2018年04月09日

ブラック企業を辞めた後に椎間板ヘルニアを発症して気づいた「たった1つの大事なこと」

ブラック企業を辞めた後に
椎間板ヘルニアを発症して
気づいた
「たった1つの大事なこと」
2018/04/09 ロケットニュース24(和才雄一郎)

突然ですが、「ブラック企業に勤めることで起きる一番の問題」って何だと思いますか?
 長すぎる労働時間?
 安すぎる給料? 
  それとも、重苦しくなりがちな社内の空気でしょうか?

確かにそれらは相当に厄介な問題ですが、はっきり言って「一番の問題」ではありません。
少なくとも、私が実際にブラック企業に勤務して感じた「一番の問題」ではありませんでした。では一体何が「一番の問題」なのかというのを以下で紹介したいと思います。

・勤めていたブラック企業の特徴
本題に行く前に、私が勤めていたブラック企業について簡単に紹介しましょう。
サクっと言うと、長い労働時間で、安い給料で、入社してから3年以内の離職率がほぼ100%で、社長がクズという、ブラック企業あるあるを詰め込んだような職場でした。

その社長の「クズ伝説」については本サイトで以前に何度か紹介しているので、覚えている方もいるかもしれません。本当に本当にどうしようもないクズだったのです。

・辞めたくても辞められないジレンマ
それはさておき、入社した当初の私は、多くの新社会人と同様 希望に胸を膨らませていたものです。
ただ、入社から1カ月くらい経った頃でしょうか。
浮き輪の空気が少しずつ抜けていくように、希望で膨らんでいたはずの胸がしぼみ始めました。

「あ、ヤバイ会社に入ってしまった」と気づいたのですね。
もっと言うなら、「何の罪も犯してないのに刑務所に入ったようなものだ」と本気で思っていました。
むしろ刑務所の囚人の方が、自由時間もあるからマシなんじゃないかとも。
その頃から、私は会社を辞めることを考え始めるのですが……これがなかなか大変なのです。

なぜなら、労働時間が長すぎて、仕事をしながら転職活動をすることが難しい。
さらに、ギリギリ生活できるだけの給料なので貯金もない。ということは、会社を辞めて新しい仕事がすぐに決まらない場合、生活費は一体どうすれば……?
こうやって考え始めると、永久に解決できない問題が自分の前に立ちふさがっているような気がしまして、「とりあえず会社を続けるしかない」という結論に落ち着いていました。

まるで脱獄するかどうか散々悩んだ挙げ句、「失敗したら殺されるから」と刑務所内に居続けることを渋々決めた囚人のように、私は何カ月もその会社で過ごしたのです。月に200時間くらいの残業を、無給でこなしながら。

・一番の問題とは?
そんなある日、ついに「一番の問題」が私の身にも起こりました。
お待たせして申し訳ありません。
いよいよ、「一番の問題」が何かを紹介しましょう。
それは…… 「こんな状況、どうにも手の施しようがないやん……降参」と、心の中で言い出すヤツが出現することです。
言い換えれば、「何もかも諦めモードになってしまう」といったところでしょうか。

−−「それだけ?」と思う人もいるかもしれませんが、実のところ心の中で「こんな状況、どうにも手の施しようがない」とつぶやくヤツほど厄介な存在はありません。
ヤツは、その会社のクズ社長より何倍も悪質なクソ野郎だったと言って差し支えないでしょう。

なにせ、「どうやって会社を辞めようか」とか「どうやって状況を変えようか」と考えることを強制終了させるのですから。
「何とかして抜け出そう」という気力を奪うのですから。
桃鉄のキングボンビーのように、全てをぶち壊すのですから。
そう、心の中でつぶやくそいつは、まさにキングボンビーそのものです。

ちなみに、私が心の中のキングボンビーに気づいた直後、そのブラック企業を辞めました。
次の仕事は決まっていませんでしたが、まず辞めることにしました。
クズ社長よりも、心の中にいるキングボンビーこそが “看守” になっていたことに気づいたからです。
キングボンビーは非常に悪質なのですが、その姿を捕捉してしまえばどうってことありません。

キングボンビーの存在に気づいていない時、もしくは「キングボンビーこそが一番悪質」だと気づいてない時だけ、要注意なのです。

・その後
それから私は、運良くすぐに次の仕事を見つけることが出来ました。
しかし……しばらくすると、ブラック企業時代のハードワークが祟ったのか、椎間板ヘルニアを発症し、働くことが困難な状況になってしまったのです。
さらに、関わっていた雑誌が廃刊になったり他にも色々あったりして、結局その職場を辞めることになりました。

・治療費が膨れ上がって借金
ここで私にとって優先すべきは、何よりもまず椎間板ヘルニアを治すことです。
なので私は就職活動を一旦中断し、治療に専念することにしたのですが……

ちょっとした問題が起こりました。
予想がつくと思いますが、お金が足りなくなってきたのです。
特に苦しかったのは治療費で、毎月5万ほどのお金が消えていきました。

「何でそんなにかかるの?」と思う人もいるかもしれませんが、椎間板ヘルニアの治療を行っている病院は、健康保険が使えるところばかりではありません。
むしろ、ネットで見て「何か良さそう」というところは健康保険が使えない病院も多かったりするのです。
こちらとしては、ヘルニアによる坐骨(ざこつ)神経痛が苦しいので、保険が使えない病院にも行っちゃいます。
1度行くと、「1回では治りません」と言われるのでまた行く → 大金が消えるという悪循環です。

なお、このとき私の貯金はほぼ無く、医療保険的なものにも入っていません。
失業保険はすぐに支給されず、出るのは3カ月間後。
生活費さえ無いのに、それに医療費……。
どう考えても、お金が足りる訳ないのです。
そこで私は、消費者金融で借金をしながら治療をすることにしました。

その時……!
またしてもキングボンビーがちょこっとだけ顔を出したのです。
ただ、私にとってキングボンビーは勝手知ったる敵です。
「あ〜来たな」という感じだったので、
キングボンビーが私の心の中で顔を出した瞬間に叩き潰してやりました。

そのおかげか、消費者金融で借金しながらの椎間板ヘルニア治療は、肉体的にはキツかったものの、精神的にはそれほど苦しくありませんでした。
ちなみに、それからしばらくして以前の記事で紹介した腰痛体操を続けていたら椎間板ヘルニアは完治
数年後に借金も完済することが出来ました。

・まとめ
長くなってしまいましたが、まとめましょう。
私がブラック企業に勤めているときに気づいた「一番の敵」は、社長でもなく老害経営陣でもなく、「こんな状況、どうにも手の施しようがないやん……降参」と自分の心の中でつぶやいているキングボンビーでした。
そして「キングボンビーさえ叩き潰せば、大体のことは何とかなる」と思えたことが、ブラック企業を辞めた後に椎間板ヘルニアを発症して気づいた「たった1つの大事なこと」なのです。

もしかしたら、皆さんの心の中にもキングボンビーが生まれるかもしれません。
というか、こんなことを言ってる私の心の中にもまた、生まれるかもしれません。
でも、その存在を認識していれば恐れることはありません。
やるべきことは1つだけ。顔を出したキングボンビーの脳天を叩き割ればいいのです。
もうボコボコにしてやって下さいね。
それでは今日はこのへんで。
執筆:和才雄一郎
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posted by 小だぬき at 16:20 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「小1問題」の本質は学校の古臭さにある

「小1問題」の本質は
      学校の古臭さにある
2018/04/08 プレジデントオンライン

汐見 稔幸 :東京大学名誉教授

小学校に入学したばかりの1年生が学校生活に適応できない。
春になるとそうした「小1プロブレム」が問題視される。
だが東京大学名誉教授の汐見稔幸氏は「教室のイスに座っていられない子どもたちの問題ではなく、そういった旧来の学びスタイルに問題があるのではないか」と問い直す――。
※本稿は『本当は怖い小学一年生』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

先生たちを悩ます「小1プロブレム」
4月、真新しいランドセルを小さな背中に背負い、頬を紅潮させ、親に連れられて小学校の門をくぐる。
「これからどんな楽しいことが待っているのかな」というワクワクした気持ち、緊張し、ぎこちない仕草で友達の待つ教室に入る。
小学1年生はいつの時代もピカピカに輝いて、大人たちはみなすがすがしい気分になる。

ところが、小学校関係者にとってはあまりうれしい季節ではない。
いざ授業が始まると、イスに座っていることができず、教室内を歩き回る子がいたり、配ったプリントを紙飛行機にして飛ばしたり、先生の話を無視して近くの友達にしゃべりかけたりする。

中には教室から廊下、校庭に飛び出して(脱走して)しまう子どももいる。
そんなクラスがあちこちで見られる季節でもあるからだ。

この先生たちを悩ます問題は「小1プロブレム」と呼ばれ、一般には否定的に語られてきた。
そして「今の子どもたちはしつけられていない」などのレッテルが貼られてきた。
この言葉が知られるようになって10年以上がたつのに状況は改善されていない。

どうして改善されないのか。
それは、小1プロブレムのとらえ方に問題があるからではないか。
小1プロブレムを、むしろ小学生による学校への「反抗」、既成の教育への未熟な「異議申し立て」としてとらえ、その背景や原因を探ってみよう。

生徒や学生が「反抗」するのは先例がある。
1960年代の学生運動、70年代はじめの高校生の紛争、70年代末から80年代初頭にかけての中学生の「校内暴力」。
そして、80年代中頃からは小学校高学年の子たちの「荒れ」が取り沙汰されるようになった。

その流れにならっていえば、今は小学校の低学年の子どもたちが「反抗」していると見ることも可能だ。
1995年以降の話だ。
新聞などのメディアはこれを「学級崩壊」として取り上げたが、その後問題が低年齢化し、とりわけ小学校入学直後の1年生の状況を指して、学校関係者が名づけたのが「小1プロブレム」である。

そういう歴史的な流れに置いてみると、この問題が違ってみえてくる。
授業がつまらないから勝手に歩く 授業が始まってもおしゃべりをやめず、「静かにしなさい」と注意しても聞く耳を持たない子どもがいる。
時には「うるせぇーよ、バーカ」「オマエなんか死んじまえ」と乱暴な言葉が返ってくることさえある。

教師への反発心が生じると、「○○ちゃん、ちょっと先生のところに来てくれるかな」と呼んでも、いっこうに応じようとしなくなる。
声を荒らげても態度は変わらない。
すると、教室の他の子どもたちも「あっ、先生の言うことを聞かなくてもいいんだ」と勝手なことをし始め、授業が成立しなくなる。

心配した親を集めた保護者会でその話をすると、「うちでは私の言うことをよく聞いています。それは先生の教え方がおかしいんじゃないですか?」と反論する母親たちもいる。
「うちの子からは、『先生は僕の言うことを聞いてくれない』と聞いています」「風邪気味だったのに無理して遠足に連れて行ったようですね」と、逆に突き上げをくらうこともある。

学校の先生たちからの「今の小学1年生は怖い」というぼやきが増えてきた所以だ。
これに対してマスコミも学校関係者も、「授業時間中に、おとなしくイスに座っていることができない」「先生の話を聞いていることができない」子どもたちが増えてきたその背景や原因は、「家庭でのしつけができていない」とか、「幼稚園や保育所が子どもに我慢することや集団的な規律を学ばせていない」からではないかと問題を外に見出そうとしてきた。

果たして、そうなのだろうか?
そもそも子どもたちは3月まで、どんな日常を送っていただろう。
幼稚園や保育所ではお散歩だったり部屋遊びだったりと、その子の興味、好奇心に応じて基本的には自由に遊びを楽しんでいたのだ。
それが4月になったら急に座ることを要請され、一方的に話を聞くことを強制される。
これ自体にどうも無理があるように思われる。

海外では徐々に机での勉強を体験させていく慣らしの期間を設けるところがあるが、日本ではほとんどそうした慣らし期間が設定されていない。
仮に、大人の言うことを聞いて、すぐに全員が静かに座っていられたら、どうだろう。
むしろ、そちらのほうが気味が悪い。

定型的なカリキュラムの落とし穴
私は、小1プロブレムの問題は、教室のイスに座っていられない子どもたちの問題ではなく、そういった旧来の学びスタイルを今世紀になっても続けていることから起こる問題ではないか、と考えている。

旧来の学びスタイルへ無意識に、もしくは意識的に抵抗を示そうとする子どもたちからの「サイン」ではないか、と考えている。
多くの子どもたちは、小学1年生の授業を実際に受けて「ああ、楽しい」「面白い」と感じているだろうか。
学びの喜びを感じているだろうか。
アリの巣を発見して、時間を忘れてその場にしゃがみ込んでいたり、大好きな電車の絵を夢中で描いていたりする喜びを、小学校でも感じているだろうか。

もちろん「勉強」は必要だ。
だが、子どもたちの中には(たとえ静かにイスに座り、先生の話をおとなしく聞けていても)、「学ぶということはじっとガマンして聞いていることなのだ」ととまどいを感じ、小さく失望し、やがて退屈でつまらないものだと感じるようになる子が大勢いるはずだ。

そこにはカリキュラムの内容や教え方など、さまざまな要因が考えられるが、もっと俯瞰的に見ると、子どもたちが時代のカナリアとなって、日本の教育の時代に合っていないところを明るみに出し、大人たちにイエローカードを突きつけているように映る。

子どもたち一人ひとりは、本当はすごい能力を持っている。
うまく育てて導くと、大人がびっくりするようなことをやってのける。
大人たちが既成のルールや枠にはめようとせずに、各人の潜在能力を発揮する場を与えれば、驚くような才能が花開くはずだ。

教える側は子どもたちの言い分を聞き流すことなく、じっくりと耳を傾け、深く共鳴していくべきだ。
子どもだとばかにしていると、われわれの世界を支えていく次の世代を育て損なうことにもなりかねないし、ひょっとすると歴史をつくり損ねるようなことになってしまうかもしれない。
本当に「怖い」のは日本の教育のあり方かもしれないのだ。

汐見稔幸(しおみ・としゆき)
白梅学園大学前学長、東京大学名誉教授 1947年、大阪府生まれ。
東京大学教育学部卒、同大学院博士課程修了。
専門は教育学、教育人間学、育児学。
育児や保育を総合的な人間学と位置づけ、その総合化=学問化を自らの使命と考えている。
『小学生 生きる力を育てる』『本当は怖い小学一年生』など著書多数。
近著に『「天才」は学校で育たない』(ポプラ新書)がある。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする