年長者が若者に
食事をおごるのは大間違いだ
もう「粘っこい慣習」は
やめたほうがいい
2018/07/23 東洋経済(江口 克彦 )
松下幸之助氏(パナソニック創業者)のもとで23年側近として過ごした江口克彦氏。
若手ビジネスパーソン向けの連載として好評だった「上司と部下の常識・非常識」に続いて、「50歳からの同調圧力に負けない人生の送り方」について書き下ろしてもらう。
若者たちと食事にいくと、50歳になっても60歳、70歳になっても「自分が支払わなければならない」などと思う。
先輩だから、後輩に支払わせてはいけないと思ったりする。
それで頼りない袖を振る。
それが美徳、それが先輩らしい振る舞いだと考える。
もともと払う気もない後輩を「まあ、オレに任せておけ」などと制するふりをしながら、「とりあえずの美学」で、レジに向かう。
こんな慣習、いかがなものか。その若者たち、後輩たちへの「とりあえずの美学」が、結局は、彼らをスポイルしている、自立心を毀損していることを考えなければならないと思う。
年長者が奢る必要はない
年齢だけを考えて奢ることより、先輩として人間の生き方を教え、語ることのほうが大事ではないか。
大事なことは「魚を与えるより、魚を釣る方法を教える」ことではないか。
それを、簡単にメシを奢ってしまって、どうする。
奢ることによって後輩を喜ばせて、どうする。
なによりみっともないのは、若者や後輩にご馳走し、奢りながら「なんでお礼を言わないんだ」「お礼の一言くらい言うべきものだ」と呟いたりお説教したりすること。
そんな恥ずかしい年長者、年寄りがいかに多いことか。
50歳を超える年齢になると、ますますそのようなことを思うようだ。
心のなかで思うだけならまだいいが、「おい、礼ぐらいは言えよな」と感謝を要求してしまう。
それを不満に思った若者から文句を言われたり、不機嫌な表情でもされたら、人間関係が悪くなってしまう。
いったいなんのために奢ったのか、なんのために自分が1人で支払ったのかすらわからなくなる。
本来の目的から大きく逸脱。
まったく本末転倒もいいところだろう。
年長者が若者に奢るのは「自己満足」
礼を要求するぐらいなら、もう二度と誰にも奢らないと心に決めたほうがいい。
年長者が若者に奢ることは、実は気遣いでもなんでもないのだ。
単なる自己満足にしかすぎないのである。
最近の若い人たちは、年長者のそういったお節介のほうが、かえって重荷なのではあるまいか。
上司と部下で呑みに行くと、部下の方から「割り勘にしてくれ」と言うこともあるらしい。
今の若者たちは、恩着せがましい負担を嫌う。
気をつかうような相手と飲みに行きたくもないのである。
同じ仲間であっても、相手の負担になりたくないから、大仰な贈り物を避けるし電話もしない。
常にLINEなどのメッセージングアプリを利用する。
贈り物をしてしまえば、相手はお返しに悩んでしまう。
電話をすれば、都合の悪いタイミングでも出なければならない。
その点、メッセージングアプリで済ませれば、相手の負担にならないのだという。
言われてみれば、こちらも同じような気持ちだ。
お中元やお歳暮については、十分に配慮しないと、相手の負担を強いることにもなるのだ。
香典もこの頃は「お断り」という場合が多い。
つまり香典返しが負担だからだ。
AIだ、IoTだ、シンギュラリティだと言われている今の時代に、もう「粘(ねば)っこい慣習」はやめたほうがいい。
むしろ、新しいツールを駆使しながら、今まで以上の豊かで温かい、心のこもった、そして、お互いに負担にならない生活の工夫するほうが大切なのではないか。
とにかく、年上だからと若者に奢ることはもうやめよう。
今の若者に、「先輩に奢ってもらおう」というような、あさましい気持ちはない。
むしろ、負担なのだ。
奢る分だけお節介ということである。