2018年06月01日

嘘が嘘を呼び…関係者が増えて収拾がつかなくなる悪循環

嘘が嘘を呼び…
関係者が増えて
収拾がつかなくなる悪循環
2018年5月31日 日刊ゲンダイ

高野孟ジャーナリスト

 古来「嘘」についての格言は数知れず、その中では「嘘が嘘を呼ぶ」という趣旨のものも少なくない。

1つの嘘を通すために別の嘘を20も発明しなければならない」とは、英作家ジョナサン・スウィフトの言葉だが、ごく最近では愛媛県の中村時広知事の「嘘というものは、それは発言した人にとどまることなく、第三者、他人を巻き込んでいく」というのがなかなかの名言である。

せっかくだから愛媛県庁ホームページから5月11日の会見での当該部分を引用しておこう。
<まあ、これは一般論ではありますけれども、真実ではないこと、偽りのこと、極論で言えば嘘というものは、それは発言した人にとどまることなく、第三者、他人を巻き込んでいく、そういう世界へ引きずり込むということにもなってしまうケースも、ままあることでございます>

 言うまでもなく、その前日に参考人招致された柳瀬唯夫元首相秘書官が「加計学園関係者には会ったが、そのとき後ろに愛媛県、今治市関係者がいたかどうかは記憶がない」と述べたことへの感想である。
これでは、県職員がまるで役立たずの「子どもの使い」と言われているのと同じで、知事としてはその職員の名誉を守るため、意地でも面談当日の記録や柳瀬の名刺を捜し出さざるを得なくなる。

 そうして新たに出てきた愛媛県の文書に、安倍晋三首相と加計学園の加計孝太郎理事長が2015年2月に会った際、安倍が獣医大学の構想について「いいね」と言ったことが記載されていて、
それが本当なら安倍は17年1月まで加計が獣医学部新設を計画していることを知らなかったと言ってきたのが嘘とバレるので、慌てて加計側と相談したのだろう、
その話は柳瀬との面談に同席した加計関係者の作り話だということにした。

 そうすると、これは逆に、一民間法人の職員が総理の名を騙って政府の事業認可を取り付けようとした詐欺か名誉毀損かの犯罪に当たるので、安倍がこれに抗議したり法的措置をとらないのはおかしいということになる。

ひとつの嘘が次の嘘を呼び、その分だけどんどん関係者が増えて収拾がつかなくなっていくという悪循環に、すでに安倍政権は嵌まっている。

 総理がこんなだから、大臣も高級官僚も、あちこちのダメ社長やセクハラ市長、さらには日大アメフト部監督までもが、みな見習って嘘を重ねて責任逃れをしようとする風潮が蔓延する。

 潔さを本領とする侍は、愛媛県知事と日大の宮川泰介選手以外にいないのだろうか。
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2018年06月02日

お金より深刻な老後問題 暴走老人は孤独が育てる?

お金より深刻な老後問題
暴走老人は孤独が育てる?
2018/05/31 NIKKEI STYLE

 老後の三大不安といわれる「健康」「お金」「孤独」のうち、最も深刻なのが「孤独」です
健康とお金は現役時代でもイメージしやすく、ある程度備えることができます。
ところが、孤独は定年退職しないと実感できませんので、これに備える人は少ないのです。

 最近は雑誌の記事やテレビの特集で「切れやすい老人」とか「暴走老人」などのタイトルが目に付きます。
高齢者の傍若無人な振る舞いが問題となっているわけです。
人身事故などによる列車の遅延で、駅のホームで駅員さんに食ってかかっているのは若い人よりも年配者が多いように思えます。

■ほぼ一貫して増え続ける高齢者の犯罪
 実際、2017年版「犯罪白書」を見ると、犯罪全体の件数は減少傾向にあるものの、65歳以上の高齢者の犯罪はほぼ一貫して増え続けています。
高齢者の犯罪検挙者数は約4万7000人で1997年に比べると約3.7倍です。
中でも大きく増えているのは「傷害・暴行犯」で、こちらは97年に比べ約17.4倍に増えているのです。
高齢者自体が増えているのは確かですが、それにしてもこれだけの増加はちょっと異常です。

 理由は一つではないでしょうが、私が考える一番の理由はやはり孤独な老人が増えてきていることです。

周囲とうまくコミュニケーションが取れず、やけになって暴走してしまうパターンです。
つまり、孤独は暴走老人の予備軍というわけです。
 昔は多くの人が大家族で暮らしていました。おばあちゃんがご飯を作ったり、おじいちゃんが孫の面倒を見たりといったように家族の中でお年寄りの役割がちゃんとあったのです。
人間は極めて社会的な動物ですから、家族という小さな社会であっても、自分以外の人間とともに暮らすことで、我慢すべきところは多かれ少なかれ出てきます。
何より孫などとのコミュニケーションは生きがいを感じさせたでしょう。

■現役時代から社外に友人や知人を持つ
 核家族化の進んでしまった今、もう元の大家族に戻るということは不可能ですが、それでも孤独に陥らないようにする方法はあります。
特に会社員は定年後は孤独になりがちです。
そうならないよう、現役時代から社内の人間とだけ付き合うのではなく、できるだけ会社の外に多くの知人や友人を持つことを心がけましょう。

 脳は毎日同じパターンの行動を繰り返していると劣化していくといわれています。
会社でルーティンの仕事をし、同じ人たちと付き合うだけでなく、できるだけ新しい人と知り合い、異なる活動に取り組んでいくことが大切です。
これによって、会社を辞めても新たな自分の居場所を持つことができると同時に常に人とのコミュニケーションを保つことができます。
結果として脳の活性化を維持することができるはずです。

 もともと人間は加齢とともに感情をコントロールしにくくなるようです。
老年精神医学を専門とする精神科医の和田秀樹氏によれば、年を取ると脳の中でもまず先に前頭葉の機能が低下することが多いといいます。
前頭葉が委縮していくと、感情抑制機能の低下や性格の先鋭化といった傾向が強く出るそうです。

■意識的に努力して精神面の健康を保つ
 性格の先鋭化というのは、それまで理性で抑えることができていたその人の性格の特徴が大きく表に出てくるということです。
こうした前頭葉の機能低下は生物学的に起きる現象ですから、昔からあったはずですが、大家族という環境が前頭葉の萎縮やそれに伴う感情の変化をある程度防いでいたのではないでしょうか。
現代においては意識的に努力することによって精神面の健康を保たなければなりません。

 私は会社を定年で辞めて6年経ちますが、今では会社時代の知人はごく数人しかいません。
定年後に付き合うようになった人たちの方が圧倒的に多くなってきています。
定年は人生の一つの区切りに過ぎません。
 以前も述べましたが、表面的に多くの人と付き合っていても心の中では充実感がなかったり、信頼できる相手がいなかったりすればそれは孤独といえます。
逆に独りで過ごす時間が多くても、心を許せる友人や家族がいれば孤独に陥っているわけではないでしょう。
新しい友人を増やしていく上では「数」ではなく、「質」が大切です。
それこそが老後の孤独を防ぐ有効な手立てといえるでしょう。
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2018年06月03日

ラジオ体操のゴリラポーズ、修学旅行の忘れ物発表… 小学生はココが恥ずかしい!

ラジオ体操のゴリラポーズ
、修学旅行の忘れ物発表…
小学生はココが恥ずかしい!
2018年6月2日 8時0分 ヒトメボ

小学生ならではの行事は複数ありますが、とくに記憶に残っているのは心が動いた瞬間のはず。
嬉しかったり、悲しかったりもあるはずですが、「恥ずかしかったこと」もそのひとつでしょう。
小学生が恥ずかしがる行事について、ヒトメボ読者に聞いてみました。

●運動会のフォークダンス
「運動会のフォークダンスが恥ずかしかった。
小学校高学年とかになると、女子と手を繋ぐだけでドキドキだからなぁ。
手をきちんと握らずに、わざと触れるか触れないかの握り方をしてた」(徳島/27歳男性)
本当は異性と触れ合えることに心踊っているのに、あえて不快そうな表情をしてみたり……。
フォークダンスの甘酸っぱい思い出、身に覚えのある人は少なくないのでは?

●ラジオ体操のゴリラポーズ
「ラジオ体操のゴリラみたいなポーズ。
股関節を開いて膝を曲げて、マッチョアピールみたいにするやつです。
あれ恥ずかしくて、みんな手を抜いてたと思う」(山梨/24歳女性)
夏休みに、近くの空き地や駐車場などでラジオ体操をやっていましたよね。
小学生に混ざって地域のおじさんがいることもあるのですが、彼らは全然恥ずかしがる様子もなくやっていて、見ているこちらが恥ずかしい思いをすることも……。

●修学旅行の忘れ物発表
「修学旅行や林間学校の最終日に、先生が忘れ物を発表する場面があるじゃないですか? あの発表のときって絶対パンツがあるんですよね。
私のじゃなくても、先生がパンツを取り出す瞬間が恥ずかしくて、半笑いしながら目を伏せてました(笑)」(神奈川/30歳女性)
なぜか決まってパンツの落し物が……。
本人はもちろん恥ずかしいでしょうけれど、関係のない人も同級生のパンツを見せられて赤面してしまうよう。

●保健の時間のビデオ鑑賞
「保険の授業のときの性についてのビデオ。
今見たらなんとも思わないだろうし、生物学的な知識だから本当は恥ずかしいものではないはずだけど、恥ずかしかった。
『みんなどんな反応してるんだろう』って友だちの顔色を伺ってたけど、みんな顔を赤らめてた気がする」(北海道/33歳男性)
多感な時期ですからね。
「俺は何ともないけど……」なんて装いながらも、みんなソワソワしていたはずです。

●卒業式の呼びかけ
「卒業式の『楽しかった遠足 全力を尽くした運動会』みたいな呼びかけ。
ひとりひとこと以上用意されていたけれど、とくに練習中は恥ずかしかった。
卒業式本番は、感傷的になっているから素直に泣けたんですけどね」(香川/30歳女性)
時間をかけて練習しましたよね。
声が小さいと先生に怒られるし、かといって大きな声で張り切って言うのも恥ずかしいし……。
大人になって振り返ってみると、「あれが青春だったんだな」なんて思うかも。

小学生のときに恥ずかしかったこと、共感できるものはありましたか? (ヒトメボ編集部)
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2018年06月04日

安倍政権で戦前と同じ道 上から下まで良識が壊れた国の末路

安倍政権で戦前と同じ道
上から下まで
良識が壊れた国の末路
2018年6月2日 日刊ゲンダイ

「再発防止に全力を傾注する。これが膿を出し切ることだ」
「麻生財務相には厳正な処分を行った上で再発防止に全力を挙げてもらいたい」
 1日の参院本会議での安倍首相の答弁である。
相も変わらぬ居直りとはいえ、当事者のアンタがどの口で、と呆れた人が少なくないのではないか。

 どうして財務省は公文書改ざんに手を染めたのか、廃棄したのか。
どうして国有地が8億円も値引きされたのか。
安倍首相への忖度があったのか――。
山積する「なぜ」の答えは全く見つかっていないのに、どうやって再発防止するのだろうか。

 文芸評論家の斎藤美奈子氏が東京新聞のコラム(5月30日付)で「国ごと底なし沼に沈んでいくような気分」としてこう書いていた。
<サスペンスドラマなんかだと、動かぬ証拠を突きつけられた容疑者は「私がやりました」と認め、事実関係を語りだす。
追う側と追われる側に論理的整合性が共有されているからだ。
しかるに、わが国会では「よし詰んだ」「もう逃げられまい」と思ってもまるで先に進まない>

 その上で、安倍が「私や妻が関わっていたら、首相も国会議員もやめる」という自らの発言を“贈収賄”には関わっていないという意味だと矮小化したり、加計学園が理事長と首相の面会について「誤った情報を与えてしまった」と弁明したり、麻生が「改ざんといった悪質なものではない」と強弁したりに至っては、
斎藤氏は、<ひえ〜、いつそんな解釈になったんだ。ひえ〜は止まらない>と表現。

最後に、<最低限の了解事項や整合性を放棄したら、ドラマにも事件にも解決はない>と、モリカケ問題が長期化する理由を結論づけていた。
 そう。確かに今、この国から「最低限の了解事項や整合性」が消滅しつつある。

 安倍が自らの身を守るため、嘘やごまかしを「正義」に変えてしまった結果、内閣も自民党も霞が関も検察も腹心の友までもが、上から下まで、平然と黒を白と言い張るようになり、当たり前の常識が通用しない社会になってしまったのだ。

 ここ一両日に起きていることだけを見ても、「ひえ〜」の連発だ。
 森友問題では、佐川宣寿前理財局長ら告発された財務省職員38人全員が不起訴となった。
検察は「改ざんしても文書の根幹部分は失われていない」などと理屈を並べたが、実のところは、告発者の弁護士が断罪した通り、「検察までも安倍1強に怯え、忖度した」のだろう。

野党議員が「あれだけのことをやっても罪に問われないとなれば、改ざん天国の霞が関になってしまう」と激怒していたように、これで官僚は、都合が悪ければ文書を改ざんする“お墨付き”をもらった。
もはや何でもアリだ。

 この不起訴を受けての自民党・二階幹事長の発言も正気じゃない。
「すっきりして仕事に励んでいただきたい」と涼しい顔で財務省を激励。
監督責任を問われるべき麻生についても、「責任なんて考えたことはない」と辞任論を打ち消した。
自民党内にも幕引きムードが漂い、朝日新聞によれば「これで政権運営もスムーズに行き、支持率も回復していくだろう」とか、「国民は『もりかけ』にもう関心ない」というおごった声まで漏れてくるというから、どうしようもない。

 一方の加計問題では、加計学園の事務局長の説明にア然ボー然だ。
 愛媛県文書に記述のあった2015年2月25日の安倍と加計理事長の面会について、「嘘だった」と否定した一件で、事務局長が県職員とメディアを前に語った理由は「その場の雰囲気で言ってしまった」である。失笑モノの方便の上、愛媛県文書との矛盾もある。
弁護士の小口幸人氏がこう指摘する。
「愛媛県文書には、そもそもこの打ち合わせは、加計学園から、加計理事長と安倍首相の面談結果について報告したい、との申し出があったから行われたと書いてあります。
事務局長の発言は、その部分との整合性が取れていないのです。
嘘をつくなら、せめて既出の証拠と整合する嘘をついて下さいよ。

つまり、事務局長は愛媛県文書を読んでいないということですし、出まかせでもとがめられることはないとタカをくくっているのでしょう。
安倍首相を守るスタンスで動いている限り、加計学園は補助金を切られることはないし、守ってもらえると思っているのです」

■再び「一億一心」で悲劇に突入
 国が壊れる時というのはこういうことなのだろう。
上から下まで皆が狂っていく。

 先月末の党首討論で共産党の志位委員長が核心を突いていた。
「改ざん、隠蔽、廃棄、虚偽答弁。
このような悪質極まる行為を引き起こした政権は、安倍政権が歴史上はじめてなんです。
一体なぜ、引き起こされたか。
総理、あなたを守るためですよ」

 安倍のために官僚は公僕としての矜持を捨て、検察は正義を捨て、政治家は正論を捨て、お友達は正常な感覚を捨てた。
もっとも、狂乱国家は急にでき上がったのではない。
安倍政権の5年間で皆がむしばまれたのだ。

安保法、共謀罪、特定秘密保護法と、立憲主義を踏みにじって戦争国家へ突き進み、人事を握った恐怖政治でやりたい放題の末路でもある。
 問題なのは安倍政権だけじゃない。憲法破壊や権力の私物化をもっと激しく批判してこなければならなかったメディアは放送法や公平性を盾にした“圧力”に屈してしまった感がある。
一昨日の佐川不起訴こそ、「幕引きは許さない」と社説で吠えていたが、アリバイ的に叩いても仕方がない。

 野党の不甲斐なさも厄介だ。
安倍の支持率が3割台で下げ止まっているのは、有権者にとって他に選択肢がないからで、受け皿をつくれない野党の責任である。
いま野党が1つの大きな政党だったら、党首討論も1対1で真っ向戦えただろう。
 去年の総選挙で野党はガタガタにされ、いくつもの弱小政党に分裂した結果、力が削がれ、歯が立たない。
巨大与党にナメられ、事ここに至っても、加計理事長を証人喚問に引っ張り出すことすらできない情けなさでは、国民は政治から離れてしまう。

 その国民にも問題はある。
権力にこれだけ好き放題されて、どうして怒らないのか。
モリカケ疑惑の本質は、実刑判決を受けた韓国の朴槿恵前大統領と同じお友達優遇の国政私物化だ。
なぜ韓国のように有権者は立ち上がらないのか。
 首相の説明に納得できない世論は7割に達しているのに、安倍の言い分は嘘だと国民の誰もが分かっているのに、それでも安倍政治は立ち止まることなく進んでいく。
絶対、勝てないとわかっているのに突っ込んでいった戦前と同じ道をたどることになってしまいかねない。  

政治評論家の森田実氏がこう言う。
「戦前は、治安維持法ができ、それが改悪され、共産主義者だけでなく軍部に同調していた宗教家まで弾圧された。
メディアが転向して軍部の手先になり、五・一五事件や二・二六事件で政治家が暗殺された。
『一億一心』の名の下、軍国主義の方向へ流れ、戦争という悲劇に突入したわけです。
その過程で国民は、政治に期待しても仕方がないと諦め、何が起きても鈍感になっていた。
つまり、国民がしっかりしていないとダメなのです。
民主主義という制度は絶対的なものではない。

民衆が抵抗しなければ、ファシズムと同じになってしまう。
今は戦前と同じような危ない局面にあると思います
 このままでは、奈落の底へまっしぐら、である。
それでいいのか。
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2018年06月05日

節約や貯金は家庭に合った「投資」「消費」「浪費」の仕分けをしてから考える。

「外食=ムダづかい」ではない。
節約や貯金は家庭に合った
「投資」「消費」「浪費」の
仕分けをしてから考える。
2018/06/03 マネーの達人(服部 ゆい)

家計管理を成功させるために必要なこと 1円でも安いスーパーに走って食費を削ることでも、セール品や安売りの情報に詳しくなって節約上手になることでもありません。
家計管理が上手な人とは、自分の家計において支出の「最適解(最も適した解答)」を把握している人のことです。

支出の最適解とは
支出の最適解とは、各家庭の価値観やライフスタイルによって大きく異なるものです。
そのため、 「食費は全体の15%に抑えなくてはいけない」 などといった考え方はとてもナンセンス。
住んでいる場所が違う人とは物価も地価も違うし、している仕事やお金に対する考え方だって違います。

確かに全体の平均値を知ることは大切ですが、家族構成だけが同じで他はまったく異なる背景を持つ他人と家計を比較してもしょうがないのです。

筆者の食費は7万円以上 子ども1人の3人家族で、食費は外食代含め7万円以上かかっています。
この金額だけ聞くと 「3人家族ならもっと減らせるのでは」 「ぜいたくしすぎ」 なんて言う人もいるでしょう。
しかし我が家では、健康的な身体は人生における重要な資本であるという方針のもと、「食は未来への大切な投資」だと考えて食に使うお金を重視しています。

つまり、我が家で食費は「消費」ではなく「投資」です。
その分、スマホの通信費は消費、上辺だけの付き合いで飲み会に行くことは浪費とし、そうした消費や浪費行動に対しては無駄にお金を使わないようにしているため、ストレスなく貯蓄もできています。

支出項目を家族の価値観に照らし合わせえる
・ 投資
・ 消費
・ 浪費 に区分し、

投資につながる費目は家族の幸せを作るものとして優先的に配分を多く
反対に 「単なる消費や浪費である費目は配分を減らす」 ように調整するだけで、その家計においてストレスなく継続できる最適な 支出配分=支出 の最適解が把握できます。

その支出は投資なのか、
単なる消費なのかを考えよう
毎日なにげなく使っているお金の流れを可視化することから始めます。
ざっくりで良いので、無理のない範囲でクレジットカードや銀行の通帳、レシートを集めて1か月間の支出を出してみましょう。
支出の把握には、家計簿アプリの「マネーフォワード[https://moneyforward.com/]」を使うと便利です。
支出の全体像が見えたら、 「これは投資になるのか?」 「消費になるのか?」 を家族で話し合い、支出の費目を区分していきます。

ここで大切なのは、「一般的に」という考え方はひとまず置いておき、自分たちの価値観や人生における優先順位を元に決めていくことです。

費目の分け方
・ 生活のために最低限必要な支出
    →「消費」 例:食費や水道光熱費、日用品など

・ 「なんとなく」で生じた、役に立たない支出
   →「浪費」 例:衝動買いしたセール品など 新聞や書籍代は一般的に教養費として区分されますが、その内訳がたいして読んでいない夕刊や、話題になっていたから買っただけの新刊なのであれば、それはただの浪費です。
お金を使う時に「なんとなく」使っているもの、後から考えて約に立たなかったな、というものは大抵、「なくても困らないもの」であることが多いです。

・ 家族の幸せや未来を作る支出
  →「投資」 例:教育費や預貯金など 長年のライフワークとして続けている趣味の費用や、家族のレジャー費など、それが生活の潤滑剤になっているようなものの場合、その費用はある意味で家族の幸せを作る「投資」です。

こういう費目を無理に切り詰めようとしても継続できず、たまった不満を違う形の支出で発散してしまい、家計見直しのリバウンドが生じる原因になってしまいます。
ダイエットも家計管理も「習慣化」できなければ意味がありません。
ストレスを感じないように支出をコントロールすることがもっとも大切なのです

リバウンドを防ぐ支出見直しのコツは
「固定費」にある
支出におけるそれぞれの 「投資」 「消費」 「浪費」 区分を分類できたら、消費費目と浪費費目の中から支出の見直しをしていきます。
見直しをするとき、考えなくてはいけないのが「無理なく継続できるかどうか」ということ。
たとえただの消費・浪費費目であっても、 「面倒くさい」 「時間がかかる」 など、少しでもストレスを感じてしまうような見直し方法だと、リバウンドしてしまいます。
リバウンドしないように支出を見直すコツは「固定費」にあります。

固定費とは
毎月一定額必ず発生する支出です。
例えば、
・ 住宅ローンや家賃といった住居費
・ 水道光熱費
・ 携帯電話やインターネットの通信費
・ 月払いの生命保険料 などが固定費に該当します。

変動費とは
月のイベントや行事によって費用が変動する食費や日用品、雑費や交際費です。

「固定費」を見直すと効果が持続
固定費は、一度費用を見直すとその効果が毎月持続します。 必ず発生する支出だからこそ、永続的な節約効果があり、ストレスを感じずに支出の見直しを成功できます。
空腹感を感じずに3食食べて健康的に痩せることがダイエット成功の近道であるように、
無理なく固定費を削り、日常に不満を感じずに健康的に生活できること が家計における支出見直しの近道なのです。

固定費の見直しで取り掛かりやすいもの
スマホやインターネットの通信費や光熱費の見直しではないでしょうか。
通信費を圧迫する多くの原因は、スマホのデータ通信料の高さにあります。
大手携帯キャリアで5,000円するデータプランが格安SIMに切り替えることで半額ほどになるケースは多数あります。

筆者も数年前から格安SIMを何社か使っていますが、通信速度は遜色なく、ストレスなく数千円の通信費節約を実現しました。

光熱費が見直しできるケース
都市ガス自由化と電力自由化によって、多くの提供会社ではお得なセットプランを出しています。
電気とガスをセットで契約するだけで割引がある場合もあります。
いずれも、提供会社を変えたからといって普段の生活になんら支障はありません。

・ テレビや部屋の電気をマメに消す
・ エアコンの使用を我慢する といった無理のある節約をするよりも効果が得られますので、試してみてはかがでしょうか。

それでも投資費目が多い場合には 消費費目と浪費費目を見直したものの、どうしても投資費目の割合が多すぎるという場合もあるでしょう。
もちろん、収入の中で使える支出の額は決まっているため、無制限に投資できるわけではありませんよね。

「消費や浪費の額を減らしても赤字がある」
「投資額が多く家計を圧迫している」 という場合には、

・ 将来その投資でどれほどのリターンが得られるのか
・ 投資に対するリスクはどれくらいなのか 総合的に見て投資の優先度を決める必要があります。

「なんとなく将来役に立ちそうだから」というレベルの自己投資であれば、ハイリスク・ローリターンです。
逆に、子どもの教育費などはわかりやすいハイリターン投資といえます。
どちらを優先するかは明らかですよね。

投資額が多すぎる家庭は、おそらくいろんなことに興味があり、多趣味なご家庭なのでしょう。
しかし、できるだけリスクが低く、家族の未来にとって確実なリターンが得られる投資を優先的に考えることも、最適な家計管理を実現するうえで大切なことです。

ストレスを増やさない
ストレスを抱えながら無理な負荷をかかえてダイエットしても、リバウンドしてしまうのは家計管理も同じです。
ダイエットという言葉が最適な食事習慣という意味合いを持っているように、家計管理も最適な家計の習慣化につきるのではないでしょうか。

習慣化のポイントは、家計管理に無駄な時間をかけないことです。
1円でも安いスーパーに走る時間があれば、それは自分や家族への投資時間に使いましょう。
「時は金なり」という考え方があるように、節約に無駄な時間をかけるのは本末転倒です。
お金をどう使うかというのは、人生をどう生きるかというのと同じこと。
どう生きたいのか、人生の優先度を家族と話し合い、支出の最適解を見つけましょう。
(執筆者:服部 ゆい)
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2018年06月06日

風邪薬や解熱鎮痛剤の怖い副作用

風邪薬や解熱鎮痛剤、
怖い副作用はなぜ起こる?
2018.05.30 Business Journal

文=小谷寿美子/薬剤師

「この薬は副作用があるのですか?」
 薬剤師として、患者さんからこれは必ずと言っていいほど聞かれる質問です。
すべての薬に副作用があるのですが、だからといって「あります」と答えてしまうと、言われた方は薬を飲まなくなってしまう恐れがあります。

副作用がないように思える「水」でさえ、量を間違えれば人は死にます。
だから「溺死」があり、2015年には4804人の方が家庭内浴槽で亡くなっています。
川やプールでも溺死はありますから、もっと多くの方が「水」で死ぬのです。
それでも水が安全だと人々が思っているのは、「適量」を守れば水で死なないことを経験を通じてわかっているからです。

 薬の場合、「適量」というのはどれくらいなのでしょうか?
 それを決めるために動物実験と臨床試験があります。

動物実験では、どの量を入れたら薬効を発揮するか? 
どの量を入れたら中毒症状が起こるか? 
さらに、どの量を入れたら死ぬか? ということを調べます。
薬効を発揮する量と中毒症状が起こる量が大きく離れていると、「合格」として次の臨床試験に進むことができます。
 なかには薬効を発揮する量と中毒症状が起こる量が近い薬も「合格」とされることがあります。
多くの動物たちには薬効を発揮しているものの、同じ量で一部の動物たちに中毒症状が出てしまうこともあります。
しかし、それでも「合格」とされるのは、その薬効がどうしても治療上必要だからです。
有名なところでは、「テオフィリン」(喘息治療薬)、「ジゴキシン」(心不全治療薬)、「ワルファリン」(血栓塞栓症治療薬)などがあります。

臨床試験の内容とは?
 臨床試験とは、ヒトを対象とした「人体実験」です。
安全に試験をするためには、動物実験で「合格」したものでなくてはなりません。
まず「ボランティア」と呼ばれる健康成人男性10名程度に薬を飲んでもらい、「用法用量」を決めていきます。
そして次は少人数の患者さんに、この「用法用量」で効果が出ているかを確認します。
効果がより出る最小限の量を「用法用量」として決めます。
さらに患者さんの人数を増やした試験をして、多くのデータを取ります。
有効率、副作用発生率、その副作用にどんなものがあったのか、などです。

ここでいう副作用というのは、薬効以外の症状すべてをいいます。
有効率が低かったり、副作用発生率が高かったりしたものは、薬として発売できません。
 発売されているすべての薬では、「用法用量」が決められています。
この通り使うと薬効が最大限に発揮され、副作用が少なくてすむようになっています。
これが薬の「適量」ということになります。

 前述のとおり、薬の副作用とは薬効以外の症状すべてを指すので、数が多いですし、患者さんはどんな副作用があるか不安になってしまうのです。

副作用の3つの種類
 副作用は、大きく分けると3種類あります。知っているだけで不安は緩和されます。

(1)期待する部位以外で薬効を発揮してしまった
 飲んだ薬は吸収されたのち、血液循環に乗って目的地へ運ばれます。
もちろん目的地以外も通るので、そこで薬効を発揮するのです。
わかりやすい例でいうと「鼻炎薬」です。
この薬の作用は水分の排泄を止めることです。
鼻でその作用を発揮すると、鼻の水分を止める、つまり鼻水が止まるわけです。
これが期待する薬効です。
 それが、もし口の水分を止めるとどうなるでしょう?
 口の水分、唾液の分泌が止まります。
口が乾くのです。
大腸の水分を止めるとどうなるでしょう?
 便秘になってしまいます。実はステロイド薬の副作用もこのパターンで考えていきます。
ステロイド薬は多くの作用があります。
その多くの作用がさまざまな場所で発揮されるので、症状によって投与量は変わります。

(2)肝臓や腎臓へ負担がかかった
 飲んだ薬は排泄されます。
肝臓で分解されて胆汁として排泄される場合と、腎臓でこし取られて排泄される場合があります。
もちろんどちらか一方の時もありますし、両方の臓器で排泄されることもあります。
薬を多くの種類飲んでいると、肝臓や腎臓がアップアップになり、「もう疲れた」とストライキを起こします。
 また、薬そのものや分解中の物質が直接臓器を破壊することもあります。
アルコールが肝臓に悪いというのはご存知かと思います。
アルコールが肝臓で分解される時に発生する「アセトアルデヒド」が直接肝臓を破壊します。
風邪薬や痛み止めで有名な「アセトアミノフェン」は一度CYPという酵素でN−アセチル−p−ベンゾキノンイミンという毒性物質に変換され、その後グルタチオンという物質にくっつくことで無害化して排泄されます。
このグルタチオンという物質にも限りがあるので、くっつけずにあふれた毒性物質が肝臓を直接破壊します。
排泄機能が落ちると体内に残る薬の量が増えるため、それによる中毒症状が出てしまうことが考えられます。

(3)アレルギー反応が起こった
 食べ物アレルギーと同様に薬にもアレルギーが出てしまうものです。
その症状は軽いものから死に至るものまで出てきます。
軽いものは蕁麻疹で、薬を中止してステロイド薬を飲んだり点滴したりすれば治ります。
ひどいものはアナフィラキシーといって全身の蕁麻疹はもちろん、目や口の粘膜が腫れあがり、血圧低下と呼吸困難になります。
これはすぐに対処しないと死にます。
どの薬でもアレルギー反応は出る可能性があります。
そのなかでも多いのが抗生物質、解熱鎮痛薬、造影剤です。

 以上みてきたように、薬を服用する際には、副作用について正しく理解することが大切です。

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2018年06月07日

梅雨、ダルさや体調不良の解消法

梅雨、ダルさや体調不良を解消する方法?
 なぜ短時間睡眠だと太る?
2018.06.05 Business Journal

文=堀田秀吾/明治大学法学部教授
 だんだんと暑さを感じることも増えてきました。
あたたかくて気持ちいい季節もつかの間、今年もまた梅雨の時期が近づいてきましたね。
梅雨の時期といえば、あじさいやジューン・ブライドなどの華やかなものも浮かびますが、やはり何よりもジメジメとした雰囲気、雨に悩まされる方が一番多いのではないでしょうか。

 雨の日はなんだか気分も晴れない、面倒で外に出たくもないし、となんだか憂鬱な気分になりますよね。

実はこれは気のせいではなく、自律神経の乱れからくるものだったのです。
 まず、自律神経について簡単に説明しましょう。
自律神経は、我々の意思に関係なく、常に心臓の鼓動、血圧、ホルモンの働き等を調整している神経です。そして自律神経のなかには、自律神経と副交感神経の2種類があります。

その(細かいほうの)自律神経のなかにも、緊張・興奮作用によって心身を活発にする「交感神経」と、休息・鎮静作用によって心身をリラックスさせる「副交感神経」の2種類があります。

通常、交感神経が優位に働くときには副交感神経の働きが抑えられ、逆に、副交感神経が優位に働くときには交感神経の働きが抑えられます。
このように、両者の自律神経が一定のリズムでシーソーのようにバランスよく働くことによって、私たちの健康は維持されています。

 では、雨の日には、自律神経にどのような悪影響が現れやすいのでしょうか。
雨が降り始める前になると、気圧が徐々に下がって、低気圧になります。
すると副交感神経が優位に働くようになり、血管が拡張し、筋肉はゆるんできます。
雨が降りはじめる前には体がだるくなり、眠くなったり疲れやすくなったりするのは、このためです。
先ほどお伝えしたように、自律神経は、交感神経と副交感神経がバランス良く交互に働いています。
ところが、いずれかの神経が過度に働いたり、シーソーのリズムが乱れたりすれば、自律神経がパニック状態に陥ってしまいます。

 こうして自律神経の働きが乱れると、体にさまざまな悪影響が現れてきます。
雨の日に頭痛や耳鳴りがするという人も多いですよね、それは自律神経の乱れが原因と考えられています。

昼寝の効用
 そんなやっかいな自律神経の乱れを一時的に整える効果的な方法として、15分程度の昼寝をしてみましょう。
産業医学総合研究所の高橋らの研究ですが、15分間、45分間と昼食後に被験者に昼寝をするグループと昼寝をしないグループに分け、昼寝前、30分後、3時間後と脳波を測りました。
結果、昼寝をしたグループは、眠気を感じる程度が低くなり、副交感神経が優位になっていることが観察されました。
そして、15分間昼寝をしたグループは課題のパフォーマンスも上がりました。
 また、アメリカ航空宇宙局(NASA)の研究では、26分の睡眠で、パフォーマンスが34%向上し、注意力が54%も上がることが観察されました。

 昼寝するときに注意していただきたいのは、寝すぎると逆に眠気が増してしまったりするので、寝る時間は30分以内にしてください。
また、滋賀大学の大平・丸茂の研究によると、音楽を聴きながら昼寝をすると睡眠は深くなるものの、起きた時の眠気が強くなったり、課題への反応が鈍くなったりするようです。
ただ昼寝すれば良いというものでもなさそうです。

 このように、昼寝には一定の効果がありますが、やはり大切なのは夜の睡眠です。
上述の実験は、夜は夜でちゃんと寝ていた被験者たちが対象になっています。
夜に十分に寝ていなければ、昼寝だって効果はないのです。

睡眠と体重
 睡眠不足は身体に悪いということは、皆さん、なんとなくご存知かと思うのですが、疲れが取れない、昼間に眠気に襲われて仕事が捗らないなどの、よく知られている問題以外にもさまざまな問題が実験によって指摘されています。  

 たとえば、フロリダ大学のマークウォルドらの研究では、1日5時間の睡眠での寝不足状態を5日間続けた状態のグループ、そして1日9時間の睡眠という十分な睡眠状態を5日間続けた状態のグループという2つのグループを比較しました。
 この研究の結果としては、寝不足のグループは平均して1キロ弱も体重が増加し、その後、寝不足グループに十分な睡眠をとるようにさせたところ、体重は減少したのです。
また、寝不足のときには、朝ごはんは少なくなりがちであるが、トータルで1日に食べる量は増え、夕食後にも、また炭水化物やタンパク質、繊維質等を食べてしまうという傾向が見られました。
その理由は、起きている時間が長ければ長いほど、活動時間が長くなります。
そして、その活動を維持するためにエネルギーを使わなければならないので、エネルギー補給のために食べ物を食べてしまうからだと考えられています。
ちなみに、実験の結果、女性のほうが睡眠不足による体重増加傾向が顕著でした。

 次に、カリフォルニア大学バークレー校のマンダーらの研究では、睡眠が少なくなると、それに比例するように記憶力の低下が認められるということが明らかになりました。
 この研究は、人間の老齢化に関する研究なのですが、年齢を重ねると睡眠時間が短くなり、深く眠る時間が少なくなります。
脳は深く眠っている間に記憶を定着させるのですが、睡眠時間が短く、深く眠る時間が少ない場合、記憶を定着させる時間がなくなり、結果的に記憶力が悪くなってしまうということです。

 結局、5月病対策として最も有効なのは、しっかり寝て、体内時計を整え、生活リズムを整えることです。  
 一口に生活リズムを整えるといっても、必要な睡眠時間、心地の良い生活習慣は人それぞれです。最近の研究では、1日のリズムをつくる遺伝子は人によって型が異なり、日周リズムが1時間ほど異なることがわかっています。
 自分に合わない型の生活リズムをつくっても、かえって身体にはストレスになってしまいます。
自分の体調、状態と相談しながら、どんな生活リズムが自分にとって理想なのか、それを見極めながら整えていきましょう。
昼食後の昼寝の時間も確保できるようになると、さらに良いでしょう。
(文=堀田秀吾/明治大学法学部教授)

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2018年06月08日

発達障害の僕が「うつの底」で体験した地獄 自己肯定感に「根拠」がある人は危ない

発達障害の僕が
「うつの底」で体験した地獄
自己肯定感に
「根拠」がある人は危ない
2018/06/07 東洋経済オンライン(借金玉)

「自分は発達障害かも……」「発達障害の同僚がいて困っている」など、職場で大人の発達障害が話題にのぼることが増えました。
『発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術』の著者であり、発達障害の当事者である借金玉さんの体験談は、きっと多くの人の参考になるはずです。

発達障害の二次障害で、
人生最大級のうつがやってきた
 はじめまして。借金玉と申します。
現在32歳で、不動産営業マンとして働いています。
僕は大学生のときにADHD(注意欠如・多動症)の診断を受けた発達障害者です。
 僕の社会人生活は、ピカピカのホワイト企業から始まりました。
就職活動で、何を間違ったか大変立派な金融機関に入り込むことに成功したのです。
しかし当然のごとく仕事はうまくいかず、人間関係も壊滅。
2年ともたず職場を敗走することになりました。

 その後、よくわからない力を発揮して数千万円の出資金をかき集めて起業。
一時は社員2桁あたりまで会社を成長させるも、昇った角度で落下。
30歳の節目をすかんぴんの無職として迎えることとなりました。
どれだけお役に立つかわかりませんが、今回は、そのときの僕の体験談をお話しできればと思います。

 僕は起業に失敗した後、人生最大級のうつに襲われていました。
今日で僕の起業が完全に失敗してから1年半ほどが経つのですが、そのうち半年はほとんど動けない状態にあったと言っても過言ではないと思います。
 うつが訪れた理由は、二次障害の双極性障害の周期的なものに加え、何より僕が自身の生存を肯定できる理由をすべて失ってしまったのがいちばん大きいと思います。

 僕は、自分の能力の欠損を社会的な肩書やおカネといったもので埋め合わせることを目指して30歳まで生きてきました。
それは傍から見ると滑稽で無様な人生だったと思いますが、それでもそこには「前進をやめたら死んでしまう」という強烈な切迫感が存在していました。

「自分は劣った人間であり、そのままでは人間としての価値を認められることはできない。
だから成果を出して社会をねじ伏せるしかない」というモチベーションです。
僕の人生の原動力は往々にしてコンプレックスそのものでした。
 大学入試も就職活動もそうですが、社会的地位や名誉を手に入れれば自分の欠損が免罪されるのではないかという大きな期待があったのです。
そして得た成果から
「僕はこれだけの結果を出している。だから僕は自分を肯定していい、生きていていい」という自己肯定感を得ていました。
 それはもっと言えば、
「僕より結果を出せていない人間はたくさんいる。僕はあいつらよりは生きる価値がある」という、他人を見下して得る自己肯定感でもありました。

 最初の仕事を辞した後は、「自分はこれから起業するんだ。新たなチャレンジに打って出るんだ」という考え方で自己肯定感を確保していました。
しかし、起業が失敗に終わったことが確定的になったとき、僕を支えていた自己肯定感は跡形もなく吹き飛びました。

毎日、「飛び降りるビル」を下見していた
 そして、やってきたのが巨大なうつです。
当たり前ですよね。
自分自身の信奉する価値観に照らして、30年近くの間自分を支えた信念に照らして、まさに自分に生きる価値がないことが証明されてしまったのですから。
 いやー……キツかったですね。
対外的にはそれなりに振る舞っていましたが、毎日ほとんど寝て暮らし、ちょっと気力があれば死ぬための身辺整理を行い、飛び降りる予定のビルを下見する。
 そんなことを繰り返していました。
ここまで希死念慮が強まると、「下見」をしていたり「準備」をしているときはむしろ安らぎがやってくるのです。
まるで仕事を投げ出して旅行に行く準備をしているような心地好さがありました。
思い当たる節がある方も多いのではないでしょうか。

 ではなぜ死ななかったかというと、会社の残務整理があったからです。
会社の事業の9割方が売却されても、最後の最後にほんのちょっとした事業は残っていて、そこには従業員も1人残っていたのです。
 結局は、事業の本体がダメになってしまった後にその付属物であった小さな事業ひとつを継続しても意味はないと判断して売却しましたが、従業員に会社を離れてもらい諸々の整理を行う、この作業が長引きました。
僕が死ななかった理由は主にそれです。

 僕のように、単なるうつ状態を超えてしまった段階の「重いうつ」に関しては、経験上ひとつ明確な答えがあります。
うつのどん底でできることは、服薬して眠る以外に何もないということです。
まさに「うつの底」です。
 それは、雪山で吹雪に閉ざされたときに似ています。
雪洞を掘って、身体を丸めて眠る。
できることはそれだけなのです。
そして、それは生き残るための「行動」なのです。

吹雪は永遠にやまないかもしれない。
二度とここから動けないかもしれない。
それは十分ありうることです。

枕元に魔法瓶を置く
 うつのどん底にいたときに僕が最も助けられたアイテムは、魔法瓶です。
これに温かい紅茶を詰めて枕元に置くのです。
希死念慮がやってきたときは「とにかく温かいお茶を飲もう、それだけでいい」で意識をそらし、次は「お茶を補給しよう、それができれば十分」で達成感を回復しました。

 僕のどん底は冬でしたので、「寒い。
しかしストーブの灯油を補給する気力もない」ということはよくありました。
そんなときに温かな魔法瓶のお茶は本当に大きな救いでした。
これで、玄関まで歩いて灯油を補給する気力を引っ張り出せました。
 中身は、シンプルにひたすら甘いストレートの紅茶がおすすめです。
ミルクは胃に重くて飲めなくなるので推奨しません。
レモンは悪くないです。

食べ物は、カロリーメイトなどを大量に買って枕元に置き、紅茶で湿らせて食べるのがおすすめです。
まるで遭難者ですが、実際に遭難者なのです。
 どん底中のどん底だった1週間ほどが過ぎて、お風呂に入れるようになったときに「底を抜けた」と感じました。

 うつの経験がある方はわかると思いますが、うつがひどくなるとシャワーひとつ浴びることができなくなります。
これは若い頃の話ですが、やはりうつのどん底にいたとき、僕はトイレまで歩くことができず失禁し、その処理すらできず、悪臭の中で1日横たわっていました。

うつというのは悪化すると、そこまでに人間のすべてを奪う病気です。
 「うつのどん底」を抜けて少し回復が始まったとき、次は何とか「自己肯定感」、少なくとも自分が生きていていいという感覚を取り戻すための戦いが始まりました。
 僕の場合、まだ希死念慮が抜けていなかったこのタイミングで、人生に絶望した友人から電話がかかってきたのが大きな救いになりました。

 「死にたい。自分には生きる価値がない」と言う友人に対して、僕は極めて自然に「価値がなくたって死ぬ必要はない」と主張しました。
 自分でもなぜそんなことを言ったのかわかりません。
もちろん、何の根拠もない話です。
自分自身が生きる価値を見失って死にたいと思っていたところなのだから、欺瞞もいいところです。
 僕自身の価値観に照らせば、「確かにおまえに生きる価値はない」と言うべきところです。
この電話は「お互い何とか生きようよ」というところで終わったのですが、とても大きな示唆を僕に与えてくれました。

 自己肯定は無根拠であるに越したことはないのです。
根拠のある自己肯定は、根拠が失われれば消え去ってしまう。
 では、無根拠な自己肯定を手に入れる方法は何か。
それは無根拠に他者の生を肯定することそのものだと思います。
他者を肯定した分だけ、自分も肯定していいという考え方です。

少なくとも、自分の生を無根拠に肯定するよりは他者の生を無根拠に肯定するほうが簡単です。
 誰だって、友人が「俺には生きる価値がない」と言っていれば「そんなことはないし、価値なんかなくたって生きていていい」と言いたくなるでしょう。
それを「利用」するのです。

他者を見下して笑った
自分の人差し指は自分を突き刺す
 自分が何かを(おカネを、あるいは社会的地位を)持っていることで他者を見下して自己肯定感を得ていた場合、それが失われたときには間違いなく自己肯定感を失います。
 しかし、他者に対して「何もなくてもあなたは生きる価値がある。
そこには根拠はいらない」と普段から主張していれば、それを自分に適用するのはそう難しいことではないでしょう。
少なくとも、かつて他人を見下した自分の目に、他者を指差して笑った自分の人差し指に突き刺されることは防げます。
 他者を見下す無意識の目線は恐ろしいです。
それを他人に向けているうちは問題ないですが、自分が「見下される」側になったとき、まるで槍のように降り注ぎます。

人間がうつの底で異様に謙虚になってしまうあの現象も相まって、本当に危ない状態に陥ります。
 もちろん、「自分は自己肯定の根拠を失うことはない。
他者に対して自分が優越していることはモチベーションの源だ」という考え方も一理あります。
人生が好調に推移しているとき、それは強力なエンジンになるでしょう。
 しかし、自分が「すべてを失うこともありうる」と考えるならば、この考え方は採用しないほうがいいと思います。
倫理的な問題ではまったくなく、リスク管理の問題として。
 根拠ある肯定感は、根拠が消し飛べば一緒に消えてなくなります。
具体的な自己肯定の根拠は助けになることもありますが、実を言えばリスクと隣り合わせです。
あらゆるものは失われる可能性があるのですから。
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2018年06月09日

官僚が権力に忖度し中立性を失った国は誤った道へ向かう

官僚が権力に忖度し
  中立性を失った国は
     誤った道へ向かう
2018年6月8日 日刊ゲンダイ

高橋乗宣エコノミスト
 森友学園への国有地払い下げを巡る決裁文書改ざん問題で今週、財務省が調査報告書をようやく発表した。
改ざんの背景には「私や妻が関係していたなら首相も国会議員も辞める」という安倍首相の国会答弁があったとハッキリ示したものの、それでも「忖度はなかった」「昭恵夫人は関係ない」と結論づけた。
結局、財務省は調査報告書でも安倍首相夫妻に忖度したとしか思えない。

 財務省と改称される前の大蔵省といえば、かつては超エリート官僚の集団だった。
それが今や公文書の改ざん、廃棄に加え、次官のセクハラ騒動と“劣化”の表面化が止まらない。
 公文書に手を加えないのは公務員の仕事のイロハのイだ。
そんなことは百も承知で行政の実態を国民の目からヒタ隠しにしたのは、どう考えても総理への忖度である。

 安倍首相にとって不都合なことは全て書き換え、あるいは消してしまう。
かつてのエリート官庁が忖度だらけの役所へと成り下がり、政権に服従する姿は民主主義の根幹である三権分立が、音を立てて崩れ去っていると痛感させられる。
 立法府である国会が選んだ政権のトップが、どんなに愚かな人物であろうと、官僚機構がプロとしてシッカリと行政を担っていれば、この国はそうやすやすと愚かな道へと歩みを進めることはない。だからこそ、官僚には政治的中立性が求められ、その順守が大事なのである。

 ところが、今のように官僚がトップに忖度しまくり、政治と行政が一体化し、時の政権の“操り人形”となってしまえば、一国が道を誤る可能性は増す。
三権分立が有名無実化した以上、日本の民主主義は危機的状況に差し掛かり、時の政権がこの国を誤った方向へと導きかねないのだ。

 そもそも安倍首相は民主主義的手続きとは対極に位置する政治家だ。
政権に返り咲いて以降の5年以上を振り返れば、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪など現行憲法の定めに抵触しそうな危うい法律を次々と強行的手段で成立させてきた。

 安倍首相の家系をたどれば、岸信介元首相に行き当たり、麻生財務相は吉田茂元首相の系譜を継いでいる。
この政権の非民主性は、ツートップがいにしえからの権力者の一族に生まれ、その後継者として育てられたことと無関係ではあるまい。
 こんな政権が「右へ倣え」と命じる前から、官僚たちが黙って右を向いて整列し、ヘーコラ、ヘーコラとこびへつらう姿を見せつけられると、改めて民主主義の危機を思い知らされる。
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2018年06月10日

ネット右翼のアイドルはこうして自滅した

ネット右翼のアイドルは
こうして自滅した
2018/06/09プレジデントオンライン (古谷 経衡)

南京事件における「百人斬り訴訟」の弁護を務めたことで保守派の注目を集めた稲田朋美氏。
その後は衆院議員、防衛大臣とステップアップしたが、PKO部隊の日報問題で辞任した。
文筆家の古谷経衡氏は「よく言えば無垢、悪く言えば無教養。防衛大臣という重責を果たす実力がないにもかかわらず、ゲタを履かされた状態で任され、そして自業自得の如く自滅した」と分析する――。

※本稿は、古谷経衡『女政治家の通信簿』(小学館新書)の一部を再編集したものです。

稲田朋美 元防衛大臣 1959年生まれ。
福井県越前市出身。
早稲田大学法学部卒。
弁護士として、南京事件における「百人斬り」報道名誉毀損訴訟に携わり、保守論壇で注目を集める。

2005年郵政選挙にて「刺客候補」として出馬(福井1区)、当選。第二次安倍政権で防衛大臣を務めるも、17年、PKO部隊の日報問題で辞任。
2005年の総選挙(郵政選挙)での当選以来、福井1区から代議士としてのキャリアを重ねた稲田朋美が、安倍総理からの「寵愛」ともとれる厚遇を受けるとともに、入閣前から圧倒的なネット右翼からの熱狂的支持を集めたのも、この「漠然と全部右」の世界観ゆえであろう。

稲田朋美には保守の世界観や、タカ派的価値観が虫食い状に存在するだけで、そこに体系的なものを発見することができない。
後述するように、この虫食い状の「保守色」は、稲田が「30歳まで東京裁判のことをほとんど知らなかった」という後天性を有するためである。
だからこそ稲田の世界観には筋の通った体系的な保守的世界観がない代わりに、漠然と当世の保守やネット右翼が好むものをトレースする態度がうかがわれる。

当時、ネット上での愛称は「ともちん」。
小池と並んで「初の女性総理待望論」まで出るほど、彼女の見せかけの評価はうなぎ登りであった。
そんな稲田に、第二次安倍政権で入閣の秋波が送られたのは必然の理、と言える。
事実、2012年の自民党総裁選では、第1回投票において地方票で圧倒した石破茂を安倍晋三が破った際、最初から安倍の推薦人に名を連ねていたのは稲田だ。
稲田は小泉チルドレンであると同時に安倍チルドレンであり、安倍の重臣のひとりであった。

しかしこれは稲田に実力があったからではない。

熱狂的な支持のきっかけは「百人斬り訴訟」
そもそもなぜ稲田はネット右翼から熱狂的な支持を受けるに至り、「ともちん」の愛称で呼ばれるほどの「アイドル」として登場してきたのか。
きっかけは2003年。
弁護士であった稲田が毎日新聞、朝日新聞、そして朝日新聞記者を相手どり「百人斬り訴訟」裁判の原告側代理人を務めたことである。
「百人斬り訴訟」とは日中戦争当時、南京攻略戦(行軍中)に際して日本陸軍の野田毅少尉と向井敏明少尉の両名(階級は事件当時)が、敵軍(中国国民党軍)兵士百名の首数を競ったという、「百人斬り競争」なる戦時中の新聞報道に対する、遺族らからの「名誉回復」を求める趣旨の提訴(2003年)である。

当時の報道は、東京日日新聞等で行われ、多くの後追い報道やそれを前提とした書籍等が出たが、この東京日日新聞がのちの毎日新聞となる。
つまり半世紀以上前の記事の内容を名誉棄損であるとして、遺族らが訴えるという裁判の弁護人を引き受けたのが稲田であった。
そして簡潔に言えば、この裁判は、毎日新聞・朝日新聞というリベラル系メディア批判を梃子に、「南京大虐殺は無かった」「南京大虐殺はでっち上げ」という、当時保守派一般に認知されていた主張を全面的に肯定する運動の中心となり、その主張に稲田が弁護士として共感し、その弁護活動に奔走したことになる。

しかしこの「百人斬り訴訟」は、野田・向井両名の遺族からの名誉回復が本義であると同時に、「南京大虐殺はでっちあげ」論を司法の場で認定させ、そして右派側からみれば仇敵たる既存のリベラルメディア、つまり毎日新聞や朝日新聞攻撃の嚆矢(こうし)としよう、という一種の右派イデオロギー運動に移り変わっていたのである。
結果、この裁判は東京地裁に原告請求が全面棄却される。
その後、原告は東京高裁に控訴したがこれも原告請求棄却、と結論は同じ。
結局、上告審である最高裁でも結論は同じで、原告敗訴が確定した。
なぜなら裁判所によって「百人斬り」は「全くの虚偽であると認めることはできない」と認定されたからである。
稲田はとんだ歴史修正主義をかざして訴訟に及んだものの、司法の場からその主張を却下されたのである。 稲田が原告代理人をつとめた「百人斬り訴訟」を皮切りに、右派によるリベラルメディアに対する濫訴はエスカレートした。

裁判の勝敗はともかく、「既存のリベラルメディアを糾弾する運動」は、当時のネット界隈を巻き込んで一大保守運動に発展したのであり、この契機を作った1人が稲田であると言えるのである。

右派的世界観に「ある日、目覚めた」
ゼロ年代中盤、保守界隈の中で「南京大虐殺否定」は一種の保守運動のトレンドであった。
稲田は「百人斬り訴訟」に負けたとはいえその功績大なりとして、2005年に保守系論壇誌『正論』にデビュー。
本格的に保守系言論人としての箔を付けていくことになる。
稲田の自伝的エッセイ、『私は日本を守りたい─家族、ふるさと、わが祖国』(PHP研究所、後半は櫻井よしことの対談を収録)では、保守界隈とネット右翼に共通する世界観を、稲田が見事なまでにトレースしている様と、本人の愛国心「覚醒」の経緯が、縷々本人の手で詳述されている。

稲田が同書の中で、「私の政治家としての原点」としての人生観を開陳する冒頭部分に、稲田の世界観の全てが凝縮されている。
「30歳を過ぎるころ」まで政治や歴史に何の関心も持たなかった市井の人々が、ひょんなことから右派的世界観に開眼する。
ネット右翼の常套句として「目覚める」という表現がある。
それまで左派メディアの洗脳による間違った歴史観に洗脳されていたが、或る日を契機に目覚めた──というものだ。

悪意を持った巨大な権力体=既存のメディアが、祖国日本を貶めるために不都合な真実=東京裁判史観を押し付け、本当の歴史を遮蔽している。
その真実=日本や日本軍は悪ではない、に目覚めなければならない。
稲田も後発のネット右翼であった。
が、彼女が凡百のそれと違ったのは、弁護士であるという社会的地位である。
これにより稲田は、福井から代議士の道をひた歩むことになる。

よく言えば無垢、悪く言えば無教養
保守界隈に承認され、そこにぶらさがるネット右翼から熱狂的な支持をもって迎えられた稲田は、2009年に自民党が下野すると、ますます「初の女性総理大臣」としての待望論がくすぶるようになる。
前述したように、稲田は「30歳を過ぎるまで」東京裁判のことすらろくに知らないと、自身によって吐露しているくらいのレベルである。
よく言えば無垢、悪く言えば無教養の稲田が、「百人斬り裁判」を契機に熱狂的な保守派・ネット右翼の支持を受け、衆議院議員になったところで「30歳」までの無学習の「つけ」が、帳消しになるものではない。

この自身でも認める無知・無教養ぶりを土台として打ち立てられた政治家・稲田朋美の政治観は、必然的に既存の保守、ネット右翼の開陳する既定の方針をトレースすることになる。
憲法9条改正は当然肯定、靖国神社参拝は全力肯定、教育勅語廃止と教育基本法によって堕落した戦後の日本人云々、選択的夫婦別姓絶対反対、在日外国人参政権絶対反対等々を開陳し、それら全てを「戦後レジームからの脱却」「美しい国」「目指すべき道義大国」などと、安倍内閣のスローガンと直線的に結びつけた。

稲田が特にこだわったのが、外国人問題である。与党民主党(当時)の政策で海外に住む子どもの分も申請できた「子ども手当」に反対の態度を鮮明にし、外国人への生活保護問題を執拗に国会で追及すると、その模様がユーチューブなどに転載され、その都度ネット右翼の喝采を浴びた。
この時期、民主党政権下でフラストレーションの溜まった自民党支持のネット右翼の多くが、「子ども手当」批判の論拠を稲田の理屈に求めた。
巨視的に言えば「子ども手当」は出生率向上や子を持つ貧困世帯救済を目指した再分配制度だったが、稲田は「500人を超える国外の外国人の子息へ血税が使われると国が亡ぶ」として執拗に、支給の対象は日本国籍を持つ日本人に限ると強調した。

野党の質問に涙ぐむ防衛大臣
2012年末、自民党が衆議院解散総選挙で民主党を下して第二次安倍内閣が成立すると、稲田は内閣府特命担当大臣に抜擢され入閣する。
安倍内閣は「クールジャパン戦略」を掲げ、その根幹として「クールジャパン推進会議」を設置。有識者を招いて国の文化戦略の方針を議論させた。
その議長となったのが稲田であった。
アニメ、漫画、コスプレ、果ては「カワイイ」に代表される日本のポップカルチャーや若者文化を、海外に積極的に売り出していこうというのが趣旨の「クールジャパン推進会議」は、しかし議事録を読む限りにおいては惨たんたる状態であった。
特に議長を務めた稲田の文化に対する無知ぶりは、突出を通り越して失笑を買った。
国家の文化戦略の長をつかさどる稲田のこのような不見識は、当時、辛うじて失笑で済まされた半ばギャグのような失態であった。

が、この後「防衛大臣」の重責を任されると、民進党の辻元清美議員からの追及に涙ぐむ(2016年9月)。

国家国防を任された陸海空三軍のトップが、いち野党議員の質問に窮して泣き出すという不始末に、稲田の人格的欠点であるという以前に、防衛組織の長としての資質を危ぶむ声も出始めた。
この事実は、民進党や辻元議員を蛇蝎(だかつ)の如く敵視する保守層・ネット右翼層全般にとっても、「オウンゴール」として叱咤の対象となるのは当然である。
思えばこの「涙ぐみ」事件以降、稲田を支持してきた保守層やネット右翼界隈からも、稲田への支持は急速に色あせていったように思う。
「少しの追及で涙ぐむ稲田が自衛隊のトップで、この国の防衛は本当に大丈夫なのか──」保守層ならずとも、誰しもがこのような感想を持ったであろう。
必然、同じ防衛大臣を務めた自民党時代の小池百合子(第一次安倍内閣)との比較がなされる。
どう考えても、小池の方が防衛大臣としての風格は上であり、それに対して稲田は素人同然である。

「辻元に(すら)負けた稲田──」。
稲田に対する熱狂的な支持はこれを機に、2016年秋ごろから徐々にだが、はっきりと後退していく。

「グッドルッキング」を自称 極めつきはシンガポールの国際防衛会議で自らを「グッドルッキング(美しい容姿)」と自称するなどの奇行・奇言が目立ち始めたことだ。
2017年に入ると、ゼロ年代にあれだけ保守界隈、ネット右翼界隈から「ネット右翼のアイドル」として支持されてきた稲田の権勢は衰退し、稲田は一転して嘲笑の対象になりつつあった。
そこへきて「日報」問題がとどめを刺した。
稲田の辞任は、こういった稲田自身の素養の欠如の積み重ねが招いた必然である。

「30歳を過ぎるころまで政治や歴史に何の関心も持たなかった市井の弁護士」が、ある日、ネット右翼的世界観に「目覚め」たことにより、一挙に保守層・ネット右翼層の寵愛を受け、代議士にまでなったのは、稲田が女性だったからだ。
無知が故に既存の右派的世界観を忠実にトレースし、またトレースするしか術を持たなかった稲田は、防衛大臣という国家の防衛を担う重責を、全く果たす実力がないにもかかわらず、ゲタを履かされた状態で任され、そして自業自得の如く自滅するに至る。(文中敬称略)
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2018年06月11日

結愛ちゃんを見殺しにした児童相談所の大罪

結愛ちゃんを見殺しにした
児童相談所の大罪
サボタージュ職員への罰則規定が必要だ
2018年06月09日 東洋経済(ミセス・パンプキン)

「もっともっときょうよりかあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」などとノートに綴ったのは、就学前の5歳で親からの虐待で命を落とした東京・目黒区の船戸結愛ちゃんでした。

どんな思いで彼女がこれを書いたかと想像するだけで悲しすぎ、胸が詰まって、憤りが収まりません。

繰り返される無責任体制
事件が詳しく報じられるにつけ、今回もまた、児童相談所がその職責を果たさなかったことが浮き彫りになっています。
もちろん一番罪深いのは虐待した親ですが、私は何よりも児童相談所職員が、「手が足らない」「事件性がなかった」などと理由を並べ、サボタージュに近い仕事ぶりでも何の罪も問われないことが繰り返されている点に、強い憤りを覚えます。

佐々木拓夢ちゃん、斎藤理玖くん、坂本愛羅ちゃんたちは、まだ記憶に新しい名前です。
2006年に京都府長岡京市で虐待・餓死した3歳の佐々木拓夢ちゃんは、その年の6月から10月の間に、少なくとも5回の住民や自治会から虐待の通報をしたのに、児童相談所も警察も動かなかったことで忘れられない事件です。

拓夢ちゃんの姉(6歳)がトイレの窓から道行く人に、「なにかたべものをちょうだい」と訴えて保護されている間のできごとでした。 児童相談所は一度も立ち入りをせず、電話で父親に確認しただけでした。
「はい、実は虐待しています」と認めるとでも思ったのでしょうか。
この時の京都府児童相談所の所長は、「判断に甘さがあった」と会見しました。
その直前には厚生労働省からの通達もあり、さすがに以降はもっと警察との連携も密にし、全国の児童相談所が教訓として生かすようになったのだろうと信じました。

ゴミまみれの中で白骨体
2014年に発覚した厚木市の理玖くんの事件も凄惨でした。
マンションの一室に閉じ込められ、パンかおにぎりを、虐待する犬に与えるように与えられた5歳児の理玖ちゃんは、立ち去ろうとする父親の服を衰弱する身で引っ張り、最後に「パパ」と呼びました。
それは2006年ごろのことでした。
その前の歩ける時には、おむつ姿ではだしで道を歩いているのを「迷い子」として保護されましたが、警察と児童相談所は家に帰しているのです。
その後、与えるパンなども週に1〜2度になり、生きていたら中学に入学する年になって、ゴミまみれの中で白骨体で発見されました。
小学校入学時にも発見されるチャンスはありましたが(手遅れでしたが)、この問題について誰一人責任を問われていません。

2014年に2歳で虐待死した愛羅ちゃんは2本の肋骨の骨折や40カ所の傷やあざを負い、虐待死しました。
虐待を疑われる通報で、その死の5日前に駆け付けた警察署員は「服を脱がせるタイミングがなく、(虐待の痕を)発見できなかった」と言ったと報じられました。
「駆け付けた」だけで、彼らの任務は終了していたということです。
この時も児童相談所は半年以上愛羅ちゃんの姿を確認していないのに、「母親は問題ないと言っていたから」と言い逃れをしています。

心中を除いた児童虐待死は、年間50人以上にのぼります(NPO法人児童虐待防止全国ネットワーク)、防ぐ手立てがあった事件も多いにもかかわらず、なぜ言い訳が通用し続けるのでしょうか。

結愛ちゃんは周囲から見殺しにされた
結愛ちゃんは目黒区に引っ越してくる前の香川県善通寺市で二度も、下唇などに傷を負いながら外に出されているところを保護されています。
その時は父親への思いを、言葉ではうまく言えないと手紙でサラサラ書いたそうです。
恐怖が強かったのでしょう。
「パパ、ママ、いらん」「お父さんにたたかれた」「けられた」「まえのパパがよかった」とも言っていたそうです。
そして二度とも父親は書類送検されたのに不起訴になり、一時保護も解除されています。
その後の病院からの虐待の痕跡の通知にも保護装置は取られていませんでした。
本来であれば、この段階で彼女の命は救えたはずでした。

「他県への引っ越し」という重大サイン
虐待をしている親は、児童相談所から逃れるために他府県に引っ越すことが多いそうですが、昨年末、結愛ちゃんの親も東京に引っ越しました。
香川児童相談所では「指導措置を解除したが、支援の必要はあり、緊急性の高い事案として継続した対応を求めた」としています。
しかし品川児童相談所では「緊急性が高いと言う説明はなかった」と反論したと報じられています。
どちらが嘘をついているか、より無責任なのかは今の時点では判りませんが、引っ越し早々、叫んでいるような泣き方だという通報が、近所からもなされたようです。

2月9日に品川児童相談所は結愛ちゃん宅を訪問しています。
母親が「関わってほしくない」と言ったということは、重度の虐待のサインですが、すごすごと引き下がっていますが、この時点でも厳正に対処すれば、警察と連携して命を救えたはずです。
そして2月20日に地元小学校の入学説明会にも結愛ちゃんが来なかった段階で、過去の彼らの履歴と引っ越しと、9日の面会拒絶と数々の教訓を考えれば、結愛ちゃんに何が起きているか、素人でも判断がつくことです。

実母には「実行犯」以上の罪がある
いったい、これだけ多く行政機関が関わっていながら、そろいもそろってサボタージュがあったというのでしょうか。
「手が足らない」と決まり文句のように言っていますが、では、命を救うよりも、何を優先していたのでしょうか。
是非、聞きたいところです。

この10日後に結愛ちゃんは病院に搬送されています。
亡くなった時は、5歳児の標準体重を7キロも下回る12キロだったそうです。
結愛ちゃんの継父と実母の間にできた弟は両親と共によく外食していたそうで、実母は、自分の立場が危うくなるのを恐れ、夫に従い、見て見ぬ振りをしたとか。
自分が殺される覚悟を持っても、結愛ちゃんを他ヘ預けることは出来たはずです。
よく食事が喉を通ったものだと思います。

このような事件の実母には、実行犯以上の(否、同様の)罪と憤りを感じます。
産むのは一人前で、その後は動物以下 これが鬼畜でなくて何でしょうか。
産むのは一人前で、その後は動物以下の人間がこれほど多く、絶えることがないことに開いた口がふさがりません。
このように民事不介入では救えない命が多すぎることから、児童相談所の権限も拡大され、警察との連携で多くの命が救えるシステムになったと理解してきました。
事件が起こるたびに、「二度と繰り返さないよう、これから会議をし、検討します」と繰り返してもきました。
ところでいくら会議しても教訓が生かされない以上、それらはすべて、ポーズにしか見えません。

彼らは前例主義とポーズだけで給料がもらえる結構な身分だと言わざるを得ません。
命を預かる役所がこれでいいのでしょうか。

不作為の罪を問うべきだ
例えば結愛ちゃんの事件では、先の2月9日に、面会を母親に拒否された段階で、そのまま放っておいた児童相談所職員とその上司等は、明確に不作為の罪に問われる法を作るべきです。
そうでなければ、いったい何のための児童相談所でしょうか。

6月8日の小池百合子知事は、「品川児童相談所が出かけたが、会えなかったという不幸が重なり、尊い命が奪われた」と都の定例会見で述べています。
「一度は訪問した。会えなかった不幸が重なっただけ」と言っているように聞こえましたが、6月9日朝のフジテレビに出演した後藤啓二弁護士によると、3年前から児童相談所の対応を改善することを求める要望書を何度も提出してきたが、知事からも児相からも、無回答が続いたそうです。

5歳の結愛ちゃんは、「これまでどれだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめるので もうぜったいやらないからね ぜったいぜったいやくそくします」と書き、電灯も暖房もない部屋で「勉強」させられて、逝きました。
なんて悲しいことでしょうか。
それまでに何度も救うチャンスはあったのは、上記の通りです。
そして今回もまた、不作為の罪に問われる公務員は一人もいません
「胸は痛む」という道義上の責任があるだけでしょうか?
解釈が複雑で適用が難しい法を何本も作るより、この段階でも明らかに不作為による罰則規定を作る方が、数倍、救われる命があるのは確実です。
こればかりは性善説に限界があると、訴えるものです。
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2018年06月12日

氾濫する「歯磨き情報」にまつわる5つの誤解 歯科医が解説

氾濫する「歯磨き情報」に
まつわる5つの誤解
歯科医が解説
2018年06月08日 日刊ゲンダイヘルスケア

 最近、歯磨きにまつわる医療情報が氾濫している。
「歯磨き粉は必要ない」というものから「歯磨き自体が必要ない」
「いや歯を磨いてはいけない」など、かつての医学常識から見ると驚天動地の話も多い。
どう受け止めればいいのか?
 自由診療歯科医で「八重洲歯科クリニック」(東京・京橋)の木村陽介院長に聞いた。

【1】食事の後すぐに
    磨いてはいけない

 これまで歯磨きは「1日3回、食後3分以内に、3分間」が常識とされた。
しかし、真っ向から反対する歯科医師もいる。
 唾液は虫歯菌や歯周病菌などの口腔内細菌を除去してくれるうえ、食後に軟らかくなった歯を30〜60分かけて元に戻す働きがある。
食後の歯磨きはその大切な唾液を洗い流してしまうので、逆に口腔内細菌が増殖しやすくなるというのだ。

「唾液に殺菌作用があるのは本当です。
まれに歯磨きをしなくても虫歯一本ない人もいます。
だからといって誰もが歯磨きをしないでいい理由にはなりません。
そんな人でも、加齢や飲んでいる薬の種類や睡眠不足などで唾液の量は減り、質も落ちる。
そうなると、食後に歯磨きしないと、すぐに虫歯や歯周病になります」

 第一、虫歯や歯周病になるのは歯と歯の間や歯ぐきのくぼみなど。すでに虫歯の原因菌であるミュータンス菌が歯の表面にプラークをつくっていれば、歯磨きで破壊しなければ、いくら強力な抗菌作用のある唾液の持ち主でも歯の再石灰化ができず、意味をなさない。

【2】口臭は間違った
  磨き方をしているから

 歯と歯の間や歯周ポケットに食べかすが残って腐敗することもあるが、口臭には寝起きや空腹時など誰にでも起きる生理的口臭もある。
ほかに飲酒や喫煙やニンニクなどの飲食物・嗜好品による口臭、虫歯や歯周病、鼻、のど、消化器などの病気が引き金になる病的口臭、ストレスが原因の口臭がある。
見逃せないのは舌苔の臭いだ。
「舌の表面は角質が伸びて硬くなり、そのすき間に細菌や食べかすがたまった舌苔は卵が腐ったような強い臭いがします」

【3】「磨いた気にさせる」
    歯磨き粉は不要

 歯磨き粉には、虫歯予防や歯周病予防などの目的に応じていろいろな成分が入っている。
歯磨き粉のしっとり感を保つ「湿潤剤」、口の中を泡立てる「発泡剤」、茶渋やたばこのヤニを落とす「研磨剤」、爽快感や香りをつける「香味」などだ。

「これらの成分は歯ブラシを短時間使用しただけで十分磨いた気にさせるものもあります。
その意味では歯磨き粉はかえってマイナスかもしれません。
しかし、フッ素入りの歯磨き粉はプラークの細菌の活動を抑え込み、溶けたエナメル質の修理、歯質の強化など、虫歯の発生を予防するために効果がある。
歯ぐきが下がり歯根が出ている中高年はとくに必要です」

【4】電動歯ブラシは
    中高年に向かない

パワーがあり、手磨きのように力加減がうまくできないため、歯の表面や歯ぐきを磨き過ぎてかえって傷めてしまう。
こうした理由から敬遠する人は多い。
しかし、最近はセンサーを搭載してスマホアプリを見ながら使う「スマート歯ブラシ」が登場、中高年でも安心して使えるようになった。
「歯科医師が利用者の口腔内を見て、歯並びや歯垢のたまっている場所をチェック。
それを電動歯ブラシに登録、この情報をもとに理想的な歯磨きが行えるようになりました。
歯磨きの最中に設定した角度や力から外れると本体のランプが点灯して間違いを正してくれるものもあります」
 中には歯磨きが終わった後に、正しい歯磨きができたかどうか、アプリが成績を表示してくれるものも。

「そもそも電動歯ブラシは手磨きでは難しい場所まで磨いてくれるわけで、使い方を歯ブラシ自体がリードしてくれるのなら利用すべきです」

【5】プラークがたまりやすい
歯と歯の間はデンタルフロスや
歯間ブラシだけでいい

 プラークがたまりやすいのは「歯と歯の間」。
歯の表面を磨くことが多く、こうした場所は磨きにくい歯ブラシの代わりに、デンタルフロスや歯間ブラシを使う方がいい。
ならばデンタルフロスや歯間ブラシを使えば、歯ブラシは必要ないとの意見がある。
「歯ブラシだけでは歯と歯の間や歯の付け根は60%程度しか磨けませんが、デンタルフロスや歯間ブラシを併用すると90%近くのプラークを取り除ける。
それなら、デンタルフロスや歯間ブラシだけでよさそうに思うかもしれませんが、それだと歯の表面の汚れや、歯と歯ぐきのくぼみなどの掃除はできません」

小だぬきの反省→
一昨日、ワンタンメンを食べている時 歯に違和感。
なんと前歯差し歯6本が抜けていたのです。
30数年前、最後に治療を受けた 歯科医院に急遽電話し 11日飛び入りにもかかわらず 1時間に渡りレントゲンと歯頚の型どり。
なんと「今の歯を全部抜き総入れ歯にした方がいい」との提案に「はい」。
縁とは不思議で、私が埼玉県赴任中も 父と母が通院・検査していたことを医院長が覚えてくれていて、「しっかりがんばりましょうね。私もサポートを全力でします」と言ってくれました
読んでくれた皆さん、私のように歯を失うことになったら遅い。
大切にしてくださいね。
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2018年06月13日

「勝てるはずの新潟」で野党が敗れた深刻理由

「勝てるはずの新潟」で
  野党が敗れた深刻理由
前回の知事選よりも有利だったが…
2018年06月12日 東洋経済

安積 明子 : ジャーナリスト

6月10日に投開票された新潟県知事選は、自民党と公明党が支持した元海上保安庁次長の花角英世氏が54万6670票を獲得して当選した。
野党5党などが推薦した前県議の池田千賀子氏が獲得したのは50万9568票で、その差は3万7102票。
投票率は58.25%で、非自民党候補が当選した前回の選挙を5.2ポイント上回っている。

注目度の高かった選挙での敗退はまさしく野党にとっては「痛い」結果となった。
その敗因とは何なのだろか。

優勢と考えていた野党側に「緩み」
まず気になるのは野党側に「緩み」があったのではないかという点だ。
筆者が入手した国民民主党による5月26日・27日の調査結果では、池田氏が43.9に対して花角氏が33.7で、池田氏が10ポイントもリードしていた。
一方で自民党が5月19日・20日に行った調査では花角氏が43.3に対し池田氏が38.1、5月26日・27日の調査では花角氏が44.0に対して池田氏が41.5と接戦状態だった。

実際にはどうだったのか。
選挙戦の最中に日本共産党関係者に聞いてみたところ、「うちの感触は自公支持候補がややリードの接戦。池田候補が大きくリードしていると見ていない」とのことだった。
しかし、終盤になって池田氏が猛撃することが予想された。
というのも、2016年の知事選では当初、自民党と公明党が推薦した森民夫候補がリードしていたが、最終盤になって共産党や自由党、社民党などが推薦した米山隆一候補が競り勝った経緯があるからだ。

ただしこの時は、連合新潟は原発再稼働に反対した米山氏に反発し、森氏を支援した。
当初、連合を支持母体とした民進党は静観を決め込んだが、米山氏が有利と見るや、党内での求心力を回復したい蓮舫代表(当時)が新潟入りして応援するなど野党による支援体制は弱かった。
それに対し、今回は連合新潟が池田氏を推薦し、立憲民主党や国民民主党もこれに倣っている。
いわば野党にとって、枠組みの上では前回の知事選よりも有利な条件が整っていたわけだ。

しかし政策の上ではそうではなかった。
野党側は争点を失った
花角氏は原発政策は米山前知事の路線を継承することを宣言。
自民党や公明党の推薦を断り、政党色を薄めるスタンスで臨んだ。
党側は争点を失い、中央からの応援弁士が訴えるのは森友学園問題や加計学園問題が多くなった。
これが有権者にとって、池田氏の「新潟のことは新潟で決める」というキャッチコピーと乖離を感じさせたのではないか。

さらに闘い方の差があった。
自民党は二階俊博幹事長の指揮の下で、地元の建設業者などを中心に大規模で綿密なローラー作戦を展開。

公明党は国政の代理戦争化を嫌ったとして一時は自主投票を決めたが、もともと花角氏と関係が深く、全力投入している。
このような徹底した「地上戦」は、野党が真似できるものではなかった。
花角氏の「副知事」などの経歴は市議3期・県議1期の池田氏より全県的に浸透しやすかったともいえる。

動員力は池田陣営の方が上だったが…
しかしながら動員力は池田陣営の方が上で、投開票日の10日夜に配信された選挙対策事務所の様子は、池田陣営の方が華やいで見えた。
自民党による調査では最終盤で花角氏が7ポイントリードしていたにもかかわらず、午後8時を過ぎてもなかなか当確の判断がつかなかったのは、こうした事情からだ。
花角陣営が「地上戦」に力を入れる一方、「空中戦」が手薄に見えた理由のひとつに、「応援すれば当選する」と言われる小泉進次郎衆議院議員が新潟に入らなかったことが挙げられる。
これには知事選告示日の前日に、反原発の講演のために新潟入りしていた父・小泉純一郎元首相が池田氏と面会しエールを送ったため、「親子分裂と言われるのを避けたのではないか」と言われた。

また官邸に批判的な進次郎氏が、新潟入りを拒否したとも囁かれた。
真相は不明だが、「選挙の人気者」が応援することなしに勝てたことで自信を深めたのは二階幹事長だろう。

花角氏は二階氏が運輸相時代に秘書官
今回の知事選を仕切っていたのは二階幹事長である。
花角氏は二階幹事長が運輸相時代に秘書官を務めている。
二階幹事長にとっては、かつての部下のためにも絶対に負けられない選挙といえた。
しかし二階幹事長にとってより重要なのは、9月の総裁選以降での党人事への影響だろう。

総裁選ではいまのところ有力な対抗馬がいない以上、安倍晋三首相の3選は確実とみられるが、二階幹事長の続投はどうか。
選挙に勝てない幹事長では、来年の統一地方選や参議院選では心もとない。

中野区で負ける以上、
新潟で負けられなかった
同日に行われた中野区長選では立憲民主党、国民民主党、自由党と社民党が推薦した元区職員の酒井直人氏が現職の田中大輔氏らを破って初当選。
区議補選でも当選したのは立憲民主党の杉山司氏だった。
もっとも現職を推す自民党の勝算は小さかった。

中野区を含む東京7区は立憲民主党の長妻昭政調会長のおひざ元であるうえ、衆議院選で自民党が最重点区として安倍首相や進次郎氏を応援に投入しても、なかなか勝てないという背景がある。
加えて自民党と公明党、維新が推した現職区長の田中大輔氏は、2002年に初当選した時には多選禁止を訴えて条例に規定を入れたが、前回の区長選で自らそれを削除。
これが区民の反発を招いた上、元都議の吉田康一郎候補が保守票を取り込んだために伸びなかったといえる。

よって中野区での勝利の見込みがなければ、当然新潟では負けられなかった。
さらにいえば、新潟県には世界最大の柏崎刈羽原発があり、その再稼働をめぐり国のエネルギー政策に大きな影響を及ぼす。
勝利のインパクトは新潟県知事選の方が大きい。
当選を果たした花角氏は今後2,3年かけて原発の安全性を検証した後、再稼働の是非を判断することを表明。
その場合は辞職・再出馬で県民の信を問うとしている。

こうした花角氏の主張に対し、永田町では「党本部に当選させてもらったわけだから、最終的には党本部の意向には逆らえないだろう」と見る向きも多い。
いずれにしろ花角氏の勝利で、安倍・二階体制はひとまず安泰といえるだろう。

内政には患いがなくなったように見える安倍首相だが、対外的には果たしてどうか。
6月12日に米朝首脳会談が行われ、極東アジアの外交安全が大きく変わろうとしているが、その波をうまく乗り切れるのか。政権としての正念場はまさにこれからだといえる。
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2018年06月14日

江川紹子「オウム事件風化の弊害」

「真相究明」「再発防止」を掲げる
「オウム事件真相究明の会」への
大いなる違和感
2018.06.13 Business Journal

文=江川紹子/ジャーナリスト

 どんなに卑劣な悪党であっても、その身内が“死刑は避けてほしい”と願うのは、責められない。
多少常軌を逸したことを言っても、それが本人の心情の吐露である限り、違和感があったとして聞かなかったフリをしてあげるのが人情というものだろう。

 そのため、オウム真理教の教祖麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の三女が、本を出したり、マスコミに出たり、はたまた被害者の会のイベントにまでやってきて、父親の精神状態の異常を語り、「真実」を語らせるために死刑執行を回避し治療をするよう訴えたことなどについて、私は発言を控えてきた。

ただし、被害者の会での振る舞いには、傷つき、心乱された被害者がいることは付記しておきたい。
 しかし、著名な文化人らがうちそろって、彼女の主張を代弁するような活動を始めたと聞けば、やはり座視できない。
ましてや、複数のジャーナリストが、その呼びかけ人や賛同人となり、事実をないがしろにした発信をしているとなると、さすがに黙っているわけにはいかない。
 というわけで、今回は「オウム事件真相究明の会」と名乗るグループが行った記者会見を取り上げる。  

彼らの主張は、
(1)麻原が内心を語っていないので「真相」は明らかになっていない
(2)麻原が真相を語らなかった理由は、精神に変調をきたしたから
(3)控訴審で事実の審理を行わずに控訴棄却とした裁判所が悪い
(4)「治療」して麻原に「真相」を語らせよう  というものだ。

麻原の三女が言ってきたこととまったく同じで、呼びかけ人は主張が一致することも認めている。
しかも、同会の発足記者会見が始まる前には、彼女が呼びかけ人らと話し込んでいる映像も出回った。

「真相究明」と言うが、オウム事件は、裁判を通じてすでに多くの事実が明らかになっている。
 坂本弁護士一家殺害事件では、麻原が実行犯に指示した言葉や様子も詳しく語られている。
地下鉄サリン事件の前には、教団とサリン生成を結びつける報道があり、慌てて手持ちのサリン等を処分したり、サリンプラントを宗教施設に偽装する工事を行ったりしたうえ、仮谷さん拉致事件での捜査が目前に迫り、捜査を回避しようと相当焦っていた状況も明らかになった。

そして謀議が行われ、実行犯が教祖からの指示を伝達され、犯行後に教祖本人から労われた状況も具体的な証言があった。
「真相究明の会」呼びかけ人の森達也氏は、「地下鉄サリン事件当時は“オウム絶頂期”であり、サリンをまく動機がわからない」と述べているが、とんでもない。
少しは判決文を読んだり、当時のメディアを調べるなどして、当時の教団の差し迫った状況を知ってから語っていただきたいものだ。

 麻原を裁く裁判も、事実を解明するために相当の時間と経費を費やしている。
一審では、初公判から判決まで7年10カ月をかけ、257回の公判を開き、事実の解明が行われた。
呼んだ証人は述べ522人。1258時間の尋問時間のうち、1052時間を弁護側が占めていた。
検察側証人に対しては詳細な反対尋問が行われていたことが、この数字からもわかるだろう。
麻原には、特別に12人もの国選弁護人がつけられ、その弁護費用は4億5200万円だった。

 控訴審で公判が開かれずに一審での死刑判決が確定したのは、弁護人が提出すべき控訴趣意書を提出しなかったためである。
当初、東京高裁は一審判決から約11カ月後の2005年1月11日を締め切り日としていたが、最終的には06年3月15日まで伸ばした。
それでも期日までに提出がなされず、控訴棄却となったのだ。
この時の弁護人は、弁護過誤を指摘され、所属弁護士会で懲戒された。
 高裁で公判が開かれなかったのは私も残念だったが、仮に行われたとしても弁護人にできることは限られると思われ、なんらかの新事実が明らかになる期待ももてなかったので、その結論を受け入れた。

「真相究明の会」が、これを受け入れらないというなら、批判の対象となるべきは、戦略を誤った弁護人だろう。
ところが彼らは、麻原三女の代理人を務めてきたこの弁護士の責任については、まったく触れようとしない。
 彼らが、「治療」によって麻原が自発的に真実をしゃべると本気で考えているとしたら、オウム真理教やこの男の人間性について、あまりにも無知と言わざるをえない。
麻原が、事件を指示した時の内心について語っていないのは、裁判所のせいでも、病気のせいでもない。
それは、裁判の経緯を少し振り返ればわかる。

自らの保身に執着し、
責任を弟子に押し付けた麻原
 1996年4月24日に行われた初公判で、地下鉄サリン、元信者リンチ殺害、薬物製造の各事件についての罪状認否を求められた麻原は、説法で多用していた宗教用語を並べて自分の心境について語り、「いかなる不自由、不幸、苦しみに対して一切頓着しない、聖無頓着の意識。
これ以上のことをここでお話しするつもりはありません」と述べただけで、事実についてはまったく語らなかった。
その後も、自らの刑事責任が問われる法廷での麻原は寡黙だった。

 同じ頃、公安審査委員会では、オウム真理教に対して破壊活動防止法に基づく解散命令を出すかどうかを決めるため、教団側の弁明を聞く手続きが行われていた。
5月15日、28日の弁明手続きには、麻原本人が出席。
教団の危険性や政治性を「ございません」「ありません」とことごとく否定し、実に饒舌に語った。

 自らが説いていた殺人を肯定する教義については「味の素のようなもの。味の素を入れなくても、醤油や味噌で味は出る」などと述べてはぐらかし、公安調査庁が教団の政治性の根拠としていた「祭政一致国家」の建国構想については「温泉町の何とか国と同じですよ」と軽口を叩いた。

 印象的だったのは、自分の支配力を小さく見せようと努めたことだ。
教団内では、信者に対して自分への「絶対的な帰依」を求め、強固な支配被支配の関係をつくっていたのに、「オウムは帰依の対象が複数あり、グルは絶対ではありません」と弁明。
さらに「弟子が私の言うことを聞かないことが多々あった」「私の権威の失墜の表れです」と嘆いてみせた。
 こうした弁明内容は、多くの信者の証言と異なり、とうてい事実とは認められない。

 オウムでは、凶悪事件にかかわった幹部たちが、「高い世界への転生」を意味する宗教用語「ポア」を、「殺人」の隠語として使っていた。
また、教団内で麻原は、「成就者」による「ポア」は罪ではなく救済だと説いていた。
逮捕前の麻原が、「成就者」としてふるまっていたことは、言うまでもない。
ところが弁明手続きの中で、公安調査庁側から「あなたは成就者なのか」と突っ込まれると、麻原は「お答えすることは差し控えたい。
私は疲れている。
揚げ足をとられるといけない」などと逃げた。

 自らの代理人の問いには言いたい放題。
ただし都合の悪いことは述べない。そんな態度で2回の弁明を乗り切る一方で、自らの責任が問われる刑事裁判では、認否を先送りする。
ところが、そうしている間にかつての弟子たちが次々に、教祖に関する事実を証言していた。
その情報は麻原の耳にも入っただろう。
自らの法廷でも、忠誠を誓っていたはずの井上嘉浩元幹部までが目前で「教祖の指示」を語る事態になった。
相当に焦ったに違いない。

第13回公判、井上証人への弁護人反対尋問中に、麻原は裁判長に対し尋問の中止を要求。
「これは被告人の権利です」とも言った。
 しかし弁護人は結局、尋問を続行した。
「教祖の指示」を語る井上証言は揺らがなかった。
 麻原にしてみれば、耳に入れたくない弟子たちの証言をやめさせようとしたのに、裁判所は受け入れず、弁護人も自分に従わず、不愉快な状況が続くことになったのである。

これを契機に、麻原は弁護人に対して拒絶的になり、法廷でも不規則発言をくり返して審理を妨害しようとするようになる。

 34回公判で、彼はようやく罪状認否を行った。
英語をまじえるなど奇妙な語り口ではあったが、地下鉄サリン事件について、村井秀夫元幹部や井上らに「ストップをかけた」と述べ、坂本弁護士一家殺害事件についても「私自身が一切指示していない」などと言い、起訴された17件のうち16件について無罪を主張した(1件は認否留保)。
 このように、彼は真実を語る機会があっても、常に保身をはかり、事実と向き合わず、責任を弟子に押し付ける態度を続けてきた。
この事実を無視してはならない。

同会の人たちは、何を根拠に、彼が自発的に「真相」を語るようになる、と言うのだろうか。
カルト事件の「再発防止」に必要なのは  呼びかけ人の雨宮処凛氏は、「麻原に本当のことをしゃべらせよう」と言う。
そんなお気軽な物言いはやめてもらいたい。
麻原の弁護人や検察官、裁判官だけでなく、かつての弟子たちが、全身全霊をかけて語りかけ、血がほとばしるように説得をしても、彼は頑強に真実を語ることを拒んだのだ。
 地下鉄サリン事件が起きて3年後に、雨宮氏は「オウムへのシンパシー」を問われて、「ムチャクチャありますよ。
サリン事件があったときなんか、入りたかった。
『地下鉄サリン、万歳!』とか思いませんでしたか?
 私はすごく、歓喜を叫びましたね。
『やってくれたぞ!』って」と答えたという(ニュースサイト「TABLO」内の吉田豪氏による連載『ボクがこれをRTした理由』より)

今は、さすがに「地下鉄サリン、万歳」とは言わないだろうが、それでも捜査機関を出し抜き、社会を混乱させたオウムに、何かしらの「シンパシー」が残っているのではないか。
 また、同会は「再発防止のためにこそ、真相究明は必要なのだ」と主張する。
精いっぱい好意的に評したとしても、カルトの問題がまったくわかっていないと言わざるをえない。
むしろ、欺瞞的な臭いを感じる。
 カルト集団は、古今東西を問わずに出現する。
その集団を支配する者や活動・組織の態様はさまざまだ。
統一教会のようにキリスト教を使った宗教集団もあれば、いわゆる「イスラム国」などのように、宗教と政治的な意図が一緒になった勢力もある。

日本の過激派は政治的カルトと言えるだろうし、最近は前回の本欄で報告したようなネットを利用したカルト性の高い活動も出ている(歪んだ正義感はなぜ生まれたのか…弁護士への大量懲戒請求にみる“カルト性”)。
そのリーダーや組織・活動の態様は違うが、信者や追随者のほうに注目すると、さまざまな類似点が見られる。
 なので、オウムのようなカルト事件の「再発防止」のために必要なのは、教祖の心の内を探るより、信者たちがいかにして教団に引き寄せられ、どのようにして心を支配され、犯罪の指示にも唯々諾々と従ってしまったのかを知ることだ。
彼らの心理状態を解明し、いかなる防止策が考えられ、どの段階でどのようなサポートが有効なのかを研究することは、「再発防止」のために肝要といえる。
 つまり、「再発防止」のために死刑回避を、と主張するならば、その対象は教祖である麻原ではなく、弟子たちであるべきだ。
12人の元弟子のなかには、深い反省悔悟の中にある者もいる。
彼らに対して恩赦を施し、無期懲役に減じて生涯仮釈放を行わず、獄の中でもっぱら「再発防止」のための調査研究に協力させるなど、社会に奉仕させるという道は、大いに検討してよいと思う。

 オウム事件の風化がもたらす弊害
 ところが、この「真相究明の会」は、麻原の死刑回避ばかりを求め、元弟子たちの処遇には関心を寄せない。
そんな人たちが言う「再発防止」とは何なのだろう。
察するに、「再発防止」の看板を掲げておけば、事情を知らない人がうっかり賛同するかもしれないという狙いがあるのではないか。
結局のところ、彼らの「再発防止」は、悪徳商法のキャッチフレーズにも等しいように見える。

 オウムの後継団体であるアレフは、勧誘活動などの折に、一連の事件を「でっち上げ」などと語っている。
今回のように、少なからぬ著名人が死刑執行に反対して記者会見まで開いた事実は、そうした教団の勧誘活動や信者の結束力を高めるのに利用されるだろう。
その影響力は、死刑が執行された後にも残る。
「◯◯さんも、△△さんも反対していたのに執行された。
これは国家の弾圧だ。闇の勢力の陰謀だ」などという陰謀論を支えることになるからだ。

著名人の利用は、オウム初期から彼らの得意技である。自分たちが教団の勢力回復に貢献してしまうリスクについて、「真相究明の会」の方々があまりに無自覚なことに驚く。
 彼らは、地下鉄サリン事件が起きるまでの間に、メディアや知識人がオウムの増長に貢献してしまった事実から、何も学んでいないのだろう。
たとえば、『朝まで生テレビ』(テレビ朝日系)では、オウムと幸福の科学をスタジオに招いて、この2団体のどっちがまともに見えるかを競わせる番組を放送した。
オウム側は、これを布教宣伝の好機と捉え、麻原をはじめとする幹部が揃って出演し、言いたい放題。
これを見て、オウムに興味を持ち、入信してしまった者もいる。
この番組の看板司会者である田原総一朗氏は、「真相究明の会」の呼びかけ人となり、発足記者会見にも登場した。
過去に対する反省や教訓の学びがまったくないらしい。

 ナチスによるホロコーストや関東大震災時の朝鮮人虐殺を否認するなどの、いわゆる歴史否定主義は、時の経過による記憶の風化と、事実軽視の風潮、そして一部の人たちの願望から生まれる。
今回の動きを見ていると、オウム事件も、そうした心配をしなければならない段階に入ったようだ。

 このような状況だからなおのこと、すべてのオウム事件の裁判記録は永久保存にして、必要な人がちゃんとアクセスできるようにして、虚偽の流布、歴史否定の言説を防ぐようにしなければならないと、改めて思う。

●江川紹子(えがわ・しょうこ)
東京都出身。
神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。
著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』
『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。
『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。

江川紹子ジャーナル
www.egawashoko.com、twitter:amneris84、Facebook:shokoeg

ニュースサイトで読む:
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2018年06月15日

メディアスクラムで壊される犯罪被害者・加害者家族の日常

メディアスクラムで
   壊される犯罪被害者
    ・加害者家族の日常
2018/06/14 ハーバー・ビジネス・オンライン

こんにちは。松本麗華です。
 連日、立て続けに衝撃的なニュースが報じられる昨今ですが、先月、新潟市のJR越後線の線路上で女の子の遺体が見つかるという痛ましい事件があったことも、まだ記憶に新しいでしょう。

 ご家族や親族・地域の方々の受けた衝撃は計り知れません。
悲しいことに、亡くなった少女の周辺では、マスコミの取材による「二次被害」が発生しているといわれました。
 先月末に掲載された産経ニュースの記事によると
「午前零時過ぎに、家のチャイムを鳴らして取材を求めたマスコミがいた」
「児童を尾行して家に到着したら、インターフォンを鳴らして取材しようとしたマスコミがいた」といった、行き過ぎた取材の実態が書かれています。
 住民の中には、報道関係者を逮捕してほしいとSNSに投稿した方もいるようです。

 産経ニュースでは「保護者・児童の感情と、マスコミの『報道の自由』の両方に配慮しなければならない」と書かれていますが、わたしには、こういった取材がそもそも「報道の自由」として配慮されるべきものとは思えません。
 犯人逮捕のためという大義名分があるならまだしも、既に容疑者は逮捕されています。
また少女のご家族は
「(略)今は一日も早く、地域の方々や私たち家族が穏やかな生活を取り戻せることを願うばかりです。
どうかこのような心情をご理解いただき、今後、家族や親族等に対する取材・撮影等についてはご遠慮いただきたいと思います」との声明を発表し、取材の自粛要請をしました。

 しかしなぜか、多くのマスコミは要請の部分をまるごとカットし報じませんでした。
 マスコミの方は、わたしに「被害者感情に配慮しなければいけない」「麻原裁判はおかしかったと思うけど、被害者の気持ちを考えると報道できない」といいます。
果たして、マスコミは本当に被害者感情を考えているのでしょうか。
もし考えているなら、ご家族の言葉をそのまま報じ、取材も節度あるものとなったでしょう。
 ご家族が声明を出し、穏やかな生活を取り戻したいと願っているのに、少女の個人情報を周囲の人に聞き出し、報道するのは、誰の、何のための報道なのでしょうか。

 わたし自身も、これまでマスコミの過剰取材・報道に苦しめられてきました。
 少しだけ例を挙げます。
 一人でスーパーで買い物をしていたとき、テレビ局のクルーとリポーターに見つかり、追いかけられたことがあります。
撮られたくない一心で逃げましたが、結局、路地の行き止まりまで追い詰められ、マイクとカメラを向けられました。
 その時、「悪いことをしたから逃げた」と誤解されるのを恐れ、「取材には応じます。その代わり、わたしの隠し撮りや逃げるシーンは使わないでください」と取材スタッフにお願いしました。
 しかし、番組の放送を見ると、わたしが逃げるシーンが使われており、その上、インタビューシーンも放送されていました。
当時のわたしは13歳。何の後ろ盾もない両親のいない未成年で、約束を守るに値する人間ではないと判断されたのでしょう。

 ある時は、大きな業務用ビデオカメラを担いだマスコミが、マンションのベランダに入って窓をがらりと開けて部屋に侵入してきたこともあります。
夜に見知らぬ男性が踏み込んできたので、怖くてたまりませんでした。
 プールに入っていることころを隠し撮りされたこともあります。
わたしが誰であるか特定した上で、水着姿を無断で放送されたことに、思春期だったわたしはどうしていいかわからなくなりました。
 そのときの恐怖や悲しみは、今でも忘れることができません。

◆いつ、自分自身も
加害者家族になるかわからない 
視聴者・読者であるわたしたちも、マスコミの行き過ぎた報道やその情報の受け取りに方ついて、考えていく必要があるように思います。
 そもそも過剰な取材をするのは、良いネタを掴んで視聴率や販売部数を上げるためです。
仮に、わたしたちが人の不幸に関することを知りたいと望めば、マスコミはこぞって不幸な情報を集めます。
 ゴシップ報道のように、個人のプライバシーを暴露してバッシングする記事をわたしたちが求めれば、プライバシー侵害に苦しむ人が今後も後を絶たなくなります。

 マスコミの報道姿勢に疑問をぶつけると、
マスコミの方は「いやあ、見る人がいるからね……。
視聴率を見て、何を取り上げるか決めているんですよ」と言います。
 視聴者・読者の多くが冷静になり、センセーショナルな報道に見向きもしなくなれば、必然的にマスコミの行きすぎた取材もなくなるのではないでしょうか。
 現在のマスコミの報道のあり方を変えていくにはどうしたらいいのか、よく考えます。
わたしには何の力もありません。
でも、できることがあります。

 報道被害にあったことを黙らないこと、報道のあり方に疑問の声をあげることです。
少しでも多くの人が報道に対し、「おかしい」と声を上げれば、状況は少しずつ改善していきます。
マスコミの方と話していて思うのは、考えていた以上にネットの声や読者、視聴者からのフィードバックを気にしているということです。
 明日には、自分の親族や知り合いが犯罪の加害者や被害者になるかもしれない。
もしかしたら、犯罪に巻き込まれるかもしれません。
自宅の近くで事件が起こったとしたら、それだけで日常が奪われてしまいます。

 わたしもある日突然、加害者家族とされ、マスコミの過剰報道により、傷ついてきた一人です。
12歳までわたしは、マスコミに追われることがあるなど、夢にも思ったことはありませんでした。
 もし、自分が犯罪に巻き込まれ、注目を集めてしまったらと、一度考えてみていただきたいです。  
関係ないと思っていらっしゃる皆さんが「自分も報道被害にあうかもしれない」という意識をもって、報道を見るようになったとき、報道のあり方は変わっていくのではないでしょうか。


松本麗華
文教大学臨床心理学科卒業後、産業カウンセラーの資格を取得。
心理カウンセラーとして活動する他、執筆や講演、ヨガのインストラクターもしている。
日本産業カウンセラー協会、日本人間性心理学会所属。
自身の半生を振り返る手記『止まった時計』を上梓。
実の父親である麻原彰晃は複数の精神科医から外的な刺激に反応することができない「昏迷」という状態にあるとされ、治療されることなく裁判が終結。
10年以上、面会ができていない。
現在も、父の治療と面会を求め続けている。
健康情報とお得情報、割引クーポンが大好き。
Twitter @asaharasanjo
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2018年06月16日

新幹線殺傷、フジTV「容疑者を刺激した」説に批判殺到 竹田恒泰「あまりに心ない報道」

新幹線殺傷、フジTV
「容疑者を刺激した」説に批判殺到
 竹田恒泰「あまりに心ない報道」
   2018/6/11 J-CASTニュース

2018年6月10日放送の情報番組「Mr.サンデー」(フジテレビ系)で、東海道新幹線「のぞみ」で発生した乗客3人の殺傷事件を取り上げた報道が、ネット上で物議を醸している。
容疑者の身柄のあった警察署前でスタジオと生中継を結んでいた、ディレクターの発言を聞いた視聴者の多くが、ある部分に「それは言うべきではない」と引っかかったようなのだ。

「警察は2つの見方をしています」
この事件は6月9日22時前、東京発新大阪行きの「のぞみ265号」の12号車で発生した。
小島一朗容疑者(22)=11日に殺人容疑で送検=が、同じ車両に乗っていた会社員の男性・梅田耕太郎さん(38)の首などをなたのような刃物で切り付け、殺害した疑いがある。

10日放送の「Mr.サンデー」では、鈴木孝ディレクターが小島容疑者の身柄があった神奈川県・小田原警察署前からスタジオへ生中継で最新状況を伝えた。
事件翌日で沸き立つマスコミについて「きょうは、入り口のところに多くの報道陣が詰めかけ、テレビカメラもたくさん集まりました。
大変な混乱ぶりでした」と報告。
「小島容疑者はこの警察署の3階の留置所の中に現在、います」とした。

鈴木氏は「ここで最新情報です」と切り出した。
「新幹線の車内で被害者となってしまった梅田さんなんですが、小島容疑者にたった1人で立ち向かったということが目撃者の証言で分かりました」とした上で、「今、警察は2つの見方をしています」と報告。

梅田さんが立ち向かったおかげで、多くの乗客が助かった、救われたという見方と、
梅田さんが立ち向かって、容疑者を刺激して、結果として最悪の事態を招いてしまった。
こうした2つの見方を慎重に検討しながら捜査を進めている状況です」 と最新の捜査状況を説明した。

「後半の情報いらなくないか?」
こうした鈴木氏のリポートをめぐって、ツイッターなどインターネット上では疑問の声が殺到していた。
梅田さんは容疑者に立ち向かった結果、刺激して「最悪の事態」を招いてしまったかもしれない――。
鈴木氏がそんな警察の1つの見方を伝えたことに、 「たとえ捜査上でそういう見解があったにせよ、それを言うべきではない。
被害者感情を考えたら」
「勇敢に助けに入って亡くなられた方に対して酷い言い方と思う」
「遺族の方がそれを耳にした時どう思うよ。被害にあわれた女性2人もどう思うよ」
「可能性の低い、また遺族の方を刺激するようなことは報道すべきでないと感じた」 との声が続出。

捜査線上でそんな見方が浮上するのは理解できるとしても、それを伝える必要はないのではないかというのだ。
作家の竹田恒泰さんもツイッターで、鈴木氏リポートの「2つの見方」を紹介。
「後半の情報いらなくないか?被害者に対してあまりに心ない報道だ。嫌悪感しかない」と疑問を呈した。

番組では、司会のフリーアナウンサー・宮根誠司さんとゲストの板橋功・公共政策調査会研究センター長が、新幹線車両の模型をもとに犯行当時の状況を次のように振り返った。
小島容疑者は隣席の女性を切り付け、通路を挟んで向かい側の女性にも襲いかかり、それを見た最後列の梅田さんが止めに入った。
女性2人はその隙に13号車へ逃げ、梅田さんは12号車の中央付近で容疑者に馬乗りになられ切られた――。

板橋氏「梅田さんは逃げることもできたわけですよね」
宮根さん「梅田さんが小島容疑者を止めに入って、この2人が助かったわけですから、大変勇敢な方ですよね」
板橋氏「身を挺した勇気ある行動だと思いますね」
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2018年06月17日

「骨太」閣議決定 、負担増持ち出す資格あるのか

「骨太」閣議決定
負担増持ち出す資格あるのか
2018年6月16日(土)しんぶん赤旗「主張」

 安倍晋三内閣が来年度予算編成に向けて「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太の方針)を閣議決定しました。
来年10月からの消費税率の10%への引き上げを明記するとともに、「財政健全化」を口実に社会保障費の大幅カット方針の続行・強化を盛り込むなど、暮らし直撃の重大な内容です。

「森友・加計」問題などで国民から厳しい批判を浴びている疑惑まみれの政権が、国民に一層の負担と犠牲を押し付ける資格があるのか―。
安倍政権による生活破壊ノーの声を広げることが重要です。

「削減加速」の危険隠せぬ
 政権復帰後6度目の「骨太の方針」は2019年10月から消費税率アップを実行する姿勢を鮮明にしました。
14年4月の消費税率8%への引き上げで国民に負担を強い、消費を冷え込ませ、経済を深刻に落ち込ませていることに対する反省が全くありません。

 さらに、「財政健全化」には社会保障費の増加が「足かせ」になると決めつけ、大幅に削り込む方針を改めて打ち出しました。
とくに「団塊の世代」が75歳になり始める22年までに社会保障費増を抑える仕組みをつくるため19〜21年度を「基盤強化期間」と位置付けたことは重大です。
同期間に社会保障費の伸びを「高齢化」分しか認めないとタガをはめました。

これは医療技術の高度化などによる増加分をカットすることを意味します。
削減する金額を数値で記すことは世論の反発を恐れ見送りましたが、安倍政権がこの間強行してきた「社会保障費の自然増分」を一律削減する路線の堅持・強化を表明したことに他なりません。

 安倍政権はこの6年間、「自然増」削減により社会保障費を1兆6千億円も削り込み、医療や介護、年金、生活保護など各分野で国民の負担増・給付減という深刻な被害をもたらしました。
暮らし破壊の加速を狙う「骨太の方針」の危険性は隠しようがありません。

 実際、「骨太の方針」には、安心の社会保障を掘り崩す制度改悪の方向性が列挙されています。75歳以上の医療費窓口の本人負担の引き上げ、介護のケアプラン作成の有料化、介護の軽度者への生活支援サービスの切り捨てなどを容赦なく実行する構えです。

 公的な医療費の増加が患者の負担増に連動する「自動調整」の仕組み導入を検討することも初めて明記しました。
この仕組みは「患者負担が天井知らずになる」と医療団体が反対しているものです。

 社会保障の安心を揺るがす制度改悪の具体化は、「消費税増税は社会保障充実のため」という口実がいよいよ成り立たないことを浮き彫りにしています。
消費税増税分の一部をあてるとしている「教育・保育の無償化」も、その規模や内容は問題だらけで、国民の願いとかみ合っていません。

税の集め方・使い方を変え

 「骨太の方針」の「防衛力を大幅に強化」との記述は、社会保障への冷たさと比べ、あまりに対照的です。
「骨太」と同時決定された「未来投資戦略」は大企業優遇策が山盛りになっています。
政治の姿勢が根本的に間違っています。

 消費税に頼らず、大企業・大金持ちに応分の負担を求めて財源を確保し、社会保障を充実させる政治への転換が必要です。
国民の暮らしを支え豊かにすることが、日本経済の再生と成長への道です。
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2018年06月18日

明治維新150年のいま、保阪正康がふり返る近代日本

明治維新150年でふり返る近代日本(1) 
「四つの国家像」、
どれを選ぶべきだったか
2018/6/ 2   J-CASTニュース

1868年の明治改元から150年を迎える2018年、この150年を捉え直そうという動きが相次いでいます。
J-CASTニュースでは、ノンフィクション作家の保阪正康さんによるネット初の連載、「不可視の視点」を始めます。

幕末から明治維新にかけて、日本には四つの国家像がありえたと説く保阪さん。
歴史にあえて「イフ(if)」を持ち込むことで、多様な角度から明治150年を読み解きます。
今年(2018年)は、明治維新から150年である。
政府関連の行事もあるようだが、私たちはいま官製の視点とはまったく異なった見方で近代日本をふり返ってみることが必要であろう。

私たちは、この150年をどのような枠組で時代区分をするか、あるいはどういう見方で全体像を俯瞰するか、多様な見方で捉え直してみるべきではないか、と思う。

単純な見方をするならば、
大日本帝国下の軍事主導体制の77年と、
太平洋戦争の敗戦による戦後民主主義体制の73年とに二分されているという解釈があるだろう。

あるいはドラマツルギーの手法を用いることになるが、
<起承転結>といった時代区分もある。

明治天皇の時代を<起>に、
大正天皇の期を<承>、
昭和天皇の波乱の時代を<転>とし、
平成の天皇は<結>の役割を果たしたとの見方である。

150年を「起承転結」で読み解く いやこの150年をアメリカを軸にしてみるならどうなるだろうか。
私の見立てでは、
明治元年から明治38年の日露戦争終結期までが、<>となるように思う。日露戦争は、アメリカが仲介役となってくれたがゆえに、日本は勝利を得ることができたのだ。
日露戦争終結から昭和15年(1940)までが、<>ではないか。
この間は、日本とアメリカの関係が次第に悪化していくのである。昭和12年の日中戦争以後、そして日本がドイツ、イタリアとの三国同盟に傾斜していくとその関係は修復困難な方向に向かって進んでいく。
そして昭和16年から、昭和27年4月28日までが、<転>ではないか。
日本は対米戦争に入り、3年8カ月の戦いによって徹底的に壊滅させられていく。
その敗戦によって、アメリカを中心とする連合国に占領支配を受け、いわゆる戦後民主主義(アメリカン・デモクラシー)の政体を示唆されることになる。
<結>というのは、講和条約によって独立を回復してから現在までとなるのだが、この時代区分を改めて見ていくと、私たちの国は、アメリカにより鎖国を解き、アメリカの助力で国威を発揚し、やがて対立し、軍事による近代化の限界を知らされ、その後はおとなしく同盟下にあるといっていいのではないか、と考えたくなる。

アメリカを軸にして、明治維新150年をふり返ったときに、
<転>の期の出来事がアメリカと日本の関係をよく示しているように思う。 ミズーリ号に持ち込まれた星条旗の意味 昭和20年(1945)9月2日、東京湾上に停泊するミズーリ号上で、日本は連合国に対して無条件降伏の文書に調印する。このとき連合軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥は、その調印式の船上にペルーリが浦賀に来て国交を開くよう要求したときの戦艦に掲げてあった星条旗の旗を額に入れて、これ見よがしに日本代表団に示した。
この旗は長年航海に用いられていたので、すでに四方形の形はなしてなく、単なる紐のようになっていたそうだ。
この額を通じて、マッカーサー、あるいはアメリカの指導者は何を言わんとしたのか。
私は次のように思う。
「日本の指導者よ。おまえたちは何を考えているのか。
270年近くの鎖国を解き、国際社会に復帰する手助けをし、ロシアとの戦争では本来勝つはずのない日本に多くの利益を与えたではないか。
それを忘れてはいまいな
。これからも忘れてはならない」

そう思えば、マッカーサーの占領政策のアメとムチの意味がわかってくる。
明治維新からの150年を、何を軸に時代区分するかは、私たちに改めて歴史の教訓を与えてくれるはずである。
この軸には、たとえば中国を用いてもいいし、民権思想という考え方を据えてもかまわない。
歴史をふり変えるときの重要な視点になりうるのではないかとの思いがする。
さてこういう時代区分について考えてみるのとは別に、もうひとつ別の発想でこの150年を捉え直す手法もある。

もとよりこれは私の考え方であり、一般的に用いられている手法ではない。
私は、歴史をアカデミズムの例に閉じ込めておくことは、私たちの先達の生きた本当の姿は捉えられないと考えている。
いわば在野の見方の側に立って近代日本史を見てみたい。

幕末から明治維新にかけて、日本は選択しうる国家像は四つの像があったのではないかと私は考える。
むろんこれは歴史の中に「イフ(if)」を持ちこむのだから、邪道だとの批判もあろう。
しかし歴史を現実に存在した史実だけで捉えるのではなく、「イフ」を持ちこむことで、私たちの国の歴史がどこで誤ったか、どこで錯覚しておかしくなったのかがわかってくる。

私が考える四つの国家像というのは、次のような姿である。
(1)後発の帝国主義国としての道(現実に選択した道である)
(2)植民地解放、被圧迫民族の側に立った帝国主義的道義国家
(3)自由民権を国の柱に据えた国民国家
(4)江戸時代の国家像を土台に独自の連邦制国家 この四つの国家像を想定して、明治維新からの150年を見ていくと、私たちの国は近代そのものを誤って捉えていたのではないかと気づいてくる。(第2回に続く)

保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。
ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。
『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』
『あの戦争は何だったのか』
『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、
「昭和史の大河を往く」シリーズなど著書多数。
2004年に菊池寛賞受賞。
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明治維新150年でふり返る近代日本(2) 

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(2) 
「奴隷解放宣言」で
実現できたはずの「道義国家」
2018/6/ 3 12 J-CASTニュース

開国をめざした日本に、<歴史>は四つの国家像を示していたというのが、私の見立てなのだが、その第一が、つまりは現実に史実として私たちの前にあらわれている近代日本史である。
後発の帝国主義的国家であったわけだが、この選択が正しかったか否かなどは論じたとて意味はない。
幕末から開国への道筋をみれば、指導層を形成した薩摩や長州の士族たちは、この選択しかなかったであろう。
なかんずく開国を要求する欧米の帝国主義国と武力衝突を避けて和親の方向で、国際社会に出ていこうとしていたわけだから、先進帝国主義から思想、哲学、政治制度を真似することにより一等国を目ざしたのはわからないわけではない。
富国強兵はまさにその心理から生みだされた語であった。

輸送船に乗っていた清国人奴隷を解放
明治4年11月に岩倉使節団の名のもとに、全権大使岩倉具視、副使木戸孝允、大久保利通、伊藤博文ら48人と留学生を交えての100名を超える一行は、アメリカやヨーロッパを見て回り、近代国家の現実社会を確認してきた。
600日を超える日程で、日本の新政府の指導者たちが理解したのは、日本が目ざす国家像はまさに欧米に負けないほどの大国になることだった。
私のいう第一の道は、まさにそれを現実化したのである。

しかしその一方で、第二の道(帝国主義的国家の選択は同じだが、植民地解放や被圧迫民族の側に立つ道義国家)の選択はありえたのだろうか。
私はありえたと思う。

一例をあげれば明治5年の「マリア・ルス号」事件をあげればわかりやすいだろう。このルス号は、ペルー船籍の輸送船で、中国人(そのころは清国人)231人を奴隷として買い、それぞれの買い主に送り届けようとしていた。
ところが台風にあい、横浜港に退避してきた。
そのうちの一人がこの船から脱出して、イギリス公使館に逃げこんだのである。
イギリス公使ハリ・B・バークスはこの脱出事件を日本政府にとりついだ。
すると外交を担っていた副島種臣は、奴隷を解放しなければ横浜から出港させないと命じる。
ペルー船の抗議にも委細かまわず、清国人奴隷は解放され、清国に帰された。
この件は国際的にも問題になり、ペルーと日本が仲裁を依頼した形で明治6年にロシアのサンペテルブルグで国際仲裁裁判が行われる。
日本の言い方は認められたが、ペルーの側に立ったイギリス人弁護士は、「日本にも人身売買はあるではないか」と発言している。
これはどのことを指すのだろうと考えたあげくに、日本政府は娼妓の前借金をさすと判断して娼妓解放令を発している。

道義国家なら
「征韓論」「征台決行」どうなった
このころの日本には、奴隷を認めないとするこのような真面目さがあった。
私がいう道義国家とは、こうした処置の折に国際社会にむけて「奴隷解放宣言」を発する度量をもつことだった。
こういう声明を発表していたら、このころ起こっていた征韓論、実際に踏み切った征台決行なども国際社会の枠組みの中で議論されることになり、開国日本の進路も異なったのではないかと思われるのだ。

第三の道(自由民権を柱にした国民国家像)では、明治6年の征韓論に敗れて下野した板垣退助、江藤新平、副島種臣、西郷隆盛らの中から板垣のように国会開設を求める民権論者が出てきて、明治10年代は自由民権運動が全国に広がっている。
当初は板垣の組織する愛国社などが中心になるが、明治13年ごろには全国の民権論者を集めて国会開設の運動が起き、自由民権運動は燎原の火のように広まっていく。

政府側で軍をにぎる山県有朋は、この運動が軍内にはいってくるのを恐れ、「軍人勅諭」(明治15年)を布告している。
軍人は政治に関与してはならないというのであった。
一方で政府側は集会条例を制定し、反政府運動に強い威圧をかけている。
明治10年代初期には、名古屋事件、大阪事件のように民権論者の起こす暴動は、一歩間違えると内乱に転化するような激しさがあった。

自由民権運動のなかでは、土佐の植木枝盛などがまとめた憲法草案は、軍事、外交に天皇の権威を認める一方で、国民の基本的権利にも言及していて、きわめて民主的な内容を伴っていた。
江戸時代のような連邦制国家になっていれば もし民権国家が完成していたら、天皇と国民の関係について大日本帝国憲法とは異なる体系をもつ国家になっていたことが想像される。
私は明治初期の自由民権運動そのものが近代日本の現実の史実にはあらわれてこないにせよ、地下水脈として続いていたのではないかと考えている。
それが大日本帝国解体後の現在の憲法の幾つかの部分に具体的に反映しているのではないかとも思う。

そして第四の道である。これは江戸時代の国家像をもとに独自の連邦制国家としての道である。明治4年7月に西郷隆盛が主導権をにぎる形で廃藩置県の勅令が発せられる。新政府は全国統一のためにこの処置はやむをえないとしても、この廃藩置県は、全国の旧藩士たちの生活を根底からくつがえすことであり、不平士族の反乱がそれこそ全国化することもありえた。それを予想したのか、新政府はまさに抜き打ちで行った。 西郷や大久保利通が主導権をとっての政策と知って、薩摩藩の最高指導者だった島津久光は、激高したともいわれている。

この廃藩置県が不平士族の反乱に結びつくわけだが、つまりは新政府の軍事力そのものが各藩の行動を抑えることにもなった。
ただここで考えておかなければならない「歴史的視点」についてである。
それは江戸時代の270年近く、日本はまったく対外戦争を行っていない。
国内にあっても内乱の類はない。
その結果どうなったか。
本来戦うべき要員の武士階級(国民の1.2%だから35万人ほどになる)は、戦うべき武術の訓練を、人格陶冶の手段に変えてしまった。
つまり武術を文化に変えたのである。きわめて抑制された民族国家をつくりあげたといってもいいだろう。

かといってそれぞれの藩は、戦(いくさ)に備えて何もしなかったわけではない。
情報戦、武器の隠匿、さらには戦術の研究を続けている。

私は、明治維新時に250藩余の藩のうち大藩である30藩ほどを軸にし連邦制国家をつくるべきだったと思う。
江戸時代自体が、連邦制国家のようなものだったからである。この点は改めて緻密に吟味しなければならない。
四つの国家像をさらに新しい視点で検証を続けていこう。
(第3回につづく)
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2018年06月19日

帝国主義的「国家像」と「国民像」

保阪正康の「不可視の視点」 
明治維新150年でふり返る近代日本(3) 
帝国主義的「国家像」と「国民像」(その1)
2018/6/ 9 J-CASTニュース

幕末、維新、そして明治新政府のもとで、日本が選択すべき国家像として四つの国の形があった。

そのうちの第一の道、つまり後発の帝国主義国としての道を日本は選択することになった、というのがこれまで記してきた内容である。
この道は独自の国民像を必要とする。

今回はこの国民像は、もともとの日本人の国民的性格と合致していたのか否か、を検証してみたい。
「富国強兵」「脱亜入欧」「殖産興業」で求められる国民性とは 帝国主義国としての道を選ぶまでの明治期の日本は、20年近くの時間を要している。
明治初年代は各地の不平士族の反乱や西南戦争に象徴されるように、国家像のありようをめぐって内乱まがいの蜂起が起こっている。

明治10年代には、板垣退助らによる自由民権運動の波が全国に及んでいる。
つまり帝国主義国家としての政治体制は、このような反乱や反政府運動をとにかく弾圧し終えてから、伊藤博文らによる新しい憲法制定の動きが軌道に乗っていくことでやっと形をつくっていく。

このときまでの20年間近くの間に、四つの国家像のいずれかを選択することが可能だったというのが私の説になるわけだが、後発の帝国主義像を具体化するために「富国強兵」「脱亜入欧」「殖産興業」などの方向を新政府は目ざしていくことになる。
こうした方向で求められる国民像とはどんなものだったか。
つまり国民の価値観にはどのようなものが要求されることになるのか。
これはすぐに推測できる。

急速に西欧帝国主義に追いつくには、次のような徳目が必要とされるはずである。
第一は立身出世主義。学歴などにより個人の能力を測り、そこに序列を持ちこむ。
第二に文化的な価値観や知識より軍事を尊ぶ。良き日本人は武にすぐれた人びととする。
第三に個を抹殺し、エリートに指導される集団の一員としての自覚。
第四に勤労を尊び、とにかく真面目に働き続けて共同体の範になる。
第五は君主制に対しての絶対的服従。天皇を家長とする家庭的共同体の枠組みに常にとどまる。

教育、暴力、監視の「三つの枠組」
こうした五つの国民的性格は、帝国主義の後発国としてもっとも望ましいとされることになった。
しかし幕末に至るまでの農民一揆、蘭学者たちの国際的視野、そして明治に入っての民権の発想と行動は、こうした国民像とは相入れない。
そこで新政府は、
教育(国家主義的教育内容)と
暴力(反政府分子を取り締まる治安立法など)、
そして監視(国民相互を監視させる。町内会、青年会などがそうであろう)の三つの枠組をつくって、帝国主義的国家の国民像をつくりあげていくことになった。

これは明治20年代から強まっていくことになるのだが、明治13年に太政官布告としてだされた集会条例のように暴力としての弾圧装置は早い時期から実施されている。
逆に明治37年の第一次国定教科書により、教育などは大日本帝国の憲法発布からしばらく時間を置いて行われたケースもある。
しかし明治維新150年をふり返るとき、この帝国主義的国家の人間像は、しだいに軍事に利用されていき、そして昭和のファナティックなファシズムの折には、社会的病理的現象まで生むことになった。

昭和10年代の太平洋戦争時の兵士たちへの死の強制や一切の「近代」を拒否しての呪術的戦争プロパガンダは、帝国主義的国家の国民像の辿りついた地点であった。

特攻作戦の背景に見え隠れしている陸海軍指導部の戦争観は、帝国主義戦争の悪しき思想の実践として強要された。
むろん個々の特攻隊員に対して、私はこの国の国民的性格の忠実な実践者としての側面があるから、指導部への批判とは別の見方をしているので、軽々な責め方はしない。
帝国主義的国家の選択、そこで理想とされる国民像(前述の五条件を指すわけだが)、これは本来の日本人の国民的性格とはまったくかけはなれていた――それを私は、明治150年のいま、明確にしてゆかなければならないと思う。(第4回に続く)
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帝国主義的「国家像」と「国民像」(その2)

保阪正康の「不可視の視点」 
明治維新150年でふり返る近代日本(4) 
帝国主義的「国家像」と「国民像」(その2)
2018/6/10 11:45 J-CASTニュース

もともとの日本人の国民的性格とはどのようなものだったか。
その性格が、明治150年の出発の地点でどのように変わるよう新政府によって要求されたのか。
そのことを今回は見つめていきたい。

明治150年論を多様な視点で、とくに歴史年譜のうえでは不可視の部分では、どのような姿や形が問われていたのか。
そのことを見ていくために、日本人の国民的性格を確かめていくのは欠かせない。

幕末〜維新の外国人の日本人論は
「きわめてまっとう」
幕末から維新にかけて、そして明治に入ってからも、日本には外交官、事業家、宣教師、それに各教育関連機関の教師としてのお雇い外国人が次々にやってきた。
総体的に知識人であったから、彼らののこした日本人論はきわめてまっとうであり、その分析もかなり当たっているように思う。
私は彼らの見方に一定の信頼を置くのだが、それを江戸期に培われてきた日本人の国民的性格とみてまちがいないように思うのである。

16世紀に日本を訪れた宣教師のフランシスコ・ザビエルは、
日本人の特性として「名誉心が強い。道理に従う。知識を求める。礼儀正しい。善良である。貧は恥ではない。和歌を作る。上下の序列、武士の高位」(『「日本人論」の中の日本人』、築島謙三)を挙げている。

幕末、維新時に日本を訪れた外国人たちもこのザビエルと同じような印象を書きのこしている。
ということは3世紀近くを経ても日本人の国民的性格はそれほど大きな変化をとげていないことになる。
17世紀に日本を訪れ、徳川家康の外交顧問といった形になるウイリアム・アダムス(日本名・三浦按針)は、「礼儀正しく、性質温良、勇敢、法は厳しく守られ、上長者には従順である」と書いている。

全体に日本人は、子供はめったにぶたないし、よくかわいがると言い、子供の側は親に対して、従順であり、家族という形態の秩序がよりバランスよく保たれている、と理解していたようである。

対外戦争ない3世紀は
「武に対して『冷めた目』」
開国した日本にやってきたイギリスのベテラン外交官オールコックは冷静に日本人の性格を見つめている。

彼は日本語を学び、そして日本人の生活を理解する。
そこには「政府の政策により国民は疑い深い。
侍役人はウソをつき、ほかの侍および庶民は礼儀正しく善良である。
低階層の人にも奴隷感情はない。
固苦しいまでの形式主義。したがって人への気遣いが強く、敬語の使用が厄介である。
国民・国家への誇りが強い。
子供は<自然の子>といってよいほど奔放に遊ばせる。
日本は子供の楽園である」といったことが書いている。

こうしてみてくると、この16世紀から19世紀まで、日本人の性格は、道理に従い、名誉心を重んじ、礼儀正しく、好奇心も強い、しかし上下の身分差があり、集団主義的であるといった性格を持ち続けていたことになるのではないか。とくにこの3世紀は、対外戦争を体験していないために、武に対しては冷めた目を持ち、武術にむかう精神とエネルギーを人格陶冶の手段に変えていく理性や知性を持っていたといえるのではないか。

帝国主義国家には
「良質の国民性」が邪魔になる
このような日本人の性格には、むろん近代という視点(つまり明治維新後の国家像という枠組みのもとでは)から見れば、プラスとマイナスを抱えこんでいるといっていいであろう。
16世紀からの世界史では、先進帝国主義国により弱小国は、収奪・抑圧・暴力などの対象となった。
日本はその埒外にいることによって、このような加害国・被害国の図式とは一線を引く国家であった。
そこで生まれた日本人の性格は、人類史の上ではきわめて先見性をもっていたことになることがわかってくる。

ところが後発の帝国主義国家として、国際社会に出ていくことになった日本は、こうした良質の国民性(道理に従う、礼儀正しい、名誉心を尊ぶなど)は、むしろ邪魔になる。
逆に上下の身分差を容認し、個人より集団主義を尊ぶといった性格は、帝国主義国民像としてもっとも強調され、美徳となったのではないか。

この歪みを私たちは今、冷静に見ていくことで明治維新150年という尺度の功罪を論じられるのではないかと思う。
私はこの国民的性格をもとに、他の三つの国家像を考えていくべきだと思う。
そこには歴史を舞台にしての知的想像力を試すという意味も含まれる。
(この項終わり。第5回に続く)
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明治維新150年でふり返る近代日本(5)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(5)
弱者の側に立つ
「帝国主義的道義国家」(その1)
2018/6/16 J-CASTニュース

近代日本が選択すべき国家像は、現実の帝国主義国家(後発)のほかにも幾つかの道があったというのが、このシリーズの立脚点である。
ほかにどういう道があったか、この問いに私は三つの像が考えられると書いた(第1回)。
それらの像のほかにも考えられるだろうが、私はあえて三つに絞って、近代日本のもうひとつの側面を考えていきたいのだ。

三つの国の姿をそれぞれエッセイ風に書いていくが、そのひとつが、
「植民地解放、被圧迫民族の側に立った帝国主義的道義国家」である。

辛亥革命に協力した
         志士たちの実像
この系譜に列なる思想家や政治家などを具体的に捉えてみることで、道義国家確立の方向性を考えてみたい。
もともとこの色彩は、大正時代の国家主義運動に濃くあらわれるのだが、明治期でいえば国権派に転じていく徳富蘇峰のほか陸羯南、三宅雪嶺などの思想を細部にわたってみていくと、そのような傾向が窺えてくる。
しかし、私はあえて孫文の辛亥革命に協力した志士たちの姿にその色合の濃さを見るのである。
辛亥革命に協力した日本人には、さまざまなタイプがいる。
頭山満の玄洋社関係の人びと、宮崎民蔵、寅蔵(滔天)兄弟、山田良政、純三郎兄弟のほか政治家、実業家、軍人、それに言論人など挙げていけば次々に名がある。

私は山田良政に関心をもって調べたことがあるのだが、山田は幼少期から陸羯南と親しく、かなり影響を受けている。
明治31年に中国にわたり、中国内部の情報を探る役を担ったりする。
南京同文書院での教員という職を得て中国に赴き、孫文の革命運動を支援する役を引き受けている。
山田は孫文の革命思想(三民主義、五権憲法)に魅かれると同時に、清朝帝制が先進帝国主義の餌食になっている状態を怒り、孫文がその打破を目ざす革命家であることで支援の姿勢を崩さない。

孫文とその同志の蜂起は、1900年の恵州起義を第1回とし、それから10回の蜂起をくり返す。
そして辛亥革命は1911年にやっと成功するのである。
山田はその第1回の起義のとき、孫文の密命を帯びて恵州の蜂起グループとの連絡役を務めている。
その折りに政府軍につかまり、殺害されている。
政府軍の将校は、「お前日本人ではないか。それを認めるなら解放する」と言っているのに、「いや自分は中国人である」と革命グループの一員であることを主張しつづけ、死を選んだ。
このとき山田は32歳であった。

立脚点は「反西欧帝国主義」
山田良政の弟純三郎も東亜同文書院を卒業してからは、満鉄に職を得るのだが、孫文を支援して、辛亥革命を助けている。
1910年代終わりには孫文の秘書となり、晩年の孫文を常に補佐している。
1915年に、上海の山田純三郎宅を、袁世凱政府では革命の純潔性が保てないと孫文の右腕である陳果夫らの第二次革命派の打ち合わせ場所として提供していた。

そこに袁政府の刺客が襲い、陳果夫は暗殺されている。
純三郎の娘(3歳)は頭から床に落ち、生涯障害者であった。
こうした山田兄弟の思想、そして書き残した記録を見ていくと、いわゆる抑圧されている人びとをたすけるための運動は、帝国主義という枠内にありながら、それを越えていく強さをもっていることがわかる。
山田のような例は、宮崎滔天とその兄の民蔵を見ても植民地解放運動のために財産をつかい、自らの知識と行動力を提供し、そしてその政治思想を現実にするために命さえもささげたといっていいだろう。

とくに宮崎滔天は、その著(『三十三年の夢』)を見てもわかるとおり、孫文の革命思想をベトナムやインドシナに広げるべく動いてもいる。

帝国主義的道義国家というのは、とくに定義するまでもないが、基本的には先進帝国主義と同質の国家体制をもちながら、その政策の立脚点は反西欧帝国主義という旗を掲げることである。
日本国内に山田兄弟や宮崎兄弟のような思想と行動を原点とする政治勢力が存在したならば、現実には後発の帝国主義国家像と一線を引けたはずである。
それを牽引する政治家(原敬や犬養毅などがそのタイプになりえたのだが)は、テロにあっているということは逆説的に帝国主義の硬軟の道筋がある地点で分岐点になってしまう運命だったといえるのかもしれない。(第6回に続く)
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2018年06月20日

「こうあるべき」を手放せば、人生は楽になる 自分の「思考グセ」に気づいていますか?

「こうあるべき」を手放せば、
人生は楽になる
自分の「思考グセ」に
気づいていますか?
2018/06/11 東洋経済(大野 萌子)

 こんにちは。生きやすい人間関係を創る「メンタルアップマネージャⓇ」の大野萌子です。
 友達に自分の悪いところを指摘されたとき、「バカにしているのかな」「失礼だ」ととらえれば、気分が下がると思いますが、
「自分のことをよくわかってくれている」と思い、あえて言ってくれたととらえればどうでしょうか。

私たちがストレスを感じるのは、この「とらえ方」が大きく影響していて、同じ出来事に遭遇しても、その出来事のとらえ方によって、気分が上下します。
バスに乗り遅れてしまったら?  運がいい悪いも同じで、
「運がいい」と思う人たちは、起こった出来事から自分にプラスになる目的を見いだし、
反対に「運が悪い」と思う人たちは、マイナスの目的を見いだす傾向があります。

 バスに乗り遅れてしまった。あーあと思った次の瞬間。  

・プラスの思考
「まぁいいか。歩いて運動不足を解消できると思おう。
風も気持ちいいし気分転換にもなりそう」  

・マイナスの思考
「帰りがけに○○さんが話しかけてきたからだ。
ほんとあの人は空気読めない人だわ。嫌になる」  といった具合です。

 もちろん、すごく急いでいるときや状況によっては、プラスの気分になれないことはあるかと思います。  ただ、日常に起こりうることであれば、プラスの意識を持つだけで、気持ちが楽になります。
そして、気持ちが楽になればなるほど、プラスに考えられる機会が増え、よいスパイラルを招きます。

 このような思考グセは、性格や身を置いてきた環境に左右されることも多いのですが、意識的に変えていくことが可能です。
 物事には多面性があり、すべてのことによい面と悪い面が存在します。
よい面を見るようにする、自分にとってよい解釈をする、これがよかったのだという目的を見いだすといった意識が大切で、最初のうちは「とはいっても」と自分に反論したくなることもあると思いますが、続けていくことが肝心です。

「べき」思考を再考する
もう1つ、私たちの心を不快にさせるとらえ方が「べき」思考です。
言葉のとおり「○○すべき」「こうあるべき」という強い呪縛のような思考のことです。
 自分を責めるタイプの人は、この思考が自分に対して働きます。
「○○すべき」「こうあるべき」と自らの行動に対して、必要以上にプレッシャーをかけ、がんじがらめになってしまいがちです。
その結果、思いどおりにならなかったときに、さらに自分を責めてしまうという繰り返しになり、苦しむ傾向があります。
 また、他人を責めるタイプの人は、「他人」に対して、この思考が働きます。
すると、思いどおりにならない相手に対して、腹を立てたり、批判的になりやすいものです。

 いずれにしても、物事に対しての融通が利きにくく、気持ちのゆとりがありません。
 相談業務の中で、婚活の相談を受けることもあるのですが、女性の場合は、「べき」に苦しんでいる方が多くみられます。

 「子どもが欲しいので、できるだけ早く結婚すべき」だと思い、そのためには、出会いがないので、「結婚相談所に登録すべき」だと思っています。
でも、すごく抵抗があって悩んでいる。
悩んでいても時間が過ぎていくだけで何も変わらないので、「行動を起こすべき」だといろいろ調べているのだけれど、どうしても先に進めない。
 親にも言われているし、自分でも「結婚はするべき」だと考えてる、でも「本当は婚活なんてしたくない」と涙ながらに訴えられることも少なくありません。

「べき」思考にとらわれて、自分の気持ちに向き合わないので、自分自身の中での整合性が取れずに心のバランスを崩しているのです。
 悩みごとの多くは「やるべき」ことはわかっているのだけれど「やりたくない」「やる気が起きない」という思考と感情のギャップです。
 気持ちがついていかないと行動に移すのは、至難の業です。
反対に、気持ちがあれば、行動を起こすことなんて簡単です。
何かをしようとするときに「仕方がない」という理由付けや、できない「言い訳」を考え始める時点で、それは「やりたくないこと」「気が向かないこと」なのです。

 たとえば、予定のないお休みの日に友人から会わないかと連絡が入ったと仮定します。
これから身支度をするのが面倒だなと思いつつも、会いたい気持ちが強ければ、即行動に移すと思いますし、そうでなければ、「明日早いから」とか「今週は疲れているから」などと、即座に断る理由を探し始めるでしょう。
 もちろん、仕事をはじめ、やらなければならないことはたくさんあります。
だからこそ、取捨選択が必要なのです。
迷いは、自分の心からのメッセージだと思って、迷ったら「本当に自分に必要なことなのか」と自分の気持ちに向き合う機会にしましょう。

自分の本当の気持ちに向き合う  
そして、「やるべき」ことだけど、「やらなくてもよいこと」に過剰なエネルギーを注ぎこまないことが大切です。
 たとえば、専業主婦の立場で、家族には手料理を作るべきという強い思考があれば、お惣菜を買うことに罪悪感を覚えます。
同じように妻に対して夫が同じ思考を持っていた場合に、妻が買ってきたお惣菜を見て「手抜き」だと腹が立つわけです。
「べき」思考は、気持ちのゆとりを奪い、あたかもほかに選択肢のない正論のように自分自身、そして相手を追いつめやすいものです。

 自分の気持ちを大切に、そこまでして「すべき」ことなのかを、自分の心に聞いてみてください。
そして、少しずつ「べき」思考を手放していくことが重要です。
 ちょっとしたとらえ方の差が、気持ちのゆとりに大きな違いを生んでいきます。

ぜひ、思考グセを「プラス」に、そして「柔軟」にシフトできるよう意識することを試してみてください。
posted by 小だぬき at 07:00| 神奈川 ☁| Comment(2) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

安倍政権が障害年金支給カットの非情

全国一元化を口実に…
安倍政権が
障害年金支給カットの非情
2018年06月20日 日刊ゲンダイDIGITAL

どこまで非情な政権なんだ――。
今度は障害基礎年金をバッサリだ。
 障害基礎年金は、日本年金機構が障害や難病を負った人に支給する年金。
障害の程度によって1、2級に区分され、年間支給額は1級が約97万円、2級が約78万円だ。
「都道府県単位だった認定審査を昨年4月から障害年金センターに一元化したことが影響し、支給されなくなる受給者が続出しています。

一元化を口実に、厚労省がやりたかったのは支給のカットです」(厚労省関係者)
 20歳前に障害を負った受給者1010人に、支払いを打ち切る通知を送っていたことが先月末に判明、大きく報じられたが、それだけではなかった。
20歳以降に障害を負った受給者のうち、約2900人が、昨年4月から1年間に支給を打ち切られていたのだ。

衆院厚労委で、高橋千鶴子議員(共産)が取り上げ、厚労省は事実関係を認めた。

 高橋議員は「一元化は本来もらえる人を救おうという趣旨ではなかったか」
「もらえなくなる人に思いを致さないのか」と指摘したが、加藤勝信厚労相は「公平給付の実現に目的がある」とお決まりの答弁。
世代間の公平など「公平」は、カットのためのいつもの常套句である。

 だが、障害基礎年金は最も切ってはいけない社会保障給付だ。
厚労省が4月に発表した障害者の実態調査によると、月収9万円未満の人が65歳未満で2人に1人。
経済的に苦しい生活を強いられているのだ。
 一元化どころか、むしろきめ細かい審査が必要なのが障害年金だ。

障害年金に詳しい福祉施設関係者がこう言う。
現在の障害年金は、身体や精神の機能がどの程度かで審査されています。
しかし、その人の“大変さ”は機能だけで決まるものではありません。
家庭や住んでいる街の環境など、個別の事情で変わってくるのです。

機能上は軽症であっても、暮らしていくのがとても大変なケースも多くあります。
“全国一律”に最もなじまない年金なのです。
打ち切り通知が大々的に報じられて、いい機会です。
実態を直視した審査ができるように、国会でも議論してもらいたい」

 本当に困っている人に寄り添うのが政治の仕事であることは、加藤大臣だって理解しているはずだ。
審査基準を再考すべきではないか。
posted by 小だぬき at 19:10| 神奈川 ☔| Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月21日

がん見落とし 患者には到底納得できない

がん見落とし 
患者には到底納得できない
2018年06月20日 読売新聞「社説」

 患部の画像の細部に目を奪われ、重要な病巣を見逃した。
患者の全身を診る、という原則が疎おろそかになっていないか。

 千葉大医学部付属病院で、がんの診断ミスが相次いでいたことが判明した。
 病院の調査によると、2013年以降、コンピューター断層撮影法(CT)検査などの画像に映った患者9人のがんを見落としていた。
うち4人については、その後の治療内容に影響が及んだ。
 担当医が、検査画像の中で、患者の主症状に関連する部分にしか注意を払っていなかったことが原因だという。

放射線診断専門医と連携して、周りの臓器までよく見ていれば、もっと早い段階でがんを発見できたかもしれない。
 典型的なのは、昨年12月に死亡した60歳代の女性の例だ。
炎症性腸疾患の経過観察のため、13年6月にCT検査を受けた。
画像を診た専門医は、腎がんが疑われると画像診断報告書に記したが、担当医は見落とした。
 昨年10月に別のCT検査で腎がんが判明したが、既に手術はできない状態だった。

 進歩した診断技術が有効活用されていない。
患者側にとっては見過ごせない事態である。
 千葉大病院は、厚生労働省が認めた特定機能病院だ。
高度な医療を提供する能力を有するはずだが、担当医の意識や診療体制に問題が多いと言わざるを得ない。  外部調査委員会は今月、診療科と放射線診断専門医の連携が不十分だった、と指摘した。

専門医からの画像診断報告書を診療科が確認するルールが存在しない点を批判したのも、もっともである。
 千葉大病院は7月から、再発防止策を強化する。画像診断センターを新設し、専門医を増員する。
担当医が患者とともに画像診断報告書を確認する制度も始める。
着実に実行してもらいたい。
 他の医療機関でも同様の見落としが相次ぐ。
千葉大病院のケースは氷山の一角である。
厚労省は昨年11月、安全対策を徹底するよう全国に通知している。

 日本には、世界有数と言われるほど多数のCT検査機器が導入され、撮影数もトップクラスだ。
 CT検査をすれば、何枚もの画像が得られる。
小さな影も映し出される。
それが病巣かどうか、評価できる専門医は足りない。
 画像検査と診断を専門とする医療機関も増えている。

多数の患者を抱える大学病院などは、画像診断の外部委託を取り入れるなど、業務の効率化を検討すべきだ。
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2018年06月22日

国会会期延長 「悪法」を押し通すのか

国会会期延長 
「悪法」を押し通すのか
2018年6月21日 東京新聞「社説」

 国会が三十二日間延長された。
安倍政権が重視する「働き方」や「カジノ」法案などの成立に万全を期すためだという。
国民への影響が懸念される「悪法」ぞろいだ。押し通すのは強引ではないか。

 毎年一月に召集される通常国会の会期は百五十日間。
国会法の規定により一回だけ会期を延長できる。
今の通常国会はきのう会期末を迎えたが、政権側は七月二十二日まで延長することを決めた。

 安倍晋三首相は今年一月の施政方針演説で、長時間労働の解消や雇用形態による不合理な待遇差是正など、働き方「改革」を断行すると強調。
きのうの山口那津男公明党代表との党首会談では「働き方改革国会とうたってきたので、法案成立を図りたい」と、会期延長の理由を説明した。

 国会は国民の代表たる議員同士が、国民の暮らしをよりよくする政策について議論し、行政を監視する場である。
必要なら会期を延ばして議論を続けるのは当然だ。
 しかし、法案に問題点があり、野党がそれを指摘しているにもかかわらず、政権側が強引に成立させるための延長だとしたら、直ちに賛同するわけにはいかない。

 「働き方」関連法案は、年収の高い専門職を労働時間の規制から外す高度プロフェッショナル制度(高プロ)の創設を含み、「残業代ゼロ法案」とも指摘される。
 審議でも過重労働の懸念は払拭(ふっしょく)されず、制度導入に向けた厚生労働省による専門職からの聴取のずさんさも明らかになった。
待遇差是正は急務でも、高プロ創設と一括提案した政府の手法には違和感を覚える。

衆院に続いて参院でも採決を強行しようというのか。
 カジノを含む統合型リゾート施設(IR)整備法案も同様だ。
刑法が禁じる賭博を一部合法化する危険性や、ギャンブル依存症患者が増える恐れが審議で指摘されたにもかかわらず、与党は十九日、衆院を強引に通過させた。

 共同通信の世論調査では約七割がIR法案の今国会成立の「必要はない」と答えた。
慎重な世論をなぜ顧みないのか。
 自民党が提出した参院定数を六増する公職選挙法改正案は撤回し、与野党間の再協議を求めたい。
「一票の不平等」是正の必要性は認めるが、比例代表に「特定枠」を設けて合区対象県の候補者救済を図るのは党利党略が過ぎるからだ。
 会期延長により、森友・加計両学園をめぐる問題の追及機会は増える。
国政調査権を駆使して事実解明に努めるべきは当然である。
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その共通項は卑劣と破廉恥 安倍晋三と薄っぺらな仲間たち

その共通項は卑劣と破廉恥
安倍晋三と薄っぺらな仲間たち
2018年6月21日 日刊ゲンダイ
こタヌキ同盟.jpg
 類は友を呼び、同じ釜の飯を食らうわけである。
 国家戦略特区を利用した加計学園の獣医学部新設を巡る疑惑が国会で審議されるようになって1年余り。

国家戦略特区諮問会議の議長を務める安倍首相と加計孝太郎理事長が2015年2月25日に面会した疑惑が、愛媛県文書の記述によって浮上してから1カ月。
野党や世論が求める説明を拒んできた加計理事長がようやく開いた会見は、釈然としない内容だった。
むしろ、疑惑は深まったと言っていい。

一方で妙に合点がいったのが、あまりに似通った2人の性質だ。
なるほど、2人は“腹心の友”になれるわけである。
 加計理事長は疑惑の面会について「記憶にも記録にもない」と全否定し、愛媛県への“虚偽報告”は「(渡辺良人)事務局長が勝手にやった」と部下に責任転嫁。
モリカケ疑惑から逃げ回る安倍政権のやり口にソックリで、記者の質問を遮る不遜な態度なんかはうりふたつだった。

「嘘を嘘で塗り固めた上に、さらに嘘の上塗りをしたものにほかなりません」
「何が嘘で何が本当だったか、ご本人も分からなくなってしまったのではないでしょうか」
 こう批判したのは、「総理のご意向で行政が歪められた」と告発し、人格攻撃にさらされた前川喜平前文科次官だ。

 代理人弁護士を通じたコメントでは、こうも指摘していた。
「一連の愛媛文書によって、2015年2月25日の面談及びその後の会食の際に、安倍総理と加計理事長が獣医学部新設について話し合っていたことは、決定的に明らかにされており、そうした事実を覆す反証は、何ら示されていません」

■汚いやり方で疑惑に幕引き
 その通りだ。
しかも、汚いやり方だった。
会見を開いたのは岡山市内の加計学園本部。
スタートは19日午前11時。
参加を許可したのは地元の記者クラブ加盟社のみで、通知は開始2時間前。
加計問題を追及する在京記者はどうあがいても間に合わない条件だった。

 そして、死者5人、負傷者400人を超える大阪北部地震の発生翌日。
世間の関心が高いサッカーW杯日本戦を控えていた。
大手マスコミはこの2大ニュースに時間も人手も枠も取られ、扱いが相対的に小さくなるのは必然だった。  

絶妙な設定で気が大きくなったのか、国会招致要請への対応を聞かれた加計理事長は「お待ちしています」と発言。
余計なひと言で挑発するのも安倍を彷彿させた。
 森友学園問題を巡っては「妻や私、事務所が関係していたら総理も国会議員も辞める」と豪語し、加計学園の獣医学部新設計画を「今年1月20日に初めて知った」とうそぶいた。

それで佐川宣寿前財務省理財局長は虚偽答弁に走り、柳瀬唯夫元首相秘書官は記憶喪失になり、加計学園の事務局長は詐欺師に仕立て上げられたのだ。

 元文科官僚の寺脇研氏(京都造形大教授)はこう言う。
「これまでの経緯を見る限り、加計学園に危機管理能力があるとは思えません。
それなのに、加計理事長は巧妙に逃げを打った。
官邸から指導を受けたのではないかと勘繰ってしまいます。
安倍首相の意向が働いた疑惑を裏付ける事実は次々に明るみに出ているのに、1年以上もごまかし続けるノウハウを官邸は持っていますからね。
加計理事長の言動にも呆れました。
補助金などを通じて公金が投入されている学校法人のトップなのに、公的な立場にあるという意識がまるで感じられなかった。
〈お待ちしています〉と口にしたのも、国会に招致されることはないとタカをくくっているのがミエミエでした」

 加計理事長の茶番劇で“腹心の友”の共通項も浮かび上がった。
すべては自分中心
保身のためなら嘘もデタラメも屁のカッパ
悪事がバレると、下へ下へと責任を押し付け、周囲を巻き込む卑劣さ
それを恥と思わない破廉恥

知性、品性、良識、生き様……すべてにわたって、同じレベルの似たもの同士の薄気味悪さがプンプンする。

国を率いるトップリーダー、人材を育成する教育者のあり方とはあまりにも程遠い。

安保法以来の会期延長の目的は
経済界、公明党、参院対策  
20日、会期末を迎えた通常国会は大幅延長した。
32日間の延長で、7月22日まで。
世論が大反発した安保法を強行採決した15年以来の会期延長だ。
モリカケ疑惑の追及から逃れるため、憲法53条に基づく野党の臨時国会召集要求を3カ月以上も無視し、ようやく応じたと思ったら疑惑隠しの国難突破解散を打った安倍が、なぜ首をタテに振ったのか。

働き方改革関連法案、カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案、参院合区対策として定数を「6増」する公職選挙法改正案を確実に成立させるためだ。
データを捏造してまでまとめようとした働き方改革は、安倍を支える経済界の悲願で待ったナシ。
カジノ法案は公明党への配慮だ。

選挙戦で集票を担う支持母体の創価学会婦人部がカジノ法案に大反対で、秋の臨時国会へ持ち越すと、来春の統一地方選や来夏の参院選への影響は避けられない。
そして、公選法改正は9月に控える自民党総裁選での3選へ向けた露骨な参院対策だ。

 政治評論家の本澤二郎氏は言う。
「安倍首相は総裁3選実現のためにはどんな手を使ってでも環境を整え、邪魔なものは徹底的に排除しようとしています。
大阪北部地震の発生当日に、ライバルの岸田文雄政調会長を赤坂の高級日本料理店に呼び出し、しゃぶしゃぶに舌鼓を打っていたというのもフザケた話ですが、大方ポストをチラつかせて懐柔を試みたのでしょう。加計理事長がこのタイミングで会見したのも、2人の密談疑惑に何としてもフタをする必要があるからです」

■人気取りにW杯も震災も利用
 地震発生直後のブラ下がりでは、「大阪を中心とする地震については、人命第一、この基本方針で政府一丸となって臨んで対応している」などと意気込んでみせたが、震災対応に配慮した野党が安倍が出席する参院決算委員会の延期を申し入れたにもかかわらず、安倍自民は開催を決定。
モリカケ問題でシドロモドロになっても、地震報道で隠れると踏んだのか。その翌日はW杯日本戦を前にツイッターを更新。
日本代表のユニホームを着てサッカーボールをキャッチする動画をアップし、「日本代表の熱戦が始まります」などと能天気な人気取りに走っていた。

21日の被災地訪問だって、パフォーマンスとの見方がもっぱらだ。
 この男の頭の中には「時機をわきまえる」という考えもなければ、進言するマトモな人間も周囲にいないようだ。
“腹心の友”はもとより、官邸、内閣、党にいる「アベ友」たちもみ〜んな一緒の反知性集団だ。
安倍晋三と薄っぺらな仲間たちは、国益よりも私利優先
国家と権力を私物化して仲間内で甘い汁を分け合うことしか頭にないのだ。
 政権ナンバー2の麻生財務相は居直り、チンピラ気質をますます露呈。

被災した枚方市を「マイカタ市」と呼んで失笑を買った菅官房長官は「総理のご意向文書」を怪文書扱いして疑惑に油を注いだ。
安倍側近の萩生田光一幹事長代行は、落選中に加計学園グループの千葉科学大で客員教授を務めて報酬を受け取り、獣医学部新設過程に関わった下村博文元文科相も加計学園からの200万円の「違法献金疑惑」がくすぶったままだ。
「“アベ友”は安倍首相を絶対に裏切らない。
忠誠を誓うことで恩恵にあずかっているからです。
安倍首相の守ることがすなわち、自分の身を守ることにつながっている」(本澤二郎氏=前出)

 安倍に公認権とカネを握られた自民党議員は借りてきたネコ同然の身。
自浄能力を失い、もはや内部崩壊は期待できない。
反知性首相を引きずり降ろせるのは、世論の力だけだ。
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2018年06月23日

「高プロ法案」強行採決を許していいのか!

「高プロ法案」強行採決を許していいのか!
“高プロの旗振り役”
竹中平蔵がグロテスクな本音全開!
「残業代は補助金」
「高プロ対象はもっと拡大しないと」
2018.06.22 リテラ編集部
こたぬきダンス.gif
「残業代ゼロで定額働かせ放題」にする高度プロフェッショナル制度の創設を含む「働き方改革」一括関連法案の参院での採決が近づいている。
高プロをめぐっては、労働問題の専門家を中心に激しい批判が殺到しているうえ、次から次へとインチキやデタラメが明らかになっている。

 高プロの必要性について、安倍首相は「労働者のニーズに応えるもの」と主張し、加藤勝信厚労相も「私もいろいろお話を聞くなかで要望をいただいた」と答弁していた。
ところが、実際はわずか12人に聞き取りしただけで、しかも法案要綱が示される前におこなわれた聞き取り件数はゼロだったことが判明。
聞き取りのほとんどが、この加藤厚労相の答弁後に慌てておこなわれていたことまでわかった。
ようするに、「立法事実なき法案」なのに、安倍政権はまたしても数の力でゴリ押ししようとしているのだ。

 高プロは、企業が残業や休日労働に対して割増賃金を一切払わず、労働者を上限なく働かせることができるようになるもので、過重労働や過労死を増加させることは火を見るより明らか。
そしてこの法案が恐ろしいのは、対象者が拡大していくことが確実という点だ

実際、その高プロ創設の「本音」は、この男がすでに暴露している。
経団連とともに高プロ創設の旗振り役となってきた、竹中平蔵だ。
 竹中は21日付の東京新聞の記事でインタビューに応じ、「時間に縛られない働き方を認めるのは自然なこと」などとデタラメな高プロの必要性を強調する一方で、平然と、こんなことを述べているのだ。
「時間内に仕事を終えられない、生産性の低い人に残業代という補助金を出すのも一般論としておかしい」  

時間内に仕事を終えられない生産性の低い人……? 
そもそも、残業しなければ終わらないような仕事を課していることがおかしいのであって、問題は雇用者側にある。
それを労働者に問題があると責任を押し付け、「生産性の低い人」と断罪した挙げ句、竹中は労働対価として当然の残業代さえ「補助金」と呼ぶ。

つまり、竹中にとって残業代とは、「仕事のできない奴のために仕方なく会社が補助金を出してやっている」という認識なのだ。
 もうこの発言だけで高プロ推進派の本音が十二分に理解できるというものだが、当然、高プロが過労死を増加させてしまうのではないかという指摘に竹中は耳を貸さない。
「過労死促進法案との批判がある」という質問に、竹中は「全く理解していない」と言ってのけた後、「過労死を防止するための法案だ。
その精神がすごく織り込まれている」などと述べて、その理由を「年間百四日以上の休日をとれと。
(適用には)本人の同意も要る」と答えている。

 何が「過労死を防止する精神がすごく織り込まれている」だ。
じつは竹中は、5月30日に出演した『クローズアップ現代+』(NHK)でも「ほとんど完全週休2日制」などと喧伝していたが、それはまったくの嘘で、法案は「年104日以上、4週間で4日以上」の休日を与えるというだけ。
ようするに、月に4日間休ませれば、そのあとの26日間はずっと連続で働かせることが可能であり、次の4週間の最後の4日間に休みを取らせれば、連続して48日間、1日24時間労働をさせても合法となる法案なのだ。

竹中平蔵は高プロの適用対象拡大を明言
「もっともっと増えていかないと」
 しかも、竹中は「本人の同意も要る」などと言うが、力関係を考えれば企業からの要求に労働者が突っぱねることは容易ではない。
さらに、労働者が同意を撤回したり、同意しなかった場合に解雇されたり不利益な扱いを受けたとき、労働基準監督署は指導をおこなうことも罰則を科すこともできない仕組みであることも明らかになっている。
労働者の保護など露ほども考えられていないのだ。

 これでよく「過労死を防止する精神」と言ったものだが、竹中はこうした制度の穴には触れず、
「なぜこんなに反対が出るのか、不思議だ」とシラを切り、「適用されるのはごく一部のプロフェッショナル。労働者の1%くらいで、高い技能と交渉力のある人たちだ」と畳みかける。

だが、これも大嘘で、「年収1075万円以上の一部専門職」を対象とすると言いながら、実質的には年収300万円台の労働者も対象にすることが可能だ(詳しくは既報)。
 労働者のうち1%の人たちの問題ではなく、多くの人が「残業代なし・定額働かせ放題」が適用される恐れがある高プロ制度。
実際、竹中は前出の『クロ現+』でも、「(いまの対象範囲は)まだまだ極めて不十分」「これ(高プロ)を適用する人が1%ではなく、もっともっと増えてかないと日本経済は強くならない」と述べており、今回のインタビューでも、本音をこうオープンにしている。
「個人的には、結果的に(対象が)拡大していくことを期待している」

 ようするに、実質的に年収300万円台の労働者に高プロ制度を適用できるだけでなく、法案が成立すれば、さらなる対象の拡大を狙っているのである。
しかも、竹中は「(具体的には)将来の判断だが、世の中の理性を信じれば、そんな(二十四時間働かされるかのような)変な議論は出てこない」とまで言っている。

 本サイトのブラック企業被害対策弁護団の連載でも多数レポートされている通り、現状でも過労死や残業代不払いは多発している。
それなのに、規制を取り払い対象を拡大しても、「世の中の理性を信じれば」って……。
よくもまあこんなことをヌケヌケと言ったものだが、竹中のように労働者を命のない使い捨ての道具として搾取しようとする「理性のない」人間が世の中にはいるからこそ、労働者は強く警戒しなければならないのだ。

学者ヅラして高プロを語る
竹中平蔵の正体は、
高プロで利益を得る企業の役員
 だいたい、竹中はこの東京新聞のインタビューや前出の『クロ現』では「東洋大学教授」などといったアカデミズムの人間であることを示す肩書きで登場しているが、実態は人材派遣大手のパソナグループの取締役会長やオリックス社外取締役であり、雇用者側の立場だ。
しかも、高プロ制度が提案されたのは「経済財政諮問会議・産業競争力会議合同会議」だが、竹中はこの産業競争力会議の民間議員を務めている。

 つまり、竹中は大学教授という肩書きで「日本経済のために」などともっともらしく語っているものの、ようは“自分のため”だ。
だいたい長時間労働がむしろ生産性を低下させることは多くの専門家が指摘していることで、長い目で見れば「日本経済のために」もならない。
労働派遣法改悪のときもそうだったが、この人は、規制緩和を提案して“自分の目先の利益”を得ることしか頭にないのだ。

 そう考えれば、竹中が「個人的には、結果的に(対象が)拡大していくことを期待している」と言っている意味もよくわかる。
法案成立後、派遣労働者にまで高プロの適用範囲が広がれば、竹中が「補助金」と憚らずケチっている残業代を気にせず、いくらでも派遣労働者を働かせることができるからだ。
派遣労働にまで高プロが適用されれば、それこそ派遣労働者が同意を蹴ることなどできないだろう。

 このように、竹中の隠そうともしない欲望を見れば一目瞭然のように、高プロは働くすべての人にかかわる「地獄」の法案だ
竹中は、自身が推進した小泉構造改革によって非正規社員切りを横行させ、ワーキングプアを生み出し、現在の格差社会をつくり上げた張本人だが、今度は高プロによって労働者を搾取し尽くし、過労死しても「自己責任」だと押し付けられる社会にしようとしている。

いま、そんな危険な法案が可決されそうになっている。
それが現状なのだ。 
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2018年06月24日

明治維新150年でふり返る近代日本(6)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(6)
「弱者の側に立つ
帝国主義的道義国家」(その2)
2018/6/23 J-CASTニュース

帝国主義的道義国家を目指すとの道は、大正期の大川周明や北一輝などの国家主義運動の中にも見られる。

大川の大アジア主義、北の宋教仁を通じての辛亥革命への協力などはそうした例にあげられるだろう。
昭和の国家改造の動きに見られる破綻はまさにこの面を見失ったからといっても良かった。
宮崎滔天や山田純三郎が影響力を失ったのもその例といってよかった。

ただ滔天の子息竜介の動きの中にその一端は見えることに注目すべきではある。

「道義国家」源流の
     ひとつが「愛国社」
この道義国家の源流を、明治初期に求めた場合、あえてその一つに明治8年の立志社の呼びかけによる愛国社設立をあげておいてもいいだろう。
もともとこの集まりは井上馨の仲介で大久保利通、木戸孝充と板垣退助の三者会談(一般には大阪会議と言われている)により、議会開設を要求する板垣らと大久保の新政府との調整を企図していた。

初期の民権派や不平士族らは、板垣を支えるための示威行為としての愛国社設立を、やはり大阪で開催したのである。
この愛国社設立に全国から集まったのは、行動を前面に打ち出すタイプで、大半は征韓派に与し、征台派のメンバーでもあった。
島田一郎、越智彦四郎、増田栄太郎、宮崎八郎、今井鉄太郎などがそうである。

彼らは、「一剣単身、唯だ赤誠を国に許す士族の徒ありしのみ」とその感情を訴えた。
実際に彼らのほとんどはその後の西南戦争に参加している。
滔天の長兄である八郎は 西南戦争に参加し、そして戦死している。

このグループは西南戦争後、新政府が大久保利通による支配を強めると、反政府的立場をより一層強めていく。
愛国社は西南戦争時に消滅の方向に向かうが、この反政府的立場の中心になったのはやはり立志社であった。
この組織は高知の士族が中心だったが、彼らはやはり全国組織の必要性を痛感し、改めて趣意書を作成して全国の同志に働きかけた。
その趣意書の一節には次のように書かれている。
「国家の安危は実に一人の安危に関す。
故に一国安ければ一人亦(ま)た安きことを得るも、一国危ければ一人以て安きこと能(あた)わず。
嗚呼愛身愛国は豈(あ)に二致あらんや。
人真に其身を愛するを知る。
亦た当に其国を愛するを知るべし」

こうした基本精神をもとに、国力の充実を図り、人民の 活力を生かし、独立と国権を守り欧米の国々と対等の立場に立つというのであった。
植木枝盛ら愛国社の指導部の面々はこの精神で西日本を演説行脚するのである。
そして、この年(明治11年)に大阪で第1回の再建大会を開いて、歴史にその精神を刻んでいる。

もし「愛国社」が
政権取っていれば...
この愛国社は、翌12年の第3回大会で国会期成同盟と名を変えて、国会開設を要求する団体にと衣替えする。
国会開設は人民の権利だというのである。
この愛国社の動きを改めて検証することで、帝国主義的道義国家の源流のひとつを確認することができる。

国会開設にいたるまでの愛国社の動きの中に欧米に伍していくとの強い意志が感じられる。
もし彼らが政権をとっていたらまさに西欧帝国主義 に対峙する道を選択したであろうことは容易に推測できる。
彼らを突き動かしているのは仁や義といった徳目の世界の価値観だからだ。

私のいう帝国主義的道義国家とは、つまりはこの愛国社の趣意書を立脚点として広がる近代日本の道筋である。
この道筋に宮崎滔天や山田純三郎、それに萱野長知、平山周などの辛亥革命に仁と義をかけた志士たち、その方向は違ったが、大正期の国家主義者たちの姿が浮かんでくる。
そう思えば近代日本の150年はより重層的であることを知らなければならないと思えてくる。(第7回に続く)

 保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。
ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。
『東條英機と天皇の時代』
『陸軍省軍務局と日米開戦』
『あの戦争は何だったのか』
『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、「昭和史の大河を往く」シリーズなど著書多数。
2004年に菊池寛賞受賞。
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2018年06月25日

なぜ、こんな政権が続くのか 虚無が覆う無法国家の会期末

なぜ、こんな政権が続くのか
虚無が覆う無法国家の会期末
2018年6月23日 日刊ゲンダイ

安倍5年間で加速する
転落はもう破滅まで止まらない
「半端ないって!」と、日本中がサッカーW杯日本代表のまさかの1勝に酔いしれる中、国会会期が7月22日まで大幅延長された。
 W杯決勝の7月16日まで国民が熱狂する裏で、安倍政権がデタラメ法案の強行採決ラッシュを画策している。

数の力で押し切ろうとするのは、そろいもそろって国民に悪影響を及ぼす「悪法」ばかりだ。
 すでに衆院で採決を強行した「働き方改革」こと過労死法案。
高年収の専門職の残業代をゼロにする「高度プロフェッショナル制度」(高プロ)の創設を含んでいるが、これがもう、いいかげんの極み。

高プロの年収要件について政権サイドは「1075万円以上」と喧伝してきたが、法案は「平均給与の3倍」と定めるのみ。
対象者は「会社側と交渉力のある高度な専門職」に限るはずなのに、平均給与算出の際にはパート労働者の給与も含まれるというから、メチャクチャだ。

 パートを外した試算だと、平均給与の3倍は1200万円を超す。
その上、高プロの適用条件となる年収の計算には、通勤手当なども含まれる。
財界の要請を受け、なるべく多くの労働者に「残業代ゼロ」の網を広げようとする政権の意図はミエミエである。
 安倍は国会で高プロ創設について「労働者のニーズ」(5月23日=衆院厚生労働委)とヌカしたが、必要性を把握するための厚労省のヒアリング実施は法案要綱の作成後。
調査対象者は、たった12人しかいなかった。
安倍のウソと厚労省の手抜きだけでも、過労死法案は廃案にして出直すのがスジだ。

■すぐに国民は忘れる
   というヨコシマな思惑
 世論の7割が今国会での成立を望んでいないのに、安倍政権はカジノ法案の成立を全力で急いでいる。  

法案は全251条に及ぶにもかかわらず、衆院審議はわずか18時間で打ち切って、強行採決。
200条超えの新規立法は1997年の介護保険法以来で、当時の委員会審議は50時間。
安倍政権の拙速さは異常だ。

 カジノを成長戦略とする是非や、賭博を禁じる刑法との整合性も不透明。
ギャンブル依存症対策を取りながら、カジノ業者に入場客への賭け金の貸し付けを認めるなど矛盾だらけ。

これでは、客を借金漬けに追い込み、依存症を助長するだけだ。

 自民が出してきた公選法改正案だって、参院選の「1票の格差」とは名ばかりの現職の救済策に過ぎない。
合区対象の「鳥取・島根」「徳島・高知」で候補になれない現職を、比例代表の定数を4増やし、名簿順位で優遇する狙いだ。
議員1人当たりのコストは少なくとも年1億円はかかるのに、自民の都合だけで「比例4増」とは税金私物化と言うほかない。
「これだけ疑問の多い法案を与党は数の力に任せ、ロクに審議もせずに次々と強行採決するのでしょう。
来年は統一地方選と参院選が控えています。
多くの国民に理解されそうにない法案をサッサと片づければ、選挙の頃には国民も忘れているに違いない。安倍政権の強権姿勢には、そんな国民軽視のヨコシマな思惑がにじみます」(政治評論家・森田実氏)

 ご都合主義政権による国会の“アディショナルタイム”引き延ばしは即、“レッドカード”ものの反則行為である。

不誠実首相のせいで
マトモな審議が望めない
第2次安倍政権の発足以降、通常国会の延長は2度目。
2015年に安保関連法の成立を期すため、戦後最長となる95日間も延長した以来だ。
 昨年はモリカケ問題の真相解明のため、野党が憲法に基づき臨時国会開催を求めても、安倍は3カ月も無視。
ようやく9月に召集すると、冒頭解散に踏み切り、露骨なモリカケ隠しで総選挙に突入した。

「首相自ら『働き方』や『カジノ』を今国会の目玉に掲げた手前、何が何でも成立させたいのでしょうが、憲法は国会を『国権の最高機関』と定めています。
決して政権の下請け機関ではないのです。
政権の意のままに延長したり、召集しなかったりするのは議会制民主主義への冒涜であり、国会運営の空洞化を招くだけです」(九大名誉教授・斎藤文男氏=憲法、行政法)

 多くの憲法学者が国会の私物化に苦言を呈しても、安倍政権はお構いなし。
この5年間で特定秘密保護法や安保関連法、共謀罪など違憲性が疑われる悪法の数々を最後は「数こそ力」で、採決を強行。
国民の理解を得ることなどハナから放棄して、強引な政権運営を続けてきた。
前出の斎藤文男氏はこう嘆く。

「日本国憲法は権力の抑制的な行使を言外に求めていますが、安倍首相は完全に無視。
使える力は何でも使ってしまえという態度で、解散権まで恣意的に行使する。
まるで自分こそが国権の最高機関であるかのような政治姿勢です。
国会でも首相は嘘とゴマカシを繰り返し、野党の質問に真正面から答えない。
常に論点をずらして、はぐらかす。
首相が政治は数が勝負とタカをくくった態度では、国会を延長したところで、マトモな審議は望めません。安倍政権の5年半で、政治はここまで堕落したのかと、むなしさが募るばかりです」

 国民がW杯の熱狂から冷めた頃には、デタラメ法案の強行採決ラッシュで通常国会が幕を閉じるのは火を見るより明らか。
無法国家の会期末には、ただただ、虚無感だけが漂うのである。

■「登場人物全員、嘘つき」の狂った光景
 そもそも会期が足りなくなったのは、安倍政権の自業自得。
モリカケ問題を巡る不誠実な態度が要因だ。
 安倍は昨年2月に森友問題で「私や妻が関わっていたら総理を辞める」と豪語したが、その発言の意味を自らコロコロと変遷。
両問題とも「ない」と言った文書は次々と出てくるし、官僚は安倍の答弁に合わせて国会で平然と嘘を吐き、記憶喪失となり、公文書まで改ざんした。

 安倍は昨年7月に国会で加計学園の獣医学部新設計画を「今年1月20日に初めて知った」と答弁したが、愛媛県は先月、15年2月25日に加計孝太郎理事長と面会し、獣医学部新設の構想の説明を受けたとする文書を国会に提出。
この時は誰もが安倍は辞めて当然と思ったはずだが、なぜ今なお生き残っているのか。

安倍は嘘の証拠を突きつけられても、「伝聞の伝聞」とムキになって否定し、関係者は他の記憶は曖昧なのに、決まって全員が「学園側と3回面会したが、首相に報告していない」(柳瀬唯夫元首相秘書官)、「首相が計画を知ったのは17年1月20日だと思う」(加計理事長)と、安倍に都合の良い記憶だけハッキリ覚えている。

 この不自然さは口裏合わせを疑うほかないが、「記録」VS「記憶」の堂々巡りは結局、首相との面会は“虚偽報告”で、「事務局長が勝手にやった」と部下に責任転嫁した「腹心の友」の加計理事長の“好アシスト”によって、疑獄の主犯の安倍は居直り、逃げ切るハラだ。

前出の森田実氏はこう言った。
「安倍首相も加計理事長も、嘘を嘘で塗り固め、嘘の上塗りを重ねているようにしか思えません。
国のトップや教育者として、あるまじき姿ですが、アベ政治の5年半で、この国全体から『道義』が失われているのが心配です。
『嘘をついてはいけない』という基本的な倫理を軽んじるムードがはびこり、少なからぬ人々が保身のためなら嘘も平気な首相を許してしまう。
こうした誤った風潮が延長国会を通じて、さらに蔓延すれば、この国の転落を加速させるだけです。
後世の恥とならないためにも、野党は強気の態度で腐った政権を追い込むべきです

 延長後も「登場人物全員、嘘つき」の異常な光景がまかり通れば、後世の歴史家は間違いなく、この国会を「歴史の分岐点」と評価するだろう。
落ちるところまで落ち、破滅まで止まらなかった日本の分かれ目だった、と。
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2018年06月26日

ヤジ、暴言…憂慮される国会の劣化

がん患者へのヤジ、
   過労死遺族への暴言…
“命”の問題を軽視する
   安倍自民の責任と罪
2018.06.25 Business Journal

文=江川紹子/ジャーナリスト

 ヤジというより、暴言と呼んだほうがいいのではないか。
 自民党の穴見陽一衆院議員が、衆院厚生労働委員会で受動喫煙対策を強化する健康増進法改正案の審議中に、参考人として出席していた肺がん患者が意見を述べていたのに対し、「いいかげんにしろ」と言い放った問題である。

与野党議員の胸に響いた、
故・山本孝史議員の代表質問
 委員会として招いた人に対する非礼はもとより、ステージ4の患者が、よりよい制度づくりのために、まさに命を削って話をしている時に、どうしてこんなことが言えるのか。
国会議員としての資質以前に、人間性が疑われるのは当然だろう。

 批判を受けた穴見氏は、Facebookと自身のホームページに「お詫び」と題する短い文を掲載したが、内容は「不快な思いを与えたとすれば…深くお詫び申し上げる」といった条件付きの謝罪。
「不快な思い」を与えていないわけがない。
記者会見も開かず、このような「謝罪もどき」をインターネット上にアップしただけで、「謝罪した」と報じるマスメディアは、まったくどうかしているのではないか。

 しかも、この「謝罪もどき」には、「喫煙者を必要以上に差別すべきではないという想いで呟いたもの」という言い訳が続いている。
「差別」とは、「本人の努力によってどうすることも出来ない事柄で不利益な扱いをすること」(東京人権啓発企業連絡会HPより)。
 有害な受動喫煙を防ぐために室内を禁煙・分煙することを、「差別」と言ってはばからない穴見氏は、こんな基本的な言葉の意味がわかっていないらしい。
好きな所でタバコを吸えないこと、あるいは飲食店が受動喫煙対策をしなければならないことに、喫煙者として、飲食店チェーン創業者の息子として、ひたすら被害者意識を募らせているだけだろう。

一私人ならそれでも構わないが、こういう人が「全国民の代表者」たる国会議員でいられては、本当に困る。
 そう慨嘆しながら、私はかつての国会で見た、今回の暴言とはまったくベクトルを異にする2つの光景を思い起こしていた。

ひとつは、2006年5月22日に参議院本会議で故・山本孝史議員(民主党)が、がん対策基本法と自殺対策基本法の早期成立を訴えた国会質問。
もうひとつは、同年暮れに亡くなった山本氏のために、07年1月23日にやはり同院本会議で、自民党の尾辻秀久参院議員が行った追悼演説だ。

 社会保障に関わる問題に取り組んでいた山本氏は、在職中に胸腺がんに罹った。
06年5月22日の代表質問で、自分ががんに侵されていることを告白。
次のように述べて、がん対策基本法の成立を急ぐよう求めた。

「がん患者は、がんの進行や再発の不安、先のことが考えられないつらさなどと向き合いながら、身体的苦痛や経済的負担に苦しみながらも、新たな治療法の開発に期待を寄せつつ、一日一日を大切に生きています。
私があえて自らがん患者だと申し上げましたのも、がん対策基本法の与党案と民主党案を一本化し、今国会で成立させることが日本の本格的ながん対策の第一歩となると確信するからです」

 さらに、自殺対策基本法の早期成立の必要性も訴え、政治の責任を強調した。
「私は、大学生のときに交通遺児の進学支援と交通事故ゼロを目指してのボランティア活動にかかわって以来、命を守るのが政治家の仕事だと思ってきました。
がんも自殺も、ともに救える命がいっぱいあるのに次々と失われているのは、政治や行政、社会の対応が遅れているからです」

 与野党議員から、党派を超えて大きな拍手が起き、それは山本氏が自席に戻った後も続いた。演説の後、山本氏は報道陣の取材に対し
「(がん患者には)限られた時間しか残っていない。
(対策は)次の国会でいいとは思えない」と語った。

 この訴えは、与野党の議員に響いた。
読売新聞は、「命を削ってまで活動を続ける姿がきっかけとなって与野党が歩み寄り、この翌月にがん対策基本法が成立した」(2008年1月22日付同紙追悼記事より)と伝えている。
自殺対策基本法も、同じ時期に成立した。

国会の劣化を加速させる
       「魔の3回生」たち
 この2つの法律の成立に共に奔走した尾辻氏は、追悼演説の中で、「山本先生はわが自由民主党にとって、最も手強い政策論争の相手でありました」と称え、山本氏の代表質問について、こう振り返った。
「いつものように淡々とした調子でしたが、先生は抗がん剤による副作用に耐えながら、渾身の力を振り絞られたに違いありません。
この演説は、すべての人の魂を揺さぶりました。
議場は温かい拍手で包まれました。
私は今、その光景を思い浮かべながら、同じ壇上に立ち、先生の一言一句を振り返るとき……。
万感、胸に迫るものがあります」

党派や意見の違いを超えた法整備
尾辻氏は、何度も声を震わせ、ハンカチで目元をぬぐった。
議場では、与野党を問わず、目頭を押さえる議員の姿があったという。
そしてこの演説は、次のように結ばれた。
「先生は12月22日、黄泉の国へと旅立たれました。
先生の最後のご著書となった『救える「いのち」のために 日本のがん医療への提言』は、先生が亡くなられる直前に、見本の本が病室に届けられました。
先生は目を開け、じっと見つめて頷かれたそうです。
その時のご様子を、奥様は告別式において次のように紹介されました。
『私は彼の手を握りながら本を読んであげました。山本は、命を削りながら執筆した本が世に出ることを確かめ、そして日本のがん医療、ひいては日本の医療全体が向上し、本当に患者のための医療が提供されることを願いながら、静かに息を引き取りました』

 バトンを渡しましたよ、襷をつなぐようにしっかりと引き継いでください、そう言う山本先生の声が聞こえてまいります。
(中略)あなたは参議院の誇りであります。
社会保障の良心でした」
 議場は、大きな拍手に包まれた。少なくとも、この時の国会は、命を削って法整備を訴える山本氏に対し、党派や意見の違いを超えて、敬意を表し、その思いを汲み取る努力をした。

 それから10年。国会はなんという変わりようなのだろう。
 12年12月の総選挙で初当選した穴見氏は、尾辻氏の追悼演説を生では聞いていないだろうが、これは今でもネットで見ることができる。
全文を読むこともできる。
だが、おそらく穴見氏は見ていないだろうし、読んでいないだろう。
 国会の劣化が指摘されている。
とりわけ穴見氏ら12年初当選組は問題が続出し、「魔の3回生」と呼ばれる。
妻が出産のため入院中に不倫したことが週刊誌にすっぱ抜かれて宮崎謙介氏は辞職し、重婚疑惑などの女性問題が報じられた中川俊直氏は3期目の出馬を断念。秘書へのパワハラを暴露された豊田真由子氏、同僚議員との不適切な関係などが批判された中川郁子氏、酒や女性の問題を取り沙汰された橋本英教氏らは落選で国会を去った。

 ほかに、「マスコミを懲らしめる」
「(がん患者は)働かなければいい」などの失言や暴言を重ねている大西英男氏、被災地視察でおぶわれて水たまりを渡り、後にそれをネタにした失言で政務官を辞任した務台俊介、前川喜平・前文部次官の講演内容を文部科学省に照会させた池田佳隆氏、「必ず3人以上の子どもを産み育てていただきたい」「結婚しなければ子供が生まれず、人様の子供の税金で老人ホームに行くことになる」と発言して後に撤回した加藤寛治氏なども同期だ。
 やはり同期の国場幸之助氏は、酒に酔って繁華街で通行人ともみ合いになり、傷害罪で書類送検されたが、書面で謝罪コメントを出しただけで記者会見も開いておらず、自民党も厳重注意で済ませている。
そして、今回の“穴見暴言”だ。

命の問題と真摯に向き合う
与党議員はどこへ
 これは一強他弱のなかでの緩みとかおごりとかいった次元の問題ではなく、本来は国会議員になってはいけない類いの人が、国民の民主党政権への反発をバネに当選してしまい、その後も安倍自民の選挙上手のお陰で議席を維持してしまっている、というケースが少なからずあるのではないか。

 それは、そうした者を自党の候補者にし、当選させ、しかもまともな教育もしていない、自民党の責任でもある。
せめて自党の長老議員である尾辻氏が行った名演説くらい、全員に見せて国会議員たる者の努めを考えさせるべきだろう。
“魔の3回生”ばかりではない。
今年3月には参議院予算委員会の公聴会に公述人として出席した過労死遺族に対し、渡辺美樹参院議員が「働くことが悪いことであるかのような議論に聞こえてきます。
お話を聞いていますと、週休7日が人間にとって幸せなのかと聞こえてきます」と述べて問題になった。

 渡辺氏は、居酒屋チェーン「和民」などを展開するワタミの創業者だが、そのワタミでは26歳の女性が入社2カ月で自殺。
後に過労死認定されたが、それを受けて、すでに国会議員となっていた渡辺氏は、こうツイートした。
「労務管理できていなかったとの認識は、ありません。
ただ、彼女の死に対しては、限りなく残念に思っています」

 そういう彼を、よりにもよって過労死遺族に対する質問者に据えた自民党自体は、命にかかわる問題を軽く見すぎていると言わざるを得ない。
与党が圧倒的な多数を占めているため、最初から「いつ採決して法案を通すか」ということにのみ関心があり、いろんな人の意見を聞いたり議論をして、法案をより良いものに修正していくプロセスが軽視されているようにも見える。

 このような国会で、私たちの命にかかわる問題が扱され決定されていることに、改めて暗然たる思いがする。
 とはいえ、自民党の期の浅い議員のなかにも、命の問題に真摯に向き合い、これまでの国会の取り組みから学んでいる人が、いないわけではない。
たとえば、自らもがんを経験した三原じゅん子参院議員は、2010年に当選して初めての国会質問で、山本氏について触れている。
「がんの撲滅に力を尽くされた先輩議員として参議院議員でありました山本孝史先生のことを思い出さずにはいられません。
(中略)命を懸けて命を守る。
がんイコールリタイアではない。
私も山本先生から命のバトンを受け継いだ、そしてこの参議院に議員として今ここに立たせていただいているんだと感じております」

 三原氏は、昨年5月30日の参院厚生労働委員会でも、山本氏の名前を挙げて、たばこの受動喫煙の問題にしっかり取り組むよう厚労相に発破をかけ、エールも送った。

「私は、7年前に議員とさせていただいたとき、民主党の山本孝史先生の議事録をすべて読ませていただきました。
私の記憶によれば、最後までたばこの政策に関して非常に心残りだというようなことを発言されていたと記憶しています。
こうした『死者の英知』というものも引き継いでいくのが私は政治であり、過去に受動喫煙で亡くなった方たちの無念の魂というものを鎮めることもまた使命なのではないかと思っています。
それがあしたを生きる子供たちの未来につながっていくのではないでしょうか」

「何度も言いますが、富める者、強い者の満足のみによって世の中が回っていくと思ったら大間違いです。政治は、病に苦しむ人、弱い人をどれだけ救ったかで判断されるべきだと私は思っています。

強い者、強者の意見だけでなく、弱い立場にいる方々、そして苦しい中で亡くなっていった方々の立場にも立った法案を作っていくことこそ政治の役割だと思います」
 しかし、この時点で厚労省が受動喫煙防止のためにつくっていた対策案は、自民党厚生労働部会の議論のなかで大幅に後退。
国会に提出された法案では、55%の飲食店は法案の「例外」とされ、喫煙可能となるという。
 今回の穴見暴言だけでなく、規制が骨抜きにされていった経緯を見るにつけ、「死者の英知」を引き継ぎ、命の問題と真摯に向き合う与党議員も「例外」的存在になっているのではないかと案ぜられてならない。 

江川紹子(えがわ・しょうこ)
東京都出身。
神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。
著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』
『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。
『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。
クラシック音楽への造詣も深い。

江川紹子ジャーナル www.egawashoko.com
twitter:amneris84
Facebook:shokoeg

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2018年06月27日

息吹き返す「公安調査庁」…勢力増強で活発化の狙い

息吹き返す「公安調査庁」
…勢力増強で活発化の狙い
2018.06.26 Business Journal

文=鷲尾香一/ジャーナリスト

 情報機関が活気づいている。
特に、公安調査庁が現場への人員配置を増加するなど、情報収集の強化に乗り出している。
この背景には、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催を控えて、テロ防止の強化がある。  

公安調査庁は法務省の下部組織だが、警察組織ではない。
同庁のホームページでは、その目的について次のように説明している。
「破壊活動防止法、無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律に基づき、公共の安全の確保を図ることを任務として、オウム真理教に対する観察処分を実施するとともに、国内諸団体、国際テロリズム、北朝鮮、中国、ロシア等の周辺諸国を始めとする諸外国の動向など、公共の安全に影響を及ぼす国内外の諸情勢に関する情報の収集及び分析に取り組み、我が国情報コミュニティの一員として、情報(インテリジェンス)の提供を通じた政策決定への貢献に努めています」

 警察組織の公安警察、内閣官房の内閣情報調査室(内調)とともに日本の情報機関の中核を担っているものの、旧民主党政権の事業仕分けでは廃止の候補になったこともある。
それだけに、「上層部は東京オリンピックが我々の実力を発揮する絶好の機会と考えているようだ」(同庁関係者)という。
「来年2019年は、4月に天皇陛下の退位、5月に皇太子殿下の即位がある。
政治思想テロに関連するものでは、この天皇陛下の退位関連が焦点になる。
さらに、9月からはアジアでは初めて、ラグビーワールドカップが日本で開催される。
これは、2020年の東京オリンピックの開催の前哨戦、東京オリンピックに向けての実践練習になる」(別の同庁関係者)

 ただ、同庁の年次報告書「内外情勢の回顧と展望」でも明らかなように、この報告書の項立てとして取り上げられているのは、オウム真理教、過激派、共産党、右翼団体などといったもので、政府関係者やマスコミからも、「今時、オウム真理教や共産党がテロ行為を行うと考えるのはナンセンス。
ここを監視するのに予算を使っているのであれば、民主党が廃止候補に挙げたのもうなづける」との声が出るほどだ。

試される、日本の情報機関の実力
 当然、同庁でも同様の危機感を持っている。
「最近、会議で上司の口から出るのは、新たな情報ソースの開拓という話。
これまでのオウム真理教や共産党ではなく、たとえば中国や韓国、北朝鮮の人脈や不審者に対する情報ソースの開拓という話が多い」(同庁関係者)

 もちろん、中国、韓国あるいは北朝鮮からのテロの可能性が高いというわけではないが、「在日という点で、この3カ国の動向、特に不審人物の動向を把握しておく重要性があると判断されている」(同)という。
 もっとも重要なのは、2020年の東京オリンピックでのテロ防止という点にあるが、一朝一夕に情報ソースの開拓、情報網をつくることができるわけではない。
「上司からは、折に触れて、2020年の東京オリンピックを展望して、情報網づくりを進めるようにという話が出てくる」(前出と別の同庁関係者)

 これが、日本の情報機関が活気づいている背景にあることは間違いない。
しかし、「もともとテロに対する意識が薄い日本人の国民性から考えて、付け焼刃的なテロ防止のための情報網づくりがうまく機能するとは思えない」(政府関係者)と冷めた声が聞かれるのも事実だ。
 東京オリンピックは、まさに日本の情報機関の実力が試されることになりそうだ。 

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2018年06月28日

安倍政権、生活保護費160億円カット

安倍政権、
生活保護費160億円カット
…約8百万世帯が
生活保護水準以下の生活か
2018.06.27 Business Journal

文=片田直久/フリーライター

「1億総活躍社会」を掲げる安倍晋三政権は、一方で生活保護基準の引き下げに執心してきた。
2013年から、生活保護基準の最大10%にも及ぶ引き下げを断行。
全国29都道府県で1000人近くが違憲訴訟を起こす事態になっている。
さらには、今年10月から3年間かけて、平均1.8%、最大5%、年額160億円の引き下げが予定されている。

 生活保護を「ナマポ」と揶揄し、「一般庶民の暮らし向きとは関係ない」と決め込むのは勝手だ。
しかし、現実はそれほど甘くはない。
日本の労働力人口約6500万人のうち、年収300万円以下は2500万人を超える。
3世帯に1世帯が貯蓄ゼロ。
生活保護世帯は164万世帯だが、その捕捉率は20%ともいわれ、現実には約800万世帯が生活保護水準以下の生活を強いられている。

 ここ最近は、高齢者層の受給者増が目立つ。
背景には、長引く不況と高齢化の影響がある。
生活保護の問題は、決して他人事ではない。

 衆議院第1議員会館大会議室で6月7日、「生活保護基準の設定はいかにあるべきか」と題する緊急院内学習会が催され、160人が参加した。
注目されたのは基調講演。
先ごろまで厚生労働省の生活保護基準部会(以下、部会)部会長代理を務めた、岩田正美・日本女子大学名誉教授が登壇した。
 岩田氏は貧困研究の第一人者。
部会の議論のなかでも、積極的に物申してきた。

部会はともかく、霞が関で設置される審議会・検討会の類には疑念がつきまとう。
構成員の人選は役所の意向を踏まえて決定。
「御用学者」が覚えめでたく活躍する。
「事務局」を務める役所のさじ加減で「論点整理」が進み、議論の方向付けがなされる。
これが「審議会・検討会行政」の実態だ。

 御用学者とは一線を画す岩田氏は、主に2つの限界を指摘した。
まずは「水準均衡方式」の限界。
高度成長期から、生活保護基準は低所得層と均衡することを目指して設計されてきた。
低成長、経済縮小の時代に入った今、低所得層の実入りは確実に苦しくなっており、そこと均衡させれば生活保護基準も下げざるを得ない。

 もう一点は、厚労省が根拠とする「全国消費実態調査」の限界。
調査期間や回収率、補正の必要性などの点で、信頼に値するデータとなっていない。

 この集会でのもうひとりの講演者である桜井啓太・名古屋市立大学准教授は、「最低賃金からみた生活保護基準引き下げの意味」について発言。
生活保護が全国民の「最低限」であるのに対し、最低賃金は働く者の「最低限」を指し、両者は密接に関連している。

生活保護が引き下げられれば、それにともなって最低賃金が引き下げられる可能性もある。
 桜井氏は引き下げに向けて、ストーリーがつくられ共有される流れがあったと指摘。
本来は働く者が「健康で文化的な生活」をするための最低基準だった最低賃金が、厚労省中央最低賃金審議会において恣意的にゆがめられてきた実態を具体的に示した。

生活保護が最低賃金を上回る逆転現象
 生活保護基準が最低賃金を上回る「逆転現象」がなかなか改善しないなか、「最低賃金労働者は損をしている」
「生活保護者はずるい」という感情の問題へのすり替えが進んでいった。
この流れに乗るかたちで、自民党はマニフェストに「生活保護制度の見直し」を掲げ、着実に実行。
一連の引き下げは、この流れのなかにある。

 高度成長期と比べ、この国の余力は確実にやせ細っている。
不慮の事故や病気といった異例の事態がひとつ二つ重なれば、誰もが生活保護を考慮しなければならない。

「どの国の施策を見ても、正解はない。
それなりに苦労をして暫定的な制度を用いている」
 岩田氏はそう強調した。
憲法が保障する「健康で文化的」な暮らしのために、いくら必要なのか。
行政が判断をためらってきたその基準は、私たち自身が議論し決めていかなければならない。

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2018年06月29日

なぜ、舌禍、暴言が続くのか安倍化という劣化が進む自民党

なぜ、舌禍、暴言が続くのか
安倍化という劣化が進む自民党
2018年6月28日 日刊ゲンダイ

「岡田さん、ルールは守んなきゃ」
 27日、党首討論を終えた安倍首相は衆院会派「無所属の会」の岡田克也代表にこう言い放った。
この男の減らず口には開いた口が塞がらない。

 先月30日以来となった党首討論は、前回同様にモリカケ問題の追及を中心に展開されたが、安倍は相変わらずの論点ズラシで逃げ回ってゼロ回答。
ラストバッターで質問に立った岡田が「当事者でないかのような物言いはズルい」と攻めると、安倍は「当事者という意味を正確に定義していただきたい」とブチ切れ。
討論を取り仕切る鉢呂吉雄参院国家基本政策委員長から「時間が来ております」と3度注意を受けるもガン無視で、持論を垂れ流し。
岡田の持ち時間を消化した。

 それで終了時間を過ぎてしまった岡田が最後に「良心の呵責、感じませんか」と締めのひと言。
そうしたら、掟破りの常習犯である安倍がルールを持ち出したのだから、盗っ人猛々しい。
“腹心の友”が熱望するビジネス拡大を実現するため、「岩盤規制を打ち破る」と称してルールをねじ曲げたのではないのか。
国家戦略特区を利用し、「総理のご意向」で加計学園の獣医学部新設計画に便宜を図ったのではないのか。

世論の7割がこうした疑惑を抱き続けている。
“腹心の友”の言い訳にもならない釈明で、疑惑はますます深まっている。

■安倍首相の本音代弁で機嫌取り
 犬は飼い主に似るとはよく言ったもので、自民党議員もやることなすことメチャクチャだ。
衆院厚労委員会の参考人として発言中のがん患者に、「いい加減にしろ!」と執拗にヤジを浴びせた穴見陽一衆院議員は、不祥事の量産装置と化した“魔の3回生”の安倍チルドレンだ。

受動喫煙対策を話し合った党会合でがん患者を「働かなければいいんだよ」と冷たく切り捨てた大西英男衆院議員も“魔の3回生”。
加計問題を巡り、「総理のご意向で行政が歪められた」と告発した前川喜平前文科次官の講演先に対し、文科省を通じて圧力を掛けた池田佳隆衆院議員もそうだ。

 政治ジャーナリストの角谷浩一氏は言う。
小選挙区制で党本部がカネと公認権を握り、総裁がポストも差配する構図が出来上がっている自民党は、安倍首相に権力が集中しています。
とりわけ“魔の3回生”は安倍首相の総裁時代しか知らず、安倍1強と呼ばれるに至る過程を目の当たりにしてきた。
安倍首相に目をかけられることが保身に直結するため、常に顔色をうかがい、有権者には目もくれません。彼らの発言は本心であると同時に、安倍首相の本音を代弁していると言っていいでしょう」

浸透する封建的家族主義
 穴見のトンデモ発言を巡って安倍は、「がん患者の方が自分のお気持ちを述べておられる。
その姿勢に対し、寄り添った形で対応をしなければならない」ともっともらしく言っていたが、口先だけだ。
とがめもせず、何の処分も下していない。
 重鎮としていさめるべき立場にあるはずの二階幹事長も「この頃、子どもを産まない方が幸せじゃないか、誇れるんじゃないかと勝手なことを自分で考える」
「子どもをたくさん産んで国も栄えていく方向へいくように、皆がしようじゃないか」などとぶち、物議を醸している。

それぞれの家庭が抱える事情はお構いナシ、明治の富国強兵を地で行く発想だ。
安倍側近の萩生田光一幹事長代行も「赤ちゃんにパパとママどっちが好きかと聞けば、ママがいいに決まっている」と放言し、騒ぎになった。
 自民党議員の舌禍、暴言はなぜ続くのか。
答えは簡単で、国民よりも安倍サマ。
それをトップの安倍が強いているからだ。

立正大名誉教授の金子勝氏(憲法)が言う。
「戦前の軍国主義に憧憬を持つ安倍首相の頭を占めているのは、封建的な家族主義の復活なのでしょう。
個人の自由や権利を認めず、国家のトップが独裁権力を握る。
そこには国民主権も民主主義もありません」

 第2次安倍政権発足以降の5年半で、安倍の価値観と自民党のそれは同化しつつある。
アベ化が進む自民党議員のオツムと品性は推して知るべしなのだ。

■過労死が嫌なら仕事を辞めろ
 国民が大反発した安保法を強行採決した2015年以来の会期延長となった通常国会は、狂った集団が連発するデタラメ強行採決によって修羅場と化すのは必至だ。
野党による疑惑追及から逃れるため、国会を閉めたがる安倍が32日間の大幅延長に踏み切ったのは、世論の半数が反対する働き方改革関連法案、カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案、参院合区対策として定数を「6増」する公職選挙法改正案を確実に成立させるためだ。

 いずれの法案も問題だらけだが、特にヒドイのが、安倍が「70年ぶりの大改革」と意気込む働き方改革である。
 比較データの捏造で裁量労働制拡大は削除に追い込まれたが、長時間労働や過労死の助長が指摘され、スーパー裁量労働制とも呼ばれる輪をかけて悪質なる高度プロフェッショナル制度は含まれたままだ。
必要性を把握するための厚労省のヒアリング実施は法案要綱の作成後といういい加減の極みの上、ついに安倍は「適用を望む企業や従業員が多いから導入するものではない」と労働者ニーズを否定。

「時短を目的とするものではない」と開き直った。
高プロの削除を求めて野党が提出した問責決議案は27日、与党などの反対多数で否決。
与党は28日の参院厚労委で可決し、29日の参院本会議で成立させる算段だ。

「労働者を安い賃金で死ぬまで働かせようとする働き方改革で最も得をするのは、安倍首相を支える財界です。
財界の長年の熱望を今回まとめなければ、総裁3選は危うい。
安倍首相はどんな手を使ってでも成立させるつもりでしょう。
政権ナンバー2の麻生財務相が〈10〜30代の新聞を一番読まない世代は全部自民党支持だ〉という趣旨の発言でいみじくも言い表していましたが、徹底的に国民をコケにするのがこの政権の本質なのです」(金子勝氏=前出)

 過労死が嫌なら会社を辞めればいい、生産性の低い労働者は企業の荷物だと言わんばかりの発想。
もはや自民党には、弱者を冷酷に切り捨てる政権に群がり、唯々諾々と従うヒラメ議員しかいないのか。  

国民を代表する意識もなければ、国会軽視が国民主権をないがしろにしていることにも頓着しない。
すべてはイカれたトップのせいだろう。
 この先に見えるのは荒涼と殺伐しかない。
亡国首相に引導を渡せるのは世論だけだ。
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2018年06月30日

黙って殺されろというのか…

黙って殺されろというのか
酒鬼薔薇事件被害者父の叫び
2018.06.29 NEWSポストセブン

 6月9日に新幹線の車両内で起きた殺傷事件。
唐突に発生する無差別の犯行に対して、一般市民がいかに脆弱であるかを改めて突きつけるものだった。  

振り返れば、突然の凶行は過去に幾度となく繰り返されてきた。
1997年の神戸連続児童殺傷事件、
2001年の附属池田小事件、
2008年の秋葉原通り魔事件、
2016年の相模原障害者施設殺傷事件…。

 何の罪もない人々が犠牲になり、そのたびに悲劇を繰り返さないための提言が新聞やワイドショーを賑わす。
「地域社会全体で子供たちを見守る体制を」
「被害者と遺族に手厚いサポートを」
「前科者に偏見を持たず、社会が受け入れてサポートする体制を」

 こうした聞き心地のよい言葉の裏で、今日もどこかでまた、凶悪犯罪が繰り返されている。
「もうそろそろ、私たちは新たな一歩を進めるべきではないでしょうか」
 そう語るのは、神戸連続児童殺傷事件で酒鬼薔薇聖斗こと少年Aに襲われた堀口めぐみさん(仮名 当時10才)の父親・堀口孝史さん(仮名 58才)だ。

 1997年3月16日、友達との待ち合わせ場所に向かう途中だった小学3年生のめぐみさんは、前方から歩いてきた少年Aにすれ違いざまにナイフで腹部を刺された。
 傷は深さ8cmに達し、胃を貫いて背中の大動脈の3分の2が切断された。
刃先が数mmずれていたら命は助からなかった。
 小さな体に流れる血液量の半分を輸血し、2週間後にようやく退院したが、傷口はケロイド状となり、その後も激しい痛みに襲われた。

 事件から21年。娘の地獄のような苦しみを間近で見てきた孝史さんが、昨今の凶悪事件に対する思いを口にする。
「少年Aの事件以来、“誰でもいいから殺したかった”という無差別殺人が頻繁に起きています。
こうした事件が起こるたびに、被害者や親族に対し、他人事とは思えない痛みを感じます」
 事件は被害者の心身に癒されることのない傷を与える。

現在は看護師として勤務するめぐみさんは2015年9月、本誌・女性セブンに自身のトラウマについてこう語っている。
目の前から若い男性がやってくると恐怖心に襲われ、身が竦(すく)んでしまうんです。
殺人シーンがあるテレビドラマも見ることができなかった。
ナイフを使うシーンは、今でも見られません
 めぐみさんは現在も凶悪事件が起きるたびに身も凍るような恐怖に襲われるという。

 警察庁の統計によれば、日本の犯罪の平均再犯率は40%超。
凶悪事件が起きた後、犯人に対して「罪の意識の芽生え」や「更生」を期待する声は多いが、現実はそれほど甘くない。
 街に危険な人物が野放しにされ、凄惨な犯罪が繰り返される現状に、孝史さんは大きな無力感を抱く。

異常者が街にいたとしても、誰もそれを見分ける方法を持っておらず、本当にどうしようもない。
少しでも挙動不審な人物には気をつけようとか、そのような人物には近づかないようにしても、自ずと限界があります。
周囲のすべてが加害者のように思わざるを得ません

 理不尽な殺意に対し、一般人が為す術がない現状について、孝史さんは被害者の家族としてこう提言する。
「人権問題もありますから、前科者の情報を国民全体に開示するのは難しいかもしれません。
でも、せめて警察や行政は危険人物の行動を常に監視できる体制にあってほしい。
再犯に次ぐ再犯をするような、遵法精神を欠いた人間に対しては、やはり地域住人でも情報共有できるよう法律を整える必要があると思います。
 そうした具体的対策なしに、理想論だけを述べられても、もう立ち行かない時代に来ていると思うのです。
私の娘のように、“誰でもいいから人を殺してみたい”という殺意を向けられた時、黙って殺されろというのでしょうか…。

 池田小の事件のように、今では学校の中でさえ安全とはいえません。
校内に防具を設置するなどの対策も必要だと思います」
 凶悪犯罪に詳しいジャーナリストの大谷昭宏さんも、孝史さんの言葉に同意する。
「子供に対する性犯罪者に関しては、再犯率の高さも指摘されており、出所後の犯人にGPS(全地球測位システム)を取り付ける議論を進めるべきです。

諸外国ではすでに適用している国もあり、米国のテキサス州では、『このまま刑務所にいるか、釈放する代わりにGPSを付けるか、自分の車に“性犯罪者です”との貼り紙をするか』などのさまざまな選択肢から選ばせている。
もちろん犯罪者の人権は大切ですが、無辜の子供たちの人権と凶悪犯の人権を同等に考える必要はありません
 大谷さんの指摘通り、米国や英国、フランスなどは特定の犯罪者にGPSの取り付けを義務付けている。  なかでも特徴的なのは韓国だ。
複数の性犯罪前科がある出所者にGPS機能のついた足輪を装着させ、居住地から半径2kmの監視範囲の外に出たり、指定された制限区域に立ち入ると保護観察所に報告される監視制度が2008年にスタートした。  

現在は未成年者誘拐や殺人、強盗などの前科にまで適用範囲を拡大し、足輪を装着する期間も当初の最長5年から30年まで延長された。
特筆すべきは再犯率の変化で、制度施行前14.1%だった再犯率は、施行後1.7%まで激減した。
 世界各国で性犯罪から誘拐、殺人、強盗まで幅広く成果が出ているGPSだが、日本では「犯罪者の人権」を主な理由として議論が進まない。

 2012年に大阪府が18才未満の子供への性犯罪前科者には住所の届け出を義務付けたが、以降、全国には広がっていないのが現実だ。

※女性セブン2018年7月12日号
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☀| Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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