2018年07月01日

高プロ強行採決 国民民主の与党アシストの裏に“3党密約説”

高プロ強行採決
国民民主の与党アシストの
裏に“3党密約説”
2018年6月30日 日刊ゲンダイ

28日の参院厚労委で強行採決された「働き方改革」関連法案。
29日の参院本会議で可決され、成立する見通しだ。
与党は過労死促進法とも呼ばれる「高度プロフェッショナル制度」(高プロ)に対する反対の声を無視し、数の力で押し切った格好だが、看過できないのが、参院野党第1党の国民民主の“裏切り”だ。

 審議すればするほど、高プロの立法事実がないことが明らかになり、政府の答弁も説得力ゼロ。
世論の約8割が成立を望んでいないにもかかわらず、国民民主は参院の審議時間が衆院を上回ったことから、舟山国対委員長は「丁寧な審議を重ねてきたのは事実だ」として、採決を容認してしまった。

立憲などが提出した島村委員長の解任決議案も、国民民主は「委員長に瑕疵はない」と同調せず、決議案は採決すらされなかった。
 これでは、野党共闘どころか、安倍政権の補完勢力ではないか。

衆院の審議で、高プロに徹底抗戦した山井、柚木両議員(国民民主)が、夜の国会前集会で「お叱りは覚悟で来た。
思いは皆さんと同じです」と話すと、聴衆から「だったら採決阻止しろよ」と怒声が飛んだのもムリはない。
山井は困惑の表情を浮かべ「どうしてああいう対応になったのか。
参院側に理由を聞きたい」と話すのが精いっぱいだった。

 だが、国民民主の“裏切り”はこれだけじゃない。
ナント! 来週にも開かれる衆院憲法審査会で審議が始まるとみられる国民投票法改正案で、自公との密約がささやかれているのだ。

「自公と国民民主が、国民投票法改正案をめぐり、すでに合意をかわしたという文書の原案があるようなのです。
中身は、ただちに、3党で協議機関を設立するという内容と聞いています」(国民民主関係者)

 秋の自民党総裁選で安倍3選の可能性が強まり、自民党内では安倍首相にすり寄る動きが目立ってきた。一方、日経、毎日の世論調査では、国民民主の支持率はゼロだ。
与党は国民民主を揺さぶって狙い撃ちし、引っ張り込みさえすれば、今国会で改憲の前提となる国民投票法改正の成立が見えてくると考えているのだろう。

相変わらず卑怯なやり方だが、それに乗っかる国民民主もだらしがない。
「国民民主は採決で反対するようですが、今日の動きは明らかに安倍政権を利する動きです。
野党であることを捨てたと言っていい。
よりによって、過労死を促進する法案をめぐってです。
自公からは感謝されても、国民からは総スカンでしょう」(立正大名誉教授・金子勝氏=憲法)

 国民はよーく覚えておこう。
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2018年07月02日

ヤクザ排除で外国人の犯罪天国に?

「危険な貧困ヤクザ」を量産した
暴排条例で日本の治安悪化…
海外犯罪集団が跋扈
2018.07.01 Business Journal編集部
 今、正業に就けず生活に困窮する「貧困ヤクザ」が急増している。
6月30日付記事『貧困ヤクザ、社会問題化…スーパーで万引き、日本各地でナマコ密漁、幼なじみ恐喝』では、そんな暴力団の事情について、アウトローに詳しい作家の宮崎学さんに聞いた。

 宮崎さんによると、末端のヤクザにまでカネが回っていたのは1980年代のバブル期の話で、そもそもヤクザはそんなに裕福ではないという。
そして、最近の貧困ヤクザが手を染めるのが、違法薬物、詐欺、密漁といった非合法の「三大シノギ」だ。  このままヤクザの貧困化が進むと、社会はいったいどうなるのか。

宮崎さんは「日本が外国人による“犯罪天国”になる」と警鐘を鳴らす。

大量の「貧困ヤクザ」を
生んだのは警察官僚?
 行き場のないヤクザが食うためにより非合法のシノギに手を出している状況について、宮崎さんは「称賛はしないが、仕方がない」という立場を取る。
「こうした状況は、(92年の)暴対法(暴力団対策法)施行のときから想定はしていました。
ヤクザを排除すれば、必ず地下化し、食うためにより“悪い存在”になるのはわかっていましたから」(宮崎さん)

 暴対法施行をめぐっては、当時は『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)などのテレビ番組や新聞でも問題点が議論され、現役の“極妻”たちが反対の声をあげて銀座でデモ行進をしたこともある。
「それでも当時は十分に議論されたとは思えませんでしたが、2011年までに全国の自治体で施行された暴力団排除条例については、そこまでの議論すら行われませんでした。

しかし、実際にはヤクザを規制する暴対法よりも、『ヤクザと付き合う市民』まで排除する暴排条例のほうが破壊力がありました。
考えたのは警察官僚ですが、天才ですね。
いや、本当に(笑)。
暴排条例によって、ヤクザはもともと細っていた正業を失い、より非合法のシノギに手を出していくことになりました」(同)

 つまり、多くの「貧困ヤクザ」を生み出し、彼らを犯罪に走らせ、市民生活により悪い影響を与えるきっかけをつくったのは、警察ということになるのだろうか。
「少なくとも、私はそう思っています。
暴排条例がヤクザを追い詰めたことで、生活に困ったヤクザの犯罪が増えたのです」(同)

 排除されるのが嫌なのであれば、「ヤクザをやめる」という選択肢もあるのではないだろうか。
「やりたくてやっているヤクザなど少数です。
やめたところで、5年は『みなし暴力団員』とされますし、5年たっても『元暴力団員』のレッテルは一生ついて回ります。
正業に就けることはまずないでしょう。
やめても行くところや仕事のあるヤクザは、とっくにやめています」(同)

ヤクザのいない日本は
外国人による犯罪天国?
 宮崎さんは、暴排条例の廃止、特に「5年ルール」の廃止は急務だと語る。
多くの暴排条例には、排除の対象となる「暴力団員」について、「暴力団員でなくなったときから5年を経過しない者」も含めるとしているのだ。
この5年間を、どう生きろというのでしょう? 
刑法に触れるようなことがあれば、ヤクザでも元ヤクザでもカタギでも、法に従って対応すればいいだけのことです」(同)
 このままヤクザの貧困化が進むと、いったいどうなるのだろうか。

「密漁などイタチごっこの犯罪もなくなりませんが、新しいタイプの犯罪も増えるでしょうね。
たとえば、16年に全国の約1700台のATMから18億円あまりのカネが一斉に引き出される事件がありました。
犯人たちはアフリカの銀行の顧客管理システムに侵入して偽造カードをつくり、無料通信アプリ『LINE』を使って連絡を取り合っていたといいますが、全容はわかっていません。
国内外のハッカーとアウトロー、その周辺者が連携した新しい犯罪です」(同)

 覚せい剤など違法薬物の密輸は、以前から他組織間のつながりが指摘されていたが、多額の不正引き出し事件は聞いたことがなかった。
「16年の事件には、いったい何人がかかわっているのでしょうか。
以前なら考えられませんでしたね。
人数が多ければ多いほど秘密の保持が難しくなりますし、取り分をめぐって必ずもめます。
おそらく、全体を把握しているのは数人でしょう。
それを可能にしているのがテクノロジーですが、『LINE』などの通信アプリは足がつきやすいとの話もあります。
いずれにしろ、“より悪い事態”にしかなりません」(同)

 同時に、古きよき町の顔役としてのヤクザは消えてしまうのだろうか。
「消えますね。
もはや絶滅危惧種です。
表立って任俠を掲げるメリットはありませんから。
それで、今後はどうなるかというと、私は外国人による犯罪の増加を懸念しています。
海外の犯罪集団やマフィアなどの無秩序な勢力を抑え込む力は、日本のヤクザには残っていません」(同)  

20年の東京オリンピックを前に増加する外国人観光客によるトラブルは想定内ではあるが、より人数が増えればトラブルも増えるということだ。
「前回の1964年のオリンピックのときは、ヤクザの親分衆が子分たちに『人相の悪い者はうろつくな』と指示していたほどですが、ガラの悪い日本のヤクザ以上に質の悪い外国人の犯罪者グループが跋扈するでしょう。
外国人にとっては、ヤクザのいない日本は犯罪天国です」(同)
 報道されることこそ少ないが、増え続ける外国人観光客による万引きや無銭飲食、器物損壊などのトラブルは各地で後を絶たないという。

「特に置き引きや車上荒らし、性犯罪は激増するでしょうね。
カフェなどの飲食店では、荷物を置いたまま離席できなくなりますよ。
コインパークや自動販売機は荒らされ放題です。
女性が深夜に出歩くのも今以上に危険ですし、落とし物は間違いなく戻ってこなくなる。
かつての日本が誇った『平和』は、もう取り戻せなくなりますよ。

 ヤクザは“悪い存在”ですが、存在しているのにはそれなりの理由があるのです。
その理由を鑑みずに排除したところで、“より悪いもの”しか出てこないということです」(同)

 貧困ヤクザの問題は、ただ「食えない暴力団員が増えている」というだけでは済まない事態となりそうだ。 (文=編集部)

宮崎学(みやざき・まなぶ)
1945年京都生まれ。
ヤクザや国家権力に関する著書が多く、独自の視点は定評がある。
『週刊実話ザ・タブー』と『月刊日本』で時評も連載中。

ニュースサイトで読む:
http://biz-journal.jp/2018/07/post_23900.html Copyright c Business Journal All Rights Reserved.
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 嘘とへつらう者たちよ

 嘘とへつらう者たちよ
  2018年7月1日 東京新聞「社説」

「バレている嘘(うそ)をぬけぬけと−」
「国家の破滅に近づいている」。
二人の元首相の嘆き節です。
嘘とへつらいに満ちた権力周辺にはうんざりです。

 NHKの大河ドラマ「西郷どん」はまだ幕末です。
西郷隆盛は明治維新の後、一八七七(明治十)年に西南戦争を起こし、鹿児島で自刃しました。
その頃「西郷星が見える」という評判が起こります。
赤い火星のことでした。
 望遠鏡でのぞくと、西郷が陸軍大将の姿で見えると新聞で報じられたりしました。
今風に言えば、罪のないフェイク(嘘)・ニュースでしょう。
もう一つのフェイク・ニュースがありました。

◆西郷隆盛は生きている  
「西郷隆盛は死んでおらず、シベリアに渡って、ロシア兵の訓練をしている」という流言です。
九一年にはロシア皇太子・ニコライが来日予定で、西郷が一緒に帰国するとも。
虚か実か、不明なまま各地に伝わりました。

 さて、今の日本でも虚か実かの問題が覆っています。
いや嘘がまかり通っています。
森友学園と加計学園の問題です。
あえて疑惑と書きます。
政府側が嘘をつき、国会や国民を欺いたからです。

 森友学園では国有地の取得で約八億円もの値引きがされました。
国会でさんざん追及されました。
そのたびに当時の理財局長が「森友学園との交渉記録はない」「総理夫人の話はなかった」などと答弁をしました。
真っ赤な嘘でした。
 決裁文書が何と約三百カ所も改ざんされていました。
交渉記録などもありました。
その結果、二十人の職員が処分されました。

 嘘はもっと深い所にあるかもしれません。
例えば財務省記録の中に二〇一五年十一月に首相夫人の安倍昭恵氏付きの公務員が、財務省側と電話した記録です。

◆「首相も議員も辞める」
 昭恵氏は子どもが教育勅語を暗唱していることに「感動した」とありました。
名誉校長にも就きました。
土地の値引きに、どんな力学が働いたのか。
安倍晋三首相は「私や妻は土地の払い下げに関与していない」と言います。
 なら、なぜ財務省文書は改ざんされたのでしょう。
「わからない」。
これが麻生太郎財務相の答えです。
嘘でしょう? 

安倍首相は「私や妻が関係していたなら首相も国会議員も辞める」と述べています。
これが契機かと問えば、麻生氏は否定します。本当ですか? 
嘘ではないの?
 加計学園の疑惑では、愛媛県から決定的な資料が出ました。
一五年四月に首相官邸で当時の首相秘書官と愛媛県などの担当者が面会した際の備忘録です。
「本件は首相案件となっており」と明記された文書です。
中身は一口で言えば、加計学園へのサポートです。
実際にその通りに国家戦略特区での獣医学部開設が実現しました。

 愛媛文書は安倍首相と加計学園理事長との会食で獣医学部の新設が話題になったと記しています。
首相が「いいね」と語ったとも。
 でも、安倍首相が学部開設を知ったのは「一七年一月二十日」と国会答弁しています。
どちらかが嘘をついている−。
そんな状況の中、加計学園幹部が「県への説明は嘘だった」と謝罪しました。
そして、加計孝太郎理事長も突然、記者会見をして追認しました。
それにしても県に対し嘘とは。

 虚偽で自分の名前を使われ、安倍首相は怒りを感じないのでしょうか。
しかも嘘によって税金を獲得したとも言えるのです。
でも、六月二十七日の党首討論で首相はそれを聞かれて「あずかり知らない」と答えるのみでした。
税の行方なのに

 さて、西郷隆盛の話に戻ります。
ロシア皇太子の来日の際、滋賀県で大津事件が起きました。
巡査の津田三蔵がニコライをサーベルで切り付けたのです。
動機は何か。
ロシアの強硬姿勢への不満とされますが、異説もあります。

作家吉村昭の「ニコライ遭難」にこう記述されています。
 「西郷モ共ニ帰ル由。
西郷ガ帰レバ、我々ガ貰(もら)ツタル勲等モ剥奪(はくだつ)サルベシ。
困ツタコトダ(調書)」

◆明治の国難は嘘から
 ニコライ来日前に親類宅で語った言葉です。
津田は西南戦争で戦い勲章を受けました。
西郷生存説という嘘を信じ、勲章の剥奪を恐れたのでしょうか。
 強国ロシアの報復が予想されました。嘘が明治の国難を生んだのです。

現在の二つの疑惑でも、嘘は必ず民心を腐らせ国難となるはずです。

冒頭の「バレている嘘をぬけぬけと」は小泉純一郎元首相が週刊朝日に、
「国家の破滅に近づいている」は福田康夫元首相が共同通信に語った言葉です。

 権力にへつらう者たちが見ざる・聞かざる・言わざるでいる限り、国は滅びの道です。
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2018年07月03日

行き過ぎた日本的な「潔癖主義」

行き過ぎた
日本的な「潔癖主義」は
生産性を低下させるとの声
2018/07/01 NEWSポストセブン

 近ごろ、個人や組織に厳しく求められる規律遵守とリスク管理。
程度の差に関係なく、ひとたび不祥事が公にされると、責任追及や厳罰を求める声が瞬く間に広がる恐れがあるからだ。
しかし、こうした寛容さを失った社会に警鐘を鳴らすのは、組織学が専門の同志社大学政策学部教授の太田肇氏だ。  
* * *
 弁当を買いに行くため3分間の「中抜け」を繰り返していた神戸市職員が、減給の処分を受けた。
指示に反抗する乗客と言い争ったバスの運転手も処分されるという。
つくばエクスプレスを運行する会社は、定刻の20秒前に発車したとしてホームページに謝罪文を載せた──。
いったいどこまで細かくなるのか。

 こうした重箱の隅をつつくような管理は、欧米では「マイクロマネジメント」と呼ばれ、しばしば非効率、非人間的な経営の代名詞となる。
実際、上記の事例も海外では揶揄する声があがっているそうだ。
 わが国では昨今、何かにつけ寛容さを失い、潔癖を求める風潮が広がっている。

かつては大学生になると当たり前のようにタバコを吸い、酒を飲んだものだが、いまなら場合によっては本人や責任者が処分されるなど、大事になりかねない。
 芸能人やスポーツ選手といった有名人なら、公にされた時点で即アウトだ。
たとえ記者会見を開いて謝罪しても、ちょっとした落ち度があるとワイドショーで袋だたきにされるし、長期謹慎も余儀なくされる。
 息苦しい世の中になったものだ。

◆「潔癖」の代償  
そもそも「潔癖」といえば好ましい印象を与えるかもしれないが、もともと「癖」(くせ)であり、必ずしも美徳ではないということを知っておく必要がある。

 企業でいえば、食品にちょっとした異物が入っていただけで、たとえ健康や衛生に問題がないとわかっていても、イメージ悪化を恐れた会社は何百万、何千万という商品を自主回収する。
商品にゴキブリが混入していたとネットに投稿され、生産販売中止に追い込まれたケースもある。
悪評の拡散を恐れる会社の弱みにつけ込んで、店員に土下座を要求したり、商品を脅し取ったりする事件もあった。

 日本企業が誇る徹底した品質管理も、良い面ばかりではない。
日本のメーカーが海外の企業から部品を調達する際、一つでも「不良品」が見つかると全品が送り返されることがある。
しかも不良品のなかには、性能に支障のない程度の小さな傷があったり、バリがついていたりする程度のものも多いといわれる。
そうした品質基準の差が原因で、外国企業との間で摩擦が生じる場合も少なくないそうだ。

 問題は、高い基準とコストとの兼ね合いである。
製品の納期にしても日本企業は厳しいことで知られているが、製品によっては80点の水準ですむところを95点まで引き上げるとコストが2倍かかるという。
当然、それは国際競争においてハンディとなる。
 そして、厳しすぎる基準は別の問題にまで波及する。

 最近、大企業で品質検査の手抜きやデータの改ざんといった不祥事があいついでいるが、背景には必要以上に厳しい検査基準があるとささやかれている。
基準が現実の必要性からかけ離れていると現場で受け止められた場合、遵法意識そのものが薄れてしまう。
それがエスカレートすると、大きな事故につながりかねない。

 もちろん製品によっては高い品質が求められるし、生命や健康に関わる場合には完璧な管理が求められる。
しかし、いくら「完璧」を目指しても人間のすることには限界がある。
むしろ完璧が求められるような仕事はAIやIoTに任せ、人間には人間特有の能力を発揮してもらうよう役割分担を進めるほうが合理的ではなかろうか。

◆最低限の仕事しかしなくなる公務員
 話を冒頭の例に戻せば、重箱の隅をつつくような管理を行い、厳罰主義を貫いていると、表面上の不祥事は減るかもしれないが、徐々に職員は萎縮し、最低限の仕事しかしなくなる。
 実際に職員への管理が厳しくなった自治体では、窓口の応対が杓子定規になり融通を利かせてくれなくなったとか、職員が休日の地域活動やボランティアに参加しなくなったという声が聞かれる。

 ちなみに私はアメリカで各地の自治体を調査した際、職員が勤務時間中に喫茶店に立ち寄ったり、ちょっとした買い物に出たりすることは許されないかをシティマネジャー(市長や議会から市役所のマネジメントを委託された責任者)に尋ねてみた。
するとほとんどのシティマネジャーから、「自分の仕事をこなし、役割を果たしている以上、問題はない」という答が返ってきた。

 つぎに、些細な落ち度や家族の不祥事などで職を解かれたケースを考えてみよう。
責任ある地位を追われた人の中には、余人をもって代えがたいほど実力のある人が少なくない。
しかしいくら有能だろうが、実績があろうが「微罪」でもアウトである。
 そして彼らがつぎつぎと淘汰されれば、人材が無尽蔵ではない以上、能力はともかくクリーンなだけがとりえの人しか残らなくなる。

◆グローバル競争の大きなハンディに
 このように行き過ぎた潔癖主義は軽視できない副作用をともなうにもかかわらず、その副作用は長期的にじわじわと生じるため、表面化しにくい。
そのため、どうしても目に見える規律正しさや几帳面さのほうが優先されてしまうのである。

 海外の主要国と比べたわが国の労働生産性や国際競争力は、1990年あたりから大きく低下している。
企業の利益率も欧米企業などに比べて顕著に低い。
正社員は突出して長い時間働いているにもかかわらずだ。

 その原因の一つがこの潔癖主義にあると考えて間違いなかろう。
これから本格的なAI時代に突入すると、人間に求められる要素も、働き方もこれまでとは大きく変わってくる。
そして行き過ぎた潔癖主義は、わが国がグローバル競争を勝ち抜くうえでいっそう大きなハンディになる。

 大切なのは、厳しい基準を追い求めることと、それがもたらす弊害とをつねに比較考量し、バランスをとることである。
少なくとも、行きすぎた潔癖主義に異論を唱えることを許さないような風潮は改めなければならない。

 では、何にその役割を期待できるのか。
はっきり言って、それは「外圧」しかないと思う。
わが国の歴史を振り返ってみても、歪んだ社会を正したのはたいていが「外圧」である。
グローバル競争の激化や外国人労働者の増加、海外からの厳しい批判などを奇貨として、際限なき潔癖主義に歯止めをかけるべきだろう。
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2018年07月04日

依存と愛情の違い

香山リカのココロの万華鏡
依存と愛情の違い
毎日新聞2018年7月3日

 依存と愛は違うんだよなあ、と診察室にいてよく思う。
 「突然、なにを言い出すんだ」と驚く人もいるかもしれないが、夫が定年退職を迎えた後の夫婦のことだ。

「眠れない」などと訴えて受診に来る女性の話をよく聞くと、背景に「夫の問題」が隠れている場合がとても多い。
その夫たちは、みなとても似ている。

 仕事をしていた時はまじめだった。
定年退職してから、やることがなくなりテレビばかり見ている。
趣味もないし友だちも少ない。
 そして、妻が趣味の習い事やボランティア、友人とのおしゃべりなどに出かけようとすると、苦情や皮肉を言い始める。

「夕食までには帰るんだろうな?」
「カゼをひいてたはずなのに、ずいぶん元気だな」。
楽しい予定があっても、そんな言葉を投げかけられると、妻の気持ちはどんより暗くなる。
出かけてからも「今ごろ夫は不機嫌になっているのでは」と気が気でない。

 そして、急いで帰宅して「ごめんなさい」と謝りながら夕食の支度をし、むっつり黙った夫と食卓を囲まなければならないのだ。
 おそらくこの夫たちは、妻に無関心でもなければ冷淡でもない。
むしろ「妻がいなければ一日だって生きられない」というくらい依存している。
しかし、それほど大切な妻なのに、その妻は何を大切にしているのか、妻も一人の人間としてどうやって充実した人生を送ろうとしているのか、まで想像することができないのだ。

だから、子どもが母親にまとわりつくように、「早く帰ってね」「出かけるのもほどほどに」などと言ってしまう。
 妻にしてみれば、それは本当の思いやりとは受け止められないだろう。
「私のことを思っているなら、やりたいことをやらせてほしい」と思うはずだし、「定年後の時間を一緒に前向きにすごしたい」と思う人もいるのではないか。

「どこにも行かずにオレの面倒を見ろ」は、依存であって愛情ではないのだ。

 診察室に相談に来た女性たちの中に、その後、うまく夫を誘い出して、山歩きなど一緒にできる趣味を見つけた、という人もいた。
でもそれはごく一部の幸せなケースであって、
多くは「もう夫のことはあきらめました。
はっきり“あなたのお世話は卒業です”と伝えて好きなことをします」と妻側が決心する。
それもまた、ちょっと残念だ。
そうなる前に、これを読んでいる男性たちにも「妻に依存しないで。愛情とは何かを考えて」と伝えたい。
(精神科医)
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2018年07月05日

高齢者に死をもたらす「熱中症」の甚大リスク

高齢者に死をもたらす
「熱中症」の甚大リスク
まずは週1度の親への電話を2回以上にしよう
2018年07月04日 東洋経済

梶 葉子 : 医療ジャーナリスト

熱中症が起こりやすい季節が到来した。
昨日(7月3日)には、熱中症の疑いで埼玉県の76歳男性が亡くなったことが明らかになった。
国を挙げての啓発活動が功を奏し、熱中症による重症化率・死亡率は減少傾向だという。
だが、その中で高齢者の死亡率・死亡者数だけは、飛び抜けて高い。

そこから見えてくるのは、超高齢社会、老々介護、孤立、貧困など、今の日本社会の現実そのものだ。

高齢者の死亡者数は
   若年〜壮年者の数倍
熱中症に詳しい帝京大学附属病院高度救命救急センター長の三宅康史教授による調査では、2012年以降各年6〜9月の熱中症の死亡者数は、70歳未満に限ってみれば50人前後だ。
ところが70歳以上の人では、一気に300人以上に跳ね上がる。

日本はすでに超高齢社会。
高齢化率は30%に迫り、2025年までには「団塊の世代」が全員後期高齢者になり、百寿者は2017年の段階で6万8000人近くに上る。
その中で、心身が弱り、持病を抱え、在宅で闘病したり介護を受けて生活する高齢者が急増している。

これが熱中症による高齢者の死亡数が際立つ要因の一つだと、三宅教授は考えている。
「基本的に高齢者の熱中症と、スポーツや屋外の肉体労働などでかかる若年〜壮年の熱中症とは、分けて考える必要があります。
若い人たちの場合、特に最近はみんな気を付けて水分や休憩を取るし、もともと体力もあるので、軽症で済む場合が多い。

しかし、高齢者の熱中症は異なります。
暑さで食欲が落ちて脱水気味になった上に、糖尿などの持病が悪化していたり、普段から低栄養だったり、虚弱(フレイル)になっているなど、熱中症以外のさまざまな要素が重なって複合的に起きることが多い。
そのため、重症化しやすく、回復も遅いのです」(三宅教授、以下同)

高齢者の場合、家での日常生活の中にこそ、熱中症のリスクがある。
年をとって体力・気力が弱れば、毎年やっていたことも、だんだんとできなくなってくる。
いつも元気な祖父母や両親も、後期高齢者になり、さらに80歳を過ぎてくれば、子どもや孫には見せないところで、衰えてきているかもしれない。

例えば、夏布団と冬布団の入れ替えができず、冬の羽毛布団をそのまま使っていたり、衣替えまで手が回らず、ヒートテックの下着や厚手のシャツを着ていたりする。
気温の差を感じにくくなって、コタツがついていたり、エアコンのスイッチが冷房に切り替わっていなかったりする。
中には、部屋にエアコンがなかったり、あっても電気代を心配して使わないこともある。

糖尿病、高血圧の高齢者は注意
さらに「老々介護」では、介護者も高齢で認知症があるなど判断力や認知機能が衰え、季節に応じた適切な生活を送ることが難しくなってくる。
炎天下に買い物に行って倒れたり、足が弱って近くのスーパーにも頻繁には行けなくなったりして、食材やペットボトルなどを十分に補充できないこともある。
そういった状態で真夏日や熱帯夜が続くと、慢性的な食欲不振や睡眠不足から少しずつ体調を崩し、熱中症になっていく。

高齢者は日常的に多くの薬剤を服用している場合も多く、そこにもリスクが潜む。
「たとえば、糖尿病がある方は、多尿になるので水分が失われて脱水になりやすい。
末梢神経の感覚が鈍くなるため暑さを感じにくく、上着の脱ぎ着など適切な温度管理が難しい場合もあります。
また、高血圧で服用する降圧薬は、心機能を下げて血圧を下げるため血液の循環が低下し、体内の熱を体表に運びにくくする危険性があるし、利尿薬は当然、排尿を促すので脱水気味になります。

いつも服用している薬剤であっても、熱中症の季節にはリスクになることもあると心得て、十分に注意をすることが必要です」
三宅教授によると、独居や高齢者のみの世帯で、家族とも疎遠で隣近所とも付き合いがないなど孤立している場合、発見が遅れて重症化しやすいという。
特に「老々介護」では、介護者が先に倒れてしまうと被介護者も救われず、同時に複数の死者が出てしまうこともある。

この2、3年、猛暑の中、閉め切った室内で老夫婦や高齢の親子・きょうだいが亡くなって発見されたというニュースを目にすることも、まれではなくなっている。
世の中にこれだけ熱中症の啓発が溢れていても、十分に届かない人や、届いても自分たちだけでは対処が難しい人も少なくないのだ。

週に2回は親に電話して確認を
昔は、冬期に高齢者が亡くなると「残念ながら冬を越せなかったねぇ。
今年は特に寒かったから……」という会話が交わされたものである。

だが、昨今は「夏を越せなかったねぇ。猛暑だったから」に変わりつつある。
「熱中症の季節には家族や周囲の人が、いつも以上に気に掛けることが大切です。
電話をする回数を増やす、頻繁に様子を見に行く、ちょっと声を掛ける。
そういったことで、具合が悪そうなのがわかって早めに対処すれば、重症化せずに済みます。

今後ますます在宅が推進され、家で過ごす高齢者が増えることでリスクは一層高まります。
行政も含めて、高齢者の熱中症対策は喫緊の課題ですね」 対策は身近なところから。

とりあえず夏の間は、週に1度の親への電話を2回以上にするとしよう。
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2018年07月06日

山本太郎議員、日本中から絶賛の嵐

山本太郎議員、日本中から絶賛の嵐
2018.07.05 Business Journal 編集部

 参議院内閣委員会での弁論が注目を浴び、山本太郎参議院議員の好感度が急上昇している。
インターネット上では、「庶民のためにがんばっているのが伝わってきた」「もはや好感度ナンバー1議員だと思う」などと評価する声が多数上がっている。

 山本は6月28日に行われた内閣委員会で、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)脱退についての意見を熱く述べた。
かつて「TPP反対」を公約として掲げていた自民党が「TPP推進」に舵を切り替えたことに対し、「TPP大反対って言い続けていたじゃないですか」「『嘘つかない、ブレない』とかっていうポスターもあったじゃないですか」と身振りを交えながら、強い口調で批判した。

 さらにTPP加入によって大きな圧迫が予想される国内の畜産農家を案じ、「『強い農業をつくる』って言うんだったら、TPPをやめた上で相当手厚い施策をやることが重要なんじゃないですか?
 それこそが強い農業をつくるって話なんですよ。
それこそが食料の安全保障なんでしょ?
それやらないんだ。すごいですね」と皮肉を込めた発言も飛び出している。

 さらに、山本の口調はヒートアップしていき、委員長を務める柘植芳文参議院議員から発言をまとめるよう何度も警告を受けてしまう。
しかし、水を口にして落ち着きを取り戻すと、「本当に申し訳ありません、なんの恨みもないです。
TPPだけはおかしい話なんです。
お願いします。
TPPは通せない。通せないですよ」と、力強い口調で食い下がった。

 内閣委員会の様子は、参議院公式ホームページでライブ中継されていたが、「山本太郎事務所・広報」は山本の弁論部分を抜粋したムービーを動画共有サイト「YouTube」に公開。
同ムービーはツイッターにもアップされ、1週間足らずで1000件近いリツイートを記録している。

 山本の熱弁を受け、ネット上では「ここまで国民のために必死で戦っている政治家はいないぞ」
「山本太郎の発言からは、誠実さと本気具合を感じる」
「体を張ってTPPを止めようとしている姿がめちゃくちゃカッコいい」
「山本太郎があと5人いれば、日本も大きく変わるのに」といった声が続出している。

 さらに、山本は通りがかった人からの質問に答える「街頭記者会見」を全国で開催し、若者を中心に人気を集めている。
渋谷、新宿、梅田など、さまざまな街で活発に意見交換を行っているが、もちろんヤジが飛んでくるケースも少なくない。

2015年には新宿アルタ前で「議員なんか辞めろ!」という罵声を浴びせられたが、「ありがとうございます! そんなあなたのことも守りたい!」と、機転を利かせた返事して話題になった。
“タレント議員”と揶揄されることも多かった山本だが、政治家として評価する声はどんどん増えているようだ。
(文=編集部)

ニュースサイトで読む:
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2018年07月07日

市民団体がオウム死刑執行に抗議する理由

市民団体が
オウム死刑執行に抗議する理由
「7人の死刑を執行したことは暴挙」
2018年07月06日 ロイター

[東京 6日 ロイター]
- オウム真理教による事件で死刑が確定した教団元代表、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(63)ら7人に対し刑が執行されたことを受け、市民団体が会見を開き、政府に抗議し死刑制度廃止を訴えた。
会見を開いたのは「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」やアムネスティ・インターナショナルなど。

会見では、同フォーラム90のメンバー、深田卓氏が、松本死刑囚は裁判の途中で心神喪失状態となっており、事件に関する事実が明らかにされていないと指摘。
「裁判は十分になされていない。
今、死刑を執行する必要はないのに執行したことは暴挙」と訴えた。

さらに深田氏は、4人の死刑囚が再審請求中だったことを挙げ「以前は再審請求中に刑が執行されないという暗黙のルールがあったが、昨年から死刑の執行が相次いでいる」と、最近の傾向に懸念を表明した。

会見した海渡雄一弁護士は、今回、7人同日執行という異例の措置が取られたことについて「2019年に予定されている即位の礼、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを前に、何としても2018年中にオウム真理教関連確定者を執行するという日本政府の強固な決意が明らかになった」と述べた。
(宮崎亜巳 編集:田巻一彦)
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2018年07月08日

世界で断トツの親族間事件 「日本は治安がいい」は幻想か

世界で断トツの親族間事件
「日本は治安がいい」は幻想か
 2018年7月7日 日刊ゲンダイ

 無差別殺人が続いている。
それでも日本は世界に比べると治安がいい。
「犯罪白書」(2017年度版)によると、14年の殺人の発生件数は395件で発生率は0.3%。
主要国を見ても、米国は1万4164件(4.4%)、英国は594件(0.9%)、フランスは792件(1.2%)、ドイツは716件(0.9%)だから、その違いは歴然だ。
これは銃規制や外国人の違法滞在など事件のリスクが低いということもあるが、死刑制度の存在が大きいという。

 元神奈川県警刑事で犯罪ジャーナリストの小川泰平氏はこう言う。
「間違いなく死刑が抑止力になっています。
凶悪犯にとっても死は恐怖で、無期が最高刑になれば、『いつかは出所できる』となり、心理的なハードルも下がります。
凶悪犯罪が増える可能性は高いでしょう」

 先の主要国を見ても英国は1998年、フランスは81年、ドイツは87年までに死刑制度を廃止している。
少数意見を認める民主主義に死刑制度はそぐわないという考えが根底にあるとされるが、ただし「英国や南米は死刑自体を廃止しているものの、凶悪犯は現場で射殺されています」(小川氏)という。
別の形の抑止力に変わっているのだ。

 日本では統計上の犯罪は年々減っている。
窃盗や詐欺、恐喝などの刑法犯の認知件数は、17年に戦後初の100万件を割り込んだ。
ピークの02年の285万件の半数以下だ。
それには「防犯カメラの性能や台数の増加などが影響している」(小川氏)とみられるが、殺人事件は「この数年、900〜1000人前後を推移していて、ほとんど減っていません」(小川氏)という。

■ダントツに多い親族間の事件
 諸外国に比べても決して褒められたことではない。
その原因は、「発生件数の半数が親族間の事件」ということにある。

1983年の犯罪白書では、犯人と被害者の関係を国際比較している。
「親族」はやはり日本がダントツで41.3%。
米国は16.9%、英国は38.5%、ドイツは24.2%だった。

「家族間のトラブルは第三者の家庭の内部で起きているし、第三者が手出しできません。
だから抑止が難しいのです。

海外では、強盗や強姦目的の行きずりの殺人事件が多発しています。
その点で、旅行客らには『日本は治安がいい』とみられます。
一方で、親や子供を殺す犯罪が多いことに驚かれていますし、根絶するのは困難なのです」(小川氏)

 最近は日本人も行きずりの被害に遭うケースが増えている。
静岡・浜松市の看護師遺棄や名古屋市の漫画喫茶で利用客男性が刃物で襲われ死亡した事件などだ。
 それでも、日本の方が安全と思ってしまうのだが、見方によっては深刻だ。

 新幹線3人殺傷事件の小島一朗容疑者は親に見放されて祖母の元で育てられていたし、富山の交番襲撃事件の島津慧大容疑者は家庭内暴力を起こしていたと報じられている。
第三者の手が届かない家庭内で殺人鬼が育ってしまっているのだ。
「家庭でのコミュニケーションに問題があって、社会と関係がつくれずに追い込まれるケースは少なくありません。
問題は不満を家庭内に爆発させずに、見ず知らずの人間を衝動的に襲うケースが起きていることで、これから増えていく恐れがあります。
抑止するためには、DVなど家庭内のトラブルに対する法整備を急ぐことが大事。
今は罰金刑や数日で釈放されますが、大きな犯罪につながる予兆があれば隔離する施設を設けるなど、厳罰化が必要になっていると思います」(小川氏)

 外国よりも治安がいいというのは幻想かもしれない。
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2018年07月09日

安倍が豪雨災害対策を放置し飲み会優先

安倍が豪雨災害対策を放置し
飲み会優先
2018.07.08 リテラ(編集部)

 西日本を襲った記録的豪雨は、いまなお大きな被害をもたらしている。
本日20時現在、全国で78人が死亡、少なくとも60人の安否が不明で、今後、さらに被害は拡大するとみられている。
 こうした緊迫した状況がつづくなか、批判が高まっているのが、あまりに遅すぎる安倍首相の対応だ。

なんと、安倍首相はきょうの午前8時になってようやく非常災害対策本部を立ち上げ、こう宣言したのだ。
「救命救助、避難は時間との戦い。
引き続き全力で救命救助、避難誘導にあたってもらいたい」

 ご存じの通り、すでに昨日未明の段階で、今回の記録的豪雨は各地に甚大な被害をもたらしていた。
非常災害対策本部を設置する権限を有するのは総理大臣であり、非常災害対策本部は最悪でも昨日朝の段階で設置されるべきだった。
 だが、安倍首相は昨日午前10時1分に豪雨にかんする関係閣僚会議を開いただけ。
しかも、それも15分で終了し、そのあとは東京・富ヶ谷の私邸に帰り、来客もなく、のんびりと自宅で過ごしていたのだ。  

安倍首相が自宅で過ごしていた、まさにそのとき、さまざまな場所で河川が氾濫し、安否不明情報が流れ、孤立して救助を待つ大勢の人びとが確認されていた。
それを、きょうになって「救命救助、避難は時間との戦い」と言い出すとは──。
 いや、今回の豪雨に対して、安倍首相は初動から、災害を舐め国民の命を軽視しているとしか思えない対応をとってきた。  気象庁は、7月5日14時の段階で「西日本と東日本で記録的な大雨となるおそれ」
「非常に激しい雨が断続的に数日間降り続き、記録的な大雨となるおそれ」
「この状況は、8日頃にかけて続く見込み」と発表していた。

 だが、安倍首相は、この日の夜、自民党の中堅・若手議員らが開いている「赤坂自民亭」に参加。
この会は、竹下亘総務会長が「亭主」を、“ドリル破壊大臣”こと小渕優子・元経済産業相が「若女将」、吉野正芳復興担当相をはじめとする7期生が「店員」を務めるという“ごっこ遊び”のような趣きの会合で、安倍首相が参加したのは9月の総裁選に向けた票固めのための行動であることは疑いようがない。

 しかも、この会には、翌日、オウム真理教の死刑囚7人を同時に処刑するという異常な“ショー”の命令を下した上川陽子法相が「女将」として参加しただけでなく、自衛隊派遣の要請を受け指示をおこなう立場にある小野寺五典防衛相まで参加していたのだ。
 災害の危機が差し迫るなかで総裁選の選挙運動に勤しむ総理と、課せられた重大な責務に対する真摯な態度もない小野寺防衛相に上川法相……。
そして、安倍首相は公邸ではなく、私邸へと戻っていったのである。

 この段階から安倍政権の災害に対する危機管理意識はゼロだと言わざるを得ないが、さらに酷かったのが、前述したオウム死刑囚の死刑執行だ。
 この6日朝の時点で、九州や四国、中国・関西地方で川の氾濫や土砂崩れなどの被害が伝えられていた。
だが、テレビは麻原彰晃死刑囚の死刑執行が伝えられるや否や、各局ともオウムの話題一色に。
報道されるべき災害情報が阻害されてしまったのだ。
 死刑を執行すれば報道がこうなることは誰でも予想がつく。
安倍首相は3日前にはこの日の死刑大量執行を把握していたとみられているが、災害対応や情報の混乱を考慮して、この日の執行を止めることをしなかったのだ。

十数人もの死者が出ているのに、
安倍首相は災害対応せず私邸でのんびり
 報道の大半がオウムに時間を割かれるなか、事態はどんどんと深刻化。
この6日には、18時10分に福岡県と佐賀県、長崎県に大雨特別警報が出され、
気象庁は「これまでに経験したことのないような大雨」
「重大な危険が差し迫った異常事態」
「土砂崩れや浸水による重大な災害がすでに発生していてもおかしくない状況」と呼びかけた。
その後も、同日中に広島県、岡山県、鳥取県、京都府、兵庫県に大雨特別警報が出ている。

 そして、気象庁の呼びかけのとおり、6日夜から7日にかけて西日本のさまざまな地域で甚大な被害が報告され、7日14時時点で14人死亡、4人が意識不明、少なくとも50人の安否が不明という状況だった。
だが、繰り返すが、このとき安倍首相は、非常災害対策本部を立ち上げることもなく、私邸で過ごしているのだ。
 6日の時点で今回の豪雨が「異常事態」なのは明白だったにもかかわらず、きょう8日になるまで「非常災害」であることを認めず、対策本部を設置しなかった安倍首相。

ミサイルの危険から身を守るのにも役立たずでしかないJアラートをさんざん発動させて国民の危機感を煽ることにはあれだけ熱心だったのに、実際に死者を含む被害者が広範囲にわたってでていても対策本部さえ設置しないとは、国民の命を軽視しているとしか考えられないだろう。
 だいたい、近年の災害の多さを考えても、迅速な対応のための準備が不可欠であることはわかりきった話だ。
事実、ちょうど1年前には九州北部豪雨が起こり、2015年には関東・東北豪雨が、さらに2014年には広島市で土砂災害を起こした豪雨が発生している。
もはや「数十年に一度の重大な災害」は、いつ起こってもおかしくない状況にある。
 なのに、安倍首相にはそうした危機感がまったくない。
それは今回の遅すぎる非常災害対策本部の立ち上げだけにかぎらず、災害時の救助活動に対する整備でも言える。

被害拡大のなか、
自衛隊を引き連れてのフランス外遊を
止めようとしない安倍首相
 たとえば、昨日、愛知県岡崎市消防本部に配備されている「レッドサラマンダー」が、人命救助のために岡山県に出動したことが報じられた。
このレッドサラマンダーは全地形に対応できる特殊車両で、九州北部豪雨でも活躍。
しかし、配備されているのは全国でただ一カ所のみ。
ちなみに昨年、弾道ミサイル迎撃のために購入を決めた「イージス・アショア」2基の値段は2000億円を超える。
かたやレッドサラマンダーは1台約1億円だというから、イージス・アショア2基分の予算で全国の市町村にレッドサラマンダーを1台ずつ配備してもお釣りが出るほどだ。

 頻発する災害への対応が求められていながら、災害や人命救助のための設備を整えることはせず、イージス・アショアやオスプレイなどの軍備にばかり血税を注ぐ……。
安倍首相は「国民の生命と財産を守る」などと威勢のいいことばかり口にするが、一体、何をしているというのだろう。

しかも、現在も60人以上が安否不明で、大勢の人がいまだ孤立状態にあるにもかかわらず、安倍首相は11日からのベルギーやフランスへの外遊の予定を変更する様子もない。
言っておくが、外遊は国会から逃げるためにセッティングしただけの、急を要するようなものではない。
 その上、フランス革命記念日である14日にパリでおこなわれる軍事パレードには、自衛隊の儀仗隊員も参加させる予定だ。「非常災害が発生した」と認めれば、軍事パレードへの参加で自衛隊をアピールしたいのに外遊に行きづらくなる。
そのために非常災害対策本部を設置するのを渋ったのではないか、という気さえしてくる。

 軍事力の拡大という自分の欲望を満たすことを優先し、国民の危険は二の次、三の次で気にもかけない。
今回はあらためて、安倍首相の身勝手さと冷酷さが浮き彫りになったと言えるだろう。
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2018年07月10日

熊本市長が経験ふまえ訴え! 被災直後は「金銭的な支援が一番」

熊本市長が経験ふまえ訴え! 
被災直後は
「金銭的な支援が一番」
2018/7/ 9 Jcastニュース

「個人の方々の支援は今は物資より義援金など金銭的な支援が一番良い方法だと思います」。

ツイッターで2018年7月9日朝、そう呼びかけたのは大西一史・熊本市長。
西日本の記録的豪雨から間もなく、個人で被災地へ救援物資を提供する試みに注意を促したのだ。

16年熊本地震での実体験に基づく市長の「言葉」とは――。

支援物資が「自衛隊の通行の妨げに」
西日本各地を襲った記録的豪雨で、岡山県倉敷市の真備町では、小田川の堤防が決壊し、広範囲が浸水した。
岡山県災害対策本部の発表によると、18年7月9日8時までに2400人の町民を救助している。
実はそんな真備町で、あるトラブルが発生していた。
倉敷市が8日夕、公式ツイッターで「現在、倉敷市では個人の方からの救援物資を受け付けていません」と投稿。
その上で、 「真備町川辺橋前に沢山の支援物資が置かれており、自衛隊の通行の妨げになり困っています。お気持ちは大変ありがたいのですが、支援物資を川辺橋前に置かないようお願いします」 と呼びかけたのだ。

こうした倉敷市の呼びかけは、ツイッターで「被災地がまだ受け入れ体制できていない以上、物資の支援はするべきじゃない」
「支援物資は自衛隊が入っている以上個人で勝手に被災地に持ち込むと復旧の邪魔にしかならないのでやめて!」など、「リツイート」6万件の注目を集めた。

9日朝、熊本市の大西市長も自身のツイッターで、
「熊本地震の際、全国から物資が大量に届き本当に有難い反面、発災直後のマンパワー不足で物資のハンドリングで大混乱」と当時を振り返る。
「恐らく今現地はそういう状況にあると考えられます。
物資の洪水を防ぐためにも言いにくい事ですが個人の方々の支援は今は物資より義援金など金銭的な支援が一番良い方法だと思います」

支援の電話で「職員が動きが取れない」
大西市長は2016年熊本地震の直後、ツイッターの情報発信に全力を注いでいた。
避難所に全国からの救援物資を届けるよう手配していると報告する一方、ボランティアの募集を呼びかけ、水道の漏水箇所の情報提供を求めるなど、市民と「対話」し続けた。

ただ一方、避難所への物資手配では相当な苦労を強いられた側面も。
地震発生後5日目の4月19日、ツイッターで
「避難所になかなか物資が届かず大変ご迷惑をおかけします。
支援物資は徐々に到着しておりますが物資を受け取ったり仕分けしたり配送するマンパワーが不足。
渋滞も酷い状況です。
今体制を整えて円滑に物資が届くように全力挙げてます」 と投稿。

人的体制もままならない状態で、大量に救援物資が到着して、かえって現場は混乱してしまったのだ。
大西市長はさらに「支援に関する問合せのお電話を沢山頂き感謝致します」とした上で、 「しかし物資を被災者に届ける職員が電話対応で全く動きが取れません」 と、「善意」の電話にかえって忙殺されていることを告白。
「こういう事を申上げ大変失礼ですが」として、 「電話での問合せを極力ご遠慮頂けると大変助かります。
今後熊本市HPにて義援金口座等も記載しますのでそちらを是非参照下さい」 と呼びかけていた。

東日本大震災で学んだこと
こうした救援物資の「洪水」を想定していたのが、高島宗一郎・福岡市長だった。
熊本地震発生後わずか51分で自身のフェイスブックに福岡市災害対策本部の設置を報告するなど終始、迅速な対応は称賛の声を集めた。
高島市長は地震発生の翌15日、FBで「支援物資については現在ニーズと現地の受け入れ態勢を調査中」と報告。
「現時点で区役所などに直接物資などを持ち込むと逆に混乱しますので、控えてください」と呼びかけた。

16日には「災害対応は一般的には発生から72時間を人命救助優先とし、その後仮設住宅の建設などの生活支援を中心とする対応を経て、本格的な復旧・復興期へと移行していくことになります」と投稿。
その上で、 「被災支援については、その段階に合わせた支援を行うことが求められるのです。
私自身もこのことは東日本大震災の時に学びました。
現時点で市民の皆さんへ協力をお願いできることは義援金です

そして17日以降、FBで支援物資提供を呼びかけた。
17日は「ペットボトルの水」「トイレットペーパー」など6種類のみで、18日夜に「ウェットティッシュ」「栄養補助食品」を追加した。
ただただ、被災地に多くの救援物資を送ればいいわけではない――。
幾度も大災害をくぐり抜け、いつしかその考えも広まっていくかもしれない。

吉村洋文・大阪市長は今回の記録的豪雨をめぐり、ツイッターで大阪市民にこう呼びかけた。
「救援物質を送りたいので大阪市で窓口取りまとめて欲しいという声がありますが、被災自治体の意向を無視した応援は混乱に繋がりますので、義援金でのご支援をお願いします」(18年7月9日付)
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2018年07月11日

豪雨でも「宴会自慢」をやらかす"想像力欠如" 安倍政権の売りは危機管理能力だったのに…

豪雨でも「宴会自慢」を
やらかす"想像力欠如"
安倍政権の売りは
危機管理能力だったのに…
2018/07/10 東洋経済(安積 明子 )

 西日本を中心に降り続いた記録的大雨は、7月9日になって「平成30年7月豪雨」と名付けられた。
確認された死者の数は、すでに100人を超えている。
安否不明者も多く、今後さらに増える見通しだ。

 同じ9日に開かれた「立憲民主党 2018豪雨災害対策本部 第1回会議」で枝野幸男代表は、「東日本大震災に次ぐ大規模災害だ」と述べたが、その表現は決して誇張ではない。
大雨特別警報が11府県にもわたって発令されたことは前例がないし、避難指示対象は83万9289世帯・187万8007名、避難勧告対象は101万4930世帯・232万1947人にも及んでいた(7月8日午後3時現在)。

気象庁は7月5日午後2時に緊急会見  
大雨特別警報とは、数十年に1度のこれまで経験したことのないような重大な危険性が差し迫っている異常な状況の下で発令されるものだ。
 今回の豪雨の被害の特徴は「広域性」と「被害の甚大さ」だが、気象庁はすでに7月5日午後2時に東京と大阪で緊急会見を開いて警告していた。
台風や地震、大雪以外を理由として気象庁の会見が開かれるのは異例中の異例である。
 この時の気象レーダーには、兵庫県南東部から滋賀県にかけて「線状降水帯」が発生していたことが示されていた。
線状降水帯とは次々と積乱雲が発生して並ぶ帯状のもので、ゲリラ豪雨の原因とされている。
気象庁は比較的長い時間、これらの地域に大量の降水量がもたらされると判断した。
実際、この時点で8日午前まで豪雨が続くだろうと報じられている。

 だが政権中枢の危機管理はどうだったのか。
そこには苦言を呈さざるを得ない事態が発生していた。
 東京でも雨が降った5日夜、赤坂の衆議院宿舎で“宴会”が開かれていた。
2013年4月から始められた自民党議員の有志による「赤坂自民亭」だ。
中堅・若手が閣僚や幹部と懇談し、情報収集や親睦を深めるきっかけになっているが、今回は特別ゲストとして安倍晋三首相が参加した。
安倍首相には9月に予定されている自民党総裁選での支持を固めたいという思惑があり、重要な会合だ。

 政治の世界は会合がつきもの。
誰といつどこで会ったのかというファクトが、次の政局を生み出す契機にもなる。
しかしそれを喜々として公表する必要はあるのだろうか。
ましてや大きな災害が来ようとしている夜に。

グラスを持つ面々はいかにも楽し気  
「いいなあ自民党」
 明石市や淡路島を含む兵庫9区を地元とする西村康稔官房副長官は5日午後10時2分、写真を2枚SNSにアップした。
参加者が腕を振るった料理が並び、地元の名酒を持ち込んでの懇親会。
グラスを持つ面々はいかにも楽し気だ。
今夜は恒例の自民亭。
衆議院宿舎の会議室で、月一回食べ物やお酒を持ち寄り、党幹部と若手議員のざっくばらんに話す懇親会。
選挙区の悩みを相談したり、地元の名産PR。
今日は、安倍総理、岸田政調会長、竹下総務会長が勢揃い。
和気あいあいの中、若手議員も気さくな写真を取り放題!正に自由民主党党。
pic.twitter.com/BGj84cLynb − 西村 やすとし (@nishy03) 2018年7月5日

 しかし、さすがに不謹慎だと思ったのだろう。
西村氏は午後11時45分に「兵庫県内大雨 6万世帯13万人に避難勧告」というタイトルの地元・神戸新聞の記事を引用しつつ、「地元秘書から、地元明石淡路の雨は、山を越えたとの報告を受けました。
秘書、秘書官と随時連絡を取り合いながらの会でした」と言い訳を書き込んだ。
地元秘書から、地元明石淡路の雨は、山を越えたとの報告を受けました。
秘書、秘書官と随時連絡を取り合いながらの会でした。
https://t.co/fOXW4ZjQcI − 西村 やすとし (@nishy03) 2018年7月5日

 だがこの時、「山を越えた」わけではなく、明石市の大雨警報は8日午後4時15分まで続いていた。
しかも政府は5日午後に小此木八郎防災担当相の下で関係省庁会議を開き、「週末に向けて大変なことになるかもしれない」と対応を協議してその準備をしていた。
要するに、重大な危機感は十分に認識されていたはずなのだ。
 むろん、宴会は多忙な首相の予定を押さえたうえで組み込まれた重要な日程であることは理解できる。
問題は、宴会を行ったこと自体にあるわけではない。
それを豪雨の最中でも喜々としてSNSにアップしてしまう共感力の欠落、想像力の欠如が問題なのである。

 西村氏は官房副長官として平成30年7月豪雨非常災害対策本部の会合にも参加。
要するに政府として災害に責任を持つ立場だ。
また第2次安倍内閣、同改造内閣、第3次安倍内閣で防災担当の内閣府副大臣を務め、安倍政権における“危機管理の専門家”としてのキャリアを積んできた。  
『命を守る防災・危機管理 その瞬間、生死を分けるもの』(プレジデント社)という著書もあり、同書の帯に安倍首相が「大雪、土砂災害、火山噴火……。
数々の災害に、彼が最前線で指揮を執ってくれた」と推薦コメントを寄せている。

もっともその中に「豪雨」が入っていないのは、果たして偶然だったのか、あるいは必然だったのか……。  

「国民の安心安全のために、政府として全力を尽くす」
 これは西村氏の上司である菅義偉官房長官が会見時によく口にする言葉だ。
要するに、常に国民の安全本位であることが政府の人間の責務という意味である。
安倍政権が5年半以上も長命になったのは、民主党政権に懲りた国民が安倍政権によりどころを見つけたことが大きな理由だ

危機管理能力を売りにしてきたはずなのに
 では菅長官は、今回の副長官の危機意識のないツイートをどう思うのか。
7月6日午後の会見で聞いてみた。
大規模災害が迫っている時に、SNSで宴会のような写真を挙げて国民は不安を感じないか、と。
 菅長官の回答は「やるべきことはやっている」だったが、果たして国民は「安心安全」を得られるだろうか。
 なお安倍首相は9日昼、11日からの欧州・中東への外遊を取りやめた。
当初の「やるべきこと」だけでは足りないということで、危機対応は「後手後手」の感が否めない。

民主党政権の失敗という反省の下で危機管理能力を売りにしてきた安倍政権だが、この大災害をどのように乗り越えるのか。被害の全容が明らかになる中で、総裁選への影響もジワリと出てくるかもしれない。
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混んだ電車で足を組んで座る人…電車内「座席マナー」のイライラ

混んだ電車で足を組んで座る人…
電車内「座席マナー」のイライラ
2018/07/11 ダイヤモンド(宮崎智之 )

さまざまな“常識”が衝突する電車内
 公共の場でマナー違反を犯している人を見ると、誰もがイライラする。
そのイライラが特に顕在化しやすいのが、さまざまに異なった“常識”を持っている人が集まる電車内である。

 目的地に着く時間を気にして焦っている人、移動中に少しでも体を休めようとリラックスを求めている人、大きな荷物を持って疲弊しきっている人。
それぞれがそれぞれの事情を抱え、イライラ、カリカリしている中で、自分が“常識”だと思っていたマナーから逸脱した行動をとる人たちを見かける場面が、電車内では多いのだ。

 その中でも、著者が今回言及したいのが、電車内の「座席マナー」である。
ことさら混雑する電車内では、誰もができれば席を確保したいと思っているだけに、座席をめぐるマナー違反には憤りを感じる頻度が高く、時には乗客同士のトラブルになることもある。

 世間の人は、どのような「座席マナー」の違反にイライラしているのか。
周辺の声を拾った。
足を広げる、荷物を座席に置く、足を組んで通行妨害……

 筆者が聞き取り調査した中で、「マナー違反だ」と人々が感じることが多かったのは、座席の座り方である。
足を広げて座っている人、網棚ではなく座席に荷物を置いて座っている人。
そういう人がいる場合は、7人掛けの長椅子に6人しか座れなかったり、3人掛けの椅子に2人しか座れなかったりといった問題が起こってしまう。
「先日、足を広げて座っているビジネスマンが同じ7人掛けの長椅子に2人いるのを見かけました。
6人しか座れていなかったし、座れている人も窮屈そうでした」(30代男性)
「年配の女性が荷物を座席に置いていて、1人分座れない状況に。
網棚に荷物をあげるのが大変なのはわかるんですけど、『荷物を上にあげましょうか』と声をかける勇気もなく、その日は営業回りで疲れていたのですが、座るのを諦めました」(30代男性)

 座り方の問題では、「足を組んで座る人」に対するイライラもあるようだ。
「空いている車内で足を組んでいるのは別にいいのですが、混んでいる時にやられると邪魔で仕方ない。
しかも、足に当たった時に舌打ちされたことがある」(20代女性)

 筆者が気になるのは、友人などと一緒に電車に乗った際、座席に座っている人の両脇が空いていた場合は、1席横にずれてもらえれば友人と並んで座れるのだが、かたくなに座席を移動しようとしない人がいる、ということである。
少なくても、自分が同じような場面に遭遇した場合は1席横にずれて「どうぞ」と声をかけるし、ずれて並びの2席を空けてもらった場合は「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言うことを心がけている。

 むしろ、1席ずれないことによって、サンドイッチのように挟まれてしまう事態に陥ることになる。
友人同士の乗客に挟まれながら座席に座って、果たしてリラックスできるのだろうか。
筆者なら、きっと気まずい思いをしてしまうだろう。
頑なに座席を移動しない人は、そこらへんのことをどのように考えているか。
本当にモヤモヤして仕方ない。

電車内でカップラーメンやお酒を楽しむ人々  
さらに、電車内の「座席マナー」については、「座り方」だけではなく、「何をして座っているか」も問われる。
たとえば、都心の電車や新幹線などでよく見られる、パソコンを操作しているビジネスパーソン。
移動中の時間を使って仕事をこなしたり、メールを返したりすることは筆者にもあるので、気持ちは十分すぎるほどわかるが、横でキーボードをカタカタされることに対して、イライラする人も世の中にはいるのだ。

 また、電車内でご飯を食べることをマナー違反だと感じる人も、筆者が聞き取りした範囲ではたくさんいた。
新幹線やなどのボックス席ではマナー違反とされないものの、そうでない場合は確かに気になる。
これはインターネット上で見つけた情報だが、なかには電車内でカップラーメンを食べる強者もいるそうだ。
周囲の人はにおいが気になって仕方ないだろう。

「電車内で座席に座り、お酒を飲んでいる人がいました。
缶酎ハイにタオルのようなものを巻いていて、本人は隠しているつもりでしょうけど、においで一発でわかります」(40代女性)
 さらには、電車内で化粧をする女性を「みっともない」と思う人もいる。
このことについては過去にこの連載で取り上げたので、そちらを参照してもらいたいが、公的な空間に私的な行為を持ち込まれることを嫌がる人もいるのは、理解はできる(化粧が完全なる私的な行為であるのかどうか、ということに関しては、議論の余地がある)。  

さまざまな人が居合わせる場所であるからこそ、マナー違反に敏感になり、ギスギスしやすい電車内。
なるべくあつれきが生じる機会を減らし、誰もが快適に乗車できるようになってほしいものだが、そうした未来が訪れることは、まだまだ先のことのように感じる。
イライラやカリカリによる分断がこれ以上起こらないように、議論が深まることを望んでいる。

 当連載についてご意見がある方は、筆者のTwitterアカウントにご連絡いただきたい。
すべてには返信できないが、必ず目を通したいと思う。
(フリーライター 宮崎智之)
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2018年07月12日

満足した人生には「幸せの感じ方」が重要だ

人生の後半では「芯」を決め
軌道修正をしよう
満足した人生には「幸せの感じ方」が重要だ
2018/07/03 東洋経済

齋藤 孝 : 明治大学教授
人生100年時代。
人類がいまだ経験したことのない超長寿時代を私たちは生きています。
働き盛りの40代、50代はまだ人生の折り返し地点に過ぎません。
齋藤孝氏の著書『人生後半の幸福論 50のチェックリストで自分を見直す』をもとに、「幸せの感じ方」や50あるチェックリストの中から一例を紹介します。

「老後」より「余生」より
   大事なのは「幸せの感じ方」
人類がいまだ経験したことのない長寿社会の到来──。
なかでも日本はその先頭を走っています。
お手本にすべき「先例」のない新たな時代を迎えているのです。
働き方にもパラダイム変化が生じています。

60〜65歳で定年を迎えても、そこからの人生が30〜40年ほどもあります。
「定年を迎えたら、後はのんびり過ごす」という生き方は、もはや現実にそぐわなくなりました。
60代からを「老後」と呼ぶには早すぎますし、「余生」と言うには長すぎます。
人生が100年近くも続くということを前提にして生きていなかった時代から、明らかにそれを意識しなければいけない時代へと変わりました。

本来、「人生をどう生きるか」というのは思春期から青春期の若者たちがテーマとする問いでしたが、成熟した大人たちの間であらためて「人生をどう生きるか」ということを考え直さざるを得なくなったのです。
雑誌やネットでよく「老後資金としていくら必要か」といった記事を見かけます。
もちろんおカネの問題は避けては通れないことですが、はたしてそれがいちばん大事な問題でしょうか。
それ以前に大事なのは、「自分はどういう生き方をすることで幸せを感じられるか」という価値観の再確認ではないかと私は思っています。

老後のためのおカネがたくさんあれば絶対に幸せだというものでもないですし、ただ長く生きればいいというものでもありません。
肝心なことは、自分は何があれば幸せなのか、何を大切にして生きていきたいのか──そこです。
価値観は、年齢的なものでも変わってきます。
40代くらいまでは、仕事や子育てに追われて忙しい毎日を過ごしています。
その時期には、仕事で何を成すかとか、家族をいかに守り養うかということに価値を置くことになります。
しかし50歳前後になると、仕事における自分の立ち位置も変わってくる、子どもが成長して家族のかたちも変わる、健康問題が生じるなど、さまざまな面で変化が起きてきます。
価値を感じるものもおのずと変わってきます。

拙著『人生後半の幸福論 50のチェックリストで自分を見直す』で私が提案するのは、人生の折り返し地点である50歳前後になったら、自分の生き方を見つめ直してみよう、ということです。
100年生きるという新たな可能性を踏まえつつ、あらためて「人生後半に自分が求めるものは何か」を考えてみる。
自分の人生後半の「芯」になるものを確かめ、軌道修正をするのです。
それには、現在の自分と、これから自分が目指していくところ、両方がクリアになっていなければなりません。

人生の軌道修正というものは、短いスパンで一気にできてしまうものではないでしょう。
50年の年月をかけて今の自分があるわけですから、シフトするのにも時間を要するのは当たり前です。
アラフィフでまず自分を見直し、「自分はどうなっていきたいのか」「どう生きたいのか」を見据えたら、そこからじっくりそういう自分になっていけばいいのです。
大事なのは、自分が価値を感じるものをいかに大事にして暮らしていけるかです。
それが、人生後半を幸せに導く最大要素だと私は思います。

50代以降のいいところは、ほかの人との比較競争によって幸せが左右されることがだんだんなくなり、自分自身の価値観でいくらでも幸せを得られる領域に入っていくことです。
そういう意味では、自分を主体にして本当に人生を味わえるようになるのは、まさにここからかもしれません。
私は現在57歳です。
私もまた、人生後半の見直しと軌道修正のただ中にいます。
楽しく、笑顔で、充実した人生後半を生きていくために、今から何をしたらいいのか。
一緒に考えていきましょう。

人生後半のチェックリスト CHECK!@ 
最近、感動していますか? 感動するというのは、「心が動く」ことです。
イキイキと活動しつづけるためには、心が動かなくなっていくことがいちばんよくないと私は考えています。
「感動しやすいか、しにくいかなんて、個人の性格の問題」 なんて思っていませんか。
いいえ、これは感性をさびつかせないでおけるかどうか、その人自身の意識の問題です。

寄る年波とともに、身体がだんだん硬くなっていき、可動域が狭まっていきます。
しかし、前屈も開脚もびっくりするほど見事にできてしまう身体の柔らかなご年配の方もたくさんいます。
それは、可動域を狭めないよう日々意識して身体を動かしつづけているからです。
心も同じです。
動かしつづけることを心がけたほうがいい。
いろいろなことに心を動かせられる自分でいること──意識して、そう仕向けていきましょう。
それには、「自分の体験にしていく」ことが大事です。
たとえば、オリンピックで誰がメダルを獲ったというニュースに接しても、それだけでは感動はしません。
「へえ、そうか……」と思うくらいです。
でも、その選手の背景を知り、その試合を身を入れて観ることで「おお、すごい!」「なんて頑張ったんだ!」と感動する。

小説や映画も、あらすじを知っただけでは感動しません。
実際に読んだり観たりすることで、感動が湧く。
感動は、エネルギーを省力化して、結果だけを知るところには起こりません。
自分をかかわらせていかないと味わえないものなのです。
自分が感動を味わう機会を減らしていないか、考えてみてください。
また、心が動くことがあっても、それを意識化せずにそのまま埋もれさせ、忘れてしまっていないか、考えてみてほしいと思います。

手帳に感動したことを書きとめる CHECK!A
 心が動いたことを、何かに書きとめていますか?
ツイッターやフェイスブック、インスタグラムなどSNS全盛の世の中です。
おそらくこの流れは今後も続くことでしょう。
私はSNSには、心が動いたこと、感動したことを書くのがいいのではないかと思います。
私は、それを手帳に書き込んでいます。
心が動いたことを手短に記しておくのです。
たとえば、バドミントンの世界選手権で奥原希望さんがシングルスで優勝したときは、手帳に「奥原希望さん、祝金メダル!」と書きました。
何の所縁もなく、お会いしたこともありませんが、「こんなすごい試合を見せてくれてありがとう」という気持ちで書きとめたのです。
スポーツ好きなので、そういう記録はとても多いです。
観た映画は、タイトルと主演俳優の名前をメモしておきます。
タイトルだけではどんな映画か思い出しにくいこともありますが、俳優さんまで書いておくと、すっと思い出せます。
心に残るセリフがあったら、それを書いておくこともあります。
本の中の印象に残る言葉だとか、テレビで見聞きした秀逸なエピソードなどを書くことも。 その他、「ちょっと気分が上がったこと」があったら、手帳にニコニコマークを書き入れます。

たとえば、初めてお会いして対談をした方と意気投合して話がはずんだら、ニコニコマーク。
疲れぎみだったのでマッサージを受けに行ったら、施術をしてくれた人がとてもうまくてすっきり爽快になった。
これもニコニコマーク。
食事に行ったら、初めての店がすごくおいしくて、「いい店見つけた」という気分になった。
これもニコニコです。
「これが一個あったから、今日はいい日だった」と考えると、その日の終わりを気持ちよく迎えることができます。
手帳は、日々何度も見るものです。
並んでいる小さなニコニコマークは、「この日もいいことがあった」という証、ささやかな幸せの蓄積なので、それが目に入るだけでも、日々の幸福感が上がっていきます。

私にとって手帳は「予定」を書くためだけのものでなく、「今」を記録するもの、自分の時間に小さな幸せを増やしていくものでもあります。
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亡くなった俳優の加藤剛が「安倍政権は憲法違反の政権」!生前繰り返し語った戦争への危機感と憲法への思い

亡くなった俳優の加藤剛が
「安倍政権は憲法違反の政権」!
生前繰り返し語った
戦争への危機感と憲法への思い
2018年07月11日 14時57分 リテラ

 今月9日、俳優の加藤剛氏が亡くなっていたことがわかった。
80歳だった。
 加藤剛氏といえば、30年近くにわたって続いた『大岡越前』(TBS)での大岡忠相役が印象的だが、もうひとつ知られている側面が、戦争を知る世代として、「俳優」の仕事を通して、平和への思いを伝え続けてきた姿だ。

 加藤氏は1962年にテレビドラマ版『人間の條件』(TBS)で本格的なデビューをしている。
『人間の條件』では、第二次世界大戦中の満州を舞台に、激化する戦争のなかにおいても、自らの正義を貫き通す役を演じた。
デビュー作が『人間の條件』であったということは、加藤氏の俳優としてのキャリアの方向性を決定づけたようだ。
2015年4月12日付しんぶん赤旗日曜版で彼はこのように語っている。
「人間の條件」で、平和な世の中をつくり、戦争に反対することが、僕の俳優という仕事の基本になりました。
以来、どの作品に出ても、平和のために自分は何ができるかと考えてきました」

 その後、加藤氏は『大岡越前』や、映画『砂の器』といった作品をヒットに導く一方で、「戦争」を題材にした作品にも多く出演している。
木下恵介監督作品『この子を残して』では長崎で原爆により被爆した放射線医学の永井隆博士を演じ、また、舞台『コルチャック先生』ではユダヤ人孤児院の院長でナチスの弾圧のもとガス室におくられたヤヌシュ・コルチャックを演じた。  

2014年の読売新聞のインタビューでも、「僕は戦争反対の一心で俳優を続けてきましたから、観客の心に平和への思い、弱い人への思いやりをこれからも与え続けられるよう、仕事を続けたい(読売新聞2014年6月9日夕刊)と語り、その俳優人生をかけて戦争反対の思いを貫いてきたことを明かしている。

 加藤氏のこうした反戦への強い思いは、加藤氏自身の生い立ちと無縁ではないだろう。
 加藤氏は1938年に静岡で生まれた。
東京方面に向かうB29から焼夷弾が落とされることも珍しくない環境で育つ。
加藤氏はこの戦争で身内を二人も亡くしている。
 ひとりは、実の兄のように慕っていた義兄。
軍医だった義兄は北マリアナ諸島のテニアン島で頭部を撃たれて即死した。
また、二番目の姉は結核を患っており、戦後の厳しい食糧難と物資不足のなかでまともな医療を受けられなかったことが災いして亡くなってしまった。
まだ28歳の若さだった。

 そんな加藤氏にとって、近年の日本の状況は看過できるものではなかった。
特に、第二次安倍晋三政権以降の動きには、直接的な表現を用いて痛罵している。
今の政権は、憲法違反の政権です。
アメリカの戦争に協力するため、勝手に憲法の解釈を変えて、戦争法を通してしまった。
 安倍首相は、「国民に理解されていないから反対されている」などと言いますが、私たちは戦争への道を開くことになる法律だとよく理解しているから反対しているんです(2015年11月29日付しんぶん赤旗日曜版)

 戦争が終わったことで、「もう枕元に防空頭巾を置いて寝なくていいんだ」(15年4月12日付しんぶん赤旗日曜版)と心からの安堵を抱いた経験をもつ世代として、日本国憲法、特に9条は何ものにも代え難い希望だった。
加藤氏は日本国憲法を「戦争で命を奪われた人たちの夢の形見」とまで呼んでいる
私は、憲法は、戦争で命を奪われた人たちの夢の形見だと思っています。
多くの犠牲の上に、今の平和な世の中がある。だから私たちには、子どもたちのために憲法を守る使命があると思います(15年11月29日付しんぶん赤旗日曜版)

 しかし、その憲法がいま危うい立場に追いやられようとしている。
この国は過去の教訓を忘れ、再び「戦争ができる国」へ戻る方向へ舵を切りつつある。
その先にあるのは、70年以上前に体験し、二度と繰り返さないと誓ったはずの悲劇の再来だ。

●加藤剛、桂歌丸が生前語った
戦争への危機感
「戦争を知らない人が、国を動かしている」
 今月2日に亡くなった落語家の桂歌丸は、17年8月5日放送『報道特集』(TBS)で、戦争を知らない世代の政治家たちがまともな勉強もせず、安易な気持ちで戦争に関わる法整備へ踏み出すことを、「戦争を知らない政治家が戦争に触れるなと言いたくなるんです。
戦争を知らなかったら、戦争をもっと研究しろって言うんです。
戦争っていうのは良い物なのか悪い物なのか、この判断をきっちりとしろって言いたくなるんです。
それをただ上辺だけで話しているからおかしくなっちゃうんです」と痛罵していた。

同じことを加藤氏も語っている。 「国を動かしている人たちが、なぜそんな世の中にしたいのか、戦争を体験した僕にはまったく理解できません。
本当の戦争というものを知らないからでしょうか(15年4月12日付しんぶん赤旗日曜版)

 戦争を知る世代が最期に残した「平和」への思いを、私たちはしっかりと受け止めなければいけない。
(編集部)
posted by 小だぬき at 09:17 | 神奈川 ☔ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月13日

外国人が心底驚いた日本人の「夏の過ごし方」

外国人が心底驚いた
日本人の「夏の過ごし方」
炎天下の中スポーツまでしちゃう根性
2018/07/08 東洋経済

アナスタシア・新井・カチャントニ
: 通訳、翻訳家、ライター

「暑中お見舞い申し上げます。厳しい暑さが続いておりますが……」
今年も暑中見舞いの季節になりましたね。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
私はお陰様で、ギリシャで元気に過ごしています!

初めて「暑中見舞い」という存在を知ったのは、ある夏の日でした。
日本人の夫がパソコンに向かってカタカタと何かを書いていました。
それは何かと聞くと「暑中見舞い」と。
そういえば、『サザエさん』で見たことがあるなぁ、というのが初めの印象でした。
もちろん、『サザエさん』では、波平さんが筆を使って書いていたのですが……(笑)。
「お体には気をつけて」なんて大げさだと思ったけど… 暑中見舞いというのは、とてもすばらしい習慣だと思います。
ずっと会っていない友人や知人と連絡を取るきっかけになりますし、そこから久しぶりに会おうか、なんて話にもなるかもしれません。

ギリシャにもクリスマスカードを出す習慣があるにはありますが、書く人はあまり多くありません。
手紙を書くと、相手に「私はあなたのことを気にかけているよ」と伝えることができますよね。
最近、剣道の先生からいただいた手ぬぐいに「聲無聴(こえなきにきく)」という言葉が書かれていました。
調べてみると、「聲無きに聴き、形無きを視る」という言葉から来ているようでした。
人が何か言ったりしたりする前に、それを感じ取って行動するということだそうです。

暑中見舞いはまさに、このような日本人の考え方を表していることの1つですよね。
日本人は、見逃してしまいそうな小さな変化を読み取るのが得意で、それがきめ細かな対応など、日本ならではのサービスを可能にしているのだと思います。
最近は、暑中見舞いを書く人も少なくなっていると聞きましたが、私にとっては、なくなってほしくない習慣の1つです。
それにしても、「厳しい暑さが続きますが、くれぐれもお体にはお気をつけて」なんて大げさな表現だなと、初めのころは思っていました。
アテネの夏も暑いですが、みんなバカンスモードで、海に行ったりバーベキューをしたり、夏なりのゆったりとした生活をしているので、「お体にお気をつけて」というほどではありません。

むしろ夏は楽しくて、朝方まで時間を忘れてパーティをすることがよくあります。
ついつい飲みすぎたり食べすぎたりしてしまうので、それを「気をつけてください」と言っているのかと思ったくらいです。

しかしながら、日本の夏を体験して、日本人の言っている意味がわかりました。
日本に着いて飛行機から降りた瞬間、強烈な湿気を感じました。
まるでサウナに入っているようでした。
そのおかげで、夏に日本に行ったときは肌の調子は絶好調でしたが(笑)、滞在中は本当に大変でした。
アテネでも気温は高く、日差しも強いですが、カラッとしているので日陰に入ってしまえばなんとか暑さを凌げます。
でも日本の暑さは、クーラーを入れるくらいしか、本当に凌ぎようがないですね。
日本の夏はどこへ行ってもクーラーが入っていて驚きましたが、それも納得です。
クーラーなしではやっていけませんね。

この暑い中で運動をするなんて!!
私は、アテネで日本語を教えているのですが、生徒たちは「夏に日本へ行きたい!」とよく言っています。
桜を見ることができる春も人気ですが、やっぱり若い人にとっては夏のイベントの方が魅力的に映るようです。
もちろん彼らもアニメやドラマなどのファンなので、夏のイベントに関しては、『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』や『ハチミツとクローバー』などの学園物から情報を仕入れています。

そんな彼らは「海で泳いで、スイカ割りをして海の家でかき氷を食べて、夜は浴衣を着てお祭りに行って花火を見る。
肝試しもやってみたい」。
そんなことを言っていますが、完全に日本の夏を甘く見ていますね。

それからもう1つ驚いたことは、夏の暑さの中でも普通に運動をしていることです。
私たちが観光しているだけでも汗だくになっているのに、その状況で運動するなんて、ギリシャ人には考えられません。

夫に連れられて、ある道場の稽古に参加しましたが、空調設備もない中で激しい稽古をしていて、本当にびっくり仰天しました。
その先生は、「夏は暑いからそれほどキツいことはしないけど、暑さに負けずに稽古することで精神が鍛えられる」と仰っていました。
これも剣道の大切な部分だと思い、ギリシャに帰ってから道場の人に声をかけて夏の日中に稽古をしてみましたが、10分経つと1人が面を取り、もう10分経つとまたもう1人……という感じで、1時間後に残ったのはたったの3人でした。
そのときギリシャ人が話していたことは、「日本人は化け物なのか?」ということです。

もちろん、日本の稽古は暑さに加えて湿度も非常に高い中で行われます。
改めて日本人の凄さを感じた出来事でした。
ギリシャには学校の部活はほとんどなく、運動したい子どもたちは地域のスポーツクラブに行きます。
だいたいのスポーツクラブは年度初めの9月に始まって6月で終わります。
7月と8月は活動がありません。
ギリシャの学校は6月の中旬から9月中旬までの約3カ月間が夏休みです。

日本に比べるとだいぶ長いですが、この期間はスポーツクラブも活動がありません。
7、8月の時期は両親も仕事を休むことができるので、バカンスに行く家族が多いことや、学校のない期間に共働きの家庭は子どもを田舎に住む祖父母のところに預けることも多いため、子どもが集まらないというのが主な理由ですが、一番の理由は「暑いから」です。

日本人が暑い時期も稽古を続けるのは
私たちの剣道クラブにも小学生がいますが、夏に入ってから出席率がよくなかったので親御さんに様子を尋ねると、「学校も終わったから、剣道もまた9月から」という言葉が返ってきました。
暑さで集中力を保ちづらい夏に練習しても効率は上がらないからその間はゆっくりして、気温が下がって運動しやすくなったらまた再開する。
そのような考え方が主流です。

日本人が夏の暑い時期にも変わらず稽古をするのは、普段の生活のペースを変えたくないからなのではないかと思います。
一度ペースが乱れてしまうと、それを立て直すのが難しいから、なるべく一定のペースで生活をしたいと思っている。
私の目にはそんなふうに映ります。
確かに、一定のペースで生活をしていれば余計なことに気を使わなくて済むので、それは効率的な方法と言えるかもしれません。
また、「一度決めたことは最後までやる」という意思の強さを鍛えることもできるように思います。
日本人は責任感が強い人が多い印象がありますが、これも1つの理由かもしれません。

反対にギリシャ人の生活は、予定が変わることがとても多いです。むしろ予定どおりにいくことのほうが少ない気がします(笑)。
状況に合わせて臨機応変に対応しているというと聞こえはいいですが、そのときの気分で決めていることも少なくありません。
これに対応するのはなかなか大変ですが、その分気持ちを切り替えるのは上手だと思います。
急な変更があっても気持ちを引きずることなく、すぐに次のことに気持ちを集中させるのは割と得意です。

先日、このような日本とギリシャの違いを実感する出来事がありました。
ギリシャは残念ながら今回のサッカーワールドカップに出場できませんでしたが、サッカーが好きな人が多いのでテレビで観戦している人は多いです。
日本とギリシャは前回のブラジルワールドカップで同じグループリーグだったので、日本のことを気にしている人も意外に多いです。

この間、友人たちとお茶をしているときに話題になったのが、日本とコロンビアの試合でした。
試合が始まってすぐ、コロンビアの選手にレッドカードが出され、コロンビアは10人で戦わなくてはなりませんでした。
相手は1人少ないわけですから、日本にとっては非常に有利な状況です。
ギリシャ人だったら誰もが「よし! 相手は少ないから試合をコントロールしやすくなった」と思うような展開です。
しかし、私の友人たちが話していたのは「日本は戸惑っているように見えた」ということでした。
ワールドカップという大舞台。
しかも大切な1戦目ということで、ほかのチーム同様、日本も綿密に作戦を立てていたと思います。
もちろんそれは、11人対11人の試合を想定しての作戦だったはずです。
でも、その状況は試合開始後すぐに崩れてしまいました。
状況が違いますから、用意していた作戦どおりにはできない。
しかも相手は1人少ない状況ですから、普段と違うプレーをしてくる。
そのような想定外の状況の中で日本は、自分たちのペースを取り戻すまでに時間がかかった。
それを私の友人たちは「有利なはずの日本が戸惑ってしまった」と表現したのだと思います。

猛烈な暑さは
行動パターンを変えてみるチャンス
予定どおりに物事が進まない中で生活をするのは、なかなか大変です。
一定のペースを保つことができれば、無駄なエネルギーを使わないで済むことも確かだと思います。
ですが、たまには生活のペースを変えてみるのもいいのではないかと思います。
それによって、急な状況の変化にも対応できるようになるし、また普段とは異なる視点から物事をみるよいきっかけにもなります。

日本の強みは、よくオーガナイズされ、規律を持って行動することができる点だと思います。
でも、たまにはギリシャの生活のように、次に何が起こるかわからないという中で生活してみてはどうでしょうか?
 もちろん疲れることもありますが、意外と楽しいものですよ!
日本の強烈な夏の暑さは、行動パターンを変える理由にもってこいかもしれません。
普段のペースを保ちつつも、何か小さな変化を入れてみるのもいいかもしれませんね。
でも、無理はせず、くれぐれもお体にはお気をつけください!
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月14日

「夏バテで倒れて死にかけた」 エアコン、睡眠…5つの危険サイン

「夏バテで倒れて死にかけた」
エアコン、睡眠…5つの危険サイン
2018/07/13 日刊SPA!

心身ともに不調が表れる夏バテ。
涼しくなるまでの辛抱……と我慢してしまいがちだが、放置したがため、命に関わる大病を患うこともある。
そんな“キラー夏バテ”のメカニズムとは!?

◆夏バテで自律神経に異常が発生。
  脳卒中や心筋梗塞の危険が増大
 連日猛暑が続いている今夏。
すでにすっかり夏バテ気味という人も多いのではないだろうか?
 そんな夏バテも毎年のこととなれば「涼しくなれば大丈夫」と気楽に構えがちだが、たかが夏バテと侮ることなかれ。
実際に熱中症と夏バテの合わせ技で倒れてしまい、死にかけたという報告もある。

休日のバイクツーリングが趣味だという生方大輔さん(仮名・42歳・映像制作)の例を見てみよう。

「友人と軽く酒を飲んでいたら、店を出た途端に倒れてしまったんです。
声をかけられても、返事することすらできませんでした。
救急車を呼んでもらい、精密検査をすると、結果は軽度の脳卒中。
普段は内勤なのでほとんど日光に当たらないのですが、その日は昼間バイクに乗っていたんです。
いつの間にかダメージが蓄積していて、そこに酒が加わって倒れました」

 営業の外回りなど、長時間日に当たることが多いサラリーマンにとっては他人事ではない話だ。
軽い疲れだからと放置しておくと、手遅れにもなりかねない。
 東京疲労・睡眠クリニック院長の梶本修身氏は、「夏バテを放っておくと、心筋梗塞や脳卒中、突然死などのリスクを高めることになりかねません」と説明する。
そのメカニズムは次のとおりだ。
「夏バテは医学的に定義づけされているものではありませんが、一般的には夏場に疲労が蓄積した状態。暑さ、寒暖差、紫外線が原因で自律神経が正常に働かなくなる状態が夏バテです

◆自律神経の機能低下が
          夏バテを引き起こす
 自律神経は体温や血圧のコントロールから心肺機能、消化機能まで体のあらゆる働きを司るいわば司令塔。
夏になるとその自律神経が働きすぎて疲れてしまい、体の怠さ・食欲の減退などの夏バテ症状が出るというわけだ。
現代社会は寒いぐらいにエアコンの効いた室内と、35℃以上の屋外を盛んに出入りするなど、自然界では考えられない状態が多く、人の体はこうした状況に対応するようにできていない。
過酷な状況に自律神経が疲れてしまうんです

 自律神経の機能低下はヤル気の減退も引き起こすが、これも実は危険な徴候なんだとか。
「意欲が高まると活発に活動してしまい、結果として自律神経を酷使する。
それを避けるために意欲が減退する仕組みです。
実際には意欲減退の前に“飽きやすい”という症状が出る。
飽きは疲れのファーストサイン。
好きなことにも集中できなくなったら夏バテの兆候だと思うべきでしょうね

 ただ、ヤル気の減退程度で済めばまだマシ。
夏バテ状態を解消せずに放っておけば、より悲惨な状況も招きかねない。
自律神経で対処できなくなると、体は内分泌系の機能に頼ります。
するとステロイドホルモンを分泌するんですが、これがくせもので糖尿病リスクを高めてしまう。
放置すると生活習慣病のリスクも高まりますし、脳卒中や心筋梗塞の可能性も高くなってしまいます

 大病にもつながりかねない夏バテだが、梶本氏はこの季節に急増する熱中症も「自律神経の不調が原因のひとつ」と語る。

昨年の5〜9月、熱中症で救急搬送された人数は5万2984人。
この数字は一昨年と比べると2572人増えている。
さらに、熱中症=高齢者というイメージもあるが、18歳以上65歳未満の成人も約35.6%とかなり多い。
熱中症に詳しい横浜国立大学の田中英登教授は、「働き盛りだからと安心していては非常に危ない」と語る。

「ひとくちに熱中症と言っても、原因や症状で熱失神、熱けいれん、熱疲労、熱射病の4つに分類されます。
熱失神は一過性の血圧低下、
熱けいれんは塩分不足、
熱疲労は高体温や水分不足が原因。
これらが組み合わさって熱射病になれば、命の危険もあります。
軽い熱中症でも夏バテと組み合わさると危険な状況になることもあるので、この季節は特に注意すべきですね」

◆現役世代でも高い
   熱中症や夏バテのリスク
 蓄積された夏バテと熱中症、そして酒の組み合わせで死の淵に……。
前出の生方さんなどは“キラー夏バテ”を地でいく例だが、こうした症状を防ぐためにはどうすればいいのだろうか?

「熱中症で言えば、体への熱負荷がポイント。
日射が非常に強い屋外はもちろん、閉め切った屋内でエアコンを使っていない状況でも起きやすい。
気温だけでなく湿度も重要で、湿度が10%高くなれば気温2℃上昇と同じ程度の熱負荷がかかります」(前出・田中氏)
 となれば、当然有効なのはエアコンだ。

いまだに「エアコンをつけて寝るのはNG」という風潮もあるが、前出の梶本氏は「100%間違い」と断言する。
「エアコンをつけずに寝て夜中に暑さで寝汗をかいて目が覚める。
これは最悪です。
本来、睡眠を取ることで自律神経を休めますが、寝汗をかくということは自律神経が全然休めていない。
自律神経の機能が回復せず、夏バテの症状を加速させてしまうんです」

 しかし、そんな便利なエアコンも使い方を誤るとリスクも生まれる。
田中氏は次のように話す。
冷えすぎはやはりよくないですし、気流を直接肌に浴び続けると脱水症状になる可能性も。
お酒を飲んだ夜などは特に危険です。
扇風機などで間接気流をつくり、エアコンが苦手な人はタイマーも活用を。
また、冷感スプレーは体温を下げずに涼しさを感じさせてくれますが、外出前に使うと体温調整機能を失い非常に危険。
使用は外から戻ったときにしましょう」

 また、トレーニングをして体力づくりをするのも夏バテ対策には有効。
ジムやサウナなどで汗をかきやすい体質にすることが自律神経の働きにも効果的なのだ。
「ただ、オーバーワークには注意してください。
翌日にも疲れが残るようだとそれはやりすぎ。
ヤル気の減退などは体からの“休め”というサインですから、夏バテを感じたら素直に休むことが一番効果的なんです」(梶本氏)

 夏は仕事だけでなく休日も活動的という人は多い。
だが、疲れを押しての活動は夏バテの加速につながる。
梶本氏は「自律神経の機能は年齢とともに低下し、40代は10代の半分以下」と話す。
 若い頃と同じ感覚で夏をエンジョイしていては自律神経の疲れが抜けず、“キラー夏バテ”のリスクが増してしまうというわけだ。

《キラー夏バテの危険サイン!》

1 ヤル気が出ず、飽きっぽくなる
 普段好きなゲームで遊んでも、なぜかすぐに飽きてしまう……。
そんな“飽きやすさ”は疲労、そして夏バテの兆候のひとつ。
何をする気も起きなくなれば、いよいよ本格的な夏バテだ。早めに休養を

2 寝汗が止まらず、暑さで目が覚める
 睡眠中は自律神経を休ませる貴重な時間。
にもかかわらず、暑くて寝汗をかいていては休むどころか自律神経は活発に活動中だ。
自律神経が睡眠によって休んで回復しなければ、夏バテは加速する一方

3 寝つくためにお酒を飲んでしまう
 アルコールは自律神経を麻痺させる効果を持つ。
一時的には眠くなるが、分解されるとむしろ目覚めやすくなり、熟睡ができないどころかかえって疲れが溜まるだけになるので夏の寝酒は避けるべし

4 エアコンの風を肌に当ててしまう
 冷気を肌に直接当てると低体温の原因に。
さらに脱水症状も招きかねない。
エアコンを付けて寝る際は、風が直接肌に当たらないように気をつけて、室内に風が回るように配慮する工夫が必要だ

5 外出する前に冷感スプレーを使う
 冷感スプレーでは実際の体温は下がらない。
暑い屋外への外出前に使うと“体温は上がるが体感温度は低いので体の体温調整機能が働かない”という事態を招き、熱中症のリスクを高めてしまう
                                          【梶本修身氏】
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2018年07月15日

年金開始が60歳だと"3割減"が一生続く

年金開始が60歳だと
"3割減"が一生続く
7/14(土) プレジデント

■本来の年齢で受給開始した人が64.5%
 老後の年金は65歳から受け取る、というのは誰でも知っているだろう。
 だが、受給開始の時期は、60〜70歳の間で自由に選べることをご存じだろうか。
 老齢年金の受給開始は申請すれば1カ月単位で早めたり、遅らせたりすることができる。
早く受け取るのが「繰り上げ受給」、遅らせるのが「繰り下げ受給」で、国民年金、厚生年金ともしくみは同じだ。

 厚生労働省によると、国民年金受給者のうち繰り上げ受給している人の割合は34.1%、繰り下げ受給している人は1.4%、本来の年齢で受給開始した人が64.5%となっている(2016年度)。

 「繰り上げ」と「繰り下げ」では、受け取る額がどう変わるか見ていこう。
 繰り上げ受給すると、年金額は1カ月につき0.5%減らされる。
60歳から受け取るなら、0.5%×12カ月×5年で、30%の減額だ。
しかも、これが一生続く。

65歳から受け取る場合と比べると、受給額の累計は76歳8カ月で逆転。
それより早く死ぬと“得”、長生きするほど“損”という計算になる。

 一方の繰り下げ受給では、1カ月につき0.7%の増額になる。70歳から受け取るとすれば、42%の増額。
受給額の累計を65歳から受け取る場合と比べると、81歳10カ月で逆転し、それより早く死ぬと“損”、長生きするほど“得”になる。

 16年の日本人の平均寿命は男性80.98歳、女性87.14歳。
平均寿命より長生きするなら、70歳まで繰り下げれば男性は“ほぼトントンか得”、
女性は“かなり得”ということになる。

 ■人は何歳まで生きるかわからない
 一方で、「年金をもらう前に死ぬかもしれない。
繰り上げ受給して確実に受け取ったほうが得」と思う人もいるだろう。

 だが、ファイナンシャルプランナーとしては、年金をこうした損得勘定だけで判断すべきではない、と考える。
は何歳まで生きるかわからない。
だから、受給額の累計は結果論にすぎない。
それより、老後の生活費が足りるか否かのほうが大切だ。
 もし年金が月18万円の人が60歳から繰り上げ受給すれば、30%の減額になるため、月額は12.6万円になる。
もちろん、ほかに収入がないなら繰り上げ受給を選ぶしかない。

だが、「60歳になると収入が減るから繰り上げ受給して生活費の足しにしよう」と安易に考えてはいけない。
 老後に病気になったときでも、医療が発達した今、人はなかなか死なない。
長患いしたまま、その年金額で生活できるのか。
長生きした場合を想定して、キャッシュフローを検討すべきだ。

 また、繰り上げ受給すると障害年金をもらえなくなる、遺族年金を65歳まで受け取れなくなる、といったデメリットも頭に入れておきたい。

 一方、65歳以降も働いて収入が得られるなら、繰り下げ受給は有効な方法だ。
もし年金が月18万円の人が70歳まで繰り下げ受給すれば、月額は25.56万円に増える。
これだけの年金を死ぬまで受け取れると考えれば、手持ちの老後資金を安心して使うことができるだろう。
 労働力を増やす狙いもあり、政府は受給開始年齢を70歳超も選べる制度改正を検討している。
政府の目論見に乗せられるのは抵抗があるが、繰り下げ受給はもっと注目していい方法といえそうだ。
70代まで働くことも視野に入れて、早めに老後設計を立てておきたい。

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黒田尚子(くろだ・なおこ)
ファイナンシャルプランナー 株式会社日本総合研究所に勤務後、1998年に独立系FPに転身。
個人相談やセミナー講師、書籍・雑誌の執筆活動など幅広く行う。
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連日の猛暑 熱中症が重症か見極めるポイントは?

連日の猛暑
熱中症が重症か
見極めるポイントは?
2018/07/14 日経スタイル

 この記事では、今知っておきたい健康や医療の知識をQ&A形式で紹介します。
ぜひ今日からのセルフケアにお役立てください!

【問題】
周囲の人が熱中症と思われる症状になったとき、応急措置と見守りで済むレベルか、それより重症で医療機関の受診が必要なレベルかを見極めることが重要です
見極めのポイントの一つは「自力で水を飲めるかどうか」というのはホント?ウソ?

(1)ホント
(2)ウソ

正解は、(1)ホント です。
 日本救急医学会では熱中症を重症度でI度、II度、III度に分類しています。

I度は意識障害がなく、応急措置と見守りで済むレベル。
II度は集中力や判断力の低下が見られ、医療機関の受診が必要なレベル。
III度は特に症状が重く、入院が必要なレベルです。

 「一般の人はI度とII度を見分ける知識が求められる。
ポイントは意識の有無と、自力で水を飲めるかどうか。
ペットボトルなどを容器ごと手渡して、一人で水を飲めるかを確認してください。
うまく飲めなければ意識障害があるII度ということ。
すぐに医療機関に連れていきましょう」と帝京大学医学部救急医学講座の三宅康史教授は言います。

■応急措置は「FIRE」(炎)と覚える
熱中症の応急処置.jpg
 応急措置については、「FIRE」というキーワードを覚えておくといざという時に役立ちます。
F(Fluid)は水分補給、
I(Icing)は冷却、
R(Rest)は安静、
E(Emergency)は119番通報です。

「意識がもうろうとしていたら、すぐに救急車を。
その場合は逆から、つまりE、R、I、Fの順番で応急処置をしてください。
意識がない場合、無理に水を飲ませてはいけません」と三宅教授はアドバイスします。

■死亡者のうち、8割は「非労作性熱中症」
 ちなみに、熱中症は大きく2つに分けられます。
炎天下など気温が高い中で体を動かすことで起こる「労作性熱中症」と、
体を動かさなくても起こる「非労作性熱中症」です。

 前者は若者から中年が起こしやすく、圧倒的に男性が多いのが特徴。
一方、後者は高齢者に多く見られるタイプで、男女差はありません。
また、発症しても治療すればすぐに回復する労作性熱中症に対し、「非労作性熱中症は予後が悪く、熱中症による死亡者の8割はこちらのタイプです」と三宅教授は指摘します。

 非労作性熱中症の典型例は、下記のようなケースです。
【78歳女性・老老介護中:】
脳梗塞で寝たきりになっている81歳の夫を一人で介護していた。
本人のパーキンソン病も進行していた。
エアコンは嫌いなので使わない。
梅雨明けで暑さの続く7月下旬、夕飯の準備をしているときに倒れる。
数日後、連絡が取れず心配して訪ねてきた娘が発見。
室内はサウナのような状態で、夫婦ともに熱中症になっていた。

 「老老介護の場合、介護しているほうが熱中症で倒れると、介護されているほうも熱中症になってしまう。
特に梅雨明けの7月下旬は一気に熱波が来るにもかかわらずまだ体が暑さに慣れておらず、最も熱中症を起こしやすい時期」(三宅教授)というので、注意しましょう。

 なお、環境省では熱中症の基本情報、予防法、応急措置などをまとめた「熱中症環境保健マニュアル 2018」( http://www.wbgt.env.go.jp/heatillness_manual.php )を出しています。
環境省のホームページから無料でダウンロードできるので、万一の場合に備え、一度は目を通してください。
(日経Gooday編集部)
[日経Gooday2017年7月10日付記事を再構成]
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2018年07月16日

眠気が取れない人は要注意!約5%の人がかかる「睡眠時無呼吸症候群」

眠気が取れない人は要注意!
約5%の人がかかる
「睡眠時無呼吸症候群」
2018/07/14 AllAbout 坪田 聡(医師)

睡眠時無呼吸症候群は、100人中2〜7人に該当するものの、適切な治療を受けている人は少ないと考えられている病気です。

「睡眠中に呼吸が止まっていることがあると言われた」
「いびきをかき、十分眠っても眠気が取れない」という人は、この病気かチェックしてみましょう。
睡眠時無呼吸症候群のメカニズムと大まかな種類について医師が解説します

睡眠時無呼吸症候群とは……

21世紀の国民病・その症状
睡眠時無呼吸症候群とは、眠っている時に呼吸が止まる「無呼吸」症状や、呼吸の回数が減る「低呼吸」が原因で睡眠障害が起こってしまう病気です。
実際には睡眠の質が下がっているにも関わらず、診察に訪れる患者さんの多くが自分の睡眠不足を認識しておらず、日中、知らないうちに居眠りしてしまうことも問題です。

もしあなたが家族やベッドパートナーから、「眠っている間に呼吸が止まっているよ」と言われたことがあったり、いびきをかく癖があり、眠っているつもりなのに眠気が取れないような場合、この「睡眠時無呼吸症候群(SAS)」の可能性があります。

睡眠時無呼吸症候群は「21世紀の国民病」と言われるほど、多くの人がかかっている病気ですが、適切な治療を受けている人はまだ少ないのが現状です。

100人中2〜7人は睡眠時無呼吸症候群
2003年2月26日、乗客約800人を乗せ、時速270kmで走行中の山陽新幹線ひかり号運転手が眠り込んでしまい、岡山駅を通り過ぎそうになってしまうという事故がありました。
その後の調査で、これが単なる居眠り運転ではなく「睡眠時無呼吸症候群(SAS)」が原因だったと分かり報じられたことが、この病気が広く知られるようになったきっかけだったように思います。

日本での調査によると、睡眠時無呼吸症候群の患者さんは男性の3〜7%、女性では2〜5%もいると報告されています。
このことから日本には睡眠時無呼吸症候群の人が500万人もいると推定されています
このうち、治療が必要なのに受けていない患者さんが300万人以上いるともいわれています。

性別では、男性は女性の3〜5倍も睡眠時無呼吸症候群になりやすく、しかも軽症例に比べて重症になると男女比が拡大します。
男性では患者さんの半数以上を40〜50歳代が占め、女性では閉経後に急増するのも特徴です。

睡眠時無呼吸症候群の3タイプ
・最も多いのは気道閉塞タイプ
睡眠時無呼吸症候群は、大きく3つにタイプに分類されています。

■ 気道閉塞型の睡眠時無呼吸症候群
鼻あるいは口から肺に至るまでの空気の通り道である気道の一部が、狭くなったり詰まったりして、一時的に呼吸できなくなるタイプ。
外来で診る患者さんの中でも、このタイプが最も多いです。

■ 中枢型の睡眠時無呼吸症候群
脳にある呼吸中枢の働きに異常が起こり、呼吸に関する筋肉に指令が届かなくなって呼吸できなくなるタイプ。
脳血管障害やうっ血性心不全、高山病などが原因の睡眠時無呼吸症候群もこのタイプに含まれます。

■ 混合型の睡眠時無呼吸症候群
1回の無呼吸発作の中で、中枢型に引き続いて閉塞型が起こるタイプ。

閉塞性睡眠時無呼吸症候群は、生理的な原因と鼻や喉の形態異常の2つが重なり発症します。
眠ると筋肉の緊張が解け、体はグッタリとしますが、これは喉の周りや舌の筋肉も例外ではなく、起きている時に比べて睡眠中は気道が狭くなりがちです。
また、仰向けで寝ると重力の関係で、舌がノドに落ち込みやすくなります。
健康な人なら、睡眠中に起こる生理的な変化だけでは軽いイビキをかく程度でしかありません。
しかし、アレルギー性鼻炎や慢性副鼻腔炎などの鼻の病気や扁桃腺の肥大、肥満、顎が小さいなど形の異常があると、気道が閉塞しやすくなり無呼吸に陥ってしまうのです。
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ブラック校則問題で裁判所がお茶を濁す事情 人権を侵害し尊厳を踏みにじる「学校の常識」

ブラック校則問題で
裁判所がお茶を濁す事情
人権を侵害し
尊厳を踏みにじる「学校の常識」
2018/07/16 東洋経済(前川 喜平 前文部次官 )

 近年「ブラック校則」という言葉をよく聞くようになった。
生徒が自らの意思で自由に装ったり、行動したりすることを、合理的な理由なしに制限する理不尽な校則のことだ。

 最近多くの人を驚かせた事件といえば、2017年に明るみに出た大阪府立高校の頭髪指導だ。
 生まれつき茶色い髪の女子生徒に対し、「生徒心得」を理由に髪を黒く染めるよう求め、それを怠ったとして授業を受けさせなかったり修学旅行に参加させなかったりしたというのだ。
このためその生徒は不登校になってしまった。
 これは明らかに人権侵害だと言わざるをえない。

「自分がされて
いやなことはしない」だけで十分
 地毛の色が黒ではない生徒の髪を黒に染めるよう求める校則は論外だとしても、頭髪を染めることを禁じる校則は多くの学校に存在する。
さらに教師が「間違った」指導をしないよう、地毛が黒ではない生徒に「地毛証明書」を提出させる高校も多い。
 アルバイト禁止やバイクの免許取得禁止も、多くの高校が設けている校則だ。
さらに下着の色を白と指定している例や、休日の私的な外出の際の服装まで規制している例もあるという。

 2006年の教育基本法の改正によって、学校においては「教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずる」という文言が盛り込まれた(6条2項)。
いわば、校則の根拠規定のようなものが設けられたのだ。
 確かに、学校は児童・生徒と教職員がつくる1つの社会である。
そこには日々の生活があり、秩序の維持や利害の調整が必要になるだろう。

しかし「必要な規律」とはなんだろう。
事細かな決まりを定めることがどこまで必要なのだろうか。
 ドキュメンタリー映画『みんなの学校』の舞台となった大阪市立大空小学校では、児童が守ることを求められる「たった一つの約束」は「自分がされていやなことは人にしない、言わない」だ。
これ1つで十分なのではないか。

 教育基本法は「教育の目的」として「人格の完成」を掲げている。
人格は個人の尊厳に立脚して形成される。理不尽な校則を強いることは、子どもの個人の尊厳を踏みにじることにほかならない。
 児童の権利に関する条約12条は「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。
この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする」と規定している。

 髪型や服装の規制は明らかに「児童に影響を及ぼす事項」であり、子どもには「自由に意見を表明する権利」が認められなければならないし、その意見は「相応に考慮」されなければならない。
校則を一方的に押し付けていいものではないということは、児童の権利条約からも明らかだ。
 校則は、当事者である児童生徒の意見を聞きながらつねに見直されるべきものである。

しかし、実際に校則について児童生徒の意見を反映させようとする学校はほとんどないと言ってよい。

裁判所は生徒の訴えを認めなかった
 校則をめぐっては、これまでいくつもの訴訟が起きている。

 よく知られている古い判例としては、熊本県公立中学校丸刈り訴訟(1985年確定判決)がある。
 この裁判では、公立中学校で丸刈りを強いられた生徒側(原告)が、近隣の公立中学校に丸刈りの校則がないのに自分の通う学校では校則で強制されるのは、居住地等による差別であり、法の下の平等を保障する憲法14条に違反すると訴えた。
 また、法定の手続きによらない身体の一部の切除の強制は憲法31条(適正手続きの保障)違反、個人の感性、美的感覚あるいは思想の表現である髪型の自由を侵害したので憲法21条(表現の自由)違反だという主張も行った。

 しかし、熊本地方裁判所はこうした主張を認めず、「服装規定等校則は各中学校において独自に判断して定められるべきものであるから、……合理的な差別」であり、「髪型が思想等の表現であるとは(特殊な場合を除き)見ることはできず、特に中学生において髪型が思想等の表現であると見られる場合は極めて希有であるから、本件校則は、憲法21条に違反しない」と判示した。

 東京私立高校パーマ事件(1996年最高裁判決)は、東京の私立高校がパーマ等を禁止する校則に違反した女子生徒に対し「自主退学勧告」をした事件だ。
 生徒側(原告)は、髪型は美的価値意識と切り離せず、人格の象徴としての意味を有するから、「髪型の自由」は人格権と直結した自己決定権の一内容であり、憲法13条により保障された基本的人権だとし、その規制目的・規制手段の合理性・必要性は、規制する側が立証責任を負うと主張した。

 東京地方裁判所は、「髪型の自由は憲法13条によって保障される自己決定権の一内容である」ことは認めた。
しかし他方、私立学校には「私学教育の自由」があり、独自の校風と教育方針をとることができるとし、パーマを禁止する校則が髪型の自由を不当に制限するものではないと結論づけた。

学校の決断に任せ、裁判所は判断しない
 この事件は最高裁まで争われたが、最高裁もこの高校がその教育方針を具体化するものの1つとして校則を定め、パーマを禁止することは「高校生にふさわしい髪型を維持し、非行を防止するため」であることから、社会通念上不合理なものとは言えないと判示した。
 これらの判例をはじめとして、校則をめぐる裁判では、裁判所は学校側を勝訴させる場合が多い。
それはなぜだろう。

 かつて、憲法学説のなかに「特別権力関係論」というものがあった。
 国や地方公共団体の役所で働く公務員、罪を犯して刑務所に入れられている在監者、国公立学校の在学者など、国と特別な関係にある者に対しては、特別な規律が認められることから一般の法が及ばず、国は一般国民に対する場合よりも強い人権制限をしてもよいとする考え方だ。
 この理論は、現在ではほとんど支持されていない。

 特別権力関係論に代わって一定の支持を得てきたのは「部分社会論」だ。
自律的な団体の内部(部分社会)では、一般社会の規律とは異なる自律的な規律が認められ、そこには司法の審査権が及ばないとする考え方だ。
 学校がそういう部分社会だとすると、校則はその部分社会における自律的な規律だということになり、その是非については学校内部の判断に任せ、裁判所は判断しないということになる。

 校則は強制力を持つ規範ではなく、教育的な指導ないし教育的な配慮なのだから、学校に任せるべきものだという考え方もある。
単なる指導や配慮によって権利侵害が起きることはないので、司法の判断の対象ではないという理屈になる。
 いかなる理屈に拠るにせよ、理不尽な校則に対して、裁判所による救済がなかなか働かないという事態に変わりはない。

結局「特別権力関係論」と同じ結論になってしまうのだ。
「どうも裁判所は当てにならない」というのが、筆者の偽らざる印象である。
 裁判所による救済がなかなか働かないのなら、市民が代わって監視するしかない。

 NPO法人キッズドア理事長の渡辺由美子さんたちが発起人になり、「ブラック校則をなくそう!」プロジェクトを立ち上げた。
同プロジェクトでは「ブラック校則」を「一般社会から見れば明らかにおかしい校則や生徒心得、学校独自ルールなどの総称」と定義し、そうした理不尽な校則や運用方法を、時代に合ったルールにしていく議論を進めたいという。
歓迎すべき動きだ。

子どもたちの意見を聞くべき  理不尽な校則は、健全な市民感覚によってその見直しを求めていくのがいいと思う。
その際には、当事者である児童生徒の意見を幅広く汲み上げることも必要だろう。
 そういう議論を行うべき場は、学校制度の中にもともと用意されている。

 まずは教育委員会だ。
 公立学校を管理する教育委員会の委員は、本来普通の市民感覚を教育行政に反映させることが期待されている。
教育委員会の使命は「レイマン・コントロール(素人統制)」だといわれるゆえんである。
校則をめぐる問題は、教育委員会の場で委員同士で話し合うのに適した課題だと思う。
 また、保護者や地域住民が加わる学校運営協議会を置く「コミュニティ・スクール」では、学校運営協議会の議題として取り上げてもいいだろう。
 もちろん、PTAもそうした議論の場としてふさわしい。
 どこで議論するにせよ、校則のあり方について議論する場合には、児童会や生徒会の代表の出席を求めるなどして、当事者である子どもたち自身の意見を十分聞くことが必要だ。
 「学校の常識は社会の非常識」などと揶揄される事態を変えていくためには、そういう議論を積み重ねていくことが大事だと思う。
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2018年07月17日

値上げラッシュで悲鳴を上げる家計

悲鳴を上げる日本の家計…
品も電気代も値上げ
&賃金上がらず、
消費低迷が深刻化
2018.07.13 Business Journal

文=加谷珪一/経済評論家

 日本の消費が厳しい状況となっている。
賃金が上がらないことに加え、4月には多くの製品やサービスで値上げが実施されたことから、消費者が一気に節約モードに入っている。
 スーパーなど小売店のなかには、値下げに踏み切るところが増えており、一部からは脱デフレに逆行するとの声も聞かれる。
だが小売店が値下げをするからデフレになるという話は順序が逆であり、消費が弱いことが値下げの原因であり、それがデフレを引き起こしている。
消費を回復させる政策を実施しなければ、脱デフレは実現できないだろう。

今年に入ってさらに消費が低迷  
 総務省が6月5日に発表した家計調査によると、4月時点における実質消費支出(2人以上の世帯)は前年同月比マイナス1.3%の大幅な減少となった。
消費支出がマイナスになるのはこれで3カ月連続である。
 夏のボーナス前はやりくりが厳しくなるので、支出は抑制気味となることも多いのだが、昨年はプラスを維持する月が多かったことを考えると、今年に入って消費が大きく落ち込んだことは間違いない。

 消費が抑制された理由ははっきりしている。
収入が伸びないなかで物価が上昇したことで、実質的な購買力が低下したからである。

特に今年の4月は多くの商品やサービスで値上げが実施され、これが消費者心理をさらに悪化させた。
 減少した割合が高かったのは、光熱費(-5.6%)、教養娯楽(-3.8%)、衣類など(-2.5%)、交通費や通信費(-1.2%)となっている。
消費の最後の砦となっている食費も0.8%のマイナスである。

 通常、家計が苦しくなって支出を抑制する場合、交際費など必要不可欠ではないものからカットしていく。
次は、買い換えサイクルが長く、急に使えなくなるリスクが少ない衣類などが対象となる。
教養娯楽や衣類の減少率が高かったことを考えると、なんとか家計をやりくりしようとしている姿が想像できる。

 一般的に食費や光熱費のカットは最後の最後だが、4月には食費や光熱費のマイナスも目立った。
その理由は4月に多くの食品で値上げが実施されたからである。

ステルス値上げはもう限界  
 電力会社とガス会社各社は、原油価格の値上がりなどを受けて今年に入って連続で値上げを実施している。
値上げの話は何度も報道されているので、各家庭では省エネを強化した可能性が高い。
また昨年のヤマト運輸の値上げに続いて、今年は日本郵政がゆうパックの値上げに踏み切っており、これもジワジワと家計を圧迫しつつある。

 食品の値上げは昨年から続いているが、各メーカーは価格を据え置いて内容量を減らすという、いわゆる「ステルス値上げ」でなんとか誤魔化してきた。
しかし今年に入って原材料価格の値上げがさらに進み、価格の据え置きが難しくなっている。
4月に入ってインスタントコーヒーやビール、小麦粉、冷凍食品、菓子類など多くの食品が軒並み値上げとなり、これが消費を直撃した。

 スーパーなど小売店各社は警戒を強めており、相次いで商品の値下げに踏み切っている。
大手のイオンは昨年から値下げを敢行しており、その効果もあって2018年2月期の業績は好調だった。
 一連の動きに対しては、一部から脱デフレに反するとの声も聞かれる。
だが事業者が安値販売を行うことでデフレが進み、これが景気を悪くするというのは本末転倒な議論である。

景気が悪く、売れ行きが悪いので値下げせざるを得ず、結果として物価が下がっていくと考えるべきだろう。
以前、牛丼チェーンがデフレの元凶などといわれたこともあったが、値下げが景気を悪くするというのは完全な幻想である。  

日本のGDP(国内総生産)のなかで製造業が占める割合は大幅に低下しており、日本はもはや製造業の国ではない。
だが、現実の景気は製造業の輸出に大きく左右される。
ここ1〜2年、GDPの成長率が高めだったのは米国の好景気によって輸出が伸びていたからである。
 だがGDPの6割を占める消費は長期にわたって低迷が続いている。
モノづくりから消費経済に移行しているはずなのに、その肝心の消費が伸びていないというのが日本経済のリアルな現状といってよい。

消費が増えなければ景気は回復しない  
 消費が伸びない理由は、賃金が上がらない状態で物価だけが上昇していることである。
政府は毎年、経済界に対して賃上げを要請しており、経済界も渋々これに応じているが、今の状態でただ賃金を上げても問題は解決しない。
 最終的に賃金を決めるのは企業の生産性であり、生産性が向上しない状態で賃上げを行うと、それは物価を押し上げる効果だけをもたらし、実質値では何も変わらない。

 過去5年間で日本企業の総人件費は3.2%増加したが、同じ期間で従業員の平均給与はほとんど変わっていない。
つまり、従業員単体で見れば、ほとんど昇給が行われていないものの、従業員の数は増えており、企業が負担する総人件費は増大していることになる。
 つまり、日本企業の経営効率は悪化が続いており、生産性向上が期待できない状況となっている。
これでは賃金が上がりようがない。

多くの企業が人手不足という事態に直面しているが、一方で余剰な人員も多く抱えている。
つまり人材のミスマッチがあちこちで発生しており、これが賃金の上値を重くしているのだ。
 こうした状況を改善するには、日本企業の経営を根本的に変える必要があるが、今の日本企業にそうした変革を進めようという気概は見られない。
そうなってくると現状維持となる可能性が高く、結果として賃金も上がりにくい状況が続く。

 量的緩和策は市場にインフレ期待を生じさせ、これを設備投資に結びつけようという政策だったが、消費者のデフレマインドがあまりにも強く、思ったような成果を上げることができなかった。
 消費の低迷が、産業構造という根本的な部分に起因しているのだとすると、金融政策だけでこの状況を変えることは難しい。
結局のところ、消費を回復させられるのかどうかは、現状を変える決断ができるのかにかかっている。

ニュースサイトで読む:
http://biz-journal.jp/2018/07/post_24035.html Copyright c Business Journal All Rights Reserved.
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2018年07月18日

わずかでも苦難に寄り添おう

きょうの潮流
2018.7.16 しんぶん赤旗
tanuki06.gif
「暑」には、日光の熱が集中するという意があります。
太陽や火を表す「日」と「煮」の原字である「者」から成り、かまどで火をたくような「あつさ」が語源には含まれています

▼猛暑、酷暑、大暑、炎暑、甚暑、極暑―。
暑のほどを表現する言葉は数ありますが、身の危うさまで感じるこの暑さを何と。
すでに30度超えは当然、40度に迫る地域も。
熱中症への警戒や対策もこれまで以上に心がけなければ

▼3連休中、西日本豪雨の被災地にはボランティアが続々と駆けつけました。
がれきの撤去や土砂のかき出し、片付けや手伝い。
少しでも力に、自分にできることがあればと、暑熱ともたたかう懸命な作業にこぼれる汗をぬぐっています

▼現場の混乱や熱中症の恐れもありますが、被災者からは感謝の言葉が尽きません。
荒廃した地にひろがる人のぬくもり。
それは、いつわが身に災害が降りかかるやもしれぬ国で培ってきた支援の輪、心の絆なのかもしれません

▼一方で政権の災害にたいする危機意識は薄く、被災者には冷たい。
安倍首相ら幹部が笑顔で酒席を催していた初動はもちろん、被災地の視察後に首相が国会で最初にやろうとすることがカジノ法案とは。
どこまで被災者に背を向けるのか

▼犠牲となった200人をこえる命。
ふるさとや暮らしを失った苦しみや絶望感。
生活再建への長い道のり。
アベ政治の非道さがここにも露骨に現れるなか、
わずかでも苦難に寄り添おうとする人びとの姿はこの国に希望の光をともしています。
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2018年07月20日

災害よりカジノ優先の安倍に山本太郎が激怒!

カジノ法案強行採決!
山本太郎が安倍政権の
被災地無視に吠えた!
「誰のために政治をやっているんだよ!」
2018.07.19 リテラ編集部

安倍首相は豪雨災害対応に「全力」を上げていると言うが、この現実はどうだ。
いましがた、安倍政権が災害対応よりも優先させてきた「カジノ法案」ことIR実施法案を、参院内閣委員会で強行採決したからだ。
 野党は今後、内閣不信任決議案を提出する予定で最後まで徹底抗戦の構えをみせているが、他方、この動きには「こんな非常時に内閣不信任決議案を出すなんて野党は非常識」などと批判する声も出ている。

たとえば、自民党の石原伸晃議員は15日、Twitterでこうつぶやいていた。
〈政府が豪雨災害に対処しているこの最中に、野党が内閣不信任決議案を提出するという動きがある。
粛々と否決するのみだが、さすがにこのタイミングで不信任案を出すその見識は疑わざるをえない。
野党が優先したいものとは一体何なのか。〉

「野党が優先したいものは何か」だって?
 見識を疑うのは与党の対応のほうであり、非常識は一体どっちだ!という話だ。

 これまで野党6党派は「豪雨災害対応に集中すべき」と申し出てきたが、これを与党は完全に無視。
カジノ法案を審議する参院内閣委員会の開催を委員長職権で決定しつづけ、被災地復旧のため陣頭指揮に立つべき石井啓一国土交通相をカジノ解禁のための審議に張り付かせるという信じられない対応をとってきた。
そのせいで、同委員会が開かれた10日には、広島県府中町を流れる榎川の氾濫を、石井国交相が「昼間のニュースで知った」と答弁するという情けなすぎる一幕もあったほどだ。

 しかし、そうしたなかでもカジノ法案に反対する野党議員らは、カジノの話題に終始する与党議員を尻目に、災害対応について質問を繰り出してきた。
なかでも、自由党・山本太郎議員が石井国交相に提案した小型重機の被災地配備はすぐさま実現した
 つまり裏を返せば、カジノ審議を優先させたことは、あきらかに災害復旧の足を引っ張ってきたのである。
これのどこが「全力」だと安倍首相は言うのだろう。

 そもそも、「全力」だというのであれば、野党6党が国会に提出している「被災者生活再建支援法改正案」こそ、すみやかに成立させるのが筋だ。
この改正案は今年3月に提出されたもので、被災世帯への支援金の上限300万円を500万円に引き上げ、支給する対象も拡大しようという内容で、まさにいま国民が国会に求めている法案審議と言えよう。
 なのに安倍政権は、そうした被災者を支援するための法案審議もせず、カジノ審議を続行。
しかも、だ。きょう午前の参院内閣委員会で、石井国交相は被災地対応にもやる気のない態度を見せたのだ。

 たとえば、山本議員はこれまで、全国のパッカー車(ゴミ収集車)で余力のあるものを被災地に集中させることや、自衛隊所有のキッチンカーの避難所への派遣など関係閣僚へ要請するよう求めてきた。

だが、石井国交相の返答は「関係閣僚に話をする機会はなかったが、関係省庁には伝えた」
「関係各省が判断すると思う」というもの。
関係閣僚の会議はあるのに、直接閣僚に伝える気はない、と繰り返したのだ。
 この石井国交相のあまりに無責任な姿勢に、
山本議員は「なんなんだよそれ? カジノでもろくな答弁してないのに、災害でもろくな答弁しかできないのか!」と怒りを爆発させた。

被災地無視の安倍内閣に山本太郎が吠えた!
「誰のために政治をやっているんだよ!」
「初動が遅かったじゃないか、確実に政府は! 嘘でもいいから安心させろよ、被災者を!」
「(与党席からの「失礼だよ!」のヤジに)失礼なのはどっちだ! もともとこの委員会が開かれていること自体がおかしいじゃないか!」
「『(関係省庁には)もう言ったから』で終わり。

それで済むんだったら、大臣は石井大臣じゃなくてもいいですね。
総理大臣はあの方じゃなくてもいいし、内閣はいまの内閣でなくてもいいですよ、そんな仕事で済むんだったら。
心を込めて仕事をしてくれよ! 税金で食べてんだから! 心からお願いしてんですよ、こっちは!」
「誰のために政治をやっているんだよ!
 所管じゃなくても、ちょっとぐらい省庁が力あわせてがんばったらできることぐらい実現させてくださいよ!」

 避難勧告・指示が十数万人に出されている最中に安倍首相が「赤坂自民亭」に参加してどんちゃん騒ぎを繰り広げただけでなく、8日まで非常災害対策本部の設置もせず放置するなど、今回の西日本豪雨は安倍首相の初動の遅れが際立っている。
この初動がもっと早ければ救えた命があったかもしれないのだ。
 しかし、そのことへの反省は微塵もなく、最優先すべき被災者支援の議論はそっちのけで、カジノ法案の審議を推し進めてきた。
そして、いま成立しなくても誰も困らないカジノ解禁のための法案を強行採決したのである。
これはもうはっきり言って、「国民見殺し政権」と呼ぶべきだ。

 安倍応援団や冷笑主義者からの「災害時で内閣不信任決議案を出すとは野党は不届き者」などという現実を見ない不当な批判など、野党は無視をすればいい。

実際、カジノ法案の強行採決直前、参院内閣委員会では、山本議員が西日本豪雨における死亡者と行方不明者の年齢やどこで被災したのかなどを丁寧に読み上げ、初動対応への批判と冷酷な法案審議の実態、安倍政権の欺瞞を、委員長に強制的に止められるまで訴えつづけた。

安倍政権がいかに国民の生命を守る気がないか本会議でもしっかり強調し、野党には徹底抗戦してもらいたい。
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2018年07月21日

傲慢でぶれない自民党と公明党 国民のことは考えていない

室井佑月の「嗚呼、仰ってますが。」
傲慢でぶれない自民党と公明党
国民のことは考えていない
2018年7月20日 日刊ゲンダイ

「(中略)命より利権、人々の生活より博打解禁、被災地域よりアデルソンやトランプへの貢ぎ物、まったくぶれない身勝手な政治姿勢!」(自由党共同代表・山本太郎)
 これは12日の参議院内閣委員会での太郎ちゃんの発言。

 野党は早くから、国会で「法案審議を後回しにし、とにかく災害対策を優先しよう」と言っていた。
けれど、自民党と公明党は聞く耳を持たないのだった。
なにがなんでも、カジノ法案と水道民営化法案と参院6増法案の審議を進めていく。

 カジノを作って、外国人客を呼び込むといった嘘はもうバレている。
見込み客の8割は日本人。
儲けの7割は、トランプ大統領のスポンサー、サンズのアデルソン会長の懐に入ることも分かっている。
 やっぱ、あれか?
 7月19日号の週刊文春に「安倍政権中枢へのカジノ『脱法献金』リスト」って記事が載っていたが、そういうことが理由なんか?
 政治資金規正法で外国企業からの寄付は禁止されているが、安倍政権にルールなんてないからさ。

 米国に逆らえないといった理由だけじゃないじゃん。
自分らもちゃっかりおこぼれをもらっておる。
とんだ売国だ。

 バカのひとつ覚えのように、なんでもかんでも民営化ってどうなのか?
 民営化することにより、水道代が高くなり、止められる家庭が続出したらどうする?
 水は命に直結している。こういうところこそ、国が守らなきゃダメだろう。

 なんで今、国会議員を増やさなきゃなんないの? 
西日本の水害で分かったろ? 
天災に備えることが必要だって。
それには莫大な金がかかるし、今回、被害に遭ってしまった方々が、平穏な日常を取り戻すにも金がかかる。
今はそれどころじゃない。

 つくづく思う。傲慢な自民党と公明党は、国民のことなんて考えていない。
考えているのは、自分と自分の仲間のことだけ。
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2018年07月22日

くりぃむ上田が赤坂自民亭を一刀両断!

くりぃむ上田晋也が
安倍首相の赤坂自民亭を一刀両断!
「えひめ丸事故の森首相と同レベル」
「大阪の地震でも食事会」
2018.07.21 リテラ編集部

 高プロ、参院定数6増に続いて、国民の大半が反対しているカジノ法案も今国会で成立してしまった。
豪雨被害そっちのけでカジノ法案まで強行するとは……その国民不在の姿勢にはもはや言葉もないが、こんな暴挙が許された最大の原因は、マスコミがこの間の安倍政権の災害対応をほとんど批判しなかったからだ。

 とくに、今月5日、安倍首相と小野寺五典防衛相が対策をほったらかして「赤坂自民亭」のどんちゃん騒ぎに参加していた問題は、数日間、TBSの一部の番組をのぞいて、全く報道されなかった。
 野党が国会で追及し始めた10日頃からようやく、他局も報じ始めたが、申し訳程度に「野党が批判している」とか「ネットで非難を浴びている」と紹介しただけ。
メディアがきちんと批判する姿勢は全く見せなかった。

 モリカケで一時弱まったかに見える安倍政権忖度が完全に復活している印象だが、そんななか、安倍首相に対して、敢然と批判の声を上げた大物芸能人がいる。
それはくりぃむしちゅーの上田晋也だ。
あまり政治的な話に踏み込むイメージのない上田だが、7月14日に放送された『上田晋也のサタデージャーナル』(TBS)でこう語った。

「以前、えひめ丸の事故のとき、森喜朗首相がゴルフやってて退陣まで追い込まれたじゃないですか。
僕はまったく同レベルの話だと思うんですよ」
 この日の『サタデージャーナル』は、「政治家としての“感覚”を問う 災害対策は? 豪雨の夜に“赤坂自民亭”」と題し、ジャーナリストの龍崎孝、元衆議院議員の金子恵美、脚本家・CMディレクターの大宮エリーをパネラーに迎えて安倍首相らの赤坂自民亭参加について議論が行われた。

 批判の口火を切ったのは、大宮エリーだった。
「気象庁が発表した時点で動いてなくちゃいけないわけじゃないですか。
リーダーシップをとって。
国が一番最初に情報を掴んでなくちゃいけないのに、結局その時点ではこんなになるとは思わなかったって発言があったりとかして、怒りを通り越して呆れているというか悲しい」
「全然学習してないし、どんどんひどくなってる。
信じられるか、られらないかだと、もう信じられないし、辞めてほしい。
首相って、国を守る人じゃないですか、普通はあの時間にもっと打ち合わせしてなくちゃいけないじゃないですか、もしくは、もう打ち合わせ終わって飛び散ってなくちゃいけないのに、宴会してるっていうのが、もう言葉がない」
 もう信じられないし、辞めてほしい──。
まさに大宮の言う通りだろう。

さらに、番組では、赤坂自民亭の様子を説明するくだりで、岸田文雄政調会長が地元広島の日本酒「賀茂鶴」を差し入れ、また、安倍首相は地元山口の「獺祭」を差し入れたため、参加者は「どっちを飲むんだ?」とプレッシャーをかけられながらも、どちらの酒も美味しく飲んだという解説がなされる。

すると、その言葉を受けて上田はこう切って捨てた。
「どうでもいいですしね、本当に。
そんなどころじゃないよっていう話なんですけれども」

 そして、上田は大阪の地震のときの対応も引き合いに出しながら、こう語ったのである。
「先日の大阪の地震のときもね、安倍総理と岸田さんお食事会してらしたわけでしょ。
で、今回のコレでしょ。
僕はね、以前、えひめ丸の事故のとき、森喜朗首相がゴルフやってて退陣まで追い込まれたじゃないですか。
僕はまったく同レベルの話だと思うんですよ」

 えひめ丸の事故というのは、2001年2月、愛媛県立宇和島水産高等学校の漁業練習船えひめ丸が、浮上したアメリカ海軍の原子力潜水艦グリーンビルと衝突して沈没。
この事故により、えひめ丸に乗っていた高校生ら9名が死亡したが、森喜朗首相(当時)は事故の連絡を受けたにもかかわわらず、休暇中に訪れていたゴルフ場から動かなかったことで猛批判を浴び、退陣に追い込まれた。

 上田は国民の命が危険に晒されているのにも関わらず、自民党の仲間内で宴会を優先させる安倍首相の姿勢はこのときの森首相と同じ、つまり、安倍首相の行為も退陣に値すると批判したのだ。
この間、さまざまな評論家やコメンテーターたちが「赤坂自民亭」についてコメントしていたが、ここまで踏み込んで正論を吐いたのは、上田だけだろう。

くりぃむ上田が安倍政権の言い訳に「国民に響くものはなかった」
「誤解じゃないし」
 しかも、上田の批判は、赤坂自民亭が問題になった後の、安倍首相ら参加者の言い訳にも向けられた。
「いろんな釈明がありましたけれども、我々国民に響くようなものはないと言いましょうかね。
いつもそうですよね。
世間が怒ったから、取り敢えずかたちだけ謝っておこうっていうような、芯から感じているというふうには思えないんですよね」
 そのうえで、番組が取り上げたのが、赤坂自民亭の様子をツイートした西村康稔官房副長官の「誤解を招いた」発言だった。
 これについても、上田は番組のなかで「えっ? 我々が誤解してたの? 誤解じゃないと思うんですけどね。
間違えて解釈したこっちが悪いんだといわれてる気もするし」とコメントした。

 ふだん、政治的な発言をあまりしない印象のある上田がここまで辛辣な安倍批判をしたというのは、やはり、今回の安倍政権の対応について相当な怒りを抱いたということだろう。
 実際、それも当然で、安倍政権の対応は本当に酷いものだった。
安倍首相は気象庁が異例の会見を開いて「厳重警戒」を呼びかける中、赤坂自民亭の宴会に率先して参加しただけでなく、被害がどんどん拡大し始めたその翌日もたった15分しか会議をせずにさっさと私邸に帰ってのんびり過ごしていた。

 しかも、ひどかったのが言い訳だ。
安倍首相は宴会の直後、自らマスコミに上機嫌で「和気あいあいだった」と答えておきながら、国会で追及されると、西村同様「ツイートが誤解を招いた」などとまるで宴会がなかったかのような嘘を吐いた。
また、小野寺防衛相は「赤坂自民亭からずっと指示を出していた」と言い張ったが、防衛省内部の証言で「指示がなかった」ことが明らかになっている。

 これらは、上田が引き合いに出した「えひめ丸事故」のあとの森喜朗と同じく、即刻、退陣につながってもおかしくない失態だろう
 しかし現実は、そうはならなかった。
それどころか、本来であれば豪雨災害に専念させるべき石井啓一国交相にカジノ法案の審議に出席させ、被災者おざなりを続けたのである。
そして、そのまま冒頭で言ったように、カジノ法案を成立させてしまった。
 もはや、やりたい放題であり、民主主義が死に瀕しているともいえる異常事態ではないか。

 上田は番組終盤、「こういった時こそね、本当に政治家としての資質が問われるんじゃないかと思うんですがどうでしょうか」と言っていた。
 これまで目立って政権批判をしていなかったくりぃむしちゅー上田までが怒りの拳をあげた、安倍首相の暴挙。これでも他のマスコミは黙ったままでいるのだろうか。
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「校外学習」「エアコン設置」など問題は山積み!? 学校の猛暑対策に改善を求める声多数

「校外学習」「エアコン設置」など
問題は山積み!? 
学校の猛暑対策に
改善を求める声多数
2018.07.19 STANDBY

連日猛暑が続く日本列島。
7月17日には愛知県豊田市の小学1年生男児が、学校近くの公園で行われた校外学習から戻った後、教室で意識を失い、搬送先の病院で死亡した。
死因は熱射病だという。
この痛ましい事故について、ネット上では様々な意見が寄せられている。

Twitterでは、 “熱中症で小学1年生死亡って可哀想すぎるだろ… てか、まずまずこんな暑い中に校外学習するのもおかしくない?”(原文ママ)
“もうさ、この暑さで外で体育やら校外学習やら辞めてあげてー
危険とか命に関わる気温とか言って子供達には外でさせるっておかしい!早く新しい基準作ってあげたら、先生たちも中止とか決めれるのにね。
“子供の体感温度35℃以上になったら小学校の校外学習は自粛でいいのでは。
プール学習には最低水温の基準があるのに、こういうのも気候変動に合わせて見直す必要があると思うな。” など、
熱中症、ひいては命の危険があることを知っていながら、猛暑の中で校外学習を実施することに疑問を抱くとともに、「気温が○℃を超えたら、校外学習は実施しない」などの明確な基準が必要だとの指摘が相次いだ。

また、ネット上で話題となっているのが、公立小中学校の教室におけるエアコン設置率だ。
文部科学省が2017年6月に発表した公立学校施設の空調(冷房)設備設置状況調査によると、全国の公立小中学校における普通教室の空調(冷房)設置率は49.6%だった。
全国の公立小中学校の約半数の教室に冷房が設置されていないという現状について、Twitterでは、 “公立の小中学校全てにエアコン設置するのなら喜んで1万円くらい寄付できる
いずれ自分の子供が通う学び舎でどんな季節でも快適に勉強できるのならこれくらい安いと思う”
“公立小中学校にエアコン設置されるのは理想だけど、かなりの費用がかかるんだね。
国が費用負担するか、 それが駄目でも、国が無利子で自治体に融資する制度を作ってもいいんじゃないか?” と、エアコン設置にかかる莫大なコスト、財源の捻出など課題があることを理解しながらも、公立小中学校の教室にエアコンを設置するべきとの意見が多かった。

かつては、小中学校の教室にエアコンがないのは当たり前だったかもしれないが、ここ数年、熱中症で死者が出たというニュースも毎年耳にするようになり、エアコンの必要性は疑いようがないだろう。
今後、公立小中学校の教室でのエアコン設置率が高まることを願うばかりだ。
(小浦大生)

■関連リンク
・猛暑:校外学習の小1男児が熱射病で死亡 愛知・豊田 – 毎日新聞
・公立学校施設の空調(冷房)設備設置状況の結果について:文部科学省 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/29/06/1386475.htm
・「小中学校 エアコン」での検索結果 – Yahoo!検索(リアルタイム)
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2018年07月23日

高額出演ギャラで寄付金を集める「24時間テレビ」

高額出演ギャラで寄付金を集める
「24時間テレビ」
2018年07月22日BLOGOS(渡邉裕二)

「テレビ離れ」のなか昨年は高視聴率を記録

今年も「24時間テレビ」の時期になった。
日本テレビが系列局を巻き込んで大騒ぎするチャリティー番組のことである。
今年で41回目になるという。
ただ、ここで何だかんだ言っても、41年間も続けてきたことは評価出来ることだし、ある意味では「本物」なのだろう。
昨年は40回目で節目≠セったことも盛り上がるキッカケになったと思われる。

前回は「告白 〜勇気を出して伝えよう〜」)をテーマに掲げて放送したが、平均視聴率は18.6%だった。
しかも、その占拠率は42.4%。
同局によれば「24時間テレビ初の40%超え」と言う。
もちろん、それは東京だけではない、大阪、中京、福岡、札幌など全国主要11地区でも軒並みトップの視聴率となり、日テレの営業担当者もCMセールスを聞かれ「お陰様で過去最高でした」。
それだけではない。
「昨年は1年間の寄付金の総額が6億9915万3512円でした。
これにより40年間の寄付金の累計額は、372億5395万5817円になりました」。

昨今は視聴者のテレビ離れ≠ェ大きな話題になっているが、この「24時間テレビ」の盛り上がりを見ていると、そんな様子が全く感じられない。
ある意味で「継続はパワー」であることを実感させられたが、日テレにしたって、ここまでドル箱≠ノなった「24時間テレビ」をやめられるはずがない。

豪華出演陣で24時間テレビは
             もはや「日テレ夏祭り」
今年も「人生を変えてくれた人」をテーマに8月25日から26日に放送する。
メイン・パーソナリティーは相変わらずジャニーズのメンバーでSexy Zoneだ。
ただ、他にもパーソナリティーといわれるタレントがいて、番組パーソナリティーにサンドウィッチマン、チャリティー・パーソナリティーには木村佳乃、そしてスペシャル・サポーターとして南原清隆、坂上忍まで…。

それだけでは「華やかさに欠ける」とでも思ったのか、初めて「応援団長」なんていう役割まで登場、それを出川哲朗が務めることになったという。
さらに、24時間テレビサポーターとして徳光和夫、総合司会に羽鳥慎一、水卜麻美…。
いやいや、ここまで名前が連なってくると、誰が何をやるのか全くわからなくなってくる。
まるでチャリティーの冠をつけた日テレ夏祭り≠ニ言ったところ。

それにしても、これを見ていると日本人というのが、いかにチャリティー好きかというのが分かる。
特に今年は、テーマが何であれ、7月の広島や岡山、愛媛など西日本を襲った豪雨被害もあるから、余計にこういったチャリティー番組が際立つように思える。
しかし、よくよく考えてみると、「24時間テレビ」というのはサブタイトルで「愛は地球を救う」としている通り、単に感動やチャリティーを押しつけているだけのなんちゃって番組≠ナあることは確かだろう。

冒頭で本物≠ニ記したが、やはり偽善%Iな番組としか見えない。
もちろん、視聴者の中には「こういった番組があってもいい」「こういったチャリティー番組もあってもいい」など、肯定する声もあるだろう。
常日頃、くだらない番組を見させられている視聴者にとっては「意味のある」企画なのかもしれないが、こんなチャリティー番組が公共の電波を使って成立するのは、世界の中でも日本だけだろう。

チャリティーだから高額ギャラをいただきます
実はかつて、私もこの「24時間テレビ」の制作に絡み、協力したことがあった。
地方の主要局だったが、そこで知ったのは、出演者が高額なギャラを請求することだった。
「チャリティーだから積極的に協力させていただきます」 なんていうのは、実は表向き。タレントも所属事務所も 「自分が出演することでお金(寄付金)が集まるんだから、これは営業。
当然、放送ギャラではなく営業ギャラで頂きます」 と、大して売れないジャリタレでも通常の数倍、これが司会なんかに起用されるようなものなら数百万円のギャラを要求してくるのである。
信じられない。

もちろん、「そんなことはない」と否定するタレントや所属事務所もあるだろう。
十把一絡げに言ったら誤解も生じるだろうが、ただ大多数は「営業ギャラ」で出演していることは間違いない。
東日本大震災、熊本地震、そして今回の豪雨被害…。
被災地に寄付をしたり、ボランティアで行ったりするタレントも多い。
東日本大震災でAKB48グループなどは、それぞれ別れて被災地に行ったりしていたし、ジャニーズのメンバーにしても積極的に被災地のイベントに出たりしていた。
このように個々では積極的なのだが、なぜか「24時間テレビ」になると意識が変わってしまうようである。
不思議である。

こんなこともあるようだ。
例えば、タレント側から「チャリティーだから、出演料はノーギャラでいい」と言われたら、困るのだという。
出演ギャラはしっかり貰ってもらわないと、他の出演者や所属事務所に影響するからだ。
もしかしたら「誰々はノーギャラなのに…」なんて言われかねない。
「ウチの出演料はチャリティーに回して」というのも同じだ。
実際に、大物のお笑いタレントの中にはいるらしく、結局は「出演しなくなった」とも。
要は、チャリティーと言ったら聞こえがいいが、実態は立派なビジネスだってことである。

そう考えたら「24時間テレビ」というのは、タレントにとっても所属事務所にとっては1年に一度の稼ぎ時なのだろう。
とは言っても、すでに40年間で372億5395万5817円という巨額の義援金を集めていることも事実で、実績を残してきたわけだし、その部分では評価できるが、問題なのは日テレ。
単に時間と企画を提供しているだけで、その制作費や運営資金は全てスポンサーで、肝心な寄付金は視聴者。
しかも、その寄付金の使い道も日テレで決めるなんて、あまりにも都合がよすぎないか?
日テレも系列局を含め、放送利益から経費を除いて1億円ぐらい寄付しますって公言したっていいはずだ。
どうにも釈然としない。

猛暑のなか行う「24時間マラソン」も
チャリティーのため?
それと、もう一つ。
「24時間テレビ」といったら、今や看板は「24時間マラソン」である。
このマラソンは、出演料が一説には1000万円とも言われ、事務所にとっては大きな魅力の一つになっているだろうが、やるにはリスクが大きい。
きっと事務所はやらせたいだろうけど、やるのはタレント本人である。
「ぜひ、やらせてください」なんて簡単には言えない。
今年は、みやぞんがチャレンジするとしう。
しかも、例年とは変えてマラソンだけではなく、水泳や自転車も加え、トライアスロン形式で繰り広げていく。
まるでテレビ版の「ユーチューバー」みたいである。

挑戦することでネットアクセスを上げるんじゃなく、視聴率アップのために…。
テレビも視聴率のためなら、何でもアリってことなのだろう。
しかもこの殺人的な暑さが続いている中でだ。
もちろん8月下旬の気温がどうなっているか分からないが、正直言って、これがチャリティー番組なのか?と疑問を抱いてしまう。

振り返れば11年前の2007年の「24時間テレビ」もそうだった。
萩本欽一が70キロを走ったが、この時も記録的な暑さで、岐阜・多治見市と埼玉・熊谷市では40.9度をマークした。
74年ぶりの記録更新と騒がれたものである。
今年は、多治見で40.7度を記録したが、どちらにしても、そんな気候の中で一体「24時間テレビ」は何を見せたいのか理解できない。

しかもこれを、テレビ局ばかりか視聴者までもが「感動」とか「チャリティー」なんて言っているのであれば、もはや視聴者の方も感覚が麻痺しているとしか思えないのだが…。
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2018年07月24日

内閣支持率が軒並み急落 驕れる安倍政権に国民の怒り爆発

内閣支持率が軒並み急落
驕れる安倍政権に国民の怒り爆発
2018年7月23日 日刊ゲンダイ

 カジノ、参院定数増、災害対応で、浮かれ安倍内閣に国民の怒りが爆発だ! 

先週末に行われた報道機関による各種世論調査で、安倍内閣への批判が広がっていることが分かった。
 日本経済新聞が20〜22日に行った世論調査で、安倍内閣の支持率が前回6月調査の52%から7ポイント下落して45%に、
不支持率は5ポイント上昇して47%となり、2カ月ぶりに不支持が支持を上回った。

 西日本豪雨による大災害が発生している最中に強行採決された「カジノ法」について「賛成」が27%に対し、「反対」は60%に上った。

 同様に強行採決された「参院定数6増法」についても「賛成」28%、「反対」56%と、反対が過半数を占めた。

さらに「西日本豪雨への政府の対応」については「評価しない」が46%で、「評価する」の39%を上回った。

 気象庁が豪雨への対応を呼びかけているのに、安倍首相や小野寺防衛相らが議員宿舎で宴会を開いていたことや、災害対策担当の石井国交相を国会に張り付けて「カジノ法」を強行採決したことが影響したのは明らかだ。

 共同通信の調査でも「カジノ法」について「反対」が64.8%で、「賛成」は27.6%。「参院定数増」でも「問題だ」が55.6%で、「問題ない」は27.6%だった。

 読売新聞の調査でも両法への評価は同様で、安倍内閣が強行採決したことに対して、59%が「適切ではない」と答えた。  

驕れる安倍は久しからず、だ。
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年長者が若者に食事をおごるのは大間違いだ もう「粘っこい慣習」はやめたほうがいい

年長者が若者に
食事をおごるのは大間違いだ
もう「粘っこい慣習」は
やめたほうがいい
2018/07/23 東洋経済(江口 克彦 )

松下幸之助氏(パナソニック創業者)のもとで23年側近として過ごした江口克彦氏。
若手ビジネスパーソン向けの連載として好評だった「上司と部下の常識・非常識」に続いて、「50歳からの同調圧力に負けない人生の送り方」について書き下ろしてもらう。

若者たちと食事にいくと、50歳になっても60歳、70歳になっても「自分が支払わなければならない」などと思う。
先輩だから、後輩に支払わせてはいけないと思ったりする。
それで頼りない袖を振る。
 それが美徳、それが先輩らしい振る舞いだと考える。

もともと払う気もない後輩を「まあ、オレに任せておけ」などと制するふりをしながら、「とりあえずの美学」で、レジに向かう。
 こんな慣習、いかがなものか。その若者たち、後輩たちへの「とりあえずの美学」が、結局は、彼らをスポイルしている、自立心を毀損していることを考えなければならないと思う。

年長者が奢る必要はない  
年齢だけを考えて奢ることより、先輩として人間の生き方を教え、語ることのほうが大事ではないか。
大事なことは「魚を与えるより、魚を釣る方法を教える」ことではないか。

それを、簡単にメシを奢ってしまって、どうする。
奢ることによって後輩を喜ばせて、どうする。
 なによりみっともないのは、若者や後輩にご馳走し、奢りながら「なんでお礼を言わないんだ」「お礼の一言くらい言うべきものだ」と呟いたりお説教したりすること。
そんな恥ずかしい年長者、年寄りがいかに多いことか。

50歳を超える年齢になると、ますますそのようなことを思うようだ。
 心のなかで思うだけならまだいいが、「おい、礼ぐらいは言えよな」と感謝を要求してしまう。
それを不満に思った若者から文句を言われたり、不機嫌な表情でもされたら、人間関係が悪くなってしまう。
 いったいなんのために奢ったのか、なんのために自分が1人で支払ったのかすらわからなくなる。
本来の目的から大きく逸脱。
まったく本末転倒もいいところだろう。

年長者が若者に奢るのは「自己満足」
 礼を要求するぐらいなら、もう二度と誰にも奢らないと心に決めたほうがいい。
年長者が若者に奢ることは、実は気遣いでもなんでもないのだ。
単なる自己満足にしかすぎないのである。

 最近の若い人たちは、年長者のそういったお節介のほうが、かえって重荷なのではあるまいか。
上司と部下で呑みに行くと、部下の方から「割り勘にしてくれ」と言うこともあるらしい。
 今の若者たちは、恩着せがましい負担を嫌う。
気をつかうような相手と飲みに行きたくもないのである。

同じ仲間であっても、相手の負担になりたくないから、大仰な贈り物を避けるし電話もしない。
常にLINEなどのメッセージングアプリを利用する。

贈り物をしてしまえば、相手はお返しに悩んでしまう。
電話をすれば、都合の悪いタイミングでも出なければならない。
その点、メッセージングアプリで済ませれば、相手の負担にならないのだという。

 言われてみれば、こちらも同じような気持ちだ。
お中元やお歳暮については、十分に配慮しないと、相手の負担を強いることにもなるのだ。
香典もこの頃は「お断り」という場合が多い。
つまり香典返しが負担だからだ。

 AIだ、IoTだ、シンギュラリティだと言われている今の時代に、もう「粘(ねば)っこい慣習」はやめたほうがいい。
むしろ、新しいツールを駆使しながら、今まで以上の豊かで温かい、心のこもった、そして、お互いに負担にならない生活の工夫するほうが大切なのではないか。
 とにかく、年上だからと若者に奢ることはもうやめよう。
今の若者に、「先輩に奢ってもらおう」というような、あさましい気持ちはない。
むしろ、負担なのだ。
奢る分だけお節介ということである。
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2018年07月25日

それでも「教室にエアコン不要」と言う大人へ

それでも「教室にエアコン不要」と
言う大人へ
2018/07/24 東洋経済

親野 智可等 : 教育評論家

7月17日に、愛知県豊田市で小学1年生の児童が熱中症で亡くなりました。
各社報道によると、公園で30分ほど昆虫採集をした後、児童たちは教室に戻って教室で休憩していました。
ところが、休憩中に意識を失い、救急車で搬送されましたが亡くなりました。
かけがえのない子どもを失ったご家族の心情は察するにあまりあるところです。

この教室にエアコンはなく、扇風機が4台設置されていただけとのことです。
暑いさなかに公園に出掛けた判断も問題になっていますが、教室にエアコンがあったら助かった可能性があるということも指摘されています。

この事故を受け、豊田市では、小学校の教室のエアコン設置工事を前倒しで進める方針を決めました。

根強くある「エアコン不要」の根性論
学校にエアコンを設置すべきか否かという議論は十年前からありました。
そして、数年前までは、
「子どものうちからエアコンの中で過ごしてばかりいては、体が弱くなる。せめて学校では……」
「教室を快適にしてしまうと、休み時間にも外に出て遊ばなくなる」
「つねに快適な環境の中にいては忍耐心が育たない」などという意見もありました。

ですが、今年の酷暑を経験してみれば、もはやそういう議論をしている段階でないことは明らかです。
豊田市の事故は校外学習の後ということでしたが、このままでは、ずっと教室にいて熱中症になる児童が続出する可能性があります。
休み時間に外遊びをした子どもたちが汗だくで教室に戻ってくると、体感温度はさらに上がります。
そうでなくても、1つの教室に40人近い子どもがいるのですから、子どもたちの発する熱の量だけでもハンパないものがあります。

私も講演先の学校で授業中の教室を参観させてもらうことがありますが、エアコンがない場合、7月や9月の教室内は勉強に取り組めるような環境ではありません。
また、勉強面だけでなく、不快な環境にいればストレスもかかりますし、いら立ちにより子ども同士のトラブルやいじめが増えることも考えられます。

「昔は学校にエアコンなどないのが当たり前だった。
今の子は今の子は軟弱だ」という意見は根強くあります。
そこで、気象庁の「過去の気象データ検索」で調べてみました。

50年間で2.5度も上昇した平均温度
たとえば奈良県奈良市の1967年(50年前)の7月の「一日の最高気温」の平均は、30.5度でした。
そして、1987年(30年前・今の子育て世代が子どもだった頃)の7月の「一日の最高気温」の平均は、31.0度でした。
ところが昨年、2017年の7月の「一日の最高気温」の平均は33.0度です。
つまり、50年間で2.5度も上昇したのです。

また、この30年間だけでも2.0度の上昇です。
平均が2.5度も上昇したというのはすごいことです。
しかも、上昇の度合いも上がっています。

また、たとえば愛媛県松山市の1967年(50年前)の7月の「一日の最高気温」の平均は、30.7度でした。
1987年(30年前)の7月の「一日の最高気温」の平均は、30.7度で、これは1967年と変わりがありません。
ところが昨年、2017年の7月の「一日の最高気温」の平均は32.6度です。
つまり、この30年間だけで1.9度も上昇したのです。

ついでに、7月の「一日の最高気温」の平均が30年間でどのように変化したか、気象庁のデータより、あといくつかアトランダムに調べてみたら、次のような結果が出ました。

福岡市は3.0度上昇
静岡市は1.1度上昇
長野市は0.5度上昇
横浜市は1.7度上昇
高知市は2.2度上昇
秋田市は2.3度上昇
札幌市は2.9度上昇
那覇市は1.6度上昇 ということで、もう十分ですね。

このように、日本の気温は確実に上昇しています。
ですから、「昔は学校にエアコンなどないのが当たり前だった。
今の子は軟弱だ」などという意見は成り立たないのです。
ところで、なぜ主に奈良県と愛媛県を例に取ったかというと、この両県は最高気温が高いにもかかわらずエアコン設置率が低いという最悪な県だからです。

それは、名古屋大学の内田良准教授の下記のリポートによって明らかです。
小中のエアコン設置 いまだ半数 
暑くても設置率1割未満の自治体も 
莫大な予算が課題(Yahoo!ニュース)
※リポートの5番目のグラフに出ています。

大人たちは、政治家も役人も会社員も、エアコンの効いた涼しい環境で仕事をしています。
それでいて、子どもたちには悲惨な環境を押し付けています。
教室にエアコンはいらないと言う人たちは、「教育のためだ」「身体を鍛えろ」「忍耐心、我慢する力、根性を鍛えろ」とでも言いたいのでしょうか?

特に、政治家や役人にはエアコンのない教室の授業を参観してみてほしいです。
1時間と言わず、子どもたちのいる間ずっと一緒に過ごしてみてください。
もちろん、晴れの日にです。
だんだんと気温が上がって、3時間目4時間目になると相当大変です。
これが5時間目や6時間目になると、うだるような暑さになります。
ぜひ、経験してください。

そうすれば、二度と「教室にエアコンはいらない」などとは言えなくなるはずです。
しかも、すでに各種メディアで報じられているように、子どもたちは次の理由で大人よりも熱中症になりやすいのです。

1. 子どもは、体重当たりの体表面積が大人と比べて大きいので、外の熱を吸収しやすい
2. 子どもは、水分をためておく筋肉の量が少ないので保水力が弱い
3. 子どもは、汗を出して体温を調整するための汗腺や自律神経が未発達

そして以下は、長く学校現場にいた私の実感ですが、

4. 子どもは人生経験が少ない分、大人より自分の体調不良に気づくのが遅い。
それに気付いたとしても、適切な言葉でうまく伝えられない

「9月は大丈夫だろう」でいいのか
政治家や役人の中には、「もう夏休みに入ったからセーフ。
これでエアコン設置を求める声も下火になるだろう」と思っている人がいるかもしれません。
でも、それは勘違いです。
9月の残暑を甘くみてはいけないからです。

私も教師として経験してきましたが、夏の疲れが蓄積したところに、9月の残暑がやってきて、そのまっただ中でエアコンのない教室で勉強するのです。
思い出しただけでぞっとします。

夏は毎年必ずやってきます。
来年は冷夏になるという保証はありません。
先述のとおり、毎年気温は上がっており、熱中症のリスクは高まっているのです。

そして、もう1つ見逃せないのが、都道府県によってエアコンの設置率がまったく違うという点です。
この違いは異常なまでに大きいです。

先の内田良准教授が作成したグラフを見れば一目瞭然です。

設置率が低いところは政治家や役人を動かす必要があります。
そのためには、PTA、校長会、教頭会、地域の教育協議会、教職員組合などの関係団体が一致団結して取り組むことが大切です。
なんといっても子どもの命にかかわる問題なのですから。

いちばん効果的なのは、やはり自治体の首長や議員に働きかけることでしょう。
署名集めは常套手段です。
そして、エビデンスもつけて請願書を出しましょう。
エビデンスがあると説得力が高まります。
気象庁のサイトで自分たちの地域の気象情報を得てください。
さらには、気象庁や各地の気象台に直接問い合わせれば、もっと詳細な情報が得られるかもしれません。
実際の教室の温度を測って記録するのも効果的です。

繰り返しますが、本当に、このままではずっと教室にいて熱中症になる児童が続出する可能性があります。
というより、確実に出るでしょう。
そうならないためには、機運が盛り上がっている今を逃さずに取りかかることが求められます。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サラリーマンに訪れる“55歳の壁”。

サラリーマンに訪れる
“55歳の壁”。
乗り越えるためにすべき5つのこと
日刊SPA! 2018/07/24

年金の支給開始年齢の引き上げをにらんで、サラリーマンの定年が60歳から65歳へと引き上げられる過渡期にある現在。
しかし、ほんの30年ほど前までは「55歳定年」が主流だった。
そんな「55歳」というボーダーラインは、今日では見えざる壁となって現役サラリーマンの前に立ちふさがっている。

例えば、サラリーマンは55歳を超えると会社から“戦力外”扱いされるという話もあり、実際SPA!で55〜60歳の男性にアンケートを行ったところ(回答者数3018人)、58.9%が「55歳を境に人生が“下り坂”になった」と回答していのだ。

◆55歳の壁を越えるには?
 職場での戦力外扱い、それに伴う収入のダウン、そして子供の教育費など、
“55歳の壁”はさまざまな角度からわれわれの人生を阻もうとするが、その本質をひとことで言えば「生きていくためにいやいや仕事を続けなくてはならないツラさ」ということになるだろう。

仕事がツラいのはどの世代でも同じですが、若い世代と違って55歳には転職という逃げ道がほとんど残されていない。
そこへもってきて、医療費だ教育費だとカネがかかるため、いさぎよく会社を辞めるという選択肢もない。
会社からお荷物扱いされてモチベーションは極限まで下がっているにもかかわらず、不本意ながら会社にしがみつかなくてはならない……
この状態が、メンタル的には一番堪えます」(ジャーナリストの溝上憲文氏)

 55歳ともなれば“残りの会社人生は消化試合”という気分になりがちだが、年金がもらえるまではあと10年(ゆくゆくは15年)もある。
その間ずっと“いやいや”が続けば、それは地獄だろう。

「そんな状態から脱するシンプルな方法が、ささやかな副業を持つこと。
少額でも会社以外に収入源があれば、安心感と充実感が違います。
私の知人にも、50歳を過ぎてライターになった会社員がいるのですが、逆に職場を取材の場として楽しめるようになったとか。
55歳の壁に直面した人にとって、ただの趣味ではたいした気晴らしになりません。
むしろ『こんなことをしている場合なのか』などと、かえってストレスになる恐れも。
趣味なら趣味で、お金をもらえる趣味を持つことが大事なんです

 副業と言われても何をしていいかわからないという人も多いだろうが、自分で考える以上に「他人から“頼まれる”状態をつくるのが大事」と言うのはライフデザインアドバイザーの木村勝氏。
「自分がこれまで何をしてきたか、自分に何ができるのかを日頃から周囲に伝えていれば『今度、こういう案件があるから手伝ってもらえないか』と声がかかることもある。
そんな、ちょっとした手伝いが副業に発展したという例はいくらでもあります。

そのためには、会社の内外で人の輪を広げることが重要。
会社の看板があるからこそ会える人もいるわけで、55歳から定年までの5年間は“今後の取引先を開拓する”つもりで活動すれば、会社にいることのモチベーションも見いだせるでしょう」
 55歳といわず、40代のうちからこの心構えでいれば、“壁”を跳ね返すことも十分可能だ。

<55歳の壁を跳ね返すには>
・ささやかな副業を始める
・カネがもらえる趣味を持つ
・頼み事をされる人間になる
・自分のできることを人に話す
・顧客を開拓するつもりで人に会う
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2018年07月26日

「権力批判はメディアの役割」という幻想の終わり

朝日新聞はなぜこんなに嫌われるのか――
「権力批判はメディアの役割」
という幻想の終わり
7/24(火) ビジネスインサイダー

世の中にはなぜこんなに「朝日ぎらい」が多いのか。
朝日新聞のことになると、なぜ人はこんなに感情的になるのか。
こうした問いには、「捏造するから」とか「反日だから」とか条件反射的なコメントが即座に返ってくるわけですが、一つのメディアの動向にこれほど夢中になれること自体が興味深い現象です。

書店の店頭にも、「朝日ぎらい」の雑誌や書籍の煽情的なタイトルが並んでいます。
その代表格が『月刊Hanada』『月刊WiLL』で、2018年8月号のタイトルは、前者が「敗れたり朝日と野党の倒閣運動」、後者が「朝日はアジビラどころかペットのトイレマット」といった具合です。

特定のメディアへの批判が一つのマーケットを形成し、ビジネスになるというのも日本でしか見られない珍現象でしょう。
一方、両誌はいずれも「安倍総理は限界を突破せよ」「安倍首相はマジメすぎる」と、朝日新聞への対抗軸として安倍政権支持を強調しています。

当の政権も、安倍首相が(別の自民党議員の)フェイスブックに「哀れですね。朝日らしい惨めな言い訳」と書き込めば、
麻生財務相は記者に対し「朝日新聞の取材能力のレベルが分かる」と述べるように、政権と支持者は「朝日ぎらい」で一致しているようです。

安倍政権支持の中核は「若い世代」
そして、そんな安倍政権の支持層の中核は若い世代です。
2017年10月の総選挙で比例区の投票先として
自民党を選んだのは、世代別に見ると
10〜20代で52%、
30代で43%、
40代で42%。
50代以上はどの世代も30%台で、若い世代が一貫して高い。
とりわけ、18〜19歳の男性は55%、20代の男性が54%と突出しています。

Business Insider Japanが2017年6月に掲載した記事「『やっぱり安倍政権しか選べない』東大生はなぜ自民党を支持するのか」でも、こう書かれています。
「東京大学新聞社が毎年新入生を対象に行なっている調査によると、自民党の支持率は近年劇的に上昇している。
今年4月の調査では36%に達し、過去30年で最高を記録した。
特に70%前後を占めていた『支持政党なし・わからない』という無党派層の変化が大きい。
2013年以降は10ポイント以上減り、その分自民党支持が増えている」

日本は本当に「右傾化」したのか?
こうした状況を見て「リベラル」な人たちは、「日本は右傾化した」と嘆くわけですが、私はこの見方には懐疑的です。

国会前で「民主主義を守れ」と気勢をあげている人たちの多くは1940年代後半に生まれた全共闘世代、今日で言うところの「シニア左翼」です。
彼ら団塊の世代がある意味、戦後日本の価値観を決めてきたわけですが、彼らが今本当に守ろうとしているのは「民主主義」ではなく「年金」。
なぜなら65歳以上の44%、70歳以上では60%が「年金以外の収入がない」のですから(厚生労働省「老齢年金受給者実態調査」、2016年)。

それに対して若い世代は、自分たちがいくら年金保険料を払っても、将来まともに年金を受け取れないと思っています。
私は年金制度が完全に破綻するとは思いませんが、日本の年金は現役世代が高齢者(引退世代)に仕送りをする「賦課方式」なので、急速な少子高齢化によって制度の支え手が減っていく以上、若い世代の不安には確かな根拠があります。

しかし、モリカケ問題や反原発には大きな声を上げるシニア左翼も、「年金なしでどうやって生きていけばいいのか」と将来を心配する若者たちのためには、一切動こうとしません。
そんなシニア左翼が「リベラル」を自称するのですから、若い世代が胡散臭いと感じるのも当たり前です。

既得権にしがみつく「シニア左翼」
シニア左翼たちの「リベラル」がどのようなものかは、安倍政権が進める働き方改革への評価を見てもわかります。
年功序列・終身雇用の「日本的雇用」制度は、若い時の低賃金労働をキャリアの後半で取り返し、定年で満額の退職金を受け取ることで帳尻が合う仕組みになっています。
50歳は定年まであと10年(あるいは15年)で、そこから先、退職金受け取りまでのカウントダウンを待っている人たちにとって、今さら働き方を「改革」されるのは迷惑以外の何物でもありません。

一方、終身雇用の幻想を抱いていない若い世代、とりわけ就職氷河期に大学を出て派遣や契約の仕事にしか就けなかった「ロスジェネ世代」にとっては、中高年の正社員の生活を守るためだけの「日本的雇用」などさっさと壊してもらったほうが、未来に希望が持てるでしょう。
彼らが求めるのは労働市場の「改革」であり、高齢者の既得権の「破壊」です。

このように考えると、50代以上の「リベラル」がひたすら日本的雇用を「保守」しようとする理由がよく分かります。
社会保障改革から働き方改革まで、ありとあらゆる「改革」に頑強に反対することが、シニア左翼にとっての最大の利益なのです。

リベラルを「進歩主義」であり「改革を求める政治思想」だとするならば、若者たちは今も昔もリベラルのままです。
それが「右傾化」に見えてしまうのは、既得権にしがみつくかつてのリベラルの方が急速に「保守化」しているからです。

メディアの「権力批判」は
ネトウヨの論法と同じ
安倍政権を批判する人たちは、「アベノミクスの失敗で格差が拡大した」と主張します。
しかし、内閣府の国民生活に関する世論調査(2017年)では、「現在の生活に満足」との回答が73.9%と過去最高になり、18〜29歳の若い世代では79.5%とほぼ8割に達しています。
完全失業率は2.5%と過去最低水準で、有効求人倍率は2018年2月に1.58倍とバブル最盛期を超えました。
これらをアベノミクスの成果だと一概に言うことはできないにせよ(これは将来の検証に任せるほかないでしょう)、こうした事実を無視して「国民は安倍政権にだまされている」と主張してもまったく説得力がありません。

同様に「権力を監視する」という錦の御旗のもと、安倍政権のやることなすこと批判するジャーナリズムはもはや説得力を持ちません。
権力は「絶対悪」で、それを批判する自分たちは「絶対善」という偏狭なイデオロギーは、むしろ格好の批判のマトになっています。
これは言うまでもなく、「反日メディア」は絶対悪で、それを批判する自分たち「愛国者」は絶対善だというネトウヨ(ネット右翼)の論法と変わりません。

かつて大学教授と並んで新聞記者は「知識人」として、上から目線で社会や権力を批判する特権的な身分を与えられていました。
しかし、言論空間の大衆化・民主化が進んだことで、こうした「知の身分制」は崩壊しました。
経済格差の拡大を批判し「弱者」や「貧困層」に寄り添うなどと言いながら、平均年収1200万円超(朝日新聞、2016年)を受け取っていることの正当化は、今やますます難しくなっています。
自分たちが社会的・経済的な「勝ち組」である以上、それを前提とした「ネオリベ」(国家の過度な規制を排除し、自由で効率的な市場が公正で豊かな市場をつくる)的な主張をしたほうが、ずっとすっきりするのではないでしょうか。

メディアに裁量労働制を
批判する権利はない
私は、リベラルを蝕むのは「右傾化」ではなく、自らのダブルスタンダードだと考えています。
「リベラル」を自称するのなら、既得権を破壊する徹底的な改革を求めなければなりません。
安倍政権は「女性が輝く社会」を掲げ「2020年までに指導的地位に女性が占める割合を少なくとも30%程度にする」ことを目標としていますが、安倍政権を批判する「リベラル」な新聞社やテレビ局の役員・管理職の男女比率は、この目標にまったく届いていません。

朝日新聞のパブリックエディターを務める湯浅誠さん(社会活動家、法政大学教授)は、「偽ニュース」を圧倒する説得力をもつためには「自分に都合の悪い事実にも向き合う必要があります」として、裁量労働制をめぐる報道に苦言を呈しています。
裁量労働制には「際限のない長時間労働を招き入れるリスク」があると批判しながら、当の朝日新聞記者はその裁量労働制で働いているばかりか、過労死ライン(月80時間)を超える残業時間(81時間)を設定し、それをさらに上回る残業をしていたとして労働基準監督局から是正勧告まで受けていたからです(朝日新聞、2017年5月30日付)。

こうした耳に痛い批判もちゃんと紙面に掲載するのは立派ですが、そうであればこそ、この状態を放置するのではなく、働き手の健康に留意しながら仕事の満足度を高め、労働生産性を上げる理想の裁量労働制とはどのようなものかを身をもって示す必要があります。
そうでなければ、「裁量労働制で残業が無制限になり過労死やうつ病が増える」のですから、まずは記者の仕事を時間給に変えなければなりません。

権力を批判しないと
「許してくれない」読者
健全な民主社会を維持するために、権力を監視し批判するのは大事なことです。
しかしその一方で、批判だけしていても社会は良くなりません。

朝日新聞の立ち位置が難しいのは、権力を批判しなくては許してくれない読者層を抱えていることでしょう。
経済学者で学習院大学教授の鈴木亘さんは、橋下徹・大阪市長のもとで特別顧問を務め、日本最大のドヤ街を抱える「あいりん地区」の地域再生構想を、住民たちと膝詰めでつくり上げました(『経済学者 日本の最貧困地域に挑む』)。
その後、小池百合子都知事に請われて東京都顧問に就任し、待機児童の削減に取り組んで一定の成果を上げています(『経済学者、待機児童ゼロに挑む』)。

こうした社会改革は、権力の懐に飛び込んで、カリスマ的な首長と直談判できるような立場でなければ実現できません。
「橋下と手を組むなんて何ごとだ」「小池とベッタリ」などと批判するだけでは、「あいりん地区」の貧困問題も東京都の待機児童問題も何一つ改善しません。

「リベラル」は権力の内側に入って成果を上げている人たちを毛嫌いしますが、社会問題が解決せず悪化したほうが権力批判には好都合なので、「より良い社会」をつくるために実践的な努力をする人たちの足を引っ張り、バッシングする必要があるわけです。

何でこんなくだらないことで
こじれてるの?
こうした党派性は「右」も「左」も同じです。
なぜなら読者は党派的な記事を求めており、それが商売になるから。
ネットにおける炎上とは、メディアや知識人、言論人が提供する党派的な主張を大量にコピペし、シェアしていくことです。

これは日本だけの現象ではありません。
アメリカのトランプ現象やヨーロッパの「極右」台頭を見てもわかるように、世界的に「保守」と「リベラル」の党派(部族)対立が激しさを増しています。
自分が「善=光」の側に属して「悪=闇」を叩くという党派性は分かりやすく、アイデンティティ(社会的な私)を安定させてくれるし、何より気持ちいいのです。

ギリシア・ローマの時代からハリウッド映画まで、人々が善悪二元論の陳腐な物語をえんえんと語り続けてきたことからもこれは明らかでしょう。
「何でこんなにくだらないことでこじれてるの?」
「たった一つの新聞のことを何でこんなに熱く語れるの?」と不思議に思う人もいるでしょう。

しかし「朝日」によってアイデンティティを脅かされていると感じる人にとって、これは自らの実存に関わる重大な問題なのです。
社会が不安定化すればするほど、人々は安心感(アイデンティティの安定)を求めて偏狭で排他的な党派性を求めるようになります。
残念なことに、私たちはいまだに部族対立の呪縛から解き放たれてはいないのです。
インターネットやSNSが言論空間を大衆化・民主化したことによって、今やどんな権力批判も党派性に収れんされてしまいます。
朝日新聞の役割が権力を批判することであるというのなら、社会に蔓延する憎悪に満ちた執拗な「朝日ぎらい」も、戦後日本に大きな影響力を持ったこのメディアの「運命」ということになるのでしょう。(談)
(取材、構成・川村力)

橘玲(たちばな・あきら):
1959年生まれ。
2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。
2006年、『永遠の旅行者』が第19回山本周五郎賞候補となる。
『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』が30万部を超えるベストセラー、
『言ってはいけない 残酷すぎる真実』が48万部を超え、新書大賞2017に選ばれる。
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2018年07月27日

隷属状態からの脱出が日本の最重要課題だ

日本人から思考を奪う
「国体の正体」とは何か
隷属状態からの脱出が日本の最重要課題だ
2018/07/26 東洋経済

白井 聡 : 政治学者、京都精華大学人文学部専任講師
 國分 功一郎 : 哲学者

なぜ日本の対米従属に、終わりがないのか? 
なぜ安倍政権は倒れないのか?
 こうした疑問に答えるには、「国体」というキーワードが重要だ。
そう考える政治学者・白井聡さんと気鋭の哲学者・國分功一郎さんが対談をした。
白井さんのベストセラー『国体論――菊と星条旗』を國分さんは、どう読んだのか?
 ジュンク堂書店池袋本店にて行われたトークイベントでの熱い議論をお届けする。
**********************
責任を追及しない日本社会

國分
白井君が『国体論――菊と星条旗』を書いたいくつかの出発点のひとつは、なぜ安倍政権は潰れないのかという素朴な疑問だと思います。
安倍政権はひどい政策をずっと続けているのに、なぜか長きにわたって政権を維持している。
ここには合理的には説明のつかない力が働いており、私たちはそれに従わされている。
白井君はそこに「国体」という構造を見いだしているのだと思います。

この国体を代表するのは、戦前の日本では天皇です。
しかし、敗戦と占領期を経て、アメリカが国体を代表するようになる。
『国体論』ではフルモデルチェンジという言い方がされていますが、日本がアメリカに負けたことで、国体の頂点は菊から星条旗に変わったものの、人々が国体に従うという構造に変化はなかった。
そう指摘しているわけですね。

白井
そうです。
「戦後の国体」となった対米従属構造を維持することで、権力を保持しているのが安倍政権に代表される日本の支配層です。

國分
そこで疑問として残るのは、なぜ日本はアメリカにきちんと負けられなかったのかということなんです。
僕はここがポイントだと思っているのですが、アメリカと戦争して負けたわけですから、本来ならば「いつかアメリカを倒してやるぞ」となるはずです。
ところが、日本はそうはならなかった。
それどころか、マッカーサーがアメリカに帰国するときには、マッカーサーとの別れを惜しむ声まで上がった。
これはやはりきちんと負けなかったために起こったことだと思うんです。

白井
戦後直後から今に至るまで、日本人はアメリカに負けたという事実から目をそらそうとしてきました。
8月15日を「敗戦の日」ではなく、「終戦記念日」と呼んでごまかしていることから始まって、戦後の日本は「敗戦の否認」を続け、アメリカに従属していることを直視しないでいる。
でも、そうした支配を否認する日本人の心理的な構造は、戦後に始まったものではない。
わかってしまえば、簡単なことです。
戦前の日本人には、疑うことなく「国体」に付き従うというマインドがインストールされていた。

白井
かつ、「国体」は、明治維新によって一瞬でできたわけではない。
誕生から崩壊までいくつかのプロセスを踏んでいる。

「戦後の国体」への従属、つまり対米従属体制も同じで、今のような自己目的化した従属がずっと続いてきたわけではない。 しかし、そもそも、敗戦の時点でも「アメリカ許すまじ」とはならなかった。
それはひとつには、アメリカに負ける前にすでに己に負けていたからだと思います。
たとえば、特に悲惨を極めた南方戦線では、弾に当たって死んだ兵士よりも、餓死やマラリアで死んだ兵士のほうが断然多かった。
これはもはや戦争と呼べるようなものではなく、飢えた兵隊が熱病に冒されながらジャングルを彷徨(ほうこう)していたと言ったほうが正確です。

だからあの戦争が終わったとき、人々の間にはとてつもない解放感が広がったわけですね。
負けたことよりも、とにかくこんなばかげた状態が終わってうれしいということになった。
それは要するに「国体」から解放されたということだった。
そういう意味では、アメリカに負ける前に自分たちの社会の病理のようなものに負けていたということではないでしょうか。

思考を奪う「国体」という病

國分
それは別の言い方をすると、そもそも日本は戦争に勝とうとしていなかったということになりますか。
去年の夏にNHKがインパール作戦の番組を放映して話題になりましたが、イギリス軍がたとえば兵站(へいたん)でも合理的な作戦を立てて戦争に臨んでいたのに対し、日本軍は精神論で突き進んでいった。
合理的な作戦を立てている軍隊に対して精神論で挑んでも、勝てるはずがない。

これを見るかぎり、日本軍が本気でイギリス軍に勝とうとしていたようには思えない。
日本は最初から戦争に勝とうとしていなかったから、実際に負けたときにも、負けたことに対して何とも思わなかったのではないかという気がします。

白井
負ければ大変なことになる、そして現実に敗色濃厚になりつつある。
それらは自明だったわけですね。
そうなると、もうそんな現実は見たくない、というメンタリティではないでしょうか。
そういう意味では1945年の敗戦以前に「敗戦の否認」をしているのですね。
「国体護持」を唱えながら、国を真剣に守るという思考が停止していたのです。

で、敗戦の事実が確定した後にも、それをだらしなく続ける。
だから、関係者たちの責任が放置され、今日でも追及が甘い。

インパール作戦では、作戦を立てた牟田口廉也(むたぐち れんや)の責任は極めて重いわけです。
この点についてはインパール作戦を検証する番組などでも論じられます。
しかし、牟田口が戦後も何の罰も受けずに天寿を全うしたことはほとんど取り上げられません。
彼はあれほどひどい作戦を遂行したのに、畳の上で死んでいるんです。
そのことには全然光を当てない。

これは731部隊もそうですね。
731部隊が戦時中にいかにひどいことをやったかについては何度も論じられているので、そのことは広く知られているわけです。
だから今日では、731部隊の連中が戦後も活躍し、ついには薬害エイズ事件まで引き起こしてしまったということに関心を向けさせるべきです。

國分
それはイラク戦争についてもそうですね。
最近イギリスはイラク戦争について膨大な量の報告書を発表しましたが、日本はわずかA4数枚の報告書だけで済ませています。
第2次世界大戦についてもまともに責任を追及していません。
関係者の責任を追及しないというのが日本のお家芸のようなものになってしまっている。

欧米へのコンプレックスと
アジアへのレイシズム

國分
そこで白井君のビジョンを聞きたいのですが、日本国民はきちんと責任を取る近代的主体になるべきだと考えていますか。『国体論』は近代的主体を肯定しているように見えると同時に、そういう安易な解決策を拒否しているようにも見えます。
この点についてどう考えていますか。

白井
それは結局のところ、どのような政治秩序を目指すべきかという話になると思うんですが、僕はあまり「こうあるべきだ」という理想がないんです。
アメリカやヨーロッパではデモクラシーが理想とされていますが、彼らのデモクラシーが今うまく機能しているようには見えません。
それではデモクラシーが無理だからといって、中国やロシアのように権威主義でいけばいいかというと、こちらにも多くの問題があります。
政治について研究すればするほど、それに期待することが少なくなりました。
まあ大体において政治なんてろくなもんじゃない。

重要なのは、政治ではなく、国民が元気でいられるかどうか、です。
国民に元気さえあれば、政治はろくでもなくても、それなりの秩序を形成できると思います。
たとえば、中国の人たちと話をしていると、彼らの中にナショナリズムと非ナショナリズムが共存していることがわかり、すごく面白いんですね。
彼らは「共産党なんてろくでもない」と思っている一方で、「共産党しかない」とも思っている。
それで自分は何をするのかというと、自分の商売を頑張る。
こういう発想なんですね。
これは「自民党なんていいとは思わないけど、自民党しかない」として自民党を支持している日本国民とは似て非なるものだと思います。
日本の場合は政治に対してすごくナイーブなんですよ。

國分
いまの問題に関しては『国体論』の中に1つの答えが出ていて、白井君はそれを「奴隷」という言葉で表しています。
ニーチェが言ったように、奴隷は自らが奴隷であることを否認し、自分の現状をすばらしいものだと思い込んでいる。
そして、「お前は奴隷なんだぞ」と言ってくる自由人たちを誹謗中傷し、自分の惨めな境遇を押し付けようとする。
この奴隷根性に関して非常にショッキングなのは、白井君の本によく出てくるアメリカの元国務長官、ジョン・フォスター・ダレスの分析です。
ダレスは日本について、日本人は欧米人に対するコンプレックスと同時にアジア人に対するレイシズムを持っており、この2つをうまく利用すれば日本を支配できる、と言った。
実際、日本はそれをうまく利用され、支配されてきました。
戦後の日本がアメリカの支配の中で受け取った価値観は、自由主義でも民主主義でもなく、結局のところ近隣のアジア諸国を差別する権利だったわけです。
こうしたコンプレックスの中にいるかぎり、日本の奴隷根性がなくなるはずがない。
これに対して、「共産党はろくでもないけど共産党しかない」と言っている中国には、奴隷根性はないわけですね。
そこが「自民党しかない」と言っている日本との違いだと思います。
中国の学生たちを見ていても、彼らには奴隷根性はないでしょう。

『国体論』の先にある
日本にとって重要な課題

白井
そう思いますね。
中国の学生たちが会社に就職したあとにまず何を考えるかというと、どうやってその会社を辞めて独立するかということですからね。
最初の問いに戻れば、支配されているという事実、日本の状況がどんどん悪くなっているという事実から目を背けている奴隷根性が、安倍政権を支えている。

國分
この奴隷根性から脱出することが日本にとって重要な課題であり、『国体論』のひとつの課題でもあったと思います。
ただその際、奴隷根性から脱出したあとの姿があまりイメージできないということも事実です。
僕は『国体論』を読み、その問題意識に強く共感すると同時に、奴隷根性から脱した先のことを具体的に考えていく必要があると思いました。
この問題は今後も白井君と一緒に考えていきたいと思っています。

白井
まずは「国体」のもと、支配されていることを否認するという病癖に日本人が気づくことから始めるしかないでしょう。

(構成:中村友哉)


白井聡(しらい さとし)/政治学者。
1977年生まれ。
早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位修得退学。
博士(社会学)。
専攻は社会思想、政治学。京都精華大学人文学部専任講師。
おもな著作に『永続敗戦論』(石橋湛山賞、角川財団学芸賞受賞、太田出版)、『属国民主主義論』(共著、東洋経済新報社)など
國分功一郎(こくぶん こういちろう) /哲学者。
1974年生まれ。
早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。
博士(学術)。
専攻は哲学。
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。
おもな著作に『中動態の世界』(医学書院、小林秀雄賞受賞)など
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2018年07月28日

日本人の4割が抱える「睡眠負債」の深刻度

日本人の4割が抱える
「睡眠負債」の深刻度
最速で解消!今日からできる3つのこと
2018/07/27 東洋経済

白川 修一郎 :
睡眠評価研究機構代表、医学博士

ますます暑さが厳しくなる日本列島。
ちょっと寝不足な日々を送る人も多いでしょう。
しかし、そのちょっとした寝不足が、あなたの体に大きなダメージを与えていることをご存じでしょうか。

日本人の4割が抱える、
危険な眠りの借金「睡眠負債」
こたぬきダンス.gif
2017年、ユーキャン新語・流行語大賞トップ10に選ばれた言葉が話題になりました。
「睡眠負債」です。
この言葉は、英語の「sleep debt」を直訳した言葉で、単なる“睡眠不足”ではなく、“返済すべき睡眠不足の累積”というニュアンスを含んでいます。

睡眠不足はその日だけの問題ではありません。
1日1時間程度の睡眠不足でも30日間続けば、一睡もせずに30時間起き続けているのと同じ状態になります。
解消しないかぎり毎日積み重ねられていってしまう、かなり危険なものなのです。

この睡眠負債、日本の中でも近年深刻な問題となっています。
2015年の厚生労働省「国民健康・栄養調査」によれば、1日の平均睡眠時間が6時間未満の日本人の割合は20歳以上に限ると39.5%。
つまり、成人の約4割もの人が、睡眠が足りていないのです。

休日に寝だめをするから大丈夫だと思っている人もいるでしょう。
しかし、寝だめでは睡眠負債を解消できません。
むしろ、その間違った寝方によって、かえって日曜日の夜に寝つけなくなる悪循環が生みだされます。
もしあなたが、月曜日の出社前の朝に、憂うつだったとしたら、それは睡眠負債の累積によるものかもしれないのです。

朝の憂うつだけではありません。
睡眠負債は、仕事の生産性をも下げることがわかっています。
ランド研究所・ヨーロッパが、2016年レポートのなかで、睡眠時間が6時間未満の人が7時間の睡眠をとった場合、年間でどの程度の経済的な社会損失が改善されるかを推計しています。
それによると、日本を含む5カ国をGDP比で考えた場合、日本はトップでGDPの2.92%(2018年1月の為替レートで、ほぼ15兆1800億円)が改善されるという結果となりました。

つまり、日本は現在、睡眠負債によって、約15兆円の経済損失を出しているのです。

睡眠負債は、重大なミスも引き起こします。
アメリカでは、自動車の交通事故と睡眠の関係が研究されています。
交通安全を推進するアメリカの非営利団体(AAA Foundation for Traffic Safety)の2016年の報告によれば、過去24時間で7時間以上の睡眠をとっていたドライバーの事故確率を1とすると、6時間〜6時間59分の睡眠時間で1.3倍、4時間未満の睡眠時間では11.5倍にまでなると推定されています。

睡眠負債は、交通事故をはじめ、仕事や日常生活の中で重大な人為ミスを引き起こす大きな要因でもあるということです。

ではなぜ、睡眠負債はこうした人為ミスなどを引き起こすのでしょうか。
それは、睡眠負債が脳の働きを低下させるからです。
脳の前頭連合野は特に睡眠負債の影響を受けやすい領域です。
前頭連合野は、適切な判断をし、意思を決定する「認知・実行機能」、不必要な行動の「抑制機能」、そのほかにも「意欲コントロール機能」や「情緒安定機能」など多くの働きを担っています。

睡眠負債で前頭連合野がうまく働かないと、集中力や記憶力、思考力、モチベーションなどの低下をもたらしてしまい、仕事上のミスが増加してしまうのです。

間違いだらけの快眠法 では、睡眠負債を解消するには、どうしたらいいのでしょうか。
気をつけてほしいのは、誤った方法に踊らされないことです。
実は、ちまたに出ている情報には、間違いやウソがかなりあります。

たとえば、睡眠と食事の関係。
インターネット等では、「寝る前に温めた牛乳を飲むとよく眠れる」「レタスを食べるとよく眠れる」といった情報が流れていますが、結論から言ってしまうと、これはウソです。
現在までに科学的に証明されている睡眠改善効果のある単一の栄養素としては、アミノ酸のひとつであるトリプトファン、グリシン、テアニンと、その他にメラトニンなどがあります。

これらの栄養素を摂取する場合、眠改善効果がはっきりとみられる量は、トリプトファンとグリシンが3g以上、テアニンは200mg程度、メラトニンは30mg程度。
いずれもタンパク質などに組み込まれていないフリーの状態のものを一度に摂取することが必要です。

・確かにトリプトファンは乳製品に多く含まれるため、寝る前に牛乳を飲むことは一見、理にかなっているように思えます。
しかし、3gのフリーのトリプトファンを摂取するためには、実はドラム缶半分程度の濃いめの牛乳を一度に飲まなければなりません。
・メラトニンはケールやレタスに多く含まれているものの、30mgを食べるためには約70kg、数で示すと450玉以上を一度に食べなければならず、現実的ではありません。
・テアニンは茶葉に多く含まれていますが、茶葉には覚醒作用の強いカフェインも多く含まれています。
緑茶や紅茶を飲んでテアニンを摂取したつもりでいても、カフェインの効果で逆に目が冴えて眠れないことになってしまうということです。

そこでまずは、誤った情報に惑わされずに、快適な睡眠を実現するために、“寝つきを悪くする習慣”を改善することに着手してみましょう。
寝つきに大きく影響する交感神経の活動は、習慣的な就寝時刻のほぼ30分前から休息モードに入りはじめます。
眠りを誘いやすくするホルモンのメラトニンも、習慣的な就寝時刻の1〜2時間前から分泌がはじまります。
そのため、次のような行動や習慣は寝つきを悪くしてしまいます。

@ 夜遅くの晩御飯
胃に食物が入り消化活動が行われていると体は覚醒方向に動き、睡眠モードに入るのが難しくなります。
夕食程度のボリュームの食物を消化するには、3時間程度が必要とされています。

A 眠る前のスマートフォン、パソコン、タブレット
150ルクス(目安:一般住宅の明るさが150〜250ルクス)以上の光が当たっているとメラトニンの分泌も抑制されます。
メラトニンの分泌抑制力が最も強い光の波長は460o付近(青緑色光)で、スマートフォンやパソコン、タブレットのブルーライトはこの波長付近の光です。

B 夜遅くの満員電車、車の運転、運動
メラトニンには交感神経が興奮していると分泌されにくいという特徴があります。
満員電車に揺られて帰宅したり、車を運転して帰宅したり、急ぎ足で帰宅したりすると交感神経を興奮させてしまうということです。

いかがでしょうか。ついやってしまいがちな習慣があなたの快眠を阻害しているのです。
試しにこのNG習慣をやめてみるだけでも、スーッと寝つきやすくなるでしょう。
たぬき02.gif
最速で「睡眠負債」を解消する、今日からできる3つのこと では、やめるべきNG習慣にプラスして、簡単にはじめられる睡眠負債解消法を3つお伝えしましょう。

@ 自分の睡眠を把握する
睡眠負債を解消するためには、客観的に自分の睡眠状態を知ることが大切です。
そのために役立つのが、睡眠日誌です。
0時から23時までのマス目を作り、朝、目が覚めたら眠っていた時間帯を30分単位で塗り潰します。
あわせて前日の気分と、仕事などでのパフォーマンスを思い出し、〇、△、×で評価します。
  これによって、自分の睡眠の状態と睡眠負債量、それによる気分やパフォーマンスの変化に気づくことができます。

A 休日の正しい眠り方
睡眠が不足しているときには、休日に睡眠負債を解消しなければなりません。
しかし、休日に遅くまで眠ってしまうと、体のリズムを乱すことになってしまいます。
そこでお勧めなのが、次の2つの方法です。

1:休日の前夜はいつもより1時間前に就寝し、休日はいつもより1時間遅く起床する(1時間遅くといっても、午前10時までには起床して朝食をとり、太陽光を浴びるようにしましょう)。

2:それでも睡眠負債がたまっているときは、二度寝はせずに午後0時から3時までの時間帯に1〜2時間の昼寝をする。

1を実行することで計2時間分程度の睡眠負債を解消でき、かつ体のリズムはまったく乱れません。
それでも眠気がある場合はあわせて2の方法をとれば、睡眠負債を解消できます。
昼寝については、一般的に夜の主睡眠まで8時間以上の覚醒時間があると、夜の睡眠に影響が少ないことがわかっています。

寝つきや睡眠感に
大きく影響する枕も重要

B 枕とパジャマ 枕は寝つきや睡眠感に大きく影響します。
年中、空調で寝室を一定の温湿度にしていないかぎり、夏と冬で枕を変えたほうがいいでしょう。

・夏の枕には頭部からの汗を吸い取り、頭を冷やす効果が求められます。
そのため、形状は小さめで、吸湿性と放湿性が良好で通気性のよい素材を選びましょう。
ダニの発生も多いので洗えるものが望ましいといえます。
・一方、冬の枕は肩と首の保温の役割も担っています。
やや大きめで頭に当たる部分の素材はダウンなどの保湿性能の高いものを使いたいものです。

寝巻選びも重要です。
暑い季節にはパジャマを着ないで寝る人がいます。
しかし、パジャマの繊維の表面積は皮膚表面より圧倒的に大きく、パジャマを着たほうが、汗が気化する表面積が増えます。結果的に、裸で寝るよりも深部体温を下げやすいことが知られています。

いかがだったでしょうか。
ここまで睡眠負債についてお伝えしてきましたが、私の新刊『命を縮める「睡眠負債」を解消する 科学的に正しい最速の方法』では、この記事で紹介しきれなかった睡眠負債のさまざまな解消方法についても紹介しています。
また、睡眠日誌の詳細なつけ方やフォーマットも掲載していますので、ぜひご利用ください。
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2018年07月29日

安倍1強になびく"ゾンビ議員"たちの最期

安倍1強になびく
"ゾンビ議員"たちの最期
2018/07/28 プレジデント(沙鴎 一歩 )

総裁選は安倍首相と
石破茂元幹事長との一騎打ちか
自民党の岸田文雄政調会長が7月24日、9月の総裁選に立候補しない意向を表明するとともに、岸田派として党総裁の安倍晋三首相の連続3選を支持する方針を示した。
これで総裁選は安倍首相と、出馬の準備を進める石破茂元幹事長との一騎打ちになる公算が大きくなった。

安倍首相は党内7派閥のうち、細田派、麻生派、二階派の支持をすでに得ている。
石原派も安倍首相支持に回る見通しで、結局、安倍首相は無派閥議員も含め、国会議員票(405票)のうち、およそ300票を固めている。
岸田氏の不出馬表明で、安倍首相がさらに優勢になったことは間違いない。
自民党は「安倍1強」にすがりついて来年の参院選と統一地方選を勝ち抜こうという魂胆なのである

安倍首相が再び総裁に就いて安倍政権を継続すると、安倍1強はますます強くなるばかりだ。
官邸主導の政治はさらに強化され、その結果、霞が関の役人たちは忖度に走り、森友・加計学園疑惑を上回る問題が起きる可能性がある。
最近、文部科学省の局長や統括官が収賄容疑で逮捕されたが、同様の汚職事件も多発するだろう。

何よりも怖いのは、政権の長期化によって政治が活性化しなくなることだ。
政治家が政治の本道を忘れ、自己の利益追求を優先する。
政治家のための政治が当たり前になる。
その結果、痛い目に遭うのは私たち国民なのである。

「自民党に広がる閉塞感を表していないか」
岸田氏の不出馬を巡って新聞各紙の社説もそれぞれの視点から主張している。

7月25日付の毎日新聞の社説は冒頭部分で「これにより総裁選は、首相が一段と優位になったのは確かだろう。
だが候補の一人がこうして早々と戦線離脱すること自体、『安倍1強』状況の下で自民党に広がる閉塞感を表していないか」と訴える。
毎日社説は「衆参両院で自民党が多数を占める今、総裁選は事実上の首相選びの場だ。
中でも今回は首相が3選されれば、首相在任期間が戦前、戦後を通じて最長となる可能性が出てくる重要な選挙である。
しかも2015年の前回総裁選では安倍首相が無投票で再選された。
今回、複数が立候補すれば政権復帰後初めてとなる」と解説する。

やはり沙鴎一歩が前述したように「首相在任期間が最長」ゆえの深刻な問題は起きる。
そこを毎日社説はこう指摘していく。
「第2次安倍政権が発足して、もう5年半が過ぎた。
官邸が官僚の人事を握り、それを恐れる官僚が首相らに忖度する弊害が指摘されて久しい。

首相自らの問題でもある森友、加計問題も決着せず、財務省は文書改ざんまで引き起こした」
「安全保障関連法など反対意見を封じて与党の数の力で成立させる強引な手法も目立った。
経済政策も当初、アピールしていたような成果をあげているとは言えず、首相は『まだ道半ば』と繰り返すばかりだ
どの指摘もその通りである。

「国民を巻き込んだ総裁選」
                 を考えてほしい
さらに毎日社説は「岸田氏が不出馬を決めたのも、安倍首相と戦えば、総裁選後の党人事や内閣改造で自ら率いる派閥に不利になるかもしれないとの計算が働いたと思われる」とも指摘する。
岸田氏が毎日社説の指摘するような政治家だとすれば、自己の利益追求を考えた行動だ。

最後に毎日社説は「国民を巻き込んだ総裁選」を訴える。
「かつて多くの首相候補が激しく争っていた頃は、総裁選は政策や政治姿勢を転換し、国民の党に対するイメージを変える場でもあった。
政権党の開かれた論戦は国民全体にとっても有益だ。

安倍首相3選』の結論ありきで、多様な議論が展開されないとすれば、これもまた民主主義の危機と言うべきである
国民あってこその総裁選なのである。
自民党はそれを忘れている。
自民党には一度、原点に返って政党の在り方というものを考え直してほしい。

朝日は「我も我もと
『安倍1強』に付き従う姿」と批判
次に朝日新聞の社説(7月26日付)を見てみよう。
朝日は1番手の社説で「1強になびく危うさ」との見出しを掲げ、まずこう指摘する。
「5年7カ月に及ぶ長期政権の下、我も我もと『安倍1強』に付き従う姿は、闊達な論争が失われた党の姿を映し出す」

沙鴎一歩は「自民党は『安倍1強』にすがりつき、来年の参院選と統一地方選を勝ち抜こうという魂胆なのである」と書いたが、「我も我もと『安倍1強』に付き従う姿」とは朝日社説らしいいやらしさが多少あるものの、的を射た表現だ。

安倍1強の結果、「闊達な論争が失われる」のも、その通りである。
朝日社説は「結局のところ、不出馬の決断で1強政治の継続を肯定したことになる」と書いて「背景には人事での処遇をちらつかせる党内の権力闘争があるのだろう」と推測し、「安倍氏を支える麻生副総理兼財務相は先月、『「(総裁選で)負けた時には冷遇される覚悟をもたねばならない』と揺さぶりをかけた」と麻生氏の“嫌がらせ”を挙げる。

そのうえで「こんな発言がまかり通ること自体、1強のおごりを示しているというほかない」と鋭く批判する。
1強のおごり」。
安倍政権をひと言で表現すると、この言葉に尽きる。

岸田氏の不出馬は「忖度」なのか
さらに朝日社説は「従う者は厚遇され、意に沿わないものは冷や飯を食う」と批判し、「森友・加計問題で、行政の公正性と政治への信頼を損なった忖度の構造が、官僚だけでなく、選挙で選ばれた国民の代表たる国会議員の間にも根を広げているのは憂うべきことだ」と主張する。

果たして岸田氏の不出馬は忖度なのか。
朝日社説らしい見方だが、勢いに乗った安倍首相とは一戦を交えずにポスト安倍をしたたかに狙うのだろう。
したたかさは政治家にとって欠かせない。
今回の不出馬表明はそちらの方ではないか。

朝日社説は「強引な国会運営にしろ、政権をめぐる疑惑の放置にしろ、1強政治の弊害が誰の目にも明らかな今、総裁選で示される自民党の選択は極めて重い」と自民党の責任を指摘し、そのうえで「党内では石破茂元幹事長らが出馬の意向をみせており、前回2015年のような無投票にはならない見通しだ
どこまで政策論争が深まるか、党員・党友による地方票の行方とともに注視したい」と訴える。

最後に指摘する。
「1強の裏に広がるのは、活力なき政治だ。
一人の権力者になびくだけの現状は危うい」

朝日社説は安倍1強の結果、生まれたのが「活力なき政治」と指摘しているわけだが、これには賛成である。

ゾンビのように
付き従うだけの与党議員たち
読売新聞も7月26日付の1番手の社説で自民党総裁選を扱っている。
前半で読売社説は「岸田派内には、首相に立ち向かうべきだとの主戦論もあった。
既に細田派と麻生派、二階派が首相支持の方針を固めている。
岸田氏は、立候補しても展望は開けないとみたのだろう」と書く。

そのうえで「要職をこなして研さんを積み、今後に備えるべきだ。
岸田派の結束維持も課題である」と岸田氏に呼び掛ける。
ずいぶんと優しい社説である。

岸田氏はさぞ喜んでいることだろう。
持論だが、新聞の社説は政権擁護よりも批判に重点を置くべきだ。
そのあたりを社説担当の論説委員が理解していないのだろう。

そんな読売社説ではあるが、評価に値することも述べている。
たとえば次のような主張は社説として的確だと思う。
「出馬に強い意欲を示す石破茂・元幹事長は、党員の支持を広げる狙いから地方行脚を精力的に続けている。
首相とは異なる政策を掲げて論戦を挑んでもらいたい」

異なる政策で論戦を挑んでこそ、国民を巻き込んだ総裁選に近づくことができるのだ。
「3年前の総裁選で、首相は無投票再選を果たした。
6年ぶりとなる選挙戦を自民党は党の活性化につなげるべきだ」

沙鴎一歩も指摘したが、「活性化」が重要なキーワードなのである。
朝日は「活力」という言葉を使って表現していた。
いま政治から活力が失われ、与党の議員はゾンビのように安倍首相に付き従っている。それでいいのだろうか。
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世界で日本だけが「元号」に固執し続ける理由

世界で日本だけが
「元号」に固執し続ける理由
2018/07/26 東洋経済

鈴木 洋仁 : 事業構想大学院大学准教授

2019年4月に天皇の「御代替わり」を控え、元号をめぐるネット上での「大喜利」が止まらない。
2018年1月には安倍晋三首相が「新元号は日本人の生活に深く根差すものに」との方針を示したことから、平成の次の元号には「忖度」や「残業」「寿司」はどうか、といった議論が盛り上がった。

さらに、「元気モリモリご飯パワー」というような突拍子もない候補やキラキラネームならぬ「キラキラ元号」は是か非か、といったテーマにいたるまで自由に議論されている。
いや、「議論」というよりも、もはやネタとして元号で遊ぶ「元号のカジュアル化」が進んでいる。

その一方で、こうした流れに抗う動きが保守派から出ている。
共同通信は同年6月5日、以下のような記事を配信した。
「超党派の保守系議員でつくる『日本会議国会議員懇談会』は5日、国会内で総会を開き、新天皇即位に伴う新元号の公表は即位日である来年5月1日を原則にするべきだとの見解をまとめた」

同懇談会は、「新元号については『平成(であるうち)に公表されれば、現陛下と新陛下の二重権威を生み出す恐れがある』と指摘した」とのことなので、元号が「天皇陛下の権威を示す記号だと位置付けている」様子がうかがえる。

では、元号は今もなお
天皇の権威を示す記号なのか?
戦前までは「元号」と「天皇」の関係は強かった

日本のように現在も「元号制度」を採用している国はほかにない。
そもそも元号制度は、紀元前140年に中国・前漢で生まれた世界最初の元号である「建元」を由来とする。
古代中国は当時のアジアの文明国。
過去には日本以外にも、ベトナムや朝鮮半島なども元号を取り入れた。

日本では、西暦645年の「大化」にはじまり「平成」にいたるまで247の元号がある。
明治以後は「一世一元」、つまり、ひとりの天皇についてひとつの元号に限るため、改元は天皇の御代替わりの際にしか行われない。
これは保守派が主張するように、元号を天皇の権威を示す記号として位置付けるためだ。

ところが、明治以前だと、改元は御代替わり以外にも頻繁に行われてきた。
8〜9世紀の天皇への珍しい亀の献上や、美しい雲の出現など慶事をきっかけに改元(元号を改めること)する時代を経て、10世紀ごろからは災害などを理由とした改元が増えてくる。

また、朝廷よりも武家が権力を持った鎌倉時代や江戸時代には、天皇の御代替わりによる改元が形式的なものになる。
朝廷は、時の政権が決めた元号を手続き的に認める役割にとどまる。
ただ、たとえ形だけであるにしても、「昭和」までの246個の元号は最終的にはすべて天皇が決めてきた。
だから、確かに保守派の主張通り、元号は天皇の権威とストレートに結びついている。

元号を決めるのは天皇から
内閣総理大臣に変わった
戦前の大日本帝国憲法(明治憲法)下での元号は、勅定=天皇自らが決めるものとして明記されていた。
加えて、その公表のしかたは、「詔書(しょうしょ)」を用いると決められていた。
詔書とは、教育勅語のように、天皇が公務として自らの意思を明らかにする文書であり、法的効力を持つ。
つまり、大日本帝国憲法における改元とは、最高権力者である天皇による権威を示すイベントだった。
ところが、戦後に元号はその法的根拠を失う。

GHQにより、上記の法的根拠だけでなく、元号そのものについてまったく明文化されなくなってしまったからだ。
政府は「事実たる慣習」としてなんとか元号を存続させた上で、ようやく1979年に「元号法」の制定にこぎつける。
同法では、「元号は、政令で定める」とある。
政令とは、端的に言えば、内閣による命令である。
現代では、元号を決めるのは天皇ではなく内閣総理大臣なのである。

すなわち、現在の元号法が続く限り、平成以降の元号はすべて天皇ではなく、首相が決めることが予定されている。
となると、保守派の主張のように元号が天皇の権威を示す記号であるとは言えないのではないか。
それでも、保守派の理屈からすれば、「一世一元の制度をとる元号は、世界で日本が唯一である以上、あくまでも元号は天皇の権威を示している」と言えるかもしれない。

もちろん、北朝鮮が採用している「主体(チュチェ)」は、金日成の誕生年である1912年を元年としており、一世一元の元号とは異なる。
台湾の「民国紀元」もまた、中華民国の建国年の1912年を紀元としており、これも元号とは異なる。
だから、@確かに日本が世界で元号を使っている唯一の国であること。
そして、Aその紀年法(数え方)は天皇に基づいている以上、その権威が元号と密接に結びついていること。
この2点は揺るがないように見える。

海外の元号に対する反応 とはいえ、元号が、日本以外の国でどのように認識されているのだろうか。
そこで、昭和天皇の崩御にあたっての隣国・韓国からの反応を見てみよう。
東亜日報1989年1月9日付の紙面は、
「ヒロヒトの死により、20世紀の明暗を分けた昭和時代は終わりを告げた」と始まる(強調は引用者による)。
筆者が参照したのは、同年1月10日付の朝日新聞朝刊だ。
朝日新聞は「昭和時代の終焉」と見出しを付した上で、「同胞の生命失い屈辱を忘れられぬ」とサブタイトルをつけている。

同記事によれば、「『昭和時代』の前半は、戦争と侵略の歴史でつづられた」のであり、「わが国に残した傷跡はまだ深い」という形で、「昭和」という元号が使われている。

韓国にとって、「昭和」は戦争の傷跡を想起させ、なおかつ、「『天皇制』の歴史的責任を問わざるを得ない」記号にほかならない。
あるいは、直近での海外からの反応はどうだろうか。
米国コロンビア大学で日本史を研究するキャロル・グラック教授は、朝日新聞2017年8月30日付朝刊で、「もう元号は、昭和までと同じ存在ではない」と断言する。
グラック教授は、「元号と日本人の関係が決定的に違っています。
かつてのような元号と西暦をめぐるイデオロギー対立はみられず、ほとんどの日本人は、便利に暦を使い分けるようになりました」と述べる。

もはや、天皇は元号と時代の中でも中心的な位置を占めていない、というのが彼女の見立てである。
すなわち、現在の米国の日本研究者にとっては、韓国が昭和の終わりに際して見せた強い反応ではなく、「元号とイデオロギーの乖離」が進んでいると見えるのだ。
だからこそ、「なぜ、日本では世界で唯一元号を使っているのか」との疑問が、より強く残る。

日本が元号を使い続ける
     「消極的な理由」
元号とイデオロギーの乖離が進み、そして、元号ではなくシステム上の利便性を優先させるために西暦の使用を望む声が優勢であるにもかかわらず、なぜ日本は、今も元号を使うのか。

@「他国からの批判意見もない」ため
それは確かに保守派が唱えるように、天皇の権威を示す記号だからかもしれない。
けれども、韓国が「昭和時代」に見せたような激烈な反応は、日本においても、さらには米国をはじめとした諸外国においても、すでに見られない。

A「新元号をめぐるタブー感はない」ため
天皇が即位してからの30年という時間により、「平成」という元号が、特有のイメージを持たなくなり、つかみどころのないものになった。
加えて、今回の御代替わりは「崩御」ではなく「譲位」や「退位」となるため、新元号をめぐる議論にタブー感はない。

B「廃止する動機もさほどない」ため
「元号使用は伝統的で、西暦だと進歩的」などと分けることに意味はなくなり、元号が良くも悪くも権威を失ってカジュアルになり、廃止する動機もさほどない。

1979年に元号法が成立してから40年近くが過ぎた。
このため、今にいたって、わざわざ「元号を廃止する」と主張したとしても、その根拠となるものが見当たらない。
強いて挙げるとするなら、「西暦の方が便利だから」だ。
しかし、それが理由だとしても、行政文書等での元号使用を強制しなければ済む話であって、あらためて「元号を廃止する」きっかけにはならない。
裏を返せば、元号法によって法的根拠が与えられている以上、使う場面や頻度は減るとはいえ、日本は元号を使い続けるほかない。
あえて廃止するきっかけや根拠もないがゆえに、今もそしてこれからも日本は世界で唯一元号を使う国として存続していく。少なくとも筆者にはそうとしか言いようがない。
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2018年07月30日

幕末の志士たちは「テロリスト」だった

幕末の志士たちは
「テロリスト」だった
そしてジェダイはダークサイドに落ちた
2018/07/29 東洋経済

塚田 紀史 : 東洋経済 記者

幕末に尊王攘夷を掲げた志士たちの実像は、為政者や時代の空気によって書き換えられている。
『志士から英霊へ』を書いた東京大学大学院人文社会系研究科の小島毅教授に聞いた。

幕末の志士は現在で言えばテロリスト
──「志士から英霊へ」と評価が変わったわけですか。

日本の過去の人物像や歴史的事件に関して、すばらしいもの、褒めたたえるべきものだけを並べればいい、先人たちがした失敗や、ほかの国にかけた迷惑を語るのは自虐的だとの主張がある。

だがもちろん、明るい面と暗黒面をきれい事にしてまとめるのは、歴史認識として正しいあり方ではない。
むしろ逆だ。
歴史に学ぶとは失敗に学ぶのであって、成功譚を褒めたたえても、それは歴史を学んだことにならない。

中国では昔から「歴史を鏡にする」という表現がある。
中国人が日本の要人に会うたびに使う言葉だ。
同じ失敗をしないために歴史が存在するという考え方といっていい。

明治150年を語るのであればむしろ、その間に起きたことの負の側面を含めて語るべきなのだ。
幕末維新の志士という言い方がされてプラスの評価ばかりが目立つが、彼らは暴力に訴えてでも世の中を変えるべき、自分たちの考えと違う政治を行っている政権担当者は殺して構わないという考えを持っていた。
つまり現代社会においてはテロリストだ。

それを現在の日本国政府が、つまり世界中に蔓延するテロリズムと戦う姿勢を標榜する政府が、明治150年だからといって過去のそうしたテロリズムを礼賛するのは自己矛盾になる。

──この本は西郷隆盛と吉田松陰の「2人のジェダイ」についてから書き下ろされています。

実は私は「スター・ウォーズ世代」。
『スター・ウォーズ』には、西欧にない考え方を映画の中に生かすためなのか、研究対象の中国思想の気(フォース=銀河をつかさどるエネルギー)という言葉が盛んに使われている。
ジェダイ(秩序と平和の守護者)はいわば志士だし、彼らが戦った相手、もしくは作り上げようとしたものがエンパイア。
そして暴力やテロリズムに訴えるようになってしまい、ダークサイドに落ちたりもする。

この4つのキーワードを遊びの精神から各章タイトルに割り振ってみた。

松蔭は独善的だった
──西郷については「敬天愛人」に絡む話が中心です。

西郷はあるときから敬天愛人を座右の銘にし、好んで揮毫したという。
ただ、この言葉の由来について本人は語っていない。
関連する記述は、死後に出版された聞き書き本『南洲翁遺訓』の中にある。
1868年に教育者の中村正直が「敬天愛人説」という文章を書き、これが当時よく読まれ、西郷も知っていたはずだ。

──松陰もジェダイだった?

彼はむしろ偏った見方をする人だ。
自分の信念を貫くために、それに従わない人たちを間違いと決め付ける。
対話や議論を求めていくのではなく、書物や教えを通じて得たものに基づいて作り上げた自身の信念こそ正しいと突き進んでいく。

儒教の古典『孟子』の中にある言葉、至誠を根拠にして、誠を尽くせば皆わかってくれるはず、と独善的に事を運ぶ。
思想史的に位置づけ直すと、兵学をあずかる形で養子に行ったことから、責任感を持って軍学を身に付け、その結果として、正真正銘のテロリストになっていった。

──教育者としての評価も。

玖村敏雄の著作『吉田松陰』が1936年に刊行され、その中で教育者として立派だったとの像が打ち出された。
これが広く読者に浸透したようだ。
戦前における尊皇派、天皇崇拝者としての松陰像が封印され、教育者、人格者としての松陰という像が作られて、今に引き継がれている。

──彼はダークサイドに落ちた?

正義のために戦っているつもりが、闇というものに引き寄せられていく。
『スター・ウォーズ』でもよく描かれていると思う。
単純な善悪二元論、勧善懲悪ではない。
善の中にすむ悪の魅力、それこそが悪の魔力なのであり、最初から悪だとわかっていたら、力を持たない。
日本語でいうところの「心の闇」。

それを幕末の志士たちの生き方に重ね合わせると、彼らはなぜテロリストになってしまったのかがわかってくる。
自分たちの目指す正義が阻まれていると感じたときに、妨害するものを力ずくで排除しようとする。
結局、自分たちが敵と考えていた人たちと同じ側に立ってしまう。
他者を抑圧あるいは弾圧する。
それがダークサイド。

尊皇攘夷のために暴力に頼った
──いわば絶対正義。 人を引き込む作用をする。

『論語』にある身を殺してなすべきこと、殺身成仁に該当する。
『太平記』の児島高徳の逸話に学び、太平記を翻案した『日本外史』を読むことでそうした知識を身に付けてあこがれたジェダイたちが、ダークサイドに落ちる入り口の尊王攘夷を目指す草莽(そうもう)の志士に育っていく。

──エンパイアの理念も背景に。

中国の宋学が、水戸学によって幕末期に影響を与えることにつながる。
皇帝、日本の場合は天皇を頂点にいただく政治秩序をどう構想したか、それ以前とは違う形でどう作り上げたかという説話がエンパイアの理念だという位置づけになる。
それこそがダークサイドに落ちていったジェダイたちが実現しようとしたことで、暴力革命、つまり尊王攘夷のために暴力に頼ることになる。

──水戸学はなぜ受け入れられたのですか。

思想内容の魅力はもちろんあるが、広めた人として頼山陽に加えて曲亭馬琴の役割が大きい。
漢文で物を書く人ではなく、『南総里見八犬伝』や『椿説(ちんせつ)弓張月』が儒教道徳を教えている。
ちなみに八犬伝の8つの数珠玉はすべて儒教の徳目だ。
必ずしも水戸学と限定されないが、この手の本を通じて、小説を読むことができるような人たちに、儒教思想が取り込まれていく。
かつて私は頼山陽を司馬遼太郎になぞらえたが、むしろ馬琴ではないかと最近考えを変えた。

──藤田東湖の役割は。 水戸学の中心人物。

非業の死を遂げた人たちを英霊と呼び、靖国神社がこの言葉を取り入れた。
反逆の罪に問われて死罪となった松陰は、明治になってよみがえり靖国神社に祭られ、
西郷は逆臣として死んだので祭られていない。
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"毎月10万円"がないと絶対に老後破綻する

"毎月10万円"がないと
絶対に老後破綻する
2018年07月29日 PRESIDENT Online

■繰り越し方式導入で、
          どんな影響が出る?
急速な少子高齢化の進展で、年金制度を維持するために多くの改正や制度の変更が行われてきた。
直近では2016年に国会で年金制度改正法が成立し、現役世代にとっては大きな2つの変更が加えられることになった。

具体的には18年から導入された
@「マクロ経済スライド」の繰り越し方式(キャリーオーバー)の導入。
Aもう1つが21年からはじまる「物価・賃金スライド」の運用方法の変更だ。

年金制度は物価の上昇や現役世代の賃金が上がる場合には、年金給付額をそれらの上昇率にあわせて調整する制度になっていた。
しかし、現役世代が減少し、給付対象者が増えるなかで、一定程度給付する年金額を抑え、長期的な視点で年金制度を維持しようという「マクロ経済スライド」が04年から導入されている。

このマクロ経済スライド、賃金・物価の伸長率が低い場合には調整は行われず、前年度の給付額を維持することになっている。
ところが16年の改正ではスライドが行われない場合でも、0%を下回る未調整分を翌年以降に差し引きする「キャリーオーバー」が導入されることになった。
そもそもスライドの調整率は、現役世代の人口減少や平均余命の延びに応じて毎年見直される。

当初の厚労省の計算では調整率は0.9%とされ、賃金・物価上昇時には発動するが、物価上昇率が0.9%以下やマイナスのときは発動しないことになっていた。
年金に詳しいブレインコンサルティングオフィス代表の北村庄吾氏(社会保険労務士)は「物価が1.5%上がれば、そこから0.9%を引いた0.6%しか年金額をアップしない。
また物価上昇率が0.5%だと、そこから0.9%を引くとマイナスになるので調整しないことになっている。

これまでデフレが長く続いたために発動されてきませんでしたが、15年に1回だけ発動している」という。
たとえば物価が0.5%上がり、マクロ経済スライド調整率0.9%を差し引くとマイナス0.4%になるが、この場合の年金額は据え置きとし、0.4%を次年度以降に繰り越し、物価が上がったときにこの分を含めて差し引くという仕組みだ。

このキャリーオーバーが導入された18年1月、厚生労働省は18年度の年金参考指標として物価の変動率はプラス0.5%、名目手取り賃金はマイナス0.4%となることから、年金額は据え置き。
マクロ経済スライドによって、未調整となっている14〜16年時のマイナス0.3%分を19年度以降に繰り越すことを発表した。

わかりやすく言えば、仮にアベノミクスの物価上昇率2%の政策目標が実現しても、本来の調整率0.9%プラス未調整分の0.3%の計1.2%が差し引かれ、年金額は0.8%しか上がりません。
平均調整率を1%とすると、2%の物価上昇率が10年続けば物価は20%上がりますが、年金は10%しか上がらない。 つまり、年金が10%目減りし、今までと同じ商品を買うことができなくなります」(北村氏)

さらに、21年からはもう1つ、「物価・賃金スライド」の制度変更が行われる。

冒頭の説明にもあった通り、これまで給付される年金額は物価や賃金の変動に伴って調整されてきた。
物価が上がっても、その分給付額も上がるので、物価の変動にかかわらず、同じ商品が買えるメリットがあった。
たとえば、現役世代の賃金が1%上昇すれば、年金額も1%上がる。
仮に物価が上がっても賃金が下がる場合にはプラスマイナスゼロで据え置くことが決まっていた。

しかし、今回の改正により、21年4月からは、物価よりも賃金の上昇が鈍い場合、賃金の変動を優先して年金額が決定する仕組みに変更になる。
賃金よりも物価の伸長率が高い近年の経済状況が続けば、給付額が減額されるようになるというわけだ。

■毎月10万円が不足、
    確実に老後破綻する
21年からはじまる年金の賃金スライド開始で実質の年金額は毎年目減りし、さらにマクロ経済スライドによって減額されることになる。
それだけではない。
北村氏は現役世代にはさらなる厳しい状況が待ち受けていると指摘する。

現在の年金制度は現役世代の年金保険料で引退世代の年金を支える世代間扶養の仕組みです。
しかし、すでに2.3人の現役が1人の年金受給者を支えている構図になっている。
このままでは年金財政が持たないので、現役世代の保険料を引き上げるしかありません。
でも、現実的には難しい。

そうなると1つの解決策は消費税を上げて年金財源を確保する。
もう1つは現在65歳である支給開始年齢の引き上げ。

第1ステップとして定年年齢を65歳に延ばしたうえで67〜68歳に引き上げるのは間違いない。今45歳の人は確実にそうなると思います
当然、その頃は年金額も目減りしている。

ちなみに18年度の厚生年金月額は約22万円(夫婦2人)。
北村氏は45歳が受給する頃には(現在の貨幣価値で)17万円程度になっている可能性もあると試算する。
老後の生活費は総務省の家計調査では月約27万円。
そうなると10万円不足することになる。

北村氏は最後にこう警告する。
「何らかの形で毎月10万円を捻出できなければ間違いなく老後破綻が待っています。
そのためには今からリタイア後を想定して個人年金に入る、あるいは奥さんが個人型の確定拠出年金に加入するなど、将来に向けた準備に着手すべきです。
会社や国が面倒を見てくれる時代はもはや終わっているのです」。

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北村庄吾(きたむら・しょうご)
ブレインコンサルティングオフィス代表 1961年、熊本県生まれ。
中央大学卒。
社会保険労務士・行政書士・ファイナンシャルプランナー。
著書に『人生を左右するお金のカベ』(日本経済新聞出版社)など。
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2018年07月31日

とにかく「憲法を改正した総理」の称号が欲しいだけの安倍首相

とにかく「憲法を改正した総理」の
称号が欲しいだけの安倍首相
MAG2 NEWS 2018年07月29日

歴史的豪雨災害に押されたことを理由に「モリ・カケ問題」を収束したかのように見せかけ、安倍総理に都合の悪い議論は論点ずらしで逃げきった感のある通常国会は閉会しました。

元全国紙の社会部記者で、メルマガ『国家権力&メディア一刀両断』の著者である新 恭(あらた・きょう)さんは、安倍総理は「とにかく憲法を改正させる」ことしか頭になく、その後にやってくるであろう「アベノミクス破綻」の責任からも逃げようとするのではないかと予測しています。

アベノミクスこそ打ち砕くべき岩盤だ
長かった通常国会が終わり、安倍首相はさぞかしほっとしているだろう。
嘘をつき通し、数に驕る自民党の国会運営で、なんとか乗り切った。
国会や国民にどんなに不誠実であろうと、内閣は維持できると自信をつけたかもしれない。
クロであってもシロと言い続ける。すると、いつかは追及する側も、疲れ果て、飽きてくれる。
あとは、強力なライバルのいない総裁選を勝ち抜き、自衛隊明記の憲法改正にこぎつけさえすれば、アベノミクスの後始末という最大の難事など知らんぷりして、勇退の花道に進める。
よもやそんな算段では。
これほどコケにされながら、我ら国民、なんたる寛大さか。

安倍官邸という密室で全てが決められ、国民の代表が集まる国会は形骸化した。
真実は何も知らされない。
与党議員は、安倍政権の手柄を首相や閣僚に語ってもらう機会提供者に甘んじ、野党議員の追及は、論点ずらしとごまかしの答弁で時間潰しされた。

災害史に残る豪雨が始まった夜も、安倍首相や小野寺防衛大臣らは、竹下亘自民党総務会長ら自民党議員有志との飲み会で親睦に励んだ。
その席で、雨の災難に遭っている人、遭うかもしれない人への想像を政治家たちは働かせただろうか。
国民の大多数は諦めに似た気持ちかもしれない。

いろいろ問題はあるけど安倍さん以外に誰がいるんだ、と。
地盤、カバン、看板が幅を利かせ世襲議員が議席を占めてしまっている弊害が人材不足を招いているのは否定できない。
だがそれほど人材が枯渇しているのであれば、日本はお先真っ暗だ。
安倍首相がやってきたことは、秘密保護法、共謀罪、安保法制といった戦前回帰の政策ではないか。
その上に緊急事態条項を憲法に盛り込めば、国民の主権、人権といった面倒なものに気を使わなくともよい国家権力はさらに凶暴になりうる。
そのぶん、平和や個人の自由は脅かされる。

安倍官邸はこの国会においても、やりたい放題だった。
権力の濫用、情報の隠蔽、改竄などの問題について、役所内の形ばかりの処分ですませ、首相とその周辺を真空地帯にしたまま、責任の所在を突き止めようとしない。
その姿勢は、政府に対する深刻な不信感を国民の間に残した。

ふつうなら、このような政権のもとで、憲法改正など、できるはずがない。
しかし、自民一強、補完勢力多数の国会情勢や、内閣支持率の底堅さは不気味だ。
自民党は、いざ国民投票となると、なりふり構わず、電通と組み、マスメディアに巨額資金を投じて、宣伝工作を仕掛けてくるだろう。
その効果は、国民への刷り込みはもちろんのこと、報道部門の自主規制にも及ぶ。
電通や博報堂を通じたメディアコントロールは安倍自民党の得意とするところだ。

安倍首相がなんとか命脈を保っているのは、日銀を支配することによってつくられた株高、円安のおかげだ。
目先の利益にこだわる経済界が自民党への資金提供や賃金アップで協力しているのも大きい。
異次元金融緩和は、出口を想定しない博打だ。

アメリカがついている安心感からか、核のゴミの処理方法を考えないで作ったのが原発。
それは福島で爆発した。
同じことが異次元金融緩和にもいえる。
健全なマネー政策に戻すための出口を探し始めた途端、アベノミクスのバブルは破裂するだろう。

麻薬を打ち続け、きつい痛みをともなう出直しのきっかけを先延ばししているのが安倍政権の姿だ。
未来のことが分かったら苦労しねえよ、と麻生節が聞こえてきそうだが、昨今の日銀の動きをながめていると、この国はいつまで食っていけるのか、戦慄さえ覚える。

サンデー毎日7月29日号で、日銀と国の財政の危機について二人の識者が倉重篤郎氏の問いに答えている。

今の日銀をどう見る?
「日銀というのは…民間銀行がおかしくなったのを支える役割だったが、今は違う。
日銀自身がリスクの火だるま、過剰なほどのリスクテーカーと化している」(河村小百合・日本総研上席主任研究員)

財政の状況を例えると? 「タイタニック号のようだ。実は、まっしぐらに大氷山に向かって航行している」
「日本の財政、経済に対する信任が崩れれば今日にでもおかしくなる」(小林慶一郎・慶大教授)
異次元金融緩和により、日銀が円紙幣を刷って大量に国債を買い続けている。
そのため、いったん世界的な金利上昇局面が訪れるや、中央銀行の債務超過という前代未聞の事態にいたる可能性が高い。

一橋大名誉教授、野口悠紀雄氏ら専門家が指摘し、警鐘を鳴らしている。
大氷山にぶつからないようにするには、いつか方向転換しなければならないが、そのためには死ぬほどの痛みを国民は覚悟せねばならない。
事実上、アベノミクスは破綻している。
その原因の一つは、安倍首相が経団連など財界の保守的、保身的なお歴々と付き合ってきたからだ。
古いビジネスモデルで成功した日本の巨大カンパニーで権力をふるう人たちである。
新成長戦略を思いつくことは期待薄であろう。

安倍首相は岩盤規制の打破と言うわりに、肝心なところの規制改革には取り組めていない。
経団連の巨大利権がからむ部分には手がつけられていないのだ。
垂直統合型の古いビジネス感覚そのものが、岩盤である。
日本が得意とするモノづくりにこだわり、大きな未来を描けていない。

安倍首相は自身の頭の中の凝り固まった岩盤を破壊したほうがよさそうだ。
財界にかつてのような創業社長がめっきり減り、首相をおだてるのが上手なサラリーマン会長が、大立者を気取って取り巻いている。

マスメディアの経営陣はさらに小粒で、保身に憂き身をやつしている。
安倍首相が裸の王様になるのも道理だ。
メディアに気概があるなら、「ほとぼりが冷める」という定理を、たとえばモリ・カケで覆さなければならない。
もうネタ切れだ、などと言うなかれ。

豪雨災害も灼熱地獄も目の前の重要なニュースだが、モリ・カケの報道がピタリと止まったのはどうしたことか。
政治権力のあり方、場合によっては総理の犯罪にもつながりかねない重要な問題だ。
いま一度、洗い直して、連載ものにしたり、特集を組んだりする必要があるだろう。
その過程で、真新しいネタが見つかり、スクープできるかもしれない、 テレビなどはさまざまな切り口で取り上げることが可能だ。

安倍首相はもちろん、今井尚哉、柳瀬唯夫、萩生田光一、加計孝太郎ら役者はそろっている。
まだ未解明の問題なのだ。
彼らにアプローチし、インタビューできないなら、その反応をこと細かに報じるドキュメンタリーをつくればいい。
筆者の想像するところ、安倍首相は、「憲法を改正した総理」の称号がとにかく欲しいのだ。

その念願さえかなえれば、ちゃっかり逃げ場を探しにかかるだろう。
自分が日銀支配と放漫財政でつくったバブルの後始末は他人に任せる。
安倍さんは景気をよくしたが、そのあとはガタガタ。
そう応援団が吹聴できるシナリオを描いているにちがいない。
失政の尻拭いをさせられる将来の首相は、いい面の皮。
あとに残される国民は災難だ。
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