2018年04月10日

真面目な組織人ほど「うそ」や「不正」に走りやすい理由

真面目な組織人ほど
「うそ」や「不正」に
     走りやすい理由
2018/04/10 ITmedia ビジネスONLiNE (窪田順生)

 4月8日、『ワイドナショー』(フジテレビ)を見ていたら、ダウンタウンの松本人志さんが、大相撲春巡業中に土俵内で救命措置を行っている女性に対して、「女性の方は土俵から降りてください」とアナウンスした行司について、こんなことを言っていた。

 「彼もかわいそうやなと思う。日本国中に叩かれちゃってて。ちょっと真面目すぎたんですよ。真面目がゆえに、こうなっちゃってるんですよ
 ネットではいろいろな意見があるようだが、この言葉は今回の問題だけにとどまらず、相撲協会の一連のゴタゴタにもあてはまる「本質」を突いている。

あの組織は真面目がゆえ暴行事件にフタをして、真面目がゆえ協会の秩序を乱した貴乃花親方を袋叩きにしたのだ。
 ワケわからんことを言うなと思うかもしれないが、
実はこの「真面目」というのは今、日本で起きている組織の腐敗、不正行為などのすべてに相通じる「病」である。

最近の官僚の不正行為、少し前に続発したデータ改ざん問題などすべて組織にいる人々が「真面目がゆえ」に起きたという側面もあるのだ。
 神戸製鋼でも、日産でも、三菱自動車でも、データ改ざんなどに関わったのはみな真面目な現場の技術者だ。
不正会計を行って大きな批判にさらされた経営陣も、部署の数値をかさ上げした中間管理職も、みな会社の未来を真剣に憂いていた真面目な東芝マンたちだった。

 マスコミや野党が「史上最大の犯罪」だと大騒ぎしている森友問題でも、佐川・元財務省理財局長も真面目だからこそエリートコースを進むことができたわけだし、その周りで改ざんや口裏合わせに奔走した職員たちも、みな真面目な公僕だ。

 つまり、周囲からも犯罪者扱いされ、三度のメシより不正が好きみたいな人が組織の不正や不祥事をひき起こすケースというのはかなりまれで、ほとんどはその組織内で与えられた仕事を、愚痴をこぼすことなく黙々と取り組むような「真面目な組織人」たちが、不正に手を染めたり、社会から大ヒンシュクを買うような不祥事を起こしたりというパターンが圧倒的に多いのである。

●「思考停止」のワナに陥りやすい
 筆者もこれまで報道対策アドバイザーとして、さまざまな組織で不正、不祥事、改ざんなどが起こるメカニズムを検証させていただく機会があったが、それらを振り返ってみても、中心的な役割を果たしていたのはほぼ例外なく、真面目な組織人だった。

 なんてことを言うと、「こいつは真面目に働く人間をバカにするのか!」「日本人の美徳をディスるなんてこの反日ヤローめ!」という怒声が360度から聞こえてきそうなので、断っておくと、筆者は「真面目」が悪いと言っているわけではない。

 自分の信念、倫理、哲学、美学に対して忠実な人というのは道を誤ることは少ない。
自分の中で常にこれは正しいのか、正しくないのかと自問自答しながら生きているからだ。
そういう「真面目に生きている人」ではなく、組織というものに対してのみ真面目になっている人がヤバいと申し上げているのだ。

 真面目な組織人というのは往々にして、「思考停止」のワナに陥りやすい
もっとも分かりやすいケースは、元ナチス親衛隊幹部として、多くのユダヤ人虐殺に関わったアドルフ・アイヒマンである。
人間と思えぬ残虐行為を指揮し、「悪魔」「怪物」と恐れられた男は自らの罪を問われた法廷でこのように述べた。
 「命令に従っただけだ」
 世界は姑息な責任逃れだと批判したが、『全体主義の起源』という歴史的名著のなかで、ナチズム台頭のプロセスを細かに研究してきたユダヤ人哲学者、ハンナ・アーレントはまったく異なるものの見方をした。
 アイヒマンの思考停止を象徴する発言だと指摘し、この「悪魔」や「怪物」と評される男を「自分で考えることをせずに命令だけを完遂する小役人」と分析したのだ。

 ユダヤ人社会はアイヒマンを擁護したと思って猛烈なバッシングを行ったが、実は彼女が言いたかったのはそういう上っ面の話ではない。
アイヒマンのようなどこにでもいる真面目な組織人は、組織や上司への絶対的な忠誠を誓うあまりに、自分の頭で物事を考えることを放棄してしまう。
 そのような思考停止状態の人間は危ない。
組織から命令されれば、どんなモラルの欠けた行為や、身の毛もよだつ残虐行為であっても、機械的に実行してしまうからだ。
つまり、「悪魔」や「怪物」は、真面目な人が「歯車」になることで生まれるのだ

この「悪の陳腐さ」という、文明社会の普遍的かつ、構造的な問題を世に投げかけたかったのだ。

●組織内ルールが「思考」に勝ってしまった
 アーレントの問題提起から50年以上が経過したが、この真面目な組織人が、真面目さゆえに引き起こす「陳腐な悪」という問題を、我々日本社会はまだ克服できていない。
というより、終身雇用制度の弊害でよりおかしな方向へとこじらせている。

 その症状が重くなって、いよいよ覆い隠せなくなってきたのが、日本相撲協会なのだ。
 ご存じのようにこの組織に身を投じた者は、「伝統」や「しきたり」を重んじなくてはいけない。
それは言い方を変えると、古くから続いているルールは問答無用で守る、としつけられるということなので、他の組織より思考停止に陥りやすい。
つまり、「プチ・アイヒマン」とも言うべき、思考停止に陥った人々があふれているのだ。

 相撲界の発展のために尽力している真面目な人たちをナチスの戦争犯罪人と重ねるなんて侮辱だと相撲ファンからこれまたすさまじい抗議が殺到しそうだが、残念ながら今回の救命処置騒動が、協会の思考停止体質をこれ以上ないほど分かりやすく示している。

 若い行司の方は、頭に刷り込まれている「女人禁制」というルールや、周囲の相撲ファンからの指摘で脊髄反射でアナウンスしてしまった。
もし彼がアイヒマンのように社会からつるし上げられるようなことがあれば、きっとこう釈明するはずだ。
 「伝統に従っただけだ」
 組織人としては真面目だが、「倒れている人をどう救えるのか」ということに関してはまったく思考を巡らせていない。
 組織内ルールが「思考」に勝ってしまったのだ。

また、このような思考停止は、トイレ発言が叩かれている春日野巡業部長にもあてはまる。
 問題のアナウンスがなされたとき、トイレに行っていて会場にはいなかったとして、「想定外の出来事でビックリした。
(アナウンスも)聞こえなかった」(日刊スポーツ 4月5日)とコメントした春日野親方だったが、その後、騒動時に画像から会場内にいたことが明らかになった。

●相撲協会は「考えることを放棄した」
 ネット上では、責任を逃れるためのうそだと厳しく批判されているが、筆者はこれも真面目な組織人がゆえの「陳腐な悪」に過ぎないと思っている。
 あれが巡業部長の責任ということになれば、相撲協会は何をしているんだ、ということになりまたしても大騒ぎになる。
しかし、「私も驚いたんですけど、若い行司がどうもテンパっちゃって」で済ませておけば、「相撲協会は女性差別などしません。
再発防止に務めます」みたいなコメントでどうにかお茶をにごすことができる。

 つまり、トイレ発言は、自身の保身もさることながら、不祥事続きの相撲協会がこれ以上叩かれないように、という「組織防衛」の意図があったことが容易に想像できるのだ。
 「意図」と聞くと、ちゃんと考えているじゃないかと思うかもしれないが、頭を働かせているのは「組織を守る」という一点のみで、世の中の人々に対して誠実な説明なのか、スケープゴートにされた行司はどんな思いなのか、など最も大事なところに関してはゴソッと思考が抜けているのだ。

 このように相撲協会を「考えることを放棄した組織」だととらえると、最近の一連の騒動をすべてクリアに読み解くこときる。
 3横綱が密室で、メキメキと頭角をあらわしてきた若手をリンチした。
殴られる理由も説教される理由もない被害者の声に耳を傾ければ、横綱たちの組織犯罪に対して、徹底的な調査をするのが健全な組織だが、ご存じのように、お手盛りの第三者調査でサクッと幕引きをした。

 そこに対して納得いかないので、身をもって異を唱えたのが、貴乃花親方だったが、「理事なのに協会に協力しないとは組織人失格」「何度も家を訪ねたが返事がない」など本筋ではない部分を袋叩きにして、しまいには弟子の不祥事にかこつけて完全にスポイルした。

 そう聞くと、八角理事長やら相撲協会理事たちを悪人のように断罪しているように聞こえるかもしれないが、これもアイヒマンとまったく同じである。
 「相撲ジャーナリスト」を名乗る方たちや、相撲記者クラブ在籍ウン十年みたいな評論家のオジサンたちが擁護するように、彼らは相撲界の発展を心から願い、相撲協会という組織に尽くそうとしている真面目な組織人だ。

 だからこそ、「横綱は品行方正な人格者」という組織内論理に盲従して思考が停止してしまうのである。
なにも考えていないので、一般社会からすると耳を疑うような言動も平気で行う。
臭いものにフタをしているようにしか見えない、ずさんな対応もしれっとできてしまうのだ。

●「思考停止型組織」の恐ろしいところ
 そして、このような相撲協会の「思考停止体質」を実は最も象徴しているのが、何をかくそう、貴乃花親方だ。
親方は、愛弟子が暴行を働いて「一兵卒として出直す」と述べた。
 一兵卒というのは、上の命令は絶対で、何も考えずに任務を遂行する。
「死ね」と言われれば、死ぬ存在だ。

つまり、あれは「もう私はなにも考えません」と言っているのだ。
あれほど組織にたてついた人物が、こうも分かりやすく陥落する。
これが「思考停止型組織」の恐ろしいところだ。

 こういうカルチャーを変えないことには、どんなに再発防止策をしても、同じような不祥事が繰り返される。
 今回の騒動を受けて、相撲協会では土俵内で不測の事態が起きた際のマニュアルを整備するとか言っていたが、こういう教条主義は「思考停止」にさらに拍車をかける。
 残念ながら、相撲協会のゴタゴタはさらにひどくなっていきそうだ。
posted by 小だぬき at 12:00 | 神奈川 | Comment(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

学校の"班活動"が日本の子供を潰している

学校の"班活動"が
日本の子供を潰している
2018/04/09 プレジデント

オンライン ルーシー・クレハン
教育研究者

日本の子供の「15歳時点の学力」は世界トップレベルにある。
だが「世界大学ランキング」では苦戦しており、大学生の“質の低下”を嘆く声も聞かれる。
なぜそうなってしまうのか。

国際学力テスト「PISA」で優秀な成績を収める5カ国を実地調査したルーシー・クレハン氏は「日本が集団主義を重んじ、小・中学校で『班活動』を行っていることが背景にある」と指摘する――。

15歳時点では優秀なのに、
        大学時点では質が低い?
3年に1度、15歳を対象に実施される国際学力テスト、PISA。
日本はこのテストで毎回、高い順位をマークしている。
一方で高等教育に目を転じると、「世界大学ランキング」の上位に日本の大学名はなく、大学生の「質の低下」が指摘されて久しい。

この逆転はなぜ起きるのか?
英国の教育アドバイザーのルーシー・クレハン氏は、日本をはじめPISAの成績上位国を実地調査し、その結果を『日本の15歳はなぜ学力が高いのか?』(邦訳は早川書房)にまとめた。
このほど来日したクレハン氏に、日本の教育における課題について聞いた(聞き手は早川書房編集部)。

成功を生むのは「過剰なほどの自信」
まず、「世界大学ランキング」は、学生の能力の高低を表すものではありません。
その点に注意する必要があります。

指標となっているのは論文の引用数や研究予算ですから、良い環境で教わることができるかどうかの判断基準にはなりえますが、PISAの順位とそのまま比べることはできません。
そのうえで、初等・中等教育と大学教育では、求められる能力に違いがあることもたしかです。

大学で必要とされる能力は、ペーパーテストに正解できる力ではありません。
議論をしたり、新しいアイデアを作ったりする能力のほうが重要です。

そして、欧米の学生は日本の学生に比べて、そうした能力にたけています。
これは小・中学校の段階からそうですし、学力に関係なく子どもたち全般に共通して言えることです。

オックスフォード大学に通っていた学生時代、先生にこう言われました。
「良い成績を取る学生は、本を読んで内容が理解できない時、自分が悪いとは思わない。著者が悪いと考える」。
成功をめざすのなら、過剰なほどの自信をもって突き進むぐらいが良い、ということでしょう。

良い論文は、ひとつのアイデアをつきつめて、「これがいいんだ」と主張するものです。
「これもあるし、あれもある」と指摘するだけの論文は、二流にすぎませんよね。
大学、あるいは社会に出てからは、自分の考えを、間違いをおそれずに自信を持って発信できる能力が求められます。

出る杭が伸びにくい日本の集団主義
日本の子どもたちにこうした自信が身につきづらいのは、日本特有の「集団主義」のネガティブな面だと言えます。
拙著に記したとおり、私が実地調査した5カ国(フィンランド、日本、シンガポール、中国、カナダ)のなかでも、「集団」を重んじる文化や制度が根づいているのが日本の教育現場の特徴でした。

例えば、日本の小・中学校では活動のほとんどを「班」単位で行いますよね。
班の仲間と一緒に座り、勉強し、給食を食べ、学校じゅうを掃除する。
学習成果は班の努力として評価され、個々の生徒のあいだの能力の違いはあまり問題にされません。
褒められるときも、個人ではなく班が褒められます。
こうした文化が、「出る杭を伸びにくく」していることは事実でしょう。

私が授業見学をした限りでは、小学生はみんな元気に挙手をしていましたが、中学生になるとそうした積極性が見られなくなるようでした。
「ちゃんと整列しなさい」「もっと行儀よくしなさい」と先生から繰り返し指導されているうちに、自信を失ってしまうのだと思います。

とはいえ、集団主義には良い面もたくさんあります。
そのおかげで、日本の子どもたちはみな礼儀正しく、他者と協調できる。
それらを生かしたうえで、自分の考えを相手に伝える力を身につけさせることは可能なはずです。

たとえば、高校受験の評価手段として、試験の点数だけではなく、プレゼンテーションの能力も加味してはどうでしょうか。
学んだことを先生や友人に向けて発表する時間を中学校の授業のなかで設け、その能力に成績をつける。
そうすれば生徒も先生も真剣に取り組むでしょうし、その中で生徒には自信がついていくことでしょう。
その際には、お互いを笑ったりするのではなく、尊重しあうことが大切です。

なぜ「ゆとり教育」を導入したのか
かつて実施された「ゆとり教育」も、子どもたちに自信をつけさせるという意味では有効な教育政策でした。
ご存じのとおり、日本の小・中学校では1990年代の後半から2000年代の前半にかけてカリキュラムの3分の1を減らしました。
土曜日を段階的に休日にしていき、子どもたちに自分の興味を追求させるための「総合的な学習の時間」を設けたのです。
だいたいにおいて規範を細かく定める文部科学省にしてはきわめて異例のことですが、総合的な学習の時間にどのような活動を行うのかは、主に各学校に任せられました。
これは教師たちが構造化された「問題解決手法」を授業に取り入れるよりも、さらに先進的な取り組みでした。

どんな問題を解決するか、どんな疑問に取り組むかを、子どもたち自身が決めるのですから。

日本の生徒が世界一になる可能性を潰した
ところが、2003年に実施したPISAの結果が2004年に発表され、日本の読解力の得点が下がったとわかるや、その原因としてゆとり教育が槍玉に挙げられました。
批判に応えて、日本政府は次第に数学や国語の時間を増やすようになり、2011年、ゆとり教育のほとんどは廃止されました。

教科書は分厚くなり、「総合的な学習」に使われた時間の多くはほかの科目に取って代わられ、縮小されました。
PISAの成績の下落というほんのささいなつまずきで、日本の政府はうろたえ、「受験地獄」の軽減と、見たことのない問題の解決において日本の生徒たちが世界一になる可能性の、両方に効果的であったはずの改革を廃止してしまったのです。

根本的な問題は、そもそもこの改革が何を目指したものなのかが忘れられてしまったことです。

ゆとり教育は、PISAの点数を上げるためのものではありませんでした。
子どもたちにかかるプレッシャーを軽減し、彼らの創造性や問題解決能力を伸ばすためのものだったはずです。

教育プログラムを機能させるには、政治的な見栄えだけで決めるのではなく、長期的な狙いをしっかりと持つことが必要です。

シンガポールのように超エリート教育に邁進する国もあれば、フィンランドのように「遊び」を重視する国もあります。
それらの国もカリキュラムをマイナーチェンジすることはありますが、方針自体を変えるわけではありません。
そして、目標を達成するための手段を決めるにあたっては、政治家だけでなく専門家がしっかりと関わる必要があります。

試験で良い点数をとらせるだけが
教育ではない
2000年と2012年に行った調査によれば、日本の子どもたちの学校に対する満足度は、この期間に世界のどの国より増加しています。
そして問題解決のテストでは、日本の生徒は、PISAのトップだった上海をはじめ、ほかのほとんどの国よりまさっていました。
私には、ゆとり教育が目指そうとしたことは、ちゃんと成し遂げられたように思えるのです。

子どもを賢くするだけが、教育の目的ではありません。
教育はその後の人生に備えるための羅針盤です。
過去に何があり、自分たちがどこから来たのかを知るためには、歴史を学ぶ必要があります。
数学や科学の知識は、生活の中で活用することができます。
語学を学ぶのは、他者と適切にコミュニケーションを取るためです。
こうしたスキルは試験に合格するためだけではなく、生きるうえで重要なのです。

さらに言えば、子どもたちが良い人間、幸せな人間になるために、教育が必要です。
失敗や挫折にどう向き合い、やる気をどのように保つのか。
こうしたことを教えるのは、子どもたちがさまざまな問題を抱える昨今、決して簡単ではありません。
それでもなお、教育は私たちの社会においてもっとも重要な営みです――すべてを良い方向に向かわせる力を秘めているのですから。


ルーシー・クレハン(Lucy Crehan)
教育研究者 オックスフォード大学で心理学と哲学を学ぶ。
自閉症児の教育に1年間携わったのち、ロンドン・サウスウェストの中等学校で3年間教鞭を執る。
ケンブリッジ大学で教育学の修士号を取得。
その後、2年間にわたって世界を旅してまわり、各国の教育を実地調査した。
帰国後、クラウドファンディングで資金を募り、調査の記録を『日本の15歳はなぜ学力が高いのか?』(2016)にまとめたほか、世界各国の教師の昇進コースに関する報告書をユネスコに提出した。
イギリスのNPO団体「エデュケーション・ディベロップメント・トラスト」に所属。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする