2018年06月04日

安倍政権で戦前と同じ道 上から下まで良識が壊れた国の末路

安倍政権で戦前と同じ道
上から下まで
良識が壊れた国の末路
2018年6月2日 日刊ゲンダイ

「再発防止に全力を傾注する。これが膿を出し切ることだ」
「麻生財務相には厳正な処分を行った上で再発防止に全力を挙げてもらいたい」
 1日の参院本会議での安倍首相の答弁である。
相も変わらぬ居直りとはいえ、当事者のアンタがどの口で、と呆れた人が少なくないのではないか。

 どうして財務省は公文書改ざんに手を染めたのか、廃棄したのか。
どうして国有地が8億円も値引きされたのか。
安倍首相への忖度があったのか――。
山積する「なぜ」の答えは全く見つかっていないのに、どうやって再発防止するのだろうか。

 文芸評論家の斎藤美奈子氏が東京新聞のコラム(5月30日付)で「国ごと底なし沼に沈んでいくような気分」としてこう書いていた。
<サスペンスドラマなんかだと、動かぬ証拠を突きつけられた容疑者は「私がやりました」と認め、事実関係を語りだす。
追う側と追われる側に論理的整合性が共有されているからだ。
しかるに、わが国会では「よし詰んだ」「もう逃げられまい」と思ってもまるで先に進まない>

 その上で、安倍が「私や妻が関わっていたら、首相も国会議員もやめる」という自らの発言を“贈収賄”には関わっていないという意味だと矮小化したり、加計学園が理事長と首相の面会について「誤った情報を与えてしまった」と弁明したり、麻生が「改ざんといった悪質なものではない」と強弁したりに至っては、
斎藤氏は、<ひえ〜、いつそんな解釈になったんだ。ひえ〜は止まらない>と表現。

最後に、<最低限の了解事項や整合性を放棄したら、ドラマにも事件にも解決はない>と、モリカケ問題が長期化する理由を結論づけていた。
 そう。確かに今、この国から「最低限の了解事項や整合性」が消滅しつつある。

 安倍が自らの身を守るため、嘘やごまかしを「正義」に変えてしまった結果、内閣も自民党も霞が関も検察も腹心の友までもが、上から下まで、平然と黒を白と言い張るようになり、当たり前の常識が通用しない社会になってしまったのだ。

 ここ一両日に起きていることだけを見ても、「ひえ〜」の連発だ。
 森友問題では、佐川宣寿前理財局長ら告発された財務省職員38人全員が不起訴となった。
検察は「改ざんしても文書の根幹部分は失われていない」などと理屈を並べたが、実のところは、告発者の弁護士が断罪した通り、「検察までも安倍1強に怯え、忖度した」のだろう。

野党議員が「あれだけのことをやっても罪に問われないとなれば、改ざん天国の霞が関になってしまう」と激怒していたように、これで官僚は、都合が悪ければ文書を改ざんする“お墨付き”をもらった。
もはや何でもアリだ。

 この不起訴を受けての自民党・二階幹事長の発言も正気じゃない。
「すっきりして仕事に励んでいただきたい」と涼しい顔で財務省を激励。
監督責任を問われるべき麻生についても、「責任なんて考えたことはない」と辞任論を打ち消した。
自民党内にも幕引きムードが漂い、朝日新聞によれば「これで政権運営もスムーズに行き、支持率も回復していくだろう」とか、「国民は『もりかけ』にもう関心ない」というおごった声まで漏れてくるというから、どうしようもない。

 一方の加計問題では、加計学園の事務局長の説明にア然ボー然だ。
 愛媛県文書に記述のあった2015年2月25日の安倍と加計理事長の面会について、「嘘だった」と否定した一件で、事務局長が県職員とメディアを前に語った理由は「その場の雰囲気で言ってしまった」である。失笑モノの方便の上、愛媛県文書との矛盾もある。
弁護士の小口幸人氏がこう指摘する。
「愛媛県文書には、そもそもこの打ち合わせは、加計学園から、加計理事長と安倍首相の面談結果について報告したい、との申し出があったから行われたと書いてあります。
事務局長の発言は、その部分との整合性が取れていないのです。
嘘をつくなら、せめて既出の証拠と整合する嘘をついて下さいよ。

つまり、事務局長は愛媛県文書を読んでいないということですし、出まかせでもとがめられることはないとタカをくくっているのでしょう。
安倍首相を守るスタンスで動いている限り、加計学園は補助金を切られることはないし、守ってもらえると思っているのです」

■再び「一億一心」で悲劇に突入
 国が壊れる時というのはこういうことなのだろう。
上から下まで皆が狂っていく。

 先月末の党首討論で共産党の志位委員長が核心を突いていた。
「改ざん、隠蔽、廃棄、虚偽答弁。
このような悪質極まる行為を引き起こした政権は、安倍政権が歴史上はじめてなんです。
一体なぜ、引き起こされたか。
総理、あなたを守るためですよ」

 安倍のために官僚は公僕としての矜持を捨て、検察は正義を捨て、政治家は正論を捨て、お友達は正常な感覚を捨てた。
もっとも、狂乱国家は急にでき上がったのではない。
安倍政権の5年間で皆がむしばまれたのだ。

安保法、共謀罪、特定秘密保護法と、立憲主義を踏みにじって戦争国家へ突き進み、人事を握った恐怖政治でやりたい放題の末路でもある。
 問題なのは安倍政権だけじゃない。憲法破壊や権力の私物化をもっと激しく批判してこなければならなかったメディアは放送法や公平性を盾にした“圧力”に屈してしまった感がある。
一昨日の佐川不起訴こそ、「幕引きは許さない」と社説で吠えていたが、アリバイ的に叩いても仕方がない。

 野党の不甲斐なさも厄介だ。
安倍の支持率が3割台で下げ止まっているのは、有権者にとって他に選択肢がないからで、受け皿をつくれない野党の責任である。
いま野党が1つの大きな政党だったら、党首討論も1対1で真っ向戦えただろう。
 去年の総選挙で野党はガタガタにされ、いくつもの弱小政党に分裂した結果、力が削がれ、歯が立たない。
巨大与党にナメられ、事ここに至っても、加計理事長を証人喚問に引っ張り出すことすらできない情けなさでは、国民は政治から離れてしまう。

 その国民にも問題はある。
権力にこれだけ好き放題されて、どうして怒らないのか。
モリカケ疑惑の本質は、実刑判決を受けた韓国の朴槿恵前大統領と同じお友達優遇の国政私物化だ。
なぜ韓国のように有権者は立ち上がらないのか。
 首相の説明に納得できない世論は7割に達しているのに、安倍の言い分は嘘だと国民の誰もが分かっているのに、それでも安倍政治は立ち止まることなく進んでいく。
絶対、勝てないとわかっているのに突っ込んでいった戦前と同じ道をたどることになってしまいかねない。  

政治評論家の森田実氏がこう言う。
「戦前は、治安維持法ができ、それが改悪され、共産主義者だけでなく軍部に同調していた宗教家まで弾圧された。
メディアが転向して軍部の手先になり、五・一五事件や二・二六事件で政治家が暗殺された。
『一億一心』の名の下、軍国主義の方向へ流れ、戦争という悲劇に突入したわけです。
その過程で国民は、政治に期待しても仕方がないと諦め、何が起きても鈍感になっていた。
つまり、国民がしっかりしていないとダメなのです。
民主主義という制度は絶対的なものではない。

民衆が抵抗しなければ、ファシズムと同じになってしまう。
今は戦前と同じような危ない局面にあると思います
 このままでは、奈落の底へまっしぐら、である。
それでいいのか。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする