家の事務所に抗議の電話をしまくって、相手が謝罪したり、辞任したりするまで”合法的に”追い込む。
犯罪者を摘発するのではなく、不道徳者を目の敵にするのが、道徳自警団の特徴だ。

不倫も、飲酒も、公私混同も許せない
 道徳自警団は週刊誌がかぎつけた「不道徳」ネタを、ネット上で拡散し、騒動を大きくする。それをテレビが取り上げて不道徳者を追い詰める。

私が最もショックだったのは、AKB48のメンバーである峯岸みなみ氏が坊主になった事件だ。

2013年1月には、峯岸氏が某男性ダンサーのマンションに泊まっていたことが、週刊誌にすっぱ抜かれた。
だから何なんだといったレベルの話だが、「アイドルとして許されない不道徳な行為」との批判が巻き上がった。
道徳自警団の発生である。

 峯岸氏はYou Tubeに謝罪動画なる動画を投稿。
自分の頭を自ら丸坊主にして「AKB48を辞めたくない、今回のことは私が全て悪かったです」と涙ながらに謝罪した。
第2次世界大戦でパリが解放されたときに、ナチスに協力したフランス人女性が丸坊主にされたことを思い起こさせる、異常な出来事だった。

 若い女性が同世代の男性と恋愛するのは自然なことだが、男性ファンからは「丸刈りにして当然だ」との意見が少なくなかった。
彼らはファンを名乗った道徳自警団である。

 最近では、ミュージシャンの小室哲哉氏が不倫騒動で音楽の世界から引退を余儀なくされたが、引退する必要があったとは思えない。
あの程度で引退しなければならないならば、ミュージシャンは全て引退しなければならないのではないか。
不倫で彼の音楽まで否定されるのはおかしなことだ。

 道徳自警団は重箱の隅をつついて、微罪をあげつらうようなこともする。
あるテレビ局がパラオのプールで、若い女性タレントがカクテルを飲みながら「恋バナ」をする、という番組を企画した。
撮影まで終了したのだが、急遽放送しないことになった。
なぜか? 出演者の中に20歳の女性がいたからだ。
実はパラオの法律では、飲酒は21歳からとされている。
厳密に言えば、この日本人タレントはパラオの法律に違反したことになる。
 もしオンエアしてしまうと、道徳自警団が「パラオの法律に触れている」などとクレームをつけてくる可能性があったので、テレビ局はこの可能性を”忖度”して、放送を取りやめたのだ。

昔ならばこんなことはありえなかったが、現在はささいなことでクレームを恐れる息苦しい時代だ。
 政治家の舛添要一氏は、公費で私物を購入したことが批判されて、東京都知事を辞任した。
公費で購入した「クレヨンしんちゃん」の漫画本など、全巻そろえても3万円程度のものだ。
たしかに公私混同はよくないが、辞任する必要があったのだろうか。

 舛添氏が無駄遣いをしたというのならば、日本政府が年間約7000億円も負担している、在日米軍の駐留経費はどうなるのか。
米軍将兵は沖縄や横須賀で豪華な住宅を無料で使用し、高速道路代が免除され、自動車税が日本ユーザーよりも優遇されている。

 道徳自警団は在日米軍の特権のような、巨大で複雑なものを対象にするのではなく、生活感覚で理解できるわかりやすい微罪を糾弾する。
実は道徳自警団にとって、舛添氏がファーストクラスやスイートルームを頻繁に使用したり、公費で漫画本を買ったりすることなど、どうでもよかった。
この時期、話題に飢えていた道徳自警団は、いろいろな理由をつけて舛添氏を叩くことに、カタルシス(浄化)を感じていただけだ。

教育を受け、そこそこカネもある人たち
 1日は24時間であり、テレビ番組やラジオ番組の放送時間は限られている。
新聞や雑誌の紙幅も限定されている。
ウェブニュースの容量は無限に近いと言えなくもないが、社会問題を正確に指摘できる記事の本数には限界がある。
 こうした限られたリソースの中で、私たちは深刻な社会問題に取り組んでいかなくてはならない。
それなのに、道徳自警団がどうでもいい問題で横やりを入れ、そのたびにネット世論が沸騰する。

 ネット世論の沸騰を見て、ウェブニュースが取り上げ、話題に飢えたテレビがそれを引用することで、この沸騰ネタはネット世界だけのものではなくなる。
まるで解決すべき最優先事項であるかのように認識されるようになる。
そして、国防や震災復興、貧困問題といった、重要なニュースを取りあげる時間がなくなってしまう。
道徳自警団によって、国民は本当に見るべきものを見られなくなっている。
これは大きな社会的損失だ。

 道徳自警団になるのは、日々の生活に困るような人たちではない。
テレビ局に電話して1時間以上もクレームに費やす余裕があるのだから、すごい金持ちではないが、そこそこおカネを持っているミドルクラスの人たちだ。

また、どの会社がどの製品を作っているのか、誰が何を書いたかなどを知っているので、ある程度の教育は受けている。
政治学者の丸山眞男氏が「日本型ファシズム」の担い手と指摘した、”亜インテリ”な人たちだ。

具体的には零細自営業者、教員、工場監督者などで、ネット右翼と多少かぶっている。
 こうした人たちは好景気で、毎年生活水準が上昇する時代には、不道徳ネタに興味を示さない。
景気がよければ「週末はどこへ行こうか」「今度何を買おうか」などと考えて過ごす。
しかし、景気低迷が続いて収入が増えず、時間をもてあます中で、不道徳叩きを始めるのだ。  

不況や停滞期に人間の関心は、不道徳に向かいやすい。
中世において経済成長はほとんどゼロだった。
技術革新がなかったので、生産性が向上しなかった。
人々は迷信を恐れ、西欧では根拠なき魔女狩りが発生した。
現世の人間の不道徳によって、疫病や不作といった、「神の罰」が下されると考えた。

 現在の日本は、経済停滞が20年以上も続き、ゼロ成長が延々と続く「平成という中世」と言える。
経済が拡大せず、自分の収入が増えず、将来の展望が見えないとなれば、人々の関心は中世と同様、不道徳に向かう。
景気低迷が道徳自警団を発生させたのだ。

 だから道徳自警団というやっかいな人々は、経済成長によって自然消滅する。
経済成長している社会では、個人はみずからの所得を拡大させることを最優先し、いかにして高価な耐久消費財や不動産を購入するか、知恵を絞る。
簡潔に言えば、カネさえ増えれば他人の不道徳などどうでもよくなる、というのが人間の本性だ。

貧乏でも幸せ、は間違っている
 あまりにも長く経済停滞が続いたため、資本主義は終わったとか、貧乏でも幸せだといった、デフレを肯定する言説が蔓延している。
しかし、こんなことを言う人に限って、経済的な成功者であったりする。
こういった連中の無思慮な言説に騙されてはいけない。

貧乏でも幸せ、というのは間違っている。
カネがなくて不幸だから、あるいはデフレが進行する中でカネが増えないという窒息感があるから、他人の不道徳や微罪が我慢できず、怨嗟が増幅するのだ。

 仮に年収が400万円であっても、経済が3%成長し、年収がそれにリンクするとすれば、翌年に412万円、翌々年には424万円に上昇する。
こうした社会では未来への希望が生まれ、それを実現するために行動するから、他人の不道徳など気にならない。
「一定のカネがあれば、たいていのことは解決する」という、資本主義社会の前提に立ち返れば、道徳自警団は自然と駆逐されるだろう。
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食品、相次ぎ値上げ=非正規は無期雇用転換も−4月から暮らしこう変わる

食品、相次ぎ値上げ
=非正規は無期雇用転換も
−4月から暮らしこう変わる
2018年03月31日 05時22分 時事通信

4月から暮らしに関わる商品の値段や制度、サービスが変わる。
納豆やヨーグルト、ワインなど食品・飲料の値上げが相次ぎ、家計の負担が増す。
また、パート従業員など非正規労働者の有期雇用契約は要件を満たせば無期契約に転換できるなど、生活の安定につながる制度が本格導入される。

 食品・飲料を値上げするのは、原材料費や物流費が高騰しているためだ。
タカノフーズ(茨城県小美玉市)は「おかめ納豆」5品目の出荷価格を1〜2割引き上げる。
明治は「ブルガリアヨーグルト」2品目の容量を減らし価格を下げる。100グラム当たりの価格は上がるため、実質的な値上げだ。
ワインや低価格たばこも高くなる。

 外食も価格改定に踏み切る。
松屋フーズは原材料費や人件費の上昇を理由に、牛丼「牛めし」など一部メニューを10〜50円値上げする。
ビール大手は飲食店で提供する業務用ビールの出荷価格を引き上げる。
これを受け、居酒屋チェーンの養老乃瀧(東京)は「養老乃瀧」店舗の大半で生ビール大ジョッキを22円引き上げ778円にする。

 診療報酬と介護報酬の改定で、全体では診察・入院料や介護サービス料が上がり、利用者の負担が増す一方、薬代は安くなる。
生命保険各社は長寿化を踏まえ、死亡保険の保険料を下げる。

 有期契約が同じ会社で通算5年を超えた場合、定年まで働ける無期契約に転換できる。
給与など待遇が改善されるとは限らないが、将来不安は軽減される。
経済的に厳しい世帯の大学生に返済不要の奨学金を月2万〜4万円支給する制度も本格的に始まる。

 この他、中古住宅の取引拡大に向け、耐震性など一定の要件を満たした中古物件を「安心R住宅」と広告表示できる制度がスタートする。

 4月1日付で三菱東京UFJ銀行の名称が「三菱UFJ銀行」に変わる。
近畿大阪銀行(大阪市)と関西アーバン銀行(同)、みなと銀行(神戸市)の関西3行は経営統合し、昨年11月に設立した「関西みらいフィナンシャルグループ」の完全子会社として始動する。 【時事通信社】
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2018年04月02日

山本太郎が安倍首相に生活保護叩きの責任を

生活保護のさらなる切り捨てをはかる安倍首相に
山本太郎が痛烈ツッコミ!
「芸能人と食事するのに、
  受給者の話きかないのか」
2018.03.31 リテラ(伊勢崎馨)

 弱者や社会保障、なかでも生活保護受給者を目の敵にしている安倍政権。
実際に昨年12月には食費や光熱費といった暮らしの根幹にかかわる「生活扶助費」を最大5%の引き下げひとり親世帯向けの母子加算も平均約20%の削減する方針などを打ち出し、生活保護受給者に安価なジェネリック薬(後発医療品)を原則使用させることを盛り込んだ生活保護法などの改正案が、3月30日に衆院本会議で審議入りした。
さらに10月からは生活保護受給額を段階的に平均1.8%削減することも決まっている。

 先進国、民主主義国家とは思えない弱者切り捨ての異常さだが、この安倍政権の冷酷さに切り込んだ、あの男の言葉をあらためて思い出したい。
そう、自由党の山本太郎参院議員だ。

 3月5日に行われた参院予算委員会で質問に立った山本議員だが、その中で安倍政権の生活保護費削減と切り捨て、その結果起こった悲惨な現状について、核心をつく質問を安倍首相にぶつけたのだ。

 山本議員は、まず生活保護受の不正受給は2016年度件数で約2%、金額で見た場合はたったの0.4%台だと指摘、さらに多くの生活保護受給者が窮状に陥っていることを示した上で、安倍政権下で巻き起こった生活保護受給者バッシングの責任についてこう追及した。

「98%適正に受給している生活保護。
その多くが不正受給であるというような空気感、世間には確かに存在するんですよ。
そのような空気を作り出した、その原因を作り出したのは一体誰なんだってこと。
総理、ご存知ですか?」

 これに対し安倍首相は「(生活保護に関する質問の)通告がなかった」とか「質問の趣旨が分からない」「不正受給が多勢という感覚は全くもっていない」などととぼけてみせたが、しかし山本議員はさらに突っ込んだ。

「よく言うなって話なんですよ。
そういう空気を作ったの、生活保護の多くが不正受給をやっているという空気作りに貢献したのは誰だって。
それは自民党じゃないですか。
2012年3月設置の、自民党生活保護に関するプロジェクトチーム。
お笑いタレントの母親が生活保護受給していたという不正とは言えない件を問題にして、生活保護バッシングを煽り、それにマスコミも乗っかった。
生活保護の不正受給を声高に叫び、政権交代にかかる政権の公約では、生活保護のスリム化まで入れ込み、生活保護バッシングを主導したとも言えますよ、自民党が。
全ての人々の権利である生活保護利用に恥の意識を持ち込んだ。
セイフティーネットに恥の概念を埋め込んだのは自民党じゃないですか

 山本が指摘する通り、たしかにここ数年卑劣を極めている生活保護者バッシングは、自民党議員たちが大きく加担してきたものだ。

片山さつき、杉田水脈……
生活保護バッシングを
煽動する自民党議員たち
 たとえば山本議員が指摘した“お笑いタレント”の一件とは2012年にもちあがった次長課長の河本準一の親族による生活保護問題だ。
このケースは不正受給など違法にあたるものではなかったが(後の法改正で扶養義務が強化されることになる)、しかしメディアはこれを大きく取り上げるなど生活保護バッシングの分水嶺、決定打となったものだった。

そして世間のバッシング以上に問題だったのは、これに自民党の片山さつき議員や世耕弘成議員が便乗する形で河本の大バッシングを展開したことだった。
これ以降、生活保護は憲法25条で保障された当然の権利であるにもかかわらず、片山らの主張と同じようにメディアも生活保護バッシングに加担。

「生活保護は税金泥棒」「生活保護は恥」という空気が社会につくり出されていく。
 その流れは2016年の『NHKニュース7』に端を発した“貧困女子高生”バッシングとして引き継がれていく。
この時も片山さつき議員が騒動に乗っかり、ツイッターで“貧乏人は贅沢するな!“といった批判を公然と行ったのだ。

 さらに今年1月におこなわれた衆院本会議での代表質問で共産党・志位和夫委員長が、昨年末に市民団体が実施した「生活保護緊急ホットライン」で、「食事が削られている」「入浴回数が月1回になっている」「耐久消費財の買い替えができない」「サイズの合わない昔の服を着続けている」「真冬に灯油が買えず肺炎になった」などといった深刻な声が寄せられたことを紹介したのに対し、先の総選挙において安倍首相自らの熱い希望で自民党から出馬し当選した、杉田水脈議員が噛みついた。

 杉田議員はツイッター上で、この志位委員長が取り上げた「入浴回数が月1回になっている」「耐久消費財の買い替えができない」という話をもち出し、〈「一体何処を調査してるんだ?」と疑問に思いました〉と投稿。
こうつづけた。
〈お風呂を月1回にしてパチンコや競馬に勤しむ方が多いということでしょうか?〉
〈本当に必要な方に支援が届くよう、額の増減だけではなく、現物支給やクーポン制などシステムも含め議論していく時期に来ていると思います〉

 この杉田議員の投稿は、あからさまに「生活保護=不正受給」という前提に立つ悪質極まりないもので、生活保護バッシングが吹き荒れた要因となった片山さつきの悪夢が思い返されるようなツイートだ。

 もちろんこの流れは“親分”である安倍首相が作り出したものだ。
そもそも第二次安倍政権は、河本騒動からの生活保護バッシングの波に乗り「生活保護の給付水準を10%引き下げる」という公約を掲げて当時の与党民主党から政権を奪取、誕生した政権だ。

そして安倍政権は公約通り生活保護費の削減を断行し、2013年には生活保護の申請厳格化という「水際作戦」の強化ともいえる生活保護法改正と生活困窮者自立支援法を成立させている。

そして昨年の国会では、お得意の嘘も連発し、生活保護をまるで“悪”のように印象操作、
「生活保護基準額が上がる世帯、下がる世帯が生じる」
「生活扶助基準を全体として引き下げるものではない」など生活保護費引き下げさえ正当化しようとしたのだ。

 こうして安倍政権下で「不正受給許すまじ」「生活保護費を削れ」という空気が醸成され、生活保護を受けづらい状況に陥らせていったことはまぎれもない事実だ。

 こうした状況を踏まえ山本議員は、生活保護受給者から寄せられた悲壮なまでの声を紹介、そして安倍政権によるさらなる生活保護費引き下げについてこう批判した。

国連も「生活保護につきまとう
スティグマを解消」するよう、
       日本政府に勧告
「また下げるんですってね、生活保護。
しかも、全ての収入を10段階に分割して一番下、最も貧しい収入の人たちに対して、一番下位10%の収入と生活保護を比べて、基準を見直すって。
これ、おかしくないですか。
景気良くなった、良くなったって言ってるんですよ。
でも、生活保護の引き下げをする理由は何かって」

 そして不正受給どころか、本来生活保護を受給すべき人々が受給していない、いや、バッシングの影響もあり“我慢せざるを得ない”貧困の現状についても言及していった。

「受けるべき人たちがどれくらい受けられているか。
これね、昔に調査してるんですけど、ゆるすぎるんですよ。
それで専門家が調べた。
2割から3割。
2割から3割しか受けられるべき人たちが受けられていないんですよ、生活保護を。
じゃあ、この生活保護から漏れたらどこに行くかって?
 刑務所しかないんじゃないですか。
もしくは生きるのを諦めるしかないんじゃないですか。
好景気をうたっておきながら」
 これも山本の言う通りだ。

日本で生活保護を受ける資格がある人のうち、受給している人の割合を指す「捕捉率」は2割程度だといわれている。
ようするに、生活保護を受けるべき貧困状態にあるのに多くの人が生活保護を受けずに我慢しているのが日本の現状だ。
にもかかわらず、生活保護費を引き下げようとする安倍首相。

 そして唖然としたのは山本議員が安倍首相に向かって「生活保護の受給者、その当事者達に直接声を聞いたことがありますか」と問いかけたときのことだった。

安倍首相は最後まで山本議員の問いにまともに答えることすらなかったのだ。
この安倍首相の姿勢に、「芸能人とはしょっちゅうご飯食べるのにこういう人たちの話は聞かないんですね」と山本議員はツッコんだ。

 安倍首相が弱者に対する共感や想像力をもち得ていないことは、今さら指摘するまでないが、山本議員の質問からも生活保護という制度に対する基本的理解すら、これっぽっちも持ち合わせていないことが改めて浮き彫りになった。

 実際、日本政府は2013年5月、国連の社会権規約委員会から〈生活保護につきまとうスティグマを解消〉するようにという勧告さえ受けているが、安倍政権にこれを是正する動きはまったくない。
そればかりか、安倍チルドレンの杉田議員などは「現物支給」や「クーポン制」の導入を謳っている。
これは生活保護を受ける人びとに恥の意識や劣等感をさらに植え付けるもので、スティグマを助長させようとする提案にほかならない。

 生活保護を受けなければならない人びとに受給を促すことはせず、むしろ議員自らが旗振り役となって生活保護バッシングを展開することにより受給者を抑え込む。
そして、多くの国民にとって他人事ではないはずの生活保護基準の引き下げに、反対世論が高まることも塞いでしまう。

──今後、この政権が変わらないかぎり、どれだけ国民の生活が悪化して貧困層が拡大しても、安倍首相は「普通に生活しておられる方々」などと言って片づけ、生活保護基準を引き下げていくだろう。

いま、政権と国民の意識を変えなければ、苦しむ人に手が差し伸べられることもなく、ただ野垂れ死んでいくという最悪の国になることは必至だ。
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2018年04月03日

PTA、町内会の憂鬱な役員改選、どう改革すべきなのか

PTA、町内会の
   憂鬱な役員改選、
  どう改革すべきなのか
2018.04.01 NEWSポストセブン

 新年度を迎え、小中学校のPTAや地元町内会の役員改選が行われようとしている。
任意とは名ばかりで、なかば持ち回りで強制的に「役」を押し付けられる風潮に、あちこちで批判も高まっている。
“組織学者”として知られる同志社大学政策学部教授の太田肇氏が、こうした旧態依然とした組織に早急な改革を促す。  
     * * *
 毎年この時期は、自分にPTAや町内会の役が回ってきたらどうしようと考えて憂鬱になるという人が少なくない。
 くじ引きや選挙でいきなり役員になったら、たびたび開かれる会合や行事にかり出されるので、仕事のスケジュールも家族旅行の計画も見直さなければならなくなる。
なかには仕事との両立が難しいため、やむなく退職する人、PTAや町内会を脱退する人、役員が回ってきそうになったら引っ越す人までいる。

 朝日新聞が2015年に行ったアンケート調査によると、PTAのイメージについて73%の回答者が「面倒くさい・負担が大きい」と答えている。

また自治会・町内会について「不要」もしくは「どちらかといえば不要」と答えた人が49%にのぼり、「必要」もしくは「どちらかといえば必要」と答えた人(45%)を上回っている。

 これほど多くの人が負担に感じ、人気のないPTAや町内会には、やはり構造的な問題があると考えてよかろう。
旧態依然とした組織が時代に合わなくなったのだ。
あらゆる組織のなかで最も改革が遅れているのがPTAや町内会だといっても過言ではない。

◆欧米のPTAが元気な理由
 ところで海外を見渡すと、PTAはもちろん、地域自治会のような組織もまったく存在しないわけではない。
意外にも欧米のPTA活動は日本よりむしろ活発だ。
しかも親や地域の人たちが自ら積極的に参加している。

 その理由は2つある。  
ひとつは、PTAなら学校行事の手伝い、地域自治会なら行政の下請的な「役務」がないことだ。つまり自分たちの子どもが通う学校、住んでいる地域をよくするという、ほんとうの意味での自治的な活動をする組織なのである。  

もうひとつは、強制がないことである。
加入も活動への参加もすべてボランティアであり、リーダーは立候補した人のなかから選ばれる。
ボランティアにするとリーダーのなり手がいないのではないか、強制加入にしなければ組織が崩壊するのではないかと想像しがちだが、実際はむしろ逆のようだ。

◆強制をやめたら参加者が増えた
 日本では一昨年、タレントの菊池桃子さんが「一億総活躍国民会議」の民間議員として出席した際、全員が参加しなければならない雰囲気のPTAはワーキングマザーの重荷になっているという趣旨の発言をし、世間の関心を呼んだ。
それを機に、組織を改革しようという動きも少しずつ出はじめている。

 たとえば、PTAへの強制的な加入をボランティア制にあらためたり、役員をすべて廃止したりした例がある。
 すると、興味深いことに参加者がかえって増えたそうだ。
また、どうしても会員が担わなければならない役務は、一人ひとりに引き受ける役割(委員)や、委員を務める年度を選択させたり、都合のつく日程を調整させたりするなどして強制色を薄めているところもある。

◆「任意」「選択」をキーワードに
 地域自治会についても、東京都の武蔵野市のように町内会組織を置いていない自治体がある。  

武蔵野市では、地域活動は基本的にボランティアが担い、ボランティア活動になじまないものは行政が行うことにしている。
たとえは街路灯の管理や住宅側溝の掃除などは市が直接行い、市報は市から委託されたシルバー人材センターが各戸に配布する。
家庭ゴミも、市が個別回収している。

 その一方、農村共同体とは異質なつながりをつくるため、市内に公設民営のコミュニティセンターを多数設け、ボランティアの地域住民によって組織されたコミュニティ協議会が運営している。
市の人口の約1%にあたる約1400人が運営に関わるなど、住民の参加は活発だ。

 強制がなく、自分の生活を犠牲にしなくてもよいところに魅力を感じ、他の地域から武蔵野市に引っ越してくる人もいるという。

 PTAにしても町内会にしても、その多くは戦後に創設もしくは復活したものであり、70年以上たった現在では人々の生活も、価値観も当時と大きく変化している。
 都市部では地域に定住する人が減る一方、転勤などで一時的に住む人が増えている。
複数の居所をもつ人も珍しくなくなった。
また、女性が外で働くようになり、平日は時間がとれないし、休日は休息やレジャーに時間を使いたいという人が多い。

生活範囲も広がり、居住地への関わり方も昔に比べると薄くなっている。
さらに強制的に役を割り当てられたり、行事へ動員されたりすることに反発を感じる人も増えている。

 役員が改選され、新体制に移るこの時期こそ改革のチャンスである。
制度疲労を起こしている組織に思い切ってメスを入れ、「任意」と「選択」をキーワードにした新たな組織へ改革してもらいたい。
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2018年04月04日

いじめの認識が甘すぎる小中学校にモノ申す

いじめの認識が甘すぎる
小中学校にモノ申す
「ウチにはない」と言う教師は信用できない
2018年04月03日 東洋経済

阿部 泰尚 : T.I.U.総合探偵社代表

「さいわいウチの学校にはいじめがないんですよ」
日々探偵として、いじめの調査をしていると、時にこんなことを言う教師と出会う。

この仕事をして15年近くになるが、残念ながら「いじめのない学校なんてありえない」と断言できる。
その理由は、2016年6月に国立教育政策研究所が発表した「いじめ追跡調査」にある。
同研究所は、毎年小学4年生から中学3年生までの6年間を追跡調査して、その間に起きたいじめなどの統計を取っている。

調査の結果、いじめの代表格である「仲間はずれ」「無視」「陰口」について6年間、被害経験がなかった生徒は574人中55人(9.6%)。
また、いじめの加害経験がなかった生徒は570人中55人(9.6%)だった。

つまり、およそ9割の児童生徒が一度は、いじめの被害もしくは加害行為にかかわったわけである。
冒頭の私が出会った教師は、なぜ「いじめがない」と言ったのか。
その理由は、「いじめを正しく認識していない」か、あるいは「いじめを認識したうえで、意図的になかったことにしている」かのいずれかだと思う。

なかなか浸透しない「いじめの定義」
その理由を説明する前に、まず現在の「いじめの定義」を見てみよう。
2011年10月に滋賀県大津市の中学2年生が自殺した事件をきっかけに、2013年6月に制定された「いじめ防止対策推進法」には次のように書かれている。

“「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。
” なお、起こった場所は学校の内外を問わない。

この定義の前提は、学校や教育委員会が「被害者の立場に立って」いじめの対応をするということである。
端的に言えば被害者と加害者の間に、「一定の関係性が認められ」「何らかの行為があり」「被害者が心身の苦痛を感じた」時点で、いじめと認められる。

正直、一度読んだだけで意味を把握するのは難しい。
だが、今のわかりづらい定義ができたのは、いじめを理由にした子どもの自殺が減らないことを国が考慮した結果である。

いじめを広義に認定することで、その早期発見を促そうとしているわけだ。
いじめを解決する立場の私からすれば、いじめが深刻化する前に対応できる現行の定義はありがたい。
ところが、いじめかどうかを判断する学校や教育委員会には不評である。
というのも彼らの間では、今もなお学校にいじめのある事実が不名誉だという意識が強く、いじめが認められやすい現行の定義に反発心を持つ教師や、そもそもこの定義を知らない教師が一定数いる。

ちなみに私のところに来る相談者の多くも、わが子のいじめ被害をきっかけに、この定義を知ったという方が多い。
教師の反発や無関心、親の認知不足など、現行の定義はなかなか当事者たちに浸透していない。

冒頭の私が出会った教師もいじめの定義を理解していない、あるいは反発しているゆえに、「ウチの学校にはいじめがない」と発言してしまったのではないだろうか。

「いじめの件数」は、
なぜ1年で10万件も増えたのか
こうした現状の打開に国も苦慮している。

私が2017年10月に出会った文科省の幹部の1人は、「現行の定義どおりにいじめを認知しない教育委員会や学校があまりにも多い。
今のままだといじめ問題は改善しない。
だから、かなりしつこく定義どおりにいじめとして数を挙げるようにお願いしています」と言っていた。
彼らの努力のかいあってか、2017年10月末に発表された2016年度のいじめの総数はおよそ32万件あまり。
2015年度と比較して、10万件近くも増加した。
逆にもし文科省の要請がなければ、10万件のいじめが認知されないままだったわけである。

これを読んでいる保護者の中にも過去に、教師から「うちの学校にはいじめがありません。だから、安心してください」と言われた経験のある人もいるだろう。
しかし、これまで説明したような学校や教育委員会の態度を知ると、「いじめがない」わけではなくて、「いじめを正確にキャッチしていない」のが現実であるとわかる。

どうすれば子どものいじめ被害を
    キャッチできる?
いじめをキャッチできない現状を改善するために、当事者たちは何をすればいいだろうか?

まず学校や教育委員会は、早く現行の定義を受け入れ、いじめの早期発見に努めてほしい。
たとえば匿名でのいじめに関するアンケート調査を実施すると同時に、いじめの定義や事例などを紹介する予防教育に努めるべきだろう。
また、いじめ被害者にも何か原因があるに違いないという考え方を矯正する必要もある。
そして保護者には、単に子どもと過ごす時間を増やすとか、会話を増やすというようなことでは十分ではないと知ってほしい。
そうした時間や会話は関係の良化には重要である。
しかし、子どもはなかなか親に本心を明かさないものである。
特にいじめのような、センシティブな話題の場合は。

実際、私のところに相談に来るいじめ被害者の中には、保護者にはまだ打ち明けていない子が大勢いる。
その理由を尋ねると、「心配をかけるから」「余計な手間を取らせるから」「迷惑をかけたくないから」といった答えがだいたい返ってくる。
そういう子に「親の役目って、なんだと思う?」と尋ねると、「子どもに代わりに生活費を稼ぐ」「家事をする」といった答えが大半である。

そうした子どもに出会った場合、
私は「親は子どもから迷惑をかけられたり、世話を焼かされたりすることも役割の1つ。
自分がどれだけつらいかということを打ち明けても迷惑だと思う親はいないと思うよ」と諭すようにしている。

子どものいじめを不安に思う親は、「子どもに余計な気を使わせていないか」「家族同士で気軽に話しかけづらい雰囲気になっていないか」、自問自答してほしい。
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2018年04月05日

間違えやすい標識で交通違反に…「警察の“間違えるのを待って”取り締まる姿勢に納得できない」

間違えやすい標識で交通違反に…
「警察の“間違えるのを待って
”取り締まる姿勢に納得できない」
2018年04月01日 SPA!

全国交通安全運動が4月6日(金)から15日(日)にかけて行われる。
毎年、春と秋に取り締まりが強化されるわけだが、どれだけ気を付けて運転していたとしても、残念ながら捕まってしまった経験はだれでも一度はあるのではないか。

実際に日刊SPA!サイト上にて「交通違反の残念なエピソード」を募集してみたところ、多くの回答が得られた。
彼らの事例をもとに、これからの安全運転にぜひ活かしてほしい。

◆交通違反の残念エピソード集
    ―間違えやすい標識編―
 今回は、アンケートの回答から“間違えやすい標識”にかんするエピソードを紹介。
道路状況によってはわかりにくかったり、見えづらかったりする場合もある。

◆“斜め左用”の青矢印に釣られ、
さよならゴールド免許
=会社員・あやたかさん(51歳男性・千葉県)
「都内某所の五差路の交差点で左折信号待ちをしていました。
左方向に青矢印が表示され、前の車が動きだして交差点に進入。
続いて私も交差点に左折進入したところ、警察官に2台とも止められてしまったんです」

 警察官は電柱の陰に隠れていたそうだ。
何事かと思いきや、表示されていた矢印は左折用ではなく、“斜め左”用の青矢印とのことだった。
警察官がこう続ける。
「この交差点は間違いやすいんだよ」  

あやたかさんが憤る。
だったら陰に隠れていないで、間違いかけている車に注意を促せばいいのに、違反するのを待って捕まえる。
事故が起こらないように未然に防ぐのではなく、取り締まりを優先する警察官の姿勢と仕事ぶりに呆れました

 結局、「違反は違反だから」と切符を切られてしまった。
常に安全運転を心掛け、無事故無違反だったあやたかさんだが、こうしてゴールド免許を失ってしまったそうだ。

◆湘南の太陽がまぶしくて
=自営業・小松さん(50歳男性・東京都)
「20年ほど前、湘南の海沿いを早朝に走行していたときの話。
朝日が正面から差し込むので運転しづらかった。

信号のないT字路(左側は海岸)を右折したところで覆面パトカーに止められました」
 右折禁止の標識はやや高い位置に設置されており、まぶしい朝日でほとんど見えない状態だったという。
「早朝で後続車や対向車もなく、警察官と歩いて標識を確認したときも朝日でよく見えない状態。
それでも警官曰く『標識があって、あなたは違反をしたのだから』と切符を切られましたが、なんとかならないものかと思いました」

◆いつの間にか制限速度が変わっており
   =無職・下田さん(67歳男性・大阪府)
「兵庫県龍野市で左右とも田んぼで見通し良好。
制限速度50kmを55km程度で走行していると、全く同じ条件の道路が右へカーブ。
小さい橋があり、そこを超えるといきなり制限速度が40kmに変わっていた。
気づかず、そのまま55kmで走行してしまいネズミ捕りにあってしまった」

 このように、いつのまにか制限速度が変わっていたり、そもそも標識がわかりにくかったりするケースもあるだろう。
そんな道に限って取り締まりが行われている場合もある。
先述のあやたかさんの例をはじめ、“取り締まりのための取り締まり”には、多くのドライバーがなんともいえない理不尽さを感じているようだ。
<取材・文/日刊SPA!取材班>

交通違反の残念エピソード集
― 続きは日刊SPA!で
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2018年04月06日

【森友】8カ月の国策勾留か…籠池氏が味わう「非人道的」拘置所生活、人質司法の実態

【森友】8カ月の国策勾留か…
     籠池氏が味わう
「非人道的」拘置所生活、
     人質司法の実態
2018.04.04 Business Journal

文=深笛義也/ライター

 野党3党の参院議員が3月26日、大阪拘置所で勾留中の森友学園前理事長・籠池泰典被告と接見したことで、昨年7月から約8カ月続く籠池夫妻の長期勾留に注目が集まった。

接見で籠池氏は開口一番「国策留置のようなものだ」と語ったという。
 言いたい放題やりたい放題やってきた籠池氏が、世間への見せしめにされているととらえられている感があるが、公判はまだ一度も開かれておらず、法廷で籠池夫妻の罪が裁かれたわけでもない。

籠池氏の手には霜焼けができていると伝えられている。
 これをきっかけに長期勾留の実態が、メディアでも紹介された。

だが、実際に勾留を経験したわけではない弁護士らの話は不正確な部分も多い。
勾留中は「軽作業のみさせられます」などと解説している弁護士がいたが、身柄を確保されているだけで名目上は刑罰ではないので、なんの作業もさせられない。

「テレビはあまり入らない」と言っていた弁護士もいたが、テレビが入ることがあるのは確定死刑囚のみであり、未決勾留されている被告にはテレビは入らない。
ちなみに確定死刑囚が拘置所に収監されるのは、死刑そのものが刑罰であり、そのための身柄の確保という位置付けだからだ。
希望すればわずかな対価が得られる軽作業ができるのは、確定死刑囚である。

3畳敷きでトイレや洗面器付き
 筆者は27歳の時、成田空港反対運動において、公務執行妨害の容疑で逮捕・起訴され、千葉刑務所に約半年間勾留された。
逮捕され、まず留置されたのは、千葉県警の千葉西署である。
23日間の取り調べの間に起訴が決定し、千葉刑務所に移送された。

 籠池夫婦が勾留されているのは大阪拘置所であるが、日頃の報道ではよく東京拘置所の名が出てくる。
千葉刑務所に勾留されたというのは意外に思われるかもしれない。
拘置所というのは、すべての都道府県にあるわけではない。
千葉のように拘置所のない県では、刑務所内の施設に勾留されるのだ。

 午後に移送され、諸手続を経て、3畳敷きでトイレや洗面器もある房に入れられた。
独居房と呼ばれる、1人用の部屋だ。
房内には座り机と寝具、ちり取りやほうきなどがある。

 午後4時30分に、夕食。
午後4時50分に点検がある。
看守に番号を呼ばれ、声を出す。
房内では、ラジオ放送が聞ける。
ラジオ機を持ち込めるわけではない。
館内放送のように房内設置のスピーカーから流れるのだ。
チャンネルの選択はできない。
ラジオをオンにするかオフにするかの選択しかない。
オンオフは自分では操作できない。
中から押すと、外にパタンと木札が飛び出す仕組みの報知器という装置がある。
これを見てやってきた看守に頼むのだ。
ラジオのボリューム操作も同様だ。

 午後5時から安息時間。
この時間から布団を敷いて横になっていい。
成田空港反対運動では、反対派農家の農作業の手伝いをし、夜は会議をするなど、睡眠時間5時間ほどで肉体的精神的にもきつい日々を過ごしていた。
警察署では夜でも取り調べに呼び出され、「朝までやってやる」「まいったと言うまでやる」と言われたこともあった。
起訴されてしまえば、取り調べはない。

 その時ラジオでは、森繁久彌が「この先、何回桜が見られるのだろう」と、のんびり話していた。
布団の中でそれを聞いていると、とても安らいだ気持ちになった。
午後9時が就寝時間で、灯りは暗くなる。

冷房がない
 起床は午前6時50分だ。
9時から眠っていたので、それより早く目が覚めた。
布団を畳んで起きていたら、「何してる!? まだ起床時間ではないぞ!」と怒られた。
外の社会生活では、起床時間というのはそれまでに起きるということだが、勾留生活では、それまで寝ていなくてはいけないということなのだ。
これは寝ていてくれたほうが、管理がしやすいからだろう。

 午前7時20分に点検があり、7時30分から朝食。
昼食は正午から。食事は懲役囚が運んでくる。
おそらくは模範囚なのだろうが、「俺は捕まるまでロールス・ロイスを乗り回して、クルーザーも持っていたんだ」などと話しかけてくる者もいた。

 午前と午後に1度ずつ屋外の運動場に出される。
看守を中心に半円形に広がった場所が、放射状に壁で仕切られている。
3.5メートル×2メートルほどの広さ。かろうじて走ることはできるが、時間は15分だ。
 1日の運動時間が計30分では、身体がなまってしまう。
房内で腕立て伏せ、腹筋運動をしていたら、「何してる!? 座ってないとダメだ!」と看守に怒られた。
房内にいる時は、机の前に座っていなくてはならないのだ。
刑罰ではなく身柄を確保されているだけなはずなのに、人間生活に必要な運動ができないのだ。

だが、看守はずっと見ているわけではなく巡回している。
それまでと同じように運動をして、看守の足音が近づいてきたら止めることで対処した。
 机の前に座っていなければならないので、できるのは読書と勉強、手紙を書くくらいだ。
懲役囚がワゴンで運んでくる本から選べる「官本」というものもある。
自費で買うのが「私本」だ。
刑務所の書店から発注してくれるので、国内で販売されている本なら、どんなものでも買える。脱獄の仕方、監獄組合のつくり方を書いた本などは入れられないが、そうした類いのもの以外に規制はない。
 雑事に惑わされず勉強できる環境といえるが、それもいい季節だけだ。

冷房がないので夏になるとあまりに暑く、何も頭に入ってこない。
風呂に入れるのは、夏は週に2日、冬は週に1日だ。  

 読みたい記事があったため「週刊プレイボーイ」を買ったら、久々に見たために、ごく普通のヌードグラビアにかなり興奮した。
ヌードが懲役囚の手に渡る場合、墨塗が施される場合があると聞いたが、勾留生活ではそういうことはなかった。

 未決収容者遵守事項には、わいせつな絵画の禁止の項目があるが、普通のヌードはこれに当たらないのだろう。
ちなみに未決収容者遵守事項の最初には「逃走し、又は逃走することを企ててはならない」と書かれている。

ほかに禁止されていることとしては、タバコ類の作成、シンナー類の吸飲、性行為、賭博、けんか、暴行などがある。

 自費で買える物は、文房具や日用品、食料品など数多い。
いくつか挙げてみると、さばみそ煮缶、鯨缶、牛肉、納豆、卵、みかん缶、パイン缶、あんパン、ジャムパン、カステラ、ようかん、かりん糖、チョコ、バナナ、みかん、甘夏などがある。  

飲み物には、牛乳やトマトジュースなどがある。

筆者がよく買っていたのは、ホットコーヒーである。
これは市販もされているもので、紙コップとインスタントコーヒー、砂糖、クリーミングパウダー、プラスチック製のスプーンがセットになったものだ。

午前と午後の1度ずつ、「お湯配当ー」と声が聞こえてくる。
報知器を倒して待っていると、やかんを持った懲役囚がやってきて、カップに湯を注いでくれる。

 刑罰ではなく身柄を確保されているだけなはずなのに、アルコール類を飲むことはできない。筆者はこの時すでにタバコを止めていたが、購入できる品目にタバコはなかったので喫煙もできないのだろう。
警察での留置では、運動の時間とは名ばかりで、皆タバコを吸っていた。

勾留は刑罰に等しい
 取り調べでは何もしゃべらず1枚の調書もつくらせなかった筆者であるが、成田空港反対運動を卒業して、できればライターになりたいと考え始めていた。
筆者の所属していた政治セクトは、農民の支援をするという名目で、自分たちの政治目的のために農民を利用しているのが見えてきたからだ。

 せっかくの機会だから、勾留されている他の人たちとも話したいと考え、独居房から雑居房に移りたいと考えた。
保安課長あてに面接願いを出し、面接がかない希望を伝えた。
「雑居房には組関係の者が必ず1人はいて、あなた方のようなサヨクの方とは事故になる」と言われ、「いや警察署では組関係の方と一緒の房で、仲良くやってました」と反論した。
薬物関係で入っている暴力団関係者は他の者の供述によって捕まるケースが多く、黙秘を貫くサヨクは尊敬されるのだ。

それでも、「あなた方は、他の人たちに影響を与えるから」と言われて、希望はかなわなかった。
 弁護士の接見で、看守に伴われて廊下を移動していると、同じ日に逮捕された“同志”が向こうから、同じように看守に伴われて歩いてきた。
「元気か?」「がんばれよ」と声を交わした。
後日、これが「不正連絡」だとして取り調べを受ける。
黙秘していたら、懲罰が決定した。

 コンクリートの建物から、レンガ造りの古い建物に移される。
房に入ると悪臭がひどい。
それまでは水洗トイレだったが、この建物では排泄物をバケツの水で流すと建物に沿ってある溝に落ちる仕組みで、その臭いが部屋に充満しているのだ。
懲罰は1週間。
その間、読めるのは部屋に備え付けてある未決収容者遵守事項だけである。

昼間は食事時間以外は、部屋の真ん中の決められた場所に座っていなければならない。
運動の時間はなくなる。
面会に訪れた者がいても、許可されない。
鉄格子ではないので、房の外の様子はわからない。
鉄板ドアののぞき窓から、ふいに看守が覗き込んでくる。
しかたがないので、スクワットだけ行った。
これなら、トイレのために立ったところだと言い逃れできるからだ。

 ごく普通の挨拶を交わしたことが「不正連絡」と見なされて、あまりにもひどい懲罰が加えられる。
不定期に身体検査があり、全裸にされて肛門にガラス棒を入れられて、何か隠していないか確かめられる。
これが果たして、刑罰ではなく身柄を確保しているだけといえるのだろうか。

 筆者に下されたのは、懲役8カ月執行猶予3年の有罪判決であった。
執行猶予といいながら、約半年間の勾留は刑罰に等しいものと思えた。

 籠池夫婦の長期勾留に注目が集まっている今、人質司法の問題はもっと議論されるべきだ。 

ニュースサイトで読む:
http://biz-journal.jp/2018/04/post_22883.html Copyright c Business Journal All Rights Reserved.
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2018年04月07日

“土俵は女人禁制”は本当に伝統?

正気か?
土俵で救命する女性に
「下りろ」、
下りたあとの土俵に大量の塩…
そもそも“土俵は女人禁制”は
本当に伝統なのか?
2018.04.05 LITERA編集部

大相撲のあり方が問われるような騒動がまたもや起きた。

 4日、京都府舞鶴市で行われていた大相撲舞鶴場所の土俵上で、あいさつをしていた多々見良三市長が意識を失って倒れたのだが、その救護にあたって心臓マッサージなどを施していた女性らに対し「女性の方は土俵から下りてください」などという場内アナウンスがなされたのだ。

倒れた多々見市長はくも膜下出血と診断され、手術を受けたうえで1カ月ほど入院することになるという。
 常識的に考えて、呆れてものが言えない対応である。

当然のことながらこの件は大炎上。日本相撲協会の八角理事長はすぐさま〈とっさの応急処置をしてくださった女性の方々に深く感謝申し上げます。
応急処置のさなか、場内アナウンスを担当していた行司が「女性は土俵から降りてください」と複数回アナウンスを行いました。
行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。
深くお詫び申し上げます〉と声明を出した。

 八角理事長はすばやい対応を示したが、しかしその一方で、救命活動後に土俵へ塩がまかれていたという報道も出てきている。
まさか女性が上がった土俵を清めるためにまかれたのだろうか。
救護に尽力した女性たちをまるで汚らわしいもののように捉えているのだとしたら、とんでもない女性蔑視だ。

大相撲では取組中に力士が怪我をしたときに土俵へ塩をまく習慣があるそうで、5日付朝日新聞デジタルの取材に対し日本相撲協会の広報担当も「女性が上がったからまいたのではないと思う」と語っているが、この問題については今後もさらなる検証が必要なのは間違いない。

 重ねて言うが、一刻を争う人命救護の処置よりも「土俵は女人禁制」を優先しようとしたのは異常だ。
 ただ、「土俵の上に女性は上がってはいけない」という「伝統」(とされているもの)が社会問題となったのは今回が初めてではない。
これまで何度も議論され続けてきたものである。

 たとえば、1990年。前年に内閣官房長官となった森山真弓氏が内閣総理大臣杯の授与を希望したものの、二子山理事長(当時)から「土俵に上がっての大臣杯授与は遠慮してほしい」と要請されたことで断念している。
 また、2000年には、太田房江大阪府知事(当時)が大阪での春場所千秋楽の表彰式で府知事賞を直接手渡すことを希望したが、やはり女人禁制が問題となり、この計画は途中で頓挫している。

“土俵の上は女人禁制”は、
  本当に伝統なのか  
ワイドショーでも今回の、人命よりも女人禁制を優先するような姿勢には疑問や批判の声が上がっているが、一方で今回のような緊急事態をのぞけば「女人禁制」という「伝統」は守られてしかるべきという意見も少なくない。

 しかし、そもそも“土俵の上は女人禁制”というのは本当に伝統なのか。
北海道教育大学の吉崎祥司氏と稲野一彦氏による論文「相撲における「女人禁制の伝統」について」には、このようにある。

〈筆者は、明治期に神道の穢れ観を利用して、女人禁制という「伝統」が虚構された、と考える。
あるいは、相撲における「女人禁制の伝統」は、1400年の歴史を持つとされる相撲にとっては、非常に歴史の浅い「伝統」であるといったらよかろうか。
神道や仏教の女性差別確立までの流れと同様に、相撲も女性を差別する必要があって、その理由付けとして穢れ観などが「後付け」されたと考えられるのである〉

 事実、日本書記には女相撲に関する記述が出てくるし、そういった記紀の時代にまで遡らずとも、江戸時代には興業として女相撲が行われており、しかもその際には、現在の大相撲に通ずる勧進相撲と同じ土俵を使っていたことがわかっている。
また、当時は、女性と盲人に相撲をとらせる「合併相撲」なるものも行われており、こちらはあまりに非倫理的であることから停止命令を受けている。

 このことが指し示す通り、土俵の上に女性が上がってはいけないというタブーは、比較的最近つくられたものなのである。
 では、なぜ、そのような状況がつくられていったのか。

 作家の星野智幸氏は『のこった もう、相撲ファンを引退しない』(ころから)のなかで〈伝統的に見えるものは、じつは明治期以降の近代に作られたものがかなりを占めているのである〉と説明したうえで、このように綴っている。

それは、相撲が日本の「国技」なるものとして評価されるようになっていく過程とも密接に関係していた。
相撲が「国技」になったのも、明治時代以降のこと 〈明治時代になって相撲を近代化していく過程で、それまで存在しなかった相撲専用の常設施設を作った。
この建物を小説家の江見水陰が「国技館」と名づけたとき、初めて相撲は「国技」と呼ばれるようになったというのである

〈しかも、相撲の近代化自体、外からの目線で始まった。
相撲好きだった板垣退助が音頭をとって、外国からのお客さんも見るのだから、江戸時代の相撲のままではみっともない、文明開化後の日本にふさわしい姿にしよう、ということで、よそ様に見せても恥ずかしくない形に整えられたのだ

 つまり、開国にあたって諸外国からの目を気にすることになり、相撲という「芸能」を野蛮なエロ・グロ・ナンセンスの世界から離脱させる必要に迫られた。
 そこで利用されたのが「伝統」という考え方だった。

前掲論文「相撲における「女人禁制の伝統」について」では、女人禁制が広がっていった過程をこのように説明している。

〈男尊女卑の土壌など、いかに女人禁制が受け入れられやすい風潮があったとしても、女相撲を禁止するためには、人々を納得させられるだけの(あるいは屈服せざるをえない)明確な理由が必要であっただろう。
そこで相撲界は、「神道との関わり」という錦の御旗を掲げたのではなかろうか。
神道は穢れ、思想により女性を差別する、ということは人々に広く知れ渡っていたはずである〉  

日馬富士の暴行騒動に際し、白鵬らの姿勢を糾弾していた貴乃花親方が「暴行事件が存在したのであれば、そこに同席した力士が土俵に上がるというのは、神事に反する」と語ったのは記憶に新しい。
 確かに、相撲と「神事」は深い関わりがある。
これは、明治以降につくられた伝統ではない。
ただし「神事」の意味合いじたいが、明治以降と江戸時代以前ではまったく別物だ。

本サイトではこれまでも繰り返し指摘してきているが、明治に成立した「国家神道」は、それまで民間信仰であった「神道」を、明治政府が天皇崇拝の国家主義のイデオロギーとしてつくり変えたものだ。
そして、「神事」としての相撲と女人禁制が結びつくのは、これまで説明してきた通り、明治以降なのである。

 何度でも繰り返すが、そもそもの話として、緊急の人命救助にあたっている人に対して「女性の方は土俵から下りてください」などと言える発想は狂っている。
「人命」と「伝統」を秤にかけて「伝統」をとるのならば、それはもうほとんどカルト宗教のようなものだ。
しかもその「伝統」は、つくられた「伝統」にすぎない。

 八角理事長がその日のうちにお詫びの声明を出したことからも、今回の一件がいかに重大なことか日本相撲協会は理解しているのだろうが、「女人禁制」のみならず親方の国籍問題など、相撲界において「伝統」と掲げていることが、本当に守るべき伝統なのか、あらためて徹底的な検証が必要だろう。
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2018年04月08日

森友問題から読み解く人間の「ウソの本質」

森友問題から読み解く
人間の「ウソの本質」
人間にウソをつかせるのは人間の理性だ
2018年04月04日 東洋経済

中島 義道 : 哲学者

1年ぶりに「森友問題」が公文書改ざん問題にまで発展し、いまや国会でもジャーナリズムでも激しく炎上し続けています。
振り返ってみると、このコラムでも、昨年の今ごろ3回にわたって森友問題を題材に 「ウソ」の分析をしたのですが、やはり「わかった」という声に交じって「何を言いたいのかまったくわからない」という意見も少なくなかった。

このコラムに私が書く理由は1つしかなく、それは、目下テレビや新聞や週刊誌を通じて侃々諤々の議論をしている問題を、一般世間ではほとんど耳目に触れることのない哲学的観点から、取り扱うことです。
しかし、今回もまた、「わからない」という声が続出するかもしれません。
しかし、これが哲学なのですから仕方ない。
今回は、読者たちをさらに容赦なく哲学の奥深くへ導くことにしましょう。

ウソとは、真実ではないことですが、昨年提示したテーマは、なぜ安倍首相はじめ、いかなる大臣も、官僚も、議員も「自分は嘘をついていた、それでなぜ悪いんでしょうか?」と居直らないことです。
この射程はかなり広く、徹底的に追及すると、ほぼ哲学のすべての根幹に触れてくるほどの大問題に発展する。

「真実」という言葉
そのものの意味を問う
ここで、1つ問題提起をしますと、ほとんどの(非哲学的な)人は、「何が真実か」という問いにのみ目が行きますが、哲学にとってはるかに重要な問いは「真実とは何か」という問いです。

前者は、「真実」という言葉の指し示すもの(あえて言えば「内容」)を問うているのに対して、後者は「真実」という言葉そのものの意味(この言葉にまつわる態度)を問うている。
両者は全然違います。

現代日本人のほとんどは、真実という言葉の内容が一義的に決まっていないと確信している。
経験的な観察可能な出来事なら比較的決まりやすいのですが、「心」に関しては、なかなかそうはいかない。

議員や役人が国会で答弁する際に、当人が真にそう思っているのか、それとも真にそう思っているのではなく、ただ不利な弁論を避けるためにごまかしているだけなのかは、容易にわからない。
よって、いかに野党側が、あらゆるデータから総合的に判断して、合理的には「そうしか思えない」と追及しても、決定的な(不法の)証拠が出てこないかぎり、ただの「推測」と見なされてしまう。
こうした虚しさは、多くの人が日々テレビの前で、新聞を広げて、 感じていることでしょう。

しかし、今回はこのことを論じたいわけではありません。
こうした真実の切り口は事柄の半面であって、もっと深いところに(哲学者しか議論しない)真実をめぐる問題が潜んでいる。
それが、「真実」という言葉の意味に関する問いです。

これを考えるに、もっと適切な言葉を選びましょう。
それは「よい」という言葉です。
「よい」にも、同じように、「何がよいのか?」という「よいもの」の内容に関する問いと「よいとは何か?」という「よい」という言葉の意味に関する問いがあり、やはりほとんどの人は前者の問いしか出さない。

「よいこと」の規準
そして、たぶん現代日本人のほとんどが、何がよいのかについて唯一の規準があると思ってはいない。
「よい」ことは、人によって、国によって、時代によって、文化によってさまざまだ、とごく自然に思い込んでいる。

ですから、たとえばソクラテスが「よい人はよいことをするのではないか?」と論争相手に迫ると(文字通りこう迫るわけではないけれど、これに似た迫り方はいくらでもある)、ほとんどの者が「ソクラテスよ、その通りです」と答えるのですが、現代日本人はこの問答に違和感を覚えるのではないかと思います。

そうですね、ごく小さい子を除いて、小学校高学年にでもなれば、(とくに頭のいい子は)こう答えそうもない。
ここで、当時のギリシャにおいては、「よいこと」の規準がはっきりしていたから、こう答えてしまうのも無理はない、という反応は(その通りなのですが)、事柄の半面しかとらえていない。

ここで、ソクラテスは、さらに「よい」という文法のもう1つの意味に踏み込んでいるという解釈も成り立ちえます。

その意味とは何か?
これは、リチャード・マーヴィン・ ヘアーあるいはジョン・マッキーなどの分析哲学系の倫理学者が研究し、いまや哲学界では常識なのですが、「よい」という言葉と使用するときの肯定的態度と言いましょうか、それは不変なのです。

ヘアーの例を出せば、首狩り族の島にあるときヨーロッパ人の集団がやってきて、島を占領し支配した。
その集団には宣教師の一群もいて、島の原住民をすべてキリスト教に改宗させた。
さて、そのとき以前は、「敵の首を狩ること」は「よいこと」であったけれど、そのとき以後は、それは「よくないこと」に変わった。
そして、「敵の首を狩らないこと」が「よいこと」に変わった。
この場合、すぐわかるように、そのときを境にして、「よい」と「よくない(悪い)」の意味が逆転したように見えますが、それは、事柄の半面にすぎない。
この場合でも、「よいこと」を賞賛し、「よくないこと」を非難するという態度そのものは変わっていない。

ヘアーは、前者を「よい」の記述的意味、後者を評価的意味と呼んで区別しましたが(意味というのには抵抗もありますが)、確かに、ここには、普遍的なものが維持されていて、われわれはそれを理解しているから、「よい」という言葉を適切に使うことができるのです。
ここで記述的意味を維持して、評価的意味だけを逆転することも論理的に可能ですが、たぶん大混乱に陥ることでしょう。

すなわち、その島ではそのとき以降は「敵の首を狩ること」はやはり以前と同様「よいこと」なのですが、今度は「よいこと」をしたゆえに、当事者を厳しくとがめるのです。
そして「敵の首を狩らないこと」は悪いことですが、今度は「悪いこと」をしたゆえに、称賛するのです。

では、さらに記述的意味と評価的意味の両方を逆転させるとどうなるのか?
そのとき以前は、その島では「敵の首を狩ること」は「よいこと」であり、称賛されたのですが、そのとき以降は、それは「悪いこと」になり(記述的意味の逆転)、それゆえ賞賛されることになる(評価的意味の逆転)。
これも論理的に可能ですが、いまはいたずらに読者を混乱させたくないので、今回は省きます。

つまり、「よい」という記述的意味は状況によって、容易に変化し逆転すらすることは確かですが、それは、その評価的意味が安定していることに支えられているのであって、そうでなければ、われわれは「よい」という言葉を状況に応じて理解できないはずなのです。

マッカーサーが厚木に降り立った途端にそれまで徹底的に「悪いもの」であった「アメリカ流」は突如「よいもの」に変わったときですら、「よい」という言葉の(評価的)意味は維持されている。
この意味で、ソクラテスは、「よい人」は誰でも「よいこと」しかなしえないと言っているわけではないのですが、「よい人」が「よい」の評価的意味を知っているということは確かです。

それどころか、じつは(まともな)すべての人は、「よい」のほとんど一義的な評価的意味を信じ込んでいて、それから、わずかでも逸れようとはしない。
だから、万引きした人も、文書を改ざんした人も、偽証した人も、それが悪い(記述的意味)と知りながら、同時にそれを「よい」と思っていたから、すなわち自分なりに賛同的態度を取っていたから、万引きし、改ざんし、偽証したのですが、決してそうは言わない。

そう語ることは、ある共同体において普遍的に賞賛されるという本来の評価的意味を(個人的賞賛へと変えることによって)害するからです。
われわれが言葉を使用するかぎり この縛りは強力です。

法律の次元では、何が「よいこと」かがある程度決まっていることは確かだとしても、誰も自他ともにその評価的意味の変更を認めることはない。
だから、「私はちっとも悪くない、なぜなら私は偽証をしたからだ」とか、「私は悪くない、なぜなら私は偽証が悪くないと思っているからだ」と言って自己弁護する人はいない。

ここで、やっとはじめの「真実」という言葉に戻ります。
真実の記述的意味はかなり揺らぎますが、同じように、その評価的意味は寸毫も揺らがない。
どんな政治家も「私はウソばかりついているので、ご支援をお願いします」とは言わないし、どんな官僚も「私は1度も真実を語ろうなどと思ったことはない、よって信頼してください」とは言わない。

こうして、国会でもジャーナリズムでも、延々と「よいこと」や「真実」の記述的意味ばかり議論していますが、総理大臣や理財局の局長から一介の新聞記者や頭の悪いコメンテータまで一致しているのは、「よい」や「真実」の評価的意味を絶対に崩してはならないという一致団結した(無意識の)固い決意です。

これをカントの言葉で言いかえれば、われわれ人間はすべて、言葉を使用するかぎり、理性の命ずる定言命法に従っており、その絶対的支配下にあるということでしょう。

もちろん、上に挙げた例のように、あえて従わないこともできますが、その場合、まともな精神状態ではない者、すなわち精神病者(?)とみなされるというわけですから、その意味で、じつは極東のこの国でも200年前に9000キロ彼方で死んだカント的理性主義は健在なのです。
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2018年04月09日

「小1問題」の本質は学校の古臭さにある

「小1問題」の本質は
      学校の古臭さにある
2018/04/08 プレジデントオンライン

汐見 稔幸 :東京大学名誉教授

小学校に入学したばかりの1年生が学校生活に適応できない。
春になるとそうした「小1プロブレム」が問題視される。
だが東京大学名誉教授の汐見稔幸氏は「教室のイスに座っていられない子どもたちの問題ではなく、そういった旧来の学びスタイルに問題があるのではないか」と問い直す――。
※本稿は『本当は怖い小学一年生』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

先生たちを悩ます「小1プロブレム」
4月、真新しいランドセルを小さな背中に背負い、頬を紅潮させ、親に連れられて小学校の門をくぐる。
「これからどんな楽しいことが待っているのかな」というワクワクした気持ち、緊張し、ぎこちない仕草で友達の待つ教室に入る。
小学1年生はいつの時代もピカピカに輝いて、大人たちはみなすがすがしい気分になる。

ところが、小学校関係者にとってはあまりうれしい季節ではない。
いざ授業が始まると、イスに座っていることができず、教室内を歩き回る子がいたり、配ったプリントを紙飛行機にして飛ばしたり、先生の話を無視して近くの友達にしゃべりかけたりする。

中には教室から廊下、校庭に飛び出して(脱走して)しまう子どももいる。
そんなクラスがあちこちで見られる季節でもあるからだ。

この先生たちを悩ます問題は「小1プロブレム」と呼ばれ、一般には否定的に語られてきた。
そして「今の子どもたちはしつけられていない」などのレッテルが貼られてきた。
この言葉が知られるようになって10年以上がたつのに状況は改善されていない。

どうして改善されないのか。
それは、小1プロブレムのとらえ方に問題があるからではないか。
小1プロブレムを、むしろ小学生による学校への「反抗」、既成の教育への未熟な「異議申し立て」としてとらえ、その背景や原因を探ってみよう。

生徒や学生が「反抗」するのは先例がある。
1960年代の学生運動、70年代はじめの高校生の紛争、70年代末から80年代初頭にかけての中学生の「校内暴力」。
そして、80年代中頃からは小学校高学年の子たちの「荒れ」が取り沙汰されるようになった。

その流れにならっていえば、今は小学校の低学年の子どもたちが「反抗」していると見ることも可能だ。
1995年以降の話だ。
新聞などのメディアはこれを「学級崩壊」として取り上げたが、その後問題が低年齢化し、とりわけ小学校入学直後の1年生の状況を指して、学校関係者が名づけたのが「小1プロブレム」である。

そういう歴史的な流れに置いてみると、この問題が違ってみえてくる。
授業がつまらないから勝手に歩く 授業が始まってもおしゃべりをやめず、「静かにしなさい」と注意しても聞く耳を持たない子どもがいる。
時には「うるせぇーよ、バーカ」「オマエなんか死んじまえ」と乱暴な言葉が返ってくることさえある。

教師への反発心が生じると、「○○ちゃん、ちょっと先生のところに来てくれるかな」と呼んでも、いっこうに応じようとしなくなる。
声を荒らげても態度は変わらない。
すると、教室の他の子どもたちも「あっ、先生の言うことを聞かなくてもいいんだ」と勝手なことをし始め、授業が成立しなくなる。

心配した親を集めた保護者会でその話をすると、「うちでは私の言うことをよく聞いています。それは先生の教え方がおかしいんじゃないですか?」と反論する母親たちもいる。
「うちの子からは、『先生は僕の言うことを聞いてくれない』と聞いています」「風邪気味だったのに無理して遠足に連れて行ったようですね」と、逆に突き上げをくらうこともある。

学校の先生たちからの「今の小学1年生は怖い」というぼやきが増えてきた所以だ。
これに対してマスコミも学校関係者も、「授業時間中に、おとなしくイスに座っていることができない」「先生の話を聞いていることができない」子どもたちが増えてきたその背景や原因は、「家庭でのしつけができていない」とか、「幼稚園や保育所が子どもに我慢することや集団的な規律を学ばせていない」からではないかと問題を外に見出そうとしてきた。

果たして、そうなのだろうか?
そもそも子どもたちは3月まで、どんな日常を送っていただろう。
幼稚園や保育所ではお散歩だったり部屋遊びだったりと、その子の興味、好奇心に応じて基本的には自由に遊びを楽しんでいたのだ。
それが4月になったら急に座ることを要請され、一方的に話を聞くことを強制される。
これ自体にどうも無理があるように思われる。

海外では徐々に机での勉強を体験させていく慣らしの期間を設けるところがあるが、日本ではほとんどそうした慣らし期間が設定されていない。
仮に、大人の言うことを聞いて、すぐに全員が静かに座っていられたら、どうだろう。
むしろ、そちらのほうが気味が悪い。

定型的なカリキュラムの落とし穴
私は、小1プロブレムの問題は、教室のイスに座っていられない子どもたちの問題ではなく、そういった旧来の学びスタイルを今世紀になっても続けていることから起こる問題ではないか、と考えている。

旧来の学びスタイルへ無意識に、もしくは意識的に抵抗を示そうとする子どもたちからの「サイン」ではないか、と考えている。
多くの子どもたちは、小学1年生の授業を実際に受けて「ああ、楽しい」「面白い」と感じているだろうか。
学びの喜びを感じているだろうか。
アリの巣を発見して、時間を忘れてその場にしゃがみ込んでいたり、大好きな電車の絵を夢中で描いていたりする喜びを、小学校でも感じているだろうか。

もちろん「勉強」は必要だ。
だが、子どもたちの中には(たとえ静かにイスに座り、先生の話をおとなしく聞けていても)、「学ぶということはじっとガマンして聞いていることなのだ」ととまどいを感じ、小さく失望し、やがて退屈でつまらないものだと感じるようになる子が大勢いるはずだ。

そこにはカリキュラムの内容や教え方など、さまざまな要因が考えられるが、もっと俯瞰的に見ると、子どもたちが時代のカナリアとなって、日本の教育の時代に合っていないところを明るみに出し、大人たちにイエローカードを突きつけているように映る。

子どもたち一人ひとりは、本当はすごい能力を持っている。
うまく育てて導くと、大人がびっくりするようなことをやってのける。
大人たちが既成のルールや枠にはめようとせずに、各人の潜在能力を発揮する場を与えれば、驚くような才能が花開くはずだ。

教える側は子どもたちの言い分を聞き流すことなく、じっくりと耳を傾け、深く共鳴していくべきだ。
子どもだとばかにしていると、われわれの世界を支えていく次の世代を育て損なうことにもなりかねないし、ひょっとすると歴史をつくり損ねるようなことになってしまうかもしれない。
本当に「怖い」のは日本の教育のあり方かもしれないのだ。

汐見稔幸(しおみ・としゆき)
白梅学園大学前学長、東京大学名誉教授 1947年、大阪府生まれ。
東京大学教育学部卒、同大学院博士課程修了。
専門は教育学、教育人間学、育児学。
育児や保育を総合的な人間学と位置づけ、その総合化=学問化を自らの使命と考えている。
『小学生 生きる力を育てる』『本当は怖い小学一年生』など著書多数。
近著に『「天才」は学校で育たない』(ポプラ新書)がある。
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ブラック企業を辞めた後に椎間板ヘルニアを発症して気づいた「たった1つの大事なこと」

ブラック企業を辞めた後に
椎間板ヘルニアを発症して
気づいた
「たった1つの大事なこと」
2018/04/09 ロケットニュース24(和才雄一郎)

突然ですが、「ブラック企業に勤めることで起きる一番の問題」って何だと思いますか?
 長すぎる労働時間?
 安すぎる給料? 
  それとも、重苦しくなりがちな社内の空気でしょうか?

確かにそれらは相当に厄介な問題ですが、はっきり言って「一番の問題」ではありません。
少なくとも、私が実際にブラック企業に勤務して感じた「一番の問題」ではありませんでした。では一体何が「一番の問題」なのかというのを以下で紹介したいと思います。

・勤めていたブラック企業の特徴
本題に行く前に、私が勤めていたブラック企業について簡単に紹介しましょう。
サクっと言うと、長い労働時間で、安い給料で、入社してから3年以内の離職率がほぼ100%で、社長がクズという、ブラック企業あるあるを詰め込んだような職場でした。

その社長の「クズ伝説」については本サイトで以前に何度か紹介しているので、覚えている方もいるかもしれません。本当に本当にどうしようもないクズだったのです。

・辞めたくても辞められないジレンマ
それはさておき、入社した当初の私は、多くの新社会人と同様 希望に胸を膨らませていたものです。
ただ、入社から1カ月くらい経った頃でしょうか。
浮き輪の空気が少しずつ抜けていくように、希望で膨らんでいたはずの胸がしぼみ始めました。

「あ、ヤバイ会社に入ってしまった」と気づいたのですね。
もっと言うなら、「何の罪も犯してないのに刑務所に入ったようなものだ」と本気で思っていました。
むしろ刑務所の囚人の方が、自由時間もあるからマシなんじゃないかとも。
その頃から、私は会社を辞めることを考え始めるのですが……これがなかなか大変なのです。

なぜなら、労働時間が長すぎて、仕事をしながら転職活動をすることが難しい。
さらに、ギリギリ生活できるだけの給料なので貯金もない。ということは、会社を辞めて新しい仕事がすぐに決まらない場合、生活費は一体どうすれば……?
こうやって考え始めると、永久に解決できない問題が自分の前に立ちふさがっているような気がしまして、「とりあえず会社を続けるしかない」という結論に落ち着いていました。

まるで脱獄するかどうか散々悩んだ挙げ句、「失敗したら殺されるから」と刑務所内に居続けることを渋々決めた囚人のように、私は何カ月もその会社で過ごしたのです。月に200時間くらいの残業を、無給でこなしながら。

・一番の問題とは?
そんなある日、ついに「一番の問題」が私の身にも起こりました。
お待たせして申し訳ありません。
いよいよ、「一番の問題」が何かを紹介しましょう。
それは…… 「こんな状況、どうにも手の施しようがないやん……降参」と、心の中で言い出すヤツが出現することです。
言い換えれば、「何もかも諦めモードになってしまう」といったところでしょうか。

−−「それだけ?」と思う人もいるかもしれませんが、実のところ心の中で「こんな状況、どうにも手の施しようがない」とつぶやくヤツほど厄介な存在はありません。
ヤツは、その会社のクズ社長より何倍も悪質なクソ野郎だったと言って差し支えないでしょう。

なにせ、「どうやって会社を辞めようか」とか「どうやって状況を変えようか」と考えることを強制終了させるのですから。
「何とかして抜け出そう」という気力を奪うのですから。
桃鉄のキングボンビーのように、全てをぶち壊すのですから。
そう、心の中でつぶやくそいつは、まさにキングボンビーそのものです。

ちなみに、私が心の中のキングボンビーに気づいた直後、そのブラック企業を辞めました。
次の仕事は決まっていませんでしたが、まず辞めることにしました。
クズ社長よりも、心の中にいるキングボンビーこそが “看守” になっていたことに気づいたからです。
キングボンビーは非常に悪質なのですが、その姿を捕捉してしまえばどうってことありません。

キングボンビーの存在に気づいていない時、もしくは「キングボンビーこそが一番悪質」だと気づいてない時だけ、要注意なのです。

・その後
それから私は、運良くすぐに次の仕事を見つけることが出来ました。
しかし……しばらくすると、ブラック企業時代のハードワークが祟ったのか、椎間板ヘルニアを発症し、働くことが困難な状況になってしまったのです。
さらに、関わっていた雑誌が廃刊になったり他にも色々あったりして、結局その職場を辞めることになりました。

・治療費が膨れ上がって借金
ここで私にとって優先すべきは、何よりもまず椎間板ヘルニアを治すことです。
なので私は就職活動を一旦中断し、治療に専念することにしたのですが……

ちょっとした問題が起こりました。
予想がつくと思いますが、お金が足りなくなってきたのです。
特に苦しかったのは治療費で、毎月5万ほどのお金が消えていきました。

「何でそんなにかかるの?」と思う人もいるかもしれませんが、椎間板ヘルニアの治療を行っている病院は、健康保険が使えるところばかりではありません。
むしろ、ネットで見て「何か良さそう」というところは健康保険が使えない病院も多かったりするのです。
こちらとしては、ヘルニアによる坐骨(ざこつ)神経痛が苦しいので、保険が使えない病院にも行っちゃいます。
1度行くと、「1回では治りません」と言われるのでまた行く → 大金が消えるという悪循環です。

なお、このとき私の貯金はほぼ無く、医療保険的なものにも入っていません。
失業保険はすぐに支給されず、出るのは3カ月間後。
生活費さえ無いのに、それに医療費……。
どう考えても、お金が足りる訳ないのです。
そこで私は、消費者金融で借金をしながら治療をすることにしました。

その時……!
またしてもキングボンビーがちょこっとだけ顔を出したのです。
ただ、私にとってキングボンビーは勝手知ったる敵です。
「あ〜来たな」という感じだったので、
キングボンビーが私の心の中で顔を出した瞬間に叩き潰してやりました。

そのおかげか、消費者金融で借金しながらの椎間板ヘルニア治療は、肉体的にはキツかったものの、精神的にはそれほど苦しくありませんでした。
ちなみに、それからしばらくして以前の記事で紹介した腰痛体操を続けていたら椎間板ヘルニアは完治
数年後に借金も完済することが出来ました。

・まとめ
長くなってしまいましたが、まとめましょう。
私がブラック企業に勤めているときに気づいた「一番の敵」は、社長でもなく老害経営陣でもなく、「こんな状況、どうにも手の施しようがないやん……降参」と自分の心の中でつぶやいているキングボンビーでした。
そして「キングボンビーさえ叩き潰せば、大体のことは何とかなる」と思えたことが、ブラック企業を辞めた後に椎間板ヘルニアを発症して気づいた「たった1つの大事なこと」なのです。

もしかしたら、皆さんの心の中にもキングボンビーが生まれるかもしれません。
というか、こんなことを言ってる私の心の中にもまた、生まれるかもしれません。
でも、その存在を認識していれば恐れることはありません。
やるべきことは1つだけ。顔を出したキングボンビーの脳天を叩き割ればいいのです。
もうボコボコにしてやって下さいね。
それでは今日はこのへんで。
執筆:和才雄一郎
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2018年04月10日

学校の"班活動"が日本の子供を潰している

学校の"班活動"が
日本の子供を潰している
2018/04/09 プレジデント

オンライン ルーシー・クレハン
教育研究者

日本の子供の「15歳時点の学力」は世界トップレベルにある。
だが「世界大学ランキング」では苦戦しており、大学生の“質の低下”を嘆く声も聞かれる。
なぜそうなってしまうのか。

国際学力テスト「PISA」で優秀な成績を収める5カ国を実地調査したルーシー・クレハン氏は「日本が集団主義を重んじ、小・中学校で『班活動』を行っていることが背景にある」と指摘する――。

15歳時点では優秀なのに、
        大学時点では質が低い?
3年に1度、15歳を対象に実施される国際学力テスト、PISA。
日本はこのテストで毎回、高い順位をマークしている。
一方で高等教育に目を転じると、「世界大学ランキング」の上位に日本の大学名はなく、大学生の「質の低下」が指摘されて久しい。

この逆転はなぜ起きるのか?
英国の教育アドバイザーのルーシー・クレハン氏は、日本をはじめPISAの成績上位国を実地調査し、その結果を『日本の15歳はなぜ学力が高いのか?』(邦訳は早川書房)にまとめた。
このほど来日したクレハン氏に、日本の教育における課題について聞いた(聞き手は早川書房編集部)。

成功を生むのは「過剰なほどの自信」
まず、「世界大学ランキング」は、学生の能力の高低を表すものではありません。
その点に注意する必要があります。

指標となっているのは論文の引用数や研究予算ですから、良い環境で教わることができるかどうかの判断基準にはなりえますが、PISAの順位とそのまま比べることはできません。
そのうえで、初等・中等教育と大学教育では、求められる能力に違いがあることもたしかです。

大学で必要とされる能力は、ペーパーテストに正解できる力ではありません。
議論をしたり、新しいアイデアを作ったりする能力のほうが重要です。

そして、欧米の学生は日本の学生に比べて、そうした能力にたけています。
これは小・中学校の段階からそうですし、学力に関係なく子どもたち全般に共通して言えることです。

オックスフォード大学に通っていた学生時代、先生にこう言われました。
「良い成績を取る学生は、本を読んで内容が理解できない時、自分が悪いとは思わない。著者が悪いと考える」。
成功をめざすのなら、過剰なほどの自信をもって突き進むぐらいが良い、ということでしょう。

良い論文は、ひとつのアイデアをつきつめて、「これがいいんだ」と主張するものです。
「これもあるし、あれもある」と指摘するだけの論文は、二流にすぎませんよね。
大学、あるいは社会に出てからは、自分の考えを、間違いをおそれずに自信を持って発信できる能力が求められます。

出る杭が伸びにくい日本の集団主義
日本の子どもたちにこうした自信が身につきづらいのは、日本特有の「集団主義」のネガティブな面だと言えます。
拙著に記したとおり、私が実地調査した5カ国(フィンランド、日本、シンガポール、中国、カナダ)のなかでも、「集団」を重んじる文化や制度が根づいているのが日本の教育現場の特徴でした。

例えば、日本の小・中学校では活動のほとんどを「班」単位で行いますよね。
班の仲間と一緒に座り、勉強し、給食を食べ、学校じゅうを掃除する。
学習成果は班の努力として評価され、個々の生徒のあいだの能力の違いはあまり問題にされません。
褒められるときも、個人ではなく班が褒められます。
こうした文化が、「出る杭を伸びにくく」していることは事実でしょう。

私が授業見学をした限りでは、小学生はみんな元気に挙手をしていましたが、中学生になるとそうした積極性が見られなくなるようでした。
「ちゃんと整列しなさい」「もっと行儀よくしなさい」と先生から繰り返し指導されているうちに、自信を失ってしまうのだと思います。

とはいえ、集団主義には良い面もたくさんあります。
そのおかげで、日本の子どもたちはみな礼儀正しく、他者と協調できる。
それらを生かしたうえで、自分の考えを相手に伝える力を身につけさせることは可能なはずです。

たとえば、高校受験の評価手段として、試験の点数だけではなく、プレゼンテーションの能力も加味してはどうでしょうか。
学んだことを先生や友人に向けて発表する時間を中学校の授業のなかで設け、その能力に成績をつける。
そうすれば生徒も先生も真剣に取り組むでしょうし、その中で生徒には自信がついていくことでしょう。
その際には、お互いを笑ったりするのではなく、尊重しあうことが大切です。

なぜ「ゆとり教育」を導入したのか
かつて実施された「ゆとり教育」も、子どもたちに自信をつけさせるという意味では有効な教育政策でした。
ご存じのとおり、日本の小・中学校では1990年代の後半から2000年代の前半にかけてカリキュラムの3分の1を減らしました。
土曜日を段階的に休日にしていき、子どもたちに自分の興味を追求させるための「総合的な学習の時間」を設けたのです。
だいたいにおいて規範を細かく定める文部科学省にしてはきわめて異例のことですが、総合的な学習の時間にどのような活動を行うのかは、主に各学校に任せられました。
これは教師たちが構造化された「問題解決手法」を授業に取り入れるよりも、さらに先進的な取り組みでした。

どんな問題を解決するか、どんな疑問に取り組むかを、子どもたち自身が決めるのですから。

日本の生徒が世界一になる可能性を潰した
ところが、2003年に実施したPISAの結果が2004年に発表され、日本の読解力の得点が下がったとわかるや、その原因としてゆとり教育が槍玉に挙げられました。
批判に応えて、日本政府は次第に数学や国語の時間を増やすようになり、2011年、ゆとり教育のほとんどは廃止されました。

教科書は分厚くなり、「総合的な学習」に使われた時間の多くはほかの科目に取って代わられ、縮小されました。
PISAの成績の下落というほんのささいなつまずきで、日本の政府はうろたえ、「受験地獄」の軽減と、見たことのない問題の解決において日本の生徒たちが世界一になる可能性の、両方に効果的であったはずの改革を廃止してしまったのです。

根本的な問題は、そもそもこの改革が何を目指したものなのかが忘れられてしまったことです。

ゆとり教育は、PISAの点数を上げるためのものではありませんでした。
子どもたちにかかるプレッシャーを軽減し、彼らの創造性や問題解決能力を伸ばすためのものだったはずです。

教育プログラムを機能させるには、政治的な見栄えだけで決めるのではなく、長期的な狙いをしっかりと持つことが必要です。

シンガポールのように超エリート教育に邁進する国もあれば、フィンランドのように「遊び」を重視する国もあります。
それらの国もカリキュラムをマイナーチェンジすることはありますが、方針自体を変えるわけではありません。
そして、目標を達成するための手段を決めるにあたっては、政治家だけでなく専門家がしっかりと関わる必要があります。

試験で良い点数をとらせるだけが
教育ではない
2000年と2012年に行った調査によれば、日本の子どもたちの学校に対する満足度は、この期間に世界のどの国より増加しています。
そして問題解決のテストでは、日本の生徒は、PISAのトップだった上海をはじめ、ほかのほとんどの国よりまさっていました。
私には、ゆとり教育が目指そうとしたことは、ちゃんと成し遂げられたように思えるのです。

子どもを賢くするだけが、教育の目的ではありません。
教育はその後の人生に備えるための羅針盤です。
過去に何があり、自分たちがどこから来たのかを知るためには、歴史を学ぶ必要があります。
数学や科学の知識は、生活の中で活用することができます。
語学を学ぶのは、他者と適切にコミュニケーションを取るためです。
こうしたスキルは試験に合格するためだけではなく、生きるうえで重要なのです。

さらに言えば、子どもたちが良い人間、幸せな人間になるために、教育が必要です。
失敗や挫折にどう向き合い、やる気をどのように保つのか。
こうしたことを教えるのは、子どもたちがさまざまな問題を抱える昨今、決して簡単ではありません。
それでもなお、教育は私たちの社会においてもっとも重要な営みです――すべてを良い方向に向かわせる力を秘めているのですから。


ルーシー・クレハン(Lucy Crehan)
教育研究者 オックスフォード大学で心理学と哲学を学ぶ。
自閉症児の教育に1年間携わったのち、ロンドン・サウスウェストの中等学校で3年間教鞭を執る。
ケンブリッジ大学で教育学の修士号を取得。
その後、2年間にわたって世界を旅してまわり、各国の教育を実地調査した。
帰国後、クラウドファンディングで資金を募り、調査の記録を『日本の15歳はなぜ学力が高いのか?』(2016)にまとめたほか、世界各国の教師の昇進コースに関する報告書をユネスコに提出した。
イギリスのNPO団体「エデュケーション・ディベロップメント・トラスト」に所属。
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真面目な組織人ほど「うそ」や「不正」に走りやすい理由

真面目な組織人ほど
「うそ」や「不正」に
     走りやすい理由
2018/04/10 ITmedia ビジネスONLiNE (窪田順生)

 4月8日、『ワイドナショー』(フジテレビ)を見ていたら、ダウンタウンの松本人志さんが、大相撲春巡業中に土俵内で救命措置を行っている女性に対して、「女性の方は土俵から降りてください」とアナウンスした行司について、こんなことを言っていた。

 「彼もかわいそうやなと思う。日本国中に叩かれちゃってて。ちょっと真面目すぎたんですよ。真面目がゆえに、こうなっちゃってるんですよ
 ネットではいろいろな意見があるようだが、この言葉は今回の問題だけにとどまらず、相撲協会の一連のゴタゴタにもあてはまる「本質」を突いている。

あの組織は真面目がゆえ暴行事件にフタをして、真面目がゆえ協会の秩序を乱した貴乃花親方を袋叩きにしたのだ。
 ワケわからんことを言うなと思うかもしれないが、
実はこの「真面目」というのは今、日本で起きている組織の腐敗、不正行為などのすべてに相通じる「病」である。

最近の官僚の不正行為、少し前に続発したデータ改ざん問題などすべて組織にいる人々が「真面目がゆえ」に起きたという側面もあるのだ。
 神戸製鋼でも、日産でも、三菱自動車でも、データ改ざんなどに関わったのはみな真面目な現場の技術者だ。
不正会計を行って大きな批判にさらされた経営陣も、部署の数値をかさ上げした中間管理職も、みな会社の未来を真剣に憂いていた真面目な東芝マンたちだった。

 マスコミや野党が「史上最大の犯罪」だと大騒ぎしている森友問題でも、佐川・元財務省理財局長も真面目だからこそエリートコースを進むことができたわけだし、その周りで改ざんや口裏合わせに奔走した職員たちも、みな真面目な公僕だ。

 つまり、周囲からも犯罪者扱いされ、三度のメシより不正が好きみたいな人が組織の不正や不祥事をひき起こすケースというのはかなりまれで、ほとんどはその組織内で与えられた仕事を、愚痴をこぼすことなく黙々と取り組むような「真面目な組織人」たちが、不正に手を染めたり、社会から大ヒンシュクを買うような不祥事を起こしたりというパターンが圧倒的に多いのである。

●「思考停止」のワナに陥りやすい
 筆者もこれまで報道対策アドバイザーとして、さまざまな組織で不正、不祥事、改ざんなどが起こるメカニズムを検証させていただく機会があったが、それらを振り返ってみても、中心的な役割を果たしていたのはほぼ例外なく、真面目な組織人だった。

 なんてことを言うと、「こいつは真面目に働く人間をバカにするのか!」「日本人の美徳をディスるなんてこの反日ヤローめ!」という怒声が360度から聞こえてきそうなので、断っておくと、筆者は「真面目」が悪いと言っているわけではない。

 自分の信念、倫理、哲学、美学に対して忠実な人というのは道を誤ることは少ない。
自分の中で常にこれは正しいのか、正しくないのかと自問自答しながら生きているからだ。
そういう「真面目に生きている人」ではなく、組織というものに対してのみ真面目になっている人がヤバいと申し上げているのだ。

 真面目な組織人というのは往々にして、「思考停止」のワナに陥りやすい
もっとも分かりやすいケースは、元ナチス親衛隊幹部として、多くのユダヤ人虐殺に関わったアドルフ・アイヒマンである。
人間と思えぬ残虐行為を指揮し、「悪魔」「怪物」と恐れられた男は自らの罪を問われた法廷でこのように述べた。
 「命令に従っただけだ」
 世界は姑息な責任逃れだと批判したが、『全体主義の起源』という歴史的名著のなかで、ナチズム台頭のプロセスを細かに研究してきたユダヤ人哲学者、ハンナ・アーレントはまったく異なるものの見方をした。
 アイヒマンの思考停止を象徴する発言だと指摘し、この「悪魔」や「怪物」と評される男を「自分で考えることをせずに命令だけを完遂する小役人」と分析したのだ。

 ユダヤ人社会はアイヒマンを擁護したと思って猛烈なバッシングを行ったが、実は彼女が言いたかったのはそういう上っ面の話ではない。
アイヒマンのようなどこにでもいる真面目な組織人は、組織や上司への絶対的な忠誠を誓うあまりに、自分の頭で物事を考えることを放棄してしまう。
 そのような思考停止状態の人間は危ない。
組織から命令されれば、どんなモラルの欠けた行為や、身の毛もよだつ残虐行為であっても、機械的に実行してしまうからだ。
つまり、「悪魔」や「怪物」は、真面目な人が「歯車」になることで生まれるのだ

この「悪の陳腐さ」という、文明社会の普遍的かつ、構造的な問題を世に投げかけたかったのだ。

●組織内ルールが「思考」に勝ってしまった
 アーレントの問題提起から50年以上が経過したが、この真面目な組織人が、真面目さゆえに引き起こす「陳腐な悪」という問題を、我々日本社会はまだ克服できていない。
というより、終身雇用制度の弊害でよりおかしな方向へとこじらせている。

 その症状が重くなって、いよいよ覆い隠せなくなってきたのが、日本相撲協会なのだ。
 ご存じのようにこの組織に身を投じた者は、「伝統」や「しきたり」を重んじなくてはいけない。
それは言い方を変えると、古くから続いているルールは問答無用で守る、としつけられるということなので、他の組織より思考停止に陥りやすい。
つまり、「プチ・アイヒマン」とも言うべき、思考停止に陥った人々があふれているのだ。

 相撲界の発展のために尽力している真面目な人たちをナチスの戦争犯罪人と重ねるなんて侮辱だと相撲ファンからこれまたすさまじい抗議が殺到しそうだが、残念ながら今回の救命処置騒動が、協会の思考停止体質をこれ以上ないほど分かりやすく示している。

 若い行司の方は、頭に刷り込まれている「女人禁制」というルールや、周囲の相撲ファンからの指摘で脊髄反射でアナウンスしてしまった。
もし彼がアイヒマンのように社会からつるし上げられるようなことがあれば、きっとこう釈明するはずだ。
 「伝統に従っただけだ」
 組織人としては真面目だが、「倒れている人をどう救えるのか」ということに関してはまったく思考を巡らせていない。
 組織内ルールが「思考」に勝ってしまったのだ。

また、このような思考停止は、トイレ発言が叩かれている春日野巡業部長にもあてはまる。
 問題のアナウンスがなされたとき、トイレに行っていて会場にはいなかったとして、「想定外の出来事でビックリした。
(アナウンスも)聞こえなかった」(日刊スポーツ 4月5日)とコメントした春日野親方だったが、その後、騒動時に画像から会場内にいたことが明らかになった。

●相撲協会は「考えることを放棄した」
 ネット上では、責任を逃れるためのうそだと厳しく批判されているが、筆者はこれも真面目な組織人がゆえの「陳腐な悪」に過ぎないと思っている。
 あれが巡業部長の責任ということになれば、相撲協会は何をしているんだ、ということになりまたしても大騒ぎになる。
しかし、「私も驚いたんですけど、若い行司がどうもテンパっちゃって」で済ませておけば、「相撲協会は女性差別などしません。
再発防止に務めます」みたいなコメントでどうにかお茶をにごすことができる。

 つまり、トイレ発言は、自身の保身もさることながら、不祥事続きの相撲協会がこれ以上叩かれないように、という「組織防衛」の意図があったことが容易に想像できるのだ。
 「意図」と聞くと、ちゃんと考えているじゃないかと思うかもしれないが、頭を働かせているのは「組織を守る」という一点のみで、世の中の人々に対して誠実な説明なのか、スケープゴートにされた行司はどんな思いなのか、など最も大事なところに関してはゴソッと思考が抜けているのだ。

 このように相撲協会を「考えることを放棄した組織」だととらえると、最近の一連の騒動をすべてクリアに読み解くこときる。
 3横綱が密室で、メキメキと頭角をあらわしてきた若手をリンチした。
殴られる理由も説教される理由もない被害者の声に耳を傾ければ、横綱たちの組織犯罪に対して、徹底的な調査をするのが健全な組織だが、ご存じのように、お手盛りの第三者調査でサクッと幕引きをした。

 そこに対して納得いかないので、身をもって異を唱えたのが、貴乃花親方だったが、「理事なのに協会に協力しないとは組織人失格」「何度も家を訪ねたが返事がない」など本筋ではない部分を袋叩きにして、しまいには弟子の不祥事にかこつけて完全にスポイルした。

 そう聞くと、八角理事長やら相撲協会理事たちを悪人のように断罪しているように聞こえるかもしれないが、これもアイヒマンとまったく同じである。
 「相撲ジャーナリスト」を名乗る方たちや、相撲記者クラブ在籍ウン十年みたいな評論家のオジサンたちが擁護するように、彼らは相撲界の発展を心から願い、相撲協会という組織に尽くそうとしている真面目な組織人だ。

 だからこそ、「横綱は品行方正な人格者」という組織内論理に盲従して思考が停止してしまうのである。
なにも考えていないので、一般社会からすると耳を疑うような言動も平気で行う。
臭いものにフタをしているようにしか見えない、ずさんな対応もしれっとできてしまうのだ。

●「思考停止型組織」の恐ろしいところ
 そして、このような相撲協会の「思考停止体質」を実は最も象徴しているのが、何をかくそう、貴乃花親方だ。
親方は、愛弟子が暴行を働いて「一兵卒として出直す」と述べた。
 一兵卒というのは、上の命令は絶対で、何も考えずに任務を遂行する。
「死ね」と言われれば、死ぬ存在だ。

つまり、あれは「もう私はなにも考えません」と言っているのだ。
あれほど組織にたてついた人物が、こうも分かりやすく陥落する。
これが「思考停止型組織」の恐ろしいところだ。

 こういうカルチャーを変えないことには、どんなに再発防止策をしても、同じような不祥事が繰り返される。
 今回の騒動を受けて、相撲協会では土俵内で不測の事態が起きた際のマニュアルを整備するとか言っていたが、こういう教条主義は「思考停止」にさらに拍車をかける。
 残念ながら、相撲協会のゴタゴタはさらにひどくなっていきそうだ。
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2018年04月11日

JR東労組、組合員2.8万人「大量脱退」の衝撃

JR東労組、組合員2.8万人
「大量脱退」の衝撃
民営化から30年、大きな転機を迎えている
2018年04月10日 木村 秀哉 : 東洋経済 記者

JR東日本(東日本旅客鉄道)の最大労働組合「東日本旅客鉄道労働組合」(JR東労組、以下労組)に異変が起きている。
今年2月中旬以降、この1カ月余りの間に約2万8000人もの組合員が脱退しているというのだ。

今年1月時点では約4万6000人(社員の約8割が加入)もいた組合員が半減以下になるという、かつてない異常事態だ。
昨年、30周年を迎えたJR東日本。
ほぼ同時期に発足した労組。
30年を節目に労使関係は大きな転換期を迎えている。

スト権行使の予告がきっかけ
大量脱退のきっかけとなったのは、労組による「スト権行使」の予告だ。
労組関係者によると、昨年2月の臨時大会でスト権を確立した労組は、今年の春闘では「格差ベアの永久根絶」を求め、2月19日にスト権行使を予告。
これは、本来の業務以外の研修などに参加しない「非協力スト」の予告だったが、要求が認められない場合は指名された組合員が業務を拒否する「指名スト」も計画していた。

労組の言う「格差ベア」とは、個々人の基準給の何%という定率での定期昇給を指す。
この定率方式では組合員の給与格差が拡大していくとの理由から、すべての組合員一律に同じ金額にする「定額ベア」を求めていた。

しかし会社側は20日、この労組の要求を拒否。
「争議行為を実施することは、お客様にご心配や迷惑をかけ……また労使共同宣言の精神を否定するもの」として、争議行為の中止を申し入れた。
同時に、経営幹部による職場訪問を順次実施。
大量脱退が始まったのはこの時期からだ。

そして26日に労使対立が決定的になる。
社長名で「労使共同宣言の失効」を労組に通知したのだ。
この「労使共同宣言」は、1987年8月に締結され、その後2001年8月の第4次「21世紀労使共同宣言」まで3回再締結されている。

ストライキによらず平和的手段で紛争を解決することを労使間で確認する内容。
会社側は今回の事態によって、「会社との信頼関係を破棄し、『労使共同宣言』の趣旨・精神を否定」
「すでに失効したものとみなさざるをえない」とした。

昨年まで4年連続でベア
労組側の動きに疑問を抱く関係者は少なくない。
今回の要求は「格差ベアの廃止」だったが、その交渉手段としてスト権を立てる必要が本当にあったのか。
実はJR東日本は昨年まで4年連続でベアを実施している。
組合員の平均年収は600万円を超える水準。
いわば高給取りが、さらに高い給料を求めてストを実施し、お客様に迷惑をかけることなど到底認められない」。
ある労組関係者はそう憤る。

そもそもJR東日本には、ストに対して大きなアレルギーがある。
スト権は憲法で認められた労働組合の重要な権利。
だが、旧国鉄は争議行為を連発して利用者が離反、それがもとで経営破綻に追い込まれた経緯がある。

労組関係者の間では、労組の委員長、会長、顧問など、長きにわたり事実上のトップだった松嵜明氏(故人)が提唱した「いつでもたたかえる体制」を具現化する動きだったという見方がある。
松嵜氏は革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)創設時の副議長でもあった人物だが、その松嵜理論に回帰する動きではないか、というのだ。
今回は、労組の上部団体「JR総連」が1990年にスト権を確立しようとした動きに似ているとの指摘もある。

しかし、ある労組OBは「松嵜時代は結局、一度もスト権を確立していない。
松嵜氏が言う『いつでもたたかえる体制』とは、スト権を指しているのかどうか」と疑問を呈する。
別の労組元幹部は「今の執行部にはストの経験がない。
組合員の多数意見を無視して、経験のないことをやろうとしてもダメだ。
結局、読みを間違ってしまった」と指摘する。

組合員からは労組に対する不満の声も聞こえてくる。
毎月給料から天引きされる組合費は「基本給×2.2%」で、年2回のボーナス月を含む14カ月分が徴収される。
基本給30万円の場合、年間9万2400円。1カ月で7700円の計算になる。
組合員平均は8000円程度で、上限はないという。
一方、JR連合系のJR東海(東海旅客鉄道)は基本給30万円なら月5600円(上限は6000円)、JR西日本(西日本旅客鉄道)では月6500円(上限7000円)だ。

おカネの問題だけではない。
休日にもかかわらず勉強会だ、デモだと駆り出され、参加しないと批判される。
開かれる大会もJR総連のスローガンが色濃く反映されることがある。
「憲法改悪反対」「安保法制廃止」「仲間とたたかい抜いた国鉄改革を再検証し・・」。

確かに平和主義は大切なことだが、一部の組合員からは「これって労組?」と疑問の声も聞かれた。
平成29年版「治安の回顧と展望」(警察庁警備局)では、「革マル派が相当浸透しているとみられる」として、JR総連と労組は警察庁・公安調査庁の監視対象となっている。

会社との対立が表面化していた今年2月23日には、参議院議員の質問に対して、政府が答弁書を閣議決定。
「労組内には、影響力を行使し得る立場に革マル派活動家が相当浸透していると認識している」とした。

妥結後も組合員の脱退が止まらない
結局、スト権は行使されなかった。
会社側は3月16日に、基本給に0.25%を乗じた額という定率ベアを回答(ほか初任給の引き上げなども実施)。
一律定額ベアではなかったものの、労組側は「大きな成果を勝ち取る」「基準内賃金平均1328円の改善」と評価、即日妥結した。
「労組側の主張はこの間、微妙に変わっていった」と会社側は振り返る。

ただ、労組側には「大きな成果」と言わざるをえない事情があったのかもしれない。
組合員の大量脱退は、労組側に大きな衝撃を与えたようだ。

止まらない組合員の脱退に対して労組は3月9日、会社側から組合員に対して脱退を働きかける不当な行為があったとして、各都県の労働委員会に不当労働行為からの救済を申し立てている(東京、八王子、水戸の各労組地方本部)。
この申立書は、経営幹部が職場訪問を始めた直後から脱退者が出たと指摘。
非協力ストは通常業務に影響を与えるようなものではないのに、あたかも列車運行に支障を来すかのような虚偽の喧伝をした、勤務時間内に個別に面談し、脅しと利益誘導で脱退を強要したなどとも申告している。

会社側は「こうした事実はない」と否定している。
職場では組合員の不安・動揺が広がっており、ベア妥結後も「組合員の脱退は同じペースで続いている」(会社側)。
4月12日、労組は35回目となる臨時大会を開催する予定だ。
一方、会社側は、4月末に36協定(時間外・休日労働に関する協定届)が期限を迎える。
そのため、事業所ごとの人数の把握とその代表者の確認など、運行に支障が起こらないよう対応に追われている。
大量脱退の余波はまだ続きそうだ。
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実話】ネットで話題の「理不尽な新聞詐欺の話」が怖い

【実話】ネットで話題の
「理不尽な新聞詐欺の話」が怖い
/ 完全に頭がおかしいので気を付けよう
2018/04/10 ロケットニュース24(P.K.サンジュン)

最近、インターネット上で「新聞購読にまつわる詐欺まがいな話」がちょいちょい話題になっている。
当サイトでも「記者が詐欺にあいかけたエピソード」をご紹介したが、今回ご紹介するのはズバリ「本物の新聞屋が詐欺をしようとしてきた話」だ。
ご覧いただく前に断っておくが、この話はとても胸クソが悪い。
……が「こんなことが実際にある」と知っておけば “万が一” のときのためになるハズだ。
それでは以下でご紹介しよう。

・始まりは1本の電話
このエピソードはインターネット上で紹介されていたものである。
投稿者本人に許可はいただいたが「HN等は一切出さないならば」という条件だったので、あえて名前は伏せておく。
さて、この話に登場するのは投稿者の「お母さん」「お父さん」そして「新聞配達屋」である。

果たして新聞屋はどんな手段で定期購読を取り付けようとしたのだろうか?
 以下で、再現VTR風にご紹介しよう。
始まりは1本の電話だったという

配達屋「もしもし。A新聞ですが2年契約をいただいたので4月から配達させていただきます」

お母さん「確かに以前はおたくから新聞をとっていたけど5年ほど前にやめました。今はB新聞を取っているんですが……」

配達屋「でもこちらには契約書があります。お持ちしますので見てください」

後日──。
配達屋「これが契約書です」

お母さん「確かに名前は主人ですけど明らかに字が違いますよ。なんで印鑑まで押してあるんですか? 規約した覚えはありません」

配達屋「それは契約違反です。あなたの言ってることは違法行為ですよ?」

お母さん「これって私文書偽造じゃないですか? これは犯罪ですよ、詐欺ですよ? 帰ってください」

配達屋「……いま詐欺と言ったことについて謝ってください。私は親切で来たんですからね? 今の会話は録音しているので訴えますよ?」
この場はいったん新聞屋が退散。

その夜、帰宅したお父さんがブチギレて新聞屋に「なんかお宅からうちに変なヤツが来たらしいけど何かの間違いだよな? 
詐欺グループかもしれないぞ」と電話。
すると…… “ヤツ” は本当に新聞屋にいた──。

そしてさらに後日。

お父さん「この前のことを謝れ!」

配達屋「いや、あなたの奥さんは私のことを詐欺師呼ばわりしました。そのことを謝ってください。それにほら、ここにあなたのサインと印鑑が押された契約書があるじゃないですか?」

お父さん「もういい! お前のことは本社に連絡するからな!!」

配達屋「そのせいで私がクビになったらあなたのせいですからね? 今の暴言も全て録音してますから、もしクビになったら訴えます」

……いかがだろうか?
 理不尽にもほどがないだろうか?
 ある意味これだけ頭がおかしいと回避のしようもない気がするが、これが本当にあった話だというから恐ろしい。

・レアケースではない
なお、この件を消費者センターに問い合わせたところ「いま新聞詐欺の問い合わせが非常に多く、実際にお金も取られた人がいるので注意してください」と話していたという。
つまり今回ご紹介したエピソードは決してレアケースではないようだ。

とにもかくにも、こうした詐欺まがいな行為に巻き込まれる可能性は誰にでもあるから、くれぐれも注意しよう。
次に頭のおかしい配達屋が現れるのは、あなたのところかもしれない。
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2018年04月12日

連合、分裂か…支持率1%の民進党と希望の党、不可解な合流の裏事情

連合、分裂か…
支持率1%の民進党と希望の党、
不可解な合流の裏事情
2018.04.11 Business Journal 編集部

 民進党と希望の党の合流話が進んでいる。
民進党の大塚耕平代表が、同党から分裂した希望の党と立憲民主党に新党の結成と合流を呼びかけた。
立憲は否定的だが、希望は前向き

希望は分党して、玉木雄一郎代表ら執行部が民進党と合流する見通しで、松沢成文参院議員ら自民党に近い右派と分かれる方向になりつつある。
党創設メンバーの細野豪志衆院議員は、新党には行かないと明言した。

 1%程度の支持率しかない両党が一緒になることに、有権者の期待値は低い。
合流の背景にあるのは、民進党の支持母体である労働組合「連合」(日本労働組合総連合会)の事情だ。
「民進と希望の合流を熱望し、事実上進めているのは連合であり、神津里季生会長である。
来年4月に統一地方選、夏に参院選がある。
選挙まであと1年となり、組織内候補や推薦候補は準備に入る。
そうした候補たちを今年のメーデーで紹介するため、早く新党に移行してほしいというわけだ」(永田町筋)

 昨年の衆院選で、民進党の衆院議員が希望、立憲、無所属(実際は民進党所属)に3分裂してしまったため、連合も傘下の産業別組織(産別)が“股裂き”になった。
衆院選では「特定の政党を支持せず、すでに推薦していた民進出身の候補者を個別に支援する」という方針にならざるを得なかった。
その際は、「このまま連合も3分裂か」とさえ囁かれた。

「神津会長ら連合執行部は、衆院選以上に産別組織と直結する参院選で同じ轍を踏みたくないため、旧民進系勢力の結集による新党づくりを焦っている。
しかし、支持率1%でジリ貧同士の民進と希望が新党になっても無意味。
候補者は有権者の支持のない政党の公認や推薦で選挙に出たいわけがない」(同)

 次の参院選の候補者にとっては、支持率8.5%の立憲のほうが魅力的に映るだろう。
「立憲は日本共産党も含めた野党連携を標榜する中道左派。
民進と希望は、共産との連携は否定的な中道右派、という言い方ができる。
連合では旧総評系が比較的、立憲に近い。
旧同盟系が民進・希望に近く、UAゼンセンなどガチガチの反共産も少なくない。
そのため旧総評系は立憲から組織内候補を出す動きが表面化している」(政治記者)

 参院選に向けては、すでに私鉄総連と日教組が組織内候補を立憲から出すと表明。
自治労、情報労連(NTTなど)、JP労組(郵政)なども立憲から擁立を検討中だ。
候補者は擁立しないものの、全国農団労も立憲支持の方向とみられる。

「旧同盟系ではあるが、JAM(機械・金属)はなかに一部総評系が入っているので、このまま漫然と民進・希望から候補を出すということでいいのかと、内部に揺らぎがある。
つまり新党ができたとしても、連合傘下の組織の立憲への雪崩は、止まらないどころか続く。

神津会長ら旧同盟系は、立憲が新党に合流しなくても、民進・希望で野党第1党になれれば、現在は立憲に握られている野党の主導権を奪い返せるという目論みのようだが、世論の動向がわかってない。
ピントがずれている新党は連合分裂の号砲になるかもしれない」(前出と別の永田町筋)

 民進党と希望の党の合流は、近いうちに答えが出される。

ニュースサイトで読む:
http://biz-journal.jp/2018/04/post_22956.html Copyright c Business Journal All Rights Reserved.
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老齢年金の申請をしてきました。

明日、65歳の誕生日を迎えます。
脳外科の外来が午後に入っているので 今日 予約を取り「申請」しました。
これからの人のために 経験したことを書きます。

まずは、誕生日の3ケ月前に年金機構から「老齢基礎年金申請書」が送られてきます。
誕生日前日から、申請できますので 日本年金機構に電話して 最寄りの年金事務所の予約をとりましょう。

必要となる 住民票は 年金申請用として役所に申し込むと 無料になります。
マイナンバーの記入が必要になるので 身分証明用としてマイナンバーカードの写真付きを取得しておくと便利です。

私の場合は「共済年金」なので 事前に申請書が届き 年金の選択をしました。
共済や厚生年金も基礎年金と別建てなので 申請が必要になります。

基礎年金番号も大切に保存しておいてください。

私の障害年金の更新が来年なので 老齢共済年金ではなく 老齢障害年金を選択しました。
障害年金は、収入扱いにならず 所得税がかからないので、共済の老齢年金支給額の方が年間20万円強高いのですが、所得税がかからないことと障害基礎年金が満額支給になる「障害年金」を選択しました。

ついでですが 障害認定と同時に「年金掛け金支払い免除」手続きをしていたので 基礎年金額は 満額になりません。
注意すべきは 障害年金でも 「年金繰り下げ」扱いにならないことと 障害認定更新時に 認定解除か等級変更時に再申請が必要とのことです。

年金事務所では 一つ一つ記入の仕方や年金コードなどを教えてくれるので 記入に迷ったら 空白にして申請時に担当社労士さんに教えてもらった方が 訂正印が少なくて済みます。(私は 訂正だらけでした、トホホ)

今年の4月からは「花の28年組」の年金手続きです。
同窓生の皆さん、年金仲間になります。
厚労省の年金改悪が 自分の身に生活に直結します。
「老人パワー」で これ以上の改悪は阻止しましょうね。
posted by 小だぬき at 19:24 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月13日

自衛隊が尖閣防衛には不適任な水陸機動団や空母を持ちたがる理由

自衛隊が尖閣防衛には
  不適任な水陸機動団や
     空母を持ちたがる理由
2018.4.12 ダイヤモンドオンライン(田岡俊次)

4月7日、島嶼防衛部隊「水陸機動団」(2100人、将来3000人)の発足を祝う「隊旗授与式」が佐世保市の陸上自衛隊相浦駐屯地で行われ、式典後にはヘリコプター、水陸両用車を使って、敵が占拠したという想定で島への上陸作戦の展示訓練も行われた。

 その映像をテレビで見ていると、第2次世界大戦での硫黄島、沖縄、アッツ島やグアム、サイパンなど、10以上の島々での守備隊の悲惨な「玉砕」を思い起こし、暗い気持ちにならざるを得なかった。

 島の争奪と防衛に決定的な要素は制空権と制海権(空と海での優勢)を確保することであり、それが失われると、孤立し、補給も来援も途絶した島嶼防衛部隊は全滅が必至だ。

「水陸機動団」が創設されたが
    重要なのは制空、制海権
 こちらが島の周辺海域で制海、制空権を握っていれば、相手が島に上陸作戦を行おうとしても、海上で敵の輸送艦は撃沈され、輸送機も撃墜されるから相手にとっては自殺行為だ。
 仮にこちらの隙を突いて上陸に成功しても、補給さえ断てば敵は遅かれ早かれ降伏するか玉砕するしかない。

尖閣諸島など南西諸島の防衛を考える際の要点は一にも二にも制空権で、それに制海権も付随する。
 だが航空自衛隊が東シナ海で優勢を確保できる公算は低い。
中国軍にとっては、北方でのソ連の脅威が去った今日、東シナ海は台湾との軍事衝突を想定した場合の最重要の「台湾正面」であり、その正面を担当する東部戦区には新鋭機が優先的に配備されている。

 東部戦区の中国空軍は10個戦闘機部隊(旅団あるいは連隊)で戦闘機約240機を持つと推定される。
 うち旧式の戦闘機である「J7」と「J8」で構成されるのは3個隊だけで、他の7個隊(約170機)はロシア製の「Su30」や国産の「J10」など、米国のF15、F16に一応、匹敵する「第4世代戦闘機」を持つと考えられる。
また海軍東海艦隊の航空隊は新鋭戦闘機2個連隊(40機余)を持つと見られる。

 これに対する台湾空軍は戦闘機400機余を持ち、うち「第4世代戦闘機」は190機だ。
 当面の航空戦力はほぼ拮抗か、台湾優位と思えるが、中国は全土に戦闘機1300機余、うち第4世代戦闘機710機余を持つから、有事の際には他地域の部隊も台湾正面に移動展開が可能だ。  

一方で、航空自衛隊は那覇にF15戦闘機約40機を配備しているほか、福岡県築城にF2戦闘機約40機、宮崎県新田原にF15約20機がいる。
このうち40機を防空に残せば、尖閣上空には20機を出動させることができる。
 だが九州の基地から尖閣諸島へは約1000kmだから行動半径ぎりぎりで、上空で待機、哨戒するには空中給油が必要だ。
中国沿岸からは約400kmだから、中国空軍にとってはるかに有利な場所だ。

 中国空軍のパイロットの年間飛行訓練は、かつては70〜80時間程で、練度は低かった。
だが一時は4500機もあった戦闘機は、単価の高騰のため1300機程に減り、財政全体にも余裕が生まれて、今日では訓練飛行は年間約150時間とされ、日本と同等だ。

 日本側が尖閣上空に出せる戦闘機は那覇の40機と九州から20機の計60機、中国は海軍航空隊を含め、200機程の第4世代戦闘機を出せるから、数的には日本は3対1の劣勢となる。
 大型レーダーを積み、敵機を遠距離で発見する「空中早期警戒機」の性能の差や、電波妨害などの「電子戦」能力では日本が当面優位と思われるが、それで3対1の劣勢を補えるかどうかは大いに疑問だ。

どちらに転んでも
「尖閣防衛」には役立たない
 もし制空権と、それに伴う制海権を十分に確保できないまま水陸機動団による島の奪回作戦が発動されれば、輸送艦は中国の空対艦ミサイルの標的となり、「オスプレイ」やヘリコプターは簡単に撃墜される危険が大きい。
 仮に上陸、制圧に成功しても、補給が続かなければ、第2次世界大戦時と同様、兵は餓死の渕に立たされる。

 制空権、制海権が確保されるまで「水陸機動団」を出動させなければよいが、島を占拠されたとなれば、「水陸機動団は何をしているのか」との批判が出て、政治家やメディアもそれに乗る可能性がある。
こうした声に押されて水陸機動団が危険を冒して出勤し、海上で全滅の事態も起こりかねない。  

真珠湾攻撃の前、陸軍は「海軍の方から対米戦争に勝ち目はない、と言ってもらえまいか」と内閣書記官長(今の官房長官)を通じて事前に働きかけた。
だが、海軍は「長年、対米戦準備のためとして予算をいただいて来たのに、今さらそんなことは言えません」と断り、日本は勝算のない戦争に突入した。
 こうしたことは日本だけではない。どの国の軍も巨大な官僚機構で、組織の防衛と面目の維持を第一としがちだから、そのために部隊を犠牲にすることが起こる。

 その最も顕著な例は、第1次世界大戦末期のドイツ海軍だ。
 敗色濃い中、巨費を投じた「大海艦隊」は出動すれば英海軍に撃滅されるのは必定だったから、港内に引きこもっていた。
 だが、海軍首脳部はあえて出動を命じ最期を飾ろうとした。
無駄死にをさせる出動命令に水兵たちは反乱を起こし、これが全国に波及して革命となり、ドイツ皇帝はオランダに亡命した。

 制空、制海権が十分に確保されない場合、「水陸機動団」が出動しなくても、メディアや政治家はそれを「臆病」と非難しないよう、気を付けねばならない。
 一方制空、制海権が確立していれば、まず相手は攻めて来ないし、仮に上陸しても、補給が切れて立ち枯れになるのを待てばよい。
この場合にも「水陸機動団」の出動を急がせるのは、無駄に死傷者を出すだけで愚策だ。
 どちらに転んでも「水陸両用団」の創設は無駄と考える。

予算獲得の思惑
ヘリ空母改修も「便乗」
 そもそもどうして「水陸機動団」が作られることになったのか。
 陸上自衛隊が「南西諸島防衛」を主張し始めたのは、ソ連の崩壊後だ。
 それまではもっぱらソ連軍の北海道侵攻への対処を主眼としていたが、その可能性が消えたため、大幅削減の“危機”に直面した陸上自衛隊は次の存在目的を南西諸島に求めた。

 当初、海上、航空自衛隊では「陸上自衛隊は苦しまぎれにそんなことを言い出した」と冷笑し、「対艦ミサイル・ハープーン搭載の潜水艦を1隻出しておけば十分ですよ」とか、「航空優勢さえ確保すれば相手は来られませんよ」との声を当時、よく聞いた。

 だが、「南西諸島防衛に必要」と言えば、海上、航空自衛隊も予算が取れる、と分かってそれに便乗し始めた。

ヘリコプター空母「いずも(満載時2万6000トン)を、来年度に始まる次期中期防衛力整備計画で改修し、垂直離発着が可能なF35Bステルス戦闘機を搭載、対空、対艦船、対地攻撃能力を持つ空母にすることも真剣に検討されているが、これも便乗の一例だろう。

 海上自衛隊は私が防衛庁担当になった1960年代から、空母を持つことを悲願としてきた。  

当初は「水上艦の速力を上回る30ノット以上の速力で潜航するソ連の原子力潜水艦を追うには、ヘリコプターが必要」との論で、それには合理性があると私も同意していた。
 だがその後、大型護衛艦が各3機の対潜水艦用ヘリを搭載、中型護衛艦もヘリ1機(別に予備1機)を積むようになったから、潜水艦対策にヘリ空母を持つ必要はなくなった。

 だが海上自衛隊はヘリ空母をあきらめず、ソ連が1991年に崩壊し、その400隻近い巨大な潜水艦隊が今日の62隻(うち旧式30隻余)にまで減少する時期になって、ヘリ空母「ひゅうが」(満載時1万8000トン)と「いせ」(同型)を2009年と11年に就役させた。
さらに「いずも」(同2万6000トン)と「かが」(同型)が2015年と17年に就役した。

 特に「いずも」「かが」は計画当初からヘリ空母ではなく、普通の空母への転用を目的として造られたことは、航空機を格納甲板から、飛行甲板に上げるエレベーターの配置などから明白だった。
 飛行甲板の塗装をジェット噴気に耐える耐熱塗装とし、その先端を少し上に反らした「スキージャンプ」に改装し、垂直離着陸機が短距離を滑走して発艦できるようにし兵装の搭載力を増すようにすれば、対空、対艦、対地攻撃力を持つ小型空母になる。

 現状での搭載機数は、中型、大型のヘリ計14機だが、2万6000トンという大型艦だから、改装により搭載機をさらに増やすことも可能と考えられる。
 仮に20機を搭載するとすれば、F35Bを14機、遠距離の敵機を探知するための早期警戒機を4機、発着艦の失敗で海に落ちた機のパイロットを救うための救難ヘリが2機、となるだろう。  

米空母は、早期警戒機として皿型のレーダーアンテナを付けた双発ターボプロップのE2Dを4機積むが、これはカタパルト(発進加速装置)がないと発艦できない。
だから「いずも」級では、垂直離着陸ができるV22(オスプレイ)の胴体上部に「平均台」と呼ばれる細長いレーダーアンテナを付けることになるかもしれない。

 だが、F35Bが14機程度では戦闘能力は限られる。
米空母は平時には約60機を搭載、うち44機が戦闘・攻撃機だ。
尖閣諸島周辺では中国の第4世代戦闘機約200機が活動可能で、日本の空母から14機が戦列に加わっても大勢は変わらない。
 同型の「かが」を改装して参加すれば計28機になるが、軍艦は1年のうち3ヵ月はドックに入って定期点検、修理をするし、それが終わって再訓練をした後に配備につくから、米海軍では空母1隻を運用するには3隻が必要とされている。

空母保有は「国家的虚栄心」
    対中では潜水艦のほうが有効
 米国以外に空母を持つ国としては、中国が「遼寧」のほか1隻を建造中だ。
インドも1隻と他に1隻建造中、イギリスは2隻建造中、フランス、ロシア、イタリア、タイが各1隻を保有する。
 だが1隻ではそれがドック入り中に何か起きると空母は役立たない。
不測の事態に備える防衛用ではなく、こちらの都合の良いときに弱い相手に対する攻撃や威嚇に使えるだけだ。

 米国のように10万トン級の原子力空母を11隻も持てば、常時3、4隻が出動可能で、搭載する戦闘・攻撃機は3隻で130機以上だから、有力な戦力となる。
 だが1、2隻の空母を保有する国々は軍事力を誇示して威信を高めたい面があり、国家的虚栄心の表れでもある。

 F35Bステルス戦闘機を10機余積んだ「いずも」「かが」でも、「遼寧」が搭載する「J15」(燃料、兵装を満載すれば空母から発進できない)約20機に対抗できるかもしれない。  

だが、実は中国海軍に対抗するには空母の必要はない。
潜水艦で十分なのだ。

 中国海軍は敵の潜水艦を探知する対潜能力が極めて低く、一方で保有する原子力潜水艦の発する音は大きい。
静粛性が高い日本の潜水艦で容易に処理できる。
 海中では音波は必ずしも直進せず、水温、水深などにより上下に曲がるし、潮流や他の船舶の機関音などの雑音の多い中から、敵の潜水艦の出す音だけを拾うには高度の「水中音響学」の蓄積が重要だ。
 旧ソ連の潜水艦を主敵と見てきた米海軍と海上自衛隊はその探知の経験を積み、装備を開発してきたから、対潜水艦能力では中国と大差がある。
 小型の空母よりはるかに建造費用は安く、人員も少ない潜水艦に力を入れる方が合理的だろう。

 日本が小型空母2隻「いずも」「かが」を持てば、イギリスが建造中の「クィーン・エリザベス」級(6万5000トン)2隻にははるかに及ばなくても、「海軍国」としての外見を備えることにはなるだろう。
 だがそれが実際に活動するのは、おそらく米海軍の空母戦隊が中東などに出勤する際、その助手として付いて行く程度になるのではないか、と思われる。
(軍事ジャーナリスト 田岡俊次)
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2018年04月14日

年金支給ミス 制度の信頼を壊すな

年金支給ミス 
制度の信頼を壊すな
2018年4月13日 東京新聞「社説」
こタヌキ同盟.jpg
 日本年金機構の情報管理のずさんさがまた露呈した。
外部の委託業者の情報処理にミスがあった。
調査委員会が検証を始めたが、適切な情報管理と運用が年金制度の信頼の基本と自覚すべきだ。  

約十万人の年金の二月支給分が少なかった。
総額約二十億円になる。
一方で多く支払われていた人も約四万五千人いた。

 発覚の端緒は、二月に入り年金額が減ることに気付いた受給者から問い合わせが増えたことだった。
年金を頼りに生活している人にすれば、少しの減額でも敏感になることは当然だろう

 加えて四月から、介護保険料が多くの自治体で値上げされる。
七十五歳以上の医療保険料も上がる地域がある。
機構は、負担増や給付減が生活に影響する受給者の実情を認識する必要がある。
 支給ミスは機構がデータ入力を委託した外部業者の処理がずさんだったためだ。

年金に所得税がかかる人の控除手続きに必要な書類のデータ入力作業で発生した。
 機構によると、契約では入力後に担当者二人が確認する手順だったが、書類を機械で読み取らせていた。
そのため誤入力が発生した。
入力漏れもあった。

委託業者は、機械の読み込みではミスが出やすい氏名などの入力作業を中国の関連企業にやらせていた。
これも契約違反だという。

 委託業者は五百万人を超える大規模作業は初めてで、人材不足からこうした対応になったようだ。
厳重な管理が求められる公的年金情報を扱う責任感が欠けていた。
 機構は委託業者の対応能力についてチェックが不十分だった。
しかもミスに気付いた後も代わりの業者が見つからないという理由で委託を続けた。
機構は業者へ損害賠償請求を行う方針だが、自身の責任も重い。

機構を監督する厚生労働省も責任を自覚すべきだ。
 その後、別の業者も入力作業を外部に委託していたことが分かった。
業務量が増え外部委託が避けられないのなら、業者の管理体制を再考する必要がある。
機構は有識者による調査委員会を設け十日に初会合を開いた。

業務委託のあり方などを検証し六月に報告書をまとめる。
調査に協力し管理体制を見直してほしい。
 機構は、旧社会保険庁時代の「宙に浮いた年金記録」問題や二〇一五年のサイバー攻撃による年金情報百二十五万件の流出など情報管理の不祥事が絶えない。

高齢期の生活を支える制度を担っていると肝に銘じるべきだ。
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2018年04月15日

ドサクサ紛れ年金支給68歳へ 財務省の姑息な痛み押しつけ

ドサクサ紛れ年金支給68歳へ
財務省の姑息な痛み押しつけ
2018年4月13日 日刊ゲンダイ
こたぬきダンス.gif
 火事場詐欺という言葉がピッタリだ。
森友問題で決裁文書の改ざんや口裏合わせ工作などが相次ぎ発覚し、信用が失墜している財務省。

コトの重要性を反省し、少しは静かにしているかと思いきや、ドサクサ紛れの愚策を打ち出してきた。
年金の支給開始を68歳に引き上げる提案だ。

 麻生太郎財務相の諮問機関「財政制度等審議会」は11日、分科会を開催。
かかりつけの医師や薬局以外の受診や調剤のほか、風邪など軽い症状での受診は、窓口で支払う自己負担を引き上げる方針を公表した。
軽い段階の受診は医療費増大の元凶と映っているらしい。

 あくどいのが年金だ。
厚生年金の支給開始年齢は、すでに2025年にかけて段階的に引き上げられているが、今回、68歳まで一段と引き上げる提案を出してきた。
その理屈がとんでもない。

11日の分科会資料はこうだ。
<老化は5〜10年遅延との指摘も>
<65〜74歳の前期高齢者は心身の健康が保たれており活発な社会活動が可能な人が大多数>  今の高齢者は元気だから、年金支給を渋ればそのうち働くだろう、という姿勢がアリアリ。

本音は高齢者への“経済制裁”と同じだ。
税理士の立正大客員教授・浦野広明氏がこう言う。
「働けるからといって、年金を払わないというのは飛躍しています。
せっかく年金をアテにして人生設計をしてきたのに『元気だから』と払われない。
詐欺に遭ったようなもので、元気だから損をするような話になってしまう。
財務省の信頼が大きく失墜している時に国民に“痛み”だけは、キッチリ押し付けようとしている。
国民はスルーしてはいけません」

 重病の財務省に“健全化”とか言われたくない。
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2018年04月16日

震災避難者が「貧困」に陥っていく理不尽

震災避難者が
「貧困」に陥っていく理不尽
復興しているという勘違いの恐ろしさ
2018年04月15日 塚田 紀史 : 東洋経済 記者
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数字上消えた万人単位の避難者は行き先を失い、全国各地をさまよっている。
地図から消される街』を書いた朝日新聞社社会部記者の青木美希氏東日本大震災から7年経っても変わらない避難者たちの苦境を聞いた。

7年経った今、
聞こえてくる避難者たちの苦境

――3.11から丸7年。
東日本大震災直後から現場に足を運び、取材を続けているのですね。

デスクから行けと言われた。初めは岩手、それから宮城、福島と、本州を下がっていった感じ。
その日の食に事欠き、経済的に困る人たちが発生して、新たな貧困層が生まれたことがどんどん見えてくる。
自治体などの住宅提供で何とか暮らせたが、その提供が終わりだし、生活苦が同時に進行していく。

一方で、世間の関心が急速に薄れ、その無関心がまた被災者を苦しめる。
「まだそんなことを言っているの」
「もう復興しているだろう」
「もう帰れる、どうして帰らないの」と、暗黙のうちに責め立てる。
これが何重もの苦しみになっていった。

――今も被災地に通って?

困っている人たちの声を私たちがきちんと届けていないから伝わらないのでは、と思って、切迫した現状を伝えることに専心してきた。
7年経ち、どうしてこういう形なのか、現在までの時系列と、そして未来においてさらに困るだろう事態までを含めて、包括的にわかってもらおうと考えている。

たとえば支払う学費がなく大学に行けないのは絵空事でなくて本当のことだ。
避難した母親がいちばん頭を悩ますのは大学進学。
全入時代で誰もが大学に行く。
実例として、避難者で当初、学費の給付を受けていた学生が、制度がなくなり中退せざるをえなかったケースを記述した。
彼は学校の先生になりたかった。
だが大学中退になり、その夢をあきらめて、この4月から社会人になった。

学ぶ意欲のある人がその力を十分に発揮できないことにつながり、希望する未来を奪ってしまっている。

――賠償金の期限も来ました。

もともと避難で働く場所を替えなければいけなくなった。
正規の職業にありつけず、正社員からパートになった人の話はざらに聞かされた。
それだけ世帯収入はどうしても下がってくる。

昨年3月の住宅提供打ち切り後に東京に残った人が7割近くいる。
東京都のアンケートで170世帯が世帯収入の質問に答えている。
結果はほぼ6割が世帯月収20万円以下。
しかもその半分が10万円以下だ。
つまり全体の3割近くが10万円以下なのだ。
それで生活せよというのは酷ではないか。

放射能との闘いを
まだ続けなければならない

――居住費は。

民間の賃貸住宅にはとても住めないから、都営住宅の枠で入っている世帯が多い。
住宅提供が打ち切りになったときに、経済的には無理だから出身地に帰らざるをえないと帰った人もいる。
ただ、放射能汚染が心配で、福島県内の保育園では外遊びさせず、子どもの活動は県外でさせている母親もいる。

影響がよくわからない放射能との闘いをまだ続けなければならない。
専門家でも「影響がある」「影響がない」、あるいは「気にしないでいい」「気にしたほうがいい」など、いろいろな見方がある。
母親としてどの意見を取るか、自分自身でどう判断するか、悩んでもいる。

――でも何とか生活している?

精神的に参っている人もたくさんいるようだ。
福島県の調査では県外避難者に占めるうつや不安障害の比率は9.7%に達する。
全国平均は3.0%だから、3倍以上発生している。

――手抜き除染の報道がありました。

手抜き除染自体がどうして起こったのか、どうすれば防げたかについては、新聞では紙面に限りがあるので書き切れない部分が多くある。
これでは“移染”だ」と言う作業員もいた。
やっている本人たちが良心の呵責に苦しむような作業を、なぜ被曝リスクを冒しながら、そしてその被曝の除染手当を搾取されながら続けなければならなかったのか。

――除染はまだ終わってもいないとも。

終わったことになっている地域がほとんどだ。
そもそも長期目標とはどの程度の期間を想定してかわからないが、除染の長期目標は年1ミリシーベルト以下。
全面的に1ミリシーベルト以下にはしないと政府はしており、場所によって1ミリシーベルト以下にならないままのこともありうる。
福島第一原子力発電所の北西部に位置する浪江町では実測の中央値からして年間1.54ミリシーベルトになるという計算を説明会で表に出したうえで、避難指示を解除すると説明している。
政府としては年1ミリシーベルト浴びてもいい、年間の被曝量が20ミリシーベルト以下ならば帰れるという立場なのだが、一方で(二次)被曝に関して大丈夫とは言わない。

浪江町は「もう復興している」のか?

――タイトル「地図から消される街」の由来は。

浪江町から避難している人が、「このままでは浪江がなくなってしまう」と語ったことだ。
地元がこのままでは消えてしまうと思っている人の姿と、その一方でもう復興していると政府が言っている姿との乖離を、浮き彫りにするために表現した。

――「帰還政策は国防のため」と
          原子力村の重鎮が語っている?

どうして日本は脱原発できないのか、政治家を含め多方面の人に話を聞いたが、答えは「国防のため」に行き着く。
いちばん説得力があったので、原子力村の重鎮の言葉として記録した。

――避難者には「捨てられた感」が強いですね。

私たちも明日、ぱっと切り捨てられ、同じ目に遭うかもしれない。
自己防衛のためにどうしたらいいのか。
避難者は懸命に自分で考えて職に就き、生きている。
その姿に学ぶことはとても大事だ。

――「秘密会議」の話はショッキングです。

がれき撤去の作業中に粉塵が飛んで南相馬市のコメを汚染したのではないかという「事案」について、原因究明を始めようという矢先の段階で、原因不明扱いにしようと政府の会議で決めた事実がある。
シナリオが先に動く。
に見えていることがいかに取り繕われているのか。国民の一人として大いに心配だ。

――とにかく無関心はいけない。

避難者も二極化しているようだ。
立ち直れない人はますます深みにはまっていく。
支援もなくなり、世間が関心を持たないことでまた苦しむ。
まず苦しんでいる人たちがいるのを可視化していくことが大事だと思う。


青木美希(あおき みき)
/1997年北海タイムス社入社。
休刊で1998年北海道新聞社に移り、警察担当時に道警裏金問題(2003年11月から約1年報道)を手掛ける。
2010年朝日新聞社入社。
社会部に所属し震災を取材。
2011年特別報道部。
手抜き除染報道などで新聞協会賞を3回受賞
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脊髄動脈エコー検査をしました。

18日に「脊髄外科」手術の検査入院・脊髄神経矯正手術日と入院期間について 決定しようという流れの中、今日は脳外科で脊髄動脈エコー検査で 手術リスク判定をしました。

エコー検査の結果は、血管内に血栓部分が1/3ほどあり、神経手術は可能でも 今後 とも脳外科で出す血液・血管関係の薬は 飲み続けないと脳梗塞や脳出血の恐れがでてくるとのこと。

エコー写真を見ながら 何気なく「神経も骨も血管も異常だらけで 長生きは無理でしょうね」というと 
脳外科の先生「薬さえきちんと飲み 血液循環さえ維持できれば、長生きできる人も多いよ」とのこと。

不思議と「死の恐怖」より「残された命を1日でも長くする」「介護保険対象者になったのだから、困ったときは役所に相談し 介護認定をしてもらう」などという居直り的発想になりました。

帰り、久しぶりに本屋に行き 菩提寺宗派「曹洞宗」の住職の書いた「心がラクになる生き方」南直哉著(アスコム社)を買い、手術・検査・リハビリ時の支えの本にします。

元共産党員の私が病気の時は 仏にすがるのですから 自分自身 結構 思想的に柔軟だなぁと苦笑です。
posted by 小だぬき at 20:51 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月17日

安倍首相が大阪でやらせ応援プラカード

内閣支持率26%で
      安倍首相が必死!
大阪ではやらせ応援プラカード、
冷淡対応していた
  横田滋さんを急にお見舞い
    2018.04.16 リテラ編集部

 安倍政権にとって大打撃となる世論調査の結果が出た。
今月15・16日におこなわれたNNN(日本テレビ)世論調査で、内閣支持率が26.7%を記録したのだ。
NNN世論調査では前回調査で第二次安倍政権発足後最低となる30.3%を叩き出したが、これをさらに3.6ポイントも下げて最低を更新。
政権維持の危険水域と呼ばれる30%をついに切ってしまったのだ。

 しかも、注目すべきは、安倍首相が加計学園の獣医学部新設を初めて知った時期について、「愛媛県の職員が作成した文書」と「安倍首相の国会答弁」のどちらが信憑性が高いかという質問では、「安倍首相の国会答弁」と答えた人はなんと、わずか8.6%。
「愛媛県の職員が作成した文書」と答えた人が66.8%と過半数を超えた。
 つまり、7割の国民は「安倍首相は嘘つき」と考え、もはや安倍首相を信じる人は1割にも届かないという状態にあるということだ。

 大半の国民に
「嘘つき」であることを
見抜かれている総理大臣──。
この結果だけで普通の神経の持ち主ならばきちんと責任をとろうと考えそうなものだが、稀代の無責任男である安倍首相はなおも悪あがきをつづけている。

 事実、昨晩放送された『真相報道バンキシャ!』(日本テレビ)では、あまりに情けない安倍自民党の“ヤラセ”が暴露された。
 安倍首相は14日に自民党大阪府連の臨時党員大会に出席するため13日に大阪入りしたが、この日、天神橋筋商店街を約15分間も練り歩き。
コロッケを買い食いしたり、歩行者との写真撮影に応じたりと“庶民アピール”に励んだが、このとき、安倍首相を取り囲む複数の人びとが、安倍首相を応援するプラカードを掲げていた。

 そのプラカードとは、白地に赤色の大きなハートマークがあり、そのなかに「ガンバレ」と書かれたもの。
多くの国民が冷ややかな目で安倍首相を見つめているなか、こんなプラカードが大量に出現するとはいったいなにがあったのか……。
だが、そのプラカードの真相はほどなく判明する。

「ガンバレ」プラカードを
掲げた男性が
「自民党からもろてん」と
「ガンバレ」プラカードを掲げていたおじさんに記者が声をかけ、「お父さん、これ自分でつくったんですか?」と質問したところ、おじさんはこう答えたのだ。

「自民党からもろてんねん」
 首相が商店街を練り歩けば、マスコミは必ずカメラを回す。そこで安倍首相が熱烈に歓迎されていることを演出するため、自民党が地元の自民党員あるいは支持者、はたまた通りすがりの一般市民にプラカードを配って掲げさせた──。
つまり、自民党による“ヤラセ”だったのだ。

 昨年の総選挙では、安倍首相の遊説先で「おい、テレ朝 偏向報道は犯罪なんだよ!」「モリ・カケ疑惑は朝日のでっちあげ!」などと書かれたプラカードを掲げる安倍政権支持者が現れ、テレビにも映り込んでいたが、これはあくまでネトウヨがつくってネットプリントで拡散させていたもの。
しかし、今回は、自民党が自前でハートで囲まれた「ガンバレ」なる露骨なプラカードを作成し、掲げさせていたとは……。
やり方がネトウヨと一緒というのがいかにもだが、ここまでくると「必死だな」と肩を叩きたくなるような滑稽さである。

 だが、安倍首相は大阪から戻ってきても「必死」だった。
安倍首相はトランプ大統領との会談を今週に控えた昨日15日午後、川崎市にある日本鋼管病院を訪れ、拉致被害者である横田めぐみさんの父・滋さんを見舞ったのだ。
 なんという露骨な政治利用とパフォーマンス。

そもそも、安倍首相はこの間、北朝鮮問題についてはひたすら「圧力を強めろ」とわめくだけで、拉致問題解決にはまったく関心を示してこなかった。
安倍政権は第二次政権発足時に「拉致問題対策本部」のもと拉致関連の会議体を6つも発足させているが、いずれの会議体もほとんど開かれることなく開店休業状態になっている。

 それどころか、いまから2年ほど前にめぐみさんの母である早紀江さんは思いを綴った長文の手紙を安倍首相に送ったものの、安倍首相はこれを完全に無視。
返事も電話も返さなかったことも明らかになっている。

横田早紀江さんの手紙を無視していた
安倍首相が、滋さんのお見舞いをした裏

 こうした冷たい態度に、早紀江さんはめぐみさんが拉致された日から40年となった昨年11月15日の会見で、
「政府は一生懸命、知恵を練って下さっていると思いましたが、40年たっても何もわからない状況に、一体何だろうか、信じてよかったのかとの思いが家族にはあります」と後悔の念を漂わせていたほどだ。

 それが今回、一転して、横田滋さんへのお見舞いをしたというのは、明らかに人気挽回のためのパフォーマンスだろう。

 前述したように、安倍政権はいま、森友・加計問題による急激な支持率低下に見舞われている。
これまでは、失政や疑惑のたびに北朝鮮のミサイル危機を煽り、政権浮揚に利用してきたが、それも望めない。
それどころか、強硬策一辺倒で、朝鮮半島危機の平和的解決の流れから完全に取り残されてしまった。

そこで、日米首脳会談を前に、またぞろ拉致問題を政治利用し“横田さんの思いをトランプ大統領に届ける”などと言い出したのだ。
 だが、このようなわかりやすい工作に励んでも、安倍首相は今後もさらに苦境に立たされるのは必至だ。

23日の週に柳瀬唯夫・元首相秘書官の国会招致がおこなわれる予定だというが、愛媛県の面会記録文書を認めてしまえば、「(加計学園の獣医学部新設計画を知ったのは)2017年1月20日」という答弁が虚偽だったと認めることになるだけではなく、「首相案件」という言葉も認めなければならなくなるからだ。
 そのため、安倍応援団たちはいま、こぞって「国家戦略特区諮問会議の議長は安倍首相なのだから『首相案件』なのは当たり前」などと新たな言い訳を喧伝しはじめている。

安倍官邸は柳瀬元首相秘書官の証人喚問でもこの詭弁で乗り切ろうという算段で、いまから必死になって御用学者・ジャーナリストにこの論を広めさせているというわけだ。

 しかし、本サイトの既報の通り、はっきり言ってその根拠は小学生レベルの言いがかりとしか呼べず、佐川宣寿・前理財局長の証人喚問につづいて、柳瀬氏の茶番を国民はすぐに見抜くだろう。
いや、「小学生レベル」と言えば、小学生に失礼だ。
実際、4月14日付の毎日小学生新聞に掲載された政治の解説は、こんな文章で締められていた。

〈まず私たちは次のことを知っておきましょう。
 一度うそをつくと、うそを重ねないといけなくなる。
そして、うそはいずればれるということです

 一体、安倍首相は次はどんな嘘をつくのか。
この6年間の集大成として、盛大に醜態を晒して退陣の花道を飾ってほしいものだ。
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2018年04月18日

「すぐに答えを出そうとしない」「見返りを求めない」…人生を豊かにする生き方

「すぐに答えを出そうとしない」
「見返りを求めない」…
人生を豊かにする生き方
2018.04.17 新刊JP編集部
たぬきD.jpg
 人生を豊かに過ごすにはどうすればいいのか。
そもそも、「生きる」とはどのようなことなのか。
 答えを出すことが難しい問いに向き合う時間は誰にでもあるが、答えが出ないまま終わるということも多いだろう。
では、どう考えればいいのか。

 どんなときも「おかげさま」を忘れず、死を心配せずに毎日を楽しく生きることが、人生を与えられた私たちの使命であり、何よりも今を楽しむことこそ、最も重要である。
――そう述べるのが、『おかげさまで生きる』(幻冬舎刊、2017年に文庫版刊行)の著者である医師の矢作直樹氏だ。
医師として人の生死と向き合ってきた矢作氏が辿り着いた「生きる」の意味。
そして、豊かに生きるための考え方。
本書から紹介しよう。

■すぐに答えを出さず、
時間に結論を委ねることも大切

 問いにぶつかったら、すぐに答えを出さないといけないという気持ちになるだろう。
「なぜ生きるのか」という問いもそうだ。

 しかし、矢作氏は、答えは「出すもの」ではなく、「出るもの」であると考えているという。
 どう判断していいのか見当もつかないとき、結論を先送りにしてしまったことはないだろうか。
そして、「優柔不断な自分が嫌だ」「答えを出せず情けない」、そんな風に思って自分をせめるかもしれない。
しかし、先送りにするのも選択の一つ。
もしかしたら時間が解決してくれるときもある。

 矢作氏は「時間という存在は、私たちを縛る嫌な存在である反面、物事を解決する、トラブルを解消するための貴重な存在です」と指摘する。
 自分の生活を振り返ってみて欲しい。
どこか焦っていないだろうか?
 歩調を周囲に合わせようと必死に答えを考え続けてはいないだろうか。
でも、誰かが勝手に作ったスピードに巻き込まれてイライラするのは禁物だ。

■どうしようもない状況は「しかたがない」

 また、朝の通勤時に電車が運転見合わせになったり、物事がうまくいかないなど苛立ちのもとは至る所にある。
しかし、怒ったところでどうすることもできない。
そこでは「しかたがない」と考え、理不尽を受け入れることが重要だ。

 しかし、矢作氏は、「しかたがない」という言葉はあきらめの境地で使うのではないと指摘する。
自分の力ではどうしようもない状況があったら、「それもまた人生」とまずその状況を受け入れるのだ。
それが大きな学びに通じていく。
 人は困ったときに本性が出るもの。
確かに苛立ちを隠さずに誰かにぶつかるなどもってのほかだ。
「しかたがない」も重要な考え方だといえる。

■人に見返りを求めないことで
   本当の快適さを得る

 一人ぼっちという孤独感や、周囲とうまくやれないという分離感の行き着く先について矢作氏は、自分なんて死んだほうがいいいいのだという「負の領域」であると指摘する。
そして、こうした感情の大本は「自縛」という領域で、自分を縛っているのは自分自身であることを理解しておかなければいけない。

 矢作氏は、孤独感や分離感は一人でいるから起こるのではなく、「他者との感情面での『つながり』を感じられないから生まれる」と述べる。
 よく考えみれば、確かに私たちは他者とのつながりなしで生きてはいけない。
何かを買うにしても、どこかへ行くにしても、誰かの助けが必要だ。
孤独感や分離感は“つながっているはずの感覚”が鈍くなっているだけなのだ。

 矢作氏は、人生はギブ・アンド・テイクではなく、ギブ・アンド・ギブと訴える。
見返りを期待せずに与えることが、いずれ自分のためになる。
与えたら忘れる。
その循環に身を置くことが、本当の快適さを得ることにつながると言う。

 ただ、一人の感覚を急に手放すことは難しい。
そこで本書で提案されているのが、まず「しがらみ」を手放してみること。
「しなければいけない」「なくてはいけない」といった「しがらみ」を1つだけでいいので手放す。
つまり、自分にとって譲れない考えを手放すのだ。

 しがらみが強いと、知らず知らずのうちに周囲とのつながりが薄れてしまうと矢作氏。
それは、皆が異なる価値観で生きているという当たり前のことを忘れるからだ。
しがらみを捨てる。
そうすることで、孤独感が薄れて他者とのつながりが太くなり、人生そのものが豊かになるのだろう。

 人生の岐路に立ったときや迷ったとき、救急医療の第一線で命と向き合ってきた矢作氏の生きることへの考え方は、進む道を導き出すときに参考になるはずだ。
(新刊JP編集部)

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2018年04月19日

麻生氏の「たかがセクハラ」意識

損なわれる行政への信頼…
麻生財務相に透ける
「たかがセクハラ」
「たかが森友」意識の“罪”
2018.04.18 Business Journal

文=江川紹子/ジャーナリスト

 どんな組織にでも、とんでもない人が出てしまうことはある。
そういう人が存在したからといって、軽々しくその組織が腐敗しているとは決めつけられない。

 しかし、その人が当該組織のトップとなれば、話は別である。
財務省の福田淳一事務次官によるセクハラ疑惑と、それについての麻生太郎財務相の反応には唖然とさせられた。
いったい財務省はどうなっているのだろうか。

音声記録まで暴露され、与党内からも更迭を求める声が出たが、本人は辞任を拒否し、報道を否定して争う姿勢を発表した。

セクハラに対する反応の鈍さ
 福田次官が女性記者を呼び出しては悪質なセクハラをくり返している、と報じる「週刊新潮」(新潮社)が発売になったのは、4月12日。
記事では、記者と同次官の具体的なやりとりを再現しているほか、複数のメディア関係者の証言が紹介されている。

たとえば、以下のようなやり取りだ。
「“彼氏はいるの?”と聞かれたので1年ほどつきあっている人がいると応えると、“どのくらいセックスしてるのか?”と聞かれ(以下略)」(大手紙記者)

「深夜によく電話があって、ネチネチ過去の男性のこととか聞かれて、トホホです」(テレビ局記者)

「“キスしていい?”は当たり前
“ホテル行こう”って言われた女の記者だっている(中略)
“最近、どのくらい前に(セックスを)いたしたんですか?”とか口癖で(以下略)」(別の大手紙記者)

「セクハラしまくってる」「被害者の会ができるんじゃないですか」と財務省職員が語るほどの常習犯だったようだ。
これらがすべて事実なら、相当に悪質と言わなければならない。
 ところが、同誌発売当日の麻生氏は、「きちんと緊張感を持って対応するようにと、訓戒を述べたということで十分」
「十分な反省もあった」として、処分はおろか、事実についての調査も行わないとした。

 その翌日、「週刊新潮」が、女性記者に「抱きしめていい?」「胸触っていい?」「手縛っていい?」などとくり返す福田次官の音声を、ネットで公開した。
 すると、麻生氏はようやく「あの種の話は、今の時代、セクハラと言われる対象」
「事実であれば、セクハラという意味ではアウト」と認めながらも、こう述べた。
「本人の長い実績を踏まえてみれば、能力に欠けるという判断をしているわけではありません。
今のところ処分等を考えているわけではありません」

 セクハラとしては「アウト」でも、財務官僚としての「実績」や「能力」を考えれば、次官としては「セーフ」ということらしい。
そんな発言からは、「たかがセクハラではないか」という麻生氏の本音が透けて見える気がする。
 
  担当記者からすれば、事務次官から呼ばれれば、駆けつけないわけにはいかない。
セクハラがあっても、仕事のうえで不利益があるかもしれないと考えれば、不快感をあらわにしたり抗議したりするのもはばかられ、耐えたりかわしたりしながら取材に努める。
「週刊新潮」が伝えたのは、そういう立場を利用した、卑劣で下品極まりない人権侵害にほかならない。

 このような疑惑の人が、事務次官という責任ある立場にふさわしいのか。
すみやかに事実を調査の上、それを判断するのが、任命権者たる財務大臣の役割だろう。
 そして各報道機関は、自社の記者が被害を受けていないかを調べ、あった場合にはそれを報じるべきだった。

記事に「#Me Too」のハッシュタグをつけ、メディアが続々と伝えれば、他のさまざまな組織で被害に遭っている女性たちへのエールになり、セクハラの被害者が声を挙げにくい風潮を変える力にもなる。
 それにもかかわらず今回、そうした動きはなかった。
このようなメディアの反応の鈍さも、「たかがセクハラ」という受け止め方をする人たちがなかなか減らない一因だろう。

問われる麻生氏の責任
 ところで、「週刊新潮」が音声を公開したケースは、森友学園への国有地売却において、財務省の公文書改ざんが問題になっている最中に起きている。
 記事には、具体的な日時は書かれていないが、「佐川が辞めたあと証人喚問までの間にちゃんと床屋行ってた。それが話題になっている」という福田氏の言葉が紹介されており、音声データのほうには「予算通ったら浮気するか」という言葉も入っている。

佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問が行われたのが3月27日、平成30年度の予算が参議院本会議で可決、成立したのが28日。それを合わせ考えれば、問題のやりとりがあったのは、佐川氏が「刑事訴追の恐れ」を盾に証言拒否を連発した27日の深夜ということになろう。

 これに対し財務省は、「私は女性記者との間でこのようなやりとりをしたことはない」とする福田氏のコメントを発表。
同氏は、新潮社を相手取って損害賠償訴訟を起こす意向を示した。
そのコメントの中で、福田氏は「女性記者に対して、その相手が不快に感じるようなセクシャル・ハラスメントに該当する発言をしたという認識はない」とも述べている。

 だが、セクハラに該当するかどうかを判断するのは、当該発言をした側ではない。
「不快」に感じたかどうかも、それは受けた側に聞いてみなければわからない。
セクハラにしろパワハラにしろ、加害者側にはまったく相手を傷つけている認識がないまま、さまざまなハラスメントを行っているケースはよくある。

 また、福田氏は音声データの声が自分のものであることは否定していない。
「女性が接客しているお店」で「言葉遊びを楽しむことはある」などとしていて、風俗営業の店での会話であることをにおわせている。
 仮にそうであったとすれば、官僚による決裁文書の改ざんという、あってはならない行為について、厳しい目が注がれている最中に、官僚のトップである福田氏が、女性の接待を伴う店で、一連の問題をネタにしながら、「おっぱい触っていい?」などと女性と「言葉遊び」に興じていたことになる。
このような当事者意識に欠けた態度は、これはこれで、同省に向けられた国民の不信を真摯に受け止めていないと言わざるをえない。

 つまり、これが事実なら、「週刊新潮」は女性記者へのセクハラをつくり上げる必要もなく、その通りに書くのではないか。
名誉毀損があった場合のメディアへの損害賠償が高額化しているなか、「週刊新潮」がセクハラをでっち上げ、雑誌への信頼を失墜させるようなリスクの高いことを行う動機も考えつかない。
なお、「週刊新潮」編集部は「記事はすべて事実に基づいたものです」とのコメントを発表した。

 いずれにしろ、こうした時期における福田氏の行状は、本人の人格や資質の問題であるだけでなく、麻生氏も責任を免れないのではないか。
それは、単に任命責任というにとどまらない。

 麻生氏は、3月29日の参院財政金融委員会で、環太平洋経済連携協定(TPP11)が署名されたことについて「日本の新聞には1行も載っていなかった」と事実に反する決めつけを行い、「日本の新聞のレベルというのはこんなもん」「森友のほうがTPP11より重大だと考えているのが、日本の新聞のレベル」などと述べた。
その発言からは、天下国家の大きな話に比べれば、「たかが森友」は小さい課題にすぎないという同氏の認識が読み取れる。  

問題を起こした当該官庁の責任者でありながら、平然とこのような発言をする。
大臣がこのような態度であれば、財務省職員をたばねる事務次官の当事者意識が、かくも希薄なのも不思議ではない。
「緊張感をもって」と訓戒を垂れる麻生大臣自身こそ、「たかが森友」意識から脱却して、緊張感をもってもらいたい。

本当に「たかがモリカケ」か
 もっとも、「たかが森友」という認識でいるのは、麻生氏1人に限らない。
加計学園の獣医学部新設をめぐる問題を合わせて「モリカケ」と呼び、国会やメディアは「たかがモリカケ」より「もっと大事な問題」を扱うよう求める発言は、現政権を支持する層の人たちから、しばしば発せられる。

 たとえば、ジャーナリストの櫻井よしこさんは、4月2日の『深層news』(BS日テレ)で、次のように語っている。
「今の国会を見ていると、いまだに森友問題をやっているわけでしょ。
もっと大事な問題があるということを、メディアの人も野党の人も考えて、一致団結してこの難局に当たろうという構えを見せないといけない」

 ネット上でも、例えば元大蔵官僚の高橋洋一・嘉悦大教授は今月14日にツイッターで、こんな発言をしている。
「モリカケ。(中略)どっちも、あの時ああ言ったぞという話で、中身はない下らんなあ。
国際情勢が動いているのに国内でこんな下らんこと議論している暇はない」
「暇はない」と言いながら、両件に関する政権擁護の原稿を書いたりしゃべったりしているのはご愛敬と言うべきなのだろうか。

 確かに、この問題には長い時間を費やしすぎていると、私も思う。
しかし、長引いている責任は、事実の解明を求める側ではなく、それに不誠実な対応をしてきた政府の側にあることを忘れてはならない。

 よく刑事事件を引き合いに、「安倍首相夫妻の関与は何ひとつ証明されていない」として、追及を続ける野党やメディアを批判する人がいる。
埼玉大の長谷川三千子名誉教授もその1人だ。
4月16日付毎日新聞の中で、同氏はこう述べている。
「刑事裁判でいえば物証も証言も動機も不十分なのにメディアが騒ぎ、うんざりしている」

 的外れのコメントとしか言いようがない。
刑事裁判では、被告人が有罪であることを合理的な疑いをさしはさむ余地がないまでに立証する責任は、検察側にある。
一方、行政の公正性、公平性が疑われている時に正当性を説明する責任は政府の側にあるのだ。
 しかも、その説明の拠り所になるべき公文書の保存や開示が適切になされていないどころか、改ざんまでしていたことが明らかになった。
国民が、後から政策の決定や執行過程を検証するプロセスがないがしろにされ、民主主義の土台が崩された。
このことを軽視してはならない。

 そのうえ、行政の信頼性が損なわれているのは、この両件だけでなく、ほかにもいくつもの案件が明るみに出ている。

厚生労働省では裁量労働制に関する不適切なデータとその調査原票が隠蔽され、さらには裁量労働制を不正に適用されていた野村不動産の社員が自殺し、労災認定されていたことを隠していた。

自衛隊ではイラク派遣部隊の日報が隠され、大臣にも報告されていなかった。

 与党政治家におもねる官僚の対応、事実の隠蔽、公文書の改ざん……。
公平性、公正性、適法性について曲がりなりにも国民が寄せていた行政への信頼は地に落ち、日本の民主主義はまさに底が抜けた状態に陥っている。
次々に明るみに出ている行政の不祥事は、それぞれ別のものであるが、同じ時期に多発したのは「たまたま」ではなく、そこに通底する問題があるのではないか。

それぞれの真相を解明する過程で、それを見つけ出さなければならない。
 確かに、北朝鮮の核・ミサイル・拉致の3課題やトランプ米大統領が押し進めようとしている保護貿易主義、さらにはシリア内戦やイランを巡る問題など、海外情勢はどれをとっても深刻だ。
国内では、少子高齢化に伴うさまざまな症状が現れている。

「この難局」にあって、官僚は人事権を握る政権の顔色を窺い、あるいは組織のために、国民に嘘をつき、事実を隠し、物事の決定過程を記録した文書を改ざんする。
そうかと思えば、大臣に対しても事実を報告しない。
公正性や公平性は信頼できず、国会に出された文書や答弁も、どこまで信じていいかわからない。
 果たしてこれで、「この難局」を乗り切れるのか

地盤がグズグズになっている状況では、人は足を踏ん張ることができない。
 それを考えれば、「この難局」を憂慮し、危機感を覚える人ならなおのこと、「たかが森友」「モリカケごとき」問題を速やかに終わらせるためにも、もっと誠実な対応をとるよう、政府・与党に働きかけるべきだろう。

メディアに文句を言っている場合ではない。
 森友問題については、財務省の内部で調査が行われているというが、組織的な不正を行った疑いがある案件を、当該組織に調査させて、いったいどれだけ信頼に値するか、大いに疑問だ。
 検察の捜査に期待していた向きもあるようだが、検察OBには当初から刑事事件としての立件については疑問視する声が多く、最近では「立件見送り」の報道も出ている。

 以前にも書いたように、こうした問題は、捜査機関をあてにするのではなく、
国会に特別委員会を作り、公文書の改ざんなどは第三者委員会で事実を調査したうえで、必要な関係者を証人喚問するというかたちで、一つひとつ地道に事実を解明していくべきだ。

 今回、検証とそれに基づいた対応をする機会を逸し、おざなりの「再発防止策」で終わりにすれば、問題の根は残ったままになる。
緩みきった地盤の表層をコンクリートで固めてみても、いずれは崩れ落ちて、大惨事となろう。
 その弊害を、考えてもらいたい。


 ●江川紹子(えがわ・しょうこ)
東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。
著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。

江川紹子ジャーナル
www.egawashoko.com
twitter:amneris84、
Facebook:shokoeg

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2018年04月20日

パワハラ社長を撃退した新聞記者の戦い

自分の権利のために
声を上げることは、
他の人の権利を守ることにつながる!
とある新聞記者パワハラ社長
2018.04.19 リテラ (今泉義竜/東京法律事務所)

とある業界紙を発行する従業員100名弱の新聞社が今回の舞台。
この新聞社では、長年ワンマン社長による暴言や理不尽な業務命令が横行していた。
「君たちはゴミを作っている」
「整理部の人間はバカだ。居る資格がない」などという人格否定の暴言は日常茶飯事。
時には労働者のみぞおちを殴る暴行も。
労働時間管理なし、三六協定(時間外・休日労働に関する労使協定)なし、残業代なしのブラック企業あるある3点セットのもと長時間労働が横行する職場で労働者は疲弊し切っていた。

 しかし、そんな横暴な社長に対し2人の記者が立ち上がった。
1人は「言うことを聞かないから手当カット」と月10万円以上の給与減額を通告されたうえ、自宅待機を命じられた記者。
もう1人も降格・給与減額のうえに解雇を予告された記者。

2人は新聞業界では強い影響力を持つ新聞通信合同ユニオン(1人でも入れる社外の労働組合)の門を叩いた。
2人はユニオンに加盟して職場内に支部をつくった。

 組合は未払い残業代の支払い、賃金減額・自宅待機の撤回、パワハラの防止など、団体交渉で労働条件の改善を求めた。
組合の粘り強い交渉の結果、会社の顧問弁護士による社長への説得もあり、賃金減額と自宅待機は撤回されることとなった。また、社長のパワハラも一時的に鳴りを潜めた。

 ただ、未払い残業代について会社は「職責手当で残業代は賄われている」との主張を崩さず、支払いに応じなかった。
この会社の主張は、いわゆる「固定残業代制」というもので、残業代不払いのブラック企業が用いる典型的な言い分であるが、そのほとんどは違法だ。
 そこで組合から依頼を受け、私が代理人となって2人分の未払残業代を求める裁判を2016年11月に起こした。

 裁判では、PCのログイン・ログアウトの履歴、日記、会議のメモ、休日出勤届けなどの膨大な証拠で残業の実態を明らかにした。
裁判記録は20センチ近い厚さとなった。

裁判で職場環境改善を求められた社長が
「お前がいると全員失業者になる」
        「バカ」と暴言連発
 双方の言い分が出尽くすと、客観的な残業の証拠が残っていることを踏まえ、裁判官は会社に対し一定の金銭の支払いによる解決を促した。
 しかし、会社は今度は財務資料を出してきて、経営状態が悪いとして出し渋る戦略に出た。
経営状態が良かろうが悪かろうが法律上払うべきものは払わなければならないのであるが、裁判官はこちらに譲歩を求めてきた。
裁判官は会社から「経営状態」を言われると結構弱い、という面が実はあるのだ。

 組合は、それならば、と金額で一定譲歩するかわりに、今後の職場環境改善につながる和解条項として次の8項目を提示した。
1、今後タイムカード等を導入し全従業員について労働時間を適切に管理すること。
2、民主的に選出された従業員代表との間ですみやかに三六協定を締結すること。
3、課長代理および課長職など労働基準法上の管理監督者に該当しない者に対して労働基準法に基づき時間外労働に対する残業代を適切に支払うこと。
4、休日出勤について労働基準法に基づく割増残業代を支払うこと。
5、有給取得を理由として精皆勤手当をカットしないこと。
6、就業規則を速やかに整備すること。
7、原告に対し、会議に参加させない、一時金を支給しない等の差別的取り扱いをしないこと。
8、社内におけるパワハラ行為が一掃されるよう、適切な対策を取ること。

 これらは残業代請求とは直接関係のない項目も含まれていたが、和解なのだから当事者がOKならばどんな和解でもできる。団体交渉で進展しない項目については裁判所の和解条項で解決しようという戦略だった。

 しかし、裁判期日後に代理人を通じてこれらの要求を知らされた社長は怒りを爆発。
原告の2人に対して、「お前がいると全員失業者になる」などと暴言を社内で連発。
別の日には他の社員に向けて、「世界バカ大会。正真正銘のバカ」と誹謗する始末であった。

ついにパワハラ社長を撃退!
全従業員の労働環境を
      改善することにも成功
 組合は、こうした社長のパワハラ・暴言はきっちりと記録。
組合名で抗議文を直ちに出すとともに裁判官にも伝えたところ、裁判官は期日に社長を出頭させたうえで、こうした発言をやめるよう説教をし、裁判所案として会社に以下の和解案を検討するよう伝えた。

1、被告は、原告らに対し解決金を支払う。
2、被告は、適正な手続きに則り従業員代表を選出し、三六協定を締結することを確約する。
3、被告は、原告ら及びその他従業員が法定労働時間を越えた時間外労働をした場合には、同時間外労働に対して労働基準法に基づく割増賃金を支払う。
4、被告は、原告ら及びその他従業員が休日出勤をした場合には、同休日出勤に対して労働基準法に基づく割増賃金を支払う。

5、被告は今後暴言等のパワーハラスメントととらえられる言動をしないことを確約する。

 代理人間で和解に向けた最終調整が進められていた17年12月、会社は突如、社長の退任を発表。
社長の長男が代表取締役社長に就任した。
予期せぬ突然の発表に一同仰天した。
社長の退任は「健康上の理由」とされていたものの、原告と組合がパワハラや違法行為を徹底的に追及した上に、裁判官からも説教されたことが、社長に退任を決意させる大きな契機となったことは間違いないだろう。

 結局、新社長のもと、上記の5項目での和解が成立した。
パワハラ社長はいなくなり、従業員は長年の抑圧体制から解放され、新体制での業務が始まった。

 本件は、原告2人の残業代請求訴訟ではあったが、組合とタッグを組んで団体交渉と訴訟を並行して行うことで、結果的にパワハラ社長を追い出した上に、会社に対し全従業員に対する労務管理のあり方を根本的に是正させる和解を勝ち取ることができた。
仲間と声を上げることで変えられる
自分が自分の権利のために声を上げることは、他の人の権利を守ることにつながる」ということを示す一例として、多くの人に知ってほしいと思った次第である。

【関連条文】
三六協定 労働基準法36条
残業代 労働基準法37条
(今泉義竜/東京法律事務所 https://www.tokyolaw.gr.jp
********************
ブラック企業被害対策弁護団
長時間労働、残業代不払い、パワハラなど違法行為で、労働者を苦しめるブラック企業。
ブラック企業被害対策弁護団(通称ブラ弁)は、こうしたブラック企業による被害者を救済し、ブラック企業により働く者が遣い潰されることのない社会を目指し、ブラック企業の被害調査、対応策の研究、問題提起、被害者の法的権利実現に取り組んでいる。
この連載は、ブラック企業被害対策弁護団に所属する全国の弁護士が交代で執筆します。
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2018年04月21日

国民を敵、味方に分断するやり方

きょうの潮流
2018年4月20日(金) しんぶん赤旗

「話せばわかる」とさとす首相を軍人が「問答無用」と撃ち殺す。
戦前、政党政治を終わらせ軍部独裁に道を開いた五・一五事件。
青年将校たちの檄文(げきぶん)には「国民の敵たる既成政党と財閥を殺せ」の一文がありました

▼陸軍の将校らが起こした二・二六事件。
親政を名目にした軍事クーデターの決起趣意書は「国体破壊の不義不臣を誅殺(ちゅうさつ)」することを呼びかけました。
意見の違うものを排除していった軍部のもと、日本は戦争に突き進んでいきました

▼「おまえは国民の敵だ」。
時代を逆戻りさせるような発言が、自衛隊の幹部から飛び出しました。
国会近くの路上で民進党の参院議員に自衛隊員だと告げたうえで執ようにののしったといいます

▼暴言を吐いたのは防衛省統合幕僚監部の3等空佐。
戦前でいえば将校(少佐)にあたり、部隊の指揮もとれる立場の人物です。
実力組織の現職幹部が国民から選ばれた国会議員を非国民のごとく糾弾する。
暗黒の時代を想起させる事態です

▼それでなくても海外に派兵した部隊の日報を隠ぺいし、文民統制からの逸脱が大きな批判を浴びているとき。
ところが小野寺防衛相は「彼も国民のひとりであり、当然思うことはある」とかばうような姿勢さえみせています

▼とめどなく軍事のタガを外していく政権。
同時に国民を敵、味方に分断するやり方は、安倍首相お得意の手法です。
痛恨の教訓からつくりあげてきたこの国を守るため、ここはみんなで手を携え、それを壊そうとするほんとうの「敵」を倒さなければ。
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2018年04月22日

水に流せない! “女子トイレの行列”問題

水に流せない! 
“女子トイレの行列”問題
4/21(土) 読売新聞(大正大学准教授 岡山朋子)  

まもなく大型連休。
行く先々の施設のトイレで、順番待ちの長蛇の列に悩まされたことのある女性は多いのではないだろうか。
各地で公共トイレを清潔にするなど快適化を目指す動きが広がっているが、この“行列問題”はほとんど改善が見られない。
大正大学人間学部准教授で、日本トイレ研究所の会員でもある岡山朋子さんに、女子トイレ行列を生む背景や問題点について解説してもらった。

◆“男女平等”が不平等に
 先日、順番待ちの列ができていた女子トイレの前で、小さい女の子が我慢しきれなくなり、母親が列に割り込む形で「先に使わせてほしい」とお願いしたことをきっかけに論争がわき起こり、ツイッターでも議論になりました。
 「子どもに優先させてあげるのが大人の優しさ」と思う人がいる一方、
「過活動膀胱(ぼうこう)」などでいつも尿漏れを心配している大人の女性や、
急な生理などで一刻も早くトイレに駆け込みたいという女性もいます。
いずれも当事者にとっては非常に深刻な問題であり、簡単には譲れません。

 こうした深刻な「トイレ渋滞」の影響を受けるのは、ほとんどが女性です。
公共施設などで女子トイレの前にだけ長蛇の列ができているのを、男性も見かけたことがあるでしょう。
 その原因は、実態にそぐわない「男女平等」にあります。
公共トイレの多くが左右対称の作りで、男子トイレ、女子トイレが同じ面積で作られることが影響しているのです。

◆利用時間は男性の2.5倍
 中日本高速道路(ネクスコ中日本)が2014年度に行った調査によると、
男性が小便器を利用する時間が平均37.7秒であったのに対し、
女性の個室トイレの平均利用時間は約93.1秒で、男性の約2.5倍の時間がかかっていました。
女性のトイレは常に個室が必要で、男性より所作も多いからです。

 男女で同じ面積のトイレを作れば、すべて個室の女子トイレは、男子トイレよりも便器の数が少なくなることが多く、その上、1人当たりの利用時間が長いとなれば、女子側にだけ列ができるのは当然といえます。
 面積が「男女平等」であっても、利便性の面では「平等」とはとても言えないのです。

女性のほうが多い…山口県萩市
◆男性の2倍を目標値に
 トイレの男女比率を変え、女子トイレの渋滞問題を改善しようと取り組んでいる自治体もあります。
山口県の萩市です。
 萩市には松下村塾など、世界遺産に登録された観光地の一部があり、観光客が大型バスで訪れると、公衆トイレを利用する女性たちの長蛇の列ができていました。

市の公共施設でもイベント開催時に同様の問題が起きていたことから、市は「公共施設のトイレにかかる整備方針」を設け、「男性小便器数と女性便器数の比は概ね1:2とする」という目標値を定めています。

 同市によると、女性コーラスの全国大会などが行われる萩市民館は、男子トイレの便器が22個(小便器15個、個室7個)、女子トイレは個室のみ12個でしたが、2013年度に行われた整備で女子トイレだけを増やし、男子の1.5倍に当たる個室34個となりました(女子トイレ内に男児用小便器1個を増設)。

◆「空き」でも奥のトイレは使われない
 面積の問題以外にも、「トイレ渋滞」を生む理由があります。
 先に紹介したネクスコ中日本の調査では、トイレの列に並ぶ人の行動について、もう一つ興味深いことが分かりました。  

並んでいる人の行動を観察すると奥の個室が「空き」となっているのに、利用する人が少なく、入り口近くの個室に利用が集中していることがわかりました。
仮に1人当たりのロス時間は短くても、行列する人の数を掛ければ、相当な時間のムダになります。
 こうした調査をもとに、高速道路のサービスエリア(SA)などでトイレの混雑解消に向けた取り組みが始まっています。 

デザインでトイレ渋滞を解消
◆センサーで「空き」を表示
 静岡県沼津市の東名高速道路・愛鷹(あしたか)パーキングエリア(PA)などでは、トイレの個室の入り口にライトを設置し、センサーで利用状況を感知して、使用中なら「赤」、空いていれば「青」と自動的に表示するようにしています。
 ほかにも、人は明るい方へ行きたくなるという心理的な「サバンナ効果」を利用して、トイレの入り口から奥に向かって、壁のデザインを寒色系から暖色系に、照明も徐々に明るくするなどして、空いている奥の個室を利用するように促す工夫をしています。
これにより、奥の個室までまんべんなく利用され、以前よりも混雑が緩和されたといいます。

 順番待ちの列に整然と並んでもらうことも時間のロス解消につながります。
どこで待てば良いか分からないなどの理由で順番を抜かされた人から不満の声が出るなどして、トラブルになるのを防ぐことができます。
 圏央道の厚木PA(内回り)などでは、人の足形などを床面に描き、トイレの順番を待つ位置と並び順が分かるようにし、さらに、入る人と出る人が出入り口で交錯しないように、それぞれの動線を床に描いた矢印で示すようにしています。

 このほか、女性はトイレで化粧や身だしなみを整えることがあり、その順番待ちがトイレ内の混雑にもつかながるとして、トイレとは別に専用のスペースを設けたサービスエリアもあります。

◆デザインで混雑を解消
 スポーツ観戦の際も、トイレのタイミングは重要です。
行列に並んでいる間に、決定的な瞬間を見逃してしまうのは誰も避けたい事態でしょう。
2020年の東京五輪に向けても、大きな課題になると思います。

 Jリーグで昨季優勝した川崎フロンターレの本拠地・等々力陸上競技場(川崎市中原区)では、2015年のメインスタジアム改修に合わせて、トイレの混雑解消にも取り組みました。
サッカー観戦時のトイレ利用は、ハーフタイムなどの限られた時間に集中しがちです。
試合再開までにお客さんが客席に戻れるようにと配慮したそうです。
 ここでも、個室の「空き」がはっきりと分かるような工夫をしています。

 スタジアムの改修を行った日本設計(東京都新宿区)によると、全ての個室ドアが閉まった状態では個室の周辺はまっ白に見えるようにデザインされています。
個室内の壁は女子トイレが赤、男子トイレは青に統一され、白い扉が開くと、個室内の色が見えて、そこが「空き」になったことがわかるという仕組みです。
 動線にも工夫しています。
 用をすませて個室を出ると、すぐ目の前に小さな手洗い場所があります(写真参照)
手を洗い終えて顔を上げると、一番奥にある緑色の壁に目が向く作りになっていて、壁面には矢印が一つ描かれています。
これに従って移動すれば、出口となります。
トイレに入ってから出口までが“一方通行”で、利用者が一度も戻ることなく動くように導く仕掛けになっているのです。
この工夫で、入る人と出る人の交錯も防いでいます。

◆男性は母や妻の立場で考えて
 車で移動する際や混雑した駅、観光地など、トイレの問題が心配になる場面はいくつもありますが、女性はなかなかその悩みを言いだせません。
女性同士でも、世代間で分かり合えないことが多いと思います。

 男性にとってはなおさら、「女性のトイレの問題」は、分からないことだらけだと思います。
しかし、ここで紹介したように、社会的な理解不足や環境整備の遅れに女性は困っているのです。

知らないふりをせず、自分の母親、妻、娘の大問題として考えていただければ、本当の意味での“男女平等”のトイレ整備が実現していくのではないでしょうか。
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2018年04月23日

小中学校で増える「常勤講師」 士気低下が蔓延する背景とは

小中学校で増える「常勤講師」
 士気低下が蔓延する背景とは
2018.04.22 NEWSポストセブン  

 新学期がスタートして間もなく1か月。
公立の小中学校では社会人になりたての新米教師や、他校から異動してきた初顔合わせの教師が受け持つクラスで勉強している子どもたちも多いだろう。

 そして、近年増えているのが、教員免許を持ち、担任や部活動の顧問をするなど正規職員とまったく同じ仕事をしながらも、身分は臨時に採用された非正規の「常勤講師」の存在だ。
 臨時教師といえば、かつては産休など長期休暇をとる教員の“穴埋め”的なイメージが強かったが、現在は1学年のうち複数のクラス担任が“フルタイム”で働く常勤講師というケースも珍しくない。

 文部科学省の調べ(2017年5月時点)では、全国の公立小中学校にいる常勤講師の数は4万2792人。
教員定数に占める常勤講師の割合は平均で7.4%だが、都道府県によってバラツキがあり、沖縄、三重、長野は10%を超えている。

 そもそも、なぜ非正規の教師がここまで増えたのか──。
ひと言でいえば「地方自治体の人件費削減」に拠るところが大きい。

教育ジャーナリストの斎藤剛史氏が解説する。
「公立小中学校の給与など人件費は、以前は国と都道府県が2分の1ずつ負担する仕組みになっており、国が定めた定数内の教員はすべて正規職員とすることが法律で定められていました。
 しかし、地方分権改革による都道府県の権限強化のため、2004年から定数上算定された負担金を国が都道府県に交付し、都道府県はそのお金を教員人件費の枠内で自由に使えるようになったのです。
その代わり、国の負担は3分の1に減らされました」

 つまり自治体の裁量権が大きくなったことで、正規職員の採用を抑え、その分、給与の安い講師を大量に採用して各校に配置できるようになったというわけだ。
この仕組みは財政難に苦しむ自治体の人件費削減効果のほか、教員不足の解消や学力アップを目的とした少人数クラスの設置など、きめ細かな教育が実現できる策として期待されてきた。
 だが、実際の学校現場では、きめ細かな教育とは大きくかけ離れた問題も起きている。

首都圏の公立小学校に低学年の子どもを通わせている40代の母親がいう。
「担任の先生は、もう10年以上も講師を続けているというベテランだったので安心していたのですが、勉強についていけない子どもを平気で放っておいたり、子ども同士のケンカも見て見ぬフリをしたりと、どうやら親身な指導をしていないようなんです。
 そうしたクラス内の問題を学年主任など他の先生に相談もしていないようですし……。
どうせ1年だけだからと、いい加減な指導をしているのだとしたら許せません」

 この母親がいうように、常勤講師の任期は地方公務員法に基づき、事実上1年となっている。
中には特例的に同じ学校で再任用されるケースもあるが、みな1年以内で一旦契約が終了。
引き続き講師の要請があれば、違う学校に移って新契約を結び、また1年間講師を続けるという繰り返しが一般的だ。

「講師は次年度に再任されるかどうか分からないため、正規職員のようにある程度長いスパンでの指導や取り組みができません。
また、同じ学校での再任用の権限は実質的に配属先の校長や市町村教育委員会などが握っているため、マイナス評価につながるようなことを嫌う傾向があります。
 そのため、いじめや不登校などの問題が発生しても、報告したり相談したりすることができず、結果、事態が悪化するケースはよくあります」(前出・斎藤氏)

 もちろん、子どもが大好きで熱血指導をモットーに教壇に立ち続ける常勤講師もたくさんいる。
だが、制度上の問題で、どうしてもその場しのぎや場当たり主義が蔓延してしまうのだという。
 また、常勤講師のモチベーションが上がらないのは、正規職員との賃金格差の理由も大きい。
「フルタイムの常勤講師の給与は正規職員に準じるのが原則ですが、多くの都道府県が昇給に“上限”を設定しており、正規職員と同じ仕事をしているにもかかわらず、給与水準はボーナスを含めると正規職員よりはるかに低いのが現状です」(斎藤氏)

 ある自治体では、正規職員が40代にもなれば給料月額は標準で40万円前後まで上がるが、同じ年代、キャリアでも常勤講師は20数万円という低水準。
しかも、講師の場合は10〜15年勤務しても30万円程度で昇給がストップし、頭打ちになる自治体が多いという。

 さらに、前述のように講師は年度末に一度雇用契約を解除され、数日間のブランクを経て新年度に再び任用されるケースが多いため、退職金支給の対象とならないばかりか、勤続年数もカウントされないので賞与も“寸志”。
生活が苦しく、アルバイトをしたり、中には生活保護を受給している講師の実態もこれまで報告されている。

「国は非正規雇用の環境改善や同一労働同一賃金などを掲げていますが、それは民間企業だけでなく公務員でも同じこと。
非正規公務員はブラックのかたまりともいえます
 特に教員は、資質の向上を求める一方で、正規採用を抑えながら、人件費が安くていつでも解雇できるという理由で非正規教員を増やしているのは大きな問題です。
結局、そのツケは子どもたちに回ってくるのです」(斎藤氏)

 学校教員の過酷な労働環境は度々話題にのぼるが、正規・非正規の区別なく、学校や保護者などから評価の高い教員の待遇を上げるような策を真剣に考えなければ、教育現場はますます疲弊していく一方だろう。
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2018年04月24日

長尾氏の炎上だけじゃない 安倍自民の呆れた“女性蔑視”観

長尾氏の炎上だけじゃない
安倍自民の呆れた“女性蔑視”観
2018年4月23日 日刊ゲンダイ

 “安倍チルドレン”がまたやった。
 福田淳一財務次官のセクハラ問題をめぐって、野党の女性議員が中心となって「♯Me Too」と書かれたプラカードを掲げ抗議したことについて、自民党の長尾敬衆院議員がトンデモ発言である。

 20日、ツイッターに〈こちらの方々は、少なくとも私にとって、セクハラとは縁遠い方々です。私は皆さんに、絶対セクハラは致しませんことを、宣言致します!〉と投稿し、大炎上している。
 ネット上では、〈この方々じゃなければセクハラするかも…ってことかよ〉
〈このツイート自体がセクハラ〉
〈心底軽蔑する〉と非難の嵐。

長尾氏は22日午前、ブログで〈お詫びと真意〉と題して謝罪したものの、〈(野党は)身内のセクハラ問題には無関心〉などと未練がましく批判を展開した。
それでも長尾バッシングは収まらず、夕方になって20日付のツイート自体の削除に追い込まれた。

 一体、長尾氏とはどんな人物なのか。
もともと民主党に所属していたが、12年の衆院解散と同時に離党。
同年12月の選挙では、安倍総裁の“ご意向”で自民党の公認を得たが落選。
14年衆院選で再選後、安倍首相の誘いを受け総裁派閥の「清和政策研究会」に入会したバリバリの“安倍チルドレン”だ。

15年6月には党内勉強会で、「(沖縄メディアは)左翼勢力に完全に乗っ取られている」と放言し、厳重注意を受けたことでも注目された。

■米国務省が
「日本でセクハラ横行」と報告の矢先  
 もっとも、「女性蔑視」とも取れるトンデモ発言は自民党では“日常”だ。
“魔の3回生”の大西英男衆院議員は16年、自民党を好きではないという女性について「巫女さんのくせになんだと思った」と暴言。
セクハラ福田次官の監督責任者である麻生財務相も08年、高知県議選の応援で「婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」と、持論を展開していた。
10年経っても変わらぬ筋金入りだ。

米国務省が20日、2017年版の人権報告書を発表し、「日本の職場でセクハラが依然として横行している」と明記したばかり。
選良であるはずの国会議員が女性に対してこんな意識では、さもありなんである。
自民党議員の女性を軽視するような数々の言動は、政権が掲げる『女性活躍』からは程遠い。
東京五輪を控えながら、先進国として非常に恥ずべきことです」(高千穂大教授の五野井郁夫氏=国際政治学)

 安倍政権が推進するのは“女性が輝けない社会”ではないか。
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2018年04月25日

歴史家も「戦前と酷似」と指摘 一強独裁政権の末期症状

歴史家も「戦前と酷似」と指摘
一強独裁政権の末期症状
2018年4月24日 日刊ゲンダイ

 森友学園の籠池夫妻の逮捕から、間もなく9カ月。
疑惑のど真ん中にいる安倍首相夫人の昭恵氏は、先週末の「桜を見る会」でシレッと笑顔を振りまいていたが、昨年3月の証人喚問で安倍夫妻に都合の悪い事実を“告発”した籠池氏は妻もろとも延々と拘置所に閉じ込められている。

 4月14日に3万人を集めた安倍政権に退陣を求める国会前デモ。
動画投稿サイトでは今、この場での立教大大学院特任教授の金子勝氏の演説が話題だ。
こう訴えた。

「アベは歴代首相の中で最も愚か。
論理的に考える能力が著しく欠けている。
バカほど恐ろしいものはない。
自らを批判する者を強権で弾圧するからだ」

 愚かな首相に都合の悪い人物は強権発動で口を封じる言論弾圧。
こうした「反安倍狩り」の被害者が霞が関には掃いて捨てるほどいる。
2013年に内閣法制局長官の首を、安倍の意向通り集団的自衛権の「行使容認」積極派の外務官僚にすげ替えた。
常軌を逸した人事権の乱用で、官邸の逆鱗に触れた高級官僚の報復人事が繰り返された。

実際、将来の有望株が飛ばされたり、次官候補が更迭された省庁は、総務省、外務省、農水省、宮内庁など枚挙にいとまがない。
 揚げ句に「総理のご意向で行政がゆがめられた」と告発した前川喜平前文科次官には「出会い系バー通い」のレッテル貼りで人格攻撃の粘着質である。

 政権の覚えがめでたい官僚だけが重用され、官邸に逆らった人物には粛清の嵐。
5年に及ぶ強圧手法が官僚に恐怖心を植えつけ、モラルや誇りを失わせ、ゴマスリ、嘘つき、忖度まみれの“ヒラメ官僚”がのさばる惨状を招いたのだ。
 その結果、この国の官僚機構は音を立てて崩れ果てた。

加計学園問題を「首相案件」とする文書が発見されても、なお「記憶にない」と言い張る柳瀬唯夫元首相秘書官らのシラ切りコメント。
ないはずの日報が次々見つかる防衛省・自衛隊の隠蔽体質。
ついには財務官僚が歴史を冒涜する公文書改ざんの大罪に手を染め、さらには現役次官がセクハラ騒動で辞任……。
もはや落ちるところまで落ちた腐敗ぶりだ。

 改ざんを上から押しつけられて自殺した近畿財務局の男性職員は、「常識が壊された」と口にしたという。
戦後70年以上かけて築き上げてきた民主主義の「常識」は、イカれた首相が権力を握ったたった5年間で元の木阿弥。
この国の中枢は完全にぶっ壊れて焼け野原が広がっている。

全体主義に変えたい勢力が牛耳り国を分断
 立正大名誉教授の金子勝氏(憲法)は
「昭和以降の歴代政権で、これだけ人事権をバックに強権を振るったのは、自分を批判した官僚らを戦地の前線送りにした東条英機内閣しか思いつきません」と語ったが、歴史と真正面に向き合ってきた人ほど、同様の思いを抱いているはずだ。

 昭和史を徹底的に研究してきたノンフィクション作家の保阪正康氏もそのひとりだ。
21日付の毎日新聞に掲載された「公文書管理問題 東条軍閥内閣と同様の構図」と題するコラムで、痛烈に安倍政権を批判した。

 保阪氏は〈この国の骨格に今や大きなヒビが入っている〉要因として、
@現内閣の強圧政治と世論誘導策 
A官僚機構の腐敗と道徳的退廃 
B行政文書管理のずさんさと歴史的無責任―――を指摘。

〈太平洋戦争の末期と終戦時の国家体制の崩壊の折に、この3点が表出していた〉として、先の大戦時における東条英機内閣と安倍政権の類似点をこう書きつづった。
〈(東条内閣の)独裁政治と自らの延命しか考えていない首相により国民はおびえ、沈黙し、そして面従腹背を生活上の知恵とした〉
〈こと中央官庁の官僚だけを例にとると、その構図は東条内閣当時と同様ではないかとの思いがする〉
〈この構図がわかった時、前述のAとBは官僚機構そのものが内閣に屈服している結果という側面がうかがえる〉

 保阪氏は〈日本の現在が、「2度目の歴史だ」と断言してはばからないのである〉と締めくくったが、2年前の日刊ゲンダイ「注目の人直撃インタビュー」でもこう語っていた。

「安倍さんは国会の答弁でよく“私が責任者ですから”と言うでしょう?
あれは東条の言い方と同じなんですよ。
政治権力の頂点にいる者が威張り散らすときの言葉で、東条は“俺に逆らうな”という恫喝の意味を込めてよく使いました。
あんな言葉、普通の政治家は使いませんよ」

 東条を「思想も意見もない」とコキおろしたのは、陸軍内で激しく対立した石原莞爾だが、なるほど東条と安倍の恐ろしいまでの共通項は「無能」だけではなかった。

■東条を上回る主権者無視の独裁気質
 いや、むしろ安倍やその取り巻きたちの独裁気質は東条以上かもしれない。
前出の前川喜平氏は14日の講演後の取材で行政腐敗の背景について、こう語っていた。
「全体主義に向かって国を変えていこうとする勢力があるのだと。
それが政治を牛耳り、政治を牛耳ったことによって行政も牛耳る。
そういう状況にあると私には見えます」

 前川氏が喝破した通り、東条に輪をかけてイカれた首相が政治を牛耳ったことで、この国は戦前と酷似した全体主義に向かいつつある。
 官邸はもちろん、安倍シンパの学者やジャーナリストらも報道圧力団体までつくって、メディアに目を光らせる。
そして政権に批判的なテレビコメンテーターを降板に追い込み、政権に都合の悪い報道はフェイクニュースだと騒ぎ立てる。

中立性など度外視し、教育現場にも堂々と政治介入。
安倍チルドレンの文教族2人は、文科省を介して前川氏に市立中学で講演させた名古屋市教育委員会への嫌がらせを「日常業務の一環」と開き直る。
そのクセ、安倍親衛隊の忖度官僚は「首相案件」と称して文部行政をネジ曲げ、安倍の「腹心の友」の獣医学部創設を強引に進めた。

“坊主憎けりゃ袈裟まで”で国家権力を駆使して反安倍派をとことん追い込む一方、
「お友だち」には権力私物化で過大な恩恵を与える。
まさに東条をも上回る独裁政治、権力の乱用ぶりではないか。

敗戦を11歳で迎えた筑波大名誉教授の小林弥六氏はこう言った。

「国が危うい方向にカジを切る時に最も顕著に兆しが表れるのは『報道と教育』です。
安倍政権の報道と教育への異常な政治介入は東条内閣を彷彿させますが、決定的に違うのは彼らの道徳観です。
当時とは政治システムが違うとはいえ、天皇を尊崇する東条が明治憲法と軍閥とが相まった“国体”護持にこだわり、忠誠を誓ったのに対し、安倍首相は現在の主権者たる国民を見下し、ないがしろ。国家統治の基本規範である憲法を無視した解釈改憲に飽き足らず、自分の強い意向で自衛隊明記の9条改憲に邁進。
首相が自衛隊の指揮権を握れば、かつての『大元帥』のような立場となりかねない。
安倍首相は自己都合だけで国家改変を狙っているようにも見える。
間違いなく、東条を上回るエゴむき出しの独裁者です」

 前出の国会前デモの演説で立教大の金子勝氏はこう警鐘を鳴らした。
「アベが言っているのは、9条に自衛隊を明記する。
つまり、あらゆる情報を隠す自衛隊をそのまま合憲にするということ。
(これを許せば)いつでも戦争がそうであったように、証拠をでっち上げて自衛の名前で戦闘行為をすることが可能になる」  

主権者の国民は民主主義を守るのか、安倍独裁を許すのか。
今がその分水嶺だ。
 この政権を本当の「末期」にしなければ、この国は戦前の歴史を繰り返すことになる。
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2018年04月26日

突然飛び出た”解散” 与野党ともども寝耳に水?

突然飛び出た”解散” 
与野党ともども寝耳に水?
2018年4月25日 テレ朝news

 風が吹き始めたということなのか。
国会が混乱するなか自民党の幹部が突然、解散総選挙の可能性をカメラの前で口にした。

 自民党・森山国対委員長:「内閣不信任案が出されれば、解散も一つの内閣の選択肢なのだろうなと思います」
 突然、飛び出した解散の可能性。普段、慎重な森山国対委員長が総理の専権事項である解散を口にするのは異例のことだ。  

立憲民主党・辻元国対委員長:「何言っているのかしら?困るのは与党じゃないですか。今ですね。何が言いたいのかしら。脅しかしら」  
無所属の会・平野国対委員長:「与党だったら、そう当然言うんでしょう。そういうこと言って野党を牽制(けんせい)しているんじゃないでしょうか」
日本維新の会・馬場幹事長:「国会の都合で大義名分のない解散をするのはいかがかなと。(私自身)この7年間で4回選挙をさせて頂いているんで、後援会の方も『ええ加減にしてくれ』と」

 25日午前中に安倍総理と面会していた新党大地代表・鈴木宗男氏は、総理の言葉として、こう話した。
 新党大地・鈴木代表:「『あらゆる選択肢、あらゆる行動を頭に入れながら、とにかく政治の停滞がないようしっかり取り組んでいきたい』という強い決意でした」

 しかし、自民党二階幹事長は…。
 自民党・二階幹事長:「今どうして解散できるんですか。聞いてません。幹事長の知らない解散なんか世の中にあるわけないじゃないか」

 森山国対委員長が解散をにおわせてきた原因は、一にも二にも、正常化のめどが立たない国会にある。
野党側は、麻生大臣の辞任や柳瀬元総理秘書官の証人喚問など4項目の実現に向け審議拒否を続けているが、高すぎるハードルに与党側も歩み寄ることができない。
そんななか、22日に立憲民主党の枝野代表が内閣不信任案についてこう話していた。

 立憲民主党・枝野代表:「最も効果的な局面で使わなければならないと思っています」
 解散はこの発言を受けての牽制なのか。
それとも混乱する国会をリセットするためなのか。
与党側は26日、安倍総理が出席する集中審議を野党が欠席しても行う方針だ。
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2018年04月27日

国民は解散・総選挙大歓迎 小沢一郎の主戦論こそ野党の道

国民は解散・総選挙大歓迎
小沢一郎の主戦論こそ野党の道
2018年4月26日 日刊ゲンダイ

 立憲民主党の枝野幸男代表と自由党の小沢一郎代表の急接近が永田町をザワつかせている。
 枝野は民主党時代、小沢の合流を拒んだ“反小沢”の急先鋒だった。
それが一転、2人は会合や会食を重ねる仲になり、発売中の「週刊朝日」では「安倍退陣後」をテーマにジャーナリストの田原総一朗氏を交えて鼎談。

 このところ官邸周辺が盛んに吹かす“解散風”をめぐり、枝野は「解散していただければ議席が増える可能性がある」
「野党第1党が政権目指さなかったら、民主主義は成り立たない」と気を吐き、

小沢は疑惑にまみれた安倍政権をこう断じていた。
「そろそろ国会でけじめをつけなければならない」
「ここまで国民の不満と不信が出てきたら、安倍さんに引導を渡す必要があるかなという気がしてるんです。
そのためには野党が結束して、多少荒っぽいことでもやらないと」

 立憲など野党6党の審議拒否で空転する国会情勢に対する批判を念頭に置き、主戦論を唱えた。

■国会正常化には野党4要求の実現必須
 野党は徹底抗戦の構えで、与野党のつばぜり合いが激しさを増している。

 野党は審議日程の協議に応じる条件として、
▼財務省の福田淳一事務次官のセクハラ疑惑や決裁文書改ざん問題を踏まえた麻生財務相の辞任 
▼モリカケ問題に関連する柳瀬唯夫元首相秘書官らの証人喚問 
▼財務省の改ざん問題に関する調査結果の4月中の公表 
▼イラクに派遣した自衛隊の日報問題の真相究明――の4項目を要求しているが、与党はゼロ回答。

麻生の辞任を突っぱね、柳瀬氏の聴取は偽証罪に問われるリスクのない参考人招致でごまかし、性懲りもなく逃げ切りを図ろうとしている。
 法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)はこう言う。
野党が要求する4項目はどれも至極まっとうで、主権者である国民の要望でもあります。
与党が本気で国会を正常化したいのであれば、野党の要求をのめばいい。
公文書改ざん問題で引責辞任が当然の麻生財務相を辞めさせないのは、あらゆる疑惑の中心にいる安倍首相を守る砦として居座らせているだけ。
 加計学園の獣医学部新設をめぐり、愛媛県と今治市の職員と官邸で面会して〈首相案件〉と発言したとされる柳瀬氏は、昨年7月の参考人招致で〈記憶の限りでは会っていない〉と答弁した人物です。

愛媛県文書のほか、農水省や文科省からも官邸面会を裏付ける物証が出てきている状況で与党が証人喚問を拒むのは、柳瀬氏の答弁がウソだと分かっているからではないのか。
すべて政権の都合でしかない。
野党は雑音にひるまず、徹底的に戦い、真相を追及してもらいたい」

民主党政権下の「政治とカネ」で
自民も審議拒否
 自公与党は26日、野党が欠席する中、衆参両院予算委員会で安倍首相が出席する集中審議を強行。
27日は働き方改革関連法案を審議入りさせる。
 自民党の森山裕国対委員長は野党の欠席戦術を「国民の理解は得にくい」と非難したが、よく言ったものだ。

衆院事務局によると、予算委集中審議の主要野党欠席は民主党政権下の2010年2月以来だ。
当時、野党第1党だった自民は、鳩山元首相や小沢らの「政治とカネ」をめぐる事件を追及。
小沢の証人喚問などの要求が通らなかったとして審議拒否し、国会を空転させた。

 政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏はこう言う。
「北朝鮮情勢をはじめとする安全保障問題や働き方改革法案など、国会で審議すべき重要なテーマは確かにありますが、野党の審議拒否をけしからんと批判するのは安倍首相を守る側、応援する側の論理でしょう。
モリカケ疑惑、財務省の公文書改ざんや事務次官のセクハラ疑惑、自衛隊の日報隠蔽、いずれも非常に大きな問題です。
とりわけ、民主主義の根幹を破壊する公文書改ざんは、行政府が立法府をだましていたという前代未聞の大事件。
与野党関係ありません。
結論を言えば、政策審議と疑惑解明を同時並行で進めるべきなのです」

 与党がそれに応じない以上、小沢一郎の主戦論に理があるのは明らかだ。
だからこそ、野党の強気攻勢に政権が窮し、にわかに“解散風”がびゅーびゅー吹き始めた。

 森山は26日、「首相の専権事項」とされる衆院解散に踏み込み、「(野党から)内閣不信任決議案が出されれば、衆院解散も内閣のひとつの選択肢だ」と牽制すると、安倍と官邸で面会した鈴木宗男元衆院議員も援護射撃。
「あらゆる選択肢、あらゆる行動も頭に入れながら、政治の停滞がないよう取り組む」という安倍の発言をバラまいた。

国会空転が続けば、解散総選挙も辞さないという露骨な脅しだが、どうぞやって下さいという話だ。
柳瀬も出さず麻生も辞めない恐るべき居直り政権に国民の審判が下り、与党の惨敗は必至。
国民は大歓迎だ。

■国民が求めるのは
政策の是非より政治への信頼  
安倍政権の5年間で、この国は戦前の悪夢の二の舞いに陥ろうとしている。
 デタラメなアベノミクスで経済はメタメタ。
異次元緩和で市場にマネーをジャブジャブ流し込み、円安株高を演出するインチキで財政は敗戦直後よりも悪化している。

日銀が市場から買い上げた国債はこの間に2倍の約440兆円に膨張し、国と地方を合わせた借金は来年度末に1100兆円を突破。
GDPに対する借金比率は、敗戦時の200%を上回る230%に達した。

 内閣人事局を通じて官邸に人事権を掌握された官僚の質も地に堕ちた。
 政権を忖度した公文書改ざん、隠蔽が横行。

集団的自衛権の行使を可能にした安保法制に反対する野党議員に出くわした30代の幹部自衛官が「おまえの国会活動は気持ち悪い」「国益を損なう」「バカ」などと暴言を吐き、制止を無視して罵声を浴びせ続ける事件も起きた。
軍部が戦争に反対する政治家に「国賊!」と凄んだのと同じで、異常事態である。
安倍政権は諸悪の根源としか言いようがない。
「国民が今、求めているのは、政策の是非よりも政治に対する信頼の回復です。

安倍首相は先日も〈信無くば立たず〉と言っていましたが、果たして現状をキチンと認識しているのか。
疑惑の核心にいる安倍首相が誠実な姿勢で野党の追及に応えて、信頼を取り戻す努力をしているようには見えません。
進退を考えるほかない」(五十嵐仁氏=前出)
 悪辣破廉恥政権の放逐こそが、この国が今なすべき急務だ。
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2018年04月28日

「生活保護世帯」を狙う貧困ビジネスの魔の手

足立区でひもとく「貧困」
23区内で最多
「生活保護世帯」を狙う
貧困ビジネスの魔の手
2018年4月27日 日刊ゲンダイ

 貧困層や低所得者をターゲットに暴利をむさぼるビジネスを、貧困ビジネスと呼ぶ。
借金がある人、若い非正規労働者、生活保護世帯、場合によっては年金生活者までもがターゲットにされるという。

 生活に余裕のない貧乏人から金が取れるの?
 そう思いがちだが、現実は違う。
細く長く――。
まるで悪代官が農民らから年貢を搾り取るように、貧困層から確実に金をむしり取っているのが現実だ。

「日本の『地下経済』最新白書」(SB新書)の著者で、経済学者の門倉貴史氏がこう言う。
「いい例が脱法ハウスです。
役所へはレンタルオフィスで届け出を出しているのに、室内を3畳程度の居住スペースに区切り、共同住宅仕様にした一種のシェアハウス。

 非正規で働く未婚の単身者や、地方から出てきてアパートを借りるには予算的にキビシイ若者をターゲットに荒稼ぎをする。
料金が安いとはいえ、間取りが狭い部屋の面積から考えたらメチャクチャ割高です。

2016年度の国交省の発表では、全国に2004棟もあり、うち1527棟が東京に集中している。
ざっと76%。
新宿区や世田谷区に多いのも特徴です」
生活保護世帯も貧困ビジネスの格好のターゲットだ。

 東京都福祉保健局の「福祉・衛生行政統計年報」(16年度)によると、23区内の生活保護世帯数は――。
@足立…1万8820
A江戸川…1万5383
B板橋…1万4198
C大田…1万3561
D練馬…1万3106  
東京都の生活保護世帯は総数23万2042世帯あって、ここまでが上位5区部。

総世帯数に占める割合では、山谷がある台東区、足立区、荒川区の順で多かった。

 どうやって、生活保護者が狙い撃ちされているのか?
「簡単に言うと生活保護費のピンハネです。
ホームレスを簡易住宅に入れて生活保護を受けさせ、家賃としてその大部分をかすめ取ってしまう。
背後には暴力団がいて、暴力団排除条例の施行でシノギが厳しくなったため、資金源のひとつにされているという見方もあります。
定期的に安定した収入を得られますからね」(門倉貴史氏)

■簡易宿泊所は暴力団の資金源に
 ホームレスには家がない。
住所不定では生活保護の申請が認定されにくい。
 これに目を付けた暴力団ら悪徳業者がボランティアを装って近づき、簡易住宅を提供して生活保護を申請させる。
行政の審査が通ってしまえば、生活保護費の大半は悪徳業者の“取り分”という構図だ。

 家賃のほかに、光熱費、管理費、運営費などが次々加算され、10万円ちょっとある保護費のうち手元に残るのは2万円ほど。
部屋はベニヤ板で仕切られた3畳スペース……。
むごい話ではないか。

 暴力団の手先たちがホームレスを探し歩き、足立区や江戸川区の簡易宿泊所に入れている可能性もあるということだ。
 貧困ビジネスはコレだけじゃない。

門倉貴史氏は、前出の著書の中で、礼金・敷金ゼロのゼロゼロ物件をはじめ、クレジットカードのショッピング枠を使って購入した商品のネットオークション出品、金に困った高齢者の麻薬の運び屋、臓器売買なども、その範疇だと指摘する。
 貧困ビジネスの闇は深い。
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2018年04月29日

明治維新の真相 江戸庶民は新政府軍を嫌い会津藩に期待した

明治維新の真相
 江戸庶民は新政府軍を嫌い
 会津藩に期待した
2018.04.28 NEWSポストセブン

 歴史は勝者によって作られる。
我々はそれを知っているはずなのだが、「明治維新」と聞くと思考停止してしまうようだ。
維新から今年で150年。
著書に『明治維新という幻想』がある森田健司氏がこれまでタブーとされてきた歴史の真実を暴く。
    * * *
 戊辰戦争期の江戸庶民の胸中を知るには、当時発行された「諷刺錦絵」を調べるのが一番である。
江戸時代、庶民が社会に対する批判を表立ってするのは大変危険だった。
すぐに捕縛され、命を奪われる可能性があった。
そこで彼らが熱中したのが「判じ絵」である。
作者が文字や絵にある意味を隠し、それを当てられるようにした絵だ。

戊辰戦争期には、判じ絵として描かれた諷刺錦絵が数多く発行された。
 見てすぐに気づくのが、新政府軍は江戸庶民にまったく人気がなかったことだ。
会津藩は江戸庶民の味方とする諷刺錦絵が多く残されており、“必ずや新政府軍を滅ぼしてくれる”というものばかりだ。
一方、幕府は潰れてしまえという諷刺錦絵は一枚もない。  

 背景には、江戸に入った新政府軍が増長し、何の罪もない町民に言いがかりをつけて斬殺するなど、傍若無人な行動を繰り返したことがある。
そのため江戸庶民は彼らを憎み嫌ったのだ。

 ここでは諷刺錦絵「東京雨天のつれづれ」を見てみよう。

   この二枚組の錦絵には、雨粒の落ちる中、番傘を持った11人の男性が喧嘩をしている様子が描かれている。
傘がある程度以上破れてしまうと、その傘の主は「負け」というルールのようである。
完全に負けてしまっているのは、右下と左下にいる男性二人だ。

右下の「二本の線」と「松」の字が描かれた傘を持つ人物は、二本松藩である。
二本松藩は、7月29日の大壇口の戦いでほぼ壊滅した。

左下で転倒しているのは、「平」の文字からわかるように、磐城平藩である。
磐城平藩が正式に降伏したのは、7月14日のことだった。

 中央にいる二人のうち、向かって右側の人物の傘には「土州屋」、「内」などの文字が見える。土佐藩である。
その左側は、「長」や「官」と「臣」を混ぜた文字から、長州藩と判明する。
この長州藩、向かって左隣の男性に何か言っているようだ。

「何を こしゆくな(こしゃくな) へンつがもねへ」とある。
「つがもない」とは、「訳もない、他愛もない」の意味である。
 この言葉を投げられているのは、「羽州屋」、「米」などと書かれた傘を手にした男性。
彼は米沢藩である。
「こんどハ おれが あいて(相手)だハ」などと威勢の良いことを言っている。

先ほどの長州藩の言葉はこれを受けてのものだろう。
米沢藩の敗北が決するのは8月に入ってからで、この絵が描かれた頃は、まだ彼らの奮戦に期待する江戸っ子は多かったということだろう。

 そして、一番右側、真ん中にいる「會」の字、「若松町」などの文字が見える傘を持つ人物、彼こそ会津藩である。
会津藩の傘は全く破られておらず、「ならバ てがらに ゆぶつて(破って)みろ」と威勢よく言い放っている。

現代風に言えば、「やれるもんなら、やってみろ」のような意味だろう。
東北の戦況は旧幕府側にとって厳しいものになっているようだが、まだ会津藩がいる。
江戸っ子たちの、そのような思いが込められているようだ。

【PROFILE】
森田健司●1974年兵庫県生まれ。
京都大学経済学部卒業。
京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。博士。
専門は社会思想史。
著書に『西郷隆盛の幻影』、『明治維新という幻想』(ともに洋泉社)などがある。

※SAPIO2018年3・4月号
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ココに注意!厄介なクレーマー対応をスムーズに行う3つのポイント

ココに注意!
厄介なクレーマー対応を
スムーズに行う3つのポイント
2018/04/28 All About

クレーマー対応・
謝罪の適切な方法とは
仕事でもアルバイトでも、接する顧客は千差万別。
また、仕事上のミスやトラブルも時として起こり得るものです。
いつも気持ちよく働きたいものですが、時として適切な苦情を超えた、いわゆる「クレーマー」「モンスタークレーマー」の呼ばれるような顧客対応が必要になることもあります。
サービスや対応を強く非難したり、要求をエスカレートさせ、無理難題を押し通そうとしたりするクレーマー。
こうした方との関わりは非常に気を遣いますし、強いストレスを感じてしまうものです。

また、対応に気をつけないとさらに怒りを煽り、問題を大きくしてしまうリスクもあります。
クレーマー対応の基本となる3つの対処法を知り、いざというときに冷静に対応できるように備えておきましょう。

ポイント1:
怒りの背景にある心理を理解する
感情的なクレームの背景にあるものは何か、考えてみましょう。
たびたびクレームが寄せられたり、激しい感情が治まらないような場合には、そのクレームの奥にはクレーム内容とは直接関係のない何かに、ストレスを抱えているのかもしれません。

たとえば、同じ保護者が塾の教師に対して「子どもの成績がちっとも上がらない。どうなってるんだ!」、
同じ客が飲食店の店主に対して「遅い、どうなってるんだ!」というように、たびたびクレームをつける場合、感情的になりやすい気持ちに、何らかの個人的なストレスが影響しているのかもしれません。
表面的な激しい態度や物言いに警戒するのではなく、その方は背景にどのような思いや事情を抱えているのだろうと、考えながら話を聞くことが大切です。
こうした気持ちで接するとこちら側の対応が柔和になり、すると、相手も感情が煽られずに冷静になりやすくなるのです。

ポイント2:
不愉快にさせたことについては
真摯に謝罪する
謝罪の際には、紋切型の謝罪の言葉を繰り返せばいいというわけではありません。
よく考えずに謝ると過失を認めたものと理解され、過大な要求に結びつく可能性があります。
謝罪にあたっては「意図して行ったわけではないが、結果的に不愉快にさせていること」への非礼について詫びることです。

クレームは、発信者の何かが受け手にとって不都合、不利益を与えているために寄せられるものです。
したがって内容をよく吟味し、どのような不都合、不利益があるのだろうと理解することが大切です。

ポイント3:
相手の言い分にまっすぐ傾聴する
相手の主張には、まっすぐに耳を傾けましょう。
「くわしくお話を聞かせていただけますか」と言葉をかけ、相手の話をまっすぐに聞く態度を示しましょう。
話の途中で、「そうは言いましても」「それは誤解です」といった言葉を挟むのはタブーです。
しっかり話を受け止め、怒りが落ち着いてきたところで、改めてこちら側の見解を伝えたり、今後の対応などの話し合いに移っていったりするとよいでしょう。

上のように、クレームには冷静に対応しつつも、相手の怒りの背景に何があるのかをよく考えてみること。
そして、相手に迷惑をかけたことに対してはしっかり謝罪し、言い分をまっすぐに傾聴すること。
この対応によって、相手の怒りは落ち着き、冷静な話し合いが進みやすくなるものと思います。

クレームの対処や謝罪が必要なシーンに直面したときには、ぜひ上の3つのポイントを活かし、対応してみてはいかがでしょうか?
posted by 小だぬき at 08:33 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月30日

生活保護利用者を差別:法改定案 与党などが採決強行

生活保護利用者を差別
法改定案 与党などが採決強行
2018年4月28日(土) しんぶん赤旗

 生活困窮者自立支援法等改定案が27日、衆院本会議で自民、公明、維新などの賛成で可決され、参院に送付されました。

政府与党が公文書改ざんや隠ぺいなどで国会審議の土台を壊し、事態打開を求める日本共産党などの野党議員が欠席するなかで与党側が採決を強行しました。
 法案には、生活保護利用者だけに後発薬の“原則使用”を義務付けることが含まれ、利用者や医療団体から「差別だ」と反対の声があがっています。
 無料低額宿泊所を一時的な宿泊施設から生活保護利用者の恒久的な受け皿に変え、低質な住環境を固定化することにつながる内容も盛り込まれています。

 生活保護世帯の子どもが大学進学する場合に一時金を支給(自宅通学10万円、下宿30万円)。
これまで子どもが大学進学すると「世帯分離」が避けられず保護費が減額されていましたが、「住宅手当」分は減らさないことにしました。
しかし「世帯分離」の仕組みは変わらないため、日常生活費に充てる「生活扶助」は減額されます。

 政府は法案とは別に、7割の利用者を対象に10月から「生活扶助」の最大5%削減を狙っています。

 これに対し立憲民主党、希望の党、日本共産党、無所属の会、自由党、社民党6野党・会派は「子どもの生活底上げ法案(生活保護法等改正案)」を共同提出。

野党案は、児童扶養手当を月1万円増額して毎月支給にすることや、生活保護基準を1年かけて見直し、その間は引き下げしないとしています。
世帯分離」廃止なども盛り込まれています。

 野党案の審議は継続されたままで、共産党の高橋千鶴子議員は、野党案を中心に審議時間の回復を求めて奮闘するとしています。
 本会議を傍聴した全国生活と健康を守る会連合会(全生連)の西野武事務局長は「後発薬使用原則化など人権を無視する内容のある法案がほとんど議論されないまま可決されたことに強い憤りを感じる。
法案廃止を求めて引き続きたたかっていく」と語りました。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする