2018年05月01日

セクハラと日本社会 これが21世紀の先進国か

セクハラと日本社会 
これが21世紀の先進国か
毎日新聞「社説」2018年4月30日 

 セクハラの実態を正確につかむことは不可能に近い。
被害がなかなか報告されないのだ。
なぜか。
財務事務次官を辞任した福田淳一氏のセクハラ問題は、その答えをわかりすぎるほどわからせてくれた。

 調査もせず口頭注意で済ませる。
それが発覚直後の財務省の態度だった。

報道した週刊新潮が問題発言の録音を公開し、「調査」を始めたが、被害者に「名乗り出よ」と言わんばかりの乱暴な手法だった。
 福田氏は「全体として見るとセクハラではない」と説明にならない説明を繰り返し、法廷で争うという。
 だが最も深刻なのは、次官を監督する立場にある閣僚が、セクハラの本質やその重大性をおよそ理解しているとは言い難い点である。

被害者批判の理不尽  
「(加害者扱いを受けている)福田の人権は、なしってわけですか」
「(福田氏が女性に)はめられて訴えられたとの意見も世の中にはある」。

安倍政権ナンバー2の副総理でもある麻生太郎財務相は、福田氏をかばう一方で、被害女性があたかも福田氏をワナにかけたかのような発言をためらいもなく重ねた。
 財務省はようやく福田氏のセクハラを認め、処分を発表したが、その場に麻生氏の姿はなかった。
セクハラと正面から向き合うという姿勢がみじんも感じられない。

 21世紀の先進国政府で起きているとは信じ難い恥ずべき事態である。
「女性の活躍」を看板政策に掲げる安倍晋三首相はなぜ怒らないのか。

 さらに驚くのは、女性側の仕事に制限を求めるような主張が少なくないことだ。
日本の経済界を代表する経団連の榊原定征会長は、福田氏の行為を「極めて不見識」と批判する一方、記者が異性と1対1で会うことは「さまざまな誤解を生みかねない」と記者会見で述べた。
 取材を受ける側の大半が男性である現状と合わせて考えれば、女性記者は誤解を招かぬよう夜間の1対1の取材は控えよ、という意味になる。
また、異性間のセクハラのみを前提にするのも時代遅れだ。

 影響力のある人たちによる見当違いの発言は、被害者たたきをしても構わないという間違ったサインとなる。
インターネット上で中傷が勢いづく。
セクハラに甘い環境はそのままで、被害はいつまでも減らない。

 今回のセクハラ問題は被害者が記者だったことから、報道する側の倫理を問う意見も少なくなかった。
 まず、セクハラにせよパワハラにせよ、被害者の職業は無関係だということを指摘しておく。
政治家でも警察官でも被害者は守られるべきだ。
その上で述べたい。
 セクハラの立証は非常に厳しい。
音声や画像など客観的証拠が乏しければ、逆に加害者から名誉毀損(きそん)で訴えられかねない。
今回の録音は被害を訴える際不可欠な証拠である。

社会全体が損をする  
セクハラ被害の報告を受けたテレビ朝日は自ら財務省に抗議し、そのことを報じるべきだった。
それができなかったがために、記者はやむなく情報を週刊誌に提供した模様だ。
もし彼女が途中であきらめていたら、今も福田氏はセクハラ発言を続けていたことだろう。

 今回の事例は氷山の一角だ。
声を上げられないまま精神を病んだり、命を絶ったりする被害者もいる。
発信の手段を持つ記者でさえ、セクハラと闘おうとすればひどい目に遭う。

今回の事例が多くの女性に無力感を与え、口をつぐむ被害者が増えはしないか心配だ。
 あらゆるハラスメントは悪い。
ただ、男性被害者も多いパワハラに対し、セクハラの被害者は女性に集中している。
有効な防止策が打たれず被害が闇に葬られ続ける背景には、改善を主導できる地位にあまりにも女性が少ない現実がある。  

働く女性が性的対象としてしか見られない、尊厳が傷つけられてもあまり問題にされない社会で損をするのは女性ばかりではない。
社会全体が活力を失い、国際社会からも尊敬されない国になる。

 英国では先週、女性の参政権100周年を記念し、運動家ミリセント・フォーセットの銅像が国会議事堂前の広場に建立された。
勇気は至る所で勇気を呼ぶ」。
自身の演説の一節を記した旗を手にしている。

 基本的な権利を守ろうと立ち上がった一人の勇気がつぶされ、至る所で勇気の芽が摘まれる。
そんな国は、現代の国際社会で名誉ある地位を占めることなどできない。
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軍隊としての自衛隊を真剣に考えよう@

0.小だぬきの問題意識
憲法改正問題で 「自衛隊」を憲法に明文化しようとする世論が多いとのことですが、災害・救難活動の心強い組織としての「自衛隊」と軍隊である「自衛隊」を明確に分けて慎重に考えないと未来に禍根を残すことになります。

1,「本土決戦」思想の軍隊もどき
大陸型の国境線を接する国の軍隊と島国の日本では 軍隊の在り方が決定的に違うという点を冷静に考えないといけないと思うのです。

国防を軍隊を中核にして考える時、どのような戦闘が想定されるか 被害をどこまで許容し、どのような国防体制を整備していくかを 国民合意の元 
「軍組織・装備」とインフラ整備、国民の避難の在り方、自衛隊後方支援の体制など 日本という国の主権を守るのに何ができるのか軍隊としての「自衛隊」で守れるかという根源的な問いは避けて通れません。
これらの点を曖昧にしたままで 軍隊として自衛隊があるから戦えというのは 太平洋戦争敗戦時の大本営の無謀な「本土決戦」思想と同じです。

太平洋戦争・大東亜戦争で戦略・戦術思想がなく 多くの兵員を生命軽視・補給無視で餓死・万歳突撃・特別攻撃隊として「死」を強要するとともに
本土爆撃や機銃掃射・餓死で多くの国民に「死」を強要した歴史の教訓を学ばないことに通じます。

2.敗戦の総括・反省をしないままの不幸
昭和20年8月15日の午前中まで「一億火の玉」「大和魂」「鬼畜米英」と国家総動員体制で戦争を推進した軍指導部、官僚、政治家などの指導層が
 天皇陛下の「玉音放送」後、戦争の責任・総括なしに敗戦処理、米軍の占領政策を担う指導層にそのまま横すべりした矛盾を放置したまま 戦後がスタートした不幸です。

 ナチス党の戦争責任を国の責任として追求しながら 戦後をスタートしたドイツとの決定的な違いです。

玉音放送までは、戦争に対する批判や生活の不満を「非国民」「売国奴」として 取り締まった権力が
 敗戦後は「占領軍」批判や国民の生きるためのヤミ市を取り締まる権力に何の反省もなく移行した無節操、無責任な国家権力の在り方が問われていないことです。

また、軍として戦争指導した指導層が 戦死者や戦傷者、国民犠牲者への責任を曖昧にしたまま軍の武装放棄をした「戦争責任」の曖昧さが残ったまま、
朝鮮戦争への米軍出兵の占領政策の米軍の肩代わりとして マッカーサーの命令としての「警察予備隊」創設が 自衛隊の母体になった歪さが 日本の国土・本土防衛としての「自衛軍」として成長できていない、軍としての装備を持ちながら「軍隊」として機能できない自衛隊の不幸になっているのです。

3.憲法9条改正のための前提条件(続く)
posted by 小だぬき at 12:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月02日

軍隊としての自衛隊を真剣に考えようA

3.憲法9条改正のための前提条件
最終更新:5/2 AM.10:00

私は不毛な憲法解釈論争をする気持ちはありません。
しかし 最前線で戦うことになる「自衛隊員」が
国家権力自体の国防を意識したインフラ整備や法整備、国民の生命財産を国家が守る意思と政策を明確にして、
仮想敵国軍隊に国民が人質に取られた中で、自衛隊が「戦闘」を強いられる事態・状況だけは無くす、
国土・国民防衛の施策を あらゆる場面で貫徹する決意が大事といいたいのです。

非武装でも国民の生命・生活の安全保障のためにできうることを 最大限に追求した後に 自衛軍の組織・装備がいかなるものか英知を集めて考えるのが先だ ということ。
現状の航空・海上・陸上自衛隊を前提にしてではなくです。

自民党や右翼勢力は、自衛のための軍隊を 国民の犠牲や国土の破壊を最小にするように編成するという基本姿勢がなく、
米軍や旧陸海軍の模倣で陸海空自衛隊を3軍編成の 近代兵器で武装していく現在の在り方で思考停止してしまっている。

一番大切で覚悟しなくてはならないのは 被害・損害によって「敗戦・白旗」なのか、ゲリラ戦を含めて 仮想敵国が撤退するまで徹底抗戦を想定しているのか 未だ 誰も言及していない所です。

今の自衛隊の致命的欠陥は、民間防衛・法制の基礎の上で もっとも効果的な「軍隊」の在り方を追求し 島国の軍隊の姿を 未来に向けて模索する視点の欠如です。

憲法で明文化したら 島国日本の防衛を担う「自衛隊」になるという 現状追認の在り方では、米軍の補助軍隊としては有効でも、国内のインフラ、法制では部隊展開も作戦立案もできないままです。

4.何の脅威からどこまで防衛できるかの視点

安倍自民党のやろうとしている 憲法9条改悪案では、島国防衛の軍隊の在り方を問い直せないし、実際に国民が日常生活している中で「武装防衛」するという 「卵が先か鶏が先か」の矛盾(武力行使と国民の生命・財産の保護)のまま 国土・国民防衛の責任だけを「自衛隊に負わす」という無責任極まりない政府。
「戦後日本の総決算」にほど遠い 高価な近代兵器オタクに過ぎず 自衛隊員の生命すら守れない(交戦規定不備と前線部隊の指揮・命令権行使の制限、補給観点の欠如)と批判されても仕方のないものにすぎません。

太平洋戦争時の軍指導部のように精神主義で「本土決戦」を強要するようなものです。
国民の安全な退避・避難の発想がないまま 国民がいわば人質にされた中で 国民の被害を許容して 前線部隊が 仮想敵国に応戦できるのか 素人の私が考えてもリスクの高い決断を前線部隊に負わすことになります。

5.問題点、欠陥

最大の問題は、歴代の政権が インフラなどの整備や都市計画、交通施策など国家施策全般に「防衛」の視点を欠いたまま 今の日本が成立しているという点です。

武力攻撃が起こりえると想定したら 
・原子力発電所推進などの施策ができるはずはないし、
・道路や橋などの整備も軍事車両の移動展開を想定した強度と 破壊された場合の代替施設の建設がなされていなければなりません。
地下鉄道建設やトンネル道路・地下商店モール、商業・住居ビルの地下室設置などもミサイル攻撃された場合の退避豪になるよう強度を規定し維持・整備されなければなりません。  
・また、治安との関係が問題になりますが、国民の希望で武器の基本操作習得も検討しなければならないでしょう。
・自然災害などで人命が失われる現状、救助・救難の迅速な体制・インフラ欠如(重機などの機具や災害現場での救助部隊の展開障害の地勢放置)では、自衛隊の軍隊化だけでは 国民の生命・財産保護はできない 悲しい国土整備の典型。
・鉄道整備も新幹線網重視・優先で在来線の廃止を容認している現状は、国民避難軽視・非常時の輸送の観点の欠如で 国防という観点より経済効率のみを優先した政策の貧困。 

何かの機会があれば 自衛隊基地・駐屯地と在日米軍基地の見学・散歩をしてみてください。

自衛隊の武器庫や格納庫などの施設の無防備は驚くほどです。
 東日本大震災時 航空自衛隊松島基地のF2支援戦闘機が津波で全滅したことは 記憶に新しいことと思います。
 基地の立地や格納場所の脆弱さが テレビ画面に映しだされました。

小だぬきが 米軍横田基地を見てみようと 金網越しに 米軍爆撃機の離発着を見るために立ち止まって カメラや双眼鏡を取り出しただけで 素早くジープで武装したMPがきたことに 首都東京も米軍占領地だと痛感させられました。

6.平和ボケは 国民ではなく政権中枢

自衛隊装備に声だかに 米軍の高価な武器購入をする日本政府が 国民の生命財産を守るインフラ整備や福祉・教育・子育てには 驚くほど冷淡。

詳しくは 機会を見て 書かせていただきますが、
生活道路も陥没したときの代替道路がないと生活に困る、これは軍事の補給・輸送にもネックになります。

身近な例でも 歩道橋1本が壊れ道を塞いだだけで 交通パニックになりそうな予感。
ゴールデンウィークの高速道路の渋滞も 最悪途中の車が爆発炎上(事故・テロ攻撃)したら 被害はどの程度になるのか・・・。

総合的な「国土防衛」の観点が持てない政府だから 毎年 災害救助に自衛隊への出動要請がニュースになる。
強靭な国土や豊かな自然、国民生活の「最低限の文化的生活の保障」、産業政策や経済・食料政策も 国防の視点がなければならないのに
 日本の権力は 金として還元されないものは 国防に不都合があっても「見ない、聞かない、話さない」に徹しているようで 情けない限りです。

どうも なぜ?? どうして?? どうしたら?? などを 問う人が 権力関係者にはいないようです。

自衛隊反対や非武装論・平和運動を 「平和ボケ」「観念論」「非現実的無責任論」などと罵詈雑言の嵐で 口ぎたなくののしる御用学者・御用評論家・マスコミの声が 常識・正論のように多数派を形成しようとして今日、軍隊のみで 国民の生命や財産を守れるの??という 素朴な疑問を 持ち続けないとならないと思います。

武力行使の危険性と自衛隊員の災害救助・支援活動の献身ぶりへの感謝とは 明確に分けて考えないといけません。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月03日

2日に術前検査、通院で半日。11日手術、でも不確定な手術適応性

2日に「頸椎間圧迫」「脊椎間圧迫」「股関節」で整形外科 (脊椎外科)に通院。

肺レントゲン、頸椎CT、脊椎MRI、肺機能検査、心臓心電図、血液検査、尿検査などの検査と画像診断で 約6時間の病院滞在。
結果としては 5/10に入院、5/11に頸椎圧迫改善手術、8日 麻酔科外来、9日 心臓エコー検査などの日程が 組まれました。
但しがついてしまったのです。心電図検査での不整脈と肺機能の低下などもあり、頸椎手術不適応で できない場合もあるとのこと。

頸椎間圧迫を放置すると いつ「寝た切り」状態になるかもしれないからと 手術に同意、決断したものの 心臓と肺の状態で手術が不能になるという場合も・・・。

頸椎→脊椎→股関節の3つの手術が 順調にできても 数年がかりの手術間隔とそれぞれの箇所で数年のリハビリ生活との宣告。

主治医に 寝たきりになるよりは 殺して欲しいなどと 失敗を前提に要望を言うと、
苦笑しながら 私が主治医として執刀するのだから信じてほしい。
エコノミー症候群・呼吸困難・心臓・肺炎などの合併症がでないように入院時にきちんと病状管理して 寝たきりになどにしないからと約束。

ただ主治医から 介護保険申請高額療養費申請はして欲しいとの要望が出され、月曜日に区役所で申請する予定です。

寝た切り想定ですか??と聞いたら、今でも 歩行困難が出ているし 料理・洗濯・掃除なども難しくなってきているし 歳とともに状態は 悪くなるのは明らか。
1回の手術で 今後再発しないという保障はできないし、何回かの再手術をしなければならない人も 数は少ないがいるからとのこと。

脳外科で経過観察している脳梗塞痕が 急激に拡大するか 大量出血するか、肺炎と同時にエコノミー症候群による血管栓塞が起こらない限り、「殺してくれ!!」の要望は、医師としては拒否するしかない。病院への信頼のためにも 合併症にしないよ、ですって。

安易に「悪くても車椅子生活」というのは 幻想のようで 首から神経が遮断・切れたら 「車いすでは済まない」とのネット情報。

入院説明の病院事務の方に 何か聞いておきたいことはありますか??に 
悪ノリして「担当の看護師さんの指名やレンタルはできますか」との冗談に 真面目に「難しいのでは・・・」と答えてくれた 若き女子事務員さんの真面目さに 思わず「ごめんなさい」と謝罪してしまいました。

前期高齢者でも65歳は 医療費3割負担。高額療養費対象外の日用品のレンタル料や入院食事負担、差額ベット料金など 入院日数を観光ホテルに宿泊したと考えれば、「安い」かもしれない なんて ノー天気な小だぬきは、月額18万円弱の年金で考えるのではなく、退職金残額から計算している・・、 貧困予備者候補かな??

小学校退職 元教員の平均寿命が 68歳などと 都市伝説のように信じられている中、そう長期の余命を狙うより 日々好日の積み上げ余生と割り切ったり 人間の車検?を2年程度に設定して メンテナンスをしていけば??長生きできるのかな。
フランケンシュタイン博士の気持ちがわかるように感じた1日、確実に無節制な生活では 臓器が痛むのもモットもです。

小だぬきの「傷だらけの人生」開幕日の5月2日です。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(6) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月04日

憲法記念日 平和主義の「卵」を守れ

憲法記念日 
平和主義の「卵」を守れ
2018年5月3日 東京新聞「社説」

 自民党により憲法改正が具体化しようとしている。
九条に自衛隊を明記する案は、国を大きく変質させる恐れが強い。
よく考えるべき憲法記念日である。
 ホトトギスという鳥は、自分で巣を作らないで、ウグイスの巣に卵を産みつける。
ウグイスの母親は、それと自分の産んだ卵とを差別しないで温める。
 一九四八年に旧文部省が発行した中高生向けの「民主主義」という教科書がある。
そこに書かれた示唆に富んだ話である。

◆「何ら変更はない」とは
 <ところが、ほととぎすの卵はうぐいすの卵よりも孵化(ふか)日数が短い。
だから、ほととぎすの卵の方が先にひなになり、だんだんと大きくなってその巣を独占し、うぐいすの卵を巣の外に押し出して、地面に落してみんなこわしてしまう
 執筆者は法哲学者の東大教授尾高朝雄(ともお)といわれる。

「民主政治の落し穴」と題された一章に紹介されたエピソードである。
そこで尾高はこう記す。

 <一たび多数を制すると、たちまち正体を現わし、すべての反対党を追い払って、国会を独占してしまう。
民主主義はいっぺんにこわれて、独裁主義だけがのさばることになる

 この例えを念頭に九条を考えてみる。
基本的人権や国民主権は先進国では標準装備だから、戦後日本のアイデンティティーは平和主義といえる。
国の在り方を決定付けているからだ。

 九条一項は戦争放棄、
   二項で戦力と交戦権を否認する。

自民党はこれに自衛隊を書き込む提案をしている。
安倍晋三首相が一年前にした提案と同じだ。
 だが、奇妙なことがある。
安倍首相は「この改憲によって自衛隊の任務や権限に何らの変更がない」と述べていることだ。
憲法の文言を追加・変更することは、当然ながら、その運用や意味に多大な影響をもたらすはずである。

◆消えた「必要最小限度」
 もし本当に何の変更もないなら、そもそも改憲の必要がない。
国民投票になれば、何を問われているのか意味不明になる。
今までと何ら変化のない案に対し、国民は応答不能になるはずである。

 動機が存在しない改憲案、「改憲したい」欲望のための改憲なのかもしれない。

なぜなら既に自衛隊は存在し、歴代内閣は「合憲」と認めてきたからだ。
 安倍首相は「憲法学者の多くが違憲だ」「違憲論争に終止符を」というが、どの学術分野でも学説は分かれるものであり、改憲の本質的な動機たりえない。

 憲法を改正するには暗黙のルールが存在する。
・憲法は権力を縛るものであるから、権力を拡大する目的であってはならない。
・また目的を達成するには、改憲しか手段がない場合である。
・憲法の基本理念を壊す改憲も許されない。

 このルールに照らせば九条改憲案は理由たりえない。
おそらく別の目的が潜んでいるのではないか。
例えば自衛隊の海外での軍事的活動を広げることだろう。

 歴代内閣は他国を守る集団的自衛権は専守防衛の枠外であり、「違憲」と国内外に明言してきた。
ところが安倍内閣はその約束を反故(ほご)にし、百八十度転換した。
それが集団的自衛権の容認であり、安全保障法制である。
専守防衛の枠を壊してしまったのだ。

 それでも海外派兵までの壁はあろう。
だから改憲案では「自衛隊は必要最小限度の実力組織」という縛りから「必要最小限度」の言葉をはずしている。
従来と変わらない自衛隊どころでなく、実質的な軍隊と同じになるのではないか。

 それが隠された動機ならば自民党は具体的にそれを国民に説明する義務を負う。
それを明らかにしないで、単に自衛隊を書き込むだけの改憲だと国民に錯覚させるのなら、不公正である。

 また安倍首相らの根底には「九条は敗戦国の日本が、二度と欧米中心の秩序に挑戦することがないよう米国から押しつけられた」という認識があろう。

 しかし、当時の幣原(しではら)喜重郎首相が連合国軍最高司令官マッカーサーに戦争放棄を提案した説がある。
両者とも後年に認めている。
日本側から平和主義を提案したなら「押しつけ論」は排除される。

 歴史学者の笠原十九司(とくし)氏は雑誌「世界」六月号(岩波書店)で、幣原提案説を全面支持する論文を発表する予定だ。

◆戦争する軍隊になるか
 他国の戦争に自衛隊も加われば、およそ平和主義とは相いれない。
日本国憲法というウグイスの巣にホトトギスの卵が産みつけられる−。
「何の変更もない」と国民を安心させ、九条に自衛隊を明記すると、やがて巣は乗っ取られ、平和主義の「卵」はすべて落とされ、壊れる。
それを恐れる。
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2018年05月05日

差別と人権 小さな声、伝えてこそ

差別と人権 
小さな声、伝えてこそ
2018年5月4日 東京新聞「社説」

 世界人権宣言の採択から今年で七十年。
すべての人の基本的人権を公に認めた宣言だ。
だが差別や偏見は一向になくならない。
私たちはその現実とどう向き合い、報道すべきか。改めて考えた。

 取材相手の言葉にハッとさせられることがある。
 二年ほど前、名古屋市近郊の町に、車いすユーザーの押富俊恵さん(36)を初めて訪ねたときもそうだった。
 難病を患っても医療職で培った経験や知識を生かし、後に障害者支援のNPO法人を立ち上げた。
その彼女の言葉だった。

「見下ろしたままで話す人がいるんです。
何というか、心を開いて話しづらくて」

 この思いがけぬひと言が、私たちがふだん思っている記者としての心構えを、力強く念押ししてくれたように聞こえたのだ。
いつも忘れないでいて、と。

 差別や人権にかかわる問題を取材する場合、私たちは、立場の弱い人の話を聞くことが多い。
そんなときには、相手の目線で見て、聞いて、理解していくという心構えでありたい。
 障害のある人や現に差別されている人は、心の内を自ら意思表示することがなかなか難しい。

そうした小さな声、声なき声をいかにくみ取り、伝えていくかが、私たちには問われている。

 世界人権宣言が採択されたのは一九四八年十二月十日。
パリで開かれた第三回国連総会だった。
 宣言そのものに法的拘束力はない。
だが人種差別や女性差別の撤廃、子どもの権利条約など、その理想と精神は各種の国際条約、規約となって生み出された。  同様に、各国でも法の制定などが進んでいる。

 日本でなら、最近では一昨年の「人権三法」だろう。
四月に障害者差別解消法、六月にヘイトスピーチ対策法、十二月に部落差別解消法が施行された。
 むろん法の有無にかかわらず、いわれのない差別や偏見に対しては、これからも私たちは厳しく物申していかねばならない

差別を助長するような面もあるポピュリズムが世界に広まってきている現状を見れば、余計にである。
 法ができても、差別は根深い。
法の趣旨が、公的機関や人びとにどう浸透していくか。

 繰り返しになるが、だからこそ私たちは小さな声に耳を澄ませ、伝え続ける必要がある。
法が意味あるものになっていくためにも。
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2018年05月06日

人格・権利が尊重される社会を

こどもの日
人格・権利が尊重される社会を
2018年5月5日(土)しんぶん赤旗「主張」

 きょうは「こどもの日」です。
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかる」日として1948年に定められました。

日本の子どもたちは一人ひとりの人格を大切にされているでしょうか。
いま国連子どもの権利委員会は日本の子どもの権利が守られているか、4回目の審査をすすめています。

競争的環境の見直しこそ
 子どもの権利委員会は子どもの権利条約に基づいて設置されています。
条約加盟国の政府が提出する報告とともに、子どもの権利にかかわる活動をしている民間団体からの報告も踏まえて、各国での子どもの権利条約の実施状況について審査します。

 日本については、これまで3回審査をおこない、98年、2004年、10年に日本政府への改善勧告を含む「所見」を出しています。
3回の所見ではいずれも、日本の子どもたちが「高度に競争的な学校環境」のもとにおかれていて、発達をゆがめられ、不登校、中退、自殺など否定的な影響を与えている点を問題にしています。

 日本政府は、競争的な教育環境を見直すどころか、全国学力テストの導入などでいっそう激しくしてきました。
いじめによる自殺は後を絶たず、不登校が増え、校内暴力も高い水準が続いています。
 にもかかわらず、4回目の審査にむけて安倍晋三政権が昨年、子どもの権利委員会に提出した報告は、「高度に競争的な学校環境」がいじめなどを助長しているという同委員会の指摘に対し、「(そうした)認識を持ち続けるのであれば、その客観的な根拠について明らかにされたい」と、開き直りともいえる態度を示しています。
本気で「子どもの人格を重んじ、幸福をはかる」姿勢がまったくないといわざるをえません。

 日本政府がやるべきことは、学力テストの見直し・廃止など、子どもの権利委員会の指摘にこたえる施策です。
 「夏休みで(給食がなく)10キロやせた中学生」「修学旅行の積立金を取り崩し生活費にあてる親」―。
「子どもの権利条約 市民・NGO報告書をつくる会」が子どもの権利委員会に提出した報告書にある子どもの貧困の実態です。
 貧困状態にある日本の18歳未満の子どもの比率は、15年の調査で少し低下しましたが、13・9%、約7人に1人と、国際的にみて依然高水準です。
格差と貧困を広げてきた安倍政権の政策が改めて問われます。
このうえさらに、生活保護の削減などで子どもを苦しめることは許されません。

 下着の色を指定する、生まれつき茶色の髪を強制的に黒染めさせるなど人権侵害にもあたる校則、「問題行動」に対し生徒の言い分も聞かずに罰則を機械的に適用するゼロトレランス(寛容度ゼロ)方式の生徒指導、なくならない体罰など、学校で子どもの権利が侵されている現状は深刻です。

子どもの意見を大切に
 子どもの権利条約は、子どもに影響するすべての事柄について子ども自身が意見を表明する権利を保障し、その意見が「相応に考慮される」と定めています。
 憲法と権利条約に基づいて子どもを社会の一員として尊重し、その声を聞き、幸せを保障していく―。

「こどもの日」の趣旨にふさわしい政治への転換をいまこそ求めていきましょう。
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2018年05月07日

「国体化」した対米従属が日本を蝕んでいる:米国は日本を愛しているという妄想

「国体化」した対米従属が
日本を蝕んでいる
米国は日本を愛しているという妄想
2018年05月06日 塚田 紀史 : 東洋経済記者

自発的な対米従属を続ける、世界に類のない不思議の国・日本。
この呪縛を解くカギは国体にあるという。
『国体論』を書いた京都精華大学人文学部専任講師の白井聡氏に詳しく聞いた。
日本の行き詰まった状況を説明

──なぜ今、国体論なのですか。

今の日本の行き詰まった状況を首尾一貫して説明しうる、最有力の概念が国体なのだと考えている。
失われた20年あるいは30年といわれるように、日本が長い停滞から抜け出せないのは、なぜなのか。
「国体化」した対米従属が社会をむしばんでいるからだ。
世界に類を見ない歪(いびつ)な形で、つまりその支配の事実を否認しつつ対米従属をしていることが、社会を腐らせた。

──米国に妄想を抱きつつですか。

米国は日本を愛しているとの妄想に戦後日本の体制は依存している。
それは、言葉遣いに端的に表れる。
代表的なのがトモダチ作戦や思いやり予算。
情緒的な言葉遣いが日米関係の公的な場でも多用される。
日米関係は特別であり、打算的な関係で仲よくしているのではなく、真の友情に基づいているとのイメージをまき散らす。

──「米国崇拝」と「天皇崇敬」に相似性があると。

「戦前の国体」における天皇と臣民の関係に、日米関係が似てきた。
大日本帝国においては、神の子孫である天皇が国民を赤子として慈しみ、愛してくれている、何とありがたいことか、だから天皇陛下のために死ぬのは当然であり、日本人の幸福だ、という「世界観」が国民に強制されていた。

──それが「戦前の国体=天皇」から「戦後の国体=米国」へ移行したのですか。

「戦前の国体」は1945年の敗戦で壊されながらも、米国を頂点にする「戦後の国体」として再建された。
日本は米国の懐に抱かれているというイメージが形作られ、世界に類を見ない日本の対米従属の特殊性が生まれた。
愛されているという妄想に基づいて米国に従属している国は日本以外にない。

──好んで従属?

ほかの国は遺憾なことだと感じ、少しでも自由になりたいという意思を持っている。
ところが、平均的な日本人にはそういう認識も意思も皆無だ。
一昨年末に訪日したプーチン大統領にもズバリ言われている。
独立国でありたいという意思ぐらいは持っているのかと。
意思さえもないのではないか。
そういう国とは領土問題などまじめに交渉できない、と彼は示唆した。
結果、ロシアは返還する意向だった歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)にまで開発の手を伸ばすと最近言い出した。
敬意を払うに値しない属国だと見切られている。
こんな無残な状態を作り出しているのが、対米従属を中核にした統治システム「戦後の国体」だ。

──本書を今上天皇の「お言葉」から始めています。

「戦後の国体」は、事実上、ワシントンをピラミッドの頂点に置くシステムだ。
今日、米国が日本人にとって精神的な権威にもなっている。
そのとき日本の天皇の存在には何の意味があるか。
もういらないということになる。
日本人は気づかないままに、そういう精神状況を作ってしまった。
そんな状況下で「お言葉」は発せられた。
対米従属問題は天皇制に行き着く 「お言葉」の中で、天皇とは単に日本国の象徴ではなく、国民統合の象徴だと何度も強調された。
それは現に統合が崩れているからだ。
仮に日本国民が統合を維持ないし再建する意思をもはや持たないのならば、統合の象徴もありえない。
もう一度現在の統合の状態を見つめてほしいという呼びかけでもあったと考えられる。

──統合が壊れているとの認識が前提なのですね。

「失われた時代」によって社会が疲弊し、統合は壊れた。
そこから再起できないのは、社会構造の歪みのためであり、その歪みは「戦後の国体」によってもたらされている。
だから、「お言葉」は天皇自身による天皇制批判でもあった。
日本の対米従属の特殊性の問題は天皇制の問題に行き着くと『永続敗戦論』以来考えてきた。
米国が“天皇化”すれば、日本の天皇の居場所はどこにあるのかが、必然的に問題になる。
そんな状況が表面化してきた中で、「お言葉」は出てきた。
思い切った行動には驚きもしたが、同時に、起こるべくして起こったとも思っている。

──驚きとは。 内容は考え抜かれたものだった。

戦後の天皇制、あるいは民主主義社会における君主制一般が、今後の社会の中でどのような形でポジティブな意味で存続できるのか。
そこまでを射程に入れた思い切った発言だった。
言葉は穏やかなのだが、にじみ出る雰囲気から何か非常に激しいものを感じた。
その激しさはたぶん現状への憤りではなかったか。
天皇の言葉が特別な重みを持ってしまうのは、今が歴史的に見て国難の時代だからだ。
日本には独立する意思が足りない

──「戦後の国体」は日米安全保障体制が裏打ちしている?

「戦後の国体」の物理的基礎は日米安保体制にある。
だが、軍事的属国化が奇形的な対米従属を必然化するわけではない。
たとえば同じく敗戦国のドイツは、主体性を保っている。
日本の対米従属の本質は、独立国たらんとする意思がないことだ。
意思がないのは、従属していると思っていないからだ。
従属を無意識下に追いやったのは、あの戦争の死者に対するやましさゆえかもしれない。
鬼畜米英、一億火の玉と言っていたのに、スムーズに米国の占領を受け入れた。
その変節を正当化する物語が必要とされた。
米国と対立して殺し合いをしたのは「不幸な誤解」だった。
マッカーサーはじめ米国人は私たちに敬愛の念を持っている。
戦争は一部の頭のおかしい軍人がしたことだから、私たちは変節していない

──そういうストーリーが無意識的に形成された。
──日本人には今や国家観も乏しいのですか。

国家も人間組織の一つだが、ほかの組織との決定的違いは、暴力行使の権限を持っていることだ。
言い換えれば、国家から「暴力」、つまり警察と軍隊を引き去ると国家ではなくなる。
ところが、日本人で国家の本質は暴力だと理解している人は少ない。
国家とは本来恐ろしいものなのだ。
だが日本人は、国家は優しく包み込んでくれるものだと思っている。
国体というと、何かおどろおどろしいイメージを想起させ、戦前の怖い国家体制を連想させるかもしれないが、むしろだからこそ、思い出さなければならない。
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2018年05月08日

激増!「職場うつ」が重症化しやすい人の特徴

激増!「職場うつ」が
重症化しやすい人の特徴
仕事量・人間関係…心が病む原因とは?
2018年05月07日 東洋経済

ムーギー・キム :
『最強の働き方』『一流の育て方』著者

世の中には、実に多種多様な「健康書」が氾濫している。
しかし医者によって言っていることも大きく違い、何を信じたらいいのかわからない。

「人生100年」時代、本当に信頼できて、誰でもお金を掛けずに毎日できる簡単な健康習慣とは、いったいどのようなものなのか。
4月26日、東洋経済オンラインのメルマガでもおなじみのムーギー・キム氏の渾身の著作『最強の健康法―世界レベルの名医の本音を全部まとめてみた』(SBクリエイティブ)が、『ベスト・パフォーマンス編』と『病気にならない最先端科学編』の2冊セットで刊行された。

本書は日本を代表する50名に上る名医・健康専門家による直接解説を、東大医学部で教鞭をとる中川恵一氏、順天堂大で教鞭をとる堀江重郎氏が二重三重にその正確性をチェックしたうえで制作されている。
東洋経済オンラインでは同書を元に、多くの名医たちが実践しているおカネの掛からない確かな健康法を紹介していく。

第2回は、「職場うつ」の傾向と対策を解説する。

産業医として28社もの企業に関わる医療法人社団同友会産業保健部門の大室正志氏は、「近年、職場うつが激増しています」と話す。
厚生労働省が集計したアンケートによると、発症した原因にはいくつか傾向があるという。
圧倒的に多い原因は「仕事量」
「まず圧倒的に多いのは『仕事量』です。
仕事が多すぎて心身が休めないと、誰だってうつっぽくなりますよね。
続いて職場の人間関係。
これも非常に大きいです。
一緒に働く他人は、自分でコントロールできない問題ですから。
また、自分の適正と仕事内容のミスマッチも大きな原因です。

こうした職場要因の他にも、家庭の要因、たとえば親の介護などが加わった複合的要因のケースなどもありますね」(大室氏)
また、安定した大企業でずっと同じ仕事をしてきた人が、肩たたきにあったり、窓際に追いやられたりして発症したうつ病は、重症化しやすいという。
「年をとってから仕事環境が変わると、他に選択肢がありません。
そこで精神的に追い詰められてしまうのです」と大室氏は説明する。

ちなみに、うつ病の診断基準には「2週間以上、抑うつ状態が続いている」などチェックリストがあるが、実情はそれほど単純ではないという。
うつ病ではないけれど、その周辺領域の「うつっぽい状態」には明確で排他的な診断はつけづらいという。
うつ状態になる原因は人それぞれ 「たとえば、救急車で緊急搬送されてきた人が『おなかが痛い』と言っているけれど、検査機器を調べてもわからない、というときにはとりあえず『発熱と腹痛』と診断書を書きます。

同様に、うつになっていることは事実だけど、統合失調症の初期症状かもしれないし、双極性障害(旧称『躁うつ病』)かもしれないけれど、実態はよくわからない、というときは全部まとめて『うつ状態』とします」(大室氏)
こうしたうつ状態になる原因は人それぞれであり、中には「幸せな気分にさせるセロトニンが出にくい」といった体質的な要因を抱えているケースもあるという。
では、どう対策すればいいのだろうか。

本書に登場する長尾クリニックの長尾和宏院長によると、歩くだけでセロトニンが分泌されるため、実は歩くだけでうつ病対策になるという。
同じく本書に登場する新宿溝口クリニックの溝口徹院長によると、セロトニンなど脳内物質の原料として重要なビタミンBや鉄分を摂る、栄養面のアプローチで治す人もいるという。

うつ病は原因も深刻さも多様だが、大室氏が語るように
仕事量・人間関係で無理をせず、他にも選択肢のある生き方、考え方を心がけたい。
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2018年05月09日

麻生氏の暴言 あなたもアウトです

麻生氏の暴言
 あなたもアウトです
2018年5月8日 東京新聞「社説」

 福田淳一財務省前事務次官の女性記者に対するセクハラ問題をめぐる麻生太郎財務相の発言は、国政の中枢を担う者としての見識を疑う。
発言を撤回し、進退を検討すべきだ。
 「セクハラ罪っていう罪はない」。
麻生氏がフィリピンでの記者会見で述べた発言は聞くに堪えない暴言である。
しかもこの問題では一度ではない。
「(女性記者に)はめられた」とも言っていた。  

下村博文元文部科学相ら自民党議員らの心ない発言も続く。
セクハラの被害者を批判するような発言は二次被害を拡大させる。
まずそのことを認識すべきだ。
 そもそも法を持ち出すまでもない。
性的な言動で不快にさせるセクハラは、人の尊厳を傷つける行為である。
こうした人権侵害をなくすために取り組むことが今や社会の共通認識である。

 民間では男女雇用機会均等法で事業主にセクハラのない職場環境の整備を求めている。
 公務員もまた、人事院規則によってセクハラ防止について定められている。
各省庁の長は具体的な対策などを規定などでまとめ、職員に明示することを職責として求められている。

 福田氏が次官を辞任したのは、職員トップである自らの不適切な言動によって、職責を果たせなくなったからにほかならない。
財務省も福田氏のセクハラを認定している。
 にもかかわらず、麻生氏は法にないことを逆手に取って、福田氏を擁護するかのように述べた。

 これまでも被害者に対して名乗り出るように求めるなど、配慮に欠ける発言を繰り返している。
 財務省が福田氏のセクハラを認定した後にも、大臣自らが省の認定と異なるかのような発言をして矛盾を広げている。
本来ならば職場環境を改める先頭に立つはずの大臣が、セクハラと認めていないと受け取られかねない。
 国政の要職を担う者としての自覚や資質にも欠けるといわざるをえない。

麻生氏が今後も職にとどまり続けるなら、モラルの崩壊など有形無形の悪影響を及ぼすことになるだろう。
 かつて憲法改正について「ナチスの手口に学んだらどうか」と述べるなど、数々の問題発言を繰り返してきた麻生氏である。
 福田氏の問題についても「事実ならアウト」と発言したが、もはや、大臣当人がアウトなのではないか。
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2018年05月10日

高齢者と服薬 引き算で副作用減らせ

高齢者と服薬 
引き算で副作用減らせ
2018年5月9日 東京新聞「社説」

 高齢者は多くの薬を併用することが多い。
厚生労働省は副作用などのトラブルを防ぐため医薬品の適正使用について指針案を示した。
薬はなるべく減らすことも治療のうちと考えるべきだろう。

高齢になるといくつもの疾患を抱えがちだ。
あちらこちらの医療機関を受診し降圧剤や睡眠薬など多種類の薬を処方される。
 厚労省によると七十五歳以上の四割が一カ月で五種類以上、25%が七種類以上を一カ所の薬局で受け取っている。
十一種類以上の人もいるとのデータもある。
 だが、高齢者の服薬には注意が必要だ。
加齢で薬を分解する体の働きが低下している。
同じ量でも若い人より効きすぎてしまう。

 無視できないのは副作用だ
ふらつき・転倒、記憶障害、抑うつなど深刻なトラブルが出やすくなる。
食欲低下や便秘、排尿障害なども起こり、高齢者を悩ませることになる。
副作用を抑えようと別の薬を処方される悪循環もある。

 トラブルの発生は六種類以上で増加するデータがある一方、三種類程度でも発生するケースもあり処方された薬の中身や組み合わせに注意が求められる。

 厚労省は、指針案を初めてつくった。
医師や薬剤師ら向けで、特徴的な副作用の症状や原因薬を示し、医療従事者が連携して服薬状況の把握や処方の見直しを促している。
その上で使用中止できないか、より安全性の高い代替薬を使えないかなどを判断し、減薬や変更後の患者の慎重な経過観察も求めている。

 医薬品は医療の柱のひとつだ。
これまで症状が改善しなければ種類や量が増え、長期処方に傾きがちだった。
多剤による影響を考慮したり、減薬する発想はあまりなかったのではないか。

 今後、多くの高齢患者が薬を利用することになる。
減薬も症状の改善や生活の質(QOL)向上に役立つと「引き算」の発想に換える時機に来ている。
 飲み忘れなどの残薬は年間五百億円分になるとの推計もある。
医療費の節約のためにも服薬の管理は重要になる。
 そのためには、地域のかかりつけの医師や薬剤師の役割は増すが、医療関係者同士の連携はまだ手薄だ。
患者の服薬情報の共有を含めチームで患者を支える態勢づくりを急ぐべきだ。
 患者は勝手な服薬中止は避けたいが、「薬が多い」と感じたり体調に不調を感じたら医師や薬剤師に聞いてみることも心掛けたい。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日 入院、明日手術

今回は 頸椎圧迫是正の外科手術のためPCを持ち込まず、リハビリ・退院を優先するために 3週間程度の休載になります。
術前検査で 心臓「狭心症」「頻脈」、肺の機能低下などで 昨日 麻酔医の説明でも 場合によっては「中断」もありえるとのことでした。

各検査の数値から「完全禁煙を」と宣告され、禁煙10日。
ニコチン依存の恐ろしさか、ボーっとしていると左手で煙草を探るしぐさに。
入院することで 完全禁煙に挑戦します。

更新がしばらく止まりますが、忘れないでくださいね。
13時30分に入院手続き。11日 手術にそなえて 痰出し訓練に入ります。

行ってきます。
posted by 小だぬき at 12:00 | 神奈川 ☔ | Comment(13) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月18日

頸椎狭窄手術からの仮退院

17日に退院できました。
ブログ友達っていいものだなぁと 昨日痛感しました。

10日 9時に床屋
   12時に昼食「がボラライス」
   13時30分 入院手続き
        9027室2人部屋へ病院の都合とのことで差額ベット代無料
   15時30分 入浴
   16時から執刀医や看護師の入院生活の予定、説明
   18時 夕食 おいしい・品数たっぷり、あたたかくかいものはあたたかく冷たいものは冷たく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この時点で 病院のイメージが変わりました。
昔は、部屋は汚い 食事は材料がわからないような冷えて不味い、看護師はぶっきらぼうという記憶があったのですが、見事に逆転、ベットが空いていれば食事入院をしたいくらいの 美味しいバランスのとれた3食でした。パンは苦手と申告していたせいか 全てご飯定食。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11日 7時から血液検査、アレルギー検査など
   10時30分より手術
   12時30分 ICUに
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
全身麻酔で手術したものですから 手術の記憶なし。
ICUで一番不安だったのは 時間感覚がなく、「周りの人が入れ替わるのに 自分のみ取り残された感覚」
それと尿は管でつながれているのでいいのですが、便が困りナースコール。
声が出づらく嗄れている中で 必死に訴えて 2度ほどお世話に。
ごめんねと手で拝むと「気にしないで、それも僕のしごとですよ、困ったりつらい時は いつでも呼んで」と看護師に男性がいる安心感がうまれました。
状態を聞きに来る 執刀医、主治医、麻酔医に対し 声がでず 手信号??でOKサインを。
二度ほど 呼吸停止がありましたが 想定内の対処で乗り切りました、と話してくれました。

ICUから病室に戻ったのが、19時30分。
長時間いたような感覚は辛いものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
12日〜 問題患者に
痰がからみ 声は出しづらかったのですが 身体に自由がもどってくると やたらと動きたいが・・・・
5時の看護師さんによる熱・血圧・血糖検査の前、やたらと歩きたくなり 自立歩行でトイレへ。
それを看護師さんにみつかり 立ち眩みや足のもつれはありませんか・・、これから動きたいときはナースコールで知らせ 看護師と同伴にとのお叱り。「無理して早く治るより、今は転倒が怖い」とのこと。
これは歩行器を使わされることになった後も 歩く→見つかる→謝るが続きました。

多目的トイレの入口「空き」の表示を「使用中にするのを忘れることもたびたび」
その度に看護師さんや女の子・女性・おばあちゃんに見学され 恥ずかしい思いも・・

リハビリもはじまり 幼児教室のようでした。
自力トイレが伝わっていたのか、普通にトレーニング室まで歩いてください。バックアップはしますからとのお言葉。
手足の力では押したり・押されたり、バンザイや前へ倣え等で一時躊躇したとき どうしたの??と聞かれたので 指示どおりにすると 君を抱くことになってしまうのでというと そんなこと気にしなくていいとのことでしたので 若き療法士との楽しい時間??を送りました。
機能検査や歩行、手足は手術後としては驚異的とのお褒め。

16日に看護師と療法士による「入浴指導」、入院して以来 女性に見られる場面も「さすが前期高齢者、色気も感じずの悲しい局面多々」 
30日の通院日までは くびの固定具や指導された院内のくらしと同様にとのこと。

主治医曰く「腰の手術は、早くても2ケ月後」とのこと、今年は母の3回忌法要を9/6に行うため 腰とまた関節は 暖房費節約のため 冬まで痛み止めで耐えたいですというと 薬で痛みを抑えられる状態を祈るよとのことでした。

昨日、帰宅して コメントの言葉の温かさに 感謝でした。
院内では動く監視患者も退院して 帰宅するまでの20分で 疲れが出てしまいました。

ひとまず 退院のご報告になり もうしわけありません。
posted by 小だぬき at 09:00 | 神奈川 | Comment(10) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

差額ベットの運・不運

差額ベット代金は、病院にも患者にも 運・不運 紙一重。

私は部屋希望の時、大部屋の方が 寂しくないから大部屋にと希望しました。
所が入院できたのは 1日5400円差額の二人部屋。

景色もいいし 空いたら差額無しの大部屋に移ればいいと思っていたら、
私の当日担当看護師が「この病室は、病院の都合で入ってもらうので 差額料金はなしです」とのこと。

2人ベット希望を 最初からした人は 差額料金が発生するとのこと。

結果的に2人部屋で 看護師巡回も世話も手厚い 8日間の滞在。
看護師さんとの会話で 私のような例は多いの?? と聞いたら、経営上は少ないとのこと。

当日の救急搬送・入院者の数と主治医の地位、差額ベットの運用予想などで「病院都合」の患者ラッキーが生じるようです。

飛行機でも客室の空き具合によっては エコノミーからビジネスに「会社都合」の変更があるとのこと。

前期高齢者のスタートで ラッキーな無料での差額ベット使用。
これから このようなラッキーがまた起こるのかも 楽しみな人生になりそうです。

posted by 小だぬき at 21:36 | 神奈川 ☁ | Comment(4) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月19日

労働時間調査削除:「働き方」法案は撤回以外ない

労働時間調査削除
「働き方」法案は撤回以外ない
2018年5月18日(金)しんぶん赤旗「主張」

 「働き方改革」一括法案に関わる労働時間の調査で大量の虚偽データが見つかった問題で、厚生労働省は、調査対象の1万1575事業所のうち2492事業所のデータに「異常値」があったとして、この部分を調査結果から削除しました。
国会で審議中の「働き方」法案づくりの基礎となった重要な調査データの2割以上が削除されるというのは前代未聞であり、法案の大前提が成り立たないことはいよいよ明白です。
「働き方」法案の今国会成立を強行するなど、とんでもない話です。
安倍晋三政権は法案を白紙撤回すべきです。

統計として成り立たぬ
 問題の調査は、2013年度の労働時間等総合実態調査です。
同調査をめぐっては、1月の国会で安倍首相が、いくら働いても事前に決めた「みなし労働」分しか賃金を支払わない裁量労働制の労働者が一般労働者よりも労働時間が短いと答弁した根拠にされたため、不自然さが大問題になりました。

その後、この調査が誤りだらけの上、本来比較できないデータを比べるというねつ造も発覚、安倍政権は3月、「働き方」法案から裁量労働制の拡大を削除する事態となりました。

 労働時間調査について厚労省は、裁量労働制の部分は3月に撤回、一般労働者の分については「精査」を続け、今回その結果をようやく発表したものです。
その内容は、労働時間調査がいかにずさんだったか浮き彫りにしています。  

「精査」では、一般労働者のデータで1日の残業が45時間などありえない数値が多数見つかりました。
再集計の結果、一般労働者の「平均的な者」の年間残業時間は、78時間30分から65時間51分へ12時間以上も短くなりました。
一般労働者の残業時間を長く見せかけようとした意図が透けてみえます。

 調査対象の2割を超える調査結果を削除すること自体が、統計全体としての信頼性・信ぴょう性を根本から失わせています。
調査結果について安倍政権が「統計として一定の姿になっている」(加藤勝信厚労相)と居直り、「働き方」法案成立を推し進めようとしていることは、あまりにも無反省です。
 この調査は、裁量労働制の拡大だけでなく、「高度プロフェッショナル制度」(「残業代ゼロ」制度)を柱とする「働き方」法案づくりの大本となった資料です。
厚労省の労働政策審議会では、同調査を使って法案の議論を続けてきた経過があります。
その元データがでたらめだった以上、法案そのものを引っ込める以外にありません。  

「働き方」法案の国会審議では、野党議員の追及で、残業時間の「上限規制」は抜け穴だらけで歯止めがないこと、「高プロ」制度が労働時間短縮にも「生産性向上」にもつながらず、政府の口実が通用しないことなど重大な問題が次々と明らかになっています。
過労死をまん延させ、働く者の命を危険にさらす「働かせ方」大改悪法案を絶対に許すわけにはいきません。

世論と運動を広げて
 安倍政権は、「働き方」法案を衆院厚労委員会で採決する動きを強めています。
「森友・加計」問題などにフタをしたまま、悪法を強行することなど論外です。
世論調査でも今国会成立は「必要がない」が68・4%(共同通信)と多数です。
世論と運動を広げ徹底審議で廃案に追い込むことが急務です。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月20日

日本は「欠陥ある民主主義国」

メディア時評
日本は「欠陥ある民主主義国」
毎日新聞2018年5月3日 東京朝刊

江上能義・早稲田大名誉教授

 森友学園への国有地売却問題と加計学園の獣医学部新設問題を巡り、国会では1年も空転が続いている。
他にも審議すべき重要課題があるだろう、うんざりだ、という声も聞かれる。
だが、これだけ時間をかけても、真相が明らかになるどころか、疑惑は深まる一方である。

その根源は政府の隠蔽(いんぺい)体質と、国権の最高機関である国会の軽視にある。
 公文書を勝手に書き換えたり、記録文書の事実を自分の都合が悪ければ、平気で否定したりする官僚たちの言動は目に余る。
一方、国会では佐川宣寿・前国税庁長官の証人喚問が行われたが、「刑事訴追の恐れがある」として証言拒否を繰り返した。これでは何のための証人喚問なのかわからず、真相究明が進まない大きな理由の一つとなっている。

喚問直後の各紙の世論調査からみても、佐川氏証言や安倍晋三首相の説明に国民が納得していないことは明白だ。

 国会は主権者である国民を代表して行政をチェックする役割を十分に果たせなくなっている。
国会議員たちは危機感を持っているのか。
 毎日新聞の世論調査によると「安倍首相に責任がある」が64%、安倍首相は自民党総裁を「代わった方がよい」が59%(4月23日朝刊)と、どんなに隠そうとしても、安倍首相に最大の責任があることを国民は十分、認識している。

 議会政治の基本原理の一つは、行政監督権の確立を通じて、行政の全てが議会に対して公開され、その責任者は不信任あるいは弾劾などの批判に従うことである。
この原理に照らしても、安倍政権の強権的な隠蔽体質が議会政治を機能不全に陥らせ、我が国の民主主義を危機に追いこんでいることが明らかである。

 国民の知る権利は民主主義の生命線であり、隠蔽体質は民主主義を腐食させ、死滅させる。
メディアは基本原理に立ち返って、安倍政権の反民主主義的な体質をもっと検証すべきである。
ちなみに英誌「エコノミスト」調査部門の民主主義指数によれば、日本は2015年度から「欠陥ある民主主義国」に転落している。
(西部本社発行紙面を基に論評)
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2018年05月21日

麻生大臣が致命的な「問題発言」を繰り返す理由が分かった

麻生大臣が致命的な
「問題発言」を繰り返す
理由が分かった
圧倒的に欠如している2つの力
2018.5.16 現代ビジネス

原田 隆之 筑波大学教授

繰り返される問題発言
前財務次官のセクハラ問題を受けて、麻生財務大臣の発言がたびたび物議を醸している。
例えば、既に財務省がセクハラを認定した後になっても、
「(福田氏)本人が、ないと言っている以上、あるとはなかなか言えない」
「はめられた可能性は否定できない」
「セクハラ罪という罪はない」などと、平気で暴言を繰り返している。

発言の一部は、後になって撤回、謝罪したが、自民党のなかからも批判が噴出している。
また、問題発言の撤回や謝罪は、麻生大臣の「お家芸」のようなもので、これまで何度も繰り返しているのに、まったく過去の失敗から学んでいないようだ。

このような発言をするのは、当然、女性に対してのゆがんだ認識、ハラスメント行為や人権に対しての浅い認識があるからであって、そうした自分の問題を改めようという姿勢もないようだ。
事実、財務省で幹部対象に実施されたセクハラ研修にも大臣の姿はなかった。

発言内容を分析してみると… ここに挙げた問題発言を分析すると、いろいろな特徴が見えてくる。
まず、最初の2つの発言であるが、本人は福田氏を弁護するつもりで、あるいは多様な見方があることを示すつもりでの発言だったのかもしれず、本人なりにいろいろと考えてはいるのだろう。
しかし、そこに決定的に欠如しているものがある。
それは、「共感性」である。
共感性とは、他者の感情を思いやって、それを共有する能力のことをいう。
こんなことを言えば、聞いている人は何を思い、どう感じるのか、とりわけ被害者はどう感じるのか、こうしたことに思いを馳せることのできる能力のことだ。
この能力があれば、あのような暴言は出てこないだろう。

一方、これらの発言を聞いて、不快に思ったり批判をしたりしている多くの人々は、共感性が働いたからこそ、自分とは直接関係がなくても、その発言内容のあまりの酷さに唖然とするのである。
そして当人は、そのことを周囲から批判されても、まったく理解していないかのような顔つきである。
だから、同じ過ちを繰り返すのであるが、いくら言葉で伝えても、心に響いていない様子である。
まさに、右から入って左へと抜けているような有様である。

「セクハラ罪はない」発言
さらに、「セクハラ罪はない」という発言であるが、その後しぶしぶ謝罪したものの、当初は批判を受けても、本人は「事実を述べただけ」と強弁を続けていた。
ここにも共感性の欠如は如実に現れている
たしかに事実を述べただけかもしれないが、それに対して受け取った人がどう感じるかという視点がまったく抜け落ちているのである。

当たり前のことだが、事実であれば何を言ってもいいわけではない。
そこには、共感性欠如に加えて、未熟な幼児性とも言える問題が指摘できる。
子どもは、平気で相手の身体的欠陥をあげつらって笑いものにしたり、「言っていいこと」と「悪いこと」の区別がつかず、人前で口にすべきでない言葉を大声で述べて、親をハラハラさせたりする。

例えば、小学生が「ウンコ」などと言って大笑いしている姿は、いつの時代にも見られる幼稚な言動である。
しかし、成長につれて、親のしつけが内面化され社会化が進み、周りの反応などを敏感に察知する能力も身につけて、こうした発言がなくなっていく。
これが、大人が身につける分別であり、良識というものだ。
大人が人前で「ウンコ」と言ってみろと言われたら、不安や羞恥心を抱くだろう。

現に、この原稿を書いている私もそのような気持ちを感じながら書いている。
「事実を述べただけ」と開き直って強弁する姿には、「嘘じゃないもん。だって本当なんだもん」などと言って、親の言うことをきかない未熟な子どもの姿を重ねてしまう。
ハラハラして不快になっているのは周囲のみで、本人はそれを感じていないのだ。

共感性とは何か
では、共感性について詳しくみていきたい。
先に簡単に定義したように、一言で言えば他者の心情を思いやる力のことを共感性という。
しかし、共感性には2種類あり、この区別は重要だ。

1つは、「認知的共感性」である。
これは、相手の気持ちを頭で理解することのできる能力を言う。
よく国語の問題などで、「この主人公はどのように感じていたでしょうか」などと問われることがあるが、これは認知的共感性を育むための教育である。
つまりこれは、言葉、表情、しぐさなどから、相手の気持ちを推論する能力である。
心理学では「こころの理論」とも呼ばれており、自閉症児などではこの能力に問題があるケースがあるが、教育や治療によって育てることが可能である。
いわゆる「忖度」もこのタイプの共感性である。

もう1つは、「情緒的共感性」である。
これは、相手の心情を頭で理解するだけではなく、それを追体験し、同じように感じ取る能力のことである。
ドラマを観て、登場人物に自分を重ねて感動したり、事件事故の被害者に思いを馳せて涙を流したりするのも、情緒的共感性ゆえのことである。
情緒的共感性の働きは、社会生活や対人関係においてきわめて重要である。
この能力があるからこそ、いたずらに他人を傷つけることなく、円滑な関係を発展、維持することができる。
また、誰かが困っているときには心の支えになったり、話を聞いて共に悩んだり、喜んだりすることもできる。

麻生大臣のこれまでの発言や、批判に対する対応などを見るとき、これらの双方が欠如していると言わざるを得ない。

 なぜ共感性が欠如しているのか
さて、ここからは一般論であるが、共感性の欠如はなぜ生じるのだろうか。
まず、認知的共感性であるが、これは成長とともに、親のしつけや教育、友人関係などのなかで「学習」していくものだ。
これが、「理性的な関所」となって、自分の発言をチェックするように働く。
しかし、イスラエルの心理学者でノーベル賞受賞者のダニエル・カーネマンが言うように、その働きは、咄嗟のときや、疲労、アルコールなどの影響下では減退しやすい。
こうしたときに、失言が出やすくなる。

また、そもそもこのようなしつけや教育がなされていないケースもある。
親が放任していた場合や、無神経な発言をしてもそれが許される環境で育ったような場合も、認知的共感性は育たないだろう。
そのような人は、自分本位の一方的な物の見方しかできず、常に強者の立場で、強者の論理に立った言動を取りがちである。

「理性的な関所」、すなわち認知的共感性は、脳の中の前頭前野と呼ばれる部位にその座があり、ここに障害や機能不全であったりする場合、十分に作用しないことが考えられる。

そして、もう1つの情緒的共感性であるが、これに関連する部位は、前頭前野の下部に位置する眼窩部と呼ばれる皮質である。
ここは「温かい脳」とも呼ばれ、良心や感情に関連した働きをする。
さらに、脳のもっと奥にある大脳辺縁系と呼ばれる部位に位置する扁桃体という小さな構造物も、情動の調節をする機能がある。
これらの部位に何らかの異常や機能不全があったとき、温かい人間的な感情の発露が見られなくなる。
言葉は理解しても、心に響かないというのは、こうした異常を反映している。

共感性が育つしくみ
子どもが誰かを傷つける言動をした場合、親や教師から叱責を受ける。
また、友達仲間から非難されたり、相手に泣かれたりすることもある。
こうした場合、本人は少なからず動揺する。
また、強く叱責されると、心臓の鼓動が高まり、大きな恐怖や不安を抱く。
このように、自分の言動によって、ネガティブな結果が伴うと、以後、その言動を慎むようになる。
これが、基本的な人間行動の原理であり、「学習」と呼ばれるプロセスである。

つまり、失敗から学んで思慮分別のある大人になっていく。
このプロセスで重要なことは、不適切な言動は、心拍の増加や不安感情などとペアになって学習されるということである。
たがって、そのあと、同様の言動が頭に浮かんだとき、心拍が増加し、不安を抱くので、それが行動のブレーキとなる。
つまり、それが「感情的な関所」として働くようになる。

われわれが、他人を傷つける言動を慎むのは、頭で「いけない」とわかっているからという理由(理性的な関所)もあるが、そのような言動をすることに対する不快感や不安のような感情が作動するから(情緒的な関所)でもある。
かつて、われわれの正しい判断には、理性的で冷静な脳の働きが重要で、感情はそれらの邪魔をするものだととらえられていた。
しかし、ポルトガルの神経科学者アントニオ・ダマシオは、人間の行動には、「感情に基づく判断」も重要な役割を果たすと考え、これを「ソマティック・マーカー(生理的信号)仮説」と呼んだ。
われわれが、他人を傷つけるような言動に出ようとしたとき、不安や心拍亢進のような生理的信号が生起し、それがブレーキとなる。
しかし、前述の眼窩部や扁桃体、あるいは心拍などを調節する自律神経系の機能異常がある場合は、これらが適切に働かない。
すると、何のためらいもなく、無配慮で相手を平然と傷つける言動を繰り返すことになる。
これは、うっかりによる「失言」とは質が違う。
そして、そのことで失敗をしたり、周りから誹りを受けたりしても、感情的な動きが伴わないので、学習できずに、同じことを懲りもせずに繰り返してしまう。
つまり、このタイプは失敗から学べないので、治らない。

ハラスメントに対抗するために
これからの「正義」について
プラトンにしても、アリストテレスにしても、正義を理性の問題としてとらえていた。
しかし、繰り返される不正義のなかには、感情の不全による問題が大きいことがわかってきた。
あらためて、正義とは、単に理性の問題ではなく、感情の問題でもある。

ハーバード大学の政治哲学者マイケル・サンデルは、その著『これからの「正義」の話をしよう』の中で、
「民主的な社会での暮らしのなかには、善と悪、正義と不正義をめぐる意見の対立が満ち満ちている」と述べ、
「では、正義と不正義、平等と不平等、個人の権利と公共の利益が対立する領域で、進むべき道を見つけ出すにはどうすればいいのだろうか」と問いかける。

そしてその解決として、まず自らの正義に関する見解を批判的に検討すべきであることを提唱する。
さらに、従来の理性的な正義感ではなく、「美徳」を涵養することと「共通善」について判断すること重要性を説く。
これは、私なりに解釈すると、正義に対する感情を育てること、個々の相違や不一致を受け入れることのできる共感性を育むことと言い換えることができる。

しかし、既に述べたように、理性的な共感性や正義感を育むことには、教育はある程度の成功を収めてきたが、情緒的共感性や「感情的正義感」については、まだ議論が始まったばかりである。
さらに、現時点の神経科学による見通しは、悲観的である。

とはいえ、繰り返されるハラスメントや無神経発言に対抗するために、これからの「正義」の話をするとき、感情的正義感」という概念は、間違いなく重要なキーワードになってくるだろう。
さて、麻生大臣であるが、5月14日には国会でセクハラ問題に関して、初めて被害女性に陳謝した。
続いて、15日には閣議後の記者会見で「大臣としてセクハラを認定した」旨発言した。

これが世論の反発を受けての、しぶしぶの発言なのか、それとも情緒的共感性や感情的正義感に基づく真摯な発言なのか、今後の言動に注目していきたいものである。
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2018年05月22日

「人と考え方が違う」のを恐れてはいけない

「人と考え方が違う」のを

恐れてはいけない

独創的な考えは猛烈な抵抗を受ける

2018年05月09日 東洋経済


スコット・バリー・カウフマン : 心理学者


2014年3月、「ハフィントンポスト」のシニアライター、キャロリン・グレゴワールが書いた1つの記事が爆発的ヒットとなった。

そのタイトルは「創造性の高い人がやっている18のこと」。

クリエイティブ思考の人々の習慣を探ったこの記事は瞬く間にシェアされ、フェイスブックの「いいね!」は50万にも上った。 このことは、効率化や生産性向上ばかりが議論される時代において、創造性の重要性を改めて認識させる契機となったと言える

この記事の基となった研究を行っている

ペンシルベニア大学の心理学者、スコット・バリー・カウフマンとグレゴワールの新著『FUTURE INTELLIGENCE これからの時代に求められる「クリエイティブ思考」が身につく10の習慣』から、実際にクリエイティブ思考を持っている人たちの習慣をいくつか紹介しよう。


偉業に不可欠な要素は?

クレイジーな人々がいる。

厄介者、反逆者、トラブルメーカー。

四角い穴に丸い杭を打ち込むように、物事をまるで違う目で見る人々だ。


――1997年、アップルの広告 アップルが1997年に展開した「Think Different.(物の見方を変えよう)」キャンペーンは、宣伝史上最もクリエイティブで、最も成功したコマーシャルの1つとして称賛されてきた。

テレビCMでは、ガンジー、マーサ・グラハム、アルバート・アインシュタイン、アルフレッド・ヒッチコックなど、因習を打破した偉大な人々の白黒映像が次々に流れた。


当時アップルの売り上げは低迷していたが、この刺激的なCMは、「アップルはイノベーションの拠点となって、クリエイティブ思考の人、独創的な思索家、テクノロジーをいち早く利用する人のための製品を作る」というメッセージを広く伝えることに成功した。 そしてこのCMは、創造性とイノベーションの心理も語っている。

すなわち、あらゆるタイプの偉業に不可欠な要素は、「人と違う考え方をする」ことなのだ。


成功者たちはつねに、伝統的な考え方を拒み、標準と権威に挑み、トラブルを厭わず、最終的に真の変化への道を開いた。


「わたしたちは信じている……人々はこの世界をより良いものに変えられるということを」。

社内の会議でこのキャンペーンのアイデアを披露したときに、ジョブズはそう言った。


芸術と科学の歴史に名を残す、偉大な人々について考えてみよう。

彼らに共通する特徴の1つは、現状に挑戦し、努力する過程でしばしば抵抗と逆境に遭遇したことだ。

また、彼らの業績は往々にして、当初は失敗というレッテルを貼られた。

しかし、彼らはアップルのコマーシャルが言うように、「人類を前進させてきた」のだ。


ある独創的な改革者を見てみよう。16世紀イタリアの哲学者にして天文学者で、数学者でもあったジョルダーノ・ブルーノだ。

彼の革新的な学説は、時代を何世紀も先取りしていたばかりか、現代科学の大きな前進を予言してさえいた。


タブーとされていた被写体に向かう

彼は、無限の宇宙と複数の世界という見方を提唱した。

それは、旧来の地球中心の天文学を否定しただけでなく、コペルニクスのモデルをも超えていた。

宇宙は固定されたものではなく「無限」だと主張し、ほかの惑星に生命が存在することを示唆したのだ。

その結果、キリスト教会と科学機関から容赦ない攻撃を受け、宗教裁判所に逮捕され、1600年火刑に処された。 つねに死の危険にさらされながらも、ブルーノは真実だと思うことを堂々と公言した。

以下の言葉はよく引用される。


数が多いというだけで、多数派と同じように考えようとするのは、志が低い証拠である。

真実は多数派が信じるか否かによって変わるものではない」。

現代アートの世界でも、伝統的なフォームやテーマを拒むことにはリスクが伴う。

たとえそれが社会の進歩につながるとしても、である。


アメリカの写真家、ロバート・メイプルソープは、自分が写真という表現方法を選んだのは、それが「今日、存在する狂気を表現する完璧な媒体だと思えたからだ」と語った。

1970年代から1980年代にかけて、彼はその時代にはタブーとされていた被写体を臆することなくカメラに収めた。

なかでも最も広く知られたのは、ゲイの欲望および、サディズムとマゾヒズムの探求だった。


メイプルソープは大衆の怒りもトラブルも恐れなかった。

彼の豪胆さは、挑発的な被写体を巨大な画面にとらえた写真の一枚一枚に反映されている。

彼は、「大きくすることは、写真をパワフルにすることだ」と言った。 もっとも「パワフル」では、言葉足らずだろう。

彼の作品、とりわけヌードや性行為を表現したものは、しばしば展示をボイコットされたり禁止されたりした。

1989年には、ワシントンDCの著名なコーコラン美術館が、予定していた彼の回顧展をキャンセルした。

フランスの写真誌は最近、彼の作品を「最も衝撃的な作品であり、実際、アートの歴史において最も危険な写真」と評した。


「クリエイティブであるには勇気が必要」

クリエイティブ思考が社会を進化させてきた過程には、パラダイムを変えるほどのイノベーションがあふれているが、禁書、文化的な戦争、芸術家の迫害といった事例も無数に見られる。

真の違いをもたらしたイノベーションのほぼすべてが、当初は、糾弾とまでは言わずとも、さまざまなレベルの抵抗に遭遇しているのだ。 アンリ・マティスは、絵画の世界を印象主義とポスト印象主義からモダニティ(現代性)へと推し進めた反逆者と呼ばれるが、自らの歩みを振り返って、「クリエイティブであるには勇気が必要だ」と語った。

ここに挙げた因習を打破した人々は真の被服従者であり、心理学者ロバート・J・スタンバーグが「新しく、少しばかり奇妙で非常識なアイデアを生み出し、促進しようとする人」と定義した人々だ。


1985年、スタンバーグらはその研究において、さまざまな職業の人に、「クリエイティブな人の核となるものは何か」とたずねた。その結果、「クリエイティブな人はリスクをとり、世の中で支持されている考え方を拒み、斬新なアイデアを支持する」という特徴が見えてきた。 大衆に逆らうには勇気が必要とされ、当然ながら大衆の意見に従うほうが簡単で気楽だ。

だが、リスクと失敗は意義ある成功を収めるには不可欠であり、それどころか、あらゆる新しい取り組みに欠かせない要素なのだ。


スタンバーグらが説明するように、いかなる分野であれ、最も独創的な貢献は、大衆におもねるところからは生まれないのである。
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2018年05月23日

豊かな人生を送るために働く

きょうの潮流
2018年5月22日(火) しんぶん赤旗


 労働者は使い捨て。昇進も昇給も望めない。

3年たてば雇い止め。

職場を転じても派遣であることに変わりはない。

人生をそのくり返しで終えるしかない


いまや全労働者の4割を占める非正規。圧倒的な貧富の格差、過酷な労働を強いられる日々の絶望感と将来への不安をかかえるなか、待遇改善を訴えた「テロ」が起きる―。

地方各紙に連載された楡周平さんの小説『バルス』です


▼「現代の奴隷制度」を描いたという小説は非正規労働の実態をリアルにあぶり出しました。

ブラック企業の過労自殺をテーマにしたのは村山由佳さんの近著『風は西から』。

実際の痛ましい事件を取り入れながら、「初の社会派小説」に挑みました


▼同じ社会で今を生きる作家が働き方を題材にする。

村山さんが本紙日曜版で語っています。

後を絶たない過労死や過労自殺のニュースに接し、「これは私が書くべきテーマだと思うようになった」と


▼国会では今週中にも安倍内閣が「働き方」改悪法案の衆院通過をねらっています。

長時間労働に歯止めのない、過労死を野放しにするような制度。

働く人の切なる願いに逆行する法案を、基データのねつ造や過労自殺隠しといった提出の資格さえないままで強行しようとは


働くために生きるのではなく、豊かな人生を送るために働く。

働き方は生き方にかかわります。

団結して立ち上がる労働者。

ブラック企業の横暴とたたかう人びと。

希望の光をともした小説の世界は現実を変えていく力をも指し示しています。
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第31回『サラリーマン川柳』大賞決定「スポーツジム 車で行って チャリをこぐ」【ベスト10発表】

第31回『サラリーマン川柳』

大賞決定 【ベスト10発表】

「スポーツジム 車で行って チャリをこぐ」
5/23(水) 10:00配信 オリコンニュース


 第一生命は23日、今年で31回目となる恒例の『サラリーマン川柳コンクール』のベスト10を発表。

栄えある大賞は、矛盾(むじゅん)を面白く詠んだ「スポーツジム 車で行って チャリをこぐ」(作者:あたまで健康追求男・60代/男性)に決定した。


 同作品は、運動するために通っているはずのジムの行き帰りは、車を使うという様子を自虐的かつコミカルに表現した作品として「まさにそのとおり!(20代)」

「あまのじゃくでクスッと笑えて共感した(30代)」

「あるあるなのにユーモラス。皮肉もあってベスト!(50代)」と年代を問わず多くの共感を得た。


 今年度は特別企画として作品を募った「健康第一部門」の効果もあり、健康を意識した作品が大賞に選出されるなど、人々の健康に対する意識の高まりがうかがえる結果となった。

そのほか、「顔認証」や「電子化」など最新テクノロジーを用いた川柳も寄せられるなど、サラリーマンの悩みもデジタル化へ。最近の潮流である「働き方改革」にちなんだ自虐ネタもベスト10にランクインした。


 毎年たくさんのサラリーマンたちの悲哀が届く同コンクール。

第31回目は、昨年9月から11月にかけて、全国の幅広い世代を対象に募集し、応募作品数は4万7559句。今年2月に全国優秀100句を発表し、それらの作品を対象に、8万4000人を超えるサラ川ファンの投票により、ベスト10が決まった。


■全国投票結果 TOP10
作品(雅号/年代/性別)


1位『スポーツジム 車で行って チャリをこぐ』(あたまで健康追求男/60代/男性)
2位『「ちがうだろ!」 妻が言うなら そうだろう』(そら/40代代/女性)
3位『ノーメイク 会社入れぬ 顔認証』(北鎌倉人/50代/男性)
4位『効率化 進めて気づく 俺が無駄』(さごじょう/30代/男性)
5位『電子化に ついて行けずに 紙対応』(トリッキー/50代/男性)
6位『「マジですか」 上司に使う 丁寧語』(ビート留守/70代/男性)
7位『父からは ライン見たかと 電話来る』(アカエタカ/60代/男性)
8位『「言っただろ!」 聞いてないけど 「すみません」』(中っ端/40代/男性)
9位『減る記憶 それでも増える パスワード』(脳活/20代/男性)
10位『ほらあれよ 連想ゲームに 花が咲く』(さっちゃん/50代/女性)


■年代別でみるサラ川ベスト3


 今回の投票結果を年代別の得票数で見てみると、年代による立場の違いが浮き彫りに。例えば、20代〜30代は「AI」や「SNS」などについていけない親世代を憂い、その親世代である40代以上は自分自身が最新機能についていけない焦りを感じている心情などが表現された。


 また、働き盛りの20代〜50代は「効率化」のプレッシャーも感じている様子もうかがえた。そのほか、年代を問わず共感を集めたのは『「ちがうだろ!」妻が言うなら そうだろう」』。いくつになっても家庭では妻へ頭が上がらないという、日常も映し出された。


▽20代・30代のベスト3
1位『「ちがうだろ!」 妻が言うなら そうだろう』(そら/40代代/女性)
2位『効率化 進めて気づく 俺が無駄』(さごじょう/30代/男性)
3位『父からは ライン見たかと 電話来る』(アカエタカ/60代/男性)


▽40代・50代のベスト3
1位『効率化 進めて気づく 俺が無駄』(さごじょう/30代/男性)
2位『電子化に ついて行けずに 紙対応』(トリッキー/50代/男性)
3位『「ちがうだろ!」 妻が言うなら そうだろう』(そら/40代代/女性)


▽60代以上のベスト3
1位『スポーツジム 車で行って チャリをこぐ』(あたまで健康追求男/60代/男性)
2位『減る記憶 それでも増える パスワード』(脳活/20代/男性)
3位『「ちがうだろ!」 妻が言うなら そうだろう』(そら/40代代/女性)
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2018年05月24日

安倍政権の「高プロ法案」強行採決を許していいのか! 実際は年収300万円にも適用可能、過労死続出は確実…

安倍政権の「高プロ法案」
強行採決を許していいのか!
実際は年収300万円にも適用可能、
過労死続出は確実…
2018.05.23  LITERA編集部

 “残業代ゼロ法案”こと「高度プロフェッショナル制度」を含む働き方改革関連法案が昨日、自民、公明、日本維新の会、希望の党による修正案の合意をえて、衆院厚生労働委員会での採決が秒読み段階に入った。

 愛媛県の「獣医学部いいね」文書の影響で採決は25日にずれ込むとの見方もあるが、一方では、政府・与党は委員会採決だけでなく、そのまま本日中に緊急上程して本会議での強行採決まで持ち込むのではとの見方まで流れている。
 周知のように、高プロは、年収1075万円以上の一部専門職を対象に労働時間の規制から除外するもので、残業や休日労働に対しても割増賃金が一切支払われないというシロモノ。
長時間労働や過労死を政府自らが進める、人間の命を極めて軽視した悪法として批判があがっている。
 当然、立憲民主党や共産党などは強く反対してきたが、政府・与党は衆院厚労委での審議が目安の30時間を満たしたとして採決に踏み切る方針を打ち出した。
しかし、そのなかには森友・加計学園問題等をめぐるずさんな政府対応から野党が審議拒否をしている最中にコッソリ審議入りさせ、空回しした時間も含まれているのだ。
結局は、数の力にものを言わせた強行採決であり、政府・与党の国民軽視の国会運営の最たるものといっていいだろう。

 そもそも、安倍首相肝いりの働き方改革関連法案は、柱の一つだった「裁量労働制の拡大」を巡って厚労省のデータ捏造が発覚。
念のため振り返っておくと、安倍首相が「裁量労働制で働く方の労働時間の長さは、平均的な方で比べれば一般労働者より短いというデータもある」と自信満々に示したデータが、実際には1日の残業時間が1カ月分より長いという異常値が大量に見つかるなど完全にデタラメだったというものだ。
また、野村不動産で裁量労働制によって働いていた社員が過労自殺していた問題でも「しっかり監督指導を行っている」(加藤勝信厚労相)などの政府答弁が嘘で、政府が過労死を見逃していた実態があらわになった。
 結果、労働裁量制拡大は法案から削除されたが、しかし、同じく過労死を招く高プロについては、政府は頑として盛り込んだわけである。

 しかし、実は、例の厚労省の“捏造データ”は、高プロの創設を議論した厚労省の労働政策審議会で「議論の出発点」として提出されていたもの。
つまり、高プロもまた捏造データから始まったものなのだ。
本来ならば法案を直ちに取り下げ、一から労政審で審議をやり直さなければならないのに、政府はゴリ押ししているのである。

ヒアリングした労働者はわずか十数人、
加藤勝信厚労相の“ご飯論法”

 しかも、政府は労働者の現状すらまともに見ようとしていない。
それはもはや、意図的に無視しているのかと思えるくらいだ。
 たとえば、3月23日の衆院厚労員会では、共産党の高橋千鶴子議員が、高プロの要件のひとつとする年収1075万円以上の労働者も2011年からの3年間で過労による労災認定が73件にものぼっている(うち過労死が27件、過労自殺が12件)というデータを示し、年収要件は過労死の歯止めにならないと指摘したが、山越敬一労働基準局長は「新しい制度でございますので、現状において実態を把握することは困難」と述べた。

また、5月9日衆院厚労委員会では、加藤厚労相が高プロの必要性について「いくつかの企業と働く人十数人から話を聞いた」と答弁したのである。  
ようするに、政府はろくすっぽ労働者の声も聞かずに、立法事実すらない状態で、長時間労働と残業代タダを可能にする高プロを推し進めてきたのである。
愕然とせざるをえないではないか。

 さらに加藤大臣にいたっては、野党からの追及に対し、分けのわからないインチキ答弁を繰り返した。
一例を挙げると、3月2 日の参院予算委では、共産党の小池晃議員が「理論的には4週間のうち最初の4日間さえ休ませれば、残りの24日間は24時間ずっと働かせることができる」と法案の欠陥を指摘、「私の言ったことが法律上、排除されていますか」とただしたのだが、加藤厚労相は「あくまでも本人が自分で仕事を割り振りして、より効率的で自分の力が発揮できる状況をつくっていくということ」と、まったく答えにならない答弁で逃げたのである。

 加藤大臣はこの間の審議で常時、このようなのらりくらり作戦を徹底しており、もはやまともに答える気がないのは明々白々だが、こうした厚労相の答弁には、ネットを中心に「ご飯論法」なる造語まで広がる始末だった。

 「ご飯論法」とはどういうことか。
たとえば、例の厚労省の捏造データを暴いた上西充子・法政大学教授は、
「Yahoo!ニュース 個人」(5月20日)で、〈論点ずらしによってあたかも「そういう仕組みになっていない」かのように答弁した〉と指摘。
そのたとえとして、「朝ごはんは食べなかったんですか?」という質問に、本当は朝食としてパンを食べていたにもかかわらず「(パンなのでお米である)ご飯はたべていません」と答えるような詐術であると喝破している。

 まさに言い得て妙で、高プロをめぐる政府側の答弁は本質を突かれてもそれに答えず、子供騙しのようなごまかしを繰り返すものだった。
ところが、テレビなどのマスコミは、こうしたトンデモな政府答弁をほとんど取り上げることはない。
巷間でも、高プロが「一部専門職」で「年収1075万円を上回る人」が対象とされているため、自分には関係ないと思っている人が少なくない。
 だが、それは大きな間違いだ。
高年収層でも過労死のリスクが減らないのは前述の通りだが、この年収要件そのものにもトリックが仕込まれている。

 すでに労働問題に詳しい佐々木亮弁護士(ブラック企業被害対策弁護団代表)が指摘してきたことだが、まず「年収1075万円」というのは「見込み」でしかない。
そして、高プロによって労働時間の規制がとっぱらわれることで、たとえば理論上、1日の労働時間を17時間に設定して、労働者の休憩時間を「欠勤控除」として給料から差し引くなどすれば、実質的には年収300万円代の労働者も「年収1000万円超の見込み」にすることができるのである。

高プロ法案が成立したらほとんどの人が“働かされ放題”に  しかも、いったん法律が成立してしまえば、その後に年収要件や対象職種は国会審議の必要ない省令等でいくらでも拡大できる。
そもそも、裁量労働制拡大や高プロ導入は経済界の強い要望からなるものだが、経団連の榊原定征会長は2015年に「制度が適用される範囲をできるだけ広げていってほしい」と語っていた。
また同年には、当時の塩崎恭久厚労相が経済界の会合で「(法案は)小さく産んで大きく育てる。とりあえず通すことだ」などと述べている。

 もともと限定的業種のみを対象にしていたはずの労働者派遣法がいまではほとんどの業種に拡大適用されたように、このまま働き方改革法案が通れば、いずれはすべての人が“働かされ放題”になるのは火を見るよりも明らかだ。
 他にも、この一括法案では高プロだけでなく、「時間外労働の上限規制」も問題視されている。
一見、残業の時間を法規制するというのは労働者を守るように思えるが、実際の法案では、繁盛期の上限は「月100時間」とされており、これは労災認定の目安になる過労死ラインと同じだ。

ようするに、この法案には労働者の目線が一欠片もなく、完全に使用者側=経済界の利益だけを追及する内容になっているのである。
 こうした欠陥だらけの高プロと上限規制を中心とする働き方改革法案に対しては、野党だけでなく、家族を過労で亡くした遺族たちも強く反対の声をあげている。
過労死遺族の人たちでつくる「全国過労死を考える家族の会」は、昨日、官邸前で法案に反対する座り込みの抗議をおこなった。
「過労死を考える家族の会」は安倍首相に面会を求めてきたが、いまだに返答はないという。

 衆院厚労委員会の参考人招致では、同会の代表世話人であり、自身も夫を過労自殺で亡くしている寺西笑子さんが、このように訴えた。
「そもそも働き方改革の関連法法案は、安倍総理大臣が委員長になり、政府主導で推し進めてきたものです。
(中略)先進国日本と言われている、その政府の先頭に立っている方が、まさか命に関わる法案を、丁寧な審議をせず、過労死遺族の声を聞かず、教訓を学ぼうとしない。
世論の大半が反対している法案を強行採決するという暴挙は、やめてください」

 安倍政権が謳う「働き方改革」とは、経済界だけに尻尾を振って、人々を過労死させる“働かせ方”に突き進むものだ。
こんな法案は決して通させてはならない。
野党は何が何でも強行採決を阻止するべきだ。 
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2018年05月25日

町内会や自治会って何をする組織なの? 気になる疑問をぜんぶ聞いてきた!

町内会や自治会って何をする組織なの?
気になる疑問をぜんぶ聞いてきた!
2018/05/24 マイナビニュース(山田井ユウキ)

●ゴミの収集場所を決めているのは実は……
町内会や自治会という言葉を聞いたこと、ありますか?
町や地域の人たちが集まって作った組織や団体のことで、その場所で住んでいる人たちが加入してさまざまな活動を行っています。
とはいえ、町内会や自治会が実際にどんな活動をしているのか、よくわかっていないという人も多いのでは。

「引っ越したら入らないといけないのか」「加入したらいろいろ大変なんじゃないか」など……疑問は尽きません。
そこで今回、町内会や自治会について研究をされている首都大学東京の玉野和志教授に詳しいお話を伺いました。

――そもそも町内会や自治会といった組織がなぜ生まれたのでしょうか。

玉野教授「現在のような町内会や自治会は、その地域に住んでいる人が全員加入することを前提にしています。
これは世界的に見ても珍しい仕組みです。
こうした組織が生まれたのは、大正や昭和といった近代になってからのことです」

――意外に歴史が浅いのですね。その時期に何かあったのですか?

玉野教授「大正時代は都市化の時期で、都市部へたくさんの人が流入しました。
すると、それまでと異なり、隣に誰が住んでいるのかわかりにくくなってくるわけです。
そうした不安を解消するために、町内会や自治会が組織されていきました。
日頃から親睦を深めることで、ある意味自分の身を守ろうとしたんですね。
私はこれを、共同防衛と呼んでいます

――なるほど。隣人が誰なのかわからないという不安を払拭するためだったんですね。

玉野教授「戦時中はこれが『隣組』という形で、国家の末端組織として機能したわけですが、戦争が終わるとGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により解散させられます。
戦争に協力した組織、とみなされたのです」

――でもその後、復活したと。

玉野教授「ええ。共同防衛という観点から、そういった組織はむしろ戦後こそ必要だったし、住民が自ら地域活動を行う分には行政からしたらありがたいですからね。
70年代くらいからは行政が推奨するようになったし、阪神淡路大震災あたりからは、公然と『自治会に入りましょう』と言うようになりました。
GHQに禁止されていた時代を知っている世代にとっては驚きだったようです」

――よくわかりました。現代の町内会や自治会の活動とはどんなものなのでしょう。

玉野教授「まず、盆踊りや夏祭りといった親睦事業があります。
これは先ほどの共同防衛の観点がもとになっています。
日頃からお互いによく知り合って、仲良くしましょうというわけです。
それから防災訓練、そしてゴミの収集場所の決定ですね」

――ゴミを出す場所も町内会が?

玉野教授「はい。ゴミの収集場所は、町内会や自治会が行政と相談して決めている場合が多いんですよ。
自分の家の前がゴミ置き場になるのは、嫌がる人が多いでしょう?」

――嫌ですね……。

玉野教授「行政が一方的に場所を決めると、揉めるんですよ。
行政には文句を言いやすいですからね。
ですから行政は『地域のみなさんで決めてください』と言うわけです。
『みんなで決めた』なら文句も出にくいですからね。」

――なるほど! ところで、町内会や自治会に入るのは義務なのですか?

玉野教授「町内会・自治会は民間の組織ですから、強制力はありません。
ですから入っても入らなくても問題はありません」

――そうでしたか!

玉野教授「ただ、町内会や自治会の立場からすると、全戸加入でないと意味がないですけどね。
そうでないと共同防衛になりませんから」

●賃貸でも町内会に入るべき?
――正直、賃貸マンション暮らしでいつ別の地域に引っ越すかわからない身としては、今のお話を聞いてもなお町内会に入りたいとはあまり思えないのですが、町内会・自治会に入るメリットにはどんなものがあるのでしょうか?

玉野教授「メリットと言われると正直難しいですね。
いざ、というときのために近所の人とは仲良くしておいたほうがいい、ということでしょうか。
たとえば被災した場合などはご近所付き合いがあるほうが助かるでしょう」

――それはたしかに。

玉野教授「単身の高齢者であれば孤独死を防ぐことにもつながるかもしれません。
町内会・自治会に入っておくことは、将来、何かあったときのための投資でもあるんです」

――ただ、今は入らない人も多いのですよね?

玉野教授「多いですね。それが今の町内会・自治会の抱える大きな課題です」

――なぜ入る人が減ったのでしょう。

玉野教授「昔はマンションが建つなど新しい住民が入ってきたときには、町内会の人が1軒1軒回って加入を勧めていたんですよ。
ただ、町内会や自治会の人手が少なくなり、高齢化も進んだせいで、それがなかなか難しくなっています。
最近では賃貸マンションなどは回らないことも多くなりました」

――分譲はまだしも、賃貸マンションの住人はまた引っ越していなくなるかもしれませんしね。

玉野教授「賃貸住宅に住んでいる人も、向こうから来ないのにわざわざ自ら町内会や自治会を探して入ろうとする人は少ないでしょう」

――それはそうですね。

玉野教授「そういう事情もあり、以前は8割以上が加入していたような郊外の町でも加入率はどんどん下がっています。
それから、タワーマンションが増えたことも影響していますね。
タワーマンションは人も多いですし、マンション内に自治会を持っていたりしますから」

――そういう意味では地域単位ではなく、建物単位になりつつあるとも言えるわけですね。
衰退というよりも"あり方"が変わりつつあるという。

玉野教授「ただ、そこでも全戸加入と言うとなかなか難しいですね。
近所付き合いを避けるためにマンションに住んでいるという人もいますから」

――ちなみに、きちんと機能している町内会を見分ける方法はありますか?

玉野教授「新たな住民がやってきたら、家まで誘いにきてくれる町内会は機能していると言えると思いますよ。
組織自体にそれだけ体力があるということですから。
あとは、町内会の仕事を輪番でちゃんと回しているところですね。
逆に気をつけたほうがいいのは、仕事を平等に回さず、特定の誰かに任せっきりになっている町内会でしょう」

――なるほど。「勧誘に来てくれるかどうか」というのはわかりやすい見分け方ですね。
どうもありがとうございました!

町内会・自治会の役割や仕事、加入することの意義について伺ってきました。必ずしも加入は義務ではないとのことですが、今後長くその場所で暮らしていくことを考えるなら、地域ぐるみのお付き合いという意味で加入する、というのも1つの安心材料になりそうです。
とはいえ、機能していない町内会・自治会もあるようですので、そのあたりはしっかり見極めておきたいですね。


玉野和志教授プロフィール
首都大学東京・人文科学研究科教授。
専攻は地域社会学、都市社会学で、町内会・自治会やNPO・ボランティアといった、地域生活や市民活動の社会学的な調査・研究に従事している。
著書に「東京のローカル・コミュニティ」「近代日本の都市化と町内会の成立」「実践社会調査入門」など。
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2018年05月26日

安倍政権がデタラメ「働き方」法案強行採決

暴挙! 安倍政権が
「働き方」法案を強行採決、
今日もデータのデタラメ発覚
したのに!安倍首相は経団連と祝杯
2018.05.25 LITERA編集部

 正気の沙汰ではない。
先程、衆院厚生労働委員会で「働き方改革」関連法案が自民、公明、日本維新の会らの賛成によって強行採決されたが、なんと、きょうも労働時間にかんするデータで二重集計がおこなわれていたことが発覚したのだ。
 この労働時間にかんするデータについては異常値が次々に判明し、恣意的な捏造が指摘され、安倍政権は「働き方改革」関連法案から「裁量労働制の拡大」を削除するにいたったが、その後も今月15日には厚労省が約2割の事業所データを削除したばかり。

だが、この残りのデータにも異常な点があると立憲民主党の長妻昭衆院議員らが指摘していた。
 そんななか、昨日、委員長職権によって本日の衆院厚労委員会での質疑終局と採決をおこなうことが決定。
捏造データ問題の精査も不十分、かつ加藤勝信厚労相がのらりくらりと質問をはぐらかす「ご飯論法」(過去記事参照)による時間の浪費でまったく十分な審議がおこなわれていないというのに、強引に採決してしまうことを勝手に決めたのだ。

 これだけでも不当な委員会運営と言わざるを得ないが、驚くのはこのあと。
今朝の衆院厚労委理事会で、長妻議員らの指摘を認め、6事業所で二重集計していたと報告をおこなったのだ。
 このデータは、「高度プロフェッショナル制度の創設」を議論した厚労省の労働政策審議会で「議論の出発点」として提出されていたもの。
本来ならば、裁量労働制とともに「高プロ」も法案から削除し、一から労政審で審議をやり直すのが筋だ。
にもかかわらず安倍政権は「高プロ」をゴリ押しし、その上、データの問題点を認めたその日のうちに、再精査を拒否、そして法案を強行採決してしまったのである。

 数の力によって、デタラメとしか言いようがないデータの上に成り立つ法案さえ押し通す──。
森友・加計問題でも安倍首相は平気で嘘をつき、公文書を改ざん・破棄して国会を1年以上も国会と国民を愚弄しつづけているが、この法案でも「どうにでもできる」という権力を笠に着た傲慢さを露わにしたのだ。

 だいたい、安倍首相は「過労死、過労自殺の悲劇を二度と繰り返さない」「働き方改革によって長時間労働を是正し、過労死を防ぐ」などと言ってきた。
だが、法案では「時間外労働の上限規制」は繁忙期で上限が「月100時間」、平均「月80時間」とされており、月80時間の「過労死ライン」を超えるもの。
さらに、法案を“定額働かせ放題”“残業代ゼロ”を実現する高プロ創設を抱き合わせにするという暴挙に出た。
つまり、この法案の実態は、「過労死を防ぐ」どころか、過労死を助長する「働かせ方改革」になっているのだ。

 実際、安倍首相は、「悲劇を二度と繰り返さない」と何度も口にしてきたのに、「過労死を防ごう」という姿勢がまったく見られない。
 安倍首相は昨年2月、過労自殺した電通の高橋まつりさんの母親と面会し、まつりさんとの思い出話を「首相は涙ぐみながら聞いた」と報じられ、長時間労働の是正を「なんとしてでもやります」と述べたという。
 ところが先日、「高プロ」強行採決が迫るなか「全国過労死を考える家族の会」が安倍首相との面談を希望すると、安倍首相はこれを拒否。
23日におこなわれた衆院厚労委員会では、過労死遺族が傍聴するなか、国民民主党の柚木道義議員が「直接、安倍総理とお会いしたいとおっしゃっているんです。
加計理事長と同じ15分でも、せめて15分でも会えないんですか」と安倍首相に訴えた。
 だが、安倍首相は質問されているのに答弁に立たず、加藤厚労相が面会の話とは違う答弁をはじめる始末。
その上、安倍首相は「柚木議員の話は、まるで高プロを導入すると、過労死が増えるかのごときのお話」などと言い出したのだ。
家族の会も高橋まつりさんの母親も、過労死防止に逆行するとして高プロ創設に反対を表明しているなかで、である。
 つまり、安倍首相は、高橋まつりさんの過労自殺を「働き方改革」の宣伝として使い倒し、時間外労働の上限規制と高プロ創設をセットにすることで本質をはぐらかした。
過労で死に追い詰められたまつりさんの事件を、過労を合法化するために利用したのだ。
そして、そのことに批判が高まると、面会を拒絶する──「人でなし」としか言いようがないだろう。

 しかも、こうした安倍首相の冷酷さは、家族の会との面会を拒否した23日の行動によく表れている。
首相動静によると、この日の夜、安倍首相は18時28分から20時51分まで、銀座の料亭「東京吉兆」で、経団連の今井敬、御手洗冨士夫・両名誉会長らと会食をおこなったのである。
 そもそも高プロの創設は経団連の宿願だ。
2005年には高プロの前身であるホワイトカラーエグゼンプションの創設を提言したが、これを執拗に求めてきたのが御手洗名誉会長だ。
この夜、高プロの創設が目前に近づき、安倍首相はその報告をかねて、経団連のお歴々と祝杯をあげたことは想像に難しくない。
 そして、忘れてはいけないのは、その経団連は当初、高プロの対象を「年収400 万円以上」と提言していたことだ。
現在の案では「年収1075万円以上」となっているが、2015年に塩崎恭久厚労相(当時)が経済界の会合で「(法案は)小さく産んで大きく育てる。
とりあえず通すことだ」などと述べていたように、法案を通したあとに年収要件や対象職種が拡大していくことは必至。
いずれはすべての人が“働かされ放題”になろうとしているのだ。

 きょうの衆院本会議では、委員会採決を延期にもち込もうとして、立憲民主党の西村智奈美議員が2時間を超えるフィリバスターを決行した。
しかも、その中身はたんなる引き延ばしなどではなく、この間の審議がいかに不十分か、問題点を政府がいかに無視してきたかをひとつひとつ浮き彫りにしていくものだった。
今国会で通してしまえるような法案では、まったくないのだ。

 今後、衆院本会議に法案は送られ、参院での審議がはじまるが、この法案がどれほど重大な危険性を孕んでいるのかをアピールして世論を盛り上げる必要がある。
廃案しかない。 (編集部)
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2018年05月27日

国民はもう唖然ボー然「総辞職」すべき政権が「強行採決」

国民はもう唖然ボー然
「総辞職」すべき政権が
「強行採決」
2018年5月26日 日刊ゲンダイ

 いったい、サラリーマンの命をなんだと思っているのか。
 25日の衆院厚生労働委員会。
「質疑は終わっていない!」――と野党が委員長席に詰め寄るのを無視して、安倍自民党は審議を一方的に打ち切り、数の力で「働き方改革法案」を強行採決してみせた。
来週29日、本会議で衆院を通過させて参院に送り、なにがなんでも6月20日の国会会期内に法案を成立させるつもりだ。

「働き方改革」の柱は、専門家が「これは過労死促進法だ」と危惧する「高度プロフェッショナル制度」(高プロ)の新設である。
「高プロ」は、悪名高い「裁量労働制」の親玉みたいなものだ。
法案が成立したら、過労死したり、過労自殺するサラリーマンが続出するのは間違いない。
なにしろ、休憩や深夜労働まで含め、労働時間規制がすべて外れるトンデモナイ制度である。

いまでも日本のサラリーマンは働き過ぎなのに「高プロ」を適用されたら、ヘトヘトになるまで長時間労働を強いられるのはハッキリしている。
「裁量労働制」は、労働時間と関係なくあらかじめ“労使”で決めた業務を完遂するというものだ。
適用されているサラリーマンの多くが、休みなく働かないと終わらない業務量を課されている。

 つい最近も「裁量労働制」を適用されていた28歳の男性サラリーマンが、くも膜下出血で死亡し、今年4月、労災認定されていたことが明らかになった。
本人も過労を自覚していたのだろう。
SNSに<身体の疲れ方が尋常じゃない>
<ねむい。13時から翌日の18時までってなんなん>
<仕事終わるまであと22時間>と吐露していた。

 よくも、安倍自民党は、これほどヒドイ制度を強行採決できたものだ。
「いくらなんでも強行採決はムチャクチャです。
まだ、本格審議から2週間しか経っていない。
しかも、法案の根拠となったデータから次々に“異常値”が見つかっている。
きのうも新たなミスが見つかった。
世論調査でも、60%が『この国会で成立させる必要はない』と答えています。
なぜ、欠陥法案を強行成立させようとしているのか。どうかしています」(法大名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)

「高プロ」は、年収1075万円以上の一部専門職に適用するとしているが、いずれ適用範囲が拡大されるのは目に見えている。
 いまごろ、国民は唖然としているのではないか。
 薄汚れた政権が、サラリーマンの「働き方」を決めようとしているからだ。

本来、疑惑にまみれた安倍内閣は、とっくに「総辞職」しているのが当たり前である。
 森友事件も、加計事件も、疑惑はなにひとつ晴れていない。
むしろ、疑惑は深まる一方だ。
 森友事件は、やっぱり安倍夫妻が深く関わっていたことが明らかになっている。

 財務省が提出した交渉記録には、昭恵夫人付職員だった谷査恵子氏からの照会として、「(学園側から)優遇を受けられないかと総理夫人に照会があり、当方からお問い合わせさせていただいた」との発言が記されていた。
 そもそも、安倍夫妻を守るために「公文書」が改ざんされただけでも、責任をとって退陣するのが当たり前である。
改ざんを強制されたノンキャリアは自殺までしているのだ。
 なのに「総辞職」どころか、サラリーマンを苦しめる法案を「強行採決」しているのだから、ふざけるにも程がある。

「安倍政権は、モリカケ事件を“幕引き”にするつもりです。
昭恵夫人や加計理事長の証人喚問はもちろん、愛媛県知事の参考人招致も認めない。
麻生財務大臣も辞めさせない。
強気で突っぱねれば、モリカケ事件は終わると思っている。
実際、このままモリカケ事件は終息してしまいかねません。
国会会期末まで、ほとんど時間が残っていないからです。
国会が閉じてしまえば、野党は追及するチャンスを失ってしまう。

野党の追及がなくなれば、国民の関心も薄れてしまうでしょう。
安倍政権が『働き方改革法案』を強行採決したのも、国会を延長しないためです」(政治評論家・本澤二郎氏)

 しかし、とっくに退陣していなければならない政権が、国民の反対を押し切り、過労死を招く法案を強行採決するなんて、どう考えても許されない。
「高プロ」が導入されたら、過労死しても労災認定されない可能性がある。
「全国過労死を考える家族の会」に参加している遺族は、「夫が亡くなった日、会社からは『裁量労働制だから過労死じゃない』と言われた」そうだ。
「高プロ」として働いて過労死しても「高プロだから関係ない」と、会社から冷たく捨てられるに違いない。
 いったい、安倍首相は誰のために政治をやっているのか。

■朝鮮半島外交では
完全に蚊帳の外の主体性ゼロ
 この通常国会を「働き方改革国会」と名づけた安倍は、ふざけたことに、法案成立を実績としてアピールし、秋の自民党総裁選で3選を果たすつもりだ。
 サラリーマンは過酷な労働を強いられるのに、「70年ぶりの大改革だ」と自賛しているのだから、信じられない。

逆に言えば、法案が不成立に終わったら「看板政策で失敗した」と批判されるので、どんなに国民の反対が強い悪法でも数の力で成立させるということだ。
 しかし、安倍が3選となったら、世界のリーダーは仰天するのではないか。
国際社会ではレームダックと見られ、主体性ゼロとバカにされているからだ。

 実際、朝鮮半島外交は、やりようによっては、いくらでも活躍の場があったのに、完全に蚊帳の外に置かれている。
米、中、韓、ロ、北朝鮮のどこの国からも、本気で相手にされていない。
情報も入ってこない。

 それも、そのはずだ。米朝会談が中止になっても、相変わらず「トランプ大統領を支持する」としかコメントしないのだから話にならない。
世界のリーダーが、なんとか米朝会談を実現させようと知恵を絞り、アクションを起こしているのに、この男は、なにがあっても「トランプ大統領を支持する」だから、どうしようもない。

 どこが「外交の安倍」なのか。これでは、この5年間、拉致問題も、北方領土問題も、1ミリも動かなかったのは当たり前である。
「外交の安倍などと称していますが、安倍首相はトランプ大統領にも、プーチン大統領にも、さらに習近平主席にも面と向かって強くモノが言えないのが実態です。
そのくせ、国内では数にモノを言わせて強行採決をくり返している。

いったい、どういう精神構造をしているのか疑いますよ。
働き方改革も、財界を喜ばせるためにやっているだけでしょう。
“高プロ”を導入して労働規制から外せば、企業は深夜労働と休日労働の割増賃金を払わなくて済む。
労働者を安くこき使える。
いずれ“高プロ”の適用対象の年収を1075万円以上から、400万円程度に下げるつもりでしょう。
それにしても、なぜ大新聞テレビが強行採決を強く批判しないのか不思議です」(本澤二郎氏=前出)

 いい加減、国民も声を上げないといけない。黙っていたら、いいようにやられるだけだ。
posted by 小だぬき at 02:26 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月28日

葬式不要論が的外れといえるこれだけの根拠

葬式不要論が的外れといえる
これだけの根拠
おカネや時間をかけるのにも事情がある
2018年05月27日 東洋経済

赤城 啓昭 : 葬儀屋さんブロガー

「なぜお葬式を行うのか、その理由がわかりますか?」
私は勤め先である葬儀会社で、お葬式の企画・運営以外にも採用の担当をしています。
そして採用面接のとき、求人応募者に必ず問いかけるのが冒頭の質問です。
応募者の多くは経験者ですが、「えっ」と驚いた顔をして、しどろもどろに返答をする人が結構います。
また、最近は一般の方からも「高いおカネを払ってまでお葬式を行う意味がわからない」という意見をよく耳にします。

なぜお葬式を行うのかという質問に答えられないプロもいる以上、一般の方が「お葬式の意味」をわからないのも仕方ありません。

お葬式を行う6つの理由
葬儀業界には葬祭ディレクターという資格試験があって、その公式テキスト『葬儀概論』には、お葬式を行う理由として「6つの項目」が提示されています。

1.社会的な処理
お葬式には、故人が亡くなった事実を関係者に知らせる役割があります。
2.遺体の処理
遺体には保冷処置を行い、最終的には火葬して遺骨として扱います。
3.霊の処理
宗教的に故人の霊を見送ります。
4.悲嘆の処理
お葬式には、遺族の悲しみを和らげる効果があります。
5.さまざまな感情の処理
人が死ぬと、残された人たちの心をざわつかせます。
さまざまな儀式を通じて、それを緩和する効果もお葬式にはあります。
6.教育的役割
大切な人の死から学ぶことで人生観さえ変わることもあります。 たとえば、お葬式は命の尊さやはかなさを教えてくれます。

以上がお葬式を行う理由についての、葬儀業界の公式見解です。
しかし20年近く現場で働いてみて、もう1つお葬式を行う理由があると私は思います。
世界中のあらゆる人種・民族は、家族や大切な人が亡くなったときに、お葬式を行います。
それは亡くなった人を弔いたいという本能が人間には備わっているからかもしれません。

前述した『葬儀概論』の中にも、今から数万年以上前に現在のイラク北部に当たる土地に住んでいたネアンデルタール人が、亡くなった人に花を供えていたという話が書かれています。
では、仮に亡くなった人を弔いたいという気持ちが元々人類にあったとして、なぜお葬式という手間のかかる方法を取る必要があったのでしょうか。

それは「故人への愛情や悲しみを可視化することで、故人との関係に一旦区切りをつけるため」だと私は考えます。
故人への愛情や失った悲しみ、安らかに旅立って欲しいという願いは、目に見えるものではありません。
花を手向ける、頭を下げる、手を合わせるといった儀式を通じて、われわれは故人に対する思いを表現しているわけです。
また、故人をしのぶほかの人たちと悲しみや思いを共有することで、不安の解消や気持ちの整理にもつながります。

一方、中にはお葬式という方法を取らなくても個々人のやり方で気持ちを整理する方もいらっしゃいます。
今まで私が出会った人の中には、儀式的なことを一切行わず、亡くなって火葬するまでの間に故人の死に顔を描いた画家や、遺骨の一部を持って旅に出た人もいました。

しかし大切な家族を亡くしたことがある方ならご存じかと思いますが、ほとんどの遺族は「家族の死」に直面したときどうしていいのかわからないものです。

とはいえ、故人の遺体をほったらかしにするわけにはいきません。
さらに家族以外の故人の関係者にも、死を伝える必要があります。
そんなときに、お葬式という型が存在することによって遺族の負担は大きく軽減されるわけです。

満足できる「直葬」のやり方
中には「いくらお葬式にそのような役割があったとしても、果たして何十万、何百万円も大金をかける価値があるのか疑わしい。
だからお葬式はしなくてもいいのではないか」と考える人もいるでしょう。
葬儀業界は過去にぼったくりと言われてもおかしくないような商売を行っていた歴史的経緯があります。
そのため消費者がお葬式に大金を支払う価値があるかどうかを疑うのはもっともです。
また、経済的な理由でお葬式をしたくても行えないという方も増えています。

そんな方々に筆者は、一般的なお葬式よりも安価な「直葬(ちょくそう)」を勧めています。
直葬とは、宗教的儀式を省略して火葬のみを行う方法で、費用は火葬料込みで30万円程度。
別名「火葬式」とも呼ばれます。
直葬だと、「故人との別れにおカネを出し惜しんだ」、
「宗教的儀式を経ていないせいか、故人の死にちゃんと向き合えなかった」などの理由から、後悔が残るのではないかと不安に思う方もいるでしょう。

ですが、直葬でもちゃんとお別れすることができます。
お葬式の満足度は、必ずしもかけたおカネに比例するわけではありません。
要は故人の関係者たちが「ちゃんと見送ってあげることができた」と思えることが大切です。
立派な式場や祭壇がなくても、故人をちゃんと見送ることができたという満足感を得るには、たとえば2つの方法があります。

私が直葬を担当する際は、必ず「納棺時に残された人たちが故人の体にやさしく触れるための時間」や「火葬場に行くまでの待ち時間に故人の思い出を語ったりするための時間」を用意しています。
これだけで直葬の満足度は高まります。

ただし直葬の場合、式場や祭壇などを省いている分、担当する葬儀会社のおもてなしや質が一層目立ちます。
直葬だからといって手を抜かず、遺族のために汗をかくことのできる葬儀会社を選べるかどうかがポイントです。
そのためには気になった葬儀会社へ事前相談に行くといいでしょう。
こちらが直葬を希望した際に、その内容を丁寧に説明してくれる誠実な態度であれば、直葬でも満足度の高いものになるはずです。
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2018年05月29日

不正行為は感染するものだ

筆洗
2018年5月28日 東京新聞

 ずるとかごまかしなどの不正行為は細菌のようなもので、人から人へと感染するものだそうだ

▼行動経済学者でイグ・ノーベル賞受賞者のダン・アリエリー教授の『ずる』(早川書房)の中にこんな実験があった。
だれかに大勢の人の前でカンニングのような不正行為をやってもらう。
監督官にはそれをとがめないよう頼んでおく。
すると、それを見ていた他の大勢も、同じ不正行為をするようになるそうだ。
ずるが感染している

▼ずるをやっても、それが見過ごされ、成功するのなら、自分だって…。
そんな心理に陥るのか。
この説でいけば、わが国における、大規模なずるとごまかしの大感染を疑ったほうがよいかもしれぬ

▼気の毒だが、政権中枢と中央官庁は既に菌にやられてしまったのだろう。
国民に知られて困る記録は「ない」と隠す。
政府の主張に沿った曲がったデータを国会に提出する。
ここ数カ月の恥知らずなずるとごまかしの連鎖を見れば、その細菌は猛威をふるっている

▼政治行政にとどまらぬ。企業のデータ不正は後を絶たぬし、どこぞの大学アメフット部の前監督の不可解な説明を聞けば、ああこの方もと心配する。
国中でずるを聞かぬ日がないとは、大げさではないかもしれない

▼教授の説が恐ろしい。「誰かの反倫理的な行動を目にするたびに私たちの道徳心もすり減っていく」という。
このままだと…。
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2018年05月30日

人を騙すことを得意とする大臣

きょうの潮流
2018.5.29 しんぶん赤旗

 「朝ごはんは食べなかったんですか?」
「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)」
「何も食べなかったんですね?」
「何も、と聞かれましても、どこまでを食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので…」

▼論点のすり替えや、はぐらかし。不誠実な政府答弁の手法を例えた“ご飯論法”が話題です。
「では、何か食べたんですか?」
「お尋ねの趣旨が必ずしもわかりませんが、一般論で申し上げますと、朝食をとるというのは健康のために大切であります」

▼労働問題に詳しい法政大の上西充子教授がツイッターに投稿しました。
野党の追及をかわすまやかし答弁にうんざりさせられると。
共感が広がっているのも同じ思いを抱く人が多いから

▼きのうの集中審議もそうでした。
モリカケ疑惑で首相夫妻の関与を裏付ける文書が出てきても口先だけで否定する。
証拠を突き付けられてもごまかす。
これでは議論にならず、関係者を喚問するしかありません

▼直近の世論調査では、首相の説明は「信用できない」と回答した人が7割にも。
自民の支持層でも「信用できる」を上回り、無党派層では8割を超えています(「毎日」)

▼上西教授の投稿は「働き方改革」法案をめぐる加藤厚労相の答弁を問題にしたもの。
「人をだますことを得意とする大臣に、働く人の命と健康にかかわる法案の質疑の答弁に立つ資格はない」。
それは国民と国会を欺き続ける、この内閣のすべての人たちにいえることです。
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便利になったものです。

30年近くまえの「胆嚢摘出手術時」と今回の頸椎手術で学んだことがあります。

一つは入院持参品→今回は 1日1050円のパジャマ・タオル・オムツなどのレンタルを頼んで入院したので、事前にバックに入れていたもので使用したものは、歯ブラシ・歯磨き粉位でした。昔は「洗濯はどうしよう」とか 替えは何着などと家族や知人に心配をかけたものですが、今は職場を退勤してから入院も可能に・・・。

二つ目は 食事のおいしさです。
今回の病院食なら 食堂を大改装して 予約で食べられるようにすれば 申し込みしたいです。食材名も明記され 温かいものは温かく、冷えたものは冷えてだされました。
昔は「コレ、何の白魚??」「食事ではなくエサ」「食事制限のかかっていない場合は、購買店で弁当・パン購入」

三つ目は 白衣です。
「昔は帽子に一本線が主任、二本線が婦長」薄青白衣は「看護学生か見習い」と患者からみて身分制がわかったものですが、
今回は、上着に赤・青・緑・黄などの線がデザインされ 皆違う」、興味を持った私は 下がスラックスなのはわかりますが 上着の色の違いに意味あるの?? と聞いたら「だって自腹で買うんだもの、色位好きなものにしたいとのこと、一部補助は病院からでているとのこと」

長期入院は 中・高齢者が多い
整形外科のイメージとして スポーツによる靭帯損しようとか骨折で 若者が多いのかと思っていたら、膝の故障・腰変形・などで患者の九割方は老人でした。

今日で 首の固定具が取れ、日常生活の制限も解除。
看護師とハイタッチ。

でも、主治医は 腰はいつ手術するかな??と 一歩先の発想。

腰だけは「失敗多い→車いす」という 教員都市伝説の世界
プラス材料と父母弟の法事を調べて 都市伝説打破に立ち向かいます。
posted by 小だぬき at 22:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月31日

普通の日本人が知らない「貧困」の深刻な実態

普通の日本人が知らない
「貧困」の深刻な実態
親→子→孫へと連鎖し、高齢者にも広がる
2018年05月30日 東洋経済

岩崎 博充 : 経済ジャーナリスト

厚生労働省の国民生活基礎調査によると、日本は米国、中国に次ぐ世界第3位の経済大国でありながら、7人に1人が貧困にあえぎ、母と子のひとり親世帯では半数以上が貧困に苦しむ。
日本は先進国の中で、「貧困率」の高い国のひとつとして知られている。

なぜ豊かな日本で貧困率が高いのか。
貧困といっても衣食住にも困る「絶対的貧困」と、社会全体の中で見ると相対的に貧困層に属する「相対的貧困」がある。

日本が高いのは当然ながら「相対的貧困」のほうで、社会全体もさほど深刻な問題ではない、という意識があるのかもしれない。
実際に、貧困率というよりも「格差」と考えればわかりやすいのかもしれない。
なぜこのような貧困が、豊満国ニッポンに現れるのか。貧困問題がいろいろ報道されている割には、貧困の実態がわかっていない可能性もある。

いま、日本社会が直面している貧困について考えてみたい。

貧困はもっと深刻?
貧困率というデータは、厚生労働省の「国民生活基礎調査」として公表されている。
日本の貧困率の最新値は15.6%(相対的貧困率、2015年、熊本県を除く、以下同)。
前回調査の2012年の16.1%に対してわずかだが改善している。

一方、17歳以下の子どもを対象とした「子どもの貧困率」は2015年で13.9%。
こちらも前回2012年の16.3%よりも大きく改善している。
それでも7人に1人の子どもが貧困に陥っている状況だ。

ひとり親世帯(子どもがいる現役世代のうちの大人がひとりの世帯)の貧困率も54.6%(2012年)から50.8%(2015年)と改善しているものの半数は超えている。

日本の貧困率の高さは国際的に見ると、米国(16.8%、2015年、資料OECD、以下同)に次いでG7中ワースト2位。
さらに、ひとり親世帯ではOECD加盟国35カ国中ワースト1位になっている。

貧困率は、収入などから税金や社会保障費などを引いた「等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯員数の平方根で割った数値)」の中央値の半分未満しかない人の割合のこと。
等価可処分所得(以下、可処分所得)の中央値は、年間245万円(2015年)。
つまり年間122万円未満の可処分所得しかない世帯を相対的貧困層、その割合を貧困率というわけだ。

年間122万円といえば、月額にして10万円ちょっと。
アベノミクスが始まって以来、デフレ脱却はしていないと言いながらもスーパーの食料品などが以前に比べて高くなったことは事実だ。
デフレが続いているとはいえ、月額10万円の生活がどんなに苦しいものかはよくわかる。
ちなみに、貧困率を決める可処分所得の中央値は、ここ数年245万円程度で推移しているが、20年前の1997年には297万円だった。
つまりこの20年の間に 可処分所得の中央値が52万円も下がっているということになる。
52万円といえば、月額にして約4万3000円。
日本が、この間「失われた20年」と呼ばれた経済低迷期であったことが、こんな数字からもわかる。

実際に、同調査の「貯蓄」についてみると「貯蓄がない世帯」が全体で14.9%。
母子世帯に限ってみると37.6%に増える。
「生活が苦しい」と答えた人は全体で56.5%、母子世帯では実に82.7%が「生活が苦しい」と答えている

OECD の「学習到達度調査 PISA 2015」では、勉強机や自室、参考書、コンピュータの保有率など13の学用品を国際比較したデータを出している。13個のうち保有数が5個に満たない生徒を「貧困」とみなす仕組みで、日本の貧困生徒の割合は5.2%。
やはり、先進国(G7)の中では最も高いレベルに達している。
ひとり親世帯の貧困率50.8%!

こうした貧困問題で注目すべきは2つある。
ひとつは、ひとり親世帯の貧困率の高さだ。
さまざまなメディアでも取り上げられているが、生活保護水準の所得に届かない低所得にあえぐ現状がある。
もうひとつの問題が、高齢者の貧困問題だ。
母子家庭の貧困問題が喫緊の課題というなら、高齢者の貧困問題は将来の課題といえる。

人口減少、高齢化などによって、政府や年金機構、健保組合などが、現在の給付水準を維持できなくなる可能性が高まっている。
年金制度の崩壊などによって人口の3分の1を占める高齢者の半数が貧困に陥る可能性もある。
人口減少への対応を含めて、早急に考える必要があるだろう。

いずれにしても、子どもの貧困問題は将来の日本に大きな影響をもたらす。
7人に1人と言われる子どもの貧困問題は教育機会の喪失につながり、将来的に大きな損失になる、と言っていい。

どんな背景と原因があるのか。
次の4つが考えられる。

➀労働環境の未整備
子どもが貧困にあえぐ最大の原因は、言うまでもなく親の収入の低さである。
ひとり親世帯の貧困率が50%を超えていることでも、それは明白だ。
実際に、母子世帯の非正規社員比率は57.0%(2012年、出所:厚生労働省「ひとり親家庭等の現状について」)、父子世帯12.9%と比較しても、その差は歴然だ。
日本特有の「ワーキングプア」と呼ばれる労働環境の悪さが背景にある。
日本では、母親が1人で子育てに奔走しながら仕事を続ける場合、まず正規社員では雇ってもらえない。パートタイマーやアルバイトによって生計を維持していく必要があり、収入はどんなに働いてもたかが知れている。
シングルマザーに対して冷たい企業が多く、子どもがいても正規社員に採用されている人の割合は4割を超えてはいるが、57%が非正規雇用のままだ。

保育園や学校などの煩雑な用事にとらわれ、正規社員のようなフルタイムの仕事はなかなかできない。
結局のところ、正規社員と非正規社員の賃金の差が、母子家庭の貧困という形になって表れていると言っていいだろう。
母親がどんなに優秀であっても、働く機会を平等に与えない。
それが現在の日本企業の問題と言っていい。

➁公的支援の怠慢
OECDの発表によると、GDPに占める教育機関への公的支援の割合は、33カ国中日本がワースト2位となっている。
貧困にあえぐ子どもに対する政府支援が十分でないことを物語る数字だ。
最後のセーフティネットとも言われる「生活保護制度」も、過剰な財政赤字のせいで圧迫され、簡単には受け入れられない現実がある。
母子世帯の生活保護制度による「生活扶助費」は、家族構成や地域によっても異なるが月額13万〜14万円程度。
貧困層のひとり親世帯の所得は年間122万円、月額10万円ちょっとよりもずっと多い。
だったら、貧困層に属するひとり親世帯は全員が生活保護を受けたほうがいいと考えがちだが、そう簡単には生活保護が受けられない仕組みになっている。

子ども食堂といったその場しのぎの方法では、いまや抜本的な解決にはなっていない。
非正規社員の低所得にあえぐ母子家庭に対して、いますぐ公的な支援が必要になると考えていいだろう。
母子世帯は、約123万8000世帯(「ひとり親家庭等の現状について」より)。
そのうちの半数が貧困層とすれば62万世帯。
母と子で少なくとも120万人が貧困と戦っている。
親から子へ、子から孫へ

B貧困の連鎖
貧困問題の深刻さは、親から子へ、子から孫へという具合に世代を超えて連鎖していく傾向があることだ。

「貧困の連鎖」と呼ばれるものだが、親の経済的困窮が子どもの教育環境や進学状況に大きな影響を及ぼすため、貧困は連鎖しやすい。
大学既卒者の割合が50%を超え大卒が標準化した現在、大学に行けない世代が生涯賃金などで大きな遅れを取り、結果的に貧困の連鎖につながっている。
むろん、業界や企業規模による賃金格差も大きいが、日本は依然として学歴偏重社会と言っていい。
こうした現実をきちんと把握して対策をとる必要がある。

大学進学のために多額の借金を抱えてしまう現在の奨学金制度では、抜本的な改革にはならない。
むしろ大学卒業後の行動範囲を狭めてしまう。

C累進課税の歪み
日本の累進課税制度は、一見公平なように見えるが、最も所得の高い勤労世帯と高齢者で所得の低い層とが同じレベルの「税負担率」になっている。
税負担率が同じでも、収入が多ければそれだけ家計に及ぼす税負担は軽く済む。
低所得の高齢者と金持ちの勤労世帯の税負担率が同じレベルでは、税の累進性は機能していないのと一緒だ。
今後、消費税率が上昇していくことになるはずだが、母子家庭で貧困にあえぐシングルマザーにとっては消費税だけでも高い税負担になる可能性がある。

累進税制をきちんと機能させる税制にシフトすることが早急に求められるわけだ。
安倍政権が進める働き方改革によって、同一労働同一賃金が実現する可能性が出てきたが、本当にきちんと機能するのか疑問もある。
子育てと仕事を両立させるためには、これまでの価値観やルールに縛られていては前に進まない。

高齢者世帯の27%が貧困状態
子どもの貧困と並んで深刻なのが、高齢者の貧困だ。
65歳以上の「高齢者のいる世帯」の貧困率は27.0%。
つまり高齢者世帯の4世帯に1世帯以上が貧困世帯となっている。

さらに65歳以上のひとり暮らし(単身世帯)の貧困率を見るとさらに深刻さは増す。

・男性単身世帯……36.4%
・女性単身世帯……56.2%
65歳以上といえば、年金生活を送っているのが普通だが、現在の年金給付レベルでは女性が6割近く、男性も4割近い単独世帯が貧困に陥っているのが現実だ
実際に、家計調査年報の2016年度版によると、無職の高齢単身世帯の実収入の平均は月額で12万2000円、年換算で147万円となっている。

一方、日本の貧困問題は高齢者にとどまらず、いまや全世代の問題になりつつある、というデータもある。

たとえば、現在40代の可処分所得は60代のそれと同水準になりつつあると言われている。
非正規雇用者の増加で40代の平均所得はここ20年で1割減少しており、厚生労働省の「厚生労働白書」や総務省統計局の「全国消費実態調査」などを総合すると、所得の減少傾向は深刻さを増している。

詳細は省略するが可処分所得で考えると、いまや40代と60代の可処分所得はほぼ同じレベルになっており、30代と70代の可処分所得も近づきつつある。
年々、可処分所得が減少し続ける現役世代に対して、豊かな貯蓄を背景に可処分所得を上回る消費支出がリタイア世帯にみられる。

言い換えれば、今後日本はあらゆる世代の年齢層が貧困にあえぐ時代が来る、と言っても過言ではないのかもしれない。
日本の貧困率の高さは、母子家庭と高齢者ばかりがクローズアップされているものの、その実態は「日本国民総貧困化」なのかもしれない。
まさに「We are the 99%」をスローガンにした「ウォール街を占拠せよ」の抗議運動を象徴するかのような現実が、かつて総中流社会と呼ばれた日本でも、現実のものになりつつある、ということだろう。

いまや99%に近づきつつある貧困層の問題を解決するには、シングルマザー世帯への救済や高齢者の労働環境整備などが必要になってくるだろう。
貧困問題は、結局のところ格差社会の問題といえる。
大企業、高学歴重視の政策がいずれは社会を混乱させてしまう。
貧困問題の解決は、政府が緊急に直面すべき問題なのかもしれない。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする